記事タイトル:皆様はどうお考えですか? 


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to 流浪の勤皇志士さん

お役にたちますればうれしく存じます(^^)
お仲間にもよろしくお伝えください(^_-)〜☆

お名前: 流浪の勤王志士   
皆さんご意見ありがとうございます。
簡単に結論が出るとも思いませんが、手探りながら試行錯誤しながら頑張ろうと思います。

今いちに会HPにはまりっぱなしで、同じ道場の仲間にも紹介してます(笑)
また参加させてくださいね!

お名前: Hide.    URL
To 流浪の勤皇志士さん
>ちょっと論点がずれるかも知れませんが、審判をしていて常に思うのが「胴打ち」なん
>です。
>最近の中・高校生はスピードもあるし非常に抜くのがウマイ(笑)
>「競技」の「ポイント」としては文句無く「アリ」だとは思うのですが、「一本」とし
>てはどうか?
そうですね、下からしゃくりあげるようにして打ってますので、ほんのわずかな隙間でも
捉えているようですね(苦笑)

私は「基本から外れたものはとらない」を原則に考えております。つまり、
 ●下からしゃくりあげたもの(打ち下ろし)
 ●平打ち(刃筋)
 ●すれ違ったあとに胴にあたったもの(胴は前で打つ)
 ●手元上がり剣先下がり
 ●回転胴
 ●引き胴あるいは逆胴で、お相手に背中を見せた場合
 ●逆胴の左脇を抜いて打ったもの
ですね。

片手の抜き胴は「片手打ち」として必要十分な打突力があれば「一本」と考えておりますが、
打突後の残心としていつまでも右片手でアピールしているものは「望ましくない」と考えま
す(^^;

>自分は少なくとも剣道を「武道」と捉えたいと思ってますし、「心栄え」も大切だとは
>思うのですが、試合がある以上子供たちに「勝つ」喜びも知って欲しいいし・・・
>自分の中でも堂々巡りですね・・・(苦笑)
指導者が心栄え正しく指導していれば、子どもたちも心栄え正しく戦ってくれるようにな
るものですよ(^_-)~☆


To ひろさん
>その・・・少し横レスになりますが、「スポーツ剣道」と「武道」の境界線はかなり
>微妙なところにあるとは思います。
「打たれて感謝」ももちろんですが、私が日ごろ言いつづけているのは「敗者に対するいた
わり」です(^^)
これができていれば、応援の態度などももっとすばらしいものになると思うんですがね(^^;

お名前: 審判長   
私は打てと指導します。
勝負は勝たねばなりません。
打つなと指導するのではなく、修行が積み重なっていくにつれあえて打たなくなるよう
な気がします。高校生の勝ちたい時期に、打てば勝てるのに打つなとは、私は言えません。
それから先の修練により自らの考えにより打たなくなる。正しい剣の道を歩んでいると解釈いたします。

お名前: ひろ   
その・・・少し横レスになりますが、「スポーツ剣道」と「武道」の境界線はかなり
微妙なところにあるとは思います。
私は思うに、剣道が武道であるといえる最大の要素は、「打たれて負けてもそれは弱点
を教えてもらったことだから、感謝しなさい。」というところだと思います。それ以外
の部分は、果たしてスポーツと武道の違いはあるのか?正直ないと思います。
どのスポーツも人間形成や身体の練磨を理念に掲げてます。別に剣道だけが唯一無敵の
人間形成の手段だ!!とはさすがに誰も思わないかと。
となると、それでも武道とスポーツが違う部分は何か?やはり、スポーツは記録や勝敗
が価値を持つ判断基準ですが、剣道は「打たれたことに感謝する」という特殊な基準で
判断されるものだと思います。
つまり私の考えでは、別に勝つことを目指すのが悪いのか?そこに「打たれたことに
感謝する」という要素さえ入っていれば、それはスポーツではなく武道をしていること
になるのだ・・・ってことです。ってわかりにくいですね(--;)

お名前: 流浪の勤王志士   
Hide様
ご意見ありがとうございます。
ちょっと論点がずれるかも知れませんが、審判をしていて常に思うのが「胴打ち」なんです。
最近の中・高校生はスピードもあるし非常に抜くのがウマイ(笑)
「競技」の「ポイント」としては文句無く「アリ」だとは思うのですが、「一本」としてはどうか?
我々の時代には逆胴はまず間違いなく取ってもらえませんでしたし、我県では他県に比べ比較的「引き技」(特に引き胴)に関しては厳しいのが現状みたいです・・・
「武道」としての捉え方と「スポーツ剣道」としての捉え方で違ってくるかとは思いますが、難しいトコだと思います。
自分は少なくとも剣道を「武道」と捉えたいと思ってますし、「心栄え」も大切だとは思うのですが、試合がある以上子供たちに「勝つ」喜びも知って欲しいいし・・・
自分の中でも堂々巡りですね・・・(苦笑)

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

そうですねぇ、ルール上「お相手が打突してくることがある」事を教えるためには、ふだ
んのお稽古から「打て!」と指導しておいたほうがいいと思いますけどね(^^;
ただ、自分が実際に打つかといいますと打たないとは思いますが(笑)

高校生にとりまして、そこで勝つか負けるかで人生そのものが変わってしまうこともあり
えます。悔いを残させないようにするのが指導者の勤めであり、それと「心栄え」の問題
は次元が違うものだと考えますが・・・(^^)

お名前: 勤王の志士   
サラリーマン剣士さま
テーマが分かりにくくてすいません・・・(苦笑)
とどのつまり、「倒れた相手に対し直後の打突を加えるよう指導するか否か」です。
いろんな考え方があっていろんな指導法があると思いますが、皆さんのお考えをお聞かせいただければと思いました。
ハンドルネームに関しては個人的趣味ですのであまり気にしないでください(苦笑)もうそう若くもないですよ(笑)

お名前: サラリーマン剣士   
テーマをぼやかして御免なさい
もう一回読み直して見ると志士さんの意図は
剣道による人間形成及び、道徳教育についてどうお考えですか
という主旨だったのですね。

お名前: サラリーマン剣士   
テーマが良く解りにくいですが
ハンドルネームから類推してお若い方とお見受けしました

勤皇も新鮮な感覚でいいと思います。温故知新で

戦前に国の為といって死んでいかねば成らなかった人と
価値を見失って、自ら死を選ぶ人間とどっちが不幸か考えると、
どっちも同じぐらい残酷なような気がします。

昔の人考え方や生き方を学ぶのは良い事だと思います、
しかし、社会環境が違うのであくまで参考としてでしょうね

お名前: 流浪の勤王志士   
先日審判講習にてある先生(八段の私も尊敬している先生)がおっしゃられました。
「自分の指導では相手が倒れた時には打突を加えさせない」と。(高校の監督をなさっています)
私自身少年剣道の指導に携わっていて、子供たちには
「試合の最中には決して気を抜くな」
と指導しています。
先に述べた倒れた時の打突に関しても直後の一本は認められているのでそこは打ちなさいと指導しています。

部分を切り取りしての事ですので、なかなか分かりにくいこともあるかとは思うのですが・・・(苦笑)

その先生は
「剣道を教えるのではない。剣道で教えるのだ」
とおっしゃいました。剣道の技術を伝授するのではなく、剣道を通じて人間形成を図るのだと。
先生のおっしゃることも分かるのですが、私は子供たちに対しては「勝負の厳しさ」も知って欲しいと思っています。
相手を思いやる気持ちや稽古・試合相手に対する感謝の気持ちも大切なのは十分承知しているつもりですが、そこをおしても
「一本にかける、こだわる執念」も必要なのではないかと考えます。
もちろん年齢相応にふさわしい剣道があるとも思います。
実際に私が現在試合をした時を想定すると、倒れた相手には打突は加えないと思いますから・・・(苦笑)
ただしその場合間合いを詰め、相手の動向如何によって対処できるように残心は示しますが・・・
相手が体制を崩し(倒れて)こちらが十分な気迫と残心を示すことにより打突を加えずとも勝負をつける気持ちのゆとりも必要だとも思い、また先に述べたように子供たちには勝負に対する厳しさも身に付けて欲しいと思っています。

余談ですが武道の「武」は「戈(ほこ)を止める」と書くそうですね。戦わずして勝負を決めるというのが武士道の真髄だと何かで読んだことがあるようなないような・・・(苦笑)

長々と書いてしまいましたが、皆様のお考えをお聞かせ願えればと思います。よろしくお願いします。

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