記事タイトル:八段が先生の高校 


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お名前: ひろ   
>人生八段

私もそうなれるように頑張りたいです(^^;)

お名前: Hide.    URL
To 親父馬鹿さん

いいお話をありがとうございます。
カキコを拝読していて、私が少年時代に通っていた道場の老師範の姿がダブりました。

技術的には、常に、「遠間から大きく真っ直ぐ打ちなさい」としかおっしゃらず、試合で
勝っても負けてもニコニコしておられました。
打ち込んでいくと簡単に打たせてくださいましたので、老師範が強いのか弱いのかすら私
の目からはわかりませんでした(^^;
そして、いつも「人の道」を説いてくださってました。

私もあんなおじいちゃん先生になりたいですね。
「人生八段」、頑張ります(^0^)

お名前: 親父馬鹿   
 私みたいな者が「書き込み」する事をお許しください。
剣道の先生方の意見を拝見して、剣道を習う子を持つ親として一言。
 >そういう意味では、「守・破・離」なんて言葉はよくできていると思います。最初は
 >師匠がしっかりと導いてあげる。次にそれを自分なりに工夫し、吟味していく。そして
 >最後は一人立ちする・・・。

 私は、親子の関係でもこういったことを剣道を通じて実践していこうと考えています。
どうやって愚息を「自律、自立」させることが出来るかってことを。
 思えば道場の老先生が、入ったばかりの不器用な愚息を親の私が頭が下がる程竹刀の振り方を
何度も何度も繰り返し根気強く教えられている姿、少し試合で勝てるようになってくると若い
先生に任せたようにして、中学後半からは8段先生が教えているのを黙って見守る。
 老先生は72〜4くらいで道場主で7段です。人生8段?いやそれ以上

 問題もいろいろありましたよ〜。 父兄会の親同士で試合で勝つ子を優先して出して欲しい
と言う要望も「練習に毎日でて一生懸命やっている子を優先して出場させます」「いくら運動
神経がよく、出せば勝つであろう選手でもまじめに練習にこない子は出しません」と一括
 (お陰でうちの子は弱いけど時々出してもらえました)
うちの子は小学校後半から中学2年まで道場内の上級生と、学校の同級生からつまはじきや
いじめに遭っていました。 薄々私も感じていたのですが、一番知っておられたのは老先生
 でした。中2の秋の新人戦の時一個上の選手との試合(相手は180cm、愚息は155cm
) で愚息が返し胴と延長で面を決め勝った試合がありました。 試合後、老先生が
「大夫気持ちが強くなりました。今から先勝った負けたはあるでしょうけど、もう虐めに
 負けるようなことはありませんよ!」 と言っていただきました。最初は何の事だか解り
 ませんでしたが。後日(大夫たってから)息子から聞いたときは武者震いがするくらい
 深刻な状態だったこと・・。(中三では大将を努めました)
又、親子鷹の問題で、親鷹が道場練習から脱線して子鷹の練習をし、熱くなって他の子に当たり
散らす、父兄会の中に入り込んで道場主の批判をし自分のほうに親たちを引きずり込んだり
 などあっても、老先生は黙って日々道場の子の練習の様子を見て、時間が来たら帰られていました。 結局いつの間にか親鷹は、父兄からも剣道協会からも異質人物のレッテルを・・。

 若先生や八段先生は、練習後の談話?ではいつも剣道の心構え、技などが主です。
老先生は、子供達には「約束は守りなさい、親の言いつけは守りなさい、お手伝いをしなさい
・良いと思ったことは直ぐにやりなさい・遠慮しなさい?」等です。又私たち親には「剣道
の試合で一つでも良いですから負けても勝っても誉めてください・真っ直ぐ構えて真っ直ぐ打つ
しっかり残心を取る、真っ直ぐだけでは勝てない悩む・考える・工夫するでも真っ直ぐ」「
悪いことは直ぐ誰にでも解る、でも良いことは見えにくく解りにくいです。だから真っ直ぐなのです」
「剣道も、子育ても、人生も一緒 焦って慌てず」「向き不向きより前向き」
 など色々教えていただきました「人生の8段、老先生」
  私は、剣道未経験ですけど目指せ「人生八段」です
 
 指導者の先生=人生八段であって欲しいと思います
     子を持つ親として・・・。 長々とすいませんでした。
  
 

お名前: ひろ   
親馬鹿一刀流さん>そうですね・・・。これからの剣道界で一番問題になるのは、
剣道を普及させるのか、それとも求める人だけのものにするのかなのでしょうね。
私は剣道を普及させることが大事だと考えてます。そして同時にいろんな他の種目
との交流も深めていくべきだとも思ってます。
>教育→指導→稽古→教育→・・・の繰り返しではないかと。
そうですね。私も最終的には稽古しかないと思います。その最終段階に至るまでの
過程がどうなのか?それも剣道界で考えるべき問題にもなってきていると思います。
なにせ、あとは稽古あるのみ、って段階まで来た方はやはり剣道をそのまま続け
ようとすると思いますし・・・。
そういう意味では、「守・破・離」なんて言葉はよくできていると思います。最初は
師匠がしっかりと導いてあげる。次にそれを自分なりに工夫し、吟味していく。そして
最後は一人立ちする・・・。
その「守」の段階をどうするか?別に無理して剣道をしなくても他にスポーツがいくら
でもある現代、この「守」の時点で、いかにこの「守」を考えられるかが、これからの
剣道界の運命を担っていると直感ですが、思ってます。

って、かなり大それた話になってますね(^^;)

お名前: 親馬鹿一刀流   
親馬鹿です。

ひろさん
小中学生を指導する立場から少し書かせていただきます。

指導法の事
剣連のある催しで、稽古は自得の世界、教育は知識を持った者が、それを
教える事と説明された方が居られました。
私はこの中間に指導があると思います。
教育→指導→稽古→教育→・・・の繰り返しではないかと。
Hide.さんが実践されている方法と同じですね。
あと階段状に1段1段ステップアップさせる方法とらせん状に元に戻りつつ
スキルアップさせる方法があると思います。
それには、自分も勉強が必要です。

高段者の問題
ひろさんご指摘の通り、剣道ブームの世代が残っていないのは、指導者が
稽古で強くなった方が大半だった事が原因と思います。
稽古を続けられた者しか残らなかったとも言えますか。
稽古で剣道を学んだ者は稽古でしか指導できないのだと思います。
寝食忘れて稽古する事をいとわない世代では通用したかもしれませんが、
現代社会ではもう無理でしょう。

ただ、忘れて欲しくないのは伝統工芸の世界に見られるように、マニュアルの
全く無い、それこそ自得の世界でありながら何百年も技術を伝え続けている
例もあります。
問題は、今の社会では採算性がとれない、社会的に優遇されないというような
事で後継者が減っているという事でしょうか。

普及、人口増加の事
出来るようになった喜びを味あわせる事の重要性に異議はありません。
達成感を感じさせる事はけっこう難しく、Hide.さんも言われるように
「指導者の工夫のし甲斐のあるところ」です。
これには子供は特に誉めろと良く言われますね。親の協力も必要です。
ところが、入門当初、礼儀、協調性を身に付けさせたい、体力をつけたいが
目的だった親御さんも、試合に勝たせたくなってしまい、団体戦などで自分の
子供の負けで勝負が決まったりすると責任を感じたりするんですよ。
この姿勢は絶対子供に影響します。
子供が勝てなかったのは指導者の責任なんですがね。
これは今も昔も変わらないのかもしれませんが、昔の親の方が毅然としていた
ような気がします。
子供達だけではなく、親も教育しなくてはならない場合があります。
私も子供達に勝つ喜びを味あわせたい方ですが、目的ではないです。
私の目的は時々書いていますが小さな社会貢献です。
私が出来る事は、剣道の技術指導ですが、剣道の技術指導を行う環境で自然に
徳育が出来ると思っています。
剣道は本来普及させる物ではないという考えでいますが、剣道を行う環境が
社会に貢献できるならば普及した方が良いですね。
その一端の指導者の立場にある私には、ひろさんが問題提起された事を含め責
任があると思っています。

お名前: ひろ   
Hide.さん>最近、剣道雑誌を見ていてもほぼ毎月少年剣道をどうするかっていう記事
ばかりですしね・・・(汗)やはりそれだけ今は底辺から剣道界を見直すべき時期に来て
いるのでしょうね(^^;)
なんだかんだ言って、中学や高校の部活って友人がいるからとか、友人に誘われてって
のが多いと思います。つまり少年剣道をしている友人が誘えばそれだけ入部する可能性
も増えますしね。そのためにも少年剣道からそのまま続けてくれる人を増やすことが
大切ですね(^^)

お名前: Hide.    URL
to ひろさん

>やはり剣道をもっとよりよいものにするためには、底辺をもっと支えて引き上げない
>とだめなのかもしれないですね・・・。

そうですね、最初に基本を学ぶ指導者によって大きく変わってきますね。同じメソッドで
やっていたとしても、ポイントの示し方によって出来上がるものが全然違いますし(^^;
よって、底辺の引き上げは「底辺の指導者層の引き上げ」ってことですね(^_-)〜☆

お名前: ひろ   
Hide.さん>最近「運動神経がよくなる本」というのを読んだのですが(これを読む自分
の姿が情けなかったですが・・・)人間の運動神経や競技能力が飛躍的に向上するのは
三つの時期があるそうです。

最初は1〜6才
次は9〜12才
最後が16〜22歳

だそうです。この時期にどれだけ運動をしたかによって、運動神経の発達のよしあしや
競技能力が変わるらしいです。確かに、1〜6才はできなかったことが水を吸収する
ようにどんどんできていく時期ですよね(^^)
そして9〜12才の子供を見ると、なんであんなにしなやかでセンスのいい動きが
でき、難しい動作を簡単にできるのかに驚かせられます。
13〜15才は、どうも成長期でホルモンバランスや体のバランスが悪いので、それ
ほどの競技能力の成長は望めないらしいです。むしろ、基本動作をその時期は確実に
できるようにしていた方が後々良いみたいな感じで書かれてました。

で、その本に書いてあったのですが、16〜22才のころは、どのスポーツも質の高い
指導者に比較的巡り合えやすい。しかし、9〜12才のこの時期はなかなかそのような
指導者に巡り合えにくいと。だから本当にすばらしい競技能力を身に着けたければ、
9〜12才の時期にこそ良い指導者が就くべきだと・・・。ちょっと意味深長です。

今まで体育講義で見てきた剣道経験者を見てきますと、小学校で剣道をしていました
って方に技術面のばらつきを感じるんですよね(^^;)中学時代にしていた方は刺し面?
が突いて当てる感じで左手がものすごく上がっていやすいです。これが高校になると、
高校からはじめた方でもそれほど技術にばらつきを感じないです。

思うに、まず小学生の段階でどれだけ基本を正確に教わるか。次に中学生の段階で
どれだけその基本を崩さずに、体に覚えこませるか。それがけっこう大きな分かれ目
になっているような気がします。あくまでも技術面ですが(^^;)

やはり剣道をもっとよりよいものにするためには、底辺をもっと支えて引き上げない
とだめなのかもしれないですね・・・。

お名前: Hide.    URL
To ひろさん

剣道って上達が実感しにくい競技なんですね。
その割にだめなところはすぐに実感できる。なにしろ打たれたところはすべて自分の悪い
ところなんですから、まったく自虐的な競技です(笑)

それゆえ、「いかに達成感を与えてやるか」っていうのは指導者の工夫のし甲斐のあると
ころですね(^0^)

剣道のお稽古はどうしても反復練習が中心になります。その中で一定以上のモチベーショ
ンを維持させ、なおかつ、常に新しい課題&限界に挑ませるには、指導者の力量が必要にな
りますね(^^)
とくに初心者指導ほどベテランがあたらなければだめだと思いますよ。

お名前: ひろ   
続きです(^^;)
私自身は中学時代バスケ部でした。市内でも最弱でした。練習内容は筋トレや走り込み
などどこでもしているような内容でした。
最初一年時には、同級生は二十人程入部しました(スラムダンクの影響で)しかし、
いくら練習しても、うまくなったという実感が沸きません。そして現に試合でも負け
続き。そして練習でヘトヘト・・・
一年後には部員は半分に減っていました。そして顧問は学級崩壊を起こし、転任して
いきました。
そして三年になった時、顧問が変わったのを機会に部員の父親(県内公立高校で最強の
ところのバスケぶの顧問)が教えにきてくださるようになりました。
それから内容は変わりました。朝練習ではシュート練習を二人一組にし、本数と成功率
を片方が数えながら、フォームをチェックする。筋トレやランニングの量もなんのため
にするのかを明確にする。プレーの失敗は何が原因か、この場合はどうすれば良いかを
説明するなどなど・・・
そしてそれまで市内最弱だった私の中学は、その年に市でベスト8に入りました。
また、その年に部を辞めた部員は一人もいませんでした。そして次の年には、県大会で
優勝して、全国大会に出場したのです。そしてその時には、補欠のメンバーも表情は
いきいきとして自信に満ちており、高校に入ってもバスケを続けるメンバーが多く
いました。
これをどう考えるか?私は、勝つから高校でも続けるというのもあるとは思いますが、
それよりも「できた」というのが続ける理由だと思います。「できた」経験が、自身に
自信を持たせ、やる気を持続したのだと思います。
これは私のバスケでの話ですが、剣道では違うのでしょうか?武道だからといって、
特別であるのでしょうか?
剣道を「している」方は、一般的に堂々としている方が多いと思います。では、辞めた
方は・・・?なんとなくどこか自信なさげな方がよく見受けられるのは気のせい
でしょうか?剣道で「できた」という経験があまりなかったために、自信をなくして
いるのなら、何のための剣道か、と思います。もちろん慢心はいけませんが。

ここでもう一つ。うちの大学の剣道部は強豪です。そこに、体育講義で剣道を取って
いる初心者が、昨日思い切って入ることを決意しました。彼は、体育講義でもなか
なかうまくできています。彼に聞いてみたら、「できるようになってきたらおもし
ろくなってきたから」らしいです。経験者でもびびって入らない剣道部に入る彼・・・
でも、やはり剣道をする方が増えることは減るよりも嬉しいですね。

お名前: ひろ   
Hide.さん>ありがとうございます(^^)すごい参考になります。
 最近思うのですが、「こうする(なる)となぜいけないのか」「こうすれ(なれ)ば
なぜうまくいくのか」を指導者は提示することが大切だと思うようになってきました。
最近は打たれたりしても「なぜ打たれたのだろう」「あそこが駄目だったのかな?」
などと自分なりに考えられるようになってきました。でも、高校時代に剣道を始めた
時の自分を思い出してみると、やはり基礎知識や絶対的な経験量が足りないので、
自分が何をやっているのかがわからないことが多々ありました。
 たいていの直りにくい悪い癖ってその状態の時につきやすいようですね。
 今は大学の体育講義の剣道で一番古株の受講者になってきたので、多くの初心者を
見てアドバイスとかしてますが、たいていは同じ失敗をしているものですね。剣道
で一般的に言われている言葉には、経験者にはぴったりでも、初心者にはあてはま
りにくいことも多々あることがわかってきました。例えば手首をきかす。
初心者がそれをしようとすると、手首が返りすぎたり、脇があいたり、横握りに
なったり・・・むしろ最初は手首を遣わさずに素振りをさせて上下運動になれて
から徐々に手首を教えた方が早かったり・・・。意外と剣道の常識に囚われて
初心者を苦しめてしまうこともあるのですね。
 一応仏教徒なんですが、その人その人にあった方法で説くのが大切と学びました。
では初心者には?やはり初心者には剣道に良い思い出を持ってもらい、卒業後も
続けてもらえるようにすることが大事だと感じます。剣道修行は一生続くもの。
二、三年で嫌気がさして止めてしまっては元も子もない・・・。剣道時代か日本に
以前少年道場の記事でありましたが、「おもしろそうをおもしろいに変えるのが
指導者の見せどころ」に同感しました。剣道を「きついから」と始める人はあまり
いないと思います。普通は「おもしろそう」と思い始めるはず。そして「おもしろい」
と思ったことには人間は、自分から考えたり、努力をしたりします。ではおもしろい
とは一体何か?私はそれは「できる」ということだと考えます。誰だって、いくら
努力をしてもいつまでたってもできなかったら嫌気がさすと思います。逆にできる
ようになれば、「やった!!できた!!」ってなって、俄然やる気がでやすいと思い
ます。その時に「おもしろい」と感じるのではないでしょうか?
 つまり、「おもしろい」とは「達成感」を感じるかどうかだと思います。色々な
努力をしたり工夫をした結果、できなかったことができるようになる、試合に勝つ。
そんなことに最初は喜びを感じるのではないでしょうか?そしてそれを感じさせるのが
指導者の役割だと思います。

お名前: Hide.    URL
To ひろさん

>別に白黒はっきりさせるとかではなく、どの程度まで指導者が踏み込み、どの程度は
>生徒の自主性に任せるのかがいつも悩んでますので・・・

そうですね、私の技術面での指導スタンスには三通りありまして、
 1.なぜできないか、どうしたらできるようになるかを具体的に示す
 2.やってみせ、イメージでとらえさせる
 3.「習うより真似ろ&慣れろ」で繰り返し稽古させる
を使い分けています(^^)


中高校生たちには主に1と2を、小学生には2と3をメインにしてますかね(^^)

中高生は3年間という短いスパンの中で一定以上の成果を出さなければなりませんし、言
葉での理解力もありますので、
 ●方法を示す
 ●実践させる
 ●弱点・欠点を知らせる
 ●その改善策を示す
という繰り返しになりましょうか。
とくに女の子は、「やりながら身につけていく」という力の弱い子が多く、男子なら「こう
やれ!」で済むところを手をかけて教えてやらないといつまでたってもできない傾向に
ありますから注意が必要です(^^;

小学生は、高学年になれば言葉での指導もわかりますが、基本的には2の「やってみせる」
が効果があがりますね。
たとえば、ただ「長く大きな声を出せ」といってもなかなか声が出ませんが、こちら
が「いやぁ〜〜〜!」と掛け声の見本を示してやるとできたりします。
あとは繰り返し稽古をさせますが、身体に触って形を直してやりますね。
腕を持ったり、足幅をいじったり、握りを直したり・・・。やはり「言葉よりもイメージに
働きかける」ことを中心にしています(^^)


いずれにしても大切なことは、「こうすればよくなる」という明確な分析力とビジョンが
なければいけませんね(^_-)~☆

お名前: ひろ   
怒髪天さん>
>自分で考えて身につけたものでなければ本物ではないって考え方もあると思いますよ。
>技を「血や肉」に変えるにはそういった言葉では表現出来ない部分もあります。
>そうして自分で見つけていったものは「純度」が違うはずです。だから「結果よりも
>過程が大事」なんです。なんでも解りやすい方が良いと言うのは間違い。

>若いうちから考える事を放棄する頭のただ受動的な人間になってしまうんじゃないでは
>無いでしょうか。

もちろんそう私も思います。私も自分で考える努力を放棄させるようなこととか、
結果ばかりが大事とは思いません。確かに教わる側が考えることは大事であり、自身が
勉強するなどの努力も大事ではあると思います。
しかし、それは教わる側が一定のレベルに達し、考えるだけの知識や経験あるからでは
ないでしょうか?小学生に九九を教えるときに、「とにかく覚えろ」で覚えたのが本当
に力になるのか?「二が二つあるから四」ということを理解した上で暗記するのと、は
大違いだと思います。数学の公式の仕組みを理解する、その上で数をこなす努力をする
のと、公式をわからずに努力をするのとでは全然違うと思います。わからないままさせる
先生は良い先生とは言わないと思います。それは剣道でも同じでは?
鉄棒の逆上がりですが、私はずっとできませんでした。先生は「とにかくやって
いればそのうちできる」と言ってましたが、いくらやってもできませんでした。ところが
中学に入って友人に「地面を蹴ったら鉄棒から体が逃げるから、臍を鉄棒につけるつもり
で持ち上げればうまくいきやすい」と聞き、実行したら一発でできました。たかが逆上が
りかもしれませんが、小学生で運動神経が良いか悪いかは、大きい問題になりがちです。
Hide.さんの本で「左足は蹴らない、押す出す感じ」でとありました。そのとおりだと
思います。ずっと続けて経験をつんだ方は、蹴ると教わってもそのうち洗練されてきて
自然とその動作ができうようになると思います。後輩で一生懸命蹴ろうとしていてる子が
いました。「左足を蹴って、すぐにひきつける」だけしか教わっていませんでした。
もちろん左足は後ろに逃げるためにうまくいかず、まじめに頑張れば頑張るほどそれが
増幅されて、悪癖となってしまいました。
そのような後輩が、果たして卒業後も喜んで剣道を続ける気になるのか?もちろんこれ
だけで判断するのは乱暴だとは思いますが・・・
そのときに、もし指導者が「なんで左足がうまくいかないのか考えてごらん」とか、
「こうすればうまくいくぞ・・・ほらできた!なんでうまくできたのか考えてみろ」
とすれば、どうでしょうか?その方が剣道に対しての興味ややる気が増すはずです。
このパターンは、教わる側に考える契機やヒントを与えています。そうすれば「できた」
という達成感も満たされ、同時に「他の動作もなんでできないのか考えよう」という
契機にもなりやすいと思います。
最近はどこの高校や大学でも体育会離れが進んでいると聞いてます。よく聞く話は、
「きついから」あたりです。そこに「きつくてもやりがいがあった」とかの達成感が
見受けられないのです・・・。そりゃきついだけなら二度とやる気がおきない
でしょうね・・・そこにおもしろさや達成感が感じなければ。何についておもしろい
と感じるのか?まさか何もわからずひたすら努力をしているだけが面白いとは普通は
思わないはず・・・。何に達成感を覚えるのか?できないことができるようになった
瞬間のはず。
スポーツにしても武道にしても、万人に様々な形でする権利があると思います。まさか
運動神経の良い一部の人間だけのものだと考える人はいないと思います。そして運動
神経のいい人間は、影の努力を抜きで同じ努力でもよりうまく、より早く上達して
いきます。しかし運動神経の悪い人間は、そうではない。根性がある人間はそれでも
くらいついてくるでしょう。ではそうではない人間は???ウルトラC は運動神経の
いい人間しかできないでしょう。ところが基本動作は五体満足なら、誰でもできるよう
になる。それがいくらやってもできない・・・そのような時に、本人は冷静に考えれる
のか?そこで一言指導者がアドバイスをするだけで、どれほど救われるのか。できない
時に「なにくそ!!」とは万人が思うわけでもなく、また思えるようになるまでには
「なにくそ!!」で何かができた経験がないと駄目だと思います。
なにより私が思うのは、できない人間がいる。それをそのまま放置しているのが真の
「指導」者なのか?そしてできない人間が絶望感しか抱いていない場合でも「努力から
何かを学んだはず」と教わる側を抜きに考えていないのか?「努力をすれば」は武道の
垣根を必要以上に高くしていないのか?まさかできる人間とできない人間を選別する
ために「努力」させているのではないと思います。「できるようにする」という目的の
ために「努力」させているのではないでしょうか?
「努力」「盗め」の視点には、「こいつはそれができるだけの可能性がある」という
すばらしい希望に満ちた前提があると思います。でも、そのもうひとつ前に「それが
できるだけの能力がある」という前提があり、それが大事なのでは?それを抜きで
「努力」「盗め」というのは、百円で千円の買い物をさせようとするようなものだと
思います。全部教えるのがいいこととは私も思いません。でも、果たしてその前提を
どれだけ満たしてからそのような言葉を話すのでしょうか?せめて千円分の力がつく
まで指導をしてからそのような言葉を言ったのでしょうか?そうでなければ、それこそ
前もいいましたが、指導者の自己満足で、若者の貴重な青春にどう償いをするのか?
と思います。

>指導者には「聖なる傲慢」

私もそれはあると思います。でもそれは若者の貴重な「聖なる」時間を預かっている
自覚と責任から埋まれると思います。本人が理解できない厳しさは思いやりでしょうか?
「あ、この厳しさは俺のために」って教わる側がわかってこそのものでは?そこまで
教わる側との信頼関係や能力はあるのか?「後でわかる」まで続けているのか?
わかるまでに辞めていったら何のために教えたのか?話は変わりますが、剣道人口
の減少の最大の原因は、そこいらへんにあると、私は思います。「やってて良かった」
ではなくて、「何をしていたんだろう・・・」となるから、辞める人が多く、だから
その人らが親になっても剣道を薦めないのでは・・・。自分がそれなりに良い思い出
をもっている競技には、自分の子供に勧めやすいと思います。本当に剣道でよい
思い出を持った人が多いなら、剣道ブームの頃の人たちの子供がもっと剣道をして
いても良いのでは・・・?嫌な思い出をした方が多いのではと勘繰りたくなります。

すみません、話がそれました。私がいいたいのは、教わる側にも自分で考え、努力を
することが大事であり、当たり前である。しかし、求める能力の前提条件の能力まで
は、指導者が教えないでどうするのか?そこを抜かして「努力」や「盗め」という
のは本当にそれでよいのか?みたいな感じです(^^;)長くてすみませんm(--)m

Hide.さん>立ち入った話ですが、Hide .さんはどの程度まで教えてましたか?まずい
質問でしたらすみませんm(--)m 別に白黒はっきりさせるとかではなく、どの程度まで
指導者が踏み込み、どの程度は生徒の自主性に任せるのかがいつも悩んでますので・・・

お名前: Hide.    URL
To ひろさん

>生徒に、「ちゃんとした努力をしたらしただけ自分に返ってくる」というのと、
>「努力をしてもまったく報われないことがある」というのと、どちらを教えるのが
>指導者の役目なのでしょうか?

生徒の年齢にもよるでしょうが、高校生であれば、その両方を教えるべきだと私は考えてい
ます(^^)

どちらかといいますと、私は「無駄な努力などない」「結果よりも努力の過程が大切だ」と
いう側の指導者です(笑) しかしそれは「現状の正しい把握」であり、いたずらに夢を
追わせることは危険です。指導者は「正しい目標の設定」をしてやる必要があると考えま
す。そこから導き出される「努力」の範囲内で「できているか」「過程はどうなのか」を
判断なんしてやることが必要なのではありませんか(^_-)~☆

お名前: 怒髪天   
>>ひろさん
>>そもそも「努力をすれば自ずからわかる」というのは、どれほど他人任せの言葉
でしょう。

自分で考えて身につけたものでなければ本物ではないって考え方もあると思いますよ。
技を「血や肉」に変えるにはそういった言葉では表現出来ない部分もあります。
そうして自分で見つけていったものは「純度」が違うはずです。だから「結果よりも
過程が大事」なんです。なんでも解りやすい方が良いと言うのは間違い。それこそ
傲慢ですよ。80年代後半には「マニュアル君」と言ってデートの誘い方でも何でも
マニュアルを見ないと行動出来ない人間を嘲笑した言葉がありました。
その先生の指導はそういった意味で「自己を形成させる」訓練をしているんです。
若いうちから考える事を放棄する頭のただ受動的な人間になってしまうんじゃないでは
無いでしょうか。学校と言うのはすぐに結果に繋がる卑属な部分
を教える場ではなくもっと広義な部分での豊潤な教養を身につける場所であってほしい。剣道の理念は人間形成なのだから。あとね、指導者には「聖なる傲慢」ってものが
あっても良いと思ってます。社会に出る人間を作るうえではね。教育には強制的な側面
だって当然ある。

何か社会に対して多大な期待を持っておられるみたいだけど
「指導者がどうだ」よりも「自分が何をすべきか」が大事です。会社でもそうですよ。
「上司がこうだから」なんてうちはまだ甘ったれていると思いますよ。そんな事は
構ってられない。「自分がどうあるか、何ができるか」が重要です。他人に期待しては
いけません。その先生は「親切はときとして仇になる」事も知っているのかもしれないですよ。

お名前: ひろ   
 ↓の内容に同感です・・・。うまくわかりやすく教えられるかと、自身が強いかどうか
は別次元だと思います。すらすら問題が解ける東大生が、指導法の勉強をしなくても優秀
な教師になれるのか?それと同レベルの問題かと(汗)もし東大生=優秀な先生なら、
教職過程や教員採用試験をなくして学歴順に採用すれば良いってことになりますしね。

 思うに、段位=指導能力、の図式で考えられることが剣道界では強すぎるのでは?私の
中学時代の女子剣道部の顧問は三段で、それは弱くて中学男子にも負けるぐらいだった
そうですが、女子は毎年団体で入賞してましたしね・・・そりゃぁ指導者が強いにこした
ことはないでしょうけど・・・

 最近、白石豊先生の「運動神経がよくなる本」ってのを読みました。教育課程では、
意外と指導法について学ぶ機会が少ないようですね・・・。Hide.さんの「剣道上達
BOOK」がなぜわかりやすいのか?とも関わってくる問題だと思います。やはり陥り
やすい癖や、その対処法、コツなどが、出し惜しみせずに載っているからわかりやすい
のだと思います。

 最近指導者についてよく考えます。特に未成年を指導する指導者は、何十人もの
未成年のかけがえのない青春の貴重な時間を預かっているわけですよね。ところが
よく「頑張ることが大事なのだ」「結果ではない、過程だ」みたいなことをいう指導者
を見かけます。実際に遭いました。
 
よくわかりません。

 頑張ってもそこから得るものがなければ、無駄にしたのと同じでは?例え成果に
つながらない努力をさせるにしても、そこから何かを学べるように指導者は配慮して
いたのでしょうか?
 「努力をしたから何か学べただろう」って、それは指導者が勝手に思っているだけ
で、生徒は「あれだけ努力をしたのに・・・」「あれだけ時間をかけたのに・・・」
って無力感にさいなやまされてたりはしないのか?
 
 生徒自身が本当に「無駄な努力で無駄な時間をすごしたけど、いろいろ学べてよか
った」と心から言っているのでしょうか?それを生徒から聞いたのでしょうか?
 生徒に「無駄な努力で無駄な時間をかけるが、そこから何かを学んでくれよ」と断り
をいった上で、指導者はそのようなことを生徒にさせているのでしょうか?それを生徒
に了承させたのでしょうか?
 そもそも「努力をすれば自ずからわかる」というのは、どれほど他人任せの言葉
でしょう。なんせ生徒に「自分でわかれよ」って任せるのですから・・・信頼といえば
聞こえはいいですが、それで生徒が頑張ったのにわからなかった場合は、誰が責任を
取るのか?「以心伝心」・・・「いわずもがな」・・・「先生の気持ちはわかるだろ?」
・・・

 指導者は「指導」するから指導者のはず。「見て盗め」「自分で考えろ」・・・
一見正論のような気もしますが、すべて生徒任せですよね。
 果たして「見て盗めて」「自分で考えられる」ぐらいまでその指導者はその生徒の
力を引き上げていたのか?
 
それがなければ単なる指導者の傲慢ではないでしょうか?

 話を戻して、高段者の指導者は、たいていそれなりの年齢の方ですよね。そして生徒
はこれからの人生の基礎を作る重要な青春時代を、その指導者に預けるわけですよね。
生徒に、「ちゃんとした努力をしたらしただけ自分に返ってくる」というのと、
「努力をしてもまったく報われないことがある」というのと、どちらを教えるのが
指導者の役目なのでしょうか?
 特に若い年代の人を指導する指導者は、その人の努力に責任が取れるような努力
をしているのでしょうか?
 たとえば、剣道部の顧問になるとする。指導法の本を読んだり、聞いてまわったり、
研究するのが指導者としては義務ですよね。そしてそれをいかに生徒に伝えて、
良いものを学ばせるのか、これも指導者の義務のはず。
 高段者というだけで顧問になり、指導についてろくに研究せず、「そのうちわかる」
みたいなことは、生徒に対する侮辱であり、時間泥棒に等しいと私は考えますが・・・

 やはり今でも指導者という存在は何かをよく考えてしまいます。

お名前: Hide.    URL
To 是井理史さん

>子供たちにとっては、ちゃんと教えてくれる人が「先生」で、
>段位はあまり関係ないですもんね。

おっしゃる通りです。
しかも意外に大先生ほど子供たちの指導が下手だったりする事もなきにしもあらず・・・
だったりしますからね(^_^ メ)

お名前: 是井理史(hn)   
子供に指導するのに段位は関係ない!三段でも四段でも立派な指導者はたくさんいらっしゃる!
というようなことを私の身近な八段の先生は言われます。
各地域で指導する大人の自覚を促す意味で。

子供たちにとっては、ちゃんと教えてくれる人が「先生」で、
段位はあまり関係ないですもんね。

しかし、実にもったいない話ですね〜。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

「すべてがそうだとはいえない」と前置きした上で述べさせていただきますが、八段に合
格するってことは並大抵のお稽古ではかないません。部活なんかにかまけてる時間も惜し
んで、ご自身のお稽古にいそしみませんと、とてもではありませんが合格にはたどり着け
ません。

また、合格して後は、連盟からさまざまな仕事が舞い込みますので、部活動を見る時間的
な余裕などない・・・。おそらくはそんなあたりではないでしょうかねぇ(^^;


残念なことに、私もそうした先生を何人も存じ上げております。ご自身はお強いのです
が生徒がさっぱりでしてねぇ・・・。せっかく専門家として部活動を持っておられるん
だから「もうちょっとちゃんと指導してあげないと、生徒がかわいそうだよ」って思い
ますよ(-_-) 生徒に対する「礼」はどこに置き忘れてしまわれたのでしょうか。

まぁ、八段ばかりでなく七段の先生方にもこういう方はおられますがね・・・(^^;

お名前: 吉田     
ご本人の名誉のため誰とは言っていません。

お名前: 吉田   
高等学校に勤務する学校の剣道の先生にも八段がいるのは頼もしいですね。
しかし、八段となれば昇段審査でも先生を審査する立場。
にもかかわらず、八段の先生の勤務する学校の剣道部員が開始線で蹲踞も
できなかったり立礼後帯刀ができないのはどうなのでしょうか?

やはり八段だと忙しくなって自分の学校の部は見る時間がないのでしょうか?
しかし、その人達は全剣連に勤務して給料をもらうのでなく
高校に勤務して生活の基盤を築いてるんですよね。

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