記事タイトル:剣道形のとき 左足は? 


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お名前: ああ   
あげますよ 左足
[2005/04/22 15:21:09]

お名前: スマイル   
to Hide.さん    

>とするならば、やはり、さらに上位にいく人とそうでない人の差は、「日常の意
>識(無意識下の)」っていうところにくるのでしょうね(^^)
特にある程度、専門の技術が確立している人・・・と言えば聞こえが良いですが
頭打ちの人は特にお勧めしたいですね。自分の中では確かに限界かもしれないですけど
自分より遙かに上の人から見ればやるべき点はたくさんあるわけですしね。

>>背骨の歪み直らないですよ。
>まったく困ったことです・・・( -o-) フゥ
小さい子に正座させると、じっとしていられないから動いちゃいますよね。
アレと一緒です。自分の身体を躾け直す訳ですから大変です(^o^)
あと、脚を組んだときと組まないときの背中の感じの違いがわかると
色々と気がつくことがあるはずです。

>アハハ、わかりませんよ(^^; 負けず嫌いですから、「名人」目指してヒソカに
>やってるかもしれません(笑)
おぉ一緒に頑張りましょう(^^)同士!!
[2002/02/21 15:06:24]

お名前: スマイル   
to Hide.さん    

>とするならば、やはり、さらに上位にいく人とそうでない人の差は、「日常の意
>識(無意識下の)」っていうところにくるのでしょうね(^^)
特にある程度、専門の技術が確立している人・・・と言えば聞こえが良いですが
頭打ちの人は特にお勧めしたいですね。自分の中では確かに限界かもしれないですけど
自分より遙かに上の人から見ればやるべき点はたくさんあるわけですしね。

>>背骨の歪み直らないですよ。
>まったく困ったことです・・・( -o-) フゥ
小さい子に正座させると、じっとしていられないから動いちゃいますよね。
アレと一緒です。自分の身体を躾け直す訳ですから大変です(^o^)
あと、脚を組んだときと組まないときの背中の感じの違いがわかると
色々と気がつくことがあるはずです。

>アハハ、わかりませんよ(^^; 負けず嫌いですから、「名人」目指してヒソカに
>やってるかもしれません(笑)
おぉ一緒に頑張りましょう(^^)同士!!
[2002/02/21 15:06:22]

お名前: Hide.   
to スマイルさん

>実際考えてみてどうですか?(^_^)当たり前のことを当たり前にきちんと考える
>と何とも凄いことがでてきますよね。

そうですね。
剣道に人は一般的に、剣道をやらない人よりも「姿勢がいい」と言われますし、私
の知っているクラシックバレエの人達も、すべからく一般人と違って姿勢がいいで
す。つまりこの人達は、常日ごろからそう意識してはいないにせよ、自然に剣道の
あるいはクラシックバレエの筋肉が働いてそのような姿勢を作っているのだと考え
ることができると思います。
とするならば、やはり、さらに上位にいく人とそうでない人の差は、「日常の意
識(無意識下の)」っていうところにくるのでしょうね(^^)


>ウズウズしちゃいますよね。何でだと思います?でも足を組むのを止めないと
>背骨の歪み直らないですよ。土台の骨盤が歪んでいたどうしようもありません(^^;)

まったく困ったことです・・・( -o-) フゥ


>でもほとんどの人がやらないですから・・・Hide.さんだってやってくれそ
>うな気しませんし・・・・(^^;)

アハハ、わかりませんよ(^^; 負けず嫌いですから、「名人」目指してヒソカに
やってるかもしれません(笑)
[2002/02/19 12:43:44]

お名前: スマイル   
to Hide.さん 
気持ちだけでもお茶の先生のようにやってます(^^)   

>>「1.厳しさの中に楽しさを求めてゆこう」だって「楽しい」という言葉を積極
>>的な意味合いで使っていますよね。私にとって自然体も同じだと思うんです。
>まぁ、今までそういう視点をもって「日常生活における立ち方」を考えたことがあ
>りませんでしたので・・・。
実際考えてみてどうですか?(^_^)当たり前のことを当たり前にきちんと考えると
何とも凄いことがでてきますよね。

>圧倒的に「歩かない」し「立たない」ですよね。そういった点では、都会よりも田
>舎の子の方が「立つ」「歩く」という部分においてはしっかりしたものを持ってい
>ると考えられますね(^^)
あと明治の人から見れば私もHide.さん圧倒的に「歩かない」「立たない」わけです(-_-;)

>>とりあえずHide.さんは、足を組むの厳禁です(^^)そうすることで自分の
>>座ったときの姿勢が分かってきます。
>うーん困ったなぁ・・・。仕事がはかどらないんですよ(^^;
ウズウズしちゃいますよね。何でだと思います?でも足を組むのを止めないと
背骨の歪み直らないですよ。土台の骨盤が歪んでいたどうしようもありません(^^;)

>>無意識の活動を意識的にとらえる練習ををすると色々と気がつくこが多いですよ
>>どんなに練習さぼる人でも立って歩くことはサボれませんからね(^_-)
     (・・・後略・・・)
>そういう意識で常日ごろから過ごせれば、世の中名人だらけになりそうですね(^^)
でもほとんどの人がやらないですから・・・Hide.さんだってやってくれそうな
気しませんし・・・・(^^;)
[2002/02/18 13:40:09]

お名前: Hide.   
to スマイルさん

>ただ立っているだけを自然体とはいわないと思うんです。いちに会の提言の
>「1.厳しさの中に楽しさを求めてゆこう」だって「楽しい」という言葉を積極
>的な意味合いで使っていますよね。私にとって自然体も同じだと思うんです。

なるほど、見事な切返しですね(^^)
まぁ、今までそういう視点をもって「日常生活における立ち方」を考えたことがあ
りませんでしたので・・・。


>今の若い人たちの歩き方や立ち方の質が上の世代に比べて低下してきているの
>は、わかっていただけると思うのですが。

圧倒的に「歩かない」し「立たない」ですよね。そういった点では、都会よりも田
舎の子の方が「立つ」「歩く」という部分においてはしっかりしたものを持ってい
ると考えられますね(^^)


>とりあえずHide.さんは、足を組むの厳禁です(^^)そうすることで自分の
>座ったときの姿勢が分かってきます。

うーん困ったなぁ・・・。仕事がはかどらないんですよ(^^;


>無意識の活動を意識的にとらえる練習ををすると色々と気がつくこが多いですよ
>どんなに練習さぼる人でも立って歩くことはサボれませんからね(^_-)
     (・・・後略・・・)
そういう意識で常日ごろから過ごせれば、世の中名人だらけになりそうですね(^^)
[2002/02/16 15:04:44]

お名前: スマイル   
to 柳に風さん    
>>ヤローの袴がめくれても嬉しくないでしょ(^_^;)
>いや、色々応用できそうで……
誰に応用するんですか?

to Hide.さん
>「楽であっても自然体とはいえない」と考えられますが(^^)
ただ立っているだけを自然体とはいわないと思うんです。いちに会の提言の
「1.厳しさの中に楽しさを求めてゆこう」だって「楽しい」という言葉を積極的な
意味合いで使っていますよね。私にとって自然体も同じだと思うんです。

>「現代人は」ってことは、古代人は、いや、ちょっと前の時代の人達は自然体で
>立って歩けることが普通だったということなのでしょうか???(^^;
昔の人だってきちんと立って歩ける人は少なかったと思います。ただ生活環境が今より
厳しいわけですから現代人よりましです。
写真を見れば大体分かるものですし、今の若い人たちの歩き方や立ち方の質が
上の世代に比べて低下してきているのは、わかっていただけると思うのですが。

例えば明治時代の車夫の話で今よりも舗装されていない道を一日65キロも走って
疲れ知らずだったそうですから。そのような生活環境の中ではそれこそ自然に
自然体が備わるんじゃないかと思います。

>お茶の先生にしても前奏のお坊さんでも「正しい姿勢で座ること」が仕事なんでしょ?
たっ確かに・・・(汗)

>私達事務職とは「座る」ということに対する意識が違うのが当然なんでは
>ありませんか。それとも、そこまで意識して座れと(^^;
そうです(^_^)同じ人間出来ないはずがないです、当然同じレベルでは出来ないですけど
せめて心意気だけでも・・・心法はHide.さんのお好きな分野じゃないですか!(^^)!

>生活のために仕事しなければなりませんので、24時間プロフェッショナルのよう
>にやれているわけではありませんから(^_^ メ)
仕事に支障があってはいけないですもんね。でも人間の能力はそれほど低いものでは
ありません。正しく座りながら仕事が出来れば、お仕事がはかどること請け合いです。
とりあえずHide.さんは、足を組むの厳禁です(^^)そうすることで自分の座った
ときの姿勢が分かってきます。

>無意識の活動ですからね。まぁ、極力意識するようにはしてみますが・・・(^^)
全身全霊をもってして取り組んで下さい_(._.)_

無意識の活動を意識的にとらえる練習ををすると色々と気がつくこが多いですよ
どんなに練習さぼる人でも立って歩くことはサボれませんからね(^_-)

だいたい一日に歩く歩数ですがサラリーマンの一日平均歩数は5,800歩。
外に出ることが少ない技術職は4,600歩。病院に入院しているような人でも
3,000歩です。歩くことを鍛錬に出来れば毎日5千8百回素振りをするのと同じ
ようなものです。  

そして素振りは剣道の基本の動きですが、立ったり歩くことはその基本の動きを
支える基礎の動きなのですから。
[2002/02/15 14:58:33]

お名前: Hide.   
to スマイルさん

>5、この、スマイル、若者、野生児、Hide.さんは自分の姿勢をや日常生活の動き
>をそれぞれが自然で楽なモノだと思っています。結局彼らは全員、自然体を身に
>つけているのでしょうか?
アハハ、ずいぶんたくさん並べてくださいましたねぇ(笑)
どのレベルで比較するかっていう問題はありますが「疲れやすい」っていうことが
あるとするならば、「楽であっても自然体とはいえない」と考えられますが(^^)

>いずれにしても現代人は立って歩く事は出来ても、自然体で立って歩く合理性は
>ないと思います。
「現代人は」ってことは、古代人は、いや、ちょっと前の時代の人達は自然体で
立って歩けることが普通だったということなのでしょうか???(^^;

>なのでどのように座っているか?と言った座り方の問題も大きいと思います。
>その上で座り仕事の問題点を考えていかないと漠然としちゃいます(^_-)
お茶の先生にしても前奏のお坊さんでも「正しい姿勢で座ること」が仕事なんで
しょ? 私達事務職とは「座る」ということに対する意識が違うのが当然なんでは
ありませんか。それとも、そこまで意識して座れと(^^;

>日本一のレッスンプロがそれではいけませんね〜(^^メ)
アハハ、それは「めざしている」のであって今現在達成できている目標ではありま
せん(^^)
生活のために仕事しなければなりませんので、24時間プロフェッショナルのよう
にやれているわけではありませんから(^_^ メ)

>立ているとき歩いているときはその事だけを考えてみてはどうでしょうか?
立つと歩くは無意識の活動ですからね。まぁ、極力意識するようにはしてみます
が・・・(^^)
[2002/02/12 17:14:09]

お名前: 柳に風   
to スマイルさん
>>>袴がめくれるとか!?…… (失礼しました)
>>ステキですヽ(^.^)ノ
>ヤローの袴がめくれても嬉しくないでしょ(^_^;)
いや、色々応用できそうで……
[2002/02/09 23:28:58]

お名前: スマイル   
凡人は凡人で天才は天才でそして、ヘタレ(私ね)はヘタレで(>_<)それぞれが
それぞれのレベルで自分の出来る範囲で(自分勝手でなく)歩き方をやってみる
べきだと思います。

どうせ歩いている時なんて、今日の晩飯のこととかビールのこととかろくな事
考えていないんだから(俺だけっすか?)

そんなことは取りあえず置いといて(^_^)その時になったら考える事にして。
立ているとき歩いているときはその事だけを考えてみてはどうでしょうか?
[2002/02/09 15:19:51]

お名前: スマイル   
to Hide.さん
>骨盤が男性よりも広く、大腿骨が男性よりも外側から内側に向かっているはずです。
おぉ(^o^)有り難うございます。だから「5.膝の間は、およそふた握り(女子は一握り)」
なんですねヽ(^_^)/

>3週間に一度、カイロで矯正しないと自分のカラダを維持できない。でも、これは
>座り仕事にも影響していると思うのですが・・・。
私の知っているお茶の先生は座りっぱなしのはずですが、見事なまでの整った身体
文字通りの整体です。座るのが本職の禅僧の方でも凄い人は見事な整体です。
なのでどのように座っているか?と言った座り方の問題も大きいと思います。
その上で座り仕事の問題点を考えていかないと漠然としちゃいます(^_-)

>私達レベルにあまり厳しいことを言ってはいけませんよ(笑)
日本一のレッスンプロがそれではいけませんね〜(^^メ)
私のようなヘタレでもやっているのから誰でも出来ますね。確かに大変ですけど
習慣になると楽しいですよ〜(^o^)「スーパーボディ」でも書いてありました(^_^)
[2002/02/09 15:00:58]

お名前: スマイル   
to Hide.さん    
>うーん、日常生活における動きのポイントは「楽であること」じゃないかと思うん
>です。必用以上に姿勢をよくするために筋肉を意識しながら使うといったことはし
>ないものなのではないでしょうか(^^; それが「自然体」の考え方のような気がい
>たしますが・・・。
>でも、前述した通り、私も含めほとんどの人は、「日常生活の動き=楽な動き」の
>はずで、「楽」であることが「雑」だという意識はないと思われます(^^;
自然体や楽という言葉の解釈が違うみたいですね。ちょっと質問させて下さい<(_ _)>

1、例えば、私の場合、子供の頃から肩で力む癖というのがあります。剣道の練習でその癖が
  強化されました。確かに剣道の時には不便というか欠点ですが。日常生活に支障をきした
  ことはありません。
  また物心つく前に身につけた癖なので本人は(自分の主観では)それが自然だし楽なモノ
  だと思っています。でもこれが本当に自然で楽なモノなのでしょうか?

2、最近の若い人で腰を落としてガニ股で足をズリズリ引きずりながらだらしなく歩き
  所構わず座り込む姿というのを少なからず見ます。だらしがないかどうかは取りあえず
  置いといて、当の本人は楽だと思っているだろうし、自然体なのかもしれないですが
  それが本当に自然体なのでしょうか?

3「アヴェロンの野生児」「オオカミに育てられた(これは嘘らしい)カマラとアマラ」
  などは二足歩行が出来ず四つん這いになって歩いていて、立って歩けるようになった
  のもいたそうですけど急ごうとしたりすると四つ足に戻ったそうです。
  彼らにとって四つ足で歩くのは自然なのだろうけど、それは本当に(人間として)
  自然なのでしょうか?
  
4、Hide.さんはガニ股で踵に体重がよりがなのですがこれは本当に自然体で楽なのでしょうか?
   
5、この、スマイル、若者、野生児、Hide.さんは自分の姿勢をや日常生活の動きをそれぞれが
  自然で楽なモノだと思っています。結局彼らは全員、自然体を身につけているのでしょうか?  

>必用以上に姿勢をよくするために筋肉を意識しながら使うといったことは
>しないものなのではないでしょうか(^^; 
意識するのは筋肉と言うより骨格ですね。慣れや習慣の問題です。常に意識し続けている
とそんなに意識しようと思わなくても自然に出来るようになります。

上級者は初心者ほど意識しなくても意識している初心者よりも上手に素振り・打ち込み
が出来きますよね。自転車に乗れるようになること、九九を覚えるのだってそうですよね。

覚えるまでは大変ですし人によって覚えるスピードも違いますけど覚えてしまえば
覚えるのが下手か上手いかといた器用、不器用関係ないです。
また覚えたら九九そのものの練習をしなくたって色々な計算をするなかで確かなモノに
出来ます。それは立ち方や歩き方だって同じです。

(正しい練習の)量が質に転換するまで意識してやるのは必要なのは何でも同じだと
思います。ですがほとんどの人が量が質に転換する前に止めちゃいます。(-_-;)
またそういう人に限って、やっていないにも関わらず出来た気になってしまいます(^^;)
自分の身体に身に付いていない言葉や感覚を自分の都合のいいように解釈して自分勝手に
使う傾向があるようです。

以前、紹介した斎藤孝さんは「自然体は意識しなければけっして身につかない、しかし、誰にでも
獲得できる<技>である。」と書かれています(^_^)これも言葉だけとっちゃ駄目です。(^_-)
いずれにしても現代人は立って歩く事は出来ても、自然体で立って歩く合理性はないと思います。
[2002/02/09 14:25:10]

お名前: Hide.   
to スマイルさん

>骨格というのは具体的ですけど何処がどのように違うかわかりません(>_<)

骨盤が男性よりも広く、大腿骨が男性よりも外側から内側に向かっているはずです。


>逆に日常生活の過ごし方が悪い人は幾ら整体やカイロに行っても治るのはその場
>だけで自分の身体の癖に引っ張られて結局身体の歪みがもとに戻る場合が多いで
>す(^^;)

アハハ、まさに私がその口ですね(^^;
3週間に一度、カイロで矯正しないと自分のカラダを維持できない。でも、これは
座り仕事にも影響していると思うのですが・・・。


>私なんか名人でさえそれだけ気を使っているのだから普通の人は尚更だと思いま
>したし。当たり前のことを当たり前にする難しさを感じたモノなんですが・・・
>これも身体でなく心の問題なんでか?

アハハ、そういう細かい気配りがあったからこそ非凡なのであって、凡人にそれを
期待しちゃかわいそうと言うものですよ(^^; 事実、スマイルさん自身も「あたり
まえのことを当たり前にできる」ってことがどれだけ難しいことかっていうことを
よく認識しておられるのでしょ。私達レベルにあまり厳しいことを言ってはいけま
せんよ(笑)
[2002/02/09 14:01:26]

お名前: スマイル   
to  Hide.さん    
>うーん、たぶん骨格の違いが筋肉の使い方(締め方、緩め方)に影響しているので
>はないでしょうか(^^;
骨格というのは具体的ですけど何処がどのように違うかわかりません(>_<)男と女では
鎖骨の長さが違うとか背骨のカタチが違うとかもっと具体的なことを言っていただかないと
私には漠然としすぎてわかりません。
もっと具体的にお答え下さいよろしくお願いします<(_ _)>

>私の場合「姿勢をよくする必要性」は剣道の場以外にはありません。
正しい姿勢をすると人間が本来持つはずの自然なバランスになります。
なのでO脚ガニ股や背骨や骨盤の歪み身体の癒着と言った整体的なことも含めて
身体の自然治癒能力が高まります。!(^^)!
これは高まると言うより人間が本来持っている能力を取り戻すだけです。

逆に日常生活の過ごし方が悪い人は幾ら整体やカイロに行っても治るのはその場だけで
自分の身体の癖に引っ張られて結局身体の歪みがもとに戻る場合が多いです(^^;)
また整体等に行く人たちに共通する問題として自分で自分の身体を何とかしようとする
意識が希薄な人が多いです。自分の身体なのに他人任せにしている人、具合が悪くなった
ら行けばいいと思っている人。自分身体のの歪みを引き起こした根本的な原因を考えない人。
例を上げればきりないです(^_^)身体に気を使っている割には結構、鈍感な人が多いですね。

そのお医者しゃんがどんなに名医でも24時間毎日付きっきりというのはあり得ません。
自分の身体と付きっきりなのは他ならぬ自分自身です。先天的な障害や交通事故に遭った等の
よほどのことがない限り自分の身体は自分で何とかすることが出来ます。それが人間です。

またそのためには心構えだけでなく具体的な知識や情報、方法がないとどうにも
ならないと思うのですがいかがでしょうか?

>なるほど、ひとつ気がついたことがありました。能や狂言などの芸能は日常の世界
>を特異な方法で表現するものですよね。剣道は日常の表現ではなく非日常の表現な
>んです。「日常即剣道」「剣道即日常」は、身体面での話ではなく精神面(思想)
>面での話です。こんなところが関係してこないでしょうか(^^)
確かにそういう面はありますね(^_^)どちらも日常の生活では行わない動きですけどね。

心構えといっても例えば斎村五郎先生は下駄のはが平らになるように常に気を使いながら
歩いていたそうで、私なんか名人でさえそれだけ気を使っているのだから普通の人は尚更
だと思いましたし。当たり前のことを当たり前にする難しさを感じたモノなんですが・・・
これも身体でなく心の問題なんでか?

to 柳に風さん
>>袴がめくれるとか!?…… (失礼しました)
>ステキですヽ(^.^)ノ
ヤローの袴がめくれても嬉しくないでしょ(^_^;)
[2002/02/09 11:56:42]

お名前: Hide.   
to スマイルさん
>>少なくとも男性の正座と女性の正座は座り方が違いますでしょ?(^^)
>た、確かに・・・何で違うのでしょうか?
うーん、たぶん骨格の違いが筋肉の使い方(締め方、緩め方)に影響しているので
はないでしょうか(^^;

>剣道を意識しての立ちとかではなく、立ち方・歩き方そのもの日常生活の動きそ
>のものを意識すると言うことなんですけど・・
うーん、日常生活における動きのポイントは「楽であること」じゃないかと思うん
です。必用以上に姿勢をよくするために筋肉を意識しながら使うといったことはし
ないものなのではないでしょうか(^^; それが「自然体」の考え方のような気がい
たしますが・・・。

私の場合「姿勢をよくする必要性」は剣道の場以外にはありません。よって、日常
生活で姿勢を意識するとなると「剣道の立ち方」こそ「意識された立ち方」とイ
コールになるのです(^^)

>防具や竹刀なら稽古の時の関係で終わりですが、自分の身体と死ぬまでつき合う
>わけですよね。その身体と雑につき合っていて良いのかなぁと思います。
なるほど、そういう考え方もありますかね。
でも、前述した通り、私も含めほとんどの人は、「日常生活の動き=楽な動き」の
はずで、「楽」であることが「雑」だという意識はないと思われます(^^;

>サーカスは知りませんが狂言なんかは日常生活のなから意識しているそうです。
     (・・・後略・・・)
なるほど、ひとつ気がついたことがありました。能や狂言などの芸能は日常の世界
を特異な方法で表現するものですよね。剣道は日常の表現ではなく非日常の表現な
んです。「日常即剣道」「剣道即日常」は、身体面での話ではなく精神面(思想)
面での話です。こんなところが関係してこないでしょうか(^^)

>私の方で確実に断言できることは、それだと自分の可能性を狭くするだけです。
まぁ、それは言えると思いますね。
日常の立ち居振る舞いから「それらしい」雰囲気を醸し出せるのが真の武道家と言
えると思いますから(^^)


to 柳に風さん
>>>写真をさかさまにすると何か見えますか?
>>それは、秘密です(^_-)
>袴がめくれるとか!?…… (失礼しました)
ステキですヽ(^.^)ノ
[2002/02/08 13:18:32]

お名前: 柳に風   
to スマイルさん
>>写真をさかさまにすると何か見えますか?
>それは、秘密です(^_-)
袴がめくれるとか!?…… (失礼しました)

今日の稽古で、友達がある先生に、あなたは何を目指して稽古しているのか
わからない、と言われていました。ただ汗をかいて良くやったと思っていても、
単なる自己満足に過ぎないとも。
 厳しい言葉ではありますが、何を目指して稽古するのか、稽古の目標なくて
やっていれば単なる運動ですよね。まあ、彼も一生懸命やっているので
こういうこともたまに言われるのでしょうけど、どういう剣道をしたいのかが
決まれば、それに沿った稽古のやり方があるでしょうし、それによって、
疲れるべきところが疲れるということだと思います。
 例えば、剣道を知らない西洋の人が始めたとします。ちゃんと教えられる人が
いなければ、その人は西洋古代のグラディエーターなどをモデルに上体の力で、
力任せの剣道をするかもしれません。でもそれは剣道としては正しい力の
入れ方ではないので、剣道を知っている人が見たら、正しく疲れていないという
ことになりますよね。
 方向が違うということです。
 剣道とひと口に言っても、いろんなタイプの剣道があるわけで、その意味では、
細かく見れば、正しい疲れ方にも色々あると言えなくもないですが、正しくない
疲れ方はありますね。稽古の後右手が疲れるとか肩が痛いなどというのは
間違った疲れ方だと思います。
[2002/02/07 23:03:16]

お名前: スマイル   
to 柳に風さん

>なんか自分の説明があまり上手ではないという気がして、
いえ、ご説明よく分かります。私が勝手なことばかり書いているから
そう思ったんですよ(-_-;)ごめんなさい。

>のところで、おなかを凹めるというのは、お腹だけペコッと凹めるのでしょうか、
>あるいは腰を引くようにするのでしょうか?それともどちらでもないのでしょうか?
ただ思いっきりお腹を凹ますだけです。肩や胸は上げないですけどそうすると凹ませた
分の体積が腰背部に行くので腰背部の反り返りを防ぐことが出来るので以前やってました。

>両方試してみましたが、初めのやり方では、丹田に呼吸を下ろすことはできなかったです。
>二番目の方法では、呼吸を下ろすと丹田は膨らみ、出てきます。
だぶん初めのやり方だと思います。呼吸は意識していないのです。確かに息がしたまで
降りないですけどお腹の中が意識しやすいですよ。

>法定を習い初めの人も最初は息が続かないですが、やっているうちに息が
>長くなっていきます。相手より息が長いということはそれだけで、一つ相手より
>優位に立っているということだと思います。
呼吸は意識できないので何とも言えないです。ただ「出来ないうちから出来るように
努力しないと出来るようにならない」と先生の言葉を思い出しました(笑)

>私もそう思います。一生懸命悪い癖をつけている人ですね。変な言い方ですが、
>正しい疲れ方というのはありますよね。
やっぱ同士だ!!どうせ疲れるなら正しく疲れないとダメですよね。
合い言葉は「造反有理、革命無罪」にでもしましょうか!(^^)!

>写真をさかさまにすると何か見えますか?
それは、秘密です(^_-)

先に言うと面白くないですし(^_^)試しに高野先生と言った名人の方の写真と
普通に剣道している人や若手の有名選手やこれから名人になろうとする
先生方の写真を逆さにして比べてみてください。

名人は前だけでなく横から見ても後ろから見ても名人だと言いますでしょ
だから逆さまにしてもやっぱり名人なんですよ。
[2002/02/07 18:49:54]

お名前: スマイル   
to Hide.さん    
>私もそこまで考えたことはありませんでしたが、スマイルさんとの掲示板でのやり
>取りの中から、スマイルさん自身がそう書かれておいでだったのではありませんか?
分野によって多少見た目が違っても正座には正座としての理と言うか本質が
あると思っていたんです。

>でも、たしかに、落語家の正座と、お能における謡曲の正座は異なって見えますし
あっっ伝統芸能でも落語は考えていなかった(汗)確かに違います。
結局、私の嗜好の問題なんですかね。

>少なくとも男性の正座と女性の正座は座り方が違いますでしょ?(^^)
た、確かに・・・何で違うのでしょうか?

> 1.背筋を伸ばし、上体が床に垂直になるように
> 2.アゴを前に突き出さない
> 3.手の平は指を閉じて腿の付け根に置く
> 4.肩を上げない
> 5.膝の間は、およそふた握り(女子は一握り)
>なんてことですが・・・(^^)
ほとんど同じだ・・・なのにどうしてこんなにも会話がかみ合わないんでしょう(泣)
私が聞く耳持たずに一方的に書いているからですかね(-_-;)

>おっしゃる通りですが、心構え(心法)の問題として捉えております。
具体的なやり方がわからないとしょうがないのかなぁ

>パソコンの前に向かって仕事しているときまで、剣道を意識してはおりませんで(^^;
剣道を意識しての立ちとかではなく、立ち方・歩き方そのもの日常生活の動きそのものを
意識すると言うことなんですけど・・

例えば、必要以上に足音がする歩き方を自分自身でどう思われていますか?
実際、剣道の試合や稽古を見学に行くと、どの人もドカドカ足音を立てながら
歩いています。防具や竹刀を雑に音たてながら置く人がたまにいますけど
それと変わらないと思うのですがどうでしょうか?
防具や竹刀なら稽古の時の関係で終わりですが、自分の身体と死ぬまでつき合う
わけですよね。その身体と雑につき合っていて良いのかなぁと思います。

>サーカスで綱渡りをなりわいにしている人が、日常から綱渡りを意識して歩いてい
>るとは思えません。
おぉっと普段歩いているときは綱渡りをするようなつもりで常にバランスを意識して
歩いていますって書こうと思っていたのに・・・(>_<)

サーカスは知りませんが狂言なんかは日常生活のなから意識しているそうです。
野村万斎の本で読みましたが、狂言の稽古以外に特別な練習法というのはないそうで
飯を食べているときも親父さんがハシで手を押さえてそれを力まずにその場に
とどめながら口にまで持っていったりと色々やっているそうです。生活即稽古だとか。

常にアクセルとブレーキを同時に使いながら身体を使う稽古を日常生活の中で常に
意識しているそうです。野村万斎はステイと表現していましたが、武道で言うところの
静中の動、動中の静です。
これは野村万斎だけと言うのではなく他の芸能もそうです。落語もそうだかは分かりません。
狂言の稽古そのものも半端でないくらい大変なモノでしょうが剣道は同じ伝統文化と
言いながらそれでも良いのだろうかと思うのです。

>上手に綱を渡れない人が、日常からバランスに気をつけるものではありませんか?(^^)
剣道ではできていても、立ち方歩き方そのものが下手という場合はどうなんでしょうか?
剣道と普段の動きは別でしょうけど同じ自分の身体です必ず関係性があります。
専門の動きが立派でも普段の動きがダメという人ははよく見ます。それでも出来ているという
方もたくさんいます。なので日常生活の動きなんて関係ないと言うのも在りかもしれないです。

私の方で確実に断言できることは、それだと自分の可能性を狭くするだけです。

>ゲラ刷りでやってみましたが、そう妙ではないような・・・。あ、これはスマイル
>さんのコメントを待つことにいたしましょう(笑)
何も私が言わなくても良いじゃないですか(笑)
高野先生の写真を隣に置いてみてはどうでしょうか?あと身体の真ん中に直線を
引いてみるとか(^_^)
[2002/02/07 18:13:50]

お名前: 柳に風   
Hide.さん、スマイルさん、
>>そういえば本買ったら写真を逆さまにしますけど良いですか?
>ゲラ刷りでやってみましたが、そう妙ではないような・・・。

写真をさかさまにすると何か見えますか?教えてください。
[2002/02/06 15:35:11]

お名前: Hide.   
to スマイルさん
>確かに 必要ないと言えばそうかもしれないです・・・・・・・・・・(>_<)
>武道というものは日常生活伏臥なんたらすべてが修行だったのではなかったので
>すか?
おっしゃる通りですが、心構え(心法)の問題として捉えております。
事務局でパソコンの前に向かって仕事しているときまで、剣道を意識してはおりま
せんで(^^;

>我々は物心つく前にそれらを覚えるので気にもとめていないですけど、剣道の切
>り返しや基本の打ち込みと同じように学習して身につけたモノです。その人が望
>めば剣道の技術が向上するのと同じように立ち方や歩き方と言った日常生活の動
>きも向上します。
私も、剣道のバランスが意識してもできない人や、意識しないとできない人には、
「日常生活の中でも、ふとした瞬間に作ってみてください」とお話しております。
サーカスで綱渡りをなりわいにしている人が、日常から綱渡りを意識して歩いてい
るとは思えません。上手に綱を渡れない人が、日常からバランスに気をつけるもの
ではありませんか?(^^)

>内蔵を落とし込む感じって太極拳でもそのような教え方しているそうです(^o^)
へーそうなんですか。
太極拳っていうのも足に根が生えたような感じで、しっかりと地に立ってますよ
ね。だから、バランスの崩れが極めて少ない。ゆっくり動いても安定感があります
ねヽ(^.^)ノ

>そういえば本買ったら写真を逆さまにしますけど良いですか?
ゲラ刷りでやってみましたが、そう妙ではないような・・・。あ、これはスマイル
さんのコメントを待つことにいたしましょう(笑)
[2002/02/06 13:01:52]

お名前: 柳に風   
スマイルさん、こんにちは。

>私のやっている立禅の体幹部の感じが作道先生と反対なので同じ立禅でもいろいろと
>やり方があります。といった意味で書いた訳で柳に風さんのやり方がどうしたという
>訳ではないです。申し訳ありません。

いや、私もそういう(私のやり方がどうしたという)風には解釈しなかったんですが、
なんか自分の説明があまり上手ではないという気がして、しつこく書いてしまいました。
こちらこそ変に気を使わせてしまって、スミマセン。

 ちょっと質問なんですが、
>私の場合は逆にお腹を思い切り凹めて腰背部の不自然な反りとくようにします。
>あと肩と胸が硬いので呼吸がとて浅くて下まで息が下りません(苦笑)

のところで、おなかを凹めるというのは、お腹だけペコッと凹めるのでしょうか、
あるいは腰を引くようにするのでしょうか?それともどちらでもないのでしょうか?
両方試してみましたが、初めのやり方では、丹田に呼吸を下ろすことはできなかったです。
二番目の方法では、呼吸を下ろすと丹田は膨らみ、出てきます。

法定を習い初めの人も最初は息が続かないですが、やっているうちに息が
長くなっていきます。相手より息が長いということはそれだけで、一つ相手より
優位に立っているということだと思います。

>とにかく漠然と稽古しては駄目だと思うんです。腰や肩が凝り固まって張っているのを
>達成感と勘違いして「俺ってがんばっているなー」と満足して自ら障害の芽を作っている
>人って多いです。

私もそう思います。一生懸命悪い癖をつけている人ですね。変な言い方ですが、
正しい疲れ方というのはありますよね。
[2002/02/05 23:52:10]

お名前: スマイル   
to柳に風さん
>>稽古で立禅やるんですけど腰背部の反りや骨盤の前傾はできるだけ無くしてやります。
>法定の場合、意識的に骨盤を前傾させるのではなく、呼吸を丹田に
>下ろすことで、自然に前傾します。無理に前傾させたり、腰を反らせたり
>するとやはり腰を痛めるのではないかと思います。
私のやっている立禅の体幹部の感じが作道先生と反対なので同じ立禅でもいろいろと
やり方があります。といった意味で書いた訳で柳に風さんのやり方がどうしたという
訳ではないです。申し訳ありません。

以前の質問で聞いた「腰の痛みは正しいのですか?」ってのもどの位、自分の稽古や
身体を意識して稽古されているのか知りたくて聞いたんです。私の稽古でも正しくやると
結果、身体に痛さを伴うようなもの逆に一切腰背部に詰まりや緊張を作ってはいけない
のと色々あります。

とにかく漠然と稽古しては駄目だと思うんです。腰や肩が凝り固まって張っているのを
達成感と勘違いして「俺ってがんばっているなー」と満足して自ら障害の芽を作っている
人って多いです。

私なんかも肩をガチガチにして頑張って肩の凝りを達成感と勘違いしてただでさえ
肩に力が入りやすかった身体の癖に拍車をかけてしまいました(泣
そのくせ「もっと柔らかく鞭のようにしなる切り返しがしたい!!」とか思っていた
のですから正気の沙汰ではありません(爆

>法定を始めてから反りが取れました。丹田に息を下ろすと、反身になれないのです。
息を下ろすと横隔膜が下がって腹圧がかかるから腰背部の不自然な反りが取れますもんね。
私の場合は逆にお腹を思い切り凹めて腰背部の不自然な反りとくようにします。
あと肩と胸が硬いので呼吸がとて浅くて下まで息が下りません(苦笑)
[2002/02/05 18:45:08]

お名前: 柳に風   
to スマイルさん
お久し振りです。
>(・・・)あと私も稽古で立禅やるんですけど
>腰背部の反りや骨盤の前傾はできるだけ無くしてやります。
 法定の場合、意識的に骨盤を前傾させるのではなく、呼吸を丹田に
下ろすことで、自然に前傾します。無理に前傾させたり、腰を反らせたり
するとやはり腰を痛めるのではないかと思います。

>真っ直ぐだったら剣道日本の姿勢の研究にでていた高野先生の方が真っ直ぐだなぁー
>と個人的に思いますがどうでしょうか?
そうですね。しかも迫力がありますね。
 私の目指す構えとしては、腰・腹に力がこもっていて、上体に力みのない構えですね。
ここに出ていない先生でも良い構えの人はいますね。
 私はしばらく前まで中山先生のような反った構えをしていました。
もちろん、見た目が似ていたというだけで、中身は月とスッポンですが、
法定を始めてから反りが取れました。丹田に息を下ろすと、反身になれないのです。
自分の構えを見つけたという感じでした。また変わるかもしれませんが、
今はこの構えでやってます。
[2002/02/04 22:57:08]

お名前: スマイル   
to Hide. さん
>日常生活で意識する必要性を感じないからでしょう(^^; だって、日常生活では、
>「素早くムリムダなく体さばきをする」なんていうことは必要ないですから(笑)
確かに 必要ないと言えばそうかもしれないです・・・・・・・・・・(>_<)
武道というものは日常生活伏臥なんたらすべてが修行だったのではなかったのですか?

また立ち方や日常生活の動きに関して誤解があると思います。人は立つことや歩くことだって
学習しなければ自分のモノにならない生き物です。 
我々は物心つく前にそれらを覚えるので気にもとめていないですけど、剣道の切り返しや
基本の打ち込みと同じように学習して身につけたモノです。その人が望めば剣道の技術が
向上するのと同じように立ち方や歩き方と言った日常生活の動きも向上します。
現代は生活環境が便利ですから必要ないといったらそれまでですけど・・・・・・

>うーん、骨盤というよりも、内臓を落とし込む感じでしょうか。骨盤の位置そのも
>のは下げません。
私も骨盤の位置自体はさげないんですが、話がすれ違ってばかりですね(T_T)スミマセン
内蔵を落とし込む感じって太極拳でもそのような教え方しているそうです(^o^)

>いやぁ、渡辺先生自体が、がに股でかかとに体重の乗ったような、あんな歩き方を
>されておられたんです(笑)
と言うことはHide.さんもがに股で足音をさせる歩き方でも構わないと?確かに剣道を
では足音しないですしそれで良いのかもしれないですが・・・

>2月中旬から下旬に私の剣道の本が出ます。それには写真でもって「構え方」の解
>説をさせていただいておりますので、そちらを立ち読みしてください。
立ち読みだなんて・・ちゃんと買います(^_^)
でも剣道の構えをしているHide.さんにとやかく言うつもりはないです。(当たり前ですけど)
それができるのは渡辺先生だけだと思いますし。私の偏向した見方でなにが理解できるかも
定かではありません(-_-;)そういえば本買ったら写真を逆さまにしますけど良いですか?
[2002/02/04 19:28:48]

お名前: スマイル   
to柳に風さん
>これは正しいものだそうです。痛みがないのは、丹田に気が下りていない、
>下っ腹の力が抜けているということだそうです。
またまたイラン世話でスミマセン<(_ _)>

>作道先生が実際にどのような意識、力の入れ方で立っているのか、わかりませんが
私も見た感じなので当たっているかどうかは・・・・・(^_^;)
でももいい加減なつもりで書いてないですよ!あと私も稽古で立禅やるんですけど
腰背部の反りや骨盤の前傾はできるだけ無くしてやります。

>私の場合は、腰から上は、自然に真っ直ぐ立っているという意識です。
真っ直ぐだったら剣道日本の姿勢の研究にでていた高野先生の方が真っ直ぐだなぁー
と個人的に思いますがどうでしょうか?

あとリンクを貼ったコマネチの4番目の写真なんか特に軸がわかりますよね。
剣道と体操では全然違う競技ですけど姿勢とかで見ると参考になるところは
とても多いです。

最近ではベースボール・マガジン社のムック本で『メジャーリーグ100年「記録」の達人。』
のp36に写真が出ている球聖タイ・カッブの写真を見てたまげました。勝つためなら手段を
選ばない極悪な方だったそうで(-_-;)何で球聖と呼ばれているのか不思議なんですけど
凄い立ち姿です。後、いかにも性格悪そうな惚れ惚れするくらい良い顔しています。
下に本の表紙の載っているサイト貼っておきます。
http://www.bbm-japan.com/books/bookview.asp?id=1075&m=muck
[2002/02/04 18:31:27]

お名前: Hide.   
to 柳に風さん

>下腹まで下ろした息を、さらに左のかかとまで下ろすようにしています。

ホホウ・・・、これは今度試してみますヽ(^.^)ノ


>課題は一杯あるので、退屈することはありませんね。

アハハ、おっしゃる通りで(^_^ メ)
[2002/01/31 12:27:54]

お名前: 柳に風   
to Hide.さん
>とはいえ、私の丹田の意識ですが、「息を吸い込んだら、下腹までそれを落とし込
>む」という方法をとっています。この操作の中で、重心もグッと下に落とし込んで
>「床に足がめり込むような状態」をイメージします。バランス全体としては、ウエ
>ストから下を釣り鐘にしたようなイメージです。
>このことによって、両足でしっかりと床をつかむことが可能となり、足が地に着い
>た形での移動が可能となる・・・と考え実践しております(^^)
私も同じような感じですね。私は釣鐘のイメージは持っていませんでしたが、
下腹まで下ろした息を、さらに左のかかとまで下ろすようにしています。
これができたときはまさに浮動の構え、いや、不動の構え、一歩も引かず、
いつでも出られるという感じになりますが、現実はそう甘くないので、常にこの状態を
保てるようにするのが今の課題の一つです。
 課題は一杯あるので、退屈することはありませんね。
[2002/01/30 17:10:17]

お名前: Hide.   
to スマイルさん
>私が聞きたいのは剣道ではなくてあくまでも日常生活での立ち方です。
日常生活での立ち方については、ことさら「こうしなければ」と意識するようなこ
とはありませんね。まったく言葉足らずでまたツッコマれてしまいそうですが、
「背中を引き上げる」っていう意識くらいは持っておりますが(^^;

>あと伝統芸能の人でも剣道の人でも正座は正座と思っていたのですけど違うので
>すか?
私もそこまで考えたことはありませんでしたが、スマイルさんとの掲示板でのやり
取りの中から、スマイルさん自身がそう書かれておいでだったのではありません
か?
でも、たしかに、落語家の正座と、お能における謡曲の正座は異なって見えます
し、少なくとも男性の正座と女性の正座は座り方が違いますでしょ?(^^)

>ご指導されている少年指導のなかで取り入れると書かれてましたけどHide.
>さんはどのようなポイントで指導されるんですか?
そうですね、
 1.背筋を伸ばし、上体が床に垂直になるように
 2.アゴを前に突き出さない
 3.手の平は指を閉じて腿の付け根に置く
 4.肩を上げない
 5.膝の間は、およそふた握り(女子は一握り)
なんてことですが・・・(^^)


to 柳に風さん
>一刀流ではどのように丹田を意識させ、気を入れるのでしょうか?
>また、その時の感覚とはどのようなものでしょうか?もし秘密でなかったら、
>教えてください。
小野派一刀流を師匠から教わるにあたって、そのような意識の持ち方を習ったこと
はありません。おそらく、私のレベルがまだそこまでたどりついていなかったた
め、教えてくださらなかったのでしょう(^^;

とはいえ、私の丹田の意識ですが、「息を吸い込んだら、下腹までそれを落とし込
む」という方法をとっています。この操作の中で、重心もグッと下に落とし込んで
「床に足がめり込むような状態」をイメージします。バランス全体としては、ウエ
ストから下を釣り鐘にしたようなイメージです。
このことによって、両足でしっかりと床をつかむことが可能となり、足が地に着い
た形での移動が可能となる・・・と考え実践しております(^^)


to IZAYOHIさん
いつもながら、資料のご提示、ありがとうございますm(_ _)m

しかし、「仙道」の方は、途中まで読んで疲れてしまいましたヾ(・_・;)オイオイ
[2002/01/30 13:51:16]

お名前: 柳に風   
IZAYOHIさん、ありがとうございます。腸腰筋見てきました。
でも、体の内部の筋肉を意識するって、難しそうな感じですね。
[2002/01/28 17:24:28]

お名前: IZAYOHI    URL
外野から老婆心ながらいなぬおせっかいです。苦笑
腸腰筋についてはURLにリンクしました。
日本武道の「丹田」「気」については何を指しているのかよく知りませんが
中国の仙道と中国武術については以下引用しますので参考にしてくださいね。

http://www.melma.com/mag/61/m00023761/a00000011.html
因みに「仙道」とは、仙人になる為の方法と言うことが出来るでしょう。

 それでは、その仙人になる為の方法はどのようなコンセプトを以って行わ
れるのでしょうか。簡単に説明してみます。

 その方法は、まず呼吸法(気功)と精神集中(三昧)によって、精(生命エネ
ルギー)、気(虚空に遍満するエネルギー)、神(精神エネルギー)の三寶を
集めて精製し、練り上げて「小薬」というものを創りあげます。そして、それを
奇経八脈の内の任脈と督脈を通して回転させる事により、更に身体中から
生体エネルギーを凝集させます。これによって「小薬」が「大薬」となり更に
変化して「金丹」(聖胚)というものになります。これを育んで成長させ、この
肉体を超越した、不老不死の身体(陽神といいます。)を創りあげるという
ものです。

 この仙道の練功方法の初歩の段階が周天法と呼ばれるものです。そして、
その第一段階に当たるのが小周天法なのです。この法の詳しいやり方など
は高藤聡一郎先生が学研などから詳しい解説書を出されていますので、興
味のある方はこれらの本を参考にされるのも良いでしょう。この方は台湾へ
行って直接仙道を学ばれた方のようですから、かなり本格的です。日本では、
この高藤先生の本の行法の影響が強く、(他に伝えた人が稀少な為?)
仙道の修行法は、唯一小周天(下丹田)からはじめるような感があります。

(中略)

 普通、小周天は下丹田に意識と呼吸を集中させて、丹田に一種の熱の気
の塊を生じさせることからはじめます。(もちろん、この前に「収心練己」や
「鼓琴招鳳」「敲竹喚龜」などの精神を落ちつかせたり、気や精を蓄積する
段階があります。実はこの段階が本当は最も重要なのですが、ここでは割
愛させていただきます。いつかHPなどで紹介する事もあるかもしれません。)
しかし、このやり方は一般的(主に伍柳派)ではありますが、これが全てでは
ありません。

 丹田には上丹田、中丹田、下丹田と三つあり、他にも正丹田(真実の丹田
の意。古はその場所は秘伝であったが現在は公開されている。)というのも
あります。この丹田というところは、読んで字の如く丹(金丹)が採れる場所
であり、意識を集中する場所でもあります。ですから、上丹田に意識をかけ
ることから始める流派、中丹田に意識をかけることから始める流派、下丹
田に意識をかけることから始める流派などがそれぞれ存在するわけです。
[2002/01/28 07:13:48]

お名前: 柳に風   
to スマイルさん
>後、そのさいの腰の痛みは稽古の成果として正しいものですか?
これは正しいものだそうです。痛みがないのは、丹田に気が下りていない、
下っ腹の力が抜けているということだそうです。もちろん、無理に腰を
折ったりはしませんよ。あくまでも、丹田に気が入って、下っ腹が膨らむにつれて、
自然に腰が入っていくのです。で、その反作用(なのかな?)として、腰のあたりの
背筋が緊張し、それを10分前後持続するために腰が痛くなるのかな?と
思いますが、学問的なことはわかりません。

コマネチと作道先生の姿勢に関して、興味深く読ませていただきました。
両者ともに背中が反っているけれど、コマネチのは自然で(無理がなく)、
作道先生のは無理に反らせているということでしょうか?(背中が詰まっている、
という表現に関して。)
 作道先生が実際にどのような意識、力の入れ方で立っているのか、わかりませんが
(見ただけでわかってしまうスマイルさんは凄いと思います)、私の場合は、腰から上は、
自然に真っ直ぐ立っているという意識です。実際どうなっているかはわかりませんが、
背筋に無理な力が入っていたら、4本しかないとはいえ、最後までできないと思います。

私にスマイルさんほどの知識がないので、自分の姿すらちゃんと説明できませんし、
スマイルさんの説明を誤解しているところもあるかもしれませんが、こういう話は
好きなので、わかるようになりたいものです。

あ、そうそう「腸腰筋」て、どこの筋肉(筋?)ですか?

to Hide.さん
一刀流ではどのように丹田を意識させ、気を入れるのでしょうか?
また、その時の感覚とはどのようなものでしょうか?もし秘密でなかったら、
教えてください。
[2002/01/28 00:39:23]

お名前: スマイル   
to 柳に風さん    
>コマネチ見て来ましたよ!!!うーん、あれは剣道でも日常生活でもできない姿勢
>だと思いますが…
そりゃそうですよ。アクまでも瞬間のものでアレをずっとやれというわけではないです。
作道先生より反っているのに背中が詰まってないといった例で出したわけですから
剣道であの姿勢をやった方がいいというのではないです。
剣道だともっと小さい動きであからさまに見える形でなく身体内部で反りの動きを
処理しないと使えないです。

>法定は一時間ちょっとの稽古ですが、終わった時は確かに腰が痛くなります。
>でも翌日はなんともありません。
何か原因があるわけですけど、柳に風さんは何がそうさせると思いますか?
後、そのさいの腰の痛みは稽古の成果として正しいものですか?
それとも間違ったものなのですか?

>私の師匠は確か79になりますが、別に腰を悪くしてはいませんし、その師匠の小川
>忠太郎先生も法定で腰をいためたと言う話は聞いていませんから、大丈夫でしょう。
わざわざ有難うございました。私のイラン世話でしたね。スミマセン

>丹田はわかります。説明してみろと言われても困るのですが
>実感はできます。 まあ、師匠を信じてやってきます。
ハッキリと分かる人にはわかるのだそうで、当たり前過ぎてかえって説明するのが
難しいみたいですよね。丁寧に有難うございました。
 
>そのうちお会いできたら、実地で教えてください。
お互い立ち方とか意識しているのに随分違いますからね
お会いして技術交流出来ると良いですよね。

to Hide.さん
>そうですねぇ、これまでも書いてきたと思うのですが、これまでのでおわかりいた
>だけないとなると、どのように表記していいのやら、ちょっと困惑してしまいます
>が・・・( -o-) フゥ
あぁぁぁ ため息までつかれるとは・・・・・(泣)物分かりが悪くてスミマセン。
私が聞きたいのは剣道ではなくてあくまでも日常生活での立ち方です。

あと伝統芸能の人でも剣道の人でも正座は正座と思っていたのですけど違うのですか?
表現のしかたとか多少違うとは思いますけど正座の型(本質)があるとしたらそれは
一緒だと思っていたのですが・・・・

ご指導されている少年指導のなかで取り入れると書かれてましたけどHide.さんは
どのようなポイントで指導されるんですか?
[2002/01/27 23:04:31]

お名前: Hide.   
いけね、見落としてしまっていたようで、カキコが滞ってしまいました。お集まり
の皆さん、申し訳ありませんでしたm(_ _)m


to スマイルさん
>でもって結局Hide.さんの考える「いちに会流もしくは井上流」の立ち方っ
>てどんなものなのですか?
そうですねぇ、これまでも書いてきたと思うのですが、これまでのでおわかりいた
だけないとなると、どのように表記していいのやら、ちょっと困惑してしまいます
が・・・( -o-) フゥ

2月中旬から下旬に私の剣道の本が出ます。それには写真でもって「構え方」の解
説をさせていただいておりますので、そちらを立ち読みしてください。文章で表現
する自信がありませんもので(^^;


to 北海道の栄花ファンさん
>できれば 小学生でも解る形の理屈の本があったら 紹介してほしいのですが。
残念ながら、私の知る範囲ではそのような本は存在しません(^^; 子供向きはおろ
か、大人向きにもありませんで( -o-) フゥ

今、トップページから「電脳剣士の間」に入り、「電脳剣士情報交換ボード」をご
覧いただきますと、「剣道形の理合を考えよう」というページがあります。そこで
そんなことを検証しておりますが、まだ、ぜんぜん途中です(^^;
[2002/01/27 12:50:31]

お名前: 柳に風   
to スマイルさん
コマネチ見て来ましたよ!!!うーん、あれは剣道でも日常生活でもできない姿勢
だと思いますが…
 法定は一時間ちょっとの稽古ですが、終わった時は確かに腰が痛くなります。
でも翌日はなんともありません。
 私の師匠は確か79になりますが、別に腰を悪くしてはいませんし、その師匠の小川
忠太郎先生も法定で腰をいためたと言う話は聞いていませんから、大丈夫でしょう。

 私はスマイルさんと逆で、…筋というのは全然わかりませんが、丹田はわかります。
説明してみろと言われても困るのですが(丹田について書かれたものもありますから
そちらの方が正確でしょう)、実感はできます。
 まあ、師匠を信じてやってきます。
 そのうちお会いできたら、実地で教えてください。
[2002/01/27 01:27:38]

お名前: スマイル   
to 柳に風  さん  
>>3、 上半身は骨盤の真上にのせる
>>となります。身体全体が前傾した姿になります。
>>この最後の1行がちょっと違和感があるのです。私の立ち方(稽古時も含めて)では、
>骨盤は前傾しますが、上半身は真っ直ぐになります。ちょうど大阪の作道先生の構え
>のような感じです。

骨盤の真上に上半身(正確には肋骨)をのせないで真っ直ぐにすると骨盤の上の
腰背部が反りかえりすぎませんか?アレだと腰痛になりません?
大阪の作道先生も骨盤の前傾に対して背骨のカーブが不自然だと思います。 
背中が詰まって胸が固まっていますでしょ。

剣道日本の構えの研究の中で肥田氏式強健術の肥田春充の話が出ていますが
確かに肥田春充の腰の反りは作道先生より反っています。
でも肥田春充は骨盤に対して自然な背骨の反りが出ているので腰背部が詰まっていません。
玉三郎の鷺娘の際の地面に着くかのような反りもそうですね。筋肉でなく背骨そのものの
しなりで反っています。
具体的な例としては下にリンクを貼った体操のコマネチの上から3番目の写真がそうです。
http://www1.linkclub.or.jp/~ttakeshi/romhtml/rom03.html

コレが(私の思う本当の)反るで作道先生の腰をあのようにそらした姿勢は不自然に
感じます。全身をレントゲン写真でもとって比べれば解かると思います。

作道先生は驚異的なくらい身体が丈夫なんだと思います。またその姿勢で
ご自身の剣道を確立されていますし、正面からには圧倒的に強い構えですよね。
私も作道先生の剣道は好きです。
ただ、剣道にはいいのだろうと思いますけど、身体には絶対良くないです。
あと背の低い人はあの構え無理です。固まって動けないから。
またあの姿勢は常にやり続ける(続けれられる)姿勢ではないですよね

まぁコレだけ書きたいこと書いていまさらですけど、私の考える姿勢が
必ず正しいなんて保証はどこにもありません(笑)
自分なりに凄く一生懸命やってますし、それなりの確信はありますけどね。
柳に風さんも自分のやり方があるわけですから、まあソンなもんか程度に
聞いておいてください。

>>何か丹田を意識した際とそうでない際と検証するような基準ってあります?
           中略
>ですから、駅までの10分と言うのは、ゆっくり形を勤めるのと同じぐらいの時間です。
なるほどそうですか、確かに丹田を意識したいなら骨盤を反らしたほうが仙骨も入るから
意識しやすいかも。私の場合は丹田とか言っても漠然としているし感じる能力もないので
とにかくバランスをとりながら真っ直ぐ立って歩く事だけですね。
カッコイイいい方をすると「軸を意識して」何て言うんでしょうけど、肝心の軸が
そもそもないものですから・・・

そう言えば最近やっと腸腰筋が伸びていない、と言うことに気がついていない
自分に気がつきましたよ(苦笑)腸腰筋が大切だとは知っていたんですけど
全然解からんですね・・・・だから丹田なんかまだまだ先の話ですよ。 

> あ、往復で20分です!! あと電車とかの中でもできるときはやってますが、冬の道場
>でさえ汗を結構かくので、暖房の効いた車内ではちょっと躊躇してしまいます。職場でも
>ちょっと…
・・・・それは無理ですよね(笑) 

>ですので、普段は呼吸はそれ程意識してませんが、姿勢は崩さずにやってまーす。
姿勢がきちんとできれば呼吸は自然に出来ますもんね。

>同士よ!?お互い頑張りましょう!!
ですねそれでは。
[2002/01/26 23:34:57]

お名前: 柳に風   
to 北海道の栄花ファンさん

子供向きの本は今わかりませんが、大人向きの本はいくつか出てます。それを参考に
してみるとか?

>体で覚えるのも良いんですが、理屈が解った方が理解しやすいのではないかと、また、
>素人の私がチェックしてあげやすいのです。

この際、お子さんと一緒に形だけでもその先生に習ってしまったら、いかがですか? 自分の
体と頭で覚えたものは、本を読んだだけより、人にも伝えやすいですよ。
[2002/01/25 15:36:45]

お名前: 北海道の栄花ファン   
今年、初めてのカキコです。Hideさん、皆さん、ヨロシク。
最近、小学生の子供が形の稽古に真剣に取り組んでいます。剣道形のビデオをもありますが、
とにかく、一生懸命見て覚え、悪いところは 直して貰うという練習です。
指導者も形の上手な先生で とても良いのですが、できれば 小学生でも解る形の理屈の本が
あったら 紹介してほしいのですが。
(例えば 1本目は どうゆう気持ちで打ち込んで、どうゆう気持ちで返すとか..)
体で覚えるのも良いんですが、理屈が解った方が理解しやすいのではないかと、また、素人の
私がチェックしてあげやすいのです。   それでは お願いします。
[2002/01/25 15:10:59]

お名前: 柳に風   
to スマイルさん、今晩は。
>これが私の正しいと思う「立ち方」とそのやり方です。もう一度書くと
>1、 足は腰幅平行にして膝を軽く曲げる
>2、 骨盤は前傾
>3、 上半身は骨盤の真上にのせる
>となります。身体全体が前傾した姿になります。

この最後の1行がちょっと違和感があるのです。私の立ち方(稽古時も含めて)では、
骨盤は前傾しますが、上半身は真っ直ぐになります。ちょうど大阪の作道先生の構え
のような感じです。
 
>何か丹田を意識した際とそうでない際と検証するような基準ってあります?

 私は少しだけ直心影流の法定を習っていまして、これはもっぱら呼吸法の訓練なの
ですが、丹田に気をためて、その力を絶対に抜かないで、細く長く息を吐くものです。
 これがちゃんとできると、冬でも30秒ぐらいで汗がにじんできます。このときの状態は、
下半身が実で、上半身が虚です。下腹部がぐーっと張り出してきます。(指で丹田の
辺りを押して、呼気とともにその指を押し出すというのがわかりやすい確認方法です。
体の移動で押してはいけません。)
 私も法定を始めてから、下っ腹が丸くなってきました。(ビールっぱらかも??)
 丹田にきちんと力がこもっているときは、自然に腰が入ってきます。私はこれで
はじめて、腰を入れる、ということの正しい状態がわかったように思います。
 でもこの状態を長時間持続するのはとてもきついのです。法定では4本の形を
7―11分くらいかけて勤めますが、一回やると少し休憩しないと2度目は無理です。
ですから、駅までの10分と言うのは、ゆっくり形を勤めるのと同じぐらいの時間です。
 
>後、10分は短すぎます。同士!!10分でもきちんとできるっていうことは
>24時間きちんとできるはずなので24時間しましょう(^o^)
>せめて起きている間はずーっとしないと。(^_-)〜☆

 あ、往復で20分です!! あと電車とかの中でもできるときはやってますが、冬の道場
でさえ汗を結構かくので、暖房の効いた車内ではちょっと躊躇してしまいます。職場でも
ちょっと…
 ですので、普段は呼吸はそれ程意識してませんが、姿勢は崩さずにやってまーす。

同士よ!?お互い頑張りましょう!!
[2002/01/25 00:11:23]

お名前: スマイル   
to Hide.さん
でもって結局Hide.さんの考える「いちに会流もしくは井上流」の立ち方って
どんなものなのですか?

to 柳に風  さん  
>うーん、何かおじいさんになったような気が…(失礼。)慣れの問題でしょうか?
実際に見ていないので何とも言えませんが、そんな感じになります。

身体の癒着がひどいほど前傾に傾きます。私も最初は大変でした(笑)慣れの問題ですね。
癒着が剥がれてくれば普通の姿勢になってきますし。この姿勢で身体の歪みや癒着を直すのが
いやなら一日3時間位は最低体操をしないと。そんな時間あります?

>>普通の人は剣道をする時間より日常生活を送る時間の方が圧倒的に多いです。
>これに関しては同感です。私がやっているのは歩く時や正座をする時に
>丹田と呼吸に気をつけることですね。そうすると、普段でも剣道の時でも
>正座しても同じ姿勢になります。

おぉ同士よ!!ヽ(^o^)ゝでも、呼吸はわかるけど丹田を意識するって
漠然としすぎじゃないですか?

何か丹田を意識した際とそうでない際と検証するような基準ってあります?

後、10分は短すぎます。同士!!10分でもきちんとできるっていうことは
24時間きちんとできるはずなので24時間しましょう(^o^)
せめて起きている間はずーっとしないと。(^_-)〜☆
[2002/01/24 18:59:41]

お名前: スマイル   
後、元々の話とずれてしまったので話を戻しますと、能のすり足や直心陰流の運歩は腰を
落として膝も結構曲げていますよね。あれだとバランスは拇指丘でも踵がつくのが自然です。
剣道型の腰の高さや膝の曲げ方で足を前後に踏めば左足の踵が少し浮く、もしくは浮き気味に
なるのが自然だと思います(^_^)

全体のバランスを無視して一部だけ直してしまうと、逆に全体のバランスをもっと崩すと
思います。常に身体全体との関係性を考えながらやらないと難しいと思います。

例えば、ゴルフにおいてグッリップ(手の内)はタイガーウッズ、アドレス(構え)は
ジャンボ尾崎。スタンス(足幅)は丸山茂樹。スイングは、デビッド・デュバルなんて
おかしな話ですよね(^_^)でも実際にゴルフではよくある話なんですよ。

そしてこれはゴルフだけの話だけではないです。

手の内・構え・足幅何にしてもそうならざる得ない必然というモノがあって、そうなる
わけですよね。「手の内が悪い」じゃあそこを直してハイお終い(^_^)
とは、あり得ない話だというのは皆さんもご承知のことだと思います。

またHide.さんの例を出して恐縮ですが以前「踵によりがちな重心に気をつける」
といったことを言われたのですが、Hide.さんの場合は、身体全体の関係を考えると
踵に行くのが当然でして、身体全体の関係性バランスを無視して拇指丘に重心を預けると
むしろもっと身体のバランスが崩れ身体も歪みます。剣道にも悪影響が行くかもしれません。

で、結局元に戻り「俺は踵よりが自然体なんだ」とか「スマイルのヤツ妙なこと吹き込んで」
「結局、貴方のいっていることが正しいかどうか分からない」となったりします(^_^)

そうならないためには、何か自分の身体に対して基準がないといけません。身体の世界では
「ボディ・マッピング」とかいったりして自分の身体を地図に置き換えてその中でにおける
今の自分の位置というの知って置くようにします。そうすればどこに向かっているのかも
分かりますし、道に迷わずにすみます。

それが私にとっては日常生活の「立ち方」だったりする訳です。まとまらない話でスミマセン<(_ _)>
[2002/01/24 18:19:30]

お名前: スマイル   
To 江口さん
返信遅くなりましたm(_ _)m

>ここ数年 歌舞伎は観にいっていませんがやっぱり、また観にいきたくなってしまいました。
ですね。今年は玉三郎、歌舞伎座での好演が多いそうで、見に行こうかなぁと思っています。
あと市川新之介が凄いですよ〜(^O^)

> 玉三郎の身体管理の厳しさは有名ですが、ああやって映されてしまうとという
               中略
>謎めいていてほしいという気持ちの両方を満たしてくれなくちゃいやなんですから。
TVに出していいと言うことは、玉三郎の中では出しても関係ない所なんだと思います。
もっと凄まじいものを沢山隠していると思いますよ(^_^)

あのような人は、我々凡人にとって常に神秘的で偉大でそれこそ永遠の秘密なんだと思います。
私たちは、その周辺を探ることはできても、その真実には近づけないのかも・・・・

それに体操だって公開していたけど、あれと一緒のは誰もできないですよ(笑)
玉三郎と伊藤先生お二人とも凄く若く見えますね。どちらも50代の人には見えないです。
二人だけ真っ直ぐ立っているから、他の人の曲がりがよく分かってしょうがなかったですね。

私も自分自身の体のがさつさに一人落ち込んでしまいました(/_;)

>>型を使って一度自分を不自由にして本当の自由を手に入れるのが玉三郎にとっての
>>型のようです。
>頭ではわかってるつもりなのですが、このへんのところがいつも、自分からすりぬけて
>いってしまいます。個性重視の世でもありますし。(←言い訳してる)そもそも型と
>いうのは、頭や言葉でとらえるものでなく身体でつかむものなのかもしれないとも思います。
ですね。でも個性的って言うけど本当に個性的な人って自分から「俺は個性的だ」なんて
言わないですよね(^_^)むしそうでない凡庸な人が背伸びしたり、虚勢を張って個性的で
あるかのように振る舞いますけど(^_^;)

私のとこは型があまりない、むしろ無い中から自分の形を作るやり方ですけど。厳格に
型を求めるというのはとても大変なことだと思います。私には無理です(-_-;)

最初の単調な砂を噛む様な練習に耐えられなです。練習の辛さじゃなくて、言葉や意味が
欲しくなってしまうから。また型の要求する動きが出来てきてもその本質が育つまでは
淡々とじっとしていなければいけないのだとか。

このような時に言葉にしたり他人に話したりアドバイスを求めたりすると絶対にモノに
ならないのだそうです。

また型の稽古の際はイメージを使ってはいけないですし。そういった意味では私の鳩尾から
足やHide.さんの肩胛骨から足なんてのも御法度です(-_-)
ネットへの書き込みとは相反する世界が私の知っている型の世界ですね。

> たとえば身体のどこの筋が 屈筋や伸筋に相当するのでしょうか?
上半身ですと肩胛骨周辺の小さな筋肉でソウボ筋や三角筋の下にある筋肉です。
インナーマッスルと呼ばれています。
下半身だと骨盤内部の腸腰筋や内転筋あとはハムストリングと呼ばれる所でしょうか。

to Hide.さん 我流さんの代わりに
>伸筋を中心とした運動って、どんなものがありますかねぇ?ヽ(^.^)
そんなの胴体力トレーニングに決まっているでしょ!!!(^_^メ)
他には初動負荷トレーニングとか手塚一志さんの新運動原理や
少し違うけどPNFストレッチFCEとかいうスキーの方が主にやっている
コンディショニングトレーニングですかね。

そういえば、初動負荷理論を提唱されている小山さんも骨盤の角度は前傾が良いと
言われていますね。

      我が意を得たり!!(^_^)v
           
           
           
と思ったけど、取り組む種目による違いはあっても表現をする身体そのものは
同じなのだから、基本的な部分が同じなのは当たり前の話なんですよね(^^)
[2002/01/24 17:41:21]

お名前: Hide.   
to 柳に風さん

>私のお馬鹿な突っ込みに付き合っていただいてありがとうございました。

アハハ、根が好きなもので(笑)


>これって腰の水平移動の訓練に良いかも!?稽古前に水をいっぱい飲ませておいて…

足さばきの悪い弧にはろシッコを我慢させる稽古法を取り入れることにいたしま
しょうヾ(・_・;)オイオイ


>足と言えば、私の亡くなった師匠の足さばきは見事でした。床の上を滑るがごと
>くで最小限の動きで相手を制していました。

いい先生にご指導をお受けになられたのですね。その先生の教えを無にしないよう
に、先生の足遣いをイメージしてお稽古して行ってくださいヽ(^.^)ノ


>うまいこと(?)左足に話題を戻したということで(別に戻さなくても良かった
>のかな?)、とりあえず引っ込みましょう。

お気遣い、ありがとうございましたヽ(^.^)ノ
[2002/01/22 15:03:09]

お名前: 柳に風   
to Hide.さん
私のお馬鹿な突っ込みに付き合っていただいてありがとうございました。
>やっぱ、すり足に近い歩み足ですねヽ(^.^)ノ
これって腰の水平移動の訓練に良いかも!?稽古前に水をいっぱい飲ませておいて…

足と言えば、私の亡くなった師匠の足さばきは見事でした。床の上を滑るがごとくで
最小限の動きで相手を制していました。私はなかなかできませんが。踏み込みも、
無理に強く踏む必要はないと言っていて、実際ほとんど音はしなかったですね。
左足のかかとはわずかに上がっていました。

うまいこと(?)左足に話題を戻したということで(別に戻さなくても良かったのかな?)、
とりあえず引っ込みましょう。
[2002/01/21 23:11:06]

お名前: Hide.   
to 柳に風さん

>私が特に意識するのは家から駅に行くまでの10分くらいです。丹田に気をため
>てできるだけ長く細く息を吐きながら歩きます。あと、電車で立っている時とかも。

なるほど。
私も電車を利用しているころは、車内では「剣道バランス」を意識して立ってまし
たね。できるだけ釣り革や手すりにつかまらないで、足裏で電車の揺れをとらえる
ことに集中してました。階段を上り下りするときもそうですね(^^)
車ばかり利用するようになって、あまり意識しなくなりましたねぇ・・・(^_^ メ)


>その時はすり足ですか?踏み込み足ですか?追い込みの応用でしょうか?

踏み込み足はまずいっしょ。衝撃は膀胱に刺激が強すぎます(笑) やっぱ、すり
足に近い歩み足ですねヽ(^.^)ノ


>で、先客がいたら体当たりで場外に出しちゃったりして!?(失礼!)

いやぁ、やっぱ衝撃はですねぇ(笑)
[2002/01/21 12:52:57]

お名前: 柳に風   
私が特に意識するのは家から駅に行くまでの10分くらいです。丹田に気をためて
できるだけ長く細く息を吐きながら歩きます。あと、電車で立っている時とかも。
その他の普通のときはそんなに気合入れて生活してませんよ。

to hide.さん
>私が日常生活で剣道のバランスにして歩くのは、オシッコを我慢していて急いで
>トイレに行くときぐらいですが・・・(^_^ メ)
その時はすり足ですか?踏み込み足ですか?追い込みの応用でしょうか?
で、先客がいたら体当たりで場外に出しちゃったりして!?(失礼!)
[2002/01/20 16:06:17]

お名前: Hide.   
to スマイルさん
>いえ、やはり失礼だったとおもいます。申し訳ありません。ですが書きたい事は
>バシバシ書きます。(笑)
オッケーで〜すヽ(^.^)ノ

>強そうに見える(見せる)のが正座の理ではないと思いますが・・それなら強座
>とでもした方がよいかとそれにあの人たちは武道家ではありません。
おっしゃる通りで(笑)
ですから、あの人達の正座の理を武道家にあてはめなくてもよろしいのでは?(^^)

>正座の練成試合と言うのがあったらどうなるのかなあと思います。
おお、なかなか面白そうですね。
今度、愚息がお世話になっている剣友会の月例試合で試してみることにいたしま
しょうヽ(^0^)ノ

>アト剣道経験者であるモノが言うのは、とても悲しいでのすが「どちらの正座を
>したい?」と聞かれたら迷わずに伝統芸能の方を選びます。
アハハ、それはスマイルさんの嗜好の問題ですからよろしいのではありませんか(^^)

>1、あばら骨と骨盤が癒着しているので二つを別々に動かせない
>2、骨盤と脚が癒着しているので二つを別々に動かせない
カラダ、硬いからなぁ、子どもの頃から・・・( -o-) フゥ

>よく履く靴の底でも見てみてはどうですか
>自分の歩きがどのようなモノかすぐにわかると思います。
かかとの外側と中指薬指の付け根の足底部分の摩耗が観られました。スマイルさん
のおっしゃる通りのようですね(^^)

>剣道では綿密かつ繊細に意識されているのに他はさっぱりというのはもったいな
>いと思うのですが、
剣道のときに自然にできているので、日常生活で意識する必要性を感じないからで
しょう(^^; だって、日常生活では、「素早くムリムダなく体さばきをする」なん
ていうことは必要ないですから(笑)
でもまぁ、意識が低いと言われればそれまでです(^_^ メ)

>せっかくマネる・お手本にされるのでしたら、もっと具体的に意味合いを考えて
>いけばさらにやり甲斐のあるモノになるかと思うのですが、いかがでしょうか?
いやぁ、渡辺先生自体が、がに股でかかとに体重の乗ったような、あんな歩き方を
されておられたんです(笑)

>骨盤は下にということでしょうか?
うーん、骨盤というよりも、内臓を落とし込む感じでしょうか。骨盤の位置そのも
のは下げません。

>でももう一方では剣道と普段の姿勢の違いに「同じ人なのか」と思いました。
アハハ、そんなに違いますかねぇ。同じ人間なんですが・・・(^^;
でも、渡辺先生も、日常は「剣道家」とは思えない無邪気でスキのあるおじいちゃ
んでした。私はそんな先生が大好きでしたよヽ(^0^)ノ


to 柳に風さん
>私がやっているのは歩く時や正座をする時に丹田と呼吸に気をつけることです
>ね。そうすると、普段でも剣道の時でも正座しても同じ姿勢になります。
うわぁ、感心ですねヽ(^.^)ノ

私が日常生活で剣道のバランスにして歩くのは、オシッコを我慢していて急いで
トイレに行くときぐらいですが・・・(^_^ メ)
[2002/01/20 11:26:09]

お名前: 柳に風   
to スマイルさん
今日は。スマイルさんの立ち方やってみましたが、うーん、何かおじいさ
んになったような気が…(失礼。)慣れの問題でしょうか?
>剣道では綿密かつ繊細に意識されているのに他はさっぱりというのは
>もったいないと思うのですが、普通の人は剣道をする時間より日常生活
>を送る時間の方が圧倒的に多いです。
これに関しては同感です。私がやっているのは歩く時や正座をする時に
丹田と呼吸に気をつけることですね。そうすると、普段でも剣道の時でも
正座しても同じ姿勢になります。
[2002/01/20 02:03:10]

お名前: スマイル   
to Hide.さん
>いえいえ、そういったご意見は大切です。遠慮なさらずに、バシバシ書き込ん
>じゃってください(^_-)〜☆
いえ、やはり失礼だったとおもいます。申し訳ありません。ですが書きたい事は
バシバシ書きます。(笑)

>たしかに、剣道家の座り方とは異なりますね。
>でも、日舞や歌舞伎の方を剣道場に座らせたら、本当に強そうに見えるでしょう
>か? 疑問が残りますが・・・
強そうに見える(見せる)のが正座の理ではないと思いますが・・それなら強座とでもした
方がよいかとそれにあの人たちは武道家ではありません。
剣道の練習で基本の打ちこみ等で判定する練成試合と言うのがあるそうですが、正座の練成試合
と言うのがあったらどうなるのかなあと思います。

アト剣道経験者であるモノが言うのは、とても悲しいでのすが「どちらの正座をしたい?」
と聞かれたら迷わずに伝統芸能の方を選びます。剣道がダメと言うのではありません。
ただ、それよりも伝統芸能の方がもっと素晴らしいと個人的に思います。

>姿勢を作ってみました((笑))が、私の理解の仕方が悪いのか、
>かなり前傾してしまうような気がいたします。
Hide.さんの場合はヒザも骨盤も深く前傾させないと(私にとっての)正しい姿勢を
作る事が出来ない体だからです。
私の言葉ではなく例の本の言葉を借りれば、「まるでゴルフのアドレスのような構え」に
なるはずです。(もっと角度が深いかも)その理由の主なのは    

1、あばら骨と骨盤が癒着しているので二つを別々に動かせない
2、骨盤と脚が癒着しているので二つを別々に動かせない

と言ったところでしょうか。

>この状態で、中段の構えを作るのは辛いですねぇ・・・(^^;
と言うか無理です。(^^; 
右足に多く体重をかければ何とかなるかもしれないですけど・・
正しい立ち方をしてきちんと歩く練習をして身体の癒着をきちんととってある程度、
身体の前傾がまっすぐになり、日常生活をキチンと「座り・立ち・歩き」が出来ないと・・

>>と言うのが、私から見たHide.さんの「立ち方」です。
>ちなみに、これは、剣道における立ち方ですか?
違います。剣道は下にお書きになっていような感じだと思います。日常生活の
「立ち方・歩き方」に関してです。

>でも、1から4はわかりませんが、5はちょっと違うかな。
>小指側には体重が乗っている自覚がありません。
自覚がないだけでは・・(^^)以前足のマッサージをしましたけど明かに小指側でしたよ。
正確には中指や薬指付近ですかね。
あのマッサージをしたときに少しガニ股が直りましたよね。直ったよいうより本来の
バランスに少しだけ戻っただけなんですよ。よく履く靴の底でも見てみてはどうですか
自分の歩きがどのようなモノかすぐにわかると思います。

>日常生活における「立ち方」というのをそれほど意識しておりません。
それは、どうしてですか?
別に私の考える「立ち方」とは違っても何でもいいですからHide.さんがお考えになる
「立ち」を是非してみて下さい。
剣道では綿密かつ繊細に意識されているのに他はさっぱりというのはもったいないと思う
のですが、普通の人は剣道をする時間より日常生活を送る時間の方が圧倒的に多いです。
その際のどれだけ身体を繊細且つ具体的に意識し実際に行えるかと言うのはとても大切だと
思います。そしてそれはきっと剣道にも確実に跳ね返ってくると思います。

>ただ、師匠の渡辺先生の立ち方や歩き方をマネしている節があります。ビデオでのしぐさが、
>なんとなく先生に似ていて(笑) 先生のことをこよなく敬愛しているもので(^^)
せっかくマネる・お手本にされるのでしたら、もっと具体的に意味合いを考えていけば
さらにやり甲斐のあるモノになるかと思うのですが、いかがでしょうか?

>剣道においてはバックバランスではなく「ダウンバランス」を意識しています。
「ダウンバランス」でしたか失礼しました。

>腰から下に重心を下げ、「釣り鐘」のようなイメージを作っています。
骨盤は下にということでしょうか?

>両足とも拇指丘にしっかりと乗り、左肩甲骨から下を脚とし、床のエネルギーを左肩甲骨でと
>らえるようにしています。
なるほど

>右足は床に接していながらも柔軟に移動できるように意識しています。
そうですよね。Hide.さんの剣道でとくに印象に残ったの攻め入ったとき右足拇指丘に
体重がのり骨盤も前傾されていて、綺麗だなぁと思いました。でももう一方では剣道と普段の
姿勢の違いに「同じ人なのか」と思いました。

>アハハ、あまり「立ち方」の話ではないですかね・・・(^_^ メ)
剣道ではなく日常の「立ち方」だったんですが・・・・(^^)
[2002/01/19 23:11:22]

お名前: Hide.   
to スマイルさん

>個人的な感想ですが、同じくらい意識を配ってほしいです。基本や竹刀を持って
>の稽古より運動量は遙かにないわけですから、姿勢や呼吸等、意識しやすいと思
>うのです。

ハイ、それほど高い意識ではありませんが、姿勢や呼吸には気を配ってますよ。気
の置き所をしっかりすると、座り方全体にどっしりとした落ち着きがでるように感
じられますヽ(^.^)ノ


>現場で頑張っておられる方々には不愉快な表現でした。
>大変申し訳ありませんでした。失礼しました。

いえいえ、そういったご意見は大切です。遠慮なさらずに、バシバシ書き込ん
じゃってください(^_-)〜☆


>能や日本舞踊、歌舞伎等の方の立ち姿や正座はもっと、らしく座っているように
>私の目には見えるのです。

たしかに、剣道家の座り方とは異なりますね。
でも、日舞や歌舞伎の方を剣道場に座らせたら、本当に強そうに見えるでしょう
か? 疑問が残りますが・・・


>私が正しいと思う「立ち方、正座」ですが最初の条件として骨盤は前傾している
>のが絶対です。(^^)
     (・・・後略・・・)

丁寧に記述していただきましてありがとうございます(^^)
一辺では理解できませんで、プリントアウトして読み返しながら姿勢を作ってみま
した((笑))が、私の理解の仕方が悪いのか、かなり前傾してしまうような気が
いたします。
この状態で、中段の構えを作るのは辛いですねぇ・・・(^^;


>Hide.さんの「立ち方」は
     (・・・中略・・・)
>と言うのが、私から見たHide.さんの「立ち方」です。

アハハ、何か散々だなぁ(笑)
ちなみに、これは、剣道における立ち方ですか?
でも、1から4はわかりませんが、5はちょっと違うかな。小指側には体重が乗っ
ている自覚がありません。


>Hide.さんの剣道の「立ち方」はイメージが出来るのですが(ただバックバランス
>は良くわからないです。スミマセン)日常生活における「立ち方」は余りわから
>ないです。

日常生活における「立ち方」というのをそれほど意識しておりません。ただ、師匠
の渡辺先生の立ち方や歩き方をマネしている節があります。ビデオでのしぐさが、
なんとなく先生に似ていて(笑) 先生のことをこよなく敬愛しているもので(^^)

剣道においてはバックバランスではなく「ダウンバランス」を意識しています。
腰から下に重心を下げ、「釣り鐘」のようなイメージを作っています。両足とも拇
指丘にしっかりと乗り、左肩甲骨から下を脚とし、床のエネルギーを左肩甲骨でと
らえるようにしています。右足は床に接していながらも柔軟に移動できるように意
識しています。


アハハ、あまり「立ち方」の話ではないですかね・・・(^_^ メ)
[2002/01/19 15:21:48]

お名前: 江口   
To スマイル  さん。

          いつか機会をいただければ、私の立ち方
          診断してください 。 <(_ _)>

      
To Hide.  さん。

>らじゃー、引き続き捜索を継続してくださいっヽ(^.^)ノ
                
                では・・・
                      でわ。 
                     感謝をこめてヽ(^0^)ノ
[2002/01/18 18:56:45]

お名前: スマイル   
to江口さん
レス返せないままですみません。
[2002/01/18 17:46:16]

お名前: スマイル   
to Hide.さん    
>我々は正座をうまくなるために剣道に取り組んでいるのではありませんから、
確かに、正座だったら礼儀作法の教室に通えばいいわけですからね。

>基本や竹刀を持ってのお稽古のように、正座に意識を配ることはないと思います。
個人的な感想ですが、同じくらい意識を配ってほしいです。基本や竹刀を持っての
稽古より運動量は遙かにないわけですから、姿勢や呼吸等、意識しやすいと思うのです。

>しかし、初心者と熟練者の正座の姿勢は明らかに異なりますよね。「うまくなろう」
>とは意識しないとしても「らしく座ろう」という意識が正座の形を作っていくのでは
>ないでしょうか(^^)
仰るとおりです。ただ私の場合「らしく座ろう」では全然「らしく」出来ないもの
ですから・・・(^^;)

>「たかが正座じゃないか」と考えて道場にお座りになっていらっしゃる指導者は少
>ないと思いますが・・・(^^;
>「座り方も、子供たちの範に」とお考えになっておられると思いますよ。
そうですね。言葉が過ぎました申し訳ありません。私も今は剣道をしていないで、
ただ見ているだけだから、勝手なことを評論家気取りで書いてしまいました。
現場で頑張っておられる方々には不愉快な表現でした。

大変申し訳ありませんでした。失礼しました。

ただレスを返してもらえなかったのですが、能や日本舞踊、歌舞伎等の方の
立ち姿や正座はもっと、らしく座っているように私の目には見えるのです。どちらが
本当に理にかなっているかは分かりませんが、明らかに違います。そしてそのような姿を
20代そこそこの若手の方が行っているのですです。この差は一体何なのだろうと思います。

>私は、スマイルさんのいうところの「正しい正座のしかた」「正しい立ち方」
>というのが理解出来ておりません。
>スマイルさんの言葉で「かくあるべき」というのをみなさんにもご教示いただ
>ければうれしく思いますm(_ _)m

私が正しいと思う「立ち方、正座」ですが最初の条件として骨盤は前傾しているのが絶対です。
どちらが前傾になるかというとハカマの着装と同じで身体の前面に向かって前下がりで
身体の後面に(お尻の側)向かって後上がりになっているのと同じです。

次に順番が前後しますが、骨盤の前傾を作るため、また維持するために足の外側を
腰幅にし足の内側を平行にして膝を軽く曲げ(骨盤の前傾を維持したまま)拇指丘に
体重が乗るようにます。

この際の注意としては、膝を曲げても割らない(ガニ股にならない)ようにします。
骨盤の前傾が出来ていれば大丈夫ですか、後傾していると腰が落ち込んでいると背中が
曲がりどうしても踵に体重が乗ってしまいます。
本来ある腰の位置より落ちているので当然膝が割れてガニ股になります。

そして上半身ですが、骨盤の前傾に平行するように上半身の位置を作ります。
土台となる骨盤が前傾しているので上半身も前傾するわけです。
土台となる骨盤の上にキチンと上半身が位置しているので無駄な力が抜け背筋が
自然と伸びます。また上半身の重さが骨盤に乗っているのでより骨盤が安定し、骨盤
の前傾もさらに維持し易くなります。

これが私の正しいと思う「立ち方」とそのやり方です。もう一度書くと
1、 足は腰幅平行にして膝を軽く曲げる
2、 骨盤は前傾
3、 上半身は骨盤の真上にのせる
となります。身体全体が前傾した姿になります。

正座の場合は骨盤より下を注意しなくてすむので下の通りになります
1,骨盤は前傾
2,上半身は骨盤の真上に乗せる

かなり言葉が多くなりましたが、私や一緒に練習している友達の間では「立ってない」
とか「股関節で捉えていない」と一言で意味が通じて非常にラクチンです。

あと前傾するのは絶対なのですが、前傾する角度やその際の姿勢は、人によってそれ
ぞれ違います。かなり深く骨盤を前傾させないとだめな人、逆に骨盤が平行に近い人と
様々です。膝を曲げるのにしても軽く曲げる人から、場合によっては、かなり深く
曲げなければいけない人とあるので、一概にこうしなさいと言うことは出来ません。

私が考える正しい立ち方の他に骨盤を地面と平行にした立ち方、骨盤を後傾した
立ち方と3つ試してみました。
骨盤を平行にした立ち方だと体重は拇指丘でなく内踝のしたになります。
骨盤を後傾させたのだと体重は踵になり膝が割れてガニ股になります。
骨盤を平行、後傾共に拇指丘に重心を預けにくい姿勢でした。

立つだけでしたら骨盤を平行にするのも悪くないと思うのですが。私が歩いたり
剣道や他の運動をする際は拇指丘に体重を預けるようにしているので骨盤を前傾
させて拇指丘に体重をのせるのが(私の中では)一番理にかなっています。

また、私の考える正しい立ち方で歩くと3つの立ち方の中で一番、足音がしませでした。
また水を入れたバケツを頭の上にのせて歩くと一番安定して歩けます。

>また、それが剣道に本当に役に立つものかどうかの判断もつきません。
ずいぶん長くなったので剣道に役に立つかどうかは、また後で書きます。
ただ日常の生活の中では大変役に立つと思います。あとHide.さんの考える
「立ち方」と、私の考える正しい「立ち方」とは確かに違うように思います。

Hide.さんの「立ち方」は
1,骨盤が後傾していてるので本来の腰の高さより落ち込んでいる。
2,腰が落ち込んでいるので背中が骨盤に引きずられて丸まっている。(背中が伸びない)
4、 本来の腰の高さにないため骨盤で体重が支えきれず膝にくる。さらにガニ股になる。
5、 上記の結果として踵に体重が乗りさらに(ガニ股だから)小指の側に体重が乗る。
と言うのが、私から見たHide.さんの「立ち方」です。

Hide.さんの剣道の「立ち方」はイメージが出来るのですが(ただバックバランスは良く
わからないです。スミマセン)日常生活における「立ち方」は余りわからないです。Hide
.さんの考える「立ち方」を教えていただけたらと思うのですが、よろしくお願いします。
[2002/01/18 17:43:08]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>探しております。きっと見つかると思っています。

らじゃー、引き続き捜索を継続してくださいっヽ(^.^)ノ
[2002/01/18 13:25:58]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。

>まず、三挙動・一挙動の空間打突や素振りなどでその感覚を見つけてみてください
>(^_-)〜☆
           探しております。きっと見つかると思っています。
[2002/01/17 22:04:44]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>稽古では まだ、そんなに簡単にわかるものじゃないということを
>かみしめてるだけです。
>自分のこれまでの考えを転換させるのは 思ったよりむつかしいようです。

そうですね。面をつけてのお稽古の中では、なかなか難しいかもしれません。
まず、三挙動・一挙動の空間打突や素振りなどでその感覚を見つけてみてください
(^_-)〜☆
[2002/01/17 13:35:22]

お名前: 江口   
To Hide. さん。

>とりあえず、ご自身
>の意識の中でも探ってみてください(^_-)〜☆

     稽古では まだ、そんなに簡単にわかるものじゃないということを
     かみしめてるだけです。
     自分のこれまでの考えを転換させるのは 思ったよりむつかしいようです。
[2002/01/17 00:58:40]

お名前: Hide.   
ちょっと多忙でして、レスが遅くなりもうしわけありませんでしたm(_ _)m


to スマイルさん
>言葉が多すぎてもいけないですし。○○のような感じと言った説明や
>イメージを使った説明も個人個人で感じ方が違うし、自分勝手な都合の良い
>イメージをしがちですし・・・
そうですねぇ。自分の身体感覚でしかものを述べられないのは、評論家でもないか
ぎりどの指導者も共通していることではないでしょうか(^^;

>剣道をやっている人で、正座も切り返しや基本の打ち込みの様に稽古として
>積み重ねて、体感するように取り組んでいるのでしょうか?
我々は正座をうまくなるために剣道に取り組んでいるのではありませんから、基本
や竹刀を持ってのお稽古のように、正座に意識を配ることはないと思います。
しかし、初心者と熟練者の正座の姿勢は明らかに異なりますよね。「うまくなろ
う」とは意識しないとしても「らしく座ろう」という意識が正座の形を作っていく
のではないでしょうか(^^)

>昨日と同じ正座を今日も明日もして、たかが正座じゃないかと思うことすらしな
>いのでは無いでしょうか?
「たかが正座じゃないか」と考えて道場にお座りになっていらっしゃる指導者は少
ないと思いますが・・・(^^;
「座り方も、子供たちの範に」とお考えになっておられると思いますよ。


>でも本当に形骸化ではないのでしょうか?
>凄く大げさに書きましたが、現在は違うかもしれないですが、そう遠くない
>将来本当にカタチだけになってしまうのではと思うのです。
ご心配&ご忠告真摯に受け止めたいと考えます(^^)
ただ、我々は、いや、少なくとも私は、スマイルさんのいうところの「正しい正座
のしかた」「正しいたち方」というのが理解できておりません。また、それが剣道
に本当に役に立つものかどうかの判断もつきません。なかなか本を読む時間もとれ
ませんので、スマイルさんの言葉で「かくあるべき」というのをみなさんにもご教
示いただければうれしく思いますm(_ _)m

>そのうち送ります(^_^)
いつもいつもスミマセン(^^;


to 江口さん
>はい。
>わかるようにします。
2月の電剣会のときには、そんなお話もできると思いますが、とりあえず、ご自身
の意識の中でも探ってみてください(^_-)〜☆
[2002/01/16 11:48:30]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。

> ズバリその言葉通りです(^^)
>打突時に左脇が抜けないように意識すること・・・つまり、左腋の下から腹筋に向
>かって走っている外腹斜筋を意識することだと考えております(^_-)〜☆
 
          はい。
          わかるようにします。
[2002/01/12 23:27:19]

お名前: スマイル   
to Hide.さん
>そうですね。身体運動を言葉にするのは難しいですからねぇ(^^;
言葉が多すぎてもいけないですし。○○のような感じと言った説明や
イメージを使った説明も個人個人で感じ方が違うし、自分勝手な都合の良い
イメージをしがちですし・・・

>お稽古の積み重ねによってそれらを体感していくのが芸道の学び方だったはずです。
剣道をやっている人で、正座も切り返しや基本の打ち込みの様に稽古として
積み重ねて、体感するように取り組んでいるのでしょうか?

試合に勝ちた、もっと上手くなりたいと切実に思うように正座をやった事ってありますか?
今日の稽古を反省するように正座のやり方が悪かったと反省した事ってありますか?

>指導者も奥義を極めた人はごくわずかで、ほとんどの人が修業半ばです。
自分の剣道が半ばであると思うように自分の正座の仕方も半ばであると思いながら
指導されているんですか?

玉三郎は毎日同じ化粧をしていては芸の上達なんてとうていあり得ないと言ってましたが
昨日と同じ正座を今日も明日もして、たかが正座じゃないかと思うことすらしないのでは
無いでしょうか?

からむようで申し訳ありません。でも本当に形骸化ではないのでしょうか?
凄く大げさに書きましたが、現在は違うかもしれないですが、そう遠くない
将来本当にカタチだけになってしまうのではと思うのです。

あぁ・・また辛気くさくなった(^_^)

>>でもお家の方に電話して録画しておきましょう。家宝になります(^^)
>残念ながら、不発でした(;_;)
そのうち送ります(^_^)
[2002/01/12 16:11:15]

お名前: Hide.   
to スマイルさん
>指導者、本人が出来ができていると言うのは割とあります。がきちんと教えられ
>ているかどうかは疑問に思います。
そうですね。身体運動を言葉にするのは難しいですからねぇ(^^;

>と一緒ではないかと思うのですが
芸道というのは「形から入って魂を込める」というやり方が一般的だと思います。
それが、合理的であるかどうかは不明ですが、お稽古の積み重ねによってそれらを
体感していくのが芸道の学び方だったはずです。
指導者も奥義を極めた人はごくわずかで、ほとんどの人が修業半ばです。それを
もって「形骸化」と断じてしまうのには抵抗がありますね(^^)

>でもお家の方に電話して録画しておきましょう。家宝になります(^^)
残念ながら、不発でした(;_;)


to 江口さん
>そもそも型というのは、頭や言葉でとらえるものでなく身体でつかむもの
>なのかもしれないとも思います。
私も江口さんのご意見に賛成ですね。結果的に分析してみたらそうなっていたとい
うことで、分析によって得られた結果を求めるやり方は「芸道」ではない気がして
なりません(^^)

>期待しちゃいます。(^_-)-☆
安念ながら、まだ、全部読んでませんので・・・(^^;

>“「左脇」を入れる”ということを
>教えていただけませんか?
ズバリその言葉通りです(^^)
打突時に左脇が抜けないように意識すること・・・つまり、左腋の下から腹筋に向
かって走っている外腹斜筋を意識することだと考えております(^_-)〜☆
[2002/01/12 13:37:07]

お名前: 江口   
To スマイル  さん。
 さっきテレビで、玉三郎 みました!
 ここ数年 歌舞伎は観にいっていませんが
 やっぱり、また観にいきたくなってしまいました。
 初めて「鷺娘」を観たときには あまりの美しさに
 涙ボロボロになったものでしたが、その映像もあって
 懐かしかったです。

   玉三郎の身体管理の厳しさは有名ですが、ああやって
  映されてしまうとうれしい反面、秘密にしたままで
  いて欲しかったなあ・・・ という気もします。
  観客というのは勝手なものですよね。みたくてしょうがない
  という気持ちと謎めいていてほしいという気持ちの両方を満たして
  くれなくちゃいやなんですから。

>逆に型を身につけずに自分勝手にやることを「形無し」といっていました。
>型の本質をつかめずにのままやるのは形骸化であるのはいうまでもありません。
>型を使って一度自分を不自由にして本当の自由を手に入れるのが玉三郎にとっての
>型のようです。
       頭ではわかってるつもりなのですが、このへんのところがいつも、自分から
       すりぬけていってしまいます。個性重視の世でもありますし。(←言い訳してる)
       そもそも型というのは、頭や言葉でとらえるものでなく身体でつかむもの
       なのかもしれないとも思います。

>屈筋は力を出すときに筋肉が縮みながら力を出すもので、すぐに疲れてしまう
>筋肉だそうです。

>それに対して伸筋は伸ばされながら力を出す筋肉で力感を伴わず力が出せ
>疲れにくく動きの質の効率が良いといわれています。またスムーズな動きで
>すから涼やかな表情のまま頑張れるようです。

        たとえば身体のどこの筋が 屈筋や伸筋に相当するのでしょうか?

 >本の内容をかいつまんで説明すると・・・・と思ったらHide.さんに
>上げたんだった(^_^;)ヽなのでHide.さんに聞いて見てください。
>きっと気に入ると思いますよ(^_^)v
                 期待しちゃいます。(^_-)-☆


To Hide.  さん。

>「左脇」を入れれば「左腰」も自動的に、かつ、ナチュラルに入ってきます(^^)
>「左脇」だけ入れて「左腰」を入れないっていう方が難しいと思いますよ(笑)
            “「左脇」を入れる”ということを
             教えていただけませんか?

>ま、若いうちにこうしたことが理解できていれば、もっと上手に異姓とお付き合い
>することができたはずなんですけどねぇ(笑)
              誰もが同じこと言ってますよ。(笑)
              

>でも、最近の中高生には、「語り」が効かなくなりましてね。私が教師をやめ
>た原因の一端も、そのあたりにあったりします( -o-) フゥ
              Hide.さんのおっしゃる「語り」って、私にはわかりませんけど
               若い時分に「語」ってくれるおとながいないなんて、おそろしい
              世の中だと思います。
 
>冷やさないことがいいようですね(^^)
                          心掛けてみます(^。=)


>別に食いついたりはしませんが(笑)
         おとなしくて安心。
[2002/01/12 00:35:44]

お名前: スマイル   
二重投稿してしまいました。ゴメンナサイ
[2002/01/11 14:03:35]

お名前: スマイル   
to Hide.さん、
>うーん、身体文化的側面から「正しい」かどうかは別にして、習い覚えた「形(か
>たち)」を教えることは可能ですし、実際ほとんどの指導者はそうやって指導して
>いるはずです(^^)
指導者、本人が出来ができていると言うのは割とあります。がきちんと教えられている
かどうかは疑問に思います。

それこそ玉三郎の言う所の形だけの形骸化なのではないですか?はくどーさんと
Hide.さんが書き込まれていた
>>しかし、何歩歩くとか、どちらの足から下がるとか、「剣道形」の所作事につい
>>ては、微に入り細に渡って教えてくれる先生方は多いのに、それぞれの形が表現
>>しようとしている「目的」の部分について、詳しく教えてくださる先生がほとん
>>どいらっしゃらないのは、どうしてなんでしょうか。
>「目的」はおろか、「術」としての理合すら教えていただけないのが現状なんじゃ
>ないですか・・・( -o-) フゥ

と一緒ではないかと思うのですが・・・能や狂言、日本舞踊といった方たちの正座している
写真と比べると明らかに違うように思います。

>うわぁ、今日は新年会で、9時までに帰れるってことはなさそうだなぁ。うーん、
>見逃してしまうことになりそうです(;_;)
なーーーーーーー!!(^_^メ)連絡が遅れたーーーーゴメンナサイ
でもお家の方に電話して録画しておきましょう。家宝になります(^^)
[2002/01/11 14:01:49]

お名前: スマイル   
to Hide.さん、
>うーん、身体文化的側面から「正しい」かどうかは別にして、習い覚えた「形(か
>たち)」を教えることは可能ですし、実際ほとんどの指導者はそうやって指導して
>いるはずです(^^)
指導者、本人が出来ができていると言うのは割とあります。がきちんと教えられている
かどうかは疑問に思います。

それこそ玉三郎の言う所の形だけの形骸化なのではないですか?はくどーさんと
Hide.さんが書き込まれていた
>>しかし、何歩歩くとか、どちらの足から下がるとか、「剣道形」の所作事につい
>>ては、微に入り細に渡って教えてくれる先生方は多いのに、それぞれの形が表現
>>しようとしている「目的」の部分について、詳しく教えてくださる先生がほとん
>>どいらっしゃらないのは、どうしてなんでしょうか。
>「目的」はおろか、「術」としての理合すら教えていただけないのが現状なんじゃ
>ないですか・・・( -o-) フゥ

と一緒ではないかと思うのですが・・・能や狂言、日本舞踊といった方たちの正座している
写真と比べると明らかに違うように思います。

>うわぁ、今日は新年会で、9時までに帰れるってことはなさそうだなぁ。うーん、
>見逃してしまうことになりそうです(;_;)
なーーーーーーー!!(^_^メ)連絡が遅れたーーーーゴメンナサイ
でもお家の方に電話して録画しておきましょう。家宝になります(^^)
[2002/01/11 14:01:39]

お名前: Hide.   
to 江口さん
>そうですね。耳の痛い話です。が、人間の成長過程としてしかたがないことだ
>とも思います。 
おっしゃる通りです。
ま、若いうちにこうしたことが理解できていれば、もっと上手に異姓とお付き合い
することができたはずなんですけどねぇ(笑)

>ただ、心理と生理の
>バランスがあやうくなってしまう若い頃に どういうものを吸収させて
>もらえたかかということは そのひとの人生を左右するくらい大切なことだと
>思います。
>先生にとっても ウデの見せ所ではありません?
そうですね。教師やってて何が楽しいっていっても、そうした部分に他なりませ
ん。でも、最近の中高生には、「語り」が効かなくなりましてね。私が教師をやめ
た原因の一端も、そのあたりにあったりします( -o-) フゥ

>>私もふくらはぎのこむら返りが恐怖です。
>予防法ってないのでしょうか?
冷やさないことがいいようですね(^^)

>>子持ちシシャモのような筋肉なので、
>              ↑
>              このほうが コワイですよ。
別に食いついたりはしませんが(笑)

>えぇーーっ?!
>“「左脇」を入れる”とは?
>「左腰」はどうなるんですか?まだ 自分は
>分かってないです。カナシイ。
「左脇」を入れれば「左腰」も自動的に、かつ、ナチュラルに入ってきます(^^)
「左脇」だけ入れて「左腰」を入れないっていう方が難しいと思いますよ(笑)


to スマイルさん
>剣道が日本の伝統文化であるなら剣道の技術しか教えることが出来ないと言うの
>はあまりにも寂しすぎると思うのです。
うーん、身体文化的側面から「正しい」かどうかは別にして、習い覚えた「形(か
たち)」を教えることは可能ですし、実際ほとんどの指導者はそうやって指導して
いるはずです(^^)
私とて出来てはおりませんが、私の目から観ても「違うぞ、この人」というような
指導者は少なからず存在するわけですけれども・・・(^^;

>>もう一度「スーパーボディを読む」を見直してみることにいたしましょう(^^)
>読んでもらえましたか?(^^)
残念ながら(^^;
年明けで業務もけっこう忙しいものですから・・・。

>きちんと出来れば伸筋・屈筋どちらにも良いですよー! (^_^)v
それはよかった。
子供たちにもちゃんとした蹲踞を教えていってあげなければいけませんね(^^)

>本の内容をかいつまんで説明すると・・・・と思ったらHide.さんに
>上げたんだった(^_^;)ヽなのでHide.さんに聞いて見てください。
>きっと気に入ると思いますよ(^_^)v
まで全部読めてません。前の方、4分の1くらいかな。
でも、なかなか面白いというか興味深い本であることは間違いありません。「身体
感覚の技化」という言い回しは、この本から勉強させていただいてますしヽ(^.^)ノ

>型を使って一度自分を不自由にして本当の自由を手に入れるのが玉三郎にとって
>の型のようです。
うわぁ、今日は新年会で、9時までに帰れるってことはなさそうだなぁ。うーん、
見逃してしまうことになりそうです(;_;)


to 我流さん
>スマイルさんの伸筋のほうが疲れないお話と合わせて考えると、
>伸筋運動というのは女性の(男性も)ダイエットにとてもいいんですよ!!
なーるほど。
伸筋を中心とした運動って、どんなものがありますかねぇ?ヽ(^.^)ノ
[2002/01/11 12:13:51]

お名前: 江口   
To スマイル  さん。

>明日は絶対に玉三郎を見てくださいということです。
     
       ・・・ということは今日ですね。楽しみです。
[2002/01/11 12:05:36]

お名前: 我流   
to スマイルさん

私がついそのままにしてしまった「伸筋・屈筋」のお話し、いろいろとご説明ありがとう
ございます。
まさに、その通りです。
あとひとつ興味がもてそうなことを補足するとすれば、
屈筋は使えば使うほど太くなりますが、伸筋はあまりならない。
その逆に屈筋は使わなければすぐになくなるし、脂肪にかわる。
伸筋と屈筋が同じ運動をした場合、仕事量(消費カロリー)は同じ。
スマイルさんの伸筋のほうが疲れないお話と合わせて考えると、
伸筋運動というのは女性の(男性も)ダイエットにとてもいいんですよ!!
[2002/01/11 09:55:21]

お名前: kenshi   
すみません、おじゃまして。
知らないうちに、こんなに素晴らしい話題が進んでいたんですね。
とっても勉強になります。私など、出る幕はないのですが、是非、まだまだ、この
話題の続きを読みたいと思っております。江口さんをはじめ、素晴らしいみなさんの
書き込みが、まだまだ続きますように。きっと、多くの方がこのトピを見つけて、
うーーん、とうなっていると思います。みなさん、ありがとうございます。
[2002/01/11 07:36:21]

お名前: スマイル   
そう言えば明日金曜日は
テレビ東京で21時〜22時に「たけしの誰でもピカソ」1時間特番で歌舞伎の
坂東玉三郎を取り上げるそうです。
「スーパーボディを読む」の著者である伊藤昇先生と体操するコーナーもあるようです。

しかし何といっても玉三郎ですよ!!歌舞伎座の一等席で見たら15750円でもしちゃう
のが、タダですぜダンナ!!
剣道が伝統文化であるなら同じ伝統文化のトップの方が出演されるわけですから参考に
ならないわけがありません。こちらの方は能やそう言ったものがお好きのようですから
是非見てくださいね。

玉三郎が型というのを説明していたのを聞いたことがあります。例えば左手を胸の高さに
おいて悲しみを表現する型があったら、絶対に左手で胸の高さで在るべきところに絶対に
無ければならないのだそうです。

(利き手でやりやすそうな右手では)駄目で高さも顎の前でもおなかの位置ででも駄目
で絶対の位置があるのだとか、ですから型って窮屈なものなのですが型をきちんと身に
つけるとその手は右手でもよく顎の前でもどこに置いても関係なく両手を下げたままで
も悲しみを表現できるのだとか、それを彼は「型破り」と表現していました。

逆に型を身につけずに自分勝手にやることを「形無し」といっていました。
型の本質をつかめずにのままやるのは形骸化であるのはいうまでもありません。
型を使って一度自分を不自由にして本当の自由を手に入れるのが玉三郎にとっての
型のようです。

まとまりの無い文章ですが、要するに明日は絶対に玉三郎を見てくださいということです。
それでは(^^)/~~~
[2002/01/10 20:49:55]

お名前: スマイル   
To 江口  さん。
>伸筋と屈筋のこと、わたしはまだよく理解できていないのですが
>大切なことのような気がします。
屈筋は力を出すときに筋肉が縮みながら力を出すもので、すぐに疲れてしまう
筋肉だそうです。いかにも頑張ったという感じがするので満足感は得られますが
効率の悪い動きで力みや居着きつながるようです。ドタバタした見苦しい動きで
顔も自然と険しいこわばった表情になりやすいみたいです。

それに対して伸筋は伸ばされながら力を出す筋肉で力感を伴わず力が出せ
疲れにくく動きの質の効率が良いといわれています。またスムーズな動きで
すから涼やかな表情のまま頑張れるようです。

うろ覚えなので詳しい方は訂正しておいてください<(_ _)>

>日本的な身体論(?)のお話なのでしょうか?
あぁまたやぶ蛇だ。こっちとは結びつけて考えてなかった・・・(-_-;)
一般的に日本人は屈筋を使う民族だといわれていますが、昔の人の写真を
見てみますと違うような感じがします。今より遙かに身体を使わなければいけない
生活環境だったわけですから屈筋ばかりじゃ疲れちゃって大変です(^_^)

私の印象なので、これもまたきちんとわかる方は訂正しておいてください<(_ _)>

面白い本を紹介しておきます。かつての日本を知る参考になるかと思います。
「身体感覚を取り戻すー腰・ハラ文化の再生」(NHKブックス)斉藤 孝 著
という本です。新書のサイズで950円くらいだったと思います。

本の内容をかいつまんで説明すると・・・・と思ったらHide.さんに
上げたんだった(^_^;)ヽなのでHide.さんに聞いて見てください。
きっと気に入ると思いますよ(^_^)v
[2002/01/10 20:17:24]

お名前: スマイル   
to スマイルさん
>なるほど、剣道形を身体文化的にとらえようというご発想ですか? 興味深い(^^)
>ぜひ、そうした切り口でカキコをお願いしたいものですヽ(^.^)ノ

あぁ..やぶ蛇だった。う〜ん例えば剣道形とは直接関係ないのですが、正座って
ありますよね。今、剣道を指導されている方で、正しい正座が一体どのようなものか
きちんと教えられる人ってとても少ないと思うんです。
「きちんと座る」とか「背すじを伸ばす」と言ったことが具体的に分かって教えられる方って
どのくらいいるのでしょうか?

ほかにも自然体で立つなんて言うけど、一体何が本当の自然体でどのようにすれば
出来るのか教えられないんじゃないでしょうか?最近はそんなこと言う人もいなく
なりましたし。

どうしたら面が上手く打てるのか、抜き胴の上手な打ち方は、どうしたら試合に
勝てるのかと言った剣道の技術を教えられる方は沢山いると思います。それだって
難しくて大変な事です。が、それだけで良いのかなぁと思います。

剣道が日本の伝統文化であるなら剣道の技術しか教えることが出来ないと言うのは
あまりにも寂しすぎると思うのです。

あぁ辛気くさくなった(^_^;)もっと明るくいかないとスマイルって名前なんだし(^_^)

>もう一度「スーパーボディを読む」を見直してみることにいたしましょう(^^)
読んでもらえましたか?(^^)

>和式便器が減って洋式ばかりになったことが指摘されてますね(^^;
>そういった店では、剣道の蹲踞というのはのためにはいい動きなんじゃないですか?(^^)
きちんと出来れば伸筋・屈筋どちらにも良いですよー! (^_^)v
[2002/01/10 19:30:09]

お名前: 江口   
To Hide. さん。
>若いうちの恋愛は、とかくお互いを見つめあいすぎて周りが見えなくなることが多
>い。そうすると、けっこう剣道の足を引っ張っちゃうことも少なくありません。
         そうですね。耳の痛い話です。が、人間の成長過程としてしかたがないことだ
         とも思います。 
>「恋の仕方」
           というのこそ、手探り状態の段階ですからねぇ・・・ただ、心理と生理の
            バランスがあやうくなってしまう若い頃に どういうものを吸収させて
            もらえたかかということは そのひとの人生を左右するくらい大切なことだと
            思います。
            先生にとっても ウデの見せ所ではありませんかー?
           
>とくに女の子は、男性に引きづられやすいので、女子校の教師だった私はずいぶん
>気を使いましたっけ(笑)
             女の子に引きづられちゃった とか・・・(冗談)


>私もふくらはぎのこむら返りが恐怖です。
               予防法ってないのでしょうか?

>子持ちシシャモのような筋肉なので、
              ↑
              このほうが コワイですよ。

>「左腰」ではなく「左脇」を入れることを意識してみてください。
>そうすると、足が長くつかえることに気づかれるはずです(^^)
>「左足の向き」にもね(^_-)〜☆
                  えぇーーっ?!
                  “「左脇」を入れる”とは?
                    「左腰」はどうなるんですか?まだ 自分は
                    分かってないです。カナシイ。
[2002/01/10 14:22:18]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>ありゃー。そーだったんですか・・・
>やっぱり 恋は 剣道も豊かにするんだわ! なーんて、ひとりで
>ニヤニヤしてたんですが。

それは「恋の仕方」にもよるんじゃないですか(^^)

若いうちの恋愛は、とかくお互いを見つめあいすぎて周りが見えなくなることが多
い。そうすると、けっこう剣道の足を引っ張っちゃうことも少なくありません。

とくに女の子は、男性に引きづられやすいので、女子校の教師だった私はずいぶん
気を使いましたっけ(笑)


>そのせいではないと思いますが、きょうの稽古で
>左足のふくらはぎからかかとにかけての肉が
>つりそうになりました。(コワかった・・・)

うわぁ、それはたいへんです。
私もふくらはぎのこむら返りが恐怖です。なにしろ、もし起きてしまうと自分の力
では直せません。子持ちシシャモのような筋肉なので、数人がかりで押さえつけな
いと膝が伸ばせませんで・・・(^^;コエー


>というお考えは特に、新鮮でした。日々の自分の稽古のなかで
>確かめてみたいものです。(楽しみ)

そうですね、「左腰」ではなく「左脇」を入れることを意識してみてください。
そうすると、足が長くつかえることに気づかれるはずです(^^)
「左足の向き」にもね(^_-)〜☆
[2002/01/10 11:47:30]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。
>いいことって言われましても、すでに、このサイトではオープンにしていることで
>すから(^_^ メ)

          ありゃー。そーだったんですか・・・
           やっぱり 恋は 剣道も豊かにするんだわ! なーんて、ひとりで
          ニヤニヤしてたんですが。

>「カラダに悪い」は言い過ぎかもしれませんね(笑)
           そうですね。言い過ぎでした。
            そのせいではないと思いますが、きょうの稽古で
           左足のふくらはぎからかかとにかけての肉が
           つりそうになりました。(コワかった・・・)


      左足かかとのこと、いろいろ考えさせていただけて
      良かったと思っております。また、                
>「肩甲骨から下を脚」
       というお考えは特に、新鮮でした。日々の自分の稽古のなかで
      確かめてみたいものです。(楽しみ)
[2002/01/09 23:39:34]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>左右の足が平行って、 ホントはからだに悪いんじゃない っていったら
>言いすぎデスカ? 

うーん、だからといって、ケガをするとか内臓に影響が出るとかいうことはなさそ
うなので、「カラダに悪い」は言い過ぎかもしれませんね(笑)


>あ、だからくわしかったんですねー。
>いいこと聞いちゃったー!(笑)!

いいことって言われましても、すでに、このサイトではオープンにしていることで
すから(^_^ メ)
[2002/01/09 14:34:54]

お名前: 江口   
To Hide. さん。
>そうでしょ? なんか、不自然なんですよ・・・(^^;
     そう感じてる人ってたくさんいますよねー。きっと。

>うーん、骨盤と大腿骨頭の角度からいきますと、足先は互いにやや外向きになって
>いるのではと考えられます。あ、男性と女性とでは若干異なるのですが(^^)
        左右の足が平行って、 ホントはからだに悪いんじゃない っていったら
        言いすぎデスカ? 

>大学時代に付き合っていた彼女がクラシックバレエのダンサーだったもので、つい
>ついそんなところからヒントを・・・(笑)
        あ、だからくわしかったんですねー。
          いいこと聞いちゃったー!(笑)!
[2002/01/09 00:39:33]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>私も左右平行の方が不自然だと思うことがあります。

そうでしょ? なんか、不自然なんですよ・・・(^^;


>いちばん野生の状態の足って どんなふうになってるんでしょうか?
>なんか、知っておきたい気がします。

うーん、骨盤と大腿骨頭の角度からいきますと、足先は互いにやや外向きになって
いるのではと考えられます。あ、男性と女性とでは若干異なるのですが(^^)


>なるほど、私にも いつかは わかる気がします。
>心懸けて、バレエをみてみます。

大学時代に付き合っていた彼女がクラシックバレエのダンサーだったもので、つい
ついそんなところからヒントを・・・(笑)
[2002/01/08 15:15:47]

お名前: 江口   
To  Hide.  さん。

>私などは、左右の足先を平行にしようと試みると、左腰に不自然な緊張が走り違和
>感を覚えますが・・・(^^;

       私も左右平行の方が不自然だと思うことがあります。
       いちばん野生の状態の足って どんなふうになってるんでしょうか?
       なんか、知っておきたい気がします。
>かの世界では、「背中から脚に使う」という表現が一般的です。具体的には「肩甲
>骨から下を脚」として使うわけですが、これが剣道にも応用できると私は考えてい
>るわけです(^^)
       なるほど、私にも いつかは わかる気がします。
       心懸けて、バレエをみてみます。
[2002/01/08 00:37:06]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>もう少しおうかがいしたいのですが・・・
>左右の足の向きは平行であるべきだ
>ということの理由(有利な点とか)は、
>剣道界の通説
>ではどのようになっているのでしょうか?

 1.前後左右に動きやすい(とくに、前方向に飛びだしやすい)
 2.左腰が入りやすい(左足が流れにくい)
というのが主な理由のようです。
私などは、左右の足先を平行にしようと試みると、左腰に不自然な緊張が走り違和
感を覚えますが・・・(^^;


>「身体論」として、なのでしょうか?
>よく知らなくてすみません。もっと
>ご説明いただけると助かります。

うーん、私も解剖学的に検証したわけではありませんが、一つの実証例がクラシッ
クバレエのアンデォールです。上半身の話は割愛しますが、クラシックバレエでは
アンデォールといって、脚を外向きにすることが大切とされています。脚を後方に
あげるあまりに有名なアラベスクというポーズも、このアンデォールが出来てこそ
可能なんです。脚を外向きにすることにより、骨盤と大腿骨頭の角度が一致し、無
理なくキレイで長いラインが出せるんですヽ(^.^)ノ
かの世界では、「背中から脚に使う」という表現が一般的です。具体的には「肩甲
骨から下を脚」として使うわけですが、これが剣道にも応用できると私は考えてい
るわけです(^^)

と申しますのも、私は男性の中では身長が低いほうでして、それで、長身の選手と
闘うには、カラダを十二分に伸ばして使う必要性に迫られていました。左右の脚を
平行にしてしまうとお尻から下、いや、もう少し譲っても腰から下しか「脚」とし
て使えません。これでは到底、お相手に届かない(;_;) 左脇さえ逃げなければ左
拳(左腕)の位置は安定しますので、なにも「腰を入れなくいてもいいじゃない
か」と考えたわけです(笑)

また、足底部でもっとも大きな力を発揮するのは親指の付け根の拇指丘部分です。
そこと人さし指付け根の足底部分に力を集めるには、「平行でないほうが都合がい
い」ってわけです(^^)

こんなところが私の持論なのですが・・・。
[2002/01/07 10:13:14]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。


>剣道界の通説では、「左足が右足と平行になっていないものすべて」と考えら
>れているような気がしますが・・・。

    もう少しおうかがいしたいのですが・・・
    左右の足の向きは平行であるべきだ
    ということの理由(有利な点とか)は、
>剣道界の通説
      ではどのようになっているのでしょうか?


>実は、私は「撞木足肯定派」なんです。その方が、
> 1.左足が床を長くとらえられる
> 2.右自然体の場合、左右の足を平行にすることの方が不自然

         「身体論」として、なのでしょうか?
            よく知らなくてすみません。もっと
          ご説明いただけると助かります。
[2002/01/06 00:23:08]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。


>剣道界の通説では、「左足が右足と平行になっていないものすべて」と考えら
>れているような気がしますが・・・。

    もう少しおうかがいしたいのですが・・・
    左右の足の向きは平行であるべきだ
    ということの理由(有利な点とか)は、
>剣道界の通説
      ではどのようになっているのでしょうか?


>実は、私は「撞木足肯定派」なんです。その方が、
> 1.左足が床を長くとらえられる
> 2.右自然体の場合、左右の足を平行にすることの方が不自然

         「身体論」として、なのでしょうか?
            よく知らなくてすみません。もっと
          ご説明いただけると助かります。
[2002/01/06 00:22:38]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>わたしは、撞木足って本来どういうものなのか
>わかりませんし、
>状況によっては、悪いとも思えないんです。
>・・・スミマセン、ずっと考え中なもので。

どこまでのものを「撞木」というのか、その基準が明確ではありませんね。たぶ
ん、剣道界の通説では、「左足が右足と平行になっていないものすべて」と考えら
れているような気がしますが・・・。

実は、私は「撞木足肯定派」なんです。その方が、
 1.左足が床を長くとらえられる
 2.右自然体の場合、左右の足を平行にすることの方が不自然
なんて考えているものでして(^^) あ、このトピとはあまり関係ないですね(^^;


>形稽古、活かすも活かせないも
>やり方次第なのかもしれないと思います。

おっしゃる通りと考えますヽ(^.^)ノ
[2002/01/05 13:50:09]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。

>ちょっと撞木足ですけど(笑)
       わたしは、撞木足って本来どういうものなのか
       わかりませんし、
       状況によっては、悪いとも思えないんです。
       ・・・スミマセン、ずっと考え中なもので。
         
>それゆえの形稽古であり、日本刀の勉強なのではないでしょうか(^^)
 
           形稽古、活かすも活かせないも
           やり方次第なのかもしれないと思います。
            ↑
          (少しづつ、わかりかけているところ)
[2002/01/05 12:07:16]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。

>ちょっと撞木足ですけど(笑)
       わたしは、撞木足って本来どういうものなのか
       わかりませんし、
       状況によっては、悪いとも思えないんです。
       ・・・スミマセン、ずっと考え中なもので。
         
>それゆえの形稽古であり、日本刀の勉強なのではないでしょうか(^^)
 
           形稽古、活かすも活かせないも
           やり方次第なのかもしれないと思います。
            ↑
          (少しづつ、わかりかけているところ)
[2002/01/05 12:05:56]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>・・・ひだり足も地面についてますか?(冗談)

踵が床についているかどうかは別として、私は自分の左足はしっかりと床をとらえ
ていると思ってます。ちょっと撞木足ですけど(笑)


>んー。哲学的でむつかしいですけど
>わかるような気がします。よくよく考えていきたいです。  

なーんて、書いてる自分もほんとうにわかっているのかと問われれば、はなはだ疑
問ですがね(^^;


>刃筋に対する意識も高まると思います。
>刃筋が正しくなければ切れないのは勿論のこと、
>折れるし、曲がってしまいますから、
>道具としても“活き”ません。

おっしゃる通りですね。
丸い竹刀でどうやって刃筋や鎬の意識を作るかっていうのは非常に難しいことだと
思います。それゆえの形稽古であり、日本刀の勉強なのではないでしょうか(^^)
[2002/01/04 16:46:54]

お名前: 江口   
To スマイル  さん。
  はじめまして。江口と申します。
  よろしくおねがいします。

  伸筋と屈筋のこと、わたしはまだ
  よく理解できていないのですが
  大切なことのような気がします。
  日本的な身体論(?)のお話
   なのでしょうか?
  

To IZAYOHI  さん。

>昨年TVでみたモンゴルの伝統文化そのもので生きている
>人たちは眞の人間の生活をしていてうらやましかったですね。)
       その番組、私も見てみたかったと思います。

>  もはやわれわれは「伝統日本」人ではありえません。
>ということを前提に生きていかなければならないのです。
 
       いつの世も
       やっぱり、前の(時間的に)文化を破壊しながら
       新しい文化を生みだす、ということを繰り返して
       きたのではないかと考えれば、
       IZAYOHIさんのおっしゃることもまた あたりまえの
       ことであるように思えます。(肉体も精神も文化も
       社会機構によって、ほぼ決定づけられるものではないかと
       思いますし・・・)なあんて、根のない浮き草のわたしはまた
       憂き(浮き)世のそら言ならべてるみたいですけど。
         あ!そうそう、わたしは鋭くはないですよ。 

To Hide. さん。

>そうですか。私なんかしっかりとした根を感じます。剣道のおかげで、私は足が地
>面に着いている自分を感じることができますよヽ(^.^)ノ あ、もちろん自己満足か
>もしれませんが・・・(笑)
      (^.^)私もそうありたい!と
        思ってはおります。
        ・・・ひだり足も地面についてますか?(冗談)

>刀はもはや斬る道具ではなくなったっていう意味です。刀でもの(人)を斬るとい
>う文化は、もう、過去のものと考えていいのではないかということです(^^)
>我々は剣道の世界でも「活人剣」として「如何に生きるか」という哲学を模索して
>いるわけです。刀は物理的な意味での物体を斬るのではなく、我々の「非心」をこ
>そ斬るものと考えます。
>そういった視点から、刀の取り扱い方を学ぶことが、剣道に必要な「文化の薫り」
>に彩りを添えてくれる大いなる予感がするわけですヽ(^.^)ノ
         んー。哲学的でむつかしいですけど
         わかるような気がします。よくよく考えていきたいです。  

>ムダ打ちは圧倒的に減るはずですが(^^)
        刃筋に対する意識も高まると思います。
        刃筋が正しくなければ切れないのは勿論のこと、
        折れるし、曲がってしまいますから、
        道具としても“活き”ません。
       (昨年、合宿で先生方が 試し斬りなさった時、
        日本刀が曲がるのを目にして、あらためて知りました)
          そしてまた 「文化」だけでなく、身体的なことについても、
        もっとよく考えさせてくれるのではないかと思います。
[2002/01/04 00:57:07]

お名前: Hide.   
「剣道形のとき左足は?」トピにお集まりのみな様、あけましておめでとうござい
ます!


to スマイルさん
>精神文化より具体的ですし礼儀作法なんて精神を身体で表現している訳ですよ
>ね。特に日本の場合は、昔から心身一如と言われてきた訳ですから両方からのア
>プローチが必要だと思います。
なるほど、剣道形を身体文化的にとらえようというご発想ですか? 興味深い(^^)
ぜひ、そうした切り口でカキコをお願いしたいものですヽ(^.^)ノ

>伸筋の話で腕とは違いますが、この前の足のマッサージだっ伸筋を使えるように
>するためのマッサージなんですよ(^^)
あのマッサージは効きましたね(^O^)
そうですか、伸筋に効果があるマッサージでしたか。どうも、カラダの出がいつも
以上に滑らかになったはずです。もう一度「スーパーボディを読む」を見直してみ
ることにいたしましょう(^^)

>でも最近の子は、屈筋を使った力む、踏ん張ることすらできない子がとっても多
>いんです。
和式便器が減って洋式ばかりになったことが指摘されてますね(^^;
そういった店では、剣道の蹲踞というのは屈筋のためにはいい動きなんじゃないで
すか?(^^)


to 江口さん
>ただ、わたしの場合、なんだか自分たちが「根無し草」で
>あるような気がして・・・うまく言えないのですが
>こういう感覚って何なんだろう、また、何故なんだろう、と
>いう思いが自分から離れないのです。
そうですか。私なんかしっかりとした根を感じます。剣道のおかげで、私は足が地
面に着いている自分を感じることができますよヽ(^.^)ノ あ、もちろん自己満足か
もしれませんが・・・(笑)

>わかるような・・・わからないような・・・    
>じゃぁ、私 魚を切るとき、
>魚を「“取り扱う”って言お」ってへりくつしたくなります。(笑)
そういう意味ではありません(笑)
刀はもはや斬る道具ではなくなったっていう意味です。刀でもの(人)を斬るとい
う文化は、もう、過去のものと考えていいのではないかということです(^^)
我々は剣道の世界でも「活人剣」として「如何に生きるか」という哲学を模索して
いるわけです。刀は物理的な意味での物体を斬るのではなく、我々の「非心」をこ
そ斬るものと考えます。
そういった視点から、刀の取り扱い方を学ぶことが、剣道に必要な「文化の薫り」
に彩りを添えてくれる大いなる予感がするわけですヽ(^.^)ノ

>でも「刀」をたしかに想定できるなら
>“打ち”はきっと変わってきますね・・・なぁんて・・・
ムダ打ちは圧倒的に減るはずですが(^^)


to IZAYOHIさん
>でもこれは個人のお話ではなく社会全体の問題なので
>確かにそんなに大騒ぎしてもしょうがないとも思いますね。
残念ながら、これはしかたがないことなのかもしれません。
でも、日本人は常に他国の文化を学び、日本風にアレンジし取り入れながら自国の
文化を作ってきた経緯があります。そう言った意味からいけば、今の日本人も「伝
統的日本人」なんじゃないですか(笑)
ただ、民族として持っていた文化性が、明治維新以降、劇的に失われてきてしまっ
たことは、IZAYOHIさんがお嘆きの通りですが・・・。

でも、大切なことは日本人が日本という国やその文化、民族性に「誇りを持ってい
るか」ということなんじゃないですか。少なくとも私は持っておりますが(^^)


to 我流さん
「壬生義士伝」、あまりの長さに怖じ気づいて観るのは断念してしまいました(^^;

>打ち込む瞬間以外は、体を柔らかく脱力状態(フヌケではない)にして刀の重さ
>を上手に利用して振れば腕力なんていくらもいらないんですよ。ただ力任せに
>振っていたのでは疲れるし、決して竹刀を振るように早くは振れません。
私も先日、某所で抜刀術のビデオを拝見する機会を得ました。その先生はまったく
力を入れないのに、ヒョイヒョイと手首だけで巻き藁を斬って見せるのです。これ
には驚きましたね。「刀って、振り回すものではないんだな」って思いました(^^)
[2002/01/03 10:45:15]

お名前: 我流   
みなさん。あけましておめでとうございます。
ところで、「壬生義士伝」見てますか?私は半分見ましたがさすがに疲れて残り半分は
ビデオにまかせることにしました。
最近の時代劇はとてもおもしろい。もちろん、見所は殺陣(たて)。
映画「雨あがる」などもそうですが、居合や剣術の先生がしっかり演技指導しているので
娯楽時代劇のチャンバラとは明らかに違います。動きが多少大げさではありますが、しっかり
剣術しています。
例えば、主人公の吉村貫一郎が新撰組に入るきっかけとなる助太刀で浪士と鍔競り合いの末
首を引き斬っていますが、これが実戦の「鍔競り合い」。勿論、引き斬りに来るのを相手の
押す力を逆に利用して返す方法もあります。
また、新撰組が池田屋に乗り込んだ際、籠手でよけて片手打ちに斬ったりしていましたが、
これも実戦。実戦では片手打ち、半身や「肉を切らして骨を切る」なんて戦法がよく使われた
らしいです。
ここで疑問。重い刀で時代劇みたいに素早く振ったり、片手で斬ったりできるの?。。。
これができるんです。私なんかより、居合や抜刀術の先生が説明した方が説得力あるとは思い
ますが、打ち込む瞬間以外は、体を柔らかく脱力状態(フヌケではない)にして刀の重さを
上手に利用して振れば腕力なんていくらもいらないんですよ。ただ力任せに振っていたのでは
疲れるし、決して竹刀を振るように早くは振れません。
それでは、もし見逃してしまった方もたぶんいつか再放送すると思いますので、そういった
視点でぜひ見てみてください。
とても勉強になるし、おもしろいですよー!!
(けっしてテレビ局のまわしものではありません。)
[2002/01/02 23:07:30]

お名前: IZAYOHI   
あけましておめでとうございます。
こちらのますますのご発展祈念します。

江口 様
>なんだか自分たちが「根無し草」である

さすがは鋭いですね。
まさにそのとおりなのですよね。
もはやわれわれは「伝統日本」人ではありえません。
ということを前提に生きていかなければならないのです。
(これは肉体、精神、文化の全てがそうです。)
 でもこれは個人のお話ではなく社会全体の問題なので
確かにそんなに大騒ぎしてもしょうがないとも思いますね。
(でも昨年TVでみたモンゴルの伝統文化そのもので生きている
人たちは眞の人間の生活をしていてうらやましかったですね。)
[2002/01/02 08:31:13]

お名前: 江口   
To 我流  さん。

     おっしゃること、わたしにも わかります。

>古流を習うことは決して懐古趣味ではありませんよ。剣術ばかりでなく、鎖鎌術、実
>手術、手裏剣術など多くの古武道が現代に至るまで綿々と生き続けているのです。

       亡父もまた、懐古趣味 ではなく
       自身が この現代に生きるうえで必要なこととして
       古流を学んでいたのだと思います。古流としては
       剣術だけをやっていたわけでもありませんでした。
       そしてまた、いにしえを全面的に肯定もしませんでした。
       
        昔のひとたちだっていまの私と同じように
        それより昔の人間に対して異人(?)であるような気が
        していたたかもしれないと思います。
         時代はどんどん 変わっていくのはあたりまえですから。
          ただ、わたしの場合、なんだか自分たちが「根無し草」で
        あるような気がして・・・うまく言えないのですが
        こういう感覚って何なんだろう、また、何故なんだろう、と
        いう思いが自分から離れないのです。
         あ、でも かといってそれが自分にとっての大問題というわけ
        ではありませんよ。

To Hide.  さん。 
>刀法にしても「切り方」を学ぶのではなく「取り扱い」を学ぶこ
>とが大切なのではないかと考えますが(^^)

        わかるような・・・わからないような・・・    
          じゃぁ、私 魚を切るとき、
          魚を「“取り扱う”って言お」ってへりくつしたくなります。(笑)

         でも「刀」をたしかに想定できるなら
         “打ち”はきっと変わってきますね・・・なぁんて・・・
          でも、誰もが自分の「ひと打ち」の質や内容について
          いろいろ悩んでいるのではありませんか?
[2002/01/01 22:46:29]

お名前: スマイル   
しばらく見ないうちにこんな素敵なトピが立っていて、皆さんが
書き込んでいたなんて・・・出遅れました(笑)

話が大きくてなにから書いて良いかわかりませんが取りあえず。
精神文化だけでなく日本にあった身体文化というモノも欠かすことのできない
大切なモノだと思います(^_^)

精神文化より具体的ですし礼儀作法なんて精神を身体で表現している訳ですよね。
特に日本の場合は、昔から心身一如と言われてきた訳ですから両方からのアプローチが
必要だと思います。

取りあえず年始は、NHKで放送している能や日本舞踊が目白押しですから
たくさん見ようと思っています。皆さんもいかがですか?

To Hide.さん 
伸筋の話で腕とは違いますが、この前の足のマッサージだっ伸筋を使えるように
するためのマッサージなんですよ(^^)
「スーパーボディを読む」にも伸筋のことについて分かりやすく書いてあったので
よく分からないようでしたら本を読み直して見てくださいね(^_-)〜☆

to我流さん
私も屈筋より伸筋の方が大切だと思います。でも最近の子は、屈筋を使った力む、踏ん張る
ことすらできない子がとっても多いんです。ところかまわず地面に座る子なんてモロにそう
でしょ。私は力んで力んでしょうがない屈筋型人間だから良いですけど最近の子は力んでも
良いからある程度、屈筋を使えるようにした方が良いのかなぁと思っています。

それでは、皆さんよいお年を<(_ _)>
[2001/12/31 16:40:49]

お名前: Hide.   
to 江口さん
>はぁ・・・それがわかってはいても、なかなか
>むつかしいことなのではないでしょうか?自分は時おり、
>私達の祖先からみたら、私達は すでに「外国人」なのでは
>ないだろうかと思ってしまうことがあります。
アハハ、それは仕方がないことでしょう。それだけ時代が進んでいます。もはや
我々は、刀をさして練り歩き、それにプライドを賭けるようなことはもはやありま
せん。ですから、刀法にしても「切り方」を学ぶのではなく「取り扱い」を学ぶこ
とが大切なのではないかと考えますが(^^)

>Hide.さん、由来まで考えちゃうなんて
>セイジツな(?!)おヒト ですね(笑)
たぶん、観ているときヒマだったのでしょう(笑)

>「刀を想定して」と考えてよいのではないかと
>思います。
刀の扱い方を「残そう」とは考えてのことだったかもしれませんね(^^)


to 我流さん
>それに対して、戦後再出発した「道」は。。。私たちの心がけ次第といったとこ
>ろでしょうか?
そうですねぇ、剣道はスポーツとして再出発を余儀なくされたわけですが、全剣連
は後に、「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」という「剣道の理
念」を発表し、楽しみのためのスポーツとしてではなく、剣道を通じた「哲学」を
模索する道という見解を示しました。むろん剣道愛好家の中には、様々な取り組み
方をされる方がいらっしゃるのは、我流さんもご存じの通りだと思いますが(^^)

>それでは、剣術の精神とは何か?多くの著名な剣術家の言っていることをまとめ
>れば、「平和を愛し、人と争わず、修練した剣術を一生使わないで済むことを本
>意とする」ことであると私は考えています。
それが本当に、剣術家の一般的な見解でしょうか?
私がこれまで聞き及んだ範囲によれば、「剣道は実践的でない。剣道家には人は切
れない。剣術こそ実践の武術である」とおっしゃる方が多かったように思えるので
すが・・・(^^;

>ついでですが、古武道の師弟関係について一言。一般論ですが。
     (・・・後略・・・)
剣道も本来そういうものですよ(^^)
[2001/12/30 22:17:50]

お名前: 我流   
江口さん。

古流を習うことは決して懐古趣味ではありませんよ。剣術ばかりでなく、鎖鎌術、実手術、
手裏剣術など多くの古武道が現代に至るまで綿々と生き続けているのです。
作文は苦手だし、時間がかかるのでコメントを控えてきたのですが、ここでがんばって
書いちゃおうかなと思います。

剣術、剣道の精神文化ということになると、ちょっと歴史のお話をしなければなりません。
古来から戦(いくさ)といえば、戦闘法の変遷によって弓、薙刀、槍、鉄砲といった武器が
主要な兵器として用いられてきたのですが、刀は決して主武器ではなく、あくまでも護身用
の道具でした。
それが徳川幕府により、こうした戦闘兵器は武士達から取り上げられ、刀だけが残り、武士
の心の拠り所となりました。そして、剣術も戦闘術ではなく、護身術として発達することに
なります。
ところが、幕末〜明治になって、戦闘術という間違った使用法をされてしまいます。剣術の
本来の姿ではありません。
そして、廃刀令により日常生活から刀、剣術は表向き消えていくことに。。。
術を教えることから道を説くものにと形を変えて生まれ変わることになるのですが、その「道」
もすぐに違えてしまいます。
武士道精神を掲げた軍国主義が台頭し、それは大東亜戦争で極限を迎えます。将校に武将の
陣太刀を思わせる軍刀を履かせ、将校以下の兵卒を足軽にみたて、槍ならぬ銃剣を構えさせ
時代錯誤はなはだしく「突撃ー!!」とやったわけです。その結果、敵味方一般人を問わず
多くの尊い人命を失うことに。。。
そうした中でも剣術は細々と生き続けてきました。刀など使うこともない現代にどうして
ならうの?と言う方もいます。剣道家のなかにも術は道の下に見るような方も。
それでは、剣術の精神とは何か?多くの著名な剣術家の言っていることをまとめれば、
「平和を愛し、人と争わず、修練した剣術を一生使わないで済むことを本意とする」
ことであると私は考えています。
それに対して、戦後再出発した「道」は。。。私たちの心がけ次第といったところで
しょうか?

ついでですが、古武道の師弟関係について一言。一般論ですが。
本来的には師は道場に一人、あとはすべて弟子。しかし、その教授法は、簡単に言ってしまえ
は、「知っているものが教える」ということ。
先輩が後輩に教え、不足な点があれば師匠がトコトコとやってきて補足する。入門したての人
に師匠が手取足取り教えることもいくらでもあります。そこにあるものは信頼関係。
段位の上にあぐらをかき、教えない、教えられない人は「先生」とはなり得ません。
みなさんの剣道の道場はいかがでしょうか?
[2001/12/29 19:07:13]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。

>精神文化を抜きに、剣道の文化性を語ることは出来ませんね(^^)

     はぁ・・・それがわかってはいても、なかなか
     むつかしいことなのではないでしょうか?自分は時おり、
     私達の祖先からみたら、私達は すでに「外国人」なのでは
     ないだろうかと思ってしまうことがあります。
     ひとが生きる上での行動を司る根本的なこと
    (ものの考え方の体系とか)が 違う。
      ・・・たしかに違う・・・ということが(善悪は別として)
     大きな壁みたいに、自分の前に立ちはだかってる
     気がするんです。
      まあ、“祖先だって私とおんなじ人間じゃないかっ!”と
     いわれれば 自分はただのナマケモノなのでしょうけど・・・ 
     
       日本が近代国家として歩んでいくうえで、
      得てきたものと同じくらい
      失われたものがたくさんあったでしょうから、
      日本独自の(反りと鎬のある)「刀」の文化は、
      その「失われし」部分に相当するのではないかと
      思っています。亡父もまた(刃挽きでない)真剣にて
      演武していたようですが(稽古で真剣をつかうと刃が
      いたむので、稽古中は鋳造した鉄のカタナをつかってるよと
      話しておりました)娘の自分に話してくれたさまざまのことを
      思いかえすと、やっぱり彼も
     「失われたものを もとめて」彷徨っていただけのように
       思えます。
       が、古人に対する愛情(のようなものとしかわたしには
        いえないのですが)
      の強さの面で、私はいつも父に負けている気がしました。
      ・・・勝ちたくなんかないですけどね。(笑)

         けれど「刀法」となれば話は別です。
        きちんと学ぶべきことなのですよね。
         これは私にとっても大問題です。

>テレビショッピングで、ずいぶん昔にやっていたのですが、「妙なネーミングだ
>なぁ」とその由来を考えてみたのです(笑)

       Hide.さん、由来まで考えちゃうなんて
       セイジツな(?!)おヒト ですね(笑) 
      あ、私も それ、見てみたかったデス・・・
        
>なるほど。私のは笹森順造先生がお書きになった本に掲載されているものですか
>ら、註が落ちているのかもしれませんので(^^;

       それでもやっぱり、剣道形・・・
       「刀を想定して」と考えてよいのではないかと
        思います。
        だって、
        これまでのみなさんの、剣道形考察を拝読させて
        いただいていると、
        技の面では「キる」ことを頭においていることと
        お見受けいたしますもん。(←私の勝手な思い込み?)
[2001/12/29 09:09:09]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>Hide.さんのことばに、すこしつけ加えさせていただけるなら
>剣道を「精神文化」としてもっと深く考えなければならないの
>ではなかろうか     (・・・後略・・・)

おっしゃる通りです。精神文化を抜きに、剣道の文化性を語ることは出来ませんね(^^)


>!コリャタイヘンお恥かしーことでした。
>暴風にさらされてるみたいな字体のひらがなで
>「はばき」だったと・・・

テレビショッピングで、ずいぶん昔にやっていたのですが、「妙なネーミングだ
なぁ」とその由来を考えてみたのです(笑) で、その時、「はじっこを掃除する
ホウキだからかな?」という結論に達したので覚えていたのです(^^)


>わたしの手もとの解説書(昭和五十六年十二月七日制定)には
>「大日本帝国剣道形」本文中の(註)にありますが・・・。
なるほど。私のは笹森順造先生がお書きになった本に掲載されているものですか
ら、註が落ちているのかもしれませんので(^^;
[2001/12/28 10:54:42]

お名前: 江口   
To  我流  さん。

   Hide.さんもおっしゃっている通り

>文化としての剣道
>を語るとき、やはり避けては通れない部分なのかもしれない

        ということ、なんとなくわかります。
        ただ、“知る”ということだけにとどまらず、私の場合
        のめり込んでしまうだろうし・・・亡父もそうでしたから。
         また、失礼をかえりみず、
        Hide.さんのことばに、すこしつけ加えさせていただけるなら
        剣道を「精神文化」としてもっと深く考えなければならないの
        ではなかろうか、と思うと、無責任なようですが、今の私には
         ・・・荷が重い(←本音)・・・ です。

To Hide.  さん。
>お言葉ですが、あれは「はぼき」じゃないんですかぁ?(^^;

         エッ?!わたしのカン違いでしたか?
         パッケージはとうに捨ててしまったので
         確かめられませんが、 
         「はばき」だとばかり思いこんでました。

          !コリャタイヘンお恥かしーことでした。
         暴風にさらされてるみたいな字体のひらがなで
         「はばき」だったと・・・
          
 >「大日本帝国剣道形」の原文によりますと、「はばき」なる文字は発見でき
ません(^^;

        わたしの手もとの解説書(昭和五十六年十二月七日制定)には
        「大日本帝国剣道形」本文中の(註)にありますが・・・。
        とはいっても、大正元年に制定され、大正六年に加註、昭和八年に
        加註増補 とありますから、大正6か、昭和8に加えられた分なのかも
        しれません。             


      
[2001/12/26 18:41:32]

お名前: Hide.   
to 江口さん
>(これって、ウチの掃除機ホースの先につける敷居とかヘリ用の
>小道具とおんなじ名まえなんですよー)
お言葉ですが、あれは「はき」じゃないんですかぁ?(^^;


>日本刀の各部名称まで載ってる。「刀」を意識させたいのか・・・
>でも、それなのに、上の解説でも、胴を“キる”とはいわず
>“打つ”と いってることを考えるとやっぱり 形は
>竹刀剣道のためのもので、       (・・・後略・・・)
うーん、難しいですね。
でも、「大日本帝国剣道形」の原文によりますと、「はばき」なる文字は発見でき
ません(^^;
「小太刀の鍔元にて打方の鍔元を抑え」となっておりますので、後年、「はばき」
とされたのではないでしょうか。

>それと、こういうギモンも
>「剣道形の素朴な疑問」のほうに
>カキコしたいんですが、どうしたら
>いいのでしょう?
どうぞ、そのまま疑問に思われたことをお書きください(^_-)〜☆


to 我流さん
>私は日本刀が好きだからいろいろ勉強したけど、もっと皆さんにも刀について
>知ってほしいなあと思います。
そうですね。実は私も刀には皆目興味がございませんでしたが、文化としての剣道
を語るとき、やはり避けては通れない部分なのかもしれないと考えるようになりつ
つあります(^^; 
ま、刃引きなら持ってるんですが、素振り用でろくすっぽお手入れなんかしてませ
んが(^_^ メ)
[2001/12/26 11:20:58]

お名前: 我流   
to 江口さん

「刀について知らない」とは良いことに気がつきましたね。
私も常々思っているのですが、剣道をやっているのに刀について多くの人が知らなすぎる。
剣道と言えば「剣の道」、一般の人も剣道と聞けば剣術、武士道なんてことをイメージすると
思います。
それなのに実態はといえば。。。
剣道着に帯を締め、刀を差してください。と言われて1つの道場で何人ができるでしょうか?
刀の各部の名称はもとより、手入れの仕方、「御刀(差料)拝見」の作法など、本当は知らな
ければならないことってたくさんあるんです。
私は日本刀が好きだからいろいろ勉強したけど、もっと皆さんにも刀について知ってほしいなあ
と思います。

それから、これはオマケ(まめ知識)ですが。
日本刀といえば「銃刀法」。でもその取り扱いは「美術品」なんですよ。だから、登録は必要
なんですが、登録先は都道府県の教育委員会で、購入したり、譲渡されたりして入手した場合
教育委員会に「所有者変更届」のハガキを送るだけで簡単に所有できます。猟銃のように鍵の
かかる場所に保管する義務もありません。インターネットの通販でも簡単に購入できます。
しかし、用もなく持ち歩いていたら当然、銃刀法違反で御用になりますのでご注意を。
[2001/12/24 20:17:30]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。

>>・・・それじゃあ、ギモン以前に戻ってしまったという
>>コトですか?まいった、まいった・・・
>いやぁ、考えの幅と奥行きが広がったからこそですから、よろしいんじゃないです
>かヽ(^.^)ノ

     この江口、愚なりといえども いつの日か、
     必ずや明(メイ・・迷?ハハハ)。      
     年の瀬にきて 思い出しましたよ。
     左足がどうたらこうたら でしたよね・・・

     その前に
     「刀をもって」ということを
      想定しているのか否か というのも
      ありましたっけ・・・
 
      私が、剣道形の稽古のなかで「刀」のこしらえを
      意識したのは これも恥ずかしいですけど
      小太刀の形三本目の仕太刀 で でした。
 
      胴に打ってくる打太刀の刀を、左鎬ですり流し、
      そのまま左鎬で、打太刀の鍔元にすり込み、
      小太刀の刃部の 「ハバキ」  で打太刀の鍔元をおさえて、
      入身になり・・・ 

          と、解説書にはありますが、木刀で稽古することしか
      知らない主婦にとって、先生から、解説書を読め(コレがイヤなんですけどね)
      といわれるとともに 刀の「はばき」
     (これって、ウチの掃除機ホースの先につける敷居とかヘリ用の
      小道具とおんなじ名まえなんですよー)
        というものの説明をいただく ということは新しい収穫でした。
        われながらおそろしー主婦だとは思いますが それまで
       鍔からいきなり刀身がのびてることを思い浮かべちゃっていたので
       ↑
      (ははきの存在を知らなかったため)
        相手の刀に自分の刃をほぼ直角に当てるなんて
       おかしいなー、これじゃあ、刃がいたんじゃうじゃないよっ!
        (菜切包丁、刺身包丁、ペティナイフと同じに考えてしまっていた)
        とギモンしながら稽古していたものですから。

         「はばき」があるのだということを想定させるのであれば
         やっぱり剣道形の道具は「刀」なんじゃないかと思うわけです。  
          それにその解説書(全日本剣道連盟発行)には
          かすれてしまいそうにもみえる印刷の図入りで
          日本刀の各部名称まで載ってる。「刀」を意識させたいのか・・・

          でも、それなのに、上の解説でも、胴を“キる”とはいわず
         “打つ”と いってることを考えるとやっぱり 形は
          竹刀剣道のためのもので、  
          体の備えも(左足も)竹刀剣道同様にするというので
          ただしいのかな・・・と思ったり・・・

          あー。やっぱり 
          こんなふうにとまどってちゃいけないのかなぁ。
        
          それと、こういうギモンも
          「剣道形の素朴な疑問」のほうに
          カキコしたいんですが、どうしたら
          いいのでしょう?
[2001/12/24 16:26:58]

お名前: Hide.   
to 我流さん
>例の甲源一刀流ですが、これ、埼玉県両神村の観光パンフレットですね。
なるほど、それでなんとなくシロウトっぽかったんですか(笑)


to たんたんさん
>なるほどですね、囲碁、将棋でも定石を知って打つのと知らないで打つのとは
>格がちがいますもんね。
そうなんですが、現代では竹刀剣道が中心で形稽古というものが「定石」として位
置づけられてはおりません(^^;
と言いますのも、ここや「剣道形を大切に」「剣道形の素朴な疑問を集めろ!」な
どで話し合われている通り、講習会などでも「剣道形の方法」は伝達されますが
「理合」についてはほとんど解説されないからです。
逆に言うと、「理合のわかる人がいない」とも言えるかもしれません。そこで、
我々も、これら掲示板で様々な試行を繰り広げているわけですヽ(^.^)ノ


to 江口さん
>・・・それじゃあ、ギモン以前に戻ってしまったという
>コトですか?まいった、まいった・・・
いやぁ、考えの幅と奥行きが広がったからこそですから、よろしいんじゃないです
かヽ(^.^)ノ
[2001/12/21 09:39:24]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。

>アハハ、知りたいことを探す・・・っていうのも、こうした掲示板でのフリートー
>クの醍醐味かもしれませんよ(^_-)〜☆
 
     ・・・それじゃあ、ギモン以前に戻ってしまったという
     コトですか?まいった、まいった・・・
[2001/12/20 21:50:57]

お名前: たんたん   
我流さんどうも。
わかりました、剣術は形稽古で技の習得に数をこなして身につけるんですね。
剣道にその形稽古で修得した物を遣えるようになるにはそれこそ何年もかかりそうですね。

Hide.さんどうも
なるほどですね、囲碁、将棋でも定石を知って打つのと知らないで打つのとは
格がちがいますもんね。なかにはめちゃくちゃやって強い人がいるんですが
でも本格派には手も足もでませんから、そう言うのは剣道で言うとチャンバラ
なんですね。わかりやすい。
   
[2001/12/20 15:48:06]

お名前: 我流   
例の甲源一刀流ですが、これ、埼玉県両神村の観光パンフレットですね。
甲源一刀流のHPではないです。
一般の人にそれらしくみせるために撮影したんじゃないですか?
[2001/12/20 11:54:07]

お名前: Hide.   
to 我流さん
>きょうは仕事休みで堂々と書いていますが、説明するにはかなり時間を要しそう
>なので、またの機会でよろしいですか?
了解です(^^)
何もこんなところへのカキコ、必死こいてするようなものではありません(笑)
お互い「剣道をより楽しみたい」という気持ちでやっていることですから、日常生
活に影響が出てくるようでは困りますゆえ(^_-)〜☆

>みんなで相談して「すばらしき剣術の世界。。。剣道形を剣術でやる」なんて創
>作ストーリーを作ったらおもしろいのでは?
アハハ、そうですね(^^)
これまで明らかにされていなかった(?)日本剣道形の「理合」を考えストーリー
を編纂する作業そのものが「剣道形の剣術化」だと私は考えておりますが(^_-)〜☆


to たんたんさん
剣術と剣道については、我流さんの説明に譲るとして、竹刀稽古と形稽古の関係に
ついて述べるなら、
 ●形稽古・・・・・将棋や碁でいう定石を知る
 ●竹刀稽古・・・・定石を元に自由に打ちあう
という車の両輪のような関係になっているわけです。
しかし近年の剣道の稽古は竹刀稽古に偏りすぎ、形稽古を疎かにしてしまっており
ます。故に「攻め」とか「間合」とか「理合」なんていわれるものを先生から指摘
されたときに、「???」になってしまうわけです(^^;

>剣道形のギモン、にぎやかくなって
>いいぞー と感じつつ、自分は
>何をしりたかったのか
>わからなくなってしまいました・・・
アハハ、知りたいことを探す・・・っていうのも、こうした掲示板でのフリートー
クの醍醐味かもしれませんよ(^_-)〜☆


to IZAYOHIさん
>甲源一刀流ではどうやら左足あがっているようです。
なるほど、左端の写真によりますと、女性の中段の構えに左足の踵は持ち上がって
おります。でも、この女性からは武術的素養や修練のあとを感じさせるものは何も
伝わってまいりません(^^; 故に、剣道の影響の方が強いように見受けられます
が・・・。

まぁ、それを言ったら、左の大上段に構えている男性も立ち腰で伸び切ってしま
い、とても「斬れる」構えではありませんが・・・(^_^ メ)
[2001/12/20 09:49:13]

お名前: IZAYOHI   
甲源一刀流ではどうやら左足あがっているようです。
ただし剣道の影響の可能性がありますけどね。

http://www.vill.ryokami.saitama.jp/motto/ittoryu/ittoryu.htm
[2001/12/20 07:16:35]

お名前: 江口   
To  Hide.  さん。

>わかっています。これが剣術です。
↑
ココに引用マークするの忘れてました。
(我流さんがおっしゃってくださった言葉です。)

 
    剣道形のギモン、にぎやかくなって
    いいぞー と感じつつ、自分は
    何をしりたかったのか
    わからなくなってしまいました・・・
 
To 我流 さん。

    竹刀剣道だけではとらえきれない概念、
    たくさんありそうで、ひとつひとつ
    わかるまでには何年もかかりそうですが
    んっ?なにか ちがうものがある・・・といった
    どこか漠然とした感じがする ということだけでもわたしには
    大きな収穫です。
     

    教えていただけて、感謝。
[2001/12/19 23:55:55]

お名前: 我流   
to たんたん さん。

ごもっともな質問です。
「剣術」といいましても非常に多くの流派が存在し、稽古方法とかはなかなか一言では語れない
とは思いますが。もっとも基本は「組太刀」といって木刀を使って2人一組で行う型稽古で、
いま激論がかわされている「剣道形」と同じようなものです。「剣道形」に比べるとかなり実戦
的で、各流派で特色ある様々な型が存在します。いずれも先人達が命をかけて開発してきた
すばらしいもので、その一本一本になぜそうするのか、どうやればよいかという理論があり、
「理合」とか「剣理」とか言います。これは剣道形も同様で、今このHPで議論されている
部分です。ただ、
もし、たんたんさんが剣道を始められたとき、剣道形をやらされ、これだけやっていれば十分
だ!なんて言われたらどう思います?型では相手が次ぎにどこへ打ってくるかわかりますが
実戦ではそんなことありませんよね?そうした不安を払拭するため、防具の開発と時期を同じ
くし、幕末から明治時代にかけて「竹刀稽古」がさかんに行われるようになりました。これ
が「剣道」のご先祖様のようなものですが、当時は「撃剣」と呼んでいたようです。
ですから、その頃は多くの流派で「型稽古」+「竹刀稽古」を行うようになり、2つ併せて剣術
と考えられていました。(これを「道場剣術」などともいいます)が、現代では「竹刀稽古」の
部分は剣道に譲り、幕末以前ように「型稽古」を剣術と呼んでいます。また、現代剣道に対し
「古流」または「古流剣術」などともいいます。
もちろん現代でも幕末さながらの剣術を行っているような人たちもおり、日本剣道協会
というのが有名で(マニヤの間で)、詳細は不明な点が多いのですが、神道無念流が母体と
なり、剣道より打突部位も多く(面を首を曲げてよけて肩にあたったら袈裟一本など)、相
上段で歩み足で間合いに接し、刀で斬るごとく打ち込み、足がらみや組み討ちなどもあるよう
です。
さて、私の剣道ですが、子供の頃やっていて一旦やめてしまい、自分の子供が少年剣道を始め
たのをきっかけに再開しました。いくら剣術をやっていても、打突部位が決まっている剣道
ではやはり長くやっている人にはかなわないですね。しゃくにさわるので剣術でやっつけて
やろうと思うのですが、防具をつけると自然と剣道になってしまいます。
以上簡単ではありますが、より詳しくとお思いでしたら、インターネットで検索すればいろいろ
と出てくると思いますよ。
[2001/12/19 19:22:57]

お名前: たんたん   
突然横から入ってすいません。
今まで読んでてわからないんですけど、剣術も地稽古とか試合稽古とかをやるんですか?
防具は剣道と同じなんでしょうか。我流さんは剣術と剣道両方してるんですね。
剣道と剣術と技が一緒にならないんですか?質問ばかりですいません。   
[2001/12/19 17:20:59]

お名前: 我流   
to Hideさん、江口さん。

ごめんなさい。やっぱりぜんぜん説明が足りないですよね。実は仕事の終わり間際にちょっと
時間があったので書いていたんですが、仕事が終わったら子供のクリスマスプレゼントを品切れ
になる前に買いに行かなければならなかったんで。。。
きょうは仕事休みで堂々と書いていますが、説明するにはかなり時間を要しそうなので、また
の機会でよろしいですか?

ところで、剣道形談義がこれほどまでに白熱して、「剣術」なんて言葉もやたらとでてくると
剣術に興味を持ってしまう方も出てくるのでは?
Hideさんをはじめ剣術の心得のある方もちらほらいるので、みんなで相談して「すばらしき
剣術の世界。。。剣道形を剣術でやる」なんて創作ストーリーを作ったらおもしろいのでは?
でも自分の理論をとり入れたくて剣道形を制定する以上に白熱し、険悪なムードになったり
して。でも邪道はいけませんね。
それでは。。。
[2001/12/19 16:20:10]

お名前: Hide.   
to 我流さん
>実はやっぱり設問がよくなかった。
アハハ、なんだか躍らされちゃった感じだなぁ・・・(^^;

>以上、とても簡単すぎて伸筋の重要性、鍛錬方法まで書き切れませんが、また機
>会のあるときにでも。。。
一生懸命読んだのですが、やはり、「伸筋の重要性」については、これだけでは理
解できませんでした。
お忙しいことと思いますので、お暇なときにでも、ぜひぜひお教え願えれば嬉しく
思いますm(_ _)m


to 江口さん
>わかっています。これが剣術です。
そして、竹刀剣道における「技」もしかりですね(^^)

「高野×中山」の剣道形のバックにナレーションが流れるのですが、その中で、
「ときとして佐三郎は、形が形骸に陥ることを恐れ、わざと間違った形を打ち込ん
だ。しかし博道は少しも慌てず、これをみごと返したという」なんて感じだったと
思いますが、「形(かた)」が「形(かた)」を離れ自分のものになっていたとい
うことなのでしょうねヽ(^.^)ノ

>えーっ?!(←ワザが尽きて崩れているところ)
読み勝った・・・かなヽ(^0^)ノ
[2001/12/19 10:42:59]

お名前: 江口   
To 我流  さん。
   少し、むずかしかったです。

> 形の繰り返しにより、反射に近い状態まで持っていくことができるということが
わかっています。これが剣術です。

     Hide.さんのおっしゃるように
     「呼吸するが如く」ですね。
     そうありたい とは思っても
      そのストーリーの手前でつまづいてる自分には
     あの、 内藤高治の繰り返していた 
     体の備え、構え、呼吸、気合、間合、着眼、足踏、
     手の裏、刃先、刃筋等の体得が必要みたい。

     まだまだ、自分は積み重ねが足りません。
     撞木足もわからないし・・・
 
To Hide.  さん。

>だって、間合も打突部位もちゃんと見えてますよ(^_-)〜☆

>おちゃらけることによって、マニアの仮面を隠そうとしてるでしょ?(^O^)

         えーっ?!(←ワザが尽きて崩れているところ)
[2001/12/19 01:49:15]

お名前: 我流   
to 江口さん、Hideさん。

剣道形のこと考えていたので回答が遅くなりました。
実はやっぱり設問がよくなかった。家で本調べたんですが、拍子も調子もどちらも重要!
一調子、無拍子でなければなりません。
2問目は問題なく等速度運動。形は正しく打つことに重きを置き、スピードはゆっくりで
かまいません。その修練の結果、実戦で最高速を生み出すということ(太極拳が良い例)
以上の2つはなんかの本に詳しく出ていると思いますので、こんなところでお許しください。

3問目も設問がちょっと悪かったです。「腕の。。。」としなければいけませんでした。
ある合気道の本に書かれているのを発見したのですが、私にとっては「目から鱗」ものでした。
合気道はその発祥から、いわば剣を持たない剣術であり、その理論は剣術に通じ、ひいては
剣道にも役に立つと考えます。私はこれを読み、自分の剣術が大幅に前進したと自負していま
す。直接お話ししないとなかなか伝わらないと思うのですが、さわりだけでも。。。

例えば大切の紙の束(答案用紙など)を運んでいたとします。一番上の一枚が風に飛ばされま
した。あなたはとっさにその紙に手を伸ばすと思います。この時の手を伸ばすスピード。これ
がまししくその人にとっての最高速です。
言い方を変えます。人間の体というのはその平衡を保つために「拮抗作用」というものを持って
います。例えば腕の「伸筋と屈筋」。伸筋が伸びるとき、屈筋はその行動を助ける一方で、暴走
を防ぐためにブレーキをかけます。これらは脳からの指令で決定されますが、時としてマイナス
の作用を生じます。伸筋を伸ばそうという意志が生じたとき、その意識とは裏腹に屈筋のブレー
キをかけすぎてしまうのです。これが「固くなる」あるいは「力む」という状態です。
先程の紙の話に戻りますと、この動作は反射であり、脳からは最小限の指令しか受けていません。
通常の動作も、形の繰り返しにより、反射に近い状態まで持っていくことができるということが
わかっています。これが剣術です。
以上、とても簡単すぎて伸筋の重要性、鍛錬方法まで書き切れませんが、また機会のあるとき
にでも。。。
[2001/12/18 17:05:55]

お名前: Hide.   
to 我流さん
>あれ?Hideさん。こんな時間にもチェックしてるんですね。
アハハ、ナニをおっしゃいます。私のカキコはすべて日中です。大学の事務の合間
にやってますからヾ(・_・;)オイオイ

>それぞれ前者と後者でどちらの方が重要でしょう?という内容でした。
なーんだ、ぜんぜん違うじゃないですかぁ(^^;
剣術において、ですよね?(^^) では改めて、
 ○拍子
 ○等速度運動
 ○屈筋
あ、江口さんと同じだヽ(^.^)ノ


to IZAYOHIさん
ここでいう撞木足ってどの程度のものだったのでしょうねぇ(^^;
ちなみに、私は小野派一刀流を少しかじってますが、ほとんどの足は撞木足です。
このほうが安定するんですよね(^^)
で、私は竹刀剣道においても撞木足をよしとしておりますが(^_^ メ)


to 江口さん
>うらやましい!!
楽しいですよぉ! けっこう燃えますヽ(^.^)ノ
でも、意外なほど当たるものですね。ほとんどが勘に頼らざるを得ないのですが、
剣道における勘(感覚・感性)の重要性を改めて認識できます(笑)

>ところでこの カキコ というのも
>「闇稽古」に似ていませんか?
そうかなぁ・・・。
だって、間合も打突部位もちゃんと見えてますよ(^_-)〜☆

>マニアにしては
>おちゃらけてます。
おちゃらけることによって、マニアの仮面を隠そうとしてるでしょ?(^O^)
[2001/12/18 12:40:35]

お名前: 江口   
我流  さん。

 呼びすて ゴメンナサイ。
 ↓下のカキコ
[2001/12/18 01:58:24]

お名前: 江口   
IZAYOHI  さん。

  「千葉周作遺稿」で、
   今日になって気づきました。
   申し訳 ありません。怠け者でした。
   ・・・ 幕末 ですね。
   竹刀打ち込み(ホウトウ とか)稽古について
   語ったことだとおもうのですが。
   どうなんでしょう?
   左足を踏み据る=しもく足 というのも
   よく解りませんし。

       重ねてお詫びです。
>(私は明治嫌いです。w。日本文化破壊の礎時代だから。)
      
       内藤高治 引用させてしまって
       すみませんでした。

To 我流  

>「メーン!」と
>打ち込むために左足のかかとをあげているんじゃないですか?

       日本剣道形は竹刀打ち込み稽古のように
      「メーン!」と打ち込まないですよー

>それはそれで良いのではないでしょうか?

       はい。そう思います。(影響されやすい自分でありました)

>他に、正中線、気、呼吸、丹田などの概念がありますので
それらもお調べになるとより楽しく剣道形ができるようになると思いますよ。そのほとんど
が型稽古からしか得られないと古くから多くの剣豪のような人たちによって言われています。
  
        おっしゃること、 その通りだと思います。
        気・丹田・呼吸のことはまだ、とっかかりがつかめなくて・・・  
        いまの自分の 大問題は「正中線」です。
        
        
あと、やっぱり
        振り上げ、振りおろしですね・・・。
         あー・・・先が見えない・・・

>要は正しい剣術(剣道)のやり方だと思うんです。

        やり方をみつけるのにずいぶん
        寄り道ばっかりしています。

To Hide.  さん。

>私の知り合いの剣友会の合宿では、「闇稽古」っていうのがありますよ(笑)

          うらやましい!!
          ところでこの カキコ というのも
          「闇稽古」に似ていませんか?

>アハハ、やっぱマニアだヾ(^-^)ゞ イエーイ

           マニアにしては
           おちゃらけてます。
           
           

           
          
        




               
  
   
[2001/12/18 01:40:40]

お名前: IZAYOHI   
私が知っている古流で唯一それらしいのは次だけですが
そういう解釈(左足のかかとをあげる)が正しいのか
はわかりません。
  
剣法秘訣北辰一刀流 (千葉周作述) 
 
第一節 剣道初心稽古心得

 剣術に左足を踏み据えるは甚だ悪しき事なり。身体自由ならずして器用の
働き意ならぬものなり。若し斯様の人あらば、試みるべし。極めて不器用
ものなり。これを撞木足(シュモクアシ)という。甚だ嫌う足踏みなり。
若し門人の内この癖あらば早く教諭すべし。この足踏み癖つきては容易に
直らぬものなり。初心の内少しも早く直すを善しとす。
[2001/12/17 19:08:12]

お名前: 江口   
当てずっぽう。
     わからないので。

>拍子と調子
>等速度運動と加速度運動
>伸筋と屈筋
          

          ○ 拍子
          ○ 等速度運動
          ○ 屈筋
[2001/12/17 17:51:51]

お名前: 我流   
あれ?Hideさん。こんな時間にもチェックしてるんですね。
それにすごくたくさんコメントいただき、昼休みつぶしてしまったんじゃないでしょうか?
私のクイズ少し質問の仕方がわるかったです。それぞれ前者と後者でどちらの方が重要
でしょう?という内容でした。
[2001/12/17 13:08:35]

お名前: Hide.   
うわぁ、昨日大会の審判で(夜は懇親会で)、一日ほったらかしにしておいたら、
こんなすごいことになってました(^_^ メ) さぁ、張りきって読まなくちゃ(笑)


to 我流さん
>みなさん、お疲れでしょうから、ちょっと一服どうぞ!!
一服といいながら、そのスリルとサスペンスに感情移入してしまい、けっこう疲れ
ましたです(笑)

>刃すじをとおす練習にはとても良いです。片膝立てで
>やれば、家の中で切り返しの練習ができますよ。
右面はいいのですが左面はなかなか音がしないんですよね。
高校・大学時代はよく模擬刀で素振りしてましたっけ。それで、ウチの近所の暴走
族を追い払ったことがありましたっけヾ(・_・;)オイオイ

>話が散漫になってきましたが、私なりに話しをまとめさせていただくと、要は
>「メーン!」と打ち込むために左足のかかとをあげているんじゃないですか?
私もそう思いますね。
竹刀剣道は極めて直線的ですから、左足踵が上がっていたほうが具合がよろしい。
そして、その竹刀剣道に付随した剣道形ですから「挙げるのがふさわしい」と考え
たのだと思われます。

ちなみに、小野派一刀流の解説書(笹森順造著「一刀流極意」)の構えは、ほとん
どのものが左足(後ろの足)の踵は上がっておりません(^^;

>それからクイズですが、以下についてそれぞれどちらが剣術にとって重要と思い
>ますか?
うーん、小野派一刀流の拙い経験から考えると「拍子と調子」って感じですが(^^;


to IZAYOHIさん
>ですけど安いやつで面白そうなのだいたい買占めました
>のであしからず。
IZAYOHIさんが通ったあとじゃ、ぺんぺん草すら残ってないのだろうなぁ(^^;


to 江口さん
>しかし 暗闇っていうのも
>勝てない相手じゃありませんか?
私の知り合いの剣友会の合宿では、「闇稽古」っていうのがありますよ(笑)
体育館でやるのですが、非常灯なんかも覆い隠すんです。お相手がボーッとしか見
えませんし、むろん間合もわかりません。でも、けっこう楽しいですヽ(^.^)ノ
今年の「闇稽古トーナメント」では優勝させていただき、竹刀をいただきました!
あ、もちろん審判も真っ暗な中で行っておりますので、音と掛け声のみで判定しま
す(^^;
あ、お父上のお話とは次元の違うものですが(^_^ メ)

>何にも知らない私には、あのピョンピョン、異常に見えました。
>武具を着けての体勢 としか考えられなかったもので。
たしか昔、師匠に、「一気に間合を詰めるためだ」と聞いたような聞かなかったよ
うな・・・。記憶が定かではありませんあ(^^;

>機会があればお訊ねになってみてください。
ハーイ、今週中に編集者が来ることになっているので、聞いてみますね(^^)

>われながら ヘンだなー とは思いましたよ
>でもマニアじゃないです。
真のマニアほど「マニアじゃない」とおっしゃる(笑)

>どこで何歩下がるとか出るとかどっちの足からどんな角度で
>体を変えるとかいうことは二の次という気がしなくもありません。
>・・・でも気になるんですよね。
結局、形って口伝というかお相手と一対一で教えあうものじゃないですか。だから
マニュアルの存在なんて必要ない。で、中山先生も「正しく伝えるのはたいへん
だ」っておっしゃってたわけでしょ?(^^;

>というところなど、白井亨の「兵法未知志留邊」とかいうのの
>雰囲気(としか言えないです)を彷彿させたりして。
>(でも マニアじゃないですからね。)
アハハ、真のマニアほど・・・って、さっきも書きましたので、以下略ヽ(^.^)ノ

>ほんとは
>どうでもいいことなのかもしれませんが、それならなぜ
>どうでもいいことなのか 把握したいです。
アハハ、やっぱマニアだヾ(^-^)ゞ イエーイ
[2001/12/17 12:56:00]

お名前: 我流   
話が散漫になってきましたが、私なりに話しをまとめさせていただくと、要は「メーン!」と
打ち込むために左足のかかとをあげているんじゃないですか?

剣術でも、歩み足とはいいますが、打ち込む瞬間には後足のかかとはあがります。
お年寄りの剣道の先生に聞くと、戦前の剣道の先生は歩み足で打ち込めるときにはどちらの
足からでも打ってきたということをよく聞きます。

歩み足の理由として考えられるのは、現代剣道は前後の動きが主ですが、剣術では左右の
動きが主になります。剣道でも胴打ちで左前に出ますが、その後の対処法があまり考慮されて
いません。(面打ちも同様ですが、くるりと振り返って残心を示しますが、地稽古なんかだと
その間に横面をボコッとたたかれて痛い思いをしたりする。)
古流剣術ではどちらへ動こうが、自分は相手に対し常に正対します。だから例えば左前にでる
ときには左足から動き、右足を引きつけることになるので左足前になりそのときがチャンスなら
そのまま打ち込みます。
相手にはずされない限り、自分から目線を外すことはいっさいない訳です。その動きのため
に、歩み足は欠かせないと考えます。
でも、どういうわけか剣道ではそうなっていないのですが、そういった決まりの中で皆さん
同条件で競技されるわけですから、それはそれで良いのではないでしょうか?

あと、目付、間合い、足の運びの他に、正中線、気、呼吸、丹田などの概念がありますので
それらもお調べになるとより楽しく剣道形ができるようになると思いますよ。そのほとんど
が型稽古からしか得られないと古くから多くの剣豪のような人たちによって言われています。
それからクイズですが、以下についてそれぞれどちらが剣術にとって重要と思いますか?
興味のある方はぜひお考えください。
   拍子と調子
   等速度運動と加速度運動
   伸筋と屈筋
[2001/12/17 11:53:28]

お名前: IZAYOHI   
そうそう普通の人は狂言のほうに出てくるんでしたよね。
セットで演じられてますし。
言葉も当時としては普通の言葉ですよね。
狂言の所作はいかにも当時の大名を彷彿させるような
武士の所作に思えます。
[2001/12/17 07:44:52]

お名前: IZAYOHI   
えーと実は猿楽(申楽)はどこぞと同じく明治に名前を変えられちゃたんですよ。
(私は明治嫌いです。w。日本文化破壊の礎時代だから。)
以下引用

>大政奉還により徳川幕府がなくなると、役者はたちどころに生活に窮してしまいます。
ある者は猿楽を捨て、またある者は働きながら細々と役者を続けていきました。しかし、
外交を繰り広げる明治政府が海外の要人を歓迎するために猿楽を見せる事を決めたので、
猿楽は再び息を吹き返しました。おそらくこの時に「猿」が野蛮であると受け取られ、
「能楽」と名を改められたと思われます。

>役者が歌いながら演じる舞踊劇の一種。能、猿楽とも呼ばれ、明治20年代以降は
久米邦武博士らの命名で「能楽」が正式な名称となりました

まあ下の引用みてもあまり普通とも思われませんが、鬼・神も人間の中に入れれば人間の
思いのお話にはなろうと存じます。
(でも普通の思いではありませんね。)

>かつて江戸時代の正式な能会で行う能は五番と決められ、この五番に従って能も分類
されていた。これを五番立てとよび、「序破急」の理論に従ってテンポのゆっくりした
ものから次第に早いものへと並べられている。
  初番目(神能・脇能)・・・・神霊をシテとするもの。さっそうした能が多い。
  二番目(修羅物)・・・・ 源平の武人をシテとする勇壮なもの。
  三番目(鬘物)・・・・・・・美人をシテとする情緒豊かな能。
  四番目(雑能・現在物)・・・・狂女をシテとする狂女物や、世間の出来事を現在
進行形で進める能など雑多な能。
  五番目(切能・鬼畜物)・・・・鬼や天狗の類をシテとするもの。一日の能の終り
に適しいテンポの早いものが多い。
[2001/12/17 07:17:40]

お名前: 江口   
IZAYOHI  さん。

    さっそく、ご教示ありがとうございました。
    IZAYOHIさんは「参考に」とおっしゃいますが 私には
    解説書よりもこういうナマの声のほうが
    “響いてくる” 気がしています。

>「おまえたちおかしいねぇ。
>学校でどんな剣道習っているんだ。どうして右足からしか出て来んのだ。
>そんなのは剣道形にない」といわれた。
 
       というところ、自分が亡父に言われてきたこと
       そのものです。もっとも亡父も
       「じゃあ、いつから左かかと は上がるようになったの?」と
       たずねても「そんなこと知るか!」と答えてましたが。
     
> 申楽ですが登場人物は人間の場合普通の人は少ないでしょう?
>主人公はだいたい怨霊か鬼か神の化身だし人間でも武士、修験者とか
>僧侶とか特殊な人ばっかりなので人間一般とはとてもいえないと思い
>ます。
  
         お能の原型としての“申楽”については自分は
         無知に等しいので これまでに自分が観た
         「お能」について であれば・・・
           特殊な人と言えるかどうか・・・
          まず 普通の人 というと、当時では観客である
          貴族とか、身分の上の人たちということになりますか。
                   
          前シテとして菜摘女とか塩汲女とか、宿の長(女だったり)
          などもいますけど、後ジテはたいてい 幽霊とか神とか、
          現世のものでないことが多いですね。そういう意味でしょうか?
          (それと貴種流離潭も好まれた題材だったと思います。)
  
           中世では鬼や幽霊って 今とは違ったものだったんじゃないかと
           思います。化け物っぽくとらえられるようになったのは
           近世以降なのではないかと思うのですが・・・
           鬼や幽霊は人と対立(というのですか?)するものでなくて
           人の 思い というものが凝り、固まってかたちになった(された)もの
           という気がします。
           人の(あるときは強い)思い を抽象したもの というようにとらえて
           おりましたが・・・。(神様というものについては よくわかりません。)
             ときたま、ある種の お能は ドラマを演じるのではなくて
           ひとの 思い を演じているのではないかと感じたことも
           あります。で、特殊な人の思い であるかどうかという
           ことでは やっぱり ひと全体 という気がします。
              うまく説明できなくて すみません。

            たとえば『隅田川』の最後で(いろんな型があるのですが)
            立ちつくしたシテが グーッと床に沈み
            安座するとき(これも かた ですよね)
            観客である自分は
            ひとりの母親が もう はいあがることのできない
            奈落の底へ落ちてしまうのだ ということを感じます。
            
            申楽というと、もっと「神様」に近いとか
            儀式的なもののように思うのですが。あ、
             「翁」もそうですね。あれは
           「能にして能にあらず」とかいわれているんでしたっけ?
[2001/12/17 02:19:15]

お名前: IZAYOHI   
江口様

ですからそれは不明です。でも参考までにした引用しました。
ところで申楽ですが登場人物は人間の場合普通の人は少ないでしょう?
主人公はだいたい怨霊か鬼か神の化身だし人間でも武士、修験者とか
僧侶とか特殊な人ばっかりなので人間一般とはとてもいえないと思い
ます。
***********************************
聞き書き剣道史
伊丹「修武館」二百年の歴史をいまだに維持する話 

小西酒造(株)会長 小西新右衞門夫人 故 小西静子 前薙刀連盟会長談 

-8-
・・もっとも昔のひとは、柔道もやれば剣道もやる、剣道もやれば水泳もやる……
といったふうで、武芸十八般とはいかないまでも、いろいろとたしなみが
あったのでしょうね。先だってはお話しするのを忘れておりましたが、
業茂の時代、田辺又右衛門(註8)という柔道の先生か修武館の師範をなさって
おられました。有名なかたです。たまたま「明治三拾四年一月四日修武館
初會式」という案内状が出てまいりましたのでそれを眺めておりましたら、
柔術の田辺又右衛門先生が撃剣試合に、撃剣の富山可誠先生が柔術乱取りに、
それぞれ両方に出場なさっています。柔道家だから柔道だけ、剣道家だから
剣道だけというのではないのですね、古い先生がたは。・・
・・富山圓先生が修武館にお帰りになられたのは、さきほど申し上げました
ように大正11年(1922)頃と聞いておりますけれども、そのお稽古がどういう
ものだったかは、わたくしは存じません。松本(敏夫)先生におうかがいすれば
教えてくださると思いますけれども(註9)。
そうですってねぇ、松本先生は富山圓先生から直心影流の「免許」を頂戴
なさっていらっしゃるそうですねぇ。 ・・・
--------------------------------------------------------------------------------
註9 富山圓先生が修武館にお帰りになったのは、ぼくが伊丹中学の頃だなァ。
稽古では三尺六寸か七寸、どっちにしても短い竹刀をぐっと構えて歩み足で
腰から攻めて来られた。ところがぼくらが学校で習っているのは送り足だ。
ときどき先生が首をかしげて
「おまえたちおかしいねぇ。
学校でどんな剣道習っているんだ。どうして右足からしか出て来んのだ。
そんなのは剣道形にない」といわれた。
 (範士九段・松本敏夫氏談)
[2001/12/16 23:35:21]

お名前: 我流   
to 江口さん

江口さんこそ相当の聞き上手ではないですか?
私も江口さんに質問されるがままに随分「極意」をご披露してしまったような気がするの
ですが?。。。
そう、極意なんて聞いてしまえばなんてことないし、「秘伝××」なんて名前の本を読むと
大抵は書いてあるのですが、人に聞いて「なるほど」と思うのが一番頭に入りますよね。
要は正しい剣術(剣道)のやり方だと思うんです。

ところが「秘術」になると随分と違ってきます。各流派ともとんでもない「秘術」をもって
います。
剣道形一本目の「抜き面」というのは剣術では大抵は打太刀の技で抜かれるのはあたりまえ、
抜かれたらどうするか?その対処法を考えるのが本来の剣術です。
さて、闇夜での剣術ですが、私共の流派でもそれを想定している型があるのですが、私も
修行不足でどうも理合はわかりません。この手の資料も少ないですよね?何か資料をお持ち
の方がいればご紹介いただけませんか?
ただ、一つよく知られていることは、樋のある刀はよくないということ。ピュッと音がでる
でしょ。居合でよく使っている刀です。

ついでだから樋のある刀のお話ですが、刃すじをとおす練習にはとても良いです。片膝立てで
やれば、家の中で切り返しの練習ができますよ。手の内の練習にも良いです。刀と竹刀では
握り方が若干違いますが、とりあえず竹刀の握りで練習すれば良いと思います。居合練習用
の模造刀でしたら2万円くらいから購入できます。
[2001/12/16 20:56:38]

お名前: 江口   
To IZAYOHI  さん。
          たびたび、甘えつづけで すみません。
          幕末のころ、竹刀打ち込み稽古の左足かかとは
          あがっていたのでしょうか?
           ご存じでしたら教えてください。


To くに  さん。

  またしても お能 の話デスカ・・・
  わたしにとっては ひたすら
  恥ずかしー としかいいようのないものでして・・・
   
   のめりこみながらも
   かといって、 弟子入りしようなんてこと
   微塵も思わなかったのですよ。
    「観る」こと自体が幸福でした。
   「道成寺」は激しくて せつない お能ですよね。
    ともかく無事勤めればよし として被くもの
    らしいですが。
     舞う人の数だけ真砂の荘司の娘 がいるわけですが
    「娘があんなことをしちゃったのも
      その親父が、娘がかわいいいからといって
      “あの客僧こそお前の夫だよ”なんて言って
      娘をからかっちゃったから悪いんじゃん。
      この親にしてその子ありだね。」と
     父に言ったら、その時も
     「へりくついうんじゃない」と言われました。
     自分は だからこそ 男性が演じて面白いのだと
     言いたかったのに。

     小さい頃見た時は「人形が動いてるだけみたい」と
      思いましたが
      あれは 人間の 「生の“かた”人の“かた”(形?型?)」
      なのかなーなんて漠然と考えたりしています。


To Hide.  さん。

>なんで、ピョンピョン跳ぶんでしょうか?
    
       何にも知らない私には、あのピョンピョン、異常に見えました。
       武具を着けての体勢 としか考えられなかったもので。

>へー、再販されてますか。手元の「剣道時代」には広告が載ってませんね。「剣道
>時代」のサイトの図書目録を・・・と・・・ないなぁ(^^;
>今度、編集者に聞いてみましょう(^^)

       機会があればお訊ねになってみてください。私の
       コピーでは
         発行者として   碧水会(京都市左京区岡崎御所町18)
                       奥山麟之助気付

                       (株)体育とスポーツ出版社
                           と、その住所 千代田区神田錦町・・・・・
                    昭和55年5月4日発行
                                                    となっています。 
                      

>でも、そんな飼料をお持ちになって、一度なりとも目をお通しになってらっしゃ
>るっていうこと自体「マニア」の資格十分ですよ(笑)

       われながら ヘンだなー とは思いましたよ
       でもマニアじゃないです。        

>だって、とりあえず原点の研究から類推する意外に方法がないかも・・・(^^;

         当時の、
         いまでいえば アナクロニズム (?すみません。またコトバがみつからない。)
         な思想とどう向きあうかというのも問題ですし
          ムカシのひとって、
         たとえば 文部省や武徳会の講演をみても
         細かいことは言わないで、ひたすら
         武道は競技じゃないよとか
>剣光一閃生死の分るる処であり
>まするから、茲に於て神色自若、常の如くにして大悟徹底するのであります。
         とか、
>元来形の必要なる所以は、体の備え、気合い、呼吸、
>着眼、間合、足踏、手の裏、刃先、刃筋等の理を知覚
>せしむるのが根本でありますから、一通の形だけの練習では・・・
          とか言って、よくワカランです。
           じゃあ、正しい姿勢とか足踏とか手の内とか刃筋って
          どういうのか っていうマニュアルもない。(←アタリマエですね)
           どこで何歩下がるとか出るとかどっちの足からどんな角度で
          体を変えるとかいうことは二の次という気がしなくもありません。
          ・・・でも気になるんですよね。
          “神色自若、常の如くにして大悟徹底するのであります”
            というところなど、白井亨の「兵法未知志留邊」とかいうのの
            雰囲気(としか言えないです)を彷彿させたりして。
              (でも マニアじゃないですからね。)
               なんか、ぜんぜん わからないですけど
                    惹かれちゃうんですよね・・・あーこのひとが自分の
                おじーちゃん だったらいいなあ とか
                ・・・そうだったらタイヘンというのは別として。

              日本剣道形のルーツについては形制定の委員であった
              先生方の流派について調べていけばわかるのかなとも
              思いますが むずかしいことなのでしょう。言いだしたのは自分
              なのに、タイヘンさを思いしらされています。ほんとは
              どうでもいいことなのかもしれませんが、それならなぜ
              どうでもいいことなのか 把握したいです。
[2001/12/16 20:40:05]

お名前: 江口   
To 我流  さん。

>侍も天候と飛行機には勝てません!あー疲れた。これを呼んでいるみなさんも疲れたでしょ?

    困ったハプニングを楽しんで
    いらっしゃいますねえ・・・!(冗談)

    しかし 暗闇っていうのも
    勝てない相手じゃありませんか?
    いや、暗闇の夜よりもむしろ
   「たそかれ」(=だんだん暗くなる)時が
    特に、眼の働きがにぶるのでは?
     間合いの感覚も
     にぶりますよね。
     昼と夜では刀の感覚がちがうんだ
      と亡父が申しておりましたが
     ほんとなのでしょうか?
[2001/12/16 14:57:38]

お名前: IZAYOHI    URL
日本の古本屋の検索ページです。
ですけど安いやつで面白そうなのだいたい買占めました
のであしからず。
[2001/12/15 19:32:26]

お名前: 我流   
ほんの少しの間みないうちに「剣道形を大切に」ともども話が随分と進んでいて、びっくり
しました。みなさん、お疲れでしょうから、ちょっと一服どうぞ!!

実は、私14,15日と八丈島へ出張でいって来たんですが、これがとんでもない旅でした。
本当は13,14の予定だったんですが、13日は天候不順で出発時間ぎりぎりまで搭乗手続き
ができず、ようやく飛んだと思ったらやっぱり着陸できずに2時間漂った挙げ句の果てに羽田
に逆戻りでその後すべての便が欠航。(2時間あれば鹿児島だっていけるぞ!)
14日は前日のあおりで午前中の便はすべて満席で午後の便を予約したまではよかったんだけど
(あまりよくない)、これがまた強風のため出発30分前にようやく飛ぶことが決まってひと
安心したのも束の間、機体故障で75分遅れ、強風にあおられ何度も垂直急降下を繰り返しなが
らようやく到着。
明日はきっといい日だろう?なんで思っていたら大間違いで夜になって暴風波浪警報の風速25m
で帰りの便は来るんだろうかとはらはらしてよく寝れず、本日の朝を迎えました。
今日は東海汽船の船便は欠航が決まっているため、頼みは飛行機のみ!帰れなければ明日の
自治会のもちつき大会にもでれないし非常にまずい(役員だから。きょうの準備はやすんで
しまいました)。ようやく搭乗する飛行機がやってまいりましたが強風のためなかなか降りて
来れず、30分遅れでやっと着陸して来たと思ったらタッチ&ゴー(着陸寸前に風等の状況
が変化し、着陸を断念して再び飛んでいってしまうこと。戦闘機の訓練に似ていることから
こう呼ぶ)しばしの後、やっと着陸してきました。
めでたし、めでたし、強風にゆられながらやっとのことで家にたどり着き一件落着。
侍も天候と飛行機には勝てません!あー疲れた。これを呼んでいるみなさんも疲れたでしょ?

それでは、お話の続きをどうぞ。
[2001/12/15 18:22:08]

お名前: Hide.   
to 江口さん
>ビデオで見た 小野派一刀流のかたのことですが
>合小太刀八本のうち『発(ホツ)』の
>“烏飛”というのを見て、武具を着用の名残りを
>感じたのですが・・・やっぱ、違うのでしょうか?
>やってない者の勘違い かな・・・?
うーん、あの合小太刀「発」の動きは私も理解できませんねぇ(^^;
なんで、ピョンピョン跳ぶんでしょうか?
実は、私は、小太刀、合小太刀とも裏表覚えているのですが、それらは「あまり剣
道に役に立たない」と勝手に決めてしまいまして、そんなにしっかり修めていない
んです(^_^ メ) だから、理合を深く研究してみたこともありませんし、そんなに
やりこんでもいないんです。すみませんm(_ _)m

>マニアじゃないですよ(笑)コピーしか持っておりません。
>確か「体育とスポーツ社」から再販されているのでなはいか
>と思います。読みにくいものでもありません。
へー、再販されてますか。手元の「剣道時代」には広告が載ってませんね。「剣道
時代」のサイトの図書目録を・・・と・・・ないなぁ(^^;
今度、編集者に聞いてみましょう(^^)

でも、そんな飼料をお持ちになって、一度なりとも目をお通しになってらっしゃ
るっていうこと自体「マニア」の資格十分ですよ(笑)

>まず「原点に戻れ」ですか?
だって、とりあえず原点の研究から類推する意外に方法がないかも・・・(^^;


to くにさん
>博識な方ばかりの激突で、読むだけでくたびれましたが、4月に予定されている
>第二回剣道形の会へのまたとない資料集になって居ると思います。
ホントですね。私も知らないこと、今まで考えてもいないことが次から次へと襲い
かかってくる感じで、一瞬たりとも気が抜けません(笑)
しかし、この修羅場を抜けたら、剣道形、あるいは形芸子の深淵に近づける・・・
そんなふうに考えているんですヽ(^.^)ノ

>IZAYOHIさんはホントに博識ですね。舌を巻きます。
IZAYOHIさんのサイトはご存じですよね? 剣術に限らず、武術系の広範な知識が
満載のサイトです。私はごく一部しか目を通しておりませんが・・・(^^;

>話をまったく違うところで蒸し返してしまいますが、私も20代の頃には水道橋
>にあった能楽堂で能を何回か見ました。
へー、くにさんもお能をよく観ておられたんですか(^^)


to IZAYOHIさん
>数週間前にネット古書で買いあさっただけでして。^^;
ネット古書ですか? ちなみに、そのアドレスもお教え願えませんかm(_ _)m

>泉先生はこちらで買われたんですか?
その通りです。
「現代剣道の研究」も購入いたしました(^^)

>そういえば談話室もあるみたいですよ。
なるほど、「なっちゃんドリーム」は拙サイトからもリンクさせていただいている
ところですが、この掲示板で「泉流」について話題になっているとは知りませんで
したヽ(^.^)ノ

>ところで実は新聞記事はここにあるやつコピーしただけなので全然苦労しており
>ません。
なーるほど。ここは使いでがありそうなサイトですねヽ(^0^)ノ
うーん、私ってつくづく、インタネを使いこなしていなんですね・・・( -o-) フゥ

>文部省主催講習会 大正3年7月
     (・・・後略・・・)
アハハ、大正3年にも、今とまったく同じことを言ってますね(笑)
[2001/12/15 13:59:20]

お名前: IZAYOHI   
例の文部省の講話また少し抜粋しましたですがこれはここにはふさわしく
ないかもしれません。苦笑
(あの講話技術的なところは前にアップしたとこだけで前編精神論ですよ。)
************************************
内藤高治 講話

文部省主催講習会 大正3年7月
略
剣道の講習法が実際に適合するの講習法にて、心身の鍛錬に叶い得るや否や
と申しますれば、今日は少しく脱線致している様でありまする。これは昔と
違いまして、真剣と申すものが正当防衛若くは、国家有事のときにあらざれ
ば使用するの道なきを以て、自然実際に遠き講習法となるのであります。
所謂竹刀遣いに過ぎずして、白刃の観念に乏しく華法に流れて剣気なく、
俗にいう処の運動に過ぎん、心身の鍛練なるものは、剣先石火の間に於て、
鍛錬修養するを自覚せざれば剣道の効果はなきものなり。現代学生などの
試合は、この観念甚だ薄き故、師の教をも十分に用いざるが如し、申す
までもなく、武術が実際の理と相離れますれば、剣術の存在は世に認め
られぬ事になります。又其実際の理を離れては、何に由って剣術が心身
の鍛錬なるものを生み出しましょうか。剣光一閃生死の分るる処であり
まするから、茲に於て神色自若、常の如くにして大悟徹底するのであります。
さりながら中学程度の者に斯る向上の説は到底分るものでないと申さば
夫れまででありますが、剣道を教授致しまするには、剣道は斯の如きもの
でるということを知らしめねばなりません。
 近来誠に憂うべきことは、剣道の本義を教養する道兎角薄弱になりて、
勝負試合のみ隆んにして、武の本体を忘れ、人心の我を以て相争う故に、
其勝敗も自然と鄙しき振舞を演じて、武術より武の徳を修養すること能
わずして、遂に精神の修養に遠くなることになりまする。学生の試合
などには、往々女々しき試合を見ることがあります。これは武士道の
上より矯正致さねばなりません。
略
[2001/12/14 22:34:27]

お名前: IZAYOHI   
Hide 様
数週間前にネット古書で買いあさっただけでして。^^;
(こんなに役に立つとは思いませんでした。w)

剣の握りは高野佐三郎写真集にもりますね。
(残念ながら足元の写真はありませんが。)
泉先生はこちらで買われたんですか?
http://www.nanbap.co.jp/kenseijyuku/home.htm
そういえば談話室もあるみたいですよ。
http://www.ryjeen.com/cgi-bin/nice/pt.cgi?room=nattchan
そこにもありましたが、あとは東京高師五行の形いれれば完璧ですよね。
(『近代剣道史』にはでています。)

ところで実は新聞記事はここにあるやつコピーしただけなので全然苦労しておりません。
http://www.angel.ne.jp/~otagiri/new_page_16.htm

そうそうあの感想と書いたのは実は反省文だそうなのであの後統一・改訂され変わった
のだと思いますよ。
[2001/12/14 20:24:13]

お名前: くに   
いけねぇ、我流さんへのレスを書き落としていた。
一刀流をやっておられるのですか?これまた、ぜひ形の会に参加していただきたい方ですね。
ホント。勉強させていただきました。
[2001/12/14 17:43:01]

お名前: くに   
巡回さぼっておりまして、今日初めてこのトピ読ませていただきました。
博識な方ばかりの激突で、読むだけでくたびれましたが、4月に予定されている第二回剣道形の会への
またとない資料集になって居ると思います。
IZAYOHIさんはホントに博識ですね。舌を巻きます。
Hideさんとはくどーさんは形の会に出席されるでしょうからいいのですが、江口さんも、お近くにお住いでしたら、
ぜひ参加して、いろいろ教えていただきたいです。

話をまったく違うところで蒸し返してしまいますが、私も20代の頃には水道橋にあった能楽堂で
能を何回か見ました。
今の野村兄弟の狂言なども取り混ぜて、けっこう好きだったのですが、一番印象に残っているのは、
故観世鉄之丞(鉄は異体字が出ませんので元字で失礼します)さんの仕舞「山姥」でした。
薄ら寒く観客も少ない堂内でしたが、空間全体が緊張しているのがわかるような演技で、心から感動しました。
日本の芸術は、音楽にしても、音を出してない間を伝えるために前後に音を入れると言うような事を
すると聞いたことがありましたが、空間を意識させるために舞手がいるような舞台でした。

これとは逆だったのが、さる流派の大師匠が老齢にもかかわらず「道成寺」を舞われたとき。
観客も多くて、何となくざわついた堂内でべたほめの解説のあと、舞われました。
空間の緊張もなく、激しい動きに、思わず手を添えてやりたくなるような演技。鐘入の間も逃して、
失望した舞台でした。それが私にとって最後の能見物になりましたが、江口さんのおっしゃる梅若万三郎の「松風」
見てみたいものですね。この失望感から救われるかも。
あ、そうだ。そのあと奈良・春日大社のおん祭りのとき金春の能を見たんだった。(^_^;)
[2001/12/14 17:23:54]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。

  まず、お詫び・・・
  忘れておりました。

  ビデオで見た 小野派一刀流のかたのことですが
  合小太刀八本のうち『発(ホツ)』の
 “烏飛”というのを見て、武具を着用の名残りを
  感じたのですが・・・やっぱ、違うのでしょうか?
  やってない者の勘違い かな・・・?

>江口さん、なんでそんなマニアックなものの存在をご存じなんですかぁ?(^_^ メ)   

>ということは、江口さんはこの資料をお持ちなんですか???

       マニアじゃないですよ(笑)コピーしか持っておりません。
       確か「体育とスポーツ社」から再販されているのでなはいか
       と思います。読みにくいものでもありません。
       わたしのコピーも 山脈(というよりこちらは 秘境 のおもむき)の
                              ↑
                       トピ、「塵を払う」を参照して思い出して
                        ください。
       なかからひっぱりだしたものです。インターネットで読める
       ようになればいいですよね。千葉周作の「剣法秘訣」があるくらい
       なんですから。でも、できれば横書きでなく 縦書きの方がいいなー。
   
>昭和30年に旺文社スポーツシリーズから出された「剣道」という笹森順造(小野
>波一刀流16代宗家、全剣連最高顧問、早稲田大学卒)はたいへんエキサイティン
>グな剣道解説書なのですが、この中に「第二節 武徳会の形」「第三節 大日本帝
>国剣道形の制定」というものを発見しましたヽ(^.^)ノ
>これにより、大日本武徳会剣術形の1〜3本が明らかになりました! 両方とも制
>定における流れと発表当時の原文も書かれております。いずれここでご紹介してい
>くか、専用ページを設けてそこに全文掲載するかしなければいけませんね(^^)

     わーっ?!
     まず「原点に戻れ」ですか?
     たいへんだー!!
[2001/12/14 13:45:30]

お名前: Hide.   
昭和30年に旺文社スポーツシリーズから出された「剣道」という笹森順造(小野
波一刀流16代宗家、全剣連最高顧問、早稲田大学卒)はたいへんエキサイティン
グな剣道解説書なのですが、この中に「第二節 武徳会の形」「第三節 大日本帝
国剣道形の制定」というものを発見しましたヽ(^.^)ノ
これにより、大日本武徳会剣術形の1〜3本が明らかになりました! 両方とも制
定における流れと発表当時の原文も書かれております。いずれここでご紹介してい
くか、専用ページを設けてそこに全文掲載するかしなければいけませんね(^^)


to 江口さん
>そういうことがわかってくれば もっと
>はりあいも出てくるんですけど・・・。
そうですね。
中山博道先生の構の写真などを見ますとかなり「クソ握り」のようにがっちり握っ
ちゃってますし、最近入手しました「泉 通四郎剣道日記」というビデオの泉先生
(小野派一刀流門人・故人)も、かなりの「クソ握り」です。ひょっとすると、こ
のあたりにも「剣道界の迷信」が隠されているのかもしれません(^^;

>スゴイ!ぜひ
>拝見させていただきたいです。
「剣道形ストーリー」はそういう印刷物があるのではなく、私の口伝です(笑)
4月に第2回目となる「剣道形の会」を催す予定ですが、それまでに、まとめてみ
ようとは思っておりますが(^^) でも、あくまでも「私釈」ですよ(^_-)〜☆

>文部省主催講習会での 内藤高治講話録、
江口さん、なんでそんなマニアックなものの存在をご存じなんですかぁ?(^_^ メ)

>IZAYOHI さんの引用のあと、
ということは、江口さんはこの資料をお持ちなんですか???

しかしこれを読みますと、「統一した教授法こそ難しい」ということがくり返し述
べられてますね。日本剣道形を巡る剣道界の現状のようなものを、設立当時に内藤
先生が見抜いていたというのは、なんとも驚きです。それだけ、この形が「難し
い」っていうことなのかもしれませんが・・・(^^;


to IZAYOHIさん
>アップする予定永久にありません。
>ですがそれではあんまりなのでおわびのしるしに次をどうぞ。
     (・・・後略・・・)
いやぁ、申し訳ありませんねぇ。このような資料は、私の手元にはありませんの
で・・・。しかし、IZAYOHIさんはとんでもない資料をたくさんおもちなんです
ねぇ。お仕事は学者さんかなにかなのでしょうか???(^^;

これを拝読いたしますに、私があげました「四本目、小野派一刀流説」はあえなく
轟沈ですね(笑) 「八相・脇構共に右足を引きて構える。」という点が、現在の
ものとの違いでしょうか。
しかし、「昭和の剣豪」というDVDの中で、何年ごろの撮影かわかりませんが、
「大日本帝国剣道形」として高野佐三郎・中山博道による演武の映像は、八相は前
に出てとっていたはずです。

「内藤高治講演録」「新聞記事の抜粋」共に、たいへん貴重な資料をアップしてい
ただき感謝に堪えません。現代語とちがって旧字体だし、これを入力するのはたい
へんな労力だったことが想像できますだけに、申し訳ない気持ちとありがたさで胸
がいっぱいです。本当にありがとうございましたm(_ _)m

「文部省主催」の方を読んでみますと、この剣道形は「あくまで基本(導入)であ
る」という位置づけのようですね。その設立の趣旨を考えますと、高段位の審査会
で課題としてかすのはふさわしくないのかもしれません(^^;
しかし、左上段に右上段、八相に脇構え、中段に下段などという「形」が「基本」
と考えられていたとは、竹刀剣道自体に広がりや幅があったということなのでしょ
うか???
[2001/12/14 10:16:58]

お名前: 江口   
To IZAYOHI  さん。

有り難うございます。
本からの抜粋はタイヘン。
 すみませんでした。私も
あちこち探してごちゃごちゃです。

『大日本武徳会三重支部剣道講習会に於て』ですね。私事ですが
亡父は剣道形のことをけなしていたにもかかわらず
 この講話を好んでおりました。

IZAYOHI さんの引用のあと、

 元来形の必要なる所以は、体の備え、気合い、呼吸、
着眼、間合、足踏、手の裏、刃先、刃筋等の理を知覚
せしむるのが根本でありますから、一通の形だけの練習では
役に立ちません。故に形を教授致しまするには、十分に
練習にて形を教受致しませんと立案の主旨と相違の点も
生じて、教える人の動作に依り、同じ形が色々に変化致しまする
から、形の講習は易い様でなかなか至難であります。
 さりながら現代の人は、知能の働きが宜しい故か、
少し形を習いますと、直ちに教うることを専に致して、
自己の修養を怠る様であります。故にその元が崩れて、
形がまちまちになる訳ですから、形の講習は、一層
我を去って講習し、形が斯道の研究上有益なることを
生徒に知覚せしむるを肝要と存じます。
  中略
 前に形の事について申述べた如く、稽古には
体の備え、構え、呼吸、気合、間合、着眼、足踏、
手の裏、刃先、刃筋等を夫々注意して、この
練習が熟すると同時に、業の応用変化が、自然に
伴うことにならねば剣術の理を知覚することは
出来ませぬ。この練習の結果、体用一致遂に天真を
知ることが出来て、剣道が精神修養となることを
認めらるるのでありますから、稽古と試合の順序は、
能く懇切に教授いたさねばなりません。
・・・
      と続くのですね。

 一本一本の技の説明がなくて、
左足かかとのことも言ってなくて、 残念なのに 
なんだか納得できるような気がするのはいったい 
なぜなのか・・・

  あらためて、忘れていたものに出会ったような気も
しますし・・・ヘンですね。

  一方、文部省の講習会の方では
剣道において、団体教授法(=学校教育)には
限界がありますよ と言っているようですね。
  

 
[2001/12/14 00:34:12]

お名前: IZAYOHI   
おまけです。当時の新聞記事が検索できたのでコピーしました。
(あー疲れたぁ。苦笑)
**************************
剣道の変遷。その実況は、効果はいかん。いささか記して体育界の参考に、と時事が報ず。【1912/大正01年12月08日/時事】
(前略)
 帝国剣道型 既にして文部省でも、学生の精神を鍛練し体育の奨励をなすには、日本固有の
剣道に若くものなしと云う事になって、明治四十三年七月から正科の中に剣道の一科を加えた。
一般の教科書を始めとして、何もかも一つの型に箝めようとするは文部省の旨趣であるが、
剣道は前申す通り百数十種の流派に岐かれて居るので、全国各学校思い思いの教師を聘して
学生に教授せしめ、その結果いろいろの弊害が生じて来た。これは何とか統一の途を講じね
ばならないと云う処から、武徳会に嘱託して一定の剣道型を制定させる事になり、そこで
帝国剣道型調査委員会と云うものを組織して、東京では高野佐三郎、根岸信五郎、京都では
内藤高治、川奈正、九州では■{つじ}真平の五氏が主査に任命され、ようやく帝国剣道型
と云うものが出来上がって、目下全国に普及中である。そもそもこの型はすべて十本から編
み出されて、打太刀、仕太刀ともに剣道の基本となり、これを応用すればその宜しきに従っ
て、千変万化の妙術に達することが出来るとの事である。
(後略)
[2001/12/13 21:45:18]

お名前: IZAYOHI   
江口 様
残念ながらないようです。
しかたないので手持ちの超抜粋をどうぞ。
***************************
内藤高治講演録

大日本武徳会三重支部
略
本日は形の事に就きましてお話しを致しますが、剣道の形は
申す迄もなく、古流各流派においてその流組の人々が、実地
の上により研究に研究を致して、何れもその理に適合致した
る形でありますから、今日は別に新に形を制定する必要は
ないのでありますが、ご承知の如く剣道が中等程度の学校に
、正科として課せらるる事に相成りたる以上は、その程度に
おいて課すべき適度の形を制定するは、当然必要の事と認め
まして 略 意義なく決定したのが、即ちこの帝国剣道形で
ございます。併し斯の如き形が出来ました以上は、旧来各流
にある所の形は、不要と申す次第ではなく、全く中学程度の
教授に、適するまでの形であります。
略



文部省主催
略
この団体教授法も、各位が毎日ご講習の通り、一人の教師にて
号令の下に、多数の人を教授することが出来ますから、至極
便利に致しまして、先の姿勢、太刀の持ち様、構え方、足踏、
撃方、突方、前進、後方等の動作につき、初心者に基本教授
として実施致しまするは、至極でござりますが、二、三年に
なりますと、夫れ相当の考えを持ちまして、自然相稽古、相
試合等を希望致す様であります。
(中略)
 元来我が国の剣道教授方法は、個人教授が本位で、団体教授方法
は本位でないのですが、然しながら、前に申述べたる如く、学年の
程度に於いては、至極よろしかろうと思われますが、学年が少し進
みますと、必要は認めません。
略
[2001/12/13 21:42:41]

お名前: IZAYOHI   
HIDE 様
アップする予定永久にありません。
ですがそれではあんまりなのでおわびのしるしに次をどうぞ。
*****************************
『武之世界』1912年p92
武徳会での剣道形講習会の感想大正元年11.8〜19
略
 次に第二本目だ。其所作に付ては疑問はない實に明々
白々である。然し中段の構えに就て説がある。中段
とは上段下段に對する中段で、所謂晴眼と同構異名
であるとの説と、中段と晴眼とは判然たる區別がある。
即ち晴眼とは劍尖を對者の眼に着け、中段とは咽頭部
に着けとの説である。
流儀に由ても多少の相違があらう。茲には其が是非
を論ぜない。啻新形には後説が採用されてあった。
且つ各講師の意見も後説に一致して居ることを明言
することに止める。
略
 第四本目の打太刀八相より、仕太刀脇構より、互に
正面を打ちて相打となる場合、無聲なので初の中は
何だか調子が變だ。やっと懸聲を出して切結びて、跡で
これは無聲だったと苦笑することが度々あった。然し
充分に氣合を篭めて使へば、有聲も無聲も同じである。
こヽらの呼吸は餘程注意して研究せねばならぬと信ずる。
八相・脇構共に右足を引きて構える。其他の所作は舊形
の二本目と酷似して居る。
略
大日本帝國劍道形の由來とその使命 市川阿蘇次郎 述

 剣道形調査委員会會議の經過
略
第四本
略
中山 主査の説明に依れは斯の形は何流にも依らぬとの
   事なるが、八相と云ふのは何流にかあると記憶す
   故に果して何流にも依らぬとすれは八相は他の
   文句に改められたし。又、脇構えの左右を明示せ
   られたく、相打は切り結ふとし、尚相晴眼は前に
   相中段とあり是等は一定する方宣しと思ふ。
佐々木 賛成。
議長採決 中山案に賛成五名、其の他大多數原案可決。
略
[2001/12/13 21:39:22]

お名前: 江口   
To IZAYOHIさん。

江口です。ふたたび 
甘えるようで
心苦しいのですが
明治から大正にかけての
文部省主催講習会での 内藤高治講話録、
インターネット上で 参考になるもの
ご存知ではありませんか?

To はくどー  さん。 

>この辺は、現代の感覚でもって見ようとすると、よけいな邪念がはいってしまうの
>かもしれませんね。

    はい。もうしわけ ありません。自分の邪念が見えてきます。
    制定するに費やした月日はどの程度なのか
    ・・・永い年月をかけて受け継がれてきたものを ひとは
    たった数年で料理(?)することができるのかどうか とか
    数日前にはHide.さんの、 前任校でのお話をうかがってますから
    (Hide.さんには申し訳ありませんが
     経営のためには伝統への責任を放棄しちゃう→伝統にたいする
     理解や評価、見切り を自分らが 簡単にできちゃうと思うなんて
      うぬぼれだわっ・・・と思ったものですから)
     昔のエライ人だって現代とかわりないことやっちゃうんじゃないかな って
     ふと、考えてしまったりもしたのです。 
   

>でも、もっと純粋に日本剣道形が、現代剣道を修行する私たちに何を教えようとし
>ているのかを考えてみると、その課程において色んな疑問がわいてきます。
 
        制定にあたった人が どんなことを考えたか 
        どんな解説をしたのかということも
        知りたくなります。          
          
To Hide.  さん。
    
>昔の名人と呼ばれた先生方は、「竹刀を鎬があるかのごとく扱った」などという逸
>話を聞くことがあります。その秘密は「握り」にあるのではと想像しておりますが・・・
>(^^)
      そういうことがわかってくれば もっと
      はりあいも出てくるんですけど・・・。

>私も自分勝手に解釈いたしまして、「剣道形ストーリー」なるものを作成しまし
>て、授業で男子に剣道形を教えて(体育祭の集団演技が剣道形だった)おりまし
>たヽ(^.^)ノ そういう教え方のほうが、だんぜん早く覚えてくれましたね(^^)

      スゴイ!ぜひ
      拝見させていただきたいです。
[2001/12/13 14:48:55]

お名前: Hide.   
およよ、昨日からずいぶん進んでるなぁ(^^;


to 江口さん
>わたしはへりくつ屋
>なのかもしれませんが 審査をえさにして稽古させられるのは
>いやなので 7年ほどまえから道場での稽古のたび どなたかに
>お願いして形の稽古をするよう心掛けておりますが なかなか
>上達いたしません。
けっこうなお心がけですね(^^)
最近、息子が通う剣友会は日曜の夕方から夜にかけて3時間のお稽古を中学生以上
の希望者で行うことになりましたが、そこでは必ず、前半の1時間以上を日本剣道
形のお稽古にあてるようになりました。平日ですと、十分時間がとれませんが、日
曜日のこの形稽古は充実いたしますね。やはり、形稽古は竹刀稽古にない徳目を学
べますから、大切ですよヽ(^.^)ノ

>ところで、 いまのところ 自分の
>うまくできないところは
>木刀は刀を模してつくられているのに
>どうして「鎬」をうまくつかえないんだろう
>ということです。
うーん、これは難しい問題ですね。
昔の名人と呼ばれた先生方は、「竹刀を鎬があるかのごとく扱った」などという逸
話を聞くことがあります。その秘密は「握り」にあるのではと想像しております
が・・・(^^)

>それと鎧や兜のありなしのことですが
>小野派一刀流のビデオで あきらかに
>それらの武具を着けていたのだということを
>想定させる かた を見たことがあります。
おお、そうですか。
小野派一刀流のビデオって、「日本の古武道」というシリーズのやつですよね。
私も何度も見ましたが、そこまでは気づきませんでしたねぇ・・・(^^;

>構えにしても 技にしても その裏にあるエピソードや
>経緯、ストーリー(スミマセン。言葉がみつからない)を
>うかがえると理合とかいうものに近づける気がします。
その通りですね!
私も自分勝手に解釈いたしまして、「剣道形ストーリー」なるものを作成しまし
て、授業で男子に剣道形を教えて(体育祭の集団演技が剣道形だった)おりまし
たヽ(^.^)ノ そういう教え方のほうが、だんぜん早く覚えてくれましたね(^^)


to 我流さん
>四本目 
>小さく3歩出て相打ちって結構むずかしいですよね。剣道では使わない構えだ
>し。。。
四本目の解説、面白く拝読いたしましたヽ(^.^)ノ
たしかに後ろを向いて逃げるときや、後ろに敵がいる場合などにも効果的な構なん
ですね! それは盲点だったなぁ・・・。

先日、剣道形の注意点の撮影を終えてお相手の先生と飲み屋でいっぱいやっていた
ときに、「なんで、四本目は小さく3歩出て声もなく切結ぶのか、それが分かりま
せん」という話になりました。講習会などでも、小さく歩むことの理由として「そ
の後に切結ぶがあるから」という説明しかされないそうで、「それでは理由(理
合)になっていない」というわけです。

そこで私の解釈をお話したのですが、それで納得していただけました(^^)

>剣道形だって理合とかいろいろ考えたり、調べたりし出せばきっと楽しくなりま
>すよ。
おっしゃる通りです!
全剣連の今の剣道形の取り扱い方法は、「剣道形をますますつまらないものにさせ
ている」と断じても言い過ぎではありませんね(^^;


to はくどーさん
>まるで片思いの相手でも探すようなうつろな目で、Hide.さんの姿を探し求めて
>いましたので、今週はHide.さんは来られない旨を話しましたところ、ずいぶん
>気落ちした様子でした。
うわぁ、そいつは困ったなぁ・・・。
「かわいさ余って難さが百倍」なんてことになって、いざ、対戦したときにボコボ
コにされたりして(^_^ メ)

「道」と「術」に関する考察から、「古流剣術の形との比較はあまり意味がない」
とするのはちょっと強引な感じもしないではありませんが、たいへん興味深く拝読
させていただきましたヽ(^.^)ノ しかし、ホント博識ですねぇ(^^;

>しかし、何歩歩くとか、どちらの足から下がるとか、「剣道形」の所作事につい
>ては、微に入り細に渡って教えてくれる先生方は多いのに、それぞれの形が表現
>しようとしている「目的」の部分について、詳しく教えてくださる先生がほとん
>どいらっしゃらないのは、どうしてなんでしょうか。
「目的」はおろか、「術」としての理合すら教えていただけないのが現状なんじゃ
ないですか・・・( -o-) フゥ

>という訳で、次回の「剣道形の会」に備えて、日本剣道形に関する素朴な疑問を
>かき集めて、みんなで考えてみるのも楽しいかもしれませんね。(^^)
御意!ヽ(^.^)ノ
ぜひぜひ、「電剣情報交換ボード」にそのトピを作りましょう!

to IZAYOHIさん
>大日本武徳会剣術形仕方説明
によりますと、この「第二本」は四本目に似ておりますねぇ。
これが下敷きになって「大日本帝国剣道形」が制定されたのは、ほぼ、間違いない
ように思われますね。

ちなみに、この資料はIZAYOHIさんのサイトで読めるのでしょうか?(^^)
[2001/12/13 11:35:18]

お名前: IZAYOHI   
老婆心ながら、
旧制中学校は現在で言えば高等学校に相当する学校に
なりますこと申し添えます。
[2001/12/13 07:46:57]

お名前: はくどー    URL
to 江口さん

>     むつかしいですね・・・。
>     そのように思いこませようとする何かがあったのではないか、とか
>     へりくつしたくもなります。

この辺は、現代の感覚でもって見ようとすると、よけいな邪念がはいってしまうの
かもしれませんね。
でも、もっと純粋に日本剣道形が、現代剣道を修行する私たちに何を教えようとし
ているのかを考えてみると、その課程において色んな疑問がわいてきます。

たとえば、一刀中段が基本とされる現代剣道において、旧姓中学校の生徒の教育用
に制定されたはずの「剣道形」の1本目が上段なのは、どういう意味があるのか?。
あるいは、中学生で禁止されている突き技が、3本目に入っているのはなぜなのか。
更には、師の位であるはずの打太刀が、1本目の形において、その打突後に無様な
前のめりの姿勢になるのは、なぜなのか。

こういった疑問を解決するために、様々な思考を巡らしてゆくと、日本剣道形が、
私たちに伝えようとしていることが、おぼろげながらも分かってくるような気が
します。

太刀の形1〜3本目と小太刀の形1〜3本目の共通性、1本目から3本目までと、
4本目から6本目までの思想の違い、7本目の独自性、このようなことを考えて
みると、日本剣道形はとても面白くなってきます。


to Hide.さん

という訳で、次回の「剣道形の会」に備えて、日本剣道形に関する素朴な疑問を
かき集めて、みんなで考えてみるのも楽しいかもしれませんね。(^^)
[2001/12/13 03:25:42]

お名前: 江口   
To 我流  さん。

   おかげさまで 
  今日の稽古時の剣道形
  以前より 楽しくなりました(←お調子者ですから・・・!)
     
>しかし、嫌いだった
>日本史も日本刀や書画骨董に興味を持ってから好きになったなんて方は多いんじゃない
>ですか。「るろうに剣心」読んで幕末に興味を持ったりね。
>剣道形だって理合とかいろいろ考えたり、調べたりし出せばきっと楽しくなりますよ。

      うーん。でも自分は お能を初めて観たときのように
      剣道形に のめりこんだことは一瞬もなかったのですよ。
      「なにか・・・ないはずはない」とか
      「光るものをみつけられるはずだ」と まじめに
       取り組もうという気持ちはあったのですが
       ギモンばかりが先走ってしまう。どういうわけか
       Opened heart・Clear mind になれませんでした。
                 
       今日は我流さんから「心得」をいくつか 教えて
       いただけたので いつもとは心持ちが違う気がしました。
        構えにしても 技にしても その裏にあるエピソードや
        経緯、ストーリー(スミマセン。言葉がみつからない)を
        うかがえると理合とかいうものに近づける気がします。
        竹刀剣道という、自分と共通の立場に立ってお話しいただけるので
         すんなり伝わってくるのだと思います。
        
        でもやっぱり 脇構えや八相ってむずかしいですね。
        刃の向く方向がブレやすいですしブレないようにするだけでも
        なかなかうまくいきません。竹刀より繊細ですよね。
        

To はくどー  さん。

     なんか、“深遠”になってきた気配・・・!?

 >ようは「日本剣道形」という
>のは、日本の古流剣術の技法や技を集大成したものではなく、当時の日本を代表
>する剣道家(武術家と言った方が正しいか?)が、日本国民としてのあるべき姿
>を剣の「形」にして残したものと考えても良いのではないでしょうか。

>だとすれば、「日本剣道形」に現れる個々のかたちや動作を、様々な古流剣術の
>形と引き比べて云々するのは、余り意味のないことで、むしろ、その方の奥に潜
>む「道」、すなわち形が導こうとしている「目的、精神性」にこそ着目すべきな
>のではないかと思うようになりました。

      むつかしいですね・・・。
      そのように思いこませようとする何かがあったのではないか、とか
      へりくつしたくもなります。
      だって制定の経緯は藪の中なのに(ホントはそうじゃないんじゃないか
      とも思いますが)「古来の流派の技の粋の集成」とかいって普及の宣伝
      してるみたいなんだもん。
       だけど かた って大切ですよね。もっとよく知りたいし 
       何よりも、 素直に 学びたいです。
[2001/12/13 01:51:29]

お名前: IZAYOHI   
以下資料をもってましたので参考まで。

大日本薙刀道教範 美田村邦彦

大日本武徳会剣術形仕方説明

第一本(上段)略

第二本(中段)
(甲)は中段(八相)に構へ(乙)は正眼にて問答に進み(甲乙)刀尖を接し
互いに一歩を引き揃足となると同時に上段に冠り×字形に切結び(甲)は敵の
気勢を図り鎬ぎにて(乙)の刀尖を抑へ右足を踏込み身を捨て敵の胴へ突込む。
(乙)は左足を左身横に披き又右足を左足の後ろに斜に移し刀を転旋し敵体の
乱るヽを認め背後より右肩先を大袈裟に斬る。
第三本(下段)略
[2001/12/12 20:24:21]

お名前: IZAYOHI   
明治28年4月: 大日本武徳会設立 

明治38年10月: 大日本武徳会武術教員養成所 

明治43年11月: 大日本武徳会武徳学校 

明治45年1月: 大日本武徳会武術専門学校 

大正8年8月: 大日本武徳会武道専門学校 
本会は創立当初より武道の名称を世の套語(トウゴ)に任せ剣術柔術弓道と称し綜合の場合は武術と称し来たりたるも術の字を以ってしては形而下の技術に偏し最も尊重すべきその道の神髄たる其の精神を逸するの処ありとし剣道柔道弓道其の綜合の場合には武道と改称する事に決したり。
[2001/12/12 20:06:00]

お名前: はくどー    URL
to Hide.さん

昨日の稽古にもポイント君が来ていました。
まるで片思いの相手でも探すようなうつろな目で、Hide.さんの姿を探し求めて
いましたので、今週はHide.さんは来られない旨を話しましたところ、ずいぶん
気落ちした様子でした。
良かったら、あとでメールを送ってあげてください。


to 江口さん(余談です)

江口さんの紹介してくださった日本剣道形の経緯を拝見していて、ふと気がつい
たのは、明治39年8月に制定された3本の形の名称は「大日本武徳会制定剣術形」
すなわち、「剣<術>形」となっているのに対し、その後大正元年に同じ武徳会が
正式に発表した形の名称は「大日本帝国剣道形」となって、「剣<道>形」という
の名称に変更されている点です。
私が以前に何かの本で読んだ記憶では、「武術」という言葉に対して「武道」の
言葉が一般的に使われるようになったのは、大正の末期頃から昭和にかけてだと
聞いています。つまり、もし私の記憶が正しければ、「武道」という言葉が一般
化されるより10数年も前に「剣道形」という言葉が使われたということになり
ます。
更に面白いのは、前者は「大日本武徳会制定」が頭に着いているのに対し、後者
は「大日本帝国」という、いわば当時の日本の国名が冠せられています。

これらは、現在の「日本剣道形」の元になっている形は、明らかに、武術の一団
体である「武徳会」が制定した剣術の「形」という意味ではなく、大日本帝国と
いう国家としての「剣『道』形」であるということを、ある意図を持って発表し
たと考えられるのではないでしょうか。

ここで、「道」と「術」に関して、ある先生からお聞きした話を思い出しました。
一般に「道」といわれるものの語源と言いますか、いわゆる「いわれ」は、中国
の易経にある「形而上者謂之道、形而下者謂之器」(かたちよりして上なるもの、
これを道といい、かたちよりして下なるもの、之を器(き)という)というところ
から来ているそうです。これは、形象(かたちとして現れるもの)より上にある
目に見えない精神性を「道」といい、形象より下にあるもので、現象として知覚
できるものを「器」という...という意味なのだそうです。
物事の本質や存在の根本原理などを精神の面から研究する学問のことを「形而上
学」といいますが、ここから来ていたんですね。
そして、この形而上学では、「術」は「器」の一種であって、形而上にある「道」
へ行くための方法、手段と言う意味あいがあるそうです。
つまり、分かり易く言えば、「道」は目的であり「術」は方法手段なのですね。

さて、こういう観点で、先の「形」の名称を見てみると、
前者は「大日本武徳会が制定した剣の術(剣の扱い方の方法)を表した形である」
と読め、後者は「大日本帝国の(日本の)国民が、剣の修行を通して目指すべき
目的を表した形」であるというように読めてきます。

最初の「形」の名称が、後にこのように変えられたのはなぜなのだろうか?、
このあたりのことを考えようとしたときに、ちょうど間にある、明治44年に旧制
中学校の正科に撃剣柔術が加わって、文部省主催武術講習会用(東京高等師範学
校)の形が制定されたということに大きな鍵があるような気がしてきます。

現在の日本剣道形の1本目から3本目は、この講習会用に制定された形が元にな
っていると聞きます。とすれば、この1本目から3本目に、当時の文部省が旧制
中学の生徒に対して、ある教育的配慮を持って、この形を制定したと考えられま
す。
更に、大正元年に武徳会が4本目以降を加えて、その総称を「大日本帝国剣道形」
と命名したということは、これは「日本の国民に対する教育的な理念と目的を剣
の形に現し、後世に伝えようとしたものである」ということになります。

なんか、回りくどい書き方をしてしまいましたが、ようは「日本剣道形」という
のは、日本の古流剣術の技法や技を集大成したものではなく、当時の日本を代表
する剣道家(武術家と言った方が正しいか?)が、日本国民としてのあるべき姿
を剣の「形」にして残したものと考えても良いのではないでしょうか。

だとすれば、「日本剣道形」に現れる個々のかたちや動作を、様々な古流剣術の
形と引き比べて云々するのは、余り意味のないことで、むしろ、その方の奥に潜
む「道」、すなわち形が導こうとしている「目的、精神性」にこそ着目すべきな
のではないかと思うようになりました。

しかし、何歩歩くとか、どちらの足から下がるとか、「剣道形」の所作事につい
ては、微に入り細に渡って教えてくれる先生方は多いのに、それぞれの形が表現
しようとしている「目的」の部分について、詳しく教えてくださる先生がほとん
どいらっしゃらないのは、どうしてなんでしょうか。
私が師に恵まれないだけ?。それとも、そんなことは自分で考えろということな
んでしょうかねえ。(^^ゞ
[2001/12/12 17:10:49]

お名前: 我流   
to 江口さん

確かに、テスト勉強ってのは何歳になっても楽しくないですよね。しかし、嫌いだった
日本史も日本刀や書画骨董に興味を持ってから好きになったなんて方は多いんじゃない
ですか。「るろうに剣心」読んで幕末に興味を持ったりね。
剣道形だって理合とかいろいろ考えたり、調べたりし出せばきっと楽しくなりますよ。
例えば、
(それは違うという意見の方もあるかと思いますが、そういう考え方もあるんだなーと
いうことでお許し下さい。)
一本目 
 一刀流系には「きんしちょうおうけん」という技がありますが、各派で決め技は
違いますが要は「上段からの攻防」。兜のオデコのところによく竜の飾りがありますが、
伝説にして最強の生き物「竜」をも食い尽くすといわれる「きんしちょう」(鳳凰)。
一度構えたら二度と下がらないという気構えで大上段に構えなさいという教えです。
だから、剣道で上段をとりながら攻められて下がる人がいますが、こういう人の上段は
得てして迫力がないです。
四本目 
 小さく3歩出て相打ちって結構むずかしいですよね。剣道では使わない構えだし。。。
特に「脇構え」。「刀の長さを相手に知られないため」ぐらいの説明しか受けられない
んじゃないですか?紙一重で見切るためには確かに必要かもしれませんが、いつも剣先
を合わせている剣道にとって、間合いをとるのが非常にむずかしいことがわかると思い
ます。「脇構え」は間合いがとりずらい上、足に、胴に、面にと変幻自在に切り込める
他、剣術的には非常に有用な使い方があります。後ろに敵を背負ったとき、あるいは
逃げるときに刀がシッポになって後ろから不用意に切り込めない上に、脇構えの状態から
クルリと振り返ると後ろの相手に対し、一瞬にして「下段」になります。ふいをついて
下段にとったら一気に逆袈裟に切り上げればよいですよね。
「摺り上げ」について
剣術をわざわざむずかしくしてしまっている原因の一つが「日本語」。「摺り上げ」に
しても「切り落とし」にしても極端に言えば相手の打ち込む刀に対し、下から、あるいは
上から小さくコツンと「打ち込み」、相手の刀の軌道をそらしてやれば良いだけです。
そういうことを教えてくれないから、やたらと大振りになったり、空振りするんです。
さらに、これは「捌き」にすぎず、重要なのはそれに引き続き一挙動で打ち込むという
ことです。
日本刀の「引き斬り」も同様に詳しくは述べませんが、極端に言えば、斬る動作の基本は
同じで後退しながら斬れば引き斬り、前進しながら切れば押し斬りになります。「引く」
という印象があまりに強いため、初めて試斬をした人はみんな「なで斬り」になって
巻き藁の途中で止まってしまいます。剣道の押し斬りをばかにする人っていますが、
実は正しい切り方なんですよ。
以上、他にもいろいろおもしろい話はありますが、理論は理論、実践(練習)がなければ
何の役にも立ちません。いろいろ言っておきながら私なんかこの何パーセントができるか?
とにかく、剣道形っておもしろいです。

 
[2001/12/12 16:21:35]

お名前: 江口   
To 我流  さん

新陰流のその技は「ガッシ(漢字がわからない)」
とかいう名まえの技のことですか?

『剣術修行中』さんでありましたか・・・
「江口」という名前をつかってみれば、
 というのは私の アテはずれで
直心影流やってた者の娘だということを
 Hide.さんに堀りあてて(?ながいこと自分の
コンプレックスだったためあまりうれしくない)
もらって、ようやく あらわれてくださいましたか・・・

 自分もまた 日本剣道形は昇段審査を受けるため
 ということがきっかけで 習いました。
  道場でも「剣道形は審査のためではない」とか
「古流の技の粋を集めたもの」とおしえてくださいますが
 実際は審査の前にプレッシャーをかけられたように
 稽古するといった状態です。わたしはへりくつ屋
なのかもしれませんが 審査をえさにして稽古させられるのは
いやなので 7年ほどまえから道場での稽古のたび どなたかに
お願いして形の稽古をするよう心掛けておりますが なかなか
上達いたしません。
  だからといって 形稽古中心の古流に入門しようとも考え
なかったのです。

 ただ、「かた」から何を学ぶのか ということについては
とても興味があります。いろいろのお話を伺うと 自分の
課題もはっきりしてきて 稽古にも張りがでてきます。

左足のことは いまのところ
竹刀剣道独特のものかもしれない と
考えております。

  ところで、 いまのところ 自分の
 うまくできないところは
 木刀は刀を模してつくられているのに
  どうして「鎬」をうまくつかえないんだろう
 ということです。
  鎬をつかうということを意識することによって
手の内もきまってくるだろうに、
 竹刀での すりあげ技も本来のものができるだろうに・・・
 と思うと 自分が歯がゆいです。
 また、刀と想定することによって刀筋の大切さを
実感できるのではないかと思いながら
 なかなか・・・ムツカシイです。

 それと鎧や兜のありなしのことですが
 小野派一刀流のビデオで あきらかに
 それらの武具を着けていたのだということを
 想定させる かた を見たことがあります。
[2001/12/12 13:53:56]

お名前: Hide.   
to 我流さん
はじめまして、管理人のHide.と申します(^^)
「剣術」で検索して拙サイトにぶつかりましたか。そんなに剣術ネタはないはずな
んですがねぇ(^^; ご期待にそえませんでもうしわけありません。

>私はとある剣術と剣道を少々やっておりますが、左足のかかとをあげるのはもち
>ろんですが、厳密には右足のかかともあげています。(ただし、下敷き一枚が入
>る程度)。そして、重心が体の中心にくるように両足の親指の付け根を中心に体
>重がかかるようにしています。
これは、竹刀剣道の基本とまったく同じです。右足の踵は「半紙が一枚入る程度、
持ち上げなさい」と教えられます。右踵もベッタリでいいということはありません
(^^)
重心の位置も、右足と左足の中間で間違いありません。

>打ち込みですが、右足を摺るようにサッと前進し、左足の引きつけと同時に打つ
>ように指導されています。
これは、「当たった瞬間に左足引きつけ」という意味でしょうか???


to 江口さん
>起こってほしくない事態が平然と
> 起こされてしまう・・・?
>  「ほんもの」の教育を目指すことが
>  ないがしろにされてしまう・・・?
>“だめなものはだめ”って言えない
>   苦しさがありますね。
まぁ、学校っていっても、まずは経営第一ですから。とくに大きな学園になるとそ
の傾向は強いでしょう(^^; 
最近は大学からして「サービス産業」ですからねぇ( -o-) フゥ
そして、私もサラリーマンです・・・。

>まだ勝負の途中なのでは?
>みんな別々の場所で 
>共通の問題と苦闘しているのだと思います。
>「負けて勝つ」っていう法もあるし・・・
 もう、土俵を降りてしまいましたから、勝負したくてもできません。それに、第2
ラウンドがはじまっておりますので、今さら前のラウンドのことを持ちだしても
ねぇ(笑)

>直心影流の亡父から「おまえの足は
> へなちょこ剣道だ」と言われ続けておりましたし
>『運歩』の稽古を怠らなかった亡父の後ろ姿が
>直心影流の稽古をやろうとはしなかった
>娘の私に今も語りかけてるのかな とは
>思います。
なるほど、ようやく江口さんの根っこを掘り当てられたようですヽ(^.^)ノ
お父様が直心影流を修めていらっしゃったのですか。興味がなかったとはおっしゃ
いますが、どこかでプリンティングされていらっしゃったのでしょう。お謡もその
後影響なんですね(^^)

>お能にのめったからといって 決して
>伝統へと戻ったり 帰ったりしたわけじゃありません。
了解です。失礼いたしましたm(_ _)m



>        はい。
>        ↑
>      (居着いているところ)
アハハ、こちらの方がへ理屈でしたね(^_^ メ)
[2001/12/12 10:45:36]

お名前: 我流   
to 江口さん
はじめまして、私のヘンな横長の書き込みにまでコメントいただきありがとうございます。
これまでのやりとりを拝見するに、江口さんの真面目なお人柄が伺えます。
さて、わたしの記憶に間違いがなければ直心影流は後足に重心をおく流派であり、剣道とは
かなり違うものと思います。逆に前足に重心をおく流派や、剣道のように比較的体の中心に
重心を持ってくる流派もあります。流派それぞれに考え(理論)があってのことで、結局
のところ何が正しいということはないのです。
今やっているのが剣道であれば、剣道のやり方に従う。これが礼儀であり、上達の早道と
考えますが、千葉周作先生も言われているとおり、理論から入ったほうがはるかに
上達は早いと思います。ですから疑問に思うことはいろいろな人に質問し、いろいろな答え
が返って来ると思いますが、すべてを素直に受け止め、その中から自分なりに理論を導き
出していくことが必要と考えます。
以上、いろいろな書物や先生方から教わったことの受け売りではありますが、私はこのように
考えながら日頃の修練を行っております。
それから、遅くなりましたが「剣道形を大切に」にコメント書き込みました。名前が違うかも
しれませんがよろしければお読みください。
[2001/12/12 08:40:57]

お名前: 江口   
To 我流  さん。

初めまして。
江口です。よろしくおねがいします。自分は
剣術を見て見ぬふりしてきてしまった者です。
はじめはヘンなギモンで恥ずかしいと思いましたが
いろいろ より道しながらも
あらためて気づかせていただいたことが
どっさりあり、うれしいことなのですが
 なんだか よくわからなくなってもいます。

 
   
[2001/12/11 21:41:55]

お名前: 江口   
To Hide.  さん。

   ん--っ(←何と言っていいかわからない)
   なるほど。  

>「学園全体の利潤」というものが「教育」を駆逐したっていうわけです(^^;

    起こってほしくない事態が平然と
    起こされてしまう・・・?
     「ほんもの」の教育を目指すことが
     ないがしろにされてしまう・・・?
 
   “だめなものはだめ”って言えない
      苦しさがありますね。

>私はちょっと心残りなんです(^^)
 
       まだ勝負の途中なのでは?
       みんな別々の場所で 
       共通の問題と苦闘しているのだと思います。
       「負けて勝つ」っていう法もあるし・・・
          ↑
          へりくつでありましたか・・・ 
        

>そこはふつうではありませんよ(笑)
>好きって言えるようになるためには、ある程度知らなくてはいけません。知るためにはきっか>けがなければ知れません。環境があるかないかって、大きいですよ。

    えーっ?!
     知ってなくちゃなんないなんて
    ずいぶんと几帳面なことを。
     下地があったかどうかについては自分でも
     わかっておりません。
     亡父はお謡を習っていたことがあり
     ウチで始終うなってましたが私は
     ぜんぜん興味をもてなかったという具合です。
       けれども左足かかとについては
     直心影流の亡父から「おまえの足は
     へなちょこ剣道だ」と言われ続けておりましたし
     『運歩』の稽古を怠らなかった亡父の後ろ姿が
      直心影流の稽古をやろうとはしなかった
      娘の私に今も語りかけてるのかな とは
      思います。       
 
>しかし、ジャズに比べると圧倒的に馴染みにくいのはどうしてなんでしょうねぇ(^^;

       再びギモンとされてしまいそうですが 自分は
       パーカーや、アイラー、ミンガス、ドルフィーを聴くときと
       同じように入り込みました。
       お能にのめったからといって 決して
       伝統へと戻ったり 帰ったりしたわけじゃありません。
     

> 私は右足も大切だと思ってますよ。左足一本では剣道はできませんしカラダをうま
>く支えられませんから(^_-)〜☆

        はい。
        ↑
      (居着いているところ)
[2001/12/11 19:23:10]

お名前: 我流   
はじめまして。「剣術」で検索したところこのHPにいきあたりました。私はとある剣術と剣道を少々やっておりますが、左足のかかとをあげるのはもちろんですが、厳密には右足のかかともあげています。(ただし、下敷き一枚が入る程度)。そして、重心が体の中心にくるように両足の親指の付け根を中心に体重がかかるようにしています。そして、打ち込みですが、右足を摺るようにサッと前進し、左足の引きつけと同時に打つように指導されています。
[2001/12/11 13:34:37]

お名前: Hide.   
to 江口さん

>Hide.さんが提起なされた問題、 ほんとはみんな、
>とても重要なことと気づいていながら うやむやにすることで
>自身の気安めしてるのかもしれないじゃないですか?私のように
>へなちょこ主婦でさえ 気づくことです。

ウチは独立採算の学校ではなく、「○○学園」というけっこう大きな学校法人でし
たからね。「学園全体の利潤」というものが「教育」を駆逐したっていうわけです(^^;


> ただ、とてもむつかしい。「女子としての特質」というものを
>捉えきることはなかなかむずかしいことなのではないかと思います。

おっしゃる通りです。
私にも「かくあるべき」と断言できるようなものはありません(^^; でも、当時の
教職員の英知を集めれば、きっと、21世紀に必要な女性像を考えた教育を考える
ことができたと思います。
むろん、共学化は成功したのですが(数少ない成功高のひとつといわれているそう
です)、私はちょっと心残りなんです(^^)


>ただ、率直に  好き  だっただけですよ。

そこはふつうではありませんよ(笑)
好きって言えるようになるためには、ある程度知らなくてはいけません。知るためにはきっかけがなければ知れません。環境があるかないかって、大きいですよ。


>芸能を アカデミックという 箱 に閉じ込めてほしくはないです。
>ジャニスだビリー・ホリディだと言っていたのが
>たまたま日本のものに足元をすくわれちゃっただけです。

なるほど。おっしゃる通りです。
しかし、ジャズに比べると圧倒的に馴染みにくいのはどうしてなんでしょうねぇ(^^;


>やっぱ左足って大切だわ。

私は右足も大切だと思ってますよ。左足一本では剣道はできませんしカラダをうま
く支えられませんから(^_-)〜☆
[2001/12/11 10:19:04]

お名前: 江口   
To Hide. さん。

>男性には男性の、女性には女性のよさや特質があるはず。性差を認
>め、その特質にあった教育の道を残していかなくてはいけないと思うんです。
>前任校で私は、その必要性を強くお話したのですが、受け入れてはいただけません
>でした( -o-) フゥ

  むつかしい中にいらっしゃったのですね
  ひとは たとえそれが その場しのぎにすぎないとわかっていても
  安易なほうへ流れていきやすいですね・・・集団だとなおさら という
  ことも。Hide.さんが提起なされた問題、 ほんとはみんな、
  とても重要なことと気づいていながら うやむやにすることで
  自身の気安めしてるのかもしれないじゃないですか?私のように
  へなちょこ主婦でさえ 気づくことです。
  ただ、とてもむつかしい。「女子としての特質」というものを
  捉えきることはなかなかむずかしいことなのではないかと思います。


>ずいぶんアカデミックな職場ですねぇ。私は大学に勤務しておりますが、私も含
>め、まったくヤボな連中ばかりですよ(^_^ メ)

    え−。そうですか?
    みんな 歌舞伎や文楽の"研究”してたわけじゃありませんから
    アカデミックとは言えないと思います。
    ただ、率直に  好き  だっただけですよ。
     芸能を アカデミックという 箱 に閉じ込めてほしくはないです。
    ジャニスだビリー・ホリディだと言っていたのが
    たまたま日本のものに足元をすくわれちゃっただけです。
     やっぱ左足って大切だわ。
[2001/12/10 15:48:26]

お名前: Hide.   
to はくどーさん
>やっぱり、私の拙い文章力では、言葉だけで真意を伝えるのは難しすぎます。
>ってなわけで、詳しくは今週中にでも日本橋の浜町亭で...ってことに(笑)
アハハ、そっち方面から攻めがきましたか(笑)
でも、この間ポイント君に悪いことをしちゃいましたしね。
あああああーーーーーーー、たった今思い出しましたが、今週の金曜日はサイレン
トナイトコンサートだぁぁぁぁぁぁ!!!!!! いかん、私が担当のイベントです。日剣
には行けません。ポイント君に誤っておいてくださいm(_ _)m


to 江口さん
>女子特有の能力、開発の場に
>乏しいような気がしております。
おっしゃる通りです。
男女雇用機会均等法はいいとして、なんでも男女同じという今の教育要領には疑問
を抱きます。男性には男性の、女性には女性のよさや特質があるはず。性差を認
め、その特質にあった教育の道を残していかなくてはいけないと思うんです。
前任校で私は、その必要性を強くお話したのですが、受け入れてはいただけません
でした( -o-) フゥ

>文化の継承だって教育の一環
>なのかもしれませんのに。
まさにしかり!
さらには、共学化にともない、男子生徒の進学実績ということが課題に上げられ、
謡曲の授業は葬り去られたのでありました(;_;)

>その頃の私の職場には
>歌舞伎や文楽大好き人間が
>幾人かおり、
ずいぶんアカデミックな職場ですねぇ。私は大学に勤務しておりますが、私も含
め、まったくヤボな連中ばかりですよ(^_^ メ)

>Hide.さんではなく
>御師匠様が
>Hide.さんを想う
>お気持ちの方が強いのでは?
師匠にはたくさんのお弟子さんがいらっしゃいますから、私ごときに寄せてくださ
る思いはホンのわずかでしょう。でも、あの世に行って「ようやった」と褒めてい
ただくのが唯一の楽しみでしてヽ(^.^)ノ
でも、「バカもん」と言われるかな(^^;


to IZAYOHIさん
それにしてもいろいろご存じですねぇ。
江口さんの博識ぶりにも驚かされますが・・・(^^)
[2001/12/10 13:02:28]

お名前: 江口   
To IZAYOHI  さん

  ありがとうございます。
  タイトルを拝見しただけで
  興味が湧きます。
   今は会社ですが
   (シゴトしてるフリする能力に
     長けているのです)
   帰ったら見てみます。

  ですが、明治以前のことがらに
  首をつっこもうとすると 自分は
   お手上げになりがちです。
  日本人独特の官能
 (性的な意味でなく)から 自分は
  はるか遠ざかっていまったことを
  思い知らされるばかりなので。

   急ぎお礼まで。

   
  
 

   
[2001/12/10 11:35:43]

お名前: IZAYOHI   
なお私は剣道は嗜みませんので念のため。
今回は蛇足紹介です。

世阿弥と能
http://www.ilaboyou.jp/jin/jin_clumn1.28.2001.html
能の構えと運び
http://www.gld.mmtr.or.jp/~tenten/kihon/nou.htm
剣道の歴史
http://www.hidecnet.ne.jp/~noriha/ibadoren/rekishi.htm
剣道について調べている事
http://home.att.net/~Kaseyinoshita/yoshinkan/yoshinkan3.htm
江戸とスポーツ
http://www.angel.ne.jp/~otagiri/new_page_61.htm#3-5
[2001/12/10 07:02:20]

お名前: 江口   
IZAYOHI  さん

  ご教示 感謝しております。私のもっている方は
  以前 学校の授業で教材として配布されたコピー資料、 
  たぶんIZAYOHI さんがお持ちの本と同一著者の
  (私の方は奥付ないので正確ではありませんが)
  “剣道事典”と思われます。これは書店に行けば
   誰でも手に入るものです。
    「年表」形式になってはおりません。
    写真もその中に載っているものです。
   蛇足ですが
     今の私達から見て「八相」ととれる
   構えの方を(=甲となっています)
   中段とした     というコメントが
   記されており、乙であろう側の方が
   今でいう 中段の構え をとっています。
   (左かかと上がりは乙の方です)
[2001/12/10 01:38:24]

お名前: IZAYOHI   
IZAYOHIです。これが最後になりますか?

江口さん

>  それではわたしは(中略)
  匂いを嗅ぎとっては
  実体を求めて
  うろつきまわっている
  だけなのですか? 
  ・・・それだって「稽古」じゃないかっ!と
  お叱りを受けそうですけど。

いいえ決して叱りませんよ。
(独り言 私にとってはそれこそが「稽古」なのですけど、
     他所様には他所様の「稽古」がおありでしょうから。)

> 明治37・38年の日露戦争後大日本武徳会は
                 武術による国民強化を推進
   明治39年8月 大日本武徳会制定剣術形 制定(1〜3本目)
   明治44年 旧制中学校の正科に撃剣柔術が加わる
            文部省主催武術講習会用(東京高等師範学校)の形が制定される
            →大日本武徳会制定剣術形の内容は採用されず。(外形的には同じ)
            と聞かされておりました。

実はあれは『近代剣道史』p275〜278の超簡単要約です。
中身はそちらの年表とまったく同じでしょ?
(明治39年の「天」「地」「人」については省略しました。
これはかなり不評だったようで普及しなかったと書いてありますね。)

>           その後、武徳会と文部省の方向性の相違による
             確執や妥協、(再確認の面もあったと思われます)の
             過程を経て 日本剣道形が形成されていったのでは
             ないか・・・と。
そういう文書化できない部分はもはや、わからないと存じます。
(「天」「地」「人」不採用にしたのはあの嘉納治五郎となっております。)

>今気がついたのですが
  明治40年の『武徳誌』のなかの
  写真では
  中段の構え、
  左足が上がっているようです。

それは幻の「天」「地」「人」の形ですか?
なかなかいいものをお持ちですね。
それほどお詳しいのなら鳥ある里の蝙蝠たる私はここから
身を隠すことにいたします。
[2001/12/09 20:59:04]

お名前: 江口   
IZAYOHI  さん。

 「いろ のうて」が
  抜けてました。
 
  しぼめる花の
   色 のうて 匂い
  残れるがごとし
                 でしたね。
 
               
[2001/12/09 16:24:05]

お名前: 江口   
IZAYOHI  さん。

 や、や・・・?
  
>すり足の初出ですって?
>それはわからないでしょう。

   それではわたしは
   むかしの人が言った
   “しぼめる花の
    匂い残れるがごとし”
  というコトバのごとく、
  匂いを嗅ぎとっては
  実体を求めて
  うろつきまわっている
  だけなのですか?
  
  ・・・それだって「稽古」じゃないかっ!と
  お叱りを受けそうですけど。
    
 また、
 
> なお剣道形の経緯ですが、
>1〜3本目までは明治44年に旧制中学校の正科に撃剣柔術
>を入れるための講習会用に武徳会が制定したものが原型のようです。
>残りも含めて大正元年に大日本帝國劔道形として作成されました。
>武徳会が作成しています。
>今の剣道形はそれの名前を変えたものです。
>警視流は各流派から採用されているようですが、剣道形は特定の
>流派はないようで、できたころはいろいろ細部にわたって要望
>とかともどいがあったようです。
 
    ということにつきましては
   明治37・38年の日露戦争後大日本武徳会は
                 武術による国民強化を推進
   明治39年8月 大日本武徳会制定剣術形 制定(1〜3本目)
   明治44年 旧制中学校の正科に撃剣柔術が加わる
            文部省主催武術講習会用(東京高等師範学校)の形が制定される
            →大日本武徳会制定剣術形の内容は採用されず。(外形的には同じ)

            と聞かされておりました。
             その後、武徳会と文部省の方向性の相違による
             確執や妥協、(再確認の面もあったと思われます)の
             過程を経て 日本剣道形が形成されていったのでは
             ないか・・・と。

  今気がついたのですが
  明治40年の『武徳誌』のなかの
  写真では
  中段の構え、
  左足が上がっているようです。


 To  Hide.  さん。

     もうしわけ
     ありません。
     
>創立以来ずーーーっと女子教育ひと筋でやってきたのに、少子化ということであっ
>さり建学の精神を捨て去ってしまう経営体質に問題ありです! 女子校としてしっ
>かりとした教育を実践していく自身がないから、安易に共学化へ流れてしまった。
>私は反対派だったもので(笑)

      自分が もとは男子校だったという
      都立高校出身のせいか
      バカなことを言ってしまいました。
      女子教育というものに
      疎かったのです。最近になって
      女子教育の必要性ということを
      考えるようになりました。
      
      女子特有の能力、開発の場に
      乏しいような気がしております。
      そう考えるようになったのも
      剣道をやっているおかげ
      なのですが。
     
>「時代にそぐわない」というな
>んだかわからないもっともらしい(?)理由をつけて、謡曲や能楽観賞会も廃止に
 
     文化の継承だって教育の一環
     なのかもしれませんのに。
     コミュニケーションが教育の
     はじまりだとしたら
     現代とのコミュニケートだけで
     いいのでしょうか?
     伝統とのコミュニケートは?
      ・・・おっと、これはヤバイ。
     イタコもオッケーになっちゃう。
     でも、
      おかげでわたしは
      すり足の初出がわかんないよーっ
        ↑ナンノコッチャ
     
>うーん、わかりませんね。
>何かきっかけはあったわけでしょ? そもそも、そんなもの、なかなか見に行きま
>せんから・・・(^^;

       その頃の私の職場には
       歌舞伎や文楽大好き人間が
       幾人かおり、
        なんだかおもしろそうなので
       何度か 歌舞伎や文楽を見に
       みんなで出掛けました。
        なかでも笛の音は、なんだか
       胸のすくような感じがして
       歌舞伎座のようにマイクやスピーカーからでなく
       生で聞きたいとおもったのです。音は振動ですし
       ジカに体感したかったのです。
        で、国立劇場の会員割り引きでお能を観ました。
       そうしたらもう、身体はガクガク(←震えている)
       頭はボーッ・・・。
         「恋」というヤツですね。
       なんの知識もなく 初心=ウブ でしたから
        大変でした。のめりこんでは
       しあわせを感じちゃってるんですから
       野暮としか言いようがありません。           

>死ぬまで片思いですからね(笑)

       えっ?片思いですって?
       Hide.さんではなく
       御師匠様が
       Hide.さんを想う
       お気持ちの方が強いのでは?
       想いの強さはいかに?
[2001/12/09 16:07:02]

お名前: はくどー    URL
to Hide.さん

>スキーは好きなので一生懸命読んだのですが、私ごときのスキー技術では、対して
>理解できませんでした。

やっぱり、私の拙い文章力では、言葉だけで真意を伝えるのは難しすぎます。
ってなわけで、詳しくは今週中にでも日本橋の浜町亭で...ってことに(笑)
[2001/12/09 11:42:43]

お名前: Hide.   
to はくどーさん
スキーは好きなので一生懸命読んだのですが、私ごときのスキー技術では、対して
理解できませんでした。すみません(笑)

でも、「荷重交換」っていうイメージがつかめます。中間バランスを排した私流の
足さばきも、「構えたフラットなバランス」から「左脚の押し出し」「右足への荷
重」と積極的に「荷重交換」していく技術ですから(^^)


to 江口さん
>Hide.さんは 女子校でなくなったことを
>嘆いているのではなくて
>謡曲の授業の閉幕を
>嘆いていらっしゃるのですよね?
両方です(^^)
創立以来ずーーーっと女子教育ひと筋でやってきたのに、少子化ということであっ
さり建学の精神を捨て去ってしまう経営体質に問題ありです! 女子校としてしっ
かりとした教育を実践していく自身がないから、安易に共学化へ流れてしまった。
私は反対派だったもので(笑)

謡曲の授業は、共学化3年目からなくなりました。1期生の男子が謡曲の授業に馴
染めず、先生を怒らせてしまったためです。
女子校の共学化ということで、教師サイドも男子生徒をしっかり導ける人材が少な
く、女子のレベルまで落ち込みました。その結果、「時代にそぐわない」というな
んだかわからないもっともらしい(?)理由をつけて、謡曲や能楽観賞会も廃止に
追い込まれてしまいました( -o-) フゥ

>私が野暮だからです。
うーん、わかりませんね。
何かきっかけはあったわけでしょ? そもそも、そんなもの、なかなか見に行きま
せんから・・・(^^;

>“逃げ場のない恋” のようですね。
死ぬまで片思いですからね(笑)
あの世に行って師匠に再開したとき「ようやった」とお褒めの言葉をいただいたと
き報われるはずです(^_-)〜☆
[2001/12/09 10:45:31]

お名前: IZAYOHI   
江口 様
すり足の初出ですって?
それはわからないでしょう。
大学の研究対象になる物件ですよ。
技法そのものはアメリカインディアンとかの踊りにもでてくる
ようなので別に農民特有の技法ではないと思っています。
手持ち資料では武術叢書の中の圓明流剣法書にことばは出て
きますが型か技の説明が書いてあります。
もっともことばがあれば実態もあったのだとは思いますけど。
 なお剣道形の経緯ですが、
1〜3本目までは明治44年に旧制中学校の正科に撃剣柔術
を入れるための講習会用に武徳会が制定したものが原型のようです。
残りも含めて大正元年に大日本帝國劔道形として作成されました。
武徳会が作成しています。
今の剣道形はそれの名前を変えたものです。
警視流は各流派から採用されているようですが、剣道形は特定の
流派はないようで、できたころはいろいろ細部にわたって要望
とかともどいがあったようです。
 まぁ外野が口を出すのはこのへんまででしょう。
それではどこかでまた。
[2001/12/09 10:36:24]

お名前: 江口   
To  Hide.  さん。

>しかし、この期時世で共学化され、開校以来続いていた謡曲の授業は幕を閉じたの
>でありました(;_;)

   えっ?!
   それは大きな損失。
   お謡は
   言葉をツールとしてでなく
   たましいをもったものとして
   実感する契機であったりもするじゃないですか。
   共学になったからなくなってしまうなんて。
    おっと、
   Hide.さんは 女子校でなくなったことを
   嘆いているのではなくて
   謡曲の授業の閉幕を
   嘆いていらっしゃるのですよね?


>ふつうの生活をしていれば、お能などというものとなかなか関わりあいになること
>は少ないと思いますが、いったいどういうきっかけで江口さんはそこまで「中毒」
>になってしまわれたのでしょうか?(^^;

  私が野暮だからです。
  
>そんなことってあるんですか・・・。芸道の究極の姿を見てしまったら、それ以下
>のものはすべて色褪せて見えてしまうというのは良くわかりますが・・・。
>私も師匠の渡辺敏雄の剣道を肌で感じてしまいましたから、先生が亡くなったあと
>何人も素晴らしい先生に出会いましたが、師事することができませんでしたから。
  
  “逃げ場のない恋” のようですね。
[2001/12/08 15:52:04]

お名前: はくどー    URL
to Hide.さん、

>>重心は常に両足の真ん中に置いておいて、どちらか一方に加重が偏ることがあり
>>ません。
>という部分が引っ掛かったのです(^^)

あ、なーるほど。
「重心を真ん中において」という表現が、Hide.さんのおっしゃる「中間バランス」を
連想させたんですね。
実は、私の理論の根底には、スキーの理論があります。
Hide.さんのおっしゃる「中間バランス」に対して、私がほぼ同義語として使っている
「加重交換」という言葉は、もともとスキー用語なんです。
スキーでは、一般に谷足加重(外足加重)が重要視されます。
これは常にターンの外側の足に加重するという理論なのですが、これがあるために、
ターンの切り替え部分で、一方の足から他方の足に加重を移動する「加重交換」が
行われるわけです。
そしてこの加重交換を行うきっかけを作るために「抜重」という動作も行われます。

さて、当時の指導方法では、ターンの基礎となるシュテムターンを指導する場合、
ターンの外側の足に加重しつつターンの内側の足をプルーク状(ハの字形)に
開いてゆき、一定量開ききったところで伸び上がるような動作(伸身抜重)と共に
他方の足への加重交換を行い、その後沈み込むようにして次のターンに入ってゆく
と教えていたものでした
緩斜面における低速でのターンなら、この方法で教わってもそこそこ滑れるように
なるのですが、当時私は子供たちに競技スキーを教えていたため、この指導法に
疑問を持ち、別の指導法を開発したんです。
競技スキーでは、一瞬一瞬の無駄な動作が積み重なって、その結果タイムロスへと
繋がってゆきます。
加重交換の時期というのは、一瞬スキーのコントロールが出来ない時期であり、
この間に高速で滑る競技スキーでは数十センチも滑走ラインをずれてしまうことが
あります。そこで私はこの加重交換の時期を極力ゼロにする、すなわち「抜重」と
いう中間バランスになる動作を省略して、加重交換ということを子供たちに意識
させない指導法を開発しました。
その練習が、シュテムターンでスキーを開いてゆくときに、開いてゆく足に積極的に
加重してゆき、開ききったときには、既に加重交換が行われて次のターンに入って
いるというものです。
ただ、緩斜面でゆっくりとした動作で行う導入練習の段階では、開く足に一気に加重
してゆく動作が難しいのと、連続した左右のターンを行う動作では、開く足への加重
の意識が強すぎると、逆に次のターンでその加重が残ってしまう現象が現れるために
重心は常に真ん中においてという表現で、とにかく中間バランスになる「抜重動作」
をなくすよう指導していたのです。

Hide.さん流のすり足理論で、連続して歩み足で歩いてゆくと、一般の歩行のように
重心がリズミカルに上下しながら右足左足と交互に移動するのではなく、結果として
両足の真ん中におかれた重心が、前へ前へと滑るように移動してゆきますよね。
このことを言いたかった訳です。

さて、当時の競技スキー界では、加重したターン外側の足で雪面を蹴るようにして
反対側の足を前に踏み出すことによって加速し、その後踏み出した足に体重を載せて
行きながら次のターンに入ってゆくという、左右両足の交互操作が主体のステップ
ターンが主流でした。
私が子供たちに教えた滑走法は、蹴るという動作を意識させずに、次のターンの
軸足になる足に、早め早めにと体重を載せてゆくという方法でしたので、
外見上は同時操作のように見えます。このため、競技スキーには向かない方法として、
当時の指導者仲間からは邪道扱いされました。
(どうも、私は何をやっても邪道にされる傾向があるみたいですね。(^^ゞ)
しかし、子供たちのタイムは、確実にアップしました。

それから6−7年ぐらい経った後だったかな?、グライディングという言葉と共に
私の提唱していた技術と似たような技術が日本にも入ってきましたが、一般の
スキーヤーの間にはあまり定着せずに、やがてスキー板の進歩と共に、カービング
という技術に包含されていってしまいました。
[2001/12/08 10:36:09]

お名前: Hide.   
to みのるさん
>ありゃぁ? Hideさんを呼び捨てにしてしまったゴメンm(-_-)m
アハハ、ドンマイっす(^^)

>常歩でジョギングやまた剣道までやられているようですが。
ヤツは、高校時代から一風変わったやつでしたから(笑) でも、友人としてなん
とか「常歩剣道」を完成させて欲しいと思っていますヽ(^.^)ノ
彼のところの動画では、まだ、完成を観ていないような気がいたしました。それ
に、彼の今年の京都大会の映像も手に入れたのですが、やはり、「常歩」ではな
かったようで・・・(^^;


to はくどーさん
>う〜ん、やっぱり私の書き方がマズイのかな?(^^ゞ
うーん、読み違いですかねぇ・・・(^^;

>重心は常に両足の真ん中に置いておいて、どちらか一方に加重が偏ることがあり
>ません。
という部分が引っ掛かったのです(^^)
「攻め」における移動は「送り足」の形態をとりながら「重心の移動がない」動き
だと思います。私はこの移動の部分を「ダウンバランスによる送り足」と呼んでい
ます。バランスは常に両足の中間に置き、軸をぶらさない。故に、機会を見つけた
ときに瞬間的に打突に移れるのですね(^^)

しかし、打突動作としての「送り足」は、明らかに「片足荷重」です。「均等荷
重」から左足で床を強く押します。このエネルギーが左脚→左腰→左脇と伝わって
いき身体を前に押し出しはじめ、このことによって右足が前に出ていきます。
このとき右足は体全体の重心を引き連れて移動していきます。右足が着地した瞬間
には、重心の90%以上が右足にかかっています。そこから右の膝上大腿直筋を緊
張させ「二次跳躍」がはじまります。この動作によって、こうほうに残っていた左
脚が瞬時に引きつけられてきます。引きくけられてきた左脚が基本の足型の位置に
着地した瞬間、バランスは両足の中間に戻ります。

このように考えているため、「どちらか一方に荷重がかかることはありません」に
疑問を抱いたわけです(^^)

>ただ、私は腰や肩の回転について書きましたが、
>Hide.さんは、このことには言及されませんでした。
通常歩行の腰と方の回転についてはお話しましたよね。「送り足」についてはとく
に述べませんでした。ま、はくどーさんがおっしゃるように「ねじれをつかわな
い」は「歩行原則とは違って」の部分に集約してしまいましたゆえ(^^)

>一般に「森田理論」と呼ばれ、多くの先生方が信奉している
>森田文十郎先生の対角線活動理論と、
私も森田先生の「腰と丹田で行う剣道」は何度も拝読いたしましたが、「自分の理論とは違うな」と勝手に解釈しておりますが(^^;

>しかし、この間のHide.さんの基礎講座を聞いて、
>言葉や表現方法は多少違っているけれども、
>おっしゃっていることは、私が考えていたことと同じではないかと思い
>その理論のすりあわせをしてみようと思って、
>ここに足捌きのことを、そしてQ&Aの方に、手の内のことを
>書いてみたわけです。
ありがとうございます。たいへん有意義な意見交換ができていると実感しておりま
すヽ(^.^)ノ


to 江口さん
>すごい!恵まれたところに いらっしゃったのですね。
しかし、この期時世で共学化され、開校以来続いていた謡曲の授業は幕を閉じたの
でありました(;_;)

>ざんねん、 私は造詣が深いのではなく
>ただのお能中毒でした。観はじめた頃は
ふつうの生活をしていれば、お能などというものとなかなか関わりあいになること
は少ないと思いますが、いったいどういうきっかけで江口さんはそこまで「中毒」
になってしまわれたのでしょうか?(^^;

>ボロボロ。「いやー、私はこれを観るために、これまで
>お能に血道をあげる不良主婦やってたんだわっ」とちゃっかり納得し
>まるでおこりが落ちたように中毒症状から解放されたのでした。
うわぁ、すさまじいですね!
そんなことってあるんですか・・・。芸道の究極の姿を見てしまったら、それ以下
のものはすべて色褪せて見えてしまうというのは良くわかりますが・・・。
私も師匠の渡辺敏雄の剣道を肌で感じてしまいましたから、先生が亡くなったあと
何人も素晴らしい先生に出会いましたが、師事することができませんでしたから。
[2001/12/08 08:15:11]

お名前: 江口   
剣道形の時の左かかとギモンが
足の遣い方についてに発展してしまいました。
 このぶんだと どんどん広がって
お次は姿勢、腰、丹田とか・・・体の備えや
間合や着眼、刃先や刃筋、
呼吸や気合にまで及んで
(手の内についてはすぐそばで
  もりあがっているようですね)
果ては哲学になっていってしまうようで
 コワいぃ・・・いやいや、そうならなくっちゃ
いけませんでしたね(冗談)?!

 お能をもちだしてきた私が
 いけませんでした。


 To Hide.  さん。

>だいぶお能に造詣がお深いようですねヽ(^.^)ノ
>私の前任校は女子校ですして、授業に「謡曲」がありました。「謡曲部」もありま
>して、作法室には小さなものですが能舞台もあったんですよ。

  すごい!恵まれたところに いらっしゃったのですね。

>だいぶお能に造詣がお深いようですねヽ(^.^)ノ

  ざんねん、 私は造詣が深いのではなく
  ただのお能中毒でした。観はじめた頃は
  夜 疲れていても眠るのが嫌なくらいでした。
  眠ったら、観た時から一日離れたことになるので(あたりまえ)
  ・・・記憶は薄れていくものだ、ということが
  許せなかったのです。自分はビョーキじゃないかと
  思いましたが、ある日 NHKで「能・狂言まぼろしの名人たち」
  という番組が放映され、明治の頃の梅若万三郎(最近襲名された
  万三郎のおじいさんです)のお仕舞『松風』を観て 私はもう
   ボロボロ。「いやー、私はこれを観るために、これまで
  お能に血道をあげる不良主婦やってたんだわっ」とちゃっかり納得し
  まるでおこりが落ちたように中毒症状から解放されたのでした。
  まあ、いまでも 時々は観ますけれど。
   一方、ビデオに撮った『松風』は
  すり切れ、デッキも一台壊しました。(それでも観たりない)
    ・・・身の上話はやめにして・・・
  万三郎の映像を目にして即座に頭に浮かんだことは
  「このひと 稽古を積んでるっ!なんかわかんないけど
    スゴイのを 積み重ねているのではないか?
   何なんだろう?いったいどんな稽古をしているんだろう?」
    ということでした。
   お能に限らず “かた”というのはそういうものなんだろうと
    思います。(その人の積み重ねが顕わになるというべき?)
     ですからたぶん私は剣道形を続けていくと思います。
     ときどきはいじけるし、もどかしいけど
     やっぱり続けていくでしょう。
       が、後輩である子供たちに教える場面ではいつも
       平静を装いながらも
      「いまだ習わざるを伝うるか?」という
       古人の自戒の言葉にビクビクしています。

 
To はくどー  さん。

   とても “濃く”って勉強になります。私にはまだまだ
    解らないことが多いですが 考える糸口をいただけて
    ありがたく思っております。
    とくに「すり足」というのが少しわかってきた
    気がします。   とはいっても
    ふだん歩き=脚そのものを前にだす動作
    すり足=腰が脚を前に動かす
          (腰と脚は連携、もしくは腰の延長が脚?)
      ・・かなあ、という位なのですが。
   
    また、すり足が農耕民族特有のものというのは
    新しい驚きでした。
    2日前 IZAYOHIさんにご教示いただいた
    論文にも同じことが記されていたのですが
    今まで考えてもいなかったことだったのです。

      マタギは歩くとき足をあまり上げないようにするそうです。
      「すり足で」(たぶん武道とは意味あいに違いはあるのでしょうが)
        という言葉を使っていることもあります。
       それが体に負担をかけない歩き方だといいます。
        また、感覚的にですが 私はこれまで
        日本人は山の民だったと思いこんでいたのです。
        鞍馬天狗の話とか 修業とか言って山にこもったり とか
        山伏(天狗は山伏の影?)、山岳宗教など・・・
        申楽は豊穣を祈る(=農耕の)ためであったでしょうが
        申楽者とは農民というよりも 神と民のなかだちとしての
        存在であったのではないか  などが頭に浮かぶものですから。

           私はもっと多くを知らなければなりません。


To IZAYOHI  さん。  

 ご教示 ありがとうございます。  
  芸道に詳しい方ですね。
  甘えるようで心苦しいのですが 
  「すり足」の初出 
  ご存じでしたら 教えていただけませんか?
[2001/12/08 01:55:15]

お名前: IZAYOHI   
外野から参考まで。
私の剣術・柔術のある流派と現代武道研究家(五輪の書等研究も)のところは
どちらもすり足ではないあゆみ足でした。
どちらもこすり足ではないと明白に「すり足」ではないとのことです。
[2001/12/07 18:14:58]

お名前: はくどー    URL
to Hide.さん

>私は先日、東北の基礎講座でもお話させていただいた通り、剣道の移動原則である
>ところの「すり足」は、「出した足とともに重心が移動し、中間バランスがない」
>というものだと考えております。ですから、はくどーさんが解説してくださった日
>本人の文化に根差した「なんば歩き」とは明らかに違うものと思っております(^^)

う〜ん、やっぱり私の書き方がマズイのかな?(^^ゞ
実は、木寺さんの「常歩」理論は、ずっと前から興味深く拝見させていただいています。
しかし、正直に言って、私の理解する「ナンバ」とは、若干違うんですよね。
それで、私自身もちょっと迷っておりました。

ところが、先日Hide.さんの基礎講座を拝聴して、
「あ!、Hide.さんも、私と同じこと言ってる」
こう思いまして、私独自のいわゆる「すり足」理論を書いてみたのです。
私の「すり足」理論も、重心と前足の移動が同時で、
途中での加重交換(Hide.さん流に言えば中間バランス)がないという点で、
Hide.さんの理論と全く同じなのです。

ただ、私は腰や肩の回転について書きましたが、
Hide.さんは、このことには言及されませんでした。
実は、言及しなくて当然なんです。
私の理論でも、腰や肩は(結果的には)全く回転しません。
しかし、普通は自然に歩こうとすれば、当然腰や肩が歩行動作に伴って
回転するわけで、この回転運動がいわゆる中間バランスを生む原因になっている
というのが私の考えです。
そこで、重心と前足を同時に移動させるためには、腰を回転させないことが
大切で、このためには、普通は自然に回転してしまう腰を、
敢えて逆方向に回転させるような意識が必要になってきます。
これが一般に言われる左腰を出すという感覚です。
そして左腰を出す感覚を持てば、当然反作用で右肩が引かれるわけで、
そうすると右手・右足が同時に前に出るというかたちになります。
私はこれを「ナンバ」と理解しているのですが、木寺さんのおっしゃる
ナンバや常歩とは、やや違うように思います。
この点は私の「ナンバ」の捉え方が間違っているのかもしれません。

いずれにせよ、上記の歩き方は、
熟練してくると腰の回転を全く意識することなく行えます。
というより腰も肩も全く動かさずに、
そして動かさないということすら意識せずに歩けるようになります。
ちょうどベテランスキーヤーが、
コブ斜面をヴェーデルンで華麗に降りてくると
その上体が全く微動だにしないのと同じことですね。

私の「すり足」理論の理想は、上体を全く動かさず、
重心を前足に載せて、床面と平行になめらかに移動してゆく歩き方なのです。
コブ斜面を滑るスキーヤーや、舞台を滑るように移動するロシアバレリーナ
の姿に共通するものです。
そして剣道の打突動作は、緩急の違いはあるものの
理論的には同じものだと考えています。

ただ、私のこの上体を動かさないという考え方は、
結果として体幹のねじれがない動作と言うことになります。
一般に「森田理論」と呼ばれ、多くの先生方が信奉している
森田文十郎先生の対角線活動理論と、
そこから導き出されている腰始動(私に言わせれば足始動)
と言われる打ち方とは、やや趣を異にしております。
そのため、いろんな方に説明しても
なかなか納得してもらうことが出来ずにいたため、
これまでも、自分のホームページに書くのを
ちょっとためらっっておりました。

しかし、この間のHide.さんの基礎講座を聞いて、
言葉や表現方法は多少違っているけれども、
おっしゃっていることは、私が考えていたことと同じではないかと思い
その理論のすりあわせをしてみようと思って、
ここに足捌きのことを、そしてQ&Aの方に、手の内のことを
書いてみたわけです。

というわけで、もう少し細かな部分のすりあわせは、
今晩にでも、またビールでも飲みながら、
じっくりお話し合いしてみましょうか。(^O^)/


to 江口さん

>一、 足づかひの事
>  足のはこびやうの事、つまさきを少しうけて、
>  きびす(=かかと)をつよく踏むべし。
>  足づかいは、ことによりて
>  大小・遅速はありとも、常にあゆむがごとし。

私の好きな「五輪書」が出てきましたので、書いてみます。

少し前のことですが、あるお偉い先生が、上記の一節を紹介して、
「昔の剣術では、今のすり足ではなく、自然に歩くような動作だった」
とおっしゃったことがあり、それを聞いた私は、
「おいおい、違うだろ!」と思ったものでした。

確かに上記の文を言葉通りに解釈すれば、
つま先を上げて、かかとを強く踏んで、常に歩くような足使いにしなさい
というように読めてしまい、そこから現代的な歩行動作を連想してしまいやすい
のですが、私はこの解釈は違うと思っています。

−つまさきを少しうけて−
これは、母指丘に加重しなさいと言う意味だと思います。
足のつま先を少し上げると、親指の付け根のあたりの母指丘に体重を載せる
感覚が掴めるはずです。

そして、
−きびすを強く踏むべし−
母指丘に加重したままで、かかとを強く踏むようにせよということです。
結果として、ひかがみ(膝の裏)が伸ばされます。
ただし、ひかがみを伸ばせという教えは、膝の裏を完全に伸ばしてしまえ
ということではないと思います。完全に伸ばしてしまえば、ただのつっかい棒
になってしまいます。「伸ばせ」ということは、かかとを踏むことによって
ひかがみが伸ばされる感覚を知れということだと思います。
そして、かかとを強く踏んでも、決してかかとに体重を載せると言うことでは
ありません。母指丘に加重したままでかかとを踏むことによって、
重心を下に落とし込んで安定させる効果があります。
そして、この上体で床を押して前進するのです。
決して足首の力で飛び上がるのではないと思います。

更に
−常に歩むがごとし−
駆けるときのように足を高く上げずに、上記の足のまま
すり足で歩みなさいということだと思います。

これが武蔵が求めた足の使い方で、
これは、先にHide.さんがおっしゃっていた
>そこで、拇指丘に重心を感じながらも、踵は床に接して
>いる状態がベストと個人的には思っております。
ということと、全く同じではないかと、私は思います。

ですから、剣道はもちろん、日本剣道形においても、
「五輪書」の教えは活かされるべきだと、私は考えています。

時折、大会などで、高段者とされる先生方の剣道形の演武を拝見することがありますが、
座礼の位置から立合の位置に歩むときに、
刀を持ったまま通常の歩行のように両手を前後に振っていたり、
帯刀して蹲踞の位置に進むときに、
つま先を上げてかかとから着地するような歩き方をしていたり、
上段に構えて間合に近づくとき、
腰に差した鞘が、左右にふらふらと揺れていたりするのを見ると、
「むむむ???」と思ってしまうのは、私だけなんでしょうか?。σ(^^;)
[2001/12/07 16:04:23]

お名前: みのる   
ありゃぁ? Hideさんを呼び捨てにしてしまったゴメンm(-_-)m
[2001/12/07 14:43:02]

お名前: みのる   
木寺さんの「剣紫堂」hpの「なんば歩行」「常歩(なみあし)」に行き会った時は
はびっくりしました。多少真似事もやってみましたが私にはむりでした。常歩で
ジョギングやまた剣道までやられているようですが。
まえまえからHideさんからすり足のダウンバランスのお話は聞いていて理解
しているつもりでしたが、先日の東北でのHideさんの実演?で今まで思って
いたのは違うと言うことがわかりました。さっそくうちへ帰って実践してみたところ
ほんとうに目から鱗でした!身体の捌きが全然ちがう動きになるんですねぇ(^_~)
今まで使っていなかった筋肉をつかうので、1時間の元立ちで左脹脛、腿がつりそうに
なりましたよ。それから、日本剣道形を演ずる場合もやはり今までのとは違う
味がでているように思いました。Hideどうもありがとうございました。
[2001/12/07 14:40:35]

お名前: Hide.   
to はくどーさん
私は先日、東北の基礎講座でもお話させていただいた通り、剣道の移動原則である
ところの「すり足」は、「出した足とともに重心が移動し、中間バランスがない」
というものだと考えております。ですから、はくどーさんが解説してくださった日
本人の文化に根差した「なんば歩き」とは明らかに違うものと思っております(^^)

実は、はくどーさんのように、「なんば歩き」こそ剣道の根幹の動きと位置づけ研
究している友人がおります。私と高校時代同じチームにいた木寺英史君ですが、
「剣紫堂」というサイトで「なんば歩き」から発展させた「常歩(なみあし)」理
論を展開し、自信がその運足でもって打突している動画を公開しております。

彼の「なんば歩き」→「常歩(なみあし)」に至る思考過程、それから、その打突
理論は、私には理解が難しいのですが現代の竹刀剣道のそれとはまったく異なるも
のだと考えられます。

たしかに、「床をする」ように進む足さばきは、旧来日本人が行ってきた「なんば
歩き」と同じかもしれませんが、武芸を修業したぶした地の動きと町人や農民の歩
き方とでは、「身体感覚の技化」の点でも「大いに異なっていた」と考えるのが妥
当と思われますが(^^)


to 江口さん
だいぶお能に造詣がお深いようですねヽ(^.^)ノ
私の前任校は女子校ですして、授業に「謡曲」がありました。「謡曲部」もありま
して、作法室には小さなものですが能舞台もあったんですよ。
年に一度は、国立能楽堂に生徒全員で出かけまして、生徒の代表があの舞台で謡と
舞を披露し、また、同時に農学観賞会も行いました。
それまでお能に興味のなかった私ですが、そうした影響でホンの少しではあります
がその世界観に興味を抱くようになったものでございます(^^)

>(初めて目にした時には「こりゃぁ、バトルだ」と思いました)
おっしゃる通りですね。
舞台も客席も一体となってものすごい精神波が押し寄せてくるようでしたヽ(^.^)ノ

>「五輪書」は日本剣道形にはあてはめらませんよね・・・
 そうでしょうか。私は小野派一刀流という古流を少しかじっておりますが、それを
学んでから、日本剣道形がやはり「古流の流れを汲んだ形なんだな」と明確に気が
つきましたが(^^)

日本剣道形は、やはり、各流派の粋を集めて作られた日本の代表的な形と言って差
し支えないと思います。大切なことは、それをそこまでやり込めるかどうかです。
審査の前にだけチョコチョコっと打ってみたところで、日本剣道形の真の良さなん
てわからないのではないでしょうか。
「呼吸するが如く」形が打てるようになるまで、勉強してみる必要があると思いま
すけどねヽ(^.^)ノ
[2001/12/07 10:25:24]

お名前: 江口   
思考が飛散しているのか
それとも中枢へと
向かっているのか
よくわからなくなってきました。

お能の「足」は
恐ろしいくらい(ひとの心をわしづかみするようで)
美しいです。
たとえば『道成寺』の「乱拍子」ではシテの
つま先を上下させる、ということが主体の
動き(「舞」)のみで
情念がのぼりつめ、凝縮していくさまを
これから何かが起こらぬはずはない
ということを
観客に感じさせます。
 また、シテと小鼓の気合の充実
(初めて目にした時には
 「こりゃぁ、バトルだ」と思いました)に
 心を奪われてしまったのかもしれない、と
 いうこともありますけれど。

 それはそれとして
 自分でも考えをどういうふうに
 進めていったらいいのか
 わからなくなってしまいました。


 To はくどー  さん
 
 あの、有名な「水の巻」を思い出しました。

  一、 足づかひの事
  足のはこびやうの事、つまさきを少しうけて、
  きびす(=かかと)をつよく踏むべし。
  足づかいは、ことによりて
  大小・遅速はありとも、常にあゆむがごとし。
  足に飛足、浮足、ふみすゆる足とて、
  是の三つ、きらふ足也。
   此道の大事にいはく、陰陽の足といふ、
  これ肝心也。陰陽の足とは、片足ばかりうごかさぬもの也。
  きる時、引く時、うくる時までも、陰陽とて、
  右ひだりみぎひだりと踏む足也。
  返々、片足ふむ事有るべからず。
  能々吟味すべきもの也。
 
 (たぶん)純粋に 
  刀を持つ身のありようについて書かれた
 「五輪書」は日本剣道形にはあてはめらませんよね・・・
 
 でも日本剣道形は日本“竹刀”剣道形とも
 言い切れない。
  なんだか
  もやもやーっ とした感じがします。

  
「談話室」、
 ここのすぐ近くでは
 「打突」の意味・内容について
 深くて 大切な対話をなさっていることが
 うかがえます。(←『打ち手、切り手』) 
 楽しみです。
 稽古が これまでよりも
 豊かなものになっていきますから。
[2001/12/07 00:10:30]

お名前: はくどー    URL
こんにちは。
どうやらこのトピは、足裁きの問題に発展してきたみたいですので、私ももう少し
書かせていただこうかなと思います。
自分のトコにはなかなか書けなかったんですが、人様のトコなら...(笑)

さて、「すり足」というのは、農耕民族特有の歩き方なんだそうです。
狩猟民族というのは、地面に障害物のある原野を走り回らなければなりません。
そのために足を高く上げ、左右の足に交互に体重をかけながら歩きます。
しかし、田圃のような柔らかい泥の中で片足づつに体重をかけて歩いたのでは
その都度ズボッ、ズボッと足が地面にめり込んでしまいます。
そこで、両足に均等に体重をかけたままで、ズリッ、ズリッと、足を引きずる
ようにして歩きます。重心は常に両足の真ん中に置いておいて、どちらか一方に
加重が偏ることがありません。ですから、原則的に、歩行の最初から最後まで、
両足にかかっている加重は一定になるわけです。
言い換えれば、歩行の途中に、一方の足から他方の足への加重交換という時期が
ないことになりますから、武道的に言う「居着き」の瞬間がないことになります。
このため「すり足」は、武道における歩行法として発展してきたのだと思います。

狩猟民族の?一般的な歩き方の場合は、例えば、
先ず左足に全体重をかけて、同時に右腰をやや前に出しながら右足を振り上げ、
右足の着地後に体重を左足から右足に移し替え、また同時に左腰を前に出しながら
左足を振り上げて、その左足を着地させて....という繰り返しで歩きますね。
つまり、腰に生じる僅かな回転運動によって、足を交互に振り上げ、振り出す
という歩行動作をしているわけです。そして、この運動をバランス良く行うために、
両肩は、腰の動く方向と反対方向に僅かに回転します。
このため、両腕は踏み出された側の足と逆方向に振られるような動きになります。
つまり右足が前に出たときには右手は後ろに、左手は前へと振り出されます。
これが、現代の私たちが行っている通常の歩行動作ですね。

では、「すり足」を使った歩行の場合は、どうなるでしょうか。
靴下をはいて道場の床に立つなどして、足がやや滑りやすい状況を作って
やってみていただければわかりやすいと思うのですが、
先ず両足を揃えて、左右の足に均等に体重をかけて立ちます。
この時、かかとには紙一枚はさむような心持ちで母指丘に体重を載せる
などと教わることも多いのですが、私がスキーの指導員をしていた頃、
同じような立ち方を、わらじの後ろ半分を切って、前半分だけを履いている
ような気持で立ってみてくださいというとわかりやすいようでした。
歩いてもわらじが脱げないように、鼻緒の周辺に体重をかけるように意識します。

そして、左足の鼻緒の周辺で床を後方に押すような心づもりで、
左足の付け根である左腰を前に押し出してゆきます。
この左腰の前への移動に伴って、右足が床に着いたままで前進します。
この時左足にかけられている体重と右足にかかっている体重は、
原則として均等です。
(ま、厳密にいえば、床を意識的に押している左足の加重の方が、
床を滑ってゆく右足の加重よりは、幾分大きくなりますが。)

ちょうどコンパスの足をやや開いて立て、その片方の足を平面に固定して、
真上から軽く押しながら、もう片方の足を徐々に開いてゆく...
こういう感じをイメージしてみると良いと思います。

ある程度足を前後に開いたら、今度は前方の右足で床を押すようにしながら
その付け根である右腰を前方に引っ張ってきて、そのまま前に押し出してやります。
左足はこの腰の移動に伴って床面を滑りがら引きつけられ、更に前方に送り出されて
行きます。この連続で歩きます。

普通の歩行と違う点は、どちらか片足に全体重が乗るということはなく、
重心が常に両足の間にあって、体重は原則的に両足に均等にかかっている
という点です。そしてこの歩行を行うため、通常の歩行では右腰が前に出ること
によって右足が降り出されるのに対し、反対の左腰を送り出すことによって重心を
両足の間においたままで右足を前へ進めてゆくという違いがあります。

普通に歩こうとすると足の動きに伴って腰が同方向に回転するのですが、
「すり足」の場合は、足の動きと逆方向に腰を回転させるような状態になります。
すると両肩は腰とは逆方向に回転しようとしますので、
結果として足の動きと肩の動きが同方向になるということになります。
ですから、「すり足」では、足と手が左右同方向に振られるようなかたちになります。

これがいわゆる「ナンバ歩き」と呼ばれる日本独特の歩き方に繋がって行くのだと思います。

道場で靴下をはいて、この「すり足」で出来るだけスムーズに歩けるよう練習してゆくと
だんだんと、腰、肩がほとんど動かず、重心のみを前へ前へと
滑るように移動させてゆくことが出来るようになってきます。
これが能の舞台でも見られるような、上体がほとんどぶれずに歩く、
舞踏的、そして武道的な歩き方なのではないでしょうか。
この歩き方だと、腰に刀を差していても、その刀が左右にぶらぶらと
動くことはありません。

昔、ロシアのバレエを見たときに、男性バレリーナが、舞台の端から端までを
中腰で移動するのですが、上体が全く動かず、上半身だけを見ていると、
まるでローラスケートでも履いて移動しているように見えてしまったほどです。
私もこれを目指して、時折鏡を見ながら練習しているのですが、
なかなか上手くできませんね。(^^ゞ
[2001/12/06 21:46:42]

お名前: 江口   
To おおすぎ  さん

>能のすり足って,つま先があがりませんでしたっけ.
 
 幼い頃 父に連れられて初めてお能を見たとき
 「足のひらが しゃくとり虫みたい 」って言って
 爆笑されました。
  30年近く経ったいまでは
 「足で床をつかんでいるみたい」と
 言い換えておりますが。

 また、すり足の指導をしていく上での
 いろいろのことの書き込み、
 すごく 勉強になります。
 また、実技上の現実問題としては
 Hide.さんの
  >そこで、拇指丘に重心を感じながらも、踵は床に接して
  >いる状態がベストと個人的には思っております。
  
  というのが理想的な気がします。(自分の稽古上のポイントを
  思いがけず、与えていただいたようです)
 
 
 日本剣道形のあり方は
竹刀剣道を稽古する者の
伝統文化としての剣道に対する姿勢が
ほんの少しなりともあらわれていると
言えそうではありませんか?

To IZAYOHI   さん
アカデミック・・・
 論文 あたってみます。

  >申楽は豊臣秀吉をはじめとする戦国から江戸にかけての大名が
  >主な担い手という歴史があります。
  >またそのなかで新陰流との技術交流もあったようです。
  >ですからごちゃ混ぜににても問題はないと思います。

  柳生但馬守のエピソードとか・・・ですか?
  武術やお能に限らず
  茶道や禅や和歌など
  多くの芸道がスリリングに
   交差していた時代ですね。
   わたしなど、野暮すぎて・・・
   すぐ降参したくなってしまいます。
[2001/12/06 12:06:51]

お名前: Hide.   
to 江口さん
>現代竹刀剣道をもっと豊かなものにするために
>剣道形の稽古があるのだとしたら
>もっと深く取り組みたいたいのに、
>門前でいじけている主婦なのでありました。
アハハ、門前でいじけてなんかいないじゃないですか(^^) チャンとこうしてご自
身の疑問を考察しカキコされていらっしゃる。それだけでも、江口さんはROMから
格段に進歩され、自ら「教えを請う扉」を開かれたわけですヽ(^.^)ノ

私も30年以上剣道をやってますが、このサイトを開いて初めて知ったり聞いたり
したことが山のようにありました。また、同じ事象に対する考え方や教えも千差万
別なんだって・・・。だからこそ剣道は面白い! だからこそ剣道は奥深い! 人
生を賭けて突き詰めて行きたい素晴らしいものだと思いますよ(^^)

江口さんが「能」と剣道のすり足の関係に着目されたのは非常に意義深いですね。
IZAYOHIさんがご紹介くださってますが、剣道の専門家を育てる鹿屋体育大学の紀
要にも同様の論文が書かれております。
その論文にもありましたが、名人と称される方はいずれも華麗な足さばきであった
ようです。「まず、足ありき」ですね(^^) 私も剣道形は「運足と体重移動」を学
ぶのに最適な教材だと、つい先日、とあるところでお話したばかりです。

踵が上がる上がらないではなく、バランスの置きようが問題なのですが、そういう
ことに着目できる江口さんのセンスが抜群ですねヽ(^0^)ノ


to IZAYOHIさん
>能と剣道のすり足については次の論文もあります。
ご紹介いただきましてありがとうございますm(_ _)m
発祥は違えど、その辿ってきた道と類似点は興味深いものがありますね。私も「剣
道は足だ」と力説させていただいております手前、心強い味方を得た気持ちでござ
いました。感謝いたします(^^)


to おおすぎさん
>踵を点けるとバックバランスになりやすいのはじじつですが,重心の置き方は,
>踵を点けていてもやや前にあるのが自然体の人もいます.
>これは,基本の部の子供たちを10年ほど見ていて気がついたことなんですが,
>踵を点けた状態でバックバランスが自然体の子供は.すり足がはっきり言って下
>手です.
なるほど、これは盲点でした。
つまり、その子の持って生まれたバランスの置き方が剣道におけるすり足の「上
手、下手」に関わってくるというのですね。うーん、こういう考え方はしたことが
ありませんでした。これは、武道専門学科の学生の卒論テーマにピッタリですね。
誰かやらないかな(笑)
ハイ、私も少し観察し研究してみます(^^)

>能のすり足って,つま先があがりませんでしたっけ.
能のすり足は、着地に直前につま先を一瞬持ち上げるんです。その部分は剣道と違
います。
また、膝関節を剣道よりも折り、やや腰を落とし気味に進み「伸び上がる瞬間」と
いうのが存在しないところも異なる点でしょうか。

>先日,練習会場の体育館で,社交ダンス大会がありましたのでちょっと見ていた
>のですが右を進めて左を送る時の体重移動なんか剣道とよく似ていました.
キューバンルンバの男性のステップですね(^^)
おっしゃる通り、ラテン系種目でもこのキューバンルンバの足遣いが、もっとも剣
道に似通っております。モダン種目の単語も「剣道的」とたとえられることがあり
ますが、着地の瞬間に「踵から」に切り替えるところが違いますから、足の出し方
はキューバンルンバがもっとも似ております。
ただ、キューバンルンバは「ヒップムーブメント」といわれる骨盤のローリング運
動が加わり、蠱惑的なダンス表現になるわけですが、これは、剣道には無用の動作です(^^;

>それにしても,社交ダンス大会を見つめる防具姿(面ははずしてました)って,
>非常に浮きますね.
まして、観ているのがおおすぎさんですからねぇヾ(・_・;)オイオイ
[2001/12/06 11:09:32]

お名前: おおすぎ   
to ALL

剣道って,現在と江戸末期の創世記ではかなり違ってきているのではないかと思っています.
明治時代の剣道関係をあつかった本などを読むことがありますが,現代剣道よりも
はるかに切る感覚が強い打ちをしていたように見受けられます.

また,古流も鎧兜を着用していたときと,江戸時代の無防備状態の斬り合いとでは刀法や,
構え,打突部位は違っていたはずです.

竹刀を刀のように使えと言われますが,実際,太いものをまっぷたつ,あるいは
頭から胴体まで真っ向に切り下げる動作をするとなると,いまの竹刀を握る握りかたでは
振りきれないと思うのです.

ですから,現在の剣道形はいまの竹刀県道に沿った物になっているのではないでしょうか.
剣道形も,制定以来なんどか細かい手直しがされていますが,現在では制定当時の剣道形は
ほとんど伝わっていないではないでしょうか.

私が,最初に教わった先生は,形の時でも踏み込み足はバンと音がするように床に着けなさい
と教えてくれました.それが最初の頃の剣道形だと言われてました.
ただ,昇段審査では今風に音をしないようにとも言い添えてくれましたので使い分けています.

ですから,左足の踵をあげるかどうかは時代によって違ってきてはいないでしょうかね.
踵を点けるとバックバランスになりやすいのはじじつですが,重心の置き方は,
踵を点けていてもやや前にあるのが自然体の人もいます.
これは,基本の部の子供たちを10年ほど見ていて気がついたことなんですが,
踵を点けた状態でバックバランスが自然体の子供は.すり足がはっきり言って下手です.
踵をあげてすり足をさせても,歩み足に近い(左が右足を追い越す状態)すり足になります.
逆に,つま先に近いところに重心がある子供は,すり足がスムーズです.
後ろに下がるときつま先があがって石米,なかなか治らない子は生まれ持ったバックバランスです.

to 江口さん
能のすり足って,つま先があがりませんでしたっけ.
能よりもダンスのほうが剣道の足運びに近いかもしれません.
先日,練習会場の体育館で,社交ダンス大会がありましたのでちょっと見ていたのですが
右を進めて左を送る時の体重移動なんか剣道とよく似ていました.
これについては,以前hideさんが書いてましたので,これ幸いと見てました.
それにしても,社交ダンス大会を見つめる防具姿(面ははずしてました)って,
非常に浮きますね.
[2001/12/05 23:21:23]

お名前: IZAYOHI   
IZAYOHIと申します。
剣道とは無関係の外野の者です。
さて申楽(能)と剣術についてです。
申楽は豊臣秀吉をはじめとする戦国から江戸にかけての大名が
主な担い手という歴史があります。
またそのなかで新陰流との技術交流もあったようです。
ですからごちゃ混ぜににても問題はないと思います。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Oak/4898/zuihitsu1.htm
もっとも申楽の歩法は基本的には鬼か神様などが多いので
人間ではないものの歩きを表現しているものなのですが。
能と剣道のすり足については次の論文もあります。
剣道のすり足
http://www.lib.nifs-k.ac.jp/annals/an7/7-99/7-99_1.html
[2001/12/05 21:15:04]

お名前: 江口   
Hide.  さん
くに   さん
おおすぎ  さん
はくどー  さん

 感謝してます。
ずっとギモンでありながら なんだか
口にしてはいけないことのような
気がしていたものですから。

 ご挨拶しそびれてしまいスミマセン。私は
 リバ剣(と言うのですか?)して九年の
 一般主婦です。
 このH.P.を知ったのはごくごく最近ですが
 懐の深さにおどろいております。

 剣道形で左かかとを上げるということに自分が
 違和感を感じた理由についてもう少し・・・
  重ねてのギモンになってしまうのですが
 一般に 剣道形にはさまざまの古流のエッセンスが
 入っているといわれておりますが
 左かかとを上げるという構えのもとになっているのは
 何という名まえの流派なんだろう?というギモンがあります。
 もしかして 左かかと上げは現代竹刀剣道独特のものではなかろうか?
 また、(もしもそうであれば)「刀」を想定して稽古するものに
 竹刀独特のことがらをあてはめられるのかどうか・・・?
 足の踏みようはたぶん、ものすごく大切なことなのではないかと
 思うのです。
 またしても自分の恥をさらすようですが、 私はまだ
「摺り足」についてもいまだに体得できていないのです。
 お能でも足の運びを「摺り足」と呼ぶらしく
 ながめていると「ああ、これも日本独特の文化かなあ」と
 思ったりしてしまうのですが
 まるで、地を踏み確かめるようにスルスルと歩んでいく。
 それは決して濡れ雑巾みたいに床にべたりと密着したものでなく
 ドカドカしたものでもない。彼らのかかとは床に接しています。
 てへんに習うと書いて「ス・ル」というのを 私はお能を観ていて
 (私はお能ミーハーです)
 なんだか 妙に納得してしまったのでした。
「きっとこれは “奥深い”んだろな・・・」とも。
 もちろん、お能は「舞」ですから「武道」とごちゃ混ぜにしては
 ヒンシュクですね。

 現代竹刀剣道をもっと豊かなものにするために
 剣道形の稽古があるのだとしたら
 もっと深く取り組みたいたいのに、
 門前でいじけている主婦なのでありました。
[2001/12/05 19:07:14]

お名前: Hide.   
そうですねぇ、みなさんがお答えになっていらっしゃるように私も、子供や生徒に
指導する場合は「あげるように」教えております。
ただ、私自身が打つときは上がっていないかもしれません(^^;

ほとんどの方は、踵をついてしまうとバックバランスになってしまいますよね。こ
れは、具合が悪いわけです。
しかし一方では、刀での斬り合いを想定すると、踵が持ち上がっていないほうが
ずっと踏ん張りは効くし安定性も増す。これは小野派一刀流でパワフルに切落しを
してみると明確です(^^) そこで、拇指丘に重心を感じながらも、踵は床に接して
いる状態がベストと個人的には思っております。

ただし、私の解釈でも構によっては明確に踵の上がるべき場面もあります。
1,5,6本目仕太刀の左上段、4本目仕太刀の脇構え、6本目の下段、6本目打
太刀がさがってとる上段・・・などです(^^)
[2001/12/05 09:00:20]

お名前: はくどー   
こんばんは。

現在の全剣連による統一見解では、左足のかかとは僅かに上げるとなっています。
今年から全剣連に剣道形部会が創設され、静岡の井上義彦範士が初代部会長に就任されましたので、
今後このようなことも、更に詳しく議論されてゆくのではないかと思います。
ただ、私個人の考えとしましては、左かかとを床に完全に着けてしまうようなことにはならない
と思っています。
[2001/12/05 00:40:29]

お名前: おおすぎ   
to 江口さん はじめまして
変な疑問でも恥ずかしいものでもないですよ

左足の踵を剣道形の時にあげるかどうかをきちんと説明できる人は
意外と少ないと思いますよ.相手が納得できる説明は難しいです.

私の場合ですが,ややあげています.
理由は床をすべるように進むのには,べた足では進みにくいからです
[2001/12/04 22:39:27]

お名前: 江口   
ヘンな疑問で恥ずかしいのですが
教えていただければと思います。

  日本剣道形のとき
  左足かかとを上げますか?
やっぱり上げた方が良いのでしょうか?自分は
刀を持ったことはないのですが
本当に、刀をもったら ということを
想定すると 足の踏み方は竹刀打ち込みと
ちがってくるのではないかと
思うのですが・・・
[2001/12/04 21:52:40]


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