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薄れてきた
日時: 2014/04/27 17:03:09
名前:  

最近剣道の楽しさが薄れてきています。最初は稽古が楽しみで仕方なかったのに、最近は「どうしてこんなに稽古しているのに強くなれないだ」「どうして強くもないくせに怪我してまで剣道しているんだ?」「剣道なんて才能あるやつ以外…」「強くなれないのに稽古してもむなしくなるだけ」とかマイナス思考が働いて行動を邪魔します。…自分が恐いです。どなたか相談に乗ってくださいお願いします。
メンテ

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Re: 薄れてきた ( No.1 )
日時: 2014/04/27 22:24:05
名前:  

すいません、要点が抜けてました。聞きたいのは才能のかけらもなくどんなに努力してもむくわれない僕がどう剣道と向き合っていけばいいかアドバイスお願いします。
メンテ
Re: 薄れてきた ( No.2 )
日時: 2014/04/28 03:28:28
名前: だみ声  < >

無さん  あなたの文章をほんの少し変えて以下に書きました。
最近勉強の楽しさが薄れてきています。最初は勉強が楽しみで仕方なかったのに、最近は「どう
してこんなに勉強しているのに賢くなれないだ」「どうして賢くもないくせに徹夜してまで勉強
しているんだ?」「勉強なんて才能あるやつ以外…」「賢くなれないのに勉強してもむなしくな
るだけ」とかマイナス思考が働いて…

はるか昔、小学生で劣等生だった僕がいつも思っていたことです。 徹夜は中学生でやりました
が、このボヤキは定年退職後のこの年(68歳)になっても、ついて回っています。
でも人生を捨てるつもりもなかったし、勉強をほっぽり出したりもしませんでした。 そして大
学で本格的に剣道部に入って、試合も負け先行、稽古だけは毎日やりましたが、我ながら「強い
自分」を感じたことは一度もありません。
でも、今となっては大学で一緒に汗を流した同輩で、今剣道をやっているのは僕だけです。
とは言いつつ、僕も諸般の事情で35歳〜50歳の15年間稽古をさぼりました。 再開後の最
大の反省点がこの空白の15年間です。
当時は「仕事が忙しい」と言い訳しておりました。 やむを得ない言い訳だと思っておりました。
でも再開後思い起こしたのは、「月に一回」ぐらいなら道場通いできたはずだ、という事でした。
つまり僕は15年間剣道をサボったのです。
また、あの頃は今ほど剣道が好きでなかったのも事実のようです。

今の無さんも 何となくあの頃の僕に似ている気がします。 才能のあるやつだっていつ辞めち
ゃうか分かりません。 へたくそでも、弱くても、10年のスパンで眺めれば、続けた奴が一番
強いです。 これを実感するのは、あの強かった奴が10年ぶりに再開したとき、弱かったあな
た(段位だって自然に上にいますから)に「稽古お願いします」となります。 そして立ち会っ
てみると、あのころと違う自分を再発見するのではないでしょうか?

継続は力です。 短期で眺めて一喜一憂するのは、気が滅入るだけです。 そんなこと考える暇
があったら、稽古にのめりこむことをお勧めします。
上達を10年のスパンで眺めると、初めの内に上達する奴と、終わりの方で上達する奴がいます。
10年後はどちらもほぼ同じレベルにいるのです。 サボった奴の上達は止まりますから、差が
ついていくのは当然です。
後は稽古にどれだけ集中するかが、勝負です。 同じ時間稽古しても差が出来てきますから、集
中することはものすごく大切です。
冒頭に書いたとおり、勉強も稽古もその上達には「継続と集中」がキーポイントなのです。
モチベーションを最大レベルにおいて、真剣に、そしてたくさん稽古することをお勧めします。
愚痴等言う暇などありません! 早く忘れてどんどんと突っ走ることです。

>才能のかけらもなくどんなに努力してもむくわれない
  10年間わき目も振らず稽古を続けてから、本当に才能がないのか、努力も報われなかった
のかを考えなさいっ!! 才能なんて努力に添えるトッピングみたいなものです。

それぇっ〜〜、稽古じゃ、稽古じゃ、稽古じゃ、稽古じゃぁ〜〜!!!
メンテ
Re: 薄れてきた ( No.3 )
日時: 2014/04/28 09:10:36
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

管理人のHide.です。

無さんは今、怪我をなさっておられるのでしょうか?
怪我をしたり病気にかかったりすると、人は弱気になりますね。
私もそうです。どこかに痛みがある時は、稽古することが辛いです。
おもいっきり稽古できないもどかしさからだと思いますm(_ _)m


厳しいことを申しますが、才能があるかないかは、自分が判断するものではありません。
また、「どんなに努力をしても」と書いておられますが、あなたの努力は他の人をはるか
に凌駕するくらいのレベルなのでしょうか?
他人と同じ程度の努力だとしたら、他人より上にいけないことは明白です。

また「努力している」なんて自分で言う人で本当に努力している人は稀です。
本当に努力している人は、努力を苦にしていません。周りはすごい努力をしているなぁと
見ていても、本人は「努力している」なんて思ってないものです。

さらに努力の方向性が間違っていれば、どんなに努力しても結果は出ません。


私にはあなたの書き込みは、怪我のせいで弱気になって愚痴を書かれたとしか思えません。

剣道は「昨日の自分に克つ」ことが目的です。
そういう取り組みをしていけば、きっと気がついた時には強くなっているはずです。
他人と自分を比べないことですd(^-^)!
メンテ
Re: 薄れてきた ( No.4 )
日時: 2014/04/28 18:30:31
名前: ずんべらぼん 

無さん

「才能がある人が勝つ」となってしまうのは、
無さんがその才能が必要となる同じ方法で強くなろうとしているからではないでしょうか。

私は「才能がない」のを自覚した上で、それでも勝つ方法を考えるのが心底楽しいのです。

筋力、体格、体力、学生時代の経験、稽古環境等に恵まれた人に勝つために、その人との差を穴埋めする目的で、
筋力アップ、持久力アップ、稽古回数アップなんて方向でいくらやっても勝負にならないと考えてます。

今の何倍鍛えるかや、人の何倍も自分をいじめて鍛えたら結果は出るはずなんていう
運まかせのギャンブル的な考えは「理に適う」を錬ることとは全く逆の発想だと思うのです。

結果が出るかどうか分からない努力をひたすら続けることが「修行」だとか、
「結果は出なくても努力すること自体がすばらしい」なんてのも目標がぼやけまくっていて楽しいはずがありません。

「努力の才能」とか申しますが、結果を生むことがなかったらそれは無駄な才能になってしまいます。

そんなことを何十年もやればやるほど頑固が強化され、柔軟な心は失われるだけです。
しかも、全く楽しくない。

よく思うのがF1レースです。
今までどうやって早くなってきたでしょうか。

エンジンの馬力アップ、回転数アップを先に考えればいいのでしょうか。
そうは思いません。

馬力や回転数を上げれば、燃費は下がりピットインの数も増えてしまう。
馬力や回転数を上げればコントロールしにくく、ブレーキもステアリングも負担がかかりロスが増える。

負担が増えればドライバーも各部品も壊れやすくなる。

そうではなく、今、自分に与えられているものを最大限に生かす方法を徹底的に考えるべきだと思うのです。

ギヤや部品の一つ一つがロス無くちゃんと仕事をし、連係が取れているのか。

燃費がよくなればピットインの回数は減らせる。

故障が生じた箇所は、何かが間違っているはずだ。

与えられている重力、質量、空気、摩擦などなどの環境をどう有効利用するべきか。

その上で、運転技術の向上を図る。


これを剣道に置き換えて考えますと、
全身の全ての関節が、ロス無くちゃんと仕事をし、連係が取れているのか。

より理に適えば、より疲れないはずだ。

怪我や故障が生じたら、体の使い方が間違っていると気づくチャンスだ。

与えられている体、重力、その質量などなどの環境や物理法則をどう有効利用するべきか。

昔から言われている常識は、本当に正しい解釈が伝わっているのか。

それらを踏まえて、そもそも「立つ」ということも理に適って立てているのか。

「歩く」もこのままでいいのか。階段の上り下りはどうだ。

「姿勢」とはなんぞや。正中線機能とはなんぞや。

いかにラクに省エネでいて、スピードも威力もある動きを錬るべきか。

改善すべき事柄が無限に見つかります。


決して手抜きでも、なまけでもなく、徹底的な丁寧さです。

こういうことを考えるとき、まず筋力アップや体力アップを考えちゃうと全くそこには行き着かない。

「長年努力し続け歳もとれば、どこかしら故障があるのが努力の証」なんて言葉を鵜呑みにしたり、
痛みを抑えるために体の一部をパンパンに筋肉で固めてしなやかさを捨て無理矢理痛みに蓋をしてしまったり等は、
折角の体からの「その動き間違ってるよ」の信号を無視して改善のチャンスを無駄にすることになると思ってます。

そうなると、いくら稽古量を増やしても、いつまでも理に近づけないでしょう。

実際、私自身、こういう考えをする前は無駄な努力ばかりしてましたし、
強くなれないばかりか、怪我や故障だらけでした。


スランプとは、次々に見つかるはずの課題を自分で見つけられない状況のことだと思います。

私自身、前提条件である「特別な才能」がないですから、特別な才能が必要となる方向で、いくら努力しても課題は見つからないと思ってます。

ですから、才能がないことをあっさり認めて、
今現に与えられてるものをどう使えばいいのかを徹底的に考え続けることが
「才能に適う」ではなく「理に適う」を追い求めることになるのだと思ってます。

全剣連流の教えが全て正しいと思えば、その特殊な才能が必要になります。
もっともっと自由な発想で守破離の離を考えてもいいのではないでしょうか。

こういう考えを披露しますと「邪道」「眉唾」という人が圧倒的多数ですがね(笑)。
メンテ
Re: 薄れてきた ( No.5 )
日時: 2014/04/29 23:11:39
名前:  

皆さんありがとうございました。皆さんのおかげで続けれる気がしてきました。何事も積み重ねが大事ですよね。これからは怪我をしても文句を言わず、ただ黙々と稽古に挑んでいきたいです。それからHide.さん、剣道のことに集中するためにこれから私生活の事も相談してもよろしいでしょうか?
メンテ
Re: 薄れてきた ( No.6 )
日時: 2014/04/30 08:45:11
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To 無さん

少しでも拙サイトがお役に立ちますればうれしく存じます。


イヤイヤやっていたり、辛いなぁと感じながらお稽古していても上達はたいして望めませ
ん。「努力を努力と思わない人」って、楽しんでやってるんですね。
だから、他の人以上の努力ができるのです。

「やらなきゃ」という使命感や義務感では続けることは不可能。
やっぱ「好きこそものの上手なれ」なんですね 〜☆


>それからHide.さん、剣道のことに集中するためにこれから私生活の事も相談してもよ
>ろしいでしょうか?

ここでけないような個人情報には気をつけてください。
個人が特定されそうな相談であれば、メールにてお願いします。

ただし、私も仕事を持つ身。
とくに年度初めでバタバタしておりますので、すぐに回答できるかわかりません。
それでよければ、ご相談ください
メンテ

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