記事タイトル:新聞記事について 


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お名前: Hide.    URL
To 広島さん

少しでも拙サイトがお役に立ちますればうれしく存じます。


>でも熱くなりとっさにバコッてやってしまうんですよね。

私は熱くなって感情的に殴るようなことはいたしませんよ(^_-)~☆
子どもは感情的に叱られても、心には響かないものです。
冷静に「非を怒っていることを伝え諭すこと」が教育だと考えています(^^)

お名前: 広島   
To Hideさん

>子どもも「親の代わり」と思ってくれてますでしょうか?(^^)

子供も10歳から15歳ぐらいですから「親の代わり」とは思ってないでしょうね。
私は子供が道場に入門した場合、師匠と弟子の関係ととらえて、対応しています。
子供からしてみれば、身内にうるさいおじさんが増えたってことですかねぇ。

>私はそういうケースは稽古で教えますね。

厳しい稽古を課すという事ですか?
私も厳しいかどうかは別として、もちろん稽古で伝えていきます。

>または、面の上から竹刀でたたきます。

私も時々やりますね。
しかし以前、ある先生より「竹刀を今のような目的で使うんじゃないよ。」と
諭されたことがあり、反省しました。
でも熱くなりとっさにバコッてやってしまうんですよね。

>少なくとも私は、平手で殴るほどのことではないと考えます(^^)

そこが今回のみなさんの意見の分かれるところであり、答えは出ないなぁと思います。
一つだけ私が気を付けているのは、「怪我をさせない」ですね。
昨今報道でもあるように、物を使っての事は許されないと思います。
私としては指導者それぞれが自分の知識、経験に基づきやっている事にについては
それが子供の将来につながるのであれは、理解したいです。

今回Hideさんとお忙しいなか、意見交換できたことは大変勉強になり、
また今後の少年剣道の指導に役立てたいと思います。
ありがとうございました。

お名前: Hide.    URL
To 広島さん

>その瞬間、親の代わりになってという事はあると思います。

子どもも「親の代わり」と思ってくれてますでしょうか?(^^)


>ただあくびしたから手をあげたとは思えないから、理解できるかなぁと思ってます。

なるほど、そこまで深読みはいたしませんでした。


>例えばどうしても敵わない相手に何年も努力しやっと互角に戦えるまで力を付けてきて
>いざ勝負となったとき、どうしても恐れてしまう。
>二度三度やっても同じ試合を繰り返してしまう。
>その時、おもいっきり平手で張りました。

そうですか。
私はそういうケースは稽古で教えますね。
または、面の上から竹刀でたたきます。
少なくとも私は、平手で殴るほどのことではないと考えます(^^)

お名前: 広島   
To Hideさん

>親の代わりにですか?
>私たち剣道指導者が子どもとかかわれる時間は親の何分の一でしょうか?
>親の代わりになれるくらい子どもとかかわれる指導者ってどれくらいいるんでしょうね?

そうですね。ほとんどいないと思いますが、親の代わりにはなれないですが、
その瞬間、親の代わりになってという事はあると思います。

>そこのご家庭を深く理解しての行動であればとがめだてはしませんが、あくび程度で手を
>あげなきゃいけない事態が、私には想像できないだけです(-_-)

私もあくびぐらいでは手をあげませんが、この程度で手をあげられた方が、何年もの間
その子と付き合って、色々な指導、会話が繰り返されてきた経緯もあると私は思います。
ただあくびしたから手をあげたとは思えないから、理解できるかなぁと思ってます。

>参考までにうかがいたいのですが、広島さんはこれまでどんなケースで子どもに手を挙げ
>たことがおありなのですか?(>_<)

私の場合は、ほとんどが中学生で中には小学生高学年もいましたが、
例えばどうしても敵わない相手に何年も努力しやっと互角に戦えるまで力を付けてきて
いざ勝負となったとき、どうしても恐れてしまう。
二度三度やっても同じ試合を繰り返してしまう。
その時、おもいっきり平手で張りました。
勝った負けたじゃなく、なぜ正々堂々と勝負出来ないのかという思いで張りました。
強い相手に逃げずに、「なにくそ」と思って熱く燃えて欲しかったからです。
だいたいこういったケースがほとんどです。

その時は張った事に対して若干の不安を感じていましたが、数年たって酒を飲みながら
その時の話をして、私の行動が間違ってはなかったと思ってます。
(私は一発しか張ってないですが、本人は三、四発貰ったとは言ってますが)

お名前: Hide.    URL
To 広島さん

>このように剣道指導者でも親の代わりに手をあげる場合もあるんじゃないかなぁと思い
>ます。それにはそれ相応の人間関係が必要だと考えますが。

親の代わりにですか?
私たち剣道指導者が子どもとかかわれる時間は親の何分の一でしょうか?
親の代わりになれるくらい子どもとかかわれる指導者ってどれくらいいるんでしょうね?

そこのご家庭を深く理解しての行動であればとがめだてはしませんが、あくび程度で手を
あげなきゃいけない事態が、私には想像できないだけです(-_-)


>Hideさんに対する考えではなく、一般的に剣道だけ教えてその過程の中で手をあげる指
>導者と剣道を通じて人間形成を目的としている指導者では手をあげる意味が違うのでは
>考えての書き込みです。

参考までにうかがいたいのですが、広島さんはこれまでどんなケースで子どもに手を挙げ
たことがおありなのですか?(>_<)

お名前: 広島   
To Hideさん

>このケースでは叩くのは親の役目で、剣道指導者としてはいき過ぎかと思われますが。
このように剣道指導者でも親の代わりに手をあげる場合もあるんじゃないかなぁと思います。
それにはそれ相応の人間関係が必要だと考えますが。

>それがどうしていけないことなのかを教え諭す方が、手をあげることよりも人間形成を考
>える上から大切なことと愚考いたしますが、いかがでしょうか?(^^)

その通りだと思います。
その後に書き込んでるように、そういう状況を作った(あくびをするような話をしてしまったとか
真剣に話を聞いてくれない)指導者がまず反省したほうが良いと思います。

私もこの程度では手をあげないと思いますが、状況においては
手をあげた指導者の考え方も理解出来るかなぁと思っただけです。

>これは、私が剣道だけを教えている指導者っていうニュアンスなのでしょうかねぇ(苦笑)
>詳細な状況がわかりませんが、私はその程度では手はあげなませんよ。

>私が手を挙げるのは、誰かに身体的(あるいは精神的)な危害が加わりそうになったとき
>だけです。これは私の「絶対値」です(^^)

Hideさんに対する考えではなく、一般的に剣道だけ教えてその過程の中で手をあげる指導者と
剣道を通じて人間形成を目的としている指導者では手をあげる意味が違うのでは考えての書き込みです。

私はHideさんの「絶対値」もおやじさんの行動も尊重します。
今後も私は相手のためになるという自信を持って手をあげる事もあると思います。

お名前: Hide.    URL
To 広島さん

>想像する範囲でですが、子供達のことを思い真剣に話しているときにあくびされれば、
>平手打ちが出る事もあると思います。

それがどうしていけないことなのかを教え諭す方が、手をあげることよりも人間形成を考
える上から大切なことと愚考いたしますが、いかがでしょうか?(^^)


>物を壊して正直に名乗らなかった子達の件についてもそうですが、Hideさんが剣道指導
>者としては行き過ぎだったのでは? とおっしゃられていますが、剣道だけ教えている
>指導者と剣道を通じて人間形成をなしえている指導者では若干考え方の違いが出て来る
>のではと思います。

これは、私が剣道だけを教えている指導者っていうニュアンスなのでしょうかねぇ(苦笑)
詳細な状況がわかりませんが、私はその程度では手はあげなませんよ。

私が手を挙げるのは、誰かに身体的(あるいは精神的)な危害が加わりそうになったとき
だけです。これは私の「絶対値」です(^^)

お名前: 元立ち   
子供に限らず全うに生きてる人間は
「自分が悪かった」と反省してる時は殴られても
「二度としない」と心に刻むものだと思います。

しかし、想いが伝わらない状態で殴られたら?
それは苦痛でしかありません。
これを出来る指導者も希少価値があると思います。

あくび問題も生徒の反省を促すことと
自分の魅力に対して反省する問題なんじゃないでしょうか?

只、競技を重んじることで人間育成する部分に関してであれば
「お遊び部活?ふざけんなよ!」が当たり前だし、
それを庇う親もどうかと思いますけど・・・

お名前: 広島   
私はおやじさんの行動が理解できます。

想像する範囲でですが、子供達のことを思い真剣に話しているときにあくびされれば、
平手打ちが出る事もあると思います。
またそれと同時に、指導者の気持ちが伝わらなかった、伝え切れていない指導者自身も
反省しなければと思います。
私ならその子はその時点でその輪の中からはずし、後で一対一で話し注意し理解してもらうと思います。

物を壊して正直に名乗らなかった子達の件についてもそうですが、Hideさんが剣道指導者としては
行き過ぎだったのでは? とおっしゃられていますが、剣道だけ教えている指導者と
剣道を通じて人間形成をなしえている指導者では若干考え方の違いが出て来るのではと思います。
私はその子のためになると思えれば、自信をもって手をあげるでしょう。
この10年ほどの間に手をあげた事が10回ほどありますが、ほぼすべて覚えています。
私は子供達に剣道を通して立派な人間になっほしいと願っております。

お名前: Hide.    URL
To つぶやきさん

管理人のHide.です。

でも、気を張ってたらあくびなんて出ません。
やはり「気が抜けていた」ってことなんだと思いますがね(^^;

お名前: つぶやき   
とっても為になる話しを聞いてても、つまらない話しでも、
あくびが出るのは自然現象(生理現象)に近い物があると思います!

これみよがしに、あくびをしたのであれば問題だけどね〜
あくびって出たら止められないよね??

独り言です。

お名前: Hide.    URL
To 稽古嫌い日本一さん

少しでも拙サイトがお役に立ちますればうれしく存じます。

子どもたちもそうですが、親の世代の考え方もふた昔前とはずいぶん変わってきています。
もう、我々が修行してきた時代とは全く違ったもの飲み方・考え方で対処しなければいけ
ないようです。

私も古いタイプの先生にご指導をいただいてまいりましたので、理屈よりも「カラダで覚
えろ」という感じでした。「先生が黒と言ったら、白いものでも黒」そうしつけられ、殴
られたり蹴られたりが当たり前の指導でした。

自分の指導の根底には、どうしてもそういうものがこびりついています。
山を乗り越えさせようと思ったときに、どうしてもそういうものが出てしまいます。
私が教員をやめようと思ったのにも、「もう私の手法は通用しない」と悟ったからなんで
すよ(^_^ メ) 

懐古主義に陥るのではなく、時流に合った指導法を研究&実践していく。
指導者に求められている姿勢だと思います。
ともに頑張りましょう(^^)

お名前: 稽古嫌い日本一   
 管理人さん、書き込みして頂いた皆さん、ご回答いただき
ありがとうございました。
お礼が遅くなり、申し訳ありません。

 昔、私が監督をするようになってまだ数年、確か二十代後半から
三十代前半ぐらいのとき、思わず学生を平手打ちにしたことがありました。
理由は試合の直前だったのに、部内試合で緊迫感が感じられなかった時でした。

 あの時は結果は出なかったですが、卒業生との飲み会では懐かしい昔話に
なっていますので、ある意味よかったと思っています。
 ただ管理人さんが言われるように、確かに大学生は大人ですので、頭で
理解させることが、中学生や高校生よりも必要になってくるわけですね。
(決して中学、高校生だから叩いてもよいということではありませんので)

 私自身、もっと指導方法というか、学生気質を理解する必要があることが
よくわかりました。自分の時代が「こうだったからこうする」というのは
年代が変わってくると無理がありますね。今より昔の方がよかった、と懐かしむ
と進歩?がありませんので、これからも「いちに会」を参考にして、自分なりに
模索していき、少しでも学生たちのために役立つようにしていきます。
ただし、あと何年になるかはわかりませんが。

 管理人さん、またいろいろとご指導ください。

お名前: Hide.    URL
To 稽古嫌い日本一さん

>管理人さんに質問なのですが、殴るというよりも叩くことを
>よりも長い稽古やかかり稽古の方が良いというのは、どのような
>考え方からなのか教えていただけないでしょうか。

稽古の意味を考えさせるということです。
「叱る」「怒る」などはその行為を直接的にとがめだてする行為ですが、内省という意味
では効果は薄いと思われます。叱っている人が叱っている理由を言っているわけですので、
自身でフィードバックする必要もありません。
まぁ、「謝って終わり」ですね(^^)

稽古にはいろいろなものが込められますよね。「悲しみ」「憤り」「悔しさ」…むろん
「怒り」もありましょうが感情的な稽古はお相手の心には響きません。そうしたものがお
相手の心に響けばその稽古は素晴らしいもの(本人にとっても忘れ得ぬ稽古)になるでし
ょう。


>こんな経験をしたところなので、あの時にそのまま稽古を延々と続けていた方が
>良かったのか、叩いた方が良かったのか、疑問が残るところです。

それは「殴った」内に入らないんじゃないですか。防具の上からですし稽古の一環でしょ(^_-)〜☆
ちゃんと後にフォローしておられますし、まったく問題はないと考えます。
私もその程度はよくやりますよ。


>これも学生という立場であれば、十分大人としてみてあげる方が
>よいのでしょうか。私のこれまでのやり方は見直すべきなのでしょうか。

繰り返しになりますが、この場合の「叩く」は「生びんたを張る」など防具をつけていな
い者に対して行なう行為です。それは、20才以上の者(私は大学生になったらと考えてま
すが)にはもうするべきではありませんね。


>最近はこんなガッツのある学生は少なくなりました。

熱い思いを持った学生は今もいると思います。
ただ、それを出すことを恥ずかしいと思う気持ちがあるのでしょう。
そういう垣根を振りはらってあげることも学生指導なのだと思います(^^)

お名前: 稽古嫌い日本一   
 先ほどのトビに書き忘れました。

管理人さんは確か「大学生は大人なので叩かない方が良い」という
ご意見だったと思います。私も確かにそうだと思いますが、二回生
ぐらいまで、つまり二十歳まではこれまで叩いていたと思います。
恐らく、大学という、次のステップは社会人の立場で、これまでの
甘い考えではだめだよ、という気持ちで叩いていたと思います。

 これも学生という立場であれば、十分大人としてみてあげる方が
よいのでしょうか。私のこれまでのやり方は見直すべきなのでしょうか。

 五、六年ほど前の卒業生ですが、小学校で剣道を始め、大学でまた再開
した学生がいました。その学生が試合で負けたのですが、その他大勢と試合後の
打ち上げで飲んでいる最中に「悔しいので稽古を今からお願いします」と言われ、
稽古をしたことがあります。お互い酔っていたはずですが、何か嬉しかったことを
覚えています。
 最近はこんなガッツのある学生は少なくなりました。

 

お名前: 稽古嫌い日本一   
 皆さんのいろいろなご意見ありがとうございました。
最初にトビをたてたのに、ご返事ができず申し訳ありませんでした。

 管理人さんに質問なのですが、殴るというよりも叩くことを
よりも長い稽古やかかり稽古の方が良いというのは、どのような
考え方からなのか教えていただけないでしょうか。今後の指導の
参考にしたいと思います。

 この前の大学の稽古の時、新二回生と稽古しているとき、明らかに
気合い負けの掛かり方でした。
 私は常に「先生方と稽古する時も、気持は五分のつもりでかかっていけ」
といっています。これは気持ちで負けないように、打たれることを恐れるな、
という意味で言っています。
 先生方と稽古するときは、打たれてなんぼの世界と思っていますので、
自分自身で行けると思えば打っていけばよい、そこで学ぶものと考えています。
 しかしながら、学生は気合いで負けていましたので、思わず「稽古していても
面白くない。やる気がないなら帰れ」と言いつつ、防具の上から思わず殴って
しまいました。そのあと私は面をとろうとして道場の端に行こうとすると、学生は
「もう一度お願いします」と言ってきました。そこで稽古を再開すると、それまでの
稽古とは見違えるような気合。私も最初の気合いで思わず「その気合いだよ。その
気合いでもう一度来い」と言って稽古をしました。おかげで痛い目にあいました
が(笑)。でも鋭い動き、技に、この学生にこんなことができるのか、と思わず
感心してしまった次第です。

 こんな経験をしたところなので、あの時にそのまま稽古を延々と続けていた方が
良かったのか、叩いた方が良かったのか、疑問が残るところです。

 いつもくだらない書き込みで管理人さんにはご迷惑をお掛けしています。
個人的には新書ですが、最近の若者の心理を書いたものや、各種指導書を読んで
いますが、なかなか実際の場面では難しいもので。

お名前: Hide.    URL
To おやじさん

過去のことを取りざたすするわけではありませんし、親御さんやご本人が納得され指導が
うまくいきましたのなら「結果オーライ」と考える方がいいでしょうか。
でも、私の個人的見解にしかすぎませんが、いずれの場合も、剣道指導者が手を上げる場
面ではないように読み取れました。

ともあれ、現場を拝見しておりませんので、おやじさんのご判断を否定するものではあり
ませんm(_ _)m

お名前: おやじ   
To  Hide.さん


親が対応しなかった、注意しなかった、だから私がやりました。
それが昔からのウチの『やり方』でした。
私は『叩くこと』を推奨するつもりはありません。
ただ、ただ「そういう機会もあるのでは?」と思うだけです。

また、確かに当時の私は血気盛んでした。
「あくび」に平手打ちは「躾」だと信じてやりました。
確かに私の話しがつまらなくて「あくび」ならば、
私も反省すべきだとは思います。
しかし、たかだか1、2分の話しが我慢できなくて、
「あくび」をしてしまうのは良くないと思います。

また、私が立てたトピではないのに私の話題になって大変恐縮ですが、
しかしながら、確かに途中から割り込んだ私も失礼だったかもしれませんが、
過去の事に攻撃されても、何ともしようがありません。
私も、確かにまだまた『手をあげる』ほどの人間ではないかもしれません。
この辺で御容赦ください。

お名前: Hide.    URL
To おやじさん

うーん、それはいけませんね。
でも、剣道を指導しながらそういう不心得が育ってしまったことをこそ反省すべきかもし
れませんよ(>_<)
このケースでは叩くのは親の役目で、剣道指導者としてはいき過ぎかと思われますが。


あとはあくびですか、うーん、その程度でたたきますか?
つまらない話だとあくびもでますよ(^_^ メ) 
口頭で注意すればいい問題だと思われますが…。

お名前: おやじ   
To Hide.さん

普通に稽古だけで
「こんにちは」「おねがいします」で始まり、
「ありがとうございました」「さようなら」で終われば、有り得ないことですが、
ウチは場所を借りて稽古をしています。
だからこそ、物を大事にすることをも口うるさく言います。
私が平手打ちをしたのは、
その借りている場の物を壊し、尚且つ「自分はやっていない」と、嘘をついた時が最初でした。
私は「壊れてしまった物は仕方ない。今、素直に出てくれば、怒らない。」と全員に約束しました。
私が信じた通り「ウチの子供達ではなかった」
…と思っていたのですが、残念ながら
それを見ていた子供からの証言でウソが発覚しました。
一人ではなく集団でやった事でした。
それも、そのメンバー全員で壊したのです。
小学6年生の集団でした。
また、その子供達はお互いの責任に『なすりつけ』ました。
あまりに情けないと思い、本気で怒りました。
あとは、先生がお話しをされているのに
大きな口で『あくび』をした子供にやりました。
中学3年生でした。
これは『道徳』と言うより『躾』でしょうか?

お名前: Hide.    URL
To おやじさん

管理人のHide.です。


>道徳的な部分で大きな過ちを犯した時だけですが…。

私も長年子どもたちの指導に携わっておりますが、「道徳的に…」という場面にはほとん
ど遭遇したことがありません。

ちなみに、平手打ちをも辞さないどんなケースがおありになったのでしょうか???

お名前: おやじ   
私も平手打ちは数回やってしまったことがあります。
私はそこに愛情と信頼が成り立たないのならば、ただの『暴力』になってしまう
のではないかと思っています。
私のところでは、必ず父兄が観覧しています。子供達を応援しています。
私の『平手打ち』が飛ぶ場合には、必ず父兄に見られます。
間違っても、トイレなどに引き込んで平手打ちをするようなことはしません。
堂々と『やる時はやります!』
因みに「上手に面が打てないから」とか「声が小さいから」、
もしくは「試合で負けたから」そんな事では叩きません。(でも、大声は出します)
道徳的な部分で大きな過ちを犯した時だけですが…。

また、ある所では指導者が飛ぶ(つまり『飛びげ○』)ところもあるらしいです。
話しを大きくする訳ではありませんが…。
でも、そこの指導者は子供達と剣道ばかりではなく色々と接点を持つのだそうです。
とことん泥だらけになるまで一緒に遊んだり、勉強まで付き合ったりするのだそうです。
話しを聞いた時に「愛情と信頼が、そこにはあるのだなぁ」と感じました。

また、確かにHide.さんのおっしゃる通り『時代』かもしれませんね。
私は『殴り方を知らない大人が多い』のも背景にあると思っています。

『本気で接しない』『腫れ物に触る』『途中で見捨てる、諦める』
これでは、『殴る』『殴らない』以前の問題ですよね。

お名前: Hide.    URL
To きょっちゃんさん

管理人のHide.です。
それはすごいことをしましたね。
お相手の親御さんが納得してくださってよかったです(>_<)

お相手の痛みを感じながら叩く分には理性が保たれています。手法としていいかどうかは
ケースバイケースですが、極力そういう手段はとらずに済ませられる方がいいでしょうね(^^)

お名前: きょっちゃん   
他人の子を平手打ちしたことあります。 きちんと理由があり、その親にも説明して納得してもらいました。

ただ単に『叩く』という行為だけ考えれば暴力につながるのでしょう。
『叩く』という行為は、叩かれる人よりも叩く人の方がよっぽど痛いんだと、私は思います。
その痛さを持っても叩かなければいけない場面が少しでも無くなるように、子供だけではなく大人もいろんな意味で
成長しなければいけないな〜と思います。私を含めて。

お名前: Hide.    URL
To ポルトさん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました。


私ごとで恐縮ですが、私も幼少心からずいぶん指導者には叩かれて育てられてきました。
ポルトさんと同じように、「愛のムチ」と感じたことも「このヤロー」と腹が立ったこと
もありました。

成人し自分もかなり手荒な指導者になるのですが、私は生でたたいたことがないのが自慢
(?)です。防具をつけた上からなら、殴ったり蹴ったりは致しましたが(オイ
それも、その子が「自分に負けているとき」限定です。


ちなみに、高校卒業以上(大学生も含む)は、叩くべきではないと考えます。
もうお互い「成人」ですから。
あ、厳しい稽古は別ですよ(^^)

お名前: ポルト   
稽古嫌い日本一さんのメールを読んで思わずメールをします。
私事ですが失礼します。

私も稽古嫌い日本一、さんやHideさんの意見に賛成です。
私は女ですが小学生の頃は家に帰るのが遅くなったからと父親に
怒鳴られ平手打ちされた事があります。
でもそれは私を心配してくれたからこそ、だと今は思っています。

小学校ではクラスのいじめが発覚した時、担任の先生はいじめた子達
一人、一人に平手打ちをしました。しかしその後誰も文句を言ったり
親が出てくるなんてありませんでした。

中学の時の剣道部の顧問の一人で暴力的な先生がいました。
一度その先生の質問に上手く答えられなくて両頬を平手打ちされました。
それは今でも恨んでいます。その先生に会ったら今でも殴り返したいです。
それはきっと指導や愛のムチをいうのではなかったからです。

高校生の時の剣道のコーチはとても熱心で尊敬していました。
試合で悪い負け方をした時にはスリッパで頭を全員叩かれましたが
それはお互いに信頼関係があってこそ出来たと子供ながらに理解できました。

ただ今は何でもかんでもすぐ暴力と言い出します。

結論がなくてすみません。
それでは失礼します。

お名前: Hide.    URL
To 稽古嫌い日本一さん

「叩く」と「殴る」、「叱る」と「怒る」、教育の現場だけではなく、家庭でも大切なこ
となんじゃないでしょうか。
それはその行為をする人が、
 ●理性を持っているか
 ●お相手のためにしている行為か
がポイントになると思われます。

感情のまま大きな声を出すことよりも、理性を持って小声で話した方が説得力があります
から(^^)

お名前: 稽古嫌い日本一   
 いろいろとご意見頂き、ありがとうございました。
殴る、という表現は「相手に対して憎しみを込めて」の
ようで良くないと思いますが、「叩く」という表現であれば、
誤解は少ないのでしょうか。
 「体罰」は良くないというのは、私も理解しているつもりです。
ただし、今の若いご両親でも、子供さんが小さくて悪戯をした時は
「ダメでしょ」とかいいながら、お尻や手を軽く叩くことはあるのでは、
と思います。
 「パブロフの犬」ではありませんが、家の中でも外でも、人様に
迷惑をかけたら怒る、場合によってはお尻を叩くということがあっても
良いのではないかと思います。
 ある意味、部活動はその延長ではないかと私は思います。例えは悪い
かも知れませんが、剣道部員が練習に参加せず、悪い遊びをしていた、
それを顧問が見つけて「叩いた」。仮に顧問がこの部員が何回も注意しても
聞かずに悪い方向に進んでいてもダメでしょうか。あるいは、気合が入って
いない稽古を全体でしている、そこで気合いを入れるために「叩く」ことや
かかり稽古が続く、ということがあっても私としては良いのではないか、
と思います。
 何があっても「殴る」ことはダメですが、「叩く」ことはあっても良いと
思います。
 要は教育的配慮がそこにあればよいのでは、と思います。
ある意味、「叱られ上手」は「叱り上手」になっていくと思います。
怒られたことがない、叱られたことがないという方は、他人を
「怒る」「叱る」ことは難しいのでは。
「殴る」「叩く」は手段であって、目的ではありません。
最後の手段であり、使わない方が良いのですが、その場の雰囲気や
指導者の判断でいろいろとあると思います。
 意味合いにより、私としては否定もせず、肯定もせずですが。

お名前: 剣武尊   
古い話になりますが、まさに「親父にも殴られたこと無いのにぃ!」ですね
私自身は「それが甘ったれなんだ! 殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!」ですが・・・

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

今は「時代がやさしい」のです。
親に怒鳴られたことのない子どもや手をあげたことのない親も増えています。
暴力と見られる行為は「完全否定」なのです。


私は教員になるときの校長面接で「体罰をどう考えますか?」と問われたとき「親が子ど
も良くしようと思い叩くのにためらいはありません。愛のムチには理由は不要です。私も
必要とあれば手を上げることがあると思います」と答えました。
校長は笑ってうなずかれましたが、「お考えは尊重しますが、学校の現場ではおやめくだ
さい」とおっしゃいました。もう、20年近く前の話です。

でも、今は「親すら叩かない」時代です。
他人が手を上げるのなどもってのほか・・・ってことでしょう(^^;


私の基本的な考えは、今も変わっておりません。
でも、もう現場にはそぐわないでしょうね。
教員をやめて正解でした(笑)


稽古においては荒稽古という手法がありますが、あれもひとつ間違うと暴力ととられかね
ません。慎重に行なう必要があります。
指導者と本人が信頼関係にあることはもちろんですが、その保護者とも信頼関係がなけれ
ばいけない時代になってまいりました。まったく厄介なことだと思います( -o-) フゥ

お名前: フロスト   
自分の子供が殴られた場合はそれが高段位の方であろうと容認いたしません。
信頼がある・愛の鞭・指導の一環・等の言葉を聴きますが、子供・学生の受け取り方・本当の心は完全に把握はできないと思います。

稽古が厳しいのは理解できますが、懲罰的な突き・素手で殴るなどは指導ではなく
ただの暴力でしょう。
自分は他人の子供を殴るなんてできません、逆に指導だからと気合が入ってないからと
平気で殴れる人の神経が理解できませんが・・・・・

長い掛り稽古や切返しはいくらでもOKです。

お名前: 稽古嫌い日本一   
管理人さん、もし不適切でしたら削除をお願いします。

 つい最近の新聞記事を見て書き込みしました。
ご存知の方も多いと思いますが、とある学校の
部活動で先輩が後輩を平手打ちをしたことが発端で、
その部活の一部が廃止になったとの記事がありました。
 
 私のような一昔の人間であれば、平手打ちなどは先輩に
可愛がってもらっているんだ、頑張ろうとか思ってしまうのですが。
背景が十分にわかりませんので、軽はずみな発言はダメなのですが、
学校側にすぐに相談するというのは最近の傾向なのでしょうか。
 特に武道は、相手を叩く、投げる、という内容ですので、十分に
注意しないといけません。例えば陸上競技でしたら叩くとかは
競技の中にはありませんが、剣道でしたら竹刀という、一般の方
からすると、いわゆる「凶器」みたいなもので相手を叩く訳ですから。
それに「突き」というある意味危険な技もあります。
 私自身、稽古中に気合いのない学生、そしてそれこそ厳しい指導を
すれば頑張るし、もっと強くなると思う学生には稽古中でも殴るし、
稽古後でも殴ることもあります。ただし、お互いに信頼関係がある、
と判断できる場合だけですが。
 私の中、高、大の頃はある意味、殴って下さる先生、指導者程好きな
先生でした。

 最近は難しいなぁ、と思い、つい書き込みしてしまいました。

個人的には「殴る」というのは「愛のムチ」と思っていますが、最近は
そんな指導はダメですよ、というご意見があればお願いします。また逆に、
そこまでしても大丈夫な指導をすれば、という具体的な例もあれば
ご指導下さい。

 以前の書き込みで、管理人さんから「時代が変わった」という内容の
ご意見を頂きましたが、その後、最近の若者の心理に関する本を読み漁り
ました。確かに難しいみたいですね。

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
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