少年指導について(4)

(親の姿勢 2000/09/04)
この一文は、「クラブオブ剣道 & タギリ金属の掲示板」に書き込みしたものを土台にして加筆訂正したものです。

 


 電子レンジ的な効果を剣道に期待する親は少なくありません。塾に入れさえすれば教育の責任を全うしたかのような感覚とにています。こういった「お手軽」な考えの方がたいへん多いです。でも、こういった親にかぎって「教育熱心」を自認してたりするんです。教育環境を与えてやることが教育熱心ではないんですけどねぇ。
 とくに「しつけ教育」は家庭との連係プレーが必要なわけですが、しかし、剣道という競技をよくご存じでないからこういうことが起こるわけです。
 これらについては、前項「親対策」をお読みいただきたく存じます。


 さて、学校教育でもそうなんですが、今は「親の教育」もかなり重要になってきています。これは、親の価値観が多様化してきているためです。教育活動に対する「学校と親」相互のコンセンサスが得られにくくなってきているのです。これには、「親の高学歴化」も拍車を掛けています。

 実際、担任を持っていて父母会を開きますと、日頃から「問題が多いな」って感じる生徒の親は、「やっぱなぁ」って感じの方なんです。
 でも、これとて出てきてくれるだけましな方で、本当に問題を抱えている生徒の親は父母会には必ずと言っていいほど欠席なんですね。
 で、何か校則違反が起こって呼び出してみると子供以上に厄介だったりするんです。けっこう多いのが「子供の自主性にまかせてあります」とか「もうこの歳になりますと親の言うことを聞きませんで」という理由で、『親業』を放棄してしまっているんです。そして「見て見ぬふり=無関心」で責任逃れをしてしまって状況を悪化させてしまうのです。


 教員をやっていると、子供って親の背中を見て育つものだっていうことが、イヤというほどよくわかります。
 故に、剣道を習いに来る子供達の日常生活を正したければ、その親の教育からはじめなければならないわけです。

 親にはまず、「剣道で得られる徳目」を十二分に理解してもらって、それが一朝一夕では身に付かないこと → 「家庭の協力=親の姿勢」が大事なんだということを理解していただかなくてはなりません。
 子供が習いはじめたことがきっかけで親も一緒にはじめるっていうことは、そういった面からも素晴らしい「涵養」なんです。子供にも親の真摯な姿勢が伝わり、また、親に対する対抗心も手伝って、絶大なる相乗効果が期待できます。

 ご自分では剣道をされないけれども、「剣道で得られる徳目」を十分理解し家庭生活に活かしておられる家庭も、指導者にとって大きな味方です。剣道をはじめてしまった親は、他の剣道をしない親から見ると「半分指導者」で少し煙たい存在なものです。こうした親が、「剣道について」語ったりするとひがみも手伝って反発を受け、トラブルになることもあります。
 剣道はしないが「剣道で得られる徳目」を十二分に理解し、家庭でも実践されている親の言葉こそ、指導者の百万語より効く場合もあります。全ての親が、こういう視点でいてくれれば、指導者は楽ができるものです。


 親もやはり率先垂範です。
 親業も先生と同じ「アガペーの愛」に礎をおいた聖職です!
 親が教育面で楽をしていて子供が健全に成長するはずがありません。電子レンジに食品を入れてボタンを押すだけでは、教育にならんのです! 

 はっきり言って、子供に剣道を教えるより厄介なことではありますが、子供を通して少しずつ親に理解していっていただくしか方法はありません。親とのコミュニケーションこそ、子供を伸ばす一番の方策だと認識できれば、指導は一段と楽になります。


 しかし、協力的なのは有り難いが、熱心なのと盲目なのは違います。

 最近の親の傾向について、以前、大森剣友会の掲示板に書かせていただいたものを引っ張り出してみました。
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 ●先生に挨拶やきちんとした言葉遣いで話ができない。
 ●先生(や人)の前を通るとき会釈ができない。
 ●道場(体育館)の入口で礼ができない
 ●指導のしかたにクレームを付ける
 ●選手起用にクレームを付ける
 ●竹刀や剣道用具を大切にしない
 ●試合で我が子が勝つと半狂乱(声援もひどい)
 ●試合で我が子が負けると審判に罵声
 ●身贔屓がひどく同門の子に分け隔てなく接することができない
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 これらは「問題親」の典型です。

 子供に剣道を学ばせるということは、剣道そのものはしなくても、親もその剣道の教えを理解し実践するということが前提条件なのではないでしょうか?
 入れさえすれば礼儀が正しくなるという「電子レンジ的」発想ではなく、親自身が剣道によって意識変革を成し遂げ、「子供とともに成長する」のでなければいけないと思います。

 やはり、勝ち至上主義の指導者だと、親の大応援団による過剰な声援を有り難がるようです。
 勝負には「勝者」と「敗者」がいます。武道における「敗者」は、「死」または「ケガ」を意味します。勝者が敗者をいたわり、過剰に喜ばないのが武道の考え方です。
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 ○相手がいたから試合ができる。
 ○たまたま、今の勝負は自分が勝ったが、この次はわからない。
 ○勝って驕らず、負けてくよくよしない。
 ○正々堂々と戦ったことを喜びあう。
 ○相手は「敵」ではなく「剣の道を志す友人(仲間)」である。
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 剣道の指導者は、勝負に対しては常にこういう視点で取り組ませたいわけですから、指導者の意向がしっかり父母に伝わっていれば、相手選手の犯した反則に大喜びするなんていうこともなくなるはずです。


 子供が親の背中を見て育つように、親の姿勢はすなわち、指導者の姿勢に相違ないのです。


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