自己審判制一本勝負について

(これが究極、「オトナの試合」だ! 2008/11/26)

 私は常々、大人の試合は自己審判制一本勝負にすべきと考えており、拙サイトの掲示板でもそのように繰り返し主張してきました。せっかくですので、その考え方の骨子をここにまとめておきたいと思います。


 私が「自己審判制一本勝負」を考え出したのは、精神修養が第一番の理由です。そもそも、他人に判定に委ねるから、判定をめぐってお互い「おかしい? なんかおかしい?」と思いながら戦う場合が出てきます。審判にまかせる気持ちがあるから、お互いの有効打突を主張しようとして見苦しい争いになる。不必要に自分の一本をアピールしようとする。反則まがいのことをしてまで、優位性を保とうとする。不本意な負けを審判のせいにする・・・。極論を言えば、試合において選手が謙虚になれないのは審判の存在があるがゆえです。

 有効打突の判定を戦う両者に任せることは、同時に周りの観客の目も審判になることを表しています。一本とは思えないような打突で負けを認めてしまえば「あんな程度でまいってしまうのか?」となりますし、「あれだけ打たれているのに、一本と認めないのか」「反則をとられないからといって、つばぜりで逃げているぞ」などとと周りから評されることが、勝ち負け以上に厳しいプレッシャーになってくるはずです。
 故に、日頃からの正しい稽古や修練の仕方までが問われることになるのです。

 第2番目の理由は、本来剣術における真剣勝負は他人の審判に勝負を委ねるような性質のものではなかったという点です。かすり傷を受けただけでも負を認める人がいれば、片腕を切り落とされても相手に対する闘志をむき出しにして打ち勝ってしまった剛の者もいたはずです。極端な例では、お互い獲物を抜き合わないでにらみ合っただけで勝負が決してしまったという仕合もあったようです。
 真剣勝負においては片一方が命を落としでもしない限り、戦っている両者にしか、勝ち負けの判定・判断がつかないのです。実際、相打ちなどになったとき、審判の旗が自分の方に上がったとしても「今のは打ち負けてたな」と感じることがありますね。面と出小手の場合や面応じ返し胴、小手すりあげ面などでも、「逆だったな」ということが多々あります。
 両者にはわかっているが、肝心の審判がわからずに勝ち負けが逆になってしまうことも、自己審判制にすることによって回避できるはずです。

 補足ですが、一本勝負とするのは、武術であったころの名残りを取り戻すためです。刀で斬りあっていた当時は、致命傷を受ければ次の太刀はなかったわけですから当然、一本勝負でしたね。
 昨今の試合は「打ったもの勝ち」になってしまっていて、攻めやタメなど「技前」の工夫なく勢いにまかせて打ってしまうことが多いようですが、一本勝負になりますとおいそれと打ちに行くわけにはいかなくなるので、技前が大事にされるように思われます。


 ちょっと蛇足になりますが、私が考えますに、全剣連は、一本の基準が明確に決められないものだということがわかっていたのではないでしょうか。つまり、打たれる状況には、基本打ちの場合とは異なるさまざまな場面があるわけで、打突した力を「○kg/cm2」のような強度で表すわけにもいかず、また、「刃筋正しく」も振り下ろしの角度と打突部位との関係をベクトルで表すわけにもいかず、「何歩すり抜けて残心」も相手も動いているわけですから、必ずしもそれにあてはまるだけのすり抜けができないこともあるでしょう。そこで、あの規則にあるような漠然とした文言にせざるをなかった。たしかに「充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする。」なら、小学生からお年寄りまで、そのレベルに合わせた有効打突が存在しても問題にはなりません。
 元来、客観性を持ちえない剣道の「一本」に客観性を与えようとすること自体が無理なのです。

 私の「自己審判制一本勝負」は、それが前提になっています。選手、観客双方の心の中に「各自の一本」という明瞭な基準があり、それに照らして試合を行うのです。自分の心との対峙ですから、心を打たれたときに勝負がつきます。それが、相手選手や観客の「一本」と合致していなかったとするならば、自分の修業の度合いを見直す糧となるはずです。イタズラに審判を恨んだり、判定に対する不平不満を口にすることもなくなり、互いに高めあうといった謙虚な姿勢ができるのではないでしょうか。


 なおこの方式にの試合の場合、いわゆる審判員は必要ありません。昇段審査における「立合い」と同じような役割の人間が一人いればいいでしょう。審査と同じように基本的に反則は「起こり得ない」と考えておりますので、立合いが反則の判定をする必要はありません。試合終了時に「勝った側(負けを認めたのと反対側の選手)」に対して挙手(または旗の表示)を行ない「勝負あり」と宣告する役割を持ちます。

 むろん、これらは、ある程度剣道を修業した上位者でなければ難しいでしょう。どこで線引きするかは判断が難しいところですが、小中高校生ぐらいまでは現行の通り審判が有効打突を示し「一本」の基準を学ばせる必要があると思いますし、三本勝負も教育的視点からやむを得ないかと考えます


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