記事タイトル:勝負にこだわってはいけないのか 


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お名前: chike   
自分で建てたトピなのに自分が納得した後に見ていませんでした。すいません。

元立ち先生
僕も体勢を崩して打つ小手打ちは稽古、試合かかわらずしないようにしています。
体勢を崩すとそのあとの動きも鈍くなるので勝負にこだわる意味でもそのような
打ちはしないようにしています。
高校の先輩方が軽い竹刀などで違反しているのは悲しい限りです。勝負にこだわる
というのはルール上のことであって、ルールを破ってしまったら剣道ではなく
チャンバラとなってしまう気がします。毘先生のような経験をしたほうがそこで勝つ
よりよっぽどいいことだと思うのですが・・・

お名前: 元立ち   
chikeさんがご納得されてるので恐縮ですが、
真剣で現代の打った打たれたが出来るかも問題では?
あの重い刀で体制崩しながら竹光振り回してる「暴れん坊将軍」みたいに
太刀回れますか?

昔も上段、中段などありとあらゆる構えがあったと思いますが
全て流派による一撃必殺の理合から生まれてると考えれば
「現在統一された剣道観で極めることは何かも必然のように見えてきます」

自分のような未熟者は試合で避けながら小手とか打って旗が上がると
「勝って嬉しい」はありません。
「あそこで何で避けてしまったんだろう」が先に立つんです。

克つさん

厳しい事を言うようですが
昨今高校で往来してる規定外の軽い竹刀でチャンバラ剣道してる現状も然り
それこそ「反則しても勝てばいいの?」と言いたいです。

お名前: 克つ   
恥ずかしながら50前の五段です。
打ち切る、捨て身になれることを心掛けますが 
応じられたり、返されたりと 後の先?ですか 負けることしばしばあります。
また 癖(個性)があろうとも打たれては やはり負けと感じてます。
試合では旗が上がって勝敗が決する以上 第3者が認めたことになる
一本の必要最低条件かと思います。
審査でも心技体を持って一本を決めることは勝つことかと思います。
因みに、反則・規則違反は論外ですよ。

お名前: 毘   
勝負に勝つ事を目的とするのか、理想の打突を目的とするのか、の違いでしょう
最終的に勝負に勝てばいいのであれば、旗が上がればいい訳ですよね
竹刀に細工しようが、相手に怪我をさせようが、どんな汚い手を使っても、勝てば目的を達成できます
理想の打突を目的にするのであれば、自分が納得できる打突ができればいいんです
その為に稽古をし、先生方の指導を受け、理想の打突を目指します
その副産物として、試合での一本があるのだと思います

私も学生の時、必死に稽古をして試合に臨みました
おそらく今までで最高の面を放った瞬間、相手の相面の前に敗北を喫しました
試合には負けましたが、自分の持っている物を全て出し切った結果だったので、気持ちがすっきりとした納得の出来る負けでした
もし、勝ちに拘って見苦しい試合をしていたら、同じ負けでも後悔でいっぱいだったかもしれません
克つさんはそんな経験ありませんか?

お名前: Hide.    URL
To 克つさん

>試合、稽古で一本を決めることは「勝ち」になりませんか?

試合で一本を決めることは「勝ち」でしょうが稽古では必ずしもそうではありません。
上位者は「いいところ」は打たせてくれるものです(^^)


>「やられた」「参った」は負けになりませんか?

それは受け取り手の感じ方でしょうね。
でも、剣道は「打って反省打たれて感謝」です。打たれたことを「負け」ととらえるか
「勉強」ととらえるかは、心映えの問題と考えます(^_-)~☆


>「勝敗にこだわらず理想の一本」とはどのようなものでしょうか? 

「試合で一本になる」といったレベルでの「当った」ことに満足せず、機会や攻めなどの
「技前」を磨き、より完璧な「打突の終末」を目指すことと考えますd(^-^)! 


このようなご質問をされるということは、克さんはお若い方なのでしょうね。
私もかつてはそのように考えてましたが、年を経るごとに剣道のもつ奥深さが楽しくなっ
てまいりましたよ(^0^)

お名前: 克つ   
hideさん

試合、稽古で一本を決めることは「勝ち」になりませんか?

「やられた」「参った」は負けになりませんか?

「勝敗にこだわらず理想の一本」とはどのようなものでしょうか? 

お名前: Hide.    URL
To 克つさん

管理人のHide.です。


>勝敗にこだわらないなら 木偶人形でも打ち込んでればいいだけじゃないですか!

勝敗にこだわることと理想とする一本を追求することはイコールではないと考えます。
勝敗にこだわらず理想の一本を追求するためには、木偶人形がお相手ではねぇ(^_^ メ)

お名前: 克つ   
勝敗にこだわるにきまってますよ。
生涯こだわりますよ。1本になる、ならない これが剣道でしょ。
勝敗にこだわらないなら 木偶人形でも打ち込んでればいいだけじゃないですか!

お名前: Hide.    URL
To chike君

少しでも拙サイトがお役に立ちますればうれしく存じます。

僕も小学校高学年から大学卒業まで、とにかく勝負にこだわってやってきました。剣道と
いう大きな山の頂を目指すにはひょっとしたら回り道なのかもしれませんが、そうした経
験も今は「よかった」と思ってます。
長〜〜〜〜〜く剣道を楽しんでくださいねp(^-^)q

お名前: chike   
すいません、テスト期間中でしたのでパソコンを使うことができず、
訊いたままになってしになってしまいました。

Hide.先生、拓先生ありがとうございます。おっしゃるとおりに
今は勝負にこだわってみます。ぼくは将来も剣道はつづけていく
つもりなのでこれからの長い時間で最終目標として先生方のような
いい剣道をできるようにしていきたいと思います。

お名前: 拓   
chikeさん
経験の問題なのかなと思います。

何事も経験をする事で変わっていくものですよね。勝負にとこと
んこだわった剣道を続けていれば、あれ?俺の剣道これでいいの
かなと思えてくる時がきます。

今はまだとことん勝負にこだわる時なのではないでしょうか?
それでいいと思いますよ。思いっきりこだわりましょう。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

chikeさんのおっしゃっていることは間違ってはおりません。ただ、「勝負勝負にこだわ
るのはみっともない」というのは、少し違ったニュアンスを持っているのだと考えます。


剣道では、ただ「打った」「当った」だけでも一本になる場合がありますが、それだけで
よしとはしてませんね。「より姿勢正しく打つ」「より心映え正しく打つ」「より理にか
なった技を出す」という風に「今ある自分」よりもさらに先を求めて修行するものです。

そうした中から、「当たるかもしれないが、姿勢を崩してまで打つのはいかん」「打たれ
るかもしれないが、姿勢を崩してまでよけるのは見苦しい」という価値観にも到達してく
るわけです。ただ、これを中高生や大学生に言っても駄目ですね(笑)

そんなふうに修行してきますと、だんだんと稽古と試合が「合一」してきます。この段階
に至って、冒頭のようなお話になるわけです(^^)


ゆえに、大いに勝負にこだわって試合をなさってください!
そして「打って反省、打たれて感謝」を実践なさってください。
そうしていくうちに「より高み」を目指したくなった時、ご自身の勝負観を少し進めてみ
ればよろしいのです。

平成の剣豪として知られる神奈川県警の宮崎正裕選手が一番最初に選手権をお取りになっ
たとき、お世辞にも「いい剣道だな」と言えるようなものではありませんでした。その後、
連覇を経て、宮崎選手はどんどん自己改革していきます。現在は七段をお持ちですが、ど
こから見ても彼を批判する人がいないくらいの立派な剣道をお遣いになります。彼の中で
きちんと自己変革ができ、試合と稽古の合一が果たされたわけです。

こうした素晴らしい実践例があるわけですから、我々も見習うべきでしょうヽ(^.^)ノ

お名前: chike    URL
とてもおかしい質問で恥ずかしいのですが、以前から疑問に思っていたこと
なので書き込ませて頂きます。以下僕の友達相手のブログの記事からの修正文
ですので、多少言葉が汚く見苦しいのですがよろしくお願いします。

前に読んだ本で剣道で勝負勝負言ってるのはみっともない。
と書かれていたんですけど剣道はもともと剣術から生まれたものであって、
剣術は実戦(真剣での殺し合い)から生まれたものですよね。
その殺し合いで勝負勝負言ってはいけないなんて言っていたら
即行死んでしまうと思います。僕の理解した範囲ではではその本では
このようなことが書いてありました。
「真剣での戦いでの刀法と今の竹刀の刀法では全く違うから
実戦には役に立たない。だから刀法ではなくその心を学ぶための今の剣道で、
心を学ぶためのものだから剣道で勝負だのどうのこうの言ってはいけない。」
これが僕にはおかしい気がします。心を学ぶだのなんだの言っても実戦で勝つ
ために生まれた技であり心であるわけだと思います。確かに稽古で勝負とか
言っているのはおかしい気がします。ただ試合では勝負にこだわっても
いいのではないでしょうか。
みなさんはどう考えますか?

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