Re: フェイスブックでこんなやりとりがありました ( No.1 ) |
- 日時: 2013/09/12 23:02:19
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- E.K
昨日 8:55、 2020東京オリンピック、剣道を公開競技にできないものでしょうか?
剣道の発展の一つの方向は、健全な競技化だと思います。
そう、考える剣士は多いのではないでしょうか?
● チャンスですね...連盟の方は気が付いておられるのでしょうか?この、ビッグチャン スを。 昨日 8:57
E.K 連盟は、オリンピック参加には消極的です、今度のIOC会長は、種目数増加に抵抗を持た れてないようなので、可能だと思います。 昨日 9:02 (携帯より)
● でしょうね... 昨日 9:14
Hide. 「健全な競技化」とはどのようなことを意味するのでしょう? 元来、極めて客観性の低い競技ですので、文化の違う外国人と客観性を共有しようとする と、他競技の例を見るように「ルールの改悪=スポーツ化(加点減点法)」などが取り入 れられ、剣道としての本質が歪められてしまうことに懸念を感じます。 現行の世界大会でさえ、危ういのですから…。 昨日 9:37
E.K ビデさんのご意見はよく分かりますよ。基本的には同意見です。
しかし、競技としの剣道がある以上、客観性を高めることが求められると思います。
競技として客観性が低いこと自体が不健全な状態です。
日本伝剣道の本質は日本人にしか分からない、という感じ方も理解できますが、国内でも その本質が理解されない日が迫っているようにも思えます。
公開競技にすることによって、競技としての剣道の方向性が模索できるかもしれません。 昨日 10:39 (携帯より)
H.H 実現できるかどうか知りませんが、剣体一致をはかれる装置をつけて、試合をできるよう にする必要があります。通常の試合では、小手先だけを使っても勝てますが、本来的には、 現代流にいえばインナーマッスルを連結させて、剣体一致になって初めて技になります。 もともと、見てわかる人が審判にいたのですが、自分ができなければ見てわかるはずはな く、欧米の客観性の考え方でいえば、インナーマッスルを動かして剣体一致になったこと を測定できなければなりません。技術的には可能ですが、このことを分かる剣道人がどれ くらいいるかでしょう。これが相当な疑問になります。 昨日 10:51
Hide. 芸術を客観的に図る尺度がないのと同じように、剣道の有効打突に客観性を求めること自 体が難しいと考えています。 それなのに「競技」として成り立たせようとするところに難しさがある。 「打った、打たれた」は、本来当事者同士が一番分かること。それを第三者の判定に委ね ようとすること自体が間違いです。 競技としては極めて完成度が低いものですから、それを国際化しようと考えることに無理 があると考えています。 昨日 10:55
E.K 競技化が困難であることはよく分かります。しかし、すでに競技化しています…(笑) 昨日 11:00 (携帯より)
Hide. それは国内だけの事情にしておけばよろしい。 なにも、困難なものを外国に広める必要はありません。 剣道が歪められた形で後世に残ることが希望でしょうか? 昨日 11:09
E.K 海外に広めなくても、同じだと思いますよ。 昨日 11:12 (携帯より)
Hide. 海外に広めようとするために、客観性が求められているだけです。 国内だけであれば、見える審判員がちゃんと存在しますから問題はそうは生じません。 ただし、審判員の育成については、全剣連が行なっている現行の講習会だけでは不備があ るとは思いますが。 昨日 11:14
H.H お言葉ですが、本当にちゃんと技ができて、しかも言語化できる審判はそれほどいないだ ろうと思います。例えば、常足で歩いている剣道人がどれくらいいるでしょうか?正直い えば、真剣を使える剣道人はほとんどいないでしょう。つまり、人を切れない剣道になっ ています。これが国内の実態です。 昨日 11:34
Hide. To H.Hさん 人を斬ることは剣道に求められていません。 全剣連の理念をお読みになればよく分かること。 きちんと有効打突を見極められる審判員の育成こそ求められることですね。
なお、それとオリンピック化を含め、剣道を海外に広めることとは無関係と考えますm(_ _)m 昨日 11:38
H.H ということは、剣道は武術でも武道でもなく、単なるスポーツだということですね。それ ならば、どんどん競技化すべきでしょう、スポーツなのだから。私はいままでけんかをし たことは一度もなく、殴られたことを殴ったこともありませんが、どうしようもない極限 状態になれば、相手を殺すつもりです。私がしているのはスポーツではなく、武道ですか ら。そして、体育会系の人々にある権威主義は私は大嫌いです。団体がどう言おうが、自 分の正しい人生を生きることが本当であって、連盟だの、連合なのがどういおうが、間違 いは間違いです。人を切れるようにならないような剣道は単なるスポーツです。それなら ば、競技化に反対する必要もないでしょう。こんな、自己矛盾に気づかないのが日本の 「武道会」ですね。 昨日 11:46
Hide. To H.Hさん あなたがどのようなお覚悟で剣道に取り組もうが構いませんが、現代剣道は人を斬るため に修行するものではありません。「剣の理法の修練による人間形成の道」として指針が示 されているのであって、単に他人と技術を競い合うための競技ではありません。戦後の剣 道が極めてスポーツ化してしまったことは確かですが、その根底にある思想は「武道」以 外の何者でもありません。 剣道という大きな山の中にあって、競技(試合)はほんの小高い丘にしか過ぎません。そ れは修行の一通過点であり全てではないのです。 もし、そうお感じにならないとするならば、あなたの現代剣道に関する理解は極めて浅い と断ぜざるを得ないでしょうm(_ _)m 昨日 11:54
E.K 剣道をオリンピックの公開競技へ・・・という書き込みから、興味深いご意見をいただい ています。ありがとうございます。
やはり、意見がかみ合わないのは「剣道とは何か」という本質の解釈が異なるためと思い ます。
あくまで私見を述べさせていただくと、人間形成の道・・という考え方は、とても新しい 考え方です。ひでさんの言われるように、現代剣道の考え方だと思います。
ひでさん、H.Hさんは大東流柔術の修行者です。それらには試合がありません。つまり、 競技ではない武術を修行されています。
剣道の理念から論議しないと、競技化や国際化の方向性が見えてこないようにも思えます。 昨日 12:31
Hide. To E.K君 なるほど、H.Hさんは試合のない武術の修行者でいらっしゃいましたか。 では、現代剣道についてご理解頂いてないのは致し方のないことですね。 たいへん失礼いたしましたm(_ _)m
なお、現代剣道の修行者の中にも、並行して古流剣術を勉強している方々もたくさんおら れます。居合を修行されている方もいらっしゃいます。 でも、現代剣道が「人を斬るためのもの」と考えている人は、ほとんどおられないと認識 しております。 昨日 13:06
H.H 剣体一致とは、相手を切り殺せる態勢になっていることを意味しますが、切り殺さないと いう前提ならば、剣体一致も否定ということになりますな。連盟がなぜそのような発言を しているのかよくお考えください。戦後の武道はスポーツの認知を受けなければ始められ なかったからです。しかもアメリカからですが。一応、試合なるものは何度も経験してお ります。日本の武術はすべて剣術の方法がベースになっておりますが、現代剣道は、剣道 だけでしか使えなくなっているでしょう。井の中の蛙、大海を知らずということでしょう。 中山博道が聞いたら、泣くでしょうな。 昨日 16:07
Hide. つっかかりますねぇ(苦笑) ご存知ないようですので歴史を紐解かせていただきますと、戦後、GHQに解散命令を出さ れて大日本武徳会は昭和22年に解散させられます。その後、「学校教育を中心としたス ポーツとしての剣道」という申請を出し、国内の剣道家の意見を調整し、昭和27年に全日 本剣道連盟が組織され、剣道は復興いたします。 その剣道は戦前のものから、「組み討ち(関節技、投げ技、足搦みなど)」を取り除き、 純粋に竹刀の技術のみで戦い合う競技といたしました。そのことにより、剣道は一部の愛 好家のものから子どもや女性にも受け入れられるものとなり、爆発的に裾野を広げるわけ です。 しかし、昭和27年当時は「剣の理法の修練による人間形成の道」なんていう理念は存在し ませんでした。これができるのは昭和50年の話。剣道のスポーツ化が危惧され、それに歯 止めをかけるべく制定されたものなんです。
剣術や古流を学んでおられる方から見れば「なまっちょろい」とお感じになられるでしょ うが、剣道は時代に沿う形で「武道」の思想を残しつつ現在につながっています。そして それは「殺人剣」ではなく「活人剣」を目標としています。 なお、剣道にも「剣体一致」が必要なんですよ。剣道の有効打突の定義にも、そのことは 明示されています。しかしながら、我々は実践では戦いません。よって、お相手を殺傷す る技術として剣道を学んでいるのではないのです。 そこをご理解いただけますと助かります 昨日 16:27
● なんかとても勉強になりますね!(゜∀゜) 昨日 16:56 (携帯より)
|
Re: フェイスブックでこんなやりとりがありました ( No.2 ) |
- 日時: 2013/09/12 23:02:49
- 名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk
<
>
- 参照:
- H.H
殺すことが前提なので活人剣になれるのであって、殺せないような技は活人剣にはなりよ うがないでしょう。これはすべて個人の楽しみのレベルです。「ご存知ないようですので 歴史を紐解かせていただきます」とありますが、お書きの内容を知らないようならば上の ようなことは書かないでしょう。一応、歴史を知っているのならば、ここで新たな歴史を 作らなければならないとどうして思わないのか不思議です。戦後日本の自分の頭では考え られない人養成の成果ですね。アメリカへの追従も含めてですが。また、これが剣道脅教 育の成果でもあるでしょう。自分の頭で考える能力を身につけられないという。 昨日 17:26
E.K お二人とも過激ですね〜(笑) 昨日 17:30 (携帯より)
Hide. 脳内妄想と申しますか、机上の空論を振り回しているのはあなたの方ですよ。 あなたはあなたの技術を持って、人間を殺したことがおありなのでしょうか? 殺せると おっしゃっているだけで、殺したことはありませんでしょう? ならば、あなたの武術も個人のお楽しみ。私らと同レベルです(笑)
私らの方が、そんな妄想にとりつかれていない分、はるかに賢いでしょうね。 剣道の打ち方では日本刀を持っていても斬れません。この先、どんなに時代が変わっても、 日本刀を持って戦い合う時代は来ないのです。私たちはそれを認識しています。まぁ、未 だに「斬るように打て」などとおっしゃるアナクロ剣道家もおりますが、斬れるように打 ったら、けが人だらけです(>_<)
そんな中にも、決め事として「気剣体一致」であるとか「刃筋」であるとか、「残心」で あるとか、スポーツ足りえないルールを設定し、その中で技術を競い合う。 おっと「技術を競い合う」と書いてしまいましたが、厳密には違います。全日本選手権レ ベルの若手が本気でかかっても、竹刀がかすりもしないおじいちゃん先生が山のように存 在する世界なんです。それは、単に剣道が「運動(身体)能力」や「技術力」「スピー ド」「パワー」だけに支えられたものではない証拠です。あ、これもご存知でしたかな?(^^ゞ
うまくまとまりませんが、現代剣道は哲学です。いかに生きるかを模索するための手段な のです
To E.K君 かなり脱線してしまいましたが、楽しい議論ですよ 〜☆ 昨日 17:45
H.H 哲学ですか。それではそちらはヘーゲルやカントもお読みになったことがおありというこ とですね。私はルソーはフランス語で読みましたが、カントはドイツ語では読んでいませ ん。自分の程度がどれくらいか知って話をしたほうがいいでしょう。殺したことはありま せんが、殺す寸前までいったことはありますし、実際、本気でやれば、簡単に殺せます。 剣道のかなりできる友人もおりますが、あなたのように個人の意見をさも剣道一般の意見 であるような言い方はしません。それが実力者というものです。それから当たり前のこと を知らないようなので書いておきますが、ゲキケンは一刀流などにおいて剣術の稽古法で す。よって、現代の剣道ももともとは剣術の稽古法だったのであり、剣道をやって剣を使 えないのは、そちらが低水準だからであって、使える人がいて当たり前でしょう。謙虚で はないそちらの生き様があなたの剣道の水準でしょう。 昨日 20:37
Hide. To H.Hさん アハハ、ヘーゲルやカントを読まないと哲学を語ってはいけないとは、ずいぶん権威主義 なご発言ですね(笑) それにしてもさすが学者さんだなぁ。でも、知識をひけらかすと ころに品性の下劣さがにじみ出ちゃってますよ。 体育会系の人々の権威主義を「大嫌いだ」と断ぜておられたようですが、この書き込みか らあなたもかなりの権威主義者とお見受けいたします
それにしても「本気でやればいつもでも殺せる」なんてすごいですね。そんな自慢(?) をして見せるのは、ヤ●ザとたいして変わりがありません。私どもは間違ってもそのよう なことは申しません。たとえ、お相手を殺してしまえるかもしれないと思ってもです。 ちなみに、その素晴らしい殺人技術は、現代社会のどこで発揮なさるおつもりですか? あなたの武術の行き着く先を伺ってみたいですね。拳銃の弾にも負けぬ強靭な肉体と精神 を培われることでしょうか? しかしながら、そんな方が教鞭をとっておられるのかと思うと世も末ですな。あなたの書 き込みは回を重ねるごとに「気品と礼節」が失われていきます。ご自身の恥を世間に晒し ておられるのは、あなたの方だとお気づきにすらなれない。お気の毒としか申し上げられ ませんm(_ _)m
話は変わりますが、私の考えが「剣道一般の意見でないと」どうしてあなたにお分かりで しょう? リサーチでもされましたか? 大学で社会学部の先生でいらっしゃるようです から、社会調査もお得意なんでしょうね 私は町の剣道愛好家ですからそんなことはしておりませんが、剣道のHPを始めて13年目に なります。あなたより、現代剣道を嗜んでおられる方々の考え方には詳しいと思いますd(^-^)!
なお、正確に申しますと竹刀剣術は北辰一刀流の道場で始まったのが最初です。それまで はご存知の通り形稽古が主流でした。ちなみに、私は古流剣術の形稽古にも取り組ませて いただいております。低水準なりにですが(^^ゞ
あ、そうそう、「謙虚ではないそちらの生き様があなたの剣道の水準でしょう」はそっく りそちらにお返しいたします 〜☆ 昨日 21:19
E.K 昨日は、移動中でしたのであまり書き込みできませんでした。白熱した議論になりました。 ありがとうございました。
日本の身体文化には、二度の断絶があるといわれています。一度目は維新、二度目は先の 敗戦です。
特に維新後は、国策によって意図的に日本の身体は変えられたと言われています。
剣道はさらに、維新によりその性格の変革を余儀なくされました。それは、帯刀が禁止さ れたためです。
帯刀が許さないことは、術としての機能を失ったことを意味しています。剣道は、その理 念を模索することとなりました。
そして、明治中期以降は、政府の国家主義的政策を支える支柱として徐々に脚光を浴びる こととなります。
これらの変革は、剣道から術としての洗練さを失わせることとなりました。さらに、学校 体育への採用に際して、大きな変化がありました。
つまり、維新以降、剣道はその術の体得を常に2次的中な目的としてきたのです。
現代剣道はには、ほとんど前近代の術理は残されていないと思えます。それらの術理は武 器を用いず、さらに学校体育に採用されなかった武道によって断片的に伝えられています。
私たち剣士は、その事を自覚する必要があります。そして、スポーツ技術としても、それ ほど高いレベルにはありません。
他の武道やスポーツに学ぶことも必要だと思います。オリンピックの正式種目になるとい うことではなく、公開競技として世界中の方々に見ていただく機会があってもいいと感じ ます。 10時間前 (携帯より)
Hide. To E.K君 まとめをありがとう
なるほど、正式種目を睨んでの公開ではなく、「世界中の方々に見ていただく」というこ とであればやぶさかではありません。その際は「試合」ではなく、個人的には「立会」も しくは「模範稽古」にしていただきたいものです。 全剣連50周年記念大会における80歳の谷口安則範士の模範稽古は、それはそれは見事なも のでした。あれこそ、「体力」「スピード」「パワー」ではない剣道の玄妙さを、世界中 の方々に見ていただくにふさわしい演武になると愚考する次第です(^0^)
さて、一点気になりました点を伺いますが、「スポーツ技術として、それほど高いレベル にない」というのはどのような意味でしょうか? 両手を前に突き出し、一本の竹刀という道具を両手で(場合によっては片手もあります が)で体軸を崩れさせずに操作する(さらに自由乱打で決められた小さな部位を、何点か の制約に従って打突する)というのは、運動学的にも解剖学的にも極めて難しい技術であ ると考えますが…(^^ゞ 「競技として、甚だ未成熟だ」というのなら納得もいくのですがねぇ。 6時間前
E.K 現代剣道の解決課題のレベルが低いのではなく。その解決方法のレベルが高くないのです。
その理由は多々ありますが、ここでは控えておきます。
また、年配の剣士に若手の実力者が手も足も出ないのは、現代剣道の技術がたかいのでは ありません。稽古形態に擁護システムが働いているからです。
今回はこのくらいにしておきましょう。 5時間前 (携帯より)
Hide. To E.K君 せっかくの有意義な考察の機会を煙に巻いてしまうとは残念ですね。 擁護システム? ほんとにそんなこと思ってますかぁ? ツッコミどころは満載なんです が(笑) まぁ、また脱線してもいけませんから、今回はこのへんでお開きにいたしましょう。 でも、いずれきちんとご回答いただきますぞ! 〜☆ 4時間前
H.H 哲学のことを言いたければ、最低限哲学の勉強をしていうべきでしょう。ただそれだけで す。自分が種を舞とおきながら、何をいっているのでしょうかね。何とかにつける薬はあ りませんな。あなたとは会うこともこんごないでしょうが。国際的レベルで、以上のこと は紹介させていただきます。世界中おどろきでしょう。 45分前
H.H 「いいね」といだだき有難い限りですが、所詮「剣道世界」で生きていきなさい。私は、 地球レベルで生きる人間ですので。あなたの言っていることは翻訳不可能ですので、外国 人には理解できないでしょう。それでもだいじょうぶですよね、日本の剣道世界ですから。 恐らく、江戸時代のサムライにも通じない世界の話です。 19分前
Hide. 申し訳ありませんが、もう、お話は終わってます。 せっかくE.K君が収めてくれたんだから、大人げないことはおやめなさい。 10分前
Hide. あ、私とのやり取りを国際的レベルでご紹介いただけるということですので、御礼と言っ てはなんですが、私も国内的レベルではありますが、私のHPにてあなたとのやりとりをご 紹介させていただくことにいたします では、これにて刀を納めます。ごきげんよう。 数秒前
|
Re: フェイスブックでこんなやりとりがありました ( No.3 ) |
- 日時: 2013/09/12 23:38:12
- 名前: いもむし
- 面白かったです。 でもまあ剣道は誤解されやすいですからね。 先日も私の住んでいる区の大会で議員さんが剣道をオリンピックへというはなしをされていました。
私見ですが、剣道が何故オリンピック競技にならないか。出来ないかですが、剣道の極意は活人剣だからだと思います。無敵、無刀等とも表現されますが、本当に強い人同士では斬り合いにならない「合い抜け」が極意だからだと思います。旗あがりませんよね。
それから現代剣道で殺人出来るかの議論がありましたが、十分可能と考えます。 ただ、剣道で我々が学ぶものは打突の機会です。打突の機会を得たならば攻撃しますが、それは必殺の剣ではないと考えています。 例えば面ですが、日本刀で同じように面に切りかかっても必殺はできませんが、打突の機会を得て面に切りかかり、相手が怯んだ隙に袈裟切りで必殺できます。 要するに、必殺の剣捌きの前段階、打突の機会を得なければ斬りかかれない、しかも一瞬の隙をついてですから、面のような打突になると思います。 ですから我々が剣道で学ぶ技はとても実戦的と思います。
坂本龍馬は上記のように暗殺されたと思いますが如何でしょう。
|
Re: フェイスブックでこんなやりとりがありました ( No.4 ) |
- 日時: 2013/09/12 23:43:43
- 名前: 一言・・・
- 正直、剣道のスポーツ化による普及は、私は可能だと思うのです。
フェンシングのようなセンサーを竹刀と有効打突部位に付け、一定以上の強さで打ち込んだ場合は一本を認める、という形。 そんなセンサー付けたら、試合するのに金が掛かるので、現実味がちょっとありませんが。
「気・剣・体 一致 や、打突前の攻めの判定ができない。」 そうご指摘される方はいるでしょう。 確かにその通りですが、 一定以上の威力で打突できれば一本、という事を達成するためには、 気・剣・体 一致があり、攻めがあった方が、その確立が高くなる、ということになりませんか。 (ならないかな〜w)
逆に、気剣体一致になっていないと思われる打ちでも、 十分な強さで打突できているならば一本にして、何故ダメなのかという話でもあります。 (いや、ダメって言う気持ちはわかりますけどね、私も剣道やっているので。一般人から見て、の話で)
攻め・崩し といった「テクニック・技術・錬度」を測るのは、段位だけにしては?とも思います。
何と言うか、剣道競技人口が増えるための試みってのも、結構重要だと思うんですよね・・・。 そのためには、やっぱり試合の分かり易さってのも、大事かと。
|
Re: フェイスブックでこんなやりとりがありました ( No.5 ) |
- 日時: 2013/09/12 23:55:25
- 名前: 一言・・・
- いもむしさん
「剣道の面打ちで、人が切れるか」 この話、よくありますね。
でもこの話を聞くたびに私は、 真剣で、あの勢いで、顔面に、腕に、腹に、 刃を当てられたらタマッタモンジャナイと思うのですけどねぇ。 竹刀ですら、胴を外されて脇腹直撃されたら、あんなに痛いのに・・・。w 食らったこと無いのでわかりませんが、比較にならないくらいのダメージのはずですよねぇ。
とすると、剣道の打突じゃ人は切れないと言う人は、 よっぽど頑丈な体をしているんでしょうね。w
一般の人よりも竹刀で打たれ慣れているはずの私でも、真剣で食らったら、完全に戦意喪失する自信があります。w 真剣で剣道打ちの打突を食らって、反撃する気力が保てる人なんて、そういるのかなぁ・・・。(汗
「必殺」じゃないからダメって判断も、ちょっと偏っているような気も私はします。
ちょっと脱線してスミマセン。
|