Re: 審判批判について ( No.59 ) |
- 日時: 2011/11/03 18:11:53
- 名前: おっさん。。
- 管理人さま、
>一方の持っている流れ(優位な状況)に審判も乗ってしまう。。 そうですよね。。 審判も乗ってしまう・・・流れを見るすぎると。。 観戦者から誤解を受ける可能性も高い。。
私は、流れとは、下記の事だと思うんです。 試合者が有効打突(反則)に至るまでの過程では無い。。、 試合者(2名)の過程はそれぞれ違いますよね。 有効打突になると思われる過程はありますよね。。 (気剣体の一致〜残心ですよね・・有効打突の要素・要件ですよね) そして、試合者通しのその過程のやり取り(攻防)が試合の流れですよね。。
過程=流れ、と大和魂さまの書き方(説明)では、感じてしまうんですよ。 過程は、もし定義があっても説明できない。。 (説明しずらいかな?)
定義⇒物事の意味・内容を他と区別できるように、言葉で明確に限定すること だから、 >流れ(攻防)には定義が無い (試合者の動き(攻防)の予想はできても絶対は無い) と言われているのと思いますが。。
攻防(流れ)はAに流れたりBに流れたりしますよね、また剣道では一見、 流れが無い様(イーブン)に見えても内面(試合者の心)では流れがありますよね。 流れとは、 >流れること。流れる状態。また、そのもの。 ですよね。。
(相まって)⇒いくつかの要素が重なり合って。互いに作用し合って。一緒になって。 (合間)⇒ 物事のとぎれる間の時間。あいだ。ひま。絶え間。物と物との間。 (相まって)は、絶対いけないですし。 (合間って)でも審判が試合を作る(作られる)でも・・・
せめて・・・ 審判は試合者双方の為に、 試合者のテンポ・リズム(流れ)を崩さない(整えて)、 有効打突(反則)の過程の確認をもって有効打突(反則)を判断する。。。 (確認して試合が成立)かな?
あくまでも、試合者が審判の判断をもって、試合者が試合(流れ)を作り、 審判が正しく判定できる様に整え(試合者に対しても審判自身に対しても)有効打突(反則)判断する。 試合者によって試合が作られるとは違うと思うんですが。。
>試合者と審判員との相互関係から(試合が)作り出される。。。と、言う事は、 有効打突(反則)までの過程に審判員が関わっている事だと私は感じてしまいます。。 良い試合内容とする為に審判は 有効打突(反則)と感じた時(先ずこれが先ですよ)に、 有効打突(反則)までの過程を審判が確認して旗を上げる(判定)。。。 過程を発見して(感じて)から一本を見分ける、じゃないと思います。 審判は、先ず、より良い一本を見つけ出す(判定する)のが仕事ですから。。 だから、目の前に起きた現象だけに集中し、 有効打突(反則)と思われる現象(流れじゃないですよ)に集中する事で、 イイ試合が成立すると思うんです。
大和魂さまの言わんとしてる事は、分からなくも無いですが。。 その表現では、私には理解しずらいですし、流れが云々では一般の方では分かりずらいと 思うんです。
しかし・・・言葉って難しいですね・・ なんだか、私は分からなくなってきましたよ。。
親馬鹿一刀流さま、はじめまして。
>剣先が崩れていない相手に対する飛び込み小手。 >機会を捉えた飛び込み小手。 >相手充分で構えが崩れていない所の小手。 >構えは崩れていないが、居ついた所の飛び込み小手。 >皆様どう判定しますか? >見極められますか? ですよねぇ〜〜むずかしいなぁ〜 あえて答えるなら。。。。。(要件・要素は整っているとしてぇ〜〜) >剣先が崩れていない相手に対する飛び込み小手。 ただ、打突された方の剣先が向いているだけ(崩れていない)でいるだけなら一本かな? >機会を捉えた飛び込み小手。 これは、言葉だけで捉えると一本かな。 >相手充分で構えが崩れていない所の小手。 相手充分かぁ〜〜〜難しい。。。。でも。。整っているとしたら一本かな?? >構えは崩れていないが、居ついた所の飛び込み小手。 これも、言葉だけで捉えると一本かな。
全日本の決勝だけTVで見れました! すごいですねぇ〜〜〜〜 試合者も審判も! 東永選手のあの甲手など、流れを追うと旗が揚がりそうな、強烈な打撃音してましたものね〜〜 もし、私が審判でしたら(絶対ないですけど(笑))、 あの強烈な流れ(攻防)に押されて、確認せずに旗あげちゃいますよ。。
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Re: 審判批判について ( No.60 ) |
- 日時: 2011/11/03 18:55:43
- 名前: 親馬鹿一刀流
- Hide.さん
重要なお仕事があるのにレス頂きありがとうございます。 有効打突の要素は思いつくままに書いてしまいました。 そうですね、攻め崩しがなくとも1本になるケースはありますね。 先後の事は先の先、後の先の事ではなく、当たり前の事なのですが先に当たったかどうかの事なんです。 言葉足らずだったのですが、裏の意味を意図しまして、先に当たった方が必ずしも1本にならないケースも あるかと。
>居付いた場合は、打たれた側は打たれた瞬間、気が止まっているからです。 はい、おっしゃる通りですね。 審判批判されない方でも一般父兄の方には、今のはなんで?と分からない方が多いのではないかと思いまして。
おっさん様 結構むずかしいですよね。 でも、そういうケースもあるんですよ。
再度皆様へ 恥を忍んで、正直に申し上げます。 普段は小中学生の審判がほとんどなのですが、1日に1回はあの打ちは上げるべきだったなとか、止めをかける タイミングが遅れたなとか必ず反省があります。 審判も人の子です。修行中の身と思って暖かい目で見てください。
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Re: 審判批判について ( No.61 ) |
- 日時: 2011/11/04 16:40:18
- 名前: おっさん。。
- 親馬鹿一刀流さま、
1日一回ですか! 私は、ホボ毎回ですよぅ(泣) それが、審判員の本来の姿だと思います。
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Re: 審判批判について ( No.62 ) |
- 日時: 2011/11/04 18:19:30
- 名前: おっさん。。
- しつこい様ですが。。。
昨日の全日をTVで見て感じました。。。 やっぱり・・・・
有効打突(気剣体の一致)
理合とは、 (要素)間合・機会・体制・手の内の作用・強さと冴え・・・等ですよね。 (要件)刃筋・気勢(発声)・打突部位・竹刀の打突部・姿勢・・・等ですよね。 これらに、残心。 (構え)気構え・身構え・・・等ですよね。
要素とは、主に攻防に関する事を示す事ですよね? 要件とは、主に攻防の末、繰り出される体制(と言うのかな?)に関する事を示す事ですよね?
要素及び残心。(構え)気構え・身構え等は、有形(イロイロある)、無形がありますよね。 剣道及び観戦経験の差はありますが、要件。反則事項等は有形で一番、理解しやすい。。 要素及び残心は、それこそ剣道経験がそのレベルに達しないと分かりずらいから、 要素に対する批判が少ないと思うんですよ。 現に・・・今回の全日のトピでも当たった当たっていない。。。
要件が惜しいと見ても(空を切るような、絣もしない、対戦者の気の絶たない様な打突は論外ですが)、 それを要素等が、その要件を、はるかに超えるイイものと感じたら 旗が上がるなど、分かりずらいでしょ。。 (これこそ主観でその場に立たないと経験者でも分かりずらい)
そりゃ、要素も形(定義)があれば、万人でもわかると思いますが。。 それじぁ、剣道じゃ無いですよ。。 だから批判を一括りで、審判に、モノを申したらダメだぁ〜〜じゃ無いと思うのです。。。 一見して分かりやすい(要件・所作)を誤ると・・・と思うんです。
だから、目の前の現象に集中する。 目の前の現象に集中すれば・・・・・・自ずと攻防の流れは感じるモノ。
だから、流れを負うものでは無い。。。と思いますし。 感じるモノを審判が関わって試合が作られたらイケないと思うんです。 いかがでしょうか???
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Re: 審判批判について ( No.63 ) |
- 日時: 2011/11/04 22:52:11
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- 管理人のHide.です。
全日本から帰ってまいりました。 留守中、掲示板が荒れなくてよかったです。 皆様のご協力に感謝いたしますm(_ _)m
でも、「大会板」の全日本のトピは、予想通り荒れました(T T) 意見ではなく感情の赴くままに書かれたものや、本人・関係者に配慮のない書き込みは削 除いたしましたが、どうして、口さがなく批判が書き込めるのか理解に苦しみます。
有効打突の判定は審判の主観に委ねられておりますので、三者の合意によって判定された ものは、それがたとえ未熟な判定であったとしても「尊重されるべき」と考えます。 「ミスジャッジも含めて試合」 というのが、現役時代からの私の考え方です。
ミスジャッジで得したこともありますが、悔しい思いをしたことも数知れずあります。 ゆえに、審判となった今では、「選手のために納得のいく審判を」ということを一番に考 えるのかもしれません。
昨年の全日本選手権決勝で、内村選手が高鍋選手に出鼻面を打たれました。しかし、スー パースローの映像ではあたっていなかった(現場では間違いなくあたっているように見え ました)。 そのあとの内村選手のコメントで「素晴らしい出鼻面をいただきました」と頭を下げたそ うです。これが剣道を学ぶ者の姿ではないでしょうか。
天皇杯を逃すということは、プロ選手である彼らにとってどれだけ大きな損失か。 でも、彼は恨みつらみなど一言も言いませんでした。 素晴らしい崇高な精神ですね お相手にそして審判に対する「礼」の気持ちがあればこそだと思います。
もちろん、ミスジャッジはあってはなりません。 審判に携わる者は、それがたとえどんな大会であっても、選手以上に気持ちを引き締め、 真摯な姿勢態度で審判にあたるべきなのです。 相撲の立行事は「差し違いをしたら肚を切る」といった目的で懐剣を持っているそうです が、そのくらいの気概で審判に臨みたいものです。
今年の全日本でも判定をめぐって「あたった」「あたっていない」「こっちがはやかっ た」など喧々諤々の書き込みがありましたが、選手たちの素晴らしい試合とそれに至る努 力を慮り、全力で戦い合う姿をこそ尊いと感じ観戦したいものだと考えるものです
●みなさんへのレスは改めて書かせていただきますm(_ _)m
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Re: 審判批判について ( No.64 ) |
- 日時: 2011/11/06 01:01:15
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
少し間が空きましたが、逃げた訳ではありませんので。全日本選手権が 終わった後に蒸し返すようで申し訳ありませんが、御返信致します。
>面と向かって話し合いをしていたときにも、私に対してそう感じたからと いってそのような言葉を投げかけますでしょうか?
不快な思いをされた事をお詫び申し上げた上で… 2、3度のやり取りで、言ったなら「何をわかって言ってるの?」という風 に、当然なります。Hideさんとは、度々やり取りをさせてもらっています 。
数々のやり取りの中で、Hideさんの書き込まれ方や私に対する質疑応答の され方を見て、本当に率直にそのように感じましたので、言ったまでです。 それなりの経過とやり取りを経て、言わせて頂いたつもりです。 (私だけがそう思っていて、Hideさんには距離があった事はよくわかりました。)
私は面倒向かって話し合いをする際、ある程度の距離が縮まれば本音を 言いますし、逆に言われたとしても非難をするだけで済ますような事は 致しません。
もちろんネチケットに反するような事を言われた時は、腹が立ちます。 でも腹が立つ事以上に“そんな事を言われる節が自分にあったんだろうな” と、自分の行いを振り返るようにします。自分に非が見つからなくとも “今気付けないだけで相手には相手の事情があったのだろう”と、怒りを 理性で静め理解できる時を待ちます。
以前に越境問題のトピで、絶対に嘘!さんから、私「屁理屈」と言われまくり ました。その時は不愉快な気分でしたが、同時に反省もしました。そう 思われる部分があったんだな、と。
「これを最後にする」という相手様の書き込みと、何度も「屁理屈」と 私におっしゃっていたので「もう質問は致しません」と、最後に書き込み その後は相手様からの返信もなかったので、やり取りもなくなりましたが…。
その時、Hideさんのフォローは一切なく、私は「Hideさんも、私が屁理屈を 言ってると感じたのかなぁ。容認されているんだ。」と思い、暗にその 言葉自体も容認されているのかと考えとおりました。そんな記憶もふと 蘇った今回の一見です。
「逃げ」「すり替え」は ネチケット違反ではないのでしょうか?少なくと も私は、そう思われる部分があったと考え反省しましたが、同時に真剣に 考えている私は良い気もしませんでした。
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Re: 審判批判について ( No.65 ) |
- 日時: 2011/11/06 01:02:15
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
「流れ」について整理します。私は「流れ=経過」とも考えており、流れ 本来が持つ意味である「流れる状態」と、ほぼ 同じ意味合いで捉えています。
「適切な技が継続的に行われている」という行為そのものに、その選手の 流れ(経過)が存在します。流れはあくまでも経過と考えており、そこに 「積極的な攻め」や「ある」「ない」などの言葉や行為が加わる事で、 「流れ」が限定された意味合いとなり「定義付け」に変化します。だから 私は「剣道でいう流れ」に定義はない、と考えています。
上記に書いた内容で示した通りですが、もうひとつ考える所があります。 「流派や師範により…」と書きましたが、流れという言葉が示す意味を 万人が同じ解釈をしていない、と私は思い書いた言葉です。
具体例と言われると難しいですが、流れを単なる経過と考える人間も いれば、流れそのものの意味を「優勢」であると考える人間、流れという 考えはなく有効打突の「瞬間」を考える人間…指導を受けた経過によって 考え方も違ってくるのではないか、と私は思います。
「定義=明確に限定する事」と私は解釈しています。「剣道でいう流れ」 の意味に、定義付けはされていないと私は考えているのです。
「流れが重要」である、と私は考えています。定義はありませんし、個人 が持つ「流れ」に対する考えはそれぞれにあるでしょう。私は「流れ= 経過」と考え、「流れがどうであるか」という事が重要だ、と考えている のです。
そこで新たに納得できたのが、おっさん。。さんの考えでした。「審判は 審判の仕事(流れ)、試合者は試合者の仕事(流れ)に集中すればイイ 試合(仕事)が成立すると考えるんです。」という内容です。
「流れ」と「仕事」は、意味合いが異なるのですが、それでも納得できた んです。「仕事」となれば「しなければならない事」となりますので、 「流れ」とは、全く別物なんですが、審判員は審判員の流れ(仕事)、試合 者は試合者の流れ(仕事)に集中する事、これらが重なって試合が成立する、 という解釈に辿り着きました。
「流れ」が持つ言葉の意味の深さについても、考えさせられました。 「流れ」そのものが「経過」であり、その「経過」を辿る上で試合に集中する事は、しなければ ならない「仕事」であると…。
そして「合間って」ではなく、「重なって」という表現の方がしっくり くるので変えました。
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Re: 審判批判について ( No.66 ) |
- 日時: 2011/11/06 01:09:14
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
No.63の内容と、ここのトピと関係が深い全日本選手権試合結果のNo.90の 内容には、共感致しました。理解と考えを深めたいと思いました。
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Re: 審判批判について ( No.67 ) |
- 日時: 2011/11/06 08:50:41
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- To 大和魂さん
「流れ」につきましての解釈のご説明、ありがとうございます。
私とは全く異なる捉え方をしていることが分かりました。 私は剣道における流れは「時間の経過」とは考えておりません。
辞書上の意味(あまりこれを重視するものではありませんが)によりますと、「流れ」に は「屋根などの傾斜。また、その度合い。」という意味もあるようです。
つまり傾きがあるものを指す言葉でもあると解釈できます。
私が「流れ」を使う場合は、 ●試合の勢いがどちらかに傾いている(=どちらかが有利でどちらかが不利) といった場合に多いため、大和魂さんの書き込みに疑問を感じたわけです。
そもそもの用語の解釈が違うために回り道をしたようですね。 失礼いたしましたm(_ _)m
>私は「流れ=経過」と考え、「流れがどうであるか」という事が重要だ、と考えている >のです。
そこで「流れ=経過」という解釈で仕切り直して考えてみますが、
この一文から言い換えると「経過がどうであるかが重要」ということですよね。 その「経過」というのはあくまでも時間的な経過だけで、そこに優劣という概念は付帯し ないというお考えなのでしょうか?
「流れがどうであるか」の「どう」とは? 「経過がどう」とはどういう意味でしょう?
時間の経過や物事の移り変わりのどこをどう見ているのか? 私が言うところの「流れがある」の「ある」か「ない」かということを見ている訳ではな いのでしょうか?
そのあたりをご説明いただけますでしょうか
なんて細かいことを書くとまた、「屁理屈コネ回し」の「言葉あそび」なんて言われちゃ うのかな?(^^ゞ
>No.63の内容と、ここのトピと関係が深い全日本選手権試合結果のNo.90の >内容には、共感致しました。理解と考えを深めたいと思いました。
ご共感いただけまして嬉しく存じます
ただ、こうした部分というのはおそらく剣道未経験の保護者の方には納得していただけな い部分なのだろうな、とも考えております。
ゆえに、トピ主のミトリーズさんの疑問・お悩みに対する回答には成り得ませんね、たぶ ん(>_<)
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Re: 審判批判について ( No.68 ) |
- 日時: 2011/11/07 11:20:58
- 名前: おっさん。。
- 管理人様、大和魂様。。
大和魂さま、NO65を拝見させていただきました。 やはりそうでしたか。
NO15では、私の問いに関して、 >…この見解と私の見解は異なりますね。稽古であれば、対峙した二人が 流れを作り勝負します。しかし、試合は試合者の攻防と審判員の判断が 合間って流れが作り出されていると、私は考えています。 と、おっしゃってます。。 私は、合間ってでも、相まってでも、重なってでも(実際そうだと思いますが) 重なるとは、ある事に、さらにそれと同類の物事が加わる事でしょ。 審判と試合者は同類では、誤解を招きますよ。。 審判が、アッ!あそこで流れが変わったなぁ〜〜と見る事(乗っかる)がダメだと思うんです。
で、NO19 >流れの確認はしています。 では、訳が分かりずらいですよ。。
NO59、62 よんでいただきました?? ご意見いたたければ、有り難いです。私の間違いかもしれませんので。。
管理人様、
観戦者からみれば、時間の流れも試合の流れもあると思います。 だから、審判が試合の流れを注視しては正しい判定が鈍る。。って事ですよね。
私は、流れに関しては余り問う気持ちはありません。 何故なら、そこまで剣道に対しての知識も無いですし。。。 ただ、 試合を作る行為という事は、 傍から見れば、試合者通しが一本(有効打突)をお相手から奪い合う行為(立ち会い=稽古と同じ)であっている行為。。 それに審判が関わってはイケないって言う事だけなんです。。 試合者通しのその行為を判定するのが審判。。。。
管理人様にも、できましたらNO59、62に関するご意見を頂けたら有り難いです。。 私の言葉の意味等の受取方などの間違いかもしれませんので。。
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Re: 審判批判について ( No.69 ) |
- 日時: 2011/11/07 22:06:35
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- To おっさんさん
>管理人様にも、できましたらNO59、62に関するご意見を頂けたら有り難いです。。
まだ、全日本の原稿が片付いておりませんで(>_<) たいへん込み入った内容ですから、終わりましたらレスされていただきますm(_ _)m
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Re: 審判批判について ( No.70 ) |
- 日時: 2011/11/08 00:20:37
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
>なんて細かいことを書くとまた、「屁理屈コネ回し」の「言葉あそび」 なんて言われちゃうのかな?(^^ゞ
ハハハ(笑)一度嫌がられた言葉を二度も使いませんよ 。Hideさん、 トラウマにでもなられたのですか?それに「私、そういうのも嫌いでは ありません。」と、以前にお伝えしたはずなので御安心を。
>その「経過」というのはあくまでも時間的な経過だけで、そこに優劣とい う概念は付帯しないというお考えなのでしょうか?「流れがどうである か」の「どう」とは?「経過がどう」とはどういう意味でしょう?
時間という意味での経過もそうですが「なりゆき」から「結果」までを 考えています。試合中に起こる事の全てが「流れ」であると、私は解釈 しております。
「流れ」に「ある」が付帯した言葉を私なりに解釈すると、「流れ=試合 のなりゆきから結果まで=経過」に「ある=優勢に働いている」という 感じです。なお「結果」とは、勝敗の結果という意味だけではなく、その 時に観た瞬間に判断した内容を、その時点での「結果」という意味で示し ております。
おっさん。。さんへ
>審判と試合者は同類では、誤解を招きますよ。審判が、アッ!あそこで 流れが変わったなぁ〜〜と見る事(乗っかる)がダメだと思うんです。
おっさん。。さんの捉え方とは違った目線からの言葉かもしれませんが、 「審判員は試合者と同じ気持ちで」と、亡くなられた範士八段の先生から 教えられました。乗っかる訳でもなく(そんな事は言ってませんが)おっさん 。。さんの一文に共感したように、審判員と試合者が各々の立場から、 時々に起こる現象に集中する…この結果が重なり合い「流れ」となる、というのが私の解釈です。
Hideさんの言葉です。 >有効打突の判定は、現代剣道における永遠の課題なのかもしれません。
>全剣連の映像を見る限り、東永選手の小手は有効打突とすべきと感じて しまいます。
>「警察大会で上がるものが全日本では上がらず、警察大会で上がらない ものが全日本では上がる」とおっしゃるのです。
>しかしどうでしょう。「あれは一本ですか?」と専門家にではなく剣道 愛好家100人に問えば、おそらく8割方の人が「有効打突だ」と答えるのでは ないでしょうか。
全ての言葉に共感しましたよ。
※続きは次の書き込みに…
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Re: 審判批判について ( No.71 ) |
- 日時: 2011/11/08 00:23:42
- 名前: 大和魂
- 続きです。
Hideさんの審判員としての心得は、以前に書かれていた通りです。一番 印象に残った言葉は「旗揚げマシーン」です。これは、おっさん。。さん も共感されていました。
「旗揚げマシーン」という言葉に納得しきれず、暫し私の頭で温めていま したが、今回の選手権を観た時に私が感じた事と、選手権についての書き 込みの全てを拝見して、ここに書けるだけの答えが取り敢えず見つかり ました。
一口に「旗揚げマシーン」と言っても、全てが同じマシーンではありま せん。製造年月日も違えば製造元も違う。一番は性能が違う。いくらマシ ーンになったところで違いが出てしまうのです。
>「あれは一本ですか?…おそらく8割方の人が「有効打突だ…でしょうか。
とある一文に私が納得した通り、Hideさんは「8割方」と予想されていま す。本当に「旗揚げマシーン」になりきれるのなら、審判員は一人で良い のです。これを三人の審判員の元で試合をさせる所が、既に曖昧さの現れ です。
打突に対して旗が一人しか挙がらない、二人の旗で有効打突…など、試合 の勝敗を人間の曖昧さに委ねているのです。当然、主審・副審により観る 角度は違うでしょう。(この件については、以前に書き込みました。)しかし マシーンなら角度で違いが出るようではいけない、と私は考えます。
>「警察大会で…全日本では上がる」とおっしゃるのです。
この一文に示された事は、製造元・製造年月日が同じマシーンが審判を したとしても、マシーン自体のデータが変わってしまうという事です。 これは中学生の試合でもありえます。(レベルは違いますが)中体連の大会で、 三所隠しの反則を宣告した審判員が、道場主催の大会では反則を取らない。 規則の違いから起こります。これにより、試合の流れは大きく変わります。
またA県とB県との有効打突の基準の違いで、よく先生方がそれぞれに話を されます。私の解釈は 「A県にはA県の見方、B県にはB県の見方がある」です。
私は板挟みに合う事があります。B県の先生が「A県の審判員は有効打突が 見えていない。あそこで反則を取っていたら、試合が活性化しない。」 一方A県の先生は「B県の審判員は当たっただけの技を有効打突にしている。 反則の判断ができていない。」
私は「そうですねえ…。」と、各々に軽く同調しつつ(協調性も大切です ので)濁しています。
※続きは次へ
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Re: 審判批判について ( No.72 ) |
- 日時: 2011/11/08 00:26:21
- 名前: 大和魂
- 続きです。
私は思うのですが、どちら共に間違っていないのです。各々の環境が違う から、価値観も違うのです。しかし、怖いのがこのパターンです。
A県の大会にB県の先生が、数名審判員となられた場合です。B県の先生が、 地元の基準で判断されていると「あの審判員だけ旗が軽い。」と見られて しまいます。これが逆なら「あの審判員は見えていない。」となります。
ここから先は、Hideさんの「全日本と警察大会」のお話と合わせて考えて 頂きたいのですが“基準の違い”を感じるかどうかです。審判員は、正義 感を持って勤め上げなければいけませんが、同時に協調性も兼ね備えて いなければ浮いてしまうのです。このバランスが重要である、と私は考えます。
これまでの話を元に「流れ」の話題に戻します。私は試合者と審判員の 判断が結果として重なり合い試合が成り立つという考えです。
三人の価値観の違う審判員が、その大会の基準の元に各々の正義の元で 審判員を勤め上げます。その事自体に微妙なズレが生じてくる訳です。 (この事に疑問を感じたら前の内容を確認して下さい。)この事が、試合の流れを作っていると考えています。
自分が有効打突と信じても、打たれたと感じても審判員が認めなければ、 有効打突にも打たれた事にもならないのです。ここで大切な精神は…
>そのあとの内村選手のコメントで「素晴らしい出鼻面をいただきました」 と頭を下げたそうです。これが剣道を学ぶ者の姿ではないでしょうか。
これだと思います。審判員が下した判断を理解しようとする精神こそが、 学ぶべき姿だと思います。
構えている状態で「メンあり!」とは言われません。そこには、何らかの 要素があるはずです。納得できないモノから、1%でも0.1%でも要素を考え 審判員の判断を理解する心情こそが、試合者の崇高な精神だと思います。
>天皇杯を逃すということは、プロ選手である彼らにとってどれだけ大きな 損失か。でも、彼は恨みつらみなど一言も言いませんでした。素晴らしい 崇高な精神ですね お相手にそして審判に対する「礼」の気持ちがあれ ばこそだと思います。
正にこれですね。Hideさんが伝えたいニュアンスとは、多少違いがあれど 剣道家の端くれとして、私ま見習わなければいけない精神です。
※続きは次へ
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Re: 審判批判について ( No.73 ) |
- 日時: 2011/11/08 00:28:32
- 名前: 大和魂
- 続きです。
あと自分で発した言葉に疑問を感じた「万人が認める一本」についてです。 これは、今回の全日本を観て正直「不可能な事だな。」と、感じました。
しかし、審判員が一定の見識と正義と協調性を兼ね備えた上で、内村選手 のような崇高な精神を持つ試合者が対戦したなら…「万人が認める」と いうよりかは、認めざるおえない、となる試合が成立するのではないか、 と。これは理想論ですので、一般論とは程遠いですが…。
ビデオ判定なんて事になれば、剣道の奥床しさが失われてしまうでしょう。 曖昧さがあろうとも、価値観の違いがあろうとも、剣道のある種の “人間くささ”が魅力だと私は思います。
まだまだ、突っ込みどころはあるかもしれませんが、私は私なりに剣道に 対して理想論と現実問題との狭間で、整合性を持って解釈しようと真剣に 考え抜いております。
Hideさんに対しても、逃げずに答えました(笑)
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Re: 審判批判について ( No.74 ) |
- 日時: 2011/11/08 08:51:02
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- まだ、原稿が書き上がっておりませんので、とりあえず、No.59と62のおっさんさんへの
レスのみを書かせていただきたいと思いますm(_ _)m
To おっさんさん
No.59の前半部分は大和魂さんの用語についての考察ですから、レスは不要でよろしいで すね?
>審判は試合者双方の為に、 >試合者のテンポ・リズム(流れ)を崩さない(整えて)、
この部分には同意します。 審判は、試合者の持つリズムやテンポを乱すことなく試合を運営する責務があります。 場合によっては「整える(=どちらか一方に有利にならないようにする)」ことも必要と 考えます。
>有効打突(反則)の過程の確認をもって有効打突(反則)を判断する。。。 >(確認して試合が成立)かな?
こちらは、瞬間的に確認ですね。 あくまでも「その技あるいは反則行為の始動から終末までの確認」のみです。さらにさか のぼって過程(=たぶん流れと同義)を見てしまうと、判断が歪みます。
私が言う「流れを見ないで現象面のみを見る」は、今目の前で起こった技あるいは反則に ついて、その始動から終末までのみをもって判断し、それ以外の付帯条件を考慮しないと いうことです。
これは全日本のトピにも書きましたが、「どちらかが一本取っている」「どちらかが反則 を犯している」という付帯条件は、頭の角の記憶領域に入っていればいいことで、目の前 の技あるいは反則の判断にそれが影響されるようなことがあってはならないと考えていま す
>あくまでも、試合者が審判の判断をもって、試合者が試合(流れ)を作り、 >審判が正しく判定できる様に整え(試合者に対しても審判自身に対しても)有効打突 >(反則)判断する。 >試合者によって試合が作られるとは違うと思うんですが。。
この文、自己矛盾してませんか? これでいいのかな??
私は、
●試合者が試合をつくり、審判がそれを試合審判規則に照らして正しく判断する。また、 審判は必要に応じて、試合者のリズム・テンポを整える
と考えます。
>そりゃ、要素も形(定義)があれば、万人でもわかると思いますが。。 >それじぁ、剣道じゃ無いですよ。。
全日本のトピにも書きましたが、元々剣道の試合規則はザルだらけなんですね。 競技を中心に生まれたスポーツではありませんので。
要件が整っていても一本にならないものがあったり、要件が不十分なのに一本になるもの もある。主に批判対象になるのは後者なわけですが、そこは、専門家をもってしても明確 に説明しにくいところでして、どうしても「経験値(競技力と競技理解力)」が必要にな ってくるのです。
ただ、だからといって盲目的に「素人にはわからない」「審判の言うことは絶対だ」と頭 ごなしに言われれば、誰だって肚が立ちますよね(^_^ メ)
「それだけ深遠なものなのだから、審判の判定は尊びましょう」ともっていきませんと(笑)
いや、全日本のトピも荒れてましたが、こんな風に説明しますと収まりましたでしょ 〜☆
>だから、目の前の現象に集中する。 >目の前の現象に集中すれば・・・・・・自ずと攻防の流れは感じるモノ。 >だから、流れを負うものでは無い。。。と思いますし。 >感じるモノを審判が関わって試合が作られたらイケないと思うんです。 >いかがでしょうか???
はい、私は終始一貫してそう申し上げております
常に一瞬一瞬「技の始動から終末まで」のみを瞬間的に見極め、そこに至る前後の流れと 切り離して瞬時に判断できるようにしなければなりません。まさにスパコン並みの計算能 力が要求される。 それゆえ「旗揚げマシーン」になる必要があるのですd(^-^)!
ちなみに私が試合を観客(監督・指導者)として観戦するときは、「立ち上がりから両者 の攻防と気の流れを追い、その変化を探り、変化の原因となったものを分析し、次の一本 を予測する」なんてことをしています。 まさに、試合者と同じ気持ちになり、さらに俯瞰的に高見からも見ているのです。
監督や指導者の場合は、我が選手が負けた(打たれた)原因の分析も行いませんとね。 あ、褒めるために「よかったところ」も分析しませんと(笑)
これは、審判とはまったく別の見方です。 ゆえに、審判をしたときは、試合の詳細を全く覚えていない…ってことになります(^^ゞ
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Re: 審判批判について ( No.75 ) |
- 日時: 2011/11/08 17:53:34
- 名前: おっさん。。
- 管理人様、大和魂様。。
大和魂さま、 >「審判員は試合者と同じ気持ちで・・・・・・」 私も、同じ教えを恩師から受けましたよ。 恥ずかしながら教えを受けた当時は、この(同じ気持ち)と言う言葉の意味を、 試合者と同じ立場と受け取っていました。 しかし、今は、いろいろな経験、いろいろな方から教えを受け、同じ立場では絶対に無いと思っています。 だから、 >審判員と試合者が各々の立場から、時々に起こる現象に集中する。 私と同じ思いじゃないですか。 でも、 >この結果が重なり合い「流れ」となる、・・・・・・ と感じる、と考えて、良いのは観戦者・試合理外(勝敗)関係者ダケと思います。。
そこに(で)審判が云々で「試合の流れ」が作られると、おっしゃいましたので・・・
審判と試合者が同じ立場なら、作られるでもいいと思います。 でも、同じ立場では無いのですから、 審判が(試合者通しの攻防=試合の流れ=試合の経過、から結果)と見るのはイケないと思うんです。 審判で言う「結果」とは、有効打突・反則行為の判定じゃないですか?
妥協ができても、 試合者が試合を作り、審判はそれを判断し、試合が成立する。。と思いますが。。 (成立)ある物事が出来上がる。。。ですよ。
流れの定義に関しては、管理人さんにお任せします。。。 私のお頭と文書力では・・・・(><
>「旗揚げマシーン」になりきれるのなら・・・・・ 人間ですから不可能ですよ、だから2〜3名で判定するのと違うのですか、 それを一人一人の審判が心掛けないとイケないのと違うでしょうか? マシーンと言うのは、その位、その仕事に徹する(徹せよ)という事ですよ
この姿勢は、試合のレベルなど関係ないですよ。 各大会・地域による判定の違いはあれど。。。
ちなみに、私は教え子たちにも言っている事ですが、 「剣道は芸事で、見てもらって、認めてもらってナンボ」 「見てもらえる様になれば、イイ試合(内容・結果)がイズレ付いてくる」 これは、試合者の仕事に集中しろ、稽古の如く、って事です。 だから、勝ち負けに関わらず、イイものはイイ、悪い者は悪いって指導するのでは無いでしょうか。 (本音は、どんな事をしても勝って欲しいですけど・・堪えて。。。)
何故この様に言うか? それは、傍から見てて・・ 特に少年の審判の大半は、試合者と同じ立場で試合を見て、主観的に【好き嫌い】 を判断する方が多いと思うからです。 これが、批判の元ですよね。
やはり、NO79で管理人さんが述べる様に、 >●試合者が試合をつくり、審判がそれを試合審判規則に照らして正しく判断する。また、 審判は必要に応じて、試合者のリズム・テンポを整える と思うのですが。
管理人さま、 私の・・・ >あくまでも、試合者が審判の判断をもって、試合者が試合(流れ)を作り、 >審判が正しく判定できる様に整え(試合者に対しても審判自身に対しても)有効打突 >(反則)判断する。 >試合者によって試合が作られるとは違うと思うんですが。。
おかしいですね。。なんかシックリこないですね。。 イロイロ考えすぎてしまいました。。(>v<)
やはり、素直に、 >●試合者が試合をつくり、審判がそれを試合審判規則に照らして正しく判断する。また、 審判は必要に応じて、試合者のリズム・テンポを整える ですね。
私は、審判の時は試合の精細までは余り憶えていませんが、 審判を終わった後で・・・無意識に記憶が蘇って・・ または、私自身が試合結果に疑問があった(あってはイケないですが)、 また他の者から質問(批判)があった場合など 試合内容の記憶を呼び起こして確認、反省はありますけど。。。 まだ、まだ修業がたりませんね。。。。
それにしても・・・・日本語は、審判は難しいですねぇ〜〜〜 またまた、言葉の意味等の受取方などの間違いかもしれませんので。。 ご教授いただければ嬉しく思います。
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Re: 審判批判について ( No.76 ) |
- 日時: 2011/11/08 23:16:13
- 名前: 大和魂
- おっさんさんへ
う〜ん…話を前に進めましょう。
>審判が(試合者通しの攻防=試合の流れ=試合の経過、から結果)と見る のはイケないと思うんです。
これは、何度も言っています。本来は、おっさんさんやHideさんの考えに ほぼ近いかと思います。しかし、審判員が人間である以上、また三人の 審判員による判断がなされている以上、私は結果として「流れ」を左右 していると考えます。
>特に少年の審判の…【好き嫌い】を判断する方が多い…批判の元ですよね。
あってはいけない事ですが、おっさんさんが観た現実問題がコレでしょ? でも、もしかしたらおっさんさんのその見方は、間違っているのかもしれ ませんよ。先入観からの見方であって、実は審判員は、公明正大に判断を されているのかもしれません。
ただ、審判員がマシーン化しようが、主観があろうが、三人の審判員が 全く同じ判断をされない以上、表面的に試合を観れば、曖昧さや疑問点が 残ってしまうのです。この事が、結果的に審判員も試合の流れを作ってし まっている根源です。
Hideさんが、サッカーのオフサイドのミスジャッジについての話題を出さ れていました。これは、剣道試合の有効打突や反則の判断において、参考 になると思います。(Hideさんは、そのあたりとリンクするという考えの元 、書かれていたと考えています。)
人間の判断には、微妙な曖昧さがあります。その曖昧さが、試合の流れを 左右してしまう、と私は考えているのです。
おっさんさんの考えは理想論として、また目指すべき心得としては理解 できます。しかし、人間である以上、現実問題として(おっさんさんが少年 剣道の例で示された通り)流れは、多かれ少なかれ審判員にも作り出されて しまうという考えです。
>「旗揚げマシーン」になりきれるのなら・・・・・人間ですから不可能 ですよ、だから2〜3名で判定するのと違うのですか
当然それは理解できています。心得としての「旗揚げマシーン」ですね。 しかし、不可能と書かれている通りなんです。2〜3人の審判員を配置してい る事こそ、判断を数の論理で濁しています。(かなり言い方悪いです。)一名 の審判員が全てを判断し、批判も全て受け入れる…なんて試合があれば、 曖昧さも少しは拭い去れるのかも…。Hideさんの、自己申告性の一本勝負(でしたっけ?)は、もっと究極的ですね。
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Re: 審判批判について ( No.77 ) |
- 日時: 2011/11/09 09:43:03
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- まだ、原稿が仕上がっていないのですが、とりあえず時間が空きましたのでレスをつけさ
せていただきます
To 大和魂さん
まず、No.70ですが
>時間という意味での経過もそうですが「なりゆき」から「結果」までを >考えています。試合中に起こる事の全てが「流れ」であると、私は解釈 >しております。
なるほど、「流れ=経過=なりゆき」なんですね。 定義はないとおっしゃってますが、これが大和魂さんがお考えになっている「流れの定 義」と考えてよろしいのですよね?
またまた好きではない辞書を弾いてみますと、辞書上の「なりゆき」の意味は、「物事が 移り変わってゆく様子や過程」 と書かれていました。
そこで、再度、No.4の大和魂さんの書き込みに目を転じてみますと、
>試合には“流れ”があります。適切な攻めが継続的に行われている中で、 >放たれた技には、旗が上がります。しかし、同じ強度・気迫であっても、それまでの >流れの中で消極的な攻防や鍔ぜり合いがあれば、1本にならない事があります。
う〜ん、やはりここが引っかかります。 やはり、大和魂さんは有効打突が起こる直前の経過まで含めて有効打突の判断材料にして おられるように読み取れます。
「適切な攻め」や「消極的な攻防」という成り行き(=過程)が、有効打突の判定に影響 を及ぼす…と大和魂さんのお考えを解釈できますが、私の解釈に間違いありませんでしょ うか?
もし私の大和魂さんのご意見に対する解釈が間違いないのなら、ここが私との意見の異な る部分であり疑問に感じるところです。
全日本のトピや、おっさんさんへのレス(No.74)にも書きましたが、私が見ております のは、「技の始動から終末まで」です。大和魂さんの使い方でわかりやすくするならば、 「技の始動から終末までの経過です」と書いてもいいのかもしれません。
その技が生ずるより以前の「流れ=経過=なりゆき」は、私が審判として判断を下すとき には関係ない(=見てない=考慮していない)のです
>一口に「旗揚げマシーン」と言っても、全てが同じマシーンではありま >せん。製造年月日も違えば製造元も違う。一番は性能が違う。いくらマシ >ーンになったところで違いが出てしまうのです。
これはNo.71からの引用ですが、仰る通りです。 それがいわゆる「審判員の錬度」ということになります。 全日本のトピでの書き方を致しますれば「競技力&競技理解(能)力」です。 これの違いにより、厳密にいえば、一人として同じ性能を持つマシンは存在しません(^^ゞ
>これを三人の審判員の元で試合をさせる所が、既に曖昧さの現れです。
私は「曖昧さ」ではなく厳密さを求めたゆえの三審制と考えます。
戦前は二審制で、主審が絶対的権限を持っていたのはご承知の通り。 有効打突の判定については主審も副審も同等の権限を持っている現行の三審制は、かなり 民主化された状況なんです(^^;
ちなみに、この部分の私の書き込みの引用ですが、「8割方」というのは「一般の剣道愛 好家に聞いた場合」であって、「審判員に聞いた」という条件設定ではありませんので、 大和魂さんの引用ミスですね。
よって、この部分には言及いたしません。
>しかしマシーンなら角度で違いが出るようではいけない、と私は考えます。
これは否定いたします。
同じ性能のマシンを3台用意できたとしても、角度による違いが出ることは、全日本のト ピに私が書かせていただいた通りです。
東永選手が高鍋選手に打った小手は、背後から(主審方向から)見ていた私は「一本では ない」と感じました。しかし、全剣連がUPした真横からの映像を見ると「一本にしなきゃ いかん」と素直に感じます(>_<)
角度によって見え方は様々です。 NO.33でも書かせていただいてますが、審判目線、観客席の目線、武者だまりの監督や選 手の目線…流れを追った見方をしなくても、それぞれの角度から見えているものは異なり ます。
この件は、No.36で大和魂さんも同意してくださっていると思いますが。
そも、裏のものは肉眼では見えません。 でもそこは、体勢、刃筋、音などから判断していいことになってますよね
>この一文に示された事は、製造元・製造年月日が同じマシーンが審判を >したとしても、マシーン自体のデータが変わってしまうという事です。
これとて、流れを追っているからではありません。 有効打突としてマシンにイップットされた情報が異なるのです。
その後「三所隠しの反則の適用」を例にあげておられますが、それにしてもしかりです。
中体連のグランドルールにあっても道場連盟にはない。審判はそういう風にインプットし て見てます。それは競技者も知るところであり、審判の判断が試合の流れに影響を及ぼし たのではなく、グランドルールが流れを変えたということですね
高体連の10秒ルール、警察の3秒ルールも同様です。 審判は、それぞれのルールに従って判定を下します。
どの大会も同じマシンが同じ判断基準にならないのは当然のこと。それ故、大会が始まる 前に審判会議を行ない、その日のルール(統一された条件)をマシンにインプットするわ けです。
>またA県とB県との有効打突の基準の違いで、よく先生方がそれぞれに話を >されます。私の解釈は >「A県にはA県の見方、B県にはB県の見方がある」です。
これは最近もありますか?
昔は剣道の地域間格差がありました。 剣風の違いってやつですね。それにより、有効打突の基準が異なる。 当然、起こり得ることだと思います。
でも、最近は中央で勉強してこられた方が地方にたくさんおられますし、審判講習会も段 階を追ってきちんと伝達されるようになっています。なので、昔ほど都道府県による剣風 の違いは感じませんし、それに伴い、審判の有効打突の判定基準が異なるといった事例を 聞きませんが…。
>これまでの話を元に「流れ」の話題に戻します。私は試合者と審判員の >判断が結果として重なり合い試合が成り立つという考えです。 >三人の価値観の違う審判員が、その大会の基準の元に各々の正義の元で >審判員を勤め上げます。その事自体に微妙なズレが生じてくる訳です。 >(この事に疑問を感じたら前の内容を確認して下さい。)この事が、試合の流れを作って >いると考えています。
たしかに打突が有効打突になったかそうでないかによって、試合者に有利あるいは不利な 状況が生じますので、そういった意味から見れば流れを変える(変えた)ことになるでし ょう。
No.76のおっさんさんへのレスで
>しかし、審判員が人間である以上、また三人の審判員による判断がなされている以上、 >私は結果として「流れ」を左右していると考えます。
ここの「流れを左右している」も同じ視点によるものですね?
ここに至って、ようやく、No.15の
>しかし、試合は試合者の攻防と審判員の判断が合間って流れが作り出されていると、 >私は考えています。
この書き込みの意味が見えてきました
実は、こうした視点は私にはありませんでした。 審判員は自分の責務をまっとうに勤め上げること(=試合を試合者双方にとって正しく運 営すること)が試合者同士の流れを妨げない方法であると考えておりましたので。
もう少し具体的に書きますと、有効打突の判定あるいは反則の適用があるのは、試合者の 原因と結果によるもので、それを審判として正しく判断し運営することが、「試合という 川の流れを変えないことにつながる」という考え方です。
それ故、少なくとも「試合者が疑問に思わない判定をする」ということが審判に求められ る条件なのだと考えてきたわけです。
まぁ、この点は私自身の審判としての意識に修正を加えるものではありませんが、大和魂 さんの「流れが作り出される」といったニュアンスの理解ができたことは収穫です。 それどころか、大和魂さんの「審判員の判断が合間って流れが作り出される」という視点 を理解したとき、なお一層、審判員としての自己のあり方に厳しくならなければいけない と考えるに至ります。
より、精巧な「旗揚げマシン」を目指し、誰からも完ぺきと言われる高性能をめざしませ んとね(^^;
お手間をとらせてしまいましたね。 ありがとうございます 〜☆
あと合意に達していないのは、この書き込みの前半部分だけでしょうか(^_^ メ)
>これだと思います。審判員が下した判断を理解しようとする精神こそが、 >学ぶべき姿だと思います。
そうなんですね、それが剣道のあるべき姿でしょう。 ようやくこのトピの最終目的に近づいてきました(^0^)
これが出来れば審判批判はなくなります。 ただ、審判員のレベルが低く尊敬&信頼に足らず、有効打突の判定や反則の適用、試合運 営上のミスなどがあれば、そうは行かなくなるでしょう。
私はよく、「審判員のレベルが大会の格につながるのであって、出場選手のレベルが大会 の格を左右するのではない」なんて書いてますが、競技者よりも競技力&協議理解能力の 劣る審判員は論外です。「流れを追って」判断を下してしまう審判もしかりです。
残念なことですが「競技者>審判員」だった場合は、批判が起こるのもやむなし…なのか もしれませんね(>_<)
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Re: 審判批判について ( No.78 ) |
- 日時: 2011/11/09 16:21:12
- 名前: おっさん。。
- 大和魂さま、
なぜ、前に戻すのですか? では、端的におたずねします。。
>「審判員は試合者と同じ気持ちで・・・・・・」とは、 同じ立場でじゃ無いですよね?
>これは、何度も言っています。本来は、おっさんさんやHideさんの考えに >ほぼ近いかと思います。しかし、審判員が人間である以上、また三人の >審判員による判断がなされている以上、私は結果として「流れ」を左右 >していると考えます。 だから、審判が大和魂さんの言われる「流れ」を左右するであろう行為をしてはいけないのですね? 審判が大和魂さんの言われる「流れ」をとらえて判定しては、ダメですよね?
NO14でも書かせていただいた事、(管理人さんNO77でも問われています)が 納得できないのです、今までのご説明では。。。 >「適切な攻め」や「消極的な攻防」という成り行き(=過程)が、有効打突の判定に影響 >を及ぼす…と大和魂さんのお考えを解釈できます・・・・ 管理人さまの言葉をお借りします。。。m(_ _)m
>先入観からの見方であって、実は審判員は、公明正大に判断を >されているのかもしれません。 私は、先入観はありません。 一観戦者(利害関係者)と見ていると、大和魂さんの言われる「流れ」を 審判が見過ぎて(意識しすぎて)「判定」が左右されていると感じるからです。 意識すべき所は、管理人さんの言われている、 >「技の始動から終末までの経過」・・・・・またまたすいません管理人様m(_ _)m
NO,75読んで頂きましたか? 私は、大和魂さんの言われる「流れ」といわれる様な試合者の行為を 審判が追う様に注視(行為を)してはイケない と思うだけです。 一観戦者(利害関係者)ではない、中立である審判が一観戦者(利害関係者)と同じ立場で 試合を見て、判定してはイケ無い。
>結果的に審判員も試合の流れを作ってしまっている根源です。 だから、そう見えてしまっては批判が起こる元ですので、 先ず、目の前の現象に集中する。。ですよね?
>おっさんさんの考えは理想論として、また目指すべき心得としては理解できます。 ・・・・・・・・・・・・・・・ おかしくないですか?この返し方は・・・・ 初めは、理想論を基に、目指す(のです)と、おっしゃたのではないですか?
>人間である以上、現実問題として(おっさんさんが少年剣道の例で示された通り)流れは、 >多かれ少なかれ審判員にも作り出されてしまうという考えです。 と、お思いですよね。。 だから、作りだされない様に作り出しているとみられる行為は止めましょうよ。
表現の仕方を「流れ」云々と言われ、 その「流れ」はどの視点から??と感じるのです。 審判批判を行っている者に対して試合者の立場、保護者の立場からでは説明できないでしょ。
確かに、大和魂さんの言われる「流れ」は、私はアルと思っていますが、 それは、審判である時は注視過ぎてはイケないと言う事なんです。 なんと表現したらいいのかな??遠目の目付とで言うのかな?で、 目の前の現象を見れば、大和魂さんの言われる「流れ」(全体)は自然と感じるものと違うのでしょうか?
要素・要件で判定する、「一本は奥深い」ですよね。。 そして、奥深い一本を得る為に、剣道愛好家(試合者)は修業しているのですよね? 奥深い一本を判定するのが審判です。
追伸、 私は、審判が最終的に決めた行為(判定)を批判した事は無いです。(尊重します) しかし、 監督であれば、その場で、一観戦者であれば、試合終了後に 所作について及び、有効打突の要素・要件を答えられないであろう判定には、 その疑問を審判に問いかけますよ。。 これは、審判批判ですか??
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