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剣道 いちに会はネチケット強化月間です!
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お名前: Hide.
URL
to 礼さん
はじめまして、管理人のHide.です(^^)
ご意見ありがとうございました。
たしかに「気剣体の一致」は、元々は「刀で切った時にそれじゃ切れないだろ」っていう
発想からきています。それは「刃筋」もまったく同じですね。
ただ、今の時代にそういう説明のしかたではなかなか中高生を納得させることはできませ
ん。私は仕方ありませんので、「それでは一本にならないよ」という言い方で、
●打つ前
●打っている最中
●打った後
の姿勢をしっかりとすることを稽古の最中から口をすっぱくして言い続けるようにしてい
ます。
自分でもものを斬ったことがないのに「切れないよ」は、やっぱ指導者として言いにくい
言葉ですので、やっぱ「刀」の概念は「象徴なのかな」って思ってます(^^;
お名前: 礼
トビをご覧の皆様、明けましておめでとうございます。
Hide様、はじめて書き込みさせて頂きます 礼 と申します。
剣道を始めてまだ間もない(3年)のですが、縁があって小中学生といっしょに、
稽古をさせて頂いています。
さて、トビの趣旨にかなうのかどうか判然としませんが、暮れに道場の、部内大会を
催したところ、指導者が行った審判に中学生より異論が出ました。
そのこと自体も問題なのですが、その論議の中で、「一本とは何か」「気剣体の一致」
とはどういうものかを、当の中学生が良く理解していないのではないか
ということになりました。
一本(気剣体の一致)とは簡単に言えば、戦場において真剣を持って、
相手を倒した場合であり
相手を読み切り、または相手の体勢を崩し、
正確な打突をし、
打突後も、油断のない残心を示すことができた
時に得られるものであること、その一連の所作が大変重要であり、
闇雲に打って出て、面に当たったからといってとれるものでもなく、場合によっては、
多少打突部位が外れていたとしても、取られることがある、と説明しましたら、
本人達も少しは、納得をしてくれたようでが、何より私本人が、大変胸に落ちてしまい
なにやら、良い勉強をさせてもらった気分で明るい新年を迎えておりました。
真剣と竹刀剣道にまつわる話として、書き込ませて頂きます。
当道場でも、不定期ですが、会長先生が真剣を子供達に見せて頂く機会があります。
大変長い文章となってしまいましたが、ご意見があれば、お聞かせ下さい。
お名前: Hide.
URL
to 義さん
新年のご挨拶、ありがとうございます。
わたしは喪中のため「おめでとう」がいえませんが、どうか本年もよろしくお願いいたし
ます(^o^)
そうですか、真剣の講話ですか。それはいいですね。
私もそんなことができれば子どもたちに話してやりたいのですが、不調法なもので。
でも、時折きてくださいます電剣の居合いの仲間に、子どもたちに講話や居合いを見せて
いただき、自分たちが学んでいる剣道のルーツについて感じてもらうことはしてますが(^^)
お名前: 義
Hideさん。
皆さん。
新年明けましておめでとうございます。
この場をお借りしましてすみません。
本題とは違うかもしれませんが、真剣を手にしたことがありますので
そのときの様子を書かせて頂きます。
私のお世話になっている剣錬会では、年に一回、会長先生による真剣の講和があります。
内容は先ず、刀の仕組みを分解、組立をしながら名称の説明を行います。
(しのぎをけずる・せっぱつまったなど現代言葉を盛り込みながら)
そして、紙を切ったりして本当に切れるので危ないことを説明します。
その後、各自刀を持ってみます。(但し、帯刀から抜刀して構え納刀までです)
(小学生低学年は刃引側、高学年以上と指導員及び一部父兄も真剣側とに分かれます)
さすがにやんちゃな愚息もそのときだけは神妙な顔で構えていました。
子供に持たせるなんて危ないじゃないか!と仰る方もいらっしゃるかも
してませんが、一般のお子さんではなく、剣道をやっている子供たちです。
皆集中でき、それこそ真剣に取り組める時間ですしめったに無い経験ですので、
本人を含め我々指導員も細心の注意をもって臨みます。
毎年のことですが息子も、私も毎回感動し、自分のやっている
現代剣道の歴史や今後の意識を再認識させられる日です。
私もドキドキ緊張しますが良い経験をさせて頂いています。
お名前: Hide.
URL
to kentaさん
>hideさんの言う「竹刀独特の技術」「竹刀独特の攻防」これが刀と相容れない次第で
>した。
江戸時代の竹刀剣道を見たことがありませんのでわかりませんが、たぶん、今のように
「小さく早く」なんていう打ち方では「一本」と認められなかったんじゃないですかね(^^;
そんなお稽古では、刀の役には立たなかったでしょうから(^_^ メ)
まぁ、我々現代の剣道愛好家はそこまでこだわることもなく、安全で楽しく交剣知愛でき
るような学び方をしていって問題ないと思いますがね(^_-)〜☆
お名前: kenta
hideさん夢さんあえらさん 有難うございます。
剣道の歴史文化には刀は絶対です。これを無視するのはあり得ないことです。
位置づけで迷ったようです。hideさんの言う「竹刀独特の技術」「竹刀独特の攻防」
これが刀と相容れない次第でした。
お名前: あえら
私の考えでは武士の剣術の訓練として居合道(形)、竹刀剣道、あえて入れるなら抜刀道の3者を江戸中期ごろ行っていたと考えます。それぞれは独立していますがすべてを習得できてこそ日本刀で戦えるわけです。現在では完全独立しているようですが、剣道の竹刀の長さももともと日本刀を自由にあやつれるようにとあえて長く操作しずらくしているのですよ。刀を例に取るのはごく当たり前と私は考えます。
お名前: Hide.
URL
管理人のHide.です。
私も50手前にして真剣など一度も振ったことがありません。で、刀に対する見解は夢さん
と同じですね(^^)
元々は刀の代用品であった剣道が、刀を使えない時代になって中心的な稽古法に変わって
きたわけです。ゆえに、「竹刀独特の技術」「竹刀独特の攻防」というのも生まれてきた
ことは否めません。
ただその文化性を考えたとき「刀を無視できない」でしょうし「無視するわけにはいかな
い」と考えます。竹刀は単に竹の棒ではなくて、刀と同等に扱う必要があるでしょうし、
お相手と単に叩き合いをするのではなく、刀で斬り合うのと同様(そんな経験はありませ
んが)、真剣に礼節を持って対峙することが求められる。
剣道においての刀の概念は、「象徴」ととらえていいのではないでしょうか(^_-)〜☆
お名前: 夢
なお,居合道においても,試斬をするところはそう多くはないと思いますよ。
ただ,高段の先生方は真剣を使って形稽古をされることが多いようです。^^
お名前: 夢
文化的な背景を考えてみますと,もともと日本刀を用いていかに敵を斬るかというところから
始まった流れが,その理念や形を変えて今日の剣道につながっていると思います。
さて,敵を斬るための稽古とはいえ,日々真剣で斬り合いをしては命がいくらあっても足りません。
ですから,木刀による形稽古や竹刀と防具による打ち込み稽古が出てきたのでしょう。
その一つの稽古法にすぎなかった竹刀と防具による打ち込み稽古が取り入れられて,いわゆる
剣道ができあがったと思っています。
現在では実際に日本刀で斬り合う場面などあるはずもなく,竹刀しか手にしない方もいらっしゃるでしょう。
剣道の試合での一本も「切れたかどうか」とは少々違うところもあるように思います。
そういったことを考えますと,kentaさんの「的外れでは?」という気持ちも分かるのですが,
私は上記のようなことから,「竹刀は本来日本刀の代用品」だと思っております。
経験の浅い私ですが,僭越ながら自分の考えを述べさせていただきました。
間違い等ありましたら,どなたか訂正をお願いいたしますm(_^_)m
お名前: kenta
過去の検索で見つけられなかったので、宜しくお願いします。
剣道(竹刀競技)で真剣(日本刀)を例にとる方々(書物・雑誌)がいますが、
私には心技体・道具、環境の多くが的外れとしか受け取れませんし、想像しても本などによるものだけです。
私は、50近くにして、いまだに真剣(日本刀)を手にしたことがありません。
現実に刀を扱うのは居合いで見る据え物斬りしか見たことがありません。
気を抜かない真剣さをに例にとるのはわかりますが、
実際に刀を手に持っての対戦ができるわけがありません。
剣道に於いて、真剣(日本刀)と竹刀では中身がかけ離れ過ぎて、的外れの気がしてはならないのですが?
刀を例にとり剣道(竹刀競技)をするとはどゆうことでしょうか?
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