Re: 審判批判について ( No.79 ) |
- 日時: 2011/11/09 22:58:35
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
>定義はないと…「流れの定義」と考えてよろしいのですよね?
はい。私個人の定義ですね。
>う〜ん、やはりここが引っかかり…判断材料にしておられるように読み 取れます。>「適切な攻め」や…私の解釈に間違いありませんでしょうか?
以前は観衆目線から、試合における有効打突までの「流れ」を書きました。 私は観衆の立場から観た場合、審判員が有効打突の判断に至るまでの要素 を探ります。腑に落ちない判断の場合「流れ」を理解する事で納得ができるからです。正し、自分が審判員となれば…
>私が見ておりますのは、「技の始動から終末まで」…の経過です」と書い てもいいのかもしれません。
と、書かれている通り同意致します。私が審判員の場合、「流れ」追って 判断しない、というよりできません。有効打突を見逃さない為、一瞬に必 死ですから。正し「こんな事があった」という流れの確認は、瞬間的にしています。
>私は「曖昧さ」ではなく厳密さを求めたゆえの三審制と考えます。
表面上は、そのように解釈しますが反面、数の論理による弊害が生まれる 事も事実であります。
>戦前は二審制…三審制は、かなり民主化された状況なんです。
民主化された事による弊害もあろうかと思います。民主化が果して本当に 良いのか、これは時々の状況により考えさせられる部分です。
>「8割方」というの…引用ミスですね。
これはミスです。質問ですが、Hideさんが思うに、専門家なら100%でしょ うか?東永選手の小手打ちも含め私の予想は、8割強〜9割強の間かな。
>同じ性能のマシンを3台…書かせていただいた通りです。
私は本当にマシーン化するなら、有効打突の判断に隔たりが出る事に疑問 を持ちます。そこを見越した判断ができるデータがなければ、マシーンとしては不十分だと私は考えます。
>裏のものは肉眼では…判断していいことになってますよね
審判講習会で、連続技から出小手を打った選手の真後となった副審が、 「棄権」と判断している状況に対し、「音と刃筋で判断しなさい。」と、 注意されていました。その時は「見えないものを“棄権”と安易にしては いけないんだ」と考え「観る角度を超えて判断しなければならない。それ だけ、審判員としての技量を磨かなければ」と 感じました。最近は「棄権」と判断する審判員は減りましたね。
※長々しい文章すいません。続きは次へ…
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Re: 審判批判について ( No.80 ) |
- 日時: 2011/11/09 23:07:00
- 名前: 大和魂
- 続きです。
東永選手の小手打ちに対して、「見極めきれなかった=無効」としていた 可能性があるのでは…と考えてしまいます。
>それは競技者も知るところ…グランドルールが流れを変えたということ ですね
その通りです。「流れ」自体に違いがある、という事ですね。
>ここの「流れを左右している」も同じ視点によるものですね?
はい。
>競技者よりも競技力&協議理解能力の劣る審判員…しかりです。
私は流れを追ったところで、どちらかに肩入れする事なく公正な判断を 下す事ができるのであれば、問題はないと考えます。しかし、公明正大に 緊迫した意識で瞬間瞬間に集中して審判を行ったならば、流れを追って いる余裕はないと考えます。逆を返せば、優劣を 考えてしまう事が、流れを追う原因になるのではないでしょうか。
しかし、これはあくまでも意識的領域での事と考えます。人間には、無意 識的に物事を観てしまう部分があります。審判員として、意識の中では 瞬間瞬間に集中し公明正大に判断を下しているつもりでも、無意識的に 流れを追っていて、その結果から判断をしている事がありえると考えます。
観衆として観ていて、そのように感じる試合が、実際にあります。しかし 当の審判員には、もしかしたら「流れを追う」という意識はなく、瞬間瞬 間に集中しているものの、無意識的領域において、結果として「流れを追 った」判断となっているのではないか、と。
フェンシングが人間による判断がされていないのは、人間が判断する事に よる弊害を解消する為ではないでしょうか。剣道のように「気」や「体」 の一致「残心」など、人間だからこそ感じ取れる部分を問わない事も、理 由にはあるかと思いますが。
>我々の脳は動いているものを早く感じる(動いてるものに目を奪われる) ようです。つまり、「先をかけた技は、早く見える」ということになりま す。これは目の問題ではなく脳のデータ処理の習性とのことでした
この内容に納得した通りです。
>より、精巧な「旗揚げマシン」を目指し…高性能をめざしませんとね
人間は人間であり、マシーンにはなりきれませんが、それでも「なりきろ う!」と努力しなければならない、と私も思います。その心構えが、無意 識的領域を限りなく減少させる事に繋がると考えます。
Hideさんの御理解もあり、スッキリしつつあります。勉強にもなりました。
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Re: 審判批判について ( No.81 ) |
- 日時: 2011/11/09 23:26:36
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
補足と続きです ※長々すいません。
>またA県とB県…これは最近もありますか?
都心部やその周辺の開かれた都道府県では、以前よりかなり格差はなくな っていると思います。しかし、地方ではまだまだあります。実際に先生方 が、言われています。まぁ、これは喫煙所や立ち話での話題ですが。
しかし、剣風には違いがなくなってきましたね。これは、少年から大会数 が異常に増えて全国各地で交流が盛んになってきた結果でしょうか。
少し寂しい気もします。昔は「九州剣道」「四国剣道」「関東剣道」など と、言いながら他府県の剣道をワクワクしながら観たもんです。
話を戻して申し訳ありませんが、試合を観る角度によって見え方が変わる という部分については、観衆も含めての意見ですので以前に書いた通りの 考えです。
3名の審判員と限定して考えた時に、完璧を目指していく為には見えない技 を、角度を越えて見通すくらいでなければならない、という意味を含めて 書いた考えであります。よって、Hideさんの「マシーン説」を否定する ものではありません。
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Re: 審判批判について ( No.82 ) |
- 日時: 2011/11/10 09:23:41
- 名前: 大和魂
- おっさんさんへ
Hideさんへの書き込みに、おっさんさんへの私なりの解答も間接的ながら 含まれているかと思いますので、ご確認頂ければ幸いです。
疑問があれば御返事下さい(^。^;) 詳しくは追って返事致しますね。
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Re: 審判批判について ( No.83 ) |
- 日時: 2011/11/10 17:27:27
- 名前: おっさん。。
- 大和魂さまTO管理人さま
大和魂さまも、ホボ同じ考えでしょ、「ホボ」というのは、同じ人間は一人といないと言う意味です。 ただ、表現を誤ると誤解を招くと思います。 では、大和魂さま、 >そのように解釈しますが反面、数の論理による弊害が生まれる事も事実であります。 その弊害ってなんですか? >数の論理による弊害が生まれる事も事実であります。 マシーンじゃないから、多数決なんですよ。 だから、最終的に審判が決定した判定は尊重するんですよ。
>。民主化が果して本当に良いのか、これは時々の状況により考えさせられる部分です。 >私は本当にマシーン化するなら、有効打突の判断に隔たりが出る事に疑問 >を持ちます。そこを見越した判断ができるデータがなければ、マシーンとしては不十分だと私は考えます マシーンと言う表現はその位間違いなく判定できる様に精進する、と言う事ですよ。(目標なんです。) 例え、剣道専門家であっても全員が同じ意見(剣風)なんて無いでしょ。 でも、剣道(審判)の根本(基本・心構え)は同じじゃ無いですか? だから、同じ様ではあれど個人個人違う一個人としての剣風(意見)があるのと違いますか? 形だけに囚われて剣道(試合)を修錬(判定)するという事は、「形」だけで「心」無し。(マシーンは心は無いですよね) これは、剣道じゃないですよ。。剣道が、みな全く同じ形(剣風)?なら、気持ち悪くて剣道なんて修業しません。。。 本当にマシーンが判定する様になったら、剣道じゃ無い!と大和魂さまも お思いなんでしょ。
グランドルールは「流れ」じゃないですよ。「決まり事=ルール」です。 >。「流れ」自体に違いがある、という事ですね。 「流れ」自体じゃなく、ルールの違いです。
>私は流れを追ったところで、どちらかに肩入れする事なく公正な判断を下す事ができるのであれば、問題はないと考えます。 それができれば、本当にマシーン(機会)でしょ?そんな事が出来る人間は、本当に「神」ですよ。。 だから、観戦者から公正に見えない行為は、止めましょ。。
順番はちがいますが・・・ここは、管理人さんにも。。。 >体勢、刃筋、音などから判断していいことになってますよね・・・ 私は、見えない位置でも判断可能・・は、理解できないのです。。(背後からの判定など打突の軌道も確認できない) それなら、見える位置に移動すればいい事では、無いですか? 上段VS正眼の試合に対して、二等辺三角形を多少ずらして審判の体制を整えているのは、 何故ですか?正眼からの突き技が上段の突き(打突部位)に刺さっているか見える様にする為じゃないですか。 だから、見えない位置に陣取っている(二等辺三角形に拘って)審判が悪いと思いますよ。 【NO25に、技が(有効打突)が見えていない。所作ができていないは、論外として。。。】と、書かせて頂いてます。 【NO65に、空を切るような、絣もしない、対戦者の気の絶たない様な打突は論外ですが】と、書かせて頂いてます。 これすら、見えない(立ち位置)に陣取る事など、論外の論外では無いですか?
私が、「体勢、音など」から判断する場合は、 (要件)打突の強度が少し弱いかな??・・しかし、要素が抜群! (要件)打突部位が多少ずれているかな??・・しかし、要素が抜群! 【試合者の錬度(子供・学生など)によって、その比率は変えますが】 と見た(感じた)時に、瞬時に「体勢、音などから」自身の経験によって判断しますが・・・・・ 形(立ち位置)だけに囚われて審判が、見えない位置にいる事自体が反省に値すると思いますし、 審判が判定を棄権の意思表示をする事は、審判自体を棄権したと言う事じゃないですか。 全く打突部位を確認できないと言う事は要件が見えて無いと言う事で、 有効打突の判定に必要な条件がマッタクみえていないのに、判定????? それこそ、批判の元ですよ。。。 私は、剣道は打つじゃなく、(切る)と思っていますので「刃筋」の確認は、目の前の現象のすべて、行います。。 如何、思われますか??
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Re: 審判批判について ( No.84 ) |
- 日時: 2011/11/10 20:30:00
- 名前: 大和魂
- おっさんさんへ
私は、おっさんさんのお考えを否定致しません。理想と現実に隔たりがあ る以上、矛盾は出てきますから。だから、アレコレ討論が出来る訳で。一 致する所は良しとし、最終的に折り合いが着かなければ「そういった考え もあるのか」という所で留めて頂ければと思います。
>表現を誤ると誤解を招くと思います。 >マシーンじゃないから、多数決なんですよ。だから、最終的に審判が決定 した判定は尊重するんですよ。
マシーンについては、説明致しました。No.81に補足も入れましたので、 その当たりの御理解を頂ければと思います。
>その弊害ってなんですか?
これは、レベルの低い審判員が2名にしっかりとした審判員1名の場合、釣ら れて本来、不十分な技を有効打突としてしまう可能性があります。
私は、そのような結果になろうとも認めます。ただ、そのような事が数の 論理によって起こりうる、という現実を述べたまでです。この事を理解し た上で、3名の審判員がきっちりとした知識と判断力をもって公明正大に 勤めなければならない、と考えております。
>「流れ」自体じゃなく、ルールの違いです。
これは「グランドルールが流れを変えたということですね」というお言葉 に準じて書いたものです。ルールの違いにより、流れ自体にも違いが出る 、では納得されないのでしょうか…
>マシーンと言う表現はその位間違いなく判定できる様に精進する、と言う 事ですよ。
よく理解できていますし、同じような内容で書いたはずですが…
>それができれば、本当にマシーン(機会)でしょ?そんな事が出来る人間 は、本当に「神」ですよ。
私は逆説で「流れを追ってはいけない」という事を、審判の時あまり意識 はしていないんです。意識の中で瞬間瞬間に集中していたら、そんな事で きませんし。むしろ、どちらかの選手に目を奪われてしまう行為が、結果 的に「流れを追う」形に繋がると考えています。
だから「流れを追う」行為を厳しく言及する事よりも、両選手を公平に 観る事が結果的には、瞬間瞬間に集中する事へと、繋がると考えます。
私は、審判員の時には集中するあまり視野が狭くなって一部分に目線が いかないよう、顎を心持ち引いて、瞼を普段より開きめにし、両者を広く 公正に観る事が出来るよう、心がけています。
正しいかはわかりませんが…私個人の心掛けです。
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Re: 審判批判について ( No.85 ) |
- 日時: 2011/11/11 06:25:34
- 名前: おっさん。。
- おはようございます、大和魂さま。
>ルールの違いにより、流れ自体にも違いが出る、では納得されないのでしょうか… これは??? どうでしょう??私の受け取り方が悪いのかな?? 流れ自体が変わる(違いが出る)・・ですかね?? 試合者から見ればルールに合わせて攻め方を「変える」・・ 仮に審判の流れ、としても、審判の流れに違いってありますか?? 判定方法(基準)を変える。。ルールに合わせる。。なら。。 あぁ〜〜っ!日本語難しいです!(><
>よく理解できていますし、同じような内容で書いたはずですが… すいません。。。m(_ _)m 確認漏れでした。。。。。m(_ _)m
>瞬間瞬間に集中していたら・・・・・・ 有効打突と思われる打突って、試合時間内にそんなに数多くありますか? 瞬間瞬間を集中って・・流れを追わないとできなと思いますけど。。
>審判員の時には集中するあまり視野が狭くなって一部分に目線が・・・・・ 目付と一緒ですよね?。。 で・・・目付について、再度勉強(調べて)見ました。。。。 ■目付け 剣道のより良い姿勢を維持する為の「目の役割」と共に相手の動きに対して、常に有利な姿勢を維持したり、変化に対して、有利に対応する為の目の働きのことで、「相手の何所に目をつけるか」ということである。 1)遠山の目付け 目は相手の顔面につけるが、一点を凝視するのではなく、遠い山を見るように、相手の体、全体を視野に入れる。 2)二つの目付け 相手の顔面を中心に全体を見るのが基本であるが、特に相手の「剣先」と「こぶし」に着目する目付けである。 3)脇目付け(帯矩【たいき】の目付け) 上手に対してまともに相手の顔(目)を見ていると、こちらの心が目を通して看破される恐れのある場合に、相手の帯(腰)のあたりに目をつけて相手と視線を合わせないようにする目付けである。 4)観見二つの目付け 宮本武蔵が「五輪の書」に述べていることで、「観の目付け」「見の目付け」のことである。 「観の目」とは相手の心の動きを見通す心の目のことであり、「見の目」とは肉眼で相手の現象を見る目のことである。 武蔵は全ての大本である心を見る「観の目」を強く働かせ、現象を見る「見の目」を弱く働かせ、現象に惑わされることなく、人間の行動の大本である心の動きを見落とさぬようにすることが大切であると述べている。 この、観見の目付けは非常に高度な目付けであり、初心のうちは理解しにくいものであるが、大変重要なことなので、常に心がけて努力することが大切である。 目付での基本は 遠山の目付け 目は相手の顔面(目の前の現象)につけるが、一点を凝視するのではなく、遠い山を見るように、相手の体、全体(有効打突の要件・要素)を視野に入れる。 と、思うのです。
理想は観見二つの目付け・・ですよね。。 しかし、理想・目標はコレですが。。 「観見二つの目付」ができるようなら、武蔵(神)の領域ですよ。
>私は、審判員の時には集中するあまり視野が狭くなって一部分に目線が >いかないよう、顎を心持ち引いて、瞼を普段より開きめにし、両者を広く >公正に観る事が出来るよう、心がけています。 私も、同じです。d(^□^)|
別に大和魂さまのお考えを否定はしていませんよ。。 何回も書いてますが、表現方法から、どの視点でお話されてるの?? と感じたダケです。。 私は教員でも剣道専門家でもありません。。 リバ剣の一剣道愛好家ですから、難しい言葉は苦手です、 理解に苦しみましたもので
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Re: 審判批判について ( No.86 ) |
- 日時: 2011/11/11 11:21:59
- 名前: 大和魂
- おっさんさんへ
>有効打突と思われる打突って、試合時間内にそんなに数多くありますか?
審判員となった場合、試合者の動きをある程度先読みをしながら、瞬間的 な動きを見落とさないように心掛けます。打突の多い少ないは関係あり ません。いつでも正しい判断できるように、常に整えておく事が必要なの です。
>瞬間瞬間を集中って・・流れを追わないとできなと思いますけど。。
これは理解できません。瞬間的な動作、その時に目の前に起こる動作に 集中している訳であって、流れを追う事とは正反対です。前にも申し上げ ましたが、私は審判員となった場合「流れ」どうこうを意識しておりませ ん…
無意識的領域において「流れ」を観てしまうような判断をする事がない ように、両選手を公平に観て瞬間瞬間で判断する事に集中します。
「流れを追った」どうこうは、両選手を公平に観れていたのかどうか、 という結果に付属してくる要素であって、これを先に注意すべきでない、 と私は考えます。
腑に落ちない有効打突があった場合、後に考えれば良い事である、と私は 思いますが。
>表現方法から、どの視点でお話されてるの?? と感じたダケです。。
観衆と試合者と審判員とでは、試合の見方に違いがあると思います。 それは、話の経過で「誰に対して」という部分において移り変わりがあっ たので、後に説明はしました。
逆に私が疑問に感じる点をお尋ねしたいと思います。
>私は、審判が最終的に決めた行為(判定)を批判した事は無いです。 (尊重します)しかし、監督であれば、その場で、一観戦者であれば、 試合終了後に所作について及び、有効打突の要素・要件を答えられないで あろう判定には、その疑問を審判に問いかけますよ。。これは、審判批判 ですか??
尊重されているのに、疑問を投げかける…では筋が通らないかと思います が。その辺りを、詳しくご説明して頂ければと思います。
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Re: 審判批判について ( No.87 ) |
- 日時: 2011/11/11 11:53:30
- 名前: 大和魂
- 私ばかりが、最近書き込みまくっている事をお詫び申し上げますm(_ _)m
思い入れがあっての事なので、御理解頂ければありがたいです。
読み返していて「深い!」と感じる内容があったので、考察させて下さい。
>残念なことですが「競技者>審判員」だった場合は、批判が起こるのも やむなし…なのかもしれませんね
私は「競技者・観衆>審判員」となった場合に、より強い審判批判が起こ る、と考えます。確かに、審判員としての最低限度を下回っていた場合は、批判もやむを得ないと 思います。これは、論外ですね。
しかし、人間の判断の元に下された事ですから、表面的に捉えてしまえば 疑問や批判は必ず巻き起こってしまうのです。
その判断に疑問や批判を持った場合、直ぐに実行に移すのではなく、様々 な角度から経緯を探り納得がいくまで考察すべきだと、私は考えます。
それが例え「見極め切れていない」判断であっても、人間が誠心誠意の 精神を持って下した事であれば、様々な見解を経て理解できると、私は 思うからです。
「試合者・観衆<審判員」では、独裁的判断が強くなってしまい、誤りを 誤りとしない傾向が出てしまうので、これも良くありません。
だからと言って、ただ単に「=」とする事にも、疑問を持ちます。
試合者・観衆は「試合者・観衆<審判員」の心持ちで、審判員は逆に 「試合者・観衆>審判員」の心持ちで、この相互の心持ちが結果的には 「試合者・観衆=審判員」に繋がるのではないか、と私は考えます。
理想論ですが、そうなれば良い大会になるでしょう。
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Re: 審判批判について ( No.88 ) |
- 日時: 2011/11/11 16:39:14
- 名前: おっさん。。
- 大和魂さま。
すいません・・m(_ _)m おたずねしました文脈がおかしいので再度。。
有効打突と思われる打突って、試合時間内にそんなに数多くありますか? 瞬間瞬間を集中って・・流れを追わないでも。。行えると思いますけど。。・・・・です。。
>有効打突と思われる打突って、試合時間内にそんなに数多くありますか?
と言うのは、NO77で管理人さまが述べられた。
>、「技の始動から終末まで」に対して。
大和魂さまのNO79で
>と、書かれている通り同意致します。私が審判員の場合、「流れ」追って 判断しない、というよりできません。有効打突を見逃さない為、一瞬に必 死ですから。正し「こんな事があった」という流れの確認は、瞬間的にしています。
の返事で、私は同じだなって感じていました。
この瞬間瞬間て述べられた行為を「技の始動から終末まで」と感じましたので。
>私は逆説で「流れを追ってはいけない」という事を、審判の時あまり意識はしていないんです。
>意識の中で瞬間瞬間に集中していたら、そんな事できませんし。
>むしろ、どちらかの選手に目を奪われてしまう行為が、結果的に「流れを追う」形に繋がると考えています。
>と大和魂様は、述べております。
「瞬間瞬間」が「技の始動から終末まで」では無いのなら「流れ」に流れを追うのかな??
有効打突の判定の為に??って感じまして。。
>私は審判員となった場合「流れ」どうこうを意識しておりません…
ですね。と言う事は、
「適切な攻め」や「消極的な攻防」という成り行き(=過程)が、有効打突の判定に影響 を及ぼすさない。。。。。と理解してよいですね。
>尊重されているのに、疑問を投げかける…では筋が通らないかと思います が。その辺りを、詳しくご説明して頂ければと思います。
批判と質問が一緒ですか???? 質問もダメですかって事ですよ。。 (質問)わからないところや疑わしい点について問いただす事。 (疑問)本当かどうか、正しいかどうか、疑わしいこと。また、その事柄。 (批判)人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じる事。 (尊重)価値あるもの、尊いものとして大切に扱う事。 如何なる場合でも、審判が最終決定された行為は尊重してます。 判定が間違いなど、審判が悪いなどとは言ってませんよ。 尊重はしてますけど、腑に落ちないままですべてを受け入れる??? 出来るワケ無いでしょ?? 稽古の終了後に分からない事などがあれば、先生に質問するでしょ。 コレが批判ですか?って事です。 質問をして確かめ最終的に私が、腑に落ちないなぁ〜〜と感じても、 では、度の様に考え(捉え)たらイイのかなぁ〜〜って自問自答しますよ。。
「審判にモノを申してはイケない」では、審判等の向上なんて無いでしょ。 大和魂様も同じような意味の事を以前、書かれていたのでは無いですか??
NO17に 大和魂様の >審判員に対する批判は簡単ですが、休日返上で審判に当たっている先生方に >敬意を払う事の方が、人間形成の道である剣道に携わる者として大切な心 >ではないでしょうか。そこに納得がいなかい判定があったにせよ、1%でも >反省点を探り当てるのです。
そうですね。間違い無いです。。 しかし、これは審判にも言える事では無いですか?・・・と書いております。。
NO34にも、 私は、過度な勝利主義者からの批判(クレーム)は簡単であり、 純粋な審判批判(疑問)を審判に投げかけるのは難しいと思いますよ。 だから、尊重する(だけ)じゃ無くナゼ批判がおきているか、まず、批判を区別せず 受け入れてますよ。 追加分・・・・ 受け入れてから区別すればいい事だと思うのです。
・・・と書いております。。 おかしいですか??
>その判断に疑問や批判を持った場合、直ぐに実行に移すのではなく、様々 >な角度から経緯を探り納得がいくまで考察すべきだと、私は考えます。 私は、しかし、監督であれば、その場で、一観戦者であれば、試合終了後にと書いていますが、 これが、 >様々な角度から経緯を探り納得がいくまで考察 では、無いのですか?? 後日に質問???その方がおかしいでしょ。。
>「試合者・観衆<審判員」では、独裁的判断が強くなってしまい、誤りを >誤りとしない傾向が出てしまうので、これも良くありません。 試合中は、絶対審判員が上です。。 だから、一観戦者であれば、試合終了後に質問させて頂くのです。 監督は、その場で質問・確認できる権利を持ってますけど、 判定の決定権を持っているのは、審判だから審判が上ですよ。
だから、審判員の責任は重大なんですよ。 ●従って、疑問・批判が疑われる様な、【行為は止めましょう】と言う事だけです。
理想論は同意します。。 でも、審判中の審判員の最優先は試合者が納得できる判定するであり(仕事です)、 観戦者への納得度は、関係ないです。
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Re: 審判批判について ( No.89 ) |
- 日時: 2011/11/11 17:32:00
- 名前: 大和魂
- おっさんさんへ
ご質問させて頂いた内容については、ある程度理解致しました。
>尊重はしてますけど、腑に落ちないままですべてを受け入れる??? 出来るワケ無いでしょ??
尊重するのであれば、100%疑問はないはずなのになぁ、と純粋に感じたまで です。要は審判員の判断を尊重するが、腑に落ちない判断が下された場合 は、疑問などを投げ掛けられて、その返答を経て納得された上で、尊重 されるという事ですね。
>審判中の審判員の最優先は試合者が納得できる判定するであり(仕事です )、観戦者への納得度は、関係ないです。
審判員の試合中における所作や心構えについては、以前に書かせて頂いた 通りであります。納得度とか、誰の為とかいう具体論で書いた訳ではなく あくまでも「心持ち」です。そういった思いやりの気持ちがあれば、良い 試合になる、という抽象的理想論です。
…という事ですので、またおっさんさんには、誤解されてしまいそうです が…(^。^;)
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Re: 審判批判について ( No.90 ) |
- 日時: 2011/11/11 18:51:41
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- いやぁ、だんだん読むのがたいへんになってきました(T_T)
ためちゃいけないと思いつつも、直ぐにパッとレスがつけられるような内容でないため、 どうしても後回しにしてしまって。
申し訳ありませんm(_ _)m
To 大和魂さん
【No.79のレス】
>以前は観衆目線から、試合における有効打突までの「流れ」を書きました。
あ、そうだったんっですか?! No.4を改めて読みなおしてみましたが、「観衆目線」で書かれたものとは思えませんでし たし、このようなご説明を頂くまでは、そのような視線であるとはついぞ想像だにいたし ませんでした(>_<)
>私が審判員の場合、「流れ」追って判断しない、というよりできません。有効打突を見 >逃さない為、一瞬に必死ですから。正し「こんな事があった」という流れの確認は、瞬 >間的にしています。
よかった。 それでしたら、私と同じですね。 ずいぶん回り道をいたしましたが、それが確認できてよかったです
>表面上は、そのように解釈しますが反面、数の論理による弊害が生まれる >事も事実であります。
そうですね、きちんと見えている審判が一人で二人が見えていない場合、往々にして悲劇 が起こりうる可能性があることは否定できません(-_-)
>これはミスです。質問ですが、Hideさんが思うに、専門家なら100%でしょ >うか?東永選手の小手打ちも含め私の予想は、8割強〜9割強の間かな。
高鍋選手の突きに関してですが、専門家なら100%。 愛好家レベルの六段以上であれば95%でしょうか。 四五段クラスだと、90%くらいかなぁ。 あ、100に足りない部分は「一本でない」だけなく「わからない」も含めてです。 あくまでも想像ですが(^^;
>私は本当にマシーン化するなら、有効打突の判断に隔たりが出る事に疑問 >を持ちます。そこを見越した判断ができるデータがなければ、マシーンとしては不十分 >だと私は考えます。
あなたに私のマシーンとしての能力に疑問を持たれましても、どの角度から見ても寸分た がわぬ判定を下すことは、残念ながら私の能力の限界を超えているようです(^_^ メ)
【No.80へのレス】
>東永選手の小手打ちに対して、「見極めきれなかった=無効」としていた >可能性があるのでは…と考えてしまいます。
あの大会の翌日、選手権をお取りになった経験のある3人の先生方(いずれも教士七段の 現役です)とお話をする機会があったのですが、その先生方曰く、「あの小手は、高鍋の 気が動いてなかった。そこを見たのだろう」とおっしゃってました。
参考までd(^-^)!
>私は流れを追ったところで、どちらかに肩入れする事なく公正な判断を >下す事ができるのであれば、問題はないと考えます。
そんなことのできる人間が存在するかどうかは、自分の過去の経験に照らして考えると疑 問です(^^;
>しかし、公明正大に緊迫した意識で瞬間瞬間に集中して審判を行ったならば、流れを >追っている余裕はないと考えます。逆を返せば、優劣を考えてしまう事が、流れを追 >う原因になるのではないでしょうか。
そうそう、ここが問題なわけです。 というよりも、多くの審判員が「攻め」とか「攻めている方」を見てしまっている。 「どちらが有利(不利)だ」ということを念頭に置いて審判をしているのではないか。そ れが、審判批判を誘発する偏った判定の元凶ではないかと考えているのです。
>しかし、これはあくまでも意識的領域での事と考えます。人間には、無意 >識的に物事を観てしまう部分があります。審判員として、意識の中では >瞬間瞬間に集中し公明正大に判断を下しているつもりでも、無意識的に >流れを追っていて、その結果から判断をしている事がありえると考えます。
そうですね、そういう審判も少なからずいると思われます。
これにつきましては、「全日本」のトピのNo.80に、
>「名選手、名監督にあらず」はよく知られていますが、「名選手、名審判にあらず」も >しかりです。 >これは別トピ論議になっていることですが、審判は流れを見てしまうとそちらに気持ち >を奪われやすいもの。名選手は、選手の気の動きとか流れを察知する能力に飛び抜けて >いますので、審判をしていてもそれに惑わされてしまうことがあるようですね。
と書かせて頂いておりますが、名選手だった先生方は無意識下で「優劣」を察知してしま い、集中すればするほど「そちらに目が付いてしまっている」といったことが起こりうる と考えられます(^_^ メ)
>フェンシングが人間による判断がされていないのは、人間が判断する事に >よる弊害を解消する為ではないでしょうか。剣道のように「気」や「体」 >の一致「残心」など、人間だからこそ感じ取れる部分を問わない事も、理 >由にはあるかと思いますが。
それもあるかもしれませんが、競技の成り立ちが違うんです。
元々、西洋の剣(フェンシングで使われるサーベル)は、ぶった斬るためのものではない んです。アレの切っ先に毒が塗ってありましてね。かすり傷を負わせれば、お相手を死に 至らしめることができた。
そんなことで「先に傷つけられたほうが負け」ですから、電気判定のほうが具合がよかっ たわけです(^_^ メ)
>人間は人間であり、マシーンにはなりきれませんが、それでも「なりきろ >う!」と努力しなければならない、と私も思います。その心構えが、無意 >識的領域を限りなく減少させる事に繋がると考えます。
はい、私もそう思っています
私が「旗揚げマシーン」などと言い出した背景は実にくだらないのですが、劇画のゴルゴ 13の影響なんです(笑)
「自分自身を客観的に見つめられる」 「自分の仕事に感情を持ち込まない」 「あらゆるものに対して先入観を持たない」 「自分以外を信じない(=自分を信じきる)」 「突然のアクシデントに動じないで完璧に対処」 「常に自分を高めるべく自己訓練を行う」 「目的を完遂する」
これって、審判員に求められている資質なんじゃないかってね 〜☆
>都心部やその周辺の開かれた都道府県では、以前よりかなり格差はなくな >っていると思います。しかし、地方ではまだまだあります。実際に先生方 >が、言われています。まぁ、これは喫煙所や立ち話での話題ですが。
そうなんですか、これは残念ながら、実感することができませんm(_ _)m
>少し寂しい気もします。昔は「九州剣道」「四国剣道」「関東剣道」など >と、言いながら他府県の剣道をワクワクしながら観たもんです。
おっしゃるとおり、寂しいことだと思います。 流派の特徴がなくなってしまったのもしかりです。
脱線しますが…、 私が子どものころ習った道場は「北辰一刀流」の流れを組むところだったそうで、「やや 半身の構えで小手打ちがうまいんだ」と聞かされたことがあります。
事実私は、そんな風に育ち現在に至っておりますが、大学時代に小野派一刀流の師範に出 会いずいぶんまっすぐになりました(^^;
【No.87へのレス】
>「試合者・観衆<審判員」では、独裁的判断が強くなってしまい、誤りを >誤りとしない傾向が出てしまうので、これも良くありません。
私が「試合者<審判員」が大切と書いたのは、審判としての資質である「競技能力と協議 理解能力」についてです。
逆の場合、有効打突や反則が「見切れない」または「間違えてしまった」場合に、「批判 が起こる」としています。
見えている審判員が完璧に判断したものであれば、批判の対象にはなりません
ちなみに、観衆は審判にとって意識すべき対象ではありません。 ただ、審判としては可能なな切り大きな声で宣告し、選手以外にも聞こえるようにいたし ますが 〜☆
もちろん、観衆が競技の妨げになるような不正な行為をした場合はこの限りではありませ ん。
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Re: 審判批判について ( No.91 ) |
- 日時: 2011/11/12 00:23:26
- 名前: おっさん。。
- 大和魂さま。
>尊重するのであれば、100%疑問はないはずなのになぁ そうですかぁ〜??? (少数意見を尊重する)っていいませんか? (少数意見を尊重し決定する、または、しました)っていいませんかぁ?? あなたの(あなた達)意見としては認めますけど、私(私達)は、この様に思いますけど・・って事でしょ。 審判が判定された事は認めていますけど、私はこの様に感じましたけど、 どの様に思われますか???って事じゃないですか。 仮に辞書で100%と相手の意見に従う事って記載されていても、 そんな受け取り方をする方は、いないのでしょか?? >その返答を経て納得された上で、尊重されるという事ですね。 そんな事、何処に書いてますか?? 納得できなければ、 度の様に考え(捉え)たらイイのかなぁ〜〜って自問自答しますよ。。 って書いてあるでしょ。 私は、自信が完全では無いので自問自答してベストの答えを自分で考えるって。
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Re: 審判批判について ( No.92 ) |
- 日時: 2011/11/12 01:39:53
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
Hideさんは全ての書き込みをチェックし、返信されておられるので遅く なる事は、全く問題ないですよ。ほんと…頭が下がります(^。^;)
>あなたに私のマシーンとしての能力に疑問を持たれましても、どの角度 から見ても寸分たがわぬ判定を下すことは、残念ながら私の能力の限界を 超えているようです
Hideさんの能力に疑問を持った訳ではありません。(それは、訂正文にて 書かせて頂きました。)人間ですので「見えないものは見えない」です。 ただ、見えないものを音や刃筋で判断し、角度を越えて見通せるくらい、 精神を研ぎ澄まして審判員を勤めなければならない、という意味を込めて 書いた言葉です。無理な場合は無理ですが、要件として与えられている 部分を最大限に発揮できれば、理想に近付けると考えました。
>「あの小手は、高鍋の 気が動いてなかった。そこを見たのだろう」
「…だろう」という言葉から、疑問点を先生なりに考察されて導き出され た答えなのでしょうね。裏をかいてしまうような間違った見方かもしれま せんが、審判員を擁護する為の言葉ではない、と信じたいです。奥深い 貴重な言葉、ありがとうございました。
>私は流れを追ったところで、どちらかに肩入れする事なく公正な判断を 下す事ができるのであれば、問題はないと考えます。
…と書かせて頂いたのは「流れ」どうこう言う前に、もっと大切な事が あるのでは?という裏返し で書いた言葉です。
>アレの切っ先に毒が塗ってありましてね。かすり傷を負わせれば、お相手 を死に至らしめることができた。
それは知らなかったです。勉強になりました!
>劇画のゴルゴ13の影響なんです(笑)
内容がピッタリで、とても興味深く面白い言葉ですね!「ゴルゴ=審判員」 …と妄想してしまい、少し笑ってしまいました!
>ただ、審判としては可能なな切り大きな声で宣告し、選手以外にも聞こえ るようにいたしますが
そうなんです。そういう審判員としての心持ちを含めて、書いた言葉です。
時間はかかりましたが、理解が深められた事を嬉しく思います。審判批判 ひとつとっても、「これが正しい」という一辺倒な答えがなく、様々な 立場から深く考えると矛盾もあり…それを文章にすると、言葉足らずな 部分も出てしまいました。(酒でも呑みながら、なら話は早いんですがね)
今はかなりスッキリした気分です(^◇^)
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Re: 審判批判について ( No.93 ) |
- 日時: 2011/11/12 01:58:21
- 名前: 大和魂
- おっさんさんへ
私が(私個人とします!)審判員の判断を尊重する場合には、疑問も何も考え ず、全てを認め受け入れるという考えです。腑に落ちない判断があった 場合は、その判断に尊重する気持ちが薄いから、腑に落ちない訳で。疑問 を持った場合も同じくです。(私個人の考えであり、おっさんさんに押し 付けるような内容ではありませんので、御理解下さい。)
…こう考えて、お伝えしたのです。「尊重」という言葉について、私に とっては、あまり深入りする必要性はない言葉と考えます。
おっさんさんが「尊重」された上で疑問を投げ掛けられる、と言う考えで あれば、これ以上は私からお伝えする事はありませんし、納得致しました。
目付けの部分においては、しばらく文章に目を通していなかったので、 再度勉強する機会となりました。ありがとうございました。
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Re: 審判批判について ( No.94 ) |
- 日時: 2011/11/12 05:59:56
- 名前: おっさん。。
- 大和魂さま
>私が(私個人とします!)審判員の判断を尊重する場合には、疑問も何も考え >ず、全てを認め受け入れるという考えです。
すごいですねぇ〜〜大和魂さまはぁ〜〜〜 私は、審判員の時も常に判定に疑問を持てば、先輩の審判(コート長・審判長)に 質問・確認しますよ〜〜
ハッキリ言いますが! この様な事を述べるから!どの観点から、どの目線から!と言うのです!
私は、もう!この議論から降ろさせていただきます!
ありがとうございました。。
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Re: 審判批判について ( No.95 ) |
- 日時: 2011/11/12 10:22:38
- 名前: 大和魂
- おっさんさんへ
前にも申し上げましたが、議論を経て一致する部分があれば理解を深め、 折り合いがつかない部分については、今後の参考にすれば良いのでは、と いう事をお伝え致しました。
>私は、審判員の時も常に判定に疑問を持てば、先輩の審判(コート長・ 審判長)に質問・確認しますよ
私は、そこまでの行動を起こした事がありません。親密な関係で本音を 語る事が出来る人間に対して「どのように観たか」を世間話の中で、お尋 ねする事はあります。そんな時、私は審判員の下した判断に対して、全て 受け入れる為の後押しを、自分の中でしているんだ、と感じています。
>この様な事を述べるから!どの観点から、どの目線から!と言うのです!
この言葉には、はっきり反論させて頂きます。これまでの書き込みにおい ては、私の様々な立場からの深入りした考察において、言葉足らずとなっ た部分があったかと思います。
その疑問点については、その後に沢山のやり取りを重ねて、理解を深めて 頂けるよう努めてきたつもりです。
最初に「私の考え」という事も伝えた上で、書かせて頂きました。よって 今回のやり取りは「どの目線・どの観点」という見方が全く当てはまら ない内容である、とはっきり申し上げておきます。
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Re: 審判批判について ( No.96 ) |
- 日時: 2011/11/12 10:31:57
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 大和魂さん
>Hideさんは全ての書き込みをチェックし、返信されておられるので遅く >なる事は、全く問題ないですよ。ほんと…頭が下がります(^。^;)
恐れ入りますm(_ _)m
>ただ、見えないものを音や刃筋で判断し、角度を越えて見通せるくらい、 >精神を研ぎ澄まして審判員を勤めなければならない、という意味を込めて >書いた言葉です。無理な場合は無理ですが、要件として与えられている >部分を最大限に発揮できれば、理想に近付けると考えました。
そうですね、そう有るべく努力&精進が必要でしょう。 がんばらねばp(^-^)q
今回の高鍋選手の突きにしても「見えない位置の副審が(素早く)上げたのはおかしい」 と批判される方がおられました。
私は裏側で打突部位にあたったか目視できなかくて「有効打突に違いない」と確信した場 合、表で見ている人の反応を伺います。
表の審判が上げれば私も上げますが、上げなかった場合迷います。 その審判が私から見て信頼に足る人の場合ですと私は上げないことがありますが、「???」 の場合は上げます。上げることによって「その審判の判定を強制する」といった意味もあ ります(^_^ メ)
大和魂さんは、このような場合はどうされてますか?
>裏をかいてしまうような間違った見方かもしれま >せんが、審判員を擁護する為の言葉ではない、と信じたいです。
「(自分が審判だとしても)上げにくい」とおっしゃってましたので、間違いないかと
>…と書かせて頂いたのは「流れ」どうこう言う前に、もっと大切な事が >あるのでは?という裏返しで書いた言葉です。
でも、どうしても多くの審判員は「流れ」を観てしまっている現実がある。 このあたりが問題ですね(-_-)
>時間はかかりましたが、理解が深められた事を嬉しく思います。
ご同慶の至りです
>審判批判ひとつとっても、「これが正しい」という一辺倒な答えがなく、様々な >立場から深く考えると矛盾もあり…それを文章にすると、言葉足らずな >部分も出てしまいました。
立場(視点)の違いにより、圧倒的に見え方が違うということが明確になりまして、それ が多くの場合、審判批判の直接の原因になっていると考察できたわけですから、今後、こ うした書き込みがあった際、そんな諌め方ができると考えております。
おっさんさんも含め、ご協力に深く感謝いたしますm(_ _)m
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Re: 審判批判について ( No.97 ) |
- 日時: 2011/11/13 13:45:27
- 名前: 大和魂
- Hideさんへ
立場(視点)の違いによって圧倒的に見え方が変わり、それが多くの場合 に審判批判の直接的原因になっている事を、私もよく理解できました。
>裏側で打突部位にあたったか目視できなかくて「有効打突に違いない」と 確信した場合、表で見ている人の反応を伺います >「その審判の判定を強制する」 >このような場合はどうされてますか?
以前の審判の記憶を辿り、目を閉じて情景を思い浮かべました。ゴルゴ13 の言葉を借りますが、「あらゆるものに対して先入観を持たない」「自分 以外を信じない(=自分を信じきる)」「突然のアクシデントに動じない で完璧に対処」…この辺りの心構えでしょうか。
情景を思い浮かべた時に、どのように最終判断をしているかは… 1.打突を放った選手の始動から目視できなくなるまでの間に、刃筋や体勢 など、有効打突に見合うだけの条件を満たしているか。 2.打突部位を目視できなくなってからの、両者の体勢と打突音と残心の 確認。
※これらの状況から、打突部位を捕らえた瞬間を確認できなかったが、 「おそらく1本だろう」と確信した場合
3.「…だろう」では旗を揚げる事ができないので、表の審判の判断を確認 した上で自分の最終判断を決定する。打突を捕らえた瞬間に心を“グゥッ!!” っと引き締めて、安易に旗を揚げないように踏ん張り、表の審判の判断を 確認した上で冷静に決断する。 (心を“グゥッ!!”っと…という動作は、なんとも表現が難しいです。審判 の時にしか感じる事の出来ない、なんというか…独特の心の引き締め方? です。)
…確かに結果的に「表の審判の判定を強制する」という形になっていると 思いました。私は「釣られ揚げ」が批判のひとつ、と考えますので、あく までも自分自身の判断で旗揚げをします。
しかし、こんな事を観衆は知る訳もなく「表の審判の判断を確認」した上 で決断した場合に、客観的に「釣られ揚げ」と捉える観衆もいるだろう…と。
1.2.3.と補足を入れながら情景を元にそのまま書きました。しかし、それ を1秒前後の間にやらなければならないのですから「今、その瞬間」に集中 しなければ公正な判断は出来ない、と改めて感じました。
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Re: 審判批判について ( No.98 ) |
- 日時: 2011/11/13 19:29:48
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
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>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 大和魂さん
123は私の思考経路とほぼ同じです。 細かい考察まで加えていただきましてありがとうございます
>しかし、こんな事を観衆は知る訳もなく「表の審判の判断を確認」した上 >で決断した場合に、客観的に「釣られ揚げ」と捉える観衆もいるだろう…と。
それは仕方ないこと。 観客からどう見えるかではなく、自分の判断に従って行動するのみです。
審判ってやはり、剣道修行に欠くことのできない「行」ですね。 私はどんなつまらない審判(子どもたちの練習試合)でも、進んで取り組んでまいりまし たが、ますますこの意を強くいたしました(^0^)
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