記事タイトル:間合いについて 


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お名前: ゆりあんみんつ   
十字架剣士さま、
お返事ありがとうございます。
なるほど、自分はちょっとかんがえすぎだったようです。
でもこのおかげで? 自分はまだまだ間合いがなっていない、ということがよく
わかりました。わかっただけでもよかったです。
練習をかさねていつか自分の間合いをものにしたいと思います。
ありがとうございました。

お名前: 十字架剣士   
初めまして。

私も最近、剣道を再開しまして、間合いのカンを取り戻すのに
苦労してます。
剣道って空間の勝負なんだなぁ と しみじみ思う今日黄昏.
間合いを制す者は剣を制す!

自分の間合いはコレだ!というものを持っていても、相手も自分の間合い
を持っているワケで、間合いの状況というものは相手との対峙中に刻々と
変化するものです。

これについて『五輪書・火の巻』から武蔵先生の言葉を拝借。

・・・山海の心と云は、敵我たゝかいのうちに、同じ事を度々する事悪き所也。
同じ事二度は是非に及ばず、三度するにあらず。敵にわざをしかくるに、
一度にてもちいずば、今一ツもせきかけて、其利に及ばず。
各別替りたる事を、ほつとしかけ、それにもはかゆかずば、亦各別のことをしかくべし。
然によつて、敵山と思はゞ海としかけ、海と思はゞ山としかくる心、兵法の道也。
能々吟味有べき事なり。

少し論点がズレますが、このように武蔵先生は、変化の重要性を説いておられます。
つまり、相手は海とも山とも変化するものだから、臨機応変な戦法が必要である・
一つの戦法に固執するのはよくないということですね。

だから私は、「本当の自分の一足一刀の間」というものは特に定義しなくて
いいと思います。最初に「カン」と書きましたが、大体の人は自分の間合いを
口では説明しにくい自分のカンに従って、とっているのではないでしようか。
少なくとも、私はそうですね。

間合い〜つまり、空間把握能力を養うには、やはり繰り返し稽古を行うしか
ありません。その内、何かが「見える」んじゃないでしょうか。

自分だけの究極の間合いというものが。

お名前: ゆりあんみんつ   
ご無沙汰しております。みなさんお元気でしょうか?

最近先生から一足一刀の間合いからの面うちについていろいろご指導いただきました。
自分の間合いを知るということは大切とおもいます。
私はまだ近間からでないと一足では面うちができません。しかし地稽古の時はもう少し
遠間からうてます。今頃気がついてすご〜〜くはずかしいのですが、稽古の時はあいて
も面を打つときに前にでるからなんだとおもいました。(意味わかりますか?)

稽古の時に先輩方が 前にでるそぶりをみせてそれに反応した私は面うちにいくのです
が、そのときに半歩以下で前にでる方にはいつも私の面うちがとどかず、面がねにあ
たってしまいます。
基本うちの時は相手はその場にたっているので近間から打ちますが、同じ基本うちでも
相手が一歩前にでての時は少し遠い間からになります
ということは、どちらが本当の自分の一足一刀の間合いなのでしょうか・・・? 

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