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気は攻める側にあらず、受ける側にあり
日時: 2009/05/23 11:49:15
名前: びびりまくり 

 私が行っている剣道教室の先生が、「気は攻める側にあるのではなく、受ける側にあるんですよ。」というお話をして下さいました。私はその先生の攻めの気をとても大きなオーラのように感じていたので、そのことを言うと、「それはあなたの私への先入観や、私の姿、態度、私の剣道を見ての思いこみ等を総合した、あなたの怯みです。もちろん昔は気を発しているつもりで剣道していましたが、実際に私があなたに、力のある何かを発射できるわけではないのですよ。あなたは私を前にして、自分で怯みを発生させ、増幅しているだけなんですよ。もっともこれが分かるまでに30年以上かかりました。」とおっしゃっていました。
 その後も私は、どうしてもその先生から、すごい気が発せられているように思っているのですが、はたしてこれを受ける側の私の一方的な怯みなんでしょうか。どう思います。

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Re: 気は攻める側にあらず、受ける側にあり ( No.1 )
日時: 2009/05/23 13:12:07
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

管理人のHide.です。

BIGLOBE時代の「剣道談話室」に「攻めのセオリー」というシリーズトピがありまして、ま
だ、拙サイトが産声を上げたばかりの2000年ぐらいに大いに盛り上がっていたのを思い出
します。そのころは、私も「管理人」というよりもむしろ、積極的にカキコを楽しんでおり
ましたっけ(笑)

おっと、余計な話をしてしまいましたm(_ _)m


その折に、攻めというのは「全人格的圧倒性だ」とおっしゃられた方がいらっしゃいまし
て、「なるほどぉ〜」と思ったことがありました。

もちろん、気を前面に発することによる攻めもありましょうが、ある程度以上に修行を積
まれた方というのは、立っているだけでオーラが出ている。それが「全人格的圧倒性」と
いうわけです。

もちろんそれは、受け手側がどれだけそれを感じ取る力があるかっていうことによっても
違ってくるはず。そういった意味からいけば、先生のおっしゃることは間違っていないと
思います。
トピ主さんが感じている感覚を「一方的な怯み」と断ずることはできませんがね 〜☆
Re: 気は攻める側にあらず、受ける側にあり ( No.2 )
日時: 2009/05/23 22:17:38
名前: 悩める中年剣士 

先生は、きっと受け手の重要性を説かれようとして、強調するような言い方をされたのでは?
つまり、相手の気を感じると共にそれを克服することも大切だと・・・
先生は「気を発するぞ!」としなくても自然と備わる風格のようなものをお持ちで、そこからくるものを、びびりまくりさんが感じ取る感性をお持ちだと、そんなことではないですか!?

例えば、大学教授の講義を小学生が聞いてもチンプンカンプンですが、大学生には「これは少しは分かるが、ちょっと難しいなぁ」と感じる。教授は自分では何も凄いことをしているつもりはない。そりゃそうでしょう、これまで研究してきたことを淡々と講義しているだけですから。そうして大学生は一生懸命勉強して、その講義の単位を取得する。

少しだけ屁理屈こねましたが「気は攻める側にあらず、受ける側にあり」とは、なかなか言い得て妙ですね

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