現在イタリアで剣道をしているものです。
さて先日、私が時々カキコさせて頂いている、あるイタリアの武術全般に関するホームページで、こんなやり取りがありました。
題名は「禅は戦争(争い)と関係がある」!
この人が言うには、「過去の偉大な武士は禅を用いて、崇高な境地に至った。それにほとんどの武術には禅の影響がかなりある。よって禅は侍をもっとも危険な戦士と至らしめるものであり、禅と戦争(争い)には多大な関係がある」(簡略)と・・・
そこで私はこう見解を書かせてもらいました。
>最初に結論を言えば「禅はまったく戦争に関係がない。」です。
>確かに禅の影響は多くありますが、それは武士が存在した時期の中期以降、
>つまり冑を脱いで、やや平和になった時期以降で、
>本当に戦いに明け暮れていたであろうそれ以前の、
>まだ禅の影響がそれほど強くない時期の侍のほうがよほど危険ではなかっただろうか?
>また、侍を侍たらしめるものはその精神的骨格をなす武士道であって、
>それは禅の影響は受けてはいるものの、すべてではなく、
>源流をたどればむしろ神道や儒教の影響がつよいといえるのではないか?
>次に私たちのすることすべては物理的(肉体的)行動と精神的行動の二面があり、
>物理的行動は反射的、意識的ともに私たちの脳に関係が有る以上、
>その脳の行動つまり思想、精神、いわゆる「心」を探求することは
>物理的行動の探求には欠かせないことであり、禅の性質がそれの役に立ったのではないか?
>逆を言えば、禅がなくても精神的探求を助ける他のものがあれば武術の奥義を極める上ではまったく問題がないのではないか?
>もうひとつ重要な点は、禅(仏教)では殺生を戒めており、戦争をすることとは矛盾しているということ。
>以上の点から、禅と戦争はまったく関係がなく、禅はあくまで武術にとってひとつの道具に過ぎないのではないか?
この”道具”という言葉は比喩的に使ったつもりだったのですが、
かれは言葉通りに捉えてしまい、
「・・・まだ私の考えは変わらない。禅が道具だというのは間違っている。調べなおせ」と・・・
私が説明不足だったのですが、それはさておき、皆さんはどういう考え方をお持ちかぜひお聞きしたいです。
海外にいるため、資料を探そうにもかなり苦労しています・・・五輪書、武士道、不動神智妙録などは読んでますが。
私の見解について歴史的事実に間違いがあるようならば訂正していただけるとありがたいです。
[2007/08/02 00:49:48]