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剣道の技術的な本質、討論会場
日時: 2022/12/17 00:11:33
名前: 探剣家 

現在、古流と呼ばれている各流派剣術の術技を試し合う場合
元々危険な技や初見であるが故に危険な技など安全性が確保しにくい事
他、秘匿性の確保が必要な時代であった事(今も別の理由で必要かもしれない)
仮にこれらの理由で流派固有の技が試合で使いにくいとなった時

打突部位、打突の動作や姿勢など技の部分を統一、又はある程度の範囲を設定する事で安全性と秘匿性を確保できることがまず一つ
そして同じ技を使ってなお勝敗が決まるのは技前や作りと言われる部分の能力の差があるから
技前や作りの能力を競ったり修練できれば、各流派固有の技が決まる状況を作り出すことも出来る
又は将来的に出来るようになるだろうと考えられる

つまり剣道(竹刀稽古)は、技そのものよりも、技を決められる状況を作る能力をより重視して競う物で(もしくは今後稽古していくうえで新たにこの様な発想を持つ)
技を得て研ぐ形稽古と対になる物、竹刀稽古と形稽古は車の両輪であると考えています。

先人は実戦を実戦のまま訓練する事の限界に気付いて、要素技術毎に練習方法を分割したのだと思います。

皆さんは剣道の技術的な本質についてどう考えていますか?
お互いの剣道観を開示、議論などできたら楽しいと思い立てます。
メンテ

Page: 1 |

Re: 剣道の技術的な本質、討論会場 ( No.1 )
日時: 2022/12/17 10:22:42
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

管理人のHide.です。
探検家さん、よきトピを立ててくださってありがとうございました


アプローチは違いますが、形稽古と竹刀稽古が両輪であるということに激しく同意いたし
ます。
とくに最近の方は、形稽古をなさらない傾向にありますがいけませんね。
昇段審査の前に少しだけ復習して、通常のお稽古では行わない方がほとんどではないでし
ょうか。
高段位をお持ちの先生でも、「形は苦手でして」とおっしゃる方が少なくないことに驚き
と危惧を覚えずにいられません。

形は「気力気迫、呼吸、間合い、運足、軸意識、見切り」など竹刀剣道に役立つ多くの要
素を持っています。形稽古を行ってから竹刀稽古をすると、明らかに違うものを感じます。
「無駄」が少なくなると申しますか、気の入り方も違いますね。


竹刀稽古に関しては、おっしゃる通り「技そのものよりも、技を決められる状況を作る能
力をより重視して競う物」ですね。これを「技前」といっています。

剣道にはファインプレーやミラクルな一本はありません。
「基本に忠実な一本」こそ万人が求める「感動を呼ぶ一本」なのです。
それをどうやって打つか…そこで「技前」が大切になってくるわけです。

もちろん技術的には、その一本を打つための基礎的なお稽古を積み重ねることこそ肝要。
一刀流では「一刀は万刀に化し、万刀は一刀に帰す」という言葉があります。
正しい一本を習得することこそ、様々な技や変化に繋がっていくという教えです。
「打突力」なきところに「技前」云々はありえないのです。


以上、私の剣道観を述べさせていただきました 〜☆
メンテ
Re: 剣道の技術的な本質、討論会場 ( No.2 )
日時: 2022/12/17 11:11:34
名前: 探剣家 

To Hide.さん
返信ありがとうございます。

>>「打突力」なきところに「技前」云々はありえないのです。

これは重要なお考えだと思いました。
形稽古においても同等の身体操作などが出来て同じステージに立ってからでなければ形に示されている攻防理論等の前提が壊れてしまい、練習にならない事がありますね。
剣道を始めたばかりの頃、打突動作自体がまだ鈍重な内は別競技などで培った技前を応用して優位をとっても
打突速度(主に動作の効率の違いからくる差)などで互角だったり、こちらが劣勢な状態まで持ち込まれた経験を思い出しました。

竹刀稽古が技前を重視するとはいえ、それは比重の話であって0か100ではないのはもちろん、剣道に取り組む人の力量や段階に応じてその比重は変化していかなければいけませんね。
剣道の中にも両輪があり、形稽古の中にも両輪がある。
答えは四輪駆動ですね(冗談)
メンテ
Re: 剣道の技術的な本質、討論会場 ( No.3 )
日時: 2022/12/17 11:34:59
名前: 探剣家 

思うに、剣道形が有意義な練習手法として認識されにくいのは多くの剣道家が

剣道形 を 練習する
という段階で手順を覚えたらゴールという認識だからでしょうか?

剣道形 で 練習する
と言う段階、形が練習機材に化ける体験に多くの方が到達する機会に恵まれていないのでは?と個人的に推理しています。

剣道形一本目、相上段の形で言えば
あれは実戦から、主に前後の間合いという成分を抽出した教材兼トレーニング機材だと思います

手順を追うなら決まった通りに動いておしまいですが、その先を行う事を考えると

一本目前半部分の打太刀、仕太刀が相互に接近していく中で先を取り合う駆け引きを行う
これを繰り返すだけでも相当な練習になると思います。
前後の間合いの感覚とそれを相手と駆け引きする感性がピンポイントで磨かれていくと思います。

古流のある先生が、形稽古の段階を書道で例えていました。
楷書、行書、草書、でしたか。
剣道ではきっちり手順通りに行う楷書しか行っていない方が大半ではないかと思っています。
形の決着に、事前に数種類の例外を申し合わせて間合いを間違えるとこういう例外になるよと設定してから
打太刀は例外に入って勝つ事をある程度目指し(仕太刀を導くためであり過度に難しくはしない)
仕太刀はそういった打太刀を捉えて、形通りの決着を目指す
という形を使った簡単な試合を行うと面白さが見えてくるのかなと思ったりもします。

話が少し違うかもしれませんが、剣道観の形稽古編という事でお願いします。
メンテ
Re: 剣道の技術的な本質、討論会場 ( No.4 )
日時: 2022/12/17 12:06:46
名前: 探剣家 

ごめんなさい、私は文章をちゃんと読めているでしょうか?

そこで言う打突力とはつまり、しっかりとした一本になり得る打突動作を指すのでしょうか?

基礎的なお稽古からしっかりした打突動作を得てはじめて
それをどう当てるかの技前を競う段階まで進める、という解釈で私は読みました。

だからこそ稽古は積み重ねだという事ですよね?
段階を無視して技前ばかりに目が行くことを戒める意味も含めたお言葉なのかなと。

この読み方で合っていますか?
メンテ
Re: 剣道の技術的な本質、討論会場 ( No.5 )
日時: 2022/12/18 08:26:35
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 探検家さん

>形稽古においても同等の身体操作などが出来て同じステージに立ってからでなければ形
>に示されている攻防理論等の前提が壊れてしまい、練習にならない事がありますね。

然り。
先日、中学一年生の男子から「どうやったら形をかっこよく打てますか?」と質問をされ
ました。
「なにしろ数をかけることだよ」
と答えました。

多くの人が五行の構えが様になっておりません。
それは「構え慣れ」をしていないからです。

また、構えはそこそこなのに「動き出すとダメ」という例もあります。
左上段や八相はやや半身、脇構え小太刀は半身ですが、半身のまま「歩み足」で進むこ
とができていないからです。
肩のラインと腰のラインを平行に保たなければならず、そのためには足の出し方を右足と
左足で変えなければならないのです。

さらに、構えからの斬りが全くダメなことが多いです。
八相や左上段、脇構えからは袈裟に斬るのが常道だと思われますが、日本剣道形では「約
束事」として真っ直ぐ斬ります。それら半身の構えからまっすぐに切るためには、肩と骨
盤のラインを真正面に直してやる必要があります。こうしたところの動きがあいまいだか
ら、形に切れ味が生まれません。
こうした「理合以前の部分」をしっかりとお稽古せずに「理合云々」はありえない。

これも、竹刀稽古と同じで「基礎稽古が大事なんだよ」と彼に説明した次第ですd(^-^)!


>思うに、剣道形が有意義な練習手法として認識されにくいのは多くの剣道家が
>剣道形 を 練習する
>という段階で手順を覚えたらゴールという認識だからでしょうか?

然り。
形稽古は「真・行・草(探検家さんが例示した「楷書、行書、草書」と同じ意)」とあり
ますが、全剣連が審査でも求めているのは「真(楷書)」だけなんです。
よって、世の中の剣道愛好家は「楷書だけが書ければいい」とその先を勉強しようとしな
い。自身の形を深めていくという思考を停止させてしまうためです。

そういった観点では、昨今剣道形の試合などがあちこちで行われるようになったことはい
い傾向だと言えますが、そも、その審判の先生の方の理解レベルが低ければ、「行・草」
といった形を理解できず「真」でしか評価できません。
悩ましいところといえましょう。

私が日本剣道形に目覚めたのは、大学時代に小野派一刀流に出会ってからです。
太刀組太刀だけで50数本あるものを、4年間かけて師範の先生から習うのですが、私はそ
の面白さに憑りつかれた様にお稽古します。通常は打方か仕方かどちらか一方を会得して
卒業なのですが、私は両方を覚えました。
そして卒業後に剣道形をお稽古するときに「この形は何を表しているのだろう?」という
疑問が沸き上がり、剣道形の追及に目覚めたのです。

多くの剣道愛好家は、こうしたプロセスを経ずして剣道形のみを学びその世界観から抜け
出せません。故に「真」を学び終わると「行・草」の存在に気付くことなく満足してしま
うのだろうと考える次第ですm(_ _)m


>基礎的なお稽古からしっかりした打突動作を得てはじめて
>それをどう当てるかの技前を競う段階まで進める、という解釈で私は読みました。
>だからこそ稽古は積み重ねだという事ですよね?
>段階を無視して技前ばかりに目が行くことを戒める意味も含めたお言葉なのかなと。

その通りです。解釈なそれで合っています。

昇段審査を何度受けても不合格になる方のお話を伺うと、いろいろな先生や同レベルの方
との「地稽古」が中心のお稽古です。
「切返し」や「打ち込み」「技の稽古」もおやりになっていらっしゃいますが、その時間
は圧倒的に少ないことがわかります。

ゲームで攻略法を読んで学んだとしても、ゲーム機そのものの操作が拙ければミッション
コンプリートとはなりませんd(^-^)!
メンテ
Re: 剣道の技術的な本質、討論会場 ( No.6 )
日時: 2022/12/22 20:00:34
名前: 探剣家 

To Hide. さん

ありがとうございます。同感です。

せっかくですのでもう少し形について書き込んでしまうのですが
ある古流宗家?の方が、剣道も学ばれているということで、公式見解ではないとしっかり明示したうえで日本剣道形についての解説動画を出したようなのですが
これはなんらかの抗議?があったようで動画が削除されました。
また、他にも剣道について動画を出している方がライブ配信を行っているケースもありますが、視聴者からの剣道形についての質問は全てスルーしていました。

これらの事から、日本剣道形は審査やそのほかの事柄と関係するということであまりオープンに扱えるものではないことが推定できます。

残念に思いつつも、以前別スレッドでHideさんに教えて頂いたこともあり、ある程度納得する面もあり複雑な心境です。

さらに別スレッドでは剣道界の今後について書き込まれている所もありますが
それにも関連して考えた事で、日本剣道形がそのような状態にある事を無理に変えるよりも、創作形を評価する大会ルールを整備してみたり、オープンに扱うための別の形を現代剣道及び古流諸流派を研究し新たに連盟様が制定するなどすれば
形自体の状況の改善やそれらに取り組む中で組織的にも新たな風が吹く(ここまで言ってしまうと余計なお世話と言うか、私が生意気すぎるかもしれませんが)何かが変わるのかなと個人的に考えてみたことがあります。

この様な意見を読んだ時、Hide.さんや他の皆さまはどのように感じる物なのでしょうか?
私は剣道をある目標に向かい完成を目指していく道と、ぼんやりと感じ取っているのですが
それに加えて探求心を満たす方向性が多様化した方が剣道人口などに良い影響があり得るのではないかと思っています。
一部研究者を除き多くの方にとっては剣道=基礎鍛錬+試合+段位への挑戦 という構成が主だと思いますが、ここに新たに加わる物があっても良いと思うのです。勝敗至上主義について警鐘を書き込む方もいらっしゃいますが、その懸念点の突破口でもあると思うのです。
メンテ
Re: 剣道の技術的な本質、討論会場 ( No.7 )
日時: 2022/12/23 08:25:57
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 探検家さん

>ある古流宗家?の方が、剣道も学ばれているということで、公式見解ではないとしっか
>り明示したうえで日本剣道形についての解説動画を出したようなのですが、これはな
>んらかの抗議?があったようで動画が削除されました。

そうなんですか、その動画拝見したかったですね。


>これらの事から、日本剣道形は審査やそのほかの事柄と関係するということであまり
>オープンに扱えるものではないことが推定できます

形に対して全剣連の解説書以上のことを言ったり書いたりするのは「現場を混乱させる」
と考えられるためでしょう。


>日本剣道形がそのような状態にある事を無理に変えるよりも、創作形を評価する大会
>ルールを整備してみたり、オープンに扱うための別の形を現代剣道及び古流諸流派を研
>究し新たに連盟様が制定するなどすれば

私は剣道愛好家が古流を学ぶ機会を持つ風潮が高まるといいなと思います。
古流剣術の多くは、剣道愛好家の手を離れてしまっています。
残念ながら、剣道と併用されている方はかなり少ないようにお見受けします。
しかし、数百年の歴史を持った文化であることは間違いありません。

全剣連は「古武道演武大会」などを行うだけでなく、絶滅しようとしている古流を掬う方
策として、剣道愛好家に対して「古流を学ぶ施策」などを打ち出してほしいと考えていま
す。
メンテ
Re: 剣道の技術的な本質、討論会場 ( No.8 )
日時: 2024/02/18 15:21:33
名前: 探剣家 

no.6に書いた宗家の方とは違う方です。
翻訳によると講演会での解説の様子だそうです。
hhttps://youtu.be/n8jw9JR7PKk?si=bo24suzpYAfDorR4
剣道愛好家が古流を学ぶ施策、これは大賛成です。
明らかに視野が広がると思います。


ただ、剣道をどう見るかも重要だと思っていて、別スレッドの剣道の技術的本質に書き込んだ様なことですが

現在の剣道が
打つべき機会を捉えるなど、剣士としてのいくつかの能力を高める練習を競技化した物と考えるか
斬り合いその物を競技化した物と考えるか、です。

打つべき機会等を捉える練習の競技化と考える場合、要素技術毎に分割された練習方法をそれぞれ行えば良い訳ですから、古流も補完的な物と見ることも出来ます。剣道と剣術を両方学ぶことで剣士としての能力が向上していくという世界観になると思います。

しかし後者、剣道が斬り合いその物の競技化であると考える場合、剣道は言ってみれば一刀流系統の流派剣術と考えなければいけなくなるかと思います。
つまり、古流を学ぶ施策が、他流を学ぶ活動という解釈になってしまうのかもしれません。
昔の有名な剣豪達も当時の有名流派を複数学んでから自分の流派を立ち上げたという例も多いので、それはそれで問題は無いのかもしれませんが、多くの一般的な人にとっては系統の違う教えを上手くまとめ吸収するのは容易ではないかもしれません。
現に剣道界では、古流に流れると弱くなるという言説が存在します。

古流側と協力的な関係を築くためには、個人レベル、団体レベルで剣道が本質的にどの様な物であるか、など剣道観が確立されている必要もあるのかなと思う事があります。
余談ですが、ひとつ書き加えたいと思います。
メンテ

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