記事タイトル:えらい先生方との稽古 


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お名前: ALF   
ふむふむ。
いろいろな考え方があるのですね。
そして自分が考えているよりたくさん学べるものがあるようですね。
これからは倒そうと思うのではなく学ぼうと思って稽古してみようと思います。
とりあえず、ここのレスをコピペすることから始めます。

お名前: 親馬鹿一刀流   
親馬鹿です。

皆様の剣道観が見える面白い内容になっていますね。
皆様のカキコは、私もああ同じ同じと共感する所が多いです。

基本的には一般的に言われる地稽古主体の稽古会では、互角稽古で良いのだと
考えておりますので、対の気分でお稽古します。

高段者の場合、自分より力が上な訳ですから、失礼な事をしない限りどんな
技を使ってもきちんと返して下さるものと考えています。

さすが高段の先生、大体は私がやりたいお稽古を理解してくださって、あなた
がそうやって打って来るなら、こちらはこうやって応じますよ。
さあどうしますか。それでは私は先生の打ち、応じに対してこうやって答えさ
せて頂きます、というような竹刀での会話を楽しんで居ます。

攻めが足りなかったり、打つ機会が悪いと大抵は面返し胴で応じられてしまい
ます。こちらはその返し胴に負けないように、攻め、機会を工夫しながら挑む
わけです。結果として打たれに行っているように見えるかもしれませんが、
フェイント、ヤマカンのない力勝負です。こちらも先生が返し胴で応じるのを
分かっているわけですから条件は同じです。
弟子でもないのに未熟な者に打ちの機会を覚えるお稽古に付き合ってくださる
事は有りがたい限りですね。

お稽古後のアドバイスですが、私の場合師匠がおりますので、どんな高段者の
先生が指導下さっても、100%は受け入れません。
師匠と同じお稽古、教えの先生の場合はお稽古後のご挨拶が楽しみになります。

社会人でも有りますし、自分が求めるお稽古をされる先生、自分がやりたいお
稽古に合わせて下さる先生を選びますので、特定の先生とのお稽古回数が自然
に増えます。
好みの先生は自然に稽古回数が増えますが、そういう先生は挨拶はしても、稽
古内容については、ニコニコするばかりで何もおっしゃいません。
あるときに何度もお稽古を頂いている先生からお稽古後のすれ違いざまに、「胴
打ちが横振りになってんじゃないか」とボソッと言われた事がありまして非常に
嬉しかった事があります。
よほど親しくない限り、同好の士として竹刀で会話していればそれで良いと思っ
ています。
偉い偉くないではなく、お稽古に何を求めるかではないでしょうか?

お名前: Hide.    URL
>何を稽古させたいのかを相手に告げず、昔の徒弟制度のようにいきなり叱り飛ばすのは、
>真の高段者とは言えないと思います。

アハハ、剣志郎さんのお考えはもっともですが、その先生も何十年もかけて苦労に苦労を重ねて掴み取ってきたことでしょうから「そうやすやすと教えられるか」ってな気持になって
も不思議はありませんって(笑)

むろん、学校教育の中や、子どもたちに接するときにそういう態度では困りますが、大人同士
ならいいんじゃありませんか? そのくらいは割り切って考えましょうよ(^^)
「くそぉ!」と思ったら、頑張ってかかっていってモノにするか、かかっていかないという選
択肢ですむはずですし。

waruimarioさんがおっしゃるように、「自ら求め、自分なりの答えが出せることが修行」
ってことだと思いますがね(^_-)~☆

お名前: waruimario   
う〜ん、なるほど・・・そうですね・・・はい、そういうことなんですね!
納得納得、”君はここがどうのこうの、何のカンのブツブツ・・・などといわれるより
何故だろうと考え、自ら求め、自分なりの答えが出せることが修行なんですね、”壁に聞け”
”床に聞け”など、自分から答えを求め、追求し、探し当てた答えは、自ずと身に付く
と言うことなんですね、強く望んだものしか手に入れることが出来ないということですね!

お名前: 剣志郎   
基本的に稽古ですから、年齢や段位によって剣道を変える必要はないと思うのです。小手を
意識させて裏から面に乗るのも立派な攻めですし、中心を押さえるのも重要な事です。逆に
高段者の先生ならばなおさら突然ド叱るのはいかがなものでしょうか?

何を稽古させたいのかを相手に告げず、昔の徒弟制度のようにいきなり叱り飛ばすのは、真
の高段者とは言えないと思います。最近は剣を交わしているだけで「この先生は何を望んで
いるのか?」が段々判ってくるようになり、誘っていても一発機を逃さず打ち込めば、その
後じっくりとした攻めに移っても文句をいわれる事はないです。必ず稽古の後は問題点を伺
います。変に畏まって基本稽古中心の打ち込みに終始するのも、私から言えばもったいない
事のように思います。

まぁ、それぞれの先生にお考えがおありでしょうし、その日の稽古メニューにもよりますか
ら、一概に言えませんが、いきなり叱り飛ばすような方を立派な剣道人の手本とは思いたく
ありません。

受けて側としては、教えて頂いてるのですから、とやかく文句を言うのは大切な修行を見落
としてしまいかねませんので、快く叱咤を受けるべきだと思います。「今、お前に足りない
のはこれだ!」と唐突ではありますが、教えてくれているわけですからね☆

お名前: ヘタッピ剣士   
私も某大学教授の八段の先生に稽古をお願いしたことがあります。
で、フェイント(本当は好ましくは無いでしょうが)で小手を打った(当てた?)んです。
先生は「頂戴!」と言ってくださり、それから数合後、同じは入りから、小手を意識するはず
と読んで面にいったら・・・、次の瞬間に「パーーーン!!!」私の頭の中は「????」
そうです、裏をかいたつもりが、その裏をかかれたんです・・・。八段ってつえ〜〜。

お名前: Hide.    URL
To はやぶささん

>私は剣道界のどんな実力者でも、お相手するときは一人の剣士と見て対します。

アハハ、はやぶささんらしいカキコですね(笑)
私も基本的にはそうですよ。間違っても気後れするようなことはありません。
しかし、お相手の求めるところが違ったりした場合、ある程度、そこに合わせることも必要な
のではないでしょうか?(^^) ただお相手を打てたとしても、単なる「自己満足」では意味が
ありませんから・・・。
お相手が望むフィールドで一本を打ててこそのお稽古と考えます(^_-)~☆

お名前: はやぶさ   
このタイトルが気に入らない(笑い)ですね。
わたしはそもそも剣道で「偉い先生方」などというのはいないと考えています。
偉い先生などと構えるから、自分の力が出せないんですよ。
元に立つている8段の先生は、良く見ればただのくたびれた老人です。

道場では偉そうにしていますが、家に帰れば奥さんに全く頭が上がらなかったり、
うるさいので家族や近所の人から白い目で見られている単なるがんこじじいかもしれません。
100メートル走をすれば20秒もかかるのろまにかもしいれません。
気後れする理由はなんにもないのです。
もし、真剣勝負なら、打たれても「相手が偉いから」だの、「高段者だから」仕方ないなどと
考えないでしょう。相手が誰であれ必死にかかっていくはずです。

とはいえ相手に対する敬意は必要です。剣道でもこれがなく、ただ相手を打てば良い
となれば殺伐としたものになるし、剣道が社会的評価を得られないでしょう。

私は剣道界のどんな実力者でも、お相手するときは一人の剣士と見て対します。

ただ、元にかかるときと、自分が元に立つ時、互角の稽古をするときで、剣道を変えます。
元にかかるときには先の気で攻めて、返されようと自分から捨てて打ちこんでいきます。
面を打つ振りをして小手を打つようなフエィント技や相手が出るのを待って返し技などは
原則としてしません。
なるべく早く消耗して疲れ果てるような剣道をします。

自分が元に立つ時も同じ気分ではいますが、自分の技の経過を確かめながら打ったり、
誘い出して返しわざを出したり、いろいろ実験します。習得中の技も繰り出します。

互角の技量の相手とは勝負を楽しみます。

相手が誰であれそれぞれに良い点があります。強い人、弱い人、互角の人、相手は誰でも
稽古方法を間違えなければ上達は可能でしょう。

お名前: 守破離@   
>.、胴を返されているのは成功ではないんですね。

そうでも無いですよ、「正しく打てば正しく返されるの理」と言うのがありま
して、そもそも正しく返せない様な打ち方は剣道の本質から外れております。
先生と稽古をされる場合一番いけないのが、自分だけ打ちたい、自分は打
たれたくないと思う気持ちです。

面を打つ場合抜き胴を警戒して打突後手元を下ろしてしまったり、摺り上げ
面を打たれないように手元を上げるのは基本では習わなかったはずです。

そして大切なのは打つべき機会を逃さず、身を捨てて打ちを出すことです。

先生は、構え、気迫、攻め、溜め、機会、打ち、残心、といった所を良く観
ています。まずは先の技で先生に観ていただくという心構えを持って稽古に
望まれると有意義な稽古が出来ると思います。

そしてお稽古後先生にコメントをいただく事を忘れずに!足りない部分を
教えていただけるチャンスです。

剣道が単なる竹刀当て競技にならないように精神面の強化も図って行き
ましょう。

お名前: ALF   
みなさん、いろいろありがとうございます。
なるほど、胴を返されているのは成功ではないんですね。
みなさんが胴を返されて満足しているのかと思っていました。
自分のちまちました剣道に対応できないのではなく、対応しようとしてないわけですね。
偉い先生にちゃんと打てた時が、充実した打ちなわけですね。
そのときの感触を忘れないようにして、その攻め方を身につけろということなんですね。
次に偉い先生に稽古つけていただくときは、それを意識してやってみます。
まだまだ先は長そうです。
どうもありがとうございます。

お名前: ガロアウス   
 私は偉い先生方との稽古は、「面だけの掛かり稽古」という気分でやってます。
小手や胴もいいのですが、偉い先生相手に受け身の稽古をやっていると思われるの
も困りますので。
 私は「中心をとる」ということを理解していませんので、そういう稽古を高段者
の方相手にやってみたいのですが、ちんたらやっていると、「こちらが打つのを待っ
ているのではなく、打ってこんかい」と叱られてしまいます。
 相手が高段者であっても、自分より年下のときは、少し「待ち」の剣道をやって
も失礼にはあたらんだろうと考えてますが、相手が高段者かつ年上のときには、か
なり気を使います。
 まあそんなわけで、偉い方との稽古は「掛かり稽古」と割り切ったほうがすっき
りするのは事実です。
 私の剣道というのは、中学生のときのものを引きずっていますので、いまでも、
偉い先生方よりは、高校生レベルの人と稽古するのが一番楽しいですね。

お名前: waruimario   
深い!実に深いですね(o^o^o)/
参考になります・・・。お久しぶりの登場ですが、自分がお稽古して無いとなんとなく気後れ
してしまい、カキコできませんでしたが、先日ようやく、お稽古に復帰???致しまして
それでも、事故の影響でかなり首が苦しくなってしまうのですが、休みながら何とか出来る様
になりました。ここの部分は私も散々悩んで来ましたが、ようやく皆さんの言っていることが
わかるようになってきました。まだ出来るまでにはいってませんが、理解できるようになった
と言うことですね。いつのまにか懸かり稽古になってしまいます、これでは体力がいくらあっ
てももちません、なんて思ってましたが、皆さんそれなりに努力されていて、稽古の無い日は
走ってたりして、しっかりと体力を充実させて居られるんですね、皆剣道が好きで、剣道の
ことばかり考えているんですね、自分の実力不足も然ることながら、お稽古に臨む姿勢を
問われているような気がいたしております。何とか少しでも近づけるよう・・・。

お名前: 週末剣士   
ALFさん、こんにちは。
私は八段の先生にかかるときには面しか狙わないことはありませんよ。
明らかに返し胴のみを狙っている方には小手などを出していきます。
ただ、常に気をつけているのは、自分から先を取って、小細工せずにまっすぐ仕掛けると
いうことです。
八段の先生にかかっていくときに、何を学ぼうとしているかというと、私は技うんぬんでは
なくて、「気を練ること」だと思っています。私(30歳手前)の者が私よりずっと高齢の
先生方にかかっていっても、まともにまっすぐ仕掛けて対峙したらこちらが
息が上がってしまいます。それだけ高段者の方とまともに対峙するのはしんどいのです。
どう申し上げていいかわからないのですが、他のスポーツにたとえるなら、たとえば野球で
バッターがストレートを待っているのをわかっていて、それでもあえてストレートで三振を
取りにいく、みたいな感じでしょうか。
 稽古のときはいくら打たれてもいいわけですから、みんな敢えてまっすぐな技を出している
わけです。それが「わざと打たれに行っているように見える」のだと思います。決して
無造作に打っているわけではなく、みんな「どうやってまっすぐの技で取るか」を必死で
試行錯誤してるわけですよ。
・・・というのが私の個人的な考えです。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

うーん、それは難しい問題ですねぇ。
つまり、その先生とお稽古するときに、「引っ掛けて打つようなことをしても意味がない」と
いうことなんですね(^^;
先生のほうも、そういう気持ちで打ち込まれたものを「あたったけど仕方ない」と考えてお
ります。むろん、そういうものにも「対処していこう」とお考えになれば簡単に対処できるも
のなのですが、先生が今、こちらに求めておられるのはそういうお稽古内容ではないんです。
だから、ALFさんがいくらそういうところを狙って打たれたとしても認めてはくださらな
いわけです(^^)

先輩の先生方は、その部分をよくご存知です。先生が求めておられる部分・・・たとえば、そ
れが中心の攻め合いだったり呼吸の読み合いだったり間合いの攻防だったりするわけです。
そしてその機会に打ちに行けば打たせてくれるでしょうし認めてもくださいますが、そうでないところを打ちにいったとしても、返されるのが関の山っていうことなんです。

そういう質の高い稽古をつけてくださっているのに当てることにこだわったお稽古では「も
ったいないよ」っていう話なんですね(^^)


先生にはいろいろなタイプの先生がいらっしゃいますから、その先生のお稽古のタイプをよ
く見極めてお願いする必要があります。さもないと、大切な教えを見落としてしまうこと
も・・・(^^;

お名前: ALF   
初めてこの掲示板に書き込みます。ALFです。
偉い先生方との稽古の仕方がよくわかりません。
ほかの方がその先生と稽古をしている時、わざと打たれに行ってるように見えます。
先生が万全の状態の所へ面を打っていき、胴を返されて「参りました」といった感じです。
その八段の先生に稽古をつけてもらうとき、ちまちまと小手を打って小手を意識させて、
裏から一気に面を打つと当たります。当たるけど認めてはくれません。
面のフェイントから小手にいっても同じです。
たしかに無造作に面にいったら胴を返されました。
しかし、納得いかないのです。
偉い先生方に隙や癖があっても見て見ぬ不利をしなくてはいけないのでしょうか?
先輩方に聞いたら、「そういう稽古の仕方をしてるとせっかく先生と稽古できるのに
もったいない」と言われました。
素人考えですが、いくら中心を取り合ったりしていても相手が必ず面を打ってくるのが
わかっていれば返すほうも簡単だと思うんです。
年が近く自分よりはるかに強い先輩方も、その先生の前では無造作に面を打っていきます。
偉い先生方の伝えようとしていることがよくわからないのです。
偉い先生方とはどういう気持ちで、なにを得ようとして稽古をすればいいのか教えてくだ
さい。

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