記事タイトル:段位取得について 


書き込み欄へ  ヘルプ
お名前: 鬼平   
どーも、鬼平です。皆さんのご意見、有り難うございます。
やはり、「同じような条件下の人から見られる(見ていただく)」というのは、
いい刺激になりますね。いいとこ(実力以上)を見せようとして、
結局、悪い癖がでてしまいます。そういう意味では、いいかも
しれませんね(^^)。

お名前: Hide.   
To himさん

>そんなことを、このお題の初めの頃言ったような気がします。

でしたねぇ・・・(^^;

お名前: him   
to Hideさん

その通りです。
そんなことを、このお題の初めの頃言ったような気がします。

実現して欲しいものですね。

お名前: Hide.   
To himさん


>やはり「立会人を置いて(しっかり見てくれる人がいて)、同じ位の力の方と
>立ち会う機会」というのは身近では昇段審査以外にないのではないかな?と思いま
>す。

そういった意味からいくと、京都大会みたいな機会を市区町村の連盟単位で実施する
のがいいようですね。他の団体の同年齢・同段位同士での拝見試合があれば、かなり
の励みになると思いますが(^^)

お名前: him   
to 親馬鹿一刀流さん
宜しく願いいたします。

私も四段取ってから15年近く次の昇段審査は受けなかったのですが、
やはり「立会人を置いて(しっかり見てくれる人がいて)、同じ位の力の方と
立ち会う機会」というのは身近では昇段審査以外にないのではないかな?と思います。
そういう意味で、ある時期から昇段審査を意識するようになりました。

確かに、どこがどうで合格・不合格が決まるのか?判然としない部分もありますし、
いろいろ変な噂を聞くこともありますが、他にないですからね。こういう機会は。
また、短い時間に自分の「剣道のすべてをさらけ出す」という試みもなかなかないですから、
そういうプレッシャーを感じることというのも、ある意味必要なのかな?と感じます。

とにかく、合格しようがしまいが、これが今の自分の剣道だ!どうだ 見ろ!
という気持ちで臨むようにしたいな と思います。

お名前: Hide.   
To 親馬鹿一刀流さん

>それと、剣道でいくら高段者になろうとも、社会的には何のたしにもならない事は
>忘れたくないですね。

うーん、ここですよね。
私も、剣道を学ぶ高校生には「剣道なんかうまくたって、人生にはなんの役にも立た
ない。大切なのは、剣道を役に立てるように学ぶことだ」と話しています。

高段位をとるためには、それなりに努力をされてこられたはずですから、その部分に
は敬意を表します。しかし、それと人間性は必ずしも一致していない現実を、我々は
あまりに目にしすぎているのではないでしょうか(^^;

また、高段位であると、はれ物に触るように奉る人たちがいるのも事実です。そうい
う風潮が「剣道離れ」の一つの原因を作っていることも否めないはずです。段位が既
得権であることも、それを謙虚に受け止められない原因の一つではないでしょうか。

段位に振り回されるのも滑稽ですが、段位を振り回すのは愚の骨頂と断ぜざるを得ま
せん!

お名前: 親馬鹿一刀流   
ひさしぶりの書き込みです。
私も皆様のご意見とほぼ同じです。というか昇段に対して、もっと否定的でした。
私、社会人になってから習った先生から段は取りたかったら取りなさい。
但し、戦後発足した剣道連盟が出来てから作られた基準である事を理解する事。
段を取る為に剣道をやっている訳ではない事。
審査に行く時間があったら良い稽古をしなさいと言われておりました。
(そう言いながらも、ある時期がきたらそろそろ昇段審査を受けても良いと言われるのです
が。)
周りにいる稽古を積まずに審査を受けて落ち続ける方を見て、なんの為に剣道をやっている
のだろうと思っていました。
そんな事がありまして、自分の稽古に納得出来ない所もあり、16年間昇段審査は受けません
でした。

ただ少し考えが変わりましたのは、五段に昇段した直後に、良い意味で稽古が変ってからです。
また、最近考えていますのは五段にふさわしい攻めができているかを常に考えながら稽古を
しています。少し前迄は打ってから勝つ剣道だったと思っています。
私の個人的な経験を書きましたが、himさんも言われているように自分の剣道の実力をため
す、あるいはなにかを意識して稽古をする為の昇段審査であれば良いのではいのではないかと
感じています。
それと、剣道でいくら高段者になろうとも、社会的には何のたしにもならない事は忘れたくな
いですね。

お名前: Hide.   
To 鬼平さん

少しはお役に立てたようですね。
お互い、自分に合った剣道修業の道を模索し努力していきましょうヽ(^.^)ノ

お名前: 鬼平   
Hide.さん有り難うございます。
わたしも、他人の評価や評判を気にしていたのでしょう。
数学のように、一つの正しい答を剣道に求めるのは間違いですね。
そう言った意味では、精神面での(良い意味での)強さも
身につけれるようにいたします。
もしかしたら、そう言っていただいくことを、待っていたのかもしれません。
自信がつきました。

お名前: Hide.   
To 鬼平さん

そうですね。
一人ひとり剣道に求めるものは違って当然。その中で、段位が必要になれば受けに行
けばいいわけだし、他人の評価や評判なんかを気にするのは自分の取り組みに自信を
持っていない証拠と看破されてもいたしかたありません(^^)

段位や称号のシステムも、このままというわけにはいかないと思います。
疑問や改善を求める声が大きくなれば、やはり全剣連も無視できなくなるはず。我々
野にいる人間も、インタネという世界に向けて発言できるメディアを手に入れたこと
ですし、もっともっと、こうした声を大きくしていって、剣道という素晴らしい文化
をより高めて後世に残せるようにしていきたいものですヽ(^.^)ノ

お名前: 鬼平   
Hideさん、himさん
どうも、ありがとうございます。段位に対する考えが少し楽になりました。
私自身、未だに「‘指導‘者や‘長く剣道をやっている方‘は、高段者では
ないといけない!」という考えを払拭できない状況です。
「○段ぐらいでは、剣道してるとは言えない」とか、いわれますし・・・。
お答え頂いたように血の通わない(相手の存在を無視した)剣道は、
面白くないですよね(^^;)。
私は剣道は段をとるために、始めたわけではありませんものね。
そこを見失わないように、頑張ります。

お名前: Hide.   
To himさん

>六段以上の方には京都大会のように、年に一度 自身の修行の状態を知る機会もあ
>り、そこでまた課題を見つけて次の一年の目標にするということを聞いたことがあ
>ります。出来れば、都道府県レベルで三段以上くらいを対象にそういうことをやっ
>てもらえると非常に嬉しいのですが・・・

うーん、それはいいアイデアですね。
たとえば、都道府県で行なっている講習会がありますよね。審判講習と形講習が主だ
と思うのですが、それにこういうプログラムを乗っけるのも悪くないかもしれません。
その場合も、試合というよりもむしろ単なる立ち会いの方がいいでしょう。4つぐら
いの会場を作れば、一通りまんべんなく立ち会いがこなせるはずですしね(^^)


段位についてですが、むろん段位を必要とする特集な職業の方を除いては、あまり「段
位取得のための稽古」っていうのをしてほしくないですし、また、段位が剣道のすべ
てみたいな考え方はやめてほしいですね。もちろん、そういうことを目標にされても
かまいませんが、相手にまでそれを要求するのは傲慢な態度だと思わざるを得ません。

段位に受かるために、面打ちばかりにこだわり、小手や胴を打たれてもまったく無視
するような人とお稽古をする機会が時々あります。心の触れ合いもなく、何だかばか
にされているような気がして不愉快なものです。
また、高段位の先生にかかって、やっとの思いで攻め勝って打てたと思っても「君の
そんな剣道では○段は受からないよ」などと言われると、段位こそ諸悪の根源に思わ
れてなりません(^^;

本来、剣道は他人に評価してもらうものではないはずです。立ちあっている当事者同
士が、互いの気の充るを感じて、その中から相手を認め、また自己の存在を感じるも
のなのではないでしょうか? 
もともと客観性のないものを審査してランク付けをすることに無理があるのだと愚考
します(^^)

お名前: him   
自分の現在の力がどの辺りにあるのか?を知る手段として考えられるのが、
試合や昇段審査でしょう。

試合は、まったく不特定の相手(時には段位別に試合を行うこともあるでしょうが)との立会い
となる訳ですが、昇段審査は一応「レベル合わせ」が行われている中で「客観的に自身の修行の
成果を計る」ということが出来るのではないでしょうか。

Hideさんが言われるように、段位制の弊害はいろいろなところで目にしたり耳にしたり
しますが、これもHideさんかが言われているように「個人の考え方しだい」でしょう。

段位というものが自分にとってどういう意味を持つのか?ということではないでしょうか。
警察関係の先生方のように「昇段がその後の生活に影響する」ということもあるでしょうが、
そういうことの方が極稀であって、多くの方は「自分のレベルを客観的に知る手段」として
昇段審査を捉えているのではないでしょうか?
ただ、今の昇段審査のシステムは、合格・不合格の理由が判らないという点で、大いに改善
の余地が残っていると思いますが。

ごちゃごちゃ言いましたが、結局は私もHideさんと同じ意見です。

個人的には、昇段審査のような客観的に自身の修行レベルを知る機会がもっと頻繁に欲しいと
思います。
その意味で、Hideさんが提唱されている「段位更新制」には賛同出来る部分があります。
(本音では・・・降段するのはちょっと困る・・・)
まあ、そういう場で欠点を指摘されたり、課題を見つけるということが出来ればいいと思います。

六段以上の方には京都大会のように、年に一度 自身の修行の状態を知る機会もあり、
そこでまた課題を見つけて次の一年の目標にするということを聞いたことがあります。
出来れば、都道府県レベルで三段以上くらいを対象にそういうことをやってもらえると
非常に嬉しいのですが・・・

お名前: Hide.   
To 鬼平さん

段位取得は、あくまで個人的な励みとか目標と次元の問題だと思います。全権連では
「技術的指針」として考えておられるようですが、それとて何を基準にしているかは
明確ではありませんね。審査員や我々剣道関係者も「一般的に○段の人はこれくらい
かなぁ」って感じなんじゃないですかね(笑)

どういうわけか、高段位を持っている人ほど審査を受けることを勧める傾向にあるよ
うです。ご自分がいかに苦労して受かってきたかを誇示したいのか、はたまた、「自
分では満足しているようだが、君の今の剣道では○段は受からないんだよ」と諭した
いのかは不明ですが・・・(^^;


中高生の場合は、ある程度指導者が勧めて審査を受けさせる必要があろうかと思いま
すが、大人の場合、自分の判断で受審すればいいと思います。
剣道界は段位と年功序列によって格付けられている縦社会ですから、自分よりも若い
人でも段位が上だと元立ちに立つのが慣例ですね。それに、低段位よりも高段位の方
が知らない人が聞いたときは「すごいですね」と尊敬の眼差しを向けてくれることで
しょうし、指導者としても信頼度が違うかもしれません。また、低段位の人が高段位
の人に建設的な意見を述べたとしても「君はわかっていない」と一蹴されるかもしれ
ません(笑) それらが気にならないなら、段位を取得するのはまったく個人の事情
だと考えます(^^)


私見としては「全剣連の財源となり、権威主義を助長し、剣道家を惑わす段位制度な
んてクソ喰らえ!」ですヾ(・_・;)オイオイ

お名前: 鬼平    URL
現在、私は小さな町道場で子供たちといっしょに稽古および指導をしているものです。楽しく、真面目に剣道をやっている先生もこの道場も大好きなんですが、ひとつ気になることがあります。それは、先生に段位取得をせかされる事です。段位取得を非難するつもりではありません。ただ現在の私はそのことに対して「とりたくなったときにとる」と、いう考えなんです。段位は「とれるときにとる」ほうが良いのでしょうか。みなさんの経験や考えをお聞かせください。

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る