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剣道の文化性とその伝承についての考察
日時: 2022/03/07 11:28:45
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

剣道の持つ文化性とその伝承についてあるSNSで話が出たので、拙サイトで私自身の考え
をまとめておこうと思います。少々長い話になりますがお付き合いください。

そもそもの発端は、ある方のこうした書き込みからでした。

>全剣連の「改悪」について皆様はどのようにお感じでしょうか?
>例えば、
>正座で足を重ねて座る
>座礼時に両手同時に手をつく

>古い話ですが、
>蹲踞の姿勢に移行しながら抜刀する
>踏み込み足を剣道形から排除

>加えて、近年だと剣道形に於いて
>触刃の間合、交刃の間合いを使い分けろ

>と言った点ですが、いかがでしょうか。

これは私のSNSにも書き込まれたのですが、そのSNS自体、割と短いメッセージのやり取り
が流れていくような場所でしたので、「議論するには不向き」な性質を持っていると考え、
意見の書き込みを保留しておりました。

まずこの点につきまして、次から私なりの考えを示したいと思います
メンテ

Page: 1 |

Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.1 )
日時: 2022/03/07 11:30:49
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

>正座で足を重ねて座る

これは、今の全剣連の「剣道指導要領」改訂版(平成20年7月1日)では、
-----------------------------------------------------------------------
姿勢を正して、視線を落とさず左足を半歩引き、つま先を立てながら左膝を床につき、続
いて右足も半歩引き、左右の膝頭をそろえつま先を立て、両足をそろえるか、または右足
の親指を上にして重ね、両足の甲を床につけながら両膝を深く曲げ、そろえた踵の上に臀
部(お尻)を下ろす」
-----------------------------------------------------------------------
とあり、「足を重ねて正座する」とは書かれていません。
平成20年以降、変更になったのかどうか、勉強不足ゆえ定かではありませんm(_ _)m

なお、「岡田式静座法」(大正時代に岡田虎二郎によって創始された心身修養法。物理的
に最も安定した正しい姿勢を確立し、長く鼻から吐く呼吸を行いながら下腹丹田を充実す
る坐法)による静坐は、
 ・両足を土踏まずのところでX字型に深く組む(いわゆる「正座」を深くした形)。膝
  頭の間隔は男性は拳二つ、女性は拳一つほど。
と記されていて、こうした座法が存在することがわかります。


>座礼時に両手同時に手をつく

は私も改悪だと思います。
私が子どものころ教えられたのは、

 ・神仏に対する礼は、両手同時に床につき肘まで床に着け深く礼をし、同時に床から手
  を放し正座に復する
 ・先生や互いに対する礼は、左手右手と床につき前腕部が床に触れない程度に礼をし、
  右手左手と正座に復する

と分けて教えられました。

この理由として前者は、
 神仏は敬うべき存在であり、敵対し自分の身を攻撃してくるものではない
というものです。
仏教に五体投地(ごたいとうち)という最大級の礼法がありますが、その考え方に近いで
しょうか。

後者に関しては、
 1.たとえ師といえども油断すべきでなく、常に相手の動向を意識し反撃できる心身の
  備えを怠らない(利き手である右手を自由にしておくことで、お相手の不意打ちに備
  える意味がある)
 2.懐に殿様から預かった書状などを入れた状態で座礼をしたとき、それを落としにくい
というものでした。
いずれも納得のいく理由で、後年、様々な文献に接する中で文化的な裏付けを知るところ
となります。

しかし、これを何の説明もなく「同時でよい」としてしまった全剣連のやり方は乱暴であ
り、当時現場で子どもたちを指導していた身としては大いに困惑をしたことを覚えていま
す。

全剣連には、どういう理由でこのような改悪を行ったのか、その論拠を明確にしていただ
きたく思います。


なお蛇足ですが、近年座礼において、
 ・両手をついたときにお相手を注視
 ・頭を上げてきたとき、手を床から放す前に相手を注視
といったことが高段位をお持ちの方でも出来ていないのを見るのは残念です。
お相手を見ずに礼をすることが作法(礼の心)にかなうとは考えられません。


長くなりましたので、これもここで一度切りますm(_ _)m
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.2 )
日時: 2022/03/07 11:31:30
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

>蹲踞の姿勢に移行しながら抜刀する

これも私にとっては謎です。
近年の指導書には「蹲踞しながら(左斜め上から)竹刀を抜く」という記述が見られます
が、私が教わってきたのは

 ・抜き合わせつつ蹲踞

でした。
蹲踞の姿勢は不安定で間合いに接していることもあり、敵に斬りかかられる危険性がある。
蹲踞しつつ抜刀では不意の攻撃に対応することができない。よって「抜き合わせて蹲踞だ」
とするのは非常に理にかなっておりました。


蛇足ですが、蹲踞はそもそも礼法の一つでしたが、竹刀を相対して構えあっているわけで
すから臨戦態勢で「礼法の一種」とは考えにくい。相撲では蹲踞を、
 ・戦う直前の呼吸の調整
 ・気力の充実
 ・精神統一から無念無想(悟りの境地)
を培うものとされています。
剣道もそれに等しい思想を有していると考えます。

試合の終了時には、
 ・互いの健闘を称える
 ・呼吸と昂った精神を静寂に保つ
などの意味合いが込められるのではないかと愚考する次第です。


>踏み込み足を剣道形から排除

私が剣道形を教わった当初は、二本目六本目の仕太刀は踏み込んで小手を打っていました
し、そのあとに中段残心という形の上での残心がありました。

戦前の「高野×中山」の大日本帝国剣道形や戦後の「斎村×持田」の日本剣道形の映像な
どでも踏み込みが見られます。

これはさほど私自身は改悪とは感じておりません。「昔は違ったなぁ」程度の思いです。
大日本帝国剣道形の解説を読みますと、二本目も六本目も「右足を踏み出して打つ」とあ
るだけで、「踏み込まない」とも「送り足で」とも書かれていません。
演武者によって「小手は小技だ(振りかぶりが小さい)から踏み込む」という表現でも、
間違いとは言えないと考えます。


>加えて、近年だと剣道形に於いて
>触刃の間合、交刃の間合いを使い分けろ

これは私は聞いたことがありませんでした。
全剣連が今どのように説明しているのか、ご存知の方は教えていただけますと幸いですm(_ _)m


とりあえず、私のSNSに書き込まれた部分に関して見解を述べておきます。
このあと、「文化性の伝承」の部分を書いていきたいと思います
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.3 )
日時: 2022/03/07 12:47:35
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

剣道には伝承していかなければいけない文化と、そうでない(遺す必要性のない)ものが
存在する・・・それはあながち間違いではありません。

某SNSで私とやりとりされた方は、

>ちなみに、それらの作法は各流派や居合道として残されていると思っていたのですが、
>剣道に落としこまないと文化は保存されないでしょうか?

>多くの文化は、変化をしながら生き残っています!それは元々ある重要な文化とは切り
>分けて残っています!

>残したい文化はきちっと区分けして残せばいいし、新しい文化は別に生めばよいのでは!

>その残したい文化の定義が人それぞれ曖昧だから問題なのでは!

非常にもっともな意見です。
では、後世に遺すべき文化を内包した剣道を規定するのはどこなのか。
それは多くの剣道家を束ねる全剣連の責務です。

このトピの一番最初に「全剣連の改悪についてどのようにお感じでしょうか?」と問題提起
された方がおっしゃりたいのも、まさにそこです。
剣道という伝統文化伝承の総本山である全剣連が、文化性を無視した改悪を行うことに、
この方は危惧を覚えたのです。


剣道で行われている礼法や所作、試合・審判規則に至るまで、剣道が日本という国の歴史
や文化と深いつながりをもって生まれ、育まれてきたことは誰にも否定することのできな
い事実です。
第二次世界大戦前は大日本武徳会という民間団体が、武道の総本山としてそうしたもの一
切をまとめていました。
敗戦後、GHQに大日本武徳会は解散させられ、「学校教育におけるスポーツ」として多く
の苦労の中から剣道は復活を果たし、全日本剣道連盟が設立されるのはご存知の通り。
そして現在はその全剣連が、

>剣道は剣道具を着用し竹刀を用いて一対一で打突しあう運動競技種目とみられますが、
>稽古を続けることによって心身を鍛錬し人間形成を目指す「武道」です。

と定義しています。さらにその「剣道の普及のあり方」として、
---------------------------------------------------------------------------
 全剣連は、このような日本独特の文化・武道である剣道をさらに普及させていきたいと
考えていますが、一方、剣道の普及とは、単に剣道人口を増加させたり、試合を数多く開
催することではありません。正しい普及とは、日常の稽古や試合という競技の剣道を通じ
て、武士の精神を多くの人々に伝えることです。単なる競技として広めることではないの
です。

 このような観点から、剣道を学ぶ世界中の皆さんにお伝えしたいことが一つあります。
それは、剣道の厳しい稽古を通じて、剣の技を学ぶだけではなく、武士の生活態度やそれ
を裏付ける武士の精神(心構え)も学んで頂きたいということです。

 つまり、武道としての剣道を理解し、その修練をして頂きたいということです。竹刀は
武士の刀です。剣道着、袴は武士の正装であり、単なる運動着ではありません。この精神
を学ばずに剣道をすることは、単なる肉体的運動をしていることになってしまいます。剣
道の奥深さ、文化性を理解して頂きたいと思います。

※以上「全剣連の見解」より抜粋 hhttps://www.kendo.or.jp/knowledge/kendo-origin/
---------------------------------------------------------------------------

と明確な指針を示しています。
その具体的な方法が書かれているのが、「剣道指導要領」ということになるはずです。

ちなみに、文部科学省では、平成20年3月28日に中学校学習指導要領の改訂を告示し、新
学習指導要領では中学校保健体育において、武道・ダンスを含めたすべての領域を必修と
しました。
その目的は、
---------------------------------------------------------------------------
武道は、武技、武術などから発生した我が国固有の文化であり、相手の動きに応じて、基
本動作や基本となる技を身に付け、相手を攻撃したり相手の技を防御したりすることによ
って、勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうことができる運動です。また、武道に積極的
に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解し、相手を尊重して練習や試合が
できるようにすることを重視する運動です。

※以上、文部科学省「武道・ダンス必修化」より抜粋 hhttps://www.mext.go.jp/a_menu/sports/jyujitsu/1330882.htm
---------------------------------------------------------------------------
文部科学省(=国)が「武道」を必修にし、剣道がその中に含まれているということは、
前述の「全剣連の見解」による取り組み故ではないでしょうか。


私とSNSでやりとりされた方がおっしゃるように、

>残したい文化はきちっと区分けして残せばいいし、新しい文化は別に生めばよいのでは!

まさにそこです。
全剣連は、先達が日本の歴史と文化を背景に創り上げてきた「剣術」から、「剣道」とい
うわずか100年ほどの新しき文化を、どう次の世代に導いていくのかといった、重大な使
命を担っているのです。

ところが、その多くの遺していくべき大切なものが、「なぜ大切なのか」という歴史的文
化的理由があいまいになりつつあり「価値を見出せなくなっている人が少なくない」こと
が大きな問題なのです。

それは、戦後の剣道指導者が「競技としての剣道(=勝利至上主義への傾倒)」にばかり
重きを置き、弟子や教え子たちに歴史性や文化性といった側面のアプローチを疎かにして
きてしまったことに起因します。


我々は市井の剣道愛好家にすぎませんが、このトピを通じて、

 ・何を残していくべきなのか
 ・なにを失ってはいけないのか

を共に考えていければと思います
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.4 )
日時: 2022/03/07 13:13:25
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

ちなみに余談ですが、剣道いちに会はTOPページに「7つの提言」というのを掲げて活動
しています。

【いちに会7つの提言】

 1.厳しさの中に楽しさを求めてゆこう
 2.みんなで剣道を真剣に考え、疑問や主張を積極的に声にしていこう
 3.型にはめた剣道は没個性の象徴と戒め、権威主義には絶対反対しよう 
 4.進取の精神を持ちつつも、文化としての剣道の伝承に努力しよう
 5.心と心の触れ合いを感じられる剣道を通し、多くの仲間を作っていこう
 6.年齢、性別、段位にはとらわれず、『不老の剣』を目指そう
 7.剣道を通した心の教育を実践し、『人格の完成』を目標としていこう

2000年の3月に、このHPを立ち上げた時から、終始一貫してこのコンセプトで運営してい
ます


某SNSでやり取りした方は、私のことを、

>全剣連が嫌い(とは言ってませんが)なイメージなのに、全剣連寄りなんですよね

と書かれてますが、ここで明確にしておきますと私は全剣連が嫌いではありません。

間違っていることをやっていると感じる時は「間違ってる」とはっきり申しますし、
「変だなぁ」と思うことがあれば忖度してモノを言わないなんてこともありません。
相手にされてないでしょうが、むしろ「しっかりやってくれ!」と叱咤激励する立場です(笑)


それは終戦後、私の師匠が苦労して日本全国の剣道家を束ねて全剣連を立ち上げたからで
す。
(詳細をお知りになりたい方は原園光憲 著『剣道の復活』書房高原、1972年刊行、をお
読みください)

しかしその後、些細なことから行き違いが生じ、全剣連を二分しかねない騒動が起こりま
す。その時に我が師は、剣道界を二分し再び剣道家を混迷の中に落とすことはできないと
自身が私財を投げ打って設立に奔走した全剣連を捨て、在野の剣道家となります。

それゆえ、私は全剣連が大好きですが、師匠がそうしたように在野から「おかしいものは
おかしい」と声を上げられる剣道愛好家でありたいと願ってここまで来ました。


とりあえず、本トピの趣旨とは全く違うお話でしたが、私の立ち位置を明確にするために
書かせていただきましたm(_ _)m
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.5 )
日時: 2022/03/07 15:42:24
名前: はせまさ 

ヒデ先生、お立場ほぼ全く同感です(^-^)
正座の際足を重ねて・・・のくだりは、直接の根拠文書を
調べず書いてしまいましたが、数年前伝達講習に参加され
た方から聞いて仰天した次第です。
また、そうした指導を行う道場もある様です(´・Д・`)
蹲踞の件ですが、抜き合わせてから蹲踞する、も知っており
ますが、YouTube等で戦前の立ち合い等を拝見致しますと、
相撲の様に両かかとを揃えて(いわゆる普通の蹲踞)し、その
状態から抜き合わせる(これなら礼法としての蹲踞に意味を成す
と思います。)映像もございました(^-^)
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.6 )
日時: 2022/03/07 15:45:30
名前: 1970年式量産型ザク 

別のオプチャに投稿した文章の転載です。
少し手直しして投稿させていただきます。


私は剣道のごくごく一般的愛好家。
基本全剣連とか体制とかあまり好きではないへそ曲がり。
昇段目指している方、剣道形を一生懸命稽古している方リスペクトしてますが、自身は昇
級や昇段、剣道形と言ったものには全く興味がなく、そもそもその現状に疑問しかないと
いう考えを持つ変わり者の考察、というよりエッセイとして受けとめてもらえれば幸いで
す。


所作…なんなんでしょうね。
小学校の卒業式。卒業証書貰う時に左手からということを教わって何か1つ大人になった
という感覚を経験した思いがあります。どうしてそうするか、意味や意義など教わりはし
ませんでしたが、でもなにかその所作がかっこよく思えた。

高校から剣道始めて正座の仕方、座礼、蹲踞など所作を先輩に教わりました。教わったこ
とを何も考えずおざなりにやっていました。
この歳になると競技の勝敗に直接関わらないその動きの意味を知ることやその動きが美し
さを帯びること。それが剣道の魅力の1つだと認識させられています。


全剣連は剣道界を統括する組織であります。今自分が稽古できたり、試合に出れたりする
のも全剣連があるからだと思うので必要不可欠な存在でありますし感謝もしています。
統括する組織なので最大公約数的に様々な規則を取り決めて統一していこうとする姿勢は
理解できます。しかしその中に今回問題が提起されたように個人個人で納得できないこと
や改悪と思われるようなことが行われていることは私自身も感じるところではありました。

全剣連の最大公約数的な規則の統一化と違い、逆に能や歌舞伎、いわゆる古武術や伝統空
手等の形や身体操作はその動きの細部まで厳格に紡ぎ、伝えられて来てるものなのではと
理解しています。
それが美しくもあり愛おしい。そういうものが剣道にもっとあっていい。そういうものを
知りたいし教わりたい。
その反面切り返しに剣道の全てが詰まっていると聞いても、どこに?と思う自分もいます(炎上覚悟) 。


正しい剣道。
これもその指標を柔軟に考えないと矛盾に苦しむことになりかねない。
師事している先生や自分の納得出来る教えに基づく剣道がその人の目指す正しい剣道。
現状の考え、実力、その時々によって正しいと思うものは変化もしていきます。

もう1つの正しい剣道の指標として、公式な大会、稽古会など色々な人が集まった時など
は全剣連の規則をものさしに最大公約数的な正しい剣道で競い合い高め合う。
その中で正しい剣道の最大公約数をブラッシュアップしていければいいのではと思います。

ルールだけでもなく、様式美だけでもない。その両者に基づいて剣道が発展していけば良
いなと思っています。


もうひとつ剣道の大切な要素が、神道や性善説を礎にした日本の武道文化の中で育まれ、
発展してきている競技ということです。
これは概念、所作、競技性、審判規則、試合場、稽古場、剣道具等の形成、進化過程見れ
ば世界に類を見ない特異なものだと思います。

無駄や疑問、なんや!と思うこと多々ありますが、それが逆に魅力になっていることも多
い。これが例えばオリンピック種目になれば世界各国の思惑によって、敗戦国の文化性を
排除するような数の論理による改変。有効打突部位に当たった、当たらないに重きを置く
勝利至上主義への競技価値観の変更が目に見えるので私はそれに反対の立場をとる所以です。

思想、宗教、価値観の相違、これは理解し、受け入れ合えるなんてことはありえないと思
っているので日本人ではありえないと思うことが普通に改悪されていくと思います(炎上
覚悟)。

日本文化の色濃く残ったものは日本中心のままでガラパゴス的に発展していって何が悪
い!その方がよっぽど海外に向けても神秘性が増したり魅力的なものになると考えていま
す。
それが今でも海外の人に興味を持ってもらえていたり、魅了している要因だと思います。
そしてその剣道に興味を持った海外の人達とは積極的に交流、意見交換していければとい
いなぁ思います。


思いの文章化の難しい事、思い知りました。稚拙な長文失礼いたしました。
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.7 )
日時: 2022/03/07 16:26:01
名前: はせまさ 

剣道形に踏み込み足は用いない、の件でありますが、
全剣連昇段審査学科問題集に、
日本剣道形を実施するときの「足さばき」で気をつけることを書きなさい。

足さばきとは、相手を打突したり、相手の攻撃をかわしたりするときに用い
られる足の運び方です。日本剣道形では、歩み足、送り足、開き足が使われ、注意点は次の通りです。

(1)足さばきは、すべて「すり足」で行い、
「踏み込み足」は用いない。重心は上下させないよう、
滑らかに行うことが大切である。
と書かれております(^-^;
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.8 )
日時: 2022/03/08 11:23:35
名前: しゅう 

同じSNSで投稿を拝見していたものです

とても勉強になります。

Hide.先生のように、きちんと剣道の歴史を学んで高いレベルで議論できるようになりたいなとSNSも拝見していました。
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.9 )
日時: 2022/03/08 11:59:53
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To はせまささん

管理人のHide.です。
書き込みありがとうございます


>(1)足さばきは、すべて「すり足」で行い、
>「踏み込み足」は用いない。重心は上下させないよう、
>滑らかに行うことが大切である。
>と書かれております(^-^;

な、なんと!!
それは全剣連の手による著作物でしょうか?

大日本帝国剣道形の作成に携わった「高野×中山」、戦後5人しかいなかった十段位のお
二人「斎村×持田」の演武をないがしろにした全剣連のやり方は「改悪」以外の何物でも
ありませんね(怒

勝手な解釈は、先達に対する敬意が損失しており文化への冒涜と言わざるを得ないでしょう。


>正座の際足を重ねて・・・のくだりは、直接の根拠文書を
>調べず書いてしまいましたが、数年前伝達講習に参加され
>た方から聞いて仰天した次第です。

そういう座法もありますからあながち間違いだと断ずるわけにはいきませんが、全剣連と
してそう統一したとなると問題かと思われます。

本件につきましては、お詳しい方からの情報をお待ちいたしますm(_ _)m


>YouTube等で戦前の立ち合い等を拝見致しますと、
>相撲の様に両かかとを揃えて(いわゆる普通の蹲踞)し、その
>状態から抜き合わせる(これなら礼法としての蹲踞に意味を成す
>と思います。)

はい。
一刀流でも形の演武者とは別に「太刀配り」という役があり、先に太刀を床に配置します。
演武者は何も持たず、向き合わせて置かれた太刀の前に蹲踞し、蹲踞の礼(頭を下げる)と
いう作法です。
この場合の蹲踞はおっしゃる通り「礼法」だと思います。

どの段階で「抜き合わせた状態で蹲踞」となったかは勉強不足でわかりませんが、一刀流
の蹲踞の礼の形が「簡略化」されて、現在の所作になったものと推察できます。

このあたりを全剣連でしっかり「意味づけ」「意義付け」していただきたいですね
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.10 )
日時: 2022/03/08 13:56:41
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 1970年式量産型ザクさん

管理人のHide.です。
ご意見の書き込み、ありがとうございます


>高校から剣道始めて正座の仕方、座礼、蹲踞など所作を先輩に教わりました。教わったこ
>とを何も考えずおざなりにやっていました。
>この歳になると競技の勝敗に直接関わらないその動きの意味を知ることやその動きが美し
>さを帯びること。それが剣道の魅力の1つだと認識させられています。

最初はそんなものですよね。
礼法や所作の動作を教わっても、ただ教えられている通りにやっているだけでは「仏作っ
て魂入れず」の状態です。

その意味を知り自分なりに租借し、心を込めて行うよう日々意識すること。
このことによって、風格のある礼法や所作が培われてくるものと考えます。


>それが美しくもあり愛おしい。そういうものが剣道にもっとあっていい。そういうものを
>知りたいし教わりたい。

おっしゃること、まったくをもって同感です。
礼法や所作に限らず、本当に強い方の剣道は神々しさすら覚えます。
それは仏教でいうところの「自他不二(じたふに)」の境地なのでしょう。
「争心あれば壮心なし」の言葉通り、お相手と立ち合っていながら、それは芸術を見るが
ごとし。
剣道にもそういうものを求めたいものです。


>ルールだけでもなく、様式美だけでもない。その両者に基づいて剣道が発展していけば良
>いなと思っています。

勝敗を競う試合(競技)が存在する限り、その両輪がそろって発展していくことが理想で
しょう。
そうした意味において、全剣連の果たす責務は大きいと考えます。


>これが例えばオリンピック種目になれば世界各国の思惑によって、敗戦国の文化性を
>排除するような数の論理による改変。有効打突部位に当たった、当たらないに重きを置く
>勝利至上主義への競技価値観の変更が目に見えるので私はそれに反対の立場をとる所以です。

>思想、宗教、価値観の相違、これは理解し、受け入れ合えるなんてことはありえないと思
>っているので日本人ではありえないと思うことが普通に改悪されていくと思います(炎上覚悟)。

私もオリンピック化には反対の立場です。ザクさんがおっしゃるのとまったく同じ理由か
らです。
すでに柔道がそういう改悪にあってしまっている例を見ているだけに、決して空論ではあ
りません。


>それが今でも海外の人に興味を持ってもらえていたり、魅了している要因だと思います。
>そしてその剣道に興味を持った海外の人達とは積極的に交流、意見交換していければとい
>いなぁ思います。

外国の方が剣道を始める理由のほとんどが、剣道の持つ神秘性と精神性に惹かれるからだ
そうです。
ところが肝心の宗家である日本の剣道が「競技化(打った打たれた)」の方にばかり傾い
てしまうのは問題です。

全剣連は、もう少しそちらの啓蒙の方にも力を入れていただきたいものです。
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.11 )
日時: 2022/03/08 14:07:53
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To しゅうさん

管理人のHide.です。
わざわざ、こちらまでおいでいただきましてありがとうございました。

私もまだまだ勉強不足ですが、子どもの頃にまだ戦前の先生がご存命でお稽古をつけてい
ただいたことがあります。
その中でいろいろ教えていただいたことは、当時は全く理解できていませんでしたが、数
十年の時を超えてふと蘇って、「ああ、あの時あの先生がおっしゃっていたのはこのこと
だったのか」と気が付くことが少なくないんです。

先達にあれだけ素晴らしいものを教えていただいてきたのに、それらを伝える努力を怠っ
てきてしまった…。それは大きな自責の念であります。

このトピをきっかけに、皆さんでそんなことを考えていければいいなと思っています
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.12 )
日時: 2022/03/09 23:15:11
名前: 通りすがり 

大した意見は持ち合わせていないので恐縮ですが、
ものすごくびっくりしたので思わずカキコミしてしまいました。
(レスをしていただくほどの内容ではないので、スルーしていただければと思います。)


蹲踞の件は、えー!!!と思いました。体捌きで鞘から刀を抜くと、居合(全日本剣道連盟制定居合)で
散々仕込まれたので、蹲踞の状態=体捌ができない状態で構えるというの驚きでした。


刀を扱うという意味では剣道も居合も同じなに・・・



なお、昔思ったことですが、中学校の時に真剣で畳表を斬らせていただいたことがあるのですが、
私が当時中学生だったということで腕もなくて私の腕が悪いだけかもですが、
剣道の感覚で振ると刀が途中で止まり、居合の振り方で振ると斬れました。
(実験という意味でそれぞれ3回ずつ振らせていただきました。)

そう思うと、剣道の振り方が斬れる振り方じゃないのはなんでだろう?と
当時感じたのを思い出しました。
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.13 )
日時: 2022/03/11 23:16:44
名前: はせまさ 

to通りすがりさん
私も居合を稽古しております。
剣道の太刀筋では斬れない・・・
「斬る」をどう考えるか、何をもって勝ちと
するかでその答えは変わると思います(。・ω・)ゞ
ちなみに、居合の抜刀〜抜き付けであれだけ
半身になるのは、全剣連居合くらいじゃない
でしょうか。
(全剣連居合の抜き方が悪いと言う意味ではなく)
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.14 )
日時: 2022/03/12 21:10:15
名前: 通りすがり 

はせまささん

わざわざありがとうございます。
斬るについてですが、おっしゃる考え方はしていませんでした。
どうしても、絶命させることがメインとしてあったので、
確かに剣道の面ですと致命傷にはならないかもですが、戦意喪失にはなりそうですね。

抜き付けですが、古武道ですとあまりないのですかね?
流派はあまり知らないのですが、私が知っている限りですが、あそこまで半身になるのは見たことがありません。

(中にはあるのですかね?すべてはわからないのでもしかしたらるのかも?)

メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.15 )
日時: 2022/03/14 17:23:32
名前: はせまさ 

to通りすがりさん

私は全剣連とは別団体で無双直伝英信流を稽古させていただいております。
抜き付けは、半身にならずにほぼ正面体で行います。
よって、体捌きで抜く、と言うよりは鞘引き、つまり左右の手の作用で抜
きます。

剣道の一本を考えた時、「あの打ち方じゃ斬れない」と言う批判を古武道界
隈や時には剣道界内部から聞く場合さえありますが、こうした方は「斬る」
と言うことを「畳表を斬る様にスッパリ切り落とす」と思われている場合が
多いのではないでしょうか。
その様な斬り方をするとなると、よほど近間に入り、大上段から思い切り
引き手を遣うことになりますが、攻撃して来る相手、動く相手に対して、
果たして可能でしょうか・・・
そうで無くとも、面だとして、人間の硬い頭蓋をスッパリ斬るのはかなり
難易度が高いと思いますよ。
例えば、無双直伝英信流でも、無外流でも、抜き付けの初太刀は「速く、
コンパクトに!」です。
私の師匠は河野百練先生の直弟子の方ですが、「抜き付けは斬ると言うよ
りも、相手の顔面・肩・胸等に最短距離で鋒を叩き込め。故に抜き付け
の初太刀は斬りではなく打ちなのだ。」と教わりました。
ここが剣道の一本とされるところだと個人的には思っています。
通りすがりさんのおっしゃる通り、絶命に至らずとも、十分に相手の戦闘
力を奪うことになりますので、これをもって勝ちとし、かつ、とどめは刺
していないので、「打った後相手と距離を取る(抜ける)、残心を示す」こと
が反撃を受けないために重要なのだと考えています(。・ω・)ゞ
相手を戦闘不能にするのに一番効率が良いのは恐らく面打ちでしょう。
故に剣道では面打ちを重視するものと思います(* ´ ▽ ` *)
顔面に刀の鋒ぶち込まれてまだ戦闘を継続出来る人なんといないでしょうか
ら(;∀; )
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.16 )
日時: 2022/04/10 10:41:32
名前: 三七式ヨシ  < >

これはあくまで私見であることを最初にお断りします。
全剣連の会員番号を持ち、現在、全剣連から教士七段を頂戴していますが、運営側のものではなく、県剣連や市剣連の役員等でもありません。
また、古流剣術、居合、試斬などを書物や動画を拝見したことがありますが、実際には経験がありません。

HIde先生ほか、礼法等に疑問を持たれておられる方には共感いたします。

ただし、剣道連盟が考えているものは、適切な表現がわかりませんが、剣術等とは異なるものではないかと思ってます。

例えるなら、伝統派空手とフルコンタクトやK-1のように似て非なるものなのではないでしょうか。

今から40年近く前、自分の所属する道場に近隣の大学生等が集まり合同稽古会がありました。
稽古会の終了時、代表の大学生が全体の号令を掛け、片手づつ手をつき礼をされました。

当時、二代目の館長は、既に鬼籍に入られましたが、京都の武道専門学校を出られた範士八段の先生でした。

館長は「やり直し」と言われ、私が前に呼び出されたので記憶に残っています。

緊張しつつ、両手同時の礼をして、
「剣道の礼は、古流や居合と異なり両手を同時に着くのが正しい。」
とのことで、理由までは教えていただけませんでした。

範士は、選手権や国際大会の審判もなされ、役職までは詳しくは存じませんが、全剣連の役員をされておられたようです。

ちなみに、初代館長は範士九段で剣道形解説書作成時の審議委員にお名前があります。

古流等との礼法の違いについては、いくつか要因が考えられます。

戦後、一度剣道がGHQの意向で廃止された後、しない競技を経て復活したこと。

人間形成を前面に出し、お相手を含め敵というより事故の研鑽の協力者に敬意を示すことが優先されたことなどです。

また、蹲踞に関しては剣道形と竹刀で稽古・試合を行う場合は微妙に異なります。
剣道形の場合、刀、木刀を抜き合わせつつ腰を下ろし、下ろし切ったところで横手交差となります。

竹刀を用いる場合は、抜き合わせた後腰を下ろします。

この違いについては、学生などが約束稽古で順次お相手が変わるときに、蹲踞を省くことがあることに起因しているのではとかってに思っています。

検索して見つかりませんでしたが、恵土先生も剣道形が自分が習ったものと、全剣連の講習会で指導されるものが違うという動画を拝見したことがあります。

剣道形については、三本からはじまり、小太刀を含め十本となった経緯が日本剣道形解説書や剣道講習会資料に概要が記載されています。
Wikipediaには参加された範士の方々のお名前もありましたので興味のある方は検索してください。

さらに、日本剣道形解説書には、原本と口語文の平気であったり、解説書にもとづく意思統一や解説書のできるまで、作成の経緯などが記載されています。

Hide先生が足さばきについて取り上げておられましたが、解説書の剣道形指導上の留意点、形に対する心得の九、にすり足で音を立てないように注意するとあります。

重岡昇範士が監修され、実演された連続写真付きの剣道形の本には、
「地域や道場ごとに技の考え方に差異があり、全剣連として統一するよう各種講習会を行っている。」
というような文言がありました。

迎合するようとらえられるかもしれませんが、段位称号は全剣連からいただき、試合審判規則も全剣連が定めたものにより行うのであれば、全剣連の意に沿った形でするのが良いと思います。

そして、お考えの等しい方々が有志でお考えに沿うようにされれば良いのではないでしょうか。

適切ではないかもしれませんが、全剣連の剣道は「剣道指導要領・剣道形解説書・剣道講習会資料」に沿ったものだと割り切るしかないと思います。

表現が適切ではないかもしれませんが、例えば新陰流の方が北辰一刀流と礼法が違うというのに近いのではないでしょうか。

お名前は失念いたしましたし、記憶が定かではありませんが、「剣道から足払いをはずし、武道ではなくなった。」とおっしゃった範士がおられよう記憶しています。
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.17 )
日時: 2022/07/05 20:51:36
名前: 探剣家 

>全剣連は、先達が日本の歴史と文化を背景に創り上げてきた「剣術」から、「剣道」というわずか100年ほどの新しき文化を、どう次の世代に導いていくのかといった、重大な使命を担っているのです。

剣術と異なるという見解についてはHideさんも同様の前提に立っておられる様に読めましたが・・・


>ところが、その多くの遺していくべき大切なものが、「なぜ大切なのか」という歴史的文化的理由があいまいになりつつあり「価値を見出せなくなっている人が少なくない」ことが大きな問題なのです。

>それは、戦後の剣道指導者が「競技としての剣(=勝利至上主義への傾倒)」にばかり重きを置き、弟子や教え子たちに歴史性や文化性といった側面のアプローチを疎かにしてきてしまったことに起因します。

>適切ではないかもしれませんが、全剣連の剣道「剣道指導要領・剣道形解説書・剣道講習会資料」に沿ったものだと割り切るしかないと思います。

>表現が適切ではないかもしれませんが、例えば新陰流の方が北辰一刀流と礼法が違うというのに近いのではないでしょうか。



極論、礼法自体が不要で剣の技も不要で、つまりはサバゲー(エアガンでの打ち合いを行う競技)で良い訳です。
hhttps://youtu.be/u9fG4P851VY

将来的に世間一般から見て(剣道初学者も含む)剣道自体が不要と言えば不要、となってしまうという本質的な問いではないですか?
Hideさんが歴史性や文化性という単語で表現したいことは、単純に礼法の違いの話ではなく、流派の違いに似ているという話ではないような・・・。それは一例であって、何と言うかもっとこう・・・。


上手く言えませんがとりあえず改善策に話を移せば、実技の段位と知識の段位に分けて筆記試験の徹底的な充実を図る事を提案したいです。
文武という位ですから、文を充実させれば文化性歴史性をそこで集中的に指導できることと、その機会や必要性に恵まれることで、その内容も次第に整備されていくはずです。

戦後、剣道の思想的な部分は・・・
調べた限りでは条約を根拠にした内務省令によって武徳会は財産没収と公職追放を含む解散(事前の自主解散では十分でないとGHQが判断)
しない競技が設立、武徳会側の人員が後に合流、武道回帰が進みつつも・・・
戦前剣道を、戦後剣道は継承しているが、全てではなく同一の剣道ではない?

と考えられ(軽く調べた限りの私見であり浅いでしょうが・・・)思想的な部分はかなりやられてしまっていますから、剣道の歴史性、文化性を再確認、あるいは再構築?するという主張、剣道の価値を今一度はっきりさせる試みにはそれこそ価値があるのだろうと思います。
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.18 )
日時: 2022/07/05 21:03:30
名前: 探剣家 

剣術における奥義?とも言える内容を、剣道では基礎基本に持ってきている。と何かで読んだことがあります。
昔の方の発言という形式でした。

それを実技だけでなく剣道の文の領域においても、現状で高段者しか知り得ない領域、又は明文化されていない領域(つまりある意味、歴史性や文化性は剣道における奥義と見做せる?)を基礎基本と言う形でまとめ、より段位や経験の低い層に指導しまた一部問題の無い範囲では一般にすら公開するなどが仮に実現すればHideさんの目指す方向性に近いでしょうか?
メンテ
Re: 剣道の文化性とその伝承についての考察 ( No.19 )
日時: 2022/07/06 14:17:32
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 三七式ヨシさん

管理人のHide.です。
お返事が遅くなりまして申し訳ありませんでした。

>迎合するようとらえられるかもしれませんが、段位称号は全剣連からいただき、試合審
>判規則も全剣連が定めたものにより行うのであれば、全剣連の意に沿った形でするのが
>良いと思います。
>そして、お考えの等しい方々が有志でお考えに沿うようにされれば良いのではないでし
>ょうか。
>適切ではないかもしれませんが、全剣連の剣道は「剣道指導要領・剣道形解説書・剣道
>講習会資料」に沿ったものだと割り切るしかないと思います。

No.3で引用した「全剣連の見解」と全剣連がやっていることの間に乖離を感じるからこそ
の問題提起です。

「そう言ってるくせにおかしいんじゃないの?」っていう話です。
審査会や大会を開くことには一生懸命ですが、「剣道を学ぶ世界中の皆さんにお伝えした
いことが一つあります。それは、剣道の厳しい稽古を通じて、剣の技を学ぶだけではなく、
武士の生活態度やそれを裏付ける武士の精神(心構え)も学んで頂きたいということで
す。」と書いているにもかかわらず、そのためにどうしたらいいかという話はどこにも出
てきませんし、そうした活動を積極的に行っているとは思えません。

現場の指導者も、面小手胴突きを教えることにばかりとらわれ、歴史や文化、哲学、心法
を教えているでしょうか?
剣道の礼法や所作には、歴史に裏打ちされた意味が存在します。
そこを教えないことは「仏作って魂を入れず」に等しいことで、将来、竹刀操作はうまい
が中身のない剣道家を量産することになりませんでしょうか。

このトピは、そうした部分への警鐘を含んでいます。
メンテ

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