記事タイトル:着座の際の竹刀の取扱にについてご意見下さい。
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お名前: 平戸の修行者
突然の書き込み失礼いたします。
私もはじめは剣道は勝てばいい子供の部活の時間も限られているから実技優先にと考えていましたが友人から剣道とはそんなもんじゃないと欣司先生の剣道藝術論を手渡されそれ以来考えが変わりました。長崎県に住んでいますので私の子供二人も馬場先生の福江道場出身で長崎西陵の片山倉則先生に預け指導していただきました。また私も長崎剣道連盟会員ですので馬場武典先生から少なからずご指導していただいています。
剣道一家さんは馬場先生の指導を本だけでこれだけ真面目に考えて実践なされて感動しました。よかったら私が武典先生にお話しして了解がもらえれば剣道一家さんが武典先生にメールで質問してみてはいかがでしょうか
て了解がもらえれば剣道一家さんが武典先生にメールで質問
お名前: 通りすがり(2)
長文になりましたので、一度、切らせていただきました(笑)。
居合では、扱うものが竹刀以上の力を持っているだけに、
それを心がける礼法・作法が重要になります。
必然的に、日ごろ身に着けた作法が十分に働いて、
武具も大切に扱うようになります。
竹刀を大切に扱うことを目的としての帯刀の作法となれば、
ちと問題がありかな、と感じてしまいます。
竹刀を大切に扱うのは、作法が身についた結果の所作であり、
作法の目的とするところではないからです。
剣道の作法には、剣道であるからの礼法・作法があるでしょう。
帯刀は”戦う前”と”後”の”一回づつ”、という師範の注意には、
その意味が含まれているかも知れません。
お名前: 通りすがり
剣道の作法と、居合の作法では、差がありすぎて比較になりません。
扱うものが竹刀・刀と違うので、差があって当然とも思っています。
「このやり方は間違っている」というのは、
そこで決められた剣道的に間違っているということでしょう。
同じ居合でも、流派により細かい違いがありますし。
まず、居合では、常に残心を心がけます。
最期の礼に入るまで、いつでも抜刀し撃てる体制を保ちます。
帯刀しているということは、抜刀し撃てるということです。
次に、居合は刀礼を欠かしません。
人を撃てる武具を扱うということも関係しています。
居合刀でも竹刀でも木刀でも稽古し打ち合いますが、
手にするものは刀という人を撃つ武具である、
磨くものは人を倒す武術である、という意識を持ち続けます。
私の率直な感想としては、
馬場先生の剣道は竹刀だけのものではない、
ということだと思います。
武道は、その技術をもって人に対峙し、戦うものです。
相手を撃つ技術を磨く以上、それを扱う心構えも必用です。
礼法や作法には、人にその心構えを与える上で大きな役割を果たします。
先生の剣道会では、師範からの注意があったようですが、
まちがいなく、子供たちの様子が変化したのは、
その作用がきちんと働いた結果であると思います。
剣道では、居合でいう帯刀と抜刀というものがありません。
竹刀を使うので当然といえば当然です。
竹刀を構えたところから勝負が始まるからです。
竹刀の扱いを指導するための手法として、
帯刀を用いた作法を利用するとしたならば、
居合における帯刀の作法とは意味が異なってくるでしょう。
お名前: コム
みなさまへ
馬場先生の件、大変な間違い(勘違い)をしておりました。
最近お亡くなりになりましたのは、馬場武典さんのお父様「武雄」先生
とのことであります。
「剣道一家」さんのご指摘により判明いたしました。
「剣道一家」さんありがとうございました。
この場をかりみなさまに訂正とお詫びを申し上げます。
お名前: コム
みなさまへ
『武道待望論』ベースボールマガジン社刊(2000円)「老剣士の遺偈」
のなかで馬場武典先生の特集がくまれております。
それによりますと、馬場先生は青少年の剣道指導に生涯をささげ、去
る平成10年5月31日93歳でお亡くなりになられております。
馬場先生の生涯、お考え、指導、に大変感銘を受けました。
何か他に著書がありいましたら、ご紹介下さい。
お名前: Hide.
to Squareさん
>終わりの刀礼では帯にさした刀の鍔に指を掛け着座してから刀を帯より抜き礼
>法に入ります。
ハハァ、これは存じ上げませんでした。
私も馬場先生が居合までたしなまれていらっしゃるかどうかまでは存じ上げませ
んが、もし、そうだとするならば「帯刀」とお書きになられたことも納得がいき
ます(^^)
剣道の場合は、立礼から立会いがスタートすることがほとんどですし、日本剣道
形終了時に行なう相互の座礼も、刀を帯から外した状態の後に行われております
ので、まったく居合のことまで頭が回りませんでした。このあたりに解決の糸口
がありそうですねヽ(^.^)ノ
お名前: Square
剣道一家さん、Hide.さん 浅学が口をはさむものではないとは思いますが。
その馬場先生がどのような経歴かも重要ではないですか?
と言うのは少しだけかじっている居合の場合は始めの刀礼の時は手に持っていますのが
親指は鍔に当て剣道で言う帯刀姿勢だと思います。
終わりの刀礼では帯にさした刀の鍔に指を掛け着座してから刀を帯より抜き礼法に入ります。
この時は確か帯刀と習ったような気がするのですが?ですから馬場先生が居合をたしなまれて
そちらの感性で執筆されていればそのような表現があっても不思議ではないのかなと思いました。
自分も剣道の時にも同じやり方を竹刀でやってますがやはり傍目には帯刀に見えるかもしれません。
勿論左手の竹刀を右手に持ち変える時も鍔に右手の親指を乗せてます。
お名前: Hide.
to 剣道一家さん
たぶん形としてほぼ同じですからそう書かれたのだと思います。
ただ、師範の先生がしっやるように、着座するときに「帯刀」することは理にか
なっていないと思います。
もしどうしても疑問がある場合は、馬場先生にお手紙を出してみてはいかがでしょ
うか(^_-)〜☆
お名前: 剣道一家
Hideさん、またまたご教授頂き感謝いたします。
ただ、「剣道の礼法と作法」馬場武典著(体育とスポーツ社)という本には、はっきりと帯刀と
明記してあるのですが。
一度、著者に質問してみたいですね。
お名前: Hide.
>しかし先日当会の師範に注意されました。帯刀は戦う前と後の一回づつと決まっ
>ていて、このやり方は間違っていると。
師範の先生の言わんとすることは間違っておりませんね。ですから、着座直前の
帯刀を「帯刀」と考え(言わ)なければいいんです。あくまでも、座法の中の一
動作「竹刀を腰の高さに引きつける(帯刀とは似ているが帯刀ではない)」と考
えさせればいいんじゃないですか(^^)
私も剣道一家さんと同じように子供たちに教えておりますが、この動作を「帯刀」
とは言っておりません。あくまでも座法の中の「通過の動作」としてやらせてお
ります。
お名前: 剣道一家
連続投稿失礼します。私の所属する剣道会では小学生が低学年〜高学年まで25名程度おりそれな
りに活気があります。小学生特に低学年は提げ刀の状態で着座すると竹刀の先を床にバタントつ
ける子供が多く、「竹刀を丁寧に置きなさい」といくら指導してもなかなか改善されずに悩んで
おりました。そこで1年ほど前から次のような方法に切換えました。?立った状態(提げ刀)から着座する際はまず帯刀して正座し、正座がきちんと終わってから剣先の方から静かに置く。正座をしてしまうまでは、帯刀の状態を崩さない。?正座から立ちあがるときは、まず竹刀を取り上げて帯刀し、その後帯刀の状態で立ちあがり、提げ刀となる。?の逆を行なう。これにより次
のような改善効果がうまれました。(イ)竹刀を床にぶつけて置く子がいなくなった。(ロ)ま
た帯刀した状態で正座してから竹刀を置く事で静かにおけるようになった。(ハ) 一度帯刀
することで心が引き締まると同時に背筋ものび、真直ぐな姿勢で着座できるようになった。
実はこの礼法は「剣道の礼法と作法」馬場武典著(体育とスポーツ社)で紹介されていたものを
取り上げたものです。しかし先日当会の師範に注意されました。帯刀は戦う前と後の一回づつと
決まっていて、このやり方は間違っていると。(当会の師範は大人への指導はしますが、子供へは直接指導しておりません)礼法については何が正しい、間違いとはいいきれない事が多いとは
思いますが皆さんのご意見を賜れれば幸いです。
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