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「三所隠し反則」その後・・・効果はあったのか?
日時: 2009/04/26 10:06:28
名前: 練乳◆oCk4kW4CleA  < >

皆様

「三所隠し」撲滅のために「反則を取る」という審判長注意が行われるようになって久しいですが、実際の効果はどのように上がっておりますでしょうか?

私は「竹刀は真剣である」と考えている者ですが、その観点からすると「三所隠し」を完全に否定することをあまり快く思っておりません。また「三所隠し反則」を逃れるために、小手返し面の稽古が最近はやっているように感じます。「小手返し面」について特に偏見はありませんが、有効打突にするために稽古するのではなく、反則逃れのために稽古していることがあればそれはNGです。それをどこで感じるかというと小手を返した直後に面を打突するような返し面でなく、完全に三所隠しをした後に一拍置いて面を打つふりをするといった試合を見ることが多くなったからです。物打ちで面に当たる間合いでなく完全に相手の打突を封じたのを確認してからのものなのでそのように感じます。この様な場合、反則を取りきれないのが実状ではないでしょうか。

そこで、やはり三所隠し対策としては、上げ小手・逆胴を取るようにしたらどうかと思うのです。全日本でも逆胴を取っていると言う背景もあり、審判長注意においても三所隠しは反則にするという管理体制の強化指示ではなく、「審判規則に照らし合わせて、正しく有効打突を取ります。その中には上げ小手や逆胴も含みます。」といった前向きなコメントにしたらいかがかなと思います。

そうすれば「古流の形」に見られる三所隠しを一概に否定することなく、「小手返し面の反則逃れ利用」を無意味にし、試合を活性化できるのではないでしょうか?

一歩譲って、三所隠し及び「小手返し面の反則逃れ利用」に対し「上げ小手・逆胴」が放たれた場合、一回目は三所隠しを止めさせるための教育的指導と考え無効としても、二回め以降の上げ小手・逆胴は積極的に有効にするというのはいかがでしょうか?もちろん上げ小手・逆胴を有効打突の基準に鑑み、審判講習会等にて必ずメニューに取り入れて審判員を啓蒙することは必須だと思いますが。

反則を取るといった後ろ向きな管理体制の強化よりも、生き生きとした元気のある剣道が行われるようになり、逆胴や上げ小手もどんどん美しく洗練されていくでしょうからバリエーションが多彩になり、古流の香りを残し、昨今の「小中学生の運動能力低下防止」という教育的側面においても好ましいように思います。

いかがですかね?

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Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.53 )
日時: 2009/05/04 22:01:05
名前: 悩める中年剣士 

迎え突きさん

>迎え突きは、スポーツ的な感覚でとらえれば、一見ずるく危険な技に見えてしまいますが、武道としては最も基本となる技前の心構えです。

う〜ん、私は“突き”そのものは正に剣道の基本となるべき技だと思いますが、迎え突き(突き止め)は少し違うと思うのです。
剣道で最も尊ぶべきは先々の先、ついで先の先、後の先となると理解していますが、いずれにせよ先を取って勝つのが剣理と捉えるならば、迎え突きは、これらのどれにあたるのでしょうか? 私にはどれにも当たらないような気がします。
あるいは懸待一致という言葉もありますが、迎え突きでは相手の打突を一本にさせないことは出来ても自ら一本を取ることは出来ませんから、懸待一致の教えからも外れます。
思うに迎え突きとは、弟子の不十分な打ち込みに「そこは打つべき機械ではないぞ」と師匠が指導する際の手法の一つであって、本来の剣技ではないのでは?(迎え突き起源については、私の想像の息を脱しませんので、正論ご存知の方は訂正ください)
剣道をより良いものにしたいという貴殿の思いと私の思いは違わないと受け止めていますが、多少見解の相違はあるようですね  この多少の違いは簡単には埋まらないかもしれませんが、私も未熟者ゆえ知らないことが多々あるはずです。今後の参考の為にも貴見ご教示くだされば幸いです。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.54 )
日時: 2009/05/04 22:24:58
名前: 練乳◆oCk4kW4CleA  < >

何の確証もないのに、私が審判講習会に参加していないと決めつけたり、『剣道試合・審判・運営要領の手引き』を持っていないと決めつけたりする方々が、いかなる勉学に励まれても、正しく物事を判断できるわけがありませんね。

できればトピの主旨に沿った議論を展開していただきたくお願い申し上げます。m(_ _)m
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.55 )
日時: 2009/05/04 23:00:50
名前: ヒロポン 

 練乳さんを攻撃したところでこの議論が進んでいくわけではありませんし、そこで練乳さんが気を悪くしてしまうと、貴重な意見が聞けません。
 僕が偉そうに言うのもどうかとは思われますが、売り言葉に買い言葉では何も進展しないと思います。すみません。
 
<<思うに迎え突きとは、弟子の不十分な打ち込みに「そこは打つべき機械ではないぞ」と師匠が指導する際の手法の一つであって、本来の剣技ではないのでは?

 僕も全く同じだと思っておりました
僕もよく迎え突きを先生にされますが、「このタイミング(機会)じゃダメだ」と思っております。
 まあ同年代や後輩に抑えられたら、竹刀をバチンと払って打ちにいってしまいますが(笑) まだまだ甘いですね・・
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.56 )
日時: 2009/05/05 00:18:01
名前: 迎え突き 

>> No.53 悩める中年剣士様

>迎え突きは、これらのどれにあたるのでしょうか?

当然、先々の先でしょう。

>迎え突きでは相手の打突を一本にさせないことは出来ても自ら一本を取ることは出来ませんから、

この発想、すなわちルール上で一本になるかならないかという発想が、そもそも剣道を競技として捉えてしまっているところです。

いや、別に一般の人や、初心者・学生さんが剣道を競技として捉えることがよくないと言っているのじゃありません。ただ、少なくとも子どもたちの指導をする人や審判をする人には、剣道を単に競技という視点で捉えるばかりでなく、もう一歩深い考えを持っていただきたいなと思っているだけです。

>思うに迎え突きとは、弟子の不十分な打ち込みに「そこは打つべき機械ではないぞ」
>と師匠が指導する際の手法の一つであって、本来の剣技ではないのでは?

前半はそのとおりですね。だからこそ「本来の剣技」などというより、剣道における先々の先の攻防の原点なのです。


>> No.55 ヒロポン様

>練乳さんを攻撃したところでこの議論が進んでいくわけではありませんし

そうですね。今後の修錬に陰ながらの期待と応援はしますけれど、もう「攻撃」する気持ちは毛頭ありませんよ。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.57 )
日時: 2009/05/05 01:11:43
名前: 悩める中年剣士 

迎え突きさんへ

まず、「迎え突きでは相手の打突を一本にさせないことは出来ても自ら一本を取ることは出来ませんから、」との弊意見に対し、

>この発想、すなわちルール上で一本になるかならないかという発想が、そもそも剣道を競技として捉えてしまっているところです。

というのは貴殿の誤解ですので、一応解いておきます。このスレッドでの私の最初の書き込みにて、迎え突きのことを、切り掛かって来た相手と刺し違えて死ぬ気なら結構だが・・・と断り、かつ真剣ではあり得ない行為だと申し上げました。このことを以ってしても、私が剣道を単なる競技として捉えて発言しているわけではないことは、ご理解頂けるのではないかと思慮致します。まあ、真剣云々は大げさだとしても、貴殿が競技偏重を懸念されているように、私も競技偏重の人が相手の打突を一本にさせない方法として迎え突きを濫用するおそれがあることを懸念する次第です。そのことを以って“第二の三所避け”と表現したようにも記憶しています。
このことは、私の書き込みから随分間が空いてしまったので誤解されてしまっても仕方ないですが、読み返して頂ければ分かると思うので、さほどの問題ではありません。

私が申し上げた見解の相違は、私の「迎え突きは、これらのどれにあたるのでしょうか?」との問いに対し、

>当然、先々の先でしょう。

とのお答えが正に全てを言い表しているように感じました。私の理解では(と言っても未だ十分理解し切れているかどうか自信の無い点もありますが)先々の先とは、彼我それぞれが先の気持ちを発した時に相手の先が未発のうちに切りつけて勝ちを征する先、これを以って先々の先と言うと習いました。従って私が学んだ先々の先の定義からすると迎え突きが先々の先ということはあり得ません。
先々の先の突きならば、迎え突きではなく、相手が正に打ちかからんとする刹那に踏み込んで突きを繰り出す技ではないかと思います。それがもう少し後のタイミングになれば、出端の突きとなり、これは先の先の技ではないかと理解しています。
迎え突きは(少し偏見があるかもしれませんが)面を打たれたが、それとほぼ同時に突きで制するという動作ですから、タイミング面だけで見れば後の先になりますが、勝ちを得るものではないので、後の先と言うのも少し違うのかなと感じます。もし、相手の面を右か左に抜いて、斜めから突きを繰り出せばこれは明らかに後の先でしょうね。ただ、これは至難の業だと思いますが・・・

私の意見と違うから、全てが間違っている・・・なんてことを言うつもりは毛頭ありません。人それぞれ生きてきた経歴の中で経験してきたことが違うのですから、見解を異にして当然です。私は、今、貴殿が問題提起してくれたこの一件で、自分の考え方が随分整理できた気がして、却って感謝しております。機会がありましたら、剣と共に杯も交えてみたいなぁと思うくらいです。ありがとうございました。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.58 )
日時: 2009/05/05 05:45:26
名前: 練乳◆oCk4kW4CleA  < >

そうですね〜、迎え突きが「技」と言えるかどうか?

これを読んでいる方々の意見がききたいですね〜。

私としては一連の流れの中で打突に直結するものではないので、技とは言いにくいような気がしますが・・・
もちろん出端突きのように直接有効打突になるものならば当然「技」と言えますけど。
よける(相手の攻撃を防ぐだけの)技術も技であるとするならば「技」なんでしょうけれど、そうなってくると防御一辺倒の「三所隠し」も同様の「技」くくりに入ってしまうような気がします。打突に直結しない「防御技?」として。
「迎え突き」と「三所隠し」が同じ価値であるなんて言っちゃうとまた物議をかもしてしまいそうですが・・・。

皆さんいかがでしょうか?
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.59 )
日時: 2009/05/05 06:00:26
名前: 練乳◆oCk4kW4CleA  < >

連続コメントですみません。

例えば迎え突きで制した直後に引き面を打たれたようなケース。これは一本にならないことが多いと思いますが、迎え突きの効力はそこまで及んでしまってもいいものなのでしょうか?いわば「三つの許さぬ所」における「技の尽きた所」で打突の機会としては最も良しとされるタイミングですよね。
これを打たれないために学生さんは身体をおりまげて相手に接近し打突されるのを防ぐわけですが、この姿勢が「迎え突き」と言う高尚な技の帰結点としてあらわれることが、その説得力を失わせる一つの要因でもありますよね。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.60 )
日時: 2009/05/05 09:16:50
名前: 迎え突き 

>> No.57 悩める中年剣士様

>このスレッドでの私の最初の書き込みにて、迎え突きのことを、
>切り掛かって来た相手と刺し違えて死ぬ気なら結構だが・・・と断り、
>かつ真剣ではあり得ない行為だと申し上げました。

はい、存じております。
それ故、悩める中年剣士さんも、剣道を競技として捉えていらっしゃる方だなと思った次第です。

先に、悩める中年剣士さんご自身がおっしゃったように、迎え突きには、

>弟子の不十分な打ち込みに「そこは打つべき機会ではないぞ」と師匠が指導する際の手法の一つ

というような側面もあります。
なぜ、迎え突きが指導的な側面として用いられるのか。それは先々の先で、すでに中心を制されている状況なのに、それを打開しないままに打ってはいけないよという意味が込められているのです。

迎え突きをされる状況にも関わらず打って行けるのは、相手が構えているのが先の丸い竹刀だからです。先の尖った真剣を中段に構えられたら、そう簡単に打って行けるものではありません。

そのため、剣道修錬の初期の段階では、剣先を恐れて体を開いたり、横へ逃げながら打ったりすることの無いように、まずは剣先を恐れず真正面から思い切って打ちなさいと、「捨てて打つ」ことを学ばせる指導が大切です。この場合に指導者は、打突の直前に剣先を僅かに外して、打たせてやります。

しかし、こういう指導は、せいぜい3段くらいまでです。4段以上になったら、今度は逆に剣先の怖さを知らしめる指導になります。「捨てて打つ」ことは、すでに十分に身につけているのですから、次の段階では「捨てて打つための状況を事前に自ら作り出す」工夫、いわゆる「技前の工夫」「攻めの工夫」を学ばせるわけです。

先の丸い竹刀の剣先を先の尖った真剣の切っ先だと意識させ、その切っ先を外させた状態でないと打ってはいけないものだと教えます。すると、まずは、払う、抑える、あるいはコテメンの連続技のような物理的な方法によって、剣先を外そうと試みるのが一般的です。

しかし、払ったり抑えたりという動作で一瞬相手の剣先を中心から外すことが出来たとしても、打突しようと振りかぶった瞬間には相手の剣先は中心に戻ってきてしまいます。払いから面に至る連続動作のスピードを上げることによって、ある程度は対処できますが、この方法には限度があることが次第に分かってきます。

次に、一般的に試みられるのは、小手を攻めて、相手が小手をかばおうと剣先を開いたところを打つというように、一種のフェイント動作を持って、相手の心理面に訴える方法です。この方法は先の物理的な方法よりは多少効果がありますが、相手がそれを見破ってしまえば、つまり小手の攻めに反応しなければ、逆に小手を攻めた自分の動作が相手から見た隙となって返ってきてしまいます。

そこで、さらに次の段階では相手に先に剣先を動かさせる方法を工夫し始めます。たとえば剣道形3本目のような位詰めで中心を取って攻めこんでゆけば、相手はその中心を取り返そうと剣先に力を込めます、その瞬間を見逃さずに振りかぶれば、中心を取り返そうとした相手の剣先が逆の方向に流れ、その瞬間に面を打つことが出来ます。

また、同じように位詰めに中心を取って面を攻めれば、それに応じようと僅かに手元が上がり、その瞬間に剣先が外れますので、そこを小手を打つなり、そのまま面に乗るなりということが出来ます。

しかし、現実には相手も自分と同じように考えて、中心を外さずに位詰めに攻めてきますから、相互に中心を取り合う攻め合いから、先に根負けして剣先を動かす動作をしてしまった方が負けます。これを一般に相手を「引き出す」と言います。

ところが、心の動きと実際の身体の動きにはタイムラグがありますので、「引き出す」とは言っても、完全に相手の動作を引き出してから打ったのでは間に合わない場合があります。そのため、心理的には「引き出して」いるのですが、外部から見た動作では、相手より先に動いて、相手が動き出す前に打ってしまっていると場合があります。

つまり、心理的には相手を引き出して対処する「後の先」ですが、外から見れば相手が動き出す前に打っているように見える「先々の先」です。

一方、迎え突きは、先々の先の気位で相手の中心を制しているにもかかわらず、相手が我慢しきれずに、心理面ばかりではなく動作的にも引き出されて面に打って来るところを、こちらも竹刀を突き出す動作を持って制します。外から見ると先の先や後の先のように見えますが、先々の先で制しているからこそ、充実した気勢と姿勢で相手の打突を止められるのです。

余談ですが、日本剣道形の1〜5本目は、そのほとんどが後の先のような技に見えますが、全て先々の先の理合で勝つ技とされていることに疑問を持ったことはありませんか。「先」に関する理合は、外部に現れる動作ばかりではなく、心理面に踏み込まなければ、なかなか理解しにくい理合です。

話を元に戻しますが、互いに中心を攻め合う稽古では、相手は心理的に引き出されて、そこを打たれているわけですから、こちらを突き止めにしたり迎え突きをしたりする余裕はなくなります。逆に言うと突き止めされてしまったということは、相手を心理的に十分に追い込み引き出すことが出来ないまま、打ちにはやってしまったということです。

そして、こういう攻めを学び合い体得するためには、攻めが不十分で機が熟さないままに打ってしまう打突に対しては、互いに突き止めにしてその否を知らせ合う稽古が不可欠です。

打突の結果を判定し合う競技規則の中で、竹刀を真剣と考えるだけでは、突き止めによる無効化ルールのように矛盾を感じてしまうこともあるでしょう。実は、竹刀を真剣と考えるということは、打突の結果ではなく打突に至る前、すなわち技前を十分に考えて、そこを修錬せよということなのです。真剣での戦いは、たった1回の打突で生死が決定してしまうのですから、そこに至る技前の工夫を安全な竹刀で何度も繰り返しシミュレーションして、その理法を身につけるというのが剣道の本来の在り方です。ですから、剣道は「打って勝つ」のではなく「勝って打つ」ものだと言われるわけです。


>私も競技偏重の人が相手の打突を一本にさせない方法として迎え突きを濫用するおそれがあることを懸念する次第です。

私が「極論」を言ってしまうと誤解されがちなのですが、それでもあえて極論を言ってしまえば、三所避けが蔓延するよりは、迎え突きが蔓延する方が、剣道の将来にとっては、はるかに健全だと思います。

誤解していただきたくないのは、小中学生や高校生など、技が未熟で剣先の定まらないうちから迎え突きを奨励せよというのではありません。しかし、打たれないように左手を挙げて防御する三所避けをするよりは、打たれてもよいから左手を正中線から外さず、中段の構えを崩さぬように十分な気勢と姿勢を保って攻め続け、結果としてそれが突き止めになるように指導することの方が、競技ではなく武道としての面から好ましいことと思います。

また、突き止めに対する対処を工夫することは、先に述べたように技前の工夫に早い内から取り組むことになりますから、この点でも武道としての剣道の理に適うものだと思います。

もちろん、迎え突きにはそれなりの危険が伴いますから、まずは指導者たるものが安全で正しい迎え突きの方法を十分に習得し、それを踏まえて、大学生以上、あるいは4段以上の人たちに、迎え突きの突き方や手の内をしっかりと指導してゆくことが大切でしょう。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.61 )
日時: 2009/05/05 10:02:48
名前: 悩める中年剣士 

迎え突きさんへ

>はい、存じております。
>それ故、悩める中年剣士さんも、剣道を競技として捉えていらっしゃる方だなと思った次第です。

あれっ? どうしてそういう誤解につながるのか不思議ですが・・・(^^;
確かに未だに下手ながらも試合に出る機会がありますから、剣道を競技としての捉えている一面もありますが、そこに留まらない努力をしようとしています。だからこそ、居合を学び始めたり、竹刀を日本刀を模す工夫をしたりしています。居合の先輩方と会話すると竹刀剣道に対する受け止め方が私から見ると斬新で大変勉強になります(中には誤解されている面も多々あるのですが)。

ところで、貴殿のご意見が当初試合に対する対処法として発信されたことから、私に誤解があったようですが、今回の種々ご説明で、むしろ稽古のあり方を重視されていていることが十分理解できました。
貴殿が展開されている技術論のほとんどは理解・納得できるのですが、中にはやはり今の私のレベルでは理解できないものもありますので、今後もっと勉強したいと思います。それは、やはり“先”に対する理解の深さだと思います。従って、これだけご説明頂いても、未だ何故迎え突きが先々の先か理解できていません。このあたりは余談で触れられた剣道形をもう一度勉強してから、あらためて考えてみます。ありがとうございました。

P.S.蛇足ですが、死ぬ気で切りかかってくる相手にも迎え突きは効果があるでしょうか? 私なら、死にたくないので、そんな相手には迎い突きはしません。このことを以って、私が単に剣道を競技として捉えていないことの傍証とさせてください
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.62 )
日時: 2009/05/05 11:59:15
名前: 迎え突き 

>> No.61 悩める中年剣士様

>P.S.蛇足ですが、死ぬ気で切りかかってくる相手にも迎え突きは効果があるでしょうか?
>私なら、死にたくないので、そんな相手には迎い突きはしません。
>このことを以って、私が単に剣道を競技として捉えていないことの傍証とさせてください

まさにこの部分ですね。

そもそも最初から死ぬ気で立ち向かうなら、大振りして斬りかかるより、剣を相手に真っ直ぐに向けて構え、相手の踏み込みに合わせてそのまま突き出す、いわゆる迎え突きが最も確実で効果的な方法です。

たとえば、腕の未熟な女や子どもが、親の敵(かたき)を討つために、剣術の達人と立ち合わねばならぬとしたら、私は迷わずこの方法をとらせるでしょう。万が一、敵を討ち漏らせば、お家再興は望めませんから、我が身、我が命に替えても、敵を確実に討ち果たすため、むやみやたらに刀を振り回すよりは、中段に構えて真っ直ぐに突き進むのが最良です。

しかし、この時に彼らの心の内に、もしも「死にたくない」という心が僅かでも芽生えてしまえば、敵の斬り込みに対して避けよう受けようとする気持ちが働いて、敵に向けていた切っ先が正中を外れ、その結果、敵を討ち漏らすと同時に自らの死を迎えてしまう可能性を大にしてしまいます。

そのため、真剣勝負の場では、まずは「死にたくない」という気持ちを捨て去ることが肝要です。これが剣道の修練において「捨てる」ことが大事とされるゆえんです。

一方、敵(かたき)役の剣術家の立場になりますと、真っ直ぐ正眼に構えて、こちらの踏み込みに合わせて迎え突いて来る素人同然の女や子供の切っ先に自らを刺し貫かれ、彼らと相打ちになってしまったのでは、それまでの剣術の稽古は一体何だったのかということになります。

ですから、どのような状況であっても、相手の剣先を中心から外して、自らが刺し貫かれないように打ち込む技術を、日々の修錬を通して身につけておかねばなりません。

しかし、最初から死を覚悟して剣先を向けてくる相手はなかなかやっかいです。目の前に突きつけられ、死を厭わず喉元に伸びてくるその剣先に対して、少しでも躊躇してしまえば、充実した気勢と適正な姿勢を持って打ち込むことが適わず、結果として剣術の技量に差がありながらも、素人同然の彼らに討ち取られてしまう可能性を大にしてしまいます。

そのため、普段の稽古では、彼我の関係で確実に中心を取ってから打ち込む技術と同時に、いざ打つと決めたならば、こちらも相打ちになることも覚悟して躊躇無く「捨てて打つ」修錬が求められるのです。

このような状況の中で、普段の稽古において竹刀を真剣だと考えるのならば、もしも攻めが不十分で刺し貫かれる状況で打ってしまった時には、その攻めの甘さを反省することがまず第一です。それなのに、その不十分な打突を自らが容認して迎え突きと相打ちだなどと思ってしまうことは、いつまで経っても中心を攻める技術が身につかないばかりではなく、そもそも何のために剣道を修錬するのかが分かっていないということになってしまいます。

そして、真剣勝負に求められる命を捨てた中心取りの攻防を、普段の稽古で学び合うならば、相手の不十分な攻めに対して、「その攻めではまだこちらの心は動かないぞ」ということを、迎え突きや突き止めの動作を持って、きちんと示してやることも大切です。

もしも、そこのところで竹刀が真剣だからなどと言って、死にたくない、斬られたくない、打たれたくないという気持ちを芽生えさせてしまい、手元を動かして剣先を僅かでも外してしまうのでは、それは互いの稽古になりません。打たれることを厭わず、真正面から迎え突いてあげることも稽古の上では重要な意味があるのです。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.63 )
日時: 2009/05/05 12:52:30
名前: 悩める中年剣士 

迎え突きさんへ

貴見拝見して、なるほど!と思う点とそうでない点とが入り混じっておりますが、それはお互いの生きてきた道が違うのですから、人生観や剣道観が違って当たり前なので、それはそれで納得です。剣道に限らず、相互の共通点と相違点を認識し、切磋琢磨するのが、剣道に限らず大切なことだと思いますので、勉強になりました。
多分、刺し違いを是とするか否かが貴我で意見を異にする根っこのような気がしました。また、“迎え突き”という共通の単語を使ってはいますが、それに対するイメージも異なっているのかもしれませんね!? 一度お会いして語らえば、これらの点は明解になるのかもしれませんが、ネット上ではなかなか難しいことのようです。
いずれにせよ、自らの信じる道を進んで、お互い精進致しましょう!
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.64 )
日時: 2009/05/05 13:35:22
名前: 迎え突き 

>> No.63 悩める中年剣士様

私も、このトピでのあなたへのレスは最後といたしますね。

>多分、刺し違いを是とするか否かが貴我で意見を異にする根っこのような気がしました。

どうやら、そのようです。

悩める中年剣士さんは、真剣ならば迎え突きは相打ちになるのであり得ない行為だというお考えなのに対し、私は、迎え突きは、竹刀だから相打ちになるのであって、真剣ならばそもそも相打ちにならないと思っています。

なぜなら、日本刀の切っ先を自分の胸元に向けられていて、そのまま突っ込めば突き刺されるのが分かっているのに斬りかかるバカはいないからです。(それだけ日本刀の切っ先の恐怖は大きいものです)

しかし、先にも述べたように、真剣勝負では「死」を覚悟せねばなりません。「斬られたくない」「死にたくない」という気持ちを捨てたところから勝機が芽生えることもあります。

ですから、剣道では「捨てて」打つことが重要です。

だからといって、自分だけ命を捨てたのではバカらしい話です。自分は死んだとしても、相手も確実に殺さなければ、真剣勝負の目的は果たせません。

そこで、たとえ自分が死んでも相手を確実に仕留めるためには、刀を振りかざして斬りかかるよりも、切っ先を相手に向けたまま相手の踏み込みに合わせて突っ込む方が確率が高くなります。

つまり、「死にたくない」という気持ちを捨てて相打ちを覚悟した人は、斬りかからずに迎え突きをするのです。

そのため、互いに死を覚悟した剣客同士は、中段に構えた日本刀の切っ先を相手に向けて逸らさないようにし、相手が踏み込んでくるのに合わせて、切っ先を突き出す機会をうかがいます。

これが、中段の構えを基礎に置いた中心取りの攻防です。日本剣道形の3本目は、この理合を教えています。

そして、またまたここで誤解を恐れず「極論」してしまえば、剣道はこの中心取りの攻防を学ぶためにあるのです。竹刀で相手の頭を叩いてポイントを得るためではありません。ですから、迎え突きをされる状況で打って行くことは、竹刀を真剣だと考えるならば、あり得ないわけです。

まあ、いずれにせよ互いに埋まらない溝を掲示板で埋めるのは難しいようです。
ありがとうございました。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.65 )
日時: 2009/05/05 14:10:05
名前: 練乳◆oCk4kW4CleA  < >

迎え突きさま

長いコメントを読んで、迎え突きさんが一生懸命何を言おうとしているのかだんだん分かってきました。ちょっと私とはレベルが違うというか、次元が違うというか、世界が違うように思えます。
ただ、決して否定しているわけではなく、だんだん納得できてきたということです。ありがとうございました。

ただ、多くの人が打突部位を叩き合うことに一喜一憂していることも事実ですし、その結果健康でいられればいいんだと思っています。子供の教育を考えても楽しく明るく育てばいいわけで、迎え突きをされたり、逆胴に旗が上がらなかったことで不快に思うことはまともな感情です。

迎え突きさんの世界では、迎え突きを使用しなかったり、逆胴に旗を上げたりすることでは子供の教育はできないものなのでしょうか?
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.66 )
日時: 2009/05/05 17:13:36
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

やや、いかん!
GWの忙しさにかまけていたら、ものすごいスピードでトピが進んでいる!(^_^ メ)
読むだけでも一苦労だなぁ、こりゃ…。

ともあれ、これからまた、お稽古に行ってまいります。
しっくり目を通してかけるのはGW明けになってからだと思いますがお許しくださいm(_ _)m
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.67 )
日時: 2009/05/05 17:55:39
名前: 迎え突き 

>> No.65 練乳様

>ただ、多くの人が打突部位を叩き合うことに一喜一憂していることも事実ですし、
>その結果健康でいられればいいんだと思っています。

一般の人や、剣道を始めたばかりの初心者、小中学生や高校生などは、どうしても剣道を「打突部位を叩き合う競技」だと思ってしまいます。だからと言って、そのこと自体を私は憂えたり否定したりしようとしてるのではありません。

剣道を普及させるという面からすれば、最初はスポーツ競技として剣道に取り組み、その中で試合競技に勝ち、その勝つ喜びを体験させることも、剣道振興のためには大事なことです。

ですが、大人になって、少なくともこの世界で高段者とされる4段以上を持ち、子どもの指導や試合の審判を任されるような人ならば、剣道を竹刀で叩き合うスポーツ競技として見るばかりではなく、もう一歩踏み込んだ「武道」として見る目を持たなければならないだろうと思います。

私が乳練さんに対して厳しい言い方をしているのは、乳練さんが剣道を競技として楽しむ段階にある中学生や高校生ではなく、子供の指導や審判に携わり、剣道を武道として次代に伝えて行くべき責務を負った、立派な大人の高段者だと思っているからです。

同時に、私にも乳練さんと同じような疑問や不満を剣道やその周辺の高段者に対して持った時期があり、その克服に時間がかかって遠回りしてしまったため、乳練さんにはそういう回り道をしないで早く気づいて欲しいという思いもあったからです。

(実は、修行の過程において、中途半端に「竹刀を真剣と考える」ことから来る勘違いは、往々にしてあることで、その勘違いによって私も回り道をしてしまった経験があります)


>子供の教育を考えても楽しく明るく育てばいいわけで、迎え突きをされたり、
>逆胴に旗が上がらなかったことで不快に思うことはまともな感情です。

そういう、父兄や子どもたちから寄せられる、一見まともとも思える感情や疑問に対して、なぜ剣道のルールでは打突部位を捉えていない突き止めが相手の打突を帳消しにしてしまえる程の効力を持っているのかを正しく理解し、それを分かりやすく説明するのが指導者の役割なのではないでしょうか。

それなのに、指導者までもが迎え突きや突き止めの本質を知ろうとせず、その現象面だけを見て不快感を持ち、自分が審判ならば突き止めは認めたくない旨の発言をしてしまっては、元も子もありません。

>迎え突きさんの世界では、迎え突きを使用しなかったり、
>逆胴に旗を上げたりすることでは子供の教育はできないものなのでしょうか?

剣道の修行段階において指導内容に違いは出てきますが、ようは剣道を通して子どもたちに何を教えようと考えるかが大事だと思います。

竹刀競技の世界で勝つための技術を教え込み、そこで勝つ喜びを教えるのが目的なのか。そこからさらに踏み込んで、剣道の武道性を指導者自らが探求し、そこで学び得たものを子どもたちに教え伝えようとするのか。この辺のところが指導者の資質に関わってくるところだと思います。

だからこそ、乳練さんには現状に踏みとどまらないで、もう一歩深い剣道の世界に踏み込んで欲しい、高段者の迎え突きを悠然と受け止める度量を持って欲しい、そこに早く気づいて欲しいという思いなのです。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.68 )
日時: 2009/05/05 19:35:39
名前: 好月 

To 迎え突き さん

>ただ、子どもたちのことを考えれば、せめて剣連が主催する講習会には出席するよう努力していただき
 たいですし、それが出来ないのなら指導や審判の場からは身を引いていただきたいというのは、私も好
 月さんに同感です。(No52)

 幼稚で短気な小人の、心中お汲み取り頂き真にありがとうございます。
正直なところ、こうも理解者が現れないものか・・・ひょっとして、自分は知らぬ間に常人の理解を超越する
ほどの達人になれたのか・・・(苦笑)と、不安になっておりました。(#^.^#) 

 また、No60の迎え突きのご説明、お見事でした。
私も、仰るように迎え突きについて先々の先の技だと考えておりますし、修行段階別の説明・指導法等、
自分の歩みを振り返るようで、それぞれの時代、そのときの教えを懐かしく思い返すことが出来ました。
 しかし、ご本人にはご理解いただけていないようで、真にもどかしく残念に思います。

To 悩める中年剣士 さん

 突然ですが、横レスのご無礼をお許しください。
と言いつつ、迎え突きさんのように上手に説明できないんですが・・・

>多分、刺し違いを是とするか否かが貴我で意見を異にする根っこのような気がしました。

 剣道の発祥から考えると、そもそもここが間違っていると考えます。
というのは、刺し違いを是としたところから剣道が生まれているからです。
 古流の形は、すべて捨て身に始まり相打ちに終わると言っても過言ではありません。これらをして、剣道
が今にあるのですから、現代人が刺し違いの是非を問答すること自体間違っているとしか言えません。

 もっと詳しく書きたいのですが、私はこれ以上の言葉を持ちませんので、私が四段だったころ師匠に言わ
れた言葉を書いておきます。

師匠 「上を目指すんなら、本を読め!」
好月 「どんな本を読めばいいですか?」 
師匠 「馬鹿か?自分で考えろ!!」
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.69 )
日時: 2009/05/06 09:28:43
名前: 悩める中年剣士 

好月さんへ

>剣道の発祥から考えると、そもそもここが間違っていると考えます。

なるほど。やはり、ここに論点がありそうだということが、図らずも明らかになりましたね
好月さんが示唆くださったように、私も私なりに本を読んだり、先生方のお話を聞いたりしながら勉強しているつもりですが、ご指摘の“相打ち”に対する理解度が浅いのかズレているのかもしれません(^^; でも、剣道を学び始めて30数年かかって身についたものなので、もう少し長い目でみてください。
無論、私も“相打ち”の重要性は否定しませんし、むしろ稽古においては心掛けております。が、迎え突きさんのご意見を拝読して、どうも腑に落ちなかったのは、“相打ち”、“迎え突き(or突き止め)”あるいは“中心を取る”ことが必要以上に重要視されているような感じがしたからです。
宮本武蔵は五輪書で「命を捨てることは誰でも出来るが、武芸者は技を磨いて生き残る術を考えなければならない」という趣旨のことを書いていたと記憶しています(今、手元に無いので確認できませんが)。これを今の議論に当てはめれば“生き残る術”の一つとして、中心を取り、相打ち覚悟で切り結ぶことがあろうかと思うのですが、この生き残る術(すなわち手法)が目的化しているように感じられたのです・・・と、これが昨日ずっと気になって考えた結果です。
本を読んだり先生の訓示を聞いたりしても、その中のどの部分に共感するか、感じ取るかで各人が得るものは違うのでしょう。迎え突きさんや好月さんとの考え方の相違も、もっともっと経験を積まないと真に理解できるところまではいかないのかもしれません。今は、判った気になっていますが(^^;
なにしろ私のHNからお分かりのように、そこそこ良い年した親父になっており、ちょっと頭が固い(頑固?)なところがあるので、何を言われようとなかなか考えが変わらない点は、ご勘弁をm(__)m
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.70 )
日時: 2009/05/06 11:00:13
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

さて、どこからレスに手をつけるかなぁ(>_<)


To ヒロポン君
>僕自身いざ試合となると応じるわけでもなく返すわけでもない「避けのための避け」を
>してしまうことがあります。
>普段から偉そうに言っておいて恥ずかしいものです・・。
それは仕方ないことだと思いますよ。
私も、読みと全く違う動きをされますと、カラダが思わず反応して「よけのためのよけ
(よけてよけっぱなし)」になってしまうことがあります。虚を衝かれた時にもしっかり
と対応できればいいのですが、まだまだ修行ってことです

でも君は、それがよくないことという認識をしっかり持って取り組めているのですから立
派です。若い人の多くは、そこに思いいたってない場合が少なくありませんので(>_<)


To 好月さん
>管理人さんには申し訳ありませんが、これまでまじめに答えてきたと思うんですけど、
>私の力不足と根気の無さから・・・あほらしくなってきました。
アハハ、私も時々そんな風に感じることがありますよ。
お相手とどうしても平行線になってしまう場合は、もはやあきらめるしかありません。
お稽古でも、こちらがしっかり攻めてお相手の弱いところを打って差し上げているはずな
のに、それがよくわかってくださらない方がおられますよね。もうそういう方には、お相
手の納得のいくように打たれて差し上げてお稽古を体よく終わりにすることの方が、精神
衛生上、いい場合が少なくありません。

カキコも剣道修行の一つと考えれば、礼を尽くしてのカキコで攻めや技が通じず、揚げ足
取りのような状態(お稽古ではさしずめ、近間でのネジリ合いのような状態でしょうか)
になりましたら、上手に納めてしまうことも必要だと思います ~☆

ただ、書いて書きっぱなし、言って言いっぱなしっていうのは、礼に反することだと思い
ます。独善すぎる展開もいけませんね(あ、好月さんのことではありませんよ)。そこは、
カキコをする誰もがしっかりと認識する必要があると思います


To 迎え突さん
迎え突さんのNo.60のご説明はとても素晴らしいですね。私もいちいちうなずく点が多く、
勉強させていただきました

>指導者は、ここのところをきちんと理解した上で自らを律して指導し、剣道の本来の目
>的ではなく、その手段であるべき試合競技に勝つためだけに、剣道の技にはない三所避
>けをさせたり、その対策のためだけに新たな技術を教えたりしてはなりません。
三所よけが現行ルールに抵触しない技術で、それを使ってくることに対して通常の打突部
位をほぼ完全にふさがれてしまっている現状を考えますと、当然、現状のルールの中で許
されている打突部位をしっかりと狙っていく技術を生徒たちには教えなければなりません。

左のあげ小手や逆胴は、三所よけ対策として有効です。これを教えずして、三所よけの蔓
延を食い止める手段は、練乳さんがおっしゃるように「三所よけ=反則」という縛りをく
わえる以外に方法がないんです。

もちろん、すべての指導者が剣道の理合をしっかりと鑑み、三所よけを厳しく戒めれば済
む問題ですが、現実的にはなかなか困難です。そこのところはご理解いただきたいですね


To 悩める中年剣士さん
>思うに迎え突きとは、弟子の不十分な打ち込みに「そこは打つべき機会ではないぞ」と
>師匠が指導する際の手法の一つであって、本来の剣技ではないのでは?(迎え突き起源
>については、私の想像の息を脱しませんので、正論ご存知の方は訂正ください)
迎え突っていうネーミングがよろしくないんですね。「迎える=後=あとづけ」というイ
メージが拭い去れません。
私がまだ競技をやっているころ、出ばな突きを真剣に稽古してました。お相手が打突動作
を起こそうとしたところを表、あるいは裏、場合によっては下から突くものです。
私が雇われ師範をしていた道場で、後輩相手にお稽古していたのですが、「先輩、お願い
ですから勘弁してください」と懇願されてしまい、稽古を断念したことがありました(^^;
もちろん、一本にするつもりでやってましたし、一本になると思ってますよ、今でも

別トピでもやりましたが、迎え突っていうのは立派な剣道の技なんです。迎え突さんも書
いておられますが、決して後の技ではありません。
ちなみに、古流のお話をして恐縮ですが、一刀流の組太刀の二本目が「迎突」です。お相
手が突いてくる上太刀をとって突き勝ちます。決して刺し違えるために迎え突をするわけ
ではありませんd(^-^)!
おっと、ここは迎え突のトピではありませんでしたな(^_^ メ)

蛇足ついでに、一刀流の初手にして極意はなんだかご存知でしょうか。「切落し」なんで
すよ。
これは、お相手が振りかぶって斬りかかってくるのを、自らも真正面に振りかぶり相打ち
とし、お相手の太刀を鎬で弾き飛ばして自らが勝ちを制する剣です。
一般的に考えればかわす、さばく、応じるなどして勝つのがベストでしょう。尋常ではあ
りませんが、死にに行っているわけではありません。真剣で斬り合いをする中から、こう
した理合が生まれてきたっていうことは驚愕に値しますね


To 練乳さん
>例えば迎え突きで制した直後に引き面を打たれたようなケース。これは一本にならない
>ことが多いと思いますが、迎え突きの効力はそこまで及んでしまってもいいものなので
>しょうか?
そんなことはないと思いますよ。
迎え突の後の引き面は、しっかり打ってていれば当然一本になります
迎え突の効力がその後の技にまで及ぶというのは、あなたの認識不足と存じます。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.71 )
日時: 2009/05/06 11:24:03
名前: 悩める中年剣士 

Hide.さんへ

>迎え突っていうネーミングがよろしくないんですね。「迎える=後=あとづけ」というイメージが拭い去れません。

ごもっともです。迎え突きという単語から“あとづけ”の突きをイメージして、勝手な思い込みから、ちゃんとした技とそうでないものとを混同させた議論を招いてしまったようです。迎え突きさん、好月さん、申し訳ありませんでした。

>おっと、ここは迎え突のトピではありませんでしたな(^_^ メ)

これまた、私のリアクションが招いた事態と反省しております。そのおかげで私自身は色々と勉強になりましたので、ありがたいことでしたが、やはり申し訳無しです。

>蛇足ついでに、一刀流の初手にして極意はなんだかご存知でしょうか。「切落し」なんですよ。

はい、承知しております。と言っても知識として知っているだけで、ちゃんと学んだことはありませんので、浅はかな耳学問の域を出ませんが。
以前、稽古中にお相手と相打ちのメンを打ち合った際に、偶然切り落としの形となり、相手の竹刀は私の体側に流れ、私の竹刀は相手の面をとらえたという経験(本当にまったくの偶然なのですが)があり、それ以来自己流ではありますが、今度は偶然ではない切り落としを出来るようにと工夫・挑戦しています。もちろん「道は長いな〜」という状態ですが・・・(^^;
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.72 )
日時: 2009/05/06 11:59:48
名前: 練乳◆oCk4kW4CleA  < >

皆様

日本刀を考えるなら、古流を現代剣道以上に修行しなければ、50歩100歩だなーと思いました。古流より現代剣道に魅力を感じているならば、多かれ少なかれ競技剣道を楽しむ部分もあるわけで、その辺は真剣に古流を修行されている方々から見れば、現代剣道は中途半端だとおもわれるかもしれませんねー。私は竹刀を日本刀と考えていますから、理合いを一致させたいと考えていますが、これだけ競技剣道がおもしろいとどうしても打った当たったという方に研究は向いてしまいますねー。そういった方向性からはやはり規則をよく理解して審判をすることが大切だと考えます。しかるに主観ではなく客観性、つまり共通認識をどこに落ちつかせるかということでしょう。
私は広く開示されている情報のなかで、もまれた基準を優先すべきなのではないかなーと思います。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.73 )
日時: 2009/05/06 12:01:19
名前: だみ声  < >

読んでるだけじゃつまんなくて、ついに書きに来ちゃいました。
ものすごい議論ですね。 迫力満点です。 「口角泡を飛ばして・・・」→「文字や行間から飛んでくる泡が見えそうです」。

議題は「三所よけ」 その技の反則の判断の実情などから始まりましたが、議論の中心は「突き技」に集中しております。 上げ小手、逆胴よりもやはり「突き」が何とも激しく議論されております。 まだ続くのでしょうか?

正直僕レベルでは、「高度な議論」だとは思うのですが、自分の経験になってませんので、各場面を思い浮かべて、ある時は背中まで突き抜けるものだったり、ぴったりのど元に刺さって「グウの音」も出ない完璧な負けを見てるようで、あらためて「突き」の威力を認識しました。

前のトピのどこかでも書きましたが、やはりお書き頂いてる皆様それぞれの「突き技」に対する一家言は「流派」を感じます。 それぞれが取り組んで来られた長い剣道経験(人生)から会得されてきた「突き技」をそれぞれの言葉にすると、このような議論になるようですね。

正直読んでて、面白くもあり、感動もし、参考書ではない「生」の技談議から、改めて剣道の魅力を感じさせていただいております。

このような談議の交わされる突き技が、実際の試合場面で使われた時、3人の審判もそれなりの「流派」をお持ちだろうから、旗の上がり方(突き技の判定)は、微妙に分かれるのではないでしょうか? 「不十分だっ。ナシッ」とか「胸突きでナシッ」とか「相手の剣がいきているからナシッ」とか「面より早い。有り!」とか「居着きをとらえた。有り!」とか「面に分がある。面あり」など。

本来試合であれば、審判によって勝敗が反転したり、「有り」だったり「なし」だったりする事はあってはならないと思いますが、試合の流れもあり、簡単ではないと思います。

高度な突き技でなくとも、審判講習会では「技の見極め」、「有効打突の見落としの排除」は厳しく言われ、模擬試合の審判は、目の前の試合判定に限らず、八段講師から立ち居振る舞い、所作、態度に至るまざまな注意をいただきます。

プロ野球だって、ホームランの判定やライン際のきわどい判定などで、ときどき大騒ぎしますが、人間が行う判定だから、それらのファジーな点も、騒いだ後は「愛嬌」の範疇に収めて次につなぐしかないのではないでしょうか?

いずれにしろ僕にとって大変勉強になる議論は、時間を忘れて読みふけりますし「機会があったら試してみよう」と言う衝動にも駆られます。

このように喧々諤々議論されてる皆様も、普段の稽古で、ガンガン突き技を繰り出して得意になっておられるわけでもなく、ごく普通に「おっと、まだだよっ」と制されたり、「ほらっ、がら空きだよ」と「トン」と言う具合にやっておられるんじゃないかと思います。
ただ積み上げてこられた修行の中における突き技は、他の技より共通点が少なく、「一家言」となり、僕らをこんなに楽しませる議論となるのでしょう。

お邪魔しました。 コーヒーブレークして一息ついて、その後、またディベート継続…… ですか?
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.74 )
日時: 2009/05/06 12:16:40
名前: 悩める中年剣士 

皆様へ(とりわけ迎え突きさんへ)

No.71の書き込み後、今一度本スレッドの全ての書き込みを読み返しましたが、どうも木を見て森を見ずの状態だったようで反省しきりです。
特に迎え突きさんへの反論などは、木どころか枝ぶりがどうのこうのと言ってたようなもので、恥ずかしい限りです。正に枝葉末節の相違点を声高に論じるより、もっと大きな視点で見られていることを学ぶべきでした。
と思って最新の書き込みを見たらだみ声さんの書き込みがなされたところであり、これを読んで正に「良いところ一本頂戴しました」とスッキリしました
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.75 )
日時: 2009/05/06 12:59:27
名前: 悩める中年剣士 

皆様へ

今日までお休みなので、暇に任せて「クレイム」のスレッドを読みに行きました。
突きをどうとらえるか、突かれることをどうとらえるかは、その人の稽古に際しての心構えの問題なのかなと、私の不明を恥じるばかりです。ここで書き込む前に読んでおけば良かったのに・・・と顔を赤らめた次第です。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.76 )
日時: 2009/05/06 13:44:08
名前: 迎え突き 

>> No.69 悩める中年剣士様


>迎え突きさんのご意見を拝読して、どうも腑に落ちなかったのは、“相打ち”、“迎え突き(or突き止め)”あるいは“中心を取る”ことが必要以上に重要視されているような感じがしたからです。
(中略)
>この生き残る術(すなわち手法)が目的化しているように感じられたのです・・・と、

このトピもやや収束気味ですけど、ここの部分にだけ、レスさせていだだきますね。(^^ゞ


さて、いつものとおり、誤解を恐れずに「極論」すれば、

剣道(竹刀を用いた打ち込み稽古)というものの技術上の目的は、剣術における数々の手法の中の「機(打突の好機)をとらえる」ということを学び修錬することであり、その「機」をとらえた証として面を打つという行為をすることだと私は考えています。


真剣を使った戦いが、現実のものとしてあり得ない現代において、剣の技を新たに開発することは、ほぼ不可能ですよね。たとえ防具を着けた竹刀打ちの技を開発したとしても、それは竹刀の特性を活かした竹刀の技になってしまい、厳密には剣(真剣)の技ではありません。

ですから、剣の技を私たち現代人が学ぼうとしたら、昔の武士が命をかけた戦いの中から編み出した技を、長い年月をかけて熟成し完成させつつ伝えられてきた「形」を通して学ばなければなりません。

それ故、「形」は「稽古する(いにしえをかんがえる)」ものなのです。稽古ですから、自分勝手なことをせず、師の教えを正しく守ることが非常に大切です。

ちなみに、Hide.さんの剣道を誰もが素晴らしいと見るのは、Hide.さんの剣道の根底に一刀流の形稽古があるからだと私は思っています。

しかし、形稽古で身につけたどんなに精妙な剣の技も、それを使うには「機」を的確にとらえる技術が必要です。機が正しく合っていなければ、技は十分な効力を発揮することができません。どんな素晴らしいバットスイングも、タイミングが合わなければボールを打つことができないのと同じです。

この、「機」をとらえる技術を学び修錬するのが竹刀を用いて行う剣道だと思います。


技が最大の効力を発揮する「機」を捉えるためには、
 ・先ずは万全の備えを持って(構え)
 ・様々な情報収集をはかり(読み)
 ・その情報を元に積極的な働きかけを行い(攻め)
 ・それによって相手の弱点を引き出し(崩し)
 ・チャンスと見たら(好機)
 ・思い切って技を出し(捨て)
 ・その結果に万全の体制で備える(残心)
という技術が必要です。

さらに、この技術には、偶然の「機」ではなく、限りなく必然に近い「機」というものをとらえるための「理(必ずそうなるという原理)」があります。その「理」の「法則」を「剣の理法」と言います。

しかし、この「剣の理法」は「かたち」に表れないものですから、これを「形」を通して学ぶことは非常に難しいものです。そのため、この「剣の理法」は、形の「稽古」で学ぶのではなく、竹刀を用いて行う剣道の「修錬(何度も錬ってより良いものを身につけること)」によって自得しなければなりません。

ですから、剣道は「剣の理法の修錬の道」であり「百錬自得の道」なのです。

そして、偶然の「機」ではなく、必然の「機」をとらえるための「理」を実践する上で、必ず合致しなければならないものがあります。それが「理合(りあい)」と呼ばれるもので、代表的なものに「間の理合(間合)」と「正中線の理合」があります。

「間合」は、彼我の距離と時間(拍子)を制御する理合で、「正中線」は彼我の平面的関係の基準となる理合です。この2つの理合が「打突の機」をとらえるにあたって最も合理的かつ効果的に合致する瞬間、その一点の彼我の位置関係や時間的関係に心理的関係を加えたものを「中心」と呼び、その「中心を取り合う」のが剣道の修錬です。

そして、これら2つの理合と中心取りを、あえて「形」になぞらえて教えているのが、日本剣道形の1〜3本目と考えられます。

私が「迎え突き」の意味や「中心取り」にこだわるのは、こうした理由からです。


最後に、私の言葉で説明が不十分な点については、好月さんを真似るわけではありませんが、高野佐三郎先生の養子となって一刀流の正統を継いだ高野茂義先生の稽古心得集からの一文を参考までに紹介してみます。

  三角矩に構えて、敵の出てくるところを利用して敵を打つべし、
  気分はどこまでも「先先の先」にて、
  どんなに苦しくとも頑張って構えていると返ってよし、
  敵打ち込んできても不十分で駄目なり。
                   (高野茂義 稽古心得集より抜粋)

これが「迎え突き」&「突き止め」の真理を的確に表現した一文だと思うのですが、いかがでしょうか?。



>> No.70 Hide.様

>三所よけが現行ルールに抵触しない技術で、それを使ってくることに対して通常の打突部
>位をほぼ完全にふさがれてしまっている現状を考えますと、当然、現状のルールの中で許
>されている打突部位をしっかりと狙っていく技術を生徒たちには教えなければなりません。
>
>左のあげ小手や逆胴は、三所よけ対策として有効です。これを教えずして、三所よけの蔓

>延を食い止める手段は、練乳さんがおっしゃるように「三所よけ=反則」という縛りをく
>わえる以外に方法がないんです。
>
>もちろん、すべての指導者が剣道の理合をしっかりと鑑み、三所よけを厳しく戒めれば済

>む問題ですが、現実的にはなかなか困難です。そこのところはご理解いただきたいですね

はい、そのあたりのことは十分承知しております。今回は、あくまで議論の争点に明確性を持たせるために、「極論」を述べてみました。(;^_^A



>> No.72 練乳様

>私は竹刀を日本刀と考えていますから、理合いを一致させたいと考えていますが、これだけ競技剣道がおもしろいとどうしても打った当たったという方に研究は向いてしまいますねー。

もしも竹刀を日本刀と考えるなら、剣術と剣道との関係をまずはしっかり把握することが大切です。

剣道を、剣術における日本刀の繰法やそれに伴う身体運用法などを竹刀を用いた自由な打ち合いの中で身につけるものと考えてしまうと、剣道の本質が見えなくなってしまいます。

丸くて刃筋の概念の薄い竹刀で自由勝手に打ち合ってみても、合理的な繰法や身体運用法は身につきません。そういうものは、むしろ形稽古で学ぶべきものです。

悩める中年剣士さんへのレスにも書いたとおり、竹刀の打合いで学ぶものは、打つ技術ではなく、打つ前の読みと攻めとタイミングをとらえる技術です。


互いに日本刀(真剣)を用いた戦いにおいて、相手を斬ることができる間合というのは、同時に相手からも斬られる間合です。ですから、相手の体勢が全く崩れていないのに、むやみにその間合に入って行くことは、ただの自殺行為です。

斬る間合に入ったときというのは、相手は体勢が崩れていて自分を斬ることの出来ない状況にあり、なおかつ自分は体勢万全で、いつでも斬って仕留められる状況にあることが必要です。

そこで、相手の体勢を崩しながら間合に入って行くという技術が必要になります。これが「初太刀」の技術です。初太刀によって相手の体勢を完全に崩すことができれば、続く二の太刀で確実に仕留めることができます。剣道で初太刀が大切にされ、打突後の体勢(残心)が重要視されるのは、こうした理由によるものです。

では、相手の体勢を崩すために打ち込む部位で、最も効果的なのはどこでしょうか?。

まず最初に考えられるのは足です。

足を攻撃すれば、相手の動きを確実に止めることができます。ですから薙刀などでは足に対する攻撃が非常に効果的な技となります。

ところが、薙刀のように柄の長い武器ではなく、全長3尺余寸の短い日本刀で相手の足を攻撃しようとすれば、自分の体勢を極端に低くしなければなりません。これは逆に自らの体勢を崩す原因にもなってしまいます。

中には、長めの剣を使ったり、足腰を鍛えたりして、相手の足への攻撃を得意とした流派もあったようですが、一般的には、剣を用いての足攻撃は無謀と言わざるを得ないでしょう。

それならば、剣を用いた場合の初太刀の攻撃部位はどこが良いのでしょう?。

それが顔面です。

顔面攻撃は、仮にその攻撃が当たらなくても、避ける、仰け反る、目をつぶるなどの防御反応を誘うことができ、これを一瞬の体勢の崩れとして二の太刀につなげることができます。

ですから、またまた「極論」してしまえば、剣道は、初太刀で敵の顔面を攻撃する技術とその理法を修練するものと言って良いのです。ですから、剣道では小手打ちや胴打ちよりも面打ちが大切にされます。

剣道をそういう観点でとらえた上で、竹刀を真剣だと考えれば、これまでと違った見方が開けてくるのではないでしょうか?。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.77 )
日時: 2009/05/06 18:21:33
名前: 好月 

To 皆様

 迎え突きの剣理については、迎え突きさんの丁寧なご説明により、ご理解に至っていることと存じます。
おのずと、三所避けとは根元から異なるものであるだけでなく、高い次元にあるとのご認識を頂けたと思
います。
 ただ、闇雲に稽古に多用することのないようにはお願いしたいものです。

 私は、前段階で迎え突きは、正しい剣道の延長線上にあるべきもので、ことさら練習するものではない
という立場をとっています。先々の気を持って崩されない構えを習得する段階で、自然と身につくことだと
考えているからです。

 迎え突きさんは、ここでの迎え突きに対する説明を、『剣』の側面を中心に述べられています。
皆様には『道』の側面からもご研究頂き、迎え突き・三所避けについての考え方や対処法、そしてその指
導にも活かして頂きたいと思います。

 無論、私に説明せよと言われても無理なので、「本を読んでください!」 m(__)m

 悩める中年剣士さんが触れられた〔五輪の書〕ですが、『道』の香りが無いわけではありませんが、やは
りそこは兵法書。『道』を考えるにはやや浅い(えらそうでスンマセン)と思います。
 『禅書』がよいと思いますが、難しくて時間がかかる上、彼我・生死・勝負・善悪・有無・・・・・・・・・。
すべてが表裏一体ならまだしも、同じだとか糞みたいなもんだとか、迷路に陥りますのでご覚悟を・・・。

 突いても突かなくても、打たれても返して打っても、「まあ、いいか」と思えるようになったら、迎え突きは
解禁でよいと思います。そうなれば、出端突きでも突き止めでも、相手に不快感を与えること無く突けるで
しょうし、多少未熟な突きが外れても、腹が立たなくなるでしょう。

 以上、大変生意気を申しましたが、本トピのレスはこれにて打ち止めとさせて頂きます。
皆様、これまでのご無礼を平にお詫び申し上げます。失礼いたしました。 
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.78 )
日時: 2009/05/07 00:05:46
名前: 練乳◆oCk4kW4CleA  < >

う〜ん、女・子供に刺し違えられないために中心を外す稽古ということか。
でも古流には押し斬りはない?のだから、刺し違えられないためには引き斬るだけで事足りるように思われますがどうですかね?迎え突きさん。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.79 )
日時: 2009/05/07 00:13:04
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 練乳さん
私は皆さんが「真剣だったら」というお話をされてましたので、真剣で斬り合いをしてい
た時代の人たちがお考えになった理合が現存している「古流」を例示としてお話させてい
ただきました。
でないと、どんなことをしたって机上の空論に終始してしまいますので

私も現代剣道(竹刀剣道=競技剣道)に身を置いて修行してきた人間です。「刀で斬る」
は観念の世界のお話であり、竹刀を如何に真剣として意識し、自分の中でその覚悟を持っ
てお稽古するかは、常に課題としているところではあります。

ただ、子どもたちにとりましては、現実に「試合」というものが立ちふさがっております。
現場の指導者としては、「剣道の理念」をベースにしながらも、目先の目標をクリアさせ
ることをこそ指導の第一義とせざるを得ないこともまた事実。その試合審判規則に照ら
して、「如何に三所よけを打ち崩すか」を考え指導するべきということこそが一番重要な
のであって、規則を改正(?)し反則によって封じ込めることをよしとしない立場です。

繰り返しになりますが、私の主張はご理解いただいてますでしょうか?

>でも古流には押し斬りはない?のだから、刺し違えられないためには引き斬るだけで事
>足りるように思われますがどうですかね?迎え突きさん。
だめだめ、そんな浅はかな知識でモノを言っては。
押し斬りありますよ(^_^ メ)

一刀流をご覧になったことはありませんか?
初手の「一つ勝」からして「切落し突き」の技です。切り落とした太刀がそのままお相手
に突きかかります。引き切って勝ちを制する技ではありません。一刀流の組太刀50本の
中の多くの切落しが「切落し突き」なんです。古流もちゃんと勉強してくださいねd(^-^)!


To だみ声さん
ご意見ありがとうございます

文章で平行線なら、あとは実際に剣を交え、それをもって語らしめるしかないと私は思っ
ているんですがね。
でもまぁ、狭いとは言いながらも日本は結構広いですから、ここにお書きになっていら
っしゃる方もかなり遠方の方もおられることでしょう。
とはいえ、もしおいでになれるならば、この先は、バーチャルからリアルの世界で決着し
ていただきたいですねぇ。
いや、はっきり申し上げまして、これだけ書かれる方々がどんな技前を見せてくれるのか
とても興味がありますので ~☆

電剣東京は来年2月、ぞれ以前にも、東北をはじめあちこちで電剣がございます。
私もそのうちのいくつかには参加する予定ですので、どうぞ、その技前を拝見させていた
だきたく存じます。

おっと、だみ声さんともしばらくお目にかかっておりませんね。ぜひ、お稽古いたしまし
ょう


To 迎え突さん
>しかし、この「剣の理法」は「かたち」に表れないものですから、これを「形」を通し
>て学ぶことは非常に難しいものです。そのため、この「剣の理法」は、形の「稽古」で
>学ぶのではなく、竹刀を用いて行う剣道の「修錬(何度も錬ってより良いものを身につ
>けること)」によって自得しなければなりません。
ここは全く反対の立場ですね。
剣の理法こそ、形稽古の中から学ぶのが一番の筋道だと私は考えております。

形は何によって生まれてきたのでしょう? ほとんどの流派の形(または組太刀)は、他
流派の技を打ち破る術を指南しているというのはご存知ですよね? もちろん、刀を振り
回し人を斬る中から生まれた「剣理」と、竹刀で決められた打突部位をたたき合う競技の
中から生まれた「剣理」とは、さまざまな部分で異なることは当然です。でも、竹刀でた
たき合いをする中からでしか「竹刀剣道の理合」が学べないと考えるのはいかがなもので
しょうか  

むしろアプローチとしては、古流の理合の中にこそ、竹刀剣道に活かされるものが数多く
含まれていると私は考えているんですがね ~☆

ちなみに私の理解が浅はかだったせいもありましょうが、私は大学時代一刀流に出会うま
では、日本剣道形の理合を全くというほど理解できずにおりました。ところが、一刀流を
学ぶにつれ、日本剣道形が持っている理合を、(あくまでも)私なりに咀嚼し、「自分の解
釈による日本剣道形」を打つことができるようになりました。
もちろん、一刀流が、私の竹刀剣道に多くの影響を与えていることは間違いないことです

>これが「迎え突き」&「突き止め」の真理を的確に表現した一文だと思うのですが、い
>かがでしょうか?。
迎え突や突き止めばかりでなく、こちらの気が圧倒的なら、お相手の竹刀はこちらの打突
部位にかすることはあっても当たりませんね。でも、おっしゃりたいことはわかります ~☆

>はい、そのあたりのことは十分承知しております。今回は、あくまで議論の争点に明確
>性を持たせるために、「極論」を述べてみました。(;^_^A
それならいいのですが、ここは「三所よけの是非(反則に適用すべきか否か)および、そ
れを出させないための対策」を議論し合うトピだったはず。
ゆえに、その視点で私はお話させていただいておりますゆえ引っかかりました(^^;


To 好月さん
>『禅書』がよいと思いますが、難しくて時間がかかる上、彼我・生死・勝負・善悪・有
>無・・・・・・・・・。すべてが表裏一体ならまだしも、同じだとか糞みたいなもんだ
>とか、迷路に陥りますのでご覚悟を・・・。
せっかくですから置き土産に、どんな禅書がよろしいかお勧めいただけませんかね。
「本を読め」というだけでは、ここまで本トピをご覧いただいた全国の読者にいささか不
親切すぎるアドバイスではありませんか(^_^ メ)

もちろん、よき参考書を探すのはよき師を探すのと同等の価値があるとは思いますので、
安直に「教えられない」ともったいぶられるお気持ちもわからないではありませんが、こ
こまでお語りになられたのですから、サービスしてってくださいよ。
そんなもって含んだような去り方は「打ち逃げ」ですぞ ~☆
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.80 )
日時: 2009/05/07 01:27:43
名前: 練乳◆oCk4kW4CleA  < >

Hide.さま

私は三所隠しを反則で縛ろうと言う意見ではありませんよ。上げ小手や逆胴をもっと有効にしてくださればそんなことする必要はないと言っているのです。

それから、古流のことはあまりよく分からないので、突っ込まれることは覚悟で「押し斬りはない?」と書いています。実際Hide.さんの切り落とし突きにしても押し斬りではなく突きでしょ。突いた後は突きっぱなしにしていっちゃうんですか?そんなことはないですよね。
未熟な意見も恐れずに言って、突っ込まれるからこそわかりやすいスレッドになると思っています。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.81 )
日時: 2009/05/07 07:09:39
名前: 迎え突き 

>> No.79 Hide.様

>ここは全く反対の立場ですね。
>剣の理法こそ、形稽古の中から学ぶのが一番の筋道だと私は考えております。
>(中略)
>でも、竹刀でたたき合いをする中からでしか「竹刀剣道の理合」が学べないと
>考えるのはいかがなものでしょうか  

先の書き方は、「極論」とはいえ、少々誤解を招きましたね。

・「剣の理法」は「かたち」に表れ「にくい」ものですから、(〜中略〜)
・「剣の理法」は、形の「稽古」で学ぶ「ばかり」ではなく、竹刀を用いて行う剣道の「修錬」によって自得しなければなりません。

と訂正しておきます。


「機」をとらえることは、確かに理屈の上では「形稽古」のみでも学べないことはないかもしれません。

たとえば、野球でストライクゾーン内の全ての球筋を安定した姿勢で正確にミートできるように、様々な球質や球筋などを想定したスイングの素振りを繰り返し、この素振りの修練によって、精神を高めて、ピッチャーの心理を読んだり、投げられたボールのスピードや球質を瞬時に計算して対応する能力を開発できれば、この素振りによって身につけた精妙なスイングで全てのボールに対応し、これをホームランにすることも可能なはずです。

しかし、常人の想像を超えるほどの形稽古を積まれた方か、よほどの超天才少年なら良いのですが、私たちのような凡人には難しいと言わざるを得ないでしょう。野球のプロ選手でも、素振りのみでホームランバッターになった人はいない?ですよね。

それゆえ、防具竹刀の当初の使用目的はともかく、流派を超えて採用されるに至ったのは、単に流派内外の技の試し合いに都合が良かったということばかりじゃなく、前述のような効果を認めたからだというのが私の持論です。

竹刀のみで「剣の使い方」は学べないということを言うつもりはないのと同様に、形のみで「機のとらえ方」は学べないと言っているわけではありませんでした。どちらが主かということで、あくまで「極論」してみたわけです。


いずれにせよ、だみ声さんがおっしゃるように、人それぞれ培ってきた背景がありますから、Hide.さんのお考えと私の考え方とが100%一致するとは思ってもいませんし、これ以上の議論は、「理合」と「理法」の定義や使い分けにまで踏み込まなければならなくなり、そもそもこのトピの趣旨ではないでしょうから、この議論はこの辺で互いに矛を納めておきましょう b。



最後に、実は、いろいろ長々と書いてしまいましたが、本来は各自がそれぞれの修行によって自得すべき事柄を、さも知ったかぶりをして披露してしまったかな?と反省しています。まるでこれから推理映画を見ようとしている皆様に、私個人の勝手な推理や批評を交えながら、そのストーリーを明かしてしまったようで申し訳なく思っています。

ただ、映画の途中までのストーリー構成をあれこれ批判して、今にも映画館を退席してしまいそうに見えたトピ主さんに、「もう少しちゃんと見てみようよ。映画はこれから面白くなるんだから。」と言いたかっただけなんです。

せめて、「竹刀を真剣と考える」ことを前提としながら、「迎え突き」を否定し「三所避け」を容認してしまう発想に対して、「それは逆でしょ」という当初の私の主旨だけは伝わってくれればよいのですが。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.82 )
日時: 2009/05/07 10:42:16
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 練乳さん
>私は三所隠しを反則で縛ろうと言う意見ではありませんよ。上げ小手や逆胴をもっと有
>効にしてくださればそんなことする必要はないと言っているのです。
そうですよね。

これだけしつこく引っ張るもので、まだ、三所よけに関してほかにお話しになりたいこと
があるのかと疑っちゃいます(苦笑)
この件に関しましては、すでに結論は出てますしあなたご自身も納得いただいているんで
すよね

それとも「そうすべきでない」という意見がありましたでしょうか??
まぁ、迎え突との絡みのお話になってしまったので、ますます問題が複雑化した感があり
ますが(^_^ メ)

>それから、古流のことはあまりよく分からないので、突っ込まれることは覚悟で「押し
>斬りはない?」と書いています。
アハハ、露骨な誘いに引っかかっちゃったってわけですか? それならもう少し書きよう
もあると思いますよ(^^;

>実際Hide.さんの切り落とし突きにしても押し斬りではなく突きでしょ。突いた後は突
>きっぱなしにしていっちゃうんですか?そんなことはないですよね。
竹刀剣道的な押し斬りではありませんが、決して引き斬りではありません。当たり前です
が、きちんと残心もあります。
迎え突んさんだって、突きっぱなしにするなんてお話はどこにも書いてないと思いますが。

なお、「女子供に刺し違えられないために」もあくまでもたとえ話でしょうから、そこに
こだわってのレスは「揚げ足取り」の範疇を出ず、ネチケット違反になります。まぁ、迎
え突さんがたいして取り合ってませんので、サラッと流しますが、ご注意をd(^-^)!


To 迎え突さん
>・「剣の理法」は「かたち」に表れ「にくい」ものですから、(〜中略〜)
>・「剣の理法」は、形の「稽古」で学ぶ「ばかり」ではなく、竹刀を用いて行う剣道の
>「修錬」によって自得しなければなりません。
そうですね、それならOKです

迎え突さんにとりましては釈迦に説法でしょうが、多くの読者のために書いておきますと、
形によって培われる理合っていうのは囲碁や将棋で言うところの定石ですよね。お弟子さ
んに勝つ筋道を手ほどきするために生まれたものですから。ゆえに、初伝から始まり奥伝
に至るまで、修行状態によりディープかつ多様な形が存在するわけです。

でも、それとて定石の域は出ません。
どんなに定石を覚えても、それを実践で使えなければ意味がありませんし、定石だけを打
っていても定石知らずの素人には勝てるかもしれませんが、応用力に優れた対等あるいは
上位者に勝つことは難しいでしょう。
そこで登場するのが自由乱打制の稽古とか武者修行(他流試合)という考え方だったはず。

でも残念ながら、現代剣道はその定石集を学ぶ術があとから来ます。なぎなたはまず初心
者は形稽古から入るんですけどね。これは、学ぶ筋道として正しい方法だと思いますよ、
私は

>これ以上の議論は、「理合」と「理法」の定義や使い分けにまで踏み込まなければなら
>なくなり、そもそもこのトピの趣旨ではないでしょうから、この議論はこの辺で互いに
>矛を納めておきましょう。
御意、いずれ別トピでやりますかね。
長々とお付き合いいただきましたこと、感謝申し上げます ~☆
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.83 )
日時: 2009/05/07 14:55:30
名前: 練乳◆oCk4kW4CleA  < >

では、三所隠しに対しては上げ小手・逆胴を漏らすことなく取るということの方が反則で選手を縛るより良いという共通認識をもってこのトピは終了したいと思います。

皆様有難うございました。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.84 )
日時: 2009/05/07 17:21:50
名前: 好月 

トピ主さんの終了宣言がありましたが、投げかけられた問いにだけお答えさせてください。

To Hide. 先生

>そんなもって含んだような去り方は「打ち逃げ」ですぞ ~☆

 別に、勿体つけてるんじゃありません。禅の本はどれも難解で、本屋さんで本人の興味が沸いたもの
を、探して頂くのが一番かと思っただけです。私の師匠もあえて言わなかったのは、薦めても本人が諦
めたら何にもなら無いから・・・と思ったのでしょう。
 
 要するに、何でも良いんですよ。
 何も知らなかった私は本屋に行って、とりあえず聞いたことのある『不動智神妙録』の解説本を手にし
ました。ついでに、パラパラとめくってなんとなくしっくりきた禅の入門書みたいな本と、禅の公案集みた
いな本を購入しました。
 詳しくは書きませんが、さっぱり分からず、小さな悟りみたいなものを、薄ぼんやりでも体感するに至っ
たのは、4・5年先だったように思います。まあ、この間にほかにもいろんな本に手をつけてしまったので
余計に迷路に陥ったのかもしれませんが・・・。
 後に、自分で小悟を得たつもりになってうれしくなった私は、ノリで興味を持った後輩たちに、これらの
本を貸し出します。結果、3冊ともどこへ行ったか判らなくなりました。
 この経験の後、私は「他人に本は薦めない!」と心に決めました。

 けど、Hide.先生にああまでいわれては・・・(~o~)

 今にして思うに、絶対にお奨めなのは、小川忠太郎先生の『剣道講話』。
ただ、高価ですし、雑誌の連載やあちこちの講話を集めたものなので、同じ表現や同じ文が何回も出て
きます。もうちょっと纏めたら、もっと安くなったんじゃないの?とも思いますが・・・。
 まあ、『剣』も『禅』もいっぺんに学べるので、その分だけ割引ということで納得しましょうね。
 
 でも、剣禅一如で人生を貫いたお言葉は、胸に沁みますよ。
  
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.85 )
日時: 2009/05/07 17:57:19
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 練乳さん
少しでも拙サイトがお役に立ちますればうれしく存じます。

それにしても長いトピでしたね。
論点がかみ合っていたのかどうかいささか謎ですが、後日ゆっくりとプリントアウトして
読み返してみたいと思います。ロックをかけるかどうかは、もう少し様子を見て考えたい
と思います。

お疲れさまでした ~☆


To 好月さん
>この経験の後、私は「他人に本は薦めない!」と心に決めました。
それはイヤな思いをされましたね。
でも、ネットでお勧めになっても自分の本は紛失したりはしませんぞ ~☆

ぜひ、どんな禅の本が好月さんの琴線に触れたのか伺ってみたいものです。

>今にして思うに、絶対にお奨めなのは、小川忠太郎先生の『剣道講話』。
はい、『剣道講話』はいいですね。同じ小川先生の『百回稽古』も直接禅についての記述
はありませんが、稽古に対する深いお話が読めますね(^0^)

不動智神妙録の解説はわが師、渡邊敏雄も試みております。絶版になっておりますが『剣
道の歴史と哲学』なども私的にはお勧めです。

おっと、お勧め本のトピではありませんでしたな(苦笑)
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.86 )
日時: 2009/05/09 11:28:14
名前: him  < >

やっぱり皆さん一度いっしょにお稽古されたらいかがですか

もうかなり昔のことですが、ここの掲示板で攻めか何かの議論になって「じょーとーじゃないか、一度お稽古しましょう」ということになりまして、その方とお稽古したことがあります
結果はボコボコにされましたが、それ以来とても仲良くなりまして、今では大切な剣友のお一人です
百聞は一見に如かず・・・実際にお稽古してみて、その方の剣道を一遍で理解することが出来ました。

そういうことがあるから剣道は面白い!
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.87 )
日時: 2009/05/09 16:45:27
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To himさん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました。

そうですね、バーチャルってやっぱまどろっこしいですね。剣道は実際に剣を交えてナン
ボです。「交剣知愛」に勝るものなしっていうことでしょうか(^0^)

口角泡を飛ばした皆様、ぜひぜひ、電剣行事にお越しください。
私どもはいつでも、胸襟を開いて皆さま方を大歓迎いたします 〜☆
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.88 )
日時: 2009/05/09 17:04:08
名前: だみ声  < >

またまた登場させていただきます。

あと6つ下のトピックに「電脳剣士情報交換ボード」があります。

最もマジカの電剣行事は、来る7月18,19の東北電剣稽古会です。 今出席者を募集しているところです。

ここで議論された皆様も参加願えたら、大変盛り上がるんじゃないかと期待します。

まだ2カ月ぐらいの締め切り期間がありますので、参加の検討をされてはいかがでしょう?

かく言う僕も今、日程調整中で、昨年行けてないので、今年はぜひとも参加する方向で、周辺を固めているところです。

交通費もかかりますが、電剣稽古会を経験すると普段の連盟稽古会や、錬成稽古会とは一味もふた味も違う剣道の存在に気付き、それは自分の剣道の視野を広めるものとなりました。

もちろん強制できるものではありませんが、一つご検討いただけたらと僕からもお願いします。

ところでHideさん お声がけありがとうございます。
かなりお会いしてないはずですが、いつも会ってる気分でもあります。 またご教授お願いします。
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.89 )
日時: 2009/05/09 18:19:40
名前: him  < >

>そうですね、バーチャルってやっぱまどろっこしいですね。剣道は実際に剣を交えてナン
ボです。「交剣知愛」に勝るものなしっていうことでしょうか(^0^)

すべてを文章で表現しようとするのは、なかなか難しいものです
実際に竹刀を交え、お互いが何を思っているか?・・・それを感じ合うことが出来るのが剣道です。

このまま「ったく・・・分からねえヤツだな」と思って分かれてしまっては、それっきりのことですが、お稽古してみたらまったく違ったものが見えて来たり、なんか同じようなこと考えていたのね・・・なんてことになったりすることもあるかも(笑)

是非一度、お稽古する機会をお持ちになることをお勧め致します
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.90 )
日時: 2009/05/09 20:49:57
名前: 悩める中年剣士 

>最もマジカの電剣行事は、来る7月18,19の東北電剣稽古会です。 今出席者を募集しているところです。

7/18-19は既に別件の稽古会の予定が入っているので、次のチャンスを探りたいと思います。単身赴任の金欠サラリーマンとしては、できれば近場の時に・・・と、そういう心構えが既になってないのかもしれませんが(^^;

その時は皆様よろしくお願いしますm(__)m
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.91 )
日時: 2009/05/10 08:12:53
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To だみ声さん
おお、東北電剣をご検討中ですか!

大沢温泉の露天風呂、素晴らしいですからね!
それに料理の豪勢なこと。お稽古ももちろんですが、至福の時を過ごせます(^0^)
ぜひぜひ、ご一緒いたしましょう ~☆


To himさん
>このまま「ったく・・・分からねえヤツだな」と思って分かれてしまっては、それっき
>りのことですが、お稽古してみたらまったく違ったものが見えて来たり、なんか同じよ
>うなこと考えていたのね・・・なんてことになったりすることもあるかも(笑)
おっしゃる通りですね。

でも、こう言ってはなんですが、カキコでの人間性というのはけっこう剣道にも反映され
ることも確かですぞ(^_^ メ)


To 悩める中年剣士さん
そうですか、東北電剣は別の稽古会のご予定が入ってましたか。
残念ですねぇ(>_<)

だみ声さんも書いておられますが、電剣行事っていうのは、他の稽古会とは一線を画する
ユニークなものです。
「段位・年齢・性別」にこだわらず、「一剣士」として自分が存在できます。
この開放感と自身の剣道への責任感とがあいまって、新しい昂揚感を生みだしてくれるの
です

ぜひぜひ、機会がありましたら、バーチャルからリアルに飛びだしてみてください ~☆
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.92 )
日時: 2009/05/10 08:55:09
名前: him  < >

to Hide.さん

>でも、こう言ってはなんですが、カキコでの人間性というのはけっこう剣道にも反映され
ることも確かですぞ(^_^ メ)

たまに人格の違う方もおられますから(笑)
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.93 )
日時: 2009/05/10 14:35:11
名前: ヒロポン 

電剣稽古会っておもしろそうですね〜
参加してみたいです
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.94 )
日時: 2009/05/11 07:43:43
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To himさん
ごく、たま〜〜〜〜にね(笑)


To ヒロポン君
ぜひぜひ、おいでください。
お稽古いたしましょうぞ(^0^)
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.95 )
日時: 2009/05/11 18:34:11
名前: ヒロポン 

まだ高校生なので財政面をみるとなかなか・・・

地元が大阪なもので(笑
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.96 )
日時: 2009/05/11 20:56:32
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To ヒロポン君

過去には、熊本や島根から飛んできてくれた高校生もおりますよ。

まぁ、無理は申しません。
剣道は逃げません。続けていればいつかお稽古する機会もありましょう ~☆
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.97 )
日時: 2009/05/11 21:23:48
名前: ヒロポン 

すごいですね〜笑

はい!!
余裕ができればぜひお願いいたします
Re: 「三所隠し反則」その後 ( No.98 )
日時: 2009/05/12 07:53:23
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To ヒロポン君

気長にお待ちしてま〜す 〜☆
Re: 「三所隠し反則」その後・・・効果はあったのか? ( No.99 )
日時: 2009/06/03 18:03:26
名前: ちゅうけん 

NO44
> そんなことも知らないなんて・・・あなた審判講習を受けていないどころか、連盟登録もなさっていない
んでしょ?無資格で審判・指導ですか・・・?間違いを吹き込まれた子供たちが不幸ですよねぇ?


って審判や指導に資格っているのですか?
私、資格ないですが審判していますが良いのでしょうか?

Re: 「三所隠し反則」その後・・・効果はあったのか? ( No.100 )
日時: 2009/06/03 22:17:44
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To ちゅうけんさん

管理人のHide.です。
もうすでに動いてないトピの、しかもかなり古いところに食いつきましたねぇ(>_<)


>って審判や指導に資格っているのですか?
>私、資格ないですが審判していますが良いのでしょうか?

このトピのお話ではなく、あくまでも一般論でお答えいたしますが、公認審判員制度をき
ちんと確立している都道府県以外、「資格」というものはないと思われます。ただ、少な
くとも審判員をなさるなら、連盟が行なう審判講習会には必ず出席されるのがよろしいか
と存じます。

そういった責務を果たしている場合「資格がある」とお考えになってよろしいのではあり
ませんかd(^-^)!
Re: 「三所隠し反則」その後・・・効果はあったのか? ( No.101 )
日時: 2009/06/04 08:25:17
名前: ちゅうけん 

早速の返答ありがとうございます

年1っ回行われる審判講習には出ていますので
良かったです。
公認審判は持っていませんが、大きい大会だけ
見かけますね。
錬士と教士だけだったかなぁ。
どちらにしろ、資格がない方はやめてくれに
びっくりしたもので・・・
古いトピに食いつきすみませんorz
Re: 「三所隠し反則」その後・・・効果はあったのか? ( No.102 )
日時: 2009/06/04 22:03:51
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To ちゅうけんさん

>どちらにしろ、資格がない方はやめてくれに
>びっくりしたもので・・・

稽古をしっかり積んで、かつ、審判講習会に出ておられる方は、みなさん、審判の資格は
あると思います。

ただし、審判員の技量は、やはり数多くの審判経験しかありません。
「資格」が大切なのではなくて、「経験」と「技量」こそ「資質」と考えますが 〜☆

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