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雑誌剣道日本での馬場先生の見解について
日時: 2016/12/03 14:21:28
名前: 佐藤 

今月発売された剣道日本で、全日本大会の勝見選手対宮本選手の試合の突きと引き面について、今までになかった新しい見解を馬場先生が述べていました。
剣道の技は先をとったものでなければいけない。先をかける姿勢こそ人間形成であり、スポーツとは違う点である、という内容だったと思います。
勝見選手の引き面は相手の打ち終わりを打った引き面であり、これは先をかけた剣道の技ではないので、当たっていたとしても取るべきではないという見解でした。
私はこれに賛成です。先をかけて技を出すというのは大前提としてあります。それを逸脱した技を全日本でとってしまっては、これまでの、剣道文化が大きく変わってしまうように感じるからです。
皆さんはどう思いますか?
メンテ

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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.1 )
日時: 2016/12/03 19:55:25
名前: 道心 

私も拝読しましたが、おっしゃる通りかなと思いました。
ただ、突きが左によれたと話す人の見解も無視はできません。
難しいです。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.2 )
日時: 2016/12/03 20:12:27
名前: 佐藤 

道心さんへ
難しいですね。
一本の条件の中に確か機会をとらえてという項目があったはずですが、そこは具体的に明記されていないんですよね。
何を機会とするか。これが統一されていないから、起こった問題でもあると思います。
しかし、各道場の考え方、地域の剣風の違いなども剣道の醍醐味だと思いますので、統一させるのもまた難しいように思いますね〜
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.3 )
日時: 2016/12/04 08:11:16
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

管理人のHide.です。

『剣道日本』2017年1月号、74ページの「敗者はいらない」という連載における「あと打
ちを斬る」という一文についてですね。

けっして「あたった、あたらない」とした審判批判になったり勝見選手、宮本選手に失礼
な書き込みにならないよう、配慮しつつ論を進めていただけますれば幸いですm(_ _)m


さて、私も「先の技」が尊いことはよくわかりますし、佐藤さんがおっしゃるように「先
を仕掛ける姿勢」というのが引いては人間形成につながると考えております。
馬場先生も書いておられますが、元立ちに対して後打ちを狙うような稽古はいけません。
もちろん、元立ちとしても「言葉でいさめる」のではなく、己の剣をもってそうしたお相
手に「それじゃぁダメだよ」と指導できてこそ剣道と言えるでしょう。
後打ちを打たれ放題で「後打ちはいかん」では、お相手の心には響きません。

最近は「かかる稽古」がお分かりにならない方が増えて、上位者にかかるにしても待って
後打ちを狙ったり、よけながら間合いに入ってきて、強引に空いているところを斜めから
打つようなことをされる方も散見しますが、それにしても打たれてしまえば「いかん」と
はいさめられません。
そういった観点から、上位者というのは段位に胡坐をかくことなく、常に精進が必要と考
える次第です。


さて、かなり回り道をしましたが、本トピに関する私の見解を書かせていただきます。

私は勝見選手の技は「後打ちではなかった」のいう意見です。
馬場先生は

(引用)---------------------------------------------------------------

 あの引き面は、あと打ちです。同じあと打ちでも、相手のひき技を凌いで追い込んで打
つようなあと打ちなら納得がいきます。そもそも剣道は、先の技、先々の先の技、後の技
といった理合に則った技の競い合いです。先の技として宮本選手の突きを取るならそれは
成立するし、その竹刀をすり上げて面を打つなり払って面を打つなりすれば、後の技とし
て勝見選手の技が支持されたでしょう。しかし宮本選手の突きが不成立としたならば、そ
こで先の仕掛けもなく直後の打突は単にあとから打っただけの引き面になるわけです。

(ここまで)---------------------------------------------------------------

と書いておられます。
つまり、勝見選手は宮本選手の突きに対して技を出したのでないから「後の技」ではなく
「あと打ち」だとおっしゃっているわけです。

私の見解は、たしかに突きに対する返し面ではありませんでしたが、直前の一本同様、宮
本選手の小手と読んで返し面を打とうとした。しかし、宮本選手が放ったのが突きだった、
という見方です。
つまり、勝見選手は「読み違え」をしているわけですが、待って打ったわけではなく宮本
選手の先に対して後の技をもって対処しているということになりますので、馬場先生がお
っしゃるところの「あと打ち」ではないという考えです。


また、
(引用)---------------------------------------------------------------

…宮本選手が真っ向から放っていった諸手突きはたとえ正確に致命傷を与えられなかった
としても(打突部位を捉えられなかったにしても)、相手を串刺しにするような大きなダ
メージを与えた突きでした。”死に体”から繰り出すような技が、果たして見事な一打と
して認められるような技であるのかどうか。あるいは、先の気位で仕掛けた宮本選手の真
っ向勝負の精神が位置も簡単に無視されてしまうようなことが、剣道の本質をついた正し
い見方といえるのかどうか。

(ここまで)---------------------------------------------------------------

と書いておられる件ですが、勝見選手は本当に「死に体だった」という点に疑問を感じま
す。「死に体」であったらあんなにしっかりした打突が打てるでしょうか?

私は突きが得意ですので、お稽古においてよく突きを出します。
部位を捉えられなくてもお相手を崩すことができていれば、そこを打たれることはありま
せん。つまりお相手が「死に体」になったと考えます。
部位を捉えても、お相手を崩しきれていない場合、後打ちを打たれます。それは「体が生
きている(突きで崩しきれなかった)」ということですね。

勝見選手の引き面は、有効打突の基準を十二分に満たしたものでした。
つまり「死に体ではなかった」というのが私の見解です。


これからお稽古がありますので、とりあえず、以上二点について考えを書かせていただき
ましたm(_ _)m
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.4 )
日時: 2016/12/04 10:59:00
名前: 佐藤 

ヒデさんへ
あの引き面がただの後うちだったかどうかは、それぞれの見解があると思うのですが、勝見選手が死に体だったかどうかについて、これは何を基準としているのでしょう?
確かに、勝見選手は大きく体勢は崩れることはなかったですが、宮本選手の竹刀は大きく曲がっていませんでしたか?これはつまり、竹刀で出せる限界の威力のある打突を勝見選手に加えたということです。それで崩れなかったのですから、勝見選手のフィジカルが強かったと言えます。宮本選手の突きが威力不十分ということではなく。
しかし、剣道は日本刀をもとに作られた競技ですので、もし真剣だったらという考えも必要なのではないでしょうか?
フィジカルのおかげで打てた技で、剣道としての技術があったようには思えません。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.5 )
日時: 2016/12/04 16:12:52
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 佐藤さん

管理人のHide.です。

>勝見選手が死に体だったかどうかについて、これは何を基準としているのでしょう?

これに関しましては、上述しました通り私の経験則です。
私の解釈では「死に体」とは技を仕掛ける余地がないくらい崩れている状態です。

勝見選手のフィジカルが常人以上であったのか、宮本選手の竹刀が曲がりやすかったのか、
それは検証のしようがないことです。
しかしながら、「勝見選手は突きを受けて崩れずに有効打突に足る打突を出した」ことに
関しては疑いようのない事実と認識しております。

その点に関して佐藤さんはどのようにお考えでしょう?
「死に体」でも有効打突に足る打突を繰り出すことができるとお考えですか?
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.6 )
日時: 2016/12/04 21:26:00
名前: 佐藤 

死に体とは、ヒデさんが言うように、技を出せないほどに崩れた状態をいうと思います。そして、それに付け加え心構えの状態も言うと思います。相手の技を応じることもできずに、打たれてしまう状態は、体勢がくずていようがいまいが死に体であると思います。
つまり、宮本選手の突きを受けてしまっている、勝見選手の状態は死に体であったと考えます。ですので、あの引き面は死に体から出た技だと考えます。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.7 )
日時: 2016/12/04 23:57:26
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 佐藤さん

私は「死に体からは有効打突に足る打突は出ない」と考えております。
勝見選手は突きを受けても死に体ではなかった。ゆえに、しっかりした打突が打てたので
す。現場で審判に次いで近いところで見ておりましたが、素晴らしい面でした。

前述しました通り、勝見選手は小手だと思い返し技を放ちました。
お相手の技を受けてしまったわけではありません。

この2点があなたとの見解の相違ですね。
ご回答いただきありがとうございました
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.8 )
日時: 2016/12/05 00:40:52
名前: 佐藤 

小手だと思い、返そうとしたら、突きがきて意表を突かれたということですね。
これは読み違えたということですかね?勝見選手本人に聞いたのでしょうか?
読みというのは、重要な勝負の要素です。
それよりも、ヒデさんは、勝見選手の声を代弁しているのですか?
「小手だと思い返し技を放ち」とありますが、ビデさんの推測ですか?それとも、本人に聞いたことですか?
そこは本人の名誉のためにはっきりさせて欲しいところです。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.9 )
日時: 2016/12/05 07:02:13
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 佐藤さん

本人の名誉もなにも「私の見解です」と申し上げております。
その文意はお分かりでしょうか?

私は意見を問われたので書かせていただいたまで。
勝見選手にインタビューしたわけでも審判が知り合いで、あの判定の解釈を聞いたわけで
もありません。あくまでも「個人的見解」です


ひょっとしたら、突きを返そうとして失敗したのかもしれません。身体が勝手に反応して
打った感じでしたね。
その直前の小手返し面と同じ打突動作に見えましたので、そのように解釈したわけですd(^-^)!

あなたには「死に体からのあと打ち」に見えたのですね?
そこが「見解の相違です」と申し上げているのです。ご理解いただけましたか?
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.10 )
日時: 2016/12/05 13:39:01
名前: 一剣道人 

こんにちは。

興味深いトピでしたので、コメントさせてください。

まず、管理人様のコメントについてですが、

(引用)
私の見解は、たしかに突きに対する返し面ではありませんでしたが、直前の一本同様、宮
本選手の小手と読んで返し面を打とうとした。しかし、宮本選手が放ったのが突きだった、
という見方です。
つまり、勝見選手は「読み違え」をしているわけですが、待って打ったわけではなく宮本
選手の先に対して後の技をもって対処しているということになりますので、馬場先生がお
っしゃるところの「あと打ち」ではないという考えです。

についてですが、
宮本選手の「読み違え」を起こさせるほどの攻めに反応した結果、
勝見選手が体を崩して突きを受けたのではないでしょうか。
仮に宮本選手が勝見選手の読み通りに小手を打ってきて
それを返して面を打てばもちろん「後の技」として面ありでしょうが、
小手に来ると「読み違え」てしまえば、
その時点で負け、いわゆる死に体になるものと思います。
稽古でも、自分が読み違えて打たれたものについては
一番「あ、やられた」と思うところだと思います。

また、
(引用)
ひょっとしたら、突きを返そうとして失敗したのかもしれません。身体が勝手に反応して
打った感じでしたね。
その直前の小手返し面と同じ打突動作に見えましたので、そのように解釈したわけですd(^-^)!

につきましても、失敗した技をよしとするのはいかがなものかと思います。
そもそも、宮本選手は勝見選手が小手を返す動作に来ることを予測して
突きを放ったのではないでしょうか。


ここで、私の審判についての考えを述べたいと思います。

私は、剣道の審判に誤審は無いという考え方です。
審判規則等に有効打突についての記述はありますが、
審判は旗をなぜ挙げるのだろうということについて検証をすると、
「審判が目の前で繰りひろげられている試合の中で、
選手が繰り出した技に感動したとき旗を挙げる」
という考査にたどりつきました。
感動によって旗を挙げるということを考えれば、
そもそも誤審という発想自体があり得ません。

範士の先生方はその感動の尺度が高いため、
全日本選手権の審判を任せられるのだと思います。

感動には様々な要因が考えられます。
かっこ良かったり、かっこ悪かったり、
試合態度が良かったり、悪かったり、
期待していた選手のパフォーマンスがそれほど良くなかったり、
逆に注目していなかった選手が素晴らしいパフォーマンスを見せたり、
その選手を知っていたり、知らなかったり・・・・・

審判規則等に記載の有効打突の条件を基準として
これらの要素がフィルターとなって感動を起こし、
審判に旗を挙げさせるのではないかと思います。
そしてそのフィルターが薄いほど、文句の出ない審判なのではないでしょうか。

当たったとか当たらなかったとか、こっちの打ちが先だとか後だとか重要なことですが、
そもそも感動させなければ旗は挙がらないのですから、
試合場の中でも外でも
着装をきちんとし、礼儀正しく態度を立派に、
期待してもらえるくらい努力を怠らず、
いつでも最高のパフォーマンスが出せるように
コンディションを整える必要があるのではないでしょうか。


宮本選手の突きは素晴らしかった。
どんな人でも簡単に出せるような技ではなかったと思います。
しかし、勝見選手の面はその感動をさらに上回り、
宮本選手の突きの感動を打ち消してしまった。
結果的にはそういうことだったのではないでしょうか。


こういった議論はいつも起こっています。
山田選手の玉竜旗の時の小手の後の面や、
竹ノ内選手のやはり小手の後の面など、
非常に多いです。
それをなくすには、全剣連が中央講習会で
明確な指針を出すしかないでしょう。
馬場先生の案を採用するか、逆に後打ちを有効にするのか。
そうすればこの議論はなくなると思います。

それも味気ないですかね。
メンテ

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