記事タイトル:押し斬り、引き斬り 


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お名前: Hide.    URL
to 刃筋さん

少しでもお役に立ちますればうれしく存じます(^^)

お名前: 刃筋   
Hide.さんへ 御返信感謝致します。古流の勉強、折々試みることを検討致します。有難う御座いました。

お名前: Hide.    URL
To 刃筋さん

>また、その一方で、飽くまでも「斬る」という行為を剣道の本義と見なす先生方もい
>らっしゃいます。剣道の理合を考えるならば、「斬る」という営為に拘るのも判る気
>が致します。

もし、斬るという事にこだわりたいのであれば、居合をなさるなり古流の方や組太刀を勉強
されてみてはいかがでしょうか(^^)
こうしたものの中には、ちゃんと「斬る」という思想が残っておりますから。
そして形稽古と竹刀稽古の融合を模索していくのがよろしいのではありませんか(^0^)

お名前: 刃筋   
Hide.さんへ 御返信及び懇切なるアドバイス、有難う御座います。
確かに、この撃ち方の場合(自分で工夫したのではなく、教わったやり方ですが)
どこで止めるかが問題となります。また、力が前方へ行き、
下方に流れない様に注意しなくてはなりません。自分は、普段、
素振りの際は、臍まで振りぬきますが、お稽古の時は
物見から顎の間を振り抜く限界としております。実際、そうせねば、
お相手も痛いでしょうから・・ですが、確かに、続き技が出るか
どうかが大きな課題となってまいりますね。有難う御座います。
工夫することに致します。ただ、面を着けた際、何処まで
「斬る」という意識をもつべきか、迷う此の頃です。Hide.さんの仰る様に、
「斬る」という考えは、現代剣道には不要であるというご見解
も尤もかと存じます。また、その一方で、飽くまでも「斬る」という行為を
剣道の本義と見なす先生方もいらっしゃいます。剣道の理合を考えるならば、
「斬る」という営為に拘るのも判る気が致します。いや、何とも難しゅう御座い
ます。 取りとめの無い返信、申訳御座いません。

お名前: Hide.    URL
to 刃筋さん

管理人のHide.です。ご意見ありがとうございます(^^)

>私は、普段、完全に両拳が返る様に打突しております。換言すれば、ボクシングのス
>トレート乃至は空手の掌底の如く両手を使っております。

剣道の打突は、「当たった瞬間に止める」という暗黙の約束(?)がありますので、ここ
まで打ち切ってしまうといかがなものでしょうか(^^;
とくに、一本打ってその打突がかわされたときに、二の太刀、三の太刀が出てこないよう
に思えるのですがいかがでしょうか??(^^)

お名前: 刃筋   
いきなり乱入して申訳ありません。私は、普段、完全に両拳が返る様に打突しております。
換言すれば、ボクシングのストレート乃至は空手の掌底の如く両手を使っております。
こうすれば、手の内にて主として使われる箇所は、掌の下部、即ち親指の付け根辺りと
なり、手首のスナップが生じることは御座いません。そして、斯様にすれば、飽くまで
私個人の体感ではありますが、刀や木刀と竹刀との操作法の差異が縮まる様に思われます。
実際、一度だけではありますが、カップめんの容器に竹刀にて切りつけ両断し得たことが
御座います。また、この操作法は、両手を延ばす故、所謂引き切りではなく押し切りではないか
と勘案仕ります。私の如上の操作法は、やはり現今の竹刀操作とは乖離しておるのでしょうか?
論題からややずれてしまい申訳有りません。言辞若し無礼な所御座いますならば、衷心より
お詫び申上げます。

お名前: くま   
居合に関して、居合の座業は、正座の状態からと居合膝とよばれる立てひざの状態
からの業があります、英信流・夢想神伝流等は、正座の居合が初伝、たてひざの居合が
中伝、立てひざ・立ち技の居合が奥伝となっています。
正座の居合は江戸時代中期に考案され、基礎として導入されたとものの本にはあります。
立てひざの場合は、甲冑をつけた状態での居合と聞いています。何れも、座して刀を
さした状態からの居合ですが、戦国時代から近世初頭までは帯刀のまま座して話を
したり云々の状況は別段無礼ではなかったようです。
戦場では馬から落ちたり、倒れたりしたところから体勢をとりなおして座した所で
相手に向かって抜刀するという状況は想定できますので、近世の初頭くらいまでは
座した居合というのは十分ありえる想定であったと思われます。
ちょっと本題からずれましたが。

お名前: Hide.   
to cresta97gx100 さん

>投稿の仕方で、不快な思いをされたなら御免なさい。

ぜんぜん、不快になるなんていうことはありません。どうか、お気になさらない
で、今後とも、どしどしカキコをお願いいたします(^^)

お名前: cresta97gx100   
to  Hideさん

>こちらの有効打突の基準とは違った打突で満足されるような
お稽古をされたとしたら、かなり不快でつまらない気持ちになると

投稿の仕方で、不快な思いをされたなら御免なさい。

>相手との信頼関係を構築するべく互いが努力しあうから生まれるものなので
はないでしょうか

そう思います。剣の道を愛するものとして、これからも宜しくお願い致します。

お名前: Hide.   
to  cresta97gx100 さん

>荒稽古のトピ読みましたが、やはり稽古には、信頼関係が大切ですね。

おっしゃる通りです。
荒稽古に限らず、どんなお稽古にも信頼関係は必要だと思います。我々が先生に
お願いするとき、「この先生とのお稽古は為になる」とか「この先生とやるとい
いところを打たれる」「この先生とやると楽しい」なんて考えるものです。これ
もひとつの「信頼関係」ではないでしょうか(^^)

剣道は、お相手とともにひとつのお稽古を「作り上げていく」「創造していく」
ということが大切なわけです。
たとえば、相手に、ポンと打っちゃ背中を向けられ、ポンと打っちゃぁ間合を切
られというように、こちらの有効打突の基準とは違った打突で満足されるような
お稽古をされたとしたら、かなり不快でつまらない気持ちになると思うのです。
これは、互の気持ちのつながりがない、「お相手に対する礼(感謝)」の気持ち
がない、ひいては「信頼関係が成立していない」お稽古だからです。
剣道で言われる「交剣知愛」は、剣を交えることによって、知らず知らずのうち
にお相手との信頼関係を構築するべく互いが努力しあうから生まれるものなので
はないでしょうか(^^)

あり? 話はトピからずれてしまいましたね(笑)

お名前: cresta97gx100   
to  Hideさん
  いつも丁寧なレス有難う御座います。

 先ほどの投稿、
 誤変換が気づかず、失礼しました訂正します。
 誤 → 直心陰流
 正 → 直心影流
 (関係者の方御免なさい)
 このあたり、富永堅吾著、剣道五百年史 に詳しいですね。
(島津書房から、再版されていますね)
 また、道場と書きましたが、学校のクラブ(剣道場)です。
 
 荒稽古のトピ読みましたが、やはり稽古には、信頼関係が大切ですね。
 有難う御座いました。 

お名前: Hide.   
to cresta97gx100さん

>剣道型も稽古せず竹刀のみしか稽古されていない道場は、こちらの悩みをわかっ
>てもらえず、つらいですね。

アハハ、それはやむを得ないと言ってはいけないのでしょうが、現状はおっしゃ
る通りそういう団体が多いですね。あまり書くと問題があるかれはかもしれませ
んが、やはりこれも全剣連の「日本剣道形に対する政策」の悪さに起因している
と思います。日本剣道形を学ぶことによって「なにがどうプラスになるのか」「何
を学ぶことができるのか」という点があまりにも曖昧なんですね(^^; そのくせ、
審査には出す。だから、「審査を受けるため」「審査に受かるため」といった志
しか持てない。これは困りものです( -o-) フゥ


>子供も幼稚園に通っていまして、小学校位になったら、日々できる武道をさせ
>ようかとも思うのですが、経験のある剣道の方が、指導者の方への判断が出来
>やすいだろう事と自分自身が信頼できる道場が近くに見つかるのか不安が有る
>と云う、両方の気持ちです。

私も昨年11月に長男(小1)を近所の剣友会に入会させたのですが、その1年
くらい前から、近所の団体を見学しまくりました(笑) でも、どこも満足いくと
ころがありませんで、結局、4月から早朝、私が基本指導を始めたのです。「ど
こへ入れても、ベースとなる部分をしっかり教えておけばなんとかなるだろう」
という考えからです。ある程度空間打突がしっかりしてきたので、近所で一番小
学校の低学年が多い剣友会に入会させました。まずは、仲間ができ楽しく通える
環境であることを優先したかったからです。
私も時々、子供を送りがてらお稽古に参加させていただくようにしていますが、
そこの先生方の意識も少しずつ変わってこられ、指導方法などの研究も熱心に行
われるようになってきました(^^) ここまでは、私は望んでおりませんでしたの
で、正直言ってウレシイですねヽ(^.^)ノ

お名前: cresta97gx100   
to Hideさん

続けて書きます。剣道に否定的な意見としてとられて、誰かから排除されるのでは?
と云う思いも有りながら自身の考えるところを書きつづけてきました。
それでも、私が、剣道から、目が離せないのは、最初に書いた、
中西派や、直心陰流の道場が最初に竹刀稽古を取り入れただろう理由なんですね。
(稽古人数の問題は別)
実際に打ち合うことによって、攻める(攻め崩す)ことや、不意の攻撃に対応することを
学びやすいからなのです。

子供も幼稚園に通っていまして、小学校位になったら、
日々できる武道をさせようかとも思うのですが、
経験のある剣道の方が、指導者の方への判断が出来やすいだろう事と
自分自身が信頼できる道場が近くに見つかるのか不安が有ると云う、両方の気持ちです。

現在は、スポチャンのような自作竹刀で、防具も着けず二人で遊んでいます。
(時々、お父さんとすると負けるから嫌だと言われます。(笑))

現在は、どう関わるのか剣道との間合いをはかっている私です。

お名前: cresta97gx100   
to Hideさんへ

現役時代(学生当時)両方していました。
最初に書いたとおり、永らく離れたままでしたが、居合は、現在復活練習中です。
本を読まなかった、其の当時の反省も会って、今頃読んでいます。
柔、居合、剣術すべて出来ると良いのですが、なかなか、社会人となると尚更、難しいですね。
私事ばかりになりますが、
(Hideさんは、小野派一刀流を修めておられてますので、理解頂けると思いますが、)
特に居合から入門したものにとって、
剣道型も稽古せず竹刀のみしか稽古されていない道場は、
こちらの悩みをわかってもらえず、つらいですね。
今となれば、道場を探せばなんて思うのですが、
口と頭だけで、体がついていかない哀しい状態です。(苦笑)

お名前: Hide.   
to  cresta97gx100 さん

いやぁ、私の方にそういった知識が乏しいので、レスが冴えませんでお恥ずかし
いかぎりです(^^;
 cresta97gx100さんは、居合と剣道をたしなまれていらっしゃるのでしょうか?

お名前: cresta97gx100   
テ−マに引かれて、しゃしゃり出てしまいました。
これに懲りず、どうかこれからもご指導宜しくお願い致します。

お名前: Hide.   
to  cresta97gx100さん

よいお話をありがとうございましたm(_ _)m
うーん、なんとなく剣術と居合の境目がわかってきたような気がいたします。
まぁ、トピックのネタであります「押し切り、引き切り」ということとは少し離
れましたが、新しい(いや実は古い?)視点で剣道を考える一助になりそうです(^^)

お名前: cresta97gx100   
良い文章がないかと思っていたのですが、
見つからないので、また、私見を書きます。
間違っていたら、ご指摘お願い致します。
(話がそれてしまい御免なさい。)

先述のとおり、当初は、太刀にて始まったと思います。
時代が変わり、打刀(いわゆる刀)となり、
そのまま、刀によって、行われるようになったと思います。

座り業は、後世のものと思いますが、
座り業を正座ではなく立膝により行う方法がある流派もあります。
正座より其の由来は、古いのではないでしょうか。
(太刀を腰にしていたのではないでしょうか)

ところで、組太刀は、座り業の場合、
私が、稽古している流派の場合、小太刀にて行います。
便宜上、座り業の稽古に刀を使用しているのでしょう。
(当初、私はそう習いました。)

ただ、武士として、日頃の心掛けを云うのであれば、
刀を脇に置こうが、後ろにあろうが、腰にさして居様が
あるいは、脇差で、もちろん、立った状態で、
(敵の)起こりを感じて、鞘のうちから、始まるのであれば、
それは、武術としての居合ではないかと思っています。

それぞれの業には、想定があります。
形稽古を一人でして居るものと思いますが、どうでしょうか?
(横から見ていて、相手が見える演武が、私は、良いと思います)

小野派一刀流の組太刀の中に抜刀術があるとのことですが、
抜刀術も武術の一部分でありますので、柔(合口含む)、居合、剣術、槍術等が
それぞれクロスオ−バ−していても、可笑しくないと思います。
また、居合だけで、剣術なしで、発達した居合道も有ると聞いています。
(其の場合、剣術は他流で居合を取り入れたのでしょう。)

《もっとも個人的には、槍術の師範でも有った大石進の竹刀は、
いわゆる剣道ではなく異種格闘技のような気がしています。
(あの長さは、時代の要請”彼は、なんとしてでも勝たなければ成らなかった”
ではないでしょうか?金面突きによって、
先革が破れ、片方失明した、対戦相手が、大石進に
弟子ともどもその後入門したそうですね)》

”禅”については、剣道も他の武道もいっしょだと思います。
禅と正座の業との関連については、知りませんが、
生と死を見つめるために利用したのではないでしょうか?

長々と、書き込みしましてすいません。

お名前: Hide.   
私ははなはだ居合には不案内ですが、小野派一刀流の組み太刀の中には、「立ち
あい抜刀」などもありますから、剣術の流派の中には居合とは離れた次元でも「抜
刀術」が存在したのではないでしょうか。

「座居合」ですが、むしろ禅などとの結び付きが強いのではと考えてみました。そ
も、組み太刀ではなくひとりで修業するという感覚が、禅などと形態的に似通って
はいないでしょうか(^^;

お名前: cresta97gx100   
 MAKOMさんに聞かれると、、、引いてしまいますが、、、。

以下、先の本からの引用です。
水戸藩の新田宮流の流祖、和田平助正勝の高弟の一人、藤田貞固の
「和田流居合正誤」(享保拾年<1725年>)から
 古者奥州に林崎甚助重信と云ふ者あり〜略〜
弥和羅と兵法との間今一段剣術有る可しと工夫して、
刀を鞘より抜くと打つとの間髪を入れざる事を仕出し、
是を居合と号して三尺三寸の刀を以て、
敵の九寸五分の小刀にて突く前を切止る修業也。
(六尺二寸の男に三尺三寸の帯刀此定め如何なる工夫より出るか
其場に至らざれば其妙處を知り難し。)
然と云へ共、如何程精力を尽せ共、止らず。
昼夜思を凝し自力に叶ひ難きとて林明神に参篭して祈誓する事百日に及んで、
至誠の感通有りて夢想を蒙りてその理を得。是より自由を得たり。
当流の神伝の妙是なり。
(初め神に祈らざる先き三尺三寸の刀を詰て短くし今の世の刀の如くせらるべき所に
三尺三寸にて成る可き所を知り、其の功の至らず是を鬼神に問ふ。古人の物に委しき事可考。)
甚助伝ふる所の十二の表、至極奇妙の作為和田平助正勝克く其術を受継げり。
初は坐して立ち乍ら、抜手移身の曲尺品々始中終の秘伝習此中に有り。
精一に克く修練す可し。、、、、以下続く。

今、調べた範囲内のことのみ書いておきます。
口語訳すべきでしょうが、浅学にて、あえてそのままにしました。

ちなみにこの本は、山形県村山市の教育委員会の中に
財団法人 居合振武会 が有りますので、そこで販売しているようです。

お名前: MAKOM    URL
To cresta97gx100さん 

居合の歴史的な背景がよくわからないのですが、
居合が剣術の一つの体系として生まれた時、
それは座居合ではなく立居合だったと思うのです。
なぜなら武士の作法として大刀を腰に差して座るのは不自然であり、
もし腰に差して座るなら打刀(うちがたな)ではなく太刀(たち)ではないかと思います。

すると座居合は太刀の刀法として生まれ、武士の作法とは別に、
カタチとして腰に差したまま抜く刀法が発展したのかな?
という疑問があります。
打刀の抜刀術と、太刀の抜刀術が融合して今の居合道があるのではないか、
という疑問もあります。

あまり詳しくないので、居合が生まれた歴史的な流れをお教えください。

お名前: Hide.   
なるほど、「居合」は「立会」の対句だったんですね!
これは驚きました。うーん、勉強させていただきましたヽ(^.^)ノ

お名前: cresta97gx100   
テ−マとは、ずれますが、居合についての文章を調べましたので、追記いたします。

”林崎明神と林崎甚助重信”
以下、引用文
「居合」とは「立合」(剣術)に対しての語句である。
「立合」とは両者離れて刀を抜いてから、次第に近づき勝負を決するのであるが、
「居合」は座しているときも、歩行している場合も、
その場に居たまま抜刀の瞬時に勝負を決することから、「居合」と言われたのであり、
当初は、「抜刀術」”いあいじゅつ”と言われ、
「居合」の字句が定着したのは、江戸時代になってからのことである。
 鞘口(鯉口)の切り方・柄へ手のかけ方・手の締め具合・足の踏みよう・
腰のひねり等、身に危険を感じ取ると如何にして素早く刀を抜くか、
先または後の先の鞘放れの一刀で、
敵を倒し身を守る抜刀術”いあいじゅつ”(居合)は、
剣を修業する武士にとって必須の業であり、
剣居一体”けんいいったい”と言われたのもその故である。

先の私の文章に不足を感じましたので、
児童の宿題調べのような投稿になりましたが、お許しください。

お名前: Hide.   
to MAKOMさん

興味深いカキコ、ありがとうございます。

刀による「斬る」感覚と竹刀による「打つ」感覚の違いが、より明確になってきたよ
うに思えます。 cresta97gx100 さんのカキコによる傍証も考え合わせますと、竹刀
剣道が考案された直後からしばらくは「斬る」感覚に近い打ち方がされていたと考え
て差し支えないでしょう。なぜなら、剣術の稽古のために考案された防具や竹刀です
から、剣術の実践により近い打ち方をよしとしていたと考えて無理はないはずだから
です。
しかし、武士階級以外にも剣術が広がりを見せるようになって、「斬る」ような叩き
合いから打突時に手の内とスナップを効かせて止める「打つ」方法に変わってきたの
ではないでしょうか。そして、「打つ」ということであれば、より振りを小さくして
いくことが可能になり、現代のような「小さく打つ」技術体系が出来上がったのかも
しれません。

やはり「斬る」という呪縛からは逃れて技術論を体形付ける必要があるのでしょう。

お名前: cresta97gx100   
MAKOMさん、そう云えば、藁でも水に浸されていなければ、弾力があって難しいですね。

 (品が無い投稿になったことを重ねてお詫び申し上げます。)

 ところで、MAKOMさん、古流剣術、一度見学させてくださいね。非常に興味があります。

>根本思想や発祥は別として、現代剣道における「竹刀技術」は、「刀で切る」と
いう次元から、はなれて考えなければいけないと思います。

 先に引用した大塚先生も、真剣剣道からの呪縛を超えたらどうかと書かれてますね。

 あと、”組み打ち”ですが、一度見たことがあります。
(竹刀を打ち落とされた場合、直ちに相手に組みつき、相手の腕を逆に取るか、
面を捻り動けないようにするか、あるいは、面を捻り取るかすることをいう。
昭和八年”警視庁剣道審判規定”により、禁止事項となる。
”剣道事典”島津書房、中村民雄著より抜粋、引用する)
 この時は、是をされた方が、稽古?にきた理由もあって、
(クラブに所属していなかったにもかかわらず、対立していた同期の先輩が中学卒業後、
わざわざ何度かクラブにお見えになりました。)非常に陰惨な感じがしました。
 剣道の”道”の字は、なにゆえかと思うことしきりでしたが、
その方には、どうでも良かったのでしょう。
 その後、(私が3年次のとき)その方の学ばれた剣道場での経験者を
新入生で受け入れるかどうか問題となりました。
 しかし、本人次第と一度受け入れて見てはと言うことに成りました。
非常に感じのいい子でした。今もたまたま同じ建物に住んでいますが、
(どちらも剣道を続けていませんが)挨拶する仲です。(笑)

 横にそれっぱなしですが、そのとき組み打ちされた主将は、高校に進んでクラブに入るも、
高野佐三郎先生が十代の頃、審判のいない試合で、岡田某にされたように(剣道遺稿集より)
毎日の稽古で、わざと、突きをはずして打たれ、結果1年全員でクラブを退部したようでした。

 皆で高め合う”稽古”にしたいものです。

お名前: cresta97gx100   
MAKOMさん、実は待ってました。
>打突には押し斬りと引き斬りがあると耳にしますが
このあたり、最初で、私は意味を間違えてたのでしょうか?

武術は、居合道、剣道の段を足しても、
Hideさんや、MAKOMさんには、勝てません。(笑)
柔道は、高校授業のみ、弓道も大学体育(半年)ですし。
ただ”撃剣会始末”島津書房なんか読んでいても、剣術と、体術の専門家が、
御互い同士、行き来して、稽古していたと、書いてますね。
間違って書いても、教えて頂けると楽しいのです。有難いことですし。

ところで、踏み込み足や、鍔迫り合いからの業は、明治以降になってから
認められた技法だったと思います。
と云う事で、私ならば、対木刀戦、刀を持ち、横から、刀を殴られないよう気を付けて、
鍔ぜりに持ち込み首を切ります。
(表現御見苦しいことお詫びいたします。)
(MAKOMさんを、一度拝顔させて頂いた事に甘えて書いてしまいました。)
剣で無いなら、杖も、使い方が多彩で、面白そうです。

ところで、MAKOMさん、
対槍術の経験、教えて欲しいのですが、こちらの間合いに飛び込みませんでしたか?
その瞬間しか勝ち目が無いのでは?

竹も、箒の柄のように古くなると、最初は、気を付けないといけませんが、
間違えて、竹どころか立てかけた台の(ボ−ルの籠)鉄筋まで、
半分ほど、えぐって切り取ってしまった話があります。(私ではありません。)
火花が散って、少しだけ刃こぼれしたそうです。(笑)
ちゃんと鍛えた刀でなかったら、折れてますね。

興味本位の投稿のようでしたら、御免なさい。

お名前: MAKOM    URL
Hideさん、クレスタさん、こんにちは。テーマに引かれて見に来ました。

多少ですが居合と古流剣術の経験があります。一度、誰にもジャマされずに100本
近い巻藁を斬るチャンスがあり、その時、個人的な興味本位の実験をいくつかやった
ことがありました。その経験を元に書き込みます。

巻藁や畳表で試し斬りをすると、足を動かさなくても腕の振り下ろしだけで斬れます。
この場合、下手に手首のスナップをつけると斬れません。肩と肘の動き+斬る瞬間の
手の内の締めが斬るためのポイントかと思いました。

これに身体の運用を加え、前に出ながら斬ると押し斬りに、後足を半歩引きながら斬
ることを引き斬りと仮定して試しておりました。いずれも問題なく斬れます。
巻藁を頭の高さに水平に固定し、遠間から飛び込んで打ち込んでもある程度は斬れま
す。(実験回数が少ないのと固定方法が難しいので確信するほどではありません)
ただし、刺し面の如く、巻藁の近くまで刀を持っていき、手首のスナップだけで打ち
込んでも全く斬れませんでした。

余談ですが、古い稽古着を巻藁に着せ、色々な方法で斬り付けましたが全く両断する
ことは出来ません。これはおそらく私の技量の不足だとは思います。思うのは、本当
の戦いで、お互いが動き回り、お互い興奮状態で、日本刀を使いこなして戦うという
のは至難のわざだということです。もし私が実戦となった場合(あり得ませんが(^^;)、
巌流島の武蔵のごとく、迷わず木刀を使って戦いますね。

お名前: Hide.   
to  cresta97gx100 さん

このレベルになると、剣道しか経験のない私には手が出ない話になってしまいます
ねぇ・・・(^^;

武術論にお詳しいのでしたら、ぜひぜひ、このあたりをもう少し突っ込んでお話い
ただけると興味深いのですがヽ(^.^)ノ

お名前: cresta97gx100   
追伸その2
 私個人とすれば、剣術をされている方が、試し切りをされても少しも可笑しくないと思っています。
 ただ、真剣を使う上で怪我をしないように気をつける点がいくつかあると思うだけです。
 可笑しくないと言う理由ですが、
 居合は、”鞘のうちから”と言う言葉から、察するに
 間合いの話とすれば、柔、合口、剣術、槍術あるいは薙刀、弓道、種子島?とあるうち、
 合口と、剣術の間にあって、抜きつけの一刀目を特にそう云うのではないかと思うからです。
 以上です。

お名前: Hide.   
イメージの問題でお話をさせていただくと、私の場合、

 ●面は「打ち抜く」
 ●小手は「あてる」
 ●出小手は「おさえる」
 ●胴(逆胴も)は「斬る」「抜く」
 ●諸手突は「突き抜く」
 ●片手突は「突く」
って感じでしょうか。明確に「斬る」っていうイメージが持てているのは胴だけ
です。

みなさんはどうなんでしょうねぇ・・・???(笑)

お名前: cresta97gx100   
Hideさんへ
早速のレス、有難う御座います。
ちょっと言葉足らずで、誤解を招きそうなので付け加えますと、
先の投稿は、歴史的背景を考えないと、先達の工夫が、
今につながらないので、わかりにくいのではないかと思いあえて書き加えたものです。
ところが、書きつつある私の文章を読むと、話が、実戦的であるとかないとかの
もっと大きな点に話が広がり、今回のテ−マである、”押し斬り、引き斬り”から、
変わりそうなので、いったん止めといた方がいいかな、と思い、
端折ったまでのことですので、Hideさんに限らず、いろんな方から、いろんな意見を、
頂戴できると有難いです。

お名前: Hide.   
cresta97gx100さん、拙サイトをお訪ねいただき、貴重なカキコをありがとうござ
いますm(_ _)m 『剣道日本』の反響もすごいですが、私自身が変わるわけでも何で
もありませんので、これまで通のスタンスでやっていこうと思ってます。どうぞ、よ
ろしくお願いします(^^)

歴史的背景を考えても、剣道の持つ不条理さ、また、一般の人たちの剣道に対する軽
微な偏見は拭いがたいものがあると考えております。また、刀で切る技術と竹刀で打
突する技術のあいまいな区分も、おそらく、これまで多くの先生方が苦慮されてきた
ことなのではないでしょうか。
だからといってあいまいにしておいていいわけもなく、まぁ、こうした意見交換でき
るスペースで、多いに語り合えればいいものが見えてくるのではないでしょうか(^^)

しかし、謎といえば、柄の長さです。二点支持による打突の難しさは、剣道の初心者
に打ち方を教えることの困難さをとっても並大抵のものではありません。刀が「右手
前左手後ろ」とはいいながら、柄が短くしっかりと「振りきれる」のに対して、竹刀
の柄は「振りきる」ということに関してはムズカシイ長さです。故に、もともと中西
派で考案されたときから「振りきらずに止める」ことを前提に考えられたのではない
かと愚考しています(^^)

お名前: cresta97gx100   
追伸です。
先の書き込みは、Hide.さんは、ご存知でしょうけど、
(ご自分の言葉にて、わかりやすく、端的に記される方針でしょう?)
一応書き込んでみました。以上です。

お名前: cresta97gx100   
一度、話が終わっているのに蛇足すいません。

Hideさん、先日は、MAKOMさんちの板で、カ−ボン竹刀等の件、ご指導いただき有難う御座いました。
それと、”剣道日本”買いました。びっくりしました。
本当に、ハンドルネ-ムでも、続けて書き込むうちに”人格”が顕れますよね。
気を付けなくては、、、。といいながら、、、。

”手の内”の件、最初に、Hideさんが、おっしゃられていますように
”竹刀技術”と”刀で切る技術”では、異なりますね。
どちらも、”手の内”と表現しますので、ややこしいだけですよね?Hideさん。

竹刀稽古が、広まったとされる1700年代、刃引きの刀や、木刀による形稽古では、
強い打ち込みができないので、その欠点を補い、”実戦の方向を目指し”(中西忠蔵)
導入されます。
しかし、真剣の立場では、役に立たない(中西是助)という批判にもかかわらず、
他流試合を活発にしていく決定打となり、巨大な潮流となって、他流派も席巻します。
試合や競技に勝つために竹刀や柄の長さが強調されました。(今村嘉雄)
(以上”のびのび剣道学校”大塚忠義著を、勝手に略す。)
(今回先生方の敬称略させて頂きました。ごめんなさい。)

上肢上腕による梃子の理を利用した竹刀を前方に突き出す打突法は、この長い柄にて、
行われはじめたのではないかと思います。
(私自身とくに、今の剣道を、実戦的ではないと言いたいのでは、ありません。
 いま、剣道にしろ、刀術にしろ実戦的と考えると、不合理が大きくないですか?)
ところで、実戦の強調は、第二次大戦の時の経験を(いわゆる、”ネ−ビ−の剣道”(坂本充))
嫌な思い出としてもつ年配の先生もいらっしゃるのではないかと思いますので、
ちょっとこの話題、聞く先生を選ぶ必要がありそうですねエ。

私も、よく悩んだ事ですので、暴走してしまいました。Hideさん、ごめんなさい。
(私自身、剣道は、もう永らくしていないのですが、、、。)
私にも、ご指導お願い致します。

お名前: S−1   
ヒデちゃんまん  さん

なるほど!
どうやら引き斬りは意識してのこぎりのように引くのではなく
手の内と刀の反りによるわずかな引きということでしょうか。
大変参考になりました。有り難うございます m(_ _)m

お名前: Hide.   
なるほど。
竹刀でも力を入れれば締まったいい打ちができるかっていうとそうではありませ
んよね。逆に、十二分にリラックスされたところから力を入れずに打っても、手
の内が利いていればピシッと締まった打ちになります。
肝心なのは、やはり振りのコースと手の内なんでしょうねヽ(^.^)ノ

お名前: ヒデちゃんまん   
s−1さん
説明が不十分ですみません。“刀なり”では無く“刃なり”です。^^;
よく言われる、“刃筋の通った振り、打突”という意味で書いたつもりでした。
私は、剣道(竹刀剣道)のみで古流はもとより居合も経験無しですが、斬ると
言う経験も必要だと思い真剣を買って試してみたのです。

始めに、細い青竹を斬ってみたらカックンと方向が変わってクランク状に斬れ
ましたが、何回か挑戦するうちにスカット斜めに斬れるように成りました。
おもしろい事に、うまく斬れた時はほとんど手応えが無いのです。言い変えれ
ば、“力が入らない...入れてはいけない”と言う事でしょうか。
肩を中心に振ると、刀はソリが有るので自然と引いて切るようになるのでは?
不謹慎なので書きませんが、絶大な力が有ますね^^;
以上、ド素人の意見でした。失礼いたします。

お名前: Hide.   
to S−1さん

>その先生によると”古流剣術のおいては、太刀さばきが引いたりおしたり見える
>場合があるとしてもそれは、体さばきによる動きの変化がそう見えるのであっ
>て、真の古流を修めた人の太刀さばきはどのように乱れた時でも洗練された手の
>内よろしく直線の斬撃をしており、引き斬りでも、おしきりでもない”

なるほど・・・。たしかに、身体が居着いて斬っていることはまれでしょうから、
身体の動きに伴って「押し」または「引き」の動きが生じているっていうのはわ
かる気がしますね(^^)


>古流においても手の内がポイントのようですね?。
>ところで本当の手の内ってなに? む− また悩んでしまいそうです。(^^;

私も少しは小野派一刀流を納めておりますので、古流をベースにものを考えてみ
ますと、手の内とは「打突の瞬間、切っ先三寸に最大限の力がかかるような手・
腕・身体の締めの総合したもの」ではないでしょうか。狭義に解釈すれば、手首
と握りなんでしょうが、けっして手首や握りだけの作用ではないと思います。

とくに剣道の場合、右手と左手の握りが離れている「二点支持」ですから、この
手の内が難しく、また、重要になってくるわけですね(^^)

お名前: S-1   
Hide さん ヒデちゃんまん さん 御意見体験ありがとうございます。

竹刀剣道と真剣の理合をくらべること事体に無理があるかもしれないとおもいつつも
真剣だったらどうだろうとつい考えている今日この頃です(^^;

ヒデちゃんまん さん 
実際に試したとは凄いですね。恐れ入りました。
ところで、刀なりに振るというのはどういうことでしょうか?

私の場合、実際に日本刀で斬る体験をするという思い切りがないので (^^;
すこし、調べてみました。私が、読んだのは 田中先生という古武道範士8段
の先生がかかれた本で、小野派一刀流もしっかり書いてありました。(^^)

その先生によると”古流剣術のおいては、太刀さばきが引いたりおしたり見える
場合があるとしてもそれは、体さばきによる動きの変化がそう見えるのであって、
真の古流を修めた人の太刀さばきはどのように乱れた時でも洗練された手の内
よろしく直線の斬撃をしており、引き斬りでも、おしきりでもない”
とい言葉の横に、斬る瞬間の写真が乗っていました。

古流においても手の内がポイントのようですね?。
ところで本当の手の内ってなに? む− また悩んでしまいそうです。(^^;

では、とりあえず、御報告まで

お名前: Hide.   
to ヒデちゃんまんさん

実体験に基づくご意見、参考になりました。ありがとうございます(^^)
居合道も奥義を極めれば、ひょっとするとS−1さんがおっしゃっているように
「手の内で斬る」という感じになるのかもしれませんが、私の考え及ぶところで
はありません(^^;
ただ、竹刀のような振り方では「斬れないだろう」としか想像できないだけでし
て・・・。実証した方のご意見は助かりました(^^)

お名前: ヒデちゃんまん   
私の場合、日本刀を購入して実際に色々な斬り方を試してみました。結論は、竹刀技術とは別物です。
なまじ手首など効かせず、刃なりに振れば良く斬れます。刀は兵器なので、だれでも使えるものです。
以上は私の経験より。失礼します。

お名前: Hide.   
ご質問のお答えにならず、多少論点が違うことをお許しいただいたうえで、カキ
コさせていただきます(^^;

刀のように反りのあるものであっても相手に斬りつけた場合、そのままでは刃は
食い込みはするだろうけど切れません。それと同時に押すか引くかすれば、反り
も手伝って切れ安いだろうことが包丁などを使った経験からわかります。

残念ながら、居合をたしなまない私が回答できるのはここまでです。
ただ、少なくとも、竹刀剣道における押し切りといわれる打突方法は、相手の打
突李に当たった瞬間「手の内」をしめて振りおろしを止めておりますから、刀を
持って同様に振った場合、まったく切れないだろうことは想像できます(^^;

根本思想や発祥は別として、現代剣道における「竹刀技術」は、「刀で切る」と
いう次元から、はなれて考えなければいけないと思います。

お名前: S-1   
打突には押し斬りと引き斬りがあると耳にしますが、一方で、斬るのは手の裡で
斬るのであり、押しも引きもしないと最近聞きました。どうなのでしょうか?

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