記事タイトル:実践の打ちと切れる打ちについて 


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お名前: しーやん   
得物の違いが理の違いとかそういうところを問題に問うのではありません。
そんなことよりももっと大事なことがあります。

昔の先生の話ばかり持ち出すのもどうかとは思いますが、
かつては現代剣道では有り得ないような自由自在の剣捌きというものが存在していた。
だから昔の先生の本を読むと、そんなことができるのか?とにわかに信じ難い
技が遣われていたと書かれています。

しかしいつしか剣道は「良い技」「美しい技」とは?というよりは「心のあり方」
の方に求める方向が移ってしまい、如何に相手の心を崩して打つかというところ
が重視され始めた。従って、技というものはむしろ無駄なものであって、
相手の心を崩して、打ち方はともかくポンと打ってやればそれでよしという方向に
変わった訳です。
今ではそれも根底から崩れて、打った打たれたの現象面にのみ囚われてきているから、
当てっこと揶揄されるのです。

じゃあ、何で技が消滅したのか?これは得物の問題よりも、後世の人間の努力不足
が原因でしょう。名人と呼ばれる先生の技を見よう見まねでは自分たちが習得
できないから、技を使う剣道にならなくなってきた訳で、心の問題にしても、
やれ気構えがどうだとか品位がどうだとか品格がどうだとか問うても、
一般の旦那芸の我々駄剣士には簡単に理解できるものではない。
もっともも、昔の名人も、名人が名人たるゆえんであるからには自分の技を教えるこ
となどしなかったということもありますが、余りにも後世の人間がサボっていたと
言わざるを得ないでしょう。
ですから、あれが遣いにくいから、打ちにくいからと得物の文句を言う前にまず
我々はもっと努力をしなければならないんです。

何もしないで論じるだけではまるで本末転倒なのですから。
[2006/12/04 00:22:10]

お名前: tomo   
To.しーやんさん

確かに、手の内などの微妙な部分は自分で振って自分の手の内を会得する以外にないと思います。
どのように振り下ろせば「斬れる」ようになるのか。これを見極められる方も大変少ないと思います。

確かにしーやんさんが引用されている高段者の先生のように、得物の違いで理合まで違ってしまっている事が問題ですね。
[2006/12/03 04:04:38]

お名前: しーやん   
tomoさんこの際だからトコトン議論しますか・・・。

竹刀は三尺九寸、刀が三尺三寸五分。柄の長さはそれぞれ33センチ、27センチ位ですか。

5センチも竹刀のほうが長いがそれは前長に応じた長さ。
当然、それを使うためには手の内のバランスというものが重要となってきます。
昔の先生はこれを色んな表現を使って伝え残してきましたが、残念ながら正しくは
伝わっていませんし、我々もそんなものは分かりません。
しかし昔の名人と呼ばれる先生はそれができていたのだから、我々は研究不足
及び修業不足ということになりますね。

試しに竹刀で柄を短くすれば、当然のことながら強い打ちはできない。
かといって長くすれば飛び込んで打つことができなくなる訳です。
何も竹刀の特質が置きにいく打ちを助長している訳でも、右手打ちを助長している
訳でもないのです。

もっとも、刀を扱う居合家に剣道をやらせてみれば分かりますが皆右手が強い打ちばかりやっている。
右手で振るのだからそうなるのは仕方ないですが、刀を使っているから刀の操法が
理解できているかといえばそうではない。
刀を使おうが竹刀を使おうが、最適なバランスの理にかなった手の内というものが
存在する訳で、それができないのは我々の修行不足だということです。

これについては人目につかないところで文献に書き残した大先生がいらっしゃる
らしいですが、では、これを公開した所で正しくできる人間が何人いることか・・・。

理屈はともかくまず稽古。実践あるのみです。
[2006/12/02 21:44:53]

お名前: tomo   
なんか収束しそうな勢いのところ、盛り返してすいません。
打刀と呼ばれる、平時に帯びる刀の定寸は一刀流と新陰流が使っていた刀の定寸が基準だと思います。
ですので江戸時代に定まったと言うのは私も同感です。
ご指摘された長物は槍や薙刀と同様に戦場で振り回すための武具で、平時に帯びる打刀そのもの、
そして打刀の使用が前提になる諸流派から成った剣道とは出所が違う物だと私は思います。
竹刀と刀の振りの違いは私も気付きませんでした。
居合刀を振る時も速さを出そうとして力を入れ、結果的に刃筋が狂ってしまうことがよくありました。

私が柄が長いことを指摘したのは、右手の力を伝え易いと思うからです。
加えて竹刀自体が軽いので右手だけの力で振れてしまうこと。
右手を柄頭に近付ければ左手で大きく振らなければなりません。
恐らく、長物の柄は一様に長いと思います。もっと長ければ槍や薙刀のようになるのでは。
右手の力も使わなければ振り上げることすらできないと思うからです。

軽い打ちでも1本になる判定にも問題があるかもしれませんが、
置くだけの打ちや右手打ちと呼ばれるものを助長する構造ではないかと思って柄を挙げました。
[2006/12/01 00:29:33]

お名前: Hide.    URL
To まるにいさん

少しでも拙サイトがお役に立ちますればうれしく存じます。
そうですね、実際に人を切ることがかなわない以上、「切る」はあくまでもイメージの中
のもので仕方がないと思います。切るを剣道で表現すると「冴え」ってことで、私もいい
のだと思いますよ(^_-)〜☆
[2006/11/30 23:35:28]

お名前: しーやん   
例えば、実践的な面打ちというのであれば明星大学の今福先生の著
「剣道上級者の打ちを身につける方法」を読んでみるのも一つですが、
私はこの理論に意を唱える者です。

上級者の打ちが本当に良い打ちで、皆が参考にすべきならばこの理論は成り立ちますが、必ずしも上級者の打ちは良い打ちとは限らないからです。

この理論は、初心者を早く経験者のレベルにまで到達させてあげたいと言う
理由から生まれたものと理解します。手っ取り早く経験者と同じ打ちを覚えさせる
ことで、早く次の段階に進んで欲しいという願いから生まれたもので、
これとて導入段階としての指導法で、上級者がより良い打ちをする為の
指導法ではありません。

とすれば、試合で使う面が良い面打ちではないことがお分かりになるかと思います。
[2006/11/30 22:11:39]

お名前: まるにい   
 いろいろなご意見、ありがとうございます。

 今まで高段位(八段)の先生方の試合を見た事がありませんので、実際、指導を
受けましても、ほとんど理解できていないと思います。ですが、せっかく剣道を再
開しましたので、自分では生涯剣道を行うようなつもりで稽古を重ねて行きたいと
思っているのですが…。もちろん試合などで勝てればいう事ないですが…。
 
 やはり、刀法と竹刀の操作法は別物という結論に達しました。「切れる打ち」=
冴えのある打突ということで稽古に励みます。
[2006/11/30 22:11:07]

お名前: しーやん   
柄の長さはあまり関係がないです。そもそも刀の長さが今の三尺六寸に収まったのも
江戸時代くらいからではないでしょうか?それまでは様々な長さの刀があった訳ですし、それこそ源平合戦の頃に使われていた刀は当時の平均身長より長いものもある訳で、柄の長さも然り。愛媛・大山紙神社の国宝館に行ってみればよく分かりますよ。

問題は、上げ下ろしの間の隙を利用して技を成立させるということにあり、
きっちり上げて振らないと打てないようにすることが必要だということを
岡田氏は説いているのです。決して刀そのものに竹刀をしろといっている訳では
ありません。

もっとも、ある人物から聞いた話では、「竹刀では下ろすときに逆に力が要る。
刀のようにスーッと下りてくれない。」と言っており、刀と竹刀とでは操法が
異なるということを示しています。
どこが違うか?それは下筋の使い方でしょう。
きっちり振って、打つためには竹刀の場合下筋の使い方が重要になる。
刀だと下ろすのは重さを利用して、止めるのに力を使うので、手首の力が
重要になる。
ポーンと打つ打ち方では下筋をあまり使わなくても打てるので楽だから、
安易にそっちに流れているわけで、今のようにスピードとタイミングを求めるならば
それでも良いわけですが、それでは剣道の技の成立という部分に面白みや味が
なくなってしまうということなんです。

どっちにしても、今の竹刀では剣先をポーンと放り込んで、相手の面に置きに行く
ような打ち方でも成立してしまうのが問題ということです。

打突部位に竹刀を置きに行く打ち方を嘆いてらっしゃるのは今の高段の先生方も
同じで、今月の剣道時代か剣道日本で4人くらいで会談している先生方のコメントにも
書かれています。
[2006/11/30 20:33:41]

お名前: まる   
冴えのある打ち、あるいは額をかち割る打ちでいいんじゃないでしょうか。
刀で切れるというなら振り方も足捌きも間合いも違ってきてしまいます。

私の場合、手首や竹刀のしなりで打つのでは無く、身体のしなりで打つといいますか、
腰を割って脇をしめて打つようにしてます。
[2006/11/29 22:37:11]

お名前: tomo   
柄が長過ぎるんですよねぇ・・・。
鎬、反り、重さなどより余程問われるべき相違点だと思います。
[2006/11/29 04:28:50]

お名前: しーやん   
刀の操法と竹刀の操法は異なるということは他スレでもやりました。
残念ながらやはり竹刀で切れる打ちをするのは不可能です。
意識的な部分での瞬間的な冴えとか、打ちのキレとかいう部分が現代剣道で言う
「斬れる」打ちと表現されているのだと思います。

本当に「斬れる」打ちにするのであれば、竹刀を刀に近づける以外に方法はない
かと思われます。これについては剣道日本12月号の「一言傾聴」岡田守正先生
へのインタビューを読まれるとより理解が深まると思います。
[2006/11/28 22:23:49]

お名前: Hide.    URL
To まるにいさん

少しでも拙サイトがお役に立ちますればうれしく存じます。
また、DVDでご覧になって、気がついたことなどありましたらこちらにお書きくださいd(^-^)!
[2006/11/25 21:26:59]

お名前: まるにい   
 ありがとうございます。
 購入してみます。
[2006/11/25 10:18:52]

お名前: Hide.    URL
To まるにいさん

ちょうど、「剣道時代」と「剣道日本」が全日本の特集をやってまして、今年は両誌とも
DVDがついています。よかったら、それを購入してスローで再生してみてください。
ご自身がイメージしている「実践的な打ち」が一流選手のそれと同じかどうか検証できる
と思いますが(^_-)〜☆
[2006/11/25 08:01:14]

お名前: まるにい   
 自分のイメージする実践的な打突は、竹刀の鍔元付近に
竹刀の重心を感じるような気持ちで操作しています。
 指導される「切れる打ち」は竹刀の柄頭に重心を感じる
ような打ちかなあと思っています。
[2006/11/24 21:33:14]

お名前: まろ   
自分は、刀と竹刀は別物と考えています。
「斬る」太刀筋と「打つ」太刀筋はまったく別のものです。
私は「打ち砕く」イメージでやっております。

こう考えれば実践的でしょ。
[2006/11/24 19:37:09]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

一流選手の打突は目にも留まらぬ速さですが、スローで見ますとけっこう振りが大きいん
です。私どもも選手を見ますときに、「竹刀が振れてるなぁ」という表現をします(^^)

まるにいさんがおっしゃる「実践的な打突」というのがどのレベルのものかはわかりませ
んが、いい選手の打ちはしっかり振れていてなおかつ早いですから打突力も強いんですよ。
まぁ真剣で「切れる」「切れない」は不明ですがね(^^;
[2006/11/24 07:57:54]

お名前: まるにい   
 稽古の際、実践的な打突を繰り出すと、高段位の先生から、それでは切れない
という、指導を戴きます。
 いろいろ考えてきた結果、個人的な結論は、実践の打突は、早いが、真剣では切れない。切れる打ちとは、モーションの大きい打ち。でも実践的でない。と思います。
 皆さんの意見を聴かせて下さい。
[2006/11/23 23:43:01]

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