Re: 暴力指導について ( No.32 ) |
- 日時: 2013/02/07 12:59:20
- 名前: 俊いって
- そうですね…道場卒業時、お礼の強制等、多に分問題多発!
それも、警察官なのに……館長、奥さん自らの口からでたときには、ドン引きで、お礼の気も冷め、裏切られた思いで、憎しみに変わりました…!!
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Re: 暴力指導について ( No.33 ) |
- 日時: 2013/02/07 22:51:37
- 名前: 大和魂
- To.Hideさん
>昨今は、子どもばかりでなく保護者も「欲求不満耐性」が欠如していますから。
仰る通りです。もっと言うと、生徒との意思疏通ができていたとしても、保護者が それに耐えられなかったら・・・、という配慮も必要かと思います。
>「荒稽古」はかかる方よりも元立ちの方がきついの をご存知でしょう?
私は単に残すべきという考えに至りにくい所があります。勿論、元立ちの方が精神 的にも肉体的にもキツい事は言うまでもありません。しかし、剣道を知らない第 三者が見た場合、どうでしょうか。その事を理解できるでしょうか。
某高校の件も同じ。当事者はありがたい、と思っている。しかし、世間の目がそれを 許さない。これまでのように『知らない人間が口出しするな』という考えが通らない 時代に突入した、と極論ながら思っております。世間の目、と言いましたが、もっと 言えばひとりの権力者の発言が、世論を変える時代です。
だからと言って、伝統的な荒稽古を反対している訳ではありません。これからは、そ ういった稽古法も指導者が見つめ直しつつ、慎重に判断すべきかと思います。
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Re: 暴力指導について ( No.34 ) |
- 日時: 2013/02/08 09:12:34
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 観戦者さん
管理人のHide.です。
そうですね、たとえ子どもであっても「人格を尊重した指導」が行われるべきと考えます。 「人を見て法を説け」と申します。 子どもたちのレベルをしっかりと把握することも、指導者の力量と言えるでしょう。
To 俊いってさん
管理人のHide.です。
そういう指導者がおりますか! 問題ありですね。
でも、本トピとは少し話がずれるようですm(_ _)m
To 大和魂さん
指導者が日頃からどういう姿勢で子どもたちに接しどういう指導を行なっているか…それ がしっかり伝わっていれば誤解は起こり得ないと考えております。
指導者の人間性が問われるのではありませんか。
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Re: 暴力指導について ( No.35 ) |
- 日時: 2013/02/08 19:32:04
- 名前: 大和魂
- To.Hideさん
荒稽古の中で、胴を蹴るという行為について
>どこまでが…と明文化できないところが「ケースバイケース」なんです(>_<) パフォーマンス >として必要な場合もあるんです。 >これは、なかなかご理解いただけないとは思います。
以前、このように仰っておられました。私は行った事がありませんが、受けた事はあります。 私は、こういった稽古もありがたく受け止めておりました。受けている時は、苦しくて辛く て、ありがたいというより『何くそぉ!』という気持ちが強かったですが(笑)それが、時を 経てありがたく感じるのです。私の苦しさ以上に、先生も苦しい思いをされていた事も自覚 しました。
しかし、これからはどうでしょう。万人に理解できない行為が、受け入れられるのでしょう か。様々な競技で、第三者機関のチェックの必要性が取り沙汰されております。師弟関係が 良好かどうか、なんて狭い価値観を越えて判断する事の必要性が問われている時代です。閉 鎖的な価値観は世間から批判を受ける種になります。残すべき伝統は慎重に吟味し継承し ていくべきと考えます。
指導者の人間性が、世間一般という目線で更に厳しく問われる時代にきた、と思います。
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Re: 暴力指導について ( No.36 ) |
- 日時: 2013/02/09 06:05:48
- 名前: suzu◆5leBTjX8KVc
- 「荒稽古」、私は受けた事はありませんが、時代とともにある程度は考える必要性があるように思います。
私が小学生の頃は担任の先生にクラス全体責任として黒板用の木製の大きいものさしで 野球のバッティングのように思いっきりお尻を叩かれた事は何度もありましたし、 私が在住している国では以前はムチで生徒は先生から叩かれていました。
子供時代、私は叩かれても仕方無しと思っていましたし、先生のことも憎んでいるどころか、 今でも親しみを感じています。 ただし親となった今、もし我が子が同じ目に遭ったなら黙っていないと思います。
やはり痛いんですよねぇ。 骨にしみます。 叩かれる瞬間に筋肉をぐっと収縮させます。 自然と覚えた技です。
胴を蹴る先生には、胴を蹴る前に10秒止まって考えて頂きたいと思います。
私が思うに大人がそのような行為に走る時、その瞬間は理性を失っていると。 これは私が子供の頃に思った事です。
「荒稽古」に関しては個人的には抵抗はありません。
親としてはいささか逆の考えを持ちます。
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Re: 暴力指導について ( No.37 ) |
- 日時: 2013/02/09 09:37:39
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 大和魂さん
>閉鎖的な価値観は世間から批判を受ける種になります。残すべき伝統は慎重に吟味し継 >承していくべきと考えます。
残念ながら、おっしゃる通りですね。 でも、もう、少なくとも剣道界はそんな状況になっています。 私たちが幼少の頃から行われてきた稽古は、今、ほとんど行われておりません。かかり稽 古ですら、今は「打ち込みの厳しいやつ」に成り下がってしまっています。
こんな状況で、先達が一生懸命守ってきた文化が正しく伝えられるのかどうか。私には甚 だ疑問です。
>指導者の人間性が、世間一般という目線で更に厳しく問われる時代にきた、と思います。
それはたぶん、昔からそうだったのではないでしょうか。 剣道を学ぶ場は道場しかありませんでしたので、人間性が卑しい人は「先生」には成り得 ませんでした。ところが今は、学校開放や公共の体育館で、段位さえそれなりに持ってい れば「誰でも先生になれる」時代です。 そこに危険を感じます。
To suzuさん
ご意見ありがとうございます。
>胴を蹴る先生には、胴を蹴る前に10秒止まって考えて頂きたいと思います。 >私が思うに大人がそのような行為に走る時、その瞬間は理性を失っていると。 >これは私が子供の頃に思った事です。
これが「荒稽古」の中でのお話であれば違います。理性を失って蹴るようなことはありま せん。蹴ったり倒したりは最大限の注意の中で「本気に見えるように」行なっているので す。お弟子さんが耐えられる限界まで、元立ちは可能な限り厳しい稽古をいたします。 倒れたお弟子さんが立ち上がろうとするものを、何度も何度も倒したりします。竹刀を手 から放してしまえば、その竹刀を拾えないほど遠くへ飛ばします。場合によれば、面をは がして、その状態で荒稽古を続けることもあります。 でもそれは全て、冷静に、計算の上で行なっているのです。
荒稽古に関して言うならば、元立ちには「憎しみ」の心情など微塵もありません。 そのお弟子さんを思う気持ちに溢れている。 ですから現象面がどう見えようが、「暴力ではない」と言い続けているのです。
ちなみに、私は自分の子どもは信頼できない指導者には預けませんしこれからもそうする つもりはありません。その信頼できる指導者が、我が子に「荒稽古」をしてくださるのは 嬉しいことだと感じておりますし、当たり前ですが、冷静に見ていることができます。
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Re: 暴力指導について ( No.38 ) |
- 日時: 2013/02/09 18:04:41
- 名前: suzu◆5leBTjX8KVc
- Hide.さん
もちろん我が子に関しては信頼できる機関というのは常に念頭にあります。
「荒稽古」に関しては具象面で既にそのように暴力と見えてしまっている所、 伝統的な武道として間違っていない云々よりも、世間一般の目にさらされた時、 説得力といった面からいかんせん弱いと思わざるを得ません。
もし私がこの先ずっと剣道を続け今よりももっと深く剣道に関して学ぶことが出来た段階において、 この手の事件の裁判の陪審員になったと仮定して、Hide.さんのお考えには深く頷くものの、 暴力という具象面を説得できる理由が見当たらないのが現状です。 失礼致しました。
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Re: 暴力指導について ( No.39 ) |
- 日時: 2013/02/10 08:12:06
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To suzuさん
もしお相手から私の稽古が暴力として訴えられるなら、それを甘んじて受けましょう。 お相手と心が通じていなかった証拠ですし、私の未熟のなせる業ですから。
そのようなことを恐れて、人一人育てることはできません。 覚悟をもってお稽古に臨んでおりますゆえm(_ _)m
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Re: 暴力指導について ( No.40 ) |
- 日時: 2013/02/10 10:57:04
- 名前: 保護者8年目
- 小6の息子の稽古の一場面
稽古中、へばってくるとすり足が乱れたり、だんだん足が動かなくなりますが、 そんなときは決まって先生から、子供が面を打ったすれ違いざまに、 竹刀で尻(太ももの裏側?)を叩かれたり、竹刀で背中を押され、遠くへ吹っ飛ばされます。足がもつれ転ぶこともしばしば。 集中力が切れている時、隙あらば竹刀をたたき落とされ、アイスホッケーのように…。 拾いに行った先でも他の先生から竹刀を遠くに飛ばされ… 結局走りまくるハメに。(説明が下手クソでスミマセン) 5分ほどのその先生との稽古が終わった後は、羽目板に手をついてゼーゼーと息をしています。 私は剣道未経験者ですが、そのような稽古に疑念を抱いたことはありません。 もちろん息子も同様です。
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Re: 暴力指導について ( No.41 ) |
- 日時: 2013/02/10 14:07:14
- 名前: y
- 竹刀を竹刀で転がすなどという行為を目にするとこはありますが、指導者の方は常日頃から竹刀は大切に扱うよう教えているはずです。そこと矛盾することに気付いてはいらっしゃらないのでしょうか?
指導を受ける方も疑問に思わないのですか?
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Re: 暴力指導について ( No.42 ) |
- 日時: 2013/02/10 22:57:08
- 名前: 親馬鹿一刀流
- yさん
竹刀を大切に扱うのは当たり前ですね。 でも刀の代用品ですので、打ち込まない訳にはいきません。 私も何度か竹刀を転がされました。
竹刀を転がす事には意味が二つあると思います。 1.刀での斬り合いで刀を落としたら即、斬られて死ぬ事になりますので、戒めの意味を持つ。 2.仮に刀を落としたら転がってでも刀を拾い、身を守らねばならない。
今の全剣連の試合規則では、竹刀を手から離すと反則になります。 一方剣道は全剣連の試合規則が全てではありません。 私が習ってきた剣道では、竹刀を落とした時の対処法として 1.即座に相手の懐に飛び込み、相手の竹刀をもぎ取る。 2.組み伏せる。 でした。
こんな説明でご理解頂けますでしょうか?
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Re: 暴力指導について ( No.44 ) |
- 日時: 2013/02/11 00:09:46
- 名前: y
- 親馬鹿一刀流様
ご回答ありがとうございます。
竹刀を落とした時の対処法としてお示しいただいた2点については理にかなっていて納得できました。 するとやはり、竹刀を転がすことに意味がないように思えてしまうのです。なぜなら転がされた竹刀を追いかけ回していたら、その背後からばっさり斬られてしまいますよね。
無防備になったところに打ち込んでやることが戒めになると考える私は甘いのでしょうか。 荒稽古はもとより、竹刀を転がされた経験もないので、肯定的に考えるのは難しいです。
丁寧にご回答くださってありがとうございました。
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Re: 暴力指導について ( No.45 ) |
- 日時: 2013/02/11 07:21:28
- 名前: 十八徳
- suzuさん
宜しければ少しお付き合いいただけるでしょうか。 最近、メディアでも話題になっているため、自分なりに考えておりまして 剣道と距離のある方に理解していただけるか、確認してみたいのですが。
主に二点 ・荒稽古の必要性 ・その範囲 です
かなり省略しますので、わかりにくい部分がありましたら、お尋ねください。 管理人様、趣旨とずれるようでしたら、別にスレッドを立てさせていただきます。
廻りくどくなりますが、荒稽古の背景から。 講道館柔道と異なり、剣道は剣術の集合体として始まっており、並行して各流派や 居合、柔などの心得があるのが普通だったようです。 戦前の教科書では、組討も一つの技として項目が設けられており、また、 現行規則では反則となる行為も技として色々と解説されています。 現在でいうところの「荒稽古」は、当時では、普通の稽古に相当します。
切り返し、打ち込み、懸り稽古、試合稽古など、「剣道」は戦前に完成しています。 細かい技術、習熟度に応じた段階的位置付け、メンタルトレーニングまで網羅して 体系化しており、剣術の歴史や武道性といった特徴が見受けられます。
現在では、全日本剣道連盟という団体のもとで、剣道が実施されています。 歴史的な経緯もあり、戦前とは異なる剣道観をもって発足していますが、 どういった方向性なのか、寡聞にして存じません。
ただ、戦前に剣道を修められた方々の謦咳に触れた人は、まだ、多くいますし 形骸化しつつあるとはいえ、現在でも武道性の名残りは見受けられます。 寒稽古、暑中稽古、立ち切りなどは、今はまだ好意的に受け止められているようです。
解釈に幅はあるかとおもいますが、競技性と共に、武道的側面を認めるならば 「荒稽古」は体系化された剣道の中で、普通にあって然るべきかと考えます。
なお、試合というのは「稽古(古を稽へる)」の一側面ですので、試合のルールによって 剣道の内容が左右されるということは、本末転倒となってしまいます。
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Re: 暴力指導について ( No.46 ) |
- 日時: 2013/02/11 08:45:52
- 名前: suzu◆5leBTjX8KVc
- 十八徳さんなるお方へ
suzuです。 率直に申し上げて、十八徳さんが私に何を仰りたいのかがよく分かりません m(_ _)m (ご説明は分かりますが)
私の中では現代の「荒稽古」は選手のために必要な稽古のひとつだという位置づけです。
ただ先にも申したように、仰っていた「具象面」として暴力と映ってしまった場合、 この場合は選手側からの訴えという事になると思われますが、 先生側そして選手側、どちら側も正しいと主張するはずで、 そうなるとどちらがより説得力があるかが問題になってくるように思います。
そうなった場合、やはり暴力という具象面が色濃く出てしまうのではないかとの予想です。
すみません、このような返答で十八徳さんに納得して頂けるか心配ですが、というか、 どうも十八徳さんとの接点が見出せない状況です。
余談:拝読していて引っかかる一文がありました。
>剣道と距離のある方に理解していただけるか、確認してみたいのですが。
子供が始めたのが二年前、私が始めたのが一年前のため、 例えば三年前ならば「剣道と距離のある」という言葉があてはまると思いますが、 ここ一、二年はそうではないと、十八徳さんのこの一文を拝見して最初はこのように思いました。 しかしながら、よくよく考えると十八徳さんとは違い、何も知らずに海外で始め、 自由奔放に意見を言い放っている所、十八徳さんのようなお方からすれば 私のしているのは剣道ではなく、Kendoという事なのかなと思うようになりました。
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Re: 暴力指導について ( No.47 ) |
- 日時: 2013/02/11 14:13:07
- 名前: 親馬鹿一刀流
- yさん
>無防備になったところに打ち込んでやることが戒めになると考える私は甘いのでしょうか。 打ち込んであげる事もあります。竹刀を飛ばされるのは、もっときついですよね。
少年剣道の団体、部活動の指導者の方針は様々ですね。 小学生に対して、竹刀を飛ばしたり、転がしたり、押さえ込んだりするのは、指導者と子供達のプロレスごっこなんだと考えています。 どうだまいったか、まだまだ、ワンツースリーって事だと。 負けん気を見せる子供達。最後に1本勝負。指導者が打ち込んでも子供達は無い無いと言って、もう1本もう1本という稽古は 微笑ましく見える事も多くあります。 指導者が上手くそこに持って行っているのだと。
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Re: 暴力指導について ( No.48 ) |
- 日時: 2013/02/11 19:01:31
- 名前: 十八徳
- suzuさん
申し訳ありません、話が途中でした。ご返信ありがとうございます。 今、日本ではスポーツの指導方法が大きく話題になっておりまして、私自身の整理も 含めて、前提としての剣道の特殊性を確認したかっただけでした。スミマセン。
伺いたいのは、次のところからでした。 報道から知る限り、信頼関係というのが、妥協点として図られていると感じます。 また、私もそのように考えてきました。 ただ、私自身が、そういった稽古を受けてきましたので、どうしても善意を信じやすく 負の側面を知りながら、軽視してきたというのは否めません。
今回、経験則や情緒による善意の解釈では、実際に暴力になる可能性を低くすることも 逆に荒稽古の信頼性の担保にもならないのではと考えています。 過去に様々な問題が生じていることを考えると、不安が拭えないというのは、 残念ながら、ご指摘の通りかとおもいます。
あまり縛り過ぎず、放任過ぎず、社会性のある稽古は?、うーん、と考えてみまして 何らかの教本に則った稽古ならば、理論的裏付けもありますし、安心して見ることが できるのではないか、と想像してみました。 他の競技スポーツでは、理論と実践は並行して、当たり前に行われていますので 意外にいろいろと効果があるのではないだろうかとおもいます。
たとえば、見た目はかなり厳しく映ったとして、一方で、明文化された一定の方針に従った 内容の稽古でしたらば、suzuさんはお子さんに許容できるとおもわれますか? また、文化の異なる外国人の方には、理解されるでしょうか?
私も正直なところよくわかりませんので、剣道、kendoとあまりこだわらずに、 ざっくばらんにご意見をいただければありがたいです。 お手数ですが宜しくお願いします。
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Re: 暴力指導について ( No.49 ) |
- 日時: 2013/02/11 21:43:43
- 名前: suzu◆5leBTjX8KVc
- 十八徳さんへ
海外剣士交流掲示板にご質問を書き込まれた方がより有益な回答が得られるように思います。 また、ご存知のように私は始めてまだ1年しか経っていませんので、 そのような人間からの一発言のみを聞いて海外からの意見とするのは危険だと思われます。
私の意見は先にも申し上げたように、正しい正しくない、それ以上に、 説得できるか否かという所がポイントだという事です。 しかしながら私のこの意見は特に海外在住だからというわけではないと思います。 また子供がいるからというわけでもないと思います。 あくまで私個人の意見であり、どうひっくり返っても、 暴力という具象面を擁護するのはできないという事です。 私は弁護士ではありませんが、もし先生VS選手の裁判となった場合には、 先生側の弁護士はもちろん弁護するのでしょうが。
何事も信頼関係なのでしょうね。 それなくしてはお終いなのだと痛感しております。
想像して頂ければと思いますが、十八徳さんから「剣道から距離のある方」と呼ばれた私が どうして十八徳さんの道場(仮定です)でお稽古をする事ができるでしょうか? 私側からすれば、十八徳さんが私にとって赤の他人であろうが、 お世話になり誰に何と言われようとも師として一番尊敬し続けてきた方であろうが、 その一言で信頼関係はこれ以上成り立たなくなってしまっているのです。 この気持ちをご理解頂ければ幸甚に存じます。
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Re: 暴力指導について ( No.50 ) |
- 日時: 2013/02/11 23:28:39
- 名前: 十八徳
- suzuさん
悪気あったわけではなかったのですが、失礼いたしました。
「距離がある」と書かせていただいた理由だけ、ご説明させて頂きます。
「荒稽古」に個人的には抵抗がないけれども、行為自体には理性を感じることが難しい と述べられておりましたので、そういった印象を受けまして勘違いしました。 荒稽古で育った人間は、具象面で暴力に見えてしまっているというのは承知しております。 それでも一歩踏み込んで、暴力との境目を探ろうと悩んでいるわけです。 剣道経験者から「世間一般の目」という表層面から一律に判断されてしまうのは、 やはり悲しくも、疑問にも感じてしまうのです。 私なりにsuzuさんも、そういった矛盾を抱えていらっしゃるのかな、と感じたのですが どうやらすでに結論はお持ちだったようで、いろいろと食い違いまして。
ご気分を害されたことに関しては、重ねてお詫びいたします。失礼しました。
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Re: 暴力指導について ( No.51 ) |
- 日時: 2013/02/12 02:34:12
- 名前: suzu◆5leBTjX8KVc
- 十八徳さんへ
いろいろ難しいですね、この問題は。 私の中でも、いろいろと考えが交錯しています。 書き込みをした当初は事件発覚の前で、 単に娘が胴を蹴られたら嫌だなぁという所から始まったと記憶しています。 堂々巡りになりそうなのでこれで最後とさせて頂きたいと思いますが...。
選手レベルでは必要だと思います。 そこを通り越してこそ次のレベルに上がれるのではないかと思うからです。
ただ選手側から訴える場合は先生との間に信頼関係が無いわけで、 信頼関係があれば問題は浮上する事が無いと思うのです。選手が暴力と受け止めていないわけですから。
そこで、ばらばらになった信頼関係を周囲の力により和解などというセメダインのようなもので、 とりあえずは修復したようにするのだと思います。
ですから問題として浮上した場合には暴力と取られざるを得ないと思うのです。
娘はまだまだこれからですが、彼女には自分の先生とする方が既に決まっているようで、 大切な事はその先生に相談すると本人から言われました。 諸事情で現在はその先生の下で娘は学んではおりませんが、頻繁に教えて頂く機会もあり、 親としては将来「荒稽古」を受けるまで上達した暁には異存はありません。 ただ今の時点では時期尚早かなと思います。
一方、私に至っては、中学生の頃に剣道に憧れたものの既に他の部に入っていたため断念、 そんな事はすっかり忘れ、娘に剣道を勧め、娘が防具をつけ始めてから、ふと昔の事を思い出し、 通える道場を見つけ、自分も剣道の世界にこれで入れたという嬉しい気持ちが大きいまま 現在に至っているような部分があり、「距離」のお話をされた時はショックだったという事だけで、 これは自分の軸がもっとしっかりしていれば、たとえ同じ言葉を投げかけられたとしても 平気だっただろうと思われます。
十八徳さんがどなたかは存知上げませんが、十八徳さんの今後のご活躍をお祈り申し上げます。 m(_ _)m
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Re: 暴力指導について ( No.52 ) |
- 日時: 2013/02/12 09:22:52
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- 管理人のHide.です。
電剣東京にかまけているうちにずいぶんここのトピが進んでいたのですね。 大変失礼しましたm(_ _)m
yさんの疑問には親馬鹿一刀流さんが丁寧にお答えいただいておりますのでOKですかね。 落とした竹刀を遠くへ飛ばす行為は私も行うことがあります。「竹刀を大切に扱う」とい う観点からは「???」かもしれませんが、 ・その大切な竹刀を落としては戦えない ・落とした竹刀は、お相手に攻撃されるまえにすぐさま拾って備えなければいけない ・落とさせたお相手の側からは、すぐさま拾わせない なんていう意味が含まれていると愚考します。
十八徳さんとsuzuさんのやりとりは興味深いお話でした。
「剣道談話室」の「体罰について」というトピでは親馬鹿一刀流さんが「荒稽古という言 葉がよくない。普通の稽古の延長線にあると考えればいい」といった趣旨の書き込みをさ れてますが、十八徳さんのご意見もそれとほぼ同意ですね。
ただ、そうした昔ながらの稽古を体験してきたであろう現在の高段者たちからしてそうい う稽古を付けることがまずなくなりました。 それは「師弟」という人間関係よりもはるかに希薄な「先生と生徒」という関係が、今の 剣道のベースだからなのでしょう。
昔は師匠は親以上の存在でした。 お弟子さんは師匠の家に住みこみ、剣道のみならず四六時中、師匠の生き様そのものを学 んだのです。
甚だ合理的ではありませんが、師匠が「黒」といえば白いものでも赤いものでも「黒」と 盲信して師匠に従い修行したものです。師匠はお弟子さんの剣道のみならず、全人格を責 任もって育てる存在でした。その過程でそうしたことが必要であれば、暗闇の中で道を照 らす一筋の明かりのように、「こっちへ来い」と導くためにそのような指導をされた。 弟子もまた、それが分かっているので疑いを抱かず一心に修行に励んだ。 そんな絆があったればこそ、一見暴力的に見える血を吐くようなお稽古にも耐えることが できたわけです。
そんなふうに考えますと、やはり、今の時代にはそぐわないお稽古方法なのかもしれませ ん。
そうした観点から、 ・ひと目に触れないところで ・自分の命を削ってもいいと思えるお弟子さんに心と技を伝授するために
のみ行うべき「特殊な稽古」と認識すべきなのでしょう。
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