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剣士の品格
日時: 2010/05/04 23:52:28
名前: だみ声  < >

「国家の品格」と言う本が出ていましたねえ。
「品格を問う」と言う言葉も有りますねえ。 朝青龍に「横綱の品格」があるとか、ないとか言われましたねえ。

武道においては、ガッツポーズは「品格を欠く」と言われます。 剣道ではガッツポーズは「ご法度」です。 品格うんぬんより、一本が取り消されたりする現実もありますが、罰則はない。 ガッツポーズで1本が取り消される理由は、反則ではなく品格を欠くからという事のはずです。 または「残心がない」とも考えられるでしょうか?

従って、有効打突の取り消しとは、ガッツポーズだけでなく、試合者に不適切な行為があった場合(審判規則27条)です。 不適切な行為には品格はまず存在しない。

そしてもっと不適切な事態が発生した場合、審判3人が合議の末、その選手を「2本負け、退場」にすると言う罰則(18条)を伴う規則も有ります。(審判規則16条)

国語辞典では、品格=「人物や、物品に感じられる気高さや上品さ」と説明されています。
洗練された有形無形の事柄には、「品格と美」が感じられます。
と言いつつ、「品格」も「美」もかなり抽象的です。

そこで皆様と一緒に考えたいのです。
「剣士の品格」とは? の問いかけに皆様のご意見ご感想をいただき、議論を通じてお互いの品格を向上したいと思います。

かく言う僕自身、自分を品格の備わった剣士などとは、口が裂けても言えませんし、顔から火が出るほど恥ずかしいです。 その反面「お前の剣には品格がない」と言われると、きっと「カチン」と来るのではないでしょうか? ではそれなりに自分の「品格」の何らかの判断基準や理由があるのか? と自問してみました。
1.反則まがいの事をして勝ちたいとは思わない。
2.戦う相手には常に交剣知愛の精神を注いでいる。
3.稽古中、最後の一本勝負で、相手が「いかが?」と残心を取ったとき、審判のつもりで公平に「まだ!」なのか「まいった」なのかを言えるか?
4.愛の鞭と暴力の使い分けが、出来るか?
5.立ち姿、構え、打突の動作に「美」を意識しているか?

書けば書くほど恥ずかしくなりますねえ。 皆様のご意見をお願いします。
メンテ

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Re: 剣士の品格 ( No.31 )
日時: 2010/05/12 07:12:50
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 悩める中年剣士さん

>なんだか見透かされたようなコメントで・・・

あはは、これは悩める中年剣士さんのことに対するコメントではなく、一般論です(^^;

たとえお相手にどんな打たれ方をしようと、剣士としての品格をお持ちの方なら感謝の念
を抱けるのかなぁ…と。
私にはムリですが(^_^ メ)
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.32 )
日時: 2010/05/12 08:38:32
名前: 口先3段 

Hideさんへ

>勝負をしている(試合に出ている)うちは、品格は養われないというお考えでしょうか?

試合をしていても、勝ちに執着せず、負けに落胆しない。
「勝ち」や「負け」ではなく、「理想の剣道」にこだわるのではないでしょうか。

勝ちに執着し、負けに涙する時代も、品格が「養われる」過程だとは思いますが、品格者というイメージではありません。

話は変わりますが、東京の原田選手。
優勝を目指して苦労されていた時と、優勝を経験した今とは剣道がかわりました。
心に余裕が、剣道に「品格」がでてきたように感じるのは私だけでしょうか。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.33 )
日時: 2010/05/12 21:40:40
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 口先3段さん

>勝ちに執着し、負けに涙する時代も、品格が「養われる」過程だとは思いますが、品格
>者というイメージではありません。

なるほど、納得できますね


>優勝を目指して苦労されていた時と、優勝を経験した今とは剣道がかわりました。
>心に余裕が、剣道に「品格」がでてきたように感じるのは私だけでしょうか。

そうですね、昨年の戦い方は、以前の原田選手とはまったく違ってました。
「打たれたくない」といった気持ちが消えて、自分の技を素直に打っていましたね
それが剣士の品格かどうかは、なんとも断定できませんが…。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.34 )
日時: 2010/05/13 00:38:50
名前: だみ声  < >

僕の思案がまだ安定しませんで、皆様がトピを引っ張ってくださっている状況ですが、いましばらくご猶予いただきたいです。

さて、読んでいただいている数はかなり進んでいるようですが、若い方で一言書いてやろうと思われている方はおられませんか?

オヤジども! うだうだ論戦やっとらんと「稽古せんかぁー」と言うのも刺激になりますが…

10代、20代、30代(の方はすでにどなたかおられるかも・・) の若い世代の方々、ぜひ一石を投じてください。いっしょに盛りあがりましょう!
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.35 )
日時: 2010/05/13 07:27:28
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To だみ声さん

かなりイメージは固まってきた感じはしますよね。

じゃぁ、具体的にどういう方向を目指すべきなのか。
もう少しご意見をいただきたいですね

中高生とか、大学生のご意見も伺いたいなぁ 〜☆
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.36 )
日時: 2010/05/16 10:42:06
名前: おやじ 

Hide先生

大変ごぶさたしております。ものすごく元気にしております!
さて、「それをどう具体化するかっていうことが難しいわけでして(>_<)」なんですけど、いつもおっしゃっておられるように、そこが深くて、広くて、どこまでも高い?剣道の奥深さであるんじゃないでしょうか?

自分は剣士ではない、、、剣道楽者だと思います。
打って楽し、打たれて楽し、、、でありまして、品格とは無縁であります。

桜の剣士に恋慕しながら、くせ者のはめ技を使う剣術者になりたかったり、モテモテの眠り狂四郎のニヒルさを好きであったり、剣客商売のおやじみたいに生きてみたかったり、、、、

剣技の優秀さに加えて、品格も持ち合わせねばならないとは剣の道のなんと険しきことかなと、、、思うのでござりまする。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.37 )
日時: 2010/05/16 22:34:22
名前: だみ声  < >

そもそも品格というテーマに「剣士の」という制限を付けること自体が不自然なのでしょうか? つまり剣士の品格を議論して行くと、多くの「流派」が生まれ、まとまりにくくなりそうです。
今現在、トピを立てた本人が右往左往しております。

もう少し枠を広めていくと、例えば剣士の品格、柔道家の品格、力士の品格、ボクサーの品格、等を全部まとめて「アスリートの品格」としてみたり、もとより勝敗という規定のない(または薄い)登山家の品格とか、写真家の品格、歌手の品格、手品師の品格と言うくくりにしたらどうだろう?
牧師の品格、僧侶の品格、教祖の品格などは宗教家の品格か?

行きつくところはやはり「人間の品格」として全部をまとめる事になり、個々の事柄でなく、総体として論じるしかないのか?

まるで禅問答になってしまいそうです。
そう言えば、禅の「悟り」を分かりやすく説明した「十牛図」と言うのがありますが、好月さんのご意見など、こんな所ではないのかなと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3
十牛図で品格を論ずるなら、たぶん「品格とは、悟りのオーラから紡ぎ出るもので、自然な言動がもたらす、平安で心地よく人を魅了させる雰囲気」みたいなものではないか?

言いかえれば、品格とは、自分の至らなさを知って行動する時、その雰囲気の中から醸し出て来る気高さなどを言う。
同時に自信たっぷり、堂々と猛々しいながらも周囲を威圧することなく、均整の取れた動きにも品格を感じるのではないでしょうか?

同じような事だけれども、俺は強いぞエッヘン!と周囲に喧伝するような雰囲気の剣士には、大きな品格は感じない。風格も少ない。
自信たっぷり堂々と周囲を睨みつける鋭い目つきで、肩で風を切る動きには大きな品格は感じない。風格はある。 今風格を持ち出すと話が複雑になるぞ!!
どうなのでしょう?

ご登場いただいたおやじさんも、ご自身剣士ではなく「剣道楽者」とおっしゃって品格とは無縁とのことですが、本人が自分をどう表現しようが、見ている人は何らかの品格を感じているものではないでしょうか?

円月殺法の眠り狂四郎や、剣客商売の秋山小兵衛にあこがれがあるなら、ちゃんとそのような品格が立ち会いのどこかに表れているのではないでしょうか? ある時はニヒルな品格、あるときは好好爺剣士の品格など…。

何しろ品格と言うやつは、見る人が格付けするのであって、本人の感覚とは必ずしも一致していない代物ではないかと思うのであります。

どうにもうまくまとまりませんねえ。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.38 )
日時: 2010/05/16 22:56:40
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To おやじさん
おひさしぶりです、管理人のHide.です

>そこが深くて、広くて、どこまでも高い?剣道の奥深さであるんじゃないでしょうか?
御意。
安物の手品じゃあるまいし、そんなに簡単にそこが割れるようではだれもこんなにも真剣
に取り組みませんよね(^_^ メ)

>剣技の優秀さに加えて、品格も持ち合わせねばならないとは剣の道のなんと険しきこと
>かなと、、、思うのでござりまする。
それは、恥の文化ですよね。廉恥の精神とでも申しましょうか。
昨今の日本人に、一番欠けている部分でもあります( -o-) フゥ


To だみ声さん
おっしゃるとおり、考えれば考えるほどわからなくなるもののように思えます。
ただ、せっかくこうしたトピを立てていただいたからには「剣士の品格=人間の品格」と
はしたくないんです(^_^ メ)

もちろん「剣士の品格<人間の品格」だと思うのですが、剣士として品格を養うための方
向性(稽古のあり方)などが論じられたらいいのかなって思いまして(^^;

>何しろ品格と言うやつは、見る人が格付けするのであって、本人の感覚とは必ずしも一
>致していない代物ではないかと思うのであります。
御意。
品格は第三者評価ですね 〜☆
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.39 )
日時: 2010/05/17 11:47:52
名前: だみ声  < >

人それぞれが持ち合わせている品格を、それぞれの人にふさわしい直径の円だとします。
直径が異なるから面積はまちまちで、広い人もせまい人もいる訳です。

そして剣道をやっている人には、この円の中にもうひとつ「剣士の品格」を司る円があって、ある領域を占めているようにイメージします。
この人は別に自営業をやっておりますので、「社長の品格」を司る円もイメージします。

さらにこの人はお寺の住職でもあるので、「僧侶の品格」を司る円も存在しております。

誰もが持っている多様さを、たくさんの円として、大きな「品格」の円内に書いて行くと、重なって書かないと収まらなくなってきます。
このとき「品格」の円をそのままにして、個々の品格が成長すると共に重なる部分が増えてきます。 いつしか区別出来ないぐらいに重なってしまった時、外側の円の直径が大きくなり、その中の円が区別出来るようになりますが、個々の円も上達や修業や勉強の末、その直径を大きくしてきますから、外の円は又大きくならざるを得ません。

円が大きいほど、品格も大きいという見方をしたとき、修業の末次第に「極意」を会得したり、「悟り」を感じたり、そして更に大きな領域に思考が向かうという流れが自然と品格を醸成して、「人間形成」されて行くと言うのはいかがでしょう?

最終的には、個々の円も外の円と同じ直径を持ち、幾重にも重なるけれど、成長する一つの円として観察されるという見方もあるでしょうか?
いずれにしても、それぞれの円が持つ「品格」はどのように議論すれば分かりやすくなるのでしょう?
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.40 )
日時: 2010/05/17 20:02:13
名前: 好月 

To だみ声 さん

>言いかえれば、品格とは、自分の至らなさを知って行動する時、その雰囲気の中から醸し出て来る気高さなどを言う。
 同時に自信たっぷり、堂々と猛々しいながらも周囲を威圧することなく、均整の取れた動きにも品格を感じるのではないでしょうか?

 仰る通りと思います。同時に、他人が評価するものと仰るのもわかります。結局は、周囲の人の期待を裏切るのが、品格の乏しい人と
いうことでしょうか?自分の中では、立派な人・尊敬すべき人と思っていたのに、相応しくない言動を見聞したときなどは、大変がっか
りして品格が乏しいと感じるでしょうし、若者が情熱や正義感から、言葉が過ぎ礼節を欠いたとしても、品格などを持ち出して非難する
どころか、笑って許してやることも出来ます。品格は、人それぞれ。老若男女・地位・段位・・・これにTPOも加わっても、隙無く振
舞える人が、品格ある人ということでしょう。


To Hide.先生

 持田・小川両先生を、絵に描いた餅・・・とは・・・(^_^;)

まあ、それはそれとして、お二人を剣士の品格の具現形としたのは私ですから、私の思う実際の剣道修行に於いて剣士の品格の、涵養と
いうか醸成とかに繋がりそうな留意点をあげてみます。

 端正な構え  退かない  正しい間  正しい刀法  無駄のない身法  懸待一致  捨て身  残心  直心・・・三昧

要するに、真っ直ぐ構えたら、グッと入ってパッと打って締めくくり。・・・なんですが、これでは自分と同等の人しか認めてもらえま
せん。やはり、活人剣の実践・相手に合わせる包容力も兼ね備えなければ、品格があるとは言えないでしょうね。

 一言で言えば、剣の理法の体現と活人剣の実践が剣士の品格・・・なんてのは単純すぎますか・・・?(?_?)
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.41 )
日時: 2010/05/18 07:14:18
名前: おやじ 

好月様のレスを拝見して、、、

武蔵が、柳生石舟斎に立ち会いを求め宿で待っておると、老齢のため立ち会いは出来ないと言う返事とともに、椿の花をひと枝主人から預かっておりますと渡され。他の兵法者も同様のものを受け取り、「麒麟も老いたか」と嘲笑しましたが、、、
武蔵はその椿の枝の切り口に目を留め、脇差しを抜き枝を斬る、何度も斬る、、、己の未熟さを知り「我、石舟斎に遠く及ばず、、、」と宿を直ちに引き払い、また修行の旅に出ると言う場面を思い出しました。

>一言で言えば、剣の理法の体現と活人剣の実践が剣士の品格・・・なんてのは単純すぎますか・・・?(?_?)

剣の理法の体現というのは「剣道の達人」で、活人剣の実践?はよくわからないのですが、「人格者」とか「好人物」とでも、、、呼びたいのですが、、、浅薄な意見で申し訳ありません。

自分に取って、「品格」はやはり「あさひに にほう やまさくらばな」なのかも知れません。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.42 )
日時: 2010/05/18 09:05:46
名前: せつら◆.JMjgeNhdOk 

だみ声さん

僕もこの題を考えた時にまず人間の品格の円と剣士の品格の円を想像したんですよ。
理科系だからかな?
というもののカキコは全く違った方向でしたが。
よくよく考えたら。
人間の大きな円を書きますね。
そこに交わるように人間の円より小さい自分の思った剣士の円を書きますね。
交わった処、人間の円の円周に鎬をあてて刃を外側にほぼ垂直に刀を突き立てます。
そして、剣士の円を人間の円に引っ張り込みます。
すると、これ以上引っ張り込むと刃で剣士の円が切れるという位置になりますね。
このあまった面積が剣士のみの品格かな。
このとき突き立てるのは刀です。

おやじさんの意見がいいな。
そこには、人間の方には無いであろう「儚い」は、入れたいと思いませんか。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.43 )
日時: 2010/05/18 16:03:05
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 好月さん

>持田・小川両先生を、絵に描いた餅・・・とは・・・(^_^;)

両先生をご存知の方には申し訳ありませんが、面識がありませんもので、私にとりまして
は江戸時代の剣豪のお話と同レベルにしか感じられませんで(^_^ メ)


>端正な構え  退かない  正しい間  正しい刀法  無駄のない身法  懸待一致>捨て身  残心  直心・・・三昧
>要するに、真っ直ぐ構えたら、グッと入ってパッと打って締めくくり。・・・なんです
>が、これでは自分と同等の人しか認めてもらえま
>せん。やはり、活人剣の実践・相手に合わせる包容力も兼ね備えなければ、品格がある
>とは言えないでしょうね。

おお、だいぶいいところまで近づいてきた感じがいたします。

さて、やはり「活人剣の実践」という部分がまだ観念的ですよね。
ここをどうしましょうか 〜☆
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.44 )
日時: 2010/05/19 00:01:55
名前: くらけん 

品格とほぼ同意語であると思っている「気品」について、持田先生の遺訓があります。

師曰く「『気』を『花』にたとえるなら、『気品』はその薫りのようなもの…『光』にたとえるなら『うつろい』のようなもの」とあります。
辞書によれば、気品とは「気高い趣。どことなく凛として上品な感じ」とあります。

その遺訓の中には、先生が実践されていたことが記されています。
−真剣になること。三昧になること。無念無想の境地
−一本の稽古
−心が端正であること。勝敗に拘泥するとき気品が悪くなる。邪念にとらわれない
−形(稽古着や道具の着け方)
−姿勢
−礼儀作法
−気位。戦わずして相手を呑む。遂には宇宙を呑吐するほどの気位
−竹刀打ちだけでない剣道

私なりに解釈するのであれば、気品とは「修練された心技体に裏打ちされた剣士から発せられる他を寄せ付けない(寄せ付け難い)凛然たるオーラ」となりますでしょうか。

「気位。戦わずして相手を呑む。遂には宇宙を呑吐するほどの気位」のあたりに、活人剣をひも解く手がかりがあるのではないかと個人的には考えています。
「対立ではなく和すること。隙を作らないということは敵を作らないこと。」武道の目的は「敵に勝つことではなく、敵を作らないこと。…石火之機、間髪入れず反応できるのは実は反応していないから。」
「自分の前にいる人とひとつに融け合い、ひとつの共同体が形成され、その共身体に分類している個々の身体運動は、もはや出力・入力、刺激・反応という組織的分節はありえない。」最近読んだ「日本辺境論」でそのように書かれています。
「活人剣」とは、まさにそのような状態で勝負を制するということなのではと思いました。

過去の偉人から学ぶ。これも稽古そのものであると思っております。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.45 )
日時: 2010/05/19 08:57:45
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To くらけんさん

管理人のHide.です。
完全に一本とられてしまいましたね(^^;


持田先生の遺訓に書かれている気品についてという文章は読んだことがありませんでした
が、すばらしいですね。イメージとしてよくわかります。
また、実践しておられてこともたいへん参考になることばかりです


やはり観念的なのは「気位。戦わずして相手を呑む。遂には宇宙を呑吐するほどの気位」
の部分ですね。
ここをどう具体的なものにしていくかっていうことが求められそうです。


>「対立ではなく和すること。隙を作らないということは敵を作らないこと。」武道の目
>的は「敵に勝つことではなく、敵を作らないこと。

はい、この部分はいいと思います。
「和する剣」というのはいいですね(^0^)


>…石火之機、間髪入れず反応できるのは実は反応していないから。」

う〜ん、ここはどうでしょう。
和しているからこそ自然にカラダが動く。これすなわち「随」の状態ですが「先」ですね。
やはりお相手の心身の動きに「反応している」と解釈しますが…。


>「自分の前にいる人とひとつに融け合い、ひとつの共同体が形成され、その共身体に分
>類している個々の身体運動は、もはや出力・入力、刺激・反応という組織的分節はあり
>えない。」最近読んだ「日本辺境論」でそのように書かれています。
>「活人剣」とは、まさにそのような状態で勝負を制するということなのではと思いました。

う〜ん、これをもって「活人剣」ですか・・・。
どうなんだろう。もう少し考えてみます。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.46 )
日時: 2010/05/19 19:05:30
名前: 好月 

To Hide. 先生

>さて、やはり「活人剣の実践」という部分がまだ観念的ですよね。
 ここをどうしましょうか 〜☆

 活人剣を具体的に・・・ですか?私の感覚でしか言えませんけど・・・。

 人を活かす訳ですから、相手の良い所・望むところで稽古をする・・・つまり合気。
相手に対しての合気ですから、自分の拍子でしかけたり、相手の拍子をはずしたりすることは、
合気になっているとはいえないでしょう。細かく言うと・・・

 ・竹刀は交える(互いの竹刀は接触した状態) ・拍子をとらない  ・拍子をはずさない
・間を切らない  ・待たない  ・退かない  ・受け止めない・・・てな所でしょうか?


 ついでに、くらけん さんのレスに返されたHide.先生の感想についてですが・・・

>和しているからこそ自然にカラダが動く。これすなわち「随」の状態ですが「先」ですね。
 やはりお相手の心身の動きに「反応している」と解釈しますが…。

 くらけんさんの仰っている和とは、同化した状態(物理的ではなく心理的にですよ)を指し
ておられる気がします。反射や反応、対応といった別々の個体から生ずるものでなく、作用と
反作用のように同時に同じ場所で起こる現象として捉えられているのだと思いました。
 
 「石火之機、間髪入れず反応できるのは実は反応していないから。」名言だと思います。

 くらけんさん、持田先生の遺訓をご紹介くださりありがとうございます。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.47 )
日時: 2010/05/19 21:40:02
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 好月さん

>人を活かす訳ですから、相手の良い所・望むところで稽古をする・・・つまり合気。
>相手に対しての合気ですから、自分の拍子でしかけたり、相手の拍子をはずしたりする
>ことは、合気になっているとはいえないでしょう。

はい、なかなかいいところに来た感じがしますね


>反射や反応、対応といった別々の個体から生ずるものでなく、作用と反作用のように同
>時に同じ場所で起こる現象として捉えられているのだと思いました。

う〜ん、私も別々だとは思っておりません。むしろ「随なれど先」と書かせていただいて
おります。つまり、「先々の先」なんですね。お相手の動きを読んで動く。これもすなわ
ち反応ではありませんか?
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.48 )
日時: 2010/05/19 23:37:54
名前: だみ声  < >

技術は品格を呼び、品格は技術を向上させる、と言うような議論になりつつあるのか?

深い! 深すぎる!  でも・・・

逆説はないのか?
全くの無防備、疑念ゼロ、全幅の信頼=「無垢の赤ちゃん1才児」。この子の態度は極意に通じる。
戦う相手を作らないから、相手は戦えない。 すなわち無敵。 無垢の品格?

更に相手から、母性父性までをも誘引する…。 ここまで言うと剣道が語れないか?
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.49 )
日時: 2010/05/20 08:40:07
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To だみ声さん

赤ちゃんは剣士たりえませんので、ここではその件は考える必要はないのでは(^_^ メ)

ともあれ、いちに会の掲示板としては久々にヒットした面白いトピになりましたね。
だみ声さんのご慧眼に感謝します 〜☆
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.50 )
日時: 2010/05/20 17:35:52
名前: くらけん 

To:Hideさん

>う〜ん、私も別々だとは思っておりません。むしろ「随なれど先」と書かせていただいて
>おります。つまり、「先々の先」なんですね。お相手の動きを読んで動く。これもすなわ
>ち反応ではありませんか?

確かに、主・客体、手前・お相手との概念の上では、「反応」するということになると思います。

これも受け売りになってしまうのですが、「日本辺境論」では、「主体の概念規定を変えるしかない」と
提言しているのです。主体と他者が本質的な意味で「出会う」ためには、主体的概念そのものを書き換える
しかないとも言っています。あさはかでは
あるのですが、「それはまさに『和する』こと
なのでは、と考えてしまいます。まさに拍手する際の右手と左手がずれることなく、パンと打ち合わされる
ように。(右手が手前で左手がお相手とも
言い換えられますでしょうか。)

この書によれば、『機』は西洋哲学用語にはないそうで、『翻訳不能の特異な時間概念』だそうです。
私もアメリカに長く住んでいたころ、若輩ながら教えていましたが、この『機』を説明する場面に遭遇せず
ほっとしてますし、どのように説明すべきか、今でも悩んでしまいます。

読んでいただければ分かるのですが、著者は「『機』というのは時間の前後、遅速という2項図式そのものを
楊棄する時間のとらえ方です。どちらが先手で
どちらかが後手か、どちらが能動者でどちらが受動者か、どちらが創造者でどちらが祖述者か、そういったすべての2項対立を『機』は消却してしまう。」
とあります。うなずける箇所も多く、確かに概念そのものを変えて考えないと、つまり、自分、相手
の構造があるかぎり、例えその動きが反射神経のよるものであっても「反応する」ということになるので
はないでしょうか。その点ではHideさんの言われるとおりで「反応」しているとのことになりますでしょうか。

好月さん

迷ったのですが、投稿してよかったです。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.51 )
日時: 2010/05/20 18:55:27
名前: 好月 

To だみ声 さん

>逆説はないのか?
 全くの無防備、疑念ゼロ、全幅の信頼=「無垢の赤ちゃん1才児」。この子の態度は極意に通じる。
 戦う相手を作らないから、相手は戦えない。 すなわち無敵。 無垢の品格?

 これは、赤心。道の考え方では性善説により、世間の垢で心が曇るとしていますから、修行により
目指すは赤心で間違いありません。が、不覚人と大悟人は見た目は同じでも、大きな違いがあります。
 ゆえに、赤心だけでは品格は認められません。
 
 悟了同未悟〔悟り終(了)えて未だ悟らずと同じ〕…目指すはここでしょう。


To Hide.先生

>う〜ん、私も別々だとは思っておりません。むしろ「随なれど先」と書かせていただいて
 おります。つまり、「先々の先」なんですね。お相手の動きを読んで動く。これもすなわ
 ち反応ではありませんか?

 私は「随なれど先」「先々の先」という解釈をしていません。
合気とは、あくまでも同時・合し打ち。先となるのは、あくまでも結果だと思っています。
 つまり、身体能力や竹刀の軌道、物理的あるいは精神的な何らかの要素が、我に有利になった時が
先を取れるものだと考えます。

〈お相手の動きを読んで動く。〉これは意識があります。勿論、反応は意識のあるなしに関わるもの
ではありませんが、意識を持ってするとなると対応の方が適切でしょう。

 うまく言えませんが、やはり反応を超えたところ、人知を超えたところに究極の合気あり。活人剣
は神技なり。そこにはもはや犯しがたい品格あり。・・・と、また本筋から離れるような絵に描いた
餅、空論に陥る好月でした。(ToT)/~~~
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.52 )
日時: 2010/05/20 23:31:40
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To くらけんさん
う〜ん、申し訳ありませんが「日本辺境論」を読んでおりませんので、お説に対する理解
の度合いが極端に低いようです。

せっかく、ていねいにご説明してくださっているにもかかわらず、こちらの理解力がつい
ていけませんで相済まなく思いますm(_ _)m


To 好月さん
私は意識を超越したところに活人剣の境地があるとは考えたくないですね(^_^ メ)
先々の先で打たれるからこそ、そこに畏敬の念を覚えます。悟りきった坊主のような人と
対峙しても、品格を感じるかどうか・・・。
それはたぶん、好月さんが「不覚人と大悟人は見た目は同じでも、大きな違いがあります」
と書いておられるのと同じ思いではないかと考えますけど・・・。

剣士は坊主でも悟りを開いた人でもなく生身の人間であり、そこに、修行の末到達したで
あろうと想像できる余地があるからこそ「品格」を感じるのではないでしょうか
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.53 )
日時: 2010/05/21 08:43:42
名前: おやじ 


活人剣のとらえかたが難しいのですが、柳生宗矩が言い出しましたので、「人に勝つ道を知らず、我に勝つ道を知りたり」という柳生宗矩が残した言葉が気になります。

剣術を剣道に昇華させてゆく中で、禅を取り込み、、、
剣道の剣技はまさしく神が与えたもうたものと考え、剣道の道(人間の真理)は仏により開かれるものと考えたのではないかと、、、

そのあたりに、剣道における神仏混淆の起源があるように思えてならないのですがいかがでしょうか。

だみ声様、Hide先生皆様が修行なされる一方で情熱をかたむけ、工夫努力してご指導なされるのは、単に剣の技を伝えるためではありません。人の世を生き抜いてゆく「我に勝つ道」をお教えなさっておられるのだと思います。
自分にとっては、それこそが「活人剣」そのものであると信じておるのですがいかがでしょうか。

正直の所、品格には無縁ですので品格の事はよくわかりません、多分地球の裏側に住んでおるからなのかもしれませんが、ブラジルでの世界大会の女子団体の韓国戦、次鋒の方の戦いに手にあせ握り、見事な突きに落涙致しました。
自分にとって桜の剣士であったかも、、、胸熱くなりました。

すみません、脱線しました、、、品格、剣士の品格とは如何に。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.54 )
日時: 2010/05/21 19:53:19
名前: 好月 

To Hide.先生

>剣士は坊主でも悟りを開いた人でもなく生身の人間であり、そこに、修行の末到達したで
 あろうと想像できる余地があるからこそ「品格」を感じるのではないでしょうか

 結局、ここの所は全く異論がございません。たぶん、打つところが先々の先なのか相打ち
なのかだけのように思います。ですから・・・

>先々の先で打たれるからこそ、そこに畏敬の念を覚えます。悟りきった坊主のような人と
 対峙しても、品格を感じるかどうか・・・。

 先々の先だろうが後の先だろうが、この機会に打たれると私はすがすがしく感じます。
当然、相手に対する畏敬の念も沸きますし、何故負けたのかを直ちに反省し己の未熟を認め
相手への感謝をも深めるでしょう。
 しかし、こんな私でも先がとれる時もあります。こんな時私は、運を感じます。自分の能
力を超えた力を感じます。これを、神がかりと表現したのです。

 たぶん、Hide.先生との経験の差だけでしょうね。
私は打突を、先の気→捨身→相撃ち…と思っていますが、最初は先の気なのだから、捨身の
後も先の打ちでいいのですが、それを意識するとうまくいかなかった。先を意識すると邪念
が沸き、巧くコントロール出来なかった。先を意識するより相撃ちを意識した方が捨てきれ
た。そして、たまに巧くいった。それだけです。
 後輩や子供達に相面を指導するときも、先に打つことを意識させると、勝ちを意識しすぎ
たり負けを恐れて、かわして打ったり横打ちになったりすることが多いですよね。こうなる
と、もう合気ではなくなってしまう。稽古の目的も変わってしまう。

 私は活人剣には、勝ち負け・優劣・先後…はないと思っています。合気のみ。

 ですから、私はあくまでも合撃ち、合し撃ちに拘ったのです。失礼しました。(^_^;)
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.55 )
日時: 2010/05/21 22:04:17
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To おやじさん
>そのあたりに、剣道における神仏混淆の起源があるように思えてならないのですがいか
>がでしょうか。
浅学ゆえに神仏混淆の起源にまでは思い至りませんが(>_<)

>人の世を生き抜いてゆく「我に勝つ道」をお教えなさっておられるのだと思います。
そのつもりではおりますが、活人剣なのかどうかは依然不明です(^^;


To 好月さん
>先を意識すると邪念が沸き、巧くコントロール出来なかった。先を意識するより相撃ち
>を意識した方が捨てきれた。そして、たまに巧くいった。それだけです。
私とは反対ですね。
私は相打ちを意識すると打ち負けます。ゆえに、常に先の気持ちでお相手と対峙します。
結果、相打ちになってしまうこともありますが、先の気持ちでいっているときはいい結果
が出ることが多いですね

先の気持ちでいっているにもかかわらず打ち負けたとき、それが先々の先だと気がついた
ならば、畏敬の念を覚えます。師匠の打突はそんな感じでしたので、私もそれを目指して
修行しております 〜☆
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.56 )
日時: 2010/05/22 06:17:51
名前: 好月 

To Hide.先生

>私とは反対ですね。
 私は相打ちを意識すると打ち負けます。ゆえに、常に先の気持ちでお相手と対峙します。

 やはりそうでしたか?

>先の気持ちでいっているにもかかわらず打ち負けたとき、それが先々の先だと気がついた
 ならば、畏敬の念を覚えます。師匠の打突はそんな感じでしたので、私もそれを目指して
 修行しております 〜☆

 お師匠さんとの稽古がベースだったのですね。
それなら私も同じ。上手に懸かるときは、常に先・真っ直ぐ・細工なしです。それが、懸か
り手の礼儀であり品格であると思います。

 私は、同格や格下を想定していました。力量の差の少ない相手には、初太刀は当然先を仕
掛けます。しかし、先で一本取れたり相手が退いてばかりだと、合気に変え相打ちのつもり
でやります。これが、基立ちの品格と思っています。
 今でこそ差がある相手には、少々出遅れても意識的に、先に打ったり切り落としで割った
りすることが出来るようになりましたが、懸かり手には先輩やかなりの年配の方もおられま
す。この方達に、意識的に先で打つのはあまり品格があるように思えません。

 上にも書きましたが、品格は段位・地位といった絶対評価でも表されるでしょうし、相手
や環境・TPOなどによる、相対的な評価もあるということを頭に入れて、場に応じて振舞
えなければならないでしょうね。 
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.57 )
日時: 2010/05/22 07:20:00
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 好月さん

私はどんなお相手でも先をかけて打つことを考えております。
それが格下の年長者であっても同じです。

私も合気を意識しますよ。
格下のお相手との稽古では、常に「ちょっと強く」を意識しています
二八の十、一九の十ではなく、限りなく五五の十で和すことを心がけています。


>上にも書きましたが、品格は段位・地位といった絶対評価でも表されるでしょうし、

段位や地位が絶対評価であるという点には賛同できませんね。
段位の低い先生でも、品格を感じる剣をお遣いになられる方はたくさんおられます


>相手や環境・TPOなどによる、相対的な評価もあるということを頭に入れて、場に応
>じて振舞えなければならないでしょうね。 

御意。
ただ強いだけの「打たんかな」のお稽古からは残念ながら品格を感じることはできません。
お相手の力量を性格に判断し、それにあった剣が使えてこその品格でしょう(^0^)
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.58 )
日時: 2010/05/22 08:23:51
名前:  

だみ声さん

トピが立ち上がった頃に書いてたんですが送り損ねてました(>_<)
色々と勉強になるお話が出て来てますので傍観者になってましたが
せっかくなので参加させて下さい。

言葉として頭の中にはありますが、取り上げての自問自答や考察は
したことがありませんでした。

さて僕なりに思う「剣道での品格」に関して下記のように分けて考えてみました。
1、面を付けてる時
2、面を外してる時
3、審判姿の時

1、面を付けている時
・立姿、蹲踞、構え、攻め、立ち居振る舞い
・誰とでも尊重し合えるお稽古が出来ている事
・剣道に対する取組み方、理解度
・四戒(驚懼疑惑)が無くなる事
なんて感じでしょうか。
と言う事はおのずと剣道技量も人格プラスの要素として重要となって
来るようにも思えます。
それと昔風に言うとお弟子さんを持つ事なんかもあるのかもしれません。

2、面を外している時
・立ち居振る舞い
・言動
・周囲に対する気配り
・思いやり
これは人格プラス剣道の理解度となるでしょうか。
そうなると高度な剣道技量までは要らないような気もします。

3、審判姿の時
以前別トピで書かせていただきました(審判員の心得10ヶ条)角 正武 範士
・公平、無私
・試合審判中のみならず会場内控え席などにおける
 所作・姿勢・態度も気品と風格を堅持。
http://ichinikai.com/forum/room5/read.cgi?no=52

品格を目指してお稽古や修行を行ってもなかなか本人には
分からないですよね。
「意識する事!」が大切な気がします。
第三者からそのように見えるようになるには、やはり見られている事を
意識して真摯に剣道に向かうことでしょうか。
お稽古で心が動いても動いていないように頑張る事等
ひとつひとつの積み上げと思っています。

だんだん頭が混乱してきたのですが、対子供で考えると周囲が当然と
思っている事が出来るか出来ないか。教えていない事は出来なくて
あたりまえ!でも見せてあげる事は出来るのでは・・・・

日本の文化を継承伝達して行く事=社会的な「品格」・・
(家庭での躾、家庭教育、学校教育)
剣道文化を継承伝達して行く=剣道での「品格」・・
(剣道指導)

子供達に指導する場合、嘘を教える訳にはいきません。
ましてや指導者の着装が乱れていては話になりません。
たまに面紐が捻じれてたり立て結びの高段者先生もいらっしゃいますが(^_^メ)
子供達の模範になる!見られてる!を意識して剣道に取組む!
又、そこまでを含めて剣道なのかもしれませんが、この辺りが今僕が考えて
実践出来る事ですかね。

皆さんのようにしっかりとした意見を書けずまとまりのない
稚拙な文章ですみません(>_<)

ただ剣道の品格とは少し違うのかもしれませんが、初心者(大人)の方で
子供達と一緒に基本から一生懸命取組まれている姿は素敵に見えます。

子供達に打たれると素直に喜んで褒めてあげれるのに、大人に打たれると
・・・・(^_^メ)
いやはやまだまだ出来てませんね!お恥ずかしい<(_ _)>
失礼致しました。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.59 )
日時: 2010/05/23 08:23:23
名前: 好月 

To Hide.先生

 
>私はどんなお相手でも先をかけて打つことを考えております。
 それが格下の年長者であっても同じです。

>私も合気を意識しますよ。
 格下のお相手との稽古では、常に「ちょっと強く」を意識しています

 私の場合、この二つを同時に実践することが出来ません。というより「ちょっと…」が難しい。
先をかけてチョッと上位の気分でやると、ほとんどチョッとの差でこちらが打つことになります。
 相手にとっては、惜しい所までは行けるが一度も打てない・・・となってしまいます。
私の若い頃は、これでよかったと思います。懸かり手は、懸かり手の礼儀を知っていましたし、打
たれる中で学びを深める知恵を、誰もが持っていましたから…。でも今は、何度か打たれると、打
たれないようにとの思いばかりとなって、避けながら打ったり後の先を狙って待ちになったりする
人がほとんどです。
 私の基立ちとしての品格が足りないのか、懸かり手としての品格を知らない人が多いのか…?

 ですから、私は相打ちを目指します。これなら、ワザとでなく相手に良い所を打たせることもで
きます。打つと思わず打つこともあり、打たれると思わず打たれもする。これって、合気じゃない
ですか?ただし、五五の十なのか四六の十なのかは判りませんが・・・。
 実際、適当に打たれたほうが、列に並んでくださる人が多いような気がします。(^_^;)
若い人には、絶対に負けないつもりでやりますが、あんまり駆け引きをしないと言うか、駆け引き
に乗らないので、私の列には試合好きの若者は少なく、先輩方や初心者に近い方ばかり…(-_-;)

 おっとっと、愚痴に混じって品格とは違う話をして、自分の品のなさを露呈してしまいました。


>段位や地位が絶対評価であるという点には賛同できませんね。

 誤解されているようです。私の意図するところは、三段には三段の、五段には五段の、会長や理
事長にはそれなりの絶対的な品格が備わっていなければならないということです。
 女性だろうが三十六歳の最年少七段だろうが、段位に相応しい品格が求められます。剣道連盟の
会長たるや、高齢だろうが五段だろうが会長の品格を示す剣を遣わねばならないと思っています。
 それが出来ないなら、基を降りて懸かり手となるなり、面を着けずに会長の職だけを全うすれば
良いと思います。剣道の高段者・剣道連盟の役職というのは、人品は備わっていてもただ頑張って
いるだけではだめで、自身の剣道に品格が備わっていなければならない。またその逆に、剣道ばか
りでなく、道場外での品格も磨かねばならないということです。
 また、一般的に品格を評価するにあっては、五段より七段、会員より会長というような相対的な
評価法ではなく、七段なのに…とか、会長として…と表現されるように、その段位や地位による絶
対的な評価法だと考えますが、いかがでしょう?


>お相手の力量を性格に判断し、それにあった剣が使えてこその品格でしょう(^0^)

 ごもっとも…です。結局、最終点ではドン・ピシャリと考えが一致するんですね。(~_~)
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.60 )
日時: 2010/05/24 07:28:15
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 義さん
上手にまとめていただきましてありがとうございます。
かなり具体化できたのではないかと思います


To 好月さん
>相手にとっては、惜しい所までは行けるが一度も打てない・・・となってしまいます。
そうですか。
私はお相手の強いところで勝負するように心がけておりますので、そこそこ打たれますよ(笑)
それに「ちょっと強く」は師匠の教えなんです。指導者になるための心得として「そう心
がけよ」と教えていただきました。
ゆえに、それを修行の目標として歩んでおります


>また、一般的に品格を評価するにあっては、五段より七段、会員より会長というような
>相対的な評価法ではなく、七段なのに…とか、会長として…と表現されるように、その
>段位や地位による絶対的な評価法だと考えますが、いかがでしょう?
なるほど、そういう意味ですか。それなら納得です
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.61 )
日時: 2010/05/25 01:34:35
名前: だみ声  < >

いろいろ前後して恐縮ですが、剣士の品格トピに「日本辺境論」が出て来るとは思いもよりませんでした。 改めて読み返して大変意義深いものを感じました。 興味をもたれた方は是非ご一読いただきたいと思います。決して日本を卑下している訳ではないです。

この辺境論で行きますと、日本という地理的条件は「極東」と言われる大陸の端っこの島国となります。東側は広大な太平洋。 文明は西からやってくる。 西方には文明の中心がある(だろうと想像する)。 辺境の地に文明の中心が届くのには時間がかかるし、届いても遠くなった分薄れているに違いない。

この辺境の地に我々が築いた文明など、中央のそれに比べれば貧弱なものでしかない。(と思いこんでいるから)唐天竺の伝来物は、どれも新鮮でありがたく、必ず優れているものに違いない。(もはや信仰に近い)

そこで伝来して来る薄まった(と思っている)文明を受け止めて、中央のそれに匹敵させるレベルにまで改良を加えで独自の文明とする。しかしいつも中央より劣っているという概念から抜け出せない。 日本から独自に発信する文化はほとんどない(著者は全くないと言う)。
そこに新渡戸稲造の「武士道」が論ぜられて、剣士にとっても身近な論文として読まれている… とにかく面白く読めました。 武士道は辺境の地だからこそ成長した。

もうひとつ 吉川英治の「宮本武蔵」の一節。
柳生石舟斉が女の子に持ってよこさせた芍薬の小枝。(椿ではなかったと思います)
「ふんっ 老いぼれたワイ」と言ったのが、吉岡伝七郎。 切り口に気付いて自分も切って見て、比較した切り口を見て「負けた」と言ったのが武蔵。
その後か前か忘れたけれど、温泉の湯船で出会った二人、顔見知りではない。 武蔵は目で彼を切って見る。「切れた」と感じた。 その後三十三間堂での戦いに… と言う展開ですが、小説とは言え、この文から石舟斉と言う人物の品格を感じますが皆様いかがでしょう?  石舟斉には頂点を極めた好好爺剣士としての品格、武蔵には若く猛々しくも深く虚謙に「道」を求める剣士の品格。

では、我が品格は??? 恥を忍んで…
22日運転中に携帯電話。すれ違った50ccバイクのおっさん、実はおまわりさん。 引っ返して来て僕を止めて「交通違反」で6千円の切符。 「たまーーに電話とお回りさんが巡り合った不幸なタイミングなのだから、許してぇー、お願い!」でも駄目でした。
このとき謙虚に認めて、切符を受け取れば「品格」ありか? 卑下して値切ったのは「品格」なしか? いずれにしろ奥さんに内緒です。 トホホ
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.62 )
日時: 2010/05/25 07:02:04
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To だみ声さん

>いろいろ前後して恐縮ですが、剣士の品格トピに「日本辺境論」が出て来るとは思いも
>よりませんでした。 改めて読み返して大変意義深いものを感じました。 興味をもた
>れた方は是非ご一読いただきたいと思います。決して日本を卑下している訳ではないで
>す。

う〜ん、だみ声さんの書き込みを拝見すると、かなり極論のように思えますねぇ(^^;
読む暇ないなぁ(>_<)


>このとき謙虚に認めて、切符を受け取れば「品格」ありか? 卑下して値切ったのは
>「品格」なしか? いずれにしろ奥さんに内緒です。 トホホ

まぐれであたったものでも、一本は一本ですから(^_^ メ)
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.63 )
日時: 2010/05/31 23:24:15
名前: くらけん 

だみ声さん

辺境論を読んでいただいたのですね。ありがとうございます。

日本が辺境であったが故に独自・独特の文化を発展させてきて、その最たるものが剣道を含む、目の前の山を超えれば次の山がある、永遠に続く達成することができない修行の「道」である、と喝破していますね。

私もこの本が言わんとしているところを自分の言葉で言い換えることが難しく、しばらくこのトピックにコメントすることを躊躇っていました。

日本人が付加価値を付けること、そしてどんなものでも小さくすること、が非常に上手だと、台湾人の友人が言っていたことを思い出します。辺境論を読んでなるほどと頷けるところが多かったです。

品格、気品…客観的な判断であることは間違いないのですし、日本で独自に発展を遂げた「道」を極めることにより備わるということも言えるのではないでしょうか。例えば、礼・蹲踞をしっかり行うことが『道』としての作法としてでだけでなく、立ち会うときの先を懸ける具体的要件としても重要なんではないかと考えたりしています。形からまずはその道を学ぶ、そしてその中に意義を見出す、理合いについてよくよく吟味し造詣を深めていく、そんなことが昇段していくそれぞれの段階での課題となりそれぞれに精進する…品格・気品が備わっていくとのことなのではと個人的には考えております。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.64 )
日時: 2010/06/01 07:07:11
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To くらけんさん

「日本辺境論」に関しましては、未読でありますのでコメント不能です。
申し訳ありませんm(_ _)m


>形からまずはその道を学ぶ、そしてその中に意義を見出す、理合いについてよくよく吟
>味し造詣を深めていく、そんなことが昇段していくそれぞれの段階での課題となりそれ
>ぞれに精進する…品格・気品が備わっていくとのことなのではと個人的には考えており
>ます。

そうですね、剣道に限らず芸道は、まず形を学びそこに心をこめるという段階を踏んでい
く修行形態をとっております。ゆえに、本質的には、くらけんさんがおっしゃるように、
段位があがるごとに心(品位・品格)も備わっていってしかるべきなのですが、必ずしも
そうでない方も見受けられますゆえ、このトピで検証しているものと考えております(^^;
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.65 )
日時: 2010/06/01 23:57:47
名前: だみ声  < >

ユダヤ人の父と息子の会話。「2人だけの秘密として、お金を隠しておこう。誰にも内緒だよ」「分かった二人だけの秘密だね」。
この会話を聴いた日本人は「ユダヤ人は肉親にまで秘密を持つのか」と嘆いたそうです。

ユダヤ人を知るある人に、この事を話したところ「ユダヤ人の迫害の歴史がそうさせている」とのことで、これは生き残る知恵なのだと教えられたそうです。隠し場所を拷問の末白状しても、知らない事は言えないのだから、生き残った者は自分の隠し場所から財産を保持し、生き延びる事ができる。これは国を持たない特殊な民族、ユダヤ人の「知恵」なのだ。

一方辺境の地で、民族的迫害や侵略を未経験のまま歴史を築いてきた日本人は、民族として支配、被支配の歴史を持っていない。言語も一つ。これも世界から見れば特殊な民族なのだ。
(イザヤペンダサン:「日本人とユダヤ人」より)

上記は「日本辺境論」に通ずる話なのです。 まあ読んでみて感じていただきたいです。
武士道に限らず、我が国においては「道」という教えが巷にあります。 親は背中を見せて子育てする。「育児道」。

親方は弟子を使い走りや便所掃除させて、技を直接指導しないが、弟子は親方の腕を盗んで行く。「奉公道」。
いわゆる「職人」と呼ばれる人々は、親方より優れた技を身につけて、その技を向上して後世に伝承してきました。
直接手ほどきを受けないのに、なぜだ? そこに「辺境論」の解説が入るし、武士道もその範疇に収まる。

ある工事現場で、職人さんたち一行と泊まって飲んだ席での話ですが、面白かったのは「スコップ道」「つるはし道」「やっけ道」など、道具一つ一つに「道」があり、使い方の「極意がある」と言うのです。
親方はまとめて「土方道」と表現していましたが、納得できました。 職人さんたちからは、「ユンボ道」「クレーン道」等まで飛び出して、大変面白かったです。

品格とは習って身に付くレベルではなく、その「道」の創意工夫の中から気付き、会得し、心身に焼き付いてこそ品格であり、強さ、優雅さ、美しさ、を自然と醸しだすが、見る側の人にもそれを感じる感性が必要である。

まだ語り足りていない。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.66 )
日時: 2010/06/02 07:22:07
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To だみ声さん

前半部分へのコメントは差し控えますが、「何事にも道あり」というのは私も感じるとこ
ろです。ゆえに世の中の自称のほとんどが、剣道の考え方で応用できる(=剣理精通)で
あることも納得できる所以であります


>品格とは習って身に付くレベルではなく、その「道」の創意工夫の中から気付き、会得
>し、心身に焼き付いてこそ品格であり、強さ、優雅さ、美しさ、を自然と醸しだすが、
>見る側の人にもそれを感じる感性が必要である。

もちろん、意識してつけようと思って突くものではなく、長い修行の後に自然と身につい
たものでなければ、他人を感動させられるものにはなりえないことは想像に難くありませ
ん。

ただそうでしょうね、本当の品格とは、その道を知らない人が見たとしてもハッと気づく
ものなんじゃないでしょうか。私はそんなふうに考えておりましたが 〜☆
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.67 )
日時: 2010/06/02 17:52:39
名前: くらけん 

To: Hideさん

>そうですね、剣道に限らず芸道は、まず形を学びそこに心をこめるという段階を踏んでい
>く修行形態をとっております。ゆえに、本質的には、くらけんさんがおっしゃるように、
>段位があがるごとに心(品位・品格)も備わっていってしかるべきなのですが、必ずしも
>そうでない方も見受けられますゆえ、このトピで検証しているものと考えております(^^;

実は私も幼・少年剣道を教えることがきっかけで、剣道の所作・作法を中心に様々なことを考えさせられました。そんな考え始めたのが契機に、ある神奈川の先生から、持田先生の遺訓を紹介いただいたんです。

人に教え始めて、まったく理解していない自分に愕然とし、色々文献等をあさりながら少しずつ理解を深めていっている今日この頃です。

To: だみ声さん

その本は時代を超えたベストセラーですね。読んでみたいと思います。このトピからは外れてしまうのですが、あの「麻雀放浪記」著者阿佐田哲也、本名色川武大の「私の旧約聖書」という本も、ユダヤ人とユダヤ教というものがよく理解できて、よかったです。神など信じない彼が旧約聖書の感想文ですが、彼独特のするどい視点で捉えています。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.68 )
日時: 2010/06/03 06:55:31
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To くらけんさん

>人に教え始めて、まったく理解していない自分に愕然とし、色々文献等をあさりながら
>少しずつ理解を深めていっている今日この頃です。

私もまったく同様です。
40年以上も剣道をやってきて、ここ数年ほど所作、礼法について考えたことはありません。
剣道とはかくも奥深いものか・・・毎日そういう思いでいっぱいです
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.69 )
日時: 2011/03/16 10:57:50
名前: くらけん 

剣道時代コメントで「尻切れトンボ」状態であるとのコメントあり、また懲りずにコメントします。

実は、別人のブログに興味深いことが書かれていました。

"Not the Best, but the First"
(一番でなくてよい、一級品になれ)

これはある女優さんの父親が常々言っていたことらしく、そのまま同氏コメントをコピペしますと、
「『一番』というのは自分一人でも思えるが、『一級品』というのは周りの人の評価があってはじめて
いえるものである、ということらしい。」とのこと。

内田さん著書にある、日本が辺境であったが故に独自・独特の文化を発展させてきて、その最たる
ものが剣道を含む、目の前の山を超えれば次の山がある、永遠に続く達成することができない修行
の「道」である、との話に通じているのではと思い、

「一級品であること」=(結果として)「品格を備えていること」
と考えてもよいのではと思った次第です。

その後、ブログオーナーとやり取りが続き、

剣道であれなんであれ、一方通行ではだめ、コミュニケーションは双方向、「道」である剣道を考え
るなら、、内田さんの言葉を借りて言えば、その『双方向』性は単なる出力・入力との領域から更なる
高みへ昇華し、主体・客体一体となって創り上げる・お互いに創り上げるとの謙虚さ、会話を厭わない
包容力、それらの資質は品格に通じるものがあると思うとのコメントをしました。

同氏のブログは大変興味深く、この場を借りて、紹介させていただきます。
http://blogs.dion.ne.jp/mini98/

ちなみに、前述の女優は小池栄子さんだそうです。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.70 )
日時: 2011/03/17 07:22:42
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To くらけんさん

管理人のHide.です。
「剣道時代」の「Hide.の部屋」をご覧いただいてのカキコ、嬉しく存じます

また、ブログのご紹介ありがとうございます。

まだ、そちらを拝見しておりませんので正確なコメント不能です。
でも、「一級品」という考え方はいいですね。

じっくり読ませていただきたいと思いますが、どのように取り組めが一級品たることが
できるのか。
そこが、このトピが模索するものなんですがね 〜☆
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.71 )
日時: 2011/03/17 20:30:47
名前: だみ声  < >

 このトピの冒頭にも書きましたが、「国家の品格」について今世界が注目しています。
正確には「国民の品格」だと思いますが、今回の大地震の避難生活の中で、不自由な生活を強いられて一週間が経過しております。 復興に向け、全力を注ぐ活動と共に、原発問題という難問がのしかかっております。

救援物資もすぐそこまで来ているのに、その先の交通事情などが配分を遅らせているようです。 普通ならパニックに陥り、集団心理が爆発して、品物のある商店などが、襲撃にあうと言う事が起きても不思議ではない状態ですが、あの阪神大震災でも、今回でも起きておりません。

世界各国は整然と行列を作り、順番を待つ被災者の姿に「驚愕」の目を向けております。
この非情事態の中で「秩序」を保つ日本人とは、いったいどういう民族なのだ??

異論もあるでしょうが、「儒教」が伝達して来たとき、これを辺境の地において成熟させ、遥かに優れた精神状態を維持するすべを獲得し、寺子屋で教えるとともに、家でも、奉公先でもそれを貫く生き方から、「大和魂」なども形成されたのではないでしょうか?

では、平成の剣士は、どんな品格を自ら表現するのでしょうか?
少なくとも、ただ剣を構えて「打突の好機」をうかがうだけでなく、その精神の攻防が、周囲に発散して、見ている者すべてを釘付けにするような「緊張感と優美さ」を感じてもらえるような「剣士の品格」を身につけたいですね。

Bestでは不十分、Firstこそが「品格を伴う」と言う捉え方も大変意義深いものを感じます。
くらけんさんの今回書かれた内容から、又新しい感覚を得られたように思います。

被災した皆様には、心からお見舞い申し上げます。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.72 )
日時: 2011/05/02 22:14:45
名前: くらけん 

持田先生の遺訓を紹介していただいた神奈川の先生ですが、
今回の京都審査会で見事8段に昇段されました。


・真剣になること。三昧になること。無念無想の境地
・一本の稽古
・心が端正であること。勝敗に拘泥するとき気品が悪くなる。邪念にとらわれない
・形(稽古着や道具の着け方)
・姿勢
・礼儀作法
・気位。戦わずして相手を呑む。遂には宇宙を呑吐するほどの気位
・竹刀打ちだけでない剣道

を実践されている先生です。「打たれた」ことを素直に認め、それを糧に
精進されている姿には心を揺り動かされます。

この場を借りまして、心からお祝い申し上げます。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.73 )
日時: 2011/06/18 00:00:59
名前: くらけん 


またまたカキコしますが、先に断わっておきますが、直接的に「品格」に通じるカキコではないと思いつつ、過去のコメント
を思い出し、まとまりのないものになってしまうのは重々承知でカキコしています。ご容赦のほど。

この前仕事上のメンタ−の方とランチをしたところ、リーダーに関する話になり、ジェフ・イメルトは、部下が何十時間もか
けて仕上げたあるビジネス案件について、たったの5分で決めてしまう、そんな話でした。そして私が紹介した武道的思
考(内田樹)を読んだとの話から、将棋の指し方には3通りあり、名人、玄人、素人と分けられ、素人はそのときにその
場面のみを考え一生懸命考えて指す、玄人は過去の対局経験を照らし合わせその中でベストの選択で指す、そして
名人は考えずに直感で指す、との話をしていただきました。

そこで、「無垢の赤ちゃんの態度は極意に通じる・・・戦う相手を作らないから相手は戦えないすなわち無敵」のコメント
を思い出し直感ということであれば、無心、空との状態と定義するのであれば「赤ちゃん」も同じではないかとの問いかけ
をその方にしたところ、確かに精神状態としては同じかもしれないが、「赤ちゃん」は鍛錬を通じてその域に達したのでは
ないので、比較するに値しないとの回答が帰ってきました。

まさに腑に落ちる、そんな瞬間でした。直感で即答できるのは、常にあることについて考えているからだ、とのその方の持
論にたどりつくのですが、イメルトも羽生名人も、そしてその方も、あることについて常に情報を得つつ常に考えているから
こそ、周りから見える現象としては短時間で決めていく様はまさに直感のように見えてしまうのではないかと。

無為に過ごすのではなく、全ての事柄に対し目的意識を持って対応していく、本もその本に書かれていることを学ぶため
に読んでいるのではなく、自分が導き出したい真実になんらかのヒント・インプットはないかとのスタンスで読む。ここで「品
格」の話には直接つながってはこないのですが、そんな日々の一生懸命さの積み重ねがあり、あるとき過去に得た知識・
体験・感性がその場面で有機的に繋がりとてつもない結果が導き出される・具現化される、そしてそれに対し周りの人に
対し感動を与える・・・鍛錬、一生懸命、そして直感。「品格」と関係しそうかな、など考えつつ、そして整理を試みています。

メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.74 )
日時: 2011/06/18 08:04:34
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To くらけんさん

そうですね、意図して「かくあらねば」と努力し続けることは大切でしょうが、意識して
できることってやはり作為的ですね。

審査でどれだけ「作って」も、審査員には「ふだんの稽古と違うよそ行きの剣道だな」と
看破されてしまうのと似ています。


無意識の中から品格を生じさせるためには、日頃からの高い意識が自分という人間と完全
に同化した時にこそ生ずる(生じさせようと思って生じさせるのではない)ってことなん
ですね。

そういった意味からいけば、「直感」というのは重要なことでしょう
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.75 )
日時: 2011/06/27 17:34:52
名前: くらけん 

情報ソースは自分で確認していないのですが、羽生名人は、「普段練習で指しているときも、公式戦で
大きな勝負をやっているときも、私は、同じ力を発揮することを考えている」と言ってるそうです。

「よそ行きの剣道」と「本来の自分の剣道」。「本番には強い」との間違った自信そして偶像心理。
ヒデさんが言う「同化」の一歩はまずその認識から始まるのではと思いました。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.76 )
日時: 2011/06/28 07:19:09
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To くらけんさん

まさに平常心ですね。
先日日本武道集学院のセミナーで宮崎正裕氏も、羽生名人と全く同じようなことを言って
ました
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.77 )
日時: 2011/07/07 23:44:40
名前: くらけん 

「剣士の品格」、少しまとめてみたいと思います。

総論として、「品格」があるかについては、第三者評価であること。“Not the best, but the first” (一番でなくても
よい、一級品たれ。)

剣士として「品格」があるかについては、場面(稽古の場面、試合の場面、指導の場面、そしてまったく剣道とに携
わっていない場面)という前提・設定という要素があること。

そして、この場面を枠・円ととらえ、人それぞれに複数の枠・円がある場合もあるということ。

その枠・円というものの捉え方にも人それぞれで、例えば同心円、中心はずれているがそれぞれが大きくなる・より
品格を備える、との捉え方ができるということ。

例えば、「人として」の品格という枠・円の中に「剣士として」の品格、「その他」の品格があり、小さい枠・円を『ある取
り組み』により大きくしていく(大きくなっていく)、その枠・円(特定の円、複数の円、又は全ての円)大きさがある一定
以上の大きさに到達したとき、第三者の評価として、「品格」を備えているか判断があるといこと。

各論として、「礼儀作法」、「姿勢」、「形(稽古着や道具の着け方)」にて、周りに違和感を与えることなく、涼しげ
でいやらしさは微塵もなく、端正であるといこと。

技術的な側面として、100戦練磨でなくてもよいが、偶発的な1本ではなく、「勝って打つ」、「お相手の心を打つ」
ことができる剣力があるということ。

上記の現象として、覚悟の座った「捨て切った技」であり、当人同士だけでなく、周りの人にも感動を与える技である
こと。「竹刀打ちだけでない剣道」であること。

そのような「捨て切った技」を出しているので、当然に、「真剣・三昧・無念夢想の境地」、「勝敗に拘泥することなく」、
よって「心が端正である」ということ。

そのような「捨て切った技」を出すことができるのは、日々の稽古はもとより、日常生活においても「真剣・三昧・一生
懸命」であること。

そして、その「無念無想の境地」は、剣道修行を含む日々の、薄紙一枚一枚を重ねる鍛錬を通して到達した修行
の結果であり、何事にも動じない「平常心」であり、「戦わずして相手を呑む」ほどの気位がある・・・

いかがでしょう?
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.78 )
日時: 2011/07/08 07:29:15
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To くらけんさん

たいへん具体的なまとめ、ありがとうございました。

そうですね、こんなところでまとめ終了って感じがいたしますね


いずれにせよ、無念無想の境地から意識されたものではなく自然と出てくるものでなけれ
ば本物足りえず、それらは意識された日常や稽古によって自然と身についていくべきもの、
であるべき(また、そうでなければ身につかない)。それこそが、第三者が評価しうる「品格」
につながっていく、といった考え方ですね。


各論の部分、たとえば、「何を持って端正とするか」「何を持って心を打ったとするか」
「それを行うための稽古のあり方」など、もう少し各人が取り組むべき方向性が具体的に
なれば、このトピの目的が達成できるように思えます
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.79 )
日時: 2011/07/08 10:23:13
名前: だみ声  < >

くらけんさん
僕の浅はかな発想から立てたトピに、(しかも長期間放置)かくも簡潔明瞭なまとめをいた
だき、ありがたい前に恥じ入っております。

まとめていただいた一文は、印刷して別ファイルにとじました。 ときどき読み直しては
自分の鍛錬の糧として行こうと思います。

先日どこかの会合の雑談で「木鶏たらんとする」という話題があり、品格を評価する一つ
かなとも思ったのですが、剣道の稽古風景に木鶏では、どうも動きがなさ過ぎてぴったり
来ないなぁー、なんて考えたりしました。

いずれにしても、このトピも一応の結論が語られたわけで、全体の起承転結が得られたの
ではないかと感謝申し上げます。

老域ともなりますと日々衰えている現実と、「人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる」
「人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる」「希望ある限り若く、失望に老い朽ちる」
という詩文に出会い、気力を振り絞っているところであります。
本当にありがとうございました。
メンテ
Re: 剣士の品格 ( No.80 )
日時: 2011/07/09 00:17:05
名前: くらけん 

だみ声さん

こちらこそ、楽しいトピックありがとうございました。色々考えることができ、どちらかと言えば、
「後の先」であり、トピックを立てらるのは「先の先」なんてことも考えながらカキコしています。

「人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる」
「人は自信とともに若く、恐怖とともに老いる」
「希望ある限り若く、失望に老い朽ちる」

素晴らしい詩ですね。
メンテ

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