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お名前: Hide.
to 不動智さん
両方にお書きいただいたんですね。ありがとうございますm(_ _)m
[2001/01/17 09:34:51]
お名前: 不動智
技の稽古(技の使用過程)のなかで、工夫すべきことに『間合』(広義)、『攻め』、『打突の機会』の3つがある。武蔵は、これを鍛錬の『練』(技に磨きをかけていく過程)ということで、約30年かかるとしている。
また、打突までの流れ(時系列)は、諸説あるが、基本的には、『攻め→溜め→崩し→打突』の順となる。
ここでは、要望により『攻め』のみを説明。
@攻めの定義〜『攻め』とは、「相手に、こちらの打つべき機会を起こさせるため、その動きを強いてやらせるためこちらから引き出す動き」をいう。すなわち、こちらは、いつでも打てるし、防御もできる万全の態勢の構えから相手に「問いかけ」るのである。「さあ、あなたはどうしますか。」そうして相手が動こうとする機先を打つのである。(故松本敏夫九段)
@三攻一致論(気剣体一致)
3つの攻め道具〜気の攻め、剣(動作)の攻め、体の攻め
?気攻めは、攻めの根源。気構え(先の気位)と心構え(身構えに対する)の一致。
?動作の攻めは、変刀、打突行為、剣先の攻めの3つがある。
?体の攻めは、左足を伴って相手に肉迫する行為。(打間)
?は、『間合』(狭義)の工夫。『打間』=心の間合=『我より近く、敵より遠く』の理解。一足一刀の間における攻防動作から自分の打間をきっちり取る。
@気の成長過程論(三段階)=攻めの発達過程
【第1段階】 張る気〜ファイト。気張る。
1.付け込みの攻め(剣先で顔の真中を取る攻め、有形の先々の先=剣道形)
↓
2.もっと強い攻め(払い、摺り込み、張り、巻き、押さえ)
↓
3.やわらかい攻め(誘いの攻め=小手の誘い、面の誘い)
(上記過程の中で補足的に習得する攻め)
・下からの攻め(拳攻め=表の鍔元を攻める『一理』柳生新陰流)
・竹刀競技用の攻め(シングル、ダブル・フェイントや誘いの攻めの一種)
・打突行為(気当たり)
【第2段階】 澄む気〜明鏡止水の境地。(武蔵のたどり着いた境地)(見性入理→見性悟道)
1.無色無臭の攻め(相手に意識させない攻め、すなわち、色なしの攻め、無形の先々の先=剣道形)(極小化)
【第3段階】 冴える気〜すべてに、こだわりのない、引っかかりのない、とらわれのない、無心無念の境地。(悟了同未悟=見性了々底)
1.いらっしゃいの攻め(近年、発見、開拓された前人未踏の至極の境地)
(補足)
>@剣道形の先論―「勝機のとらえ方」
太刀の形には、「先々の先」、「後の先」の2つがある。
1)「先々の先」とは、「よみ」による勝機のとらえ方で、太刀の形の1、2、3、5本目などがそうです。これには、「有形の先々の先」、「無形の先々の先」の2つがある。
?前者は、剣先を使って形で攻めて、下がっていく相手を誘う、引っ張り出す攻めで、たとえば、小手に誘って見透かしたように応じたり、面に誘って見透かしたように応じたりと、「応じ技」に用いられたり、あるいは、すり込む、巻く、張る、払う、押さえる、付け込みの攻めなど、「しかけ技」に用いる。
?後者は、「無色無臭の攻め」、別名「にほいの先々の先」、「色なしの攻め」とも呼ばれ、構え=攻めとなった状態、つまり、構え、入り、打ち出しまでの3つが1つになった隙のない状態で、修業が進むにつれ、「有形の先々の先」から「無形の先々の先」へと無形化、極小化ができるようになる。剣道形でいえば、太刀の形の1、2,3、5本目の先の気位で相手に付け込んでいくところや小太刀の1本目にあるように「入身となるを」の「仕種」ではなく、「入身にならんとするを」の「気配」、今にもいくぞ、といわんばかりの気の使い方。
2)「後の先」は、「反射(条件反射)」のことで、太刀の形の4, 6, 7本目。「コマ体」高速で回っているコマをイメージすればよくわかる。何かがあたれば、即座にはね返す。
具体的には、相手から体当たりをもらって引き技を出した。受けられた。相手は、追い込んで技を出してくる。つまり、こちらが下がる、向こうは追い込んでくる。ここにひとつの「中間の攻防」が現れる。そのときに、「後の先」でもって、打てる体でもって身構えから「応じ技」を中心にして、瞬間的に出せるかどうか。これが「後の先」の勉強。
この先論を学ぶときに押さえておくことは、まず「先々の先」で攻めて技を出す、これが失敗する、そうしたときに「後の先」で次に、次に、技をつないでいく、どちらかの技が決まれば、また最初(初太刀の取り)から。最終的には、これらがひとつになることが大事。
>さらにこれがすすむと、攻めたてて打ってくる相手を攻めごと吸引する(吸い込んでしまう)ことで、相手を放心状態(気の抜けた状態)にすることも誰でもできるようになる。
(注意点)
攻めとは、一歩入ることだと勘違いしている人がややもするといる。一歩入ることは、確かに攻めの構成要件の一つではあるけれども、ただ単に相手との距離間隔をちじめる、移動するにすぎない。
>さらに、攻めとは、自分の構えを相手の構えの中に「崩さずに入れる」ことで、相手の心を動かし、4つの打突のポイントを打つ機会を作り出していく打突までの流れの一つに過ぎない。
(結論)
攻めは、修行段階で異なる。特に、若いうちは、試行錯誤し、自分にあったものを身につければ十分。むしろ、それやこれやの攻めを通じて、溜めの技術を正確に身につけることがより大切。
要稽古、要工夫。稽古の中で、思念工夫し、鍛錬すべし。
[2001/01/17 00:14:27]
お名前: Hide.
>「自分の技術」「洞察力」「対応力」この3つの総合力が「攻めの能力」って
>ことで良いですか?
うまいですね。これいただきですヽ(^.^)ノ
技術がないと洞察力があっても対応で来ませんから、まず「はじめに技術ありき」
ですかねぇ。お稽古を積み重ねることによって洞察力と対応力の「引き出し」が
増えてくる・・・。
これに、以前にも出てきました「全人格的圧倒性」が加わるのでしょうか(^^)
どのような絡み方をしてくるかは、その人それぞれの剣道との関わり方によって
違ってくる。よって、「技術力」と「対応力」のセオリーは存在しても、「洞察
力」と「全人格的圧倒性」にはセオリーは存在しないのかもしれません。
うーんやばい。「全人格的圧倒性」なんていうものをひっぱり出してきたら、ま
たちょっと渾沌としてきてしまったぞ(^^;
[2000/12/09 08:48:53]
お名前: IMAING
URL
「孫子」ですね。(^^)
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。敵を知り、己を知らずば〜
剣道、いや武道の根本は兵法ですから相手が分かり、弱いところを攻めて勝つ!
また攻めづらいところを攻めることで自分の稽古になる。
どんな変化にも対応できる気持ちとHide.さんの言われる引出しの種類で
自分を育てると言うものですね。
だから自分の攻めというのは形にしてひとつって事はありえない。
なんかよく分かった気がします。
そういうテーマを毎回持って稽古に挑むのが正しいのでしょうね。
(みなさんは既にされてるのでしょう、失礼しました^_^;)
確かにサッカーのセットプレイやラストパスの出し方なども「イマジネーション」が決め手
ですものね。
「自分の技術」「洞察力」「対応力」この3つの総合力が「攻めの能力」ってことで良いですか?
[2000/12/09 00:59:28]
お名前: Hide.
「本来の自分の攻め」というのは、基本のような形で私の中に明確にあるわけです。
ただ、それも、お相手によって若干変化することはいうまでもありません。
「誰にでも通じる万能な攻め」というものは存在しないのではないでしょうか。お相
手の剣道や性格、心理状態が一定でないのに、固定の方法でしか攻められないとする
ならば、通じるお相手と通じないお相手が出てきて当然。みなさん、「自分の攻めの
スタイル」の中から、お相手によって強調する部分や緩める部分を使い分けているは
ずです。
だから、自分よりも強いお相手や同等のお相手とお稽古をする時も、格下のお相手と
お稽古をする時も、「本来の自分の攻め」をベースにお稽古をすることには変わりあ
りません。故にいつでも「自分の攻め」でお稽古をしているはずです(^^)
格下の相手の場合、自分の攻めが利く部分を察知した段階で(教育上そこを打ち続け
る必要を認めたとき以外は)、そこに対する攻めを放棄します。で、そのお相手の最
も強い部分やこちらから見て打ちにくい部分を「攻め」によって打突することをテー
マとします。お相手も、ご自身の自信のあるところやあまり他の方から打たれないと
ころを攻められ打たれるわけですから、より「心を打たれた」状態になるようです(^^)
>結局は攻めの本質は「どう攻めるか」の方法論ではなく、「相手のレベル(心の中)
>を読む」ことに尽きるのではないかと言う気がしてきます。
そうですね。色々なお相手とお稽古させていただく中から、あるいは、多くの試合や
お稽古を見取り稽古させていただく中から、様々な引き出しが用意されていってその
中に「攻めのデータ」が詰め込まれる。私は、よく高校生の遠征を引率していきます
が、関係校の試合だけではなく他校の試合も日がな一日じーっと眺めております。審
判も、あらゆるレベルの試合を振るよう心がけています。そうした中からも、多くの
学びがあるのです。そのデータが、私の「攻めの引きだし」の中に蓄積されていきま
す(^^)
>そうなると相手の心や技量、体力などを含めた洞察力がもっとも攻めに大切という
>ところまでは言いすぎでしょうか?(^_^;)
お年寄りの先生と対峙したとき、こちらの心や動きをすべて見透かされているように
感じることはありませんか? 剣道の目指す「不老の剣」というのは、まさにその域
なのではないでしょうか。読みが完ぺきになれば、もはやお相手の剣は我が身をかす
ることがなくなるのでしょう。そこに生じた「四戒」をとらえて軽く打突すればいい。
まさに「無理・無駄」のない理想的な剣道と言えるのではないでしょうかヽ(^.^)ノ
[2000/12/07 08:32:42]
お名前: IMAING
URL
あっそうでした(^_^;)
>「虚」は「実」の前提がなければ成り立ちません。したがって、IMAINGさんがおっ
>しゃるような「絶対打たないという条件付の攻めあいっこ稽古」というものが成
>り立つかどうかは疑問です。ご自身でも書かれている通り、「打たれる」という
>「実」をお相手が感じてくれないのなら、「攻め」でもなんでもないわけです。
>「打つ」という前提があってこそ「虚実」が存在するのではないでしょうか?
そうですね、絶対打たれないのに心が動くわけが無いかも
それこそ大きなフェイント的動作で人間の反射神経に訴えるしかないわけで
これは攻めでも何でも無いですね。(^^)
>しかし、「攻め」というものは、どのお相手にも一様に通じるものでないところ
>が、また、難しいのです。これは「打たれる」という意識レベルが、人それぞれ
>で違うためだと思われます。それまでに積み上げてきたお稽古や試合での経験が、
>「打たれる」という経験的積み重ねになっているのでしょう。
これと「ちょっと強く」のお話と重ね合わせると、本来の「自分の攻め」というのは
同等の(又は上位の)レベルの相手にしか出来ないものなのでしょうか?
レベル差があるお相手との稽古ではその時々に応じて「攻めの形」が異なってきますか?
特にHide.さんはそういった稽古が多いと思いますが、すると自分の稽古は
なかなか出来ないような気がしますね。
(でも相手を知る、探ることが稽古になるのかな?)
結局は攻めの本質は「どう攻めるか」の方法論ではなく、「相手のレベル(心の中)を読む」ことに
尽きるのではないかと言う気がしてきます。
(まあ、いろいろな形の「攻め」が出来た後のことでしょうが)
自分の心は動かさず、相手の心を読みそれに対応する部分はもう方程式のようなもの?に
あてはめるだけ。
そうなると相手の心や技量、体力などを含めた洞察力がもっとも攻めに大切というところまでは
言いすぎでしょうか?(^_^;)
[2000/12/06 17:43:24]
お名前: Hide.
to IMAINGさん
これまでの繰り返しになるかもしれませんが、攻めを大別すると、「気攻め」「剣
攻め」「体攻め」と考えることができるでしょうか。これらが単独ではなく組み
合わさったり絡み合ったりして、いわゆる「攻め」というものが形作られている
と見るのがいいのではないでしょうか。
「虚実」と「色」と「誘い」の関係は微妙です。
「虚」は「実」の前提がなければ成り立ちません。したがって、IMAINGさんがおっ
しゃるような「絶対打たないという条件付の攻めあいっこ稽古」というものが成
り立つかどうかは疑問です。ご自身でも書かれている通り、「打たれる」という
「実」をお相手が感じてくれないのなら、「攻め」でもなんでもないわけです。
「打つ」という前提があってこそ「虚実」が存在するのではないでしょうか?
しかし、「攻め」というものは、どのお相手にも一様に通じるものでないところ
が、また、難しいのです。これは「打たれる」という意識レベルが、人それぞれ
で違うためだと思われます。それまでに積み上げてきたお稽古や試合での経験が、
「打たれる」という経験的積み重ねになっているのでしょう。
極端な例を挙げますと、初心者レベルのお相手に「気攻め」で圧していっても、
ほとんどの場合理解されず、「剣攻め」のごく初歩段階であるフェイントなどに
は(わかりやすいので)過敏に反応します。逆に、レベルの高い方とのお稽古で
は、これとはまったく反対のことが起こりますね。
経験的にお相手の「打たれるという読み筋」にはまった場合「虚」が「実」とし
て作用するのです。
「色」と「誘い」は「虚実」の裏返しと考えていいでしょう。「虚実」がお相手
の「打たれる」という経験則によるものだとするならば、「色」と「誘い」は「打
てる」という経験則に基づいたものだからです。
「色」は「実」の起こりが「見えてしまった」もの、「誘い」は「虚」の起こり
を「見せた」ものと解釈していいと思います。したがって、「色」は隙であり「誘
い」は攻めですね(^^)
これが、お相手のレベルに応じて変化してきますし、技に対する得意不得意とい
う問題にも絡んできます。正確にお相手のレベルを測り、その心中深く隠された
ものを洞察する「眼」を養わなければならないのでしょう。
私の師匠渡辺敏雄先生(故人)は、私に専門家としての道を進めてくださった時
に「お稽古に臨んでは、ちょっと強くを心がけなさい」と私に教えてくださいま
した。「圧倒的に強くはダメなんじゃ、ちょっと強くじゃ」と。
この言葉は、私がお稽古をするときに今でも常に意識していることですが、「ちょ
と強く」は意外に難しい。お相手の力量を正確に測れなければ、「ちょっと強く」
にならないんです(^^; きっと、先生は私にそういうことを教えたかったんだろ
うなと、日々のお稽古の中で先生の偉大さを感じています。
[2000/12/06 09:14:16]
お名前: IMAING
URL
攻めって深いですね、本当に。
「攻めのセオリー」、折に触れて最初から読み返したりしてますが
その度ごとにまた違うことに気づかされたり、考え直したりして。
今回は動作としての攻めの中で、高度なフェイントについて考えて見ましたが
「どこを打つぞ」と言う気持ちを見せる場合の攻め(剣攻めとでも言うのでしょうか?)に
おいて、分かりやすいのが面を攻めるなら真直ぐ振りかぶる、小手を攻めるなら竹刀を
小さく裏へ回す、突きを攻めるなら竹刀を突き出す。と言うようなものでしょうか?
その時の相手の反応に応じてそのまま打ちになるか、別の部位を攻めなおすかといったものが
動作の中の攻防だと考えます。
それが高度になっていくと、大きな動作をしなくても面を打つように見せたり小手を狙って
見えたりするのかな?と言う感じですが。
逆にこれは「色が見える」と言うことになってしまうのかも知れないですね。
あくまで「虚」として見せるならば「虚」の動きを「色」として取られて隙を見せることにも
ならないのですが、その自分の中の「虚」と「実」の違いが難しいのでしょうか?
書きながら段々イメージが固まってきました。(^_^;)
「攻め」とはあくまで「虚」でありながら如何に相手にそれが「実」であるかのように
思わせることでは無いでしょうか?
相手が「虚」に惑わされて(又は実とみなして)色を誘えればそこで勝負あり。
逆に自分では「虚」のつもりでいても実は「実」になっていて相手に出端を抑えられれば
攻めが足りないと言うこと。
こんな感じで如何でしょうか?
そうなると、絶対打たないという条件付の「攻めあいっこ」稽古ってのも
楽しそうですね、心が動いたら負け。(^^)
[2000/12/05 20:09:13]
お名前: Hide.
昨日お稽古させていただいた先生(八段)は、久々に「強い」と感じた方でした。
剣線の圧迫感がすごかったですね。中心を攻められてるっていう感じはあまりし
ませんでしたが、こちらの剣線を割り込んで入ってこられるところは、「さすが、
若手の八段は違う・・・」といった感じでしたヽ(^.^)ノ
その先生が、たびたび見せた攻めが面白かったので紹介しましょう。
右足から間合を盗みながら、左拳を押し下げ剣先を立てるのです。右手の位置は
そのままですから手元が上がっているわけではありません。その際の剣先は、私
の左目か左面のあたりについていたようです。それが「誘い」と「攻め」の見合
いになっており、もし面に出れば応じ返し胴、居着けば飛び込み面(やや右半身
でキレイな面とは言いがたいのですが)、さがれば小手面に渡ってこられます。
せっかくですから、マネをして私も使ってみたのですが、なかなか面白いかもし
れません。研究の余地ありと感じました(^^)
[2000/12/04 09:32:36]
お名前: Hide.
to 親馬鹿一刀流さん
いやぁ、なんだか「責めのセオリー」のまとめをしていただいたようなカキコで恐縮しております(笑) まさに、親馬鹿一刀流さんがまとめてくださった通りですね。さらに攻めはそれぞれがバラバラに存在していない点が複雑怪奇です。「剣を押さえる」という攻めに形ひとつにも、「誘い」も「気攻め」も含まれていたりします。要はそれが「個々の剣風」ということになっていくのでしょうねヽ(^.^)ノ
to Shinyaさん
攻めから打突につなげる・・・。ちょうどその過渡期には、やはり最大の難関となる
壁です。小中学生や高校生でも「攻め」を考え出したときから、剣道が激変するもの
です。もちろん、レベルの違いはありますが・・・(^^;
ただ、どういう攻めのスタイルを作るかということも大切なんです。親馬鹿一刀流さ
んも書かれていますが、攻めのスタイルそのものがその人の剣風につながってくるわ
けです。Shinyaさんの目指す「攻めの形」あるいは「その攻めから繰り出す技」とい
うのを考えなければいけないでしょうね。
宮崎選手には、左拳を中心からはずしてでも相手の剣線を上からフタをするように押
さえ込んで、なおかつ面に伸びられるだけの稽古に裏打ちされた卓越した技術力があっ
たからこそ、前人未到の二連覇を二度も達成しえたのです。
Shinyaさんはどういう方向性を目指していきたいのでしょうか? そこがポイントと
なるでしょうね(^^)
[2000/11/10 10:56:25]
お名前: Shinya
そうですね、親馬鹿一刀流さんのおっしゃるとおり、目指すは個々人の個性的な
自分だけの剣風ですよね。そこにまで達するのはまだまだでしょうが・・・。
ところで、昨日も稽古がありました。少しからだを壊していたため、一週間ぶりの稽古。
風邪の直りかけのせいもあってか、体の切れが非常に悪かったです。
それでも、今度の金曜日はクリスとの稽古があるので、いやでも(?)体の調子を戻して
おかなければ!そういう気持ちで稽古をしようと心がけたつもりでした。
昔から先生に注意され続けてきたことなんですが、面を打つとき竹刀が立って面金の部分を
打つという悪い癖があります。これだと面を打ったときの間合いも近くなるし、手の内も
あまり効きません。今まで、中学高校と少し騙し騙しやってきました。
しかし、当たり前のことなんですが、これだと相面を同時に打ったとき相手に必ず乗られて
しまいます。特に中心を割ってざっくりと面を打ってくるクリスの面にはかないません。
最近気づいたことなんですが、どうも面をうちに行く瞬間、それ以外にも相手がツツッと
中心を攻めながら間合いを詰めてきたとき、左手が微妙に下に下がってしまいます。これが
原因のようです。これだと、どんなに小さな左手の動きであっても結果的に面を打ったときに
それが大きな誤差となる。悪いことに手が先に反応してしまってるから手打ちになる。
腰も少しぬけた感じになって溜めが全てなくなってしまう。
これは形の問題、基本打ちの問題でもありますが、精神の問題でもあるようです。
特に出頭をうとうとしたとき、この動きが顕著に現れます。撃とう撃とうと気が焦るのと、
出がしらに入る瞬間の相手の攻めに一瞬心が動いてしまう。この夏に日本に帰ったときに
高校の恩師に「溜めがないな。」といわれた原因もこの事のように思います。
攻めて攻めて(その攻めとは何かを論議してるのですが)せっかく作った「溜め
(これが何かについてもまた議論の余地あり!ですね)」が、ふと消えてしまう。
出頭技は愚か面を打ちに行くときもやはり気持ちがつながらないうちになってしまう様です。
だから、特に「拳攻め」を気にして稽古をしてみた、と言うわけです。
確かにHide.さんのおっしゃるとおり左手の拳の位置は正中せんより少し左の方がいいよう
です。無理に真ん中に置こうとすると、右腕が少し縮こまる(右ひじが突っ張る)気がし
ました。これでは撃とうとしたときに不自然に右手に力が入ってしまいます。
一度、世界大会のときに宮崎先生に稽古をお願いしたことがありましたが、(勿論会場で
一番最初にお願いしに行きました。二日目、石田(利也)先生にお願いしに行ったときは
君ちょっと早すぎるよと、注意されました(笑))筆絶に値するぐらい強かったですね。
こんな剣道をする人が居るんだと、目から涙が鱗が落ちました。あんな風に、分けのわか
らないうちに、面を打たれてたっていうのは初めての体験(!)でした。やっぱりTVや
VIDEOでよく見るように、竹刀の使い方、剣先を押さえながらの攻めは流石だなあ
と思いました。無理に剣先を返して中心を取りに行くと打たれてしまう。かといって何も
しない訳にはいかない。体が勝手に下がっていました。中心を攻めなくてもこういう攻めが
できるんだと感心すると同時に、これに中心の攻めがついたらどうなるのか・・・
ぞっとしました。その後で、他の人の稽古のときに宮崎先生の真似をして攻めてみましたが
まったくだめ。二回三回と相手の剣先を押さえていくうちに最後の面を打つとき体が
着いてこない。これは宮崎先生の努力の賜物でしょう。
攻めと同時に、攻めからの技をいかに打ち切るか。これが現在の課題であります。
水曜日はうまくできませんでした。
[2000/11/10 09:46:21]
お名前: 親馬鹿一刀流
ご無沙汰しておりました。
また色々考えてみました。整理がついていなかったり、既に皆様が書き込まれた事と重複すると
思いますが考え付くままに書きます。
技前の事と打ちつつという事で考えていたのですが、攻めについて考えれば考えるほど幅が広が
り収集がつかなくなりました。
キーワードを思い付くままに上げますと、色付きの事、四病、三殺法、正中線、攻防一致などあ
りますが、猫の妙術の事を特に考えたりしています。
剣を使っての攻め
押さえる、払う、張る、巻く等して、相手の剣を殺して打つ。
連続技での攻め
相手の打ちに相打ち、あるいは一本にならない打ちで合わせておいて二の太刀で決める。
一本、二本で決めるのではなく、連続で撃ち込み続けて相手の技、受けが途切れた所を打つ。
打ちを攻めとして使う。
フェイントの攻め、誘いの攻め
剣を大きく動かし色を見せて相手の構えが崩れた所を打つ。
小中学生は動きが大袈裟で上達するに従い、小さくなる。
剣は大きく動かさないが、足使いや入り身を見せて崩れた所、打ちに来る所を打つ。
上記には一連の動きで打つパターン化された物と、相手の動きを見極めてから打つべき所を打つ
2種類がある。
気攻め、剣先での攻め
中心を崩さず打ちますよ打ちますよと攻め気を見せて相手に押さえる、払う、巻く等何かさせ
て打つ。
あるいは、相手を押さえ込んでしまい、居着かせ何もさせないで打つ。
ゆるめる、攻め気を見せない攻め
相手に打てると思わせて、打たせてとる。
何をされても反応を見せず、相手に攻めどころをつかませないで迷わせて打つ。
脈略のない書き方になりましたが、若いうちは相手を押さえ込むような攻撃的な攻め、次に
相手を引き出すような攻め、最後には老猫のように何気なく相手を討ち取る、あるいは討ち
取らない攻めになるように思います。
攻めのセオリーは上達段階で変わっていき、個々人の剣風となりますよね。
[2000/11/09 23:27:29]
お名前: Hide.
to Shinyaさん
いやぁ、私はプラトンの論証法だなんてそんなことはまったく意識しておりませんで
した(っていうより、そんなものは知りませんでした(^^;)が、これまでの剣道の先
生方とは違った切り口で剣道を語っていきたいとは常々考えております。なにしろ、
剣道における精神活動や身体活動は、熟練者でもうまく言葉で表現し伝えることがで
きず、とかく抽象的な物言いになってしまうことが多いじゃないですか。もちろん、
私の説明もはなはだ抽象的表現に頼らざるを得ない部分もなきにしもあらずですが、
なんとか具体化しようと努力はしているんです(^^;
おっと、攻めの話に戻しましょう(^^)
「左拳を押し出すような感じで攻めると腹に力が乗り攻めが効いた」とのことですが、
これはまさにその通りですね。さらに一歩進めるなら、「腹に乗せた左拳の作用をもっ
て剣線を制する」という感じが会得できれば、その後の打突にうまくつながるはず
です。
「剣線を押さえる」というと、とかく右手でこねてしまう人が多いですね。最近では、
宮崎正裕選手などがその代表格です(笑) 彼の場合は、あそこから強引に中心を割っ
て打つだけの技量があるからあれで勝ててきたわけですが、ま、普通の人にはなかな
か難しいですね(^^;
右手でこねるようにすると、実際は左拳の位置もほんのわずかではありますが右にず
れてしまっているんです。こうなると、そこから真っすぐに打とうとしてもなかなか
難しい。左腕の作用で振りかぶらなければいけないところを右腕ががっちりロックし
てしまっていますから技が出ない。どうしても、一度右腕の力を緩めてやる必要が出
てくるので打ち遅れてしまいます。
左手で攻める場合にたいせつなことは、左拳の位置です。多くの人が親指と人さし指
の股の部分を正中線に合わせようとしがちですが、これではやや右に入り過ぎです。
私は親指の第一関節を正中線に合わせるようにすると左拳の納まりがいいように思い
実践しています(^^)
また、相手との攻め合いの中にあっては、左腕の腕橈骨筋(腕の上側の筋肉)にテン
ションを感じながら攻められていることが大切です。ここに緊張感を感じるならば、
右手でこねて攻めいないことが確認できます(^^)
精神的には、「相手に委ねること」が肝要です。「さぁ、ここまで入りましたよ。あ
なたはどうされますか?」と己をさらけ出して問いかけます。むろん、問いに対する
答をいくつか用意しておかなくてはいけませんが、これが「柳の心」ですね(^^)
しかし、それだけではいけません。ある場面では打突の強い意志を発揮しながら
「さぁ、打ちますよ。どうされますか?」と詰めよることもあります。「不動心」と
までいくかどうかわかりませんが「巌の心」でしょうか。
硬軟・緩急・強弱を交えて相手の心を揺さぶること。クリスさんはそのあたりの勘所
も心得ておいでのようですね(^^)
[2000/11/09 09:22:53]
お名前: Shinya
書き込み印刷して拝見させていただきました。
非常に興味深い内容ですのでぜひとも参加させていただきます。
これまでHide.さんの話し方、というか諭し方とでも言いましょうか、実は哲学で言う
Platonic Method プラトンの論証法という方法に酷似しています。東洋のお釈迦様や
孔子様と少し違う西洋独特の方法なので非常に読んでいて学術的興奮を誘う(笑)内容でした。
日本での剣道の先生や孔子様の教授法というのは非常に独特で、すごく抽象的な内容(たとえ)
を多く用いて、そこから弟子に推論させ、弟子を伸ばしていく、そういう方法を取っています(これは禅道の問答に繋がるのではないかと思います)。一方でプラトンの方はといいますととい
って演繹法といって一つの質問に対する答、それに対する質問、そしてまたその答に対するより
高度な質問といった風に次から次へと質問をより高度なものへと昇華させていき最後に目的のも
のに辿りつかせる、そう言った方法です。
ところで、「攻め」についての話ですが、皆さん「気」とは何かという話で盛り上がっていますが
少し話を戻して気で攻めるとはどういうことか、またその攻め方はという方向に勝手に軌道
修正させちゃうことにします(気とは何か?って言う話にはなかなか自分自身こたえが見つか
らないような気がするので…)
先日、故小川忠太郎先生の「百回稽古」を拝読させていただきました。その中にあった言葉で
非常に気になったのが「拳攻め」これは一体いかなるものなのか、前回クリスと稽古したときに
試してみました。確かなことは覚えてませんが、左拳をぐっと突き出すように胆田に力をこめ
「ムゥ」と力をこめて攻める。小川先生は著書の中で何度も左手で攻めることの大事さを強調
されていました。で、クリスとの稽古なんですが、最初のうちはあれ?こんなに攻めることが
出来たかな?と思えるほどいつもより簡単に触刃から交刃の間に入ることが出来ました。
しかし、やはりそこまで。そこから相手が崩せず戸惑っているところをグイッと逆に攻め込まれ
気づいた頃には形勢逆転。タダ確かに、左拳を押し出す感じで攻めると腹に力が乗り攻めが
効いていたような気がしました。稽古後クリスに注意されたのは、待ちすぎだということで
した。おそらく攻めることに精一杯でそこからの技が無い。つまりそれは攻めではなかったわ
けです。タダむやみに自分から中に入って言っただけでした。ただ、良かったのはいつもより
グッと攻められたときに心が動じなかったこと。少しですがそれを感じました。いつもなら
同じように攻め込まれると心が躍ってしまいます。確かに、クリスの攻めは強烈で荒っぽい。
荒っぽいだけにいけそうだなっと思ったところは実は飲み込まれている。それと、繊細で相手の
心をぞっとさせるような攻めを使い分けれるところです。こうやって使い分けられると、使われ
た方はどちらの攻めに対応したらいいのか分からなくなって戸惑ってしまいます(これが自分)。
一番いいのはおそらくその変化に動じない攻め。不動心で攻める。柳の心で攻めると良く
先生方がたとえに出される攻め方なのでしょうが、いまいちピンと来ません。果たしてそれは
一体どういう攻めなのか?
前にも議論があったように、攻めとは待つことでも、ただ闇雲に打ち込むことでも、強引に
中心を取ることでも無いと思います。それをこれからじっくりここで煮込んでいけたらなぁと
思います。いきなり長い書き込みをしてしまってすみません。
[2000/11/08 12:43:29]
お名前: Hide.
to himさん
ハハハ、剣道は格闘技ですから、ある面でそういう部分も致し方ないでしょう。
理屈でわからない場合は実力行使です。健闘をお祈りします(^^)
to IMAINGさん
そうですね。
そもそもこのトピックを立ち上げた当初は、IMAINGさんがおっしゃる後者の方を題材
にしようと考えていたんです。なにしろ、「気攻め」という範囲に話が及ぶと、私も
そうですが皆さん雲をつかむような状態になっちまうのでは、と考えたからです。
でも、話はむしろ、そっちの傾向が強くなってしまいましたが・・・(^^;
IMAINGさんがおっしゃっている後者の攻めはいわゆる「虚を攻めて実を打つ」という
ものですね。IMAINGさんの例でいきますと、「小手を攻める」という部分は打たない
わけですから「虚」ですね。その「虚」に反応して手許が崩れたところを打つ面が
「実」ですね。
この「虚を攻めて実を撃つ」の代表格がフェイントの技ということになります(^_-)〜☆
[2000/11/03 08:39:48]
お名前: IMAING
URL
みなさんこんにちは。
攻めについてですが、私は2種類の攻めが存在するのではないかと考えています。
一つ目は、前に言われていた全人格圧倒性(でよかったかしら?)の攻めで
気のようなもので相手を威圧する?攻め。
もう一つが、良く学生に勘違いされやすい攻撃の形としての攻めではないかと思います。
すなわち、後者はある部位を打とうとする動作そのものが「攻め」として認識されており
その効果は相手がそれを感じるかどうかにかかっていると思います。
これが「小手を攻める(打とうとする)→守ろうとして竹刀が開く→面を打つ」というような
連携のパターン、いわゆる定石を作っていくのではないでしょうか?
この攻めが効くためには相手が「打たれたくない」と思うことが最も重要で
「打たれても構わない」という相手には効果がないと思います。
剣道は基本的には「打ち合う」ものなので、打たれるつもりで立ち会うのはおかしいですから
そうはならないのですが、その気持ちが強ければ強いほど逆に相手の攻めを感じてしまう
という形になってはいないでしょうか?
それを打ち消すためにより強い意志で「攻め」ることになったり先を読みあったりするのですよね。
もう一つ抜けるとそこには打たれることを恐れない(考えない)、無心の境地が存在するのでしょうか?
なかなかうまい文章にならなくて申し訳ありません。<(__)>
[2000/11/02 22:53:23]
お名前: him
to Hideさん
おっしゃるとおりですね。
一度、徹底的に叩いてやらなきゃあダメかなぁ?と思っております。
次回は、気合を入れてお相手することにしましょう
[2000/11/02 14:25:27]
お名前: Hide.
to himさん
うーん、難しいところですね。
一本勝負の時にそういうふうに変わったということは、本人はそれを「勝負の剣道」
と考えているからなんだと思います。それに打たれてしまうと、せっかく助言をして
も聞いてもらえない可能性もあり、言うのが躊躇われてしまいますよね。やはりここ
は勝負で打ち勝って「せっかく、稽古の時は気持ちがまっすぐに向かってきてるのに、
勝負になってそんなに崩すことはないんだよ」と諭してあげる以外に方法は考えつき
ませんね。
打てないまでも、少なくとも崩して来たものに対して、打たれてはいけません。うま
くさばいて居着きを狙えればしめたもの。「合気」にならないものは相手の気を受け
流して勝負するかそれ以上の気で飲み込んでしまうかしか対処法がないからです。
次のお稽古が勝負ですかな(^^)
[2000/11/02 09:28:57]
お名前: him
一昨日の稽古の時のことです。
三段くらいの大学生と稽古したのですが、彼は非常に真っ直ぐないい剣道をするなと見ていた
のですが・・・
「それじゃあ、最後に一本勝負。」と言った途端に、こちらと気を合わせない粗暴な態度を
取られまして、非常に後味悪く稽古を終えました。
彼に何と助言を与えるべきか?今 悩んでおります。
[2000/11/01 17:06:56]
お名前: Hide.
to himさん
>私は「攻め」というのは、その人の心の中にある本当の姿ではないかな?と思いま
>す。
(・・・中略・・・)
>こう見ると、「攻め」とは「剣道における自己表現の発露」であり、その方のその
>時の本当の心の姿ではないか?と感じるしだいであります。
そうですね。「全人格圧倒性」という表現がありましたが、まさにそれなのかもしれません。毎日の生活、イヤ、これまでの人生経験が大きく関与しているでしょうね。
>技術,体力,知力,感情などが、その時々で比重を変えながら相手に対するという
>ことで、結果も自ずと違ったものになる・・・ということかな?と。
そうですね。どう自己表現していくかについては、お相手によっても違ってくるとは
思いますが(^^)
なにしろ、「攻め」にしても「気」にしても、はなはだ観念的なもので、実態を伴わ
ないだけに考える糸口が難しいですよね。それゆえ、面白いわけですけどヽ(^.^)ノ
[2000/11/01 08:57:12]
お名前: Hide.
to 信之丞さん
男女の「気」の違いについて『剣道日本』平成12年3月号の特集「気」で勝つ剣道
の中で好村兼一先生が「多くの男性の気は後ろから頭の上を回るように、女性の気は
逆回りに流れる」と説明しています。そして、35ページ「女性の剣道」という項で、
男性にとって女性がやりにくい理由を「気」の観点から以下のように解説されていま
す。(読みやすくするため、改行してあります)
----(以下引用)-------------------------------------------
(・・・前略・・・)
男性の「気」は身体の背面から立ち上がり前面へ下るので、そのまま「気」を前方に
送りやすいのに対して女性の「気」は前面から上り背面を下る、すなわち後方へ向か
うので「気」を前方に入相手に向かって送ることは難しくなる。
男性が女性を稽古相手として「なかなか張れない」という印象を受ける理由はまさに
そこにあり、2人が対峙すれば、男性が「押し込む気」を出すところを、女性は「引
き込む気」を出す形になるので「気」と「気」のまともなぶつかり合いが生じにくく
なるのだ。
男性は、女性の相手から強い「気」を感じないためにすぐに打てそうに思うのだが、
実際はそううまくはいかず、技量のある女性に簡単にさばかれてしまう。それでは、
と余計に「気」で圧しようとしても十分なはね返りが来ない。結局打つべき機会が捉
えにくい、という状況になるのだ。
誤解を避けるために言っておくが、もちろんそれは「気の剣道」をしようとする熟練
者のレベルにおいて、である。
(・・・後略・・・)
--------------------------------------------------------
「気」の流れに関して男女差があるということも、なんとなくこの解説を読むと納得
できそうだと思いませんか?(^^)
こうなってくると、女性の試合が男性に比べて長引く傾向も、「攻撃力の差」という
よりも「気の衝突が少ないため」と「女性の周辺視野の広さから来る危険回避行動」と分析できるかもしれません。
上位者との稽古で「右手に力が入ってくる」とのことですが、たぶん右手のみならず
全身が硬直しているのではないでしょうか。
「気」はリラックスされた自然体の時に出て、緊張したり力んだりしたときに出にく
いというのは、なんとなく観念的に理解はできますね。これを、前出の好村先生は、
同じ『剣道日本』の中で、
----(以下引用)-------------------------------------------
(・・・前略・・・)
人間が思考したり緊張したり、身体運動をしている時には、脳から不規則なβ波とい
う脳波が出ており、身体が疲労していく状態であることを示し、無心で心身がくつろ
いでいる状態では規則的なα波が出ており、身体の疲労はほとんどない。そして、α波が出ている状態の人でも、何らかの精神活動が起こればすぐにβ波が現われてくる。
(・・・中略・・・)
対戦中の2人からはどのような脳波が・・・というような調査ができないものだろう
か。色もなく欲もなく、ただ「気」を充実させて対峙する達人の脳からはα波が出て
いることが証明でもされれば、一般認識の上で、剣道の価値が新しい角度から見直さ
れることにもなるだろう。
(・・・後略・・・)
--------------------------------------------------------
としています。
若干の手がかりにはなりそうです(^^)
[2000/11/01 08:24:46]
お名前: him
Part1,Part2とも、プリントアウトして読みましたが、読めば読むほど「攻め」と
いうのは奥が深く、なかなか言い表すのが難しいテーマであると感じました。
剣道において「攻め」をどう表すか?という方法というのは、Hideさんや信之丞さんの
おっしゃる通りだと思うのですが、「攻め」そのものというのは如何なるものか?
私は「攻め」というのは、その人の心の中にある本当の姿ではないかな?と思います。
いろんな方と剣を交えて感じることは、いろいろな攻め方(攻められ方)があるものだ、
ということです。
錐のように鋭く攻めて来る方、波のように怒涛と押し寄せて来る方、壁のように立ち塞がる方、
真綿で包むようにジワ〜ッと来る方・・・
こう見ると、「攻め」とは「剣道における自己表現の発露」であり、その方のその時の本当の
心の姿ではないか?と感じるしだいであります。
自分より年長の方(高段者ということではなく)と稽古して、いくら打ち込んでも勝ったような
気がしないのは、ひょっとするとそういうことなのではないかな?と感じます。
技術だけではなく、その人の人生経験や性格までもが投影されるからこそ、剣道というのは
奥が深く面白い!のではないかな?と・・・。
ただ、「それだけが絶対ではない」というところも剣道の魅力を更に深いものにしている要因
であると考えます。
技術,体力,知力,感情などが、その時々で比重を変えながら相手に対するということで、
結果も自ずと違ったものになる・・・ということかな?と。
「自分が今考えていることを素直に出す」というのが、自分の「攻め」ではないかな?と考えて
おります。
やたらに「?」の多いカキコではありますが、自分でも「攻め」というものがよく判っていない
ということで、ご容赦!m(__)m
[2000/10/31 16:45:55]
お名前: 信之丞
To Hideさん
ふむふむ 気にも色々あるんですね。男と女でも少し「気」の感じが違うと思うのですが?
私はどうも女性と稽古をしたとき、波長の違いみたいなのを感じてやりにくいです。
それと自分より下位者との稽古では、右手に力が入ることはあまりないのですが、上位者
との稽古では、時間がたつにつれ右手に力が入ってきます。こうなると気が出るどころでは
なくなり、にっちもさっちもいかなくなります。どうして右手に力が入ってしまうのですかね?
力が入ると気が出なくなると思うのですが(笑)
[2000/10/31 16:42:45]
お名前: Hide.
To 信之丞さん
>【両肩の力を抜き、背筋を伸ばす。臍下丹田に意識を集中し、そこに気を集め、そ
>の気を左手から竹刀の先へ送り、相手の喉元めがけ出す。】
>これが私のやり方ですが、このようなことをしている剣士はどのくらいいるのでしょ
>うか?
信之丞さんが書かれているこの方法は、けっこう多くの剣道家が意識し実践している
のではないかと思います。ただ、気の発し方まで具体的にイメージできているかどう
かの差です。
剣道において中段の構えが「重要だ」とか「基本だ」といわれることのひとつに、気
を発しやすい構えだということが言えるのではないでしょうか。とくに左手の位置で
すが、禅などの瞑想の時に印を結ぶ手の位置と微妙なつながりがあるように思われま
す。
中段の構えにおいて左手の納まりのいい人は、気が安定しているように見えます。逆
に、左手の位置がしょっちゅう動いてしまう人は「踊っている」などと気が乱れてい
ることを指摘されますね。
さらに、「左手から竹刀の先へ気を送る」ということですか、これにもイメージがあ
ると思われます。私の場合は、鼻(または口)から吸い込んだ息を腹に落とし込むイ
メージで臍下丹田に気を集め、それを自然に左手首から竹刀に乗せていき、手前回転
の小さな流れ(渦)を作って相手を下から攻め上げるように気を発します。これは、
私が小柄なせいもありますが、手元を攻めてその乱れを誘う戦法とも合致する気の発
し方だと考えます。むろん、反対の流れ(渦)を作る発し方もあるでしょうね(^^)
それから、剣先からの発し方ですが、相手の実力に応じて気の輻射の大きさを変えて
います。自分よりも上位者や同等の力を持った相手には、持てる力を最大限に発揮し、
上下左右に大きく放射しますが、下位者とやる場合にはかなり加減したものになりま
す。
>高段者の方と稽古をしていて攻めの凄さにいついてしまうとか、自分の攻めが全然
>通じないとかという経験は誰しもあると思います。これは自分の気より相手の気の
>方が大きいのではないでしょうか。
私は竹刀から輻射される気のほかに、もうひとつの気の流れがあると考えています。
それは、背筋から後頭部を経由して頭頂部から相手におおいかぶさるように出ている
気です。よく「相手を呑んでかかる」とか「相手に呑まれた」などというたとえをす
ることがありますが、それはこの気のことを指しているものと考えています。
剣先から発する気は相手を攻め、あるいは相手の攻めを防御するのには役立ちますが、
相手を大きく包み込むように威圧するものではないように思うのです。
仏像や仏画、キリスト教における宗教画などで、後頭部の後ろに後光が差しているよ
うな表現を見ます。じっさい、大人物の前に立つと「オーラを感じる」などと威圧感
を覚えることがありますが、あの気の流れです。
背筋がピンと伸びた自然体の構えからは、そうした気を感じやすいですね。
反対に、上半身が突っ込んで前傾姿勢になっていたし、背筋が曲がっている構えの人
からは「包み込まれるような」気は感じられないものです。
>気が完全な状態になると、相手の動きが手に取るようにわかり、フェイントには惑
>わされないそうです。そうなれば絶対負けることはないですよね。(笑)
「お釈迦様の掌の上の孫悟空」状態ですね(笑)
でも、これってあるんじゃないですか? 我々が小学生くらいのこと対峙したとき、
彼らの動きや考え方が手に取るように分かるじゃないですかヽ(^.^)ノ
要は、そこまで修業できるかどうかってところでしょうね。
[2000/10/31 08:18:46]
お名前: 信之丞
なんか書き込みが失敗したみたいです?
それはそうと、なかなか次がでませんね!一段落したのでしょうか?(笑)
及ばずながら、私も『攻め』について一言カキコさせていただきます。
と言いましても、私の場合『攻め』=『気の攻め』ですが・・・・(技がないのもで)
私の知人で合気道をしている人がいて、よく武道談議に花を咲かせています。合気道では「気」
ということを非常に重要視しているそうで、彼が行っている道場では稽古の半分が、呼吸法によ
る気の鍛錬だそうです。
以前Hideさんが<臍下丹田に意識を集中し、竹刀の先から・・・>とおっしゃっていましたが
私もこの知人から気の話しを聞くうち、そうするようになりました。
気とは目に見ることは出来ませんが、感じることは出来ると思います。高段者の方と稽古をして
いて攻めの凄さにいついてしまうとか、自分の攻めが全然通じないとかという経験は誰しもある
と思います。これは自分の気より相手の気の方が大きいのではないでしょうか。技にも上手、下
手があるように、気にも大きい、小さいがあり、そう考えると、
『攻めとは何か』・・・気を出すこと
『なぜ攻めがきかないか』・・・相手の気の方が大きい
と理論付け出来るのではないでしょうか。
そこで、私は気を出すためよく坐禅をしているのですが、この理論でいくと禅宗のお坊さんは皆
剣道をすればすぐに強くなるということになります。しかし、現実にはそうではないと思いま
す。剣道の場合、実際の稽古+気の鍛錬が効果的ではないかと思います。
高校生位の人は、このおっさんは何を言っているんだとお思いでしょうが、真剣勝負の場合、胆
を据えるため、臍下丹田に意識を集中し、気を出さなければ人は切れないそうです。(注 あく
まで人に聞いた話で、私はまだ人を切ったことはありません)攻めがない=死につながるという
状況は、我々の稽古のように攻めが弱いとか、攻めが足りないとかという次元とは違いますが、
ただのあてっこ剣道ではなく、人間対人間の勝負になればなる程、自然に気の剣道になって行く
のではないでしょうか。
【両肩の力を抜き、背筋を伸ばす。臍下丹田に意識を集中し、そこに気を集め、その気を左手
から竹刀の先へ送り、相手の喉元めがけ出す。】
これが私のやり方ですが、このようなことをしている剣士はどのくらいいるのでしょうか?
最後に、これは合気道をしている人が言っていたのですが(信頼性は?)、気が完全な状態にな
ると、相手の動きが手に取るようにわかり、フェイントには惑わされないそうです。そうなれば
絶対負けることはないですよね。(笑)
[2000/10/30 17:11:36]
お名前: 信之丞
なかなか次が出ませんね! 一段落したのでしょうか?(笑)
及ばずながら、私も『攻め』について一言書かさせていただきます。
といっても私の場合『攻め』=『気攻め』ですが・・・(技がないもので)
私の知人で合気道をしている人がいて、よく武道談義に花を咲かせているのですが、合気道
ではやたら「気」のことを言います。稽古の半分は気を出すため、特有の呼吸法をしている
くらいです。
以前Hideさんが<臍下丹田に気を集中して竹刀の先から・・・>と言ってらっしゃいまし
たが、私もこの知人に気のことを聞いて以来そのようにしております。
気とは目には見えませんが確かに感じることはできます。
高段者の方と稽古をして攻め負けている、また攻めが通じないと感じたことは誰でもあると
思います。、その場合、自分の気が相手の気よりも小さいと考えてはどうでしょうか?
すなわち技にも上手、下手があるのと同じく、気にも大きい、小さいがあり、そう考えると
「攻めとは何だろうか」・・・気を出すこと
「なぜ攻めきれないのだろうか」・・・相手より気が出ていない。
と理論ずくのではないかと思うのです。
そこで気を出すため、私は稽古以外によく坐禅をしているのですが、かといってこれで剣道
が強くなれば、禅宗のお坊さんは皆剣道がすぐに強くなるはずです。これでは理屈に合わな
いので、剣道の場合はやはり実際の稽古+気の鍛錬が一番効果的だと思います。
高校生位だと何を言っているのかよくわからないでしょうが、真剣勝負の場合、臍下丹田に
意識を集中して気を出さないと相手を切ることは出来ないそうです。(注 あくまでも聞いた
話で、私は人を切ったことはまだありません。)攻め負けている=死につながるわけですから
我々の稽古で攻めきれたとか、攻めきれなかったとかとは次元が違うとは思いますが、剣道が
ただのあてっこではなくなり、人間対人間の勝負になればなるほど自然と気の剣道になるので
はないでしょうか。
【両肩の力を抜き、背筋を伸ばす。それから臍下丹田に意識を集中し、そこに気を集め、その
気を左手から竹刀の先へと送り、相手の喉元に向かって気を出す。】
これが私のやり方ですが、こんな事をしている剣士はどのくらいいるのでしょうか?
最後にこの気が完全な状態になると(これは合気道の人が言っていたことで信頼性は?)相手
の行動が手に取るようにわかり、フェイントには惑わされないそうです。そうなれば絶対負け
ることはないですよね。(笑)
[2000/10/30 15:50:30]
お名前: Hide.
「攻めのセオリー」では、「攻めの本質」「攻めの方法」「気と攻め」「攻めとタメ」
「攻めと誘い」「攻めの方法論」などをテーマに話を進めていることろです。
ここを最初にお訪ねいただきました方に置かれましては、一覧画面で見ますと下の方
にも同じタイトルの項目が二つありますので、長くなってたいへんですが、そちらに
も目を通してみてください。
皆様の闊達なるご意見・カキコをお待ち申し上げますヽ(^.^)ノ
[2000/10/27 10:31:04]
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