このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment
トップページ > 記事閲覧
審判批判について
日時: 2011/08/11 08:30:59
名前: ミトリーズ 

どの試合の結果を見ても審判批判が、多く書かれていて、なんだか寂しいです。

そんな記事を読んで、剣道ではない競技を考えられるのも悲しいです

どんな競技でも審判批判は、多少なり有ると思います。

「惜しい1本より、確実な1本を」

私は剣道経験がないのでわかりませんが、審判員も、有段者ですよね。。

なんだかモヤモヤした気持ちです。

メンテ

Page: 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |

Re: 審判批判について ( No.1 )
日時: 2011/08/11 13:39:35
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

管理人のHide.です。

剣道の審判の難しいところは、「ゴールに入ったら1点」「ホームの帰ってきたら1点」
「ボールが落ちたらポイント」など、外来のスポーツのような明快さがなく、あくまでも、
審判の主観によって有効打突の判定がなされるからです。

審判員の技量に負うところが大きいわけですが、必ずしも、段位の高い人が「よく見えて
いる(=審判がうまい」というわけでもないところが、また、厄介なところです。


でも、審判批判で騒いでいるのは、残念ながら錬度の低い(=剣道をスポーツ的に見てい
る)中高生や子どもの勝ち負けにしか目が行ってない保護者です。

はっきり申し上げて、きちんと剣道を学んできた人たちは、審判批判などいたしません。
それは、ミスジャッジ(=不信な判定)は剣道にはつきものだからです。
それゆえ剣道では「らしきところは打たれるな」という言葉があります。くさいところを
打たれたら、それは一本になっても仕方がない。「打たれたほうが悪い」とそんなふうに
考えて日々のお稽古にも取り組んでいるのです。

それでも、納得がいかない判定に悔しい思いをすることがありますが、逆に自分が得をす
ることもあります。「打って反省、打たれて感謝」も剣道の大切な考え方なんですね


もちろん、審判に立つ人全員がしっかりと研鑽を積み、誰からも信頼される審判員たるべ
く努力していくことが大切ですが、残念ながら、うまいなぁと思える審判員は意外なほど
少ないものなんですよ(>_<)
メンテ
Re: 審判批判について ( No.2 )
日時: 2011/08/11 18:25:41
名前: ミトリーズ 

Hideさんへ

ありがとうございます。

>審判の主観によって有効打突の判定がなされるからです。

そうですよね。

頭ではわかっていますが、モヤモヤした気分と悲しいなって思いました。

子供たちが通っていた、故館長は、「惜しい1本より、確実な1本だ」とよく子供たちに言っていました。

剣士も、審判も、百錬自得、継続者力ですね

メンテ
Re: 審判批判について ( No.3 )
日時: 2011/08/11 23:07:57
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

スポーツでも採点競技は審判の主観ですので、やはり、かなりモヤモヤしているようです
よ(^^ゞ


>子供たちが通っていた、故館長は、「惜しい1本より、確実な1本だ」とよく子供たち
>に言っていました。

はい、それが正論です。
私どもも自分が打つ場合は「3人の審判が一斉に旗を上げるような打突を目指しなさい」
と教えます。

スポーツの世界では華麗なファインプレイが好まれますが、剣道ではより基本に忠実な打
突こそ望まれる、極めてストイックな競技(ある意味、日本民族らしい美意識)だと考え
ます。

そこがいいところなんだとボクは思ってますが 〜☆
メンテ
Re: 審判批判について ( No.4 )
日時: 2011/08/13 12:58:50
名前: 大和魂 

毎度毎度、横槍失礼致します。


保護者がよく審判批判をします。観客席からの見え方と、コート内での見え方には、
違いがあります。見る角度や目線の高さ、距離、試合者の気迫、そして各々の主観。
これらの条件から一瞬で判断する訳ですから、見解が割れる事もあるでしょう。


人間が判断する競技ですから、これまでの経験に基づいた主観が判断の柱になります。
中には贔屓と取られる判定が生じるでしょう。贔屓という言葉が独り歩きし、
悪しきイメージが付いて廻りますが“好き嫌い”は人間の本能です。


無論、綺麗事だけで言えば審判員は審判法に則って、
公明正大に判定をしなければなりません。


また1本の判断も、同じ強度と気迫で全てが同じ1本と判断されない事も理解しなければ
なりません。試合には“流れ”があります。適切な攻めが継続的に行われている中で、
放たれた技には、旗が上がります。しかし、同じ強度・気迫であっても、それまでの
流れの中で消極的な攻防や鍔ぜり合いがあれば、1本にならない事があります。


審判批判をする方の中には、技の瞬間だけをピックアップして言われる場合がありますが、
剣道試合は“流れ”がとても重要です。


私は、審判員は“神”だと自分に言い聞かせております。しかし、私が審判員を
任された場合は、決して“神”だとは思っておりません。矛盾しています。これは
現在の審判法や剣道試合に対して肯定的に捉えようと考えた、私なりの答えです。

どのような判断が下されようとも、審判員に委ねられた判定を、受け入れて反省する
心こそが、剣道理念にある“人間形成”であると思う訳です。


互いに対峙し構えている状態で『メンあり!』と、宣告される事はないのです。
何かしらの原因があるはずです。例えば、下された判定に99%疑問を感じたとしても、
1%の原因を探って反省し改善をする事が次に繋がると、私は思います。


また審判員を任された場合、全ての観衆に常に納得して頂けるような判定を目指して
おります。『俺の判断は全て正しい』と自信満々ではいけませんし、『これで良いのかな…』
という消極的な心でも、いけません。


驕る事なく、また臆する事なく、常に緊張感と観衆の目を意識し、その時々に正しいと
思う判断を下す心が大切ではないかと、私は考えています。

昔は、私も審判員に対して声を荒げた事がありました。今では、反省をしております。
メンテ
Re: 審判批判について ( No.5 )
日時: 2011/08/13 15:46:21
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 大和魂さん

管理人のHide.です。

審判をすることも剣道修行の大切な要素ですからね。
各人の修行過程に様々なレベルがあるのと同様、審判にも様々なレベルがあります。

自分が審判に立ったとき、ベストな審判ができるよう、互いに研鑽してまいりましょう
メンテ
Re: 審判批判について ( No.6 )
日時: 2011/10/25 03:01:06
名前: どるちぇ 

人間だから誤審はある。・・・それは理解出来ます。

但し、自分の子とは無関係の全国レベルの試合を見て、審判の旗の上がり具合(甘い判定)でココとココが優勝する。と予測し、翌日その通りの結果になったり、面を反れて首のあたりに当たって旗3本!!とかどうなんでしょう。

また、中体連の県大会、私はいつも審判の一人である人物の行動にいつも注目しています。
その人の動きで、優勝チームが予測出来ます。コート主任であるはずなのに、途中でコート外の審判にも入ります(^^;今迄こちらは予想的中率100%です。
これも、指導者としてどう思いますか?ご意見を伺いたいです。

ちなみに、私は剣道観戦は大好きですが、ズブの素人です。技がどうとかさっぱり解りませんので、審判を観察してどこが勝つのか?予想して一人楽しんでおります。だから本来当たるのがオカシイはずなんですよね(^^;
メンテ
Re: 審判批判について ( No.7 )
日時: 2011/10/25 08:59:55
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To どるちぇさん

管理人のHide.です。

お書きになられた試合を拝見しておりませんのでなんともコメントのしようがありませんが、
そのような事実があるとするならば遺憾なことです。


でも、剣道の素人の方がご覧になってわかるような露骨なことが行われているとするなら
ば、当然、剣道関係者は分かっているはずですよね。
なぜ、その審判員のそのような行動を規制できないのでしょうか?

その人物は論外ですが、私としてはそちらの方が気になります(-_-)
メンテ
Re: 審判批判について ( No.8 )
日時: 2011/10/25 23:48:21
名前: 昔剣士 

審判批判の件ですが、誤審とゆうより八百長らしき
審判についての批判ではありませんか?

八百長=予め勝敗を決めて試合を行う事

とゆうのが一般的な解釈です。

それに対して誤審と言うのは読んで字のごとく
誤った審判です。

後者は人間が審判を行いますので頻度の差はある
ものの試合には付き物と言えることです。
しかし、八百長に関してはあってはならない事で
す。

今問題になっているのは、確証はないものの八百長
としか言いようない試合が存在するとゆうことでは
ありませんか?

なぜこのようなことが起こるかとゆうと、勝利至上
主義が蔓延っているからです。

正々堂々と試合せずとも勝てば賞賛される。
そうなれば、だれもがそちらに流れてしまい、何が何でも勝ちたいになり、最後には、審判を味方に付
けてしまえば勝てるとなり八百長が成立する。

八百長はその証明がなければ、八百長とはなりません。したがって八百長としか考えられない試合と表
現しますが、それを無くす一番の方法は「勝った負けたで一喜一憂しない」ことだと思います。

仮にインターハイで優勝したとしても、それはその
時の審判、会場、試合方法で行った大会において優
勝となりえたと言う事とでそれ以上でも以下でもないと言うことです。

我々にできる事は、勝負ではなく剣道の優劣で評価
をすることだと思います。
メンテ
Re: 審判批判について ( No.9 )
日時: 2011/10/26 01:01:28
名前: 大和魂 

『仮にインターハイで優勝したとしても、それはその時の審判、会場、
試合方法で行った大会において優勝となりえたと言う事とでそれ以上でも
以下でもないと言うことです。』

…おっしゃられている事は理解てきます。その通りであると、個人的には
思います。しかし、世間は結果を一番の指標とし、結果を楽しみにして
いる節があります。

その結果の優劣で、剣道そのものの評価も表面上では成されている傾向が
あるかと思います。

しかし、親しい剣道関係者やこのサイトのようなアンダーグラウンドな
(Hideさん、すいません。)
所においては、良いも悪いも本音が飛び交います。


『勝負ではなく剣道の優劣で評価をすることだと思います。』

…先ほど書かせてもらった通り、その優劣がアンダーグラウンドな所では
話題に上がり評価されていますが、表面上では話題に上がりにくいのが
現状です。

現在2社から剣道誌が刊行されていますが、剣道そのものの評価を今以上に
深めた内容を掲載して頂ければ、第三者の見解が変わるきっかけとなり得る
可能性があります。

結果と剣道の優劣を区別して考える事が、今後は特に重要になると考え
ます。しかし、それが誹謗中傷にならぬように気をつけなければならない
事も、同時に理解せねばなりません。


八百長のような試合についてですが、私の個人的の見解を書きます。

観戦していて、そのように感じる試合が私も、事実ありました。しかし、
私の考えは審判が神。そのように感じたとしても、何もできない。大声で
怒鳴り込めば、当然白い目で見られます。そこまではやらないまでも
冷静に批判した所で、覆るものではありません。

結局は、内輪での小言で終わってしまうのが関の山。八百長であろうが、
誤審であろうが、一本は一本なのです。悔しいですが、第三者にはどうする
事もできない訳です。

できる事は、八百長審判や誤審に対する苛立ちを腹の内で煮え繰り返らせ
ながら、己はそんな人間には絶対にならない、と心に誓い、真っ当に振る
舞う事です。

メンテ
Re: 審判批判について ( No.10 )
日時: 2011/10/27 00:47:02
名前: 昔剣士 

大和魂さんへ

この件は現場で審判されている真っ当な先生方が一
番苦労なさっていますね。

そのご苦労には頭が下がります。

しかし、「八百長としか考えられない試合」に対し
てはどんな形であろうと話題にすべきだと思います。
ここに書き込むことで解決するとは思っていません
が、誰か共感してくれる方がいて前述の試合に対し
て拒否反応を示してくれる方が1人でも増えてくれ
るのであれば今よりも僅かでも良い方向に進むので
はないかなと思いますす。

メンテ
Re: 審判批判について ( No.11 )
日時: 2011/10/27 08:40:11
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 昔剣士さん

管理人のHide.です。

流れによって判定がどちらかに偏る(旗が軽い=贔屓目な審判)はあるにせよ、私は心の
底から「剣道の試合に八百長はない」と信じています。


>我々にできる事は、勝負ではなく剣道の優劣で評価
>をすることだと思います。

よく「剣道では勝っていたけど、勝負には負けたね」といいますが、まさにそれですね。
「勝ったから強い」「勝てば官軍」などとも申しますが、勝ったことは尊いとして賞賛す
るにしても、剣道においての「ただしさ」や「美しさ」を見る目を曇らせないようにする
必要はありましょう


To 大和魂さん

>現在2社から剣道誌が刊行されていますが、剣道そのものの評価を今以上に
>深めた内容を掲載して頂ければ、第三者の見解が変わるきっかけとなり得る
>可能性があります。

大会報道はどうしても勝者にスポットライトを当てざるを得ないでしょうが、私の見る範
囲、上位に上がった以外の好試合についてもキチンとレポートされていると思いますがね 〜☆
メンテ
Re: 審判批判について ( No.12 )
日時: 2011/10/28 01:27:21
名前: 昔剣士 

Hideさんへ

八百長は行った本人が認めなければ八百長となりま
せん。したがって八百長であると決めつける事は
できませんが、しかしその逆も真なりで、第三者で
のチェックもないので八百長をやっていない証明も
できません。
そうなると後は見ている人間の感じ方となってしま
いまい水掛け論となってしまいますのでこの話題はこれで最後とします。


PS:試合の途中でも「予め勝敗を決めて審判すること」は八百長にあたりますので御注意なさって下さい。
メンテ
Re: 審判批判について ( No.13 )
日時: 2011/10/28 09:13:32
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 昔剣士さん

剣道の審判はあくまでも審判員の主観によるものです。
心に迷いがあれば、あるいは心に偏りがあれば、疑念の湧く審判となってしまいます。

「李下に冠を正さず」の言葉通り、あれこれ背景を邪推されるような審判は「引き受けな
い」くらいの気持ちを持ちないものです。


ちなみに私事ですが、自分の教え子や出身校であろうと、公明正大に旗を振る自信があり
ます。しかし、もちろん、そのような審判を依頼されたとしてもお断り申し上げます
メンテ
Re: 審判批判について ( No.14 )
日時: 2011/10/28 16:40:23
名前: おっさん。。 

横から失礼します。

大和魂さま、

>1本の判断も、同じ強度と気迫で全てが同じ1本と判断されない事も理解しなければ
なりません。試合には“流れ”があります。適切な攻めが継続的に行われている中で、
放たれた技には、旗が上がります。しかし、同じ強度・気迫であっても、それまでの
流れの中で消極的な攻防や鍔ぜり合いがあれば、1本にならない事があります。

これは、私には理解できません。
同じ気迫すなわち攻めであり、試合者が無心(記憶に無い、偶然に近い等と思われる)の技が打突部位を捕らえ強度もあれば、これは一本と思います。
本当の試合の流れなど試合者しか分からず、審判が描いた流れと事なる事など多々あります。
審判は、私情をハサマズ規則・細則に従ってと思いますが。。

八百長は無いと思いますが。。
私情が入り・・・と思われる試合は少年等の試合であるのは事実です。
コノ行為は、アトで云々では絶対問題解決しませんし、声を荒げるのは如何なモノとは思いますが、ルールに従って抗議又は確認し万人にも分かる様にしないと、その審判の為にも試合者の為にもならないと思いますが、でも一本は一本ですね。。

それと、審判は神では絶対無いですから公明正大に行っても誤審もあります。
これは試合者は素直に受け止め無いといけませんし、剣道が習い事・芸事でアル以上、万人が認める「一本」を、剣道家、愛好家は求めているものと私は思います。
しかし、八百長は一本では無いですよ。


私が審判批判が起こるのは、審判事態の修錬がたらず自信が持てない者。
また、高段者であっても技が見えていない者。
私情をはさむ者。
審判の所作を理解(できない)者が審判など受けるから、と思うのですが。。

審判も剣道家・愛好家である以上、
万人が認める「一本」を求め、判定しなければいけないと思います。

長文失礼しました。
メンテ
Re: 審判批判について ( No.15 )
日時: 2011/10/28 23:00:10
名前: 大和魂 

おっさん。。さんへ

『本当の試合の流れなど試合者しか分からず、審判が描いた流れと事なる
事など多々あります。』

…この見解と私の見解は異なりますね。稽古であれば、対峙した二人が
流れを作り勝負します。しかし、試合は試合者の攻防と審判員の判断が
合間って流れが作り出されていると、私は考えています。

『審判は、私情をハサマズ規則・細則に従ってと
思いますが。。』

その通りですが、審判員は人間ですから無意識的に私情が入り込む場合が
あります。勿論、表明上あってはならない事ですが、主観は生きて行く
上で個々がそれぞれに備わっていくものですから。

剣道試合審判規則・細則に、一本の規準が記載されていますが、非常に
抽象的な表現です。その意味の具体的な取り方を一律にする事が、難しい
のです。

例えば、一本の規準に打突強度〇〇kg以上、足捌き速度〇〇m/h以上、
発声〇〇dB…など数値で明確化されれば、誰もが納得せざる終えないで
しょう(笑)

しかし、剣道は競馬や相撲のVTR判定などではなく、人間の心を認めさせる
抽象的な部分に魅力があるのではないでしょうか。

『審判批判が起こるのは、審判事態の修錬がたらず自信が持てない者。
また、高段者であっても技が見えていない者。私情をはさむ者。審判の
所作を理解(できない)者が審判など受けるから、と思うのですが。。』

これらを全て満たす人間を集めるのは、大変難しいと思います。審判員と
しての修練は大切です。しかし、実際は有段者が頼まれて引き受ける
ケースが殆どですよ。バスケットやサッカーのように審判員をライセンス
にすれば、多少変わりばえがあるでしょう。しかし審判は、ルールの理解度
以上に性格や人間性も絡んできます。

審判員に対する批判は簡単ですが、休日返上で審判に当たっている先生方に
敬意を払う事の方が、人間形成の道である剣道に携わる者として大切な心
ではないでしょうか。そこに納得がいなかい判定があったにせよ、1%でも
反省点を探り当てるのです。

『審判は神では絶対無いですから公明正大に行っても誤審もあります。』

これは私個人のこじつけですよ。審判員の判定が覆る事がない剣道試合に
おいて、自らを納得させる為に心に戒めているだけの事です。

審判員は各々の価値観をもった人間です。その方々を“神”と捉える事で
全ての判定を受け入れようと、私は考えているのです。

メンテ
Re: 審判批判について ( No.16 )
日時: 2011/10/29 08:53:31
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

管理人のHide.です。

私は審判に立つ時、流れを追いません。攻めも見ていませんね。
目の前に起こる現象のみに集中いたします。

流れを見たり攻めを見てしまうと、どうしても一方の選手に気持ちが奪われてしまいます。
もちろん、スコアを見るのもいけません。

ですから、審判をしたときは、試合の詳細を全く覚えていません(^^ゞ


一観客として見る場合は全く別です。
流れを追い攻めを感じ「次の一本」を予測し、自分だったらどう攻略するかまで考えて観
ます


審判は冷徹な「旗あげマシン」に徹することこそ必要と考えます
メンテ
Re: 審判批判について ( No.17 )
日時: 2011/10/29 09:34:28
名前: おっさん。。 

おはようございます。

>審判は冷徹な「旗あげマシン」に徹することこそ必要と考えます 。。

私も管理人さんの意見に賛成ですね。

大和魂さんへ。
>審判員に対する批判は簡単ですが、休日返上で審判に当たっている先生方に
敬意を払う事の方が、人間形成の道である剣道に携わる者として大切な心
ではないでしょうか。そこに納得がいなかい判定があったにせよ、1%でも
反省点を探り当てるのです。

そうですね。間違い無いです。。
しかし、これは審判にも言える事では無いですか?

審判批判と言われるモノを審判の質の向上を願ってって受け取るか、単なる批判と受け取るかの違いと一緒じゃないですか?
審判の中には、自信が下した一本の要素・要件を答えてくれない(分からない)方も多々いらっしゃいます。
打突の強度・残心などの判定は審判(または試合者)の修錬の度合いで分かれても仕方ない事ですが、
少なくても『一本の要素・要件』くらいは理解して判定して頂かないと、釣られ審判(追旗),
または意思表示ができない等が、観戦者から不信感をもたれる行為になると思います。

私自信も、審判を務めさせて頂く事もあります。
その時は、管理人さんと同じですね。。
アッ!それと『見られている』を意識しますね。
メンテ
Re: 審判批判について ( No.18 )
日時: 2011/10/29 22:47:44
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To おっさんさん

>アッ!それと『見られている』を意識しますね。

それはとても大切な意識だと思います。
うぬぼれに聞こえるかもしれませんが、私は常に「自分の審判を見ろ!」と言う気持ちで
旗を振っています。

誤審なんか恥ずかしくて出来ませんよ 〜☆
メンテ

Page: 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |

Subject 入力禁止
Title 入力禁止
Theme 入力禁止
題名 スレッドをトップへソート
名前
E-Mail
URL
URL
コメント中には上記URLと同じURLを書き込まないで下さい
パスワード (記事メンテ時に使用)
コメント

クッキー保存