段位制改革への一考察
本当は、こちらを先に書こうと思っていたのですが、新・剣道称号段位審査規則が施行されましたので、改革の拙案の方を後回しにさせていただいた次第です。
「あなたは四段の稽古が立派にできるようになりました。ですから、四段は卒業です。今日からは五段としての稽古ができるように、さらに精進しなさい」 といった性格のものと考えてきました。 私は今六段をいただいておりますから、日々、六段の稽古ができるように努力しているつもりです。恥をさらすようですが、過去に七段を2度受けに行き落ちました。とくに二回目の受審の時は、自分でも十二分に立会えたと自信を持っておりましただけに、不合格はショックでした。以後、その時以上の稽古ができていない・・・、つまり、不合格になったとき以上の稽古ができないのですから、私にはまだ六段修了の力が無いものと判断し、以後、審査から遠ざかっております。 私がこう考えるのは、段位を自己の修業の一過程としてとらえようとしているからですが、現行のシステムはこのように考えることを困難にしています。
本来、剣道の段位は剣道をしてこそ価値のあるものです。剣道を離れた日常社会では、それがその人の社会的ステイタスとはなんら関係ないものとして認識されています。しかし、剣道をする人たちの間では、剣道を離れた場であっても黄門様の印籠のごとく段位がものを言ってきます。相手が自分より若い人でも高段位を持っていれば「先生」とへりくだり、また「先生」とたてまつる。先生と呼ばれたほうも、修行中の身でありながらそれ相当の振る舞いをしようと四苦八苦します。段位が既得権であるがゆえの悲喜劇がそこかしこに存在するのです。 稽古をさぼれば、当然その段位にふさわしい技術力を発揮することが難しいはずです。また、剣道から遠ざかっていた人もしかりでしょう。しかし、周りの人は既得権としてその人に与えられている段位をもって、その人の剣道の力を評価するでのです。これは、その人にとっても苦痛のはずです。 全剣連のホームページにある剣道称号・段位審査規則の「前文 称号・段位の見直しについて」にも、『段位は「剣道の技術的力量(精神的要素を含む)」』とあります。であるならば、取得している段位にかなった技術力がないのなら、降段することもやむを得ないのではないでしょうか。
---------------------------------------------------- そして、前段位合格後1年以上経過していれば、毎年でも、上の段位に挑戦できるようにします。また、段位を持っている者は、 ---------------------------------------------------- といった具合に更新することを義務づけます。この場合、更新するということは自分が今持っている段位の審査を受け直し、新たに認定してもらうことを意味します。むろん、その間に上の段位に合格した場合は、そこから新たに更新が始まります。また、更新しなかった場合は運転免許証などと同じように段位を失効してしまうという規則にします。
また、更新も新規も同時に受審することにより、審査は活気を帯びることになると考えられます。また、多くの人が更新も含めた受審機会を得るため、連盟も現行よりも安い受審料と登録料が可能になるのではないでしょうか。(その分、審査会を頻繁に開催しなければならないかもしれませんが・・・) ただ、考えなければならないのは、高齢者と仕事や妊娠出産育児などにより剣道を離れざるを得なくなる人への配慮でしょう。
剣道をやめてしまったり、更新停止中の人はただ「○段」もしくは「前○段」。頑張って更新し続けている人は「錬士○段」とか「現○段」。自分の最高到達段位を名乗る場合は、「元○段」なんていう風にすればいいのではないでしょうか。
本当の意味で段位を自己の剣道技量の目安とし、また、励みとするためには既得権という考え方を捨て去るのが一番と愚考するわけですが、いかがなものでしょうか? |
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