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お名前: パワプロ
武道は、精神と精神の戦いだと思う。武道精神サイコーーーーーーーーーー
お名前: 宮本 武蔵
武道の精神は元を考えると命と命の賭けあいで創られてきたものではないでしょうか??私は今の現代でそれは出来ると思っていません。しかし今の世の中でも昔の人の精神を考え学ぶ事は出来ると思います。今は武道を通しての人間形成の道として武道をするのも良いとおもいますが、それ以上に技の上達論や本当の武道を知るためにも南郷 継正さんの本を読んでみたら良いとおもいます。私もまだまだ武道について語るには力不足ですが少しでもその本来の武道の精神に近づいていきたいと思います。
お名前: 康
昔、先生よりお話を聞いたことがあります。
武道精神とは「備え」である。
すべてに対し、「備え」があるか。
剣の修行を通じて「備え」を養うべし。
難しい話ですけど、剣道の作法や試合等においても、
又、私生活においても考えさせられる言葉だと思いました。
お名前: オトボケ剣
武道精神とはどういうものより「道」を極めるという事でわでしょうか?
安易に勝ち負けだけにこだわらずその奥に潜んでいるものを鍛錬し深く追求していくのが
終わりなく進んでいく「道」だと思います。
柔道、空手道、相撲道、茶道、華道、すべて結果は違っても極めていくものは奥深く
同じだと思います。
剣道もしかり、一時期は試合の結果にこだわりますがその時期を過ぎ新たに新しい剣の道を
目指したとき又そこに道ができる。そして又「極める」武道精神と言う言葉ではないと思います
「道」に終わりがあってはいけないと思います。
お名前: Hide.
URL
to 清兵衛さん
>私たち剣道家も真剣に考える時期ではないでしょうか。
そうですね。日本人の思考回路もだんだん外国ナイズされてきまして「謙譲の美徳」その
ものが失われつつあります。
剣道のみならず、民族固有の文化を大切にする気風を育てていきたいですね(^^)
お名前: 清兵衛
あっちさんが書いてあるとおり、ヘーシンクにはそのような逸話が残っています。
ヘーシンクのとった行動も立派なものですが、それを感じる柔道家がその当時は
日本にも残っていたと思います。「勝っても人前で喜ばない。ひとにねたみを
かうから」「負けても人前で泣いてはならない。ひとに心配をかけるから」
私たち剣道家も真剣に考える時期ではないでしょうか。
お名前: あっち
「良い悪いは別として、(JUDOは)スポーツの一種です。」
と表現したことが、悪口だと取られたのだと思いますが補足させて下さい。
JUDOの試合で、剣道のように主審が「ガッツポーズをしたから、一本 取り消し」
と宣告したとしたらどうでしょうか?
大変な騒ぎになると思います。
その昔、(と言っても良いのでしょうが)JUDOの試合で武道の心をみせてくれた人がいます。
アテネオリンピックのJUDOの表彰式でメダルを授与していた、オランダの
アントン・ヘーシンクさんです。
東京オリンピックが開催された時、私は中学生でしたが「柔道の無差別級・決勝」で
日本の神永さんが支え釣り込み足で倒され押さえ込まれてヘーシンク(さん)に敗れる場面を
TVで見ました。
時間がきて一本になった瞬間、試合場の外にいたオランダのコーチが試合場に飛びこんで
きそうになりましたが、その時、「試合場に入らないでくれ。」とヘーシンクはそのコーチを制止し、歓喜する訳でもなく穏やかに神永選手に礼をして畳を降りました。
当時の柔道関係者が、「日本柔道は、完全にヘーシンクに敗れた。あそこで喜びのあまり
畳の上で、コーチと抱き合い敗れた神永を無視した態度を見せたら、単なる体格の差で
負けたとも言えるが、あの敗者をいたわる立派な武道精神を見せられたら、もう兜を脱ぐしか
ない。」
とコメントしたそうです。
お名前: Hide.
URL
管理人のHide.です。
そうですね、私もあっちさんと同じように、武道精神とは「敗者に対するいたわりの心」
だと思いますね(^^) すべてはそれから派生して「礼」の考え方ができていると思います。
剣道に限らず、謙虚に&真摯に取り組むことが大切ですね。
to うぅいさん
そんなに「柔道の悪口みたいなこと」を見かけますか?(^^;
私ども剣道愛好家は、柔道に対して偏見などもっておりませんよ。JUDOは国際化をしてい
くにあたり、外国人に理解しやすい形を選び現在のルールで世界に普及しました。ただ、
剣道は違う道を歩もうとしております。その比較の中で出てくる言葉だと思いますので、
「柔道の悪口」ではありません。そのように受け止めていただけますとうれしく存じます(^^)
お名前: うぅい
よく見かけるんですけど、剣道のサイトで何でそんなに柔道の悪口みたいな事を書き込むんですか?
お名前: あっち
武道精神の一つは、試合において正々堂々と戦い試合が終われば、敗者にいたわりの心を持ち
礼を失しないことです。
例え、試合に勝っても明日は自分が敗れるかもしれない。
相手に感謝といたわりの心をもつことです。
JUDOには、この心が無くなっています。
JUDOは仕方がないことですが、武道ではなくなっています。
言い悪いは別としてスポーツの一種です。
お名前: あっち
武道精神の一つは、試合において正々堂々と戦い試合が終われば、敗者にいたわりの心を持ち
礼を失しないことです。
例え、試合に勝っても明日は自分が敗れるかもしれない。
相手に感謝といたわりの心をもつことです。
JUDOには、この心が無くなっています。
JUDOは仕方がないことですが、武道ではなくなっています。
言い悪いは別としてスポーツの一種です。
お名前: 剣中
不動心かなぁー?!
お名前: 中学生
武道精神とはどいうことをいうのでしょう。
先生方でいていることが微妙に違います。
みなさんのいけんを聞かしてください。
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