記事タイトル:攻めの気持ち 


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お名前: Hide.   
to けいさん

そうですね。愚妻が何も言わずに剣道に出してくれるから、好き勝手なことができるんで
すものね。感謝&感謝ですヽ(^.^)ノ

お名前: けい   
Hideさん

>いいですねぇ。愚妻もそのくらい勉強熱心だといいのになぁ・・・(- o -)~σフゥ

とんでもございません。奥様の内助の功をお忘れになってはいけません。
罰があたりますことよ!(笑)

お名前: Hide.   
To 飛鷺さん
いやぁ、思わず引き込まれるように呼んでしまいました。
たいへん勉強になりましたヽ(^.^)ノ


To けいさん
>あー、もう、こういう方多くって、あの頃は、ホントに困りましたねぇ。(笑)
申し訳ありませんm(__)m
ろくすっぽ顔も知らない私にノートを快く貸してくださった女子学生の皆さん、
心より御礼申し上げます(^0^)

>私が、剣道もせずに、いちに会に入り浸ってしまうのは、たくさんの方々から、剣道を
>通して「生き方」のヒントを頂ける楽しみからだと思っております。それを、主人や子
>どもたちに、「今日、こんなことが書いてあったのよ・・・・」と話すのが、日課となっ
>てしまっております。
いいですねぇ。愚妻もそのくらい勉強熱心だといいのになぁ・・・(- o -)~σフゥ

お名前: けい   
Hideさん


>私の場合は、あと、まじめにノートを取ってる女子学生と仲良くなってコピーを取らせて
>もらう・・・ってのがありましたが(^_^ メ)

あー、もう、こういう方多くって、あの頃は、ホントに困りましたねぇ。(笑)


>剣道ばかりではありませんが、剣道を学ぶ我々は剣道で学ぶ相したものを実生活に応用で
>きなければ意味がありません。私の師匠の渡辺敏雄はそれを「剣理精通」という言葉で私に
>示してくださいましたヽ(^.^)ノ
>私の座右の銘です。


まさに、その通りですねぇ。愚息も、「剣理精通」のお言葉通り、きちんと剣道を学んで、
実生活に活かしていって欲しいものです。私が、剣道もせずに、いちに会に入り浸って
しまうのは、たくさんの方々から、剣道を通して「生き方」のヒントを頂ける楽しみからだ
と思っております。それを、主人や子どもたちに、「今日、こんなことが書いてあったのよ・・・・」と話すのが、日課となってしまっております。

お名前: 飛鷺   
Hideさん、みなさんこんにちは。
こちらにお邪魔するのは初めてですが
よろしくお願いいたしますm(__)m
題名にものすごく興味を惹かれたので
剣道歴、思い出したら12時間くらいしか
ないのについ顔を出してしまいました。
私自身剣道歴は皆無ですから見当違いの
意見も多々あるかと思いますけどご了承
ください。

まず最初に私がやっている、というのですら
師匠に怒られそうなレベルの杖ですけど
武器の殺傷能力的に刀より弱いので
気攻めをものすごく重視します。
まあ、杖だけではなく太刀の方も重視しますので
どっちもどっちなのですが私は全然気が出せる
段階までいっていないですけどね(笑)

型稽古なのですけど杖の場合、杖対刀(木刀)なので
刀に切られないように意識して技を使うと少しずつ
技の余計な部分が自然とそぎ落ちていって綺麗な型に
なっていきます。
おまけにただでさえ不利な杖なのに相手を傷つけることを
基本的に禁じているので余計に技が厳しくなるのですけどね。
剣道のように打ち合っての勝ち負けというのはないですけど
その分徹底して型としての完成度などを追求する・・・
ある意味綺麗なものを目指しています。
また、綺麗な方ほど威力があるので怖いのですが(^^;
綺麗=強いというのは本当にその通りですよね。

本当に綺麗・・・
綺麗というより淀みなく無駄がない動きというのは
目に映っているのに反応できないですからね。

ですからちょっと心のパズルを組替えてみるのも
良いかもしれないですよ。
基本を忠実にすることを大切にしてその基本に
自分が自信を持てるようになる、そこから・・・
「相手が打ってから自分が打つ」のではなく
「相手を打たせるように自分が誘い、
その上で自分が打つ」勝つことと綺麗な剣道を
別と考えるのではなく自分の考える綺麗な剣道を
頭の中でイメージしながら
その通り試合ができるように試合を組み立てる。
そうできるように練習などを心がけるのも
良いと思いますよ。
私は練習相手もいないですし、練習できる日も少ないので
いつもイメージトレーニングですけど自分のリズムや
呼吸をしっかり自覚することで相手をどうやって
自分のペースに引き込むかとか自然に考えたり
していますので。
意外と良いと思いますよ。

何も打とうとする気持ちだけが攻める気ではなく
自分の流れを呼び込む意識、また試合そのものを
自分でコントロールするくらいの意識を持つように
考えるのも一つの方法かもしれないですよ。
相手を誘う、伺いのも立派な気攻めですしね。
なかなかできることではないですけど
意識してみるのも良いでしょうしね。

よく武芸なんて言葉があってその道を極めれば
その仕草は全て芸になり、全てがその技を演出するための
道具になる。
なんていわれますけどね。
そんな気持ちで少し向い合ってみるのもよいのではないですか?
そうすることで試合中の気持ちのメリハリというのも変ですけど
自分の気持ちを動かすことでの駆け引きや攻める気というものを
自然に意識できるかもしれないですよ。
何か長々と的外れなことを言ってしまってすいませんでした。
私自身全然気が出ないので気攻めについて思考錯誤中なので(^^;
最後に綺麗な剣道を、というより自分が大好きだと
思える剣道の姿を大切になさってくださいね。

お名前: Hide.   
To けいさん

>代返なんて日常茶飯事・・・。一般教養などにおいては、前年度のノートやテストのコ
>ピーが出回り、それを手に入れるために奔走しているような学生がたくさんいたのです。
>情けないものがありました。
うっ、ひょっとしてどこかで私のことを見てましたか? 耳が痛い・・・。
私の場合は、あと、まじめにノートを取ってる女子学生と仲良くなってコピーを取らせて
もらう・・・ってのがありましたが(^_^ メ)


>というのが、日本の大学、特に文化系の学科に通う学生たちに多いパターンですよね。
>それはやはりおかしいと思うのです。

そうですね、バブル以前まではその傾向が強かったと思います。最近は「受験戦争」なんて
言うのは大学には当てはまらなくなってしまいました。企業も「大学名」で学生を選別する
ようなこともなくなってきましたし。まぁ、官公庁や一部の企業は別ですが(^^;


>結局、剣道だけでなく、あらゆることに通じることなのだと思いましたが、いつも少し
>先、少し先を目指していかなくては、進歩はないですよね。
>つまり、攻めの気持ちって、勝つための気の強さだけではなくって、もっともっと広い
>意味があるということだと思うんです。

おっしゃる通りだと思います(^^)
剣道ばかりではありませんが、剣道を学ぶ我々は剣道で学ぶ相したものを実生活に応用で
きなければ意味がありません。私の師匠の渡辺敏雄はそれを「剣理精通」という言葉で私に
示してくださいましたヽ(^.^)ノ
私の座右の銘です。

お名前: けい   
Hideさん

>>それは、ちょうど、受験勉強で競争による勉強だけをしてしまった人が、合格した後、
>>つまり受験に勝った後、急に目的意識を失うのとよく似ています。

>けいさんは本当に剣道の本質をよくわかっておいでですね。マジで剣道やってないんです
>か?(笑)

あら、私、もしかして、前世でやっていたのかも・・・(笑)。 冗談はさておき、私が
大学受験をした後のことですが、かなりの倍率を潜り抜けてきたにも関わらず、学生たち
の授業への取り組み方には、目を覆うものがありました。代返なんて日常茶飯事・・・。
一般教養などにおいては、前年度のノートやテストのコピーが出回り、それを手に入れる
ために奔走しているような学生がたくさんいたのです。情けないものがありました。

もちろん、きちんと授業に取り組んでいた方も大勢いましたが・・・・。でも、大学の
レッテルが欲しくて受験した人は意外に多くて、高校生の内に、大学で何を学びたいの
かを決めて受験するのではなく、あの大学に入れるならどの学部でも良いといった考え
の人が多かったということです。私の回りには、経済学部、法学部、文学部、商学部と
全て受験したという方が少なくありませんでした。そして、お目当ての大学に入れれば、
そこが終点。お勉強とはハイサヨナラー・・・というのが、日本の大学、特に文化系の学科に
通う学生たちに多いパターンですよね。それはやはりおかしいと思うのです。

「攻めの気持ち」ということで話せば、大学に入ってからが、まさに攻めの正念場だと
私は思うんですが・・・。自分が大学の授業の中で、何を極めていきたいか、それに
向かってどれだけ攻めていけるのか・・・・結局は、今までの自分を越えることなんだ
と思います。みやさんがおっしゃってましたが、「ラクな稽古をしていては力は伸びない。」
本当にそうだと思います。結局、剣道だけでなく、あらゆることに通じることなのだと
思いましたが、いつも少し先、少し先を目指していかなくては、進歩はないですよね。
つまり、攻めの気持ちって、勝つための気の強さだけではなくって、もっともっと広い
意味があるということだと思うんです。ヒャー、また説教くさいこと言っちゃったー。

お名前: Hide.   
To けいさん

>愚息も、そのような強い気持ちを持って剣道をしたいという気持ちが強いようです。こ
>れは、剣道を続けている限り、永遠のテーマなのかも知れませんが・・・。

剣道は結局は、自分自身との戦いなんです。竹刀を振り、お相手をたたくという競技形態
ではありますが、自分自身の心の中に生じる「非心」を断ち切るための修行なんです。
一生涯かかっても、なかなか難しいとは思いますけどね(^^)


>それは、ちょうど、受験勉強で競争による勉強だけをしてしまった人が、合格した後、
>つまり受験に勝った後、急に目的意識を失うのとよく似ています。

けいさんは本当に剣道の本質をよくわかっておいでですね。マジで剣道やってないんです
か?(笑)
手段と目的のふみ違い、剣道や勉強ばかりでなく様々な場面で目にしますね。常に正しい
眼を持って生きていきたいものです(^^)

お名前: けい   
まっさこさん

それから、剣道の「攻め」の気持ちですが、これは、勝つために、最初から最後まで
この気持ちを持ち続けなくてはならないというよりは、ここぞという時に、その「攻め」
の気持ちを思いっきりだしてぶつかっていく・・・ということであるような気がするの
ですが・・・。

ですから、一方的に受けて返すのではなく、ここぞという時は、攻めに入っていけるよう、
ふだんの生活から気をつけてみるとどうでしょうか? 大切な時は、引かずに出て行くと
いう気持ちの強さがあれば、剣道にも反映されてくるような気がします。

お名前: けい   
まっさこさん

下の書き出しのしょっぱなから、「はじめました」なんて書いちゃいました。
おっちょこちょいで、すみません。(笑)

お名前: けい   
まっさこさん


はじめました。私は、剣道好きの子どもたちを持つ母です。私自身は剣道をしていないので
えらそうなことは言えないのですが、自分の子どもたちが剣道を通して得ているものという
のは、技はもちろんなのですが、やはり、生き方というものを教えて頂いているという方が
多いような気がしてきました。

技の修得だけ、つまり、勝つための技の修得だけであったら、ある程度まで行ったとき、
つまらなくなってしまう人が出てきてしまうのかも知れません。「勝ったから何なの?」
という疑問が湧いてきても、仕方ないと思うのです。それは、ちょうど、受験勉強で
競争による勉強だけをしてしまった人が、合格した後、つまり受験に勝った後、急に
目的意識を失うのとよく似ています。

愚息が、今、剣道の虜になってしまっているのは、親から見ていると、剣道の技はもち
ろんのことですが、やはりいろいろな意味で強くなりたい・・・と本能的に思っている
から・・・それが剣道を通して、どうも実現できそうだ・・・そんなところが、大変
大きいような気がしています。

例えば、剣道をしていたことで、他人への丁寧なご挨拶ができるようになったこと、
それから、剣道で負けが続いてしまって落ち込んでいるお子さんに一生懸命声をかけて
いること・・・・などなど、最近、やはり剣道を続けていたおかげだなぁと思う成長が
たくさんあるのです。

自分の中で、技術の修得だけでなく、剣道の精神のどこをとり入れて生きていくかを
考えることで、自分の人間としての成長を喜ぶことができたら、本当に充実してくる
と思うのですが・・・・。

ごめんなさいね。本当に、えらそうなことは言えないのだけれど・・・。試合の一つ
一つを通して、お相手と対峙するということは、自分と対峙していることにもなる訳
で、そこから少しずつ、自分が成長していけると思うと、苦しいけれど、嬉しい気持ち
にもなれると思うのですが・・・。どうでしょうか?

お名前: けい   
Hideさん

>心が動けば動いたほうが負けなんです。昔の剣道が一合もしないで勝敗を悟ったというのもこ
>のあたりにあります(^^)


愚息も、そのような強い気持ちを持って剣道をしたいという気持ちが強いようです。これは、
剣道を続けている限り、永遠のテーマなのかも知れませんが・・・。長い道のりですが、
少しずつでもそういった強い気持ちを持っていけるよう、親もねがっております。


柳に風さん

>私は小学生の頃から、敬愛する師匠に、「打って勝つな、勝って打て」
>と言われてきたので、すぐにこういうことを言いたくなりますが


「勝って打て」・・・本当に素晴らしいお言葉ですねぇ。小武蔵は、この境地に
達したいがために、一生懸命、小野派のお稽古に通っているのではないかと思って
おります。いわゆるスポーツ剣道ではなく、芯から強い気持ちを持ってお相手
に立ち向かえるようになるため、がんばっているようです。

柳に風さんも、Hideさんも、お二人とも素晴らしいご師匠につかれ、その
ご師匠のお言葉が、今もご自分の剣道の中にしっかり生きていらっしゃる
様子を伺うと、本当にうらやましく思います。 

小武蔵が剣道のことでわからないことがあっても、私ども両親はほとんど答えて
やれないのですが、いちに会を通じて、たくさんの方々からお声をかけて頂き、
さまざまなご指導を頂き、本当に感謝しております。

「勝って打て」・・・これもこのまま頂戴いたします!! ありがとうござい
ました!

お名前: 柳に風   
to けいさん
 過分なお褒めの言葉を頂きまして、恐悦至極にございまする〜。(テレ!)
小武蔵くんは自分の考えをしっかり持って、剣道に取り組んでいる様子が、
いつも、けいさんのカキコからうかがえます。
 私の先のカキコは、あれがわかってくると(できるようになってくると)
4段くらいじゃないかと思いますが、その上は、誰に対しても自分の攻め
を利かすことができるようになることを目指して稽古するんですね。8段9
段の先生でもそうです。
 子供のうちからそういう意識を持っていれば、将来大成すると思います
よ。
 一本を取る事にこだわる時期があってもいいと思いますが、一本の取り
方にこだわることは一生の課題だと思いますしね。
 私は小学生の頃から、敬愛する師匠に、「打って勝つな、勝って打て」
と言われてきたので、すぐにこういうことを言いたくなりますが、色々な
取り組み方を経験するのもいいのかも知れません。

お名前: Hide.   
心が動けば動いたほうが負けなんです。昔の剣道が一合もしないで勝敗を悟ったというのもこ
のあたりにあります(^^)

現代剣道でも「打った」「打たれた」にこだわりすぎると、心栄えの正しい剣道にはなりません。
もっとも、中高生のうちは思いっきり勝負にこだわるのも「勉強」ではあるんですけどね(^^)

お名前: けい   
柳に風さん

>自分からのアクションで、あいてのリアクションを引き出して、そこを
>打つことが求められるんですね。で、このアクションが、攻めになるわけです。相手を自
>分に従わせることです。言葉を変えれば、自分が主導権を握る、ということですね。
> なので、ことさらに、一本を取ってやろう、打ってやろうと思うことが攻めではないので
>すが、一本を取るためにどうすればいいか、どうすれば相手(の心)を動かせるかを考え
>ながら稽古することは大事ですね。


ムムム。またまたすばらしいお言葉。このまま頂きます。愚息に読ませなければ・・・。
まだまだ修業が足りません。

お名前: 柳に風   
まっさこさん、
 攻めの気持ちが足りない、と感じているようですが、性格もあるかもしれませんね。
私も少し前まで、攻めが足りない、と言われてました。のんびり構えてしまって、相手
がヤバイと思わない、とか、なにも考えずにただ打つだけでは攻めになりません。
 何をもって攻めとするか、というのはとても難しいことだと思います。私は四段になる
頃まで、攻めってなんだろう?と思ってましたからね。

 ちょっと話がずれましたね。とりあえず、攻めそのものについては、他にトピが立って
いるので、興味があればそちらを見てください。

 攻めの気持ち、ですが、この気持ちというのはとても大事で、相手に対して攻めの気
持ちを持とうと思ったら、まず、自分の気持ちを強くすることです。つまり、何事にも動じ
ない腹を作ることですね。相手の攻めや動きに動じない腹を作ること、これが剣道の最
終的な(と言っては違う意見の人もいるでしょうけど、)目標だと思います。
 これができると、相手の動きや気持ちがわかってきます。
 次に、剣道は相手のいることで、その相手を打つことが一応、競技としての目的です
から、相手を打つことを考えなければなりませんね。腹が動じなければ、相手の動きや
意図が見えて、それに応じて勝つことはできます。ですが、そういう勝ちではあまり評
価されないのです。待ち剣といわれたりします。
 ではどうするか。自分からのアクションで、あいてのリアクションを引き出して、そこを
打つことが求められるんですね。で、このアクションが、攻めになるわけです。相手を自
分に従わせることです。言葉を変えれば、自分が主導権を握る、ということですね。
 なので、ことさらに、一本を取ってやろう、打ってやろうと思うことが攻めではないので
すが、一本を取るためにどうすればいいか、どうすれば相手(の心)を動かせるかを考え
ながら稽古することは大事ですね。

>きれいな剣道=基本ができている=強い
>という図式を常にあたまに描いてやってきました。

 これは方向としては間違いではありませんが、「基本ができている」というのは、自分一
人の問題に過ぎません。さっきも言ったように、剣道には相手がいるので、その基本通り
の技でどうやって相手を打つかという問題がありますね。相手も打たれたくはないですか
らね。そこで必要になってくるのが「攻め」です。どうやって相手を崩すか、と言うことです。
それができてくると、きれいで強い剣道ができるようになりますよ。

>相手から一本をとり、試合に勝って、
>そしてどうしたいのでしょう?

 剣道って言うのは、ある意味、人生、生活のシミュレーションみたいなものです。
 何事にも動じない腹ができると、普段の生活でもなにかあった時に、冷静な判断力が働
きます。パニックにならずに対処できますね。
 また、攻めというのは相手の気持ちを推し量ることによって成り立つ部分が大きいですか
ら、普段の生活の中でも応用できますね。周りの人の気持ちを察すること、先を取ることに
よって、自分の生活がスムーズに回っていくようになったり、余計なトラブルを避けられたり、
仕事を有利に進めたりできるようになるでしょ。

 試合に勝つことだけを目標にしていると、それがどうしたの??で終わってしまいますが、
剣道を生活に役立つものだと考えて修行していけば、一生楽しめると思いますよ。

お名前: Hide.   
>きれいな剣道=基本ができている=強い
>という図式を常にあたまに描いてやってきました。

まっさこさんのお考えは一つも間違ってないと思いますよヽ(^.^)ノ
人それぞれ、剣道の目標が違います。「試合に勝つこと」を目標にしている人もいれば
「昇段審査」を目標にしている人もいます。まっさこさんのように「キレイな剣道」を目
標にしている人がいてもいいんです。それにそれはそんなに特殊なことではありません。

ただ、大学生くらいの若い人には珍しいかもしれませんね。学生ですとやはり、「試合に
勝つこと」「相手を打つこと(一本をとること)」を目的にしている人が多いんじゃない
でしょうか。

ただ、現象面として剣道という競技を考えたときに、「互いに有効打突を競い合う競
技」っていう定義が成り立つと思いますので、まっさこさんのように「相手から一本をと
り、試合に勝って、そしてどうしたいのでしょう?」という問い掛けは不思議ですね。
サッカーやバスケットボールにおいて、「シュートを打って得点を入れて何になるんだ?」
と尋ねているようなものですから(^^;
有効打突を競い合う中から、さまざまな葛藤が生まれ、それが、自分という人間を鍛えて
くれる・・・、これが剣道の本質なんじゃないですかね(^_-)〜☆

お名前: まっさこ   
こういう話題は剣道談話室のほうに載せたほうがよかったかな?
スイマセン。

お名前: まっさこ   
が、自分自身に足りない、と最近気がつきました。

相手と対峙した瞬間、必ず受身の姿勢になってしまうというか。
相手が打ってから、自分も打つ傾向が強いんです。

自分の性格も影響してるのかな、と考えたりもします。
気持ちの盛り上げ方がたりないのかな。
声をもっと出しなさい、ともよくいわれます。

剣道歴も長く試合にも強い男の友達に
「いつもなにを考えて試合に臨んでるの?」
と何気なく聞いたら、
「どうやって相手から一本を取ろうか考えてる」
という答えが返ってきて
その答えはわたしにとってちょっと衝撃でした。

そういやそんなこと今まで常に意識してきただろうかって。

今まで試合に勝ちたい勝ちたい、と思っていたわりには
なかなか一本が取れませんでした。

ある先輩から「おまえはきれいな剣道をしたいのか、
試合に勝つ剣道をしたいのか、剣道強くなりたいとよくいうわりにはどっちなんかわからん。何を目指して剣道をやっているのだ」
といわれました。

私は今まで(高校から始めて、今は大学のサークルでやっているんですが)
きれいな剣道=基本ができている=強い
という図式を常にあたまに描いてやってきました。

だから、きれいな剣道だねって人からいわれるような剣道がしたいって
ずっと思ってやってきました。

剣道が強くなって、試合に勝って、そして何を得たいのだ?ってきかれたら、
私はなにも答えられません。
私には攻めの気持ちが足りないとは気がついたものの、
攻める気持ちってなんなんでしょう?
相手から一本をとり、試合に勝って、
そしてどうしたいのでしょう?

なんだかわからなくなってきました。

質問がよくまとまっていなくて恐縮ですがどなたか回答お願いいたします。

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