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お名前: Hide.
to エヴァンウィリアムズ さん
そうそう、その意気! 理合も含め「自分らしい剣道」を追求すればいいんです
よ。まぁ、可能であれば、その中にしっかりとした「理合に裏付け作業」をしな
がら進めていってほしいとは思いますが。当たらなくなってから考えるのではな
くて、当たり盛りだからこそ先取りして考えていくことが自分の修業になると思
いませんか(^^) そうすれば「鬼に金棒」ってことでしてヽ(^.^)ノ
お名前: エヴァンウィリアムズ
Hideさん
>いやぁ、こう言ったら失礼かもしれませんが、「あたり盛り」「打ち盛り」の年
>代じゃないですか! それなら、高段者の先生方の「理合云々」がシャクにさわ
>りますよ。私もそうでしたから、よーーーくわかります(笑) 何と言われようと、
>どんどん打っちゃうことをお勧めしますヽ(^.^)ノ
そうですよね。やっぱり誰が何と言おうとガンガン攻めまくります。
理合云々を語る先生も少数ですしね。体が言う事をきかなくなったときに理合を
真剣に考えます。ありがとうございました。
お名前: Hide.
>若いうちは理合より先に体が反応する点があります。根拠はないのですが、こ
>こだと、思う打突の好機があります。それは年(自分の体の変化や稽古)によっ
>て変わっていくものの気がします。同じ段位でも、この事により人それぞれ理
>合のとらえ方が違うのではないのでしょうか?
おっしゃる通りです(^^) 私も歳の割に「若い剣道」と喜んでいいのか悲しんで
いいのかわからないような言われ方をするのですが、要は、しっかり打ちきれれ
ばその人の理合ですよ。打たれていながら「理合がどうの・・・」は単なる言い
訳でしょ(^^;
>私は埼玉在住の27歳、五段です。
いやぁ、こう言ったら失礼かもしれませんが、「あたり盛り」「打ち盛り」の年
代じゃないですか! それなら、高段者の先生方の「理合云々」がシャクにさわ
りますよ。私もそうでしたから、よーーーくわかります(笑) 何と言われようと、
どんどん打っちゃうことをお勧めしますヽ(^.^)ノ
お名前: エヴァンウィリアムズ
Hideさん
早速のレスありがとうございます。前よりはだいぶ胸につかえるものが
とれた気がします。
>あくまでも目安でしかないでしょうが、それぞれの段位に応じた「知っているべ
>き理合」というのがおぼろげながら存在するものです。
なるほど、それはあると思います。ですが、それを他人に押し付ける形をとって
いる方が多いような気がします。若いうちは理合より先に体が反応する点があります。
根拠はないのですが、ここだと、思う打突の好機があります。それは年(自分の体
の変化や稽古)によって変わっていくものの気がします。同じ段位でも、この事に
より人それぞれ理合のとらえ方が違うのではないのでしょうか?
この考えはおそらく、あと2、3年経てば変わるとは思いますが、例えばすごく
俊敏な動きをする高校生がいるとします。その子はすごく、遠間から勢いで豪快
な面を繰り出せる選手だとします。そうした場合はその子にとっての理合は相手
がどうのこうのではなく、自分が行けると、思う箇所なのではないのでしょうか?
その子がやがて大人になり遠間から飛べなくなり相手の心理をも司とり、理にかな
った箇所でのみ打てるようになったとしても高校のときの自分の打つべき好機は
間違っていなかったと思うはずです。
>打ちだしたらそれは命を捨てにいくことで、結果を求めるだけの一本道です。
の言葉はすごく共感しました。ならば攻防の妙の間、理合が分かっていない人が
打ってきたのならばそれ相応の対応ができないのは単に相手を考えず自分の理合
に酔っているような気がします。相手を尊重し、最大限の力を引き出させる事が
美とされる事は重々は分かっているのですが、何故、そのうようなリスクを負う
必要があるのでしょうか?
(毎回、毎回偉そうに書いてすいません。)
今回の質問は私の年齢と段位を記した方が良いと思いましたので記します。
私は埼玉在住の27歳、五段です。
お名前: Hide.
to エヴァンウィリアムズ さん
うーん、またまた難しいお題を振っていただきましたねぇ・・・(^^;
さて、さっそく考えてみたのですが、「あの人とは理合が合わないから稽古した
くない」とか「彼は理合を無視して攻めるから稽古したくない」は、ある程度以
上の段位をお持ちの形に対する言葉ではないのでしょうか? たとえば、七段が
初二三段をつかまえてこのセリフにはならないと思います(^^)
あくまでも目安でしかないでしょうが、それぞれの段位に応じた「知っているべ
き理合」というのがおぼろげながら存在するものです。それを無視するような剣
道は「理合が合わない」「理合を知らない」と評されてもしかたないのではない
でしょうか。
エヴァンウィリアムズ さんがおっしゃるように、私も理合はひとつとは思いませ
ん。それどころか無数の理合が存在します。ですから、ひとつのお稽古の中でい
くつもの理合で相手を攻めます。剣道が「技前だ」といわれる所以は、この打突
以上の「攻防の妙」が楽しいからです。打ちだしたらそれは命を捨てにいくこと
で、結果を求めるだけの一本道です。それは競技や試験問題と違い、高等数学と
同じように、答えよりもその過程こそが尊い世界ですヽ(^.^)ノ
かといって、上位の理合に合わせる必要はありません。「こう攻めたらどうしま
すか?」「こう入ったらどのように動かれますか?」との問い掛けをすればいいだ
けです。上位なんですから、下位の問い掛けの意味を悟り対処することができる
はずです。下位がそうした問い掛けをせずして打ちに走れば「理合を無視して・・・」
となるのは当然ですよね(^^;
そういった意味からいっても、私はエヴァンウィリアムズ さんに怒られてしまう
かもしれませんが、「理合の追求」こそが剣道の醍醐味だと考える一人です(^^)
お名前: エヴァンウィリアムズ
この問題は私の考えが偏っているかもしれませんが、
少々疑問に思うことがあります。
理合とはとの問に答えが一つなのでしょうか?
と、いうのも良く先生方の雑談の中で「あの人とは
理合が合わないから稽古したくない」とか「彼は理合
を無視して攻めるから稽古したくない」との雑談を
良く耳にします。私はこの言葉が嫌いです。何か理合
のために剣道し、理合こそ究極の美であるがごとく振
舞う方が多い気がします。理合とはそんなに偉いもの
なのでしょうか?また、相手の理合(特に高段者)に合
わせなければ行けないのでしょうか?
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