記事タイトル:現代社会における剣道の技術体系の位置付け
|
書き込み欄へ
ヘルプ
お名前: イザーク・キア・タージ
to Fのすけさん
ありがとうございます。
その点はぬかりありませんでした。
入って半年の時点から職場内での法令違反を記録し,
解雇の件は勿論,他の労働基準法違反,セクシャルハラスメント,
組織のと同時に経営陣個人の脱税,そして老人を放置して死に至らしめた事・・・・
全て行政に報告しました。
労働基準法違反と,老人を死に至らしめた件については行政指導が入り,
僕が労働基準監督所に持ち込んだ就業規則と現状を照らし合わせて,
不適切な個所を修正し,適法な物に変更されました。
他にマスコミへも掛け合ったのですが,残念ながら相手にしてはもらえませんでした。
バックに某有名政治家がいるのである程度は仕方ないかもしれないと思いましたけど。
でも,老人を死に至らしめた件については指導が入って良かったです。
それは譲れない所だったので。
その後その施設の医師は動くようにはなったのですが,
動いた所で誤診でまたも死に至らしめられる方が12月に出ました。
が,動くようになっただけでも一歩前進かもしれません。
行政指導は従わなくとも罰則規定がないのが痛い所です。
また,誰しも生活に困る事はしたくないですし,
バックに政治家が控えている事も少なくないようで,仲間ができ難いのも考え物ではあります。
家族を抱えて「殺される訳ではない」と言い切ってしまうバカも.
そうそう多くないようです。(笑)
お名前: Fのすけ
大変な現場に従事なさってるんですね。
桝添要一(漢字?)さんの文などで、多少は知ってましたが、
聞きしにまさるすさまじさですね。
しかし、稟議をあげたことで解雇が行われたというのは、
ケースの見極めは要るとしても、労働基準監督署に届ける
べき事態かもしれないと思いました。桝添さんなら、貴殿
のような方をこそ起用して、福祉行政の一翼を任せたくな
ると思います。なにか志を同じくする人達で、勉強会などの
ネットワークを作るなどして、是非日本のためにご活躍く
ださい。
お名前: イザーク・キア・タージ
>ご自身の修行の成果をぜひぜひ発表しにやってきてくださいヽ(^.^)ノ
ここまでの中間報告をさせて下さい。
今は特別養護老人ホームで介護員として働いています。
何故仕事の事なのかと言うと,仕事は大抵何人もの方々との関わりの中で為される事で,
人を活かす事なしでは語れず,活法を学ぶには適していると感じていたからです。
そして老人介護の仕事を選んだ理由は老人が好きだった訳でも,
優しい気持ちだった訳でもありません。
そもそも僕が人間である以上,「老い」は避けられないし,
避けられないからには現実と向かい合おうと思ったからです。
それはさておき・・・・
施設の老人介護の現場は酷いものでした。
老人が体調を崩して命に関わる状態になっても放置したまま動かない,
そして動いても誤診する医師,
老人が亡くなった際に,施設の手落ちであるにも関わらず
弁護士を雇って遺族の方の所に押しかける施設の管理職・・・・
挙げればきりが無いのですが,
僕は老人福祉に関わってまだ日が浅いにも関わらず,
死ななくていいお年寄りが半ば殺されるようにして命を落とすのを何回も見て来ました。
今,僕がしたいのは老人福祉の構造改革です。
勤め出した時,活法は一緒に働く人間に対してのみしか考えていませんでした。
人の命は尊重されて然るべきだと考えていたからです。
が,現場を見て思いました。
もっと根本的なレベルでの活法を施設の利用者に対して考えねば,
罪の無い方々が何人も殺されると・・・・
老人福祉に関わって最初の勤務先では
施設が老人を殺した(死なせたのではありません)事に対して,
僕が業務改善の稟議を挙げ,1年8ヶ月で解雇されました。
その後の1年1ヶ月は奥さんと子供を抱えて表向き無職,
通常では考えられない形で収入を得て(18禁ネタなので詳細は控えさせて下さい。苦笑),
生活をやりくりしながら再び老人福祉の現場に復帰すべく就職活動し,
(その間は自分がまるで時代劇の傘張り浪人にでもなった気持ちがしました。)
一昨年の10月から今の職場で働いている次第です。
僕は自分が解雇されて生活に困ろうとも,
人の命に関わる事態に直面して為すべきを為さないつもりはありません。
解雇されても斬り殺される訳ではありません。
命あれば何回でもやり直せるからです。
でも,残念ながら殺された方々はもうこの世にはいないし,やり直せる訳でもありません。
僕は活法を為す為に何ができるかこれからも考えていきたいと思っています。
僕も生活が苦しくなる事に対して何も思っていない訳ではないのですが,
その都度僕を奮い立たせる言葉があります。
「主君の気紛れの意志,もしくは妄念邪想のために自己の良心を犠牲にする者に対しては,
武士道は低き評価を与えた。」
「臣が君と意見を異にする場合,彼の取るべき忠義の途はリア王に仕えしケントのごとく,
あらゆる手段をつくして君の非を正すにあった。
容れられざる時は,主君をして欲するがままに我を処置せしめよ。」
「武士道」/新渡戸稲造著/矢内原忠雄訳/岩波文庫/第9章「忠義」より
生活よりも自分の信条や生き方を優先する僕は恐らく現代の夫,父親としては失格です。
奥さんには三行半を付きつけられるのもやむなし(嫌だけど・・・・苦笑)
と思っている事も言ってあります。
それでも僕は活法に生きたく思っています。
(それでも僕の生き方をサポートしてくれる奥さんには深く感謝する次第です。)
今の仕事をするようになって「活殺」をこの眼で確認し,
随分身を以って実感できるようになったと感じています。
亡くなった方は無念でしょうが,現代社会において「活殺」を実感できると云う事は
僕は武道を志す者として非常に恵まれていると思います。
目指すものは果てしなく遠いですが,まず死ななくて済む方が死なずに済むと云う
当たり前の福祉を実現し,今後とも「活法」を求めていきたいと思っています。
その為には人の魂を人とも思わぬ気を斬り倒す事も辞さないつもりです。
“人”でfなしに“気”としたところがポイントのつもりです。(笑)
こう云う父親なので4歳になる息子の名前は
「志道(しどう)」
です。(笑)
読み方はそのままなんですけど,変わった名前なので初対面の方に読み方をよく聞かれます。
to らぐらさん
>私と同じ歳ですね。
>おじさんビギナー同士、楽しく、方の力を抜いて剣の道を歩んでいきましょう。
32歳はまだまだおじさんではないですよ!!
僕らは「永遠の青年」って事で行こうではありませんか!(爆)
こう云う表現自体がおじさんですね。(笑)
性分なんで肩の力が抜けるか判りませんが,だからこそ力を抜いて自然体でいきたいです。
お互い頑張りましょうね!!
to Hideさん
>「剣道だけが」というつもりはありませんが、少なくとも剣道はそうした「礼節」
>を学ばせるには格好の教材であることは間違いないと思います(^^)
同感です!
社会に出て,仕事で接する人達に対して自然に敬意を抱ける自分に気付いた時に
剣道で学んだ事が身に付いていると実感しました。
お名前: Hide.
to らぐらさん
>私自身、中2から剣道を始めて、高校で剣道精神を学び、それまでいわゆる「不
>良」だった自分に礼の尊さを教えてもらった経験があり、以来、前述したような
>事を念頭に起き、修行しております。
>剣の道を志す若い方にも判っていただきたく、指導してきたつもりです。
素晴らしいお心がけですね(^^)
私も数多くの青少年を見ておりますが、少なくとも剣道を学ぶ子供たちに「ワル」
はおりません。個性的な子は少なくありませんが、みんな「話せばわかる」子供た
ちばかりですよねヽ(^.^)ノ
「剣道だけが」というつもりはありませんが、少なくとも剣道はそうした「礼節」
を学ばせるには格好の教材であることは間違いないと思います(^^)
お名前: らぐら
toイザーク・キア・タージ さん
>殊,らぐらさんの解釈やご意見には深く深く共感した次第です!!
ありがとうございます。
私自身、中2から剣道を始めて、高校で剣道精神を学び、それまでいわゆる「不良」だった
自分に礼の尊さを教えてもらった経験があり、以来、前述したような事を念頭に起き、修
行しております。
剣の道を志す若い方にも判っていただきたく、指導してきたつもりです。
若輩ゆえにほかの先生方と意見がぶつかる事もありましたが、私の意見に賛同していただ
ける方がいて光栄に思います。
そろそろ剣を手にした剣道も始めたいのですが、中々うまくいきませんねぇ。
ps.
>5歳から27年間,剣道は何かしらの形でずっと僕の根本に...
と、いう事はイザーク・キア・タージ さんは現在32才ですか?...私と同じ歳ですね。
おじさんビギナー同士、楽しく、方の力を抜いて剣の道を歩んでいきましょう。
お名前: Hide.
to Fのすけさん
>いちに会の部屋の、「あけましておめでとうございまず」
>(下のほう)の、AFさんのコメント、最高ですよ。
>わたしは、あの一文で心も温まりました。
そうですね、剣道には様々な関わりあい方をしていらっしゃる方や、関わりたくて
も出来ない方もたくさんいらっしゃる。その人達のすべてに対する暖かいメッセー
ジでしたヽ(^.^)ノ
広い心をもって剣道の現状と将来を見つめていきたいですね(^^)
to イザーク・キア・タージさん
あなたが心の底から武道を愛し追及していらっしゃるのだということが、俊光君へ
の態度から読み取れました。ありがとうございますm(_ _)m
>今は剣道で学んだものを胸に秘めて,今のままで頑張ろうと思います。
了解いたしました。
私達はいつでも、イザーク・キア・タージさんがこちらにいらしてくださることを
お待ちしておりますし、いつかは再び竹刀を握って我々とともに剣を交える日が来
ることを期待しております。
ご自身の修行の成果をぜひぜひ発表しにやってきてくださいヽ(^.^)ノ
お名前: イザーク・キア・タージ
皆さん,ありがとうございました。
このような解釈論的な投稿にお付き合いいただき,痛く感激しています!
目から鱗が出るような解釈やご意見の数々・・・・
殊,らぐらさんの解釈やご意見には深く深く共感した次第です!!
稽古していなくても,競技者や指導者でなくとも,
理合の応用で剣道されている方もいらっしゃると云う事ですよね。
様々なフィールドで剣道されている方がいらっしゃると。
竹刀こそ握っていないとは言え,僕もその1人なのかもしれませんね。
相対さねばならないものが限りなく大きい故に,
今再び防具をつけて竹刀を振ると云う訳にはいかないですが,
今は剣道で学んだものを胸に秘めて,今のままで頑張ろうと思います。
僕は他人がどう云う形で剣道をしても,
それが他人に迷惑をかけるようなものでもなければ否定する訳ではないのです。
ただ,僕自身が「修行」として取り組むだけしかできないだけの話なのです。
(その点,僕の取り組み方とヨシキさんの剣道に対する見解は同じであると思います。)
俊光さん,きついものの言い様になってしまってすみません。
5歳から27年間,剣道は何かしらの形でずっと僕の根本に使いところで
関わってきたものなので,どうしても譲れない事,軽く流せない事だらけなのです。
普段はただのスケベな酒呑みなんですけどね・・・・
この武道馬鹿を許して下さいね。
それと,剣道,頑張って下さい!!
最後に皆さん,重ね重ねありがとうございました!!
お名前: Fのすけ
いやあ、幼少から武道一筋であられたのですね。
それですと絶対に、剣道界に居て欲しいご仁です。
しかし、大変ですなあ・・
「剣道を続ける際の、家族の納得のさせ方」というトピでも
たち上げようかな。
いちに会の部屋の、「あけましておめでとうございまず」
(下のほう)の、AFさんのコメント、最高ですよ。
わたしは、あの一文で心も温まりました。
お名前: Hide.
to イザーク・キア・タージさん
>稽古を通じて人を活性化させるのであれば,何も「剣」である必要もありません。
>人の限りある生ですから,現代社会においてその存在すら定かでない
>「活人剣」を求めるよりも,僕はより貪欲に「活法」を目指したくなったのです。
ハイ、それでよろしいのだと思いますよ(^^)
私達は「たまたま」剣道なんです。その中に、様々なものを見いだし、それが自分
にとっての「活法」になっている・・・と考えているわけですヽ(^.^)ノ
「剣道こそ唯一」とか「剣道は他のスポーツより」なんて言うつもりはさらさらあ
りません。信じて一生懸命取り組むこと・・・まさに「宗教」に近いかもしれませ
んね(笑)
>テレビでオリンピックや全国大会を見ている内に,今実際に稽古している方々が
>何を考えて稽古されているのか知りたくなって,投稿させていただきました。
少しはお役に立てましたでしょうか?
イザーク・キア・タージさんにおかれましても、ご自身の求める「活法」をますま
す追及していかれますことをご祈念申し上げます(^_-)〜☆
>お返事をいただけるならば,文章をよく読んだ上でしていただければと思います。
俊光君は中学2年生ですから、イザーク・キア・タージさんを笑うつもりなんかな
かったと思いますよ。彼の素朴な感想だったはずです。そうおっしゃらずに文脈か
ら類推して受け流してあげてください(^^)
to 俊光君
>そうですよ剣道に限った事じゃないんですからね
>世の中色々 無駄で意味のない事も多いと思います。
そう、剣道なんてうまくなっても、現代社会ではたいした意味を持ちません。で
も、その中に、人生に通じる何か有益なものを見いだしているからこそ続けている
わけです。まったく意味のないことだったら、こんなにたくさんの剣道人口はあり
得ません。しかし、このままでいいとも思えません。
イザーク・キア・タージさんのように、剣道に意味を見いだせなくなっておやめに
なる方もいらっしゃる現実を良くふまえて、21世紀に生き残れる剣道を模索して
いくことが、これからの我々には必要なことだと思いますヽ(^.^)ノ
to ヨシキさん
>形骸化がとかく悪く言われがちですが、形骸化したからこそ、
>卑怯な技などを戒め、正しい心を育むことができるという部分も
>あるのでないかと思います。
そうですね、もし触れれば血が飛び散り激痛をともなうような競技であったら、よ
り殺伐として「修業」だなんて言って気軽に様々な年代の人が取り組めませんね。
「武術」としての意味は持たないかもしれませんが、生きていく道(みち)として
の「道(どう)」の側面は健在というかより明確になりつつあるのではないでしょ
うかヽ(^.^)ノ
to らぐらさん
>なぜ、そう言い切れるかと言いますと、私の自論として、竹刀を持ってお相手と
>対峙しなくても剣道は出来ると言う事です。
>剣道修得の心得にある、「礼節を尊び、信義を重んじ、誠を尽くして...」の下り
>などは実社会や、実生活に於いて、得に必要な事であり、竹刀を持たなければ礼
>節を正す事が出来ないのならば、剣道をやる意味など無いと思います。
まったくおっしゃる通りと考えますヽ(^.^)ノ
私の師匠の渡辺敏雄は「剣理精通」と教えてくださいました。剣道で学ぶことので
きるものはすべての実生活に通じている、という意味です。私も子供たちに、「剣
道の場だけでキチンと出来ても、なんの役にも立たない。家庭でも学校でも同じよ
うにできて始めて『自分のものになった』というんだ」と常日ごろから話しており
ます(^^)
>しかし、だからといって、剣道の"道"の部分まで否定してしまうのはどうかと思
>います。
私もご意見に賛同いたします(^^)
お名前: らぐら
皆様、明けましておめでとうございます。
イザーク・キア・タージさん、はじめまして、
現在、試合、稽古から遠ざかって、5年のらぐらと申します。
皆様の書き込みを興味深く拝見させて頂きました。
現在、私は5年もの間、稽古もしていませんが、自称剣道家です。
なぜ、そう言い切れるかと言いますと、私の自論として、竹刀を持ってお相手と対峙しな
くても剣道は出来ると言う事です。
剣道修得の心得にある、「礼節を尊び、信義を重んじ、誠を尽くして...」の下りなどは
実社会や、実生活に於いて、得に必要な事であり、竹刀を持たなければ礼節を正す事が出
来ないのならば、剣道をやる意味など無いと思います。
地元で、剣道活動を行っていた時に、子供達を教えていた事があり、残心を子供に理解さ
せる為、「外から帰ってきて、玄関に靴を脱ぎっぱなしにしておくとお母さんに叱られる
から、お母さんに叱られないようにする為に靴は揃えておくように。」と、表現を変えた
り、特に剣道精神について教えてきました。
父兄の方から、「最近、家の子供も礼儀が正しくなった」と言われると嬉しいものです。
確かに現代社会に於いて、剣道の技は必要ありませんが、例えば、返し技一つとっても、
その理合は竹刀の変わりに言葉を使えば、十分ビジネス社会に応用出来ると思います。
剣の理法の修練による人間形成の道であり、剣理そのものが人間形成の道ではありません。
剣理は、あくまでも人間形成の為の一つの手段であり、剣による技や理合はあまり重要
では無いと私は考えます。
修練した技(反射)は稽古場や試合の場で、同じ条件、同じ目的で集うもの達を相手に
試せば良い事だと考えます。
少し、反論的な物言いになってしまいましたが、イザーク・キア・タージ さんが仰った、
>人として生きていく上で剣を介す必然性を感じなくなり,
は現代社会に於いて、ひどく当たり前の事だと思います。しかし、だからといって、剣道
の"道"の部分まで否定してしまうのはどうかと思います。
"道"があるから一般のスポーツと一線を隔しているわけですし、"道"の大切さは竹刀競技
(私は、この頃の事は深く調べていないのですが、)の時に十分知らされたと聞いています。
技に進歩が無いのは、先人の修練の賜物であり、それはそれで尊いものだと思うのですが...。
長々と生意気な事を言いましたが、素直に思った事を書かせて頂きました。
お名前: ヨシキ
URL
イザーク・キア・タージさん、はじめまして。
私は剣道というのは「修行」であると考えています。
つまりは己を向上させることに主眼がおかれているのだと思います。
(違った主旨でやっておられる方を否定するわけではありませんが)
もちろん野球やサッカーなどのスポーツでも、一生懸命うちこんでいけば
己の向上に役立つわけですから、剣道と同等の効果が得られるかもしれません。
ただ、剣道は奥深い理合の世界が存在し、礼節を重んじ、
そして長く続けられるものですから、修行という観点で見たときに、
他のスポーツ、武道などに比べて秀でていると私は思います。
剣道は「練習」と言わずに「稽古」と言います。
「練習」というと、何かのための準備、という感じですが、
剣道で「練習」という言葉を用いないということは、
剣道は試合や審査、実戦のための準備ではなく、
稽古をする事自体が本質である、と言っているのだと私は解釈しています。
形骸化がとかく悪く言われがちですが、形骸化したからこそ、
卑怯な技などを戒め、正しい心を育むことができるという部分も
あるのでないかと思います。
若輩者のたわごとですが、このような考え方の人間もいることを
知っていただきたくて書き込みいたしました。
お名前: イザーク・キア・タージ
>俊光さん
>たとえ技術が有っても斬っちゃったら警察に捕まっちゃいますよ(笑
>そうですよ剣道に限った事じゃないんですからね
僕が問題にしているのはあなたが笑うような事です。
そして,武道的な考えを自分の根底において生活する反面,
経済的な部分で家族に犠牲を強いていると同時に
時間的な余裕もない為,剣道を再開するつもりも今の所ありません。
武道としての意味合いが形骸化してしまったと思われるものを
自分の納得もいかないまま始めるつもりもありません。
家族等の背景的な事はともかく,自分の剣道に関しての疑問や想い,
辞めた理由等明示したのですから,
お返事をいただけるならば,文章をよく読んだ上でしていただければと思います。
お返事をいただいておいてこう云う言い方は非常に申し訳無いですが,
真剣に書いた物を笑われるとは極めて心外ですし,遺憾です。
お名前: 俊光
初めまして
剣道はじめて1年ぐらいしかたってない
まったくの無知な者ですが
>真剣を手にしようとも恐らくは人を斬り得る事のできない技術体系
たとえ技術が有っても斬っちゃったら警察に捕まっちゃいますよ(笑
>何も剣道に限った事ではないのですが・・・・
そうですよ剣道に限った事じゃないんですからね
世の中色々 無駄で意味のない事も多いと思います。
イングラムさんが言ったみたいに
もう1度剣道をやってみてたらどうでしょうか?
彼方が考えていることも
浮かぶやもしれませんよ^^;
お名前: イザーク・キア・タージ
僕の投稿を読んで下さった方は感じられているかもしれませんが,
僕は武道を大切に思っております。
僕は5歳から剣道を始め,学校で四則計算を教わる前から
「活法・殺法」などと云う言葉を聞かされて育ちました。
特に僕を捉えたのは「活人剣」と云う言葉でした。
「人を生かす剣とは何ぞや」
稽古をしていればいつかそれに辿り着けると信じて稽古してきました。
稽古で怪我をするといつもお世話になっていた柔道の接骨院の先生がいらしたのですが,
ふと気付けば,目の前には柔道における活法の在り方の1つがあるではないですか!
そこで考えたのです。
僕が目指すべきは「活人剣」ではなく「活法」ではないかと。
他に目を向ければ,空手も,柔道も,暴漢等から人を守る事ができます。
物を手にする技術で言えば,武道とは少し違うと思いますが,
逮捕術の方がより実戦向きだと思います。
稽古を通じて人を活性化させるのであれば,何も「剣」である必要もありません。
人の限りある生ですから,現代社会においてその存在すら定かでない
「活人剣」を求めるよりも,僕はより貪欲に「活法」を目指したくなったのです。
僕は「剣道」における“剣”,「武道」における“武”を力の象徴として解釈しました。
実際の社会性活における力は“権”“金”“智”・・・・色々あると思います。
これらのモノは昔の剣同様,現代社会においては使い方次第で
人を滅ぼす事も,活かす事もできます。
僕は試合上での競技としての勝敗でなく,
様々な力が交錯する実生活での真剣勝負の勝敗を決したくなったのです。
剣道は好きですが,数年前まで自分の根本に関わるものとして
続けてきたものを趣味でする事は今の僕にはできません。
が,その精神を心に抱いたまま社会生活に臨み,「活法」を目指す事はできます。
剣道の稽古をしなくなったとは言え,僕の心は剣道をしていた時のままです。
そして,初心を忘れぬよう,僕は制服のポケットに
「武士道」(新渡戸稲造著)を入れて仕事をしています。
稽古しなくとも,僕の精神は武道を志す方々と共にあると信じています。
すみません。
テレビでオリンピックや全国大会を見ている内に,今実際に稽古している方々が
何を考えて稽古されているのか知りたくなって,投稿させていただきました。
Fのすけさん,イングラム二号機さん,kenshiさん,Hideさん,
僕の投稿にお付き合いいただき,ありがとうございました!
お名前: Hide.
イザーク・キア・タージさん、はじめまして! 管理人のHide.と申します。もう、
35年も剣道やってます(笑)
私にとって剣道は生き甲斐ですね。そして、考え方や行動の規範そのものも、その
原点に剣道があります。いわば、私自身の背骨のようなものでしょうか。これしか
取り柄のない私にとりましては、剣道こそ自分が自分であり続けるためになくては
ならないもの・・・ってな位置づけです。まさに、宗教であり哲学であるっていう
ところでしょうか(^^)
技術は、たしかにたいして役に立つものではありませんね(^^;
まぁ、私も常日ごろから、「剣道なんてうまくなっても役に立たない。大切なのは
剣道をどう日常生活に善用するかだ」と話しておりますが、やはり上達するからに
はそれなりの技術や理合の勉強が必要であり、その過程で得られる試合での勝利、
昇段、多くの方とのお稽古・・・なんていうものが、自分自身に与えてくれる学び
と人とのご縁を感謝できる心が、また、技術的な修練への動機づけになっているの
ではないでしょうかヽ(^.^)ノ
難しいがゆえに努力し甲斐がある。そして、老若男女同じフィールドで出来るから
こそやりがいがある。歳をとって体力が衰えても、まだ、上達することが出来る。
刀での斬り合いに役に立たないからこそ、楽しんで取り組むことが出来る。そんな
感じなんじゃないですかねぇ(^_-)〜☆
お名前: kenshi
Fのすけさん、イングラム二号機さん、こんにちは。
お二人の意見、素晴らしいですね。
そうですよね、理由なんか深く考えずとも、好きで楽しい、ということが大切ですね。
剣道が人格形成に役たつとか、何とか、勿論、深いところでは色々有るんでしょうけど
人格形成とか言った難しいことも、剣道以外でもできるんですよね。
でも、敢えて、なぜ、剣道を選んだの?なぜ子供に剣道をやらせたいの?と考えてみる
と、私の場合、単に、かっこいいから、というのも本音ですね。
いざーくさんも、実は、剣道や武道を愛しすぎて、難しく考えすぎているのかも。
かっこいいじゃないですか、剣道は。ちょっとしんどくて、臭くなるけど。
かっこよくなれるんなら、十分役に立っているととも言えるような気がします。そう
思っている人には。それに、居合いのために刀を手にすると
やっぱり、ゾクゾクしますよ。別に人を斬ろうなどとは思いませんが、素朴に、刀の
神々しさにふれると、なんか心が洗われます。一種の”おたく”だという開き直り
も必要かもな。冷静になると。
あと、警察では、一応、悪者と戦うために役に立つ武道として、剣道をやっているのが
建前ですよね。現代でも、そう言う意味では役に立つ武道という理屈もあるのではない
ですか?決して、現代では役に立たなくなったものとは言えないのではないでしょか。
どうなんでしょうか?
お名前: イングラム二号機
難しいお題のようですが、チョット書かせていただきましょう。
イザーク・キア・タージさんはじめまして。Fのすけさんお久しぶり&明けましておめでとうござ
います。
イザークさんは以前剣道やってらっしゃたんですよネ? その頃はどう思っていらっしゃったの
でしょうか? 必要だからやる、不必要だからやらないというのでは今の世の中ヤル事なくなっ
ちゃいますよ。なんたって今こうしてネット上でダベっている事も「人として生きていく上」で
は不必要ですからね。
今剣道やってる「普通一般」(ココ重要!)の人たちは必要性を感じてやっているわけではナイ
でしょう。その中に何かの価値観を見出したか、もしくは好きだという嗜好だと思います。
私の場合は、
1.道場の持つ独特の雰囲気がスキ
2.剣道する時の格好がスキ(笑)
3.運動不足解消の為
4.ストレス発散の為
5.人付き合いを増やして自分の世界を広げるため(ネット上含む)
といったところで、必要性&必然性なんか全然感じてませんけどそれなりにやってます。
イザークさんもチョット発想の転換をしてみてはいかがですか? 自分なりの価値観を見出す
為にもう一度やってみるのもいいんじゃないですか? 久しぶりにやるとまた新たな発見があ
るかもしれないですよ。
言い遅れましたが、私もFのすけさんと同じく再開組の一人です。
お名前: Fのすけ
イザークさん、こんばんは。 貴殿ほど剣道をよく知らない
「自称愛好家」の再開組です。どうぞよろしく。
おっしゃること、よくわかりますよ。二つの問題があると
思うのですが、一) 竹刀剣道の技術で日本刀が振れないこと
二) 日本刀が振れても、実生活で出番がないこと 、です。
いったい、なにをやってんでしょうか、わたし達は・・
剣道をすることそのものの価値については、いくらでも論じる
ことができるでしょうが、刀(竹刀)の扱いを覚えてどうする、
ということに限定された場合、わたしはお手上げです。また、日本
民族のなにか伝承者と「う自覚も、わたしにはないですね。
ただ、こんな事なら言えます。以前、ラジオのドイツ語講座
を半年聴いていたのですが、オーストリア人の女性講師の
プロフィールに、「趣味はチェロを弾くこと」とありました。
これを読んで、おお、オーストリア人で趣味がチェロとは、
他国の人間からみて、何ともわかりやすい趣味だな、と感
じて、半ばウケ狙いで自分も真似てみたいと思ったものです。
たとえそのチェロが素人の域を越えなくても、なにか自国の文化を
愛する人というのは、すがすがしいものです。というわけで、
剣道も好きな人は、下手でも、剣道をしない人より剣道がわか
ってなくても、許していただければ、肩の荷がおりるので
すが・・
お名前: イザーク・キア・タージ
初めまして。
数年前に人として生きていく上で剣を介す必然性を感じなくなり,剣道を辞めた者です。
帯刀が法律で著しく規制されている現代社会,
真剣を手にしようとも恐らくは人を斬り得る事のできない技術体系,
現代社会において,剣道を志されている方は,剣道の技術体系や
「剣」そのものの位置付けについてどのように考えられているのか伺いたいのですが,
ご意見いただけないでしょうか?
確かに「現代剣道」は厳しいものの,実に愉しいスポーツである事は
自分もしていたので容易に理解する事はできますが,
武道としての意味合いが形骸化してしまったように思えるのですが。
何も剣道に限った事ではないのですが・・・・
このテーマについての発言をどうぞ。
※半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る