Re: 審判批判について ( No.19 ) |
- 日時: 2011/10/30 11:48:12
- 名前: 大和魂
- 私は、瞬間瞬間に起こる現象に神経を使って審判をしますが、それだけでは
ありません。流れや攻め追えば、Hideさんがおっしゃられる通り、どち らかの選手に目がいきますので、そのような見方 はしません。
流れの確認はしています。それは、反則に対して適切に対応する為です。 日本中学校体育連盟は、手元を浮かした構え(三所隠)に対しての指導、二回目 からは反則というルールを採用しています。なお道場関係の大会では、 採用されておりません。 (大会事に規定や基準が微妙に違うので、合わせるのに苦労します。)
手元を浮かす所作にしても、これが技に繋がっていれば指導・反則の対象 にはなりません。この見極めを行う為に、流れの確認を私はします。
その瞬間に起こる現象面だけでは判断が難しい場合が、私にはあります。 その部分を補う為に流れを確認し、より正確な判断をするよう心掛けて います。鍔ぜり合いに関しても同じです。
形として『この動作をしたら即反則』として頂ければ、瞬間的に対象でき るのですが…
有効打突は「充実した気勢、適切な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突 部位を刃筋正しく打突し、残心あるもののこと」と明記されており、主に 決まり手の瞬間に対する内容が記されています。
しかし“充実した気勢”は、瞬間的に出せるものではないと私は考えて います。“充実した発声”であれば、全てを瞬間的技能として処理できる のですが、気勢は打突に至るまでに試合者が生み出していくものだと考え ています。
これを感じとれるよう、試合者の流れを確認しながら、有効打突に到達す るまでの一連の動作を見逃さないようにしています。
私も以前に書かせて頂きましたが、審判員としての心持ちは、Hideさんや おっさん。。さんと同じくですよ。ただ、私はまだまだ未熟者ですので “マシーン”のように『無』には、なりきれていませんね(⌒〜⌒)
審判員をしていて、当然表には一切出しませんが、凄く良い技が決まった 瞬間に旗を無意識的に挙げ、鳥肌が立ってしまった事が、何度かあります ので…
しかし、一回一回の審判に対してその都度問われれば、はっきりとお答え できる自信を持って挑んでおります。
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Re: 審判批判について ( No.20 ) |
- 日時: 2011/10/30 17:20:54
- 名前: おっさん。。
- 大和魂さま、
大和魂さまも私と同じ心構えで修錬されていると思います。 しかし、 >試合は試合者の攻防と審判員の判断が合間って流れが作り出されている・・ 審判は有効打突、反則行為などを判定するのであって、 審判が試合の流れを作ってはいけないと思いますし、 審判が流れを作ると、必ず不信感(批判)が出てくると思います。 審判は試合の流れを作るのでなく、試合者達の流れ(行動、移動)を先読みし、 有効打突、反則行為の見逃し(誤審)の無い様に努めなければならないと私は思いますし、 試合の流れを作るで無く、剣道を正しい方向に導くものと思います。
有効打突、反則事項の判定は、それこそ審判の剣道自体の修錬差によって誤差がでてきますが、 『要素はOKでも要件がダメなら、一本では無い』ですし、この逆のしかりです。 また、三所よけ、鍔ぜり等も攻めの気があるかの判定にも剣道自体の修錬差が現れます。 コレは一保護者の方には理解しずらい、これらに対し説明できないような審判はダメだと思っています。 また、これらの件会(主観)は個人個人、多少異なって当たり前です。 剣道と一緒で、基本は有れど『コレが絶対は無い』と思いますから。。 だから、私が審判でも、この類の批判なら受け入れますよ、自信の向上の為に。
自身が修錬してないから、説明できない・・自信がない。。 説明できない審判は、所作、位置取りも自信が無い・・ これが、審判批判の元じゃないでしょうか?
言い方は悪いですが・・・・ これ以外の批判は、単なる勝利主義のクレームと思っています。
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Re: 審判批判について ( No.21 ) |
- 日時: 2011/10/30 21:04:42
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- To 大和魂さん
>手元を浮かす所作にしても、これが技に繋がっていれば指導・反則の対象 >にはなりません。この見極めを行う為に、流れの確認を私はします。
流れなど確認せずとも、逃げるために手元を浮かせたのか、技の過程でそうなったのかは、 現象面を見ているだけでわかりますでしょ 〜☆
>気勢は打突に至るまでに試合者が生み出していくものだと考えています。
私はそうは考えません。 「窮鼠猫を噛む」「火事場の馬鹿力」ということも有りうるんです。 ラッキーパンチだからといって全て充実した気勢がない訳ではありません。 流れを負ってしまえば、そうした技を見逃しかねませんよ
>審判員をしていて、当然表には一切出しませんが、凄く良い技が決まった >瞬間に旗を無意識的に挙げ、鳥肌が立ってしまった事が、何度かあります >ので…
申し訳ありませんが、それはNGです。 打突の終末まで見極めて初めて有効打突ですね。 まして、審判員が感動していてはいけません。 感情(情動)が動いてしまうのは、試合者に感情移入をしているからにほかなりません。
「いい面だったね」は、審判の最中に感じたり考えるものではないんですd(^-^)!
To おっさんさん
私も、審判員が流れを作ろうと考えるから、「贔屓」や「八百長」と誤解されるような判 定になってしまうのだと思います。
ちなみに、一方に有利なように流れを作ることは、審判にとって簡単なことです。 故に「流れを見ないこと」が求められるのですね
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Re: 審判批判について ( No.22 ) |
- 日時: 2011/10/30 22:25:09
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
だから未熟と申しました。Hideさんのように、万人に物言わせぬ審判を 全てにおいて勤め上げてきた訳ではありませんので…
『流れなど確認せずとも、逃げるために手元を浮かせたのか、技の過程で そうなったのかは、現象面を見ているだけでわかりますでしょ 〜☆』
はっきり言えば、わかる場合とわかりづらい場合があります。一回の所作 で全てを判断できる審判員は私の知る限りでは少ないですね。
Hideさんのように、本当に全てを見極められているなら素晴らしい事ですが 反則については見解が割れる事が多々ありますよ。思い上がりや偏った 判断をしてはいけませんので。その為に合議がある訳です。審判員は副審 との協調性も必要ですよね。
『ラッキーパンチだからといって全て充実した気勢がない訳ではありま せん。流れを負ってしまえば、そうした技を見逃しかねませんよ 』
例えば、出ばな技でラッキーパンチというか気勢が劣っている選手が不意 に一本を奪う場合があります。これは現象面で判断できますね。だから 流れを追ったたからといって、見落とすような技ではありません。言えば 相手の気勢を利用した形で捕らえる技ですから。
『審判員が感動していてはいけません。感情(情動)が動いてしまうのは 、試合者に感情移入をしているからにほかなりません。』
審判員が感動してはいけませんね(汗)これは以前の恥をさらしたまでです。
『打突の終末まで見極めて初めて有効打突ですね。』
本当に素晴らしい技は気・剣・体が一致した時点で有無も言わさず一本に なる、と高段者は語ります。本来は残心まで見届けるべきでしょうが、技 を捕らえた瞬間に旗が上がる有効打突は多く存在します。このような技は ほとんどが旗が上がった後に試合者が残心をして います。全日本選手権でもよう観られる光景ですが、あれは間違いですか?
私は以前に 『試合は試合者の攻防と審判員の判断が合間って流れが作り出されている と私は考えています。』
と書きました。審判員が流れを作ってはいけない事は私も同意見ですよ。
こんな経験ないですか? “あっ、打たれた!”と思ったが旗が上がっておらず“助かったぁ”と 安心する。その逆など。両選手が試合後に『あれは一本打たれていました !』なんて事も。 これは試合者双方の思惑とは別の判断を審判員が下した結果起こる現象です。
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Re: 審判批判について ( No.23 ) |
- 日時: 2011/10/31 07:31:16
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- To 大和魂さん
>だから未熟と申しました。Hideさんのように、万人に物言わせぬ審判を >全てにおいて勤め上げてきた訳ではありませんので…
私とて完璧に審判してきたわけではありません。 心構えとしてそのように意識し努力しているということを申し上げているまでです(^^ゞ
>だから流れを追ったたからといって、見落とすような技ではありません。言えば >相手の気勢を利用した形で捕らえる技ですから。
大和魂さんくらいになりますと、流れを追っても攻め込まれている側のラッキーパンチを 見落とさなくなるのでしょうが、流れを追ってしまうと、攻め込んでいる方の打突がよく 見えてしまいがちですから、「私はそれはいたしません」とお話しし、一般論としても 「そうしないほうがいいですよ」と申し上げてているのです
>本当に素晴らしい技は気・剣・体が一致した時点で有無も言わさず一本に >なる、と高段者は語ります。
私もそう思いますよ、一観戦者ならね。 でも、審判員は、残心の有無を確認してはじめて有効打突として判断するのです。
「流れを追うこと」も含め、観客と審判は見方が違うってことをご理解頂きたいですな
>こんな経験ないですか? >“あっ、打たれた!”と思ったが旗が上がっておらず“助かったぁ”と >安心する。その逆など。両選手が試合後に『あれは一本打たれていました >!』なんて事も。 >これは試合者双方の思惑とは別の判断を審判員が下した結果起こる現象です。
そんなことにならないよう、審判技術を向上させるべく努力精進を怠らぬようにしなけれ ばなりませんね。 互いに頑張りましょうp(^-^)q
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Re: 審判批判について ( No.24 ) |
- 日時: 2011/10/31 09:12:00
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
『審判員は、残心の有無を確認してはじめて有効打突として判断する のです。』
有効打突の条件は、おっしゃる通りです。しかし、先程もお尋ねした通り 最高峰の試合ですら、打突した瞬間に旗が上がり、残心を見届ける前に 一本としております。これを、間違いと取るか、それなりの解釈を経て 理解するのか、は各々の修養過程で見識を深めていく部分です。
『観客と審判は見方が違うってことをご理解頂きたいですな 』
だいたいの観客は、どちらかのチームや選手を中心に観戦します。審判員 が、この感覚で審判をしてはいけません。両者の技を平然と見極める事に 集中します。
ただし、有効打突や反則の宣告については、万人に受け入れられる判断を 目指さなければなりません。観客と審判員、選手全ての人間の見方が一致 しなければならない瞬間ですね。
完璧を目指して審判員を勤めますが、人間に完璧はありません。ですから 講習会で勉強し、自らも識見を深め考察していくのです。
人間が決めた事ですから、今は正しくとも来年には間違いとされる場合も ありえます。今、正しいと言われている規則が現場では執行されていない 場合もあります。
『これが正しい!』と、言い切る事も自信を持つ意味で大切ですが、同時 に今、現場で正しいとされている事は何かを見極める判断力も必要です。 人との協調性ですね。
贔屓や間違いであれば、流されてはいけませんが…。
時間内で有効打突とならなかった打突が、延長戦が長引くと一本となる 場合があります。試合の経過、流れを確認していく中で起こる現象ですが…
『これは間違い!』と判断してしまえば、それまでです。得る物もなけれ ば自信の向上には繋がらないでしょう。しかし、その判断に至る真偽を考察する事で、今まで気付 かなかった物が見えてくる場合もあります。
ちなみに私は流れを追っているのではありません。一番は目の前の状況に 集中して判断を行っています。
私も審判技術を向上させるべく努力精進を怠らぬようにしていきたいと 思います。
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Re: 審判批判について ( No.25 ) |
- 日時: 2011/10/31 16:14:15
- 名前: おっさん。。
- また、また横から失礼します。。
技が(有効打突)が見えていない。 所作ができていないは、論外として。。。
結局、大和魂さんも見る所、感じる所は同じって事ですよね。 ただ、表現された言葉だけで考えると・・・誤解を生むと思うんです。
形(基本)はもちろん大事ですが、 「充実した気勢、適切な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもののこと」 しかし、 自分と同じ(考える)間合(気位)と違ったから・・・では、絶対ないと思います。
少年・学生・一般と度合いは違いますが。。 多少、打突部位から結果的に多少外れていたとしても、 打突の機会・間合・適正と思われる打突力・形としての残心では無く、 それこそ無心でにじみ出る残心があれば、一本と認める場合は無いですか。 例え、ラッキーと思われる打突であれど、残心(形に限らず)があるって事は、 攻めの気持ち(充実した気勢)がある(あった)という事で、 その時の体制が適正って事は、ただ当てようとしているのでは無い (一本をねらって攻めていた)って事じゃないですか? ホントに気が無い打突には、絶対、残心はにじみ出ないですし、旗も上がりません。 ここの見極めが、審判の主観で修錬の差じゃないですか? しかし、保護者などはコレは理解しずらいのです。(単なる、部位に当たった当たっていない) ココの所をきちんと説明できれば、批判(勝利主義に偏った単なるクレームと思いますけど)が あれど、何も怖がる事は無いんじゃないですか?(批判を受け入れてもイイんじゃないですか?)
>『試合は試合者の攻防と審判員の判断が合間って流れが作り出されていると私は考えています。』 私は、『流れが作り出されている』では無く。 試合者が試合を作り、審判はそれを判断(判定)するのものと思っていますので、 管理人さんのお考えに賛同しているのです。
>有効打突や反則の宣告については、万人に受け入れられる判断を 目指さなければなりません。観客と審判員、選手全ての人間の見方が一致 しなければならない瞬間ですね。 私は、『万人に受け入れられる判断を目指さなければなりません』が、 自信の信念・経験を信じ行動します(旗をあげます) 万人に・・・を意識しすぎて・・試合者の攻防を考えすぎてでは正しいと思われる判断が 私にはできませんよ。 剣道を修錬されていない方が、八段戦を観戦されたとして、審判の上げた一本は、 技が見えていれば、一本と理解できると思いますが、 現象では打突部位に当たっていても、旗が上がらない技はナゼ上がらないか理解できませんし、 剣道を修錬されている方でも、修錬の差で会見が異なるのと一緒と思いますが。
私が審判を受ける時は、『俺が一番(正しい)』と思っています。。。が、 合議などで決定された事は素直に受け入れますし、 批判を受けても批判をされた方の言い分が正しいと感じたら、 例え、その方が剣道経験者でなくても受け入れますよ。
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Re: 審判批判について ( No.26 ) |
- 日時: 2011/10/31 17:09:12
- 名前: 大和魂
- おっさんさん。。へ
『流れが作り出されている』では無く。試合者が試合を作り、審判はそれ を判断(判定)するのものと思っていますので』
考え方ですが、私とは違いますね。そうあるべきだとは思いますが、有効 打突の判断や反則を取るタイミングによって試合の流れそのものが大きく 変わりますから。ですから、私は“合間って”と表現しました。
『打突の機会・間合・適正と思われる打突力・形としての残心では無く、 それこそ無心でにじみ出る残心があれば、一本と認める場合は無いですか』
私はあると考えていますよ。これは、私にではなくHideさんに質問して 下さい。
『現象では打突部位に当たっていても、旗が上がらない技はナゼ上がらな いか理解できませんし、剣道を修錬されている方でも、修錬の差で会見が 異なるのと一緒と思いますが。』
私は“目指す”と表現しました。剣道の修養レベルによってズレは生じ ます。それでも“目指す”んですよ。それが審判のあり方だと考えます。 “文句なし”の一本を追い求めるのです。
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Re: 審判批判について ( No.27 ) |
- 日時: 2011/10/31 17:31:55
- 名前: おっさん。。
- 大和魂さま、
>私は“目指す”と表現しました。剣道の修養レベルによってズレは生じ ます。それでも“目指す”んですよ。それが審判のあり方だと考えます。 “文句なし”の一本を追い求めるのです。
それは、私も一緒ですが・・・ 自身の剣道実技の修錬としてです。。
審判としては、ベストいやベターかな?判定する事に集中する事で、試合者にはソレを余り過度には望む事はしていません。 これが、イイか悪いかわかりませんが。。。
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Re: 審判批判について ( No.28 ) |
- 日時: 2011/10/31 18:08:20
- 名前: 大和魂
- おっさんさん。。へ
以前に… 『私が審判批判が起こるのは、審判事態の修錬がたらず自信が持てない 者。また、高段者であっても技が見えていない者。私情をはさむ者。審判 の所作を理解(できない)者が審判など受けるから、と思うのですが。』
…と書かれていました。審判員がコートに立った時は、精神を研ぎ澄まし 全身全霊で自信を持って勤め上げる事が必要です。
しかし、コートを下りれば審判という重責に対して、不安を抱く剣道家は 多く存在するかと思います。だからこそ、修練と教養を深め続けていくと 考えます。
私とて、冷静に考えれば審判員としての修練、教養をより深めなければと 実感しております。ここに書いた事、御指摘を受けた事も教養のひとつと し、更に考察を深めるきっかけにしたいと考えております。
審判批判は、簡単です。しかし批判がなければ、向上もありません。当然 批判された側の反省も必要です。また、その逆に各々の立場を理解し、 互いを尊重する事も必要です。これらのバランスが崩れる事のないよう に、携わる人間が各々の立場から冷静に判断する事が必要ではないで しょうか。
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Re: 審判批判について ( No.29 ) |
- 日時: 2011/10/31 22:15:07
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- To 大和魂さん
>しかし、先程もお尋ねした通り最高峰の試合ですら、打突した瞬間に旗が上がり、残心 >を見届ける前に一本としております。
それはどこの大会でのことでしょう? 「一本にする」というのは、旗を上げることと=(イコール)ではありません。 有効打突の宣告をしてはじめて一本になるのです。
打突の終末を確認せずに宣告をしたとするならば、その審判(判定)は紛れもない間違い です(-_-)
>だいたいの観客は、どちらかのチームや選手を中心に観戦します。
そんなことはありません。 どちらの選手やチームの応援ではなく、純粋に剣道の試合を観戦している観客もおります。 そういった観客ですら、流れを見てしまうと流れに乗っている方の打突がよく見えてしま うもの。それは、審判員の見方であってはならない、と申し上げているのです。
お分かりいただけましたか?
>ただし、有効打突や反則の宣告については、万人に受け入れられる判断を >目指さなければなりません。観客と審判員、選手全ての人間の見方が一致 >しなければならない瞬間ですね。
観客は無理でしょうね(^_^ メ)
反則においては、万人が納得し理解しうるものでなければいけないでしょう。 有効打突の判定につきましては、選手双方が納得できるものである必要がありましょう。 私はそこを目指しています 〜☆
>時間内で有効打突とならなかった打突が、延長戦が長引くと一本となる >場合があります。試合の経過、流れを確認していく中で起こる現象ですが…
ちなみに、私はそのような場合にも有効打突の基準の引き下げは行いません。同一選手同 士が戦い合う中で流れに応じて基準の引き下げを行えば、試合における公平性が保たれな いと考えるからですd(^-^)!
>有効打突の判断や反則を取るタイミングによって試合の流れそのものが大きく >変わりますから。ですから、私は“合間って”と表現しました。
横レスですが、これは流れではなく、リズムまたはテンポです。 審判員が試合者の気が緩まないように試合運営をすることによって、引き締まった試合に なったり、気の抜けたものになったりすることがあります。
しかし、「試合の流れをつくる」としてしまうと、一方に偏った試合運営に陥る危険性が あります。「流れをつくる」のではなく「両者のリズムを崩さない」が正しいニュアンス だと考えます
なお、審判批判に関してですが、私はその批判を行なった人物がどの立場から批判をして いるのかによって仕分けをして判断を下すようにしていますd(^-^)!
To おっさんさん
>『打突の機会・間合・適正と思われる打突力・形としての残心では無く、 >それこそ無心でにじみ出る残心があれば、一本と認める場合は無いですか』
大和魂さんから振られましたのでついでにお答えしておきましょう(^^ゞ
残心ってなんですか? お相手に正対し中段の構えになったもののみを言うのではありませんね。
私の解釈は、打突後、お相手に対して「有形無形の備える気」を感じた場合、残心があっ たものと判断します。「縁が切れて決めきった」という状態があればよりわかりやすいで すが、そうでない場合もありましょう。
関連する話を以前「剣道Q&A」の「打突の瞬間の竹刀放し、一本? 取り消し?」という トピでしたことがあります。 たぶん、大和魂さんがおっしゃる「打突した瞬間に旗が上がり、残心を見届ける前に一本 としております」という事例も、「打った瞬間に残心まで完結している」と審判員が判断 したものを「残心を見届ける前に」とお書きになったものなのかな、と想像は出来ますが(^^ゞ
http://ichinikai.com/forum/room11/read.cgi?mode=view&no=57&p=1
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Re: 審判批判について ( No.30 ) |
- 日時: 2011/10/31 23:22:19
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
『どちらの選手やチームの応援ではなく、純粋に剣道の試合を観戦して いる観客もおります。』
そうですね。ただ私は、応援とは言ってません。試合を見入った場合に “赤が白からどのように取るのか?”と、いうような見方になるかと思い 発言したのです。その見方が、途中の展開で入れ替わる場合もあります。
Hideさんがおっしゃられる通り、偏った発言ではあったかと思います。
『これは流れではなく、リズムまたはテンポです。』
これだけ、私の見解を掻き消された後なので… ですが、私はリズムやテンポとは違うと思います。
テンポ… 物事を進める速さ。進み具合。 リズム… 物事が規則的に繰り返される時の周期的な動き。
当たり前ですが、審判員に流れを作り出そうとする意図があってはなりま せん。審判員は純粋にその時々に起こる現象に向き合って判断していくべ きです。その判断が結果として試合者、審判員の相乗効果となり流れが作 り出されるというのが、私の見解です。
テンポと言われれば、意図を理解できますが、リズムは規則的なものです。 試合は唯一無二ですし、不規則な展開の連続ですので、その表現はが適切 かどうかは、理解しかねます。
『反則においては、万人が納得し理解しうるものでなければいけないで しょう。有効打突の判定につきましては、選手双方が納得できるものであ る必要がありましょう』
確かに『一致しなければならない瞬間ですね。』の“しなければならない” は度を超えた表現だったかと思います。しかし“観られている”という意識 でのぞんでいる審判員が、端から“無理”は如何なものでしょうか。人間 の見方は様々ですから、全ての有効打突を、万人に認めさせる事は難しい かもしれません。ただし“文句なしの一本”“万人が認める”一本は存在 します。
『それはどこの大会でのことでしょう?「一本にする」というのは、旗を 上げることと=(イコール)ではありません。有効打突の宣告をしてはじ めて一本になるのです』
全日本選手権です。残心の捉え方にもよりますが“終末まで見届けて一本” という判断で言えば、技が放たれた瞬間に旗が上がり、残心の終末を待た ずに宣告されているケースもあります。ちなみに私は、気・剣・体が一致 した時点で残心が加味され有効打突と宣告される技に対して、納得してお ります。
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Re: 審判批判について ( No.31 ) |
- 日時: 2011/11/01 02:42:12
- 名前: どるちぇ
- 大和魂様
>当たり前ですが、審判員に流れを作り出そうとする意図があってはなりません。 >審判員は純粋にその時々に起こる現象に向き合って判断していくべきです。 >その判断が結果として試合者、審判員の相乗効果となり流れが作り出されるというのが、私の見解です。
私は、審判がストーリーを作り,審判がそのストーリーに選手をのっけてる・・・と感じる事が時々ありますよ(^^) あってはいけないと思いますが、あるから私の予想が100%的中だったのじゃないですかね??
高校のインターハイ予選個人の試合でも、「ん?何でこの子に旗が甘いの??」って疑問に思った子が数人居たのですが、後でネット検索で全員、県の強化校に選考されている子達でした。 それに対抗して、旗を上げざる得ない技を繰り出した子達が入賞しても強化選手にもならず、予選落ちの子や入賞していない強化校の子が国体メンバーに・・・私はこの状況はどうなんだろ?って思います。何が何でも強化校の子を入賞させて国へ・・・って感じで、端からみたら、かなり周りの大人が異常ですよ。
以前県外でも、全国大会出場はエリアで持ち回りで今年は○○地区!とか審判が話しているのを聞いた事もあります。(−−;;
試合する当人同士は、真剣そのもので挑んでいるのだから、審判も同じ位真剣に挑んで頂きたいですね。 少し洞察力のある位の素人が見てて、解るような八百長?もしくは偏った視点での審判は止めて頂きたいものです。
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Re: 審判批判について ( No.32 ) |
- 日時: 2011/11/01 08:54:57
- 名前: 大和魂
- どるちぇさんへ
『審判がストーリーを作り,審判がそのストーリーに選手をのっけてる ・・・と感じる事が時々ありますよ(^^)』
この言葉をそのまま受け取れば、絶対にあってはならない事ですね。実際 に観戦していないので推測に基づいた見解になりますが、私は“そのよう に見えた”のだと思います。
意識的に行っておれば、大問題です。しかし、そんな事を審判員が口裏を 合わせて行っているとは考えにくいのです。審判員も一旦旗を置けば、 観戦者となります。その時に“この選手は強い。この選手の次はあの選手 が強いな”というような意識が働きます。
当然その意識は、審判員となった場合には一旦掻き消して、目の前の現象 に集中し判断していく訳です。ただ恐ろしい事は、人間の深層心理です。
心理学的要素にもなりますが、人間はロボットには絶対になれません。 過去に見たり経験した事が潜在的に脳裏に刷り込まれ、これが無意識に 作用するのです。ただし、そういった部分を出来るだけ打ち消す為には、 広い物の見方と他者の意見を受け入れる心のゆとりが必要となります。
どるちぇさんが観戦された試合の審判員は、無意識的にその判断に至った とは、考えられないでしょうか?
このような判断をされる方に限って、頑固者であったり他者の意見を受け 入れなかったり、我が正しい、と豪語される方が多い傾向があります。
『試合する当人同士は、真剣そのもので挑んでいるのだから、審判も同じ 位真剣に挑んで頂きたいですね。』
真剣にはされていると思いますよ。判断の仕方の問題ですね。
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Re: 審判批判について ( No.33 ) |
- 日時: 2011/11/01 09:03:07
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- To 大和魂さん
>ただ私は、応援とは言ってません。試合を見入った場合に >“赤が白からどのように取るのか?”と、いうような見方になるかと思い >発言したのです。その見方が、途中の展開で入れ替わる場合もあります。
そうですね、流れによって赤白に対する見方が変わる。 一般的な観客です。 審判はそうであってはならない、という点に関しては合意でよろしいですね?
>当たり前ですが、審判員に流れを作り出そうとする意図があってはなりま >せん。
ならよかった。 最初の方の書き込みで、「試合は試合者の攻防と審判員の判断が合間って流れが作り出さ れている」と書かれておられましたので、私がここまで食い下がったのです 〜☆
>テンポと言われれば、意図を理解できますが、リズムは規則的なものです。 >試合は唯一無二ですし、不規則な展開の連続ですので、その表現はが適切 >かどうかは、理解しかねます。
リズム、ありますよぉ 両者が開始戦に戻ったときや「わかれ」のあと、二人の呼吸と持っているリズムが一致し たときにできるだけ速やかに「はじめ」とか「二本目」など試合開始の宣告を致します。
相撲において行事が「はっけよ〜い」と声をかけ、呼吸を整え気を一致させるのと同じこ とです。剣道では「はっけよ〜い」や「位置について、よ〜い」のような呼び掛けを選手 にいたしませんが、両者を観察しながら気のリズムが整うのを待ちます。
それは「流れを作る」とは少しニュアンスが異なると考えておりますが、リズムの合わな い宣告は、一方に不利に働くこともありますので、注意が必要な場面ですねd(^-^)!
>しかし“観られている”という意識でのぞんでいる審判員が、端から“無理”は如何な >ものでしょうか。
困りましたねぇ(苦笑) 全てに人間に分かりやすい技ばかりが有効打突ではないんです。 それゆえ、審判批判も起こるわけでしょ?
角度(立ち位置)によっても見え方って違います。 観客席から俯瞰してみているのと、選手目線で見ているのと、選手・監督の武者だまりで 正座して見ているのとも違います。 当たり前ですが、見ている人の錬度によっても全く見えているものと見えないものが出て きてしまいます。
誤解があったのなら訂正しますが、有効打突に関しては審判員は少なくとも「選手双方が 納得のいく判定が出来ることが最低条件」という意味で書かせていただきました。
繰り返して申し上げますが、見ている人全員が納得する審判を目指すにしても、有効打突 には全員がわからないレベルのものもある、ってことです 〜☆
>全日本選手権です。残心の捉え方にもよりますが“終末まで見届けて一本” >という判断で言えば、技が放たれた瞬間に旗が上がり、残心の終末を待た >ずに宣告されているケースもあります。
私がおっさんさんにご案内した「打突の瞬間の竹刀放し、一本? 取り消し?」というト ピはご覧になって頂けましたでしょうか?(^^ゞ
To どるちぇさん
>高校のインターハイ予選個人の試合でも、「ん?何でこの子に旗が甘いの??」って疑 >問に思った子が数人居たのですが、後でネット検索で全員、県の強化校に選考されてい >る子達でした。
これは微妙ですね。 いわゆる強豪校や競合選手の打突って、軽く見えますが有効打突の要件をしっかり満たし ているからこそ一本になるんです。
警察と民間が戦った場合でも、打突の強さ態勢&体勢、打ち切り、決めつけなどの錬度が 圧倒的に違っていて、民間の選手がちょこっと打突部位に竹刀が触れた程度では、技その ものがかき消されてしまいます。
これは、贔屓でも何でもありません(^^ゞ
残念ながら試合は一般的に、上位の選手の剣道レベルに有効打突の基準が合わされて審判 されるものです。それゆえ、下位の選手の技が「あたっているのに…」ってなことが起こ ります(>_<) 極端な例を挙げますと、大人と小学生が大人の有効打突の基準で試合をしているようなも のです。小学生の打突は、なかなか一本になりにくいですよね(^_^ メ)
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Re: 審判批判について ( No.34 ) |
- 日時: 2011/11/01 09:57:32
- 名前: おっさん。。
- 大和魂さま、
>打突の判断や反則を取るタイミングによって試合の流れそのものが大きく 変わりますから。 ですよね。。 だから、その場の現象に躊躇なく対応できれば、問題無いって事でしょ。 そこで、試合の流れなど考えるとおかしくなる(誤解を生む)と思いますが。
>審判批判は、簡単です。しかし批判がなければ・・・ 私は、過度な勝利主義者からの批判(クレーム)は簡単であり、 純粋な審判批判(疑問)を審判に投げかけるのは難しいと思いますよ。 だから、尊重するじゃ無くナゼ批判がおきているか、まず、批判を区別せず 受け入れてますよ。
管理人さま、 お答ありがとうございます。。 私もそう考えております。 大和魂さまも、一本と認める言う事は、残心を見届けているという事ですよね。 (表現された言葉だけで考えると・・・誤解を生むと思うんです。) だから、あえて質問させていただきました。 それと、 >選手双方が納得できるものである必要がありましょう。 のお考えに、私も賛同します。
大和魂さま、
>技が放たれた瞬間に旗が上がり、残心の終末を待たずに宣告されているケースもあります・・・ エッ!感じですね・・私は実際に見ていませんけど・・ 技が放たれた瞬間だけじゃ(打突部位を切った瞬間じゃないですよね?)判断できないと思いますが・・・・
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Re: 審判批判について ( No.35 ) |
- 日時: 2011/11/01 10:23:03
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- To おっさんさん
残心には「有形」「無形」両方あります。 それを見極めた上での有効打突でなければいけませんんし、そうでなければ誤りです
剣道形の一本目は有形の残心、二本目は無形の残心ですね。
>>選手双方が納得できるものである必要がありましょう。 >のお考えに、私も賛同します。
ご賛同頂きましてありがとうございます。 観客や応援相手に審判しているわけではありませんので 〜☆
>技が放たれた瞬間だけじゃ(打突部位を切った瞬間じゃないですよね?)判断できない >と思いますが・・・・
同感です。 私はここ数年、全日本選手権を審判に次いで近い所で観戦してますが、当たった瞬間に 「面あり」なんて宣告している審判を見たことないんですがねぇ。
あ、区民大会では見たことがありますけど(^_^ メ)
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Re: 審判批判について ( No.36 ) |
- 日時: 2011/11/01 15:49:57
- 名前: 大和魂
- 残心の件は理解しました。“打突の終末まで見届けて”の表現が、相手に
対して正体し身構えを示すところまで確認して宣告するべきと、おっしゃ られているように感じましたので、確認したのでです。
技が放たれた瞬間に旗が上がり、体が動いている状態で宣告される場面が ありますが、これを“なし”とされるのかどうか お尋ねしたまでです。
『私はここ数年、全日本選手権を審判に次いで近い所で観戦してますが、 当たった瞬間に「面あり」なんて宣告している審判を見たことないんです がねぇ。』
私も、それは見た事がありません。技が放たれた瞬間に旗が上がり、その 後に有効打突の宣告されます。しかし、体が流れている状態で宣告を終え 相手に対する身構えは、その後に行っている場面、有効打突の宣告が先な ので身構えが曖昧な状態で開始線に戻るケースはあります。
それも含め、私は打突した瞬間に気・剣・体が見事に一致した技は“一本” と観ています。
『両者を観察しながら気のリズムが整うのを待ちます。』
なら“呼吸が合う”などの意味合いですか?説明をされれば“そういう事 か”と納得できますが、リズムという意味合いからは考えにくかったので。
「試合は試合者の攻防と審判員の判断が合間って流れが作り出されている」
この事と、その後の説明でわかって頂けました?“流れを作る”なんて、 一言も言ってませんが。結果的に“流れが作り出される”と言ってます。 その後の説明もしましたね。
『全てに人間に分かりやすい技ばかりが有効打突ではないんです。』
その通りです。
『それゆえ、審判批判も起こるわけでしょ?角度(立ち位置)によっても 見え方って違います。… 見ている人の錬度によっても全く見えているものと見えないものが出てき てしまいます。』
私も同じような主旨の内容を、書かせて頂きましたので、その通りだと 考えていますよ。私は理想論を言ったまでです。現実がそうあれば良いと 考え書いた事ですよ。単純な話、万人が認める技ならば審判批判なんで 起こらないんですから。
『有効打突には全員がわからないレベルのものもある、ってことです』
その通りです。だから全てとは言ってませんよ。
「打突の瞬間の竹刀放し一本? 取り消し?」
見た事がありませんので、参考にさせて頂きますね。
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Re: 審判批判について ( No.37 ) |
- 日時: 2011/11/01 16:42:20
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- To 大和魂さん
>残心の件は理解しました。
ご理解いただけてなによりです
>しかし、体が流れている状態で宣告を終え相手に対する身構えは、その後に行っている >場面、有効打突の宣告が先なので身構えが曖昧な状態で開始線に戻るケースはあります。
そうですね、そういう場面は見たことがあります。 私は、「形の上での残心を示すよりも前に打突が残心まで完結していた」として有効打突 になったものと理解しておりますが 〜☆
>なら“呼吸が合う”などの意味合いですか?説明をされれば“そういう事 >か”と納得できますが、リズムという意味合いからは考えにくかったので。
わかりにくいようでしたら「呼吸」として考えていただいても構いません。 ただ、呼吸としてしまいますと、たんに「息を吸うor吐く」だけの狭義の意味合いに捉え られそうでしたので、あえて「リズム」としました
>この事と、その後の説明でわかって頂けました?“流れを作る”なんて、 >一言も言ってませんが。結果的に“流れが作り出される”と言ってます。 >その後の説明もしましたね。
私は審判員が、「流れを作り出される」ことに加担をすべきではないという考えです。
審判は、試合者が瞬間瞬間に行う一挙手一投足を、どんな小さなことでも見逃すことなく、 試合審規則および細則に則り、正確に判断し試合を公平無私に滞りなく運営していくこと、 それ以上のことをすべきではありません。
もちろん、試合者が子どもである場合は、教育的配慮によって規則や細則に書かれていな い「指導」や「配慮」を行なうことはあるにせよ、それが勝敗に関与するようなことのな いよう、最大限の注意を払わねばなりません。
試合の流れというのは、試合時間の中で試合をしている両者の間で刻一刻と変化していく 流動的なものです。そして、その流れによって、勝敗が大きく変わってきます。 それを審判が「相まって作り出す」などということには、到底、賛同できるものではあり ません(-_-)
>しかし“観られている”という意識でのぞんでいる審判員が、端から“無理”は如何な >ものでしょうか。
揚げ足取りのようなカキコになってしまいますが、あなたがNo.30でこのように私に対し て「如何なものか」とおしゃるから、「万人に認められる有効打突ばかりではない」とい うことをご説明申し上げたまで。
ご理解いただけたようで嬉しく存じます
なお、おっさんさんへのレス(No.26)では「それでも“目指す”んですよ。それが審判 のあり方だと考えます。“文句なし”の一本を追い求めるのです」と書かれてますが、誰 が見ても完璧な一本を追い求めるのは審判じゃなくて競技者(試合者)ですよね。
どうも、大和魂さんには誤解があるように感じるわけです(^^;
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Re: 審判批判について ( No.38 ) |
- 日時: 2011/11/01 16:54:28
- 名前: おっさん。。
- またまたまた・・失礼します。
どるちぇさまが、お書きになった。 >素人が見てて、解るような八百長?もしくは偏った視点での審判は止めて頂きたいものです。 私は、どるちぇさまが審判の姿勢がそのように見えただけでも、審判は反省せねばいけないと思います。 多分、どるちぇさまはホボ同じ技量を思われる試合者通しの試合を見られて・・ 感じた事と思いますが・・・違いますか??
そう思わせる流れがあった。。。行動があった。。 無いと思いますが、審判が作った様に見えたと思うからです。
私も、審判を受けている方の大半は真剣にはされていると思いますよ。 でも、私情が無意識の内に入って、どるちぇさまがその様に感じたのと違いますか? 人間ですから、感情も入ります・・・が、審判である以上コレは反省しないといけないと思います。 そう感じさせない様に、判定マシーンになる努力がいると思うんです。
ただ、強化選手の選考基準と試合の成績とは別物と、私は思っていますので、 試合に勝ったかた云々では無く、剣道の質の違いで選ばれていると思います。 (この判断が難しいですし、観戦者として見ただけでは分からないと思います)
管理人さま、 >あ、区民大会では見たことがありますけど(^_^ メ) 私は見た事はありませんが、それこそ私情、自身の感性の押し売りですね。。。 ついでに・・・ わたしも、テンポ・リズムはあると思います。 審判のテンポ・リズムが悪ければ試合者は合気になれませからね。
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