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伝統文化について
日時: 2010/02/08 15:04:37
名前: だみ声  < >

伝統文化について
朝青龍事件は、日本古来の伝統文化を継承する相撲と、横綱としての彼の行動のギャップが幾つも発覚し、大きな批判となって、ついに引退劇となってしまいました。
改めて伝統文化をどう捕らえるのか議論させて下さい。 僕も大したことが言えるレベルではないですが、皆様と一緒に勉強させて下さい。
Wikipediaでは「伝統」が以下のように表現されてます。
>伝統は、また、それまでの歴史の中で形成されて来た種々の形態の中から、特に重んじ
て次世代に継承すべきものに対する精神的な立場を指す。

一方「文化」は以下の内容です。
>文化は、人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである。
>象徴的な思考や学習による信念やふるまいのパターン(個人が持つ文化意識)
>ある社会組織に共有されている価値観 (その組織で共有するもの)

我が町、我が地域の伝統文化の一例です。
昨年12月、我が隣組の内の7世帯に、町内会の雑用の役が回ってきました。 任期は1年。 最初の仕事が町内会が管理する祠のお正月の準備で、清掃、片づけ、お供えです。
前年の引き継ぎ書には、お供えする魚は「アジ2匹を腹合わせに左右に向けて置く」とありました。
その前もその前も同じように書かれてました。この写真付き引き継ぎ書は20年前に初めて書類になった物でそれまでは「口伝」だったそうです。
新規に家を建てて転居してくる新参者(僕もその一人)が隣組員になってきた頃、新参者の一人の尽力で、初めて文書化されたと記憶してます。 文書化によってその後安定して引き継がれてきたようですが、当時「こんなもの作りおって」とも言われたそうです。
その理由が「口伝で十分伝わってきた」、と言うものでしたが、それはそこで生まれ育った人の発想でしかなく、新参者にはその後バイブルとなっています。

7人の担当者で「なぜ鯛じゃないのか?」が議論されました。 結局結論はないのですが、推測として、普通に数多く捕獲されていた魚を供えたからだ、この地の生活に密着した魚だ、入手し易いからだ、鯛は高かったからだ、長老がここの神様は青魚が好きなのだ、とも言いました。では鰯や鯖でも良いのか? など色々語り合って、20センチほどのアジ2匹を買ってきて腹合わせにして供えました。腹合わせの意味はついに不明のままです。
伝統は守られました。

昔は12月30日にお供えし、野獣や浮浪者に盗まれないよう、元日まで「寝ずの番」の役もあったそうです。 今は、元日の7時半頃当番がお供えし、拝賀式が済むとすぐ片づけます。 「神様は、食べる暇ないねえ」と言いながらお供えの品々を分担して持ち帰ります。これも伝統ですが、今年はリストラされた一人暮らしの方が「ほしい」と言われたので、七人だけの秘密事項として、こっそりその方に全部お届けしました。御神酒共々……。 これ伝統違反です。 以上、地域の小さな伝統文化のお話しです。
メンテ

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Re: 伝統文化について ( No.1 )
日時: 2010/02/08 20:16:53
名前: 好月 

やはり、こっちにもお邪魔します。

 だみ声さんのトピから、キーワードを拾って、私の考えを端的にまとめると・・・

 次世代に継承すべきものに対する精神的立場や技能と、それを取り巻く人々に共有された
価値観と共に普遍化成し得たもので、それを行い継承する組織にあっては、社会の評価も含
め出来うる限り、過不足なく伝承するべきもの…であろうかと思います。

 ただ、口伝を書物に代えたり、形稽古から竹刀剣道を発明したりというのは、構わないと
思います。しかし、変えたら変えたで、それが世間一般にまで浸透し共通認識とならなけれ
ば伝統とはならないと思います。

 うーーーん、うまく伝わらないでしょうね。揚げ足取りの餌食になりそうですが、皆さん
お手柔らかにどーぞ・・・(~_~;)


 まだまだ考えがまとまりません。今後もお邪魔するか、飽きてしまうか分かりませんが、
まずはこの辺りで・・・( ^^) _旦~~
メンテ
Re: 伝統文化について ( No.2 )
日時: 2010/02/08 21:28:09
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

管理人のHide.です。

むずかしいことはわかりませんが、伝統文化っていうのは「敬意と感謝」によって成り立っ
ているのではないでしょうか。

伝承されてきたものに対する敬意がまずあり、それを使えてくれた先達に感謝する。そし
て、自分がより高めて後世に伝え残していく。そうした無数の繰り返しが、伝統文化を培
ってきたのだと思います
メンテ
Re: 伝統文化について ( No.3 )
日時: 2010/02/09 06:19:03
名前: 新八 

だみ声さん

私が訳もわからぬまま訳知り顔で文化文化と書いたために、また別のトピを立てさせるるはめ
にさせてしまい、誠に申し訳なく、平に御容赦お願いいたします。
ただ、非人道的な朝青龍の記事に10人中7〜8人は思うだろうありきたりの事をふすまの
陰に隠れて投げかけることができても、このトピの題に関する相応の知識も持ち合わせており
ませんのでこれからのレスは、極力控えさせていただきます。

そう言えば、別トピでお話しされておられましたが、長期入院されるとか。
なかなか壮大なお題のトピですので盛況になり、入院された際に、ボケぼ、、、いや頭の体操になる
事をお祈り申し上げます。また重ねて、オペの成功も心よりお祈りいたします。

アジの件ですが、なかなか楽しいお話ですね。
全く根拠はありませんが、僕なりの仮説を一つ。
お供えですから神棚ですよね。
その当時、近海で良く取れた鯵を生業の糧であるとしてお供えするのはポピュラーじゃないかと思います。
しかし、鯵は青魚であるし傷みやすい事があると思います。そこで、長くお供えできるよう干物にした(開いた)
または、干物にすると美味しくもなるので、美味しい物を神様に召し上がっていただけるよう干物にした。
しかし、いつしか、新鮮なものがいつでも迅速に手に入る様になり生鯵に変わってしまった。
昔は、鯵の生などは、食あたりもあるので食さなかったが、食せる様になってからは、やっぱりタタキの
方が神様は喜ぶかな〜なんて。お神酒にも合うしグッドでしょと考えるのは私だけではないはず。
この事から、古式に則った干物の開きに似せるよう、腹合わせとした。なんてどうですか。(笑)

文化かどうか、、、
今日TVを見ていたら、NHKでカメラを自分の目として海外を尋ね歩く番組がありました。
羊を連れた少女3人と少年1人。「どこか行くの?」「羊に草を食べさしに原っぱへ」「へ〜、そして?」
「太らせて食べるんだ。犠牲祭に焼いて食べる。頭も脚も切ってね。」と少女達は笑って答えてました。
「羊を殺すところは見てるんだ?」「うん、見てる。かわいそうで泣いちゃうんだけど」とまた少女達は、
笑って答えていました。ああ、勿論ちゃんとした衣服をまとった可愛い子供たちでしたよ。
別トピでは、好き嫌いがその発端と書きましたが、彼女たちの話を今日聞いてそうでもないな〜とも
思いいました。まあ、文化の提議についての意見は、必要ないですねWikipediaにのっていますものね。
ただ、Hideさんのに付け加えるとしたら、「畏怖」もあるのかな〜。v
メンテ
Re: 伝統文化について ( No.4 )
日時: 2010/02/09 23:46:31
名前: 好月 

結局、世の中はみんな多数決・好き嫌いの市場原理でしか成り立たないのでしょう。

 文化に限らず、自分の知らないことは全て、自己の価値観で判断する世の中にな
ったようですね。今日はとてもショックな出来事がありました。


 私も自動車産業に身を置く人間。今回のT社のリコールには動揺しました。
ブレーキの利きが悪いと感じる人が多くてリコール?へたくそが思いっきり踏んでも、
ロックしないようなABSを開発してこの仕打ち?説明しても、理解が出来ない頭の
持ち主が、T社が過ちを認めない体質だとマスコミをあおりこの結末。
 アホは、カックンとしゃくって止まったほうが良いと感じるんでしょうねぇ。

 また新たに、急加速の危険性がある?とも追い討ちをかけてきているようです。
それって、オートチョークによる回転数の上昇じゃないのかな?
 免許とる時、誰もが暖機運転の必要性は習っていると思いますが、やってる人は少
ないでしょう?でも、それに伴う現象まで理解してやっていない人は、どのくらいいる
のでしょう?もし、原因がオートチョークで間違いなかったら、この損失は誰が請け負
ってくれるのですかねぇ?    アメリカ人も中国人と変わらないねぇ

 文化の話から、離れた様に感じる方もおられるでしょうね?
 でも、ベースはここら辺りにあるのかもしれません。
 
 料理の鉄人が、腕によりをかけて作った料理も、食うのはお金持ちのど素人。
 優れた技術者が、新しい技術を開発し作った車も、買う人は好みを優先。
 正しい剣道を追求しようと頑張っても、見る人は「地味で面白くない!」


 なーんか・・・む・な・し・い・・・・・・(*_*)

だみ声さん・・・やっぱり、もうやめときますわ・・・(ToT)/~~~
メンテ
Re: 伝統文化について ( No.5 )
日時: 2010/02/10 01:58:42
名前: だみ声  < >

Hideさん、好月さん、新八さん 難しいトピにご参加いただき誠にありがとうございます。
今日一日(仕事中なのに)このテーマであれこれ書いては消しを、繰り返しました。
しまいに、なんでこんなハードなこと考えてるんだろう? と反省しきりです。
以下は、とにかく僕のタイトル以後の続きのような内容ですが、起承転結不十分です。

文化とはそもそもなんなのでしょう? 古くから伝わる文化は、伝統文化と呼ばれます。
いずれも文字や言葉では表現しにくい内容を含んでいます。同じ国内でも地方によるローカル文化には驚くこともあります。 まして言語も異なる外国ともなると、仰天するような文化に触れることもあります。でもそれを無視した場合、やはり地元の人から「指導」が入るのではないでしょうか? そのとき「なぜだ?」と言っても「それが文化だ」で返されますね。いきなり破るのはやはりご法度のようです。

結局文化とは、それを知らなかった人にとっては「驚き」であり、反発すればその組織では異端者となり、反発しきれる物ではないので「郷にいれば郷に従う」の原則で受け入れ、「なぜ?」と思いつつ時間を掛けて「そんなもんかぁー」と思うようになって、同化させるのではないでしょうか?

人によっては、ある文化を研究をして、すっかり虜になると言うのもあると思います。
NHK番組の「熱中時間」なんてのは、きわめてマイナーな文化の虜、または文化を創造して、幸せな気分を満喫する人生を見つけた人の良い例ではないでしょうか?

マイナーな個人レベルの「趣味」などがその人個人の「文化」を形成しており、同じ趣味を持つ人が集まるとベクトルの向きがほぼ同じで、少し規模の大きな文化が共有されます。 その共有量が多い、「地方のお祭り」などは、長年継承されてきて「伝統文化」として根付いています。
根付いた文化には、進歩と時間経過とともに、現在に整合しない不合理や、意味不明な事が残されて行きます。(そうしていたもともとの理由は進化と共に忘れられるらしい)しかも伝統文化とは「変化」を嫌う性質が濃厚なのです。
よほどの不都合が発生して、やりようがなくなった時、最小限の変更をしてその場の不都合をクリアーしますが、変更理由はいつしか忘れ去られます。

相撲など国レベルの伝統文化も基本的に同じ範疇なのですが、その中に外国人にとっては「仰天する」ような(理解不能な)「しきたり」「言い伝え」があり、当初存在していたその理由がすでに不明になっており、受け入れがたいのではないでしょうか? 外国人のいなかった頃は、当たり前であり、話題にならない事です。

知らずにしきたりを破っちゃった力士も、叱られてしぶしぶ従っているうちに、なんとなくそのしきたりや言い伝えの意味の様なものが腑に落ちて来るのが、普通のプロセスだと思います。 そしてうまく説明できないまでも、自然に同化しており、いずれ逸脱しなくなるのでしょう。
異文化を理解すると言う事は、腑に落ちるまで時間がかかるし、それまで何回か注意されながら、成長するのだと思います。

結局伝統文化とは、敬意、感謝、喜び、畏怖の精神などを基に構築され、きわめてゆっくり、時代に遅れながらしか変化せず、変化の理由は忘れられ、生活と社会に必ず存在しながら、連綿と引き継がれる、不合理な内容も多く含有する不文律である。(不文律は妥当でない気もしますが、ぴったりの物が見つかりません)

以下は蛇足ですが…
朝青龍の場合腑に落ちる時間が経過しないうちに、「バイブルは俺だ」、こんなに強い俺なのに「なぜだ?」のもやもやが酒も加わり、暴力になってしまった。しかもかなりな回数。 が、今回の事件の顛末。この先は事件なので、文化論でなく民法が採用されます。
ここで議論しませんが、この事件まだ尾を引いてますねえ。

新八さんのアジの開きの仮説は大変面白いですね。忘れられた理由の検証と研究ですね。

どなたかもっと分かりやすく解説いただける方おられませんかぁーーー? と言うか…
読まれてる方々、お気軽にご参加いただいて、もう少しワイワイやりませんかぁーーー?
メンテ
Re: 伝統文化について ( No.6 )
日時: 2010/02/12 00:47:27
名前: さくら 

福岡県南部の私の田舎では、鯵ではなく鰯です。
正月には「おがみ鰯」といって鰯2匹を腹合わせに
飾ります。幼い頃、祖父から「ちゃんと向き合って
仲良くせんといかん」と教えられた記憶があります。
メンテ
Re: 伝統文化について ( No.7 )
日時: 2010/02/12 17:07:48
名前: だみ声  < >

さくらさん
御参加頂きまことにありがとうございます。 そちらの田舎では「鰯」だそうで、たぶんそのいわれはなぜだろう? と言ってみても「昔から鰯じゃ」でおしまいだろうと思います。 わたしの住む地域は「鯖」です、という方がおられたら是非お書き頂きたいです。

ただ、「仲良くせんといかん」と言うおじいさんのお言葉は「伝統」に基づく物であり、文化の薫りが漂ってきますねえ。 しかも腹合わせというのは千キロ程度(僕は伊豆の住人)離れても尚同じであることも、きっと「やおよろずの神々」の頃から、どこの地域でも同じかも知れませんねえ。

でも僕の地域での「鰺」は腹合わせは同じでも、頭はそれぞれ反対向きなのですが、そちらの「鰯」はどうなのでしょう? その歴史的背景は何かなと、また「ふしぎ」が広がりますねえ。 誰かがお供えの時、間違えたのがきっかけとか言うのが案外真実だったりすると、文化って重みや深みだけでなく、軽さも曖昧さも合わせ持っていることになり、面白さというか「粋」な感覚になりませんか?

実はこのトピを立てた後、過去ログで「伝統文化」で「いちに会検索」するとHideさん初め、多くの方がわいわいやった後が見られる事を発見しました。

何も伝統文化は、剣道や相撲だけに特別にある物でなく、人間が生活している場所には必ず存在していると思いますし、たぶんその国の宗教も大いに関係しているはずです。

面白さも、うれしさも、苦しさも、悲しさ、怒りまでもが文化と関係しており、人は異文化に出合ったとき、どのように振る舞うべきか? が問われるようです。

そういう意味で朝青龍は結果として、振る舞い方を間違えたのではないでしょうか?
と、話題をちょっと引き戻してみましたが・・・
メンテ
Re: 伝統文化について ( No.8 )
日時: 2010/02/13 05:10:21
名前: 新八 

だみ声さん

控えるとはレスったものの鯵の件が気になって気になって。
さくらさんのお話も面白いです。
静岡以外の接点が九州からなんて面白いですね。

少し調べてみたのですが(簡単にネット上のみですが)お供えの魚について、

やっぱり、めでたいなのど語呂合わせや見栄え食味の面で鯛がポピュラーみたいです。
しかし、魚種については、特にこだわりもないようです。地方によって、色々な物があるようですね。
まずはじめに、ヒットしたのは、ウミタナゴでした。(東北地方 塩釜神社へのお供えにもなっているとの話もありました)
はっきり言ってこいつは美味い。脂ののってるのを塩焼きしたらサイコーです。
鯖に関しても第一感に裏日本の鯖街道が思いついて、調べてみると神饌としてちゃんとありました。
思い起こせば私の叔父は、本物の近海漁師なのですが、特に鯛を供えると言った話はしていませんでした。
干物についてもあるようです。日本の神様は、やはりお魚好きですね。

魚の数については、1尾〜数尾まであるようですので2尾でも珍しくはないようです。
数については、魚の大きさの問題というより三宝や神棚の大きさにも関係するのでしょうかね。

しかし、腹合わせがやっぱりわかりません。上辺だけの検索では、わかりませんでした。
さくらさんの、おがみ鰯を読んだときは、お互いにおがむように供えるのでそうなのかと思いましたが、
どうやら、この「おがむ」は、神様を「拝む」が背景にあるような気がしました。
確かに、おがみ鰯でもヒットはしましたが、三宝に一尾のお話だけでした。
しかし、所詮は人が考える事なので、何かお供え時の所以としてきっと共通点があるのでしょうね。
神様に込める当時の人の感謝の気持ちを垣間見たいです。
でも、鰯という事に関しては、節分にも魔除けの意味で飾るのでお供えとして、もっと深い意味があるかもと思いましたが、、

でも、静岡においての鯵というのも特別の意味があるかもしれませんね。
現在の、漁獲量では、うかがえないのですが、静岡は、今でも鯵の干物生産は日本一だと思います。
恐らく、これは今に始まったものではなく伝統的なものなのではないでしょうか?(調べていませんが)
そうだとすると県民にとっては、それはなじみ深い、天からの恵みと言っても過言ではないでしょうね。
また、語呂合わせをとっても、さかな(魚)へんにまいる(参)です。意味深いと思いませんか?
あながち僕の干物説もと思いきや、しかしよくよく考えれば、そうだったら背合わせになるか、、、
それに昔から続く風習であれば、生の鯛がすぐ手に入ったのだろうかというのも疑問です。
のっ込みシーズンならともかく、生の鯛が正月前に岸近くで手に入るだろうか?
鯵なら比較的入手もしやすいような気もするんですが、、
それに鯵は、大きくなる一歩手前の物が美味しいですね。でっかいのはそれこそオオ味です。
手ごろの美味しいサイズを2尾というのもなんとなくうなずけます。

いずれにしてもお魚のお話は、楽しいです。海に囲まれた日本人だもの。
僕は、独りよがりで誰もわかってくれなくても、地味な事を考えるのが結構好きです。
むなしいなんて思わない、熱中時間に出てくる人なんか皆すごいな〜と感心しきりです。
剣道も誰かと楽しめれば最高ですが、特に誰かの為にやっている訳ではないですからね。
そう言えば、剣道も日本文化の一つと思うのですが、だみ声さんは、学生さんの講師をされているとか?
やっぱり学生さんの為におやりになっているのですか?(??教えているのだからある面そうにきまってますね。)
ええ〜と、そう、どういった事を思って日本文化の剣道と付き合っておられるんですか?
正直僕は、あまり上手ではないので、教えてやるなんて気持ちは全くもった事がなく、
子供と楽しみたいって簡単な気持ちだったんですが、こんな気持ちじゃ伝統文化に触れちゃだめなんでしょうかね。
ああ、朝青龍は今回はパスです。少しそれましたが、また、新しいお魚情報ないかな〜。
メンテ
Re: 伝統文化について ( No.9 )
日時: 2010/02/13 20:31:09
名前: だみ声  < >

好月さんの話題にも触れてみたいです。
T社のブレーキのリコールの話題です。 ABS装置関連が、問われているようですが、ハイブリッド車だけによる不具合なのでしょうか? そもそもABS装置とはロックを防ぎ、その路面状態における制動距離を最小に出来る自動装置のはずです。しかもロックしてないからハンドル機能が維持でき、衝突回避性能も向上していると認識しておりますので、個人としては、何がリコール対象なの?と言う感じです。

出張先では過去3世代のハイブリッド車は、レンタカーでそれぞれ延べ1000キロ以上走ってますが、今回のリコールの話題のような感覚は全くありませんがねえ。

車に関する歴史もかなりあり、車文化も各種定着しています。
ブレーキの歴史と文化をテーマに考えると、「そんなもん」では済まされない物理的現実との戦いであり、初期の物は、ドラムが開くか閉じるかによって、隣接する回転体を止める構造でした。 前進と後退では効き具合が異なり、急な坂では強く踏んでも後退しちゃったと言うのもあったそうです。

ブレーキの効き具合とブレーキ中の発熱による不具合を防ぐには、放熱効果の高いディスクブレーキがいい、と言うのとディスクブレーキは、前進後退とも同じ効き方をするので、ドラムブレーキより優れていると言う事で最近は主流になっていると思っています。

ただしディスクブレーキには、ドラムブレーキの特徴の「引き摺り効果」を期待できない分、圧縮力を高める必要があります。
強くペダルを踏むことによって「ロック」しちゃうのはどちらも同じですが、それを回避するのがABSだと解釈しております。

路面が凍結した事に気付かず、ブレーキを踏んでしまい、トトトトッと言う感じでうまく止まってくれたとき「ABS」あってよかった!と思ったものです。
ロックする寸前、ABSはブレーキ力を弱めます。それが「効かない」と感じるのは仕方ないけれど、結果として最低制動距離で止まったはずなのです。 だのにリコール。
メカ音痴の方には、それでも最低制動距離で停止したことを認識しろ!と言いたいですね。

メカ音痴の人の言い分は、そんな不安を持たせない技術を開発しろ、と言う事だと思いますが、そう簡単な事ではないのが、現実なのです。

僕の業界の話をします。
生ごみで「堆肥を製造する」装置の最大の問題点は、我がギョウカイでは「分別」なのです。
発酵技術を用いて堆肥は作られますが、この装置の最大の問題点は、各家庭から捨てられる時混入する、「固い固形物」を分別する事なのです。
そんなもの分別機を利用すれば簡単だ、とよく言われるのですが、発酵の邪魔になるビニル類の分別や、生活に伴って混入するスプーンやフォーク程度は、食生活と共に混入することもあり、今では何とか分別できています。
なんで「鉄アレー」や、「かなづちの頭」が生ごみに混入するの? 使い終わった「ベアリング」がなんで生ごみなの? パンティーストッキングはワイヤーロプより切れない。

これら予想外の固形物の混入は、生ゴミが堆肥になる工程のどこかで分別しなければなりません。
想定外の鉄の固い固形物は、磁石で取りますが、ステンレス製品は、もはや磁石では分別できません。 実に厄介なのです。
遠心分離機も用いています。 でも装置を壊してしまう混入物はあまりにも多岐にわたり、発酵技術ではない部分で困っています。 これが我がギョウカイの「悩み」です。

産業分野における「悩みの伝統文化」なんてのもテーマとして面白いですが、「愚痴」から脱出できない事が多いでしょうねえ。 (プロジェクトXか?)
そこにビジネスチャンスがあるとも言えますし、「開発」の悲喜こもごもが存在します。

話を戻して、神仏への「お供え」の「伝統文化」の話題など、その他ありませんかぁーー?
メンテ

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