記事タイトル:古流の技では剣道で1本取れないの? 


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お名前: せきさん   
to げんこうさん

ご返答頂きありがとうございました。
居合にもいろいろあるのですね。

私は近頃は、夢想神伝と制定をよく抜いています。

神伝では、組太刀(組居合)は、稽古日の練習では割愛されているのに、
指導では「切れる居合」という言葉が頻繁に出てきます。
ただ、理合の指導の時には、「まさか・・・人を斬る為に居合の練習してる人は
いない」とか、「現代では真剣抜いて人を斬る機会はまずないから・・・」という
言葉を先生は頻繁に口にされます。(剣道も居合道も全剣連教士七段を御持ちの
先生です)真剣を使いながら・・人を斬る技の練習をしているのに・・・すごい
矛盾を感じ、釈然としないものでしたが、最近になってよく分かって来たこと
は、心得として自分の中にしまっておくものという意味の事を指しているんだと、
思うようになりました。さも斬った様な、したり顔で納刀するんじゃなくて・・
・・・「きちんとした裏づけを取りなさい」ということを仰りたいんだと分かって
きたのですよ。

だから、野太刀初心者さんが「自分の技の点検をしたい」と言われたのを読んで、
今時珍しくよい心掛けを御持ちだと感心した次第だったのです。

先生いわく、居合のもっともいけない点は「勝手にやってしまい満足していることだ」
そうです。「相手が居ない居合」とも称してました。そうならない為にも、剣道は
必要だと云われています。(ただ私が剣道の稽古ばかり行って、居合の稽古に行かない
でいると、「逆だ!」と言われるが・・・)

お名前: げんこう   
せきさん様

はじめまして、
有り難う御座います、

その後じげんりゅう、少し見させて頂きました、
お家流の示現流と野太自顕流とは同じ様な読みでも
、太刀筋、顕示方等、遠目に見ては同じ様ですが、
近場で見るとかなり違う様です、
つっこみは別みたいですね、勉強に成ります。

剣道と立ち会いは、いかがとしましたのは、
古流と剣道と言うように思いましたので、
剣道として習い、剣道として練習するのは、何も
問題ないかと思いますね、

私の、師匠(故人)も常々剣道をしないので有れば
せめて剣道形をせよと言っていました、剣術と違い、
当方の様な居合では、組太刀が少ないもので、間合
と、相手の想定のために、

少し話がずれましたが、ご返事とさせて頂きます。

ありがとうございました

お名前: せきさん   
リンクが切れてました。下記です。

http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/torimono.htm

お名前: せきさん   
to げんこうさん

はじめまして。
>古い持代の形を色濃く残している、自顕流は、文献によりますと当時、
>不戦の証に、「刀のつば」に二つ穴を開け・・・・

江戸時代とは、お上中心の実に不公平な世の中であったらしいですよ。

関が原直後から、お上に睨まれていた薩摩侍には、一歩本国を出ればありとあらゆる
難癖が付けられていたのではないかと・・・先日、刀剣オークションに出展されてい
た薩摩ぞん(刀の外装)を見て感じました。

古流や武家文化に関する興味深い検証をされている方のリンクを紹介します。

お名前: せきさん   
to 野太刀自顕流さん

はじめまして。私も古流剣術をやるものです。
私の流派(立身流)は、宗家が剣道の修行を推奨していますので、私は積極的に推奨
していますし、自身でも剣道をやりながら、自流の修行に役立てていますよ。

>ただ、色々な方からお話を聞くと、戦前は野太刀の方も剣道でスパーリング
>(組み手)をして、己の技の問題点を点検されていたらしいです。

師匠から伝えられた口伝(道歌)の中に、剣道修行の必要性として、

「おりにふれ 時と場合で変わるもの われ知るばかり 好とおもうな」という

一首があります。自分の技の問題点を常に知ろうとする事は、とても重要な心得
だと思いますよ。

>別に抜きや袈裟打ちを
>行いたいわけではないのです。たまに自分の欠点を見つける手段として
>組み手を行う機会があればいいと思った次第です。

こわ打ち(大きく左に旋回させて切る基本の太刀筋)や、円(まるい)の秘太刀
など・・・立身流にもいくつか、必殺技があって(地味で無名ですが)、それら
を剣道で試そうとすると、かなり無理があるので私もやりません。

剣道家の先生方と対戦すると、竹刀が届く間合いから大技を出そうとすると、出鼻
や起こり、色を先に取られたりして、すごくいい勉強になりますよ。
また、大技を出すためには”捨てる”という所作を覚えなくてはなりませんが、打
たれる事で”迷い”を知ったり、待ち構えている処に打ちに行く”蛮勇”を悟った
り・・・・と、剣道の先生方から得られるものは古流の修行に大きなプラスになる
のでぜひお勧めです。

最後に注意して欲しい事が一つだけあります。
心の中を空っぽにして、公平な澄んだ眼をもって、自分が審判になることです。
剣道の打突部位は、人体の急所であって、本来なら許してはならない部位であり、
そのことを軽視して・・・(今のは浅い、打ちが軽いから死なない等)、自分に
甘い判定をすることがないように、戒めて下さい。

相手の得意なところを何度でも打ってもらい、相手の良い所を吸収するようにすれ
ばきっといい稽古ができると思いますのでがんばってくださいね。

お名前: GEN   
to 野太刀初心者さん

1.竹刀が当たったとき、ゴチンという音になるだろう。パシッツという音でなければだめだと思う。
2.そんな体勢(膝を付ける)で斬りつけるのもだめだと思う。
3.うち続けながら相手をにらみつけるだけの残心で良いとは思えない。

1. のパシッツという音は一本の基準の一つと考えて下さい。
ある程度統一していて皆に分かりやすい基準がないと競技が成り立たないので。
3.も同様に剣道の一本の基準ですから
さらに、1.、2.に関してですが、自顕流を学んでいる者同士なら初学者と上級者の打ちの良し悪しの差は分かると思います。
しかし、自顕流に関しての素人が、その打突の良し悪しを判定するのは正直厳しいですね。

剣道をやっているお知り合いの方の言わんとするところは
「剣道の試合では剣道で推奨される打突しか採れない(判定できない)」
と解釈して下さい。

>「一の太刀を疑わず」とありますが、そんなことはありません。二の太刀
や三の太刀を出すために、続け打ちの練習をしているのですから。

なるほど、そうなのですか。
やはり専門に学んでいる人に聞かないと分からないものですね。
勉強になりました。

お名前: げんこう   
すみません。

書き間違いです、この前の投稿の中で
>(当会では時々しますが先生級と
の当会は、私どもの会のことです、次の様に、
<訂正後>(私どもの会では時々しますが先生級と
と訂正します、すみません宜しくお願いします。
                          げんこう

お名前: げんこう   
野太刀自顕流様

古流、真剣に稽古修練されているようで、たのもしく思います、

私見で申し訳有りませんが、
誤解を恐れず、少し述べさせて頂きます、もし不適切な点が有ればご指摘下さい、

初心しゃとけんそんされていますが、手練れと思っていす。
誤解を恐れずと申しました一つは、私も古流を少々使いますが、薬丸自顕流(示現流はビデをを
一度拝見しました)は文献のみしか存じ上げません、ただ一般論としての私の古流の習いを述べ
ます、
 古流は、本来、お解りだと思いますが、命のやりとりをするもの(それを昇華して戦わず又不
殺となります)で、戦いが主です(誤解を恐れずと言いました二つ目、不戦になる前の段階)、
その為、戦い(スパ−リング)は非常に危険です、通常それをする場合、掛かり手より受けての
方が技量が数段上でないと、けがをすると言われています、(当会では時々しますが先生級と弟
子とのことで、技量が同一の方同士は絶対にしません)、江戸時代の後半頃より打ち合いの出来
る、竹刀、防具が考案され、現代剣道のように出きるようになりました、だだ昭和初期は組み討
ち、引き倒し、面取り有りと聞きました、現代とは少し違います、
 
 現代の剣道はル−ルがあり、その中で切磋琢磨して人間けいせいをします、あいてを認め
ル−ルの中で戦いながら人を作ります(つまり社会と同じです)、負けることも、勝ことも有りますが、勝ち負けでもく、
命のやりとりでもありません、その辺はお解りだと思いますが、つまり他流なのです。

 古い持代の形を色濃く残している、自顕流は、文献によりますと当時、不戦の証に、「刀のつば」に二つ穴を開け「さやのクリ方」と「つば」を通常針金で結んでいたと書いて有り、特に他流試合は御法度だと有りました、その辺は、そちらの御師匠にお確かめ下さい。

現代は、特別な場合を除き、他流試合は、すべきでは無いと思います。

残心は、古流それぞれの独特な残心が有り、又それぞれに理合いが有り、他流と比べ土壌が違うので
比評するべきものでは無いと、私は、師匠より教わっています、

その辺も、お師匠に一度お尋ね下さい。

私も、古流を少々していますので、共に研鑽させて頂ければと思います。

長々と失礼しました、まだまだ未熟者で、私の習いの範囲しかお答え出来ませんが、今後又、
何なりとお聞き下さい、私も自顕流に興味が有りますので、支障がなれれば、ご教受頂ければ
と思います。

今後とも、宜しくお願い致します。

                          げんこう

お名前: 野太刀初心者   
>野太刀自顕流には防具を着けて打ち合う稽古法はあったのですか?
剣対剣では無いと思います。ただ、長物(槍・薙刀・野太刀)を想定
したものと組稽古する際は、長物側に手がスッポリ入る鍔のような物
を使用し、手を守る防具は存在します。これが唯一の組稽古かと思い
ます。

>一の太刀を疑わず、電光石火、神速果断、猛烈果敢に天地を両断する。
>ただ攻撃の一途あるのみである。
「一の太刀を疑わず」とありますが、そんなことはありません。二の太刀
や三の太刀を出すために、続け打ちの練習をしているのですから。
また、「攻撃の一途あるのみ」も違うと思います。長物を持つ手の辺りを
切り込む練習があります。これは防御の一種と思います。その後、何度も
地面まで木刀を打ち付けるので、これは威嚇だと思います。たじたじと
長物を持つ相手が後退して、隙が出たら斬りつけます。
よって、一の太刀で攻撃の一途あるのみではないと思います。

>自顕流の稽古通りの打ちができたら、防具の上からでも耐えられないですよ
それはどうなのかさっぱり分かりません。痛いかどうかは分かりませんが、
切っ先が何かに触れたら全体重を切っ先に乗せるようにします。実際は分か
りませんが、衝撃より、バランスを崩してしまうかもしれませんね。

当方はまだまだ初心者なので、スパーリングもやってみたいなという気分が
あります。上達すれば、そんな浮気心も出なくなるかもしれないのですが。

お名前: GEN   
to 野太刀初心者さん

浅学のため知らないのですが、野太刀自顕流には防具を着けて打ち合う稽古法はあったのですか?

>自分が修行した技(普段の横木打ちの素振り)で安定して振れるか、下半身は
練習通りにできるかだけを確認したいからです。

「一の太刀を疑わず、電光石火、神速果断、猛烈果敢に天地を両断する。ただ攻撃の一途あるのみである。」
自顕流の稽古通りの打ちができたら、防具の上からでも耐えられないですよ
自由攻防を試すのは自顕流では難しいですね。

修行頑張って下さい

お名前: むささび   
 あれまぁ,日高くんでしたか.うろ憶えですんなり納得して
ました.六三四ファンの皆さんには失礼しました〜

 野太刀初心者さん,当初の御質問が一本の基準に関わるもの
でしたのでそれは無理だろうとの回答が多くでた訳で,敢くま
で剣道の方と生きた攻防を学びたいとの姿勢であれば歓迎で
しょう.あと足遣いについてなら古流のなかでは半身の流儀等
と違い剣道とご一緒に稽古し易い様に思いますが.

お名前: GEN   
日向くん→日高くん でした。

どうも今回は変換ミスが… (*_*;)

お名前: 野太刀初心者   
皆様、色々レスありがとうございます。
当方の剣術技術はまだまだ未熟で、もっと修行を積まなければ
と思っています。剣道を同じ程度練習するには無理があると思います。
当面は野太刀だけを一生懸命修行しようと思います。
ただ、色々な方からお話を聞くと、戦前は野太刀の方も剣道でスパーリング
(組み手)をして、己の技の問題点を点検されていたらしいです。現在は
それをする人がいないそうです。打突部分は剣道に合わせていたらしいです。

「どうして剣道で実力を試そうとするのですか」は対人稽古時に、自分が
修行した技(普段の横木打ちの素振り)で安定して振れるか、下半身は
練習通りにできるかだけを確認したいからです。別に抜きや袈裟打ちを
行いたいわけではないのです。たまに自分の欠点を見つける手段として
組み手を行う機会があればいいと思った次第です。剣道場なら近所にも
あるし、剣道をやっている友人もいるので、少しだけ組み手をやらして
貰える機会があればいいなと思ったのですが、皆に猛反発を受けそうなの
で断念致します。問題になる前に、皆様から色々意見を戴き、ありがとう
ございました。

お名前: Hide.    URL
To GENさん

アハハ、指摘されるまで間違いに気づきませんでした。自分としては、今の今まで「ス
パーリング」と入力していたと信じきっていたんですがね(^^;
ビール派であることは間違いありませんが、無意識にこんなところで出るものかなぁ(爆笑)

お名前: むささび   
 GENさん,そうですか日向くんは示現流と野太刀自顕流ですかぁ〜
懐かしいです.もう愛読したのは20年近く前になりますねぇ.記憶
では日向くんの怒濤の速技には示現流の印象が強く,野太刀(薬丸)
自顕流の印象は薄かったのですが〜復た読みなおしたくなりました
ぁ.でも野太刀自顕流には実際剣道とは大きく距離があります.まぁ
その分抜き付けの斬り上げ初太刀なんか確かに知らずに向かえば不
覚必至の技で近藤勇ならずとも留意したくなりますね.でもこうゆう
議論は少なくとも修行段階の対象としては余り建設的ではないので
しょう.
  
 野太刀初心者さん,古流の場合如何なる流派流儀でもある程度に
成熟してはじめてその術儀の深遠が会得されます.そうなってみて
見えてくる玄儀には流儀を超越した共通性に気付かされるものです.
余り近視眼的にこの技なら他流に有効だとかの発想は賢明とは思え
ません.古来,目録や免許等の一定の習熟を得る前は他流試合を禁じ
る戒めがあったのも故なき道理ではないのでしょう.あとスポチャン
では折角の自然木の木剣で磨く太刀筋の重みが活かせないでエアー
剣が中折れしそうで余りお勧め出来ません.古流ではまず深い太刀筋
を練る点に成果をあげ,剣道の方に加わる際には剣道に忠実に向かう
のが一番現実的なアプローチではないでしょうか?

 

お名前: GEN   
to 野太刀初心者さん

自源流→自顕流でした。
失礼しました。

to むささびさん

「六三四の剣」の日向くんは示現流と野太刀自顕流を学んでいるって言っていましたよ。
作品中では示現流の立ち木打ちと、野太刀の技“懸”を披露してくれましたね。

お名前: GEN   
>たしかに竹刀剣道は古流のスパークリングとして開発されたものだったかもしれま
せんが、

sparring   (名詞)スパーリング、組手
sparkling  (形容詞)発泡性の

あの、『スパークリング』って、泡が出てるんですけど (;^_^A
『スパーリング』ですよね(笑)
Hide.さんはビール派ですね!


to 野太刀初心者さん

>自分の実力を試すスパーリングに剣道も少しやってみようかなと思ったのですが、古流ベースではどうしようもないのでしょうか?

はい、どうしようもありません。
逆に聞きたいのですが、どうして剣道で実力を試そうとするのですか?
剣道を学ばれるなら、基本から始め、ルールを憶え守ってもらわなければなりません。
道場に行って剣道を学ばずに「自源流を試させてくれ」っていうのは、最低ですよ。
スポーツチャンバラはどうですか?
自由に打ち合えますよ。

剣術の技術で自由攻防を試したい気持ちは分かりますが、剣道の流儀を無視しての試みはマズイと思います。

>例え面に当たっても相手の戦意が喪失するまでうち続け、相手の顔から目をそらさない(残心)ではだめなんでしょうか?

剣術の残心ではアリなのかもしれませんが、剣道が目指す残心ではありません。
それと、やられるお相手の立場も考えて下さい。
剣道は剣道なのであって、自源流ではありませんから。

お名前: むささび   
 野太刀示顕流ですかぁ,かなり剣道とは距離がありますねぇ.
考えられる可能性は多く打ち込んで相手の体制を崩して一本を
極めるくらいでしょうか〜以前「六三四の剣」にありましたよ
ね?(あれがどちらの示顕流がの記憶はないのですが)

 トンボの構えからの打ち込みは問題ないにしても,足が歩み足
では逆足の打にならないのでしょうか?袈裟斬りや斬り上げに
至っては一本取って貰うのはもう無理ですよね.

 やはり剣道は古流としては一刀流までが許容範囲の限界で,そ
れより以上はHide.さんの仰るとおり二次的に参考にするしかあ
りませんよね.今は防具一つで他流に腕試しの訪問が適う時代で
はないのでしょうかねぇ.

 しかし一応なぎなた等との交流試合は数は少ない乍らも現代で
も催されています.そういう機会が更に充実して各古流が一同に
竹刀を合わせる事になるならとても面白いのですが〜

 実際古流の袈裟や斬り上げの太刀筋を経験すれば,剣道側の方にも
基本をまもり充分の体制,位から一本をとる重要性が再認識されると
思います.剣道の中だけではポイントの取り合いから許されている甘
い体制や攻防が,他の得物や太刀筋に不覚となる危険を自覚されるの
は大切だと思うのです.柳剛流の下段を嫌い剣道で禁手にしたばかり
にその後に薙刀の脛技に翻弄される原因を作った訳ですし.(一応,
剣道史では柳剛流は一方的に破れた形になっていますが,その後有名
な直心影流薙刀の園部秀雄先生の御活躍をみるに個人的には歴史とお
りには鵜呑みにできません)

 しかし一方で一刀流に源流する剣道の基本に秘められた奥の深い術
理を尊重する姿勢も,他流殊け袈裟や切り上げやの半身の流儀の側に
も必要で,剣道の現在の競技の基本を崩すべきではないとも思います.
やはりお互いに最も建設的なのはなぎなたや古流との交流試合の充実
だと思うのですが〜

お名前: Hide.    URL
少しでもお役に立ちますればうれしく存じます(^^)

お名前: 野太刀初心者   
どうもご回答ありがとうございました。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

えっとぉ、私も剣道とは別に一刀流の組太刀を勉強しておりますが、古流の技が剣道に役
立った例は数えるくらいしかありませんでしたね(^^;

でも、古流を勉強することは、技を役立てるためだけではないと考えております。
 ●気と機
 ●呼吸
 ●間合い
 ●運足
 ●合気
 ●理合と剣理
などなど、竹刀剣道に応用の利くものは数多くあります。

また、たしかに竹刀剣道は古流のスパークリングとして開発されたものだったかもしれま
せんが、今は、それ独自に文化を形成しております。そのあたりをご理解いただいたらい
いかもしれませんねd(^-^)!

お名前: 野太刀初心者   
はじめまして。野太刀自顕流をやっているものです。
先日、剣道をやっている知人と私のやっている剣術
について語り合いました。横木打ちを友人に見せた
ところ、「そんなので例え面を打ったとしても、剣道
では1本を取ってくれないだろうなあ」という意見でした。
理由は
1.竹刀が当たったとき、ゴチンという音になるだろう。
パシッツという音でなければだめだと思う。
2.そんな体勢(膝を付ける)で斬りつけるのもだめだと思う。
3.うち続けながら相手をにらみつけるだけの残心で良いと
は思えない。
上記のような回答でした。自分の実力を試すスパーリングに
剣道も少しやってみようかなと思ったのですが、古流ベース
ではどうしようもないのでしょうか?
剣道の有効打突は面、小手、胴などにきちんと刃筋を当て、
例え面に当たっても相手の戦意が喪失するまでうち続け、
相手の顔から目をそらさない(残心)ではだめなんでしょうか?
ご存じでしたら、ご教授お願い致します。

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