試合の効用

(2000/09/07)
この一文は、「クラブオブ剣道 & タギリ金属の掲示板」に書き込みしたものを土台にして加筆訂正したものです。

 試合は非常に重要です。とくに、剣道修業の初期から中期にかけてなくてはならないものだと考えます。


 試合の効用ですが、
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 1.真剣に相手と対峙する意味と方法を学ぶことができる
 2.自分の心との葛藤を味わい克服する道を知る
 3.技術上の欠点・弱点を身をもって知ることができる
 4.上には上がいることを悟り、努力(稽古)の大切さを知る
 5.心映え正しく戦うことが「剣理」に適う道であることにたどり着
   く
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 思いつくままに上げてみましたが、おおよそこんなところでしょう。


 まず、「1.真剣に相手と対峙する意味と方法を学ぶことができる」を考えましょう。
 稽古の中での打たせてくれる元立ちと違って、相手も「打たれたくない」と思い同時に「打ちたい」とこちらに立ち向かってくるのです。いい加減な気持ちで立会えば、たちまち相手のペースに巻き込まれ、成す統べなく打ち込まれてしまうものです。
 自分の持てる力を全て集中して戦うことこそ、勝っても負けても必要なんだと感じ、体得していくことができるということです。


 「2.自分の心との葛藤を味わい克服する道を知る」ですが、これは、1の中での心の問題です。
 どんなに「頑張ろう!」と力んでも、「独りよがり」であれば相手に技(心)は通じません。また反対に、「弱気な自分」がいればそれをすぐさま相手に察知され、畳み込まれて打たれてしまいます。
 「相手と対峙すること」は、すなわち「自分自身の心と対峙すること」という心理を体得し、さらにそれを克服していくことです。


 「3.技術上の欠点・弱点を身をもって知ることができる」は、もう、改めて語るまでもありませんね。「打たれたところ」、打たれないまでも「攻められて崩されたところ」が自分の弱点です。そこを、相手によって教えてもらうことができます。


 「4.上には上がいることを悟り、努力(稽古)の大切さを知る」。もし、全日本選手権で優勝するようなことがあったとしても、たぶん、そこが頂点ではないはずです。さらに奥深いものが剣道には多く存在するものです。「自分の努力は、まだまだなんだ」と戒め、さらなる高みを目指して稽古に励んでいく動機となるのが勝敗の妙でしょう。


 「5.心映え正しく戦うことが「剣理」に適う道であることにたどり着く」ですが、この段階までたどり着いたら、もはや試合は必要なくなります。あとは、己の心と対峙しながら稽古していくだけでもだいじょうぶです。もし、試合をするなら「自己審判(判定)制一本勝負」という形式がいいと考えます。これはいずれ別項を立ててまとめたいと思います。
 むろん、そう容易くこの域に達することができるわけではありません。自我が十二分に発達し、かつ、様々な経験を経て来られた方が「正しい心映え」とか「剣理」を理解し実践できるのです。

 以上大ざっぱなまとめと誹りを受けるかもしれませんが、ひとつ試合を経験することは、稽古10回分ぐらいの「学び」があるんじゃないでしょうか。少なくとも私は、試合をそういう風に受け止め、また、指導に役立ててきました。


 最後にひとつ付け加えておくなら、やはり、審判の重要性でしょうか。
 審判の判定や試合さばきが、試合者の剣道修業に大きな影響を及ぼすことになるんです。そういった意味で、私は「大会の格は審判のレベルで決まる」と考え、自分で大会作りをしていたころは、ただの市の大会に友人知人を集めまくってレベルの高い審判団を構成したものです。
 で、蛇足ですが、最近は「登録審判員集団」を組織することをも考えています。試合を通じて多くを学ぶことができるわけですから、そのサポートをする審判員を育て、それを組織することが急務と考えるものです。


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