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お名前: Hide.
ODA爺さん、お初ですぅ! 管理人のHide.です。よろしくお願いいたします(^^)
>剣道の醍醐味はこの「攻め」の中にこそ有るというHideさんのお言葉はひとつ
>の啓示ですね。
ご理解いただきましてうれしく思います(^^)
しかし残念ながら、この攻め合いを「楽しませてくれる」あるいは「楽しんでく
れる」お相手というのはそう多くはありません。高段者の先生方でもあまりにあ
からさまな「誘い」をかけながら間を詰めてこられ「そこで打ってこないお前が
悪い」とばかりのお稽古をされる方が少なくありません(^^; まぁ、こちらがそ
の程度にしか見られていないせいなのですが、やはり愉快な気持ちはいたしませ
ん。
どうしても「打つ」ことにこだわる方が多いですね。高段者でも「攻められた=
心が動いた」時点での「負け」を認められない方が多いのが残念でね( -o-) フゥ
お名前: ODA爺
すみません。
要領を得ないもので。
次回は気をつけます。
お名前: ODA爺
すみません。
要領を心得ないもので。
すごく読みにくいですね。
次回は気をつけます。
お名前: ODA爺
初めまして。
>剣道の醍醐味は攻め合いです。有形無形の攻め、そして無形の中にも、心理的・
>精神的な攻めや気の攻め、無意識の攻めなどがあり、人それぞれ異なった表現が
>可能です。「どれがいい、どれが悪い」ではなく「どう攻めを表現するか」の方
>が面白い。打突として動いてしまったところで「勝負は終わり」なんです(^^)
Hideさんのご意見に同感です。
「間合いを詰め」るというのは「動作」ですよね。私は「攻め」イコール「動作」あるいはその逆だとも思いません。しかし、昔から物事を説明する場合は目に見えることで説明した方が解りやすいので、どうしても「動作」に現れた部分に説明が集中してしまったのだと思います。
実際にお稽古をしてみれば解ることですが、自分より上手の先生の攻めは非常に強烈に感じますが、下の方とは比較的楽に出来ます。当たり前のことですが、同じ人間で運動能力にそれほど差が無いことを前提とした場合、この違いは、多分にメンタルなものに負っているんですね。即ち、その方の剣道キャリア、人生経験、人生観、より近いところでは、稽古量の多少、心身の好不調、等々・・・いわゆる「自信」に繋がることですね。そしてこの様な事々について無意識のうちに己を思い、お相手に思いを致すに当たり、それが「攻め」への反応しやすさ、敏感度となって現れてくるのだと思います。
剣先による攻め、圧力は、一般に、蹲踞から立ち上がり「触刃の間」「交刃の間」と、お互いの間合いが詰まって行くほどに、次第に強力になって行きます。ただ、これによって影響を受ける距離(いわゆるビビリ間合い)は人それぞれに異なります。一般に経験の深い方ほど間合いの駆け引きには簡単に動じません。逆に経験の浅い方は遠い間合いからでもスピードを頼んでいきなり飛び込んできます。
思いますに、ヒントはこの辺りに有るのかも知れません。そして先生方が間合について仰られているのも、正にこの辺りの部分ではないかと思います。即ち、お相手を動かすこと、お相手がこちらの万全の体制(構え)と充実した気勢「攻め」に動じれば、まず勇を鼓して打突を繰り出すべく大きく踏み込んで来ます。しかし、こちらはそのようなお相手を冷静に見詰めることが出来ますから、その出鼻に「一足一刀」の間合から余裕をもって「乗る」ことが出来ます。
しかし、上手にかかるとこうは行きません。今度はこちらが勇を鼓する番になる訳です。その場合、先ほどの様にいきなり打突を出すのは愚の骨頂ですから、お相手に対してより強力な精神力で立ち向かわなければなりません。その結果としてお相手のビビる間合までグイッと強力に入り込む「間合を詰める」必要が出てくる訳です。それでも動じないお相手には左右への揺さぶりとか、お相手の剣を払ったり抑えたりして剣線をはずしてやる等、工夫を要しますが(特に意識しなくても自然に行っていることもありますが)。とにかく、こちらの「攻めに」心を動かされて、お相手が打突への意識をもった刹那、あるいは剣先の勢いを恐れて後退した時、あるいは混乱して脳停止状態になった時こそ初めてこちらに打突の機会が訪れます。この作業が完了しないうちに打突を行うのは無謀のそしりを免れないことになります。結局、剣道はお互いにこの瞬間のやり取りなんですよね。「先先の先」とか「後の先」等々はこの更に次の瞬間に現れるものなのではないでしょうか。
結論として、凛さんが講習会でお聞きになられた範士の先生のお話は、望むべくは、いかなるお相手であれ、その技を引き出して「一足一刀」の間合から、足を継がずに切り落とすこと。そしてそれが出来る胆力を養う様に、という意味のアドバイスであったと理解させていただきました。現代剣道は「活人剣」の系譜。往古の人殺しの剣ではありません。出来ればお相手を活かし自分をも活かしたい。なればこそ力づくで「間合いを詰めて」切りかかる必要は無いわけです。むしろお相手の心に隙が生じた、そこを親切に教えて差し上げる。こんな心の置き様が望ましいのではないかと思います。だからこそ気攻めや間合の取り方も臨機応変、お相手によって変わってきますよね。
いずれにしても剣道の醍醐味はこの「攻め」の中にこそ有るというHideさんのお言葉はひとつの啓示ですね。
長くなりました。
お名前: Hide.
to えーじさん&凛さん
>私も昔、一足一刀の間合いから技を出す様教わりましたが、年齢を経るにした
>がって、攻め合いが激しい時には、どうしても間合いが近くなってしまいまし
>た。
基本的には一足一刀から打つべきだと思います。その間合が感覚的につかめてい
ない段階では、「近い」「遠い」などの指導を受けるのは当然でしょう。しかし、
互いの一足一刀を理解しあっての立会いにおいては、「近い」「遠い」を問題に
するのは「自分がやりやすいようにお稽古して欲しいのかな?」ってな疑問が沸
き上がってしまいますよね(^^;
>確かにおっしゃる通りですね。
>なかなか捨て切れませんけど・・・ (^^ゞ
剣道の醍醐味は攻め合いです。有形無形の攻め、そして無形の中にも、心理的・
精神的な攻めや気の攻め、無意識の攻めなどがあり、人それぞれ異なった表現が
可能です。「どれがいい、どれが悪い」ではなく「どう攻めを表現するか」の方
が面白い。打突として動いてしまったところで「勝負は終わり」なんです(^^)
ホント、剣道って楽しいですよねヽ(^.^)ノ
お名前: 凛
え〜じさん、こんにちわ
>打突には、そこに至るまでの過程において我慢も必要だし、
>駆け引きや読み、そして思いっきりも大切。やっぱり剣道って楽しいですね
我慢したり、駆け引きがあったり、ホントに剣道って奥が深いもんですね。
幾つになっても、何段取ろうと、ず〜っと修行なんだな〜ってあらためて思います。
To Hideさん
>結局「どこで捨てるか」っていうのが、剣道の最大の命題
確かにおっしゃる通りですね。
なかなか捨て切れませんけど・・・ (^^ゞ
お名前: えーじ
なるほど。凛さんとhideさんのお話を聞いて十分理解しているとは言いがたいのですが、
なにか胸の裏側にあったものが下がった気がします(抽象的ですいません)
間合いや攻めって本当に奥が深いですよね。私も昔、一足一刀の間合いから技を出す様
教わりましたが、年齢を経るにしたがって、攻め合いが激しい時には、どうしても間合いが
近くなってしまいました。感覚的にそれでいいんだと思っていましたが、これまで理論的に
考えていなかったもので…。打突には、そこに至るまでの過程において我慢も必要だし、
駆け引きや読み、そして思いっきりも大切。やっぱり剣道って楽しいですね(^0^)/~
お名前: Hide.
>私はHideさんの事、180cmくらいある大男をイメージしてました (^^ゞ
アハハ、そのくらいあったら、私の人生も変わってただろうなぁ・・・。全日本
に出られたかも???ヾ(・_・;)オイオイ
残念ながら、164センチしかありません・・・(;_;)
>物理的に届くものを、わざわざ近間に攻め入るという事は、自分自身がそれだ
>け相手を攻め切れておらず、応じ技や返し技を出させる危険性がある為ではな
>かろうかと思ったり・・・
お相手にもよると思うんですよ。こちらが攻めを効かせても「色が見えない」と
なるとさらに「どうだ?」と詰め寄らなければなりません。「攻めきれてない」
と言われればそれまでですが、お相手の腹が錬れていれば、一足一刀からの「攻
め」が実は「引きだされているだけ」っていうことにもなりかねません。全日本
クラスの攻防が割と近間になりやすいのもそこです。
結局「どこで捨てるか」っていうのが、剣道の最大の命題であるわけで、「間合」
や「攻め」もその手だてにしか過ぎません。「先生」によってもその解釈が大き
く異なるのはしかたがないことでしょうね(^^)
お名前: 凛
さっそくのレスありがとうございます。
へ〜!? Hideさんて小柄なんですか〜 いちに会のメンバー紹介に掲載されている
写真といい、日頃皆さんがカキコされているHideさんイメージから、私はHideさん
の事、180cmくらいある大男をイメージしてました (^^ゞ 失礼しました。
>間合というのは、年齢、体力、対角、性別、性格、得意技・・・など様々な要素
によって変ってくるものだと思います。また、お相手によっても違いますね。
そうですよね〜 全日本なんか見てても結構間合いは近いですよね〜
私の持論も、人によって剣風も違えば、跳躍力などの体力差もありますから、
当然自分にとって最良とする間合いがあっても良いのでは?、と思います。
唯反面、物理的に考えれば、剣先が交差する一足一刀の間合いから一歩踏み出して両
腕を伸ばせば、相手の面に届きますよね〜。このあたりから考えると、物理的には近
間に入る必要性は無いんだろうな〜と考えたりもします。物理的に届くものを、わざ
わざ近間に攻め入るという事は、自分自身がそれだけ相手を攻め切れておらず、応じ
技や返し技を出させる危険性がある為ではなかろうかと思ったり・・・
ややこしく考え過ぎなんでしょうかね?(^^ゞ
お名前: Hide.
うーん、これは「私の見解を示せ」というカキコなのですね。うわぁ、困ったなぁ
(笑)
そうですね、私はカラダが小柄なこともありまして、「如何に自分に有利な間合
に入るか」をテーマにお稽古しております。したがって、凛さんがお書きになっ
ているような「一足一刀の間合いから、十分な気攻めをしつつ間合いを詰め〜」
というような剣道をしております。
間合というのは、年齢、体力、対角、性別、性格、得意技・・・など様々な要素
によって変ってくるものだと思います。また、お相手によっても違いますね。お
相手の剣風や年齢を無視して「自分の間合」に固執すると痛い目に合うものです。
小野派一刀流の極意は「一刀は万刀に化し、万刀は一刀に帰す」といい、千変万
化する刀法も最終的には一刀に帰結する理を解いておりますが、間合もこれと同
じようなものなのではないでしょうか。
そもそも一足一刀というのは「何メーター何センチ」という決り切ったものでは
なく個人差があり、また、自他の状況によっていかようにも変化していくもので
すから、柔軟に捉えつつも常に自分にとってベストな間合を作りだす努力が必要
になるのではないでしょうか(^^)
うーん、お答えになってるかなぁ? ちょっと心配です(^^;
お名前: 凛
現在五段を戴いております。
打突の機会と間合いについて少々、ご教示下さい。
日頃道場での稽古を続けており、打突の機会と間合いについて、
現指導者には一足一刀の間合いから、十分な気攻めをしつつ間合
いを詰め、相手の打突の起こり際または、居付いた所を打てと指
導されます。
また気攻めにより相手が「打って出ざるをえない」状況、つまり
相手の動きを誘い出す攻めを とも・・・
しかしながら、過日全剣連講習会後の稽古において、八段範士の
先生から、一足一刀の間合いから一歩間合いを詰めて近間からの
打ちは、繰り出す技が限定されてよろしくない、一足一刀の間合
いからの打突を心掛けよとのご意見を戴き、少々迷路に突入して
おります。
指導者によって、気攻めの方法や間合いの取り方等々に異論があ
る事は十分理解しているつもりですが、Hideさんはどのように
お考えでしょうか?
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※半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
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