記事タイトル:剣道と宗教 


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お名前: 069   
剣術が戦の中からその要求があったことは疑いもないことですが、
形式的な型や流儀の一部には宗教的儀礼から取り入れられた部分があることも事実のように思います。
諸流の起源についての伝承に法師や神職が出てくる話が多いことも、その一端を示しているように思えるのは深読みかも知れません。
ただ、起源を求めることも意味あることですが、大成された後の剣道においては、
儀礼的要素も神仏への敬意というよりも、相手やその場といった、決闘というもの自体への敬意に移行したと考えて良いように思います。
ある意味では、そこに「神」を見いだしていると述べてもいいのかもしれません。
神道が民族固有の習慣・習俗を中心として形作られていると考えると、グローバルな視点に立ったときに現代剣道が一つの宗教的行為に受け取る人々がいても、むしろそれはそれで正解のようにも思えます。

お名前: うい   
剣道は仏教より神道だと個人的に思います。神社境内での奉納試合とかした経験がある影響かもしれませんが。鳥居と剣道試合は絵的にマッチします。

お名前: うい   
剣道は仏教より神道だと個人的に思います。神社境内での奉納試合とかした経験がある影響かもしれませんが。鳥居と剣道試合は絵的にマッチします。

お名前: 片腰    URL
蛇足ながら
仏教やキリスト教も時代によっては、
日本の中で他の勢力争いと絡んで、戦乱が起ってます。
一応書いておきます。

お名前: Hide.    URL
To 片腰さん
そうですね、人間を幸福にするはずの宗教が元での戦争が、人類の歴史の中で数多くある
ということはなんともむなしいことですね(^^)


To Kimiさん
>正月は神社、お彼岸は寺、十五夜は中国式、十三夜は日本式、クリスマスのケーキ、結
>婚式はウエディングドレス、上棟式は神社、葬式は寺院・・・
いずこも同じですよ(笑)
いやぁ、日本って平和だなぁ。

お名前: 片腰   
Hide.さん

一神教で正義を押し進めて戦争に至るより、
八百万の神が仲良く同居の方が良い加減です。(笑)

お名前: kimi   
ちょっと話題とそれますが・・・
以前、知り合いのお寺さんから「江戸までは神仏融合だったが明治から分かれたんだよ」
と聞き及んでおりました。
気になって調べてみると、慶応4年(明治元年)の大政官布告で、明確に神仏分離が打
ち出されたようですね。
正月は神社、お彼岸は寺、十五夜は中国式、十三夜は日本式、クリスマスのケーキ、結
婚式はウエディングドレス、上棟式は神社、葬式は寺院・・・

神様、仏様、節操のない私めをお許し下さい! 

お名前: Hide.    URL
ま、日本的寛容の精神(いいかげん)が、宗教にも表れてるってことですかね(^o^)

お名前: 片腰    URL
現代剣道がどうかと言えば、答えられないかもしれませんが、
採りたてて言うまでも無く、
日本の文化に仏教は根をおろしています。

有名な武術伝書の言葉は、仏教用語に溢れています。
出典は定かでありませんが
日本の神道は仏教伝来により、体系化されたという表現も見た事が有ります。
廃仏毀釈などの歴史もありますが、
お寺と神社が同居と言うのも、珍しい事ではなかったようです。

八百万の神の集う日本では、仏様もその一員ではないでしょうか。
暴言多謝。

お名前: 素浪人   
私はミッション系の高校でしたが神前には
マリア様がおられましたよ。
別の場所に神棚もありましたが....。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

そうですね、どちらかというと剣道というのは神道だと思いますよ。
神殿には、鹿島香取のお札を祀り、武運長久を祈るのが慣わしですから(^^)

もちろん、仏教系の考え方を元にした道場などもありますね。
私は仏教系の高校で顧問をしておりましたが、「神前に礼」ではなく「仏前に礼」でした
しね(^_-)〜☆


とはいいましても、現代剣道は、宗教との密接なつながりはないと考えて差し支えはな
いでしょう。

お名前: Akio   
こんにちは.

仏教の禅と剣道の道(禅)が,

色々面で似ていることはします.

自我省察の内面的な面がそうです.

東洋的な 禅文化はどうしても 西洋人が理解することは

大変ではないでしょうか?   

次は 禅と弓道を連関した冊です.(弓道での禅)

 Zen in der Kunst des Bongenschiessens - 
 著オイゲンヘリゲル

参考してください.

私は剣道が宗教と同時に信念です.

お名前: DTW   
ふとさん、
デトロイトに居りますDTWです。
私はアメリカ人に礼法の質問を受けて説明する時に神道を例に使う事があります。
八百万の神の考えです。
道場への(上座への)礼は、自分達の稽古の安全を守ってくれる道場の神様に
感謝し、今日も稽古をさせて頂くことへのお礼の為と・・・。あまり宗教色を
出すことは好みではありません。剣道は剣道ですから。
黙想はおっしゃる様に使うか、呼吸法の稽古とするか、色々だと思います。
先生から教わった事を伝えていく中で自分が間違いを創っていないか心配しながら
指導のお手伝いをしています。皆様のご意見を拝聴致したいと思います。

お名前: ふと   
こんにちは。
実は今カナダに留学しているのですが、先日あるカナダ人に自分が剣道をしているとい
ったところ、「じゃあ君は仏教徒なんだね?」と言われました。なぜそう思うのか聞き返しすと「武道ではmeditation(瞑想)をするじゃないか」と言われました。
私は稽古前と稽古後の瞑想(というか黙想)はその日の稽古の目標をたて、反省を行うためのもので、宗教的な意味はないと思ってましたが実際のところどうなんでしょう?それ以外にもよく稽古前後に「神前(あるいは正面)に礼」を行いますよね。

自分はあまり宗教について深く考えた事はありませんが、剣道における一つ一つの動作に宗教的、特に仏教的な意味合いはあるのでしょうか?

自分自身の意見としては宗教というよりは武士道とでも言うような精神が剣道の根底にはあるように思いますが…。現にクリスチャンでも剣道している方はたくさんいますし。
分かりにくい文章ですいません(><)

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