Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.1 ) |
- 日時: 2018/07/28 19:00:25
- 名前: 愚輩
- 先に道場連盟大会の反則の件で僭越ながら意見させていただきました。みなさんは武道文化としての剣道と競技剣道と両立についてどうお考えですか?
文化の継承としての剣道は大切なのは言うまでもないですが、昨今の剣道界は試合の結果に一喜一憂しすぎていないか、(私も指導の際そうなりがちで反省してるのですが) 先輩方のご意見をいただきたくトピ立てしました。
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.2 ) |
- 日時: 2018/07/29 07:42:17
- 名前: 剣道大好き
- 私も道連のトピでの議論は見ました。
反則時の拍手については、そこまで気にしません。反則も二回で一本ですし、取られる方に何らかの問題があるから取られるわけで、拍手されるのが嫌なら反則を取られなければいいと思います。また、最近では相手に反則となるようにアピールする選手もいます。これも賛否両論あるかと思いますが、ルールを上手に駆使したクレバーな試合運びだと私は思います。 また、試合をすれば勝ち負けがあり、その場に立った時点で、それは競技としての剣道に関わっていると考えざるを得ません。勝負をするならやはり勝ち負けにこだわらないといけない部分もあると思います。 ですが、その分日本剣道形を行う際はどういう理由でこのような動きをするのだと説明した上で指導するように心掛けております。 長々と失礼いたしました。趣旨と外れていたらすいません。
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.3 ) |
- 日時: 2018/07/29 08:21:36
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
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>
- 参照: http://ichinikai.com
- 管理人のHide.です。
たいへん有意義なトピ立てありがとうございましたm(_ _)m
そうですね、この部分に関しては結論を急がず、多くの剣道愛好家及び指導者の皆様から ご意見をいただきたいですね。
内藤高治は剣道の競技化を嫌い、昭和天覧試合の開催に強く反対しましたが、勅命である と言われ、やむなく従いました。この時「これで日本剣道は滅びた」と嘆いたという逸話 はあまりにも有名ですが、現代剣道から試合や大会を廃止することができない以上、我々 はこの問題に真剣に取り組まなければならないでしょう。
前置きはさておき、私は両立は可能という考え方です。 ただ、何度か拙サイトで書かせていただいている通り、試合(勝負)というのは剣道とい う大きな山の中にある小高い丘のようなものです。そこを目指して歩くことも、また頂を 目指すにあたって必要なことと思います。
ただどんな時でも見失ってはいけないのは、全剣連が定めた剣道の理念です。 各々解釈は違って当然ですが、お相手に対する礼節だけは失ってはならないと思いますd(^-^)!
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.4 ) |
- 日時: 2018/07/29 11:02:09
- 名前: 鉄心
- はじめまして、鉄心と申します。
私は年代毎に剣道観が違うのは当然であると考えています。
幼年期は剣道に親しむ(親剣) 少・青年期は競技剣道で勝つことを重点にひたすら竹刀を振って技を磨き体を鍛える(振剣) 試合から離れる年代になったら、自身の剣道と向き合い、剣道の歴史なども学びながら 自身の剣道を深めていく(深剣)
3つの「しんけん」を真剣にやることでより剣道家としてのレベルが上がって行くと考えます。
競技者を指導している方は競技としての剣道観を持って指導するのは当然です。 しかし自分の剣道に対しては少なくとも「勝てればいい」だけではなくなっているはずです。
3つの「しんけん」を経験していない方程、他の年代を批判します。 それほど競技として剣道をやってこられなかった方は、試合の動画などを見て 剣道が歪められている的なことを言いますし、 まだ競技剣道の最中にいる若手にとって、勝つことだけが剣道ではないという 上の年代の方の言葉をうざったく感じます。
今の子供たちが5.60歳になっても今のような剣道をするかと言われればしないと思いますし、 いずれどこかで壁にぶち当たります。そういう時に剣道観って変わるのかなと思います。
なので私としては競技をしっかりやってこそ、文化としての剣道を学べると思っています。
ただし、競技の中でも相手を労り、自分を高めてくれることに感謝しなければいけません。 反則で拍手なんぞ、自分の剣道レベルを下げる行為です。
厄介なのは剣道経験がない保護者が競技としてしか剣道を見ることができず、暴走してしまうことです。
その辺も指導者がしっかり纏めないといけないと感じています。
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.5 ) |
- 日時: 2018/07/29 14:35:02
- 名前: 愚輩
- 皆様のご意見拝見させていただきました。有難うございます。
各年代ごとに取り組む目的は確かに違いがありますよね。 私は子供たちに試合の勝ち方をもちろん教えます。 しかしそこに武道としての剣道から外れた手法を用いることが最近多い気がしているんです。 反則を利用した勝ち方をすることが多いというか、例えば、 一本取って残り時間が少ない時、時間空費や公正を害する行為の反則をもらうまでは不当なつばぜり合いやくっつき続けたり、一本取られてつばぜりが長いためわざと自分から場外に出たりなど監督の方が、「離れるな!」とか「外出ちゃえ!」とか試合中に指示を飛ばしてるところもしばしば見かけます。 現在の青少年の試合の展開では、こういうことも勝つには必要なことなのかもしれませんが、たとえ負けるとしても 子供たちに試合のテクニックとして教える気になれないのです。 それが甘いのか徹しきれてないのか迷ったり悩んだりすることがあります。 すべての指導者が正々堂々試合することを基本路線に指導していれば きっといらない悩みかもしれませんが、 それは中々難しいのが現状だとも思いますし…。
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.6 ) |
- 日時: 2018/07/30 18:33:28
- 名前: 経験者
愚輩さん
こんにちは、 道場連盟大会の反則の件でのご意見、拝見させて戴きました。 全く同感です。拍手をするのが恥ずかしいぐらいの、 大会会場に早くなって欲しいですね。
>武道(文化)としての剣道と競技としての剣道は両立できるのか、 >みなさんは武道文化としての剣道と競技剣道と両立についてどうお考えですか?
現状での両立は難しいと思います。
競技としての剣道では、あまりに勝ち負けにこだわり過ぎているので、 様々な問題を抱えてしまって来ている様です。 試合(競技)となれば誰もが勝ちに行きます。 負けてもいい試合(競技)などないでしょう。 武道として捉えた時、卑怯な剣道をやってでも、 勝ちに走ったかどうかを、問われると思います。
競技の場合、個人戦と団体戦があると思います。 個人戦の場合、自分の思い通りの剣道が出来ます。その結果、勝とうが負けろうが、 全て自分自身の責任だけでかたずけられます。 しかし団体戦の場合は、綺麗ごと言っても、その為にチームが負けてしまっては、 周りは納得してくれない筈です。 大将戦で、自分が引き分ければチームの勝ちとなれば、 誰もが危険を侵してまで勝ちには行かず、(相手の力量にもよるが) 引き分けに持ち込むことが多いでしょう。 選手は皆、選手宣誓で「正々堂々と闘います」と誓っている筈です。 この戦い方は、決して正々堂々ではなく、どちらかと言えば、 卑怯な戦い方だと思います。
前置きが長くなりましたが、両立させようとするなら、 競技剣道は団体戦を廃止、個人戦のみとする。 そうすれば武道的考え方での試合は、可能になるのではないかと思います。 個人戦に於いて、良い剣道をしようが、悪かろうが、 全て、それはその方の剣道観次第でしょう。 武道(剣道)が持つ性質上から考えても、 団体戦として戦うことには、無理がある様に感じてます。 団体戦廃止、出来れば両立も出来そうですが、どうでしょうか? 突拍子もないことを言ってますが・・・ 無理ですよね・・・
競技会場の件でのつぶやき
最近は大会会場に行く度に、嫌な気持ちばかりになってしまいます。 駐車場では「〜には駐車禁止します」とプログラムに記載されてても、意に介せず、 何の躊躇もなく駐車、会場玄関口には入場者の履物が散乱(参加選手の履物は 収納かごに保管されている)、会場内は到る所に場所取りのシートが張られ、 観覧席は空席に、物や所属名が書かれた名札が置かれて騒然としている。 土足で行き来しているところを、どうかすると選手が素足で試合場から外へ 出入りしており、剣道試合会場は異常な状況です。 こういう状況がこのままで良いんでしょうか、 大会によっては関係者の方は、色々考えてもらってる様ですが・・・
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.7 ) |
- 日時: 2018/08/02 13:59:44
- 名前: 剣道大好き
- 結局のところ、いろんな考え方があることがわかりました。つまり、私たちがやっていることは自分の意見を人に認めさせようとしているだけで、自分とは違う剣道観を知り、かえってイライラするだけだと思いました。そして何の解決にもなりません。
団体戦をやめるという意見もありますが、何の効果もないと思います。だって、個人戦だけやっても反則時に拍手する輩は絶対にいるからです。 だから、そもそも試合自体をしなければ皆さんが不快に思う根源は絶たれるわけです。でも試合を無くすというのは無理がありますし、皆さんもそういう事をおっしゃっているわけではないと思います。剣道のルーツは斬り合いなので試合は切っても切り離せないものでもあると思います。 結論、嫌なものは見ない。させない。これに尽きると思います。
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.8 ) |
- 日時: 2018/08/04 00:30:59
- 名前: 虚刀
- 鉄心さんの3つのしんけん
これは段位制のシステムの特徴でしょうか 最終的な完成を重視し、過程ではどこを学ぶかを区切っていますね 下位者には下位者の段階があるというシステム、これは一面、例えば文化面、他一部技術などを、追及する段階ではないからと一時切り捨てているともいえるかもしれません 一長一短ある教育システムの一つの定まった方針ですね
団体戦について私は純粋培養である必要はないと思っています 正しいことから正しいことと誤りを知り 誤りから正しい事と誤りを知る 卑怯から正々堂々を知る事もあり、卑怯から正々堂々が生まれる事もある 団体戦がもしも仮に誤りだとしても、正しく学ぶことはできるはずと考えます
剣道大好きさん きつい意見ですが気持ちは分かります、そのうえ少し考えたことを・・・ 異なる剣道観、価値観を 知る、理解する、共感する、全て別の事です 共感できずとも、あると知れば落ち着いて接する事も出来ます、いやなことは見ないさせないでは、いやな奴とされた側は反感を持ち紛争に至るかもしれません 目指す地点は解決だけではなく、まず当面の共存や、他にもあるかと思います 移民問題など騒がれる時代にあって異なる価値観とどう接するかは皆の課題で、剣道の人間形成という目標もあり、やはり向き合い、皆で共にイライラの先を見たいものです
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.9 ) |
- 日時: 2018/08/11 06:19:29
- 名前: 好月
- 興味深い内容に、久しぶりに投稿させてください。
私自身は、両立可能と思ってやっています。 自分自身が、両者を同じモノとして、但し違う方法でやることで、伝わるものだと思います。 皆さんもお書きになっておられますが、年代や個々の経験によって、剣道観や剣風は違ってきます。 私は、懸る剣道・同格との剣道、元立ちの時・指導稽古・試合のアドバイス・よその子とウチの子等々、 全てアプローチやエッセンスを変えています。 少年期は、ある程度勝てないと続けてくれませんし、幼少期・初心者は、楽しくないと次がありません。 かといって、何もかも自由にするとか、能力をはるかに上回る勝利は求めません。
後は、自分自身の背中で両立の剣道を見せられるか?・・・ですね。
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.10 ) |
- 日時: 2018/08/28 16:01:16
- 名前: 経験者じぃじ
好月さん
>私自身は、両立可能と思ってやっています。 >自分自身が、両者を同じものとして、但し違う方法でやることで伝わるものだと、 >思います。
私も「武道文化としての剣道と競技剣道と両立」は出来る、出来ないというより 当然しなければならないことと捉えてます。 只、競技剣道で個人戦と団体戦を考えた時、団体戦では「一部」武道文化としての戦い方が 出来ないと思います。団体戦での勝ちを先ず第一に優先すれば、 少々卑怯な事をやっても勝ちに走ってしまうということを、自分自身でも体験してます。 正々堂々戦おう! なんて飛んでしまってて、負けない剣道に徹してる自分がそこにいました。 よって、剣道の持つ「特性」としては、団体戦を戦う様には向いてないと思います。 「見苦しき勝者となるよりは、美しき敗者たれ」という言葉があります。 チームの勝ち負けは度外視して、自身の剣道に徹し切れるでしょうか。 チーム戦としては容認してもらえないでしょう。 唯一、可能な団体戦は勝ち抜き戦(最低大将が出てくれば引き分けなし) ぐらいではないかと思います。
Hideさん
>現代剣道から試合や大会を廃止することができない以上、 >我々はこの問題に、真剣に取り組まなければならないでしょう。 >私は両立は可能という考え方です。
個人戦のみの大会にすることは、可能ではないでしょうか 団体戦もどうしてもやるのであれば、勝ち抜き戦にすことも可能でしょう。 団体戦に於いても、武道的精神を貫いてやれるのであれば別ですが・・・ 仰られる様に、この問題に正面から向き合って、対応出来なければ、 剣道界の明日は来ないかも知れません。
>試合(勝負)というのは、剣道という大きな山の中にある小高い丘のようなものです。 >そこを目指して歩くことも、また頂を目指すにあたって必要なことと思います。
私も試合は、大きな山を登って行く途中にある小高い丘のようなもの、 という捉え方に異論はなく、今迄のやって来た修業を確認する為に、 必要な立合いと思いますが、それが団体戦に限って言わせてもらうと、 前記の様な意味合いで、その小高い丘には目指して登る必要はないかな、とは思います。
>お相手に対する礼節だけは失ってはならないと思います。
全くその通りで、礼節が失われた剣道は、只の叩き合いになってしまい、 遭ってはならないことですね。
以前、「経験者」のハンドルネームの件で、同名の方がいるのでと言って頂いていましたが、 最近、同名の方が投稿してあるのを見ました。このままでは不都合ですので、 今回より後発の経験者が少し名前をいじって投稿します。 宜しくお願いします。
追伸 YOU TYUBE でHideさんの剣道稽古を、初めて見せてもらいました。 全身に気が入った、間合いの良い、無駄のない、理に適った、綺麗な姿勢、 手の内の素晴らしい剣道をされる先生ですね。 この『いちに会』で諸々仰られてることを、なるほどと感じ入ることが出来ました。 私自身、お手本にさせてもらいたいと思いますが、孫にも稽古風景を見せて、 「こんな剣道を目指して稽古するようにしようねと」一緒に見取り稽古させてもらってます。 W大学時代の実力もネットで拝見しました。凄い方なんですね。 今迄、Hideさんを色んな場所でお見かけしていましたが、 正直、こんなに素晴らしい剣道観を持たれ、こんなに素晴らしい剣道をされる方とは、 思いも寄らず、「申し訳ありません」です。
経験者じぃじ
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Re: 武道文化としての剣道と競技剣道の共存について。 ( No.11 ) |
- 日時: 2018/08/29 07:15:55
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 経験者じぃじさん
>個人戦のみの大会にすることは、可能ではないでしょうか >団体戦もどうしてもやるのであれば、勝ち抜き戦にすことも可能でしょう。
個人戦のみという意見には賛成です。 世界大会関連のトピには、団体戦廃止を提案しています。
団体戦も一本勝負で引き分けなしの勝ち抜き戦、もしくはなぎなたのように延長1回で判 定などにすれば「故意に逃げる」ような行為は行えないはずです。
蛇足ですが、私は大人の試合は「一本勝負の自己判定制試合」であるべきと考えています
>以前、「経験者」のハンドルネームの件で、同名の方がいるのでと言って頂いていまし >たが、最近、同名の方が投稿してあるのを見ました。このままでは不都合ですので、今 >回より後発の経験者が少し名前をいじって投稿します。
おお、経験者さんでしたか。 こちらのHNならバッティングしないのでよろしかと
>YOU TYUBE でHideさんの剣道稽古を、初めて見せてもらいました。
恐れ入りますm(_ _)m
30年前に師匠を亡くしてから正師についたことがありません。 誰も自分を教えてくれる人がおりませんので、自分をチェックするために動画を撮影して います。YouTubeにUPしているのも、様々な方からご意見をいただくことができることと、 ネットにさえつながっていればどこででも再生し見直すことができる利便性からです。
経験者じぃじさんに過分なお言葉をいただくことができ、励みになりました。 ありがとうございました
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