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現代剣道は今のままでいいのでしょうか
日時: 2015/01/28 11:43:09
名前: ずんべらぼん 

剣道を学んだ者の犯罪、しかも殺人事件が起きてしまいました。

剣道をやっている者として
「この犯罪を許さない」と
怒りを犯人に向けるだけでは
何も変わらないと思います。

「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」

これは一見立派な文章のように思えますが、
疑問だらけで、果たしてこのままでいいのでしょうか。

制定された時代には通用した言葉になりえたでしょうが、今の時代では、何か狐に摘まれたようなおまじないにしか聞こえないのは私だけでしょうか。

剣の理法という動作原理を学んで、何故人間形成と結びつくと言えるのか。

「剣を学ぶことは死生観を学ぶことだから人間形成に役立つ」なんてのは妄想ではないか。

死生観を学ぶならモータースポーツ、スカイダイビング、スキージャンプなどの方が学べるはずですが、それがどういった人間形成に結びつくのか。

そもそも人間形成とは何だ。
いったい、どんな人間になると言うのか。

全く曖昧なままの単なるお題目になってないでしょうか。

剣の理法といいながら、教育期間として重要な幼少期から青年期まで、剣ではなく竹刀打ちの試合に偏重し勝敗にこだわる刷り込みをしてしまう。

今一度、剣道界全体で本来の剣道とは何なのかを真剣に考え、議論がなされるべき時だと思いますがいかがでしょうか。
メンテ

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Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.15 )
日時: 2015/02/03 12:12:03
名前: ずんべらぼん 

皆さん、有り難うございます。
皆さんの貴重なご意見を拝読し、自分の中で受け止め、自らを再考するのに
時間がかかり、返事が遅くなってしまいましたことをお詫びいたします。

長文を失礼いたします。

剣道が本来目指すのが競技スポーツではなく武道であることは十分理解しております。
「剣道は信仰」「剣道は哲学」いいですね。そこは皆さんと同じ思いです。

しかし、武道を理解している者が集まって運営しているはずの組織の中で育てている
子供達に、その理念が正確に伝えられる環境が全国に整っているのか、
甚だ疑問なのです。

組織全体として「人間形成の道」という理念を掲げておきながら、
組織全体として一人の命を救えなかったという視点がなく、
改革の必要も感じないのであれば、
組織としてこの理念を降ろさざるを得ないのではないかと
考えるわけです。

自分も含めて、被害者遺族に剣道理念をどうやっても説明のしようがないのが
全国的な現代剣道の環境であるように思えてなりません。

「我が道場は大丈夫。あなたの娘は私が教えた剣士ではない者に会ってしまった」
では解決になろうはずがありません。


たとえば「サッカーを長く学ばせたのに加害者を止められず、人の命を救えなかった」
と聞いても「それはサッカーとは全く関係ない」と言っても問題ないでしょう。

しかし、人間形成の道であるとの理念を掲げている以上、
「剣道を長く学ばせたのに加害者を止められず、人の命を救えなかった」と
剣道界全体で重く受け止め、深く考えるべきなのではないでしょうか。

被害者の遺族や友人が剣道を奇異な目で見ることになっても当然のこととして
受け入れるべきです。

「個人の資質の問題だ」となげてしまっては、質の悪い者に対しては、
剣道は教育的価値も更生させる力もないということになり、
理念は失墜することになると考えます。

「私の唱えた理念ではなく連盟が勝手に唱えている」
「しっかり指導してる人もいるから、指導できてない人が悪い」等の答えでは
子供達の環境の解決策としてお話にならないのではないでしょうか。

やはり私は試合偏重に問題があると考えます。

勝敗を第三者が決めるようなことはやめ、半年か一年に一度、
各道場や各部活動の稽古成果を演舞として披露し、
その上で他流と稽古するだけで十分だと考えます。

子供を成長させるための試合の有用性はもちろんあるでしょう。

でも、それらは他のスポーツでも十分やれる教育法でありまして、
わざわざ手具で人を突き叩く剣道に求めなくていいのではないでしょうか。


・気迫を入れて興奮状態をつくって相手を崩し、打つ。
・残心を審判にアピールする。
・仲間は審判にアピールするように拍手(声援も)で応援する。
・でもガッツポーズは一本取り消しにもなるし、相手に失礼だから我慢する。
・進学先や就職先などの進路において、試合の戦績を条件にする。
・雑誌や書物は、試合戦績の良い選手や指導者をクローズアップする記事がよく売れ、
商売になる。

これらは大間違いであり、武道として大失敗だと考えています。

残心を第三者にアピールしないといけないなんてナンセンスです。
アピールすれば、かすりもしていないのに有効打突と見てくれる場合があるので
積極的にアピールしないと損をする。

優劣を決め、成績をたたえ表彰式まである競技剣道だから発生する問題と感じます。

学生選手権等でうんざりするのが、打って出さえすれば無駄打ちでも何でもかんでも
仲間が一斉に拍手喝采する馬鹿げた伝統の常態化。

また、興奮状態にあるから思わずガッツポーズがしたくなる状況になるのです。

気迫を入れて興奮状態であり、有効打突が欲しく、勝ちたい意欲を前面に出していけば、
「あなたの勝ち」と判断してもらったら、ガッツポーズが出る方が自然というものです。

「それを我慢するのが礼儀であり心の修行」なんてもっともらしいですが大間違いだと
考えます。

そうではなく、武道が伝えるべき心の有り様は「平常」であるはずだと考えます。

物事を考える際は興奮状態を避け冷静で平常であろうとするのに、
運動となると興奮状態を作らないと動けないという西洋スポーツ的な思い込みが
蔓延し常識化してしまっていると考えます。

これらは武道を長期間にわたりスポーツ競技化してきた弊害だと考えます。

現代の一般的な剣道の稽古は、特に10代20代など「みなぎる気迫」
(いわば表面に出てしまう殺気)を良しとしていますので
子供の頃から熱心であればあるほど「一気に興奮状態まで感情を持ち上げる」という
訓練をしているようなもので、これが若者の短気や凶暴性にも繋がると考えます。

「みなぎる気迫」は相手を威圧し、こちらから先に襲いかかろうという心理状態とも言えます。

しかもこの状態で手具を持って実際に人を突き叩き続ける練習を繰り返す。

このみなぎる気迫や体力や技術の優劣を競技で争う試合は、
子供達にとって勝敗こそが最大の関心事となり、
人間対人間の正面衝突を子供に学ばせていることになっているのではないでしょうか。

これを修正するのにあれやこれや助言し、「みなぎる気迫」でありながら
「謙虚で礼儀正しく」というように、アクセルを踏みながらブレーキを踏みなさい
と教える必要があるわけですが、「めざせ全国制覇」とも教えられ、
「謙虚で礼儀正しく」を最重要に試合をしても怒られるわけです。

事件をおこす剣士に共通するのは、勝敗でしか相手や自分を測れないという
最悪の物差しを若者に与えてしまった結果ではないでしょうか。

もし試合がなくなると「伝えられることが減る」「伝えられる手段も減る」
「子供の興味を引けない、持続させられない」と考えるなら、
現状の少年指導法や少年達をとりまく剣道の環境は、
すでに目指すべき本来の武道から乖離してしまっていると考えられないでしょうか。

逆に、「試合がなくなればありがたい。試合にスケージュールや目標を合わせずに済むなら、
今までやれなかったあれもこれもじっくり伝えられる」というように
いくらでも指導したいことがあふれてくるような環境を子供達に与えるわけにいかないのでしょうか。

30代40代になってようやく剣道の本質的価値が分かるようになってくるしかないなら、
犯罪に走りやすい10代20代にとっては、他のスポーツと比べて特に剣道が
有効な教育法にはなりえないという事になり、であれば、
組織全体として改革もせずこのまま剣道理念を掲げることは剣道界内外に対して
偽りになると考えます。

(小川忠太郎先生の「剣と禅」、拝読する機会を得ようと思います)
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.16 )
日時: 2015/02/03 21:20:34
名前: palmssurf☆ 

事件をおこす〜若者!

年齢ではなく、高段者であり指導すべき立場である、警察官であったり、教師が殺人を犯す。

この惨状を認識すべき。

何の落ち度もないのに、いきなり命を、人生を奪われる。

痛かっただろう。
苦しかっただろう。

我が身が震える。

反省しているのか?

剣道の指導方法に問題があるという認識があるのであれば、廃止するという選択肢もある。

長文を読み、内容を理解することは苦痛である。

読書は趣味であり月一冊程度は読むのだがそれとはちがうな。

書き込みは読み手の程度を考え、要点をまとめるべき。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.17 )
日時: 2015/02/03 22:01:30
名前: てゆっか 

なにを廃止するの?

それを廃止するとあなたの言ってる問題は解消するの?

理解不能デス
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.18 )
日時: 2015/02/03 22:24:47
名前: palmssurf☆ 

てゆっか、剣道だったり、段位だったりを廃止するの。

今回の二件については、自身の地位(高校剣道監督/巡査長剣道5段)を守るために起こったのではないか。

段位や地位は上がったのだが、人間としてはどうだったのかな。

そんな数字で人の価値(表現が思い付かない)が上がるわけではないという例。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.19 )
日時: 2015/02/04 03:26:27
名前: てゆっか 

理解不能デス
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.20 )
日時: 2015/02/04 07:30:26
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To palmssurf☆さん

>「高段者の驕り」⇒「高段者であるが故の驕り」と訂正させてもらいます。
>尚、この高段者とは、最近犯罪を犯した2名を指しております。

いずれにしても納得がいきません。
この二人が「低段位」であったとするならば、これら犯罪は起きなかった、とおっしゃる
のでしょうか?

私はあなたの「個人の資質」なのだという意見には賛同しますが、このご意見には断固反
対いたします。
これら二人は剣道によってなんら正しい行動規範を学ぶことが出来なかった。
そこが問題なのであって、段位の高い低いは関係ありません。

もとより剣道の段位と人間性は何ら関係がありませんのでm(_ _)m


このトピとは何ら関係ありませんが、あなたの書き込みを見て、拙サイトにお出入り禁止
になった「ある人」のことを思い出しました(^^ゞ
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.21 )
日時: 2015/02/04 09:05:47
名前: ずんべらぼん 

palmssurf☆様

文章力なく、その上長文となり申し訳ございません
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.22 )
日時: 2015/02/06 21:23:21
名前: palmssurf☆ 

hn一貫して椰子波星です。
書き込むmachineに応じて表現を変えておりますが、
自演等一切していないつもりです。

さて、剣道に限らず段位、地位が上がるに従って、
人間性が変わってしまう方は間違いなくいらっしゃいます。

善悪其々、その立場ににふさわしい人格にです。

その域に達したと思われる彼の二人は、
潔く自身の犯した事実を認めませんでした。

前者の事故の場合、早い段階で救命措置をとっていれば、
命を失なうことはなっかったのかもしれません。

事件を起こした当時の両者の人格を形成する要素に、
彼らの立場が全く反映されていなかったのか。

剣道というジャンルに特定した意見ではないのですが、
彼らは剣道家(しかもプロ)でしたね。

世間から「ああ、剣道やってる人だったんだ。」
などと思われたくないんですよ。

しっかりしてください…

そう、アクキンでしたね。
では、おやすみなさい。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.23 )
日時: 2015/02/08 12:48:47
名前: フローラ 

和歌山の例の事件も剣道をやっていた人の犯行だったようで・・・
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.24 )
日時: 2015/02/10 03:11:05
名前: 姪ドキッ茶。 

剣道やる以前の問題だよね
普通の人はこんなことやりません
まあ剣道は他の競技と違って人間形成できるっていう考えも違う気がします
なんか他の競技を見下してる感じが
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.25 )
日時: 2015/02/11 02:06:46
名前: G流剣士 

私も、姪ドキッ茶。さんの発言に、同感いたします。

また、私は「個人の資質の問題」と断言致します。



剣道を行っている者としては、当然ながらこのところの事件に対し強い憤りを覚えました。
断言出来ませんが、彼らは剣道を行っていたから、教員に警察官になったという側面は
少なからずあっただろうと思います。

しかし、剣道を行う者以前に、剣道人以前に社会人であるのです。また、剣道のプロなど
そもそも存在しません。もちろん、限りなくそれに近い立場の先生もいらっしゃるのも重々
承知の上ですが…。



また、私も剣道だけを特別視すること自体に、強く違和感を覚えます。
剣道の理念として「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」と定められていて、
「剣の理法の修練」が手段として有り、目的として「人間形成」が有るのは文面から理解して
います。

ですが、それはそもそも「剣道」に限った事でしょうか?
剣道、武道に限らず、その他スポーツ、競技において、そういった目的はないのでしょうか?
「剣道は、他とは違う。」と思う事が、私は剣道人の驕りであると思います。

私も全ての競技、スポーツを理解把握しているわけではないのですが、各種競技の定款の目的に
は、「人間形成」とほぼ同意義の「心身の健全な発達」「心身の健全な発展」という言葉がよく使
われております。

ですから、私は「剣道の理念」は正しいと思いますが、特別な理念を掲げているとは思いません。
少し話がずれてしまう部分もあると思いますが、カーリングの「カーリング精神」、ラグビーの
「ノーサイドの精神」などは、その競技を手段とした「人間形成」の一つの方法がより具体的に
明確に示されているのではないでしょうか?


それから、私も試合が剣道人の質の低下を招いているとは、まったく思いません。
ずんべらぼん さんの揚げ足を取る気など、毛頭ないのですが、「一気に興奮状態まで感情を持ち上げる」と
いう訓練、「アクセルを踏みながらブレーキ」という言葉に私はとても違和感を覚えました。おっしゃる通り武道が
伝えるべき心の有り様は「平常」であると思います。各道場において、指導の上手い先生、下手な先生がいらっ
しゃると思いますが、人間形成、競技の両面から見ても「興奮状態」ではお話になりませんので、そのあたりは
指導されているように私は思いますが…。いい意味での緊張感は必要だと思いますが…。
また、ずんべらぼん さんの文面では「みなぎる気迫」と「謙虚で礼儀正しく」が相反するように書かれていますが、
それはまったく相反していないのではと私は思います。



最後に、私は剣道が特別な存在だとはまったく思っておりません。武道として奥が深く年齢を
重ねても稽古が出来る。年齢を重ねても強い先生が沢山いらっしゃるという点では特別な物だと
は思っていますので、これからも剣道を続けていくでしょう。
その中で剣道人の端くれとして、今現在は少年指導に深く携わっていませんが、指導する立場に
なった時、「剣道を」教えるのはもちろんのこと、私の場合は剣道を続けてきたので、「剣道で」
物事を伝えたい、教えたいと思います。

「剣道で」伝える事ができれば、その精神は必ず剣を置いたときにでも生きる物であると私は
思います。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.26 )
日時: 2015/02/11 12:23:06
名前: 小池ブルボン栄子 

ブランド意識は鼻持ちならないものだけど、自分のやっている
剣道を誇りに思っての発言とそれをいっしょくたにしていては
意見はずっと噛み合ないよね。これって発言者ではなくて
受け手の資質の問題ですよ。何が言いたいのかを考えて些末な
部分は好意的に解釈してやろうよ。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.27 )
日時: 2015/02/12 16:37:33
名前: ずんべらぼん 

皆さん、有り難うございます。

8流剣士 様

「みなぎる気迫」と「謙虚で礼儀正しく」は相反しないという考え方はわかるつもりです。
私もずっと相反しないと考えてきました。

ですが、「みなぎる気迫」より「平常」を目指すべきという考え方に変化しました。
「平常」というのは24時間同じ心の持ちようという意味での「平常」です。
「気迫も入れないでどうやって勝負するんだ」というのが
現代剣道の稽古や試合ですから、私の考え方が一般的でないのは重々承知の上書きました。
「高段者にならないと不可能」と勝手に限界を決めるのではなく、最初から「平常」を目指すべきだと考えます。


色んな犯罪のニュースを聞く度に、武道が社会の軌道修正に貢献する方法はないのかと思うようになり「現代剣道は今のままでいいのでしょうか?」というお題になりました。
もっと武道が武道として価値を発揮できる方法はないのでしょうか。


「他のスポーツと違い、剣道は人間形成が目的であることが誇りだ」というようなお話は
各種剣道大会の開会の挨拶などで連盟代表者が毎度毎度話すのを見て、私も違和感を持っているのです。
現代剣道の現状が、他のスポーツと何が違うのだという思いです。
現代剣道において武道の精神が空前の灯火の如く埋もれてしまっている現状を悲観しているのです。

つまり、
・勝負などしないことが武道ではないだろうか。
・自分から手を出すことがないのが武道ではないだろうか。
・一切打たずに全て捌いて終わるというのは卑怯なのだろうか。
評価されてはいけないのだろうか。
・剣道形太刀三本目、小太刀三本目の世界観を竹刀剣道で評価される道はないのだろうか
・以上のようなことを子供の頃から直視し考えさせては何故いけないのだろうか

という疑問が消えないのです。
試合という勝敗を決するゲームではこの疑問は消えないと思うようになりました。

先にも書きましたが試合の有用性はあると思いますが、ない方がより武道を伝えられるのではないかと感じてなりません。

「勝負もしない、勝負を避けるのは武術じゃない」と言われてしまうかも知れませんが
武術ではなく武道として昇華するなら「勝負を避け、和す」としたいものだと考えています。

勝敗を捨てて、正しいか正しくないのか、つまり理に適っているのか適っていないのかだけを子供の頃から深く考え求めていける環境はできないものなのでしょうか。
指導者の質の問題に頼るのではなく、制度として変革できないものなのでしょうか。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.28 )
日時: 2015/02/12 18:26:32
名前: 一剣道人 

ずんべらぼん 様

こんなことを言うと、論点がずれていると思われそうですが、
あなたの理想とする剣道だと、非常に「つまらないもの」に
なってしまいはしないでしょうか。

私の見解では、剣道と剣道競技は似て非なるもの。
剣道を修業するための一つの手段に過ぎないということです。

でも、剣道の試合って面白くないですか?
勝っても負けても、やっても見ても面白くて
私は大好きです。
そして、その面白いことを一緒になって楽しむことで
交剣知愛が生まれると思うんです。

試合を楽しむことができれば、意味はあるのではないでしょうか。

メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.29 )
日時: 2015/02/13 08:58:52
名前: ずんべらぼん 

一剣道人様

ご意見本当に有り難うございます。

試合、確かに面白いですね。

でも、試合では知ることが難しくなる武道的面白さに
気づいたら、面白くて面白くてたまらなく抜け出せなくなってる私です。

子供達にも伝えたいのですが、環境も親達も
目先の試合に懸命なので伝える暇もない感じです。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.30 )
日時: 2015/02/14 22:15:37
名前: G流剣士 

ずんべらぼん様

ありがとうございます。
ずんべらぼんさんのNo.4、No.15、No.27の発言、何度も何度も繰り返して読ませていただ
きました。

「勝負を避け、和す」、ずんべらぼんさんのその言葉を読んだ時、私は合気道の故塩田剛三
先生が、ある時弟子に「合気道で一番強い技はなんですか?」と聞かれた時、「それ
は自分を殺しに来た相手と友達になることさ」と答えたという話を思い出しました。
また、それと同時に、剣道の「合気」が頭に浮かんで来ました。


ずんべらぼんさんは、「子供を成長させるための試合の有効性はあるが、剣道にもとめなく
てよい」とおっしゃられています。私はその逆で「試合の有効性」が技術的にも精神的な
成長につながる部分が大きいので、今のままでいいのではと思っています。
もちろん、「勝利至上主義」のみ、それだけでは駄目だと思いますし、勝つ過程の教育、指導以
上に、勝った者に対しての教育、指導が大事なのではと思っています。

半年、一年に一度の稽古成果の演舞と他流と稽古をするだけで十分なのか?試合を積極的に取り
組んだ方がいいのか?それはそれぞれの考え方があっていいと思いますし、私の考えを押しつけ
ようとは思っていません。

ですが、私と考え方が違うと理解したその上で、ずんべらぼんさんのおっしゃられる「武道の精
神」と「試合では知ることが難しくなる武道的面白さ」という物が、私の理解力不足、勉強不足
な部分が多々あるとは思いますが、失礼ですがNo.27だけではその考え方、筋道が理解できませ
ん。


ただ、勝負しない、自分から手を出すことがない、一切打たずに全て捌いて終わる、とい
うのを現代剣道で行ったら、それらは相手に対して失礼なのではないのかと、私は思いま
す。剣道で培った精神として、実生活、実社会の中で、時と場合にもよりますが、それら
が出来れば私は立派だと思いますし、それが「人間形成」の一つの形だと私は思います。

剣道形太刀三本目、小太刀三本目の世界観、おそらく「技を出さずして勝利する」という形の事
だと思いますが、現代剣道の試合においては確かにポイントとはなりませんが、試合を数多く取
り組んでいるから分からなくなる物ではないのでは、と私は思います。


ずんべらぼんさんと私とでは考え方が違うと理解した上で、ずんべらぼんさんがおっしゃる
「武道の精神」と「試合では知ることが難しくなる武道的面白さ」を私は知りたいので、もう少
し説明して頂けると有り難いです。

気長に待っていますので、面倒だとは思いますが、よろしくお願いします。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.31 )
日時: 2015/02/15 14:26:16
名前: 完投 

横からすみません。

ずんべらぼんさんのおっしゃる平常とは昨日も今日も明日も同じ平たんな気持ちの状態ですかね?

私はみなぎる気迫で稽古し、昨日より今日、今日より明日、さらに坂をのぼり
平常心で試し合いにのぞみ、そこで気づいた、教わったことをまた稽古でつかむことにより人間の形成の足しになってゆくのではと思います。

剣道や武道、他のいかなる事でもそれひとつで人格・人間の形成にはならないのではと。

少年期・青年期の勝利至上主義という環境もいずれ良い経験となるように出来ることが望ましいと考えます。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.32 )
日時: 2015/02/15 23:52:28
名前: マクラーレンホンダ 

最初にずんべらぼん氏が
「死生観を学ぶならモータースポーツ等々・・それがどういった人間形成に結びつくのか」
と述べられておりますが、モータースポーツに携わっていた者として一言

別に死生観を学ぶ為にやっているわけではありませんし
もちろん人間形成に全く役立たないわけではありません。

なにか思い違いされているのではないでしょうか。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.33 )
日時: 2015/02/16 02:12:58
名前: だみ声  < >

マクラーレンホンダ さん
このサイトに目を通しておられるのだから、多少剣道にも何らかの経験をお持ちだろうと思いつつ僕の感想を述べさ
せていただきます。(ずんべらぼんさんの記述に違和感がなかったので、同じような感覚の僕だと思っております)

>モータースポーツ等々
   僕もライダーの端くれなので、モータースポーツの取り組みにおいては、一瞬の判断ミスや、誤操作がレース
の継続不可、あるいは衝突事故につながるものと認識しております。
剣道の立ち合いにおいては、判断ミスや誤動作があっても、その一瞬に相手が打ちかかってこなければ「何も
なかった」のと同じと言う側面があります。

つまりモータースポーツなど、自然相手というか物理法則の範囲内で操作することが原則で、原則が崩れた時は必ず
それを原因とする結果が発生するわけです。 だから原則の範囲外の操作はありえないし、事故を含む不都合な結果
と隣り合わせの緊張を強いられます。 という意味合いの事をずんべらぼんさんが比喩として書かれたと解釈してお
ります。

>別に死生観を学ぶ為にやっているわけではありません
   もちろんそうなのですが、一歩間違えれば大変なことになるから、慎重且つ繊細でもあるはずです。そこに死
生観は意識しなくともかなり身近なものではないでしょうか?

>もちろん人間形成に全く役立たないわけではありません。
   どんなことでもその道を深く掘り下げた人には、人間形成が伴うものだと僕は認識しております。
   剣道だけが特別人間形成に役立つ要素を含んでいるとも思えません。
   ただ、それに取り組む時の「精神的概念」に、「剣道の理念」としてはっきり明文化しているのが剣道である
ということだと思います。 だからそれを忘れて「叩く(切る)」ことだけを追求しては片手落ちだぞという
ことではないでしょうか?

逆説的に言えば、明文化せずとも死生観を意識するのは、レーサー、ダイバー、飛行士、ハンター、スタントマン、
紛争地域のレポーターの方が剣道家よりはるかに大きいと言えると思います。
ただし、剣道における相手は、自然界ではなく、ともに学ぶ剣士(人間)であり、真剣を持って対峙することを離れ
て竹刀に持ち替えても、相互の「命」の存在を忘れては単なる「殺人技」でしかないのだから、「剣を通じて学ぶ」
事を忘れるな!!  すなわち剣の道を掘り下げるなら「人間形成」を伴わねばならないのだぞ!ということだと解
釈しております。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.34 )
日時: 2015/02/16 06:27:06
名前: マクラーレンホンダ 

だみ声様

ご意見、有難う御座います。

剣道、モータースポーツ、ともに明快なご説明と感じます。

あくまで剣道情報サイトですので細かく書くつもりはありませんが、確かに死生観を強烈に意識せざるを得ないスポーツであると認識しているつもりですが
「死生観を学ぶ」
為に参加していたつもりは私個人は無かったものですので違和感を感じた次第であります。

無事にレースを終える為、すべての作業に取り組んでおりました。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.35 )
日時: 2015/02/16 10:04:55
名前: マクラーレンホンダ 

すみません、少し冷静になりました。

正直な意見を述べさせていただきます。

カチンときたのは
「それがどういった人間形成に結びつくのか」
という部分だけでございます。

「死生観を学ぶ」は単なる言葉じりですね。
失礼しましたm(__)m
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.36 )
日時: 2015/02/16 12:52:06
名前: ずんべらぼん 

8流剣士様
完投様

ご意見有り難うございます。
私自身再考しつつ分かりやすい表現を心がけたいと思いますので、少しお時間を下さいませ。



マクラーレンホンダ様
申し訳ありません。
気を悪くされるような表現になったようでお詫びいたします。

「死生観」につきまして、私は子供の頃から剣道を通じて色んな先生方からご指導いただきましたが、
「竹刀は刀だ」
「そんな打ちじゃ斬れない」
「刀だったらそんな攻め方は出来ない、命がいくつあっても足りない」
「剣道は本来命を懸けてやってきたものだ。それをよく考えろ。よく考えるのが人間形成につながる」
等々の話をよく見聞きしてきました。

ですが「竹刀を刀だとイメージし、命のやりとりをイメージしても、それがどういった人間形成に結びつくのか」と書きたかった次第です。
他のスポーツを愚弄する意識は毛頭なく、「人間形成」を掲げる剣道自体に疑問を呈した次第です。

だみ声様にもご迷惑お掛けしました。申し訳ありません。




メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.37 )
日時: 2015/02/16 21:01:09
名前: マクラーレンホンダ 

ずんべらぼん様

こちらの方こそ
「カチンときた」
などと失礼な言葉を使い、恥ずかしく存じますm(__)m

まだまだ精進足りずであります。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.38 )
日時: 2015/02/17 12:47:24
名前: ずんべらぼん 

8流剣士様

何度も読んでいただけた事に心から感謝いたします。

このスレを立てたのは、子供達にとってもっと武道が有益となる制度はないものかと考えたかったわけですが、スレとは脱線しますが8流剣士様へ私なりのお返事を書こうと思います。
別スレ「現代剣道と私」と重複する点もございますがご了承下さい。

日本伝統のあらゆる武道の形稽古は本来「相手がこうしたら、自分はこう動く」といったものではなく、
体の構造や物理的な結果として、勝手にそうなる動きを自己研究するための先人からの問題集だと考えてます。
たとえば、「振りかぶる」という動作でも極力勝手にそうなるように錬っていかねばなりません。

1.正しく立つ(現代は、これさえ全く稽古されない)
2.そこから脱力をきっかけに重心移動が始まる、
3.重心移動は位置エネルギーが運動エネルギーに変化することですが、この運動エネルギーが全身の関節を波のように体の末端部に向かって順番に伝わっていく

この1.2.3.をつかって、立ち上がる、座る、歩く、振りかぶる、振り下ろすなどのあらゆる動作が出来ないといけないわけです。

いちいち気迫を込めて動くのではありません。

箸の上げ下ろしでさえ、剣の抜刀と同じ原理で動くということです。
日本の所作礼法は、これを一日中稽古できる内容になっており、すごいの一言に尽きます。

そういうことをほとんど捨て去ってしまっているのが現代剣道と感じています。

このような稽古よりも、切り返し、打ち込み、懸かり稽古、試合稽古というように
体力筋力を向上させる激しい稽古が、また、この激しい稽古に耐えられる子供ほど心身ともに強くなることが出来ると考えられているように思います。
勿論、私もそう考えてきましたし、そうしてきました。


でもそれは、例えば、バイクを速く走らせるという目標に対して、バイクに乗る技術を徹底して錬る前に、バイクを改造(整備ではなく)してしまうことと同じだと考えます(体はバイク、心が運転手と仮定)。

この方法では先天的な体力差、体格差、筋力差は超えられません。
超えようとすればするほど、ある強さを得られますが壊れやすくなります。
運良く壊れなくても、このような動きは短期間しか維持出来なくなり、老いれば違う動きを模索することを余儀なくされます。

「歳になったら1つや2つ故障を抱えているのが当たり前。その故障と付き合いながら努力するのが修行」なんて間違いで、理に適った動きは故障などしないと考えております。

ですから、一見して激しい稽古をするにしても「いかに正しくラクするか」を考えて行うべきだと思っております。
ですから激しい稽古を数多くやることを目標にしても何の意味もありませんし、悪癖を強化するだけのことになります。

「歳をいけば体力筋力が落ちるから若い頃から打ち込み、切り返しを数多くやりなさい」ともよく言われます。

でも、本来の武道は日常生活が送れるだけの体力があれば達人にもなれる技術だと思うようになりました(確信しています)。

はっきり申せば立ち方そのものが、もう技でなければならないのです。
ですが、立ち方そのものなんて稽古しないのが現代剣道です。
構えは立ち方そのものが錬られなければ精度など上がらないはずのものなのですが。

もう一つ例えを。
机の上にある防具の入った防具袋を頭の上まで何度か持ち上げてみてください。
つぎに、背筋を伸ばし、アゴを引き、鼻筋を垂直にし、肩胛骨を背骨に寄せて、肩の力を抜き、腕を短く使う気持で何度か持ち上げてみてください。
後者の方が明らかにラクなはずです。
簡単な実験でもこういう具合ですから
もっともっと正しく立てば、もっともっとラクになるのです。
全人生かけて錬っていけるのです。

でも現代剣道は、後者をやってラクするより、体力筋力アップして姿勢の悪さを土返してしまう方法を採ることが圧倒的に多いと考えてます。



無駄な力をどんどん抜いて、立ち方がどんどん理に適えば、当然の事ながら、脳の働きもどんどん良くなってきます。

そうなると心は、偏りなくどんどん穏やかになり五感が研ぎ澄まされるようになっていきます(「みなぎる気迫」は五感の邪魔になるという感じです)。


さて、以上のことを現代剣道の試合の中で子供に教える環境が残っているのだろうかという疑問が私にはあります。

ほんとうに試合指導で子供に伝えられるのでしょうか。

少なくとも毎週末の如く遠征や試合に熱心であればあるほど、これらをしっかり伝えていると感じる道場を私自身は未だに見たことがありません。

ライバルに対抗した試合運び、流行の技の対処法の研究なんていくらやっても理に近づくことなどないと思っています。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.39 )
日時: 2015/02/17 12:50:54
名前: ずんべらぼん 

完投様
>「平常とは昨日も今日も明日も同じ平たんな気持」

そういう考えではありません。
何を行うにも同じ心の有り様を目指すという意味です。

8流剣士様にも書きましたように、どこにも偏らず穏やかであればあるほど五感が研ぎ澄まされていくという感覚です。

五輪書の水の巻の「兵法心持の事」に書かれている「常の心」です。

「昨日より平常、今日より明日はもっと平常」となるよう感覚を研ぎ澄ませていくことが稽古だと考えてます。

「感動もしない、面白くもない悟りの世界」ということではありません。

>いずれ良い経験となるように出来ることが望ましい

そうですね。

でも「いずれ良い経験」ではなく、何故良いのかが分かる経験を早くから経験していいと思ってます。

勿論、指導者が「昔から良いと言われてるから」としか説明できないようなレベルでは何故良いのかが分かる経験などできませんが、案外受け売りの指導者が多いのも実情です。

そうなると良い経験になるかどうかは博打なのです。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.40 )
日時: 2015/02/18 14:31:44
名前: 完投 

ずんべらぼん様

「平常」について、理解しました。
少し違うかも知れませんが双葉山関のいう「木鶏」でしょうか。

少年期から横綱の心の部分を理解させようとすればそれは理想的ですが・・・

博打とのお言葉ですが、いくら指導者が努力し、考え、それをうまく伝えられた、と思っても
やはり全ての受け手が正しく理解してくれる事とは思えませんので伝える事も一種博打なのでは・・・

ずんべらぼんさんがどのような道を選択されるかはもちろん自由ですが失礼ながら何か囚われすぎているのではと、迷い込んでいるように感じます。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.41 )
日時: 2015/02/18 15:47:49
名前: ずんべらぼん 

完投様

有り難うございます。

「木鶏」。
双葉山さんの相撲等をあまり勉強してないのですが、
同じような意味だと推測します。

そうですね。
現代剣道の常識とは、かなり違う考え方になってるのは強く自覚してますので、自分から進んで意見を発信するのはもう辞めようと思います。

身の回りの小さな事からじっくりやっていきます。

有り難うございました。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.42 )
日時: 2015/02/21 23:44:58
名前: G流剣士 

ずんべらぼん様


返事遅くなって大変申し訳ございません。ご回答有り難うございました。

別スレ「現代剣道と私」も併せて読ませていただきました。身体の使い方について大変興味深く、
ずんべらぼんさんのおっしゃられる「武道的面白さ」を理解することが出来ました。私自身、勉
強になる所が多く、プリントアウトして読み返しながら、自身の剣道の動き、身体の動かし方を
再確認し、向上につなげたいと思います。

ただ、ずんべらぼんさんの言葉を打ち消すような事ばかりで申し訳ないですが、私は「合理的な
身体の動かし方+お相手への対応力」で理合だと思いますので、試合に熱心であればあるほど理
を教わっていない、理に近づけないとは思いません。

子供に限らず実力が拮抗した者同士が、対すれば、お互いに崩れる部分があるので合理的な身体
の動かし方が出来ない所(やらせない部分)が多くあると思います。試合だけ見ていては分かり
づらいですが、試合前の技の稽古等見ていますと、強豪と名の通っている道場の子供達は、その
年齢、体格、レベルの中で合理的な動きをしているように私は思います。


ずんべらぼんさんの考えられている事を全て理解できたわけではないですが、私なりにその考え、
拘りを理解する事が出来ました。また、ずんべらぼんさんも私の考えている事、拘りをずんべら
ぼんさんなりに理解して下さったと思います。

最後にお互いに考えている事は違えども、剣道を研鑽する事には変わりはないと思いました。
有り難うございました。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.43 )
日時: 2015/02/22 06:36:19
名前: 三七式ヨシ 

三七式ヨシと申します。

最初に、清廉潔白な者ではないこと、修行の段階で思いついたことを書き込みますが、こうではないかなという思いはあるものの、すべてを自得している訳ではないことをお断わりしておきます。

私の恩師からは「間違いを注意し、良い方向に導こうと教えることはできるが、私は君たちを直してやることは出来ない。本人が気づき、直す努力をしなければいつまでも修正できないか、悪化する。」とよく仰っていました。

剣道の理念である「剣の理法の修練による、人間形成の道。」ですが、どんなに苦しい稽古をしても、人間形成に直接繋がるかと言えば疑問符が付きます。

全国区や、各県において上位にある学校の生徒は、全て素行が悪かったり、礼儀をわきまえていないかと言えばそうはではないと思います。

また、犯罪は剣道をしていようが、他のものをしていようが何もしてなかろうが、一般常識があれば犯してはならないことは自明の理です。

「剣の理法の修練による、人間形成の道。」とは、実技の稽古だけでなく自分に係る人間(剣道の指導者だけでなく)から良い所は学び、悪い所はマネしないようにしたり、先人の書いたものから学び取っていく中で自得していくという意味があるのではないかと思います。

なお、指導に当たっては勝敗のための技術論のみでなく、礼法とはなにかなど発信する事は大切だと思います。


武道の武は矛を止めるの意味があると聞いたことがあります。

強さとは何かと言うのは非常に難しい問題ですが、技量を上げたとして本番に使えねば無意味です。

気迫、相手に負けない心があってこそ、技が生きると思います。

気迫を練るためには、外に出すことから始め、内に収めていく方が習得しやすいのではないでしょうか。

また、形稽古なども重要ですが、相対するお相手が異なれば、癖や技法が異なり、自分のやり方が通じるかと言えばなかなか思うようにいかないものです。

取る、取られば負けるというのをより真剣みのある試合で試すのは有意義と思います。

ただ、勝敗の結果が本人の評価にどのように反映されるかや、試合数の多さなどには配慮が必要と思います。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.44 )
日時: 2015/02/22 12:03:20
名前: 一保護者 


「試合抜きでは、上達できない。」

武道の指導者としてそれでいいのかね?

現状がそれだから数々の不祥事が起きているのでは?

武道なら武道として教えるべきだし、違うのなら武道といわないほうがいいだろう。

どんなに屁理屈を並べたところで一般からは見透かされている。

裸の王様そのものですな。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.45 )
日時: 2015/02/23 00:31:51
名前: 三七式ヨシ  < >

三七式ヨシと申します。

一般保護者様へ

見解の相違があり、屁理屈の上乗せにしか感じられないと思いながら追記します。

試合は経験した者にしか分からない緊張感がありまあす。

剣道は、刀を意識して稽古するようにとの言葉を耳にされたことがあると思います。

これは、鎬を使う(すりあげなどの技)など刀の形状による使い方、手の内の操作に関するものと、切る、切られるを
意識して、一本ごとの打突を大切にするという意味などが含まれていると思います。

「しっぷうどとう」と言う漫画に、主人公が真剣で稽古する場面があります。

実際、剣道では命のやり取りはしませんが、ある意味覚悟をもって稽古する事は大切です。

私は、市の大会で東西対抗戦や、県内の郡市対抗戦に参加させて頂きますが、通常の稽古より一本の重みを感じること
ができ、勝敗に限らず日々の稽古の糧になります。

実際、小学生から大学、一般に至るまで、試合に勝つための稽古が主となっている方々もおられます。

勝敗、試合の成績により進学にも影響を与える事もあるようです。

私の恩師は、「試合とはどの段階に自分がいるか確認するためのもの。」とおっしゃっていましたが、目的と手段が入
れ替わっているのは大変悲しい事だと思います。


大学卒業後、一番最初に入った会社の研修中、「やらずに言うな。自分が実行してから言いなさい。」を口癖にする上
司がいらっしゃいましたが、ある大会後に、子供の成績に腹をたて、感情をあらわにしている指導者に「来年の市の大
会で、自分が試合してその姿を子供たちに示してやれ。」と言ったところ、急におとなしくなってしましました。

試合では普段の稽古にできていないことはやはりできず、出来ていることが出来なくなるものです。

「打って反省、打たれて感謝」は若い時分にはなかなか分からないものです。

私は、試合では勝つことよりも、負けた時に多くが学べると思います。

試合をしなくとも上達はすると思いますが、試合により気づくことも多いと思います。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.46 )
日時: 2015/02/24 13:36:59
名前: ずんべらぼん 

8流剣士様

有り難うございます。
いえいえ、私の考え方が一般的でないことは百も承知ですので
感じたことを率直にご意見としていただけて感謝しております。

>「合理的な身体操作+お相手への対応力」

そうなのですが、分けて考えるべきではないと考えてます。
私は身体構造と物理法則に従うのが理合と考えていますが
身体構造とは自分の体だけでなく、もちろん相手の体も含むのです。

私が感じているのは
・武術的身体操作「静止状態→脱力で始動→流れをつなげていく」
・スポーツ的身体操作「静止状態→筋肉に力を込め始動(これを繰り返す)」
ということです。

ですから根本となる「正しい姿勢」の考え方も全く違うわけです。

武術的身体操作では、たとえば、「手応え」ですが、これは自分自身の勢いが自分に返ってきてしまっていることと考えるわけです。

「手応え=反発」という意味です。

バックリと面が打てても手応えもビシっとあるなら、自分の力が自分に返ってきている証拠です。

真に流れが生み出され、途切れることなく流れ続けさせられれば、その流れは相手にも繋がり、浸透し、
手応えなく終わるはずと思って稽古しています。

逆に、相手からの流れにも逆らわず手応えなく終わらせるわけです(後の先はこれですね)。

和とか繋がるというのはそういうことだと実感しています。

「それは合気道だ。剣道じゃない」と言われてしまいそうですが、
本来の武道の目指す極みは全く同じであると考えています。

私自身は新たな師に出会い目の前がバーッと一気に明るく広がりました。

皆さんとのやりとりにより、文章であれこれ書いてみても何も始まらないことが自覚できましたので、
このスレッドを最後に自分からの文章での発信はやめようと思います。

まずは自分自身の研鑽と身近な子供達にどうやって伝えていくべきか考えて参ります。

8流剣士様、お互いに良き剣道人生にいたしましょう。



三七式ヨシ様

いつもご意見有り難うございます。感謝いたします。

三七式ヨシ様がおっしゃることは試合ではなく、立会演舞だけでも
十分じゃないでしょうか。

私個人としては、京都大会の立会演舞は好きなのですが、
審判がなかったらもっといいのにと思うわけです
(範士だけが審判なしってのも偉そうに感じますが)。

一本有りで一々立会を中断させるわけですから、
審判に「第三者がしゃしゃり出てくるな」という気持にさえなります(笑)。

漫才コンテストみたいなもので第三者が優劣判定などしたところでどうなるの?という思いです(笑)。

立会は二人の作品であり、見応えがあるかどうかが観客の関心事になれば十分です。

いわば、ジャズやブルースの即興演奏のように立会を見て感じたいわけです。

ヘタでもいいから二人の作品を見たいわけです。

実力が拮抗すれば、先に動いた方が打たれるというような緊張感ある見応え。

実力差があれば、上位の者がどういうリードをするのかが見応えとなるはずです(こういう見方をされれば上位者も手抜きできない)。

勝敗を決することが目的となる試合は、見応えのない試合、がっかりな決勝戦なんて山のようにあるわけで、
それでも旗が上がれば優勝と称えられる世界が試合です。

周りの大人も雑誌も内申書も優勝者を持ち上げる。
子供なら勘違いして当然だし、至って自然なことだとおもっています。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.47 )
日時: 2015/02/24 14:16:24
名前: ずんべらぼん 

一保護者 様

ご意見有り難うございました。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.48 )
日時: 2015/02/26 00:02:22
名前: 三七式ヨシ 

三七式ヨシです。

試合の件についてですが、従前にも書き込みましたとおり、試合をしなくとも進歩はある
と思っています。

私は、試合も稽古の一環としてとらえています。

経験上、互角稽古は自分の攻めにより機会を作り打突につなげることを優先し、打たれる
ことはある程度犠牲にするほうが、打たれることを意識して防御に回るより上達が早いと
思いながらやっています。

しかし、試合ですと打たれれば負けるため、先の先、後の先への意識が互角稽古以上に重
要になります。

ずんべらぼんさんのおっしゃるように、立ち合いは立ち会っている本人同士の間に他者が
入るべきではないというのも一つの考え方だと思います。

しかし、試合を他者から判定して貰い、自己の研鑽に生かすことも大切だとおもいます。


私も、道場で子供たちを指導し、審判もします。

自分の試合で明らかに誤審と感じたことも多々あり、また、自分が審判員のとき他の審判
との判定が異なったり、誤審ではなかったかと思う事もあります。

しかし、誤審に至ったにはそれなりの理由があると思います。

打突は早かったけど、打ちが軽く感じられたとか、当たっていたけど体制が崩れていたと
か。

もっと直接的には、審判員と選手との角度や距離、光の加減など物理的なこともあります。

昨年の秋の試合で主審をしていたとき、副審と二人で旗を挙げ一本を宣告しました。

審判席に戻り、旗を上げなかった副審から「弦が回っており、刃筋が通っていないため、
旗を挙げませんでした。」と理由を聞きました。

試合中に合議がかかれば取り消しになっていたでしょ。


昨年、郡市対抗の選手となり、2試合に出ましたが、2試合とも有効打突は上げられません
でした。

気持ちばかりあせり、攻めきれていないのに打って出たため、引き分け狙いのお相手に見
すかされ避けられてしまっていたからです。

後、若いうちは負けた悔しさをバネにするとか、大会での上位入賞や、全国大会へ向かう
事により苦しい稽古を耐える糧とするなどもあるのではないでしょうか。



自分の指導する子供たちの試合を指導に生かすにはと冷静に見られるようになったのは、
40代を過ぎてからでしょうか。

それまでは、私も勝敗の結果の方が気になっていました。

ここに至れたのは、年齢を含む経験あればこそと思います。


かの宮本武蔵は60余度の試合に勝ったそうですが、負けるとわかる相手とは勝負を避けた
からと言われることが有ります。

孫子に「自分の力と相手の力を知れば百戦危うからず。」とあります。

でも、それを見切るのは容易なことではありません。

現代とは違い、見切れなければ命を落とす時代です。

武蔵も名を上げるためには、そこそこの武芸者と立合う必要もあったでしょう。

見切れるようになるにはそれなりの経験を積んだのではないかと思います。

試合のやり方や、試合結果の評価については従前の記入の通り疑問があるものの、本人の
技量向上のめには試合は効果があるものと考えます。


Hide先生へ

団体戦ですが、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将でそれぞれのトーナメント(リーグ戦との
組み合わせでも)を組み、勝ち点により団体戦の勝敗を決めるという案はどうでしょう。

そうすれば、団体戦としての駆け引きが減り、1戦ごとの積み重ねが重要になるのではない
でしょうか。

毎度、長文になることをお詫びします。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.49 )
日時: 2015/02/26 07:27:08
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 三七式ヨシさん

管理人のHide.です。

>団体戦ですが、先鋒、次鋒、中堅、副将、大将でそれぞれのトーナメント(リーグ戦と
>の組み合わせでも)を組み、勝ち点により団体戦の勝敗を決めるという案はどうでしょう。

トーナメントはしておりませんが、個人個人の成績が団体に反映されるというのは、体操
競技のような感じでしょうかねぇ。
でも、そこまでして団体戦を改革する必要もないと考えます。


ここまで拝見してまいりましたが、私は試合をそこまで毛嫌いする必要もないと考えてお
ります。剣道という大きな山の中にあって、試合(競技)というのはごく一部でしかあり
ません。試合や勝負に拘泥することも、大きな山の登り方のひとつです。
その道を通るもよし、試合という登り口を経験せずとも、山の頂を目指すことも可能です。
それぞれが剣道に「なにを求めるか」に関わってくると考えます。


個人戦には個人戦の、団体戦には団体戦の戦い方があります。
「逃げる」という行為は「公明正大に」という試合審判規則に反しますのでNGですが、そ
れ以外の「かけひき」は試合の面白さを作る「要素」だと思います。
うちの剣友会では、子どもの月例試合を行ってきましたが、一昨年から有段者月例試合を
はじめました。初段から七段までが戦います。段位によるハンデ戦です。実に面白いです
よ。だからといって、個人の取り組みが悪くなったかというとそんなことはありません。
むしろ、試合を経験することで、「一本(有効打突)」に対する意識が高まり、日頃のお
稽古にもいい影響が出ています

一方、毎週日曜日のお稽古では、1時間の形稽古に取り組んでいます。有志は一刀流にも
取り組んでいます。形稽古を竹刀稽古に応用するところまでは行ってませんが、皆さんの
意識は高まっています。


指導者として「どのようにアプローチさせるか」という工夫が大切なのではありませんか 〜☆
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.50 )
日時: 2015/02/26 11:20:00
名前: 長幼の序 

主題の問いに対して言える事、それは剣道に携わる方々のそれぞれの考え方次第と言う事。
冒頭にある事件等によって、それぞれがどの様に受け止め、自身の剣道観に活かしていくかが最も求められる所ではないでしょうか。

そういった意味では、現行剣道の理念、修練の心構えという基盤は無くてはならないモノと考えます。

試合も大きくは稽古の1つです。
剣道が広く競技として成り立っている以上、スポーツとしての側面も含んでいる、むしろその側面が大きい時期も有る事を認識すべきです。
時代の流れを踏まえつつ 剣道に携わる先師の方々が作り上げてこられた現行剣道です。
要は、そこから何を得るか?と言う事では、ないでしょうか。
勝負にとことん拘った先に有る何かを学ぶことこそ大切では。

逆にそこを廃し、やや偏重したかの如くなるのも如何なものでしょうか?
理想としては、両方の良い部分をしっかりとバランスよく理解する事と考えます。

とはいえ、そこも含め、現行剣道をより良いモノのしていくのは、皆さんの真の心の中にあると信じます。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.51 )
日時: 2015/02/27 00:43:25
名前: 三七式ヨシ 

三七式ヨシです。

Hde先生、長幼も序さん書き込みありがとうございます。

自分なり研鑽を深め、少しでも高いところに登りたいと思います。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.52 )
日時: 2015/02/27 07:15:01
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 三七式ヨシさん

犯罪を犯す云々は個人の資質としても、今の剣道の混乱を招いているのはやはり高段者で
あることは間違いありません。

高段者がお相手に対する「引き立て稽古」をすることなく、「打たんかな」のお稽古をし
ているのが現状です。面を外した後も、段位を笠に着て横柄な言動をされる方が少なくあ
りません。
故に「剣道の高段者≠人格者ではない」となり「剣道をやっても人間形成にはつながらない」
というのが「定説化」してきてしまっている。
そこがずんべらぼんさんの問題提起の根源だと考えます。


>現行剣道をより良いモノのしていくのは、皆さんの真の心の中にあると信じます。

という長幼の序さんの言葉は最もですが、それを一番意識し「剣道を魅力的なもの」にし
ていくべく私も含め高段位をもっておられる方々に努力していただきたいと愚考する次第
ですm(_ _)m
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.53 )
日時: 2015/02/27 07:50:36
名前: 三七式ヨシ 

三七式ヨシです。

Hide先生ありがとうございます。

前述しましたが、「よいものは見習い、悪いものは反面教師。」として研鑽していきたいと思います。

来年の秋の名古屋審査から七段の受験資格が得られ、目下鋭意努力中です。

剣技だけでなく、後進に後ろ指をさされぬようになりたいと思います。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.54 )
日時: 2015/02/27 17:29:16
名前: ずんべらぼん 

三七式ヨシ様

ご意見有り難うございます。

宮本武蔵のお話の部分も、面白く、興味深く拝読させていただきました(^^)。

脱線しますが、私としては武蔵の60回以上の試合は、公式戦のことだろうと推測してます。

しかし、名声を上げようという者、武蔵に負けた者の弟子達などからは
四六時中 辻斬りに会う危険を伴っていたはずだと思うわけです。

こんな状況で、いちいち気迫を込めてからでしか戦えない方法をとっていたのでは、生きていられなかったはずだとも考えてます。

そんな中で60回以上も命を伴う公式戦をやったわけですから、かなりの変人、超変人であったこと想像に難くありません(^^)。

でも、「これではダメだ」と自分の変人ぶりに気づいて試合をやめてからの修練が、武道に繋がって、私の大好きな五輪書があるのだと感じています。


話を戻します。
私は、現代剣道は試合偏重に過ぎると考えています。
ですから試合の有用性より、試合による弊害の方が気になっているわけです。
でも、このスレッドで、もう誰にも止められない列車だと知ることが出来ました。

有り難うございました。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.55 )
日時: 2015/02/27 17:35:12
名前: ずんべらぼん 

Hide.様、長幼の序様

ご意見有り難うございます。いつも長文失礼します。

Hide.様のように「試合は剣道のごく一部」ということを徹底している道場や学校は素晴らしいと思います。非常に楽しそうですね。

でも現実は、そういう道場や学校ばかりでなく、越境あり、試合戦績優秀なら推薦入学有り、

剣道戦績で大学や就職先の進路が得られるから学業そっちのけで稽古し指導者も毎週の如く遠征や練習試合を組む等々、
試合偏重となる原因が多々あるのに目をつぶる現状は本当にこれでいいのでしょうか、
これで本当に武道として健全な子供が育つ環境なのかと思い、問題提起しました。


私の場合、どの試合会場に行っても「試合偏重に過ぎるのではないか」と感じる道場や学校を必ず目にします。

私の母校の公立中学校の剣道部の部外での遠征や試合数は、年間60回以上です。

私の中学時代の3倍近いですね。土日祝日毎に全国各地を飛び回っております。


現代剣道の最前線とも言っていい警察特練の選手が、一般参加の試合に参加して一般剣士に引き分け、特練監督のメンツをつぶされたということで、
なんとも酷い形相で叱られている風景も二度見ました。

特錬関係者によりますと一般剣士に引き分けても負けても、もの凄いしごき稽古が待っているそうです。


でも、そうなっても何の不思議もありません。
世界大会で日本が負けた時、「試合は剣道のごく一部」などという雰囲気など全くなかった全剣連が運営する現代剣道なのですから。

現代剣道は「試合は剣道のごく一部」であるはずなのに戦績が異常に注目されていませんか。
現代剣道は「学生の試合戦績は人生の進路を左右する」になってはいませんか。


だみ声さんのご意見と同様に、戦績の良かった者ほど武道の精神から外れやすい危うい環境にあるようにも感じます。


でも、Hide.様や長幼の序様も試合偏重による弊害はないとは言わないまでも、
結論としては、現在の試合偏重となってしまう原因は指導者の心や質の問題であり、
制度改革する方法はなく必要性も特にないというご意見なのだと思います。

私は、指導者の心に委ねるだけしかないとは思えず、試合数や遠征等の制限、戦績と進路が結びつかない制度など、
試合偏重に陥らない制度改革は出来るのではないかと考え、
そうしてこそ子供達にスポーツでは得られない武道の心を伝えていける剣道界全体になっていけるのではないかと思っていました。


ですから敢えて極論である「試合など要らない」と主張した次第です。
(私個人としては本当に試合など要らないのですが、もはや現代では極論であることは理解しています)



でも、ここで問題提起させていただいて、試合偏重となりうる原因を取り除くための制度改革等々を
剣道界全体で考えていくことは絶望的だということを自覚しました。


今後、剣道に打ち込んだはずの若者が犯罪を犯したニュースを見ることになっても、
「何か剣道界全体で出来ることはないのか」と考えるのではなく、
残念ではありますが、指導者の皆さんが個人個人で考えてくれることをお祈りするしか手段はないのだと分かりました。


剣道界全体を案じるなど、身の程を超えたことを考えず、
Hide.様や長幼の序様がおっしゃられるように、
私自身の身の回りのことをコツコツやることに専念いたします。

それしか私の道はないと確信できました。

いえいえ、いじけたり悲観的になっているのではありません。
ドン・キホーテのごとく拘ってみても進むべき道は明るくならないと分かりましたので
むしろ、前向きに、あっさり捨て、新たな道を探すことができます。

幸い、新たな師に出会いましたので、目標を高く持って行けそうです。
大きな夢に向かって邁進して参ります。

また一つ大きな気づきを得られ、感謝しております。
皆様、ご意見、本当に有り難うございました。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.56 )
日時: 2015/02/27 23:41:51
名前: マクラーレンホンダ 

ずんべらぼん様

みなさんは試合は剣の道の研鑽のひとつ、と言ってらっしゃるのではないのでしょうか?

確かに戦績を異常に気にする時もあると思われますが
その果てしなき道程からすればそれはほんのひと時と私は思います。

どちらかと言うとそのほんのひと時の時間を経験できることは剣の道には良いことと捉えたほうが。
そのことが研鑽なのでは。

生かすも殺すも自分次第。
いかなる経験も他人のせいにするか自分の責任と思うか。

生意気お許しください。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.57 )
日時: 2015/02/28 08:45:30
名前: ずんべらぼん 

マクラーレンホンダ さま

ご意見有り難うございます。

早い子供ですと幼稚園時代から剣道を始め

小学生から遠征が始まるところも多々あります。

そこから戦績トップクラスなら30代半ばまで
試合が最も身近な目標となる若者も多いかと思います。

事件を起こした若者もその年齢の中におります。

でも、仕方ないことなのだと分かりました。

有り難うございます。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.58 )
日時: 2015/02/28 10:01:09
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To ずんべらぼんさん

こうした意見が、掲示板に載ることが肝要なのです。
剣道界はたいへん風通しの悪いところです。段位が低いと、たとえ正論であってもなかな
か物が言えません。

制度としての改革ができないかもしれませんが、ここには書かなかったのしてもずんべら
ぼんさんのお考えに賛同し実践しようという人が一人でも二人でもいれば、それは無駄で
はありません


私が師範をさせて頂いている剣友会は、出る大会は絞っています。
年間対外試合数も区民大会と区内のスポ少の大会を含めて10あるかないかではないでしょ
うか。ひと月に1試合もないくらいですね。まぁ、区の特練に選ばれている子どもはもっ
と出させていただいてますが、それはこちらのあずかり知らぬことですが(^^ゞ

指導者は、案内が来たところ全てに参加するのではなく、出る大会を選ぶことも必要です。
大会は稽古で取り組んできたことを試す場であり、そこで出てきた課題を稽古で修練して
いく必要がありますから、毎週毎週大会というのでは「単なる消化試合」になってしまう
可能性が高いですし、保護者たちも結果のみに目が行き「勝ち偏重」の気風が生じ安いと
考えます。

あ、これは指導者も同じですね。
「試合に出ること(出すこと)」が目的化し、そこで成果を上げることにのみ拘泥するよ
うになってしまいがちでしょう。課題にじっくり取り組む時間がありませんから、口だけ
の指導になる。子どもが自分の言った通り出来ないと感情にまかせて怒る。こういう図式
が出来上がります。

試合は「いらない」のではなく稽古の糧として上手に利用する事こそ大切なのですd(^-^)!


ちょっと脱線してしまいましたが、逆説的に言えば、試合をせず試合にこだわらない剣道
をされている方が全て「武道的」というわけでもなく、また、そうした方々が全員「人間
性の構築」に努力され素晴らしい人格を修行されているとは言えないのではありませんか?

幼少の頃から試合試合で戦ってきた剣士の中にも素晴らしい人格者は多数おられます。
あまり試合を毛嫌いされませんようお願いしたいものです 〜☆
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.59 )
日時: 2015/03/01 17:04:46
名前: 一保護者 

小学生から一般の試合を見てきたが、あれで武道の研鑽としてといえるのかね?

競い合っているのは、一本という名のポイントだろう、スポーツのゲームとどこが違うのかね?

試合がなくとも武道として成立するが、理念をなくしてしまえば、もう武道とは言えない、他のスポーツと変わらないだろう。

柔道は武道ではないと批判しているが、試合のポイントが柔道が細分化されているだけで、剣道と決定的な差はないだろう。

試合擁護の屁理屈を展開するよりも、武道の指導者と名乗るのであれば、武道として成立するだけの競技とするための努力をするのが先ではないのかね?

武道として万人に認めれれて初めて試合がその一部となるのであって、そこがおろそかであれば誰も武道だとは認めないだろう。

内部でいくら論議したところで、一般からは認められないだろう。

裸の王様たちへ
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.60 )
日時: 2015/03/01 18:30:49
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 一保護者さん

管理人のHide.です。

どこのどんな試合をご覧になってのご意見かわかりませんが、そんな試合ばかりではあり
ませんよ

武道として成立するような努力をしていない?
全国各地の剣道場をレポートして歩かれてのご意見でしょうか。
一部をのみご覧になりさぞ全てを知っているかの如く書き込みをされるのはいかがなもの
でしょうねぇ。見識を疑いますし誰もあなたの意見に耳を傾けないでしょう。

様々なレベルの試合、人間教育まで含めて武道としての取り組みを実践している団体をも
をご覧になってのご意見なら謹んで拝聴いたしましょう 〜☆


ついでですから更に言わせていただけるなら、礼節をわきまえない上から目線の書き込み。
あなたは面と向かって赤の他人に意見を述べるときも、誰かれ構わずそのような高飛車な
物言いをなさる方なのでしょうか? 匿名の掲示板だからだとするならば、申し訳ありま
せんがあなたの人間性には疑いを挟まざるを得ません。
顔の見えない掲示板だからこそ、お相手に礼節を尽くしてご自身の意見を述べられるのが
ネットのマナーと心得ますm(_ _)m


ちなみに、「一保護者」というHNがご自身の立場を表して偽りないものであるなら、お子
さんに剣道を学ばせておられるのでしょう?
単に勝ち負けを競う競技として、お子さんに取り組ませておられるのですか??

剣道にどんな価値を見出してお子さんに取り組ませておられるのか、裸の王様のひとりと
して、ぜひ伺ってみたいものです
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.61 )
日時: 2015/03/03 09:04:58
名前: ずんべらぼん 

Hide.さま

有り難うございます

>逆説的に言えば、試合をせず試合にこだわらない剣道
をされている方が全て「武道的」というわけでもなく、
また、そうした方々が全員「人間性の構築」に努力され素晴らしい人格を
修行されているとは言えないのではありませんか?
幼少の頃から試合試合で戦ってきた剣士の中にも素晴らしい人格者は多数おられます。

そうですね。了解いたしました。
試合を数多くやるかやらないかではなく、個人の資質の問題なのですね。
剣道をやるかどうかに関わらず、素晴らしい人もいますから。

剣道を有効な教育方法と考えてきましたので、空しくはなりますが
剣道が存在してもしなくても、どういう人間になるかは資質の問題だということだと思います。

でも、私は諦めることはしたくないので
現代剣道とは違う道を歩もうと思います。

本当に有り難うございました。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.62 )
日時: 2015/03/03 12:12:13
名前: 三七式ヨシ 

三七式ヨシです。

全てを数学のように答えが一つ(複数ある場合もありますが)と考えることはないと
思います。

多面性のあるものもたくさんあります。

適切な例ではないでしょうが、うちのかみさんはもと理容師で、カミソリで人の髭を
剃ることができますが、私が扱えば凶器にしかならないでしょう。

資質を理由にしてしまうととても寂しいです。

刀を差していれば侍とは言えませんが、武士の心得としては儒教の五徳についても身
につけることが必要で、剣道を教える場合には、

仁:人を思いやる心
義:正義を貫く心
礼:礼を尽くす心
知:知徳を磨く心
信:人を信じる心

も同時に伝えるべきと思います。そして、額を掲げ、教導している道場も多数あるの
ではないでしょうか。

特に、礼法を重視する上では形についてはもとよりですが、角度がどうのよりも感謝
やお相手を敬う気持ち(神前や道場への出入り等の心構えも含め)を込めることが大
切であることを伝えるべきであると思います。

従前にも書き込んだ通り、自分が修行中であり、全てが出来ていないため冷や汗ものの
書き込みですが。
メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.63 )
日時: 2015/03/03 12:48:10
名前: ずんべらぼん 

三七式ヨシ 様

ご意見有り難うございます。

「答えは1つではない」。そうですね。

剣道はもともとあらゆる流派があり
多様性ががあったわけですから、
私は現代剣道から離れ、答えを求めたいと思います。

武道の骨格や根本だけを見つめ、
至ってシンプルなことを考えていこうと思います。

私も寂しいですが
現代剣道の大改革などという身の程知らずなことを考えず、
真っ直ぐ自分の求める世界を目指して参ります。

有り難うございました


メンテ
Re: 現代剣道は今のままでいいのでしょうか ( No.64 )
日時: 2015/03/04 10:43:59
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To ずんべらぼんさん

>剣道を有効な教育方法と考えてきましたので、空しくはなりますが

話が終わりかけた時に恐縮ですが、「試合もまた教育の手段となり得る」とはお考えにな
れませんでしょうか?

私は剣道における試合は「勝てば自信につながり、負ければ勉強になる」と考えて、勝っ
ても負けても「いいもの」だと考えています。打たれるということはお相手に弱いところ
を教えていただいたわけです。「悔しい」という気持ちを持つことが次への稽古のモチベー
ションにつながることはもちろんですが、謙虚に受け止めそこを直していきませんと、ま
た、同じ打たれ方同じ負け方をすることになります。「打って反省、打たれて感謝」とい
う心を持って努力することが肝要なんです

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言われ、負けたからには必ず理
由がある。負けの理由を自分以外に求めない心も大切な修行です。


また、「勝っても褒められない勝ち方」「負けても立派な負け方」というのも存在します。
指導者も保護者も、結果のみの拘泥することなく、その部分をしっかりと評価できれば教
育的効果が高まります。折しもこの剣道談話室に「大会における過ごし方」というトピが
立ち上がっていますが、その部分も重要ですね

「我以外皆師」です。多くの剣士が集まる大会は「学びの宝庫」。しっかりと見取り稽古
ができるように、日頃から指導者が啓蒙していけば、子どもたちはいい過ごし方をしてく
れるものです。


下足やトイレのスリッパの揃え方。自分たちの持ち物の整理整頓。試合場においてはチー
ムの防具や竹刀をきちんと揃えること。勝っても負けても正々堂々とした礼法や所作など
など、教育的側面はたくさんあります。

試合は「試し合う」と書きます。稽古のあり方を「試し合う」のです。
日頃の取り組みがいい加減だと試合会場に行った時も、きちんとした言動が出来ません。
稽古できちんと指導教育していくことで、試合でさらなる教育的効果を生じさせることが
できると愚考する次第ですd(^-^)!
メンテ

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