記事タイトル:日本武道としての剣道 


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お名前: Hide.    URL
To 黒山三滝さん

>近年の剣道では刃筋の意識が薄れつつある気運が見られます。型の評価が
>高まりつつあります

おっしゃるとおりです。
電脳剣士稽古会でも「剣道形の会」という催しを行ない、相互に形を稽古しあったり、ま
た、古流を修行されておられる方や、なぎなた・合気道・居合いなど他流の方にも演武を
ご披露願い「形に親しむ」ことを目的としております(^^)

しない剣道を学ぶ人が、もっと形稽古の面白さに目覚めてくれるといいのですがねヽ(^.^)ノ
[2003/11/08 07:42:47]

お名前: 黒山三滝   
剣道の元祖といえる千葉周作は北辰一刀流の開祖であるとともに
竹刀剣道の稽古法を確立した人です。彼は型と竹刀剣道は相互補完的な関係に
あると言って双方に必要な要素を持っていると指摘しています。

また、伝書でも初学須知と剣道諸流評論ではそれぞれの長所と欠点を指摘して
どちらも重要性があることをそれぞれ書いています。

近年の剣道では刃筋の意識が薄れつつある気運が見られます。型の評価が
高まりつつあります。
[2003/11/07 21:13:57]

お名前: Hide.    URL
>そして最終的に今度,実験的に竹刀で素面,素小手打突部位は,顔面と金的以外すべ
>てあり,つばぜり合いになったら投げもありというルールでやってみることにしました。

アハハ、実は私も昔、若さに任せてある方とそういう立会いをしたことがあります(^^;
私の場合は、私が「小野派一刀流を学ぶことは竹刀剣道にも大きな学びになった」と発言
したことがきっかけでしたが・・・。
竹刀剣道と居合ともに7段の方と、私は竹刀剣道5段で小野派一刀流は8年程度の経験で
したが、私の圧勝に終わりました。もっとも、竹刀剣道のうまさが私のほうが断然上だっ
たせいと思われますが(苦笑)

おっしゃる通り、技術力よりも精神力の勝負になります。防具をつけないことがこんなに
怖いこととは思ってもみませんでした。いい勉強になるとは思いますが、くれぐれも熱く
なり過ぎないように冷静に戦ってください。

なお、やるからには骨折のひとつぐらいは覚悟しておかなきゃだめですよ。お大事に(^^)
[2003/11/07 08:27:44]

お名前: 通行人   
横からすみません。
『現代剣道は当てっこのスポーツであって本来の武道ではないから勝敗に意味は無い』
と叉『このように体力を使うことはナンセンスであり,体力増強を必要とする稽古
はほんらいの武道からハズレている』
皆様も書かれている通りこれははっきり言っておかしいです。
疲れないなら武道ではないように思えます。
Hide.さんが仰ったように古流剣術と竹刀剣道は表裏一体、「車の両輪」は
身をもって体感しました。
自分は古流剣術ではないですが、居合をやっており、居合をより精進するために、
剣道も始めました。その結果、やはり居合にも大変よい影響が出ました。
話がずれてしまいましたが、一つ思ったことがあります。
『その程度の腕で,よく有段者の方達に教えることができるな!』
先輩方が言ったことはおかしいことですが、剣道をやったことがない方に
いきなり剣道ができなくてもしかたがないのではないでしょうか?
自分の考えですが、日本刀を剣道の速度で振ることはできません。
ですから、剣道で勝つ=真剣でも強いではないと思います。
なので、「その程度の腕で」という言葉には疑問を感じました。
何が言いたいのか分かりにくいかもしれませんが、そういうことです(?)。
もし、自分の状況理解が足りなかったら申し訳ありません。
[2003/11/06 23:00:37]

お名前: SYU   
私の感情からわき起こった疑問に対して,一日でこんなにも皆様からさまざまなご意見を
いただき本当に感謝しています。
 文章で表現するのは,なかなか難しいものでその時の状況を私がもっとその場のイメージが
みなさんに伝わるようにお伝えできれば,良いのでしょうか文章力が無く申し訳ございません。
 同意してくれる内容 批判してくれる内容 ,私にとってはありがたいことです。
思えばいままでこの様な事を議論する場など無かったのでみなさんの意見を伺えることはたすかります。
 私も古流をする者として(くに)さんの意見には基本的に賛成です。
お恥ずかしい事にうちの団体の中で(くに)さんがおっしゃる通りに,自分の稽古の為に真摯に考えてくれればいいのですが,どうもそのようではなく,型を知っていることによって新人が年上であろうが有段者であろうが,高い位置からの物の教え方しかしないのです。
これは技と言うより礼儀のもんだいですね。失礼しました。
しかしあのとき古流の理論をいつも説明している人が,受けることも避けることもできなく,面を抜かれていく姿は,私の心に苦いものがこみあげてきました。理屈では無く,現実を目撃した感情です。その程度なら,先人の教えなど口にしないでくれと正直憤りを感じました。
 
話のづづきがありまして,賛同してくれた人達とやはりルールの問題で議論しました。
(くに)さんと同じ内容の事がでました。そして最終的に今度,実験的に竹刀で素面,素小手
打突部位は,顔面と金的以外すべてあり,つばぜり合いになったら投げもありというルールで
やってみることにしました。 もちろん軽い打ちは一本になりません。怪我は自分持ちです。
 その稽古をやることを決めてから,少し時間が経ち,よくよく考えてみるとこれは容易ならざるものだと思えてきました。習ったものをすべて出さないといい試合ができないです。
わざよりも精神の方が重要であることが,改めて気付きました。よって松風の事 萩の事 露の月影の事 など流派に伝わる心構えをまもってチャレンジしてみたいと思います。

 こんな事を書くと野蛮な人間と思われるかもしれませんが,現代剣道と古流を一緒にするためにはどうしたらよいか?という問題をみんなで議論して最終的に出た結論なのです。よってみんなが試合や強者至上主義と言うわけではなく,自分の剣道の修業のために行うことになりました。
 しかし実際に実行に移るきっかけになったのは,先生の一言でした。『幕末にはみんな両方を稽古してたんだよね』 そうです,その通りです。150年前は理屈を考えずに体を動かして両方稽古していたんですよね。なんで150年後に分けるのかと考えた時に実行にうつす決心をしました。そしてこれをやる事でそれぞれ何かを掴み,視野を広げる事ができると信じました。
結果はまたご連絡したいと思います。

 
    
[2003/11/06 15:13:37]

お名前: くに   
syuさんはじめまして。
私は浅い剣歴ながら剣道を中心に古流も勉強させていただいている者です。
古流と形或は剣道に関しては、こちらの掲示板でも何度か論議された事で、過去トピを見直すと疑問に対する
回答が出てくるかも知れませんしHideさんがお書きになったもので充分とお考えかも知れませんが、古くて新しい問題として
また話すのも悪い事ではないのかも知れないと思い、意見を書かせていただきます。

私は、古流と現代剣道とは必ずしもイコールであるとは思っていません。
ご存知の通り江戸時代に防具が発明されてから剣術は変わりました。
それまで寸止めだったものが実際に打ち合えるようになり、形に頼らず技を伝える事が出来るようになったわけです。
これは朗報でありましたが、同時に決まった打突部位以外打てない(突けない)という事になって、
竹刀を使った剣道を剣術の中でも特殊なものにしてしまったように思います。

古流にはmasaさんもお書きになっているように防具に守られた部位以外の場所を攻撃するものがまま見られます。
居合でも初発刀では相手の目或はまぶたを切り、視力を奪う事を第一に考えていると聞きました。
もし実際に刀を持って斬り合いになった場合、右小手・面・胴・喉しか狙わないという自らの手足を縛るような事は
誰もしないのではないでしょうか?
足を切られようが二の腕を切られようが腹を刺されようが、戦闘能力を奪うという点では十分に効果的だと思うからです。
だから或る面で古流の方が実戦的なのかも知れません。

形はお互いに決まった動作をします。
決めごとでやっていますから、合気でやる事が多く、合気を外して打つような事をする剣道と違って、実戦で使えるのか
疑問を持たれる事もあるでしょう。
高段者の先生が、「初心者を相手にすると全く予期せぬ動作をするので打たれてしまう事がある」と
おっしゃっているのを聞く事がありますが、実戦で型どおりの動きをしてくれるのかどうか、いかに理合いを説明しても
その通り行くとは限らないということもあるでしょう。
ただ、流派によっては口伝・奥伝で変化に対する技を教えているということがあるそうですし、そうそう短絡的に
結論を出すような事ではないようです。そこまで知らずに批判をするのは、勉強不足というものでしょう。

syuさんの先輩が果たしてどんな言い方をされたのか…。
悔し紛れに感情の発露として口に出しただけで、内心は感嘆していたのかも知れませんし、その場にいなかった
私にはわかりませんが、決まった打突部位しか打てない、或は体力勝負で攻撃してくるという批判にはまったく
根拠が無いとも思えません。
批判は批判として謙虚にお聞きし、お互いを高めあう一助にする事の方が賢明なのでは?と思います。

私の場合、形自体が好きと言う事もありますが、理合いを考えるのも楽しいし古流には剣道に応用できることがたくさん
ある点で勉強になっています。
形は勝ち方のお手本を示しているだけで、いかに身につけ応用するかは学ぶものの側が考える事ではないかとも思っています。

一気に書く時間がなくて思う事を充分に書けませんでしたが、言いたかった事は、お互いに学ぶ気持を忘れずに視野を広げ、
有益な事は身につけていくようにしていって欲しいと言う事です。
またその際に、お相手を攻撃するのではなく尊重するようにして欲しいとも思います。

…言わずもがなの事でしょうが、チョット気になってしまいましたので。
失礼しました(^^;)
[2003/11/06 12:19:30]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

こういっては語弊があるかもしれませんが、古流をおやりになっておられる方の中にはSY
Uさんの先輩方のようにおっしゃる方が少なからずいらっしゃいます。でも、すべて古流
を学ばれている方がそうだとは思っておりません(^^)

むろん、古流を知らずに竹刀振りだけの剣道を学んでいる現代剣道人は、文法を知らずし
て会話だけを習っているに等しい状況でしょう。古流を学ぶことは、先人が命をかけて守
り通した道統の継承であり、その理合は命のやり取りの中から創り上げられ昇華されてき
た「魂の歴史」でもあります。それを現代において伝承していくことは、並大抵のご努力で
はないと拝察いたします(^0^)

でもそうした方々にも、古流剣術と竹刀剣道は表裏一体、「車の両輪」のようなものだと認
識していただきたいですね。どちらが優れているではなく、どちらも剣道の道には不可欠
なはずです。


竹刀剣道を中心になさっておられる方は、とかく形稽古をないがしろにする傾向にありま
す。審査のときにしか日本剣道形を打たない剣道愛好家や専門家がどれくらい多いことか。
「日本剣道方すら満足に打てない」などというのはたいへん嘆かわしいことです(-_-)
「古流を学びなさい」とまでは申しませんが、せめて、日本剣道方の10本ぐらいは、その
理合まで含めてしっかりと打ち切ることができなければ、古流剣術の方々に「あてっこ」
とそしられたとしても反論できないのではありませんか(^^;


SYUさんの先輩のおっしゃりようは独善的過ぎるかもしれませんが、われわれ現代剣道を
学ぶ者は「警鐘」として受け取ることも必要と考えますが(^_-)~☆
[2003/11/06 08:25:35]

お名前: 伏竜   
SYUさんの同僚に一言もの申す!!
なめんじゃねえ!!剣道を何だと思ってんだ!!
剣道は当てっこのスポーツだァ!?っざぁけぇんなあアア!!

俺に竹刀の握り方を教えて下さった先生はよく、
「相手に打ち込む時は、その相手を殺す気で打て」
とおっしゃっていました。なんて危ない人だろう!?と、初めは思いました。
しかしその言葉の真意を知り、
自分はなんて奥の深い世界に足を踏み入れたんだろうと感じた事を覚えています。
「自分が剣道をするときに、一番必要なものは何か?
確かに竹刀も防具も道場も大切である。しかしそれ以上に必要なのは、
受けてくれる相手である。剣道は相手がいて初めて成り立つ。
その相手の頭を叩かせていただくのだから、試合中はもちろん、稽古中も、
相手には全力の打ち込みをしなさい。それを怠ることは最大の無礼と恥と知りなさい」

「そうすることでお互いを高めあう、それこそが武道である」

真剣勝負が終わって、しかも負けたあとで
「剣道は当てっこのスポーツで武道ではないから勝敗に意味は無い」だの、
「体力を使うことはナンセンスであり,体力増強を必要とする稽古はほんらいの武道からハズレている」だの
よくもまあぬけぬけと言えたものだ!!笑止千万!!
仮にも古流剣術の師範なら、「修行しなおさねば!」ぐらい言ってくれ!
価値観は人それぞれですが、あんまりすぎます!!
俺は古流剣術について多くを知りません。
正直、剣道と剣術は別物だと認識していますので完全な融合ってのは難しいかと思います。
でも、元は同じ刀を使うものなんだから、やって出来ないことは無いんじゃないでしょうか?足捌きや体捌きなど共通点も多いのでは?

無知な俺ですが、SYUさん達を応援いたしますよ。
(^^)b
[2003/11/05 23:43:20]

お名前: masa   
タブーってやつですね^^;;ただ一部のところでのみ実用の古流は伝わってるようです。
子供のころね、練習終わったあと、帰るふりして”先生たち”の稽古を覗き見してました。
みつかって、さんざん叱られました。子供のころは叱られ続ける修行みたいな日々だったです
関係ないけどね。古流の中に実用の殺し技とかもあるみたいで、それを伝承してるひとが
SPとか特殊部隊?みたいなひとたちにいろいろ教えるみたいです。剣道はその予備練習じゃ
ないかとおもってまする。少年剣道はその後継者みつけるためもあるみたいです。単なる推測
じゃないですよ〜
オーソドックスなやつをひとつ。剣道の構えからややヒライテ、少しヒザ落とすかんじ。そこ
から踏み込んで、右手の甲でスナップ利かせるように顔をはたきます。目の玉にあたると、
すぐ後が脳なんで、どんなひとでも一瞬うごけない。そのあと・・・以下略。
素手からでもケッコウあったはず。よくしらないんだけどね。武器つかえば、そりゃ・・・ねえ
ケンカとかに使ったら、母親が先生に通報する手はずになってましたから。まともに習って
ないわたしにさえ、それだけ気つかってたんですから、古流はスゴイ威力もってるハズです。
たぶん。
[2003/11/05 17:35:08]

お名前: SYU   
最近疑問に感じていた事がありましたので,みなさんの意見をお伺いできればと思い
書き込みいたしました。
 私は現在社会人で,子供の頃剣道をしておりました。現在はある古流剣術を長年つづけて
おります。
 みなさん古流剣術についてどのように思われているでしょうか?
ご存じのとうり古流は型稽古しかしません。それなりの理由があると思うのですが,それ自体が
悪いとは私も考えておりません。
私が疑問に思うのは,古流をしている人達です,すべての人ががそうだとは言いません。。。。。
 古流では逆に試合がないので,客観的に実力を比べるものがありません。よって型をより多く
知っている人が指導者側に立つ傾向があります。私も長年稽古してきたのでその指導者側に
立つ機会が多いです。
私が疑問に感じている事はその指導者達が稽古中に対して,エラそうに技の理論を言い,
入門者に対して型を指導していることです。入門者の中には剣道の有段者の方々もおります。
その指導をしている姿は,横で見ていて滑稽に思える時もあります。
古流は闘争の時代から伝わっている技や理論や哲学があるので,たしかにすばらしいものがあります。そこでで私はもっと本来の武道を追求するために防具を付けた互角稽古を現代剣道のルールでも行うようにと,その道場で先輩と呼ばれている数名とある日稽古したのです。
わたしも防具をつけての稽古は20年ぶりでした。そこで愕然としたことが起きました。わたしも久しぶりでしたので,いくら経験者といっても強いはずがありません。しかしその先輩連中は
この私と試合をすると,サウンドバック状態になっているのです。型の動きなど何一つできません。みなさんが解りやすいように言うと初心者と初段が試合をしているようなものです。
 稽古が終了したあとわたしはその先輩連中(私の同僚にあたります)をなじりました。
『その程度の腕で,よく有段者の方達に教えることができるな!』と,情けないことに
彼らの言い分は『現代剣道は当てっこのスポーツであって本来の武道ではないから勝敗に意味は無い』と叉『このように体力を使うことはナンセンスであり,体力増強を必要とする稽古はほんらいの武道からハズレている』こんなことを堂々といったのです。
 私は愕然としました。他の古流の団体でもこうなのか,こんな考えで武道を口にする連中が蔓延するようでは,日本の剣道は終焉に向かっているのではないのか?そこまで考え込み,そして落ち込みました。
 
 それから私は古流の型稽古と現代の防具での稽古を共和して練習できるようにしました。
幸いの事に,私の考えに賛同してくれる人が2〜3人程いて一緒に稽古しています。(他の連中は稽古に参加しません)また先生も剣道連盟ができる以前の,まだ剣道がA級,B級と言われている頃から剣道を修行されている方なので,その経験を基に指導を仰ぎ,古流と防具を付けた現代の剣道を融合した稽古方法を模索している最中であります。
 ながながと書いて申し訳ありませんが,自分には結構 ショックな出来事でしたので,ご報告したしだいであります。みなさんのご意見を賜りたいとおもいます。
また古流,現代の剣道には様々なことが言われておりますが,それはとりあえず横に置いておいて,日本の無形文化でもある剣道の将来の為に,相反するものが融合できるような,
なにか意見をお教えいただけないでしょうか。

 
 
[2003/11/05 14:58:39]

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