記事タイトル:正しい剣道? 


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お名前: Hide.    URL
To kirakuさん

そうですか、楽しんでお稽古しておられるようで何よりです(^^)


>当てっこ剣道は、ここでは正道ではないのでしょうが。

正道ではないとは申しませんが、お相手が違うものを望んでお稽古しておられるときには
「KY」ってことになりましょう(^^;


>でも一方的に、当てられる人より、当てたり当てられたりした方が、面白い、
>7段の年も変わらない先生を、本気にさせるだけの私にパワーとスピードがまだあるか
>ら面白い。

そうですね、合気になってお稽古できるお仲間の存在はありがたいですね(^0^)
[2008/06/06 20:47:10]

お名前: kiraku     
久しぶりですね。

剣道再開して、8ヶ月すぎ、基礎体力とまだこの年にしてはスピードがあるので、

当てっこ剣道では、30代の5段、40代の6段、7段の先生人達と退けとらないまでになりました。人によっては、当てっこ剣道では1枚上状態です。

剣道面白い!!!

当てっこ剣道は、ここでは正道ではないのでしょうが。

最初のお世話になった剣友会の人達は、困惑してるようですが、2箇所目の剣友会は、
強い剣道を歓迎され受け入れられてます。

私は、kenbu さん、 お笑い剣道 さんに剣道を再開して改めての意見に賛同します。

でも一方的に、当てられる人より、当てたり当てられたりした方が、面白い、
7段の年も変わらない先生を、本気にさせるだけの私にパワーとスピードがまだあるから面白い。





 
[2008/06/06 20:36:26]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

>私から見れば、それぞれ立派な方たちですが、先生方がこのスタンスで仰る以上、私ご
>ときのなまくら生活の飲んだ暮れが、子供たちに何を授けられましょう。その前に、同
>年代の親たちから「ナンボのもんじゃい!」と叱責を食らうはず…(~_~;)

耳が痛い(>_<)
私とてそんなに誇れるような人格でも、立派な人間性でもありません。

でも、少なくとも子どもたちよりは人生の先輩ですし、親とは違うスタンスでいろいろな
ことを話してあげられると思うのです。実際私たちも子どものころから、先生方にそんな
風に接していただいたではありませんか(^^)

子どもの頃お話しいただいた先生方の言葉が、50に手が届こうという最近「あ、あれはこ
ういう意味だったんだ」と蘇ることがあります。私も子どもたちに自分の言葉で思いを残
しておきませんと・・・なんて考えてます(^^;


今日は、全国警察選手権を見てきました。
まさに「パワーとスピード」の剣道の代表たちの戦いです。そんな中にも、「いいなぁ」
と思う剣道を見せてくれる選手が何人かおりました。
やはり「パワーとスピード」だから「正しくない」ってわけではないんですよね。

 ●心映えが正しいこと
 ●基本に忠実であること

やはり、この2点です。意を強くしました(^^)
[2007/10/12 21:53:02]

お名前: 好月   
 先日は、トピと関係ない自分語りをしてしまい、申し訳ありませんでした。m(__)m
 今週、少し忙しくしてましてお返事遅れてしまいました。重ね重ねスミマセン。

To Hide. 先生
>「師について習う」とは、単に技術のみのことではないはず。師の生き方や思想まで
 含めて受け入れ修行する。それゆえ師と呼ばれる人も、自分を律し人格を陶冶してい
 くことに努力されたはず。

 その通りですね。Hide.先生のような専門家で、普段からご自身にも厳しくされておら
れる方なら、全く問題ありませんが…。ご教示いただいた先生方は一般愛好家。私生活
は、他人の模範になるようなものでは無い…とのお考えなのでしょう。私から見れば、
それぞれ立派な方たちですが、先生方がこのスタンスで仰る以上、私ごときのなまくら
生活の飲んだ暮れが、子供たちに何を授けられましょう。その前に、同年代の親たちか
ら「ナンボのもんじゃい!」と叱責を食らうはず…(~_~;)
 もう少し大人になってお酒の量が減った頃には、自分の言葉で語れる、子供たちにも
若い親御さんにも範となれる「剣道の先生」に成れれば…と思います。
 ・・・でも難しいだろうなぁ〜  (ToT)/~~~

To 気剣体不一致 さん
>今の自分に昔のスピードとパワー(回復力も含め)があれば、もう
 少しましな剣道ができるのに と思う今日この頃です(笑)

 まったく同感です。ついでに勝負に徹する執念と言うか、情熱も戻れば…ねぇ(#^.^#)
スピードだってパワーだって、目立ちたい・いいとこ見せたいの気持ちだって、少なか
らず理には適っているのですから・・・。(*^_^*)
[2007/10/12 19:13:05]

お名前: Hide.    URL
To 気剣体不一致さん

>昔だとあの間合いだと既に打ち込んでいないと怒れています。
>全日本選手権の出場者の間合いも近くなった気がします。

おっしゃる通りです。
昨今、強豪校ほど「間合いが近い」傾向にあります。
遠間から接近するまでは三所よけで打たれないようにし、近間勝負って作戦ですね。
遠間から技をかけることはリスクが伴いますが、接近戦ですと錬度の高い方が圧倒的に有
利です。つまり「安全策」らしいですよ(^_^ メ) 


>三所よけは、あれが真剣であれば刃がボロボロ状態になるんでしょうね。

ですねぇ。
でも、今の選手たちに「真剣だったら」というのは例えばなしとしては耳を貸してくれま
すが、説得力はないようです(-_-)
もう、現代剣道は「真剣で切り合い」ではなく「竹刀でのたたき合い」の競技として認識
されているわけです。
そこにいかに「武道テイスト」を盛り込み、先人が残した文化としての剣道を構築してい
くのか。

そういった意味合いにおいても、このトピの議論はとても重要なものだと考えます(^^)


>蛇足ですが前のレスで元服について記述しましたが、私が当時住ん
>でいた公立の中学では、中2になると男子全員が体育館に集めれて
>「元服式」なるものがありました。

そうですか。
私のところはなかったなぁ。
でも、そういう儀式で意識を高めるというやり方は、決して悪い方法ではないと思います。
とは言いながらも、昨今の成人式は、もはや同窓会の様相を呈しているようですが(-_-)


>今の自分に昔のスピードとパワー(回復力も含め)があれば、もう
>少しましな剣道ができるのに と思う今日この頃です(笑)

残念ですが、いかんともしがたいですね( -o-) フゥ
[2007/10/11 07:43:44]

お名前: 気剣体不一致   
To:Hide. 様

|ただし、試合が「鍔ぜり合いだらけ」っていうことはありませんでした。一足一刀いや、
|それ以上遠間からの勝負が主体でした。三所よけもありませんしね

 技術的に自分の時代より向上していると思いますが、間合いはご
 指摘通り近いですね。
 昔だとあの間合いだと既に打ち込んでいないと怒れています。
 全日本選手権の出場者の間合いも近くなった気がします。
 三所よけは、あれが真剣であれば刃がボロボロ状態になるんでしょ
 うね。国体の高校男子のあるチームは判で押したようにほとんど
 の人が三所よけでした。

蛇足ですが前のレスで元服について記述しましたが、私が当時住ん
でいた公立の中学では、中2になると男子全員が体育館に集めれて
「元服式」なるものがありました。
内容は覚えていませんが、紅白饅頭を貰ったのは覚えています。
今でもまだ続いているのかなぁ

今の自分に昔のスピードとパワー(回復力も含め)があれば、もう
少しましな剣道ができるのに と思う今日この頃です(笑)
[2007/10/10 21:01:49]

お名前: Hide.    URL
To 気剣体不一致さん
管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました(^^)

>前トビのきっかけは、
>「最近の高校生の剣道が乱れてきた」という内容からだったと思い
>ます。
>私が「玉竜旗高校剣道大会」のビデオを見る限り、自分の高校時代
>の頃とあまり変わっていない内容に感じました。
>その頃に比べると引き技が多く1本になるようには感じましが。
おっしゃるとおりです。
実は、私の高校時代の試合を8mmで写してくれていた人がおられまして、ビデオにダビン
グしていただきました。それを見て青くなりましたよ。今の高校生のほうが、構えや姿勢
態度がはるかに立派だからです(^_^ メ)
ただし、試合が「鍔ぜり合いだらけ」っていうことはありませんでした。一足一刀いや、
それ以上遠間からの勝負が主体でした。三所よけもありませんしね。

>「パワーとスピード」の剣道、私は良いと思います。
>40代半ばの私はしたくても限界があります。
>小学生には小学生、中学生には中学生、高校生には高校生の剣道が
>あっても良いと思います。
>高校生に気を練った剣道といっても、まだまだ、人生的な経験も少
>なく無理かもしれません。
はい、私も同感です。大きな幹となる「正しい剣道」があって、年齢に応じた「正しい剣
道」が枝葉のように存在するといったらいいのかもしれません(^^)

>結果、終着点は一緒になってくるような気がしています。
はい、気を練り「正しい剣道」を目指していけば、「パワーとスピードの剣道」に打たれ
ることがあっても、そう大きく引けをとるということはないはずです(^0^)

>ただ、ルールの範囲でしかも人間的な礼節を弁えた上での事です。
おっしゃるとおりです。
「武道」であるからには、礼の心と敗者をいたわる気持ちを忘れてはなりません。それが
あれば、卑劣な試合などにはならないはずですね(^^)

>話は少しそれますが、剣道以外も含めて中学生に接する時に、
>「昔は14、15歳で元服といって、合戦に出た時代がありまし
> た。だから、君たちに一人の人間として接することもあります」
>そうすると子供たちは凛とした顔付きになり、その行動にも変化
>が見られます。
いえ、大切なことだと思います。
彼らをいつまでも子ども扱いしていたのでは、精神的成長は望めません。中学を卒業した
ら社会に出る人だっているのですから(^^)

>私が思うに剣で相手を仕留める事(殺す)を目的にされている方が
>剣道されているなら、古武術に道を求めるべきだと思います。
コンビに強盗を追跡して刺し殺された店員の事件がありました。正義感の強い立派な方だ
ったのだと思います。
「父だったらどうする?」と愚息(中2)に問われましたので、「110番通報して警察に任
せる」と答えました。強盗に追いついたとしても、組み伏せることができますかどうか。
まして、刃物を持ったお相手と戦うすべは学んでおりませんし、お相手を一撃で倒す技術
を身に着けているわけでもありません。
現代剣道は、腹は作れるでしょうが、護身術の役にも立たない(危険回避のためには走っ
て逃げろ)と彼には話しましたm(_ _)m
それを考えますと「武道」とは言い切れないかもしれません。「武道テイストの競技」で
しょうか。もちろん、「武術」ではありえませんね(^^;


To 親馬鹿一刀流さん
>レスが再度進み、またまたタイミングを逃していますが、正しい剣道(理想の剣道)と
>は何かを考えてみました。
余計なお手間を取らせてしまい恐縮ですm(_ _)m

>剣道○○誌で、○藤○信先生が、一眼二足三胆四力とは言うが、稽古で身についていく
>のは、四三二一の順番であるという意味の事を書かれています。
>私はこれを気剣体(心技体)の一致と置き替えて考えています。
>この三つがバランス良く習得されるのが理想かもしれませんが、現実には剣道の基礎稽
>古で体を作り、技の稽古をし、気の稽古をするという順ではないでしょうか。
なるほど、そう考えたことはありませんでしたが、おっしゃるとおりですね(^^)

>しかし、自ら構えを崩す、姿勢を崩す、積極的に打たない姿を見たら、君達の実力なら
>そんな剣道をしなくても良いだろうとか、違う剣道が出来るだろうと思ったり、アドバ
>イスする事は自然だと思います。
そうですね。そのときに「正しい剣道」という言葉を使ってしまいがちになるわけで、反
発を覚える方がいらっしゃったのかもしれません(^^;

>普段の稽古で、わざわざ姿勢を崩した打ち、1本とは認められない打ちを稽古する方は
>居ないでしょう。竹刀の握り方から、構え、振り方、打突姿勢、打突後の姿勢には正し
>いとされる物は歴然とある訳です。
私もそういうアプローチだったのですが、なぜ、ご理解いただけなかったのか、今もって
謎なんです(>_<)

>正しい剣道とは習得段階によって出来る出来ないはあるかもしれませんが、体剣気を駆
>使して誰もが1本と認める打突が出来るように、稽古を続け実践していく事ではないで
>しょうか?(後略)
ありがとうございます。
私の説明よりもはるかに具体的でわかりやすいですね。勉強になりました(^0^)

>高校生に結果を残してあげる為には3年間で出来る事には限りがある。
>本来の剣道はこうあるべきという考えはあるが奇麗事は言ってられない。
>正しい剣道を振りかざして高校剣道を否定して欲しくないというお気持ちなのではない
>でしょうか?
なるほどぉ、高校の指導者とすると、そんな考え方にいたる道筋も見えてきますね(^^)


To 好月さん
>今晩は! 祝勝会帰りでご機嫌の好月です。
大会、すばらしい成績だったようでお喜び申し上げますヽ(^.^)ノ
もちろん手柄は子どもたちにありますが、好月さんのご指導の賜物ですね!

>そうですね。確かにこれまでとは違って、ご自身のお考えを明確に示しておられま
>す。つい、感情的になってしまいました。
ドンマイです(^^)

>「負けること」「劣ること」が身についた子どもたちと、少しでも「自信」をつけさせ
>ようと願う親たちの間では、『死』使わないと決めました。 あしからずご了承を…。
了解しました。
そちらの事情もわからず、失礼いたしましたm(_ _)m

>とは言え、技術面で、「ワシは、こういう風にやっとるんよ。」は許せても、精神面
>での個人の価値観は子供たちに言うべきではないと思います。私自身、これまで色んな
>先生方にご指導いただきましたが、「こう、習った」「こう、言われている」等、ご自
>身の言葉を使用せず、あくまで『引用』の立場でご教示くださった先生がほとんどです。
う〜ん、私はそれには疑問を抱きます。
「師について習う」とは、単に技術のみのことではないはず。師の生き方や思想まで含め
て受け入れ修行する。それゆえ師と呼ばれる人も、自分を律し人格を陶冶していくことに
努力されたはず。当然「守破離」ですから、弟子もいずれは自分というものを確立してい
くわけですが、師の影響は計り知れないものがあったわけです。
心と心の結びつきが希薄な現代だからこそ、指導者は自分の言葉で責任を持って精神論を
語るべきなのではないでしょうか。

技術論は語ってくださるが、精神論は他人の受け売りのようなお話をされても、私なら納
得はできません(>_<)
[2007/10/09 12:49:20]

お名前: 好月   
今晩は! 祝勝会帰りでご機嫌の好月です。って、スミマセンm(__)m
 前二人取られて、正々堂々と取り返した優勝。前二人取って正々堂々…やられた準優
勝。取り立てて何事もなく三位…と低学年・高学年・中学の全て入賞に絡めました。

 そりゃ、準優勝を褒めましたよ。優勝よりもね…。どっちも良かったけど…ね!。三位だってもちろん…特徴が無いだけ余計に詳しく褒めちゃいましたよ。

To Hide. 先生
>でもどうでしょう。かなり逆説的なアプローチをしておられますが、今回のお笑い剣 道さんのカキコは、実は正しい剣道の何たるかをご自身で把握しておられるように読
 み取れるのですが、いかがでしょう(^^)

 そうですね。確かにこれまでとは違って、ご自身のお考えを明確に示しておられま
す。つい、感情的になってしまいました。スミマセン。次にアプローチがあれば、今度
は冷静に行こうと思います。

>試合というものは確かに「生きるか死ぬかに命をかける場」であったわけですから、 これは生半可な気持ちでお相手と立合うべきではないという戒めを込めた言葉だと思
 います。

 その通りです…し、そのつもりで使っていたのですが…。これは、環境の違いです。
田舎で、野球もサッカーも、友達作りも苦手な子供たちが多い剣友会。試合に引率する
ことすら拒む親。勝ち負け<友達作り<サボらない<休まない<とりあえず在籍。
 負けました。親に…。今でこそ、年に何回か入賞できる剣友会になりましたが、「休
む」子には…、その親には、いまだ???と気を遣う日々です。
 それに、祖父母、曽祖父母と同居も多く、『死』には敏感なのかも…。とにかく、
「負けること」「劣ること」が身についた子どもたちと、少しでも「自信」をつけさせ
ようと願う親たちの間では、『死』使わないと決めました。 あしからずご了承を…。

 とは言え、技術面で、「ワシは、こういう風にやっとるんよ。」は許せても、精神面
での個人の価値観は子供たちに言うべきではないと思います。私自身、これまで色んな
先生方にご指導いただきましたが、「こう、習った」「こう、言われている」等、ご自
身の言葉を使用せず、あくまで『引用』の立場でご教示くださった先生がほとんどです。


  
[2007/10/08 22:10:55]

お名前: 親馬鹿一刀流   
Hide.さん、皆様
レスが再度進み、またまたタイミングを逃していますが、正しい剣道(理想の剣道)とは何かを考えて
みました。剣道の稽古には過程があり、その時々で求めるもの、求めるべきものがあるのではないかと
いう考えです。

剣道○○誌で、○藤○信先生が、一眼二足三胆四力とは言うが、稽古で身についていくのは、四三二一
の順番であるという意味の事を書かれています。
私はこれを気剣体(心技体)の一致と置き替えて考えています。
この三つがバランス良く習得されるのが理想かもしれませんが、現実には剣道の基礎稽古で体を作り、
技の稽古をし、気の稽古をするという順ではないでしょうか。
50年剣道を続けていても、修行半ばと多くの先輩が言われます。
年齢的に10年程しか稽古していない、高校生、大学生が体の領域から出ないのはやむを得ない事と
思いますし、否定すべきものではありません。
しかし、自ら構えを崩す、姿勢を崩す、積極的に打たない姿を見たら、君達の実力ならそんな剣道をし
なくても良いだろうとか、違う剣道が出来るだろうと思ったり、アドバイスする事は自然だと思います。

多くの方は普段の稽古(切返し、基本打ち、互角稽古他)では全日本剣道連盟の試合規則で1本と認め
られる打突が出来る様になる為に、あるいは1本を求めて稽古されていると思います。
全日本剣道連盟は有効打突を「充実した気勢、適正な姿勢を持って、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正
しく打突し、残心あるもの」としています。
これだけ見ますと有効打突の定義ですので、技前の身構え、気構え、攻め合い、崩し、崩れ、機会の捉
えまではうたっていません。
また、打突の強さ、適正な姿勢の具体的な表現もありません。
数字で示されるものではありませんから、当たり前なのですが、それでも小学生からご高齢の方まで
習い覚えた事、経験してきた事で基準を分かっている持っている。

普段の稽古で、わざわざ姿勢を崩した打ち、1本とは認められない打ちを稽古する方は居ないでしょう。
竹刀の握り方から、構え、振り方、打突姿勢、打突後の姿勢には正しいとされる物は歴然とある訳です。

正しい打ち方が出来るようになったら次には対人動作として打突の機会を覚え、攻め、崩しを段階的に
覚えますよね。
例えば攻めが伴えばお相手の崩れを呼び、正しい打ちが活きます。
逆に攻めが無ければ、無理打ちをしなくてはならず、せっかく覚えた正しい打ちを崩して打たなければ
ならなくなると思います。
若年層では攻めの技術が稚拙な為、体力に任せた打ちが主体にならざるを得ないとしても、せっかく稽
古してきた打ち方とは違う打ち方をしたり、打てるのだから良いとか、将来的にもそれ以上の稽古は
必要ないとは言えないです。

正しい剣道とは習得段階によって出来る出来ないはあるかもしれませんが、体剣気を駆使して誰もが
1本と認める打突が出来るように、稽古を続け実践していく事ではないでしょうか?
その過程には自分の心の弱い所を発見したり、打突前の竹刀での会話を楽しんだり、叩きつけるだけが
剣道ではない、お相手あっての剣道だとの気付きもあるでしょう。
自分を律する事が出来て他人を尊重する。
人間形成の到達点とは思いませんが、ここまできたら剣道が人間形成に役立っていると言えるのでは
ないでしょうか。
これも正しい剣道でしょう。

お笑い剣道さん
Hide.さん同様しっかりとした剣道観を持って居られ、剣道を分かっておられると感じています。
トピ主さんのkirakuさんは、高校時代に必死にやっていた剣道の取り組みを全否定される事に反発され
ていると思います。
お笑い剣道さんは、多少立場が違うようですがひょっとすると高校生の指導をされて居られるのではな
いですか?
しかも自分の生活を犠牲にする程、かなり熱心に。子供達と泣いたり笑ったり。
子供達の成長に無上の喜びを感じられているような。

高校生に結果を残してあげる為には3年間で出来る事には限りがある。
本来の剣道はこうあるべきという考えはあるが奇麗事は言ってられない。
正しい剣道を振りかざして高校剣道を否定して欲しくないというお気持ちなのではないでしょうか?

間違えていたらご容赦ください。
[2007/10/08 20:01:01]

お名前: 気剣体不一致   
横レス失礼いたします
四半世紀ぶりのリバ剣士の気剣体不一致と申します。

私の意見を述べさせて頂きます。
前トビも含めて今までの内容をROMしておりました。
時には議論がかみ合わず、まだ議論しているの…なんて思いながら
見てる事もありましたが、段々と話も具体的になって来ましたので
少し参加させて頂きます。

前トビのきっかけは、
「最近の高校生の剣道が乱れてきた」という内容からだったと思い
ます。
私が「玉竜旗高校剣道大会」のビデオを見る限り、自分の高校時代
の頃とあまり変わっていない内容に感じました。
その頃に比べると引き技が多く1本になるようには感じましが。

「パワーとスピード」の剣道、私は良いと思います。
40代半ばの私はしたくても限界があります。
小学生には小学生、中学生には中学生、高校生には高校生の剣道が
あっても良いと思います。
高校生に気を練った剣道といっても、まだまだ、人生的な経験も少
なく無理かもしれません。
ただ、個人差もありますが皆さまも言っている通りに体力の衰えが
あるのは事実で、それによって剣風も変わって来るのだと思います。
結果、終着点は一緒になってくるような気がしています。


|近頃はやりの‘芸道の試合’のように、「突き」や「胴」を自制するなどの
|ばかなことは絶対に許さない。

 私は知りませんでしたが、このような指導をされている所がある
 のですね。
 でも、昨年の全日本選手権や高校生の試合結果を見ると突きや胴
 もありましたけど…
 
 
|「試合場は『死活懸命の場』である。」私はそういう風に子供に教えている。

 私も、この意見には賛成です。
 悪魔でも勝負ですから、これぐらいの緊張感と気構えでなければ
 ならないと思います。
 ただ、ルールの範囲でしかも人間的な礼節を弁えた上での事です。
 ボクシングの亀●兄弟のような事では困ります。
 話は少しそれますが、剣道以外も含めて中学生に接する時に、
 「昔は14、15歳で元服といって、合戦に出た時代がありまし
  た。だから、君たちに一人の人間として接することもあります」
 そうすると子供たちは凛とした顔付きになり、その行動にも変化
 が見られます。(本当に逸れましたごめんなさい)
 
|「何回も戦う体力がない、全日本はしょせんヒョッコ」などという詭弁はゆるしませ
|んよ。

 う〜ん、これは体力の部分は事実だと思います。
 お笑い剣道さんは、自分よりも明らかにパワー・スピードに劣る
 高齢者に稽古などで打たれた事がないのでしょうか?
 一度だけの一本勝負だと高齢の高段者の方が私は強いような気が
 します。
 
私が思うに剣で相手を仕留める事(殺す)を目的にされている方が
剣道されているなら、古武術に道を求めるべきだと思います。
剣道のように定められた部位を打突必要もありませんし、甲冑の隙
間の動脈などを切るなどの技が存在するようです。
また、柔術・空手などの要素も含まれていますので…

以上、私の勝手な意見を述べさせて頂きましたが、お笑い剣道さん
の表現が極端で誤解されやすいような気がします。
[2007/10/08 16:27:38]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

>私は、剣道を「正しく継承し、正しく伝承する」べきだと思っています。ですから、
>「正しい剣道」すら認めようとしないお方が、「試合場は『死活懸命の場』である。」
>と吹聴されることは、厳に慎むべきと考えています。

なるほど、お考えは理解できました。
でもどうでしょう。かなり逆説的なアプローチをしておられますが、今回のお笑い剣道さ
んのカキコは、実は正しい剣道の何たるかをご自身で把握しておられるように読み取れる
のですが、いかがでしょう(^^)


>もうひとつ、『死』という言葉は子供たちの指導には相応しくないと考えています。

試合というものは確かに「生きるか死ぬかに命をかける場」であったわけですから、これ
は生半可な気持ちでお相手と立合うべきではないという戒めを込めた言葉だと思います。
子どもたちに覚悟を説くときに、使用するにふさわしくないとは思えません。
でもまぁ、「一所懸命」に言い換えてもその意味は説明できますかね(^^;

「負けるということは死ぬこと」は、毎度言われ続けますとつらいものがあるかもしれま
せんが、あまり神経質になるものいかがなものかと。「死」は厳然として存在しますし、
死を理解することなしに生き抜くことの尊さやその意義を明確にすることは難しい。
教育の現場だからといって、いやむしろ教育の現場だからこそ、死は決して禁忌すべきも
のではないと考えますが(^^)
[2007/10/08 16:17:51]

お名前: 好月   
To Hide. 先生

>すみません、これってそんなに変なことでしょうか?(>_<) 実は私もそう思っている
 のですが…。

 あはは (^_^;) 誤解されると思ってました。m(__)m

>師匠からも「立合ったからには勝たねばならない。しかし、その立会いの内容によっ
 て心映えが評価される。ゆえに、試合は怖いのだ」と教わってきました。

 仰る通りです。私も、同じようなことを子供たちに言っています。

 私は、剣道を「正しく継承し、正しく伝承する」べきだと思っています。ですから、
「正しい剣道」すら認めようとしないお方が、「試合場は『死活懸命の場』である。」
と吹聴されることは、厳に慎むべきと考えています。もうひとつ、『死』という言葉は
子供たちの指導には相応しくないと考えています。私も、随分若い頃何度か「負けると
いうことは死ぬことなんよ」と子供たちに言ったことがあります。後でお母さん方から
猛反発を食らった経験が…。発想が「おぞましい!」んだと…「『死』という言葉は使
わないで下さい」とはっきり釘を刺されてしまいました。それ以後、子供たちには使わ
ないようにしています。

 「正しい剣道」を追求し修行されている方が、ご自身の言葉で伝えられても構わない
と思います。なぜなら、それはもう「個人的な価値観」では無いのですから。
[2007/10/08 05:30:47]

お名前: Paladin   
武道の捉え方に問題があるんですね、とりあえず矯正しましょう。
相手とやり合っていては気が散るでしょうから、
競技化されていないものをお奨めします。

武道が理解できて、それでも気に入らなければきっぱりと武道をやめましょう。
それがお笑い剣道さんのためであり、あなたが指導している子ども達のためです。
[2007/10/07 23:40:55]

お名前: Hide.    URL
To お笑い剣道さん

お久しぶりです。
お笑い剣道さんは剣道への理解が浅く、ご自身ではあまりお出来にならない方なのかと思
いこんでおりましたが、どうしてどうして。しっかりとした剣道観をもっておられるでは
ありませんか!

ようやく、ご自身の剣道観を語ってくださいましたね! 話が噛み合ってまいりました。
あなたは私の中では「謎の人物」だったんですよ(笑) 同じ土俵で語り合えますことをう
れしく思いますヽ(^.^)ノ


>最初にもどりますが、正しい剣道が「パワーやスピードではない、気の練りだ」とし
>たら、どうして試合を男女で分けるんでしょうかね。どうして全日本に年寄り(高段者
>も含む)が挑戦しないんでしょう。「何回も戦う体力がない、全日本はしょせんヒョッ
>コ」などという詭弁はゆるしませんよ。

アハハ、なかなかの策士でいらっしゃる(^^)
好月さんも書いておられますが、そんなことはどなたも書いておられないと思いますよ(^^;

ちなみに、それは詭弁ではなく事実です。
東京なら、予選8試合。全日本に出場できたとして、決勝まで8試合。そんなに戦う体力は
ありません。それが現実です。
高段者(七段戦や八段戦に出場している人)がスーパーシードを頂いて、決勝のみ戦うの
でしたら、6:4から7:3で、高段者が勝てると考えます。
そうは思いませんか?(^^)

女子の一流選手が男子の一流選手とガチンコ勝負するのも、1試合が限度かな。基礎体力
の違いがありますから、同等では戦えない。だから、分けてあるのです。
あなたなら、ご承知ですよね(^^)

あなただって、おいくつの方かは存じ上げませんが、全日本にチャレンジはしませんでし
ょ?(^^;
でも、「気組み」の剣なら、そうそうは打たれたりしませんよね(^_-)〜☆


>私の友人の七段は、「全日本予選」にこそ「勝てるレベルではない」と言って予選に
>出ないが、国体予選にいつも挑戦しています。選手になるときもあれば、ならないとき
>もある。負けるときは「弱いから」と至極当然のことを言っています。

同じ体力なら、何試合ガチンコ勝負しても条件は同じです。
だから、出場なさるのでしょ?
でも、その方は、お稽古では強い。違いますか??(^^)


>そこのところ、子供達を誤解させないでもらいたい。

誰がどのような誤解を招くようなカキコをしておられますか?
具体的にお示しいただけますとありがたいですm(_ _)m


>また、「心映えが正しい剣道が正しい剣道である。」 こんなことを試合場に持って
>くるのは間違いです。試合には、裏も表もがんがん使うべきです。そのために審判がい
>るのです。時には審判だって利用すべきだ。
>しかし、いったん勝敗が決したら、あるいは試合コートの外では、きちんと礼を正す
>べきです。「試合場は『死活懸命の場』である。」私はそういう風に子供に教えている。

あなたは試合を判っておいでだ。
私も同感です(^^)

裏も表も、虚も実も、ありとあらゆる手段を講じてお相手を打つことに全力を尽くすのが
試合です。節著にもそう書かせていただいておりますm(_ _)m

「首でよけるのはいけない」と教えますが、試合に臨んで、咄嗟の場合、首ですらよけら
れす打たれてしまうやつは、選手として失格でしょ。体が自然に動いて「よけてしまっ
た」ものまで否定しません(^^) 最初から、打たれたくないがために体を崩すのは容認で
きませんが。


>それともう一つ私が許さないのは、「相手の力量を計って、それに会わせた剣道をや
>ること」、これをやるとまず試合では勝ち抜けない。試合場ではなにがあるか分からな
>いからです。たとえ‘相手の力量を見極める力’があっても、相手の力量だけが試合を
>決定づけるとは限らない、だから、「相手が三段なら、それより少しだけ勝つ、七段な
>ら、やはりそれより少しだけ勝つ」などという剣道は、相手や剣道をおちょくっている
>もので、武道の考え方ではない。

これは、お稽古での話ですよ(^^; 私はあちこちでそう書いてますけど…。
指導者になるにあたって、稽古不足を心配した師匠が「稽古の心得」として私に教えてく
れたことです(^^)

試合ではやりません。表現は適切でないかもしれませんが、ネズミ一匹倒すのにさえ全力
で戦えと教わってきましたし、私自身そうやっております。それがしあいにおける「礼」
の心と考えておりますゆえd(^-^)! 


>だから、近頃はやりの‘芸道の試合’のように、「突き」や「胴」を自制するなどの
>ばかなことは絶対に許さない。

お尋ねしたいのですが、どこでそんなものはやってるんですか??
私は国体以外、国内の大人の大会をほぼ拝見させていただいておりますが、そんなはやり
は見たことがありませんが(-_-)


>足元不如意の相手には、足払いをかけるくらいのこともいいと思っている。武道に油断
>は禁物、許せない。

稽古ならOKですが、試合でそれはまずいですね(^^;


>それはやはり「芸道」だと思います。

はい、私は剣道を総合的には芸道と考えております。
試合は氷山の一角。きれいごとでは通用しません。その中にも、心映えが現れるとは思い
ますが(^^)


>一つは、「気組み」に必要な「気」をどうやって養うか、と言うとき、剣理を知らな
>い中学生・高校生が‘にらっめっこ’していて、はたして「気組み」の「気」を十分に
>養えるだろうか、もちろん養えないでしょう。

はい、そう思います(^^)


>剣道は、単純にいうと、剣を振り上げ、振り下ろす、あるいつ突く、という動作で成
>り立っている武道です。ですから、強くなるアプローチとして、当然に、まずスピード
>とパワーを考えるでしょう。

御意!
私自身、そんな風に取り組んできましたしね(^_-)~☆


>これらの年齢では、「猛練習に基づく、スピードとパワーの剣道」をがんがんやると
>いう以外に、効果的な方法はないとおもいます。そこで一つの自信を得ていくことが、
>この年齢で「気」を養う現実的な方法でしょう。

同感です。
私も高校教師をしているときは、そんな風に高校生たちを指導してまいりました。
発達段階に応じた指導が必要ということですね(^^)
私は件のトピで、そのことを否定しておりませんが。


>そしてもうひとつ、根本的に「スピードとパワーの剣道」をバカにしていいのか、と
>いうことです。

どこのどなたが、どのカキコで「スピードとパワーの剣道」をバカにしてるんですか?
あなたが、「気と剣先で攻め崩す剣道」を茶化しておられるカキコなら、『最近の高校生
の剣道』で見つけられますが(^^;
でも、あなたも「気組み」を大切にお稽古しておいでのご様子ですね(^0^)


>私の経験から言うと、私は、「気組み」の剣道では、めったに遅れはとりません。
>私のやり方は、道場の稽古でも一切手を抜かないということです。
>よって、時には竹刀さえ触れさせないこともあるくらいで、ましてや面を出して打た
>せることなど全くいたしません。

はい、私も「圧倒的に強く」遣うこともありますよ。でも、いつもではありませんが(^^)


>しかし、パワーとスピードの剣者には、時には打たれることがあるのです。
>「何故か」と考えるに、夢中で剣を振るう彼らに、彼らにも「全く意識しない打ち」
>があるのです。それに私が応じられないのではないかと思います。

おっしゃる通り、私も高校生や大学生にマジで打たれることがあります。そこが反省点で
すね。
「打って反省、打たれて感謝」
決して「マダマダ!」なんて言いませんよ(^^)
それゆえ「不老の剣」を目指したいと、修行を続けるのですね。
剣道は「スピードとパワーだけではない」そう信じたい。
それは、あなたも同じなのではありませんか??(^0^)


>また、長くやっているから、何かを会得している、伸びていると思ってはいけませんよ。
>退化しているかも知れないですよ。

残念ながら、近年、衰えを感じます。貯金を食いつぶしているというか…(T_T)
どうやって、自分なりの「不老の剣」を作り上げるか。
50を手前にして怪我や故障も多くなり、今、一番の関心事です(>_<)
もし、なにか解決の糸口にお気づきなら、ご教示くださいm(_ _)m


To 好月さん
>これは大問題です。あなたの個人的価値観だけではないですか?

すみません、これってそんなに変なことでしょうか?(>_<) 実は私もそう思っているの
ですが…。

師匠からも「立合ったからには勝たねばならない。しかし、その立会いの内容によって心
映えが評価される。ゆえに、試合は怖いのだ」と教わってきました。

試合はなにがあっても負けてはいけない。子どもにそう教えます。負けてもいいなんて
試合のやり方は、お相手に対して失礼な行為だと。

ただし、年齢相応に「分別のある試合」ができる必要はあると思いますが(^^)
[2007/10/07 23:40:02]

お名前: がん   
「論理敵」というより、「読解力が不足」
ですか。
[2007/10/07 23:25:00]

お名前: がん   
失礼します。

要するに、「お笑い剣道さん」は、自分の意見・主張?を
言いたいだけですか?今までの書き込みを全部読んでいますが
論理的にも理解不能です。(別に、頭悪い奴だと、思われてもいいですよ・・笑い)

「議論」をする意思もないようですね。よって、何にも、説得されない。

まあ、自分を説得するなどにも、興味はないでしょう。

まあ、他の方々の書き込みで、「正剣」について、学ばせて頂き
その点は、感謝します。
[2007/10/07 23:16:24]

お名前: 好月   
To  お笑い剣道 さん

 私は、以前のトピを知りませんが、少なくとも今回の話題で、「パワーやスピードで
はない、気の練りだ」と、単純に言い切っておられる方はいらっしゃいませんよ。
 皆さんは、「パワーやスピード【だけ】ではない、気の練り【だけでもないの】だ」
とは、仰っておられるように感じますが…。

>どうして試合を男女で分けるんでしょうかね。
 どうして全日本に年寄り(高段者も含む)が挑戦しないんでしょう。

 わかりません。主催者の考えと参加者の意思によるものでしょう。
 皆さんが何度も仰っているように、「試合」は剣道の一部でしかありません。稽古は男女一緒が多いですし、全日本覇者だって年寄りと稽古することがあります。
「稽古」だって剣道の一部でしかありません…が、「試合」よりはるかに回数が多いですよね。

>高段者だからといって、懐から特別のものが出るわけではないのです。
 魔法のような剣を振るえるわけではないですよ。

 解っています。だれもそんなモンを振るおうとは思っていません。ただただ基本に忠
実に打てたら…と思っておられるだけでしょう。

>「試合場は『死活懸命の場』である。」私はそういう風に子供に教えている。

これは大問題です。あなたの個人的価値観だけではないですか?
少なくとも「剣道」の考え方ではないと思われます。あなたがどうお考えになろうが、
勝手でよろしいでしょうが、子供たちには変なことを吹き込まないで下さい。

 
 
[2007/10/07 18:55:24]

お名前: お笑い剣道   
 最初にもどりますが、正しい剣道が「パワーやスピードではない、気の練りだ」とし
たら、どうして試合を男女で分けるんでしょうかね。
 どうして全日本に年寄り(高段者も含む)が挑戦しないんでしょう。
 「何回も戦う体力がない、全日本はしょせんヒョッコ」などという詭弁はゆるしませ
んよ。
 私の友人の七段は、「全日本予選」にこそ「勝てるレベルではない」と言って予選に
出ないが、国体予選にいつも挑戦しています。選手になるときもあれば、ならないとき
もある。負けるときは「弱いから」と至極当然のことを言っています。
 高段者だからといって、懐から特別のものが出るわけではないのです。
 魔法のような剣を振るえるわけではないですよ。
 そこのところ、子供達を誤解させないでもらいたい。
 また、「剣道人生修行」と言うのに、なぜ高段者大会以外の大会には挑戦しないで、
避けるのかといえば、その力がないからに決まっているじゃあないですか。
 事実は、単純極まりないことです。
 その中にあって、挑戦している数少ない高段者には、『敬意』を表しますよ。
 また、「心映えが正しい剣道が正しい剣道である。」 こんなことを試合場に持って
くるのは間違いです。試合には、裏も表もがんがん使うべきです。そのために審判がい
るのです。時には審判だって利用すべきだ。
 しかし、いったん勝敗が決したら、あるいは試合コートの外では、きちんと礼を正す
べきです。
 「試合場は『死活懸命の場』である。」私はそういう風に子供に教えている。
 人間を鍛えるのに、つるつるの石ばかりで磨いても光りませんよ。
 だから、近頃はやりの‘芸道の試合’のように、「突き」や「胴」を自制するなどの
ばかなことは絶対に許さない。足元不如意の相手には、足払いをかけるくらいのことも
いいと思っている。武道に油断は禁物、許せない。
 突きや胴を実質的に行わないなら、防具をつけないで、小手とあとは頭に座布団でも付けた格好でやればいい。芸道にはふさわしい格好だと思いますよ。
 それともう一つ私が許さないのは、「相手の力量を計って、それに会わせた剣道をや
ること」、これをやるとまず試合では勝ち抜けない。試合場ではなにがあるか分からな
いからです。たとえ‘相手の力量を見極める力’があっても、相手の力量だけが試合を
決定づけるとは限らない、だから、「相手が三段なら、それより少しだけ勝つ、七段な
ら、やはりそれより少しだけ勝つ」などという剣道は、相手や剣道をおちょくっている
もので、武道の考え方ではない。それはやはり「芸道」だと思います。
 途中、脱線してしまいましたが、剣道には、やはり、スピードとパワーは必要不可欠
です。もちろん全てではない。
 剣道は、単純にいうと、剣を振り上げ、振り下ろす、あるいつ突く、という動作で成
り立っている武道です。ですから、強くなるアプローチとして、当然に、まずスピード
とパワーを考えるでしょう。
 しかし、結局「いつ振り上げて、振り下ろすか、あるいはいつ突くか」が要となるわ
けですから、行為者の「心のありよう」、これがなんといっても重要となるわけです。
 つまり、心に「攻め」を持って相手をの心を追い込むという「気組み」の剣道となる
わけです。
 私が、「スピードとパワーは、必要不可欠」という理由は二つあります。
 一つは、「気組み」に必要な「気」をどうやって養うか、と言うとき、剣理を知らな
い中学生・高校生が‘にらっめっこ’していて、はたして「気組み」の「気」を十分に
養えるだろうか、もちろん養えないでしょう。
 これらの年齢では、「猛練習に基づく、スピードとパワーの剣道」をがんがんやると
いう以外に、効果的な方法はないとおもいます。そこで一つの自信を得ていくことが、
この年齢で「気」を養う現実的な方法でしょう。
 “スピードとパワーの剣道は、所詮ピークが短く、長続きしない”。これもその通り
です。しかし、一旦「スピードとパワーの剣道」を通った者は、そのピークを過ぎ、衰
えていくに従って、何とかそれに負けない剣道を磨くわけです。
 たとえば、無駄を徹底的に省いていくになりして、そして本格的な「気組み」に至る
わけですが、そこには、越えるべき相手となる「スピードとパワーの剣道」実施者(自分である)の明確なイメージがあるわけです。ここが、中・高校生時代にらめっこで過ごす
者との大きな違いになるわけです。
 この違いは、上達に大きな差をつけますよ。
 そしてもうひとつ、根本的に「スピードとパワーの剣道」をバカにしていいのか、と
いうことです。
 私の経験から言うと、私は、「気組み」の剣道では、めったに遅れはとりません。
 私のやり方は、道場の稽古でも一切手を抜かないということです。
 よって、時には竹刀さえ触れさせないこともあるくらいで、ましてや面を出して打た
せることなど全くいたしません。
 しかし、パワーとスピードの剣者には、時には打たれることがあるのです。
 「何故か」と考えるに、夢中で剣を振るう彼らに、彼らにも「全く意識しない打ち」
があるのです。それに私が応じられないのではないかと思います。
 「気組み」の剣は「明確な攻めの意思」が不可欠です。
 ですから、私は応じられるのですが、「全く意識しない打ち」に応じるのは非常に難しい。
 確かに、ピークの短い「パワーとスピードの剣道」ではあるが、バカにしてはいけません。
 また、長くやっているから、何かを会得している、伸びていると思ってはいけませんよ。退化しているかも知れないですよ。
[2007/10/07 14:14:32]

お名前: Hide.    URL
To 親馬鹿一刀流さん

すみません、よけいなことをフッちゃって(^^;
読み返してみますと、もう少し違ったアプローチもあったかなと、少し反省しておりまし
て。即日レスをつけなければいけない難しさもありまして・・・なんていうのは言い訳で
すが。

お時間のあるときで結構ですので(^_-)~☆
[2007/10/04 07:31:57]

お名前: 親馬鹿一刀流   
Hide.さん
ご教示するなんてとんでもございません。
実は今日一日ちょっとした時間や落ち着いた時にあれこれ考えたのですが返って深みにはまっています。
自分なりに考えを持っては居ますが、テーマに対する答えの幅が結構ありまして、答えはこうですよと
言いにくくなっています。

トピ主さんや、意見を述べられた方個別の回答ではないのですが、剣道に対する捉え方の違いが大きい
のだと思います。宗派の違う方に自論を述べても受け入れてもらえないように。

という事で自分の考えのまとめは少々お時間を下さい。
[2007/10/04 01:02:09]

お名前: Hide.    URL
To 親馬鹿一刀流さん

管理人のHide.です。

そうですね、心の持ちようによって「打った打たれた」「勝った負けた」のとらえ方って
変わってきますよね。旗が揚がるか上がらないかのレベルだけで判断できない奥深さ。
それが剣道の大いなる魅力であるし、人間を磨いていく手段の一つに「できる(できない
人もいる)ってことなのだと愚考しております。

ただ、今回、「正しい剣道とは何か」を問われました時に、技術的には試合審判法を引き
合いに出す以外、説明のしようがなかったことは反省点かもしれません。

親馬鹿さんなら、もう少し上手にご説明いただけたのかもしれませんね(^^;
もし、なにかお考えがありましたら、後学のためにご教示くださいm(_ _)m
[2007/10/03 08:19:23]

お名前: 親馬鹿一刀流   
どうやら終結の兆しがある所へあえて書き込みします。

正しくない剣道、あるいは自分の剣道をこういう風に非難されたという具体的な記述が無いまま
議論が進んでしまったのが問題と思っています。
関連トピの高校生...ではパワーとスピードの剣道に対しての疑問から始まっています。
ルール内ならばいわゆる理想の剣道でなくても良いではないかとの弁ですが、正しい剣道(理想の剣道)
の定義はあったと思いますが、ご自分達が非難されている剣道はこういう内容だという具体的な
例示はありませんでしたよね。ウエイトトレーニング、フェイント、左拳をはずすの事はありましたが。

やっぱりですね、あえてアバウトにしている剣道の試合規則を基準にして、正しいも正しくないもない
ではないかという意見と試合規則だけでは語れない剣道の面白味があるよという意見の対立なのかと思
います。
一般的な稽古会で主体にしている互角稽古の場でも、一本取った取られたをお互いに認め合う場があり
ますが、打たれたんだから負けを認めろよと考える人と、打ったかもしれないが姿勢が崩れていた、
あるいは、打つ前に心が崩されたので負けましたとお相手を尊重する場は多くあります。
また、肘を打たれてもたまたま肘に当たっただけで、良い機会に打たれましたと思う人。
機会は良かったけれど肘は打突部位ではないから一本ではないですと思う人。
この謙虚さは剣道に歴然とあります。

試合の結果を主体に考える人は、肘に当たった以上は一本ではない。
姿勢は崩れていたかもしれないが、しっかり打ったではないか?刀だったら死んでいるだろ。
姿勢も何もない、刀法に合っているではないかという論法なんだろうと思います。

双方に理があると思いますが、私は攻められて打突前に心が動いたら負け。
触られたら負けで良いと思います。
逆を言えば、攻められて心が動かなかったら勝ち、触ったら勝ちでも良いと思います。


長くなりましたが、やっぱり確認したいのは、どんな剣道が正しくないと言われて反論されているので
しょうか?
[2007/10/03 00:28:18]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

>はぁ〜(+_+) もしかして、私が議論のすり替えをしていたんですかねぇ?(*_*)???

さぁ、ひいき目なしに、そんな風には思えませんがねぇ(>_<)


>ともあれ、そもそも実力もないのに「正しい剣道」を振りかざし、不得手な「難剣」
>に翻弄されながら、自分を正当化し相手を非難する。こうした高段者、年寄りが増えて
>いるのが、諸悪の根源です。打たれた後の胸突や、真横や背後からの後打ち等…それだ
>けでも気分が悪いのに、後で説教垂れる恥知らずも少なくありません。

おっしゃる通りです。
そんな人と数人出会ってしまったら、現代剣道に絶望する人が出てきても不思議はありま
せん(-_-)
剣道が世間の人から見放されないようにするためにも、まず。自分がそのような悪しき心
映えを持たずにお稽古していくしかありませんね。


>Hide.先生 大変お疲れ様でした。管理人さんは、途中で投げ出せませんからね。(^.^)

好月さんも、お付き合いくださいましてありがとうございましたm(_ _)m
[2007/10/02 22:19:16]

お名前: 好月   
はぁ〜(+_+) もしかして、私が議論のすり替えをしていたんですかねぇ?(*_*)???

 私としては、「剣道」から軸足を外すことなく、誠実にお答えしていたつもりなんで
すが…。と言っても、「剣道」以外を知らないんですから、他にすり替えようもないん
で、僅かな知識と蓄えてきた資料をまさぐりながら、大真面目に取り組んだんですけど…。
 
 ただ反省点としては、議論が平行線をたどると、ついつい、極論を展開してしまい、
ありえない極端な事例を挙げて説明しようとする…。これが<押し付け>と取られる…。
これが、相手の気分を害し、心を硬化させて、話はますます平行線へ… (-_-;)
 堂々巡りですね。反省します。剣道でも、あからさまな攻めは逆効果ですもんね。

 ともあれ、そもそも実力もないのに「正しい剣道」を振りかざし、不得手な「難剣」
に翻弄されながら、自分を正当化し相手を非難する。こうした高段者、年寄りが増えて
いるのが、諸悪の根源です。打たれた後の胸突や、真横や背後からの後打ち等…それだ
けでも気分が悪いのに、後で説教垂れる恥知らずも少なくありません。
 「剣道界の風通しを良くする」ためには、まず、こういう身近な方たちに、ご自身の
何たるかを、身に染みてもらわねばならないのかもしれません。そして、自分自身がそ
うならないよう、常に厳しく稽古・内省を繰り返せねば…と感じました。
 
 Hide.先生 大変お疲れ様でした。管理人さんは、途中で投げ出せませんからね。(^.^)
[2007/10/02 09:29:15]

お名前: Paladin   
複数の武道をやったりすると、異なる理を体感します。
そして、こっちが正しいと思うなどど好みがでてきます。
それでも、もう一方の稽古をするときは頭を切り替えなければ続けられません。

剣道という文化をより広く捉えて理があっても、
現代剣道で理が無ければ現代剣道では間違いなんです。
「認めろ」というのは単なる我が儘です。

繰り返しになりますが、少数派が少数派に甘んじていては歴史は覆りません。
多数派になる努力をしていないようですし、
自分のやり方を正道といってもらえる世界に身を置いたほうが幸せですよ。
[2007/10/01 18:08:48]

お名前: Hide.    URL
To kenbuさん

>現代剣道は多くの人が取り組むだけの魅力があって、そして修練していくうちに
>やがて同じところに辿り着くのでしょう。しかし、それは同じような思想のもとで同じ
>稽古に励んでいるのですから当然のことです。

失礼ながら、現代剣道に関するあなたの見方はかなり浅いものであると断ぜざるを得ませ
ん。本当にみんなが同じゴールにたどり着くとお考えなのですか。驚きです(^^;
同じ指導者が同じように基本を教えたとしても、同じ剣道なんかにはならないんです。振
り方一つ、切返しにだって個性が出ます。
まして、たかだか4箇所の打突部位しかない現代剣道ですが、攻めと打突の組み合わせた
るや千差万別。自分自身とて、同じお相手にまったく同じ面を打つことなど不可能です(^^)

あなたには至極平凡でつまらない競技と映るのでしょうが、その中にもたくさんの面白さ
があります。現代剣道の面白さに気がつくことができないとは、お気の毒としかいえませ
んが、それはお互い様ですかね(笑)
念のため申しておきますが、私は一刀流の組太刀を勉強させていただいております。古流
や形稽古の面白さの一端は理解しているつもりではあります。


>そもそも、武術性を一切失った武道というのは単なるスポーツでしかありませんから。

武道は心法です。「心の教育」であり「生きる力を育てる糧」です。
あなたの言われる武術性とは、いったい何なのでしょう?
「単なるスポーツ」の定義も定かではありませんし・・・。
あなたがどのような見識からそう断ぜられるのかは知る由もありませんが、はなはだ疑問
です(-_-)


>結局、あなたがたの理屈は「正しいから、正しいのだ」というものに過ぎません。

当然のことと考えます。
ルールがあり、お互いが「一本の基準」を共通認識しなければ、競技として成り立ちませ
ん。
日本語と英語とでは、そのままではコミュニケーションはできないんです(^^)


>ある一つの形態を「正しい」と位置づけるからには、その正邪を判断する基準のような
>ものを明確にしてください。でないと、矛盾しています。という、当たり前のことを
>聞いているだけなんですけどね。

すでに、全剣連の有効打突の基準4項目を挙げさせていただいておりますが、なぜそれが、
「基準たり得ないのか」のご説明はいただいておりません(^_^ メ)


>ついでに、あなたがたは武術を単なる暴力の手段、殺し合いの技術と捉えているようで
>すが、武術も最終的には人間形成に至ります。

よく存じ上げてます。
佚斎樗山をご存知ですか? 江戸中期、太平の世となり変質しつつあった剣術に対して、
その本来の意義を説き、「気」を中心とした「心法論」を寓話を用いて啓蒙した人物です。
以後の武術家に多大な影響を与えましたね(^^)


>結局は個人の努力や裁量に任せられるというのであれば、最初から何もないことと
>同じですから。

おっしゃるとおり、どのような取り組みをするかにゆだねられている。
その点は、武術とて同じことではありませんか(^^)


>もっと多様な剣道の形態というのを認めたらいかがでしょうか?現在言われている
>正しい剣道というのは、あくまで剣道の一形態ということにして、多様な剣道の存在を
>認めてもよいと思います。

面白い提案だと思いますが、あなたのおっしゃる「多様な剣道」とはどのようなものでし
ょうか。
もしよろしければ、「多様な剣道」というトピでもお作りいただき、ぜひぜひ、お説を開
陳していただきたいものです(^0^)


>では、これ以上は議論がこじれそうなので自粛します。失礼しました。

それは残念です。

それにしましても、あなたの剣道も拝見してみたいですね。さぞかし、私どもには想像も
つかないようなエキサイティングな立会いをされるんでしょうねヽ(^.^)ノ
もし、機会がありましたら、ぜひぜひ、電脳剣士稽古会にいらしてください。あなたの剣
道をあなたの身をもって具現化してみていただけますれば、ぼんくらな私も、あなたの高
尚なお説を理解することができるものと思われますゆえm(_ _)m

長々とお付き合いいただきましてありがとうございました!
[2007/10/01 17:32:38]

お名前: kenbu   
なんだか議論がすり返られているような気がしてならないですねえ。
もう一度断っておきますが、私は武術的観点で剣道を否定しているわけでも、
正しい剣道そのものの形態を否定しているわけでもありません。
現代剣道はそれはそれで剣道の一つの形態としては魅力があります。だからやりたい人は
自由に取り組めばいいのです。また、私自身の剣道観や武道観は今どうでもいいのです。
別に付き合ってくれなどとは一言も言っていません。ただ説明しろという要望に答えた
までです。

ただ、これがあなたがたの言う「正しい剣道」を絶対のものとし、他の剣道は認めないと
なるならば勝手が違います。結局、気剣体の一致にせよ現代剣道を規定する明確な
価値基準というのは存在しないのですね。この時点で既に結論は出ています。
現代剣道は多くの人が取り組むだけの魅力があって、そして修練していくうちに
やがて同じところに辿り着くのでしょう。しかし、それは同じような思想のもとで同じ
稽古に励んでいるのですから当然のことです。
剣道という文化をより広く捉え、その本質を見出そうとしている人間にとっては必ずしも
同じにはならないのですよ。武術とも無関係だとは思えません。(そもそも、武術性を
一切失った武道というのは単なるスポーツでしかありませんから。)
竹刀を持ち、決まった部位をたたきあう中に様々な意味や付加価値を見出しているの
でしょうけど、そのような同じ思想、環境の中での共有意識のみを以て、それを
「正しい剣道」に位置づけられても、単なるご都合主義ですよ。
結局、あなたがたの理屈は「正しいから、正しいのだ」というものに過ぎません。
「現代剣道はこうだから、だからこういう剣道をしなさい。他は正しい剣道ではない」
まあこれはこれで一つの考えですから、決して否定はしません。
しかし、それに納得できない人間がいるのも至極当然のことです。
ある一つの形態を「正しい」と位置づけるからには、その正邪を判断する基準のような
ものを明確にしてください。でないと、矛盾しています。という、当たり前のことを
聞いているだけなんですけどね。

ついでに、あなたがたは武術を単なる暴力の手段、殺し合いの技術と捉えているようですが、
武術も最終的には人間形成に至ります。
寧ろ、全剣連の掲げる人間形成というものがお題目ばかりで用を足していないような
気がするのは私だけですか?(人間形成できている人がいないという意味ではありません)
結局は個人の努力や裁量に任せられるというのであれば、最初から何もないことと
同じですから。

もっと多様な剣道の形態というのを認めたらいかがでしょうか?現在言われている
正しい剣道というのは、あくまで剣道の一形態ということにして、多様な剣道の存在を
認めてもよいと思います。その中で、剣道が新たな一歩を踏み出していけばよいのです。
下の方でも言われていますが、目指す剣道は違えど稽古することはできるのですから。
では、これ以上は議論がこじれそうなので自粛します。失礼しました。
[2007/10/01 16:16:33]

お名前: Hide.    URL
To おやじさん

管理人のHide.です。


>Hide先生!これはこれでまことに豪華剣談?であると、、、う〜むと唸りながら拝見致
>しております。

アハハ、書き込みがにぎやかなのは管理人としてうれしい限りですが、なかなか意が伝わ
らないと疲れが増してくるものでございまして(^_^ メ)


>はっきり言ってしまえば、現代剣道は「相手に勝つ事」ではなく「自分に勝つ事」をそ
>の目的として存在しゆえに、現代剣道における勝敗の一本は「気剣体」気合い(精神)
>剣(技前)体(鍛錬された肉体・姿勢)なるものが「一致」を見た瞬間に現れるのでは
>ないかと、、、、思うのであります。
>また、その一致の瞬間に技の秀逸や美麗といったものが生まれるように修養して行くも
>のではないかと我流に解釈致しております。

まさにしかり!
「非心を切る」ということですね。
「打ちたい」「勝ちたい」という気持ちを抑え、「勝って打つ」を求める。これまさに、
己との戦いであります(^^)

もちろんそれが自己満足の域を出ないと批判される向きもありましょうが、お相手を無視
して自己実現を図ろうとするわけではありません。それゆえの「打って反省、打たれて感謝」「我以外皆師」であります。

まぁ、一部高段者に傲慢不遜な方がいらっしゃるのも認めますが(^^;
[2007/10/01 08:12:23]

お名前: おやじ   
なかなかに、込み入って参りました、、、Hide先生!これはこれでまことに豪華剣談?であると、、、う〜むと唸りながら拝見致しております。

自分は、気剣体=心技体とも言えると思うておるのですが、現代剣道は「人間形成」を求めておりますので、当然、相手に勝つ事、相手を斬り倒し生き残る事「剣技」の完成や不敗を求める剣の道とは異なるのではないでしょうか。
はっきり言ってしまえば、現代剣道は「相手に勝つ事」ではなく「自分に勝つ事」をその目的として存在しゆえに、現代剣道における勝敗の一本は「気剣体」気合い(精神)剣(技前)体(鍛錬された肉体・姿勢)なるものが「一致」を見た瞬間に現れるのではないかと、、、、思うのであります。
また、その一致の瞬間に技の秀逸や美麗といったものが生まれるように修養して行くものではないかと我流に解釈致しております。

剣道において試合競技はほんの一部であると、また、競技の部分ばかりにこころを奪われるとスポーツと思えることもあるのではないかと思います。

剣の道が人の道であるならば、ことさらに真剣を抜いて刃筋がどうの、斬れるの斬れないの、勝つの負けるのもいかがなものかと、、、、。

正しい剣道は現代剣道の中に確かにあります。そして、それは競技としては強くない(残念ながら、、、自分もそこのところを侮っておりました、、、)、しかし、人の道生き方として貫かれた場合の見事さは言うまでもないでしょう。

誠実という言葉、言う事が成る、そして実を結ぶと書きます。

己の信じる所を貫く、正しきこと悪しき事またその他にあるべきや、、、

生きざまに正しいところがあれば、、、、それで良いのではないでしょうか?
[2007/10/01 00:17:30]

お名前: 好月   
To kenbu さん

>全剣連の試合規則といい、そのルールを生み出し、正しい剣道というものを規定して いるものが何たるかを聞いているのに、ルールをそのまま持ってこられても本末転倒
 です。剣道が全剣連の規定した有効打突を求めることは誰でも知っています。

 「剣道」の枠内で「正しい剣道」を論じてきたつもりです。
これが本末転倒なら、何が「本」で何が「末」なのでしょうか?
 貴方は、「武術」と「武道」を混同されているようです。まして、「剣道」を理解し
ようとせず、「剣術」の世界に身を置きながら「剣道」を批判されている。

 「正しい剣道はない」じゃなくて「正しい剣術はない」なら、私も明るくないので
「そうかも知れない」と思うでしょう。しかしあなたは、「剣道」のルールも認めず、
「剣道」が「剣道」として存在する根本から否定されては、話のしようがありません。

 貴方が、ご自身の「剣術」が「剣道」の世界で批判・否定されるのはお気の毒だと思
います。しかし、「土俵」が違うのです。「剣道」の道場では「剣道」の範囲内で自己
表現して下さい。そしてまず、「剣道」を「正しく」学んで下さい。
[2007/09/30 23:57:22]

お名前: Hide.    URL
To kenbuさん

>対象が間違っているとは、現代剣道の教えに外れたものは全て間違ったものということ
>ですか?

少なくとも現代剣道においてはそう言い切れます。
この21下の私のカキコをお読みいただけますか。
このトピでは、「現代剣道において」の話をテーマにしております。
もし、違う次元のお話が所望でしたら、別トピをお立てくださいm(_ _)m


>それこそ、気剣体一致した打突という概念の、表層的解釈に過ぎないと思われます。

そのご発言認めましょう(^^)
ちなみにお尋ねいたしますが、あなたは少年指導や学校の現場で指導に携わる立場におあ
りの方でしょうか?
もしそうなら、そのようなスタンスで後進の指導にあたっておられるのですか? 失礼な
がら、そうでないことを願いたいですね。
指導者として良心をお持ちなら、自分のお弟子さんにそういうスタンスで指導はできない
と思いますけどねぇ(^^;



>再三申していますが、私は自分の求めている剣道が正しくて他は正しくないと言うつも
>りは毛頭ありません。ただ、私自身が求めたいから求めているだけの話です。

了解しました。
私もあなたの自己満足にお付き合いする暇はございません。ここは私の個人サイトです。
どうぞ、どこぞの武術系のマニアックなサイトで自説を開陳なさって悦に入っていてくだ
さい(^^)


>では何故、気剣体一致でなければいけないのですか?そもそも気剣体一致とは何です
>か?
>どこに由来するのですか?そのような剣道の概念を決めている価値基準とは、
>一体何なのですか?

反対に問いましょう。気剣体一致でななくてもいい理由をお持ちですか?
もしあるなら、明確にお答えいただきたいものです。
さらに、あなたはあなたの剣道の中で、気剣体一致を求めてはおられないのでしょうか?
気剣体一致でないあなたの打突は、お相手の心を打つ一本たりえるのでしょうか?
疑問です・・・。


>盲目的に自分の剣道の形態のみが正しいと信じ、各人の取り組みも無視し、
>あれは邪剣だ、あんなのは剣道ではないと蔑む風潮があることは、否めません。

少なくとも私はそのようなことは申していないはずですが。
そのお言葉、そっくりあなたにお返ししたいですね(^^)
[2007/09/30 22:58:30]

お名前: kenbu   
>あなたがおっしゃる「きちんと学ぶ」というのは、何を規範にしておられるのですか?
>学ぶべき対象が間違っていたら、間違ったものを身につけてしまう恐れがありますゆえ。
対象が間違っているとは、現代剣道の教えに外れたものは全て間違ったものということですか?
学ぶべき対象がどうであるに関わらず、「きちんと学ぶ」とは、私にとっては単に
やる気があるかないかくらいにしか受け取れません。何事も学ぶ上でやる気があることは、
正しいも何も前提のようなものですから。

>●充実した気勢
>●適正な姿勢
>●竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突する
>●残心あるもの
>有効打突の要件に照らしてみた時、あなたのおっしゃるようなことでは有効打突の要件を
>満たしにくい。それゆえ「基本から外れている」とこういう理屈です。
何故、満たしにくいのですか。私は、踏み込み足でなければ気剣体一致した打突が
出来ないとは到底思えません。ベタ足も、有効打突の条件との直接的な関連が
見えてきません。ベタ足かどうかは、打つ直前の初動に関わってくる問題だと思うのですが。
また、剣道の高段者の方にも、歩み足やベタ足、撞木足の方は見受けられます。
最近では、基本が画一化されすぎているがために少なくなってきているようですが。
それこそ、気剣体一致した打突という概念の、表層的解釈に過ぎないと思われます。

>中にはあなたのように、武道や武術的なアプローチを希求なさる方がおられてもよろしい
>でしょう。でも「それができなきゃ正しい剣道ではない」というのは、ちょっと傲慢な意
>見に聞こえます。
再三申していますが、私は自分の求めている剣道が正しくて他は正しくないと言うつもりは
毛頭ありません。ただ、私自身が求めたいから求めているだけの話です。

>私はずいぶん明確に「正しい剣道の何たるか」を繰り返しご説明申し上げているのですが、
>どうにもご理解いただけないようで残念です(>_<)
先程も申したとおり、「正しい剣道」の具現像はあらかた見えてきましたが、相変わらず
それを規定する価値基準に関しては一向に見えてきません。
全剣連の試合規則といい、そのルールを生み出し、正しい剣道というものを規定している
ものが何たるかを聞いているのに、ルールをそのまま持ってこられても本末転倒です。
剣道が全剣連の規定した有効打突を求めることは誰でも知っています。
では何故、気剣体一致でなければいけないのですか?そもそも気剣体一致とは何ですか?
どこに由来するのですか?そのような剣道の概念を決めている価値基準とは、
一体何なのですか?

>ちなみに「他を規定する」とはどういう意味ですか?
盲目的に自分の剣道の形態のみが正しいと信じ、各人の取り組みも無視し、
あれは邪剣だ、あんなのは剣道ではないと蔑む風潮があることは、否めません。
それは、即ち他を規定することであると思われます。
[2007/09/30 19:36:58]

お名前: Hide.    URL
To kenbuさん

>これは重要なことでしょう。しかし、何故これが正しい剣道という絶対的な冠詞を
>持つのかいまいちピンときません。
>何事も、きちんと学ぼうという姿勢がなければ上達しないのは当然のことです。

結構です。そこを否定されますと、もはや話のもって行きようがありませんでしたから(^^)

では質問です。
あなたがおっしゃる「きちんと学ぶ」というのは、何を規範にしておられるのですか?
学ぶべき対象が間違っていたら、間違ったものを身につけてしまう恐れがありますゆえ。


>また、姿勢正しく、刃筋正しくというのは、竹刀剣道に於いて考える必要は
>あるのでしょうか。多くの人が、古流や実際の戦いとは関係ないと言いました。
>しかし、姿勢や刃筋など、中途半端にその名残だけ残して、他は関係ないとするのは
>なぜでしょう。

好月さんも書いておられますが、全剣連が規定した「試合審判規則」をお読みになったこ
とがおありですか? 剣道は試合に限らず有効打突を求めあう競技であるっていうことは
否定なさいませんよね?
で、その規則には、試合における剣道の有効打突の要件がきちんと決められております。

それには4要素あり、
 ●充実した気勢
 ●適正な姿勢
 ●竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突する
 ●残心あるもの
です。
現代剣道は面・小手・胴・突きを打突し合う競技ですから、それにとって理のある技法が
古流剣術から分化してきたわけです。必要なものは残し、必要でないものをそぎ落とした。
そういうことです(^_-)〜☆


>それとて、様々な形があります。私は、ベタ足でも構わないと思います。
>歩み足でも、踏み込み足でなくても、撞木でも、腰が落ちてもよいと思います。

有効打突の要件に照らしてみた時、あなたのおっしゃるようなことでは有効打突の要件を
満たしにくい。それゆえ「基本から外れている」とこういう理屈です。
基本とは、万人にとって「無理無駄なく、筋道だてて技術を学ぶ道しるべ」です。
足し算を学び引き算がわかり、足し算を応用して掛け算を学び、掛け算を学んで割り算の
原理を知ります。それと同じなんじゃないかと考えておりますが(^^)


>要は、アプローチの問題です。私は、現代に残る武道や武術を通して、「人間の根本真
>理」に迫る努力が必要であると思います。

また、全剣連はそのHPの中で「剣道は剣道具を着用し竹刀を用いて一対一で打突しあう運
動競技種目とみられますが、稽古を続けることによって心身を鍛練し人間形成を目指す“
武道”です」と定義しています。
私たち全剣連に加盟し竹刀剣道を学ぶ者は、さまざまなレベル様々な取り組みにおいて、
この全剣連が決めた指針を「頂」として剣道を学んでいくことが求められています。
中にはあなたのように、武道や武術的なアプローチを希求なさる方がおられてもよろしい
でしょう。でも「それができなきゃ正しい剣道ではない」というのは、ちょっと傲慢な意
見に聞こえます。
そうしたアプローチをなさってない先生でも、稽古を通して物事の心理をしっかりと悟っ
ておられる先生はたくさんいらっしゃいますので(^^)


>しかし、正しい剣道という絶対的な価値基準を持ってきて、他を規定するからには
>それが何なのか、それがどこに由来するのか、一切を説明できなければ矛盾しています。

私はずいぶん明確に「正しい剣道の何たるか」を繰り返しご説明申し上げているのですが、
どうにもご理解いただけないようで残念です(>_<)

ただ、あなたには絶対的な価値基準に聞こえるのかもしれませんが、必ずしもそうではあ
りませんね。「正しい心映え」「基本に忠実」これは、各人の取り組みによって幅が出ま
す。指導者によっても指導内容の分かれるところです。ひとりひとりが顔かたちが違うよ
うに、剣道の表現方法も違ってしかるべき。これは、このトピの前身である「最近の高校
生の剣道(https://ichinikai.com/bbs2/768656430141167.html)」でもそ
う書かせていただいています。
その各人の表現の中で「基本に忠実でないもの」は諌めますし、「心映えの正しくない取
り組み」は正していくといった手法になります(^^)

ちなみに「他を規定する」とはどういう意味ですか?
[2007/09/30 18:16:31]

お名前: 好月   
To kenbu さん

もう少しだけ失礼します。

>刃筋正しくというのは、竹刀剣道に於いて考える必要はあるのでしょうか。
 多くの人が、古流や実際の戦いとは関係ないと言いました。

 「刃筋正しく」は、有効打突の要件ですので、ここは認めていただけないと、正しい
も何も剣道ではなくなってしまいます。また、刃筋が関係ない古流は、もはや剣術とも
言えないんじゃないですかねぇ。

>武道は、遊びから始まったスポーツと違い、殺し合いという最も特別で難儀な状況に
 身を置く以上、より挑戦的に、本格的に行わざるを得なかったのです。

 これは、「武道」ではなく「武術」ですね。「武道」は「武術」が昇華したもので、
禅などの哲学やら宗教やらと結びついて道徳的要素・精神的内容が重要視されてきたの
はご存知のはずです。もはや殺し合いとは対極にあるものだと考えます。

 いろんな制約があって「剣道」だと思います。生死を分かつ術ではありません。基本
の構え・運足・運刃・・・全人的運動文化だからこそ、すべてに意味があるんです。
 勝てばいい、負けねば何をしてもいいというのでは、昭和30年代のヤクザの出入りも
「剣道」と認めなくてはなりませんね。
[2007/09/30 15:53:15]

お名前: 好月   
To kenbu さん

>「正しい剣道」という価値観に対して、否定的なスタンスであるという事実を、
 どうお考えになりますか。

 私は、プロスポーツも古武術も経験ありませんが、学生時代は試合でしか評価されま
せんから、それが尾を引き25歳迄周囲から邪剣・難剣と評されて、「正しい剣道」には
否定的でした。「正剣」も出来なくはなかったのですが、それではまったく勝てませ
ん。元に戻せば県でも準決勝戦までは行けました。が、それ以上になると今まで一本に
なっていたものが、当たっても採ってもらえません。そんな経験が幾度もあり、本気で
反発していました。それでも「正剣」に変えようと思ったのは、ほんとに腹が立って、
今まで自分を否定してきたおっさんに、「参った!」と口に出せないぐらいに、言い訳で
きないぐらいに打ち据えてやろうと決めたからです。
 まあ、今ではあの頃の未熟さを恥じてますけどね。もしあのまま「邪剣」やってたら
今まで続いていないだろう、今のようには打てないだろうと思っています。
 
>正しい剣道とやらだけを強要され、他は邪剣と蔑まれる。

 これは同感です。さすがに私の周りに、このようなお人はおられません。私も元は
「邪剣」。蔑むなんて自滅行為ですし、こういう人との稽古は、俄然燃えてきますね。

>ついでに、ここまでの話で、「正しい剣道」とやらの具現像はある程度出てきました
 が、それを規定する価値基準というものは一向に見られませんね。
 正しい、正しくないと判断するならば、それらを規定する絶対的な基準がなければ土
 台矛盾した話です。

 称号・段位の付与基準をご存知ですか?
 まぁ、あれ自体が具体性に欠けるという意見も多いですが、それを探求するっていう
のも剣道ですから・・・。
[2007/09/30 13:39:02]

お名前: kenbu   
>Hide.さん
>●正しい心映え(自他に対して誠実であること)
これは重要なことでしょう。しかし、何故これが正しい剣道という絶対的な冠詞を
持つのかいまいちピンときません。
何事も、きちんと学ぼうという姿勢がなければ上達しないのは当然のことです。
>●基本に忠実な剣道(気力旺盛にして、姿勢と刃筋が正しいこと)
基本というのは、何に基づいての基本なのでしょうか。
あくまで、「防具を着け、竹刀を持って決められた部位を打ち合う」ことの延長上に
あるものと捉えてよいのでしょうか。
それとて、様々な形があります。私は、ベタ足でも構わないと思います。
歩み足でも、踏み込み足でなくても、撞木でも、腰が落ちてもよいと思います。
それぞれに理があるのですから。しかし、一般的には、剣道の基本というのは
かなり規定されていますし、そうでなければ邪剣と蔑まれる傾向があるのは事実です。
また、姿勢正しく、刃筋正しくというのは、竹刀剣道に於いて考える必要は
あるのでしょうか。多くの人が、古流や実際の戦いとは関係ないと言いました。
しかし、姿勢や刃筋など、中途半端にその名残だけ残して、他は関係ないとするのは
なぜでしょう。

>無理だから、剣道の本質には迫れない。ゆえに、「正しい剣道はない」という論法
なのでしょうか?
無理とは思いません。というより、無理であれば今武道や武術を学ぶ意味などありません。
要は、アプローチの問題です。私は、現代に残る武道や武術を通して、「人間の根本真理」
に迫る努力が必要であると思います。
武道は、遊びから始まったスポーツと違い、殺し合いという最も特別で難儀な状況に
身を置く以上、より挑戦的に、本格的に行わざるを得なかったのです。
それは、文字通り人間の生と死に迫る問題です。つまり、武道とは何かしら人間の
根底的な真理に到達するものがあったはずなのです。それが、現代まで残され継承
されている、西洋にはない東洋独自の伝統的鍛錬法の数々です。
例えば、昨日挙げた居着きに関しての話なら、居着きを単なる心的現象と捉え、
その現象のみを切り取って克服に努める作業は、真理に迫る作業ではありません。
このような葛藤なら、スポーツ選手あるいは一般の人間も普通に行っていることです。
しかし居着きを、心身未分の全体的現象と捉え、居着きは何故起こるのだろうか、
人間の精神活動の由来とはなんなのだろうと、考え模索する作業は、真理に迫る
作業です。この観点が現代剣道には決定的に欠けています。
まあ、これはあくまで私自身の考えですし、私がやりたいからやっているだけの話です。
ましてや正しい剣道、なんて口が裂けても言えません。
しかし、正しい剣道という絶対的な価値基準を持ってきて、他を規定するからには
それが何なのか、それがどこに由来するのか、一切を説明できなければ矛盾しています。
私をはじめ、ここにおられる数名の方は、それを問うているだけであると思いますよ。
[2007/09/30 13:03:31]

お名前: kenbu   
>好月さん
難しいか難しくないかは、今の議論の本質ではありません。
どんなものでも極めようとすれば難しく、際限のない道であるに決まっています。
正直なところ、あなたのようなお話はどこに言っても聞くことができます。
そして、全て共通していることは、「現代剣道の価値観に見も心も委ね、疑いのうの字も
持つことがない」ということです。
私のような、剣道もやりつつ他の武道論に触れ、その本質を見極めんとする人間、
ここの他の方のように、プロスポーツの世界から剣道の世界に転向した人、剣道と
古流や剣術を弊習する人。その多くが、「正しい剣道」という価値観に対して、
否定的なスタンスであるという事実を、どうお考えになりますか。
その人達にとっては、死活問題なのではありませんか?自身の追い求めたい剣道、
理想像があれど、正しい剣道とやらだけを強要され、他は邪剣と蔑まれる。
このような風潮がないのなら、誰も反発しないでしょうね。
それを正しくない心栄えと斬って捨てるのは簡単なことでしょうが。
私自身、現代剣道の正しさとやらにも価値や魅力はあると思いますし、それを否定する
気にもなりません。やりたい人はやればいいのです。

ついでに、ここまでの話で、「正しい剣道」とやらの具現像はある程度出てきましたが、
それを規定する価値基準というものは一向に見られませんね。
正しい、正しくないと判断するならば、それらを規定する絶対的な基準がなければ
土台矛盾した話です。
[2007/09/30 12:27:51]

お名前: しーやん   
話が真剣での勝負に飛躍しますと、結局剣道とは人を斬る技術というので終わるので
しょう・・・。

昔の武士がなぜ真剣を腰にぶら下げながら、それを抜く時の流儀にこだわったのか?
なぜ源平時代は一騎打ちで斬りあう前に互いを名乗りあったのか?

そういう斬り合い、殺し合いの議論になると、最終的には刀など必要ない。
鉄砲があればいよい。そういう議論になってしまいます。

昔の武士は、明日のことすら分からない時代を生きていたんです。
だから色んな書物を読んだり、儒学者についたりして人生観、死生観について
本当によく勉強しました。だから己の生き様にものすごくこだわった。
ただ人を斬るだけの人間は「貧乏侍」と言われ蔑まれた。
刀を腰に下げるということは、武士にとっては人生と同じで、
だから剣と人の道は同じと位置づけられていた。
元々剣道の人間形成とはそこからスタートしています。
そこも分からず、剣道の人間形成を安易に教育に持ち出そうとする風潮もどうか
と思いますが、現代の人間がそういう真剣を使った勝負の話で議論するのは
ナンセンスなような気がします。

アマチュアスポーツと同じでいいじゃないですか。そうやって剣道を特別視するから
現代の人間に剣道は煙たがられるんです。
面を外して、他の世界も見てみれば、剣道界という世界は世間ずれした特殊な世界に
見られているかもしれませんよ。

それとも剣道は特別な世界で、奥義は神秘的なものとお考えでしたら、
たった一人で虎の穴でも行って修行を極められることをお勧めします。
ただし極められれば、の話ですが・・・。
[2007/09/30 10:53:04]

お名前: 酔剣   
プロは勝敗や記録で結果を残さなければなりません
でないとメシが食えない、生き残っていけない、それがプロだからです
反則しようが、ドーピングしようが、バレなければ何したっていいんです
それ故厳しい世界ともいえます
だから負けた時の言い訳もするんです
でないと生き残っていけないからです

剣道はどうでしょうか
勝ったからといってメシが食えるわけではないですし、負けても死ぬわけではない
アマチュアと言われればそれまでですが、だからこそ己の理想を追い求める事が出来ますし、中途半端で簡単に投げ出す事も出来ます
己の理想の剣道が「正しい剣道」になるのだと思います
不思議な事に理想を突き詰めていくと、殆どの方の理想の剣道がほぼ一致してくるのです
ですから、大筋で「正しい剣道」というのが出来上がってくるんです
もちろん個々での微妙な違いがありますので、抽象的な表現になってしまいますが

プロスポーツの世界でやってきた人が、その「正しい剣道」なんて理解不可能でしょう
逆にプロスポーツでもトップクラスの選手、さらにその中でもほんの一握りの人なら理解できるかもしれません

kirakuさんもお笑い剣道さんも(もちろん皆様も)、己の「理想の剣道」己の「正しい剣道」を続ければよいと思います
いやになれば、辞めても逃げても構わないと思います
かくいう私は他から邪剣と呼ばれてますが、自身の「正しい剣道」を続けております(歴25年で数回変わってきましたがw)
[2007/09/30 05:10:25]

お名前: 好月   
 あらあら?また前半の論議に後退しましたね。(ーー;)

 生死がどうの、アマチュアがどうの・・・、「正しい剣道」は存在しないというトピに、批判をするな!としながら、「正しい剣道」は存在するというレスを批判する。
 心栄え正しいとは言えませんね。この議論も命がけで、勝った方が正論とでもお考えですか?
 「正しい剣道」はそれを願っていても、誰もが出来るものではありません。出来る人
が居ても、いつもできるとは限りません。「打たれても崩れないこと」を重要視するの
は、それが「崩れても打つこと」よりも難しいからです。(これが解ってもらえない
と…、もう少し経験を積んで出直してもらう必要がありますが…)つまり、今は打たれ
るかもしれないが、いずれ「崩れずに打つこと」を目指すには避けて通れませんよ。と
いう訓えなんです。決して、年寄りや高段者のエゴや諦め、頑固で負けを認めない封建
的思想なんかじゃありません。(でも、そういう人良く見かけますね。よくよく見極め
て下さい)あくまでも「正しい剣道」は「強い剣道」になるためのものであるんです。

 剣道は全人的な運動文化です。老若男女や体格、身体能力に関係なく上達の早さは違
えど、努力が報われるものだと信じています。「正しい剣道」は、そのための「方便」
でもあるんです。
 
[2007/09/30 00:45:05]

お名前: Hide.    URL
To お笑い剣道さん
私の質問には答えてくれずに、またずいぶん大風呂敷を広げましたね(笑)
まぁ、あなたの主張の一部は認めましょう。技術は見事でも心映えの正しくない高段者は
たくさんいますからね。
でも私は、「長く剣道を続け、段位の上がっていく程『心映えの美しい、正しい剣道』に
なる」なんて書いた覚えはありませんが。それはどなたの主張でしょうか?(-_-)

>こうなった大きな要因は、全日本剣道大会の出場資格が『五段以上』になってからだ
>と思いますね。
いつからそんな規定ができたのですか?
一時期、出場資格が「六段以上」という誤った規制をした時代はありましたが、今は段位
での出場制限はありませんよ。

>だから、日本に比べ、剣道人口の全く少ない国にも負けるんですよ。
それは認識不足といわざるをえません。
現場で選手の負けを目の当たりにしましたが、そういう意味で負けたのではありません。

>剣道について、「打って反省、打たれて感謝」等、何か格好つけたようなこと言って
>っていますが、そんなのどう見てもアマチュアスポーツの世界観ですよ。
それはどうしてでしょう。
打たれたところは自分の弱いところと認識できない人は自分を伸ばすことはできないと思
いますが。

>そこには、武道に不可欠な「生死の極み」が、全く欠けている。これが決定的です。
剣道で打たれても血も吹き出なければ死ぬこともありません。打たれたってしらばっくれ
ることはできます。
でも、「打たれて反省」は、そういう意識があればこその思想と考えますが。

>当然試合は、「虚」も「実」も駆け引きも、何でもあっていいわけです。
>だって、本当なら負ければ、死ぬんですよ。刀ならね。
けっこうです。
だから「打たれて反省」なんですね(^^)

>ましてや、逆胴を認めたり、相面を打突の早い遅いで決する等を、あるいは「面」ば
>かりにこだわるばかり等の剣道はますます、「剣」から離れてしまっている。
私も面ばかりにこだわる剣道は愚の骨頂と思います。
が、あなたがあげておられる前2つにつきましては、なぜそれが「剣」から離れていって
いるか疑問です。
古流の形にも逆胴を切る技はあります。相面は、もちろん先に当たった方が一本になりや
すいですが、それが有効打突の要件を満たしていない場合、後打ちの面が一本になること
も少なくないんですよ。

>皆様方の剣道観を総合しますと、「正しい剣道」でなく、「美しい芸道」とした方が
>よりふさわしいのではないでしょうか。
はい、それは結構です。
剣道は「生き方」も含めて立派な芸道ですから(^^)

>とにかく、私にとって、皆さんの言う剣道は、私にとって「正しくない剣道」です。
こういう挑発的な言い方はあまり好ましくありませんが、あなたの言われるところの「正
しい剣道」を一度拝見したいものですね。
あなたの主張は、現代剣道やここにお集まりの皆さんの批判ばかりで、あなた自身がどの
ような取り組みをされているのかの記述がありません。「生死の極み」を表現し「武道」
としてどのように「本格的に剣道を再開された」のか、ぜひぜひ、お話になってみてくだ
さい。
批判のための批判は、どなたにも受け入れられませんから(^_-)〜☆


To kenbuさん
管理人のHide.です。

>生き様、生き様としきりに言いますが、結局はここまでの話でどういう生き様が
>正しいと言えるのか、具体的な話は何一つ出ていません。
私は「心映えの正しい剣道」とカキコさせていただいておりますが、それも具体的ではな
く抽象的な概念に過ぎないとおっしゃるのでしょうか?

>その心栄えとは何なのでしょう。探究心を以て剣道を学ぶことですか?
心映えというのは、自分の心に映る実像ですね。私は「正しい心映え」と書いています。
当たり前ですが「悪い心映え」もあるんです(^^;
では「正しい」とは何なのか。
それは、「自他に対して誠実であること」です。

お分かりいただけないようですから再度述べさせていただきますが、私が考える「正しい
剣道」とは、
 ●正しい心映え(自他に対して誠実であること)
 ●基本に忠実な剣道(気力旺盛にして、姿勢と刃筋が正しいこと)
です。狭義ですかね?(^_^ メ)

>そのような誤解が生じるのは、現代人の解釈の仕方にも問題があります。
>つまり、不動心なら不動心、無心なら無心を、その現象だけを切り取り、それだけを
>体現しようと追い求めてしまうからです。
>そう言った境地は、生活環境から感性まで、今とは全く違う先人が命懸けの修行の末
>辿り着いた、心身未分の境地です。その現象だけを追い求めようとしても無理なのです。
無理だから、剣道の本質には迫れない。ゆえに、「正しい剣道はない」という論法なので
しょうか?

たしかに、現代剣道は「死生」からは隔絶された世界にあります。でもそれは仕方がない
ことですね。先人の教えの中に少しでも相通じるものを模索しようとする人たちの努力を、
私は同じ道を歩む者として否定することはできません。

あなたも剣道の道を歩まれている一人なんですよね。
では、問いましょう。あなたの剣道はどういう方向に向かっておられるのですか。そのた
めに、どのような心映えをもってお稽古に取り組んでおいでなのでしょう?
ぜひぜひ、こちらでお話しくださいますようお願いいたしますm(_ _)m
[2007/09/29 23:30:23]

お名前: Paladin   
>皆さんはスポーツチャンバラをバカにして言っていますが、私から見ると、
>今の剣道は、スポーツチャンバラと何ら変わりない
>「スポーツ」でしかすぎませんよ。
このトピでスポーツチャンバラの話をしたのは
あなたとkirakuさんと私の3人ですが、私は馬鹿になんてしてません。
一般に知られていない護身術としての側面をアピールして書き込んでいます。

>剣道について、「打って反省、打たれて感謝」等、
>何か格好つけたようなこと言ってっていますが、
>そんなのどう見てもアマチュアスポーツの世界観ですよ。
剣道のファイトマネーで食べている人はいないでしょうから、
プロスポーツの世界観を共有しろというのは無理な話です。

>そこには、武道に不可欠な「生死の極み」が、全く欠けている。
生死:生きることと死ぬこと。生と死。いきしに。
極み:きわまるところ。物事の行きつくところ。極限。限り。きわまり。
「生きることと死ぬことの行きつくところ」とは何処でしょう?

>剣道は、防具を着用し、竹刀という安全な武器で叩き合うから
>そのようなことが言えるのです。
>一回叩かれたぐらいでなんともありません。
>真剣勝負では、そんな甘えはありません。スピード技だろうが、
>フェイント技だろうが一度打たれたら、全て必然。自分の死を意味します。
>そこが剣道の本質ではなかったですか。
防具を付けて竹刀で打ち合う、剣術の稽古方法「撃剣」が剣道の元です。
よって「そこ」は昔から剣道の本質ではありません。

プロスポーツ選手だった人が武道、護身術の思想を
受け付けないあたりにスポーツの限界を見ました。
[2007/09/29 22:26:33]

お名前: kenbu   
>お笑い剣道さん
ご意見の内容としては、私もほぼ同感です。
結局、本来の剣道の貴重な財産である古流から離れ、現代人が勝手にロマンのようなものを
追い求めているがために、そのようになってしまうのでしょう。

生き様、生き様としきりに言いますが、結局はここまでの話でどういう生き様が
正しいと言えるのか、具体的な話は何一つ出ていません。
正しい剣道、という概念に関してもそうです。学ぶ者の心栄え、と言いますが、
その心栄えとは何なのでしょう。探究心を以て剣道を学ぶことですか?
そんなの、当たり前です。それとも現代剣道の思想に、見も心も任せ、上の者を絶対と
拝め、封建的上下関係に順応することですか。
そもそも、剣道に於いて「正しい剣道」とは、そんな狭義の意味合いだけを指すものでは
ないと思われます。もっと、技術的なものから、根幹的な思想まで、全てを制約、束縛
するような大きな概念であるような気がします。だから、反発する人が徐々に
現れているのです。

分かりやすいようにもっと具体的な話をしましょう。
不動心という言葉があります。この「不動心」には、二つの意味合いがあるという
考え方があります。一つは、「悠然、泰然自若」とした態度。もう一つは、
「頑固、鈍感」である態度。
高段者に、こういう人がいます。「若い人に打たれても、崩れないことが大事。
そんなスピードとフェイントに頼った技には目もくれず、心を崩さず、動じず、
不動心であることが大事。」
これは、頑固で鈍感な現代剣道の思想を象徴しています。
これを、仕事に例えたらどうなるでしょうか。仕事で、今までの自分の力量の
限界を超えたような事態に遭遇したとします。そんなとき、評価されるのは
失敗を恐れず、その事態に立ち向かい、仮に失敗したとしても自分の非力さを
きちんと認め、次は同じような事態に遭っても確実に対処できるよう努力する、そんな人です。
失敗しても開き直り、頑として自己の正当性を崩さず、決められた考えの中でしか
物事を考えられない人は、評価されません。
剣道は、防具を着用し、竹刀という安全な武器で叩き合うからそのようなことが言えるのです。
一回叩かれたぐらいでなんともありません。
真剣勝負では、そんな甘えはありません。スピード技だろうが、フェイント技だろうが
一度打たれたら、全て必然。自分の死を意味します。
そこが剣道の本質ではなかったですか。

そのような誤解が生じるのは、現代人の解釈の仕方にも問題があります。
つまり、不動心なら不動心、無心なら無心を、その現象だけを切り取り、それだけを
体現しようと追い求めてしまうからです。
そう言った境地は、生活環境から感性まで、今とは全く違う先人が命懸けの修行の末
辿り着いた、心身未分の境地です。その現象だけを追い求めようとしても無理なのです。
(ちなみに、居着きや四戒も、本来は身的作用が精神に影響を及ぼすものなのですが、
現代人は単なる心的作用と捉えるのです。だから、誰も克服できないのです。)
[2007/09/29 19:31:04]

お名前: お笑い剣道   
 kirakuさんもプロスポーツ経験者ですか、実は私もかつて経験しているんです。
 10年程前から、再び本格的に剣道を再開したのですが、そしたら驚いたわけです。
 いつの間にか、誰やらに「正しい剣道」が決められ、それが広められていることに。
 しかし「正しい剣道がある」のではなく、誰やらが「正しい剣道を決めた」ものらし
いのです。何故なら、その思想によりますと、長く剣道を続け、段位の上がっていく程
『心映えの美しい、正しい剣道』になるそうですから。しかし、現実には私のまわりに
いる高段者の心は、他の人と比べて特別美しいわけではありませんので、私は、技術的
に面ばかりにこだわっている人のことを言うのだろうくらいにしか思っていません。
〜ゆっくりと大きな面を打つと喜ぶんですよ。それしか対応できないんでしょうがね。
 こうなった大きな要因は、全日本剣道大会の出場資格が『五段以上』になってからだ
と思いますね。
 私が剣道を始めた頃は、段位に特別な価値はなかった、持っていればよいという程度
でした。昇段よりもいかに自分を強く、高めるかに夢中でしたね。
 そこで剣道連盟は考えたんでしょうね。
 自分たち高段者への尊敬と金を集めるよい方法を・・・それが現在の全日本です。
 今は、まず五段をとらねば出場資格もないわけですから、長いものにも、くるくると
巻かれなければなりません。だから、いつのまにやら、覇気のないものに成り下がった
訳です。今の剣道ははっきり言って武道ではないですよ。芸道です。
 だから、日本に比べ、剣道人口の全く少ない国にも負けるんですよ。
 皆さんはスポーツチャンバラをバカにして言っていますが、私から見ると、今の剣道
は、スポーツチャンバラと何ら変わりない「スポーツ」でしかすぎませんよ。
 剣道について、「打って反省、打たれて感謝」等、何か格好つけたようなこと言って
っていますが、そんなのどう見てもアマチュアスポーツの世界観ですよ。
 そこには、武道に不可欠な「生死の極み」が、全く欠けている。これが決定的です。
 日本の武道を代表していると見られていた剣道がどうしてここまで落ちたのでしょ
う。泣きたくなる程です。
 剣道の竹刀は、かたなであるはずです。だから、正しく刃筋を立て、もの打ちの部分
で打突する。・・・・・それらは全て竹刀ではなく、真剣として扱われるのを前提とし
ているからです。
 当然試合は、「虚」も「実」も駆け引きも、何でもあっていいわけです。
 だって、本当なら負ければ、死ぬんですよ。刀ならね。
 「勝ち、負けを超越する」というのは、言葉としては酔いやすいのですが、「勝つ」
ことを意識しないものは、もはや武道とは呼べません。
 ましてや、逆胴を認めたり、相面を打突の早い遅いで決する等を、あるいは「面」ば
かりにこだわるばかり等の剣道はますます、「剣」から離れてしまっている。
 だから、「剣」としての意識を亡くした剣道を行儀見習いに使おうとする人も出るわ
けだ。
 皆様方の剣道観を総合しますと、「正しい剣道」でなく、「美しい芸道」とした方が
よりふさわしいのではないでしょうか。
 とにかく、私にとって、皆さんの言う剣道は、私にとって「正しくない剣道」です。
[2007/09/29 16:41:22]

お名前: Hide.    URL
To しーやんさん

なんか、卵が先か鶏が先かのようなお話になってまいりましたね(^^;


でも「できているつもり」ってことは剣道に限らず人生にはたくさんありますよね。
自分の弱点や欠点を認めるっていうのは、人間にとってつらいこと。でも、それと向き合
わなきゃいけませんね。

剣道がつらいのも、お相手に打たれたところは自分の弱いところだからです。
それをしっかり認識できるようにしていくことも、剣道の修行ですね(^^)
[2007/09/27 23:21:40]

お名前: しーやん   
TO Hide.さん

確かに基本に忠実であることも大事ですね。

しかし基本に忠実であるということは、実に難しい。
結構人間って、苦しいところや辛いところで甘さが出やすいですから。
辛くなってくると、足を継いで打ってみようとか、攻められて苦しい時に
ごまかして打ってみようとか、切り返しにしても、辛くなってくると、
きちっと両方の面をきっちり打たないとか、四十肩でもないのに振りかぶって打つのを
止めてしまうとか・・・。

まさに自分自身がそうですから。自分はできているようでいて、できていない部分
は一杯あるわけで・・・。

そう思うと、やはり生き様のしっかりした人というのはこういう場面で強いと思います。
間違っていても後でいくらでも修正が効く。

やはり頑迷で自我妄執の強い方は、一旦崩れてしまうともう戻っては来れないと
思うのです。

基本をきっちりやりきれる方というのはやはりそれだけ人間もしっかりなさっている
と思います。
[2007/09/27 22:25:06]

お名前: Hide.    URL
To しーやんさん

管理人のHide.です。ご意見ありがとうございます。

おっしゃる通り「生き様」なんですが、生き様が正しくても基本に忠実でない剣道をされ
る方もおられます。それをもってして「正しい剣道」とは評しにくい(^^;

それゆえ私は、
 ●心映えの正しさ(=正しい生き様)
 ●基本に忠実であること
を「正しい剣道の定義」と考えているわけです(^^)
[2007/09/27 08:07:19]

お名前: しーやん   
難しいテーマですね。

結局、何が正しいか正しくないか、と言う前に、自らを振り返って、
自身の剣道観や人生観に照らして、自分自身の剣道人生をどう生きているか?
剣道を離れた自分の人生をどう生きているか?
きちっと軸足は定まっているか?

という所を見直さなければならないのか・・・と思います。

剣道は本当に難しい。簡単には強くならないし、上達もしない。
しかし、私は学生時代に先生からこういう指導を受けました。
「大人になってからの剣道は、その人間が持つ生き様が出てしまう。」
つまり自分が今やっている剣道は、自分の生き方そのものであり、
人生観や剣道観すべて、ということになります。

つまり、それがきちっと軸足がぶれずに歩まれているのであれば、
それがおのずと「正しい剣道」につながるのではと思います。

技術論や方法論もありますけど、それはあくまで形式的なもので、
「正しい剣道」はそんな形式的なものの中には存在しないのではと感じております。
[2007/09/27 01:07:47]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

>さすが管理者だけあって、交通渋滞もお手の物ですね。・・・と言いながら信号無視を
>しているのは私だったりして…(^_^;)

恐れ入ります。
いえいえ、好月さんは信号無視などはしておられないと思いますよ(^^)


>規則をそのまま受け止めて、理法の体得・向上や心栄えの正しさを追求しようとする人
>あり、打たれないこと・打てることが理法であり、強いことが正しいことと考える人あ
>り。
>これらは、高段者にだって見られる考え方なんです。つまり、どちらも昇段されてい
>る、全剣連が認めているということに外なりません。

なるほど、確かにそうですね。
というよりも、全剣連をもってしてもその両者の間に明確な線引きができていないんじゃ
ないでしょうか(^^; これは、戦前派の先生にしてもそうだったんじゃないでしょうか。
そのお弟子さんたちは、やはり師匠の剣道や思想を継承した。

ともあれ、高段位に昇段できたっていうことは、剣道の技術としての「正しさ」があった
ことは間違いないのではないかと愚考いたしますが(^^)
[2007/09/25 22:45:58]

お名前: 好月   
To Hide.先生
 見事な交通整理ありがとうございます。さすが管理者だけあって、交通渋滞もお手の
物ですね。・・・と言いながら信号無視をしているのは私だったりして…(^_^;)

 
「…剣の理法を全うしつつ、公明正大に試合をし、…」
Hide.先生が書かれた剣道試合・審判規則のうち、たった二つの文節ですが、ここの解
釈に温度差が生じているのでは?と感じます。
規則をそのまま受け止めて、理法の体得・向上や心栄えの正しさを追求しようとする人
あり、打たれないこと・打てることが理法であり、強いことが正しいことと考える人あり。
 これらは、高段者にだって見られる考え方なんです。つまり、どちらも昇段されてい
る、全剣連が認めているということに外なりません。また、当たり前ですが、両者は互
いに試合も稽古もされます。もちろん結果で遺恨を残す事は無いようですが、稽古は試
合っぽくなるみたいです。でも、懇親会などでお酒が入ると「あいつ、変剣だからやりにくうて…」片方では「あいつ、カッコばかりやろ。崩したんねん。」とかこっそり打
ち明けて下さいます。でもその方たちは、とっても仲良さそうに見えました。
 このお二人なら、面と向かっても上記のようなやり取りが可能でしょうが、未熟者に
はこじれる元でしょうねぇ。やはり非難や否定的な言動はお互い無いに越したことはあ
りません。相手を肯定的に受け入れることが出来なければ、無理に稽古することも無い
でしょう。回り稽古なら、少しの間不本意な稽古も我慢してあげて下さい。
[2007/09/25 16:39:04]

お名前: 風の剣士   
私も他を批判するコメントが多いことに関しては、あまり良くない傾向だなーと感じる
一人ではありますが、結局のところ、受け止め方の問題ではないかと思います。
例えば、野球ならば「打った」結果がわかるじゃないですか、ホームランとか当たり損ね
とか、けど剣道はわからない。だから、ある結果が出た時、それに対する評価が分かれてしまうんだと思うんです。
もし、本当にきちんと当たると腕が切れるっていう競技だったら実際切れてるか、切れて
ないかわかる訳で、どうもこうもないですよね。もちろんそれでも議論はあるでしょう
が、もっと本当に技術的な議論になると思うんです。
けど、実際は、例えば左の拳を左に大きく外しながら相手の小手を打ちました。と言うと
これだけですごく意見があるのが剣道なんだと思うんです。技術的な意味だったり、思想
的な意味だったり、物理的な意味だったり。いい方に解釈すればよいと思うのですが。
[2007/09/25 00:14:18]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

なにやら賑わってきましたねヽ(^.^)ノ
議論百出、まことに結構なことだと思います。
ただ、ここで少し交通整理をしたほうがよさそうな感じになってきました。

今ここでまな板の上に上がっているのは、「現代剣道」のお話ですよね。
戦後、GHQの横槍に遭い解散を余儀なくされた大日本武徳会から、全日本剣道連盟が生ま
れて以降のお話に焦点を絞ったほうがよろしいのではありませんか(^^;


21世紀の剣道の「正しさ」を考えていく上で、「刀での斬り合い」を考慮に入れる必要はまっ
たくないでしょう。刀のように竹刀を使うのは無理ですし、そんな振り方をしたらお相手
に怪我をさせることにもなりかねませんから(>_<)
古流を学ぶとか居合いを学ぶというのは、剣道における「正しさ」とは切り離してお考え
になっていただいたほうがいいかもしれません。


競技におきましては、親馬鹿一刀流さんがお話になっておられますが、ルールの成り立ち
が他のスポーツとは異なるんですね。その第1編試合第1章第1条には

 ●この規則は、全日本剣道連盟の剣道試合につき、剣の理法を全うしつつ、公明正大に
  試合をし、適正公平に審判することを目的とする。

と明言されており、これに則っていないものは、規則に文言がなくても「公正を害する行
為」として反則の対象になります。すべての試合者は、この第1編試合第1章第1条に則って
試合をしなければならないわけですから、そんなところから「正しい剣道」を考える糸口
が見えてきませんかねぇ(^_-)〜☆
[2007/09/24 21:44:08]

お名前: Paladin   
>また、やたらと人間形成を謳っている割には
>人の風上にも置けないようなスキャンダルが
>よく持ち上がるのは剣道家が多いような気がするのは私だけでしょうか。
>(多くの剣道家の方はまるでそれを違う畑のことのように扱いますが……)
年間の自殺者は3万人いますが、全て報道されていません。
報道されるのは、有名人と社会的地位の高い人と、電車に突っ込んだ人です。
一市民が飲酒運転をして報道されますか?
飲酒運転をしたのが、警察官や人気絶頂のアイドル(未成年)だったらどうでしょう?

>多数決というのは単にその場その場での採決の手段では?
異なる意見が出たときに、何が正しいかを決める方法の1つを紹介したまでです。

>剣道がこれからどういう在り方をすべきか、
>それを考えていく上で常に既存派が優先されるなら
>それは単に思考・進歩の停滞、既成概念への安住です。
>歴史を見れば、物事は常に少数派が多数派を覆すことで進歩しています。
少数派が少数派のまま覆すのではありません。
少数派が多数派になった瞬間に覆るのです。
いつかはわかりませんが、変わるべき時が来れば多数派になれますよ。

>剣術は世界中に存在しますが、現在も「強い剣術」と認知されているのは
>日本剣道(古武道含む)・ヨーロッパ剣術(フェンシング含む)のようです。
>共通点は「盾を持たない」ところです。
フェンシングの元になったレイピアの剣術では
バックラー(小盾)、パリーイングダガー(防御用短剣)
鞘、マントで防御するのが普通です。

>盾を使った戦いは映画「ブレイブ・ハート」のアイスランド剣術にもインド剣術にも
>見られますが、盾を持った剣術(国)は
>「盾を持たない攻撃型の剣術(帝国)の前に滅んだ」
>のが世界の歴史の真実ではないでしょうか。
盾を持たずに戦をしたのは日本くらいなもので、
外国では銃が登場するまで盾は重要な武具でした。
ブレイブ・ハートは主人公がスコットランド側ですし
ハイランダーが使うクレイモアを強調した創作と考えます。

>ところで、今の剣道は「ヘルメット(面)・ハンドガード(小手)・
>ボディプロテクター(胴)」を叩き合う
>「殺さず」のスポーツ剣道であることは疑の無い事実です。
日本剣術にも2種類あって、甲冑を着て戦う「介者剣術」と
平服で戦う「素肌剣術」で理合いが違います。
剣道の元になったのは、素肌剣術ですから、面、胴、小手でも殺す剣なのです。
[2007/09/24 20:32:59]

お名前: 東北人?   
剣術は世界中に存在しますが、現在も「強い剣術」と認知されているのは
日本剣道(古武道含む)・ヨーロッパ剣術(フェンシング含む)
のようです。
共通点は「盾を持たない」ところです。
盾を使った戦いは映画「ブレイブ・ハート」のアイスランド剣術にもインド剣術にも
見られますが、盾を持った剣術(国)は「盾を持たない攻撃型の剣術(帝国)の前に滅んだ
」のが世界の歴史の真実ではないでしょうか。
 ところで、今の剣道は「ヘルメット(面)・ハンドガード(小手)・ボディプロテクター(胴)
」を叩き合う「殺さず」のスポーツ剣道であることは疑の無い事実です。
 たしかに剣道は死ぬほど「くさい・疲れる・痛い」ですが、安全が保障されている中でのリスクです。
ゆえに「スポーツ剣道に正道・邪道は無し」と思っています。
 ただ、「昇段システム」に対しては重要だとは思えません。
[2007/09/24 18:02:07]

お名前: 好月   
 何か・・いよいよ平行線に突入・・・って感じですよねぇ(~_~;)

 剣道の本質を「真剣勝負」であるべきとする側と、「精神修養」を目指すべきとする
側とに分かれちゃったみたいですね。(?_?)

 この両者の稽古風景を想像してみましたが、やはり対立ばかりで合気にならず「双方
得るもの無し!」の感じがします。「真剣勝負」を期待すれば物足りなさを感じるでし
ょうし、「精神修養」を目指そうとする側には、思いも寄らぬ攻撃に気も剣も体も崩さ
れボロクソに打たれて、反省どころか「あんなの剣道じゃない!」と相手批判に成りそ
う・・・(^_^;) (内緒ですが、結構この手の高段者は多いの……ってワシもか?)

 今後、今までと同じ考え方で両者が楽しく身のある稽古ができるとすれば、やっぱり
歩み寄りが必要でしょうね。
「真剣勝負」を求める側は、相手の打ちが軽くても認めて後打ちをしない。相手の力量
や年齢に応じて、多少の力加減も必要です。あと、一本になるからといっても、見せし
めのように同じ技を何度も使い「打ち据える」というような、相手の人格をも否定する
行為は、見ていても気持ちのいいもんじゃありませんのでおやめください。
「精神修養」を目指す側は、相手の打ちが基本から離れていようが、力任せの体崩しで
あろうが、それを非難せず、言葉で正さず、太刀裁き・体裁きでかわし、いなし、打突
する…ぐらいの覚悟が必要でしょう。あくまでも不動心・平常心を目指すべきです。
(稽古後のアドバイスは、感じたことを遠慮なく、でいいと思いますが…)
 
[2007/09/24 17:16:21]

お名前: kenbu   
現代剣道はそれはそれで魅力があると思うので(武道かスポーツかは別にして)、
無理に変容させる必要はないと思いますが、盲目的な正しさという言い分はもう
止めにしませんか?
ご存知の通り、現代剣道は古流や剣術と本来一体に修めるものであったにも関わらず、
全く別のものになってしまっています。無理に関連性を見出そうとすればそりゃできる
でしょうが、一体のものであるならば思想や動作も完全に一体でなければ合理性も何も
あったもんではないわけです。
また、その剣道という枠の中だけでも無視しがたい変容が見受けられます。youtubeに
森寅雄氏の立ち合いの動画があるので見ていただければわかるのですが、その頃の剣道
と今の剣道を比べても全く違います。(友人曰くこれが斬る剣道なのだとか)
親元である古流から分離し、多くの剣道家が日本刀すら扱えない現代剣道では、
何を言っても、「現代的な正しさ」でしかありません。
武道というのは、古来先人が命懸けで築き上げてきた剣の遺産を守り、継承していくことに
その守るべき文化性があるのですから、それから離れて現代人が独自に解釈を巡らせて
しまっている現代剣道は、あくまで現代のものであり、スポーツとなんら変わりはないでしょう。
それを果たして「正しさ」というのか甚だ疑問です。
また、やたらと人間形成を謳っている割には人の風上にも置けないようなスキャンダルが
よく持ち上がるのは剣道家が多いような気がするのは私だけでしょうか。
(多くの剣道家の方はまるでそれを違う畑のことのように扱いますが……)

私は「枠に捉われない」とこが重要であると考えています。現代剣道だけしか
触れていない人は、現代剣道に中での正しさというものに同意し、共有できるでしょうが、
少なくとも古流などやっている人に現代剣道に対して否定的なスタンス(試合剣道とか
抜きにしても)である人も多いわけです。
私自身も、剣道だけでなくさまざまな武道論に触れ、共通性を見出しつつ、壁を破ろうと
努力してきましたが、現代剣道の思想には完全には同意できないという結論に達しています。
勿論それを他人に押し付ける気は毛頭ありませんが。
試合剣道が試合剣道という枠だけに捉われているように、正しい剣道というのもその枠に
捉われているのです。そして尚且つ、試合剣道を払拭すべく正しい剣道を主張しても、
それが広まらないなら、正しい剣道と言われるものにそこまでの魅力がないということ
なのでしょう。それから、

>民主主義には多数決という便利かつ安易なものがあります。
>多数決したことありませんか?
多数決というのは単にその場その場での採決の手段では?
剣道がこれからどういう在り方をすべきか、それを考えていく上で常に既存派が優先されるなら
それは単に思考・進歩の停滞、既成概念への安住です。
歴史を見れば、物事は常に少数派が多数派を覆すことで進歩しています。
[2007/09/24 16:42:21]

お名前: 親馬鹿一刀流   
kirakuさん
親馬鹿一刀流と申します。
最近の高校生の剣道のトピから読んでいたのですが、書き込みのタイミングを逃して遅レスと
なってしまいましたが書かせて頂きます。
賛同する所と賛同出来ない所があります。

まずkirakuさんが主張したいのは
誤った剣道の一例として「練習量に物を言わせてパワーとスピードでガンガン打ってくる剣道の
こと」から端を発して
剣道には理想の剣道というのはあるかもしれないが、「正しい剣道」「誤った剣道」という概念
は存在してほしくない。
個人の主観で正しくないと思っても、個々人、あるいはそういう剣道を否定しないで欲しい。
という事ですよね。

レスが進んで競技としての剣道、試合、勝負の剣道を考えた場合、反則を犯さないで勝ちを求める事に
対して、正しい心栄えとか基本に忠実であるとか関係ないではないか、どんな試合をしようがルールに
則している以上正しいも正しくもない。
ましてや正しくない剣道だから負けたというのは言い訳であると。
また正しい剣道と言いながら
>侍ならものすごい力の入るツバ競り合い緊迫感できない行為をなぜ平然?
>どうして相手が殺し合いで不意をついてこない保証があるのですか?
剣道は、卑怯なことはしない暗黙の了解があるのですか?
やはり剣道もスポーツちゃんばらなのですか?
ご自身が経験してきた高校時代の剣道・プロスポーツと照らし合わせてもおかしい所がある。
矛盾があるという事ですよね。

●他の方のレスと噛み合わない、平行線と思われるのは、kirakuさんは試合についてのみ。特に高校時代
の剣道をベースに書かれています。
他の方は剣道全般を考えているからではないでしょうか?
多くの剣道愛好家は試合のための稽古は1割以下と思います。
残りの9割の稽古では求める物は人それぞれと思いますが、姿勢正しく打てるようになりたい。
機会を捕らえた打ちを出せるようになりたい。しっかり打ち切れるようになりたい等々。
お相手の攻めに対して手元を上げただけで思わず参ったと思ったり。

●私もkirakuさんの他人を否定しないで欲しいという意見には賛同します。
試合においてありとあらゆる条件を想定して、あるいはありとあらゆる手段を用いて1本を求める
事にも賛同します。

●なぜ?なぜ?なぜ?
剣を相手の喉元に突きつけながらの任意の分かれ、侍ならものすごい力の入るツバ競り合い緊迫感
できない行為をなぜ平然?
前の競技にも競り合いがありましたが、ものすごい迫力でしたよ。
どうして相手が殺し合いで不意をついてこない保証があるのですか?
剣道は、卑怯なことはしない暗黙の了解があるのですか?

・そんな事はありません、一瞬の隙をついて打とうと狙っていると思います。
すくなくとも私は、打ってきたら返しますよという気分でいます。

●<剣道だけです、すでに国際化が始ってるのに、私が嫌うのは体裁を重んじ、試合に望みながら仮に
「正しい剣道」が『正しくない剣道」に負けたからしょうがない。

に代表されるように、勝負に負けた事に体裁の良い理由付けをしていると思われているようですね。
多分、kirakuさんの周囲の方でそういう事を仰る方が多いか、あるいは報道、ネット上でそういう
コメントが目に付いたのではないでしょうか?
・私はそうは思いません。正しいも正しくもありません。良い所を打たれたから負けたんですよ。

●私も学生時代は高体連とは違う組織でしたが、地区予選を勝って全国大会で活躍する事が目的でした。
スピードとパワー以外にも1本取るために色々工夫しました。
体が小さい事もあり、打って打って相手を崩して1本、相手が2本打てば3本、つばぜり合いになる
瞬間に1本。
試合でお相手の竹刀が剣道着の袖に引っかかったり、竹刀が腕の中に入ったら、打つべきチャンス
(ラッキー)と思っていました。
受けが間に合わなければ、首を振ってでも避けました。
・40台半ばの現在まで細々と稽古を続けてきて振り返ると誤った剣道をしていたとは思いませんが、
未熟だったと思います。
勝つために、理想の剣道をやっていれば、もっと効率的に勝てたと思っています。

意見が合う所と合わない所があると思います。
>競技のレベル、人のレベルが他の競技と比べ剣道はそんなに違いますか?
勝ちを意識する他のスポーツとは、思想が違いますか?

●思想という面で違いは大きいと思います。
・ある講習会で説明を受けたこと
以前に別トピに書いた内容です。
kirakuさんが理解出来ない内容とは思いますがどう思いますか?

剣道の試合規則は、公平公正を前提に作られているので詳細までうたっていない事が多い。
他の協議と違う点は、他の協議はルール上ぎりぎり、反則ぎりぎりの技術を賞賛する。
剣道はルールの範囲の中へ中へ、中心に近い技を賞賛する。
例えば、テニスのライン際ぎりぎりのサーブは賞賛される。
野球の投球でストライクゾーンぎりぎりのピッチングは誉められる。
剣道はぎりぎりの技を求めるのではなく真っ向から攻める、打つが賞賛される。

余談ですが、ある有名なプロ野球の審判が、ど真ん中のストライクをボールと判定した。
ピッチャーは再度同じコースに投げた。やはりボールの判定。
何故かと詰め寄る。「ど真ん中ですよね。」「そうだ、ど真ん中だ」「だったら何故ボールですか?」
「プロのピッチャーたる者ど真ん中に放るべきでは無い、だからボールだ。」
逆説ですがご理解頂けますよね。
[2007/09/24 16:18:47]

お名前: Paladin   
>答えは、***「精神修養』とゆう剣道理念に裏打ちされたものでなくしては
>なしえないでしょうが。  ↑
>         ↑
>     理想・理念というものは、重要です、
>しかしその理想・理念に囚われすぎ物事の本質を
>見失う人にならぬよう、私も含め気をつけたいものです。***
それで、どういう経緯で本質を見失うのでしょう?

>その前に、答えの「ある」、「なし」の人数は別にして、
>ここで両方の支持がありましたので
>それぞれの考えの中での結論以外答えは出せないと思われます。
民主主義には多数決という便利かつ安易なものがあります。
多数決したことありませんか?

>もっと武士の流れの競技なら、叩かれたら(斬られたら)死ぬのでしょう?
>3本勝負はないでしょう。
>柔道と同じ1本にすべきでしょう。
武道、格闘技に実戦との違いがあるのは当たり前のことです。

>有効打突がしっかりしたものではなければならないのなら
>相手は死なないのでしょう?
浅い、軽い傷で人間は死にません。

>有効打突がしっかりしてないもの2つで1本にしたほうがいいのでは?
浅い、軽い傷が2つ、3つできても人間は死にません。
そう考えると、柔道の合わせて1本はおかしいということになるかもしれません。

>やはり剣道もスポーツちゃんばらなのですか?
別物です。剣道は武道、スポーツチャンバラは護身術です。

>勝ちを意識する他のスポーツとは、思想が違いますか?
武道、護身術は他のスポーツと全く違います。
武道は争う稽古をしながら、争わないことを目指します。
護身術はいかに勝つかではなく、いかに負けないかを追求します。
[2007/09/24 10:45:05]

お名前: おやじ   
Kirakuさま

「理想・理念というものは、重要です、、、物事の本質を見失う人にならぬよう、、、」
剣道の本質ってなんですか?刀で人を切る事ですか?現代剣道は人間形成、生きて行く道を模索しながら人格を品性を高める様に剣道を通して修養して行く事を理念として掲げているのです。
お金の為に真剣勝負のプロスポーツ、反則以外ならなんでもOKの世界と違っても当然ではありませんか?

たとえば、なぜ剣道防具がまだ「真剣が実用」であったときにうまれたのか?

なぜ?なぜ?なぜ?ですが、自分は現代剣道において、鍔迫り合いはその時点で本来なれば双方ともに手傷なり死傷されたものとみなして、「勝負無し!」で良いと考えます。
もちろん、卑怯であるとか汚いとか現代剣道には「無い」のです。いや、あるべきではないのです。
斬られそうな時、どうして死ぬのに斬られても正しいよけ方をするのか?
正しくないよけ方をした時に、すでに「正しい剣道」が死ぬからです。
本当に私見ですが、現代剣道は戦前の武士道の心を引き継ぎながら、活人剣を真摯に目指したのだと剣道をはじめて自分は理解しました。
そう考えると、打突部位の限定・竹刀ものうちの制約など合点がゆきました。
「技」というものをずいぶん長く考えてきたのですが、頭の悪い自分は「無心」というのがやっとわかりかけて来た様な気がするのです。
何も考えられないでぼ〜っとするのは「放心」、鍛え抜かれ、磨き尽くした技は、ここぞ!と言う時に無心の(何も考えては居ない状態)まま、研ぎすまされた肉体から技はまるでその技自体が命を持ったように現れるのではないかと、だから昔から「神技」であるとか「人知」を超えたとか形容されるのではないかと、、、。

剣道は異質であるべきでしょう。なぜ、横並びにおなじものであったり、おなじ価値観を共有すべきなのでしょうか?
金銭的な目的で為されるスポーツや競技はそれはそれで良いのですが、自分はあなたの金のために真剣勝負というところにやはり、プロスポーツは町人道、金銭に命を懸ける商人道なのだと確認し、形はどうあれ侍になれんのだと確信致しました。

金にもならず、弟子に教え子に自らを打たせ、人生の大切な時間を剣道に費やし、自らを心豊かにし、修養を怠らず、、、、自分は侍と呼ぶ。

人斬りのおやじが言うのだから間違いないぜ! 武士道に損得勘定はない!!(って新渡戸稲造先生も武士道に書いてら、、)
[2007/09/24 07:41:59]

お名前: Hide.    URL
To kirakuさん

お相手がどんな剣道をしてこようが、試合においては、打たれてそれが有効打突と判断さ
れるなら、負けの言い訳に「邪剣に負けた」とはいわないのが「心栄えの正しい剣道」です。
武道っていうのは、負け方にも美学があるんです(^^)

あなたがどんなプロスポーツをされてきて、その厳しい勝負を経て今のお考えにたどり着
いたのかは存じませんが、武道の本質は「敗者をいたわる」ところにあるんです。たぶん、
あなたにはお分かりにならない思想なのでしょうね。

それゆえ「勝ち方にも美学を求める」のが剣道なんです。
正々堂々、卑怯なことをせずに勝つ道を求める。よしんば負けたとしても責任転嫁はしな
い。自己満足といわれればそれまでですがね(笑)


>いまでも、私は、勝負するからには、勝ちを意識しないというのはいかがなものか?
>アマはたしかに、勝っても負けても、私も「「いしょうけんめい」」がんばればいいと
>思います。

おっしゃるとおり。
でもそれが、「勝利至上主義」で剣道のスポーツ化(=剣道の乱れ)を引き起こしている
原因なんです。
私たちは、そこを正したいと考えているわけですね(^^)
[2007/09/23 23:04:24]

お名前: kiraku   
答えは、***「精神修養』とゆう剣道理念に裏打ちされたものでなくしてはなしえないでしょうが。  ↑
         ↑
     理想・理念というものは、重要です、しかしその理想・理念に囚われすぎ物事の本質を
見失う人にならぬよう、私も含め気をつけたいものです。***

お互いの考えが違う場合、話が平行線になるのはHideさんも、いわれるとおりもちろんお分かりでしょうが、剣道暦もない若輩者に、真剣にお話いただけることは、良識を持ち、ほんとうにありがたいことであり、やはり剣道家。

こういう人達なら本音をいいます。

その前に、答えの「ある」、「なし」の人数は別にして、ここで両方の支持がありましたのでそれぞれの考えの中での結論以外答えは出せないと思われます。

特に指導者のHideさんは、指導の信念を持ち指導される立場であるわけですから。

それを否定した人間に節を重んじ応対していただいたことは感謝いたします。

私は、高校時代、同期生が私を含め県でトップで戦える3人いました、中堅に私を、
あえて次峰と、もう一人は2年までは副将3年で大将に、この3人が1年の新人選からレギュラーとして、県で優勝こそできませんでしたが2位、3位の位置を常にキープできました、私の出番までに1:1か2:0できたので精神的に楽でしたが、2年の途中で次峰の選手が怪我で辞めてからは、0:2か1:1で対戦しなくてはならなくなり、それまでも勝ちに固執してましたが、どんな剣道をしても絶対負けられない立場になり、綺麗な剣道を目指した指導者も私だけにはそれを求めませんでした。(そのため3段不合格)

それは、高校生ながらにも団体戦は私は100%の勝利を、言わずとも感じられることでした。
関東大会も2:3で優勝校に私が負け、責任を感じていた所に、指導者にお前が負けたから負けたと言われたのは、責任を感じていただけにショックでなっとくでした。

それから私は、高校卒業後もお金のための真剣勝負のスポーツ世界へ。

反則以外なら、なにをしてもOKの世界です。

アマの世界は、負けても、それまでの努力や過程が大事だと思いますが。
プロは勝ってナンボ、やはり勝負のかかる試合は、剣道の試合以上、全日本剣道の決勝
(出場したことないのであくまで予想)並みの緊張度、運の悪い時は、大怪我、死亡事故もメッタにはないがある競技。中高生しか剣道をしませんでしたが、試合前の緊迫感は全然比ではない、もっと武士の流れの競技なら、叩かれたら(斬られたら)死ぬのでしょう?
3本勝負はないでしょう。
柔道と同じ1本にすべきでしょう。
有効打突がしっかりしたものではなければならないのなら相手は死なないのでしょう?
有効打突がしっかりしてないもの2つで1本にしたほうがいいのでは?

なぜ?なぜ?なぜ?
剣を相手の喉元に突きつけながらの任意の分かれ、侍ならものすごい力の入るツバ競り合い緊迫感できない行為をなぜ平然?
前の競技にも競り合いがありましたが、ものすごい迫力でしたよ。
どうして相手が殺し合いで不意をついてこない保証があるのですか?
剣道は、卑怯なことはしない暗黙の了解があるのですか?
やはり剣道もスポーツちゃんばらなのですか?
あらゆる局面を想定して望むものではないのですか?
まえの競技はあらゆる局面を想定し、それで勝ち、それでも負けました。
斬られそうな時、どうして死ぬのに斬られても正しいよけ方をするのですか?
なぜ力の差があり、99・99%勝つみこみがない相手に正しく斬られるのですか?
それが武士道「正しい剣道」だからですか?
卑怯な剣道をする相手の心がまえがないのはおかしいと思うのですが?
負けた時に、卑怯な剣道をうけたから、ドンマイドンマイみたいな認識があるろですか?
正しい剣道はしない保障があるのですね。
それともそうゆうルールができたのですか?

ご返答は必要ありません。


剣道は、武道というわりに体裁を重んじネット動画で似た限りでは、宮崎○○さんを省き皆さん小さくまとまってる感じ(あくまでネットで見た限り)で、かえって高校日本一決勝戦が面白かった。
全日本剣道は、くっついたりはなれたりの繰り返し剣道を知らない人はなにやってるのか模擬試合をやってる感じにしか映らないような、中途半端な打ち合い、これは勝ちを意識しすぎてると思われるような試合。
これが「正しい剣道」?迫力なし(半シロートの私の感想)

いまでも、私は、勝負するからには、勝ちを意識しないというのはいかがなものか?
アマはたしかに、勝っても負けても、私も「「いしょうけんめい」」がんばればいいと思います。

でも建前はいいから、勝ちを意識して戦うのが競技、意識しない時は自分よりあいてのレベルが高すぎるときだけです。まえの競技をしている時に恥ずかしながら私もありましたが。
それでも、少々格上でも、気合を入れ激しく全ての能力を注ぎ戦ったものです。ルール内ならなにをしてもよいのですから、剣道と同じで一瞬の判断で綺麗で豪快な勝ち方もでき、剣道で言われるような汚い勝ち方をしても勝ちの価値はそこでは同じでした。

前の競技も28年ぐらい前から国際化が始まり、何回か前からオリンピック競技になり
外国選手の前には、スピード・パワーが違い、まったくとはいわないがかなり分がわるいものです。

相撲も高見山から始まりいまでは横綱が外国勢、相撲は海外巡業はあるものの、主導は日本ので競技体系は変わらないが、
その他の日本生まれの競技はすべて競技体系本来のものではない。

それらの日本生まれの競技は、ただしい○○○競技は、ただしくない○○○競技に負けたのだから
しょうがないなどという人は今は100%いないでしょう。

剣道だけです、すでに国際化が始ってるのに、私が嫌うのは体裁を重んじ、試合に望みながら仮に「正しい剣道」が『正しくない剣道」
に負けたからしょうがない。

剣道は勝つためだけのものでない(精神修養のすばらしい競技は認めます。)。

剣道は競技ではない等



これは私の考え、勝敗を決める競技をするのに、勝ちを意識しない人はよほどの高層
ぐらいしかいないでしょう。そういう人は競技をしないでしょうが。


私は、無理でしょうが、良いところを省き剣道界の体制、考えかたが変わるのを希望しています。

今までの剣道界を全否定しているようですが、いいところは残し、変えるところは変えてゆくのが自然だと私は思います。
剣道は特別ですか?
競技のレベル、人のレベルが他の競技と比べ剣道はそんなに違いますか?
勝ちを意識する他のスポーツとは、思想が違いますか?

多々反論はあるでしょうが、剣道やる資格なし者(それでもやりますが)、自分の自慢話等も入り馬鹿のたわごととお許しください。
[2007/09/23 22:33:30]

お名前: Hide.    URL
To おやじさん

管理人のHide.です。


>自分は「正しい剣道」はあると考えます。
>なぜなら、剣道=剣の道は人の道、生きて行く事そのものでありますし、当然生きざま
>や生き方それぞれに色を為すと思うからです。
>心映えの正しいものは「正しい、、、」であるのではないかと考えるのです。

なるほど、そう考えるとわかりやすいですね。
人それぞれさまざまな人生があってしかるべき。個人の生き方に注文をつけるものではあ
りません。でも、それが人の道を踏み外してしまったものではいけませんね。

どんな人生を歩もうと、心栄え正しく、人間としての基本を踏み外さない。これを「正し
い人生」ということは、誰も否定はできないでしょう。
それを踏まえて剣道が生き様であるとするならば、「正しい剣道」もまた存在する。
非常に明快ですヽ(^.^)ノ
[2007/09/23 07:39:25]

お名前: おやじ   
kirakuさま

 人斬りおやじです。自分は「正しい剣道」はあると考えます。
なぜなら、剣道=剣の道は人の道、生きて行く事そのものでありますし、当然生きざまや生き方それぞれに色を為すと思うからです。
また、心映えの正しさというものは、剣道などの武道だけではなく、書道でも茶道でも、サッカーでもボクシングでも料理でも仕事でも、、、
心映えの正しいものは「正しい、、、」であるのではないかと考えるのです。

 剣道が試合という技前を試す機会を持つ事は素敵な事であるし、競技と銘打つなら、いかなる技もそのルールにおいて正当であるならば評価されるべきであり、もし、否定するならば、その技を封じ・破った後で為されるべきであると思うのであります。

 試合で有効の打突も基本では認められないのは基本と応用の差異であり、書道における楷書と草書とでもいうものであると理解し、読み取れるか否か、使えるか使えぬか、そのへんが技量・器量と申すものなのかも知れません。

 自分は立ち木打ち出身ですので(相手が木だった、、、からか?)、「打って反省、打たれて感謝」は「打ってよっしゃ!打たれてもう一本!」、、、なぜか、反省感謝を言われると、昔に聞いた「明日に礼拝、夕べに感謝」の仏壇のコマーシャルを思い出してしまいます、、、、ごめんなさい。

 というわけで(なんのこっちゃ?)、先ず、心映えの良い剣道をめざすよう努力しながら、面白い剣道、楽しい剣道を実践しようと奮闘努力しております。
もっとも、剣道クラブ破産したので、、、、現在浪人中、ジムで美形グラーマーに不動心、サウナで心頭滅却すれば火もまた涼しの修行、駐車場で竹刀・木刀の素振り、真空斬り(対家内用)練習をしております。

 なんだかんだ申しましても、つまるところ、好きだからする!なんですけどね。
[2007/09/23 05:30:53]

お名前: Hide.    URL
To kirakuさん
>それぞれのご質問なのですが、もう一度私のコメントをお読みいただき、理解していた
>だくことが幸いです。
なんか、軽くかわされちゃいましたが、フラストレーションがたまりますね、そういうレ
スの着け方は( -o-) フゥ

>これ最後に、「正しい剣道」Hideさん、「正しくない剣道」kirakuでのここのテーマで
>はありませんので。
これ、よく意味が取れません(^^;


To kenbuさん
>剣道家は、極めて束縛的なルールのようなものの中で、各々「正しさ」というものを
>主張しているだけに過ぎないということを知るべきではないでしょうか。
剣道は、打突部位が規定されていて、それを一定の規則にのっとって打突しあう「制約が
ある運動」であるところが、難しいわけです。有効打突の範囲も、
 ●充実した. 気勢
 ●適切な姿勢をもって
 ●竹刀の打突部で打突部位を刃. 筋正しく、打突し
 ●残心あるものとする
という規定しかありません。
でも、この中でひたすら「基本に忠実」「万人が見ても美しい」といわれる一本を求め修
行していくこと。ここに面白さと奥深さがあるのだと思いますけどねぇ(^^)

>そこに古流の型などとの関連性はほとんど見出せません。(古流をやっている人曰く)
私も多少なりとも古流をかじってますが、関連性が見出せないなんてことはありませんよ。
運動的には異質ですけど(^^)

>正しさを追究していけば、いずれは個々の人生観や人格の問題に至ります。
>それすら規定するということは、生き方さえ拘束するということなのです。
「どのような人格が望ましい」までは剣道の理念には書かれてはおりません。
それは、各人が目指す方向性に任されているからだと考えますが、kenbuさんは、そうは
お考えになられないってことでしょうか??(^^;
[2007/09/22 23:23:42]

お名前: くるお   
正しい剣道って・・・
難しいことは分かりませんが心映えの問題だと思うんですよ。(^^b
正剣とか邪剣とかいろいろあるかもしれませんが相手を尊敬し、
自分の周りの人々に感謝の念を忘れず稽古をすればそれでいいのでは?思います。
kirakuさんが何の競技のプロ選手だったのか分かりませんがあまり難しく考えず、
剣道やりたかったらする!それでいいと思うんですが・・・
剣道をやりたい人はみんなやる資格はあると思います。
但し、その剣風やいろいろなものでお相手に恵まれるかどうかは分かりませんが・・・
[2007/09/22 22:17:31]

お名前: 鳳来の隆   
kirakuさん

私事、大変低レベルの意見で大変恐縮ですが、
なにがともあれ、剣道再開する事お願い申し上げます。
「正しい剣道」をする人、目指す人以外は、剣道する資格はない・・・
って考え悩む前に先に「再開」してみてください。
結局、剣道好きだから「再開、リバ剣」希望で、「剣道理念」も
重々、把握なされてますよね。
その思いって、「正しい剣道」って事じゃないですかね〜?
理に適えば再開するし、適はなければ、しないとかじゃなんか
さっぱりしませんし・・・ねっ。
[2007/09/22 21:43:20]

お名前: 好月   
 皆さんの大方のご意見では、「正しい剣道」は無くて「理想の剣道」なら存在するん
だろう…というお考えのようですね。私は、やっぱり「正しい剣道」=「理想の剣道」
でいいんじゃないか?と思っています。

 なんとなく思うのですが(間違ってたらごめんなさい)、皆さんは目に見えるカタチ
に現れたものだけを指して「正しい剣道」「正しくない剣道」とされてはいませんか?

 『剣の理法』とは、『心法』『身法』『刀法』の三つに分けられますよね。これを修
練することで『人間形成の道』とされています。ここで「完成」でなく『形成』を使っ
ているのは、どこまで行っても「これで良し!」とは成らないから…というのは皆さん
よ〜くご存知でしょう。
 私は、この三つを正しく修行されている方の剣道が「正しい剣道」でいいんじゃない
かな、と思ってます。

 「心法」を蔑ろにして「身法」「刀法」を整えた、カタチだけの「理想の剣道」よ
り、心栄え正しくありながらも「心法」乱れ、「身法」崩れ、「刀法」利かず・・・
の方がよっぽど「正しい剣道」じゃないのかな?。
 これは、私の主観でなく、ごくごく客観的であってほしいと願っています。
[2007/09/22 19:27:47]

お名前: 剣   
「打って反省、打たれて感謝」すべては素直な心を以って相手に剣道の稽古をお願いする。
すべては、自分の心のあり方です。
正しい剣道(正道)、正しくない剣道(邪道)ということではなく、
剣道には、様々な剣風があって当然です。
すべてに対応できるのが本物の剣だと思います。人をどうこう言う前にしっかり対応してこれが正しい剣ですよを自ら実践できなければ、納得できないことも事実でしょう。
基本動作抜きに剣風というのは、無理がありますが、基本の上に成り立つ剣風なら堂々と稽古をしていただきたいと思います。
正しく強い剣道を目指して。
[2007/09/22 17:54:54]

お名前: kenbu   
横レス失礼致します。そもそも、剣道には「打突部位が制限されている」
という前提があります。そしてそれに相俟ってか打ち方も大幅に制限されています。
これらはどう考えても覆しようのない事実です。そして、あくまで「正剣」というのは
その前提の中で成り立つ剣道の一形態であるということです。
例えば、スポーツチャンバラならばどこを打っても有効になるがために、いかに
「打たれずして勝つか」という思想にならざるを得ないのでしょう。そして、
古流や剣術なども私自身取り組んではいないのですが、そのような思想であると聞きます。
剣道は脚部への斬りや喉以外への突き、袈裟など、特定の部位以外は確実に狙われない
というある意味「安心感」のような掟があります。それがために、「崩れないこと」
「逃げずに前で戦うこと」と言った思想が広まっていったのでしょう。
そのため、剣道家が剣術家などと勝負すると間合も掴めず、なす術もなくぼこぼこに
されるそうです。

また、剣道家がサッカーやその他のスポーツなどを引き合いに出して、
「ルールの中で何をやってもいいスポーツでは、本当の精神力は養成できない」と
卑下しますが、これは明らかに間違いです。
サッカーなどは、剣道と比べて明らかに自由度の高い運動です。動作的にも、
ルール的にも剣道のように一定の規則の中で極めて強く拘束されているわけでは
ありません。そのため、「こうでなくてはならない」という価値観のようなものが
介在する余地がないのです。
剣道家は、極めて束縛的なルールのようなものの中で、各々「正しさ」というものを
主張しているだけに過ぎないということを知るべきではないでしょうか。
勿論、だからと言って剣道が簡単であるということではありません。簡単であるか、
困難であるかは今無関係で、今剣道誌上などで紹介されているあらゆる技術論なども
現代の剣道の掟の中での延長上にあるものです。そこに古流の型などとの関連性は
ほとんど見出せません。(古流をやっている人曰く)
こういった話題はよく挙がるのと思うですが、こういった話題を持ち出す人はそもそも
剣道のあらゆる前提のようなものに不満を感じていたりするのでなないでしょうか。
「なぜこういう打ち方をしてはいけないの?「なぜ剣道というのに古流等との関連性が
ほとんど見出せないの?」その前提を無視すれば、「正しい剣道」というのは
あるのでしょう。しかしそれとて、非常に曖昧で主観的な概念であることに
変わりはありません。
仮に剣道がもっと自由な世界に出たときに、その思想の正当性をどこまで保って
いられるのか、ということは私も思います。
kirakuさんの仰るとおり、正しい剣道というものはないのですよ。
正しさを追究していけば、いずれは個々の人生観や人格の問題に至ります。
それすら規定するということは、生き方さえ拘束するということなのです。
[2007/09/22 14:22:24]

お名前: kiraku   
すみません!さんが抜けますた。好月さんすみません。
[2007/09/22 14:03:36]

お名前: kiraku   
すみません遅れました、はじめまして好月 、宜しくお願いします。

 好月のいわれることも多少ありましたが、中学時代は、指導者不在で楽しいだけの部活でしたが、そんなひどい高校時代ではありませんた。

本当に精神面、肉体面できついでしたが、いまあるのも高校で3年間やめずに続けられたおかげだと思います。

中学でスカウトされ、私だけ1年の新人戦から不動の中堅として県のトップクラスでやれたのも、先生や先輩・同僚のおかげだと感謝しています。

この時代は確かにスピードと瞬発力にたより勝ちに固執していました。

これからは、理想の剣道といわれるものを、目指してみます。
ありがとうございました。
 
[2007/09/22 14:01:56]

お名前: kiraku   
私ごとのお話に皆様真剣にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。

それぞれのご質問なのですが、もう一度私のコメントをお読みいただき、理解していただくことが幸いです。

生意気な言い方は、重々承知の上宜しくお願い致します。

その他のご忠告も真摯に受け止めさせていただきます。
それをふまえて、矛盾してると思われるでしょうが私も、ここでいう「正しい剣道」を目指したいと思います。

しかし、人は人・自分は自分・邪道といわれる剣道もあえて否定しません。

後もうひとつ、私は「正しい剣道」という概念はないと思います。しかしここでいう「ただしい剣道」の剣風は否定しません。
『『理想の剣道』』でしょう。人を指導するには必須・不可欠でしょう。
指導はその人の信念で指導するのがベストだと思います。第3者が口を出すべきではないし、その後は、指導されたその個人の問題であり、感じかたでしょう。

これ最後に、「正しい剣道」Hideさん、「正しくない剣道」kirakuでのここのテーマではありませんので。
[2007/09/22 13:08:27]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

kirakuさん、「最近の高校生の剣道」のほうから、新しいトピをお立てくださったのです
ね。こちらの方が「正しい剣道」につきましてしっかりとした討論ができそうです。
ありがとうございます(^^)


>理想・理念というものは、重要です、しかしその理想・理念に囚われすぎ物事の本質を
>見失う人にならぬよう、私も含め気をつけたいものです。

まずこの部分に対してお聞きしたいのですが、理念や理想を掲げてお稽古することによっ
て、見失われることになる「本質」というのが思い浮かびません。理念や理想をないがしろ
にした結果見失われる本質なら理解できるんですが(^^;

ここを具体的にお書き願えますでしょうか。


>剣道は他のスポーツと比べて異質すぎるぐらい異質です。
>合理的なものを求めてるものと、不合理さを求めるものと、本音と建前の調和が不思議
>なぐらい良くも悪くも、旧(古い)い独特の日本世界です。(なに言ってるかわからな
>い?)

ハイ、確かに不合理なんです。
攻めや技を希求していきますと、きわめて不合理な問題にぶち当たることがあります。

たとえば、虚実の問題。
「虚を攻めて実を打つ」というのが一般的な攻め口ですが、「実を攻めて実を打つ」こそ
王道だといわれる。確かに、高段者の立合いなどでそうした一本を拝見しますと、思わず
うなってしまいます。いつか自分もそういう一本が打ちたい・・・。でも、きわめて不合
理なことはなはだしい。楽に打てるところばかりを狙っている自分が浅ましくなります(苦笑)


>精神を鍛錬するなら他を批判しないことが賢明だと思います。

もちろん、上記のことは私が掲げる理想であって、お相手にまでそんなことを要求したり
はしませんよ。どんな一本でも、打たれれば素直に頭を下げます。
剣道とは己の修行です。他人に自分の価値観を押し付けるつもりはありません。

ただし、剣道指導者として後進の指導にあたる場合は、「基本から外れた剣道」や「打たん
がために体勢を大きく崩した打ち方」「打たれたくないがために、見苦しいよけ方をる」
「お相手を尊重しない」などを目にしましたら、大人子ども問わず、意見をさせていただ
いております。

それは「批判ではない」と判断しておりますが、いかがでしょうか?(^^)


>私自身が他を批判しているというコメントと、剣道は競技ではないなどのコメントはご
>了承下ださい。

あえて申し上げておきますと、剣道という大きな山におきまして、競技というのは極々限
られた小さな頂にしか過ぎません。そこは一部であって、その全部ではないんです。そう
いった意味からいけば、「剣道は競技がすべてではない」ということになります。競技に
おいて「有効打突」と認められる一本でも、基本の観点から見て「正しくない打突」という
のがたくさんあります。
そうしたことがご理解いただけたうえでの論議と考えてよろしいでしょうか?
互いに前提としている部分に違いがありますと、いくら話しても平行線でしたありません
ので(^^;


なお、「最近の高校生の剣道」での私のご質問にもお答えいただけますとありがたく存じ
ます(^_-)〜☆
[2007/09/22 07:52:36]

お名前: 見解   
剣道というのは「人の心」を育成することが本来の目的ですから、
「騙し合いで当てる技術」を追究した人の精神には、心の育成が
できにくいということでしょう。

範士の資格は「ある人の一太刀を見て、全人格を見極められなければ範士ではない」
と昔は言われたそうです。そうした意味でも剣風に人格がにじみ出るものでは
ないでしょうか?

ですから試合の結果という修行の一通過点を目標とするのではなく
生涯を通じた心の育成を目指すことが正しい剣道の在り方とされているのでしょう。
[2007/09/22 06:41:34]

お名前: 好月   
Paladinさん はじめまして!ちょっと出遅れたので追加レスですみません。

>剣道の理想、理念、本質とはそれぞれどんなものなのでしょう?

 私は専門家でも無いし、詳しく聞いたこともありませんが、私見を述べますと・・・
「理想」は『剣道修練の心構え』の中の《広く人類の平和繁栄に寄与せんとするもので
ある》という一文。
「理念」はもちろん『剣道の理念』の全文
「本質」は『知育』『徳育』『体育』
じゃないかなぁ・・・とおもってます。追加質問やら抗議めいたものも覚悟の上ではあ
りますが、正直答えられるかどうかわかりません。あくまでも私の「思い」ですから…
 あしからずご了承ください。m(__)m
[2007/09/22 00:23:42]

お名前: 好月   
kirakuさん はじめまして! 私も高校を出たのは28年前。多分同い年ですね。よろしくお願いします。

 本題に入る前に、察するところkirakuさんか身近な人たちが、心無い?先輩方に何か
「理念」だの「正道」だの「資格」がどうの・・・等言われたんじゃないですか?
 確かに面白くありませんが、悪気は無いと思いますから気になさらないで下さい。
多分、ご自身の目標の再確認か、大先生や本の受け売り程度で、ご自身も仰っているこ
との半分も体現出来ずにモヤモヤなさっている事でしょう。(かく言う私も…)
 私も若い頃、よく先輩方に「お前のは試合剣道だ!」「攻めが無いから心に響かな
い!」「竹刀踊りか?竹刀で神楽か?」フェイントなんか使おうものなら、「年上にだ
まし技か?剣道する資格無し。やめてしまえ!」と蹲踞・納刀してハイ終わり…等々。
当時はとてもへこんだものです。(T_T)

 さて、本題ですが
>ここでいう「正しい剣道」をする人、目指す人以外は、剣道をする資格はないのでしょうか?

率直に申し上げて「そのとおり!」だとおもいます。しかし、段位や経験に応じて…と
付け加えさせてくださいね。発達段階で出来る出来ないは別としても、心栄え正しくあ
ろうとする姿勢は何を学ぶにせよ必要なことだと考えます。

>《全て人が勝手に基準を作り上げたもの・「正道」これを唱えると正道以外は*邪
 道、偽者、価値がないもの*として正道以外の者はその競技を行うことが困難になり ます。今の正道といわれる剣道をしたいが身体能力等などできない人も必ずいます。
 その人たちは剣道をやめる人もいるはずです、こすばらしい剣道をたくさんの人に楽
 んでいただくためにもあえて「正しい剣道」はない。》

 「正道」を追い求めながらも、誰でもすぐに体現できるということはありえません。
そのプロセスこそが修行であり、価値があるってもんじゃないでしょうか?
 出来ない人がいるから《正しい剣道は無い》とするっていうのも、上手く言えません
が違うような気がします。
[2007/09/21 23:58:42]

お名前: Paladin   
資格が無いとは言いませんが、自分のやり方が邪道といわれる世界に、
あえて留まる必要はありません。

例えばスポーツチャンバラは護身術の世界です。
相討ちや後打ちは戒められています。
よって、相討ち覚悟や捨て身が性に合うという人は苦労する上に試合にも勝てません。
相討ち覚悟や捨て身が正道の世界に移るほうが当人にとって幸せと考えます。

理想、理念、本質、どれも似た意味の言葉ですね。
スポーツチャンバラは、表向き生涯スポーツですが
理想(そうあってほしいと思う最高の状態)は護身術
理念(こうあるべきだという根本の考え)も護身術
本質(本来の姿)も護身術です。

剣道の理想、理念、本質とはそれぞれどんなものなのでしょう?
わからないというコメントと、あくまで個人的な意見だから答えられない
等のコメントは控えてください。
[2007/09/21 23:57:35]

お名前: kiraku   
ここでいう「正しい剣道」をする人、目指す人以外は、剣道をする資格はないのでしょうか?皆様は、いかがに思われますか?

剣道は、心身を鍛錬することを目的としているすばらしい競技・武道です。

正道といわれるものから反れた剣道を批判する人がいます、悪の心を持つ剣道家は、剣道をする資格はないと思います。しかし正しい精神を求めいかなる剣道をしようが他を批判すべきではないと思います。

私は、高校を卒業以来28年ぶりに剣道を再開しようとしています。(10月予定)
最近「正しい剣道」というものがあるのを知りました。

やめてから、剣道は全日本選手権をテレビで何度か拝見したぐらいで、8年前まではプロスポーツの選手をしていたので(理由にならない?)、まったく目にすることがなく、ネットで今の剣道界を調べてここにたどり着きました。

8年前まで私がしてたスポーツは、他の人が個人の競技方法に異論・批判する人などなく個人が自分に合う競技のしかたを理想として競技をしていました。

美しさを追求するならそれでよし、強さを追求するならそれでよし、運動能力が優れてなくても人一倍努力し強敵に打ち勝つことを追求するならそれでよし、本当に弱くてメッタに勝てないが剣道が好きでも・・・なんでも・・・それも『精神修養』とゆう剣道理念に裏打ちされたものでなくしてはなしえないでしょうが。

理想・理念というものは、重要です、しかしその理想・理念に囚われすぎ物事の本質を
見失う人にならぬよう、私も含め気をつけたいものです。

スポーツと剣道は考えが根本的に違うといわれれば、それまでですが。

剣道は他のスポーツと比べて異質すぎるぐらい異質です。
合理的なものを求めてるものと、不合理さを求めるものと、本音と建前の調和が不思議なぐらい良くも悪くも、旧(古い)い独特の日本世界です。(なに言ってるかわからない?)

精神を鍛錬するなら他を批判しないことが賢明だと思います。

柔道がjyudouに成り下がる・稽古のしすぎや、ウェートトレーニングは卑怯など
中高生時代に剣道をしていた私は恥ずかしくて、剣道批判家や不合理主義者コメントは
他の競技者に見せたくないです。

これはあくまで私個人の考え、競技に正道や卑怯(反則は省く)も本物もない!
《全て人が勝手に基準を作り上げたもの・「正道」これを唱えると正道以外は*邪道、偽者、価値がないもの*として正道以外の者はその競技を行うことが困難になります。今の正道といわれる剣道をしたいが身体能力等などできない人も必ずいます。その人たちは剣道をやめる人もいるはずです、こすばらしい剣道をたくさんの人に楽んでいただくためにもあえて「正しい剣道」はない。》

やはり他を批判するコメントはやめましょう。

私自身が他を批判しているというコメントと、剣道は競技ではないなどのコメントはご了承下ださい。
[2007/09/21 21:04:11]

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