このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment
トップページ > 記事閲覧
現代剣道は今のままでいいのでしょうか
日時: 2015/01/28 11:43:09
名前: ずんべらぼん 

剣道を学んだ者の犯罪、しかも殺人事件が起きてしまいました。

剣道をやっている者として
「この犯罪を許さない」と
怒りを犯人に向けるだけでは
何も変わらないと思います。

「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」

これは一見立派な文章のように思えますが、
疑問だらけで、果たしてこのままでいいのでしょうか。

制定された時代には通用した言葉になりえたでしょうが、今の時代では、何か狐に摘まれたようなおまじないにしか聞こえないのは私だけでしょうか。

剣の理法という動作原理を学んで、何故人間形成と結びつくと言えるのか。

「剣を学ぶことは死生観を学ぶことだから人間形成に役立つ」なんてのは妄想ではないか。

死生観を学ぶならモータースポーツ、スカイダイビング、スキージャンプなどの方が学べるはずですが、それがどういった人間形成に結びつくのか。

そもそも人間形成とは何だ。
いったい、どんな人間になると言うのか。

全く曖昧なままの単なるお題目になってないでしょうか。

剣の理法といいながら、教育期間として重要な幼少期から青年期まで、剣ではなく竹刀打ちの試合に偏重し勝敗にこだわる刷り込みをしてしまう。

今一度、剣道界全体で本来の剣道とは何なのかを真剣に考え、議論がなされるべき時だと思いますがいかがでしょうか。
メンテ

Page: 1 | 2 | 3 |

Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.1 )
日時: 2015/01/28 22:27:54
名前: palmssurf☆ 

高段者の驕り。

剣道家としては偉いのかもしれないが、人間としてはクズなのでしょうね。

そんな剣道家いっぱいいますよね。

皆さんご存知のとおり!
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.2 )
日時: 2015/01/28 23:51:30
名前: 近畿人 

大阪府警、特錬の今後の対応も気になります。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.3 )
日時: 2015/01/29 07:19:57
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

管理人のHide.です。

剣道は単なる身体運動にとどまらず「剣の理法の修練による人間形成の道である」という
素晴らしい理念を持っています。これはほんとうに有難いことです。
単に技術や記録を競う競技であれば、競技力のピークが競技の限界となる可能性がありま
すが、この理念を目標にお稽古を続けることに終わりはありません。


私が子どもの頃には、まだこの理念は制定されておりませんでしたが、私の育った道場の
道場訓の3つ目に「人格の完成に努めましょう」というものがあり、先生方は「人間形成」
こそ大切なことという観点で指導をしてくださいました。

そんな道場で育った私ですが、中学・高校と学校剣道で「勝利至上主義」を叩きこまれ、
その時期は「人間形成」について何ら考えることはありませんでした。

大学で素晴らしい師匠に出会い、「剣道の有する哲学」に思い至り、以後、その方向性で
物事を考えられるようになりました。


これらのことから、一番それを認識しなければならないのが現場の指導者です。私は剣道を通じて死生観を教えるのではなく「如何に生きるべきか」という哲学をこそ教えるべきだと考えておりますし、その方法論として理念により方向性も与えられている剣道は「適
しているのでは」と考えています
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.4 )
日時: 2015/01/29 09:53:09
名前: ずんべらぼん 

皆様有り難うございます。

匿名で他者を批判し攻撃するのは簡単ですが、
剣道が目指すべき方向はそうであってはならないと考えます。

今回の事件を起こした者は長年剣道に関わって
生きてきたことと思います。

さて、そこで「本人の質の問題だ」「指導者が悪かった」「親が悪かった」「責任者の対応が見たい」などということを考えたところで、
現状は何も変わらないし、現状を他人任せで放置するだけのことだと考えます。

犯罪を犯した彼にとって、被害者になった彼女にとって、
剣道が何らの役目も果たせなかったと考える視点が重要なのではないでしょうか。

自分の身に置き換えて考え、自分の指導法はどうなのか、地域で私に関わった子供達はどうなのか、
剣道はどういう役目を果たすべきなのか、その役目を果たすために剣道は現状のままでいいのか、
と自問自答し行動に移していく必要があると考えます。

Hide.様のように良き師に巡り会い、その師の心をくみとり、人生の糧に出来たことは素晴らしいことですが、
それが「幸運だった」で済ましてはならないと思います。
剣道に関わった者全員が「幸運」となるような高い理想の剣道界になるよう
模索し続けなければならないのではないかと考えます。

Hide.様がおっしゃるように私自身も
『中学・高校と学校剣道で「勝利至上主義」を叩きこまれ、その時期は「人間形成」について何ら考えることはありませんでした』というのは
全く同じです。
はっきり言って、相手を叩きのめすことを考えるてマシーンでした。

最近の少年の試合会場を見ると、私の子供の頃よりも、
小学生時代から徹底的に「勝利至上主義」を叩きこまれているように感じます。
毎週末に県外にも出向いて試合、試合、試合・・・・。

いい成績を残せて喜んだり、結果が残せなくて落胆したりを、子供よりも真っ先に指導者がやっています。

指導者が、道場のメンツや「立派な指導者」の名に懸けて躍起になっています。

そんな中で子供達をおいて、どういう人間形成の教育ができるのか、他のスポーツ競技と何が違う役目を果たせるのかが大いに疑問なのです。

私の考えと致しましては、戦後の剣道復活のためにスポーツ競技にした苦肉の策は良かったとは思いますが、
もうそろそろ、否、今すぐにでも、トーナメントで優勝を争う競技なんて廃止にして、本来の剣道に戻すべきではないかと考える次第です。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.5 )
日時: 2015/01/30 07:16:47
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To ずんべらぼんさん

極端な言い方ですが、今はだれでも指導者になれる時代です。
学校開放の体育館や公共の体育館、武道場を使って、「仕事の片手間」「趣味の延長」で
子どもたちの指導に携わってしまう人達が多いのです。

昔は町道場を開くことは容易なことではありませんでした。
町道場にはしっかりとした師範がいて、剣道の考え方もしっかりし指導方針も一貫してい
ました。もちろんそんな時代にも「勝利至上主義」がなかったかと言われればあったと思
います。それも道場の一つの個性だったわけです。

今は、味噌も糞も一緒です。
とくに、剣道を知らない保護者にとって、どこの剣道団体も「同じ」にしか見えません。
剣道の価値を「勝つこと」と認識した保護者は、平気で強い団体に移籍したり、違法な越
境をしたりと、およそ「人間形成」とは間逆な行為に及んでしまいます。
これは、野放しに剣道団体の設立を許してきてしまった全剣連の施策のも責任があります。

他にも書いたことがありますが、全剣連は道場、剣道教室、剣友会…などの名称によるラ
ンク分けを明確にしていく必要があります。そのことによって「質を保証する」のです。


なお、私は試合をすることが剣道の質的低下を招いているとは考えておりません。
正しく指導していくことによって、正しい心ばえで試合をすることのできる子どもを育て
ることが可能だからです
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.6 )
日時: 2015/01/31 04:23:18
名前: だみ声  < >

「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」という「理念」そのものに間違いはないと思うのですが、どの
ように理解して、どのように我が精神に植えつけるのか?という模索をするのかしないのかが、重要と考えます。
更にその模索をいつから始めるのか?も、指導者の精神的指導の実践に関わると思います。

このお題目のような理念は、我が県では初段審査の「筆記試験内容」として最初に出会います。 ほとんどの人が丸
暗記して回答書に書き込んでいますが、僕は以下のように説明を加えております。
1.剣道をいくら修錬しても、人間形成には直結しない。
2.文武両道と同じく、修錬と同時に、心のあり方を考える必要がある。
3.竹刀で相手の打突部位を叩く動作を学ぶのが稽古の一部であるが、それだけでは単なる「叩き合い」だ。
4.剣道をスポーツとして捉えれば、それもアリかも知れないが、それだけじゃつまんないだろ?
5.剣道を「武道」としてみれば「当てる」は「切る」動作なのだ。 切れば「痛い」では済まされない。
6.「人間形成」とは、簡単に言うと「良い大人」になる事だが、これが難しい。
7.修錬と同時に良い大人になる努力を重ねる事が、「剣道の理念」として掲げられている。
8.両者は直結したものでないだけに、同時進行させることが求められている。
9.決して片方だけ学んで満足してはいけない。
10.人間形成は、他の分野でも「大成した人たち」には、必ず備わっている。

そして剣道を通じて行われる人間形成とは、「あいさつ」「素直」「正直」であることや、一見上達とは関係ないと思わ
れる「雑巾がけ」「ボランティア」「手伝い」「助け合い」などとなり、「決断と実行」「権利と義務」「自由と責任」な
どの理解を深めることなのです。

最初は「門前の小僧習わぬ経を読む」で丸暗記からでもいいのですが、修行を重ねる中でこの文章を考えることこそ
が大切なのではないでしょうか?  もちろん試合もあり、勝負もあるわけですが、激しい稽古、勝敗に涙する経験
から、精神的に強くなり「良い大人」へと成長させる指導が必要と考えます。

事件を起こす剣士たちに共通しているのは、剣道が「強い」点ではないでしょうか? 少なくとも弱小剣士ではない
と思います。 そして残念なことに、稽古の中で「人間形成」を学べなかったり、その意味の説明を受けられないま
ま、あるいは学ぶことを拒絶して「叩き方」だけが全てのような成長をしてしまったのではないでしょうか?
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.7 )
日時: 2015/01/31 07:05:05
名前: 嗚呼 

剣道のカジュアル化には私も違和感を感じております。

理念なき剣道はもはや「道」ではないので、それを剣「道」と称するのは形容矛盾ではないでしょうか。

ちょうど、剣道の理念の策定にかかわられた小川忠太郎先生の「剣と禅」を読了したばかりです。

このスレッドで書かれている問題については、あらかたすでに答えが書かれているように思います。

よろしければご参考まで。

追伸
私自身は、剣道のカジュアル化が我慢できないまでに進めば、剣道をやめて古流に乗り換えようかと考えています。「道」ではない剣道には全然興味がありません。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.8 )
日時: 2015/02/01 21:18:11
名前: palmssurf☆ 

腹痛てっえ。

剣道で人間形成みたいなことでしょうか?

文章が長すぎてよく理解できませが。

勝利至上主義うんぬんの指導を受けている剣士全員が将来殺人者になる訳じゃない。

個人の資質の問題であろう。

剣道の指導方法など持ち出す辺りが、剣道家の驕りではないのか。

高校の監督による轢き逃げ引き摺り殺人や、巡査長の自分勝手な不倫による殺人事件、
共に自分を守るためだけの身勝手な結末でしょう。

保身=高段者の驕りであることは否定できないが。

メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.9 )
日時: 2015/02/01 21:54:34
名前: palmssurf☆ 

剣道に関わること十数年。

尊敬できる 指導者2名と出会った。

1人は当然ながら我が子の師匠である。

もう一方は、中高校体連を通じ、我が県の剣道を正常な状態に導いていただいた。

その時期に剣道を学んだことは、素晴らしい経験であり感謝の念に堪えない。

二方に共通することは、自信の利益のためという目的ではなかったこと(自信の信念という目的はあったのだろう)。

後者の先生は、志し半ばで他界されたのだが、どこかでその思いは生きていると思う。

いつか何らかの形で恩返しができればよいのだがと思う。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.10 )
日時: 2015/02/02 07:42:03
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To palmssurf☆さん

管理人のHide.です。


>剣道の指導方法など持ち出す辺りが、剣道家の驕りではないのか。

確かに驕りなのかもしれません。
自身がまだ人間ができていないにもかかわらず、偽善もいいところだと自分でも思います。
でも、少年剣道に関わる人間としては、驕りであろうが偽善であろうが、自分が学び勉強
し考えてきたことを自信と責任をもって教える以外に道はありません


>保身=高段者の驕りであることは否定できないが。

「個人の資質である」と書いておられながらこの極め付けはいかがなものでしょうか(-_-)
低段位の方って一切保身はなさらないものですか??


>尊敬できる 指導者2名と出会った。

それはとてもラッキーな事です。
やはり師は選ばなければなりませんm(_ _)m
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.11 )
日時: 2015/02/02 10:32:19
名前: 長幼の序 

「現代剣道は今のままでいいのでしょうか」
非常に興味深いお題目だけに、皆さまのご意見を拝見させていただいておりました。

私の尊敬する武専出身の範士は
「剣道とは信仰である」と仰います。
剣道の理念、修練の心構えを理解し、実践していく事。
それを実生活に結び付ける、その1つの手段として剣道はあると信じております。
理念なき、叩き合いは、ただの暴力です。
その崇高な理念、心構えを正しく理解し、信じ続ける事。
様々な事が起きる現代でも、この一念こそが、剣道が、武道、「道」である証と信じております。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.12 )
日時: 2015/02/03 07:36:01
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 長幼の序さん

管理人のHide.です。

「剣道は信仰である」はいい言葉ですね。

私もよく、「剣道はある意味宗教だなぁ」と思うことがあります。口に出すと誤解を招い
てしまいそうですので「剣道は哲学だ」と師匠の受け売りをしていますが(^^ゞ

自分の師を信じ、その師の教えを忠実に守り、剣ばかりでなく人間性も近づいていくべく
努力(稽古)していく。その点から言うと、現代剣道で「師」を持っている人ってどれく
らいいるのでしょう?(>_<)
徒弟制度が崩壊し、道場に通わなくても市井の剣道愛好家が教える団体が乱立し、「先生」
は増えたけどそんな「師」は激減してしまいました。

この辺りが現代剣道の抱える大きな問題になっていると考えるものです。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.13 )
日時: 2015/02/03 07:48:29
名前: palmssurf☆ 

NO.10について

>>保身=高段者の驕りであることは否定できないが。

「高段者の驕り」⇒「高段者であるが故の驕り」と訂正させてもらいます。

尚、この高段者とは、最近犯罪を犯した2名を指しております。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.14 )
日時: 2015/02/03 09:51:45
名前: 長幼の序 

現状、居住地の道場、スポ少、ことさら通学区内の中学、高校での部活等では、指導者を選択する事は、出来ません。
特に人間としての土台作りをしていく幼少年期には、それに合わせて剣道感の土台も作っていくので、剣道を通しての指導者の指導力は大切と考えます。
道場、スポ少においては、それなりの指導者がおられる事が多いですが、中、高の部活においては、剣道経験者がおらず、未経験で顧問をされている先生方が多いのも事実です。
私は、小中の剣道を指導する中で、子供達に合わせて「保護者」の方々にも剣道を通しての実生活への携わり方、役に立つ事が多い事を折に触れ説明します。
いくら道場で、「当たり前の事」が、できていても、家庭、学校等、一歩道場を出ると出来なくなるようでは、いけません。
学校へ毎日、自動車で送迎するような事が、日常的になっています。
学校へは徒歩、雨が降れば傘をさす、遅刻しそうな時は走る、こんな当たり前の事が出来なくなっています。
当然、家庭であれば、保護者がその指導者になる訳です。
その保護者の方が、真の子供の為の教育、見識を考え、実践していく事も、道場での剣道の先生の指導以上に大切な事と考えます。
保護者が、子供達を正しく教育する根本と剣道の理念、修練の目的は同じであると思います。
ただ、残念なのは、中学に取り込まれた「武道課程」が、思いの外、体を成していない事。
ここをより有効活用していくのは、「現代剣道」を広く理解していただく絶好の機会と考えますが。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.15 )
日時: 2015/02/03 12:12:03
名前: ずんべらぼん 

皆さん、有り難うございます。
皆さんの貴重なご意見を拝読し、自分の中で受け止め、自らを再考するのに
時間がかかり、返事が遅くなってしまいましたことをお詫びいたします。

長文を失礼いたします。

剣道が本来目指すのが競技スポーツではなく武道であることは十分理解しております。
「剣道は信仰」「剣道は哲学」いいですね。そこは皆さんと同じ思いです。

しかし、武道を理解している者が集まって運営しているはずの組織の中で育てている
子供達に、その理念が正確に伝えられる環境が全国に整っているのか、
甚だ疑問なのです。

組織全体として「人間形成の道」という理念を掲げておきながら、
組織全体として一人の命を救えなかったという視点がなく、
改革の必要も感じないのであれば、
組織としてこの理念を降ろさざるを得ないのではないかと
考えるわけです。

自分も含めて、被害者遺族に剣道理念をどうやっても説明のしようがないのが
全国的な現代剣道の環境であるように思えてなりません。

「我が道場は大丈夫。あなたの娘は私が教えた剣士ではない者に会ってしまった」
では解決になろうはずがありません。


たとえば「サッカーを長く学ばせたのに加害者を止められず、人の命を救えなかった」
と聞いても「それはサッカーとは全く関係ない」と言っても問題ないでしょう。

しかし、人間形成の道であるとの理念を掲げている以上、
「剣道を長く学ばせたのに加害者を止められず、人の命を救えなかった」と
剣道界全体で重く受け止め、深く考えるべきなのではないでしょうか。

被害者の遺族や友人が剣道を奇異な目で見ることになっても当然のこととして
受け入れるべきです。

「個人の資質の問題だ」となげてしまっては、質の悪い者に対しては、
剣道は教育的価値も更生させる力もないということになり、
理念は失墜することになると考えます。

「私の唱えた理念ではなく連盟が勝手に唱えている」
「しっかり指導してる人もいるから、指導できてない人が悪い」等の答えでは
子供達の環境の解決策としてお話にならないのではないでしょうか。

やはり私は試合偏重に問題があると考えます。

勝敗を第三者が決めるようなことはやめ、半年か一年に一度、
各道場や各部活動の稽古成果を演舞として披露し、
その上で他流と稽古するだけで十分だと考えます。

子供を成長させるための試合の有用性はもちろんあるでしょう。

でも、それらは他のスポーツでも十分やれる教育法でありまして、
わざわざ手具で人を突き叩く剣道に求めなくていいのではないでしょうか。


・気迫を入れて興奮状態をつくって相手を崩し、打つ。
・残心を審判にアピールする。
・仲間は審判にアピールするように拍手(声援も)で応援する。
・でもガッツポーズは一本取り消しにもなるし、相手に失礼だから我慢する。
・進学先や就職先などの進路において、試合の戦績を条件にする。
・雑誌や書物は、試合戦績の良い選手や指導者をクローズアップする記事がよく売れ、
商売になる。

これらは大間違いであり、武道として大失敗だと考えています。

残心を第三者にアピールしないといけないなんてナンセンスです。
アピールすれば、かすりもしていないのに有効打突と見てくれる場合があるので
積極的にアピールしないと損をする。

優劣を決め、成績をたたえ表彰式まである競技剣道だから発生する問題と感じます。

学生選手権等でうんざりするのが、打って出さえすれば無駄打ちでも何でもかんでも
仲間が一斉に拍手喝采する馬鹿げた伝統の常態化。

また、興奮状態にあるから思わずガッツポーズがしたくなる状況になるのです。

気迫を入れて興奮状態であり、有効打突が欲しく、勝ちたい意欲を前面に出していけば、
「あなたの勝ち」と判断してもらったら、ガッツポーズが出る方が自然というものです。

「それを我慢するのが礼儀であり心の修行」なんてもっともらしいですが大間違いだと
考えます。

そうではなく、武道が伝えるべき心の有り様は「平常」であるはずだと考えます。

物事を考える際は興奮状態を避け冷静で平常であろうとするのに、
運動となると興奮状態を作らないと動けないという西洋スポーツ的な思い込みが
蔓延し常識化してしまっていると考えます。

これらは武道を長期間にわたりスポーツ競技化してきた弊害だと考えます。

現代の一般的な剣道の稽古は、特に10代20代など「みなぎる気迫」
(いわば表面に出てしまう殺気)を良しとしていますので
子供の頃から熱心であればあるほど「一気に興奮状態まで感情を持ち上げる」という
訓練をしているようなもので、これが若者の短気や凶暴性にも繋がると考えます。

「みなぎる気迫」は相手を威圧し、こちらから先に襲いかかろうという心理状態とも言えます。

しかもこの状態で手具を持って実際に人を突き叩き続ける練習を繰り返す。

このみなぎる気迫や体力や技術の優劣を競技で争う試合は、
子供達にとって勝敗こそが最大の関心事となり、
人間対人間の正面衝突を子供に学ばせていることになっているのではないでしょうか。

これを修正するのにあれやこれや助言し、「みなぎる気迫」でありながら
「謙虚で礼儀正しく」というように、アクセルを踏みながらブレーキを踏みなさい
と教える必要があるわけですが、「めざせ全国制覇」とも教えられ、
「謙虚で礼儀正しく」を最重要に試合をしても怒られるわけです。

事件をおこす剣士に共通するのは、勝敗でしか相手や自分を測れないという
最悪の物差しを若者に与えてしまった結果ではないでしょうか。

もし試合がなくなると「伝えられることが減る」「伝えられる手段も減る」
「子供の興味を引けない、持続させられない」と考えるなら、
現状の少年指導法や少年達をとりまく剣道の環境は、
すでに目指すべき本来の武道から乖離してしまっていると考えられないでしょうか。

逆に、「試合がなくなればありがたい。試合にスケージュールや目標を合わせずに済むなら、
今までやれなかったあれもこれもじっくり伝えられる」というように
いくらでも指導したいことがあふれてくるような環境を子供達に与えるわけにいかないのでしょうか。

30代40代になってようやく剣道の本質的価値が分かるようになってくるしかないなら、
犯罪に走りやすい10代20代にとっては、他のスポーツと比べて特に剣道が
有効な教育法にはなりえないという事になり、であれば、
組織全体として改革もせずこのまま剣道理念を掲げることは剣道界内外に対して
偽りになると考えます。

(小川忠太郎先生の「剣と禅」、拝読する機会を得ようと思います)
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.16 )
日時: 2015/02/03 21:20:34
名前: palmssurf☆ 

事件をおこす〜若者!

年齢ではなく、高段者であり指導すべき立場である、警察官であったり、教師が殺人を犯す。

この惨状を認識すべき。

何の落ち度もないのに、いきなり命を、人生を奪われる。

痛かっただろう。
苦しかっただろう。

我が身が震える。

反省しているのか?

剣道の指導方法に問題があるという認識があるのであれば、廃止するという選択肢もある。

長文を読み、内容を理解することは苦痛である。

読書は趣味であり月一冊程度は読むのだがそれとはちがうな。

書き込みは読み手の程度を考え、要点をまとめるべき。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.17 )
日時: 2015/02/03 22:01:30
名前: てゆっか 

なにを廃止するの?

それを廃止するとあなたの言ってる問題は解消するの?

理解不能デス
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.18 )
日時: 2015/02/03 22:24:47
名前: palmssurf☆ 

てゆっか、剣道だったり、段位だったりを廃止するの。

今回の二件については、自身の地位(高校剣道監督/巡査長剣道5段)を守るために起こったのではないか。

段位や地位は上がったのだが、人間としてはどうだったのかな。

そんな数字で人の価値(表現が思い付かない)が上がるわけではないという例。
メンテ

Page: 1 | 2 | 3 |

Subject 入力禁止
Title 入力禁止
Theme 入力禁止
題名 スレッドをトップへソート
名前
E-Mail
URL
URL
コメント中には上記URLと同じURLを書き込まないで下さい
パスワード (記事メンテ時に使用)
コメント

クッキー保存