Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.61 ) |
- 日時: 2016/12/15 15:22:40
- 名前: 佐藤
- 鉄心さん
論理的で、わかりやすいですね。つまり、全県連の規約に乗っ取り一本は決められるべきという考えなんですね。 残心が完成して初めて一本であるということですね。 ちなみに一連の流れとはどこまでのことを言いますか? 私は一連の流れとは、竹刀が打突部位を打った瞬間に完結していると考えています。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.62 ) |
- 日時: 2016/12/15 16:19:43
- 名前: 鉄心
- 佐藤さん
ありがとうございますm(_ _)m
全剣連の教えの下に剣道を習ってきたので、その範囲でしか考えがまとまらない、 というか、自分で納得いく答えが出せないだけです(^_^;)
審判長説示で「全剣連の試合審判規則ならびに細則で行う」とあれば、それは絶対ですね。
正直に言ってしまうと、件の試合、テレビで見ていたのですが、その瞬間私も突きだと思ったんです。 え?面?と思いました。
それで何度も動画を見直して、上記の解釈をして自己解決しました。 偉そうに講釈たれてしまいましたが、自分が唯一納得して自己解決できた答えがこれだったんです。
一連の流れについては、打ち切りができた(竹刀の引き上げ、体捌き、声の伸び)時点までだと考えています。 よく面を打ってすぐ肘を曲げてしまう子供に、しっかり打ち切れー!と指導しますが、その打ち切りです。 No.54で申し上げた「即座」の範囲と同じで、 >打突した側が打つ際に踏み込んだ足+一歩動く間、位に思って下さい(あくまで私の感覚です)。 のことですね。
打突→打ち切りまでしっかりやっていれば、その間相手が有効打突を出せなければ普通は旗が上がります。残心ありと認められたからです。
突きで言えば、 剣先が突き垂れを捉える→腕を戻しながら送り足で一歩下がる までです。
竹刀が部位を打った瞬間流れが切れる(打突の完了)と考えると、 打った瞬間動きを止めても一本になってしまいます。 打った瞬間動きが止まってしまうと、相手の対応に関係なく旗を上げられないですね。 故に打ち切りまでと考えます。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.63 ) |
- 日時: 2016/12/15 18:09:23
- 名前: 北の海人
- 鉄心様
そもそも残心にも仮想的で心の示し方になっている部分があります。 現実的な反撃を防ぐ場合もあれば、竹刀が部位を捉えた瞬間に旗が上がる場合、 こけたりひっくりかえったりした場合でも旗が上がります。 ツキの残心も確かにそのとおりですが、残心途中に打たれたら一本ではないとすると、 その他の技や試合との整合性がつかなくなると思います。
ツキを一本だと考える自分にっては、 ツキをくらっている時点で勝見選手は死んでいます。 「反撃できないくらいの威力が必要」 という基準を持ち出したら、これまたその他の技との整合性がつかなくなります。
「死に体」の定義についての議論、出鼻技や相面やは死に体になってないけど、 後打ちは一本にならないといった事象に対しての議論もありました。
自分の解釈としましては、 勝見選手は宮本選手の攻めで手元を上げてしまった (もしくは返し技を狙っていても読みが外れた) ので、そこの隙を見事に突かれたというものです。 これが相面なら後打ちは一本になりません。 出小手の後の面や。返し胴や抜き胴の胴側の失敗での後打ちの胴もそうです。 残心はそもそもが問題になってないのです。
いろいろな考え方があるということで、自分なりに落ち着いたのですが、 鉄心様の説明を読んでいて、剣道の基準に二重基準がどんどん増えていく感じがして返信させていただきました。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.64 ) |
- 日時: 2016/12/15 19:50:41
- 名前: 鉄心
- 北の海人さん
ご意見ありがとうございます。
>竹刀が部位を捉えた瞬間に旗が上がる場合、 については、No.54の >あくまで私の見解ですが、相面、面と出小手、面抜き胴など、お互いに捨てきって打っている場合は、 打たれた側は即座に打ち返すことが出来ない、つまり打突の完了と同時に流れが切れるので、 打突時の気剣体が揃っていれば、残心まで即完了します。 という見解です。
>こけたりひっくりかえったりした場合でも旗が上がります。 については、N0.62の >打突→打ち切りまでしっかりやっていれば、その間相手が有効打突を出せなければ普通は旗が上がります。残心ありと認められたからです。 という見解です。打ち切る前にこけたら一本にはなりません。 更にいうと、こけた原因が相手の不当な妨害(足かけや殴りつけ等)の場合、 それがなければしっかり決められていたと判断され、一本が認められます。
>「反撃できないくらいの威力が必要」という基準を持ち出したら 私は持ち出してないですよ〜(^_^;) これについてはNO.56で佐藤さんへの返信で、 >今回の結果を見れば、勝見選手の体勢的に、仰る通りポンと突いて十分一本になったと思いますし、 >その突き方なら面は打たれなかった可能性が高いですね。 と申し上げています。 >ただし、突いた瞬間間合いが近くなったのは、勝見選手があの威力の突きで吹っ飛ばなかったから、とも言えますね。 と申し上げたのは、もっと威力がなきゃダメってことではなくて、吹っ飛ばなかった勝見選手がすごいという意味です。
問題なのは威力や当たったかどうかでなく「残心がないから有効打突ではない(突きありではない)」という事実ただ一つです。
>これが相面なら後打ちは一本になりません。 >出小手の後の面や。返し胴や抜き胴の胴側の失敗で >の後打ちの胴もそうです。 私は残心について「反撃をもらわないこと」と解釈しておりますし、先にも申し上げています。
相打ちの遅い方の面、出小手を打たれつつ当たった面打ち、 面抜き胴の途中で面打たれながら打った胴は「反撃」でしょうか?違いますよね。
面を打ちに行って出小手を打たれた後、小手を「打ち切られる」前に二の太刀で 「有効打突に足る」「反撃の」面を打てれば面ありになるでしょう。私の理屈では。 カッコの所が必須の条件です。物理的に無理だと思いますが。
もちろん、相手の(無効になった)打突を貰わないで決めきれれば尚良いですし、 特に出小手を外して面を貰えば面ありになってしまうので、 出小手の時は面を当てられるなと指導します。
後打ちとは、後に当たった打ちではなく、相手に打たれてから放った技です。
たらればですが、今回勝見選手が面打ちに「出るところの出端」に宮本選手が出端突きを繰り出し、 剣先が突き垂を捉えて面を打たれながらも突きを打ち切っていれば、 突きありだったかもしれません。
その面打ちは突きを突かれた後の「反撃」ではないからです。
ただ、今回のようなことが起こるケースって、今回同様突きの直後の面か、 引き胴の直後の面くらいではないかなと思います。それくらいタイミングとしてはシビアです。
最後に・・・あくまで私の考えなので、これで納得せい!なんていうつもりは全くありません(^_^;) それぞれの考え方があるからこそ、見識を深めていく楽しみがあります!
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.65 ) |
- 日時: 2016/12/15 20:29:34
- 名前: 北の海人
- 鉄心様
>打突の完了と同時に流れが切れる
自分の見解では、その流れというものを導入した場合でも、 先に捨てきった側である宮本選手のほうに価値があると思います。
>打ち切る前にこけたら一本にはなりません。
その場合、死に体にはなっていない相手からしたら、打ち切ろうが、 こけたところを打突して一本にするべきです。 突きだけ残心の定義がシビアです。 そして、上で一度あげた動画では同じような状況でツキが一本になっています。 どちらかが誤審ということになってしまいます。 二重基準とはそういう意味でです。
>と申し上げたのは、もっと威力がなきゃダメってことではなくて、吹っ飛ばなかった勝見選手がすごいという意味です。
了解いたしました。
>私は残心について「反撃をもらわないこと」と解釈しておりますし、先にも申し上げています。 >相打ちの遅い方の面、出小手を打たれつつ当たった面打ち、 >面抜き胴の途中で面打たれながら打った胴は「反撃」でしょうか?違いますよね。
出鼻もそうですが、返し技なら状況は同じようなものです。 面を想定して胴を抜くつもりが間に合わなかったのと 何かしらを想定して引き面を打つつもりが間に合わなかった というだけだと思います。
>面を打ちに行って出小手を打たれた後、小手を「打ち切られる」前に二の太刀で >「有効打突に足る」「反撃の」面を打てれば面ありになるでしょう。
某選手の小手打たせ面は小手側が打ち切っているように見えますね。
>後打ちとは、後に当たった打ちではなく、相手に打たれてから放った技です。
そうです。ですから、宮本選手にツキを打たれた後の引き面なのです。 勝見選手が吹飛ばなかったのは、あくまでツキを十分くらって、 首がつらぬかれた分ほどは上半身はのけぞっているためで、 ツキによりその場で留め置かれ、ツキを利用することで竹刀が回しやすくなり ツキのうち終わりに適度な距離ができ、引き面のための後方の推力が得られたもので、 ツキを打たなければ成立しない技だと思っています。
>最後に・・・あくまで私の考えなので、これで納得せい!なんていうつもりは全くありません(^_^;) >それぞれの考え方があるからこそ、見識を深めていく楽しみがあります!
もちろんこちらもそのつもりですよ! 感情がこもってない文章に見えるかもしれませんが。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.66 ) |
- 日時: 2016/12/15 21:01:47
- 名前: 佐藤
- 鉄心さん
私はあくまでも、剣道は竹刀を真剣と見立ててやるものという考えがあります。なので絶対に竹刀を触れさせてはいけないと考え稽古しています。迎え突きなどは相打ちで共倒れと考えています。ですので、勝見選手の技は、自分の命を捨てて相手を道連れにしようとする技に見えます。武道は生き残るための戦いと考えますので、なんとも卑怯な気がします。 鉄心さんは柔軟に剣道について考えられている方だと思いますので、議論テーマの提案をさせていただきます。 私は大学時代に剣道は常に相手と向き合っているべきという教えを受けました。打ったあとに相手に背を向けて抜けていきますよね。これをせず、常に相手に体を向けておきます。例えば抜き胴を打ったあとに、背を向けて抜けるのではなく、胴を捉えた瞬間から相手に体を向け始めるのです。ですので相手に背を向けることはないのです。面も対当たるか、その場で静止するかです。これはもし技が決まらなければ、すぐさま、次の攻撃を仕掛けなくてはならない。という考えにあります。 背中を向けて遠くまで抜けていきますが、これは真剣の勝負と考えると相手を斬ったあと、反撃を恐れるあまり、背中を向けて逃げていることになるとおもいます。それは大変カッコ悪いです。 また、昨今の柔道は相手に襟をもたせませんが本来はがっぷり組んで技を掛け合うものと聞いたことがあります。しかし、次第に勝利至上主義のため、襟を持たせず自分の好きなタイミングでとなります。 剣道も同じで、一本打っては安全なところに行って、ではなく、精魂尽きるまで、相手に向き続け攻撃を仕掛けるべきと思います。当然リスクは大きいですが、勝ち負けとは別なところで頑張るものがなけれなば、剣道もスポーツとなり、芸術性がなくなると危惧しています。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.67 ) |
- 日時: 2016/12/15 23:22:44
- 名前: 鉄心
- 北の海人さん
>先に捨てきった側である宮本選手のほうに価値があると思います。 価値はありますが、価値がある=有効打突ではありません。
>こけたところを打突して一本にするべきです。 異論ありません。 決め切られていなければ一本とれるチャンス。 決め切られていれば向こうに旗が上がるだけです。
>突きだけ残心の定義がシビアです。 定義がシビアなのではなく、突いて決め切るまでに前→後と体重移動しなくてはならない上、 相手の正面で一時停止する為、他の技に比べて時間的体勢的に打たれやすいだけです。
>そして、上で一度あげた動画では同じような状況でツキが一本になっています。 >どちらかが誤審ということになってしまいます。 >二重基準とはそういう意味でです。 前にも述べたように、今回突きありだと思ったのが面ありになったので、 いろいろ考察をしたわけです。で、答えに辿り着いて自己解決しました。 勿論他の事例と矛盾しないようにと考えたわけですが、その動画です。 ぶっちゃけて言ってしまえば、私が審判していれば面にあげます。 突きは当たっているのかわかりませんが、少なくとも残心はありません。 決める前に打たれていますし、横向きになっていますし。
ただ、動画の審判を否定するわけではなく、今回勉強した事象に照らし合わせて今動画を見れば、です。
>何かしらを想定して引き面を打つつもりが間に合わなかった >というだけだと思います。 審判はその瞬間、裏に回ってきた相手の竹刀を受けようとしただけに見えたのかもしれません。 その後の引き面。つまり勝見選手が宮本選手の技に対しての応じ技を出したのではないと判断した。 こう考えると辻褄が合います。 我々は所詮その瞬間のリプレイ動画を見て考察しているだけですからね。
>某選手の小手打たせ面は小手側が打ち切っているように見えますね。 それに関しては小手打ちに有効打突の要件が揃わなかったと考えざるを得ません。 ただ、某世界規模の大会の団体戦では、完全に打たれたんじゃね?と思いましたが・・・
>ツキを打たなければ成立しない技だと思っています。 そうだとしても、残心がない以上突きは有効になりません。 相手の技の勢いを利用してはいけないとすると、相手の面打ちの勢いを利用して コンパクトに打つ出小手や抜き胴、相手の体当たりを利用した引き技は使えなくなってしまいます。
佐藤さん
>剣道は竹刀を真剣と見立ててやるものという考えがあります。 竹刀を真剣と思って扱え、という考えや、刃筋や物打ちの概念は刀としてのものだと思います。 それを意識した稽古というのは文化を伝える上でとても重要ですし、否定する気は毛頭ございません。
ただし、有効打突をはじめとする試合規則は、あくまで竹刀で試合を行うことを前提としています。
でなければスポチャンルールでよくなってしまいます。体のどこでも斬られたら負け。
刀を意識して稽古することと、試合のルールの範囲で活路を見出すことは矛盾しません。
試合は稽古の一部に過ぎないのですから、試合中は自分のベストを尽くす。 結果を糧とし稽古に精進する。それでよいと思います。 勝見選手もあの突きをまともに食らったことは流石に反省していると思いますし、 宮本選手も文句なく一本になる突きを稽古しているでしょう。
柔道はわかりませんが、剣道のいいところは、現役時代どれだけ勝利至上主義でやってきた選手も、 年をとって自分の剣道と向き合うようになると、結局基本が一番、勝ち負けではないと いうようになることではないかなと思います。
実際に刀で斬りあっていた人々も、死なない為(勝つ為)に必死で技を身に付け、 生き残って道を極めた人がその研ぎ澄まされた技と自身の死生観などを 後世に伝えてくれたのだと思います。
どういう師に師事するかにもよるとは思いますが、若いうちは目に見える目標(試合) に全力を注ぎ、その中で自身の剣道哲学を見つけてその道を進んで いくことができればいいのではないかと思います。 最前線で試合に没頭できるのなんて、剣道人生の前半分程度じゃないですかね〜。
まとまりがなく、答えにもなっていません。 申し訳ございません。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.68 ) |
- 日時: 2016/12/16 00:28:49
- 名前: 北の海人
- 鉄心様
今更気づいたのですが半角返信だと字色が薄くなるんですか!試してみます。
>価値はありますが、価値がある=有効打突ではありません。
価値とは、お互いが捨てきった相面や出小手や返し胴などで、 後の打ちが一本になることはないという状況と、 宮本選手が完全に勝見選手の隙をついて突いた状態と比較してのものです。 突かれた瞬間に勝負がついているという意味です。
流れが切れる切れてないも、打ち切ったら残心示さずとも切れてるとしてますが、 ツキ以外の技の残心も本来はしっかり距離をとり正対するものです。 ツキだけにシビアとはそういう意味合いでです。 全日本での正代小谷戦では、小谷選手のツキに対して正代選手が残心途中に引き面を打ちましたが、 一本になったのはツキでした。
>相手の正面で一時停止する為、他の技に比べて時間的体勢的に打たれやすいだけです。
たとえ打たれても、後打ちかどうかの議論に帰着することになると思います。
>ぶっちゃけて言ってしまえば、私が審判していれば面にあげます。
はい、それでいいと思います。むしろ、それで安心いたしました。 自分はそれでもやはりツキにあげると思いますが、 お互い自分が審判するときは二重基準になっていないということですね。 失礼いたしました。
>審判はその瞬間、裏に回ってきた相手の竹刀を受けようとしただけに見えたのかもしれません。
そうですね。ただ受けることに失敗してくらっているので、 某選手の返し小手と似たような打たせ技になってしまいます。 いや、勝見選手の場合は、ツキ打たせ引き面なんてことになるのでありえませんが。
>それに関しては小手打ちに有効打突の要件が揃わなかったと考えざるを得ません。 >ただ、某世界規模の大会の団体戦では、完全に打たれたんじゃね?と思いましたが・・・
畠中選手が全日本で打たれた小手は確かに小手の端ですが、 そもそも竹ノ内選手の面は部位を捉えてませんでした。 ただ、この例は「打ち切りをもっての残心」と「後打ちかどうか」ということであげさせてもらいました。
>そうだとしても、残心がない以上突きは有効になりません。
議論が循環してしまうのですが、まず上でも説明しましたが、どこまでが残心か、 そして打ち切ったと判断した場合に部位捉えたその直後に旗があがる条件など、 宮本選手のツキにも適用できると思ったのです。
>相手の技の勢いを利用してはいけないとすると、相手の面打ちの勢いを利用して >コンパクトに打つ出小手や抜き胴、相手の体当たりを利用した引き技は使えなくなってしまいます。
宮本選手のツキのような一本性のものを利用するのと、 例として挙げられた一本とは関係ないものを利用するのとでは違うと思います。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.69 ) |
- 日時: 2016/12/16 03:19:21
- 名前: 鉄心
- 北の海人さん
残心は、言い換えると「反撃を受けないように油断せず身構えること」と言えます。 故に、残心の最中に打たれたとか、残心を示す前に打たれたというのは矛盾しているわけです。
反撃を受けないように油断せず身構えている最中に打たれる。 反撃を受けないように油断せず身構えているよと示す前に打たれる。 いやいや打たれとるやないか!ってなりません?
要は反撃を受ければ、示すも何も残心はないのです。
有効打突になるためには残心があればいいのですが、ないのだから仕方がない。無効です。
冒頭の理屈で言えば、打突後に体を寄せたり間合いを切ったりすることで反撃を受けない状態にできれば 残心は「ある」ことになります。だからそこまでいけば旗が上がります。 残心を示さなければいけないとは書いてありません。残心があるかないかは審判の判断です。
勿論、突きと同様に他の技も最終的には相手に正対して構えなければいけないのですが、 そこまでいけば残心は「完了」となります。
但し、突きは突き戻したところで打ち切ったことになります。 そして突き戻した形は即ち中段の構えです。 中段の構えになりつつ間合いを切ることで初めて反撃を受けない状態=残心となります。
つまり突きに限っては 打ち切り=中段の構え=残心あり(同時に完了) となりますので、逆に言えば中段の構えになるまで打ち切ったことになりませんし、残心もない為技が未成立です。
だから反撃のリスクの大きい技なのです。
残心のない打突を100本叩き込んでも、その後残心まである打突を打たれればそちらに旗が上がります。
これが全てかと思います。
今回の件に関して、他の事象にも矛盾のない答えを出そうと考えはしたのですが、 次々に他の事例を出されても100%同じタイミング、間合い、強さ、スピード、 そして見る角度の現象はあり得ません。
なので北の海人さんと私が同じ試合場で審判をしている時に同様の現象が起きた時、 北の海人さん、私、そしてもう一人の審判がどういう判定するか。それがその瞬間その場面の全てかと思います。
元も子もないこと言ってすみません
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.70 ) |
- 日時: 2016/12/16 09:20:28
- 名前: 佐藤
- おそらく今回の判定は、全県連の先生方も悩んでいるのではないでしょうか?きっと先生方も突き派と面派に分かれてこれからの剣道の審判について議論していることでしょう。全県連の規約が絶対とは思いませんので、今剣道をしている人たちの手によって変えていくことは良いことと思っています。また、全県連の大会は一般の剣道家の方々の受験料で運営しているのですから、大会は一般の剣道家一人一人の手によって出来ているわけです。ですので、今回の判定について一般の剣道家の方々がどのような考えを持っているのか雑誌か何かでアンケートをとりそれを今後の規約に反映させてもらいたいですね。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.71 ) |
- 日時: 2016/12/16 18:49:50
- 名前: 北の海人
- 鉄心様
>残心の最中に打たれたとか、残心を示す前に打たれたというのは矛盾しているわけです。
この矛盾が生じるののは、出小手打たれた直後の面、相面の遅れた方の面、 抜き胴返し胴の面をくらった後の胴などに対して、残心を部位とらえた後の打ち切りで説明されたためだと思います。 あと、お互いが捨てきったからというのも、基準としてはよくわからないものです。
>つまり突きに限っては
上段に対する片手突きでは面や小手同様に相手に体を寄せることもあります。
>反撃のリスクの大きい技
外して反撃をくらいやすい技であるという認識です。 一本性の部位をとらえた時点で勝負はついており、つまり引き面は反撃ではないと考えます。
>残心のない打突を100本叩き込んでも、その後残心まである打突を打たれればそちらに旗が上がります。
残心の解釈の違いなので、自分の考えでは、抜き胴返し胴などの後打ちの胴が一本にならないように、 宮本選手のツキはそれら同様に、いやそれ以上に、捨てきったという価値からも、 部位をとらえた時点で打ち切り十分であると考えます。
宮本武蔵のことばでしたか、
「切りむす太刀の下こそ地獄なれ 踏み込みみればあとは極楽」
とは、相手の出てくるのを待つのではなく先手をとって踏み込んでいけば活路ありという教えだと、 小説「海明け」(八木義徳著)の中で解釈がなされており、主人公は出小手も抜き胴も竹刀用の小技であり、 「消極的な受け身の刀」という表現をしていました。
これが正しい正しくないというのではなく、昔の人の感覚では、 出小手ですら捨てきったものではないのかと、驚いたことがあるのですが、 馬場先生の言わんとしていることに通じるものがあるのかなと勝手に思いました。
それらを踏まえたえで、相面、出小手、抜き、返し胴などで お互い十分な捨てきった技として打ち切りという基準を導入するなら、 突きを裁けず捉えられた受け身の刀の引き面に対して、 宮本選手の捨てきったツキは、 それ以上に価値があり打ち切りを導入しても問題がないと考えます。
>なので北の海人さんと私が同じ試合場で審判をしている時に同様の現象が起きた時、 >北の海人さん、私、そしてもう一人の審判がどういう判定するか。それがその瞬間その場面の全てかと思います。
もちろんそうですよ。元も子もないというよりは、結果を認めたうえでの議論でしたから。
佐藤様
そうですね。あとは、審判をされた先生方の見解なども公表して欲しいところです。 採点基準の公表ということで。 剣道家にとって参考になる決定的な一次資料になると思います。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.72 ) |
- 日時: 2016/12/17 06:44:53
- 名前: ななし
- 剣道のルールって難しいですね。
解釈によってどちらにもとれますね。
hideさんが提唱されているお互い審判制度で、 私が勝美選手の立場であの突きをもらったら、 「参りました」 ですが。
あそこまでの威力のある突きを喰らって、 「おまえの突きは残心がないから俺の面だ」 なんてことで、 突きを否定したら私は自分が恥ずかしいです。
突き垂れに当たっていたから、自分の体にダメージが なかったことに感謝するでしょうね。 突き垂れに当たっていなければ、死にそうです。 馬場先生もそこのところをおっしゃりたかったのでは。
皆様いつも難しいことを考えておられるのですね。 びっくりしました。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.73 ) |
- 日時: 2016/12/17 22:45:12
- 名前: 佐藤
- 北の海人さん
そうですね。先生の見解が知りたいところですね。私は思うに、先生個人個人もしくは道場の教え、この先生の弟子、といった形で剣道観、試合観がそれぞれ異なっていてもいいと思います。ですので、あの先生はああいう技には旗を揚げない、でも一方の先生は旗を揚げる、何故ならその先生はこう考えるから、というように審判の先生方それぞれの考えで審判を行ってもいいのではと思っています。そこでこそ剣道の多面性が生きてくるような気がします。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.74 ) |
- 日時: 2016/12/18 12:57:09
- 名前: 一保護者
- この件を子供に聞いて見ました。
「まず残心は、相手に備えることと習ったから、直後に面を食らったら残心がなっていないといわれても仕方ないよね。 だから、この試合結果は当然だね。
因みに、これを先生が見たら、「勝見選手は試合には勝利したものの、部位に直撃されるような隙をを作ってしまい、真剣であれば次の面は打てなかったので負けに等しい、勝ちに不思議の勝ちあり、又宮本選手は完全に部位を捕らえておきながら、次の攻撃に備えることができなかったので負けた、負けに不思議の負けなし。」というから、改めて聞かないようにね。
と釘をさされてしまいました。
納得ですね。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.75 ) |
- 日時: 2016/12/18 13:11:36
- 名前: 佐藤
- 一保護者さん
ですので、どちらにも落ち度があったわけですから、両成敗で相打ちということにすれば良かったんですよ。しかし、あげなかったらあげなかったで、見えてないと言われるので審判は大変です。なので、あの場合は勝見選手が、面は打ちましたが、不本意ですので、次の試合は辞退しますと言えば良かったですね。しかし当然周りに引き止められます。そこで、勝見選手はそこまで言っていただけるなら出させていただきます、となります。そうすると、見てる側としても、あの引き面は打った本人も不本意と思っているのだなと安心することができ、その後の議論で本来の剣道とかけ離れた解釈が生み出されることもなかったでしょう。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.76 ) |
- 日時: 2016/12/18 14:26:24
- 名前: 一保護者
- 現状での試合結果なんてたいして意味がなく、その勝利を目指して精進するということが重要では?
極論すれば、真剣で命のやり取りしない限りは模擬の域を出ないのだから、どうやっても不満は出ますよ。
例えば、面と小手では真剣だった場合はダメージが違いますね。
面が決まるということは、頭をかち割るのだからそれまでだけど、小手の場合は腕一本ですみますね。
それなら、面は一本で試合終了、小手は切られた腕を使わないで、2本目としなければおかしいでよね。
現行の試合は現行のルールに従って判断するというのが筋でしょう。
終わった試合結果にこだわるというのは、素人目ですが武道的にどうかと思いますよ。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.77 ) |
- 日時: 2016/12/18 17:34:03
- 名前: 佐藤
- おっしゃる通り、試合の内容については本人が1番わかっているので外野がいうことではないかもしれないですね。
剣道の試合は負けても死ぬことはないですね。勝っても負けても何かしら自分の未熟をさらけ出すことになるでしょう。そういう観点で見ると真剣勝負よりも厳しいものがある気がします。勝見選手も宮本選手もこれからずっと、今回の試合を振り返るたびに苦しい思いをするのでしょう。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.78 ) |
- 日時: 2017/01/09 14:28:58
- 名前: 5151
- 真剣で例える方々が多いですが、もし真剣で戦ったら胴が外れて脇に当たっても死、つばぜり合いで肩にかけても死にますよね。やはり剣道はスポーツ、1本になるルールがあるんだから!今回の大会は審判のジャッジ通りですよ!
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.79 ) |
- 日時: 2017/01/10 13:09:05
- 名前: 佐藤
- 大石選手と勝見選手の判定はどうでしょう?
大石選手が勝美選手の逆胴を捉えているように見えますが、これも残心中の引き面ということでしょうか? みなさんどう思われますか?
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.80 ) |
- 日時: 2017/01/13 12:51:17
- 名前: 佐藤
- 突きの件に対するこれまでのヒデさんの意見をたどりますと、コテを返そうとしたら結果つきを打ってきたので、ただの後打ちではなく返し技が成立しているのだということでしたが、この胴は返し技ではなく後打ちに見えますね。ですのでこれは誤審ではないでしょうか?
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.81 ) |
- 日時: 2017/01/14 06:52:54
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 佐藤さん
大石選手の逆胴に関しては、私はNo.25で見解を述べさせていただいております。 誤審ではありませんm(_ _)m
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.82 ) |
- 日時: 2017/01/14 21:38:39
- 名前: ケトン
- あれは突きあり!著名人の八段の先生が数名おっしゃってました。見抜けなかった審判の判断がだめ。おそらく、次年度以降、決勝審判はないだろうと。中央審査も他の審査員と違う審査をすると次年度以降は審査員になれないそうです。だから、審判、審査員も選手と同様、真剣に剣道人生かける気持ちでやらないと!全日本にかぎらず、審判は地域大会も真剣にやってほしい!選手は真剣。ましてや、試合者はどちらが当たったか一番わかるから、審判不信になる。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.83 ) |
- 日時: 2017/01/15 07:33:17
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To ケトンさん
管理人のHide.です。
著名人の八段だから見えているわけではありませんが、審判の範士八段よりも著名な方な のですか? その先生は現場で試合をご覧になったのでしょうか?
>審判、審査員も選手と同様、真剣に剣道人生かける気持ちでやらないと!
この件に関しては同意いたします。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.84 ) |
- 日時: 2017/01/15 13:13:01
- 名前: 佐藤
- ヒデさん失礼しました。
質問なのですが、胴を打った大石さんも素晴らしい、その後の勝見さんの引き面も見事となるならば、相打ちということで良いと思いませんか? これは全剣連のルールとは別にヒデさんの剣道の考え方をもとにお答えください。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.85 ) |
- 日時: 2017/01/15 13:25:00
- 名前: 三七式ヨシ
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- 三七式ヨシと申します。
hhttps://www.youtube.com/watch?v=uPgn2_rnmQY&t=209s
従前にも紹介させていただいた、私の試合ですが2分50秒くらいで私が面を打ちに行き、 お相手に小手を抑えられています。
旗は、主審はお相手の小手、副審二人が私の面で、合議で面が有効打突となりました。
自分的には、お相手に小手を頂いたと思っていますが、自分の面もしっかり打ち切って いますので有効打突としては十分と思っています。
近頃は動画が残り、後から確認することが出来ますし、スロー再生をすれば当たったか 当たっていないかの判断はより一層しやすくなりました。
ただ、従前にも書き込み合いましたが、剣道の有効打突は各一本づづを判断するもので、 試合が決するまで繰り返されます。
また、有効打突かどうかは審判員の判断に任せられ、個々の審判員が自分の経験や判断 基準に適っているかで旗の上げ下げを決めています。
実際、私は選手権のようなひのき舞台に上がったことはありませんが、子供の大会の後、 エキジビジョンの紅白戦(紹介の動画も)などで選手をしたり、子供の大会の審判もし ます。
選手であれば、有効打突を決めて勝利することに専念し、瞬間瞬間でどうすれば有効打 突になるか精一杯駆け引きし、打ちに行きます。
審判であれば見逃しの無いように、位置取りをしながら打突を注視します。
審判の待ち時間に、待機していて試合を観戦していると、今のは有効打突ではと思う場 面も多々あり、選手に近いからこそ見えないことや、審判中にみごとな技なのに居つい たように旗を挙げれなかったことも何度もあります。
選手権の審判員は、それこそ万単位の観衆の前で、動画を録画されるなかどれほどの緊 張感のなか、国内を代表するような選手の動きを判断しているわけです。
相撲の行事は短刀を携えていますが、それに近い気持ちで審判をされているものと思い ます。
少し話はそれますが、ある子供の大会の後、指導者が子供を𠮟責しているのを見て、解 散後に、
「子供に自分の試合している姿を見せてやってはどうか。」
と伝えたところ、その指導者は肩を落としていました。
批判は簡単ですが、では自分は100%の審判が出来るのかと問われれば、精一杯はやりま すが、見なければいけないことが見れなかったり、見えてはいけないものが見えてしまう ことも事実です。
審判員、選手どちらともその場に置いて、精一杯(緊張で100%を出しきれないこともあり ますが)やっておられること、すでに結果の出てしまったことを外野が言いすぎるのはいか がなものかと思います。
選手も、審判も人間のすることです。
それが許せないのであれば、剣道以外のことに向かわれるのが良いと思います。
最後に、私には資格もありませんが、選手権の審判に押されたらご辞退したいです。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.86 ) |
- 日時: 2017/01/16 07:08:37
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
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>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 佐藤さん
相打ちというのは、同時に有効打突を捉え、優劣が判断できない状況ですから、ちょっと 違いますかね。
私の見解は、Np.25に書かせていただきました通りです。 素晴らしい逆胴でしたが、やはりあそこで引き面を打たれては「残心がなかった」と判断 できるでしょう。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.87 ) |
- 日時: 2017/01/16 09:56:02
- 名前: 通りすがり
- 自分が審判をする上で若干疑問がありますので、今までガマンしていたのですが(笑)投稿させてくださいm(__)m
No86について、管理人様のご意見としては、引き面を打たれていなければ逆胴に一本あり、という解釈でよろしいでしょうか?
例えば、面返し胴の場面で、返しが遅れて面に当たってしまった。その後の胴が申し分の無い打突であっても面に一本かとおもっております。 判断の順序として、先に当たった側の打突について一本の判断をし、何らかの理由で無しと判断した場合は次に発生した打突について判断するべきではないでしょうか?
私的には、残心の前に打突したから一本という表現ではなく、打突により残心が不十分になったので有効打突の条件を満たしている引き面に一本、という表現なら納得なのですが…(^^;
逆胴の残心が十分か否かはその場の審判の判断なので、ご意見できるのは試合場主任のみ、あとは私達の研鑽のネタでよろしいかと(笑)
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.88 ) |
- 日時: 2017/01/16 16:46:15
- 名前: 佐藤
- ヒデさん
突きの件に関しても思ったのですが、打たれない残心とはどのようなものですか? 大木和さんが雑誌で大石選手の逆胴は引き込まれたと言っていましたが、打突部位をあえて打たせて後打ちを狙う技が成立するならば物理的に後打ちを打たれない残心は不可能と思いますがどう思われますか?
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.89 ) |
- 日時: 2017/01/17 01:27:07
- 名前: 風の剣士
- 私も通りすがりさんとほぼ同じように考えます。
また、もし残心に至るまでに打ったという考え方を是 としてしまうと、技が交錯した場合には、後の打突を有 効にすることにしなければ、ルールとして辻褄が合いません。 ただ大石選手の逆胴については残心の問題とは関係な く有効だとは思いません。ご本人の様子からもそれは 見て取れると思いますが。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.90 ) |
- 日時: 2017/01/17 07:10:30
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
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>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 通りすがりさん
管理人のHide.です。
>No86について、管理人様のご意見としては、引き面を打たれていなければ逆胴に一本あ >り、という解釈でよろしいでしょうか?
一瞬でも躊躇しての引き面だったら、逆胴をとるべきかと考えています
>例えば、面返し胴の場面で、返しが遅れて面に当たってしまった。その後の胴が申し分 >の無い打突であっても面に一本かとおもっております。 >判断の順序として、先に当たった側の打突について一本の判断をし、何らかの理由で無 >しと判断した場合は次に発生した打突について判断するべきではないでしょうか?
この件に関しましてはNo.21に書かせていただいております。 そこでは出鼻技について話しておりますが、その後No.54で鉄心さんがフォローしてくだ さっている通りだと考えますm(_ _)m
>私的には、残心の前に打突したから一本という表現ではなく、打突により残心が不十分 >になったので有効打突の条件を満たしている引き面に一本、という表現なら納得なので >すが…(^^;
その解釈で問題ないと思います
To 佐藤さん
>突きの件に関しても思ったのですが、打たれない残心とはどのようなものですか?
突きに関しましては、早く突き戻して体を引き中段残心に入るべきでした。
逆胴も本来は引き切りの技ですから打ってから引いて決めるべきですが、打たれるリスク を少なくするために前に出て打ったりお相手に密着して決める方法をとる選手が多いです ね。 その場合でしたら、適切かどうかはわかりませんが、引き面を打たれる前に体を僅かに左 右に動かすとか、最悪、首でよけるなどができていればよかったのかなぁ、と考えます。
引き面のインパクトが強かったですからねぇ。 やはり部位に触らせるべきではなかった、ということなのだと思いますm(_ _)m
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.91 ) |
- 日時: 2017/01/17 11:54:18
- 名前: 佐藤
- ヒデさん
となると、木和田さんが大石選手の逆胴の際の引き面を胴を引き込んだと評したように、打突部位をわざと打たせてその隙を打つという技は成立するということでしょうか?
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.92 ) |
- 日時: 2017/01/18 08:40:51
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 佐藤さん
>となると、木和田さんが大石選手の逆胴の際の引き面を胴を引き込んだと評したように、 >打突部位をわざと打たせてその隙を打つという技は成立するということでしょうか?
私は木和田さんのように、あの技が「わざと逆胴を打たせて後打ちを狙った」とは考えて おりません。 大石選手の逆胴という技の尽きた瞬間に放った引き面と考えております
もし、逆胴を引き込んで狙って打った技だったら、あそこまで打たれてはまずいですよね。 「らしきところは打たれるな(打たせるな)」が試合の鉄則ですのでm(_ _)m
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.93 ) |
- 日時: 2017/01/18 22:22:30
- 名前: 佐藤
- 技の尽きたところが打突機会となる場合はその尽きた技が捌かれた時に限ると思っています。
なぜなら、今回のように打たれた後の技の尽きたところの打突を一本にしてしまったら、あえて打たせてその後を打つという技が成立してしまいます。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.94 ) |
- 日時: 2017/01/18 22:25:28
- 名前: 北の海人
- >hhttps://www.youtube.com/watch?v=uPgn2_rnmQY&t=209s
小手だと思いました 相面同様に後に当たった方は一本にならないかと
突きの残心についても散々意見が割れました そのとき論点になったのが、相面や抜き胴やと今回の準決との比較でしたからね
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.95 ) |
- 日時: 2017/01/19 06:58:34
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
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>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 佐藤さん
剣道の場合、有効打突の判定は瞬間的に旗を上げることもありますが、多くは「打突の終 末を見極めて」行われるものです。
あくまでも私の個人的な見解ですが、審判は、大石選手の打突の終末を見極め旗を上げよ うとしていた。その技の尽きたる瞬間に勝見選手の引き面が起こった。 それゆえ、そちらに旗が上がった…ということでしょう
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.96 ) |
- 日時: 2017/01/20 17:00:26
- 名前: 佐藤
- ヒデさん
剣道の技がらしきところは打たせるなという前提があろうかと思いますが、そのことと今回の引き面は矛盾していると思います。 言葉で説明すれば別なものですが、動作としては、わざと胴を打たせてその瞬間を狙ったことと同じではないでしょうか? 打突部位を打たれての応じ技がルール上成立してしまいますよね。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.97 ) |
- 日時: 2017/01/20 20:44:20
- 名前: ななし
- 的確に打たれた打突から残心が決まるまでの間に、後から打った技が一本になる。
佐藤さまがおっしゃるように、これからは打たせたところから残心までの間に決める応じ技が流行して、ますます剣道が混乱していきそうです。
今までの剣道に対しての思いは捨てて、試合を見限っていくという選択肢は必要ですね。 小手打たせ面や面打たせ胴など考えただけでアホらしくなります。しかし残心までの間に打てば良いのですよね。
その場その場で解釈・議論の多い競技になりますね。 剣道は滅びるかもしれませんね。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.98 ) |
- 日時: 2017/01/21 06:56:13
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
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>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 佐藤さん&ななしさん
管理人のHide.です。
矛盾はしていないし、御心配には及びません。 今回に限らず、そうした一本はこれまでの試合の中にも何本も見ることができます。しか しそれはあくまでも偶然の産物です。
一本取られるかもしれないリスクを冒すような選手が増えるなどありえないと考えますm(_ _)m
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.99 ) |
- 日時: 2017/01/21 11:11:39
- 名前: 佐藤
- ヒデさん
言われてみれば確かにそうかもしれませんね。 しかし、この逆胴からの引き面を全日本選手権者の大起和さんが手元を上げて勝見選手は打たれているように見えるが実はこれは引き込んでいるのだという内容の話をされていました。これを読んだ時私は、トップ選手はこのようなら、わざと打突部位を打たせる引き込み技もアリと考えているのだろうか?と思いました。警察大会などではコテを打たせて?その後の引き面が一本になる場面がありました。実は、既にこの手の技は浸透しているのだと思いますけどね。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.100 ) |
- 日時: 2017/01/21 23:41:18
- 名前: ななし
- ここまで読んできて、ルールを利用した剣道が嫌になりました。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.101 ) |
- 日時: 2017/01/22 07:45:50
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 佐藤さん
>警察大会などではコテを打たせて?その後の引き面が一本になる場面がありました。実 >は、既にこの手の技は浸透しているのだと思いますけどね。
意図的に狙っているというよりは、偶然そういう機会に決まったと見るべきでしょう。。 お稽古の中で私は、先で打てたとしても後の技を打たれたらダメと思って取り組んでおり ますm(_ _)m
To ななしさん
試合は「らしきところを打たせるな」です。 判定にクレームを付けず「打って反省打たれて感謝」が剣道です
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.102 ) |
- 日時: 2017/01/22 09:08:52
- 名前: ななし
- この場で主張されていることが事実だとすれば、これまでの審判に対するhideさんのご意見は筋が通りますね。
しかし残念です。 試合は、普段行っている稽古を再確認する場ではなく、試合・審判規則という元々の剣道とは異なる価値観を基準にしたルールの元での競技ですね。
試合はあくまで剣道そのものではなく、「剣道の試合」という別のものだと考えれば、非常に納得いきます。 例えば、竹刀は刀の象徴ではなく単なる競技に使用する道具に過ぎません。 試合は剣道の理念からは離れたものに成り下がってしまうような気がします。 打たせた後の技は、剣で相手に切られた直後に出す技ということになり、残心の有る無し以前の問題で、剣の理法としては成り立ちません。 打たせた後の技は、試合・審判規則の元でしか成り立ちません。 「剣道の理念」からは遠くはずれてしまうように感じます。
剣道の理念からはずれてしまった「試合」に、価値観を求めていかなくてはいけないとは、情けないことです。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.103 ) |
- 日時: 2017/01/22 09:20:59
- 名前: ななし
- 私が普段やっているのは、剣道の稽古であって、「剣道の試合」の練習ではありません。
稽古は、もちろん、 「打って反省、打たれて感謝」 の心を持って取り組んでいます。
打たせた後に打った技に、その気持ちは果たしてあるのでしょうか? 後から打ったほう、打たれて感謝の直後にその気持ちを帳消しにする後打ちがこの言葉の意味するところでしょうか? もちろん、先に打った方が直後に打たれた場面で、「打って反省打たれて感謝」はわかります。
この辺が、馬場先生の仰りたかった事だと思います。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.104 ) |
- 日時: 2017/01/22 15:40:30
- 名前: 佐藤
- ななしさん
幼少頃から試合稽古が盛んに行われていた年代でしょうし、とにかく勝つことにこだわればあのような技が発展するのも必然でしょうね。 これまでの剣道の指導体制の流れにが作った現状だと思います。 試合稽古だけにならず剣道の文化的背景を伝えていくという道場も少ないですが知っています。 そのような道場のあり方が広まって欲しいと思います。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.105 ) |
- 日時: 2017/01/22 17:07:06
- 名前: ななし
- 佐藤さま、
私も同感です。
小中高大学生、若年層は試合のための練習になりがちでしょうが、 剣道の理念、歴史的背景、文化的背景も伝えていかなければ、 偏った指導になってしまいますね。
若手最高峰の試合がこのような状況で、 しかも審判批判は一切出来ないという閉鎖された仕組みの中で、 どうなっていくのか大変不安です。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.106 ) |
- 日時: 2017/01/23 07:20:01
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To ななしさん
>打たせた後に打った技に、その気持ちは果たしてあるのでしょうか? >後から打ったほう、打たれて感謝の直後にその気持ちを帳消しにする後打ちがこの言葉 >の意味するところでしょうか?
一瞬でも間があっての後打ちの場合はそうでしょうね。 でも集中しているときって、お相手の打突に反射的に体が動いてしまって打突を出してし まうこともありますでしょ? それは稽古の賜物です。
でも、お稽古であれば、先の技がいいところにあたっていれば「まいりました」ですね
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.107 ) |
- 日時: 2017/01/23 12:27:32
- 名前: 佐藤
- ヒデさん
反射で体が動くのはまさに稽古の賜物ですね。 しかし、そもそも三所隠しからの引き面が良い技とは思えないですけどね。全日本に相応しい技ではなかったですね。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.108 ) |
- 日時: 2017/01/24 07:05:43
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 佐藤さん
そも、三所よけ自体が見苦しいです。 私が子どものころは、左拳が構えた位置からむやみに動く剣道を「おどりを踊っている」 と戒められたものです。 ウチの剣友会の子どもたちには絶対にさせません。
ただ、ただ避けるだけではなく、よけた後に技を出すのはいいことだと思います。 よけのためのだけの三所よけはいけないと思います。
ちなみに、日本剣道形四本目仕太刀は、お相手の突きに対して巻き返して面を打ちますが、 あれは三所よけと同じような動作からの打突です。 三所よけからの引き面も、剣道の技として認められていると考えていいのではありません か?
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.109 ) |
- 日時: 2017/01/24 20:37:28
- 名前: 佐藤
- 四本目の形は相手の突きをいなす動作として三所隠しと同じ状態になっていますが、三所隠しとは文字通り三箇所を同時に防御することであります。ですので、四本目の形は目的が違いますから三所隠しとは言わないでしょう。
三所隠しからの技が決まるとしたら、担ぎ技のような形でしょうね。それはもう、意味合い的に右担ぎ技になりそうですが。 三所隠しとは防御の姿勢を意味します。防御するということは相手の間合いに入っているということですね。すると、相手はすかさず突きを打つでしょう。三所隠しからの技と正中線に構えた状態の突きでは当然突きの方が早いですから。逆胴だとわかりませんが。ですので、三所隠しは完全なる敗北を意味します。これがボクシングなどでしたら、相手のラッシュが終わるまで致命傷となる顎をガードするという防御が成立します。 しかし、勝見選手の準決と準々決勝のように、防御の姿勢からの引き面は上で述べた剣道の元を辿れば有り得ない技だと思うんですね。後打ち打たれた方もいけなかったですけどね。 四本目のような返し技や相手を揺さぶる為に担ぎ技のような形で三所隠しの姿勢になるのはあると思います。
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Re: 雑誌剣道日本での馬場先生の見解について ( No.110 ) |
- 日時: 2017/01/25 08:47:35
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照: http://ichinikai.com
- To 佐藤さん
そこです。
打突のためにその形になるのか、防御のためにその形になるのか? その差ですね。
私は、何度も書いている通り、勝見選手は宮本選手の小手を表の返し面に打とうとしたそ の過程で宮本選手が突きだった、という解釈です。
大石選手の逆胴は、三所よけでしょうか。 その直後に打ったと言えるかもしれません。
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