記事タイトル:斬る剣道と試合、昇段 


書き込み欄へ  ヘルプ
ここは「剣道 いちに会」という剣道専門の個人サイトです!

1.匿名であっても、剣道関係者として気品と礼節あるカキコをお願いします。
2.特定の個人や団体に対する誹謗中傷はおやめください。
3.
個人情報の流出は厳禁です。
  (進路などプライバシーに関わる書き込みは違法行為として罰せられます)
4.書かれた本人や関係者が不快にならないように留意してください。
5.意見と感情論は違います。
  (根拠が明記されていないカキコは意見とは言えません)
6.カキコは書き捨てにしないで最後まで礼節をもってください。

7.ルールを逸脱したトピ・書き込みは、管理人Hide.により削除されることがあります。


お名前: 五郎   
龍座様
現代刀は玉鋼のみで造られています>
洋鋼使っている刀工が多いです、安いですから、炭素量の問題、実際日刀○の玉鋼余っている。
かつての名刀も経年的な金属疲労で肌が荒れ斬ると悲鳴にも聞こえるような手ごたえを感じます>
年数が立って金属疲労はしませんし肌とは関係ないです、刃味も現代刀と違い柔らかいです、悲鳴はあげません、悲鳴をあげているのは研ぎ減った刀でしょう。昔の武士で試斬したのはごく一部分の人だけ、刀は大事にしていた。
現代刀は昔と違ってその地元の鉄のみならず海外の鉄も使用可能です>
今でも。
また熱いうちにたたくにしても機械で昔の数倍たたけますそれだけ不純物を飛ばすことが可能になっています>
鍛えれば鍛えるほど強くなるものではありません。
冶金学で話しました、私も竹を試斬しますが、末古刀のガッシリした刀で有れば問題はないです。
私は末の備前物をよく使いますよ。

お名前: ぽん太郎   
連続レス申し訳ありません。訂正があります。
現代刀の機械打ちが無いと言いましたが、間違いです。現代刀工は[省力]ため
殆どの刀工が機械打ちをしているようです。30センチ以上が月に二振り、短刀
が五振りと作本も厳しく制限されていて、これらが昔の刀に劣る原因の一つのようです。一部の無鑑査の先生が例外のようです。
重ねレス申し訳ありません

お名前: ぽん太郎   
追記です。
実存している昔の刀剣類は持ってみればわかりますが、割合に古刀、新刀は手持ちがよく重(刀の厚み)も7〜8mmくらいある豪刀剣でもなぜか軽く感じます。
新々刀、現代刀は手持ちが重く感じられ、中身が詰まったような感覚にとらわれます。
内容成分が全く違う代物で、現代、新々刀の刀工の方々はこのような古刀を目標に
鍛刀されている方々が多々おられます。
新刀の寛文新刀と呼ばれる時代の刀は現代の竹刀のように反りが殆どない形をした刀があり突きを主体に考えられたと言われています。武士が甲冑を脱ぎ、道場で剣術を習うようになってからこのような刀が出現したようです。

昔の刀は疲労してボロボロ 現代刀=新品同様、堅牢 美術刀剣?=使用できない?
鉄に刃紋をつけただけ、凄まじい思い込み発想・・・・
この発想は全くの誤った発想ですね。美術刀剣=日本刀剣であり、実際に
使う上でこのような精美な地鉄が生まれ、刃をつけた結果綺麗な沸の
ついた刃紋が生まれました。美術刀はたしかに見るものですが使うため
にこのような形、意匠となった事は事実です。戦国期に研ぎは実際に戦闘で使用
する場合、わざわざ荒研ぎといって刃紋が判別できない研ぎとして使用
し平時には波紋がはっきり見える化粧研ぎとした時もあったようですが、
化粧研ぎでも実際に使用する事はできるようです。江戸期には全て刃紋が現れる
研ぎで差し料は研がれていたようです。私が使ったことのある試斬の刀は全て刃
は見えないまでに使い込まれていましたが・・・・

お名前: ぽん太郎   
To 龍座さん
はじめまして、ぽん太郎と申します。飛び入りで書き込みします。
私も剣道、居合と刀剣収集家と色々多趣味でやっています。
錯誤ではないかと思われる箇所が多々ありますので言わせてください。
>機械で昔の数倍たたけます
そんなものは日本刀ではありません。
また実際機械で叩いて作る日本刀なるものはどんなものですか?
無鑑査の先生はそのような基準の刀は造ってはいません。


>かつての名刀も経年的な金属疲労で肌が荒れ斬ると悲鳴にも聞こえるような
>手ごたえを感じます。
はぁ、名刀はいつまでたっても名刀です。しかも重要刀剣クラスの数百万〜
1千万以上する名刀をあなたは実際に試切りに使ったのですか?
もし実際のそんな事をしたのであれば頭がどうかしていると思います。
そもそも、古刀、新刀、新々刀、現代刀の勉強が全くできていないのでは
ないですか?ちょっとかじったくらいで憶測を事実のように書くのは
知っている人がみたらすぐ気づきますよ。

>現代刀は昔と違ってその地元の鉄のみならず海外の鉄も使用可能です。
昔の新刀は、南蛮鉄と呼ばれる洋鉄を使って造られたものが多数有ります。
大阪新刀と呼ばれる刀です。有名な人で津田越前守助広という名刀工が
おります。現代刀は玉鋼のみで造られています。
日本刀とはなんですか?
大業物刀工、最上作刀工、古刀、新刀、新々刀とはなんですか?
ちなみに試斬りする時にあなたは、まずどこを当てて斬りますか?
これ初歩的な質問です。

お名前: Hide.    URL
To 龍座さん

>現代の刀匠でも昔の名刀を刃紋のみならず切れ味レベルまで再現できる方を2名存じて
>います。
>1名は人間国宝をことわった無鑑査の方です。

おお、そういう方がおられますか!
後を継げるようなお弟子さんっておられるのですか??(^^;


>現代刀は昔と違ってその地元の鉄のみならず海外の鉄も使用可能です。
>また熱いうちにたたくにしても機械で昔の数倍たたけます。
>それだけ不純物を飛ばすことが可能になっています。
>ですから作刀の世界も21世紀に変わる正念場と見ています。

ははぁ、刀って今でも進化しつづけているのですね!
それは驚きです(^0^)

お名前: 龍座   
こんにちは、龍座です。

刀も人間と同じと考えればいいのであって、往年の名選手が90歳になって
どれだけ働けるかですね。

かつての名刀も経年的な金属疲労で肌が荒れ斬ると悲鳴にも聞こえるような
手ごたえを感じます。

現代の刀匠でも昔の名刀を刃紋のみならず切れ味レベルまで再現できる方を2名存じています。

1名は人間国宝をことわった無鑑査の方です。


現代刀は昔と違ってその地元の鉄のみならず海外の鉄も使用可能です。

また熱いうちにたたくにしても機械で昔の数倍たたけます。

それだけ不純物を飛ばすことが可能になっています。

ですから作刀の世界も21世紀に変わる正念場と見ています。

ですから剣道の世界も実際の試し斬りを行う方が増え、鑑賞的に
いい刀という概念を打破してもらいたいものです。

私の剣術の先生が言うには切っ先5分せ勝負しろ。

額をその深さえぐれば致命傷だと。

剣道は頭をたたいているのに面とはこれいかに。

なんで鉢金(ハチガネ)があったんだ?

みたいなかんじに指導されています。

お名前: Hide.    URL
To 龍座さん

>さて手の内ですが、戸山流で有名な故中村先生は試し斬りの際は両手が離れてはいけな
>いと言っておられました。
>両手が離れた状態では刃筋が狂いやすく、切っ先の力を増幅する体さばきを使っても1
>の力は永遠に1の力のままになりやすいです。

なるほど、そういうものなんですか。
勉強になりましたm(_ _)m


>そこでどうやって切れる刀(業物)を手に入れるかと美術研磨でなく、斬れる研磨法を
>知り実際に自分が研げることが斬る技術との双璧になっているのが試し斬りの世界です。

実際、こうした刀匠あるいは砥ぎ士の方っていうのは存在するものなのですか?(^^;

お名前: 龍座   
こんにちは、龍座です。

さて手の内ですが、戸山流で有名な故中村先生は試し斬りの際は両手が離れてはいけないと言っておられました。

両手が離れた状態では刃筋が狂いやすく、切っ先の力を増幅する体さばきを使っても1の力は永遠に1の力のままになりやすいです。

また普通の美術刀は斬るように造られていませんのでわずかの刃筋の狂いでも簡単に曲がります。

刀匠は早く無鑑査になって刀のランクを上げたい方がほとんどなので、展覧会のために様は刀の形をした鉄の板に刃紋という模様をつけただけの物が多いです。(現代刀)

古い刀は肌が荒れて金属疲労がおきていて昔の切れ味を保っているものは少ないです。

そこでどうやって切れる刀(業物)を手に入れるかと美術研磨でなく、斬れる研磨法を知り実際に自分が研げることが斬る技術との双璧になっているのが試し斬りの世界です。

お名前: Hide.    URL
to 龍座さん

はじめまして、管理人のHide.です。


>抜刀の手の内と剣道の竹刀の持ち方は全く違い、抜刀と剣術の先生の言う手の内はほぼ
>同じ部分が多いです。剣道の持ち方は抜刀ではもっとも刃筋が狂う持ち方ですが、剣道
>の時に抜刀の持ち方をすると注意されます。

不勉強で申し訳ありませんが、抜刀の持ち方とはいかなるものなのでしょうか。お手数で
なければご教示いただけますとありがたいのですが・・・m(_ _)m


>個人的には本来の技術を未来永劫に日本人の文化遺産として残したいと思っていますが、
>今のままでは絶滅の方向に行っていると思います。

絶滅ですか。穏やかではありませんね(^^;
どのような理由からそうお考えなのか、ぜひ、広く皆さんにもご提示いただけますか(^^)


>また韓国が剣道の期限は韓国だと個人的には絶対に受け入れる事の出来ない事を言って
>います。

この件に関しては、拙サイトおよび私の意見を何度もカキコさせていただいております。
「サイト内検索」の機能をお使いになりまして、関連するトピをお読みくださいますよう
お願い申し上げますm(_ _)m

お名前: 龍座   
こんにちは、はじめて参加いたします。
私は剣道は初段です。
抜刀術と剣術と剣道と居合いををやっています。
道場に剣道6段、居合い5段の方が来られて実際畳のゴザを斬ってみたら全く斬れなくて刀が曲がり納刀出来なくなりました。
抜刀の手の内と剣道の竹刀の持ち方は全く違い、抜刀と剣術の先生の言う手の内はほぼ同じ部分が多いです。
剣道の持ち方は抜刀ではもっとも刃筋が狂う持ち方ですが、剣道の時に抜刀の持ち方をすると注意されます。
現在の防具を考案したのは直心影流ですが当時の稽古と今の剣道は違うのかもしれません。
個人的には本来の技術を未来永劫に日本人の文化遺産として残したいと思っていますが、今のままでは絶滅の方向に行っていると思います。
また韓国が剣道の期限は韓国だと個人的には絶対に受け入れる事の出来ない事を言っています。
剣道界は一度根本的に、考え直す時期を迎えていると思わずにはいられません。
先生方のお考えはいかがでしょうか?

お名前: Hide.    URL
To 猫銀さん

管理人のHide.です。
いつもながら、お説のを披露していただきありがとうございます(^0^)

しかし、反りが馬の乗り降りと関係していたとは驚きですね!!
勉強させていただきましたm(_ _)m

お名前: 猫銀   
お邪魔します、猫銀です。

太刀の反りの話が出ているので、一つ補足を・・・・

平安時代中期にそれまでの直刀が湾刀化した理由は、いまのところ謎とされています。
馬上からの斬撃の効果を増す為である、という説は疑問視する向きも多いところです。

太刀に反りが付いた真の理由は、斬撃の効果云々ではなく携行上の利便性を考慮した
結果であろう、と愚考いたします。 馬の乗り降り、特に下馬する際、直刀では右に
降りようとすれば馬の尻と左足の間に引っかかったり、左に降りようとすれば柄頭が
馬の首を突いたりします。 そこで大きく湾曲させることで馬体につっかえないよう
に工夫したものと考えられます。 当時は弓馬が武士の表芸であり、太刀を抜いて戦
う機会は稀でも馬の乗り降りは頻繁に行わなければなりません。 

また、この時代の太刀には柄自体が大きく湾曲しているものが多いのですが、これは
弓の弦を受けやすくする工夫だと考えられます。 弓を引く際、ちょうど太刀の柄が
弓と弦の間に入りこみやすい位置にあり、射る瞬間引っかかって矢を減速させてしま
う要因となりかねません。 そこで、矢をつがえる際に同時に弦で太刀の柄を押さえ
ておいてその状態から弓を起こしていけば上のような事故は防ぐことができます。

 

お名前: Hide.   
to 清光さん

お互い、「自分らしい剣道」の創造に努力いたしましょうヽ(^0^)ノ

お名前: 清光   
こんにちは!
そうですね!色々な技を練っていって
より高い次元での剣道が出来るようになっていきたいですね!
沢山工夫するところがあって一生掛かってもどれだけ出来るようになるか
わかりませんが、がんばって行きたいものです!!

お名前: Hide.   
To 清光さん

>反りを利用した技と言うのはもちろん刀において発揮される利です。

名人達人と呼ばれる先生方は、直刀であるはずの竹刀を鎬や反りがあるように巧みに操
ったといわれます。刀で斬る技術は、今日的には必要ないと思われますが、竹刀を鎬や
反りがあるかのように扱うことを私は目標にしたいと考えております(^^)

むろん、形稽古の中から理合・間合い・呼吸など本質的な部分も学び取る努力をしてい
きますけどね。

お名前: 清光   
反りを利用した技と言うのはもちろん刀において発揮される利です。
しかし、型をそのまま実際に使うと言うのではなく型の本質的な所を
体得してそれを応用として使うと言う事です。
根本的な教えを砕きとして使うもので、そのまま使うのではやはり無理が
あるとおもいます。
以前剣道で何度も竹刀を巻かれて難儀した事がありました。(・・;)
ひどい時などそのまま竹刀を巻き捕らえてしまったり、
突いたら擦り流されて逆に突かれたりね〜。参りましたよ〜。

お名前: Hide.   
to 清光さん

>反りを利用した刀法というのは勿論、端の技としては存在しますが
>反りを利用した技はほんの少しです。

本当にそうなのでしょうか?
以前にも書きました通り、私は小野派一刀流を学んでおります。小野派一刀流の木刀はほ
とんど直刀に近いものですが、それでも、反りや鎬を利用した技や打ちをたくさん感じる
ことが出来ますが・・・。

これを直刀に近い木刀で行なうのはたいへん難しいのですが、これが出来るようになれ
ば、竹刀でも反りや鎬があるかのように使えるのではないかと思って取り組んでいるので
すけどね(^^)

お名前: 清光   
こんばんは。みのるさん。
反りを利用した刀法というのは勿論、端の技としては存在しますが
反りを利用した技はほんの少しです。竹刀を巻くと言うのも反りのないより
あるほうがやりやすいと言う事はありますね。
しかし、現代剣道で相手の竹刀を巻くという攻めは実際によく使われていますし、
敵の太刀に乗ると言う技として出来ない事はありません。
刀の場合反りという物理的な利点を利用してなるべく力を使わずに相手の突きや
剣先を外すと言う事が可能ですがその技を竹刀なりに使う事は出来ます。
また、巻くという技一つについても、ただ巻く、敵の突きを反りを利用して
外す、と言うのでは有りません。
剣先の攻め、間合い、拍子、位、手の内、剣道の本体がきっちり出来ていないと
竹刀どころか刀を持っても反りを利用するなどという事には至りません。
これは技術論ではない世界だと思います。
そう言う事がある程度身についた段階で型にあるような巻き技を
竹刀剣道でも応用する事ができるとおもいますよ。
それに刀の反りや鞘とか刀道具にばかり頼った流儀と言うのは
あまりまともな流儀であるとは思えません。

お名前: みのる   
to 清光さん

 >無反りの刀、竹刀でも反っていても関係なく使えます
と言うことですが、私は反りのある刀で稽古したことがないのですが、竹刀剣道と反り
のある日本刀を想定した刀法では技術的に違いがあるのではないかと思います。日本剣
道形で刃を右斜め下にとか左にとかありますが刀の場合には刃の向きを変えるだけで相
手の刀を抑えたり巻いたりできますが、竹刀は直刀のために刃の向きを変えても(竹刀
を回しても)それが出来ません。したがって自ずと竹刀剣道と日本刀での剣術とは同じ
遣いかた技術にはならないのではと思っています。

お名前: 清光   
刀の反りのことですがあまり関係ないでしょう。
太刀の様に片手で馬上から払うような反りのきつい物は論外ですが
新刀期の刀は極端に反っていません。
実際色々な流儀の木刀や撓刀は殆ど反りの無い物ばかりです。
それでも刀を実際に使ったときも全く違和感はなく使えるものですよ。
反りについて色々と言われる方がいて、日本刀は引き斬りだとか押し斬りだとか
論じる人がいますがそれは刀の形をみてそう思うだけのことで、身の働きというものが
ちゃんと出来れば無反りの刀、竹刀でも反っていても関係なく使えます。
ですから現代剣道でも抜刀術でも剣術でも左程反りに就いては問題ないことだと
感じます。
刀法が現代剣道と剣術で一致しないのは、刀の反りではなく
竹刀の長さと柄の長さの違いです。
現代剣道の長柄は身の働きを悪くする元なので正しい刀法が分かりにくい。
ただ其の点だけです。
柄が長いと拳や肘の関節を極端に使ってテコの原理で竹刀を使うようになります。
全身の働きになりにくい。
また、打ち込んだとき身が半身になり易い。
現代剣道の跳躍打法ですとこの竹刀の方が使いやすいのかもしれませんが、
竹刀競技として考えるなら別に構わないのですけれども、剣道はスポーツではなく
武道であると考える人はやはり其処に着目するべきでしょう。
古来の刀制を研究する必要があると思います。
山岡鉄舟師や故・池永師は三尺三寸〜ニ寸の竹刀を使うようにされたはずです。

お名前: Hide.   
to ムー爺さん
はじめまして。管理人のHide.と申します(^^)

>剣道から、「斬る」という概念を除外したら、日本剣道形の存在意義はないでしょう。
そうでしょうか。「間合い」「呼吸」「理合」「運足」「体さばき」など、「斬る概念」
以外に日本剣道形からは学ぶべき点がたくさんあると考えますが(^^)

>そして、少なくとも、面に来た竹刀を首を傾けて肩で受けたり胴に来た竹刀を腕で防御
>したり、はしないように心掛けています。
そうですね、これは大切なことだと思います。首を曲げてよけておいて「あたってない」
は剣道を「当てっこ」としてとらえている証拠。そんな志の低い剣道はしたくありません
ねヽ(^.^)ノ


to 清光さん
>あまり物を斬るというような事にこだわらないで冴えた技を手練したら良いのではない
>でしょうか?
竹刀は直刀で刀には反りがあります。竹刀での打突や攻防が、刀法でのそれに役立つとは
到底思えません(^^;
「剣道」は「剣道」としてとらえ、技術面においてはあまり「剣術」や「刀法」と重ね合
わせないほうがいいように思うのですが・・・。

お名前: 清光   
こんにちは。
斬ると言うのは物を斬るという事ではなく、截り相いと言う概念が必要です。
物を斬ると言うのは剣術・刀法を知らない限り物を斬るためだけの技術です。
お互い自由意志をもった相手と截り相うわけですから竹や藁を斬っていても
剣術剣道の術技には一致しません。
正しい刀法を修練してその結果据え物なども斬れると言う結果論ならわかりますが。。。
Hide氏の言われる通り、正しい截り相いの理を学ぶと手の内も冴えて
剣術でも剣道でも全く通用する技に入っていけると思います。
あまり物を斬るというような事にこだわらないで冴えた技を手練したら良いのではないでしょうか?

お名前: 余計なお世話   
戦後のは「撓い競技」で今の竹刀とは違うえものを使った。

お名前: ムー爺   
剣道から、「斬る」という概念を除外したら、日本剣道形の存在意義はないでしょう。
もし、「斬る」という概念を持ち込まないとすれば「剣道」ではなく、戦後の「竹刀競技」という名称に戻すべきではないでしょうか?
竹刀と日本刀は繰法が全然ちがうのです、竹刀で「刃筋がとおった斬れる打ち」が出来たとしても日本刀に持ち替えると斬れないものです。
ですから、私は「剣道は剣道」「試斬(抜刀道)は試斬(抜刀道)」として割り切って並行して稽古を楽しんでいます。
一般的な剣道家より多少打ちは強いのですが「斬る」のではなく「打つ」剣道をしています。そして、少なくとも、面に来た竹刀を首を傾けて肩で受けたり胴に来た竹刀を腕で防御したり、はしないように心掛けています。
書き出しの文と矛盾しますが「竹刀競技」ではなく、できるだけ「剣」道をしたいのです。

お名前: Hide.   
to 柳に風さん
>「手の内」にかんしては、直心影流の法定では「諸腕」という木剣打ちを
>やりますが、切れる手の内のときは、音でわかります。
小野派一刀流の「切り結び」も同じですよ(^^)
上手な人の切り結びは乾いたいい音がします。激しく木刀がこすれ合うことによって、焦
げたようなニオイもね(^^;

>実際は、剣道のように、当たった所で止めると良い音はしません。
小野派一刀流の場合は打突部位で止めますが、いい音がしますよヽ(^.^)ノ

>おそらく、Hide.さんとは、「切れる手の内かどうか」の意識の違いだけで、
>理合いを学び、それを体で表現するという点では、それほどの隔たりはないの
>ではないかと思いますが。
お互いまだ剣を交えておりませんから、どこがどのように違うかわかりませんからね(^^)


to 戒さん
>とりあえず、剣道では相手に痛いうちをしないのは礼儀ですよね。その方向で行こうと
>思います。
お相手に対する礼の気持ちだと思いますので、「切る」のではなく「心を打つ一本」を目
標にしていきましょうねヾ(^-^)ゞ イエーイ

お名前: 戒   
確かに物を斬る手の内を身につけたとしてもそれを使わない現代では自己満足でしょうね。
でも何か伝統技術を身につけるために武道を習い、その中で自分の心を成長させていけたらいい
と思います。そのためにも迷いながら稽古を続けていこうと思います。とりあえず、剣道では相
手に痛いうちをしないのは礼儀ですよね。その方向で行こうと思います。いろいろ助言をくれた
皆様、どうもありがとうございます。

お名前: 柳に風   
Hide.さんのおっしゃることはわかります。
私も剣道の修行は「人間形成」の過程であり、「人を切る技術」を学ぶもの
ではないと思っています。「無理、無駄、無法」のない稽古(理合いに叶っ
た剣道)を心がけ、それに近づくように努力しながら、ハラを練る、という
のが、私の一番のテーマです。
 「手の内」にかんしては、直心影流の法定では「諸腕」という木剣打ちを
やりますが、切れる手の内のときは、音でわかります。(と、言われてます。)
それが正しい手の内だとすれば、竹刀を持って稽古する時もそのようにでき
るようになれば良いなぁ、と思いながらやっています。私はこれも理合いに
含まれるものだと解釈しています。
 実際は、剣道のように、当たった所で止めると良い音はしません。まあ、
竹刀では振り抜けないですし振り抜く必要もないので、当たる所までは同じ
ようにして、当たった所で10センチくらい切りこむつもりで、手の内を締め
るという感じでしょうか。
 本当の所、自分が実際にきることができるかどうかはわかりません。昔の
辻斬りなんていうのは、木刀での(形)稽古では飽き足りずに、実際に人が
切れるかどうかを試したいという人もいたのでしょうね。
 現代では刀での切りあいなど非現実的ですから、切れる手の内を目指すこ
とは、結局自己満足で終わってしまうのかもしれませんね。

 でも、切ることを意識するかしないかは別として、冴えた手の内であれば、
結果的に切れるのではないか、と思います。(しつこい!)

 また話が分裂してきたので、ここでやめます。
 おそらく、Hide.さんとは、「切れる手の内かどうか」の意識の違いだけで、
理合いを学び、それを体で表現するという点では、それほどの隔たりはないの
ではないかと思いますが。(よくわからなくなって来ました。ははは・・・)

お名前: Hide.   
私は小野派一刀流という古流をやってますが、この木刀の振り方は実に理にかなっておりまして、私は竹刀剣道にも十分に役立てております(^^)
もちろん、竹刀のときは力任せ打ったりはしませんので、厳密な意味からいけば「まっ
たく同じに振っている」とはいえないと思いますが・・・。

「斬る方法」を学ぶのではなく「斬る理合」を私は古流から学んでいるつもりです(^^)

お名前: 清光   
こんばんは!
私も試し切りはした事はないですよ。
それに斬る事に興味もないです。
刀で物を切りたがるのは私から言わせれば
「生兵法」の何者でもないですね〜。
刀なんで当たれば斬れるものですから、別に
竹を切る必要もないと何時も思います。
一回か二回試し切りをやれば大体どんなものか
分かると思いますよ。
それより敵に勝つ方が難しいですからね!
そんなことより技をより高い次元にまで
手練するほうが大切だと思います。
太刀筋がよく分からないなら木刀で素振りをしたり
立ち木を打つだけで宜しいでしょう。
抜刀術というのは物を斬るのではないですからね!
独りで使って自分の刀法を内面から省みる修行ですね。
座禅を組んでるのと全く同じたとおもいます。
Hide氏の言われている「非を切る」というのもそこに有ると
私は考えます。

お名前: Hide.   
to 戒さん&清光さん&柳に風さん

私の打ちはおそらく斬れません。また、私が刀をもって試し斬りをしても、ものは切れな
いと思います。実は、昨年暮れに試し斬りをする機会があり、私以外の参加者は全員試み
たのですが、私は固辞しました。と申しますのも、私の剣道修業の目的の中に「斬る」こ
とが含まれていないからです(^^)
唯一斬るものがあるとするならば「非心」ですね(^_-)〜☆

お名前: ヤッピー   
剣道とは?という話になると戒さんの最初の質問から少しはなれているよ
うな気がするので、ここで少し違った角度から。

今月号「剣道時代」に竹刀で新聞紙を"切る"という記事が載っていましたね。
戒さん、一度あれをやってみては?
僕としては真剣を使った試し切りなんかやってみるのもお勧めなんですが。
そうすることで道場の先生が言っておられること、学校の先輩が言っておら
れることの違いが少しは分かってくるんじゃないでしょうか?
「冴えた打突」<−>「手の内を硬くする」は違います。
でも、冴えた打突で巻き藁を切ることはできるはずです。

お名前: 清光   
こんばんわ!
戎氏の言っておられる事はわかっていますよ!
勿論人斬りの事をおっしゃっているのではないと
理解しております。
技の事をいっておられるので其れに就いて
書いたつもりでしたが何せ表現が下手な物で申し訳ないです。σ(^◇^;)

抜刀術と剣道と手の内は全く同じでなくてはなりません。
截相には拍子と言う物があります。
大きな拍子小さな拍子、ゆったりした拍子、急な拍子。これらは
皆同じ手の内の働きから自由自在に発揮されるもので
全く変わるものではないというのはご承知だと思います!
刀を竹刀に持ち替えても其れがあまり変るようではどちらかが間違って
いると考えるのがいいと思います。
私の申しました、気と太刀先と踏み込みと目標が出来る限り一致させると言う
のは素振りで認得されると宜しいかと思いますよ。
連続の素振りではなく一本を打ち切る素振りです。
構えて振り上げて打つ、打った後は其のママ構えになるように
臍下丹田に収まり肩、腕、拳に力が入らないように腰から上はゆったりとして
しかも剣先にはそのまま突き刺さんバカリの気合がこもっていると良いでしょう。
この一連の動作をゆったり大きな一拍子で行うのです。
特に斬りに気を集中させることが大事です。
真っ直ぐなら自分の中心を斬りとおす!
左右なら自分の中心に対して四十五度を斬り通す!というようにね。
踏み込みが主で出来るだけ強く踏み込まないとなかなか分かりません。
しかし、無闇に踏み込むと足をいためるので、足の裏の土踏まずで踏み込むように
すると足をいためることが少なくなります。
それに一番臍下丹田に収まるはずです。踵からやつま先ではどうしてもバランスが悪くなり
何処かに無駄な力を入れなくてはならないような体勢になります。
抜刀術もやはりこの修練に限ります。

お名前: 柳に風   
to Hide.さん
 「人間形成」はその通りだと思うんですが、「剣の理法の修練による」
という言葉が入ってますよね。切れる手の内というのはここにかかわって
くると私は思ってます。また、小川忠太郎先生は、「剣を離れて剣道なし、
道を離れて剣道なし」(この場合の剣とは日本刀を意味します)と言って
ますが、私もそれを支持するものです。私の師匠が小川先生、斎村五郎先
生の弟子だったので、そういう考え方で習ってきましたから。(私ができ
てるかどうかは別問題ですが、できるように修行していきたいものです。)
 本当に人を切ってしまっては人の道から外れてしまいますが、切れる実
力を持って切らないなら良いのではないでしょうか。実際に切られるとい
う意識があるのとないのとでは一本の打突の重みが違ってくるように思い
ますが。

 あ、もちろん、これも私の個人的な信念であって、他の考え方を排斥し
ようとするものではありません。
 でも刃筋が立っていない打ちと手の内ができていない打ちは一本とはみ
なしませんし、第一、殴るような打ちは痛いですよね。
 余談ですが、切れる痛くない打ちと、切れない痛い打ちであれば、人の
道に外れていても切れて痛くない打ちの方がいいなぁ。(笑)

 また、話題がずれてきましたので、この辺で。

お名前: 戒   
なんか凄い事になってしまってます・・・。
僕は殺傷する意味できるといったわけではなく、「剣」道というからには斬れなくちゃだめなん
じゃないのかなあと思ったんです。清光さんの言うような打ちができたらいいなーと思います。
そのためにはもっと練習しなくちゃなりませんが・・・。とりあえず剣道ではそんな打ちを、居
合では斬る手の内を習おう、と思っていますが混じって変な風にならないか心配です。練習ある
のみということなんでしょうか。

お名前: 清光   
こんにちは!
Hide氏の剣道に対する思想は私も同感です〜。
私自身は武術と言う呼び方はあまり好きではないんですよ。
剣術というのもあまり好きな呼び方ではなく、古流剣術と言うのは
現代剣道と古武道が分かりにくいから使うだけで、剣術の最も優れた
境地はやはり人間形成だと理解しております。
これは禅と全く同じだと私の師も申しております。
剣術・剣道は動く禅だと申しております。
しかしながら、剣で敵と斬り合うわけですから戦えば必ず勝つという
術技が求められるのは当然だとおもうのです。
敵に勝つ為には禅などの普遍的な絶対境というのを悟らなければ
なかなか勝つべくして勝という所にはいけないと思います。
そのためには、斬り合いの技というのを磨きぬいて、向かい合った所で
既に敵に勝ち、敵を心に写し取れるようにならなくてはならないと考えております。
そうなると、わざわざ敵と命を掛けて斬り合う必要はなくなるわけです。
剣聖と呼ばれた人たちが戦わずして勝つとは是で、自分より下の相手に勝っても
無駄な事です。亦、自分より上の敵だと分かっているのにわざわざ斬り合いをして
やおら命を落とすのも馬鹿馬鹿しい限りです。
稽古試合は技を練るのですから別の話なんですけどね!
私はこういう世界を目指して修業しております。

この前のレスでは斬ると言う表現が殺伐としててどうも
Hide氏のおっしゃるような内容に受け取られるんじゃないかと
おもっておりました。(;^_^A 
斬るというより、気と目標と踏み込みと太刀先が寸分たがわず
一致するように打ち込めば剣道も剣術も拳法・体術もみな
同じだと感じておりましたので訂正させていただきます。
打つという考えでも全く問題はないと思います。

お名前: Hide.   
柳に風さん、清光さん、ご意見ありがとうございましたm(_ _)m

実は私は、21世紀の剣道は「刀で斬る」という文化とは切り離されるべきと考えており
ます。たしかに、刀を使った殺傷の技術として剣術が生まれ、それが歴史的変遷を経て剣
道に発展してきました。とくに第二次世界大戦以降、剣道は武術としてよりも武道として
の側面を強め、理念にも、「人間形成の道である」と謳われております。

「斬る」ことは人の道に反する行為です。我々はしないという竹の棒を持ち、お相手を
「打つ」という競技を通して、自分の心の余話を「斬れ」ばいいのであって、刀で斬るイ
メージを竹刀に求めるのは間違いのように思うわけです。

あ、
あくまでも私見ですが・・・(^_-)〜☆

お名前: 清光   
斬る剣道ですか〜!いいですね!!
斬る剣道っていうのは私の経験では
物を切るというより、第一に太刀筋が重要だと思います。今の剣道はほとんどが「平打ち」になってひどいのになると鎬で打つような
のも目に致します。それは昔では一本と認められなかったと聞いております。
そして、切り込んだときに押さえると言うのは力が入ってよくないとおもいます。
しかし、太刀先が撥ねてしまうのもいい切り込みではないでしょう!
軽く冴えて太刀先が浮き上がらず、抑えるごとく力もこもらず一本として
気と太刀先と踏み込みの足が一致して腰がよく入った打ちならば実際の
斬りあいでも通用する刀法だと感じております。
現代剣道は長柄の為、正しい刀法が致しにくいと言う弊害がありますので
刀を使うと言うことに慣れるのもいいかもしれません。
その場合物を切るという事より抜刀術を修練されるとよくわかるとおもいます。
この前剣道8段の試合を見ましたが、やはりただ当てた、当てられたの域を
脱しきれていないのがよく分かり勉強になりました。
撃たれてもいいから本当の一本を取るような試合はなかったので残念です。

お名前: 柳に風   
戒さん、Hide.さん、こんにちは。

 私は竹刀剣道は打突の機会を捉え(攻め・崩し)、切り込む所までを稽古するもの
だと考えています。実際に切るように、という戒さんの打ち方は竹刀が相手の中に入
っていかないので無理があると思います。これは相手を痛めつけることになりますね。
実際に一刀両断にする感覚を身につけたいのであれば、真剣を持って試し切りをする
というのが良いのではないかと思いますが、私はしたことがないので先生方のお話な
どを聞くと、やはり小指の締めで切るという事を言われます。力んでは切れないとも
言われますね。軽く切った方が切れるようです。
 防具を着けての稽古では、切りこんだ所までは、竹刀がしなるので、体感できると
思いますが、それ以上はどう頑張っても切ることとは異なった竹刀を押し付けるとい
う動作にしかならないのではないでしょうか。押しつけるとなると、親指側に力が入
りますね。
 ですから切りこんだ後は相手を痛めつける必要はないので、手の内を解放してやる
のだと思うのですが。その一瞬でどこまで切り込めているかが、打ちの強さにもつな
がってくるのではないでしょうか。

 ちょっとまとまりのない文章になってしまいましたが、私見を述べさせて頂きました。

お名前: Hide.   
そうですねぇ。現代の竹刀をもって打ちあう競技においては「斬るように打つ」というの
はよくないと考えます。

そも、竹刀剣道は「斬る」のではなく打突部位を「打つ」競技です。打った瞬間に止める
ことによって「手の内の冴え」が生じるのですが、「斬るように」打った場合、お相手は
かなりの痛みを感じるはずです(^^;


>打った瞬間手の内を緩めたほうが良い打突音もするような気がします。

誤解があるようですのでお話しますが、剣同封の打ち方でも、「打った瞬間手の内を締め
る」んですよ。緩めてしまってはいい打ちが出来ません。ただ、押し付けるようには打た
ず、あたった瞬間に締め、直後には脱力しているのです(^^)


>どうするのが正しいのでしょう。先生のいうことも間違いとは思えないし・・・。

道場の先生のおっしゃることも、あながち間違いとはいえません。剣道にはいろいろな取
り組み方があるのですから。ただし、これから試合などにも出て頑張っていこうと考える
ならば、やはり先輩のおっしゃるような打ち方も出来るようにする必要があると思われま
す。頑張ってくださいねヽ(^.^)ノ

お名前: 戒   
道場に行っている時に高段者の先生から斬るような剣道をしなさいといわれていたのでずっとそ
のようにしてきました。打っても手の内を緩めずにそのまま硬く握って打ち下ろし、押し込んで
いくように面を打っていたんです。実際に先生に巻き藁を切らせていただいたときもそうしたほ
うが刃が通ったんです。打った瞬間に手の内を緩めると斬ることはできないし・・・。
ところが、今日学校で先輩と地稽古をしたときのその打ち方を注意され、基本ができてないと言
われてしまいました。「それじゃ冴えた打突はできないし、打っても剣先が跳ねずにずっとベタ
ーっとしてるから初心者っぽい打ちに見える。大体斬る剣道って何だよ、俺はそんなこと習った
覚えはない。人のゆうこと聞かないようなら試合にださねーし何も教えねーぞ」と言われてしま
いました。キャプテンに言われてしまったので気まずいのです・・・。
確かに試合でそういう打ちをしている人は少ないし、打った瞬間手の内を緩めたほうが良い打突
音もするような気がします。どうするのが正しいのでしょう。先生のいうことも間違いとは思え
ないし・・・。実際にこういう打ち方をして、試合で一本が入るのでしょうか?また、昇段する
ことができるのでしょうか?

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る