記事タイトル:親として 


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剣道 いちに会はネチケット強化月間です!

1.匿名であっても、剣道関係者として気品と礼節あるカキコをお願いします。
2.特定の個人や団体に対する誹謗中傷はおやめください。
3.
個人情報の流出は厳禁です。
  (プライバシーに関わるカキコは違法行為として罰せられます)
4.書かれた本人や関係者が不快にならないように留意してください。
5.意見と感情論は違います。
  (根拠が明記されていないカキコは意見とは言えません)
6.カキコは書き捨てにしないで最後まで礼節をもってください。


お名前: トシ   
目から鱗さんへ

追伸

 「理合の文学的解釈」行ってきました。しばらくの間に相当御話が進んでいました。
 私も目から鱗さんの御子息の、出小手、突きに旗を揚げてしまいそうになりました(笑)

 ぼちぼち、目から鱗さんもまた、竹刀を握りませんか?(笑)

 
[2005/11/11 16:54:14]

お名前: トシ   
目から鱗さんへ

 トシです。他の板で私を探してくださっていることを知り、恐縮です(笑)
 私が比較的、出没させていただいているところは「親の気持ち、子の心」と「いちに会の部屋」です。
 専門性の高い所は、難しいので書き込まないで、むしろ、読ませて頂いて勉強させていただいております。
 (御恥ずかしい話ではございますが。。。)

 「理合いの文学的解釈」など私にとってはとてつもなく難しい所で、「理合い」そのものもよ
く分かっていない現在、読ませていただくだけでも混乱しそうです。(笑)

 御子息公文式をやられていたのですね?すばらしい!!!
 うちの場合、嫁さんが長男を出産するまで教育機関にいたものですから、今のところは嫁さん
に任せています。息子が中学生になったら私が代わろうと思っています。(大丈夫かな?)

 息子の御稽古の時は、一保護者に徹して静かにしております。(他の子のお母さんたち、おっかないし。。。(笑))

 剣道におきましては、今の私の場合、頭よりも先ず身体が動いてしまい、必死・ひたすら・がむしゃら、御稽古です。
 やってると、先生が来て下さって色々アドバイスをしてくださいます。
 そのアドバイスを胸に頭に、また、必死・ひたすら・がむしゃら、の繰り返しです。
 家に帰って本やDVDを紐解いて「あぁ〜ぁ、ここに書いてあるじゃん」と思いながら反省し
また、必死・ひたすら・がむしゃら、の御稽古です。決して爽やかとはいえません(笑)

 目から鱗さん、いつも拝見させておりますので、また、さまざまなトピで御教授御願います。
[2005/11/11 16:19:05]

お名前: 目から鱗   
to トシさん

トシさんのところも頑張っておられるのですね。
本当に励みになります。私の方も今は指導者とも懇意にしていただいています。
家内は剣士の母の会を主催し、隔月で1度は食事会をしてくれています。
新しいメンバーを気持ちよくお迎えしたい。あんな経験はさせたくない。
そんな思いなのですが、新しい人は、特に自分の子供が「強い」親は
必ず心の病に取り付かれます。
子供を家につれてきて教えてください(俺は指導者とチャウ)
風邪みたいなものなんですね。取り付かれて、取り付こうとします。

長い道のりです。お互いに励ましあって頑張っていきましょう。
[2005/11/11 12:18:40]

お名前: 目から鱗   
to 剣士の母さん。

感動的な書き込み拝見させて頂きました。
本来神聖な場所であるべき道場が、関係者の思惑によって修羅場と化す。
このことは、大人の責任で、なにがなんでも食い止めなければいけません。
あの時、今回の剣士の母さんの勇気ある行動を知っていればと思います。
私たち親子は、別の方法で戦いました。
先頭に立とう、あるべき姿をもって稽古していこう。そう考え
声をはりあげ、自由稽古も常に先頭にたち、ともかく「一生懸命」を示して行こう。
それでもなお、○○さんの息子は特別扱いだと陰に陽にいわれつづけました。
負けてはならない絶対負けてはならないと、不退転の決意で過ごした2年間もありました。

なぜそのようなことが起こるのか

このサイトにきて、多くの人の意見を聞いて、Hide.さんの指導を受けて
私も含めて、親があまりにも剣道に対して無知だということを
気づかされました。今、本当に素直な心で、皆さんに感謝できます。

悩み事があったら、このサイトで学び、鋭気をやしなって
また道場に帰って、頑張っていきたいと思います。

親としてどうすべきか、その意味では剣士の母さんの発言からが、
この板の本当のはじまりかもしれません。
大事な子供たちを、世界の宝を親が先頭にたって、守って行きたいと思います。
[2005/11/11 12:03:57]

お名前: トシ   
剣士の母さんへ

 御久しぶりです。トシです。その節は御世話になりました。
 すばらしいミーティングされたのですね!
 
 こちらはと言いますと、少しずつですが、中学生のほうから変化が現れてきました。
 一番の要因は、父親で、中学生と一緒に形稽古したり、試合稽古したりする方が出て
まいりまして、そこから子供達とのコミニュケーションが取れてきたのが原因かと思います。
 今までは、大人たちとしっかり一線を引いていた子供達ですが、やはり同じ土俵に入って
一緒に汗することは言葉を超えた絆を深める気がします。
 このまま、小学生にも浸透していけばいいと思っています。
 ありがとうございました。
 
[2005/11/09 18:27:44]

お名前: Hide.    URL
to 剣士の母さん

管理人のHide.です。

いやぁ、ミーティング、大いなる収穫がおありになったようでよかったですねヽ(^.^)ノ
先生方もひょっとしたら、「どうしたらいいか困っていた」のかもしれません。
「子どもー先生ー父母」が三位一体になることこそ、子どもの成長を大きく助けます。
これからも、まだ、さまざまな問題が持ち上がってくるでしょうが、一つ一つ、皆さんで
話し合いながら解決していけるといいですね(^0^)
[2005/11/09 10:05:05]

お名前: 剣士の母   
以前このページであいさつできない子供のお話をしました。
先日、会の方で保護者、指導者(お手伝いとして指導されている先生方)
の間で、ミーティングをいたしました。
私の剣友会の責任者の先生の方針は勝!剣道ではなく、長く好きになる剣道を
基本として、指導されています。入会して返事&挨拶が出来ない子供、一部の保護者
の事が、かなり気になっていました。
そして、礼儀からやり直そうという話に持っていくことができました。
保護者から子供へも躾はもちろん、稽古中は指導にあたる先生方の協力をお願いする事に
話がつきました。
当たり前のことが全然出来ていなかったのです・・・。
どこかのページで、道場は電子レンジではないという文を目にした事があります。
それを思い出し、入りたての私ですが、意見を述べさせていただきました。
道場の子供達には習いに来ているという自覚が足りないのです・・。
まずは、その1の段階からやり直すという意味で、会を!子供達の姿勢を!保護者の姿勢を
変えていこうと話あいました。
稽古内容などは、もちろんのこと、100%先生にお任せし、親がまずしなくてはならないことを
みんなで、していこうと!
ミーティングのよさを改めて感じました。
ご意見くださった皆様ありがとうございました。
[2005/11/08 09:48:53]

お名前: Hide.    URL
To 眼から鱗さん

長々とお付き合いいただきましてありがとうございました!

ご子息、後輩たちのためにがんばっておられるのですね。
剣道は、先生や先輩へのご恩返しはできません。
自分が受けた恩は、後輩たちに返すものです。
そこをきちんとわきまえておられるご子息であれば、正しい剣道の伝承者たることができ
るはずですよ(^0^)
[2005/10/29 08:29:36]

お名前: 目から鱗   
Hide.さんへ

このテーマもそろそろ潮時かと思います。
振り返ってみていえることは、
Hide.さんやそのお仲間が正しく「剣道」を継承されようとしていることの確信、
この一言につきます。
息子も今は、後輩との稽古に余念がありません。
高校剣道最後の総仕上げを、後輩のためにとがんばっているようです。
(親子の課題 打ち落としの研究も忘れていませんよ)
願わくは、Hide.さんのように、正しい剣道の伝持の人と成長してくれんことを
親として願うばかりです。本当にありがとうございました。
次のテーマでお会いできることを心から希望します。


このテーマに参加していただいた皆様へ

トシさんまたね。
未熟剣さん、また助けてくださいね。
親馬鹿一刀流さん、またアドバイスお願いします。
[2005/10/28 14:25:25]

お名前: Hide.    URL
To 眼から鱗さん

>親としては、特に自分が剣道をしない親は、ついつい試合に目がいってしまいます。
>このサイトにきて、そのような過去の自分を見つめ直す機会が得られたことを
>心から喜べる自分になっているような気がします。

指導者も親御さんも、試合という底なし沼にはまりがちなんです。
自分が試合に出て勝つことも嬉しいですが、教え子が、あるいは我が子が試合で勝つって
いうのはまた格別な味なんですね(^^)
ゆえに、我知らず「勝利至上主義」に偏ってしまったり、「勝つことをえさ」にお稽古させる
ようになったり。
事実、子どもたちのモチベーションを維持しやすいので、そういう手法をとる方も少なく
ありません。勝てば親もノッテきますしね(^^;

「試合も稽古の一貫」と考えれば、それだけに重きをおくこともはありません(^^)
[2005/10/28 08:10:53]

お名前: トシ   
目から鱗さんへ

 以前、Hide.さんも書かれておられましたが、目から鱗さんの研究心・探究心の凄まじい
エネルギーには私も本当に感心いたします!(見習わなくては。。。)
 私などは、先ず身体が先に動いてしまい、子供達がやっている御稽古を見学しているだけ、
というのには正直耐えられなくなってしまうのです(笑)
 道場の毎回の御稽古に来ている付き添いの御母さん方はずっと子供達の御稽古を観ていらっしゃる。
 私は、観ているうちに、身体が熱くなってきて、自分自身が御稽古したい衝動に駆られてしまいます。

 まだまだ、親として、駆け出しで未熟者のトシでございます。
 立派に御子様を成長させられた、目から鱗さんの御指導を今後も頂きたく、
こちらこそ宜しく御願いいたします。
[2005/10/27 11:18:20]

お名前: 目から鱗   
トシさんへ

早速の感想ありがとうございました。
親としては、特に自分が剣道をしない親は、ついつい試合に目がいってしまいます。
このサイトにきて、そのような過去の自分を見つめ直す機会が得られたことを
心から喜べる自分になっているような気がします。

それもこれもHide.さんに出会えたからだと本当に感謝しています。
『松原剣道スポーツ少年団』のHPで私が注目したのは、幼少年指導要領の稽古区分に
試合稽古があるということです。
Hide.さんから試合も稽古という指導をうけましたが、更に確証をえました。

未熟剣さんにも感謝しています。
「剣道の理念」制定時の中心者 小川忠太郎先生まで私を誘導してくれたのは
未熟剣さんのあくなき求道心であったように思います。

お子さん元気そうでなによりです。私もボクシングを少しかじっていましたが
同じ技術が使われていることには驚きでした。
究極の技の一つ「クロスカウンター」は「切り落とし」に似ている感じです。

今後も「仲間」にしてもらえれば、これ以上の喜びはありません。
[2005/10/27 10:23:56]

お名前: Hide.    URL
to 目から鱗さん
>どうか私たち「親」を、頑固で、ものわかりの悪い親を見捨てないでください。
見捨てるだなんて、そんな(^^;
ただ、個人の見解や価値観まではどうにもしようがないってことです。
心を尽くしてお話しても平行線の場合はしかたがありませんから・・・。
カキコは「楽しくあるべき」っていうのが持論でもありますしね(^^)

>Hide.さんの剣道観に、少しでも近づくための大切な道程であると思われます。
私もまだまだ勉強中です。
日々、皆さんのカキコを拝読しながら学ばせていただいておりますしね(^^)


to 未熟剣さん
少しでも拙サイトの情報がお役に立ちましたのならうれしく存じます。
どうかいいご指導をなさってくださいね(^^)
[2005/10/25 06:50:01]

お名前: 未熟剣   
剣道の多くのことを勉強できました。
有難うございました。
[2005/10/24 19:04:42]

お名前: トシ   
眼から鱗さんへ

 御無沙汰しております。トピのほうは常に拝見させていただいております。
 そして、考えさせていただいております。

 さて、御紹介いただきました『松原剣道スポーツ少年団』のHP行って参りました。(さっそくお気に入りに追加)
 真っ先に目が行ってしまったのは、やはり、開いてすぐ下の「試合」の項でした。
 どんな位置付けがされているかが興味ありましたので。。。全くその通りだと思いました。
 あと、『今の皆さんの静坐は少々短い』との御指摘がかかれておりまして、思わず納得。
 うちの道場の号令当番の子供達はせいぜい30秒で止めます。それ以上長いとクレームが出ます(笑)
 やはり、3分くらいは必要なのですね。

 あと、うちの息子ですが、元気にやっております。元気すぎて近所の空手やってる同級生と
御互いの御稽古開始時間ギリギリまでチャンバラ(竹刀ではありません)したり空手の組手をしたりして
います。最近では御互いの習っている武道の技を教えあったりして微笑ましいとのことです。(嫁さんいわく)
先日、「空手と剣道って技が似てるね」と言い出しまして少々驚きました。
踏込む、抜く、すりあげる、払うなど共通することがあるからでしょうか?

剣道の御稽古は彼にとって「行くまでが勝負」です。
行きさえすれば、元気よく御稽古して、さわやかな顔して帰ってきます。が、疲れているときな
どは少々行く前に愚図ります。しかし、今でも皆勤継続中です。
小2の息子には、まだまだ有難い御話をしても鼻糞ほじってアクビしていますので、実体験を通じて
噛み砕いて話すようにしています。

眼から鱗さん、今後もいろいろ御世話になります。
この度は御声を掛けてくださりありがとうございました。
[2005/10/24 18:25:44]

お名前: 目から鱗   
Hide.さんへ

どうか私たち「親」を、頑固で、ものわかりの悪い親を見捨てないでください。
たぶん、未熟剣さんも「剣道の理念」制定時の中心者 小川忠太郎先生の心に
到達するための道程を歩んでおられるのだと思います。
Hide.さんの剣道観に、少しでも近づくための大切な道程であると思われます。

未熟剣さんへ
こんなサイトに一度はいかれたらどうでしょう。
http://www.asahi-net.or.jp/~ia6y-mnm/kendo_hanashi/ym_kendo.html

トシさんへ
お元気ですか。読んでもらっていますか。お子さんはその後どうですか。
この板をたてた目的が達成できそうです。
トシさんも一度下のサイトにいってみてください。
感想をおまちしています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ia6y-mnm/kendo_hanashi/ym_kendo.html
[2005/10/24 16:57:58]

お名前: Hide.    URL
to 未熟剣さん

歴史的な過程を検証して何の意味がありますか?(^^)
現代剣道は「活人剣」です。
剣道の理念にも「人間形成の道」だと書かれております。
剣道の発祥は「相手を殺傷する技術」として生まれ育ってきたわけですが、その時は「人
間形成の道」ではありませんでしたでしょ?(^_-)〜☆


もう、この議論はよろしいのではありませんか?
あなたと私とで「試合に関するウエイトの感じ方が違う」ってことは重々理解できました
でしょうし・・・。
山の登り方が違うんです。
ルートが違うんだから、見えている景色も違います。当然ですね(^^)
私はあなたの価値観を否定するものではありませんよ。
剣道に対する熱いお心も十分に感じることができましたし(^o^) 

それとも、あなたの方が私の考え方を変えたいとでもお思いでしょうか?(^_^ メ)
[2005/10/23 06:37:51]

お名前: 未熟剣   
hideさん
<それは、実戦の中から鍛え上げるってことで、錬磨の中心ではありません。
「朝錬夕鍛」、 やはり日々の稽古が自身を鍛え上げてくれるのです(^0^)

稽古が全てが理解できずにいます。剣道稽古と言っても
礼儀・黙想は意味合いが異なると感じてます。
剣道の稽古がなぜ生まれたかについてご存知でしょうか?
私の考えるところで恐縮ですが、歴史から見ても
元は相手と対戦すること「戦いや試合」からではないかと考えるのですが?
hideさんの意見よろしくお願いします。
[2005/10/22 18:55:54]

お名前: Hide.    URL
To 眼から鱗さん
私が考えているのは、まさにそんな「剣道塾」です。
将来、そんなものが作れたらなぁ・・・と夢だけは持っておりますが、まぁ、夢で終わる
のでしょうね(^^;


To 未熟剣さん
>「練磨」は「百戦練磨」なんていいますから、やはり試合が随分関係するかと思います
>けど?
それは、実戦の中から鍛え上げるってことで、錬磨の中心ではありません。「朝錬夕鍛」、
やはり日々の稽古が自身を鍛え上げてくれるのです(^0^)

>稽古の意味はhideさんの言うとおりでわかります。ではどうするかとなると、
>hideさんの言う「反芻」にしても「練習」から入るのでは?
むろん、子どもたちや初心者には「習うより慣れろ」「習うより真似ろ」ですから、稽古と
いう粋に達するのはなかなか難しい。で「練習」といってしまうほうがいいメニューや教
え方もありましょう。
でも、剣道の修行方法は稽古に尽きます。
未熟剣さんがおっしゃるように、練習は稽古の一部(導入部)でしょうね(^^)
[2005/10/22 08:46:59]

お名前: 未熟剣   
hideさま
勉強になります
「練磨」は「百戦練磨」なんていいますから、やはり試合が随分関係するかと思いますけど?

<私は自分の師匠の姿を追い求めてこのように
 生活させていただいております(^^)

練習の意味は剣道には当てはまらないことでしょうが、
練習の なれならい、つみかさねるの意味からすれば師匠の姿を追い求めるのは
練習と言う意味からすれば当てはまるとおみますけど?
そこに「稽古」の教えがあると思います。
稽古は練習の積み重ねがなければ得られないものと考えてました。
はじめから稽古では理解しがたく、敷居が少々高いのでは?
稽古の意味はhideさんの言うとおりでわかります。ではどうするかとなると、
hideさんの言う「反芻」にしても「練習」から入るのでは?
[2005/10/21 23:01:33]

お名前: 眼から鱗   
今回、多くの皆さんの考え方をお聞きして多くのことを学ばさせていただきました。
学ぶ過程の中で、「道場」に対する、あるイメージを持つことができました。

大袈裟かもしれませんが、人間大学としての「道場」というイメージです。
そこでは様々なセミナーが開催されたり、もちろん稽古も試合も行われる。
例えば、Hide.先生が講師として招かれて「剣道の理念」「試合の位置づけ」等の
人間形成に関するセミナーとか、ハクドー講師による「日本剣道型の心」とか
またまた「剣道の歴史」とか

重要なポイントは「親と子」が楽しそうに、一緒に学んでいるということです。
これまで昇段審査を通じて、一部の指導者層のみが学習していたことを
やさしく解説してあげる。
剣道を通じて人間形成を行うということの大切さを伝えていく。
特に、指導者層は知っていても、それが少年剣士をもつ親に伝わるケースは稀でしょう。

小・中学生の「寺子屋」や高校生以上の「私塾」として「道場」は機能していく。

このようなことが比較的早い段階から、徐々に浸透していけば・・・・
そんな感じの「道場」どうでしょう?
[2005/10/21 11:04:42]

お名前: Hide.    URL
To 未熟剣さん

>hideさんは剣豪の生き方ですね。

剣道愛好家は多かれ少なかれ、剣道の考え方を背骨にして活きているものではありません
か?
剣豪の生き方などとは思っておりませんが、私は自分の師匠の姿を追い求めてこのように
生活させていただいております(^^)


>黙想も稽古ならあんな最初最後の1分にも満たない稽古もありですか?

無論です。
黙想中に何をしてますか?
まさか寝ているわけではありますまい(^_-)~☆


>私は練習と稽古は違うんじゃないかと考えてました。

言葉尻をとらえるようで申し訳ありませんが、私は剣道に「練習」はないと思ってます。
すべて「稽古」です。
稽古の「稽」は考えるという意味。「古(いにしえ=前回の稽古や、教え)」を反芻しなが
ら行なっていくものですd(^-^)! 
「体に覚えこませる」といった場合でも、「錬磨」が正しい使い方だと考えております。
[2005/10/21 08:24:46]

お名前: 未熟剣   
親馬鹿一刀流さん
<ここまで論じますとお互いにそういう考えもある事を理解して、自分達が信じる
 剣道を続ければ良いと思いますがいかがでしょう?

そのとおりだと感じます。私は指導者ではありません。
試合のお手伝い(スタッフ)もします。選手にもなることもあります。観戦もします。
どんな試合でも修行すると言うことが自分にはあります。
[2005/10/20 21:37:28]

お名前: 未熟剣   
hideさん
hideさんは剣豪の生き方ですね。
私は一般の剣道趣味家です。
この観点はとんでもない違いでした。すみません。
黙想も稽古ならあんな最初最後の1分にも満たない稽古もありですか?
私は練習と稽古は違うんじゃないかと考えてました。

<そう考えたら、試合なんてごく一部でしょ(^_-)~☆

生活が剣道修行で指導者となれば試合は切っても切り離せない状況かと思いますし、
年間でも私たちに比べかなりの数の試合に関わっていると思います。
hideさん自身が幼少から試合で築き上げられた剣道家だとどうしても矛盾が生じてしまいます。
言葉でいくら「試合はごく一部」と言っても血肉汗体がそのように稽古修行されてきたのでは、
自然に試合を身に付けている気がします。試合なくして現在のhideさんはないのですから、
自然に試合で身に付けたものを指導していることになってしまうのですが?
時代錯誤かもしれませんけど試合、指導なく己の剣の道を極めるのであればわかる気もします。
昔のように対外試合厳禁と言えども、道場内での試合はあったようですし・・
そんなでも「もっと稽古・修行しなければ」という感じなのですが?
[2005/10/20 21:18:42]

お名前: Hide.    URL
To 未熟剣さん

>突き放すような感じですね。とらえ方が違うのは当然ありえることです。

突き放してなどおりませんよ。
ただ、とらえ方の違いだなってことですよね(^^)


>稽古は剣道修行の一環かなと考えてましたので。

私は「稽古=剣道修行」と考えております。
そして、「日常即剣道」とも思っておりますので、生活全般も「稽古」であり「剣道修行」な
んだと(笑)

そう考えたら、試合なんてごく一部でしょ(^_-)~☆
[2005/10/20 08:07:14]

お名前: 親馬鹿一刀流   
未熟剣さん
先に書きました様に、剣道に対する考え方、試合に対する考え方は、人それぞ
れで良いと思います。
未熟剣さんのお考えは書き込みを重ねる事によって理解が進みました。
試合は普段の稽古の成果を試す場。
勝敗に拘らず、正剣で心栄え正しい試合を行う。
試合を糧にして稽古に励み、試合を目標にした稽古により、剣道から得られる
様々な事を勉強する。
よって、試合は剣道のホンの一部ではない。
といったところですよね?
正しいお考えと思います。

ただ懸念される事の一つとして
例えば、団体戦で大将が引き分ければ、あるいは1本負けならばチームが勝つ
場合、積極的に打ちにいかないという事はあります。あるいは見苦しい試合・打突。
でも、未熟剣さんがお考えのように試合を捉えるならば、今の剣道界はもっと
良い方向に向かうでしょう。
という事で先に書きました様に、信念を持って続けて頂くのが良いと思います。

>試合経験をみなさん生かしてるのではないですか。
仰る通り私も小学生の時から学生時代は試合を随分しました。
学生時代は、ただ一つの全国大会に出場する事を目的に稽古していたような
物です。
確かに指導内容には試合経験を活かしていると思います。
ですが、試合を主には考えていません。

因みに私が現在習っている会では全く試合をしません。
打った打たれた以外の事を求めているからだと思います。
もっと言いますと、現在の試合規則は便宜上日本剣道連盟が定めた物であり
それが全てではないと私は考えます。
あと、私が指導している会では、子供達のレベルが試合するまでに至っていない
事もありますが、現在の所試合に出す気はありません。
逆に早く試合に出られるだけの実力をつけてもらいたいと願っています。
私も試合否定者ではありませんので。
それでも、試合の効果は理解しつつもそれが全てではないという考えに変わりは
ありません。

ある年代までは試合を糧に稽古して良いと思います。
更に修行しますと試合では得られない深遠な物が理解できるようになりますね。
ここまで修行した方々が試合をしますとまた違った形になると思います。
京都大会が良い例でしょうか。試合というより立会いですかね。
未熟剣さんがご自分で求めておられるのはこの京都大会ではないでしょうか?
小学生であっても、一般社会人の剣道愛好家であっても、自分達が出る試合では京都大会に
出場するのと同じ気持ちを持つ。
実際に1年間の稽古の成果を京都大会で試す。京都大会に出場するために、1年間正しく稽古
するとういう方々は多く居られますね。

ここまで論じますとお互いにそういう考えもある事を理解して、自分達が信じる
剣道を続ければ良いと思いますがいかがでしょう?
[2005/10/20 00:56:48]

お名前: 未熟剣   
hideさん
<私とは「稽古」のとらえ方がまったく違うってことですね。
<私はそれら全部をひっくるめて「稽古」ですから(^^)

突き放すような感じですね。とらえ方が違うのは当然ありえることです。
漠然として捕らえどころのない抽象的な意味に受け取れます。
それぞれに稽古という言葉を付けたような感じに受け取れます。
全てが剣道修行ならわかる気がするのですが。
稽古は剣道修行の一環かなと考えてましたので。
礼節・黙想・練習・試合も重複関連性はあると思いますが、全て稽古 う〜ん ・・・・

親馬鹿一刀流さん

<未熟剣さんがお考えの事は試合に出場する年齢層、修行年数、個人戦、団体戦
大会の規模の違いで変わるのではありませんか?

当然変わります。私はどんな試合でもそれぞれに勉強になると考えてます。

<私は剣道の目的と目標という事を良く書きます。
試合は目標です。目標は大事です。目標のために厳しい稽古をする、自分を律
する。でも私は試合を剣道の目的にはしていません。

私が剣道の目的を試合にしているかのような印象がいけませんでした。
試合は大切なこと、必要不可欠なことと考えてます(試合は感動を呼びます)
「試合=勝敗」もそうですけど、私は「試合=勝敗」ではありません。
剣道修行に試合は「ホンの一部」とは考えられないことです。

<剣道という大きな円の中の一部に試合があり、昇段審査がありますが全てでは
ないです。それ以外の面積の方が大きいと思っています。
 
「山」のたとえよりわかりやすいです。山の場合、頂上はなんなのか?
面積の大小?は、わかりません。すみません。

おっしゃるとおり、私は試合に拘っているのではないのです。試合は大切なこととしているのです。
最初の単純な疑問は「ホンの一部」ならなんで試合するの?です。
「ホンの一部」ならたまに見るだけでもいいのです。
現実には試合なしの指導をできるわけないのですから(してもないのにできるとは如何にです)
指導者自身試合経験者じゃないですか。この地点で試合なし指導なんてできてないのです。
試合経験をみなさん生かしてるのではないですか。極端なことを言ってるのでなく
現実のことを、そのまま言っているのですが・・・


*スレ違いに走りすみません。
[2005/10/19 21:50:22]

お名前: Hide.    URL
to 目から鱗さん

試合も「自分を磨く場」「試し合う場」ですから、稽古の一環です(^^)
審査もしかり。
特別視することはありません。

技術的な稽古にも、「切返し」「打ち込み」「かかり稽古」「地稽古」とさまざまなもの
がありますが、みなそれぞれに目的と目標が異なります。それらを明確にしながら指導し
ていくことこそ、効果的な指導法といえるはずです。
学んでいく場合も同じですね。

そういった観点からいくならば、「稽古は試合のように、試合は稽古のように」といった
場合の「稽古」は狭義に使われているってことが理解できます。
けっして対極にあるものではありませんからd(^-^)!
[2005/10/19 06:55:54]

お名前: 目から鱗   
Hide.さんへ

目から鱗の一言
「礼式」「基本練習」「応用練習」「試合」= 「稽古」

以上の観点を得て、全てが解決です。
試合と稽古は別のものと多くの親が考えているとおもいます。
これなら説明がつきますし、説明できます。
ありがとうございました。
[2005/10/18 10:46:05]

お名前: Hide.    URL
To 未熟剣さん

>私は、「礼式」「基本練習」「応用練習」「稽古」「試合」など、
>それぞれに違いがあるイメージがありました。
>hideさんのいう「稽古」が全て?のようなイメージでは考えづらかった次第です。

私とは「稽古」のとらえ方がまったく違うってことですね。
私はそれら全部をひっくるめて「稽古」ですから(^^)
[2005/10/18 08:56:40]

お名前: 親馬鹿一刀流   
未熟剣さん
>「試合=勝敗」ならどんな場所どんな相手どんな試合でもたいして関係なく
「勝った、負けた」だけじゃないですか。
自分が全日本選手権に参加しなくても凄いものを感じ取ると思います。
自分が剣道をしなくとも子どもの試合でどんなローカル試合でも一喜一憂しませんか?
これらが剣道において「ほんの一部」と思えないからです。

仰りたい事は分ります。
未熟剣さんの考えに賛同する面も多々ありますので、否定するつもりはありませ
んがそれでも私が考えますのは試合は「ほんの一部」です。

未熟剣さんがお考えの事は試合に出場する年齢層、修行年数、個人戦、団体戦
大会の規模の違いで変わるのではありませんか?

私も試合の効果を認めています。
どんな小さな大会でも大きな大会でも、勝敗以外の面で素晴らしいと感じる試
合は多くあります。

また自分が指導した子供達が試合で活躍すれば私も一喜一憂します。親心です。
特定の大会で優勝すればもちろん誉めますが負けてもけなしません。
よく言われる勝ったのは子供の手柄、負けたのは指導者の責任ですから。
厳しい稽古をしたのは子供達、試合をしたのは子供達、勝ったのは子供達の手柄、
自分達はただの応援者であるという事を親御さん達にも忘れないでもらいたいです。

私は剣道の目的と目標という事を良く書きます。
試合は目標です。目標は大事です。目標のために厳しい稽古をする、自分を律
する。結果自己を高めるというプラスの効果はあります。
でも私は試合を剣道の目的にはしていません。
剣道という大きな円の中の一部に試合があり、昇段審査がありますが全てでは
ないです。それ以外の面積の方が大きいと思っています。


決して未熟剣さんのお考えを否定するつもりではありません。
そういう考えもあるかと思っていただければ幸いです。
[2005/10/18 01:59:43]

お名前: 目から鱗   
親馬鹿一刀流さんへ

>剣道で教える人及び、学ぶ人を応援する人。
>剣道で学ぶ人を応援される立場ですね。

以上、目から鱗の一言に追加させていただきます。ありがとうございます。
自分でも気づかなかったです。私のやっていること、私がやりたいことは
これななんだと。感激です。
もうひとつの目標は、息子の面を切り落としできること。
あの世でも練習するゾ〜。
そろそろ復帰したいな。57歳。どうしよう?

Hide.さん 切り落とし教えてくださいよ〜。
[2005/10/17 12:47:26]

お名前: 未熟剣   
hideさん
<また、「座礼」や「切返し」は試合では行いませんが、お稽古では一般的に行なわれてま
すね(^^)
前にも言いましたように「座礼」は礼式なので「稽古」とは別と考えてました。
稽古前、稽古後(試合前後)など、稽古とは別で、「礼式」じゃないのかと・・・

私は、「礼式」「基本練習」「応用練習」「稽古」「試合」など、
それぞれに違いがあるイメージがありました。
hideさんのいう「稽古」が全て?のようなイメージでは考えづらかった次第です。

左右面(胴)の連続は「切返し」と思ってました。

下記説明は「試合=勝敗」でいうと同じ意味で理解しづらいのですが?

<そこを打突するという約束に基づいて構築されたのが「試合」でして、試合の目的は「お相
手から一本を奪う」ということを競い合うものです。

<そこを打突するという約束に基づいて構築されたのが「勝敗」でして、勝敗の目的は「お相
手から一本を奪う」ということを競い合うものです。

親馬鹿一刀流さん

「試合」の考え方は同じです。それ意外にも試合レベルによりますが
「お披露目の場」「歴史」「社交」「お揃いの防具胴衣」「観客」等 多くの要素が含まれています。
今、私が子ども時代から現在の試合を思い浮かべても「勝敗」はもとより会場の雰囲気など、他にもイロイロ
思い浮かべます。「試合=勝敗」ならどんな場所どんな相手どんな試合でもたいして関係なく「勝った、負けた」だけじゃないですか。
自分が全日本選手権に参加しなくても凄いものを感じ取ると思います。
自分が剣道をしなくとも子どもの試合でどんなローカル試合でも一喜一憂しませんか?
これらが剣道において「ほんの一部」と思えないからです。
[2005/10/17 12:19:01]

お名前: Hide.    URL
To 未熟剣さん

>座礼はよく試合会場で見かけます。
>というよりこれも稽古なんですね。
>礼節・礼儀は稽古以前のことかと思ってました。

礼儀作法や所作もお稽古しなければ身につきません。
試合会場でできるのは、お稽古があってのことですね(^^)


>試合で切り返しができたらスゴイ!と思いますけど?
>連続の返し技・右面(胴)左面(胴)
>切り返しは試合で使わないだけじゃないのでは?

う〜ん、このあたりの意味がよくわかりませんが(^^;


>下記の意見は上記にあてはまらないと思いますけど?
> <試合は「=勝敗」ですよ(笑)
> 勝敗を競い合うのが試合です。・・・

なぜですか?
そこを打突するという約束に基づいて構築されたのが「試合」でして、試合の目的は「お相
手から一本を奪う」ということを競い合うものです。
矛盾はありませんが(^_-)~☆


>如何せん、子供は試合で規制されているため(特に中学の伸び盛り)
>これが、当てっこに宿る一部温床?にも感じます。(避けて当てての繰り返しで
>攻めがないような・・・)

試合に偏るから大切なことを見失ってしまうんです。
中学生や小学生は、試合から「三所よけがいけない」ということを学ぶことはできません。
それを教えるのは、稽古ですね(^^)
[2005/10/16 09:17:53]

お名前: 親馬鹿一刀流   
話題が随分進んでいまして、今更ながらなのですが、私も参加したく書かせて
いただきます。

目から鱗さん
剣道を実践する者として保護者の立場からのご意見ご考察は大変参考になります。
以前どこかで書かせて頂いているのですが、剣道を教える人、剣道を学ぶ人、
剣道を教える人及び、学ぶ人を応援する人。
更に剣道で教える人及び、学ぶ人を応援する人。
目から鱗さんは剣道で学ぶ人を応援される立場ですね。
>人間としてやっちゃいけないことは、剣道でもやっちゃいけない。という
結論に達しつつある。

その通りと思います。剣道のそういう効果を目の当たりにしているから応援で
きるのでしょうね。
これからも我々を応援してください。

未熟剣さん
試合に対する考え方は根っこの部分では皆さん同じ考えと思います。
剣道を稽古する目的、修行過程で試合に対する考え方は多少違っていて良いと
思いますし変わる物と思います。
未熟剣さんのお考えは勝敗に拘泥するのではなく、試合は精神的な物を含めて
稽古の成果を確認する重要な機会。
ただでさえ力を出し切れない試合で普段の稽古の成果を出し切れるかどうか。
試合で誰もが一本と認める打ちを出せるようになるために稽古をする。
だから試合は大事という事なんでしょう。賛同します。
私も試合は否定しません。
特に小中高校生にとっては稽古の糧となりますし。

ただし、剣道には一本取った取られた以外のものが多くありますよね。
例えば技前を楽しむ。攻め合いで心が動いたら打たれなくても負けたと思える。
打たれてお相手の技に対してニコニコできる。
あるいは打ちが外れてもお互いにニコニコできるなんてのもありますね。
これは第三者の判定だけでは見えない部分と思います。

山登りのルートは色々あります。
試合を多く行う事で技術・精神力を鍛えながら進むルート。
試合はないが、険しく厳しい道のりを進むルート。
ハイキングコースのように汗をかく事を楽しみながら時間をかけて進むルート。

色々ありますよね。
[2005/10/16 02:30:57]

お名前: 未熟剣   
hideさん
試合規則ではなく試合全般です。
はじめの、たとえがルールを用いたのがいけませんでした。
座礼はよく試合会場で見かけます。
というよりこれも稽古なんですね。
礼節・礼儀は稽古以前のことかと思ってました。
試合で切り返しができたらスゴイ!と思いますけど?
連続の返し技・右面(胴)左面(胴)
切り返しは試合で使わないだけじゃないのでは?

<面・小手・胴・突きという打突部位が先にあって、それを元にルールを整備したのが試合で
す。「まず、試合ありき」ではありませんよ(^^;

下記の意見は上記にあてはまらないと思いますけど?
 <試合は「=勝敗」ですよ(笑)
 勝敗を競い合うのが試合です。・・・


<*小学生にも突きのお稽古をさせています*
私も「突き」は大変重要なことと考えます。
如何せん、子供は試合で規制されているため(特に中学の伸び盛り)
これが、当てっこに宿る一部温床?にも感じます。(避けて当てての繰り返しで
攻めがないような・・・)
私自身、三所・四所避けとでも言うのでしょうか、カッコ悪い癖が
突きのないことをいいことに中学時代身についてしまった感じがします。
恥ずかしいことです。攻めることでなく、避けることを身に付けてしまった
次第です。
[2005/10/15 09:18:39]

お名前: Hide.    URL
to 目から鱗さん

なにやらお忙しくしておられるのですね!
目から鱗さんのお仕事はOC関連でいらっしゃいましたか。
新しい技術などがそれこそ日進月歩なんていっていられないスピードで生まれてきている
ようですので、勉強も大変なんでしょうね(^^;


>これでやっと息子と「理念」を共有できる。そう思うと今回勉強の機会を
>与えていただいたことに、深く感謝いたします。

少しでもお役に立ちましたのならうれしく存じます(^^)
[2005/10/14 06:26:35]

お名前: 目から鱗   
Hide.さんへ
今日は名古屋からです。「レビュー・テスト技術」のセミナーによばれています。
(一応講師なんです)
来週は岡山で「Javaの分析・設計」セミナーです。
私たちソフトウェア業界でも、世界標準、業界標準等取り決め事項があります。
しっかり勉強されて、導入されている企業さんもいらっしゃるのですが
知らないでシステム開発をされている企業さんも沢山おられるのです(苦笑)。
導入しなくても開発はできますが、一般にはしっかりした企業ほど
基本を大切にされますし、標準文書の解釈も、現実の行動も正確です。

「品質はプロセスの中に組み込め」、この一言を伝えるために全国を
飛び回っています。
良い結果は、良いプロセスがあって始めて実現可能です。

ただ、このサイトにくる前の私自身がそうであったように
剣道の理念とか、心構え等々は突き詰めて考えたこともありませんでしたし
その定義文章から、子供の剣道をみることはできていなかったと思います。

これでやっと息子と「理念」を共有できる。そう思うと今回勉強の機会を
与えていただいたことに、深く感謝いたします。
ありがとうございました。
[2005/10/13 22:16:45]

お名前: Hide.    URL
To 未熟剣さん
試合規則にあることばかりを稽古しているわけではありませんよ。
たとえば愚息の通う剣友会では、小学生にも突きのお稽古をさせています。
これは試合では使えませんが、「剣線をしっかりとお相手に向ける」という「剣理」を学
ぶために行ないます。

また、「座礼」や「切返し」は試合では行いませんが、お稽古では一般的に行なわれてま
すね(^^)

面・小手・胴・突きという打突部位が先にあって、それを元にルールを整備したのが試合で
す。「まず、試合ありき」ではありませんよ(^^;


To 眼から鱗さん
「稽古のための稽古ではいけない」と子どもたちには指導します。では「試合のための稽古
なのか?」と問われると、そうではありませんね(^^;
苦しくつらい稽古に絶え、自分を鼓舞し頑張りぬくというプロセスが、「人間形成への
道」につながっていく。剣道そのものも一つのプロセスなんです。
おっしゃるとおり、試合は「中間目標」たりえますね(^^)
[2005/10/13 08:50:30]

お名前: 目から鱗   
剣道の理念

「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である。」
この一文によれば、目標(人間形成)とそのプロセス(剣の理法の修練)
と解釈できます。
(今回は理念の観点からの考察は省きま)
さて、目標とプロセスという観点からすると「試合」があっての「稽古」
なのでしょうか。もしそうだとすると「試合」が中間目標となる可能性が
でてきます。上の文の解釈はそれで正しいのでしょうか。
個人的には、定義文を正しく解釈すること、定義文に従って指導すること
このポイントで意見が分かれること自体、現代剣道の問題点と断じざるを得ません。



剣の理法の修練
[2005/10/12 19:05:02]

お名前: 未熟剣   
hideさん
やはり「試合=勝敗」なんですね。
私は先に言うように「試合=勝敗」ではありません。
同じ事言いますが、勝敗を決めるなら何も「試合」というルールや場所設定など不要だからです。
「剣道の試合」だからこそ剣道の剣術・礼儀作法の稽古をするものと考えてます。
これらによって「人間形成」へ繋がると思います。
たとえば試合ルールに「脛打ち」があれば「脛打ち」の練習をするかと思います。
試合で「蹲踞の構え」が無くなれば稽古でも「蹲踞の構え」は無くなると思います。
普段稽古で試合にないものを練習してますか?
[2005/10/12 13:00:12]

お名前: Hide.    URL
To 未熟剣さん

>「稽古があり試合がある」に集約させている印象を受けました。
>私は「試合」があり稽古があるです。

おっしゃるとおりです。
稽古という大きな土台があってこその試合です。
稽古せずして試合してもいい結果は得られない。「試合が目標」であったとしても多くは稽
古で積み上げていくもの。
試合はカンフル剤か香辛料みたいなものなんじゃないですかね(^^)
[2005/10/12 09:09:43]

お名前: 未熟剣   
hideさん
<たとえがよくわかりませんでしたが、まぁ、同じ山を見ながら、見ている角度が違ったってことですね(^^)
変なたとえをすみません。(私は、たとえはへたです)
学校は勉強するのが本業、催し物などほん一部のとらえ方です。
山のたとえは私は理解できないところです(すみません)

hideさんほかの方々の意見回答を得るうち感じたところです。。
「稽古があり試合がある」に集約させている印象を受けました。
私は「試合」があり稽古があるです。


『親として』タイトルにはかけ離れすみません。
[2005/10/11 18:15:59]

お名前: Hide.    URL
to 未熟剣さん
>そのとおりです。これは私が指導者でないため、と感じます。
たとえがよくわかりませんでしたが、まぁ、同じ山を見ながら、見ている角度が違ったっ
てことですね(^^)


to 目から鱗さん
少しでもお役に立ちますればうれしく存じます。
それにしても、目から鱗さんの研究熱心なのには驚きますよ(^^)
[2005/10/10 07:54:36]

お名前: 目から鱗   
未熟剣さんへ

本当にありがとうございます。
本来なら私が、未熟剣さんの役割をしなくてはならないところなのですが。
(すみません)
お陰さまで学びの機会を与えていただきました。
ただ、書き込み数も多く、内容が濃いので、消化するまで今しばらく時間を
下さい。
試合に対しては、(親として)人間形成の観点からしっかりした考え方を
身につける必要があると感じています。

以下は試合について私が基準としているないようです。
(Hide.さんの試合観で別のところで書かれております)

>試合は非常に重要です。とくに、剣道修業の初期から中期にかけてなくてはならない>ものだと考えます。
>試合の効用ですが、
>1.真剣に相手と対峙する意味と方法を学ぶことができる
>2.自分の心との葛藤を味わい克服する道を知る
>3.技術上の欠点・弱点を身をもって知ることができる
>4.上には上がいることを悟り、努力(稽古)の大切さを知る
>5.心映え正しく戦うことが「剣理」に適う道であることにたどり着
>  く

Hide.さんへ
私たち親に対する、誠心誠意の、毎回の回答本当にありがとうございます。
しばらく時間をおいて思慮してみたいとおもいます。
[2005/10/09 20:34:28]

お名前: 未熟剣   
目から鱗さん

<剣道の理念の定義について再度確認していただくようお願いします。
 剣道を通じての「人間形成」のことと理解します。
 そこでで試合論争に走ってしまいました。(すみません)  
 
hideさんの説明で
 <未熟剣さんも私も、試合には同じような価値を認めているんです。
 <でも、そのウエイトの感じ方に差異があるってことですね。

 そのとおりです。これは私が指導者でないため、と感じます。
 学校生活で言えば、林間学校、修学旅行、運動会、
 文化祭感覚だったのかもしれません?
[2005/10/09 19:50:21]

お名前: Hide.    URL
そうですね、途中から「試合論」のようなことになってしまいました(^^;
「脱線は掲示板の醍醐味」とはいいながらも、失礼をばいたしましたm(_ _)m

トピ主さんの意向に添う方向に話を修正していきましょう!
[2005/10/09 06:53:37]

お名前: 目から鱗   
この板を立てたものが、途中から引いてしまった感がありますが
はっきり言って、各発言を読み、理解し、まとめている間に
次の発言があって、ついていけません。私のように、実際には剣道も試合もしたこと
は無いが、真剣に各発言を学ぼうとしている親もいます。
質問者は、論点を絞ってください。複数の質問が同時になされ、長文となっています。
質問の1つ1つは、親として、一度考えてみる重要な項目と受け止めています。
それらについて、Hideさんの考え方をお聞きできることも楽しみの1つです。

剣道の理念の定義について再度確認していただくようお願いします。
各個人の意見も貴重ですが、剣道に携わる人間にとって
誰にも共通な「理念」「心構え」を中心にすえていただければ幸いです。
[2005/10/08 22:55:26]

お名前: Hide.    URL
To 未熟剣さん

>稽古では、私の場合いくら自身で試合感覚を持ったとしても
>どこか妥協したり、意地になったり、また、相手の方も同様な部分がでてきたり・・・で
>恥ずかしいところです。いい例が鍔競り時の真剣さがありません。
>また、自分より強い弱い(子ども・若い人・年配・男女等)で、
>気持ち・稽古が変わってしまいます。普段の稽古では馴れ合いがでてしまいます。 

う〜ん、稽古でも十分緊張感を維持させることは可能なんですがね。
子どもの場合も同様ですよ。
こちらが緊張感を持続させるように働きかけを怠らなければ、子どもはダレません。
剣道そのものがすでに「非日常」なんですから(^^) 

ゆえに、「緊張感・精神状態」でしたら、試合に頼らずとも大丈夫といえるでしょう(^^)


>hideさんのおしゃるとおり一定のルール、徳目が身に付く、があるから試合なる気がし
>ます。

稽古でできないことは試合では絶対にできません(^^)
ルールや徳目は、稽古の中から身につけ、試合で実践したしかめるものでしょう。
そうした意味からも「お披露目」という考え方はGOODです(^0^)


>「勝つことを」求めていると相手が「まいった」を言っても本人が
>「勝ったこと」を納得しなければ徹底してしまうところがあり、
>また、相手も負けを認めず「まいった」と言わない場合です。
>「勝つことを求める」に少なくとも状況設定があるのが試合かと思います。

そういう状況がお稽古で起こったなら、とことんやり合えばいいだけです(^^)
元々格闘技ですから、お相手を屈服させるまで戦い抜く競技です。
その中から、「お相手を敬い、認め合う」という精神も生まれてくるわけでして。
試合という状況設定がそれをさせるのではありませんd(^-^)! 


>「しか」は見落としてません。この場合の断定した言い方がへんに感じてしまいました。
>「しか」は「試合=勝敗」の意味かと思います。

そういう意味で使わせていただきましたが、ふつう「試合を目標に」といった場合、そのニ
ュアンスで「試合」という単語を使いますよね(^^;
試合に出場する選手は、「審判・会場設営・運営・役員ほか様々なものの集結の結果」な
んて考慮してません。「自分がお相手に集中すること」だけしかないんですよ(^_^ メ)


>「試合=勝敗」で「勝つこと」ことを求める試合ならこんな状況設定やマナーは不要に
>ちかいかと思います。

そういう団体や学校、選手が増えてきているのが、「試合偏重」といわれる昨今の現状でも
ありますね。


>試合をしなければわからないと思います。

何度も申しておりますが、試合を全否定しているわけではありません。
試合を体験して、自分の甘さに気がつく。そういう使い方をしたいものですし、その程度
のものです。試合ばかり積み重ねても、技量もアップしませんし強くはなれませんよ。
もちろん、「勝ち上がるたびに強くなる」なんて事もないことはありませんが、特殊な場
合ですね(^^)


>hideさんのいう心栄えの正しい剣道を試合という舞台で、できるかです。普段の稽古で
>はできても、環境の変わった状況で
>できるかで、試合という舞台は最適ではないかと考えます。当事者や身内意外の人にも
>認めてもらえる機会とも思います。

未熟剣さんも私も、試合には同じような価値を認めているんです。
でも、そのウエイトの感じ方に差異があるってことですね。
まぁ、あとは個人の考え方の差ですかね(^^)


>剣道を山に例えるなら誰でも最低登りますよね?
>試合がホンの一部でもかならず関わるところという感じでした。

まったく関わらないで登るルートだってあるってことも理解していただければと存じます(^^)


>簡単に言えば13〜18歳と、43〜48歳で習事した場合かなり違うと思いますけど?
>剣道では変わらずですか?

剣道に関わる密度の違いはいかんともしがたいものがありますし、人生において一番身体
が動き心が成長する時期の3年と大人の3年は同じではありますまい(^^;
試合も彼らに取りまして大きな学びになるでしょうが、それを支えるのは日常の稽古です。
稽古なくして試合はありえません。
試合は彼らの3年間にしても「大きなイベントではあるが、ほんの一部」です。試合をさせ
るために稽古をしているわけではありません。彼らに剣道をされるために試合をも利用し
ているだけですから(^_-)~☆
[2005/10/08 09:14:56]

お名前: 未熟剣   
to  hideさん
たくさん勉強になりました。有難うございました。

>ちなみにお尋ねしますが、未熟剣さんがお考えになる「試合は必要不可欠」とおっしゃる
 理由にはどのようなものが挙げられますでしょうか?

 私のような中年の趣味的剣道好きにはおこがましいですが
 「緊張感・精神状態」です。
 稽古では、私の場合いくら自身で試合感覚を持ったとしても
 どこか妥協したり、意地になったり、また、相手の方も同様な部分がでてきたり・・・で
 恥ずかしいところです。いい例が鍔競り時の真剣さがありません。
 また、自分より強い弱い(子ども・若い人・年配・男女等)で、
 気持ち・稽古が変わってしまいます。普段の稽古では馴れ合いがでてしまいます。 
 
>剣道は「如何に一本を打つか」という競技です。その一定のルールの元、それが単なる殴
>り合いにならないようにするための付帯事項がたくさんつけられている。それを守り精進
>する中から「剣徳」といわれるようなさまざまな徳目が身についてくる

 hideさんのおしゃるとおり一定のルール、徳目が身に付く、があるから試合なる気がします。
 
>試合は「勝つこと」を求めて2人が対戦するものです。その中で、優劣がついた場合に「勝っ
>た選手」「と「負けた選手」が出てきます。しかしながら、ルール上時間内に優劣がつかなか
>った場合、「引き分け」となる。 ただそれだけですが。
  
 hideさんのいう「試合=勝敗」で考えると、
 「勝つこと」を求めていると収集がつかなくなるからです。
 「勝つことを」求めていると相手が「まいった」を言っても本人が
「勝ったこと」を納得しなければ徹底してしまうところがあり、
 また、相手も負けを認めず「まいった」と言わない場合です。
 「勝つことを求める」に少なくとも状況設定があるのが試合かと思います。
 
 hideさんのいう「試合=勝敗」が私自身理解していないことかもしれませんし
 過去、試合における審判の影響もかなりあると思います。

>そんなことは申しておりません。「試合しか目標にできない指導者は」と書かせていただ
>きました。「しか」を落とさないで下さい(^^;
 
 「しか」は見落としてません。この場合の断定した言い方がへんに感じてしまいました。
  「しか」は「試合=勝敗」の意味かと思います。
  試合はトータルな場所の意味も私にはあります。
  試合は、程度の差はあれ、審判・会場設営・運営・役員ほか様々なものの集結の結果できるものと思います。
  また、いいものを見たいという欲もあります。
  選手が勝敗を競うのは当然です。しかし、酒臭い人間がいた場合でも参加してる試合もあったりしました。
  試合という舞台(お披露目の場)に参加する以上は最低マナーはあると思います。
  「試合=勝敗」で「勝つこと」ことを求める試合ならこんな状況設定やマナーは不要にちかいかと思います。    

>剣道形の試合っていうのも近年増えているのはご存知ありませんか?

 「日本剣道形」の試合があるというのは聞きましたけど聞いた程度です。すみません。わかりません。

>「稽古は試合のように、試合は稽古のように」を実践する以外にはありません。

  試合をしなければわからないと思います。

>お披露目っていう考え方は悪くありませんよヽ(^.^)ノ
 私も小学生や中高の掲示板で、「勝ち負けよりも、いい試合ができるようにベストを尽くし
 ましょう」ってアドバイスをいたします。心栄えの正しい剣道を「お披露目する」ってい
 うのは素敵ですね(^0^)
 そんな風に考えてあげるのは「いい試合のとらえ方」だと思います。

 私の試合に対しての考えが少しでも理解されて有難く感じます。だから試合は必要なんです。しつこいようでスミマセン。
 hideさんのいう心栄えの正しい剣道を試合という舞台で、できるかです。普段の稽古ではできても、環境の変わった状況で
 できるかで、試合という舞台は最適ではないかと考えます。当事者や身内意外の人にも認めてもらえる機会とも思います。
 「試合」で「勝ちを」求めるのは当然です。求められなかった場合「価値」を得てもいいかなと思います。
  試合に参加すれば、また一段と磨かれていくものがあると思います。


 山の例えは私が曲解してました(理解できないでした)今でも山の例えは難しくわかりません(すみません)
 頂上が1つしかないからです。剣道を山に例えるなら誰でも最低登りますよね?
 試合がホンの一部でもかならず関わるところという感じでした。

<子ども時代の剣道が、その中のホンの一部分である事は間違いありませんよね?

 これは時間で考えればそうですが、人生における子ども時代はかなりでかい割合を占めることと
 感じてます。成長という大人では得がたい期間です。
 簡単に言えば13〜18歳と、43〜48歳で習事した場合かなり違うと思いますけど?
 剣道では変わらずですか?
 私はこれを「ホンの一部」と到底考えられません。「試合でも同じです」
 熟年者を突き放すように思われるようでは、いけませんでした。
 私は大人なら自分の意志があって当然と、認めているのですが・・・
 言い訳に感じますか?
[2005/10/07 19:58:45]

お名前: Hide.    URL
To 未熟剣さん

>●「勝負で勝って、試合で負けた」とか言いますけど、どいうことですか?

広義の捉え方と狭義の捉え方の違いですね(^^)
この言葉の意味は、「試合内容は向こうの方が良かったが、ポイントはこちらがうまく取
れた。けっしていい試合ではなかったよ」というときに使われる言葉でして、「試合=勝敗」
といったときの「試合」とは、ニュアンスが異なります。
こんな説明でご理解いただけますか?(^_-)~☆


> ●試合「=勝敗」なら試合での”引き分け”はどいうことですか?

??? よく、ご質問の意味が取れませんが(^^;
試合は「勝つこと」を求めて2人が対戦するものです。その中で、優劣がついた場合に「勝っ
た選手」「と「負けた選手」が出てきます。しかしながら、ルール上時間内に優劣がつかなか
った場合、「引き分け」となる。
ただそれだけですが。


>皆様はなんかだか「試合=勝敗」という図式のもとに剣道(稽古)してるように
>感じます)

ここも意味が取れませんね(^^;
剣道は「如何に一本を打つか」という競技です。その一定のルールの元、それが単なる殴
り合いにならないようにするための付帯事項がたくさんつけられている。それを守り精進
する中から「剣徳」といわれるようなさまざまな徳目が身についてくる。
ゆえに、「お相手に打ち勝つ」ということが剣道技能の中心を占めていることについては否
定するものではありません(^^)


>●「残酷」どのようなことを試合で体験されたのでしょうか?

どんなにいい試合をしたとしても、負けは負けですね。
また、審判の差し違えやミスジャッジであっても、結果しか残らないってことです。
これは剣道に限ったことではありませんが。

また、剣道の勝負の残酷さは、格闘技である点です。同じ6年生でも、130センチの子と170
センチを越える子が試合をしたとします。けっこう眼を覆いたくなるような試合になるこ
とがありますね。だからといって、小柄な選手にハンデを与えるでもなく、負けは負け、
勝ちは勝ちです。

こうした場面で、敗者にしっかりとフォローしてあげるのが、指導者であり父母の役目に
なります(^^)


>●恥ずかしながら「その中にも心栄えを表現」
>の意味がわかりません。剣道試合で言うなら具体的にどゆうことでしょうか?

「勝負に勝って試合に負けた」ということのないように戦うってことですね(^^)
上記したとおり、剣道では「如何に打つか」という過程も大切なんです。
スポーツとの違いはここですね。
スポーツでは、反則ぎりぎりのプレーで得点のした場合「ファインプレー」と称されますが、
剣道では違います。「如何に基本に忠実に正しく戦ったか」が評価され、それで勝った場
合に「素晴らしい」といわれる。
これが「心栄えを正しく戦う」ってことです。

しかしながら、これまた前述したとおり、「心栄え正しく戦った」としても負けてしまえ
ば、残るのは「負けた」って結果だけなんです。ゆえに「勝負は残酷」なんですね。
勝負から学べることが多い反面、勝負に偏ってしまうと、剣道として大切なことを見落と
してしまいがちになるってことを私は懸念しているわけでして。
ご理解いただけますでしょうか(^^;


>●試合での緊張感・精神状態を稽古で教える(得とく)にはどうしたらいいのでしょう
>か?

そうですね、これは大人にも難しい事ではありますが、「稽古は試合のように、試合は稽古
のように」を実践する以外にはありません。

よく、掲示板の質問で、中高生から「強豪校とそうでない学校の稽古メニューの違いを教え
てください」と聞かれますが、稽古メニュー自体はそう変わりがないんです。
大きな違いは、モチベーションとテンションです。常に試合の場面を想定しながら基本打ち
をしているのと、「稽古のための稽古」になっているのとでは、同じメニューをしていても雲
泥の差があります。

子どもの稽古に関しては、指導者が常にそういう意識を高めるべく努力をしていかなけれ
ばいけません。安きに流れるのは、子どものほうがずっと簡単ですので(^^;


>これは本人が稽古でも試合でもモチベーションを高める1つの方法ではないかと考えま
>した。例えば「悔しかったら勝ってみろよ」はいけないことですか?

「紙一重」ですね(^^;
私はそんな手法はとりませんし、そんな態度を出そうものなら激怒します。
それがプラスに行くように指導できればいいんですがね。
多くの場合、「井の中の蛙、大海を知らず」ってことです。
全日本選手権で優勝できたとしても、日本一強いわけではありませんのでd(^-^)! 


>すみません。親子(大人・子ども)というところで想定外でした。
>熟年の試合数のことを申してるわけではありません。

それでしたら、私が剣道を山にたとえたことに対しての反論なさったことはいささか的外
れってなのではありませんか?(^^;
私は剣道全体を大きな山にたとえた。そうは読み取れませんでしたか?
子ども時代の剣道が、その中のホンの一部分である事は間違いありませんよね?
他の方も、剣道修行の過程の中で、若年層には「試合」はある程度大きなファクターになると
お認めになっておられる方もおられます。私もそうですし(^^)

どうして、そのたとえ話の中の「試合はたいした位置の違いではない」にだけ反応された
のでしょうか??(^^;


>礼儀・躾なら、何も剣道でなくとも ほかにもたくさん習い事はあります。

おっしゃるとおりです。しかし我々は剣道指導者です(^^)

剣道の理念にも「剣道の理法を通じての人間形成の道である」と謳われている以上、その
方向性に向かって指導するのが指導者の勤めです。
そも、竹の棒を振り回す技術を学んだところで、社会に出てなんの役に立ちましょう?
「剣徳」といわれる徳目(しつけを含めた部分)をも含めて学ばせる事ができなければ、青
少年に剣道を学ばせてもたいした意味を持ちません。


>●「剣術指導」(竹刀競技)をしておきながら「ホンの一部分」(試合)に参加するの
>はなぜですか?

前述した通り、若年層には「学び」となることが少なくないわけですし、実際「そこに試合が
あるから」参加するっていうのもありましょう(^^)
指導者同士には様々なお付き合いもありますし、当然剣道連盟にも所属してます。
一切とお付き合いを断つ事は難しいでしょうね(^^;


>●「(試合=勝敗)に拘らない」なら「剣道形や居合い」だけでも充分じゃないですか?

極論ですがお答えしましょう(^^;

剣道形の試合っていうのも近年増えているのはご存知ありませんか?
日本武道館で行なわれる全剣連主催の子どもの全国大会では、基本練成の判定試合も行
なわれております。
まったく試合を行なわない道場も国内にいくつもあるんですよ(^^)
私のところでは、廻りとのお付き合いもあり踏み切れませんが、大会は「選んで出す」ってい
う事をしています。


>●指導者は「試合=勝敗」に拘らないのなら、なぜ試合のときに選手と同じ場所から応
>援しているのですか?

応援などしていいという事にはなっておりません。
応援している監督はたくさんおりますが(-_-)

ローカルな試合では黙認されてますが、全国大会などではきちんと規制(?)されますよ(^^;


>●試合が「ホンの一部」「試合=勝敗」に拘らないなら
> 中学・高校なら3年に1回程度で試合(練習試合なら尚結構)して、勝っても1回で
> 終わらせてみてはいかがですか?
> これなら剣道における試合「ホンの一部」体験したことになるかと思います。

どうして極論にお走りになるのでしょうか?(^^;
そんなことをしなければならない理由がわかりませんね。
年に数回の試合に出たとしても、剣道という大きな山の中から見れば本の一部分にしかす
ぎません。1回なんて限定の仕方をされること自体「謎」ですし不自然なご質問です。

ちなみに、学校教育における部活動の活動目的はなんだかご存知ですか? 運動競技においては、
学校の看板を背負って他校と対外的に戦いあう事です。これは、剣道であっても
変わりありません。
残念ながら、これがあるために剣道においても「試合偏重」といわれる土壌を増長させてお
りますが(^^;


>●小学生あたりは「試合=勝敗」になっていないものが多数見受けられますけど「試合
>=勝敗」をするのはなぜですか?。(しかも各道場・クラブなど試合数も多いです)

これに関しましては、上にお答えしましたから省きますがよろしいですよね(^^)


>私見ですが、中高大でも、いい成績を出した指導者は
>やはり、過去 本人もかなり試合に関わっていた方が多いと思います。  

そして、そういう方はご自身の基礎もしっかりしておられますし、基礎の指導もないがしろ
にはされてませんd(^-^)! 


>●ルール・マナーは当然ですが「大会めざしガンバロウ」と言うのは、力のない指導者
>ですか? 

そんなことは申しておりません。「試合しか目標にできない指導者は」と書かせていただ
きました。「しか」を落とさないで下さい(^^;

身近な目標の設定は、子ども達のやる気(モチベーション)を高めるのに効果があります。
子どものニーズに合わせ、指導者側も臨機応変に目標を設定してやれるのがいい指導者で
しょうね(^0^)


>女子高生じゃないですけど、
>「ズルイーッ! hideさんだってたくさん試合でてるじゃーん」(絵文字できません)

小学生の頃から、それは数え切れないほどの試合に参加させていただきました。自分の意
志ではありません。道場や学校からかってにエントリーしていただけです。
日本一にこそなりはしませんでしたが、惜しいところまで入ってるんですよ。
でも、その中で感じた事は、「試合で勝つ事なんかたいした事じゃないんだな」ってことで
す(^_-)~☆

私は「勝ちを期待される選手」でした。2−0で勝ってあたりまえ。一本勝ちや引き分けで
は周りが納得してくれませんし叱られました。小学生の頃から、それこそ毎日泣きながら
稽古してましたよ。大学卒業するまでずっとです。
さすがに逃げ出したくなった事が何度もありましたけどね。
むろん、そんな経験が今の私を作って熟れているわけですから、感謝しています。
でも、もう少し違うアプローチがあるはず・・・っていうのが今の私の考え方の基盤にな
っていますね(^^)


>●指導者なら指導している子どもの成果(自身の指導力)を知りたくありませんか?

指導者であれば、試合に依存しなくても子どもの成長を感じる事ができます。
親は・・・ムリでしょうね(^^;

お披露目っていう考え方は悪くありませんよヽ(^.^)ノ
私も小学生や中高の掲示板で、「勝ち負けよりも、いい試合ができるようにベストを尽くし
ましょう」ってアドバイスをいたします。心栄えの正しい剣道を「お披露目する」ってい
うのは素敵ですね(^0^)
そんな風に考えてあげるのは「いい試合のとらえ方」だと思います。

でも、勝ち負けは必ずついて回るってことはお忘れなく(^_-)~☆


ちなみにお尋ねしますが、未熟剣さんがお考えになる「試合は必要不可欠」とおっしゃる
理由にはどのようなものが挙げられますでしょうか?
できるだけわかりやすく、簡潔にお答え願えればと思いますm(_ _)m
[2005/10/05 14:11:49]

お名前: 未熟剣   
to hideさん 皆様
貴重な意見有難うございます。(勉強になり、改めて考えられさせます)
指摘があったとおりスレ違いになっている部分がありますがよろしくお願いします。
●が理解できないところです。たくさんありますが、ご教授よろしくお願いします。
私が最初、反対意見を述べたのは「剣道における試合はたいした位置でない」
               「ホンの一部」ということからです。
私はそんなことはない。と考えています。試合は大変大きく意義のあることと思います。
まして「試合=勝敗(勝ち負け)」などと考えてません。
以下指摘されたところを考えました。 


>試合は「=勝敗」ですよ(笑)
>勝敗を競い合うのが試合です。
  辞書にあるような模範解答有難うございます。
 ●「勝負で勝って、試合で負けた」とか言いますけど、どいうことですか?
  ●試合「=勝敗」なら試合での”引き分け”はどいうことですか?
 私は「試合=勝敗」ということでは理解できません。
 皆様はなんかだか「試合=勝敗」という図式のもとに剣道(稽古)してるように
 感じます) 
 
>「勝てば官軍」といわれるように、勝ち負けが絶対です。ある意味、すごく残酷な世界な
>んです。
 ●「残酷」どのようなことを試合で体験されたのでしょうか?
  さしさわりのない程度でよろしかったら教えてください 

>その中にも心栄えを表現できるように戦うことが求められてますがね(^^)
 ●恥ずかしながら「その中にも心栄えを表現」
  の意味がわかりません。剣道試合で言うなら具体的にどゆうことでしょうか?

>ふだんの稽古でしっかり教えていってあげていれば、ことさら試合に頼る必要もないと考
>えますが(^^)
 私は稽古では剣道における「剣術・礼節」と考えてました。すみません。
 少し前ですけど試合に久しぶりに出させて頂きました。試合での緊張感・精神状態は
 普段の稽古とまるっきし違います(私だけ?)
 ●試合での緊張感・精神状態を稽古で教える(得とく)にはどうしたらいいのでしょうか?

>う〜ん、あいかわらずよく意味が取れませんが、そもそも試合に勝ったくらいで「俺はス
>ゴイんだ」って思うこと自体、試合をゆがめてとらえてしまっていますので支持できませ
>んね(^^;
 天狗」の意味は「俺はスゴイんだ」を自慢しているところです。(上手く伝わらず、すみません)
 これは本人が稽古でも試合でもモチベーションを高める1つの方法ではないかと考えました。
  例えば「悔しかったら勝ってみろよ」はいけないことですか?

>それは洞察が浅いですね(^^;
>熟年剣士のかなりの数は、大人になってから剣道を始めた方なんですよ。
>そうした方々は、試合以外の部分に楽しみを求めてお稽古されてます。
>「当人以外わかりません」という突き放しではなく想像力を働かせていただきたいもので
>すね(^^)
  すみません。親子(大人・子ども)というところで想定外でした。
  熟年の試合数のことを申してるわけではありません。

>アハハ、もちろんありますよ(^o^) 
>試合なんかしなくたって、子どもたちのモチベーションを高めて稽古させることは可能で
>す。子どもに礼儀作法や人間としての生き方を教えることは、たいへん難しく時間がかか
>ることなんですよ。
>今の子どもは家庭でのしつけがあまりできておりませんし、集団生活もうまくない子が少
>なくありません。「返事・挨拶・素早い行動」などから、言葉遣い、下足のそろえ方、先
>輩や後輩との接し方、お世話してくださるご父母の皆さんとの係わり合い方などなど、生
>活面だけでも項目を上げればキリがありません。それ以外に、「礼法・所作」などがあり、
>それらの意味も教えなければいけません。稽古が終わったあとには、全体に対して講話を
>し人間として生きていく力を涵養してやらなければなりません。個人的にもよかったとこ
>ろをしっかり褒めてやらなきゃいけませんし。
>こうしたことは、試合ではなかなか学べませんよね(^^)
 剣道を通して子どもの教育・躾のことと思います。
 試合で礼儀・躾を得ようというのではありません。
 礼儀・躾なら、何も剣道でなくとも ほかにもたくさん習い事はあります。
 稽古の大半は「剣術指導」(竹刀競技)じゃないですか?
 ●「剣術指導」(竹刀競技)をしておきながら「ホンの一部分」(試合)に参加するのはなぜですか?
 ●「(試合=勝敗)に拘らない」なら「剣道形や居合い」だけでも充分じゃないですか?
 ●指導者は「試合=勝敗」に拘らないのなら、なぜ試合のときに選手と同じ場所から応援しているのですか?
 ●試合が「ホンの一部」「試合=勝敗」に拘らないなら
  中学・高校なら3年に1回程度で試合(練習試合なら尚結構)して、勝っても1回で終わらせてみてはいかがですか?
  これなら剣道における試合「ホンの一部」体験したことになるかと思います。
 ●小学生あたりは「試合=勝敗」になっていないものが多数見受けられますけど「試合=勝敗」をするのはなぜですか?。
   (しかも各道場・クラブなど試合数も多いです)
 私の前回の質問(試合のない剣道指導)がいけなかったようです。すみません。 
 試合の問題から「教育・躾」になってしまいました。

>また、未熟剣さんは、基礎を軽くお考えではありませんか? 
>基礎をしっかり教えこむことは、試合に勝たせること以上に難しいんですよ。
>もっとも、基礎がしっかりしているからこそ、試合でもいい成績を修められるわけですが。
>強豪といわれる道場の子は、みな基礎がしっかりしてますものね(^o^) 
 「基礎を軽く考えている」と思われる程度の未熟ものです(反省)
 「強豪は基礎がしっかりしている」試合から得たとてつもなくでかい教えに思います。 
  私見ですが、中高大でも、いい成績を出した指導者は
  やはり、過去 本人もかなり試合に関わっていた方が多いと思います。  
 
>まぁ、試合しか目標に設定できない指導者は、私は力のない人だと考えていますが(^^)    
 ●ルール・マナーは当然ですが「大会めざしガンバロウ」と言うのは、力のない指導者ですか? 
 
>でもわたしは試合を全否定しているわけではありません。
>私自身試合は好きですし、試合で育ってきた人間ですから(^^;
  女子高生じゃないですけど、
  「ズルイーッ! hideさんだってたくさん試合でてるじゃーん」(絵文字できません)

>ただ、何度もいいますが、試合は剣道修行の中のホンの一部分であるってこと、この考え
>に変わりはありません。
  最初(何回か)、記したように私は「試合=勝敗」の考えではありません。
  勝敗(勝ち負け)だけなら、審判等は不要かと思います。
  (当人同士が一番わかるのですから)しかし これでは
  意地の張り合いになったりして、収拾がつかなくなったりするので
  「試合」になるのかなと考えます。
  試合は程度の差はあれ「剣道を知る者がいるお披露目の場」 かなと考えてます。
  ●指導者なら指導している子どもの成果(自身の指導力)を知りたくありませんか?
   親なら子どもの成長(成果)を知りたくありませんか?
   ようやっと竹刀を持てた子が、大会にでて、入場して整列(どこにいるのか気になりませんか?)
   試合がはじまってわが子の番、立会い礼式(ちゃんと出来るか気になりませんか?)
   審判の「はじめ」の声、一挙一動、 (目を離なすことがでがきなくなるのでは?) 
 
 私は「試合」は必要不可欠、意義ある大切なことと考えてます。
 
以上ながながですがよろしくご教授お願いします。:未熟剣:
     
[2005/10/05 10:21:57]

お名前: Hide.    URL
To 眼から鱗さん

>昨日、愚息と「スポーツ化する剣道」について話してみました。
>「おやじ、剣道はスポーツ化していない。確かにその一面もあるが
>少なくとも俺たちは、そう思っていない。(俺たちというのは、高体連の仲間らし
>い)」
>という返事でした。
>剣道に対する自分たちの今後の役割、あり方に対してしっかりとした
>意見をもっているようです。本当にうれしかったです。

はい、けっこうかと存じます。
また、未熟剣さんへのレスの中にあるご子息のお言葉も、たいへん立派なものですね。
頼もしく思います(^0^)


下の方で剣道を山にたとえましたが、「スポーツ化云々」の話も、彼らよりも少し高みか
ら見たときにそう見えるって話であって。彼ら自身は、教えられたとおり「剣道」をしてい
るんです。つまり、指導者の意識レベルが上がってきませんと、「勝利至上主義」と批判の
対象になる。
それは彼らまじめに「剣道」している人たちにとって耐えがたいことだと考えます(-_-)
[2005/10/04 09:14:17]

お名前: 和   
改行に失敗したみたいです。

読みにくくてすみません。
[2005/10/03 12:53:07]

お名前: 和   
TO 未熟剣さん

 現在、50才です。たぶん熟年の範囲にはいるのでしょう。スポ少で子供の指導に当たっている
1人です。年に2回程、地域の試合に参加しています。「熟年剣士の楽しみ」について話題に上がっているので参加させて下さい。ただし、子供達に関わっている熟年剣士の個人的な意見として。

>段審査も楽しみかと思います。昇段がないと寂しくなると思います。
 個人差はあると思いますが、私自身は段審査は時期がきたら受けるものと考えています。段審査を受ける為に剣道をしている訳でもありません。1番は子供達の成長です。段審査を楽しみにしている方もいるかもしれませんが。

>熟年者の大半は過去試合経験者かと思いますけど、熟年者自体全体的に試合参加を敬遠してる>方が多いと思います。
>試合は経験済み飽きたのか、弱くなったのか?疲れるのか?何だか・・当人でないとわかりま>せん。
>このような結果かどうかわかりませんが熟年試合は少ないと思います。

確かに、試合に出る熟年剣士は少ないと思います。私の地域では大人だけの稽古会が少ないのもその一つの原因かと思います。子供が始めたので再開し、子供達と一緒にやっている方が大半です。仕事や家庭の都合でメンバ−を組むのもたいへんですし、3人で参加される団体もあります。

私達が「試合」にでる楽しみはなにか?それは、お昼に子供達や保護者の方と弁当を囲んで剣道の事や学校の事等、いろんな話をする事です。日頃の稽古時はなかなか世間話をする時間はありませんから。

もう一つは日頃剣を交える機会のない方たちとの交流(世間話)でしょうか。元立ちマシ−ンさんも書かれていますが、試合前、試合後に挨拶し、いろんな話をします。「試合=勝敗}より、こちらの方が楽しみです。

そして、試合参加メンバ−での「飲みにケ−ション」。飲みながらの「剣道談義」、これが「試合」にでる楽しみの一番かもしれません。たまに試合にでる熟年剣士の1人として「試合」について私感を述べさせて頂きました。

「経験済み飽きた、弱くなった、疲れる。」から試合にでないのではなく、「試合」をどういう位置ずけと考えるかだと思います。

最後に
>「試合」なんて、「わずかなこと、全てでない」と考えてる方「試合」なしで指導する自信は>ありますか?

少年剣道に携わる者として意見。「試合」の為に指導している訳ではありません。いろんな子供達がいます。子供達みんなの成長(剣道が強い、弱いという事ではありませんよ)を考えなければなりません。(試合にでる子は限られますから、みんな出してあげたい!)「試合」を目標とした場合、他のトビでも話題になるようにいろいろ弊害が出てきます。「試合」を軽視している訳ではありませんが、他にもやるべき事がたくさんあります。

この場(掲示板)も、私にとってはいろいろなご意見が聞けて、「楽しみ」の一つです。
[2005/10/03 12:48:42]

お名前: 眼から鱗   
Hide.さんへ

>公開されている論文の是非をうんぬんするのは、こうした掲示板においては望ましい行為
>とは思えません。まして、彼は私の高校時代の同期ですから、コメントは差し控えたいと
>思います。お許しください(^^;

ありがとうございます。すみませんでした。
自分の観点がかたまるまで、このサイトで修行させてもらいます。
昨日、愚息と「スポーツ化する剣道」について話してみました。
「おやじ、剣道はスポーツ化していない。確かにその一面もあるが
少なくとも俺たちは、そう思っていない。(俺たちというのは、高体連の仲間らしい)」
という返事でした。
剣道に対する自分たちの今後の役割、あり方に対してしっかりとした
意見をもっているようです。本当にうれしかったです。
[2005/10/03 12:01:17]

お名前: 眼から鱗   
未熟剣さんへ

いつも貴重なご意見をありがとうございます。(一人悪者にしてしまっているようで)
このトビを私自身に対する「学び」の機会としてあえてのご意見とおもっております。

以下は私が通っている若き指導者の意見です。全国大会を目指してみての意見です。

>指導者の自己中心的なまとめ方に問題があったように感じています。
>少々、焦りのような気持ちを子供達は感じ取っていたのでしょう。
>道場に集まる子供達に、私達指導者が行う事は「剣道の教育を通じての人間形成」
>という大義をまっとうする為の指導であり教育に尽きます。
>ここを原点として、再度、子供達の個人レベルまで降りた、
>剣道の基礎からの指導が大切だと考えています

以下は私の愚息の意見です
「剣道が試合中心の、勝ち負けだけで判断されるだけなら俺は剣道をやめるよ おやじ
PL学園をみてくれ、近大付属校、清風、上宮、うちの高校もそうだが剣道をしているんだ。
高校剣道がどう見えるかは勝手だし、技術的には未熟だと思うが、、少なくとも俺たちは
気持ちの上では、剣道をめざしている」と

親として子供に教えられる眼から鱗の一言でした。
うれしい、うれしい一言でした。
[2005/10/03 11:16:22]

お名前: トシ   
先日、小2の息子に、さりげなく「剣道嫌になる時ってどんな時?」って聞いたところ
真っ先に「試合に負けたとき!」って答が返ってきて思わず笑ってしまいました。
「稽古がきつい」「先生に怒られる」などの答を想定していたものですから。
敬老の日にあった隣市での練成大会で二回戦に優勝候補の5年生にコテンパンにやられた後に
も、ケロッとしてサンドイッチを頬張っていた息子がそんなふうに感じていたとは意外でした。
勝ってこいだとか、負けるなだとか一言も言ったことは私も妻も無いのですが、マメ剣士も
それなりに試合となると勝敗にこだわっているのだと改めて感心いたしました。
「父ちゃんだって大人の試合に負けりゃ、すっごく悔しいぞ。でもなあ、今思えばどっか
打っときゃよかったと思うところ無い?」
「そうだね、篭手打ってきたとき抜いてやりゃよかった。練習したのに試合のときは忘れてた」
ですと。「打たれて感謝」などと尊い御言葉も小2の息子には分かりませんので、実体験を
通じてそこから枝葉を生やして話すようにしています。

私たち親子も試合の勝ち負けを決して軽んじているわけではなく、大事にしています。
しかし、それ以上に息子を誉めていることは、
「大きな声で返事が出来たこと」
分からないときに「分かりません」とはっきり言えたこと。
剣道を始めてから一度も稽古をお休みしたことが無いこと。
稽古中、面をつけたら稽古終わりまで、一度も保護者のところに来ないこと。

私は、剣道を再開して、ひょんなこと(長野県の剣道サイトを探していた)から
本HPにたどりつき、沢山の方のトピやレスを読ませて頂いて本当に良かったと
思うことがあります。
それは、
「思考・考え方のバランス感覚が培われたこと」
です。
もちろん、剣道に関する情報の宝庫であることは間違いないし、むしろ、それが、主です。
しかし、私にとっては、レスのやり取りを読ませていただき、考えさせていただくこと
が「思考・考え方のバランス感覚の向上」に大いに役立ちます。
それは、剣道に限らず仕事の上で客先でも役立ちます。
具体的に言いますと、
自分の考え方はあって当然だけど、それを押し付けるのではなく、
御相手の考え方や御意見を素直に十分に受け入れること。
そして、
一見、矛盾しているように思われる御考えでも、それぞれの御意見が、双方理にかなっていると
御見受けするときは、その双方の考え方に相関性を見つけようとすること。

未熟剣さん、余計なことかもしれませんが、どうか、試合の勝敗以上に大切なことを剣道を
通じて感じられる御心を培って下さい。
レスして下さっている皆さん誰一人として、試合をマイナスだとか不要だとか言ってる方は
おりませんので。
[2005/10/03 10:31:51]

お名前: ぶうちゃん   
私達の道場には中学受験に向けて勉強に専念する為、6年生になってからは一切試合に
出ていないお子さんがいます。
塾などが稽古や試合と重なってしまうことが多くなるので、皆に迷惑をかけてしまうか
らということでした。試合に出ないなら剣道も辞めなくてはならないかと、親御さんは
とても悩んでましたが、先生方は『試合だけが全てじゃないんだから』とその申し出を
快く受けてくれたそうです。
子供達も「○○(その子の名前)は受験頑張れ!私達は○○の分も試合で頑張るよ!」
とお互い励まし合ってます。
今でも受験勉強の傍ら、回数こそ減りましたがお稽古に来て皆と同じように稽古をして
「ありがとうございました!」と元気よく帰っていきます。
剣道が大好きだから、中学へ行ってもその先もずっと続けるんだと笑顔で言ってました。

ちょっと別の話しになりますが、練習の時はお当番の父兄の方が麦茶などの飲み物を用
意しています。休憩になると、子供達はワ〜〜っと飲み物のところに集まるのですが、
いつの頃からか、みんながコップを持って一列に並んでるんです。高学年が、「一回飲
んだ人は後ろに並んでーー」と指揮をとりながら。
当たり前といってしまえばそうなんですけど、以前は我さきにとばかりにウワーーっと
群がっていたもので(みんな喉渇いてるから仕方ない)、今の光景を見た時は感激して
しまいました。何より、先生が言ったのでも親がそうさせたわけでもなく、子供たちが
自発的にそうしていったことがとても嬉しかったです。

試合で学ぶことも多いと思いますが、それよりも多くのことをこの子たちは剣道を通し
て学んでいるんだと思います。
先生方の懐の深さに、また素晴らしい道場で学ばしていただいていることに感謝しています。
[2005/10/02 16:25:30]

お名前: 魍魎   
試合に対する私の考えは次の通りです。(皆さんと重複すると思いますが・・・)
1.今まで稽古してきたことをお互いに試し合う機会。
2.勝てればなぜ勝てたのかを考え、負ければなぜ負けたのかを考える以後の稽古の
 指針とする。
だいたいこの2点ぐらいです。当然、試合=勝ち負けであり勝ったほうがいいと
思います。しかし、負けても悲観することはないです。それを次の日からの稽古に
生かしていけば良いと思います。
一番いけないのは勝者を称賛し敗者を貶し、バカにすることです。
勝者も敗者もお相手がいないと剣道はできません。試合はお世話をしてくださる方が
いないとできません。剣道そのものも道場がないとできません。(語弊があるかも
しれませんが)ですから相手を思いやる気持ちを持ち、感謝する気持ちを持って剣道を
していきたいと思いますし、子供たちにもそういう指導をしたいと思います。
To:未熟剣さん
剣道をする目的は人それぞれですよ(^^
昇段を目的としている人、健康維持、ストレス解消、試合での勝利などなどここには
書ききれないと思います。ちなみに私は上記の4点すべて剣道をする目的であり
目標です。
[2005/10/02 10:45:59]

お名前: 通りがかり   
>「試合」は不要と受け取りました。
試合が不要という意識はないのですけどね。
試合は、日頃の精進の成果を「試す」場として楽しみにしています。

大会で優勝しても、それは優勝した時点で過去のものになってしまいます。
うちにも子供がとったトロフィーがいくつかありますが、それは今の力を示すものでも
ありませんし、「記念写真」みたいなものですね。

「今成長すること」こそが大切であり目的であるという認識です。
[2005/10/02 08:27:30]

お名前: Hide.    URL
to 未熟剣さん

>皆さんは、私の意見が「試合=勝敗」全てと思われるているようですね(確かに勝敗 
>は大きいです)
>皆さんの意見を拝見していると皆さんも「試合=勝敗」の思いが強くあるように感じま
>すけど・・

試合は「=勝敗」ですよ(笑)
勝敗を競い合うのが試合です。
「勝てば官軍」といわれるように、勝ち負けが絶対です。ある意味、すごく残酷な世界な
んです。
その中にも心栄えを表現できるように戦うことが求められてますがね(^^)


>私は試合において、技術・精神面は当然のことながら、 人間関係・対外的なこと、
>得るものが多い(大きい)と感じてます。

おっしゃることはわかります。
試合結果がどうであろうと、そういう風に受け止めさせてやるのが指導者や父母の務めで
す。
でも、それは試合でなくてもできること。
ふだんの稽古でしっかり教えていってあげていれば、ことさら試合に頼る必要もないと考
えますが(^^)


>「俺はスゴイんだ」の部分を天狗になっていることと受けました。

う〜ん、あいかわらずよく意味が取れませんが、そもそも試合に勝ったくらいで「俺はス
ゴイんだ」って思うこと自体、試合をゆがめてとらえてしまっていますので支持できませ
んね(^^;


>熟年者の大半は過去試合経験者かと思いますけど、熟年者自体全体的に試合参加を敬遠
>してる方が多いと思います。試合は経験済み飽きたのか、弱くなったのか?疲れるの
>か?何だか・・当人でないとわかりません。

それは洞察が浅いですね(^^;
熟年剣士のかなりの数は、大人になってから剣道を始めた方なんですよ。
そうした方々は、試合以外の部分に楽しみを求めてお稽古されてます。
「当人以外わかりません」という突き放しではなく想像力を働かせていただきたいもので
すね(^^)


>皆さんは
>「試合」をどういうふうに考えているのですか?
>「試合」なんて、「わずかなこと、全てでない」と考えてる方「試合」なしで指導する
>自信はありますか?

アハハ、もちろんありますよ(^o^) 
試合なんかしなくたって、子どもたちのモチベーションを高めて稽古させることは可能で
す。子どもに礼儀作法や人間としての生き方を教えることは、たいへん難しく時間がかか
ることなんですよ。
今の子どもは家庭でのしつけがあまりできておりませんし、集団生活もうまくない子が少
なくありません。「返事・挨拶・素早い行動」などから、言葉遣い、下足のそろえ方、先
輩や後輩との接し方、お世話してくださるご父母の皆さんとの係わり合い方などなど、生
活面だけでも項目を上げればキリがありません。それ以外に、「礼法・所作」などがあり、
それらの意味も教えなければいけません。稽古が終わったあとには、全体に対して講話を
し人間として生きていく力を涵養してやらなければなりません。個人的にもよかったとこ
ろをしっかり褒めてやらなきゃいけませんし。
こうしたことは、試合ではなかなか学べませんよね(^^)

また、未熟剣さんは、基礎を軽くお考えではありませんか? 
基礎をしっかり教えこむことは、試合に勝たせること以上に難しいんですよ。
もっとも、基礎がしっかりしているからこそ、試合でもいい成績を修められるわけですが。
強豪といわれる道場の子は、みな基礎がしっかりしてますものね(^o^) 

まぁ、試合しか目標に設定できない指導者は、私は力のない人だと考えていますが(^^)


でもわたしは試合を全否定しているわけではありません。
私自身試合は好きですし、試合で育ってきた人間ですから(^^;
ただ、何度もいいますが、試合は剣道修行の中のホンの一部分であるってこと、この考え
に変わりはありません。
[2005/10/02 08:14:46]

お名前: 未熟剣   
元立ちマシーンさん
<ここは「親の気持ち、子の心」の掲示板であることをお忘れではないでしょうか?
 失礼しました そのとおりです。 大人の意見です。
 子どもの試合には親(大人)のが一喜一憂します。
[2005/10/01 22:26:37]

お名前: 未熟剣   
通りがかりさん
 <試合は「上達・成長」の度合をはかる手段の1つにすぎません。
 <試合を「目的」ではなく「手段」ととらえるとき、多くの問題が解決されると思う  のですが・・・。 
 「試合」は不要と受け取りました。
[2005/10/01 21:27:30]

お名前: 元立ちマシーン   
To 未熟剣さん

未熟剣さんに理解して頂けるか解りませんが、私の考えを述べさせて頂きます。

皆さんが何度も言ってるように「試合」を軽くみてるんではありません。
むしろ若いうちは、とても大事なファクターと思います。
只、親が一緒に「勝ちに拘る」事を求めて良いものでしょうか?
ここは「親の気持ち、子の心」の掲示板であることをお忘れではないでしょうか?

子供は黙ってても「競技における勝ち負け」に走ります。
それに指導者や親が大手を振って奨励して良いものとは到底思えません。
矛盾があるかと思いますが、指導者や親は子供達に勝って欲しいと願っております。
しかし相手を弱いからと小馬鹿にしたり、天狗になって礼までも怠った行為を容認してまで
勝ちには拘りません。
(未熟剣さんが勝利至上主義の指導者しか知らないのでしたら、それは不幸な事と思いますが)

竹刀という一つ間違えれば凶器になりかねない道具を扱うわけですから
道徳感を養うのは大人の役目ですよね。

私達大人同士の試合になれば、勝ち負けに関係なくお相手の所に行き、
立ち会って頂いたお礼をします。
これは「打って反省、打たれて感謝」の気持ちを込めたものです。
このような倫理観が前提にない「試合」はして欲しくないと思っておりますが、
子供はそこまでは理解出来ません。
だからこそ「試合が全てではない」と諌めるのです。

何度も言いますが「試合」から学ぶ事は非常に多いと思います。
しかし今は「試合の勝ち負け」を論じる以前の話と試合を離れ見えてきた実感を
素直に論じてるのです。

これが私の「親の気持ち」です。
[2005/10/01 19:01:57]

お名前: 通りがかり   
ご丁寧なコメントありがとうございます。

>「試合」なくして剣道の目的価値をどのようにして得ますか?(例えば、健康目的?)

私は、剣道の目的として「(精神的・技術的)上達・成長」を考えています。
試合は「上達・成長」の度合をはかる手段の1つにすぎません。

だからこそ「勝って反省」という言葉が生まれるのではないでしょうか。

「不正竹刀」の問題等がとりざたされていますが、試合を「目的」ととらえるからどの
ような手段を使ってでも試合に勝とうと思うわけです。
試合を「自らの上達・成長」をはかる手段ととらえるとき「不正竹刀を使ってでも勝と
う」という意識が生まれる余地はありません。

試合を「目的」ではなく「手段」ととらえるとき、多くの問題が解決されると思うので
すが・・・。
[2005/10/01 18:40:59]

お名前: 未熟剣   
hideさん トシさん 目から鱗さん 元立ちマシーンさん 通りすがりさん
 ながなが下記に記しました。

 皆さんから見れば、「試合」は、たいした位置でしか、ないのでしょうから
「試合に関わらない剣道」をしてはいかがですか?
 皆さんは、私の意見が「試合=勝敗」全てと思われるているようですね(確かに勝敗 は大きいです)
 皆さんの意見を拝見していると皆さんも「試合=勝敗」の思いが強くあるように感じますけど・・
 私は、試合で得られるものが「多い」(大きい)と言ってるのです。
●同じ、意見繰り返しますが、
 私は試合において、技術・精神面は当然のことながら、 人間関係・対外的なこと、
 得るものが多い(大きい)と感じてます。「勝」があればさらに+α当然かと思います。
 皆さんは、試合に対しかなり否定的(マイナス)に考えてるように感じます。

<天狗になる相手って相性がかなり・・・(文章表現ヘタクソすみません)
「俺はスゴイんだ」の部分を天狗になっていることと受けました。
「俺はスゴイんだ」に対し「バカじゃねーの」とかんじたり「いやー確かにスゲェーや」とかんじたりです。

<未熟剣さんは剣道が楽しいと思い尚且つ上達を実感した事はありませんか?
 過去、上達したから試合に出して頂けたのかなと思いました。また「試合」があるから上達しました。
 昇段もそうです。私の場合「楽しい」より「嬉しい」です。

<試合にほとんど出場することのない熟年剣士のみなさんは、・・・
 段審査も楽しみかと思います。昇段がないと寂しくなると思います。
 熟年者の大半は過去試合経験者かと思いますけど、熟年者自体全体的に試合参加を敬遠してる方が多いと思います。
 試合は経験済み飽きたのか、弱くなったのか?疲れるのか?何だか・・当人でないとわかりません。
 このような結果かどうかわかりませんが熟年試合は少ないと思います。

<多聞、「自分の剣道」「指導の剣道」の違いと思います。
 「指導の剣道」となれば試合経験(欲を言えば実績も)が必要かと思います。
  試合経験のない剣道指導者では指導は難しいかと思います。

<手段にすぎない試合が目的化されているから、不正をしても勝とうという考えが蔓延す・・・
 「試合」なくして剣道の目的価値をどのようにして得ますか?(例えば、健康目的?)

<たとえば、障害がある子供が頑張って・・・・
 私は、エネルギーを受けます(表現へんですけど)ハンデを背負ってのお手本を見れば 頑張らざる得ません。
 それとも、試合に参加できない人のこと考えて、試合には関わらない剣道を続けますか?

<試合に勝つことなんかより・・・・
<試合にのみ目を奪われて、子供の頃から躾も放棄されてきた結果が、暴行や窃盗とい・・・
 剣道でも過去不祥事はあるかと思いますが、野球ほど盛んじゃないから 取り沙汰されないのでは?すみませんわかりません。
 不祥事のことを捕らえてマイナス面を強調するかのようです。試合に参加して得るもの多さ(大きさ)、いろいろ沢山あります。

●●●最後に皆さんに問います!●●● 
 剣道は、人間形成はもとより、剣術(基本等)・剣道形・礼儀・心身の鍛錬・
 など全てが試合(戦いの歴史)から発生し現在に至っていると私は思います。
 剣道自体が「試合」に囚われて関わり歴史的に見ても現在まで切磋琢磨、試行錯誤・進化し続けてきているのでは?
 皆さんは
 「試合」をどういうふうに考えているのですか?
 「試合」なんて、「わずかなこと、全てでない」と考えてる方「試合」なしで指導する自信はありますか?
[2005/10/01 17:01:48]

お名前: Hide.    URL
To 眼から鱗さん
公開されている論文の是非をうんぬんするのは、こうした掲示板においては望ましい行為
とは思えません。まして、彼は私の高校時代の同期ですから、コメントは差し控えたいと
思います。お許しください(^^;

ただ、彼は非常に勉強家であることは間違いありません。
「常足」にしても、「なんば歩き」をベースに、彼独自の論法で完成させたものです。
私とは技術論においても方向性がまったく異なるわけですが、「頑張ってるなぁ」ってな感
じですかね(^0^)


To 未熟剣さん
>天狗になるなんて当然いけないことですが、天狗になる相手って相性がかなりの部分を
>占めてませんか?
う〜ん、ちょっとご質問の意味がよくわかりませんね・・・。
お相手によって、自分が「天狗になったりならなかったりする」ということでしょうか??

では反対にお尋ねしますが、試合にほとんど出場することのない熟年剣士のみなさんは、
何が楽しみで剣道をしていらっしゃるるのだと思いますか?
段審査?
そんなことはないですよね(^^;

むろん試合でお相手に勝つことは大切ですが「昨日の自分に勝つこと」こそ現代剣道に求め
られていることなんじゃないですか?(^_-)~☆
[2005/09/30 09:05:00]

お名前: 元立ちマシーン   
Hideさん

先程レスしたトビに大きな間違いがあるのでメールしました。
直ぐ読んで!その後削除してください。
[2005/09/30 08:38:32]

お名前: 通りがかり   
追加です。

大切なのは、試合結果ではなく稽古の過程です。
試合は、稽古の成果を確認するためのものでしかありません。

たとえば、障害がある子供が頑張って、1年かけて早素振りができるようになったとし
たら、その稽古は日本一を目指す剣士の稽古に勝るとも劣らない価値があるわけです。

だから「試合にでられないと剣道する価値がない」とはならないのだと思います。

手段にすぎない試合が目的化されているから、不正をしても勝とうという考えが蔓延す
るのでしょう。
[2005/09/30 08:00:11]

お名前: 通りがかり   
試合に勝つことなんかより大切なことがたくさんあるということですよ。
勝利に目を奪われることへの戒めですね。

あと、返事ができない子供には、返事ができるよう指導してあげましょう。
家庭での躾が悪いとしても、子供が悪いわけではないですから。
そこにいる子供きちっと導いてあげましょう。

試合にのみ目を奪われて、子供の頃から躾も放棄されてきた結果が、暴行や窃盗とい
った高校野球での不祥事ではないですか。
ああいったことって、剣道ではないんですかね?
それとも表面にでていないだけですか。
[2005/09/30 07:41:58]

お名前: 元立ちマシーン   
To 未熟剣さん

多聞、「自分の剣道」「指導の剣道」の違いと思います。
剣士は当然勝ちたい気持ちがあるわけですから、その事に傾倒し過ぎないように
抑える為の「教え」ではないですか?

>楽しく登るとは、具体的に剣道で言うならばどういうことでしょうか?
逆に質問させて頂くと、未熟剣さんは剣道が楽しいと思い尚且つ上達を実感した事は
ありませんか?

>天狗になる相手って相性がかなりの部分を占めてませんか?
この考え方が何を言いたいのか全く理解できないのですが・・・。
無い頭で考えると、天狗を作ったのは周りの責任と言ってるのかな?
[2005/09/30 02:40:26]

お名前: 目から鱗   
未熟剣さんへ

Hide.さんの回答の前に、私のような素人が意見をのべるのもおこがましいのですが
試合から得られるもの否定されていない、その上で「それが全てではない」と言って
おられますので自分なりに考えてみました。

剣道への関わり方はいろいろあるという視点、技術的にも奥が深いという視点が
必要ということではないでしょうか。

試合にでれるのは、限られた人数で、その何倍もの人たちが仲間として剣道をしている。中学・高校を通して、一度も試合に出たことがない人もいる。
時計係、記録係を進んでかってでる部員、マネジャー、会場整理、応援、練習相手

中学からよく知っている子に「試合にでれないのにどうして剣道をしているの?」
この失礼な無礼極まりない質問を私は、実際にしたことがあります。
彼は怒りもしないで、試合にでれないのは残念です。でも自分は弱いので
仕方ありません。おとうさん、彼(息子のこと)は私の自慢なんです。
お前はいつまでも上達しないなといいながらも、昔同様、一番に
練習してくれますと。

人間練磨の絆が、試合で繋がっているとは思えません。
剣道で繋がっている。
[2005/09/30 00:33:25]

お名前: 未熟剣   
大局なとらえ方有難うございます。過去現在とも負けて得るものたくさんあります。
 < 剣道という大きな山の中で見れば、たいした位置の違 いではありません。
 私は試合における位置というのは物凄く大きい位置を感じてます。
 歴史に残る剣豪、近年剣道界と試合は必然です。これらを経験して多くの方が
 稽古に勤しんできたと感じます。
 < 同じ登るなら、私は楽しく登っていきたいなぁ。
  楽しく登るとは、具体的に剣道で言うならばどのようなことでしょうか?
イロイロ発言できるのが
このサイトのいいところと思い揚げ足取りのような質問意見申し訳ありませんけど 
自分は過去剣道をしてきて
試合で得たものが人間関係など対外的なもの非常に大きいからです。
天狗になるなんて当然いけないことですが、天狗になる相手って相性がかなりの部分を占めてませんか?
[2005/09/29 17:19:03]

お名前: 眼から鱗   
Hide.さんへ

舌足らずな書き込みをしてすいません。
Hide.さんと多くの人々の会話を聞くにつけ、この人はどんな人なのだろう?
どのような世界に生きているのだろう?
私も知りたい。多くのことが知りたい。そのような大それた願望があり
ともかく自分なりに努力してから、指導を受けようとおもい
いろいろ足掻いているうちに、この論文に出会いました。
歴史的な経過の中で、正しい剣道が変質しつつある、それは何故か等々
納得できる内容のものでしたが、まずは観点の指導を受けてからと思ったしだいです。
私がこれまで剣道と称して現実に見たり、聞いたりしてきたものは
一部であることを深く思慮し、木を見るから森を見れるようにしていきたいと
思ったのです。
その意味では、このトビを立てたこと自体をまだ分不相応と今は反省しています。
[2005/09/29 12:29:43]

お名前: トシ   
未熟剣さんの書き込みを読んで思ったのですが、
Hide.さんの仰る、
<試合における強さなんていうのは、絵に描いた餅みたいなもんです
というのは、決して、試合に勝つことをナンセンスだといっている訳ではないと思いますよ。
試合というのは、その日の運(特に審判受けや御相手の体調等)もあって、勝てているだけだということ。
勝っても余り必要以上にはしゃがないよう諌めの言葉と私は感じました。
逆に負けても必要以上に悲観することなく、日頃の稽古を認め、見直し、改善する。
未熟剣さんの仰るように、誰でも試合に勝てば嬉しいし、自信につながるし、一本取るために
ものすごい苦しい稽古をしていることは、皆知っているし、誰しも同じだと思うんです。

未熟剣さん、どうか
<試合における強さなんていうのは、絵に描いた餅みたいなもんです
この一文だけにとらわれることなく、ちょっと離れたところから全体を読んでみて下さい。

剣道という山の頂点をどこから攻めてもいい。
いろんな攻め方があっていい。
人それぞれだ。
ただ、試合に勝った負けた、だけ、にこだわり過ぎると、いずれ寂しくなっちゃうよ。
剣道嫌いになっちゃうよ。
そうじゃなくて、もっと剣道をいろんな角度から楽しもうよ。

って私は解釈いたしましたが、如何でしょうか。
[2005/09/29 09:10:10]

お名前: Hide.    URL
To 眼から鱗さん
木寺は僕の高校時代の同級生ですが、彼のこの論文と私のカキコとがどのような関係があ
りましょうか??(^^;
「どう読めば」とは、どう解釈したらいいかわかりませんのでお教えください。


To 未熟剣さん
>私は反論します。試合における強さを得るにはどれほどの稽古が必要なことか、
>また、試合で得られるものが如何に多き(大きい)ものか
そういうお考えもありましょう。
もちろん勝ちから得るものも大きいですが、それ以上に負けから得るものの方が大きいで
すよ(^^)

>山に見立て対極的に捕らえてますが、私なんか小さい小山の途中程度かもしれませんけ
>ど「試合における強さ」は正直憧れます。
けっこうではありませんか。
試合をするからには「勝とう」と思うのはあたりまえです。私とて同じこと。
そして、強い人にあこがれるのも当然です。
その人に少しでも近づきたい・・・そう思ってお稽古に励むことは悪いことではありませ
んね(^0^)

>「勝つ」うれしいです。特に自分より強いものに勝つと自信もわき、今までの稽古の成
>果・反省と+アルファに考えます。
けっこうです。いい捉え方だと思いますよ(^^)
ただ、それがすべてではないっていうことです(^_-)~☆
[2005/09/29 08:30:16]

お名前: 未熟剣   
剣士の母さんの言うとおり家庭での躾が先です。剣道の礼儀作法・剣術を教わるのに返事も出来ないものを指導するのは余計なことです。しかし現実は親からして剣道で躾を求めている。
おかど違いです。
hideさんの <試合における強さなんていうのは、絵に描いた餅みたいなもんです・・・・
 私は反論します。試合における強さを得るにはどれほどの稽古が必要なことか、
また、試合で得られるものが如何に多き(大きい)ものか
山に見立て対極的に捕らえてますが、私なんか小さい小山の途中程度かもしれませんけど
「試合における強さ」は正直憧れます。
「勝つ」うれしいです。特に自分より強いものに勝つと自信もわき、今までの稽古の成果・反省
と+アルファに考えます。
[2005/09/28 19:58:52]

お名前: 眼から鱗   
Hide.さんへ

またまた出ました眼から鱗の一言。危ない危ない、見過ごすところでした。

>試合における強さなんていうのは、絵に描いた餅みたいなもんです。
>たまたまその時に運も味方して勝てただけ。あるいは、日々の修練により、周りの偏りち
>ょっと高みに登っていただけです。剣道という大きな山の中で見れば、たいした位置の違
>いではありません。それをことさら「俺はスゴイんだ」なんておっしゃる方は、森の中に
>迷い込まれたか霧に包まれて、頂を見失っておられるだけでしょう(^o^) 

以下のサイトで公開されている論文は、どう読めばいいですか
http://www.namiashi.com/kenshido/ronbun/rinen.htm
現代剣道の理念に関する研究一50年理念とその矛盾一  木寺英史
[2005/09/28 12:44:46]

お名前: Hide.    URL
むろん「親の責任」というのもありましょうが、指導者の側も「返事をさせる」ように仕向
けなければなりませんね。返事をしない場合「先へ進まない」「何度でも返事をさせる」な
どのことに留意しますと、子どもたちに返事の習慣がついてきます。
こういうのも慣れだと思いますよ(^0^)


To 通りすがりの口やかましい保護者さん
管理人のHide.です。
たいへん参考になるお話ありがとうございました(^^)
[2005/09/28 11:19:36]

お名前: 通りすがりの口やかましい保護者   
子供が返事できないという事について、問題児童のボランティアで得た
自分の経験から一言言わせて下さい。

返事できない子は、剣士の母様のおっしゃる通り、
どこで返事していいか判らないトークを聞いているというのが多いのも事実ですが、
返事しない子供は、結構集中して話を聞いて次の言葉を待っているので、
返事や相槌の行動を起こす事まで頭が回らないのも事実です。
相手の話の妨げにならないように静かにしているのは、
それはそれでいい事なんですよ。(と思うようにしています。)

自分の言った事を理解させるには、
幼稚園や保育園の先生が園児に接するような話し方が
一番だと痛切に感じました。
なので、自分の言いたい事を一通り言ったら、
「どう?わかった?」
「わかった人は手を挙げて!」と聞いてみて、
手が挙がらなかった子に、
「どこがわからなかったかな?」
と、返事をする機会を与えます。
全然判らない子は、たいてい言葉に詰まって何も言えないので
自分の言った事を少しずつ繰り返して
「〜から〜までの事はわかるかな?」
「じゃ、〜から〜の事はどう?」
と、具体的にどこがわからないか根気良く導き出すのが大事です。
とはいえ、私も何度キレそうになった事か・・・。
でもそこで顔が大魔神化するのをおさえないと、
子供が萎縮して信頼関係を保てませんので、ぐっと我慢。

挨拶も、「こんにちは」「おはよう」だけでは、誰に言ったかわからないので、
「○○くん、こんにちは」
と、最初に名前も呼ぶとベストです。
もちろん、顔が見えなくて名前が言えない場合がありますが。

「えーと、君、名前なんだっけ?何年生?
おばちゃんは●●くんのお母さんなんだけど、知ってる?」
名前を知らない子は、ずうずうしく聞いてしまう手もあります。(それは私がオバサンだから?)
ただし、自分も名乗らないと。
子供といえど一方的に聞かれると不快に感じますし、無礼ですし。

ついでに「××ちゃん、さようなら。今日はよく頑張ったね!車に気をつけて帰ってね。」
と褒め言葉やその他一言をプラスすると、結構効果あります。
(私の場合、問題児ほど、褒め言葉+αの部分が長くなりますが。)
効果に時間がかかる子もいますが、挨拶を返してくれる成功率は割と高いです。
自分を気にかけてくれる嬉しさが、挨拶の重要性に気づく事に繋がるので、
もしよかったら実践してみて下さい!
[2005/09/28 09:56:40]

お名前: 目から鱗   
皆さんご意見ありがとうござました。

幼少年剣道指導要領を調べていくうちに「剣道の理念」「剣道修練の心構え」と
多くの道場が真剣に取り組んでおられることを知りました。

これほど明確な指針があるのだから迷う必要も、
剣士らしからぬ言動もないはづなのに、魔がさすのですね。

名もない・小さな道場で真っ当に取り組んでいる人々の
地道な努力のためにも、立派なサポーターになりたいと思いました。
[2005/09/27 22:31:10]

お名前: トシ   
剣士の母さん、返事が出来ない子供のメカニズム納得しました。
それは大いにありえることです。ほとんど間違いないと確信しました。
私たち親の責任です。
私も今まで以上に積極的に声掛けていこうと思います。
[2005/09/27 12:34:41]

お名前: 剣士の母   
最近の子供達はほんと挨拶&返事が出来ない子が多いと感じます。
以前、ある保護者の方から返事が出来ないのは親が子供の話を聞き流し、
返事をしたり、しなかったりする為子供は返事のタイミングがわからないから、
今の子供達は人の話を聞いた時返事が出来ないと聞いたことがありました。
その時私は「なるほど」と納得してしまいました。みなさんどうですか?
先日、子供に「先生の話を聞いていて返事をしないのはなぜ?」と聞いてみた所
「いつしていいかわからない」という答えが返ってきました・・・。
子供が返事が出来ないのは私(親の)責任だと確信してしまいました^^;
幼児期の子供って親がうんざりしてしまうほど同じ事を繰り返し、しつこく話しますよね
その時の受け答えをあいまいにしてしまっていたのが「返事の出来ない子供」になって
しまったのだと思いました。
そして、返事ではなくうなずく子供も多いと思った時、子供の話を聞く時うなずいている自分が
いることを感じ、今返事が出来ない子供にしてしまった自分に反省しています。
そして、入門当初から気になっていた「あいさつが出来ない子」を改善する為、道場に来た子供にはあいさつが返ってくるまであいさつし続ける事をきめ声をかけ続けています。
子供はきっと「しつこい人だ」と思っているでしょうが子供からしてくれる日を待って末永く
がんばってみたいと思います。
[2005/09/27 09:40:09]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

あちこちのトピに書いてきたことですが、剣道の修行は山登りと似ています。
ひとつの頂を目指して多くの人がさまざまなルートを登ります。

断崖絶壁を猛スピードで駆け上ろうとする人もいれば、道端の野の花を楽しみながらハイ
キング気分で進まれる方もおられるでしょう。
また、ある人は、ちょっとした見晴らしのいい場所で、下界やはるか彼方の景色を楽しん
でおられるかもしれない。

一般的に、上のほうに登られている方は、自分のたどってきたルートを振り返り、「こっ
ちの方が楽だよ」と勧めたくなる傾向がありますね。まぁ、ご自身が登ってこられたわけ
ですから、皆さんにも登れるだろうっていう発想なのでしょうが、ルート選びは登られる
ご本人にお任せするのが一番なんです(^^;

まぁ、先達の言葉としては、「そこの足場が悪いよ」「こっちの方がぬかるんでないか
も」なんて導き方がいいのでしょうね(^^)
もっとも、自身のお弟子さんであれば、険しくてもより堅牢な道を選ばせて差し支えはな
いわけですが・・・。


試合における強さなんていうのは、絵に描いた餅みたいなもんです。
たまたまその時に運も味方して勝てただけ。あるいは、日々の修練により、周りの偏りち
ょっと高みに登っていただけです。剣道という大きな山の中で見れば、たいした位置の違
いではありません。それをことさら「俺はスゴイんだ」なんておっしゃる方は、森の中に
迷い込まれたか霧に包まれて、頂を見失っておられるだけでしょう(^o^) 


ともあれ、同じ登るなら、私は楽しく登っていきたいなぁ。
皆さんと手に手を携えて登っていく。私はこのサイトをそんな方々のために開放している
つもりです(^_-)〜☆
[2005/09/27 09:31:39]

お名前: トシ   
そうですよね。挨拶・返事が出来ないなんて論外ですよね。
それに、それもこれも、指導者の腹一つですか。先生方も口を酸っぱくして毎回注意されている
のですが、怖い先生なら言うことを聞き、優しい先生だと横向いている有り様です。
ただ、私が小学校の頃は競って大きな声で返事や挨拶をしていて
それが当然だったものですから、最近の道場での小学校高学年の姿、本当に情けないです。
よりによって、その子の親たちが保護者会の会長・副会長。道場でも威張っちゃってるし、
試合チームの編成にも口を出す始末。
やりずらいですね。私のほうがはるかに若いし、入会して8ヶ月。
私は指導者でもなんでもなく、ただのリバ剣士に徹していたかったんですが、
何とかしないといけない現状。このままだと、息子にも悪影響が。。。
むしろ、一緒に稽古させてもらっている中学生のほうがきちんとしていますよ。
当り前の事なんですがね。

眼から鱗さん申し訳ございません。
せっかくの高尚なトピを挨拶だの返事だのとレベルの低い話題にしてしまいまして。
親として、少々悩んでいたものですから。
[2005/09/27 02:01:10]

お名前: 元立ちマシーン   
魑魅さんに賛成!なんですが、補足させて頂くと、

魑魅さんが仰る1の時期に返事をする事を上手く擦り込んでおかないと
勝負剣道に染まる可能性があります。
そんな人が一番挨拶が出来ない(挨拶だけでなく人一倍世間知らずになります)お馬鹿に
育つ可能性があります。

全ては指導者の腹一つとも思いますが・・・・・。
[2005/09/27 01:27:14]

お名前: 魍魎   
皆さん、はじめまして&お久しぶりです。
すこし気になる話題でしたので発言します。あくまでも私見ですのであまり
気にしないでください。
最近よく言われるのが剣道をやっていると姿勢もよくなるし、「礼儀が正しくなるから
いいね」ということです。これは間違いであり本当は剣道をやっている人の中に姿勢が
よく礼儀が正しい人がたくさんいる。ということなんですよ。
我が子に剣道をさせていますが、最大の目的は相手の気持ちを考えれる人間になる。と
いうことです。ただし、そうなるためには段階があると思います。
1.〜小学生:剣道を好きになる時期
2.中学生〜大学生:勝ち一番を意識する時期
3.一般〜:勝利至上主義から脱却し本当意味での稽古ができる時期
挨拶ができないとか返事をしないとかというのは論外です!
そういうお子様には厳しく、優しく接するべきだと思います。
そうしないと2→3への意識改革ができずに剣道から離れていく原因になりかねないので
注意が必要だと思います。
[2005/09/26 23:29:46]

お名前: トシ   
 眼から鱗さん、Hide.さん、こんばんは。トシです。
 眼から鱗さんのトピを見て、私も剣道談話室「剣道強けりゃ偉いのか?」を読ませて
頂きました。そして、いろいろ考えさせられました。
 私と息子が通う道場におきましても、全国大会を経験する試合巧者な小学生で、
 ・他の父兄や同門生に挨拶もしない(できない)子もいます。
 ・先生に問い掛けられても返事をしない子もいます。
 ・怖い先生・優しい先生によって露骨に態度を変える子もいます。
今まで余り道場内のことは口にしないつもりでしたが、最近目に余ってしまいまして。
私も及ばずながら毎回の先生の問いかけに後ろから大きな声で「はい!」「お願いします!」「ありがとうございました!」を繰り返していますが、効果が見られません。
 先生方も毎回口を酸っぱくして注意されているのですが。
 先日の稽古の帰り道、息子に「何故、最近元気に返事をしないんだ?」と聞いたところ、
「みんなしないんだもん。俺だけするの恥ずかしいじゃん。」ですと。
入会して初めの頃は出来ていたのに、段々染まってしまったか?
 今後も、後ろから大きな返事を続けたいと思います。
 剣道談話室「剣道強けりゃ偉いのか?」を読ませて頂いて、この子達が将来大きくなって
なまじ強くなった時の姿を思い浮かべたとき、他人事ではないな、と考えさせられました。
[2005/09/26 21:55:11]

お名前: 眼から鱗   
剣道談話室「剣道強けりゃ偉いのか?」を読ましていただいた。
親として考えなければいけない大切なことが提示されていた。

勝つことをあくまで求める剣士
指導を従順に実践し、喜び・悩む剣士
自己の剣道を常に省み、日々精進する求道の剣士
剣道を通じて、人間いかにあるべきか、生きるべきかを求め、実践・普及の剣士

これらは人間自身に内在するものが、縁に触れて出来する心の働きである。
良い縁に触れること。濁りのない視点を教わること。
私は、Hide.さんに出会って、剣道観戦について指導をうけている過程で
様々なことを感じ、考える機会を得ているが

人間としてやっちゃいけないことは、剣道でもやっちゃいけない。という
結論に達しつつある。

まさに良い縁にめぐり合いことが剣道というよりも、人間として
大切なことと痛感させられた。

常に「学び」の機会として。師への感謝。活人剣。
息子と共に徹底していきたい。それ以外の「道」は求めない。
[2005/09/26 16:36:45]

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