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お名前: Hide.
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>こうやって一つ一つ応じ返しがでること、普通の人ではできません。感銘を受けました。
恐れ入りますm(_ _)m
ってか、そんな大それたものではありません。私にとりましても、レスをつけることが勉
強でもあり、また、楽しみでもあるんです(^_-)~☆
>ゴツゴツとしていながら、柔らかく。強靭でありながら優しくもあった、あの道具と技
>をどういった形で再現したいのか、自問自答しているところです。
なるほど、hirotaiさんにとりましては、その剣道具が追い求めた先生の背中と一体なん
ですねヽ(^.^)ノ
>先生に聞いて、簡単に得られる答えは、答えのうちに入らないと思い、hideさんのお力
>をお借りいたしました。このような場を与えて頂いたことに感謝いたします。
私ごときでは到底、先生の修行されてこられた道程を窺い知ることはできませんしお役に
立てそうもありません(^^; hirotaiさんが先生のお姿の中に答えを見出されるのが一番
だと愚考いたします。頑張って喰らいついていってください(^^)
お名前: hirotai
hideさん。回答有り難うございました。一刀一事ではないですが、一つ一つの質問に対し、誠実にお答え頂いておりますこと、深く感謝いたします。
剣道でも頭では分かっているのですが、相手の攻め(質問)に受けっぱなしになったりしがちですが、こうやって一つ一つ応じ返しがでること、普通の人ではできません。感銘を受けました。
じつは、大阪の大学時代指導を受けた二人の先生が、このようなツートンカラーの道具を愛用されていました。私は、心底から、この両先生のように立派な指導者となりたいと願っています。
太刀さばき体さばきは勿論、息遣いまでのがさないで、ついて行くつもりですが、卒業後10年
が経ち、田舎者に戻った私の年齢も先生方がこの道具を仕立てられた年齢に近くなりました。
そこで、どうしてこの両先生がどういった願いや意味合いを込めて、こんな強靭な道具を仕立
てられたのか、どうやってこの道具を叩きながら、自分が育てられたのか、考えてみたくなったのです。
先般、先生が出場された試合で、先生が二本負けをするのを生まれて初めて見ました。不思議なことに、自分が試合でいつも打たれているところと同じ所でした。先生の勝ち方は到底真似できないものですが、負け方だけは、なんとなく真似できるようになったと思っています。
ゴツゴツとしていながら、柔らかく。強靭でありながら優しくもあった、あの道具と技をどういった形で再現したいのか、自問自答しているところです。
先生に聞いて、簡単に得られる答えは、答えのうちに入らないと思い、hideさんのお力をお借りいたしました。
このような場を与えて頂いたことに感謝いたします。
お名前: Hide.
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管理人のHide.です。
今でも小手でしたら白と紺のツートンのものがあると思いますよ。
面はどうでしょうね。ちょっと見たことがありません・・・っていうか、戦前の写真に面
でそのような剣道具が映っておりますか??(^^;
>私がこういった道具を身につけていたとして、一番に懸かってこられたら、ギョッ(驚)
>として不快な想いをされますか?
別にそんなことはないと思われます(^^)
しかし、昔の先生方は皆さんぼろぼろの防具をたいせつぬ使われておいででしたね。
先生方は面や小手はいうに及ばず、稽古着にもツギを当てたものを普通に使っておいでで
した(^^) 私を含め、今の剣道愛好家派遣道具をそこまで大事にしておりません。恥ずか
しいことですね(^^;
お名前: hirotai
初めて書き込みします。宜しくお願いします。(礼)
戦前の剣道の写真を見ると、粗い刺目に短い面垂、そして、現在では、あたりまえに紺鹿皮や
紺織刺が張られている部分が、白皮や、黒牛皮で張られているいわゆるツートンカラーの剣道具
があったようです。(六三四の剣の六三四の少年時代に着けていた面を想像して下さい)
これって、藍染の技術の関係で、こういった皮を使わざるを得なかったのか、鹿より牛のほう
が強靭なので、実用本位で製作されたのか、コスト的な関係なのか、ぞの実情をご存知の方が
居られましたら教えて下さい。
また、稽古では、私は面着け一番。一番懸かりをポリシーとしていますが、(しかし弱い)もし
私がこういった道具を身につけていたとして、一番に懸かってこられたら、ギョッ(驚)として
不快な想いをされますか?
理由あって、質実剛健な昭和初期の剣道具に強烈な魅力を感じていますが、その嗜好や雰囲気
が、奇異で、相手の鼻につく様なものなら、困るかな・・・とも思います。
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