記事タイトル:武道?スポーツ? 


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お名前: むささび   
>Hide.さん

そうですね.「真の高名な剣道家の諸先生方を除き」を付け加えるべきですね.
自分もそういった真に「遣える」剣の境地の御存在に全く異議はありません.


ただ時代とともにそういった剣道家の輩出が難しくなって来てもいると思い
ます.戦前の剣道に薫陶された方々と戦後剣道の世代の差でしょうか?


凡そ武道と謂うものは真に達すれば得物を選ばない,徒手や,柔にも応用の利く
ものであります.それは術理,理合が即物的な体力に拠らない域にあるからで,
(具体的には重心感覚や加重抜重の利用,体内筋肉の運用,気や丹田とも呼ぶ
意識レベルでの熟達など)一つの道で極めてしまえばもう手にする得物が
杖でも棒でも剣でも竹刀でも同じでしょう.
要は競技剣道が正しくそちらにも向かう階梯として基本から編まれている
かであると思います.競技に完結する体力勝負に終始していてはまさにここ
で指摘される「スポーツ」になってしまう訳でしょうから.



日本刀や古流各流派の木刀,新陰流などの袋撓(ふくろしない)などは
四つ割り竹刀よりもやはり得物自体が能(よ)く能く重心を捉えて運用
が学べる様になっています.自然と剣に截(き)れる手の内が利くもの
です.竹刀が安全且つ存分に打ち合える事に特化進化したのとの違いで
しょう.



自分が竹刀のみに拘泥する限界を感じるのはここに拠るもので,もし
竹刀をその重心に従って合理的に遣う事に専念したら「突くのが
一番」となってしまいます.逆に竹刀を剣に見立てて振ると,即ちよく
出来た剣の稽古道具だと納得します.


「スポーツ」の先に万能な体力を克えた武道の理合を見据える剣道,
それが自分には理想のものに思えるのです.

お名前: Hide.    URL
To むささびさん

管理人のHide.です。
むささびさんの古流に関する考察に関しましては異を唱えるものではありませんが、現代
剣道に関しましては、少々認識不足と存じます。


>ご高齢の高段者の方々の境地も,お稽古をつける前提でこその処もあり.
>かつての剣豪の達人の境地とまでは行かない様にも感じますが・・・

たしかに、刀で切り合いをしていた時代の人と同じレベルの境地に達することができるか
どうかは不明ですが、否定もできないと思われます。
事実私たちは、何度もすさまじい剣を遣われるご高齢の先生と立合っております。
私が未熟な性もありましょうが、ガチンコで勝負しても、全く歯が立たない現実があるの
です(^^)


>何れにしても日本刀と竹刀が乖離してしまわないで,真の高度な
>術理を目指す志が同じならば古流も剣道も単なる「スポーツ」に
>なってしまう事はないのだと思います.

おっしゃる通りです。
ただ、現代剣道には現代剣道の術理があってしかるべきです。

重くて反りのある刀と、軽くて丸くてまっすぐな竹刀の術理が同じわけありません。
また、現代剣道のルールも有効打突と判断するのは「気剣体の一致した打突」であって、
斬れる斬れないを規定しておりません。
我々はその制約の中で、ベストを尽くし己を表現する以外に道はありませんから(^^)

40年現代剣道をやっている私に刀を握らせても、たぶん巻き藁は斬れますまい(^_^ メ)

お名前: むささび   
皆様の議論を通じて所感を追記致します.

古流剣術に於いて形に「実戦的」と思しき描写がある理由として
「介者剣術だから」〜甲冑の隙をつくにはどうしても手首や頚筋,
股内やひかがみなどを掻き斬る技になってしまう.
こともありますが,実は古流の形は実戦を想定するより技術の階梯
を順次すすませる意図で編まれたものも少なくありません.
そこでは実戦さは寧ろ度外視して身体や剣の運用法を練り上げる
為に形が為されます.表の形での説明と奥伝では全く違う意味が
伝えられるなんて事も稀ではありません.


凡そ多くの剣術が誕生した戦国期は剣豪も殺伐とした時代に人を
殺めつつその術を達成しながらも,結局そのいきつく先に精神性を
求め,平静で勝負を超越した心境を最勝の道と説くに至ります.
殺意だけで到達するのは「躊躇なく殺める巧みさ」位であって,
「勝つべくして克つ」「殺めずとも諌める,或は融和する」境地
に至る事は道として極める先にしかありません.
「五輪書」や「柳生家伝書」などからひととおりを通読されれば
ここの処の剣術の先見性が確認されると思います.



古流の神髄は若い体力や瞬発力,反射神経等の即物的なレベルを凌駕する
真の術理に達する事を眼目としています.時間や手間は掛かってもそこを
目指して稽古にはげむ訳です.幾ら達成する可能性が薄くともそれでも
本望と言う覚悟で今日も古式を守って稽古している方々です.


剣道を通してもやはり同じ精神性を具現化する程の高度な術理に
至る事は勿論可能でしょうし,それをめざしておられる諸兄も数多
でしょう.問題はそこへ至る理論やノウハウが古流よりも蓄積されて
いないかもと懸念する処です.やはり剣道ではどうしても試合に準じた
技術になりがちですので.
ご高齢の高段者の方々の境地も,お稽古をつける前提でこその処もあり.
かつての剣豪の達人の境地とまでは行かない様にも感じますが・・・

何れにしても日本刀と竹刀が乖離してしまわないで,真の高度な
術理を目指す志が同じならば古流も剣道も単なる「スポーツ」に
なってしまう事はないのだと思います.

お名前: Hide.    URL
To 鈴木さん

管理人のHide.です。

剣道はスポーツではないゆえに、ご高齢でも若者が歯が立たない先生方がたくさんおられ
るのではありませんか(^^)
このあたりの深淵を確かめるべく、我々は修行に励んでいるのだと思います。

ご高齢の大先生方は、こちらを傷めつけようなどという気持ちは微塵もありません。
あなたは、そういう先生方にお稽古を願ったことがおありでしょうか?(^_-)~☆

お名前: 気剣体不一致   
気剣体不一致と申します、参加させて頂きます

このテーマは以前から何回も議論されていますが、前から思ってい
た事を述べます。
私は剣道をする人の心の問題だと思います。

確かにルールや防具・竹刀などの外見のみを見ればスポーツである
といわれても仕方ない事だと思います。
勝つ事のみに執着して、打突部位をスピードと力任せに当てに行け
ばスポーツでしょう。

>武道とは第一に敵を痛めつけるものだと思います
これは「武道」でなく「武術」ではないでしょうか。

>心構えは常に殺す気持ちでいかないといけないと私は思います
確かに気合は大切ですが、殺す気持ちはどうでしょう。
高段者の先生と稽古した時に、そのようにお感じになりましたか。
私は、むしろ「殺気」を感じた事はありません。無論、強く攻めら
れる気を感じた事はあります。
何よりも、自分の気持ちも共に一本を取られた、「参った」という
感じです。
昔の剣豪でも若き日は如何に相手を斬るかを考えていたが、晩年は
如何に刀を抜くこと事無く敵を倒すかを考えたという話しがありま
す。私は、ここに「武道」の「道」を感じます。

柔道などでは試合で勝てばお相手の前でガッツポーズや畳に仰向け
になり喜びを表現する事があります。もし、剣道でガッツポーズな
どを行えば即、既得本数を取消されてお相手に2本与えられて負け
となります。
それは、お相手への労わりもありますが、「明日は我身」との意味
もあるし、お相手への尊敬の念・賞賛もあるでしょう。
常に自らを厳しく律し、決して驕る事なく、勝ちに固執して自らの
誇りを捨てる事は無い。このような方にとっては剣道は「武道」で
あると思います。
一方、勝ちに拘りその為に手段を選ばない勝利至上主義の方にはス
ポーツかもしれません。
私は剣道は武道であると思うし、そうあるべきだと思います。

長文失礼しました(ゴメンナサイ)

お名前: 剣士以前   
鈴木さん

ちょっと思うところがあって参加いたします。
人を切れない剣が剣道でないとすれば、そういう議論自体が不毛と思います。
現在、どれだけの人が人を切ったことがあるのでしょうか?
戦争に行った現在の高齢者を除いて、現在の剣道界にはほとんどいらっしゃらないと思います。 
そういう人たちが人を切る剣技を教えることは不可能ではないでしょうか? 
お相手を痛めつける剣道ならばそれは棍棒による殴打と似たり寄ったりになりませんか?

私の自己解釈では、明治維新前に剣道はなかった、そこには剣術があった。
その剣術が鈴木さんのおっしゃる剣道に思えます。 それは単に人を切る技術です。
維新前には武士がいて武士道という道があり、そういう道を修錬している人が剣術を習っていた。
人を切る技術を制御していた。 
維新後、武士はなくなり、その武士道の行動規範を伝えることを剣術が担い、剣道になった。
そういう風に考えることができれば、現在の剣道がスポーツと一線を画していることが納得できるのでは。
剣術が剣道になったとき、人を切る術が廃れたとしても武士道もしくは日本古来の行動規範・道徳・礼儀を重んじ、
それを継承している間は「道」として立派なものと思いますよ。
たしかに現在の試合などでは勝利至上主義的な見苦しい剣道も見られます。 
でもそれを多くの人が見苦しいと感じている間は剣道は健在と思います。
説明不足で申し訳ありません。

お名前: 鈴木   
すいません誤字脱字が多々ありました。

お名前: 鈴木   
たしかに剣道だから斬れないとゆうのはわかりました、
これはあくまで個人的意見ですが武道とは
第一に敵を痛めつけるものだと思います、ならば
相手を痛めつけよと微塵ももたない剣道は武道ではありません
スポーツマンシップにのっとた立派なスポーツです、
私は剣道をスポーツにしたくないです、先生方剣道の心構え
たるものを生徒にもっとおしえるべきだと私は思います、本当に相手に
痛みをあたえなくとも心構えは常に殺す気持ちでいかない
といけないと私は思います。

お名前: 元立ち   
ご意見ありがとうございます。
確かに白兵戦が本当の意味で役立ったのは自動小銃が出来る以前なのは
自分も同じ意見なのですが、
日露、太平洋戦争での撃たれても撃たれても前に進む皇国の士に
危険を感じた敵国の恐怖は武士道に代表されてると思います。
確実に太平洋以前の剣は人を殺す剣のように感じてます。
(只、江戸末期に起こった流派はかなり平和な中で生まれた剣ですね)
軍事だとしても『武士道教育』ありきだったであろうし、
刃物(得物)に対し海外指導があったような読み物にも合った事がありません。

それでは古武道と現代剣道の違いですが、
先の書き込みにも書き込みましたが
相手の急所全てを狙う形があり「怖さ」も当然現代剣道が及ぶものでは
ないことは想像がつきますが、
現在の面、小手、胴、喉を如何に狙うか?
これはこれでかなり厳しい括りの中で気迫や技術を磨いてるようにも思うのです。

当然古流はその緊張感など比べるまでもないとは思いますが
古流を学ぶにしても現代剣道が登竜門に成り得る部分もあるように感じますし
古流を学ぶことで現代剣道の糧になるのではないかと思考しています。

スポチャンに関しては
そこまで剣道を崩すつもりもありませんし
出来れば大きくしっかり打ちたいと思ってるのですが
中々・・・そこまで行くには何十年掛かるか・・・

お名前: むささび   
>元立ちさん

剣術が所謂戦国期までの「介者剣術」から素肌剣術に移行しても
相変わらず「袈裟切り,半身の構え」は新陰流系各流に不変で,
直心影流に防具が考案されても変わらずに明治期を迎えました.
一刀流主体の剣道はあくまで明治以降に別の理由で統一的な立場に
なったものと推測します.


亦た白兵戦自体は現在もありますが本質的に有用だったのは自動式銃
の導入される20世紀以前でしょう.明治以降日本では銃剣術が考案
されましたがこちらでは「胸,胴への突き」が攻撃法で,構えは半身,
剣道の正対する姿勢は必ずしも軍事教練に由来しない気がします.
(行進には正対姿勢が有効でしょうね)


所謂「刺し面」ですが,こちらはある意味速さを追求した必然では
ありますし,これに対応するのも意義のある試合稽古になりましょう.
刺し面より速いなら「胸,胴への突き」がありましょうが,こちらは竹刀が
破損し易い問題もありますね.あと面より突きが主要技になり兼ねません.


剣道はあくまで日本刀を離れては将来に亘る価値の存続は難しい
と思います.それこそ銃剣式に突く方に移行したり,スポチャンの
様にバックハンドのスナップ打ち(軽い得物特有ですね)を制限
する根拠は日本刀にしか見いだせない気がするのです.


竹刀を通して日本刀の用法に達して行くなかに剣道の深い魅力が
あるのでしょう.そこには即物的な体力や反射神経,刺し面などをも
凌駕する「高度な術理」の境地があると思いますよ.その課程で
一刀流やはたまた新陰流などの古流の併学も有効な方法でしょう.
剣連式に縛られない剣道も亦た然りで有効でしょう.

お名前: 元立ち   
むささびさん
とても為になる書き込みありがとうございます。

その中で
>故に元来は『袈裟切り』の横面、胸、胴突き、すね打ち・・・
これは戦国期の名残、若しくは幕末までに考案された防具に合わせた
『剣』とも推察できます。
それが日清、日露の戦争から太平洋戦争までの白兵戦に
敵国が恐怖したのは疑う余地がない事実だったのでしょう。

それでは現代剣道にどう対処していくべきか?
難しい問題ですがGHQの目を気にしながら
剣の道を通して『心』を重視し模索したのが『剣道』だったと認識します。

その後経済の発展なども含めより安全に『剣の道』を示しながら
進化してきた結果と捉えたい自分がいます。
(当然右左曲折が現在も続いてることは否定できませんが・・・)

結果として最短距離で真っ直ぐ小さくも必然のように感じますし
その限られた規則の中で機会を捉えたり虚をつくのは
かなりレベルの高いことと思います。

私自身、古流を学んだ事が無いので
「そんな輩が意見するな」と言われかねないのは承知ですが
色々なご意見の中から「剣道を知りたい」の欲に駆られて
書き込みました。
何かご意見いただければと存じます。

お名前: むささび   
お久しぶりの書き込みでございます.

古流一辺倒で来てしばらくぶりに最近竹刀稽古も始めた立場から書かせて頂きます.


剣術と(四つ割り)竹刀,防具の関係は江戸中期に遡ります.
しかも一刀流でなく新陰流系からはじまりました.

故に元来は「袈裟斬り」の横面,胸や胴突き,すね打等の打突部位もあり
ました.
明治から戦前まではいくらでもそう言う古流に準じた竹刀稽古や試合
も存在しました.
「截(き)れる」太刀筋を重んじるか「刺し面」でも速ければいいと
するかも流儀や道場,指導者によって解釈がちがっていました.

現在連盟の剣道に限れば見解は統一されていますがご自分の道場や指導者
を探せば必ずしもそれに縛られない剣道が見つかるはずです.現在でも幾つか
そういった多様な剣道が存在しますよ.

あと個人的見解としては四つ割り竹刀自体はよく出来た道具で,充分「截れる」
太刀筋を学べる道具です.勿論木刀や居合刀を併用した場合ですが,軽く造る換わ
りに重心バランスが工夫されていて重い得物以上に振るのに苦労する様になって
いますから.そこの処もやはり居合刀,真剣での太刀筋の併学で実感される日もある
かと存じます.


少し剣道の解釈の幅を拡げられてみるのも一つの答えかもと思います.

お名前: 拓   
私も悩める中年剣士さんのご意見に賛成です。
歳とともに、経験とともにいろいろと考え方が変わっていくものです。
それが成長なのではないでしょうか。
(剣道だけに限ったことではなく)何事も続けていくからそこ新しい事に気づくのではないでしょうか?
そこが楽しいんですよ。
鈴木さんもそんなに性急に結論を出されなくていいのでは^

お名前: 悩める中年剣士   
武道が武士のたしなみから発生したものであるが、スポーツが貴族の遊びから発生
したもの・・・という起源の相違こそあれ、どちらが上でどちらが劣るというもの
ではなかろうと思います。
ですから、鈴木さんが仰りたいのは「剣の理法の修練による人間形成の道」である
はずの剣道が、そうなっていないのではないか?ということではありませんか?
そうとらえてみると、真摯に剣道に取り組んでいる人もいれば、単に打ち合いって
勝ち負けに拘泥している人もいるのが実情だと思います。が、それはその人の成長
過程で、剣道をどうとらえているかの問題であって、例えば中学生に40〜50歳
台のおじさんと同じように剣道をとらえられるかというと、それは難しいはずです。
chikeさんが書かれていることも、chikeさんの成長過程でのとらえかたであり、
5年後、10年後にはHide.さんと同じような考えに変わっているかもしれませんよ
ね(^^)
そういうわけで、剣道は脈々と生き続けると信じますし、もし日本の剣道が廃れても
海外の剣道愛好家が、世界のどこかで剣道を活かし続けてくれるのじゃないでしょう
か。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

斬れる斬れないをもって、剣道を武道ではないというご意見は、ちょっと論拠が希薄に思
えます。
剣道は剣術ではありませんので、斬れなくて当然です(^^)

上手な人に打たれるといい音はしますが痛くはありません。
下手な人ほど痛いもんですが・・・(^^;


私は剣道は武道であるという立場です。
これにつきましては、すでに何度も拙サイトに書かせていただきましたので、関連するト
ピを検索していただきまして、そちらをご参照くださいm(_ _)m

お名前: chike   
僕は剣道はスポーツケンドーと武道の剣道は「剣道」というものの中の
一つの側面としてとして捉えています。つまり、武道としての剣道と
が合わさって「剣道」というものを作っていると思ってます。

確かに今の剣道界で「剣道」を部活でやっている学校は少なくとも僕の
知っている中では無いです。今中学高校でやっている剣道が「剣道」で
あるならば竹刀操法を向上させるために男子が女子用の竹刀を使うなんて
事は絶対にあり得ない話です。別にケンドーがだめだとは思いません。
剣術の修錬の中から生れたもでも、真剣で一撃必殺の剣術と今日の
竹刀操法が剣術とは違ってもしょうがないと思います。そもそも
使っている刀が全く別物なんですから。だからその竹刀で切れる切れない
を問うのはなんだかちょっと違う気がします。時代とともに剣道は変化
して来ていると思います。かと言って武道の剣道を完璧になくしてしまうと
「剣道」はなくなってしまいます。だから僕は剣道は新しい時代のための
ケンドーと武道の剣道の融合した「新たなる剣道」となるべきだと思います。
武道とスポーツの良いところも取り込みつつその中間であるような、そんな
「剣道」にしないと剣道人口はどんどん減って行ってしまうと思います。

まとまりのない長文で失礼しました。

お名前: 鈴木   
剣道はスポーツではありません!武道です!と
前まではそう思ってたのですが・・・なんか違うよう
に思えてきました。速さにこだわる、かすめ打ちこ
んなんでは人は斬れませんすぐ刀が折れてしまいます
最近多い痛いからやめる人たちどう思いますか?剣道は剣術からきた
立派な武道ですそれが痛いからやめる、おかしくないですか?
剣術は人を斬るために作られたものですそれを継いでいる剣道
が痛くないなんてことがあるのでしょうか?今の剣道は武道
ではなくスポーツです、廃れてしまったんだなぁと自分なりの結論を出しま
した。みなさんの御意見をよかったらお聞かせください。

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