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雑誌剣道日本での馬場先生の見解について
日時: 2016/12/03 14:21:28
名前: 佐藤 

今月発売された剣道日本で、全日本大会の勝見選手対宮本選手の試合の突きと引き面について、今までになかった新しい見解を馬場先生が述べていました。
剣道の技は先をとったものでなければいけない。先をかける姿勢こそ人間形成であり、スポーツとは違う点である、という内容だったと思います。
勝見選手の引き面は相手の打ち終わりを打った引き面であり、これは先をかけた剣道の技ではないので、当たっていたとしても取るべきではないという見解でした。
私はこれに賛成です。先をかけて技を出すというのは大前提としてあります。それを逸脱した技を全日本でとってしまっては、これまでの、剣道文化が大きく変わってしまうように感じるからです。
皆さんはどう思いますか?
メンテ

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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.11 )
日時: 2016/12/05 14:44:58
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 一剣道人さん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました

一剣道人さんの審判についてのお考え、
 ・剣道の審判に誤審はない
 ・選手が繰り出した技に感動したとき旗を挙げる
 ・そしてそのフィルターが薄いほど、文句の出ない審判である
は非常にうなずけるご意見です。

自分を振り返ってみますと、私も審判をするときにはそんな観点です。
そして、多くの人がその技に感動を覚えたとき(フィルターが薄い)、立派な審判であり
立派な判定になるというのも、わかりやすくていいですね。
スポーツの判定としては合理性や客観性に乏しいのかもしれませんが、実に「剣道らし
い」見解だと思います(^0^)


ただ、前段の部分に関しては、私と若干意見が異なる部分があるようです。

>小手に来ると「読み違え」てしまえば、
>その時点で負け、いわゆる死に体になるものと思います。
>稽古でも、自分が読み違えて打たれたものについては
>一番「あ、やられた」と思うところだと思います。

お稽古においてはそうですね。
読み違えは「結果がよかった」としても反省すべきです。

でも、そのような「読み違え」または「両方にヤマを張った」ような技を、我々はよく用
いますし、見かけますし、まま有効打突になって(して)います。

いくつか例を挙げますと、
 ・面と読んで、動きの端に抜いて胴を打った。しかし、お相手が小手でそれは腕を捉え
  たが胴を的確に捉え「小手抜き胴」になった
 ・小手と読んで、抜き上げて面を打とうと試みたらお相手が飛び込み胴。しかし垂帯に
  あたったため的確に捉えた面が「胴抜き面」として有効になった
これらケースも、読み筋と違ったから「死に体」で有効打突になりませんか?

小学生などですと、完全にヤマをはった打ち方をしますね。
  ・小手にも面にも対応できるように大きく振りかぶって抜いて引き面を打った
などです。

そもそも返し面などは「小手でも面でも(小手面でも)対応できる」ように打つ技ではあ
りませんか。
勝見選手の場合も「そうだったのではないかな」と思えば、「死に体」と考えるのはいか
がなものでしょうか?

まして、返しの動作がまったくぶれたり淀むことなく、正確に(感動を呼ぶ)面を打つこ
とができたわけですから、「死に体」であるとするほうにムリがあると考える次第ですm(_ _)m


>そもそも、宮本選手は勝見選手が小手を返す動作に来ることを予測して
>突きを放ったのではないでしょうか。

もちろんそれはあるかもしれません。

ただ、突きは、「守ろうとするお相手」「よけに回っているお相手」「居ついているお相
手」に有効な攻撃手段です。しかし、出鼻、すり上げ、返しを狙っているお相手には無防
備になりやすくリスキーな技でもあります。

もし、勝見選手が小手を返すと読んで諸手突きにいったとするならば、かなりのギャンブ
ラーかなとは思いますが、当日の宮本選手は大胆な攻撃が持ち味と映りましたので、それ
もなかったとはいえないでしょう。

ホント見ごたえのある試合だったと思います
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.12 )
日時: 2016/12/05 15:43:28
名前: 北の海人 

【誤審について】

主役は審判ではなく選手です。そして人間ですから当然間違うこともありえます。
ただし、そこで誤審だから審判を罰しろとか、判定覆せとか、
誤審試合として記憶しろなんてことは望みません。

あくまで一本の基準についての議論であり、
その他の試合に当てはめても矛盾なく説明できるかはきわめて大切なことです。
その議論の最中に誤審はないという前提を持ち出すと議論そのものに意味はなくなり、
馬場先生の意見ですら「誤審はない」で終わってしまいます。
まずはそこを分けるべきだと思います。
前提の優先順位がころころ変化するのは好ましくありません。

【死に体について】

死に体は「反撃できない体」という使われ方に違和感があります。
その前提を採用したら、その他の試合で確実に矛盾が出てきます。
その場合「剣道に誤審はある」と認めることになるのでしょうか。
先に打たれていようが完璧な体で後打ちできる場面などいくらでもあります。

それに勝見選手の体は、宮本選手のツキを受けていることによって返しやすさを得ています。
ツキですから腕が自由なのは当然で、体は完全にツキにより居ついてます。

まずは、死に体を満たす要件に「反撃できない」という基準があるのかどうか、
そこをはっきりさせるべきだと思います。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.13 )
日時: 2016/12/05 16:30:09
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 北の海人さん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました。


馬場先生も「誤審だ」とは書いておられなかったはず。
ゆえに、本議論の要諦が「誤審のあるなし」に左右されるものではないと考えます。

しかしながら、一剣道人さんの審判についてのお考えは非常に穿ったものであり、共感を
覚える部分が多いものでした


>先に打たれていようが完璧な体で後打ちできる場面などいくらでもあります。

仰るとおりです。
でも、それは「死に体」の状態の時に打たれたわけではないからです

心気力が充実していたとしても、打たれることってありますよね。
たとえば出鼻小手ですが、面を打とうとして手元が上がったところを打たれる技です。出
小手を打たれた選手は「死に体」ではありません。打たれたあとすぐに体をさばいて引き
面等を打つことができる状態です。「死に体」ではないからです。

お相手が「死に体」のときにのみ有効打突が発生するわけではありませんので、本件の傍
証にはなりえないと考えます。


>それに勝見選手の体は、宮本選手のツキを受けていることによって返しやすさを得てい
>ます。ツキですから腕が自由なのは当然で、体は完全にツキにより居ついてます。

仰るとおり、突きを受けたことにより、身体を後方にさばきやすくなったことは間違いあ
りません(ただ、その衝撃に耐えながらしっかりした一本を打つのは至難の業だと。

しかし、この「体は完全にツキにより居ついています」というお考えが理解できません。
なにをもって「完全に居ついている」とされるのか、お考えをお聞かせ願えますでしょう
か。

私の理解では、「居ついている」選手は、瞬間的に(間髪を入れず)動作を起こすことが
できないものと考えておりますが…。


>まずは、死に体を満たす要件に「反撃できない」という基準があるのかどうか、
>そこをはっきりさせるべきだと思います。

仰るとおりです。

馬場先生にも伺ってみたいところですが、私の解釈で「死に体」とは、
 ・重心がどちらかの足にかかり、あるいは体勢が崩れていて「打突不能」な状態
 ・攻めや打突等によって剣体が崩された状態
 ・打突後の対敵動作が不備で即座に打突できない状態
と考えます。

ゆえに、即座に正確に打突できた場合は「死に体ではなかった」という意見ですd(^-^)!
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.14 )
日時: 2016/12/05 16:38:42
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

管理人のHide.です。

いやぁ、面白くなってきましたね。
「居つき」や「死に体」、「後の技」と「あと打ち」など、考察するに非常に面白いテー
マです。

多くの剣道愛好家の皆さんのご意見やお考えを伺ってみたいと思います。
ぜひぜひ、多くの方の書き込みをお願いいたします
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.15 )
日時: 2016/12/05 17:18:04
名前: だみ声  < >

あの準決勝戦は、本当に感動ものでした。
僕はあの試合をテレビの録画(放送を録画)で数回見ました。 全国レベルの選手は、スゲー事をやるもんだと感動
と感激と興奮を覚えました。 自分もあんな技の応酬をやってみたいものだと思います。

そんな感動を持っていたところへ、隣の柔道場にいた柔道経験者の方(指導者ではない)が、僕の所に来て、あの場
面、「私は突きの方だと思ったのですが、なぜ面に旗が上ったのでしょう?」と尋ねられました。
僕は正直返答に困りました。 同じ格闘技家の方からの質問ですから、しっかり答えたいと思いました。

僕の答えは、結論から言えば「旗が上った側のもの」という事です。 でした。
つまりあの感動的な場面は、「突きだっ」と言えばそうでしょうし、「面だっ」と言えばそうなのではないでしょうか?
審判の心理としては、旗はどっちかにあげなければなりません。 あの打突には「なし」はあり得ません。
捨て身の強烈な「突き」も立派、あれだけの状況であれだけ強烈な「面」も立派。
付け加えたのは、オリンピックの篠原選手の「幻の一本」の話題で、何となく納得していただきました。

もとより選手は、審判にこの事で、一切話しをすることはあり得ません。 まして観戦者の我々も自分の見え方、感
じ方はあっても、審判の判定に従うのが一番いいのではないでしょうか?
ではどっちが先に当たっているのか? と言えば「突き」の方だったと思います。 普通はそれでおしまいです。
ところが一瞬後の「面」が見事過ぎたのです。
旗は割れることなく、3:0で面に上がったのです。 同じく3:0で突きに上がっても誰も文句言わないと思いま
す。
僕は誤審だ、そうじゃない!と、あれこれ騒ぐのも、しなくていい(してはいけない、しても結果は変わらない)の
が剣道の審判だと思っております。 ではこういう大きな大会の「どっちが先か」を見るための「映像確認」制度を
導入したらどんな結果が生じるのでしょう?

特に最近は鮮明な画像がだれでも撮れるようになっております。 でもどっちが先か? だけで決められない要素が
多いのが剣道の審判に求められるところだと思います。
だから審判に一瞬の迷いがあっても、一旦上った旗には文句言わないで「従う」のが「剣道人」ではないでしょうか?
現に宮本選手は、公には何も言わないでいます。 若いだけに、しかも本人だけに、我々とは異なる思いもあると思
います。 でもそれも含めて「剣道」なのです。

多少古い話ですが、宮崎選手:栄花選手 の面と返し胴、あれも物議をかもしました。
高鍋選手:寺本選手 の相面も0.009秒の差として話題になりました。 世界大会の韓国選手と竹ノ内選手の小手と
面の攻防もよく語られます。

実際審判を経験したらわかるのですが、穴に入ったゴルフボール、ポールより中に入ったサッカーボール、かごに入
ったバスケットボール、等結構明確に見えますから、しかも時間経過後も見えていますから、滅多に見落とすことは
ありません。
しかし剣道の速度は本当に追うのが大変ですし、場外反則も、鍔迫り合いも、竹刀の絃の位置も、自分の立ち位置も
同時に意識に置かねばなりません。
審判講習会でも、いろんなケースに目を見張ることが求められています。 そういう中で求められる「一本の見極め」
です。 だから上がった「旗には従う」が「武士道」にもかなった剣士の態度ではないでしょうか?

少し今の議論からは的外れな事を書いちゃったかもしれませんがお許しください。 
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.16 )
日時: 2016/12/05 18:02:42
名前: 一剣道人 

一剣道人です。

コメントありがとうございました。

管理人様
おっしゃる通り、試合では有効打突になる場合が多いですね。
しかし、逆になる場合も多々あります。
>・面と読んで、動きの端に抜いて胴を打った。しかし、お相手が小手でそれは腕を捉え
  たが胴を的確に捉え「小手抜き胴」になった
の場合、外れた小手が一本になった。
>・小手と読んで、抜き上げて面を打とうと試みたらお相手が飛び込み胴。しかし垂帯に
  あたったため的確に捉えた面が「胴抜き面」として有効になった
この場合も胴になった場合を散見します。
特に試合が長引き捨て身で打った場合に多いようです。

いずれにしても、それはお相手の技を外した、
あるいはお相手の技が外れた場合に適用になり、
とらえられた場合は最も心ごと打たれる場面ではないでしょうか。
今回の宮本選手の突きはとらえたものと(私は)判断しました。
でもここはいろいろ繊細な部分ですので、議論は遠慮させてください。

勝見選手のあの動作は突きを想定しての動きではないと
私は思います。
仮に、突きも小手も両方対応できるような動作であったとしても
あの突きを打突部位に受けてしまった瞬間に、
死に体になったと私なら判断します。
自分の対応を凌駕されてしまったのですから、
本当はかなり焦ったはずです。

なお、死に体についてですが、
今の管理人様や私のように外から見て判断する場合と、
実際に試合を行っている当事者が感じる死に体とは、
別物なのかなという感覚もあります。
あの時勝見選手は突きをとらえられても
自身が勝利をつかむことを信じ切っており、
打たれたことも気づかなかった可能性があります。
だから、あんな自信満々に面が打てたのではないでしょうか。
対して宮本選手は、たらればの話ですが、あの突きを放った後、
どうして首をかしげてもあの面に対応できなかったのか、
と悔やんでいるかもしれません。
少しでも面を外していたら、突きが一本になったかもしれません。
(それでも、面が一本になった可能性もありますね。)
吉川栄治の小説「宮本武蔵」で
小次郎は武蔵に脳天を割られた後、
下から切り上げる動作をしましたが、
それをかわせなければ武蔵もその後無事ではありませんでした。
本人が自分で死んだと自覚できなければ、
死に体というのは、試合者では確認できないかもしれませんね。

北の海人様

ご指摘ありがとうございます。

私がこのスレッドの主旨ととらえたのは、
後からの打ちを取るべきなのかそれとも、
先にとらえた技を一本とすべきなのかということを、
先の全日本選手権準決勝を題材として
馬場先生の提言を踏まえて議論しましょうということです。
そのためには、どんな時に旗が挙がるのかという検証を述べるために、
私の審判についどう思うかを先に述べなければなかったのです。
ご理解ください。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.17 )
日時: 2016/12/05 18:45:28
名前: 北の海人 

Hide様

>お相手が「死に体」のときにのみ有効打突が発生するわけではありません

であるとすると

>打たれたあとすぐに体をさばいて引き面等を打つことができる状態

である人が実際に打突した場面は、「死に体」でなかったので一本になるというお考えなのでしょうか。

>完全にツキにより居ついている

勝見選手は完全に手元上げて宮本選手に突かれています。
いわゆる三点防御でさえそこから技出しはいくらでも可能です。
返し技を狙っていたとしても、間に合っておらず、その変化が追いついていません。
その後の引き面までの動作は全て居ついた後のもので、ゆえに後打ちだと認識しています。
居つきとは、剣道においては一瞬一瞬のものであり、
その後勝見選手が引き面までもっていけた事実と居ついたことは矛盾するものではないと考えます。

>私の解釈で「死に体」とは〜

その基準を採用すると、
hhttps://youtu.be/jV_Cfnm7egQ
の冒頭のツキは一本ではないように思えます。

SlowMotion - KOTANI's T (vs SHODAI) - 61st All All Japan KENDO Championship Semi Final 61
hhttps://youtu.be/sz8edDerBZU
の試合も、ツキは左に逸らされ正代選手の引き面がしっかり決まっていることになります

いずれも某掲示板で紹介されていた動画で発言内容もほぼ受け売りみたいなものですが、
ツキが一本だと考える人達にとっては、自分含めて矛盾を感じてしまうようです。


一剣道人様

そうですね。分けてお考えになられていることは読み返してよくわかりました。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.18 )
日時: 2016/12/05 22:23:21
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To だみ声さん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました

そうですね、心情的にはおっしゃることにすべて同意いたします。
ただ、今ここで問題になっていることというか論点からは少し外れているように思います。

No.14に書かせていただきました通り、「居つき」と「死に体」、「後の技」と「あと打ち」
がここでの論点と考えてりますm(_ _)m



To 一剣道人さん

>今回の宮本選手の突きはとらえたものと(私は)判断しました。
>でもここはいろいろ繊細な部分ですので、議論は遠慮させてください。

そうなんです、ここではその話はやめましょう。
「あたったあたらない」の話ではなく、No.14を論点とさせてくださいm(_ _)m


>あの突きを打突部位に受けてしまった瞬間に、
>死に体になったと私なら判断します。

「打突部位付近に」ですね。
あなたは「あったったもの」という認識でおられるようですが私は「外れている」という
解釈なんです。そのスタートラインが違うと、この話はかみ合いません。

馬場先生は「宮本選手が真っ向から放っていった諸手突きはたとえ正確に致命傷を与えら
れなかったとしても(打突部位を捉えられなかったにしても)、相手を串刺しにするよう
な大きなダメージを与えた突きでした」とあたったあたらないに関わらず「死に体である
がゆえに一本としてはいけない」というご意見です。

このトピも「馬場先生のご意見に対してどう思うか」ですので、あくまでもその範囲での
議論にしませんか?


>今の管理人様や私のように外から見て判断する場合と、
>実際に試合を行っている当事者が感じる死に体とは、
>別物なのかなという感覚もあります。

その部分には同意いたします。
ちなみに本心かどうかは不明ですが、宮本選手は「突きすぎた」とコメントしているのを
雑誌で読みました。
残心に入る前に打たれたことを悔いているコメントに読み取れ、彼の素晴らしさに改めて
感嘆した次第ですm(_ _)m



To 北の海人さん

>>打たれたあとすぐに体をさばいて引き面等を打つことができる状態
>である人が実際に打突した場面は、「死に体」でなかったので一本になるというお考え
>なのでしょうか。

基本的にはそうです。
その後の打ちが有効打突に足る一本であり、かつ、先の技をかけた人が残心を取る(打ち
切って打突の終末を示す)よりも先に打突された場合に限り、打たれれば一本になります
し審判としては取るべきと考えます。

その好例を、私たちはよく目にします。
小手を打って(部位を捉えて)お相手に寄りついて決め切る前に引き面を打たれた場合、
その引き面が有効打突に足る打突の場合、面が一本になるケースがあります。

あえて名前はあげませんが、某若手有名選手が「小手をわざと打たせてギリギリまで引き
込んで返し面を打つ」というコメントはあまりに有名です


>返し技を狙っていたとしても、間に合っておらず、その変化が追いついていません。
>その後の引き面までの動作は全て居ついた後のもので、ゆえに後打ちだと認識していま
>す。居つきとは、剣道においては一瞬一瞬のものであり、その後勝見選手が引き面まで
>もっていけた事実と居ついたことは矛盾するものではないと考えます。

どの部分に「居つき」があったのでしょう?
勝見選手の面は、返しの動作から打突の終末まで淀みが一切ありませんでした。
淀みが一切ない一連の動作の中にも「居つき」の瞬間があるとお考えですか?

あなたの「居つき」の定義を、もう少しわかりやすく説明してくださいm(_ _)m

私は何度も申し上げている通り、あの突きは居ついて受けたのではなく、返しの過程でお
相手の選択肢が突きだっただけという解釈です。ゆえに「あと打ち」ではなく「後の技」
という立場です。
どこにも居つきはないと考えます
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.19 )
日時: 2016/12/05 22:46:43
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

管理人のHide.です。

こちらをご覧の、あるいはこれからお考えを書き込もうとされている読者の皆様にお願い
いたします。

本トピは、『剣道日本』2017年1月号、74ページの「敗者はいらない」という馬場欽司先
生の連載に対する意見交換のトピです。

私が勝手に要約させていただきますと、
 1.勝見選手の引き面は「あと打ち」であり「後の技ではなかった」
 2.勝見選手は宮本選手の突きによって「死に体になっていた」→ゆえに一本ではない
という二点が論点です。

「あと打ち」と「後の技」、「死に体」の定義(解釈)について、ご自身のお考えを書い
ていただきますようお願いいたしますm(_ _)m
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.20 )
日時: 2016/12/06 01:13:50
名前: 北の海人 

Hide様

>その後の打ちが有効打突に足る一本であり、かつ、先の技をかけた人が残心を取る(打ち
>切って打突の終末を示す)よりも先に打突された場合に限り、打たれれば一本になります
>し審判としては取るべきと考えます。

ということは、例としてあげました動画の例は誤審であると解釈してよろしいでしょうか?
(剣道に誤審は存在しないといお立場の方もおられるので、あくまで今までの議論からの
一本の基準を適用した場合どうなるのか、整合性がつくのかということです)
あと相面においては後打ちという概念は適用されないと考えてよろしいでしょうか?

そのうえでわかりやすい例としまして
hhttps://youtu.be/Q4SHWXQBVL4?t=41
の動画の41秒のところで二刀の選手は小手うたれてますが、相手の残心前にしっかり強烈な面を打っています。
もちろん先に打った小手が一本です

>某若手有名選手の小手返し面

これも意見がわかれるものです。
あれほどの選手の技に対して物言うのはおこがましい話ですが、
「わざと打たせてる」と言われても、打たれてるのです。
あれは三所避けからの変化(もしくは兼用)であると考えており、あまり好きではありません。

ただ世界大会個人戦決勝では網代選手の小手に旗が上がりました。


>淀みが一切ありませんでした

居つくとは不用意に手元を上げるような瞬間もです。自分は淀みがあると見てます。
あくまで突きを打たれた後の変化です。そもそも返せていないと考えます。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.21 )
日時: 2016/12/06 07:21:49
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 北の海人さん

他の動画を例に挙げるのはやめていただけませんか。
その動画の角度等によって見え方が変わってきます。
判断材料がその角度のものしかない場合、偏った判断しかできませんゆえm(_ _)m


ちなみに二刀の例は、出鼻小手ですね。
この例を引くまでもなく、我々がよく目にしている出鼻小手も当たっているがお相手の面
も当たっている状態です。

ほぼ同時に打突が発露し、その両方が部位を捉え有効打突に足る打突であった場合、先に
当たったものを一本とします。これは、出鼻技を「後の技」と考えていないからです。
技のカテゴリー的にも出鼻は「先の技」に分類されております。

この場合でも、単なる先後だけでなく「心気力の状態の違い(充実度)」によって判定が
変わってくる場合があることはご存知の通りです


>居つくとは不用意に手元を上げるような瞬間もです。自分は淀みがあると見てます。
>あくまで突きを打たれた後の変化です。そもそも返せていないと考えます。

突き返し面を狙ったもんではない(と思われる)ので突きを返せていないのは仕方があり
ませんね。
私はよどみなく面を打っていると見ておりますので、その部分が北の海人さんとの見解の
相違のようですm(_ _)m
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.22 )
日時: 2016/12/06 10:46:15
名前: 一剣道人 

おはようございます。

朝一で参りました。(笑)

管理人様
レス、ありがとうございます。
そうですね。
とらえたとらえていないの出発点が違うと、
まるで話はかみ合わないと思います。
管理人様は審判のすぐそば、アリーナでご覧になっていたとのこと。
それに対し削除されたレスの中で紛糾していた当事者のほとんどは、
おそらくテレビ観戦されていたと思います。
そのライブ放送していたテレビ中継の中で、
突きから面の一連の映像が
あの直後にスーパースローで流れたのですが、
宮本選手側からの映像で
勝見選手の打突部位のど真ん中を
串刺しにしているところが流れました。
その後編集された全剣連の動画からは
その角度で撮影されたものは見つかりませんでした。
何を言いたいのかというと、
管理人様は実際さばかれた審判に近い目で見ていたということ。
それに対し、
テレビ観戦者は後付けのきくカメラの目で見ていたこと。
これが紛糾の大きな要因だったと思います。

審判の目として、
あの試合のあの事象を面と判断するのは、
宮本選手の突きが捉えられていなかったと解釈した場合、
全く間違えのないものだと思います。

ただ、馬場先生の言わんとするところは実は違うところだと思います。

むしろ、某若手有名選手のあの技に対する危惧ではないでしょうか?

私も北の海人様と同じくあの技は嫌いです。
肉を切らせて骨を切るといえば聞こえはいいですが、
あれこそ後打ちの最たるものではないでしょうか。

彼のすごさは、あんな技抜きでも十分抜きんでています。
百歩譲って狙わずしてあの技が出たというなら称賛に値しますが、
狙って打ったとなればがっかりな気持ちになってしまいます。

というか、最近あの手の技が多いと思いませんか。
攻め合いとか、間の攻防とか、上下左右の打ち分けとか、
そこが試合の醍醐味だったりしたのに、
打つ場所がない形をして後打ちをわざわざ狙うのなど、
自分だけ安全な場所にいて飛び道具でやっつける感が
どうしても払しょくできません。
アスリートとしての彼らのそういった試合技術は、
素直にすごいなと思うのですが、
一剣道人としては、それで本当にいいのかなと思う次第です。

先の技、後の技と申しますが、
基本的に技を出す前段で先をかけていなければ、
どちらも技として成立しません。(理想論としては)
しかし、今回はその前段で先を取った宮本選手の突きではなく、
反射で打った勝見選手の面を有効にしてしまった。
カメラの目で見れば「あー、やられたな」
と思った直後に狙いすまして出したわけでもない面を取ってしまった。
そこに、現代の剣道の試合に対する危機感を募らせたのではないでしょうか。
第三者から見た死に体と試合者本人の感じる死に体が違うということを、
馬場先生がわからないはずはないと思いますが、
なんで審判わからないんだというジレンマですかね。
部位をとらえていない打突の後に出した技を取るなというのは、
若干冷静さを欠いているような気がしないでもないです。
今回の審判も勝見選手もちょっと災難でしたね。

正直、私も目の前で試合を見ていたら、
直後のスーパースローを見ていなかったら、
何らかのフィルターによって
疑いなく勝見選手の面を支持していたと思います。
だって、勝見選手の面は私の嫌いな打たせて後から打つ
いわゆる「後打ちの最たるもの」ではなかったですから。
でも、今回は、旗が割れても良いんじゃないかというのが、
大方の考えじゃないですかね。
仮に結果が同じものになったとしても、
一人でも宮本選手に旗が挙がっていたら、
ここまで話題になることはなかったと思います。


北の海人様

勝見選手は居ついてはいないと思いますよ。
不用意に手元を上げることも確かに居つきですが、
それは防衛動作による打突につながらないものであって、
勝見選手の場合は、打突しようと反射的に動作しているだけです。

ただし、そもそも返せていないということには全く同意です。 
予測でも反射でも対応できなかったら、「返せていなかったら」
やっぱりそこは、「参りました」になるんじゃないのかなと
私も思います。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.23 )
日時: 2016/12/06 12:36:13
名前: 新米 

「居つき」という部分で見れば、勝見選手は居ついてなかったと思います
逆に、宮本選手が一瞬居ついていたように見えました

突きを放った瞬間、本来なら引かなければならない所で、勝見選手の反応に一瞬居つき、左手が若干浮いたように見えます
左手が中心から外れた事で、竹刀に加わる力が左に逸れ、結果竹刀が曲がり、打突部位から外れたのではないでしょうか?

いくら勝見選手の体幹が素晴らしいとはいえ、竹刀が曲がるほどの腰の入った突きを受けて、よどみなく面を打つ事が可能とは思えません
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.24 )
日時: 2016/12/06 13:11:07
名前: 佐藤 

馬場先生は勝見選手の引き面自体を批判しているように思えます。私もそうです。あれは先をかける技ではなく、剣道の技として、恥ずかしいと思えるものだと思います。打たれた後に打っているのですから。あのような大舞台だからこそ、打たれたなら打たれたと素直に認めて欲しいものです。その前の大石選手との逆胴のあとの引き面も同じことが言えます。なぜ、カツミ選手の引き面が素晴らしいと言えるのでしょうか?それがまずわかりません。読み違えの返し面、しかも打たれた後に放ったもの、これのどこが賞賛されるのでしょうか?フィジカルは素晴らしいでしょう。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.25 )
日時: 2016/12/06 14:10:33
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 一剣道人さん

>管理人様は実際さばかれた審判に近い目で見ていたということ。
>それに対し、
>テレビ観戦者は後付けのきくカメラの目で見ていたこと。
>これが紛糾の大きな要因だったと思います。

はい、まさに仰るとおりです。
「スーパースローではあたってるじゃないか。審判の目や現場で見たのよりも確かだ」と
揉めることに。毎年、スーパースローには泣かせれ通しでして(T T)

北の海人さんに「動画を例に挙げるのをやめましょう」と提案したのもそこにあります。
あくまでも一般論として「後の技とあと打ち」「死に体と居つき」を考察してみたいと。


>ただ、馬場先生の言わんとするところは実は違うところだと思います。
>むしろ、某若手有名選手のあの技に対する危惧ではないでしょうか?

自分でその話を書いてしまっておきながらこんな風に言うのもなんですが、あの選手のあ
の技については、このトピでは俎上に乗せない方がいいように思えます。
申し訳ありません。

ただ一点言える事は、あの打突は先で打ち込んできた小手を凌駕するくらいのインパクト
があることは確かです。仰るとおり同じような打突をする選手が何人かおりますが、彼以
上にキレと冴えが素晴らしい選手はおりません。
しかし、小手をとられた事例もありますので、次の世界大会で某国は、あの面よりもすご
いインパクトで小手を狙ってくるはずです。アウェーでもあり、あの技が通用するかどう
かは微妙と考えておりますm(_ _)m


>でも、今回は、旗が割れても良いんじゃないかというのが、
>大方の考えじゃないですかね。
>仮に結果が同じものになったとしても、
>一人でも宮本選手に旗が挙がっていたら、
>ここまで話題になることはなかったと思います。

なるほどぉ、そういう考え方もありますかね。
もし突きに上げるとするならば、主審から見て右側(赤側)の審判でしょうか。あの位置
からなら突きが部位を捉えていたか見えたはずです。
主審と左の審判の位置からは、突垂は確認できていなかったと思われます。

現場で私は、主審のすぐ後ろくらいで見ておりましたが、打った瞬間「面だ」と叫んでし
まったくらい素晴らしい引き面でした。はっきり申し上げて突きが部位にあったっていた
かどうかは、私の位置からは確認できませんでしたが、「面だ」と直感できました。
私の判断は、再三ここで申し上げている通り、
 ・(突いて引き戻して残心に入るよりも早く)死に体ではなく後の技として淀みなく
   しっかり面を打ち切った
ことにあります。

見事な引き面(返し面…突きは返しておりませんが)で、馬場先生がなぜこのような記事
を剣道日本に掲載されたのか、逆に不思議に思っておりますm(_ _)m



To 新米さん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございます。

>突きを放った瞬間、本来なら引かなければならない所で、勝見選手の反応に一瞬居つき、
>左手が若干浮いたように見えます

そうですね、勝見選手が小手返し面のさばきで動いたので危険を感じ、必要以上に突き過
ぎてしまった…といった感じはありますね。

ただ、それが宮本選手の居つきとしていいかどうかは疑問です。
突き放したあと即座に引いて残心を示すべく動いています。
その間の動作に「淀み」が見られませんので。



To 佐藤さん

>あれは先をかける技ではなく、剣道の技として、恥ずかしいと思えるものだと思います。
>打たれた後に打っているのですから。

う〜ん、恥ずかしいですかねぇ?

お相手が打ち終わっていない、たとえば、胴を打って抜けて行ったお相手が振り向くとこ
ろを打った打突も「恥ずかしい」ですか??
小手を決めている最中に面を打ったら「恥ずかしい」でしょうか?
面を打ってお相手が間合いの中で腕をあげて決め付けている。そこに間髪を入れず引き胴
を打って下がったら「恥ずかしい」ですか??

恵土幸吉先生は「残心こそ剣道がスポーツではなく武道の証である」とあちこちで書かれ
ておられますし、最近ではアレックス・ベネット氏も講演でそのようにお話になっている
映像をユーチューブで見ることができます。
有効打突の要件にも「残心あるもの」と明記されております。

お相手が残心を取るよりも早く打ち込む、いや、逆から見れば、残心を示すよりも先にお
相手に打たれたら「まいりました」なのではありませんか?
残心とは「お相手に備える心技体」です。そこを打たれてはまずいと思いますがいかがで
しょう?


打突の好機に「技の尽きたる所」が入っていると思いますが、お相手の技の打ち終わりを
狙うことは決して恥ずかしい行為ではないと考えます。

あくまでも私の見解ですが、大石選手の逆胴は、もし、勝見選手が打突を出していなかっ
たら一本になってもおかしくない打突だったと思います。
こうしたところは、日ごろからしっかりとお稽古していなければ瞬間的に手が出ない場面
です。それゆえ、そこで居つくことなく「尽きたる所」を打った勝見選手を「素晴らし
い」と称える次第ですm(_ _)m
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.26 )
日時: 2016/12/06 19:31:07
名前: 佐藤 

hideさん
上にあげた例はすべて恥ずかしい打突だと思いますよ。相手が打った後を打つなら、相手が打ってくる瞬間を出頭でとるのが剣道ではないでしょうか。一本の取り方にプライドがなく、勝ち負けに固執するから、あとうちが出るんです。
当然残身の最中の打たれてはいけませんが、打ってもいけないと思います。宮本選手は突きが入ると思い十分押し込んで決めに入ったわけです。もし、外れたと思えばとっさに防御の体制をとるか、次の技を出すでしょう。宮本選手は残身を取ろうとしているのだから、審判の判定が出るまで打ち込まず、間を詰める詰める程度にしておくべきです。
格式の高い大会という意識を選手には持ってもらいたいですね。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.27 )
日時: 2016/12/06 20:51:09
名前: 北の海人 

うーん、自分の周囲で実際に試合会場で見た方々もツキだとおっしゃってる剣友や先生方はいるんですがね。
ネット上でも実際に試合会場に足を運んだ方がツキだとおっしゃっているのを見受けられます。
その会場もどよめきがあったのは確かなようですし。
そもそも審判の方々は面に旗をあげられているわけで、会場がどうのこうのはちょっと判断材料になりえないと思います。
テレビで見てた方々でも面が一本だと考える方々はおりますし……

もちろん試合場で観戦するのと映像での違いは認識しております。
いやーこんな議論になるなら会場で見たかったです。来年からは無理にでも足を運びたいです(笑)


Hide様


>他の動画を例に挙げるのはやめていただけませんか

別角度もありますし、この角度だけでも今までの議論における基準の妥当性を検証し、比較するには十分だと考えています。
その基準が他の試合ではどう適用されているかという例としてあげさせていただきました。
この勝見宮本戦だけで基準が決まるならいいのですが、反証にたえられるかどうかで比較は不可欠だと考えています。
決して「これは誤審試合なの!」といったような考えからではありません。

ただ、動画を視聴する御足労など考えまして自重したいと思います。

>ほぼ同時に打突が発露し

つまり「死に体」という基準は、出鼻技には適用されないということですね。

自分も小手が一本だと思うのでこの二刀の試合の判断に迷いはないのですが、
そうなると、もし勝見選手に淀みがないと仮定すると、手元をあげてから返しに変化したのではなく
返し技の起こりを宮本選手がツキに捉えたことになると思います。これは後の技ではないと思います。
出小手時の相手の面を引き出すことと、この場合の相手の返し技を引き出すことは、同等だと考えます。

であるならば、「死に体」ではなかったから、引き面を打てたというのはどうなのでしょうか。
自分はそもそもが「死に体」は反撃不可能な物理的な体という意味には使っておらず、
二刀の例にしてもだからこそ小手を一本だと判断しているわけで、
「死に体(物理的な)」かどうかを基準にした場合、某選手の小手返し面を肯定するときのように、
後付けの理由にしか考えられないんですよね……


一剣道人様

自分には防御動作からの変化に見えるんですよね……
ただ、機会に関する見解にはこちらも全く同意いたします。

>今回の審判も勝見選手もちょっと災難でしたね。

糾弾しようなんて気はないし、勝見選手は大好きなんで素直に優勝はうれいしいです。


新米様

自分には体が居ついてるゆえの防御動作で手元を上げたと思ってるんですよね。

>竹刀が曲がるほどの腰の入った突きを受けて、よどみなく面を打つ事が可能とは思えません

物理的には可能です。ツキによりそこに体が留め置かれてる状態なので、返すことは十分可能です。
むしろツキがあったからこそ引き面が打てたと思います。


佐藤様

>その前の大石選手との逆胴のあとの引き面も同じことが言えます。

あの引き面はそもそも竹刀の根元かつ、それ以前に部位を捉えていませんね……
多少逆胴が浅いのかと思いましたが自分には十分に見えました。
明らかな三所避けからの引き面であり、一剣道人様が言われた

>自分だけ安全な場所にいて飛び道具でやっつける感が

という感想をもってしまいます(一剣道人様がこの試合も同じ見解かはさておき)
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.28 )
日時: 2016/12/07 00:06:13
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 佐藤さん

>上にあげた例はすべて恥ずかしい打突だと思いますよ。

ということは、一般的に言われる打突の好機「技の起こり頭(がしら)」「受け止めたと
ころ」「技の尽きたところ」「退いたところ(引き端)」「居ついたところ」の中で「技
の突きたる所」は「打突の好機ではない」というお考えなのですね?


>宮本選手は残身を取ろうとしているのだから、審判の判定が出るまで打ち込まず、間を
>詰める詰める程度にしておくべきです。

賛同できません。

審判の「やめ」がかかるまで、いついかなる瞬間も「油断してはいけない」のです。佐藤
さんがおっしゃるように審判の判定が出るまで次の攻撃を控えるなどという話は長年剣道
界にのたくっておりますが聞いたことはありません。
また、それが格式の高い試合だなどという話もしかりです。

私のみならず、多くの剣道愛好家の方がそのご意見には賛同なされないものと考えますm(_ _)m



To 北の海人さん

>ただ、動画を視聴する御足労など考えまして自重したいと思います。

ありがとうございますm(_ _)m


>つまり「死に体」という基準は、出鼻技には適用されないということですね。

お相手が実をもって打ち込んできたところへの出鼻技ですから、お相手が「死に体」にな
っていることはありえないと思われます。


>そうなると、もし勝見選手に淀みがないと仮定すると、手元をあげてから返しに変化し
>たのではなく返し技の起こりを宮本選手がツキに捉えたことになると思います。

なるほど、そういう考え方もあるかもしれませんね。
攻めにより勝見選手の返し面を引き出し、その空いた中心を突いた。
その解釈に基づくなら、勝見選手の面は「後の技」ではありませんが、馬場先生がおっし
ゃる「あと打ち」でもなくなりますね


>自分はそもそもが「死に体」は反撃不可能な物理的な体という意味には使っておらず、
>二刀の例にしてもだからこそ小手を一本だと判断しているわけで、

どのようなものを「死に体」と解釈しておられるのですか?

私は「死に体」をNo.13で定義したように「瞬時に反撃不可能な剣体の崩れ」といたしま
したが、北の海人さんとっての「死に体」の解釈をお示しくださいますようお願いいたし
ますm(_ _)m
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.29 )
日時: 2016/12/07 01:19:49
名前: 北の海人 

Hide様

>馬場先生がおっしゃる「あと打ち」でもなくなりますね

「あと打ち」の定義は、自分としましては、「一本とられた後の打ち」という認識です。
つまり勝見選手の面は「あと打ち」です。
返し技の起こりを捉えた以上、「(物理的反撃不能な)死に体」かどうかは出小手同様関係ないという考えなので
やはり「あと打ち」であると考えます。


>どのようなものを「死に体」と解釈しておられるのですか?

Hide様の上であげられた定義に加えて、
隙ができて一本性の技を打たれた時点で文字通り戦闘不能な状態と仮想的になる場合です。
その時点で仮想上反撃は不可能なのです。

そして剣道の場合は、実際には部位を捉えてなくても、一本になることは多々あり、
それはもちろん自分が審判としてしっかり見えていたなら
「技が届かなかった」「紙一重でかわした」として、
いくら機会がよくても旗は揚げませんが、
現実としてその一本を誤審としてではなく肯定するのは、やはり剣道が武術ではなく、
剣道は剣道であり、仮想的に状態を考えるという要素があるからであり、
そういう意味で「死に体」は物理的な反撃不能な状態を超えたものがあると考えているからです。

剣道においては、いろいろな解説で「一本ではない」という説明を先生方がされるとき、
例えば炎の体育会TVで渡辺氏が女子校生チャンピオンに小手を打突した場面で
「刀なら切れてないから一本ではない」といった解説をされてました。

この場合、刀なら切れているというのは、決して「反撃不能な死に体」を意味するものではありません。
逆にもし小手が一本なら「刀なら切れている」という仮想の状態を示していることになり、
自分はあらゆる一本を打たれた後は「死に体」であるという解釈をしているようです。

というより「死に体かどうか」というのは、あくまで隙ができている状態の一つであり、打突後のことを考えたことはありませんでした。
なぜなら仮想的にはもう反撃不能だからです。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.30 )
日時: 2016/12/07 10:48:01
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 北の海人さん

>「あと打ち」の定義は、自分としましては、「一本とられた後の打ち」という認識です。

「一本とられた」というのは、打たれた時点でしょうか?
一本(=有効打突)の判定は、選手同士ではなく審判が行なうものです。
ルール上、審判の旗があがる前に「一本取られた」という状況は発生しませんので、念の
ため確認ですm(_ _)m


>返し技の起こりを捉えた以上、「(物理的反撃不能な)死に体」かどうかは出小手同様
>関係ないという考えなのでやはり「あと打ち」であると考えます。

このあたりがよく理解できないところです。

出小手に置き換えて考えてみましょう。
面の起こりを察知し捉えて出小手を打った。しかし、直後の面を打たれた。出小手は惜し
かったが不十分として審判がとらなかった場合、この場合の面は「あと打ち」ということ
になるのですか?
出小手を打った選手が「死に体」でしょうか?
惜しい小手を打たれた選手が「死に体」でしょうか?


>隙ができて一本性の技を打たれた時点で文字通り戦闘不能な状態と仮想的になる場合で
>す。その時点で仮想上反撃は不可能なのです。

斬られた経験はありませんが、斬られても即死(致命傷)でない場合は直ちに反撃可能と
思われます。
読解力がないため、日本語の意味がよくわかりません。
具体例を挙げてご説明くださいm(_ _)m


>そういう意味で「死に体」は物理的な反撃不能な状態を超えたものがあると考えている
>からです。

「物理的な反撃状態を超えたものがある」ですか?
同様に読解力不足で意味がわかりません。
わかりやすく、または、具体例を挙げてお示しくださいm(_ _)m


>この場合、刀なら切れているというのは、決して「反撃不能な死に体」を意味するもの
>ではありません。
>逆にもし小手が一本なら「刀なら切れている」という仮想の状態を示していることにな
>り、自分はあらゆる一本を打たれた後は「死に体」であるという解釈をしているようで
>す。

上から下までNo.29を10回以上読み返したのですが、北の海人さんは「一本に近い打突を
打たれたお相手の状態を死に体と考えている」という理解でよろしいでしょうか?
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.31 )
日時: 2016/12/07 11:48:17
名前: 一剣道人 

こんにちは。

佐藤様
私も審判の宣告までは勝利をあきらめないことが
試合者の務めと思います。
稽古においてならある程度わかります。
確かにいいところを打たれてその後手を出していると、
剣道わかってないなと思われそうで恥ずかしいかもしれませんね。
以前どこかのスレッドで管理人様が
「審判がいなくて試合者がお互い審判を務めることが理想」
とおっしゃっていたことを記憶しておりますが、
佐藤様はそういったことをおっしゃっているのではないですか?
確かに格調高い試合になりそうです。
でも、それだと試合者の負担が大きすぎませんか?
私は本来試合は楽しいものだと思っています。
その楽しさをより多く味わうために勝ち負けにはこだわりたいですし、
試合者には勝負に集中してほしいです。
そのために審判がいるのではないでしょうか。

私は、馬場先生の提言は
試合者ではなく審判に向けられて発せられているものととらえました。
管理人様と北の海人様で死に体についての議論が行われていますが、
試合者と試合者以外を同列において議論されている気がします。

管理人様のおっしゃる死に体は試合者にとっての死に体だと思います。
対して、北の海人様のおっしゃる死に体は、一般論的な死に体だと思います。
馬場先生は審判に対して一般論的な死に体を述べているのではないかと思います。
さらに、審判に対して、
自分が試合をしているものと同じように感じてほしいということを
言っているのではないかと思います。

管理人様とどうしても意見が合わないところは、
「読み違え」と「失敗」に対する評価ですが、
おそらく馬場先生はその評価が私よりさらに厳しいのだと思います。
だから、審判に「失敗してこの選手やられてるだろ、
やられた後打った技なんかとるんじゃないよ」
的な、話になったんじゃないですかね。

ちなみに、私の死に体に対する見解は、
試合者として、そして言葉の意味としては管理人様と同じで、
試合者以外としては、稽古で「あ、やられた」と思うような
技を受けたときその受けた選手の状態です。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.32 )
日時: 2016/12/07 12:53:50
名前: 佐藤 

ヒデさん
技のつきたるところとは、打突の機会であると私も思います。しかし、今回の場合一本になり得る可能性のある突きであったと思います。勝見選手もわかるところと思います。そのような場合、技を出すのは好ましいことではないと思います。突きを打って残心の最中に打突を受けないようにするには、敢えて奥まで突きを押し込まず、当てたらすぐ引く、もしくはついた後にそのまま相手にくっつくぐらいしかないのではないでしょうか。このまま今回のような機会が、狙われるようになれば、敢えて突きを開けて打たせて引き面を打つようなことにもなりそうに思います。これを機に突きという技が衰退していくのではないかと懸念していますね。
技のつきたるところは、しっかりと捌けた場合のみ、有効と思います。
一剣道人さん
試合をあきらめないことと、あの突きの後に技を出すことはイコールではないと思います。
勝負に真剣になりつつも、剣道家としての模範を示すことを同時にやらなければならないのが、武道こそだと思っています。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.33 )
日時: 2016/12/07 13:13:28
名前: 鉄心 

私の「死に体」の解釈は
「一本となる(に近い)技を打たれたから死んだ(動けなくなる)」→生物としての死
という意味ではなく、
「相手の攻めによって身構え心構えが崩され、苦し紛れに避ける動作をして(避けっぱなしになって)次の動作ができなくなること」→相手の技を捌けなくなるほど崩れた状態
だと思っています。

打たれた後ではなく打たれる前の状態ですね。

例を挙げれば、相手の面打ちをのけぞって避ける、攻め込まれて三所避け、胴見せ引き面に引っ掛かってしまい竹刀は胴を守り、面打ちを首を曲げて避ける等々…

子供の頃は「死に体で技を受けると甘くても一本にされてしまう」と教わりました。相手の面打ちをスウェーで避けて面金で受けても一本になるぞと。

つまり「死に体」は避けるのでいっぱいいっぱいの崩れた状態のことで、今回の場合はどちらの選手も技を出す意思があった(諸手突きvs小手or突き返し面)以上「死に体」ではなかったと考えます。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.34 )
日時: 2016/12/07 15:25:19
名前: 一剣道人 

佐藤様
勝負に真剣というよりも、彼らは無我夢中だと思うんですが。
相手の打突に一本一本今のはやられたとか、いい打ちだったとか
考えている余裕なんてないと思いますよ。
本当に必死になって一流の技術を持った選手が、
人一倍の努力をして武道館にたどり着く、そして技を競い合う。
それが全日本選手権なんじゃないでしょうか。
その最高の技を剣道界最高の権威が捌くことで、
それを見た者たちが感動する。剣道に興味を持つ。
それが目的なのではないでしょうか。
馬場先生の提言は選手にああいう技を出しちゃいけないということではなく
ああいう技を取ってはいけないと、審判に向けられていると思います。
佐藤様のおっしゃることを選手に求めるのは、
選手のパフォーマンスを落とす要因になるとおもいますので、
受け入れられないと思います。

北の海人様
北の海人様が、勝見選手を糾弾しているという意味で
災難だと申したのではありませんよ。
そう感じたならすみませんでした。

私はあの試合でいろいろな人がいろいろ感じて発言して、
馬場先生にまでやり玉に挙げられている現象を災難だといったんです。

全日本選手権スレッドの議論で出た意見を乱暴に分けると
宮本選手の突きが一本だったのか、そうでなかったのか。
ということだと思います。
当たった当たっていないの議論で
私の試合観、審判観からすれば全然興味のないものでした。
そこに馬場先生の提言のスレッドが立ちました。
これは非常に興味をそそられるものでした。
先生の提言は、審判の感性を剣道の目的に近づけようとするものでした。
いささか興奮されている箇所もありましたが、
その真意は剣道試合審判規則の第一条の再確認ととらえています。

そのために感性をみがきなさいとおっしゃられているように感じます。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.35 )
日時: 2016/12/07 17:12:23
名前: 一剣道人 

連投失礼します。

管理人様
25でのコメントありがとうございました。

でも、実は22での私のコメントは、
管理人様の見えたとか見えなかったとかの話ではないんです。
私が旗が割れても良かったというのは、
あそこで果敢に突きに行ったあの技を感性として評価する人が一人でもいれば、
「そういう見方もあるよね」で済んでたんじゃないのかっていう話です。
それが、全員面を評価したため、「あれ」ってなったのではないでしょうか。

私は剣道の試合を通して教えていることや学んだことの中に、
「果実を得るためには危険がある」
ということがあります。
私は大した剣道家ではありませんので、
他人に剣道を見せて感動を与えることはできないと思います。
しかし、そういった市井の剣道家が剣道を続ける意味の中に、
「剣道から人生を学ぶ」
ということがあると思います。(ちょっと大げさですね。)
今となって誰でもやるようになった三所隠しも、
某有名選手の逆霞のような形も、
全て勝つための工夫だったわけで、私は容認したい気持ちでいます。
しかし、それの対策のために逆胴、逆小手、あるいは突きを出しても、
審判の感性が乏しかったり経験不足だったりで取り切れない。
ああいう形をしたら、それに対する打突は若干強度不足でも取っていくべきなんです。
それを反則にしたり中学校では指導とかしたり、
ルールで縛っても何の解決にならないと思います。
工夫をして人と違うことをやれば最初は一人勝ちになりますが、
それを対策すれば、その対策についての評価をしっかりするべきだと思います。

有効打突にしても、反則にしても
それに関する判定の根源に第一条があれば、
良い審判になるのではないかと思います。

いずれにしても、これだけの議論の題材となったあの試合は、
きっと後世に語り継がれる試合になるでしょうね。
それを砂被りで見られた管理人様、うらやましく思います。

私の論は、どうも管理人様が望む方向には今後向きそうにないですね。
審判論になっちゃってます。

でも、非常に楽しい議論でした。
ありがとうございました。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.36 )
日時: 2016/12/07 17:38:03
名前: 一剣道人 

退出したのにすみません。補足させてください。

前レスの
私は剣道の試合を通して教えていることや学んだことの中に、
「果実を得るためには危険がある」
ということがあります。

の下に、
なので、打たれる危険の伴わない
今トレンドの試合技術は好きになれません。

を入れてください。あれだけだと「なんのこっちゃ?」
って感じになってしまうので。

失礼しましたm(__)m
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.37 )
日時: 2016/12/07 18:01:24
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 一剣道人さん

>管理人様とどうしても意見が合わないところは、
>「読み違え」と「失敗」に対する評価ですが、
>おそらく馬場先生はその評価が私よりさらに厳しいのだと思います。

なるほど。
そんな風に考えると理解しやすいかもしれません。
ただ、私的には「試合者(選手)に寛容でありたい」立場です。
審判の先生方は、一流選手であった方ばかりですから、やはり「選手寄り」の考え方&感
じ方になっているのではないでしょうか


>ちなみに、私の死に体に対する見解は、
>試合者として、そして言葉の意味としては管理人様と同じで、
>試合者以外としては、稽古で「あ、やられた」と思うような
>技を受けたときその受けた選手の状態です。

私もまったく同様ですm(_ _)m


>今となって誰でもやるようになった三所隠しも、
>某有名選手の逆霞のような形も、
>全て勝つための工夫だったわけで、私は容認したい気持ちでいます。
>しかし、それの対策のために逆胴、逆小手、あるいは突きを出しても、
>審判の感性が乏しかったり経験不足だったりで取り切れない。
>ああいう形をしたら、それに対する打突は若干強度不足でも取っていくべきなんです。
>それを反則にしたり中学校では指導とかしたり、
>ルールで縛っても何の解決にならないと思います。
>工夫をして人と違うことをやれば最初は一人勝ちになりますが、
>それを対策すれば、その対策についての評価をしっかりするべきだと思います。

「若干強度不足でも取っていくべき」につきましては異論がありますが、私もまったく同
じ考えです。ルールで縛っても根本的な対策にはなりません


>私の論は、どうも管理人様が望む方向には今後向きそうにないですね。
>審判論になっちゃってます。

私が勝手に提示した論点からは外れておりますが、審判論としては非常に有意義です。
別トピを立ててやりたいですね 〜☆


>なので、打たれる危険の伴わない
>今トレンドの試合技術は好きになれません。

確かにこの一文は必要ですね

私が若いころは、左拳が中心からずれて左脇があいてしまう剣道を「踊りを踊っている
(みっともない)」と厳しく戒められたものです。
隔世の感がありますm(_ _)m



To 佐藤さん

>しかし、今回の場合一本になり得る可能性のある突きであったと思います。勝見選手も
>わかるところと思います。そのような場合、技を出すのは好ましいことではないと思い
>ます。

う〜ん、私はそうは思いません。

鍔ぜり合いから引き面を見事に打たれた選手が、瞬時にお相手を追って打ち込み、その一
本を「消しにいく(=決めさせない=残心を取らせない)努力」をすることも、試合者の
心情として理解できます。試合者は必死なんです。それは価値に固執しているとかではな
く、自分のベストをつくす市井の現われなのだと理解しています。
指導者としても、「打たれて打たれっぱなしにするな」と指導する部分ではないでしょう
か?

もちろん、お稽古の場合は別でしょうが。


>このまま今回のような機会が、狙われるようになれば、敢えて突きを開けて打たせて引
>き面を打つようなことにもなりそうに思います。これを機に突きという技が衰退してい
>くのではないかと懸念していますね。

それは取り越し苦労ではないでしょうか。
もし、その誘いに乗って突いてしまうなら、それは競技者の未熟ということです。
面を空けて誘われたからといって、素直に面にいったら危険なことは誰でも知っておりま
すから



To 鉄心さん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました。


>「相手の攻めによって身構え心構えが崩され、苦し紛れに避ける動作をして(避けっぱ
>なしになって)次の動作ができなくなること」→相手の技を捌けなくなるほど崩れた状
>態だと思っています。
>打たれた後ではなく打たれる前の状態ですね。

非常に得心のいくわかりやすいご説明だと思います


>つまり「死に体」は避けるのでいっぱいいっぱいの崩れた状態のことで、今回の場合は
>どちらの選手も技を出す意思があった(諸手突きvs小手or突き返し面)以上「死に体」で
>はなかったと考えます。

ありがとうございます。
私も同じで「どちらも死に体ではなかった」との見解ですm(_ _)m
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.38 )
日時: 2016/12/07 19:34:17
名前: 北の海人 

Hide様

>「一本とられた」というのは、打たれた時点でしょうか?

誤解を招く表現で申し訳ありません。とられたとは先に打突したほうです。
その時点で「あと打ち」のほうは仮想的には切られて打てません。
残心に関しては「あと打ち」のほうが残心途中であるはずです。
もちろん先に打った側が不十分なら「あと打ち」ではないと考えます。


>面の起こりを察知し捉えて出小手を打った。しかし、直後の面を打たれた。出小手は惜し
かったが不十分として審判がとらなかった場合、この場合の面は「あと打ち」ということ
になるのですか?

不十分な出小手なら「あと打ち」では当然ありません。

>斬られても即死(致命傷)でない場合は直ちに反撃可能と
思われます。

その場合も不十分な打ちだから「あと打ち」ではありません。
先の二刀がとられた小手のように、その後の面は仮想的には手首切られてるので「あと打ち」と考えます。
しかし二刀側は仮想的には「死に体」ですが、
物理的にはあれだけの面を「あと打ち」でくりだせたということだと思います。

>上から下までNo.29を10回以上読み返したのですが、北の海人さんは「一本に近い打突を
>打たれたお相手の状態を死に体と考えている」という理解でよろしいでしょうか?

はい。Hide様のあげられた定義と合わせてです。


一剣道人様

>そう感じたならすみませんでした。

いえいえ、自分が審判や勝見選手を糾弾してるような雰囲気を出してないか心配だったもので、
そう受け取ったわけではありません。わざわざすみません。

>当たった当たっていないの議論で
>私の試合観、審判観からすれば全然興味のないものでした。

自分は当たった当たってないという表現は「当てっこ剣道」の意味ではなく
「部位を捉えたか捉えてないか」という意味で使用しています。
「一般人にはわからないから剣道がすたれる」という文脈での使用は「当てっこ剣道」が含まれてしまうと思います。

>そのために感性をみがきなさいとおっしゃられているように感じます。

No,35にて一剣道人様の考えが理解できてきたように思えます。
自分も三所避けは逆胴などで解決されるものと思ってます。
ですが、現実問題として勝見選手と大石選手の試合で勝見選手の不十分な引き面がとられたりしたため……

とか考えだすと

>審判論になっちゃってます。

なんですよね。審判論と一本であるかどうかを分けることはできないので、
あくまで、その場の3人の審判は勝見選手の面にあげられたが、
他の審判だったらわからないくらい僅差の判定(いや3人だから僅差でないといわれればそれまでですが)
ということだと思います。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.39 )
日時: 2016/12/07 20:11:31
名前: 北の海人 

「死に体」の定義は実はこの議論の本質ではありません。

ただし、「死に体でないから勝見選手は面を返せた」
というのは、物理的な反撃不能なものに限定されています。
ですので、剣道において仮想的に切られた状態をどう扱うかという点が抜けていると感じたのです。

自分は「死に体」は「一本性の打突を受けた後」も含めますが、別にそれは「死に体」という用語の中に含めなくてもいいわけです。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.40 )
日時: 2016/12/07 21:34:33
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 北の海人さん

>もちろん先に打った側が不十分なら「あと打ち」ではないと考えます。

ありがとうございます、理解できましたm(_ _)m


>不十分な出小手なら「あと打ち」では当然ありません。

ありがとうございます。


>その場合も不十分な打ちだから「あと打ち」ではありません。

理解いたしました。
本質的には、北の海人だんと同じことを考えているように思えます。


>はい。Hide様のあげられた定義と合わせてです。

了解です。

ただ、試合において彼らは一生懸命戦っています。
打たれてなお「(試合として)生きる意味」を模索することは十二分に理解できる心情で
はありませんか?

私はプレイヤーサイドに寄り添ってものを考えたいとする立場であることをご理解いただ
けますと嬉しいです


>自分は「死に体」は「一本性の打突を受けた後」も含めますが、別にそれは「死に体」
>という用語の中に含めなくてもいいわけです。

ここの部分ももう少しご説明願えますか?


なお、No.33で鉄心さんが

>私の「死に体」の解釈は
>「一本となる(に近い)技を打たれたから死んだ(動けなくなる)」→生物としての死
>という意味ではなく、
>「相手の攻めによって身構え心構えが崩され、苦し紛れに避ける動作をして(避けっぱ
>なしになって)次の動作ができなくなること」→相手の技を捌けなくなるほど崩れた状
>態だと思っています。

について、お考えをお尋ねしたく存じますm(_ _)m
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.41 )
日時: 2016/12/07 22:24:23
名前: 北の海人 

Hide様

>ただ、試合において彼らは一生懸命戦っています。
>打たれてなお「(試合として)生きる意味」を模索することは十二分に理解できる心情で
>はありませんか?

わかります。だからこそ勝見選手があの引き面は、自分の判断としてはツキを一本とするとこですが、
それを抜きにして、Hide様のいう「生きる意味」を体言していると思いますし、
審判の感動という点を、これも個人的には一本の基準としては曖昧だとは思いますが、
それくらいの感動を生んだというのなら理解はできます。


>自分は「死に体」は「一本性の打突を受けた後」も含めますが、別にそれは「死に体」
>という用語の中に含めなくてもいいわけです。

「死に体」のここでの議論においてHide様のNo.13での、
いずれも物理的に体が崩れており、気剣体一致の打突は不能な状態は、
No.33での鉄心様の解釈の「死に体」も含まれていると思います。
鉄心様が、

>私の「死に体」の解釈は
>「一本となる(に近い)技を打たれたから死んだ(動けなくなる)」→生物としての死
>という意味ではなく、

とおっしゃったので、議論する上で、「死に体」を共通の定義で用いるとするなら、
勝見選手が突かれた状態を説明するのにおいて、

1)勝見選手は「(仮想的な)死に体」である
2)勝見選手は「(打撃不能な)死に体」ではない

1)が自分の定義ですが、ややこしくなるので、「死に体」はhide様、鉄心様の定義として、
(そもそもHide様の剣道に関する知識のほうが比べるのがおこがましいくらい
 圧倒的に上であることははなから自覚しています)

3)勝見選手は「死に体」ではないが、一本を打たれて仮想的には切られた状態であり、
本来反撃はできない状態である

という説明を自分がすればいいというわけです。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.42 )
日時: 2016/12/08 00:36:13
名前: 三七式ヨシ  < >

三七式ヨシと申します。

おくればせながら、持論を述べさせていただきます。

前述の各書き込みの同様の文言について、言い回しの違いで重複することをお許し下さい。

○死に体とは
 体制の崩れ、居つき、心的なことを含め、反撃もしくは防御体制のできない状態と思います。
 
○一本とは
 二人以上の審判員が、有効打突と認めたもの。

以上より、勝見選手の下がり面は、一本になってしかるべきです。

自分も、大きな大会ではありませんが、審判も選手もやります。

若いころは、審判の理不尽な判定に不服なことがありましたが、いざ自分が審判をしだして、
やもうえなかったのかと思うことがあります。

有効打突とは、審判規則の条文は省略しますが、条文に乗っ取り、審判員の経験などを含め、
試合者の打突が有効と判断したものに旗が上がります。

そこには、審判の心情であったり、思い入れであったり、位置取りであったり、第三者からは
有効打突に見えたり見えなかったするものに旗を上げます。

誤解を招くかもしれませんが、審判は有効打突に見えたものに旗を上げるわけです。

従って、同じものを見ても(表現がうまくできませんが、審判員が入れ替わったとして)判断
が分かれることも間々あります。


話をより複雑にするかもしれませんが、打突の早さだけをとるのであれば、フェンシングのよ
ように機械に判定させれば済むのかもしれません。

剣道の試合は、繰り返しになりますが、二人以上の審判が有効打突と認めたものが一本であり
それ以上でもそれ以下でもないありません。

死に体云々についてですが、優勝した勝見選手は、有効打突にならない技を何本打たれたでし
ょう。


例えば、Aの選手が小手面を打ちました。小手に審判反応して旗を上げかけましたが、直後に
面を応じ返しB選手が胴にかえし、胴が一本となりました。

小手に旗が上がりかけたので、胴は有効打突にはならないでしょうか。

近間で、A選手が中結より鍔元よりでの面が打ち、有効打突になりませんでしたが、直後に体
当たりからの下がり面をB選手が打ち旗が三本そろいました。

面でダメージを受けたB選手の下がり面は有効打突にはならないでしょうか。

剣道の試合の場合、RPGとは違い、それまでのダメージの蓄積は有効打突には影響しないもの
と考えます。

また、柔道のように合わせ技もありません。

旗が上がらなかった時点でその技には最低が下り、ご破算になっているのではないでしょうか。


自分が審判をしているとき、批判のある方もあるでしょうが、小学生の低学年の試合で、打ち
の強さは欠いているものの機会をとらえているので旗を上げることがあります。

合面で、先に当たっても軽く、打突は遅れてもしっかりした打ちで残心がきちんととれていた
方に旗を上げることもあります。

前述し、誤解を招くかもしれませんが、色々な意味でこれは有効であると二人以上の審判が判
断した技が一本なのです。

私にも、突きが一本と感じはしましたが、三人の審判員は原因はわかりませんが、旗を上げる
までには至らない判断されのです。

もしくは、突きが見事すぎて審判が居ついたのかも。


馬場先生の文章については、実際に読んでいませんし、読んだとしても先生の真意については
想像の域を出そうにないのでコメントを避けます。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.43 )
日時: 2016/12/08 01:23:47
名前: 北の海人 

三七式ヨシ様

>二人以上の審判が有効打突と認めたものが一本でありそれ以上でもそれ以下でもないありません。

審判は誤審をすることが絶対にないというお考えでしょうか。
それは物理的にありえないと思います。もし誤審がないとするなら、
ものすごく矛盾した言い方ですが、

「剣道では審判が判断を間違えても、旗を揚げた以上有効打突として認められ、誤審ではない」

といったことになると思います。

今は誤審かどうかの議論をしているというより一本の基準について議論しています。
それ以上でも以下でもないとすると「審判が正しい」で終わってしまうと思うのですが……。


>小手に旗が上がりかけたので、胴は有効打突にはならないでしょうか。

その場合の小手は一本とるための小手ではないと考えます。旗が上がってしまうことも経験してますが、
胴が有効打突だと思います。小手で決めず面を打ってるのですから。


>面でダメージを受けたB選手の下がり面は有効打突にはならないでしょうか。

そもそも自分の言う「仮想的な死に体」が生まれるのは、一本性のものであるため、
ダメージの蓄積など考えておりません。
当然B選手の面が有効打突となると思います。

いずれにしても、勝見宮本戦と違って、判断に迷うことがない例だと思います。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.44 )
日時: 2016/12/08 09:37:09
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 北の海人さん

>審判の感動という点を、これも個人的には一本の基準としては曖昧だとは思いますが、
>それくらいの感動を生んだというのなら理解はできます。

一剣道人さんは「感動」という表現をされました。私はそれまで「ハッとしたところ」を
基準に旗を上げていたようです。
「うん、いいとこ」って感じでしょうか。
それが一剣道人さんの「感動」という表現にストンと落ちた感じでした。

あくまでも私の個人的な感覚ですが、現場にいて宮本選手の突きも「いいとこ」でしたが、
それ以上に勝見選手の面に「ビビッときた」ことに間違いありませんでしたm(_ _)m


>3)勝見選手は「死に体」ではないが、一本を打たれて仮想的には切られた状態であり、
>本来反撃はできない状態である
>という説明を自分がすればいいというわけです。

なんとなく、落ち着いてきましたね。
それぞれがそれぞれの理解の上にこの問題の結論が見えてきた感じがいたします。



To 三七式ヨシさん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございます。


>○死に体とは
> 体制の崩れ、居つき、心的なことを含め、反撃もしくは防御体制のできない状態と思
> います。

明確な見解のご提示、ありがとうございます
ちなみに、今回の勝見選手の突きを受けている状態は、三七式ヨシさんは「死に体」とお
考えでしょうか?


>○一本とは
> 二人以上の審判員が、有効打突と認めたもの。

それは至極当然のことです。
本トピで議論されているのは、その有効打突の判断基準そのものだと思いますm(_ _)m



To 皆さま

管理人のHide.です。


まとめちゃっていいのかわかりませんが、馬場先生の『剣道日本』における提言(?)は
競技と文化(精神)の歪に対するものと考えてよさそうですね。
勝敗を第三者(審判)に委ねるスポーツ(競技)の形式をとるがゆえに生じる矛盾ともい
えそうです。

一剣道人さんがNo.31で少し触れてくださいましたが、武道としての文化を維持しつつ競
技(試合)を行うなら、未成年者を除き成人の大会では「自己審判制の一本勝負」こそふ
さわしいと考えております。
2008年の文章ですので拙いですし言い足りないことがありますが、ここにリンクを張って
おきますので、お時間のある時にお読みくださいm(_ _)m

http://ichinikai.com/zakki015.htm
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.45 )
日時: 2016/12/08 17:34:22
名前: 佐藤 

一本を消しに行く努力が好ましいのですか?
そんな次元の低いものになってしまったのでしょうか。
長く剣道と関わってきましたが、一般的な考え方がこうなのかと思うと、剣道も必ず、柔道のようになるでしょう。
私はそんなものは教わったことはないですね。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.46 )
日時: 2016/12/08 19:24:24
名前: 北の海人 

Hide様

>あくまでも私の個人的な感覚ですが、現場にいて宮本選手の突きも「いいとこ」でしたが、
>それ以上に勝見選手の面に「ビビッときた」ことに間違いありませんでしたm(_ _)m

はい、それは承知しております。
それを否定するためではなく、考え方の違いから、自分自身剣道の一本の基準についても
さらに学習させていただきました。
それでもはやり自分ならツキに旗をあげると思います(笑)


>それぞれがそれぞれの理解の上にこの問題の結論が見えてきた感じがいたします。

自分がこの問題で唯一納得できなかった点は「宮本選手のツキを一本だという人間は剣道をわかっていない」
といった論があちこちで見られた点についてです。
ここでの議論はそういった方向に向かわなかったので有意義でした。


http://ichinikai.com/zakki015.htm

拝読させていただきました。
試合の当事者が勝敗は一番よくわかってると思います。

>「自己審判制の一本勝負」

の試合があれば是非参加し、また観戦もしたいですね。
それなら「相殺」みたいなことも今回のケースだとあるかもわかりません。

自分はとある大事な試合で自分の判断で「誤審で勝利した」と認識した経験があります。
大抵の剣道家ならあると思いますが、わりとひきずるタイプでした。
試合後相手の選手がこちらに挨拶に来ましたが、あきらかに誤審だろといった感じでした。
そのとき、とっさに言葉が出ず、表面的な挨拶だけで終わらせてしまいました。

ヤフー知恵袋ででしたか、誤審で負けたと感じた方がその不満を質問されてましたが、
その回答で、同じく誤審負けした方が、
試合後に勝った側の選手から「見事な一本でした」と言われたエピソードがありました。
自分はそのような対応をできずそれっきりだったため、今でも多少の後悔があります。
表彰式のときものすごく恥ずかしかった覚えがあります。
(恥ずかしがること自体審判、選手に失礼なのかもしれません)

誤審負けは、審判にそういった印象与えてしまったということで不満はありつつも反省の余地がありますが、
誤審勝ちの方はどう処理していいものか難しいものでした。

逆説的ですが、こういった誤審かどうかの議論は盛り上がれば上がるほど、つまり、

>イタズラに審判を恨んだり、判定に対する不平不満を口にする

という人達が多ければ多いほど、「自己審判制の一本勝負」などの必要性が高まるかもしれませんね。

今回、長いことお付き合いいただきありがとうございました。
普段の稽古で意識することも増えた感じがいたします。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.47 )
日時: 2016/12/09 00:53:31
名前: 三七式ヨシ  < >

三七式ヨシです。

大方まとまったようですが、質問に対しの書き込みをお許しください。

前回の書き込みでも理解していただけないかったため、十分な説明になるのか不安です。

3年前になりますが、お相手の打突を面金の前で竹刀で受けたにもかかわらず、旗が3本
上がり、お相手の「面」が宣告されました。

私的には「審判ちゃんと見てました」なのですが、主審、副審には有効打突に見えたと
しか言いようがありません。

もちろん、不服の申し立てもしませんでした。

結果的には、その後運よく二本取り返すことが出来ました。

また、二十数年前、原因は忘れましたが、お相手の袴の股の間に剣先が入り、抜こうと
したところを面を打たれ、一本負けしたことがあります。

審判の経験から言っても、自分の裁定がすべてに対し、100%間違いがないかと問われ
れば頭を下げるしかないものもあります。

それがないようにするため、不十分かもしれませんが精進を重ねています。


話は変わり、

試合審判規則では、試合者が何かの拍子(体当たりなど)で転倒しても、やめがかから
ないうちの打突は認められており、有効打突の要件がそろえば一本になります。

前述と重複しますが、剣道の有効打突の判断は、一本づづされるのであり、各々有効打
突となるか、何らかの原因(反則や危険行為など)でやめがかかっていない間の打突は
認められています。

この説明をするため、前回の書き込みにわかりやすい状況を事例に上げました。

これらを踏まえ、勝見選手の下がり面は宮本選手の突きを受け、審判が有効打突としな
かった直後、やめがかかっていないところでの反撃で、一本の要件を満たしている技な
ので有効打突とすることが出来ると思います。

微妙ですが、勝見選手は死に体ではなかったと思います。

TV観戦していた私的には、勝見選手の下がり面を取らないのではなく、宮本選手の突を
一本とするべきではなかったのかなと思いますが。


某選手の返し技についての書き込みもありました。

私的(あくまで)には、お相手(私の見たのは昨年夏の大会です)の小手は当たってい
るけど、刃筋が微妙で、審判が取れない直後の有効打突としか言いようがありません。

スローの動画では、お相手の打突が小手に当たっているのですが、動画では打突の強度
などは見極められず、打突音など現場でしか判断できないものもあり、かなり微妙な感
があります。

うまく説明できていないような感がありますが、北の海人さんとHide先生の質問に対す
る返答とさせて頂きます。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.48 )
日時: 2016/12/09 09:32:33
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 佐藤さん

>一本を消しに行く努力が好ましいのですか?

「審判の旗が上がる(一本が確定する)まではあきらめるな」ということです。
消す行為そのものが好ましいのではなく、心構えの問題です

打たれて、打たれた顔や態度をすれば、少々甘い打突でも一本になってしまうことがあり
ます。稽古でしたら「まいりました」ですが、試合は第三者の判定に勝負をゆだねており
ます。そこの違いをご理解いただけますかd(^-^)!



To 北の海人さん

>それを否定するためではなく、考え方の違いから、自分自身剣道の一本の基準について
>もさらに学習させていただきました。
>それでもはやり自分ならツキに旗をあげると思います(笑)

ご批判をいただくかもしれませんが、剣道はそれでいいのだと思います。
そのあいまいさが「剣道」という競技なのです。

試合者も審判も観客も、己の剣道観に照らして有効打突や戦う姿勢を判断する。
今回、馬場先生の書き込みから、こうした議論ができたことは私にとっても有意義でした


自己審判制一本勝負をご支持いただきましてありがとうございます。

私も様々な試合の中で、誤審に出会ってきました。マイナスの方が記憶に残っております
が、恐らくプラスの方が多かったんじゃないでしょうか。

勝ってしまい試合場外であいさつをする機会があった時は「逆でしたね」とか「いただい
てました」とお話ししました。まぁ、お相手に恨みを述べられたことはありませんでした
ね。審判批判をする方もおられませんでしたし。

若いころは驕ってましたので「あたってないのを一本にするのが一流選手だ」なんて恥ず
かしいことを口にしておりましたが(>_<)


>今回、長いことお付き合いいただきありがとうございました。
>普段の稽古で意識することも増えた感じがいたします。

こちらこそありがとうございました。
私も、お稽古や審判のあり方を再度見直すいいきっかけになりましたm(_ _)m



To 三七式ヨシさん

>審判の経験から言っても、自分の裁定がすべてに対し、100%間違いがないかと問われ
>れば頭を下げるしかないものもあります。
>それがないようにするため、不十分かもしれませんが精進を重ねています。

自身の試合経験で不快な思いをした経験が、審判技能や心構えに生きてくるものです。
私もそんな経験から「試合者サイドに立ったものの見方」になってきているように思いま
すm(_ _)m


>これらを踏まえ、勝見選手の下がり面は宮本選手の突きを受け、審判が有効打突としな
>かった直後、やめがかかっていないところでの反撃で、一本の要件を満たしている技な
>ので有効打突とすることが出来ると思います。

繰り返しになりますが、現場で見ていて瞬時に「面だ」とわかるくらい鮮やかな面に感じ
ました。
主審の後ろくらいでしたので突きが当たっていたか確認できない角度でしたが、面で何ら
問題がないように思えました。

ただ、あとからスローを見ますと、「居つき」や「死に体」に見えないこともなく、今回
のような議論に発展してきたものと思われます。

毎年感じることですが「スロー映像は罪作り」だと思いますm(_ _)m


>私的(あくまで)には、お相手(私の見たのは昨年夏の大会です)の小手は当たってい
>るけど、刃筋が微妙で、審判が取れない直後の有効打突としか言いようがありません。

本論から脱線してしまいますが、某選手の面も、あたった瞬間、全く刃筋が合っていない
のです。そのあとのリカバーで形を整えるため「刃筋正しく打った」ように見えるだけで
す。「それがわかってしまうのも、スロー映像の怖さですね(^_^ メ)
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.49 )
日時: 2016/12/12 20:09:24
名前: 佐藤 

ヒデさん
胴を抜かれて、足をかけたり、面を打たれて顎をかち上げたり。私は今回の勝見選手の行いもこれと同じであると思っています。ビジュアル的に良さそうに映りますからそう感じないかもしれませんが、胴の残心を取られる前に足をかけたり打ってやろうとする行為、面を打たれて残心を取らせまいとかち上げる行為と何が違いますか?打たれているにもかかわらず、が共通点ですね。
審判の旗が上がるのは残心を取ったあとですね。そうなると自然と残心を潰しにいくのが策ですが、それをやってしまってはただの競技でしょうね。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.50 )
日時: 2016/12/12 23:49:57
名前: 鉄心 

佐藤さん

横から失礼します。鉄心と申します。

佐藤さんの仰っていること、わからなくもありません。
潔さというか、良いところを頂いたという謙虚さ。これは必要かと思います。

ただ、Hide.さんも仰っているように、試合は審判という第三者に判定を委ねています。試合者の判断で試合を止める(有効打突を判断する)ことは審判への冒涜になりかねません。

そして、「いいとこ頂いた技」が有効であるならまだしも、それが不十分であった場合、残心の終末まで見送っていたとしたらそれは自らの打突の好機を逃すことになりますし、下手すると(というか大抵の人は)続けざまもうひとつ打たれて今度こそ一本取られてしまいます。

一本かそうでないか、要件要素の細かいとこまで試合の緊張感や集中の中でその瞬間間違えずに判断するのなんて不可能です。
それは審判に任せて、自分は打てる時に打つ。それだけではないですかね〜。

相手が打ってキメてる時って隙アリアリじゃないですか。打てる間合いならそこは打つべきところなんです。残心を潰すとか一本を潰すということではなく、隙がある(部位が空いている)から打つ。それだけです。
そこを打たれないように素早く体を寄せたり打ち抜けたり間合いを切ったりするのも必要な体捌きですよね。

そこで自分が打って行っても相手の打突に旗が上がっていて一本の宣告されたら、その時は素直にいいとこ頂いたな〜と反省すればいいわけです。

打たれて足掛けたりかち上げて転ばせるのとは違いますよ。それでは「私は転ばせるしか対応しようがありませんでした」って言っているようなものですし、そういう場合は打突自体が一本の要件を満たしていれば審判は一本にします。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.51 )
日時: 2016/12/13 06:57:11
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 佐藤さん

それは暴言で看過できません。

反則や危険行為と一本を狙った打突とを同等に考えるべきではないと考えます(-_-)



To 鉄心さん

まさにしかりです。
ありがとうございますm(_ _)m
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.52 )
日時: 2016/12/13 09:02:49
名前: 佐藤 

鉄心さん
決めているときは隙出来ます。つまり、隙ができるほど大きなジェスチャーで、また時間を使って残心を取らなければ一本にならないという認識があるように思います。全体の空気として。しかし、本当にそうか?と思っています。打ったあと、パッと短い残心で旗が上がることもあります。打ったあとすぐさま防御の姿勢をとったりしても一本になる時もあります。残心の規定が不透明だから、また一本の規定が不透明だから今回のように必要以上に奥まで突きを押し込んで打たれる隙を作ってしまったんだと思います。
ヒデさん
足掛けは反則行為ですか?かち上げもですか?
反則になったのをあまり見たことがありません。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.53 )
日時: 2016/12/13 12:44:22
名前: 新米 

>胴の残心を取られる前に足をかけたり打ってやろうとする行為、面を打たれて残心を取らせまいとかち上げる行為
明らかに反則行為ですね
危険行為で、下手をすれば失格退場処分となりますよ
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.54 )
日時: 2016/12/13 13:15:24
名前: 鉄心 

佐藤さん

キメること=残心、ではないことはご存知だと思います。
そして本来であればキメている時も打たれるような隙ができてはいけないのです。その為の体寄せ、間合い切りです。

あくまで私の見解ですが、相面、面と出小手、面抜き胴など、お互いに捨てきって打っている場合は、
打たれた側は即座に打ち返すことが出来ない、つまり打突の完了と同時に流れが切れるので、
打突時の気剣体が揃っていれば、残心まで即完了します。

逆に仕掛け技若しくは引き技で打突をした場合、審判は相手が即座に反撃するか、
打った側が反撃されないように体を寄せたか(或いは間合いを切ったか)を判断します。

即座というのは文章で説明するのは難しいのですが、打突した側が打つ際に踏み込んだ足+一歩動く間、
位に思って下さい(あくまで私の感覚です)。

要はその一連の流れの中で相手が反撃出来ない状態にすれば残心ありと認められ、そこで旗が挙がると考えればよいのではないでしょうか(心構えの残心)。
キメが長い短いは流れを完全に切るまでの時間だと思います。

そして中段に構える(身構えの残心。ここまでないと一本取り消される場合も)。

今回の場合は突きです。突きの残心は突いた「後」腕を引いて中段に構えて相手の動きを制することです。
突きが深くなりすぎたのは、フルパワーで突いたことと、勝見選手も動き出していたからではないかと思います。

あの突きがしっかりと部位を捉えていたとして、宮本選手がもう一息早く突き戻していたら、
もしくは勝見選手の面がもうワンテンポ遅かったら、流れの中で反撃できていない(残心がある)として突きありになっていたんじゃないですかね〜(想像です)。

あの面は残心を潰したのではなく、そもそも即座に面を打たれるような状態に残心は無いという見解です。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.55 )
日時: 2016/12/13 19:53:23
名前: 佐藤 

鉄心さん
おっしゃることにほぼ賛同します。
しかし、もう少し早く体を引いていたらとありますが、身体能力、稽古十分な宮本選手でも面を打たれてしまったわけですから、あれ以上早く下がるというのは難しいと思います。
原因は深く突きすぎだことだと思うのです。ポンっという具合に突くべきで、押し込みすぎるのは無駄な動きのように思います。
あのくらい突きを押し込まないと一本にならないというような空気が蔓延しているように思うんです。
これはとても危険なことだと思います。
もっとポンっと突く方がいいですし、それで充分一本の条件を満たすと思います。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.56 )
日時: 2016/12/13 21:10:53
名前: 鉄心 

佐藤さん

ご賛同頂きありがとうございます

ご指摘の部分ですが、確かにあの場面、あの状況で更に早く突き戻すことは難しいとは思います。
仰る通り、押し込み過ぎになっていなければということです。

いずれにせよ、宮本選手が遅いのではなく勝見選手が速すぎたんですね。

突きという相手の前面を剣先で捉える技は、コチラとアチラの相対的な速度で威力が変わってしまいます。

>あのくらい突きを押し込まないと一本にならないというような空気が蔓延しているように思うんです。
というより、折角部位を捉えたのに威力あるいは勢い不足で一本にならないという事を防ぐ為かと思います。
一本の要素に強さと冴えがありますよね。
佐藤さんは「一本に足る強さがあれば、更に押し込む必要はない」との考えかと思います。それはごもっともです。
しかし選手は「一本に足る威力でなかったらまずい」との思いからガッツリ行ってしまうのかと思います。

特に片手突きと違い諸手突きは全身の勢いが乗りますし、届かなかった場合それこそ無防備になってしまうので、
多少ガッツリ行くのは仕方ないのかなとも思います。今回の場合それが裏目に出てしまったということで…

今回の結果を見れば、勝見選手の体勢的に、仰る通りポンと突いて十分一本になったと思いますし、
その突き方なら面は打たれなかった可能性が高いですね。
ただし、突いた瞬間間合いが近くなったのは、勝見選手があの威力の突きで吹っ飛ばなかったから、とも言えますね。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.57 )
日時: 2016/12/14 08:48:45
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 佐藤さん

>足掛けは反則行為ですか?かち上げもですか?
>反則になったのをあまり見たことがありません。

もちろん、故意に行ったものは反則です。
新米さんがNo.53で書いておられる通りです。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.58 )
日時: 2016/12/14 18:41:10
名前: 佐藤 

ヒデさん
大学や警察の試合だとよく足掛けが行われていますが、反則を取られている事例を知りませんが、過去に見たことがありますか?
また警察大会では足掛けが許可されているそう、聞いたことがあります。

鉄心さん
そもそもの話なんですが、突きを打たれた後に残心最中の相手を打てればあとのほうに旗が上がるのはおかしな話ではありませんか?
後うちができたとしても、その前に打たれているわけですから、お互いさまという気がします。なので、相討ちどちらも一本無効がちょうどよいと思うのですがどうでしょうか?
残心を打てば、打たれたことを帳消しにでき、さらに一本をとれるというのは、話が良すぎます。
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.59 )
日時: 2016/12/15 07:06:54
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 佐藤さん

学連で認められているという話は聞いたことがありません。
故に反則のはずです。
審判が見えていないのでは?


警察は、くるぶしから下への足がらみは認められています。
警察大会などを拝見していますと、大阪府警の選手がよく見せますね。
もちろん足をかけてお相手を倒すことが目的ではなく、決めさせないためにする行為でも
ありません。
足がらみでお相手の体勢を崩し、そこを打突するためです。


>残心を打てば、打たれたことを帳消しにでき、さらに一本をとれるというのは、話が良
>すぎます。

横レスですが、残心を示すことができなければ「有効打突」にならないのです。
試合審判規則で決められていますね。

何度も書かせていただいておりますが、一本の要件を満たす前にそこを打たれれば、そち
らが有効打突の要素を満たしていれば一本になるのは当然のことなのですm(_ _)m

ただ、お稽古の場合は、そこで手を出したとしても「いいところをいただきました」がよ
ろしいかと。「打って反省、打たれて感謝」が剣道ですから。
馬場先生もそこのところをおっしゃりのだと思いますが、試合は規則に則って力を尽くし
合うものですから、審判の判定が出るまではそういうところでも「(らしきは)打たれな
いこと」が求められるのですね
メンテ
Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.60 )
日時: 2016/12/15 14:03:42
名前: 鉄心 

佐藤さん

残心の最中に打たれるって事がそもそも有り得ないんです。
キメてる最中に打たれたならそこに残心は存在しません。

[有効打突]
第12条
有効打突は、充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする。

この「残心あるもの」について、Hide.さんの見方と微妙に違うかもしれませんが、
私の考えです。30の若僧の戯言と思って下さい。

漢字で書くと、「残心在るもの」だと思っています。
「残心を示したもの」でも「残心まで完了したもの」でもありません。

故に審判は「打ち切った上で残心が在る(構え直すまで存在し続け得る)」と判断した瞬間旗を上げます。
構え直したところで旗を上げるわけではないです。

残心は竹刀が打突部位を捉えた瞬間から相手と正対して構えるまで常に「在り」続けなければなりません。

「残心在る」とは何か。それはNo.54で申し上げている通り
>一連の流れの中で相手が反撃出来ない状態にす
ることです。身構え心構えでもって。

打突"直後"に反撃をもらわない事が残心の最大の目的です。
つまり、反撃による有効打突を許す隙があった時点で、残心はないのです。
「残心を示す前に面を打たれた」のではなく、突いた直後に、"有効打突となる"面(←ここがポイント)をもらう
隙がある時点で、その突きに残心は存在していないのです。

よって突きは有効打突ではありません。同時に面打ちは有効打突の要件を満たしているので面ありになります。

面打ちが有効打突でなければ、もしくは突き→戻しの流れが終わった後であれば、突きに残心は在ったことになります。

違う話になるかもしれませんが、日本剣道形の太刀二本目、四本目、木刀による剣道基本技稽古法の基本六。
これらには形に示してはいませんが、気で圧することでの残心があります。
構え直すことでなはなく反撃を貰わない事。これが残心の本質かと思います。

私が教え子に説明するように言えば、
「突き戻す前に面打ち食らうような突き方のどこに残心があるの?」
です。

相打ち無効云々の話も、上記の考え故そもそも面打ちの前に(有効)打突を貰っているという事象が存在しません。有効打突を貰っていない勝見選手の打突が有効にならないはずはなありません。
ただ立っている相手に面を打ったのとなんら変わりありません。

話が良すぎます…か…?
言ったって、相手にわざとフルパワーで突かせて、突き戻す所の面打ち、狙わないですよね?
メンテ

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